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<title>雑記帳</title>
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<description>おもに古人類学の論文の備忘録です。文中の赤字の箇所にはリンクが張られています。文中の青字の箇所は引用文です。文中の緑字の箇所は追記です。【】は管理人の注釈です。詳しく英語論文を取り上げた記事では、2022年9月以降、原則として冒頭で要約の翻訳を掲載しています。当ブログでは年代に関しては、注記しないかぎり、原則として西暦（グレゴリオ暦）を用いています。本・漫画・ドラマを取り上げた当ブログの記事のなかには、内容を詳細に紹介したものも少なくないので、未読・未視聴の方はご注意ください。メールアドレスはalksnjdb＠yahoo.co.jpです。スパムよけのため、「＠」としていますので、「@」に変更して送信してください。ホームページのアドレスはhttps://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/index.htmです。ツイッターのアドレスはhttps://x.com/Florisbadです。</description>
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<title>林智裕『「正しさ」の商人　情報災害を広める風評加害者は誰か』</title>
<description>　2022年3月に徳間書店より刊行されました。電子書籍での購入です。本書は、「情報災害」がもたらす被害と、「情報災害」が起きる仕組み、さらには「情報災害」への対策を、東日本大震災やワクチン問題など現実の問題に即して検証しています。私も有害な虚偽情報の拡散について関心をずっと抱いており、色々と調べてはいたものの、体系的でも網羅的でもなかったので、本書を読み、得たものは多くあります。　本書は、東日本大震災、とくに原発事故と関連した福島県の「情報災害」を取り上げています。この問題に..</description>
<dc:subject>読書</dc:subject>
<dc:creator>雑記帳</dc:creator>
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　2022年3月に徳間書店より刊行されました。電子書籍での購入です。本書は、「情報災害」がもたらす被害と、「情報災害」が起きる仕組み、さらには「情報災害」への対策を、東日本大震災やワクチン問題など現実の問題に即して検証しています。私も有害な虚偽情報の拡散について関心をずっと抱いており、色々と調べてはいたものの、体系的でも網羅的でもなかったので、本書を読み、得たものは多くあります。<br /><br />　本書は、東日本大震災、とくに原発事故と関連した福島県の「情報災害」を取り上げています。この問題について、私も東日本大震災以降、ずっと関心を抱いてはいたものの、インターネット上ではとくに発言してきませんでした。虚偽情報の問題点を熱心に指摘する人がおり、明らかに知見不足の自分が発言しても、虚偽情報を流す連中に付け入られるだけなので、発言しない方がよいだろう、などと内心で言い訳していましたが、後ろめたさはありました。ただ正直なところ、自分の知見と能力と経済力を考えると、虚偽情報が飛び交う関心を抱いている問題について安易に発言しない慎重さも必要ではないか、と考えています。まあ、怠惰な性分の正当化にすぎないかもしれませんが。<br /><br />　私が東日本大震災で虚偽情報被害を受けた福島県に対して、多少なりとも貢献したとすれば、2012年か2013年以降に、近所のスーパーで福島応援運動のような企画があったさいに、福島県の農産物を積極的に購入したことくらいでしょうか。当時、インターネット上で福島県の農産物の危険性を訴える意見は多かったように記憶しています。当時、インターネット上で福島県農産物を積極的に食べていると言って、福島県農産物の危険性を主張する人に見つかったならば、激しく罵倒されたことでしょう。インターネット上でなくとも、スーパーでそうした人に遭遇する危険性はありましたが、遭遇はしたかもしれないものの、幸いにしてこの件で因縁をつけられたことはありませんでした。<br /><br />　本書で取り上げられている「情報災害」の具体的事例は、一部知っていたものの、知らなかったものも多く、その酷さを改めて痛感しました。本書では朝日新聞が割と多く取り上げられていますが、朝日新聞を嫌う人が目立つのも仕方のないところとは思います。政党では共産党も酷いものの、れいわ新選組というか山本太郎氏の発言は論外で、この御仁が今年（2026年）になって政界から去ったのは何よりでしたが、過去十数年間の言動の責任は今後も追及しなければならない、と思います。偽情報を流すのは低負担、それを正確に検証して否定するのが高負担なのは人間社会の嫌な真理で、人間はこの問題にはずっと付き合っていかねばならないのでしょうが、本書はそのための一助になると思います。<br /><br />　本書は差別問題への対処にも有益な知見を提供している、と私は考えていますが、本書を読んでいて思い浮かんだのは、「差別のない本屋に通いたい」と<a href="https://x.com/nakakei_hope/status/2083289835717239006"><span style=color:#e00>発言</span></a>した仲川啓介氏です。「差別のない本屋」に置いてはならない本とは、具体的にどのような基準で判断されるのか、本書を「差別のない本屋」に置いてもよいのか否かについて、仲川氏がどのよう考えているのかは、気になるところです。まあ、このような問いを発すること自体が、私の強い偏見を表しているのかもしれません。通俗的には、加齢に伴って頭が固くなる、と言われていますが、私も自分の年齢を考えると、新たな知見や見方を受け入れにくくなっているのではないか、と自戒せねばなりません。<a name="more"></a>

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<title>コウモリの進化史</title>
<description>　コウモリのゲノムデータを報告した研究（Morales et al., 2026）が公表されました。コウモリは哺乳類の中でも特異な存在で、動力飛行が可能な唯一の哺乳類です。コウモリ系統では、動力飛行と喉頭反響定位が、疾患抵抗性や長い健康寿命や冬眠能力とともに独自に進化してきました。しかし、コウモリの進化史と、これらの適応に関する理解には未解明の点が残されています。　本論文は、コウモリの全21科を網羅する103種について、42例の新規アセンブリを含む、長い読み取りに基づく染色体..</description>
<dc:subject>自然科学</dc:subject>
<dc:creator>雑記帳</dc:creator>
<dc:date>2026-10-09T09:21:24+09:00</dc:date>
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　コウモリのゲノムデータを報告した<a href="https://doi.org/10.1038/s41586-026-11007-3"><span style=color:#e00>研究</span></a>（Morales et al., 2026）が公表されました。コウモリは哺乳類の中でも特異な存在で、動力飛行が可能な唯一の哺乳類です。コウモリ系統では、動力飛行と喉頭反響定位が、疾患抵抗性や長い健康寿命や冬眠能力とともに独自に進化してきました。しかし、コウモリの進化史と、これらの適応に関する理解には未解明の点が残されています。<br /><br />　本論文は、コウモリの全21科を網羅する103種について、42例の新規アセンブリを含む、長い読み取りに基づく染色体水準のゲノムアセンブリを解析しました。対象範囲が拡大し、アセンブリ品質が向上したこのデータセットから、コウモリの新たな系統発生が明らかになりました。本論文は、サラモチコウモリ科（Myzopodidae）をヒナコウモリ上科（Vespertilionoidea）内で最も早く分岐した系統に位置づけ、サシオコウモリ上科（Emballonuroidea）とヒナコウモリ上科が姉妹群と特定することで、ヤンゴコウモリ亜目内の系統関係を解明しました。本論文の解析によって、コウモリ類全体にわたるモザイク状の進化史が明らかになり、以前の系統解析研究で誤った結論へと導かれた理由が説明されました。<br /><br />　染色体の祖先状態の再構築からは、祖先的なコウモリの染色体が26本だった、と支持されました。本論文は、先第四紀の44点の化石種と、現生コウモリの大半の科を代表する種を含む、計65種の699形質からなる形態データセットを、中立的に進化するゲノム部位のデータと統合しました。化石化出生–死亡解析および分散–絶滅–分岐進化解析の結果から、コウモリの起源、したがってその動力飛行の起源は、暁新世後期のヨーロッパにある可能性が高い、と示され、アフリカ起源説と北米起源説が退けられました。<br /><br />　化石絶滅属ヴィエラシア属（Vielasia）が最古のクレード（単系統群）である「エオキロプテラ（Eochiroptera）」内に位置づけられたことは、喉頭反響定位の進化がクラウン群コウモリの多様化に先行したことを示しています。また、化石分類群を含めた全証拠年代推定では、分子データのみによる分岐年代推定と比べて、化石記録のない基部系統の枝の長さが有意に短縮されました。本論文は、包括的なゲノムデータセットと形態データセットを統合し、革新的な手法で解析することによって、コウモリ生物学における長年の論争を解決するとともに、コウモリの進化史と形質の多様化について新たな知見を提供しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの<a href="https://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/136934"><span style=color:#e00>引用</span></a>です。<br /><br /><br /><span style=color:#00c>進化ゲノミクス：参照ゲノムと化石に基づくコウモリの科レベルの系統発生と生物地理の改訂<br /><br />Cover Story：コウモリ一族の秘密：参照ゲノムがコウモリの進化系統樹を描き直す<br /><br />　表紙は、空中で群れるナタルユビナガコウモリ（Miniopterus natalensis）の姿を捉えたものである。コウモリは並外れた動物であり、動力飛行が可能な唯一の哺乳類で、卓越した疾患抵抗性を備え、反響定位を用いてナビゲーションを行い、冬眠し、予想以上に長い健康寿命を持つ。しかし、その進化や驚くべき適応について、我々はまだ十分に理解していない。今週号では、E Teeling、M Hiller、L Davalos、S Vernes、D RayをはじめとするBat1Kコンソーシアムの共同研究者たちが、コウモリの全21科を網羅する103種のゲノムを報告している。研究チームは、これらのデータを用いてコウモリの系統樹を描き直し、種間の系統関係を巡る論争の一部を解決するとともに、当初の混乱を引き起こした要因も特定した。また、ゲノムデータと化石データを組み合わせることで、コウモリが誕生した時期と場所を検討し、その起源は約6500万～6000万年前のヨーロッパにあると推定した。</span><br /><br /><br />参考文献：<br />Jordan AE. et al.(2026): Reference genomes and fossils revise bat family phylogeny and biogeography. Nature, 658, 8134, 141–152.<br /><a href="https://doi.org/10.1038/s41586-026-11007-3" target="_blank">https://doi.org/10.1038/s41586-026-11007-3</a><a name="more"></a>

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<title>ベルギーの後期ネアンデルタール人のミトコンドリア</title>
<description>　先月（2026年9月）17～19日にかけてスペインのブルゴスで開かれたヒト進化研究ヨーロッパ協会第16回総会で、ベルギーのスクラディナ洞窟（Scladina Cave）で発見されたネアンデルタール人2個体の新たなミトコンドリアゲノムデータに関する研究（Abrams et al., 2026）が報告されました。［］は本論文の参考文献の番号です。この研究の要約はPDFファイルで読めます（P1）。　ヨーロッパ北西部の厳格に背景情報が分かっているネアンデルタール人遺骸は依然として稀..</description>
<dc:subject>古人類学</dc:subject>
<dc:creator>雑記帳</dc:creator>
<dc:date>2026-10-08T11:33:06+09:00</dc:date>
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　先月（2026年9月）17～19日にかけてスペインのブルゴスで開かれたヒト進化研究ヨーロッパ協会第16回総会で、ベルギーのスクラディナ洞窟（Scladina Cave）で発見されたネアンデルタール人2個体の新たなミトコンドリアゲノムデータに関する研究（Abrams et al., 2026）が報告されました。［］は本論文の参考文献の番号です。この研究の要約は<a href="https://drive.google.com/file/d/19BeoSe5vhCUWQvdAmEvqFAx_phBCLtXN/view?usp=sharing"><span style=color:#e00>PDFファイル</span></a>で読めます（P1）。<br /><br />　ヨーロッパ北西部の厳格に背景情報が分かっているネアンデルタール人遺骸は依然として稀で、後期更新世における人口動態の堅牢な再構築が制約されています。この研究は、ベルギーのスクラディナ洞窟（Scladina Cave）で回収されたネアンデルタール人からの新たな学際的データを提示し、海洋酸素同位体ステージ（Marine Isotope Stage、略してMIS）3におけるネアンデルタール人の遺伝的多様性と人口行動と人口統計学的過程に、新たな知見を提供します。<br /><br />　スクラディナ21号および22号標本は、確実に定義された層序状況から発掘され、それぞれの年代は54000～49000年前頃と49000～45000年前頃です。堆積動態の解釈と組み合わされた詳細な化石生成論的および層序学的分析は、両堆積物が確認されていないことを示しています。形態学的研究はスクラディナ21号および22号の両方がネアンデルタール人個体群に属する、と特定し、古代DNA分析は明確に、その分類学的帰属を確証して、完全に再構築されたミトコンドリアゲノムを提供します。<br /><br />　年代的にひじょうに近いものの、スクラディナ21号および22号個体は深く分岐した母系に属します。スクラディナ22号は年代的および遺伝的に、MIS3もしくは「後期」ネアンデルタール人［1］からの予測と一致します。対照的に、スクラディナ21号は考古学的年代と分子年代推定値との間の顕著な不一致を示しており、ミトコンドリアの分岐は10万年前頃です。このパターンは、ポーランドのスタイニヤ洞窟（Stajnia Cave）［2］やフランスのマンドラン洞窟（Grotte Mandrin）［3］など他のヨーロッパの遺跡からの同様の観察を反映しており、年代的不一致ではなく、初期に分岐した母系がMIS3まで存続した可能性を示唆しています。<br /><br />　系統発生分析はスクラディナ洞窟個体群をより広範なネアンデルタール人の多様性の枠内に位置づけ、MIS3のヨーロッパ北西部にはミトコンドリアの少なくとも異なる3クレード（単系統群）が存在したことを明らかにしており、それは、（1）スクラディナ21号によって表されるMIS5に起源がある初期に分岐した系統、（2）スクラディナ22号によって表される中間的な系統、（3）その後の、ベルギーのスピ（Spy）洞窟およびフォンヅ・デ・フォレット（Fonds-de-Forêt）などの遺跡と関連するより派生的な系統です。スクラディナ洞窟のネアンデルタール人の新たに再構築されたミトコンドリアゲノムは、以前に示唆されていたよりも高いMIS3ネアンデルタール人の多様性を示唆しています。考古学的および層序学的証拠は、長期の共存ではなく人口置換の可能性のモデルを裏づけています。<br /><br />　これらの調査結果は、MIS3におけるネアンデルタール人集団の複雑な景観を浮き彫りにしています。MIS4における気候悪化は、人口集団を小さく孤立した退避地へと断片化し、遺伝的浮動および分岐を促進した可能性が高そうです。MIS3におけるその後の気候改善は断続的な再定着事象を促進し、ヨーロッパ北西部に異なる人口集団が連続的に進出したかもしれません。<br /><br />　遺伝学と考古学と層序学のデータの統合は、分子生物学的証拠の解釈への確実に年代測定された背景情報の重要性を強調しています。より広くは、この結果は後期ネアンデルタール人を遺伝的に均質な集団と見なす見解に異議を呈し、むしろ動的な人口統計学的過程とのモデルを支持します。これらは中部旧石器時代の記録で観察された、遺伝的多様性および文化的多様性の両方に寄与した可能性が高そうです。本研究は後期ネアンデルタール人の人口史の理解を深め、42000年前頃の絶滅直前のMIS3におけるネアンデルタール人の遺伝的景観は、以前に認識されていたよりも構造化されており動的だった、と論証しています。<br /><br /><br />参考文献：<br />Abrams G. et al.(2026): Post MIS 4 Neanderthals in Belgium: coexistence or succession of different maternal lineages? The 16th Annual ESHE Meeting.<br /><br />［1］Hajdinjak M. et al.(2018): Reconstructing the genetic history of late Neanderthals. Nature, 555, 7698, 652–656.<br /><a href="https://doi.org/10.1038/nature26151" target="_blank">https://doi.org/10.1038/nature26151</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/201803article_33.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［2］Picin A. et al.(2020): New perspectives on Neanderthal dispersal and turnover from Stajnia Cave (Poland). Scientific Reports, 10, 14778.<br /><a href="https://doi.org/10.1038/s41598-020-71504-x" target="_blank">https://doi.org/10.1038/s41598-020-71504-x</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202009article_13.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［3］Slimak L. et al.(2024): Long genetic and social isolation in Neanderthals before their extinction. Cell Genomics, 4, 9, 100593.<br /><a href="https://doi.org/10.1016/j.xgen.2024.100593" target="_blank">https://doi.org/10.1016/j.xgen.2024.100593</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202409article_15.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><a name="more"></a>

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<title>デニソワ人の交雑</title>
<description>　先月（2026年9月）17～19日にかけてスペインのブルゴスで開かれたヒト進化研究ヨーロッパ協会第16回総会で、種区分未定のホモ属であるデニソワ人（Denisovan）のDNA（deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸）に関する研究（Peyrégne et al., 2026）が報告されました。この研究の要約はPDFファイルで読めます（P205）。［］は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。デニソワ人はネアンデルタ..</description>
<dc:subject>古人類学</dc:subject>
<dc:creator>雑記帳</dc:creator>
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　先月（2026年9月）17～19日にかけてスペインのブルゴスで開かれたヒト進化研究ヨーロッパ協会第16回総会で、種区分未定のホモ属であるデニソワ人（Denisovan）のDNA（deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸）に関する研究（Peyrégne et al., 2026）が報告されました。この研究の要約は<a href="https://drive.google.com/file/d/19BeoSe5vhCUWQvdAmEvqFAx_phBCLtXN/view?usp=sharing"><span style=color:#e00>PDFファイル</span></a>で読めます（P205）。［］は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。デニソワ人はネアンデルタール人（Homo neanderthalensis）とも現生人類（Homo sapiens）とも遺伝的に異なる人類系統で、遺伝学的に定義された分類群である点が特異的と言えるでしょう（<a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202309article_5.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a>）。<br /><br />　デニソワ人はその発見以降、現生人類およびデニソワ人が相互と分岐した前に、これらの集団の祖先から枝分かれした深く分岐した系統と交雑したかもしれない、と提唱されてきました。この仮説の当初の証拠は、デニソワ人のミトコンドリアゲノムと核ゲノムの対照的な歴史に由来します［1］。核ゲノムに基づくと、デニソワ人は現代人とよりもネアンデルタール人の方と密接に関連していますが、そのmtDNA（mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA）は現代人と100万年前頃に分岐しており、これはネアンデルタール人と現代人との間のミトコンドリアの分岐のほぼ2倍古い年代です。このパターンは深く分岐した人類との混合ではなく、古代の遺伝的多様性の維持を反映しているかもしれませんが、核ゲノムのその後の分析では、ネアンデルタール人はデニソワ人の場合よりも現在のアフリカ人と、とくに派生的なアレルがアフリカ人で固定されているかほぼ固定されている部位で、多くの派生的なアレル（対立遺伝子）を共有している、と示されました［2］。この観察結果は当初、デニソワ人が「超古代型」人類から遺伝子流動を受け、それによってデニソワ人に祖先型アレルが再導入されたた証拠として解釈されました。<br /><br />　しかし、最近では、別の（ただ、相互に排他的ではありません）説明が支持を集めてきました。いくつかの研究では、ネアンデルタール人への現生人類の祖先もしくはその近縁集団からの遺伝子流動も、ネアンデルタール人と現在のアフリカ人との間で観察された派生的アレル共有過剰、およびミトコンドリアの歴史との不一致を生じさせるかもしれない、と示唆されてきました［3、5］。このモデル下では、デニソワ人への深く分岐した人類からの混合は、データの説明に必ずしも必要ではないかもしれません。しかし、これらの競合する想定を区別することは依然として困難で、それは、これまでに利用可能だった高品質なデニソワ人のゲノムは1点だけだったからです。<br /><br />　最近になって第二のデニソワ人のゲノムが利用可能になり、今やこれらのモデルの検証に新たな機会を提供しています。デニソワ人2個体のゲノム全体でのアレル共有のパターンを用いると、デニソワ人における超古代型祖先系統（祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry）の低水準は依然として、ネアンデルタール人への現生人類系統からの遺伝子流動のみを想定するモデルよりも、データへの適合度が高い、と示されます。さらに、この祖先系統はすでに両デニソワ人の祖先の人口集団に存在していた可能性が高い、と分かり、深く分岐した人類との混合は20万年以上前に位置づけられ、もっと古い可能性もあります。<br /><br /><br />参考文献：<br />Peyrégne S. et al.(2026): Revisiting the evidence for deeply diverged hominin DNA in Denisovan genomes. The 16th Annual ESHE Meeting.<br /><br />［1］Reich D. et al.(2010): Genetic history of an archaic hominin group from Denisova Cave in Siberia. Nature, 468, 7327, 1053-1060.<br /><a href="https://doi.org/10.1038/nature09710" target="_blank">https://doi.org/10.1038/nature09710</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/201012article_24.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［2］Prüfer K. et al.(2014): The complete genome sequence of a Neanderthal from the Altai Mountains. Nature, 505, 7481, 43–49.<br /><a href="https://doi.org/10.1038/nature12886" target="_blank">https://doi.org/10.1038/nature12886</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/201312article_24.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［3］Kuhlwilm M. et al.(2016): Ancient gene flow from early modern humans into Eastern Neanderthals. Nature, 530, 7591, 429–433.<br /><a href="https://doi.org/10.1038/nature16544" target="_blank">https://doi.org/10.1038/nature16544</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/201602article_19.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［5］Harris DN. et al.(2023): Diverse African genomes reveal selection on ancient modern human introgressions in Neanderthals. Current Biology, 33, 22, 4905–4916.E5.<br /><a href="https://doi.org/10.1016/j.cub.2023.09.066" target="_blank">https://doi.org/10.1016/j.cub.2023.09.066</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202310article_27.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><a name="more"></a>

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<title>『卑弥呼』第174話「頭脳戦」</title>
<description>　『ビッグコミックオリジナル』2026年10月20日号掲載分の感想です。前回は、トメ将軍がゴリに、加羅に新たにつくる国の名前は、那（ナ）とミマアキからミマナとする、と伝えたところで終了しました。今回は、那国の那城（ナシロ）で、魏の使節団長である建中校尉の梯儁が倭国について記録している場面から始まります。そこへ、通辞の張政とともにヌカデが入ってきます。梯儁は、山社（ヤマト）国について詳しく教えてほしい、とヌカデに要請します。ヌカデは、教える前に、日見子（ヒミコ）女王（ヤノハ）の..</description>
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<dc:date>2026-10-06T07:17:20+09:00</dc:date>
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　『ビッグコミックオリジナル』2026年10月20日号掲載分の感想です。<a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202609article_20.html"><span style=color:#e00>前回</span></a>は、トメ将軍がゴリに、加羅に新たにつくる国の名前は、那（ナ）とミマアキからミマナとする、と伝えたところで終了しました。今回は、那国の那城（ナシロ）で、魏の使節団長である建中校尉の梯儁が倭国について記録している場面から始まります。そこへ、通辞の張政とともにヌカデが入ってきます。梯儁は、山社（ヤマト）国について詳しく教えてほしい、とヌカデに要請します。ヌカデは、教える前に、日見子（ヒミコ）女王（ヤノハ）の山社が魏の同盟国たる資格があると考えているのか、と梯儁に尋ねますが、答えは直接女王（ヤノハ）に言う、と梯儁ははぐらかします。<br /><br />　暈（クマ）と山社の国境では、暈国の実質的な最高権力者である鞠智彦（ククチヒコ）の配下の志能備（シノビ）が、輿に乗せたヒルメを連れて崖に来ていました。志能備の頭はヒルメに、輿から出て崖を見るよう命じます。ヒルメはかつて山社から追放されたさいに脚を砕かれており、歩くことができません。崖の下には、かつてヒルメが長を務めていた、「日の巫女」集団の学舎である種智院（シュチイン）がありました。種智院に一人で行けば殺される、と怯えるヒルメに、行かねば鞠智彦様に殺されるぞ、と志能備の頭は脅します。自分なら、少しでも殺されない可能性がある方を選ぶ、と志能備の頭に言われて、ヒルメは覚悟を決めたようです。ヒルメは種智院に輿で行き、輿から顔を見せて、警戒する兵士たちに、先の種智院の長である自分に対して頭が高い、と居丈高にというか虚勢を張って一喝します。<br /><br />　那城では、梯儁が通辞の張政とともにヤノハに謁見し、ヌカデがその側に控えていました。倭が魏の同盟国たり得ると考えているのか否か、答えを聞かせてもらいたい、と迫るヤノハに対して、差し上げたいものがある、と言って梯儁は木簡を渡します。ヤノハはヌカデに、一足先に帰ったイクメに触れを出すよう伝えよ、と命じます。ヤノハは、布告を出すつもりでした。梯儁がヤノハに渡したのは、魏の皇帝から授かった詔書で、山社の日見子（ヤノハ）を正式な「倭王」として認める内容でした。これで印綬と詔書がそろい、天下統一の宣言はまだ早いが、倭王の名で全国に布告はできる、とヌカデは考えます。国々は互いに怨みを捨て、戦を止め、天下泰平の世を目指せ、と布告するつもりでした。<br /><br />　山背（山城）の国境では、ミマアキが配下のクスベから、日下（ヒノモト）からの追手について報告を受けていました。ミマアキの配下は、追手は伊香（イカガ）のシコオのようで、地に耳を当てても足音が聞こえない、と警戒します。敵は30名ほどとの報告を受けたミマアキは、自分たちが10名であることから、思案します。配下が、陣を敷いて待ち伏せするよう進言したところで、槍が投げられます。ミマアキは、音もなく50里を斥候のクスベと同じ速度で追ってきた敵の手強さを改めて思い知らされます。ミマアキたちは盾で防ぎますが、2名が負傷し、囲まれていないようだ、と配下がミマアキに報告します。クスベによると、敵に弓はないようで、槍も尽きたようだ、とミマアキは判断します。そこへ、大勢が突進してきたのを見たミマアキは、槍を捨てて盾だけ持ち、山背ではなく一気に武庫（ムコ）国まで走るよう、命じます。逃げるミマアキは、短弓で射られて、謀られたことを悟り、身を伏せて木株や岩を探すよう命じます。ミマアキは、矢が連射されることから、日下が山社連合の連弩の技術を盗んだ、と悟ります。このままでと伏して死を待つのみだ、と焦る配下をミマアキは諭します。連弩に込められる矢は10発なので、何人射手がいて、いつ次の射手団に交代するのか見極めて、交代時間に脱出する、というわけです。連弩の弱点は通常の弓ほど威力がなく、射程距離が短いことで、離れれば離れるほど被害は少ない、とミマアキは冷静に考えていました。シコオが矢を射かけていた場所に来ると、ミマアキ一行はすでにいませんでした。連弩の矢数と射手の交代時間を読んで、じわじわと移動したようだ、と配下から報告を受けたシコオは、ミマアキに感心します。ミマアキ一行が山背ではなく武庫国に向かっている、と聞いたシコオは、ツノヒ王の国に逃げるとは面倒くさい、と嘆息します。その前に全滅させよう、と進言する配下に、追いかけるか放置するか、シコオが思案しているところで、今回は終了です。<br /><br /><br />　今回は、ヤノハと梯儁の駆け引き、ヒルメの動向、ミマアキ一行の逃走が描かれました。ヤノハは布告によって倭国が泰平になるとは楽観していないでしょうし、『三国志』から推測すると、この後で山社連合と暈国との戦いが激化するのかもしれません。それと関連しそうなのが、ヒルメが種智院へ行ったことですが、ヒルメはヤノハの弱点を告発するのではないか、と思います。つまり、ヤノハはナツハ（チカラオ）との間に息子のニニギ（ヤエト）を儲けたことです。これによって、日見子としてのヤノハの権威は失墜するでしょうが、ヒルメを追放した種智院の者がヒルメの告発を安易に受け入れることはないようにも思います。鞠智彦はそれも踏まえたうえで、ヤノハの日見子としての権威が多少なりとも崩れればよい、と考えているのでしょうか。すぐに効果が現れるのではなく、やや長期的な視点からヤノハを追い落とせばよい、と鞠智彦は考えているのかもしれません。ミマアキ一行が無事に山社に帰国できるのかも気になるところで、ミマアキが日下に捕らわれた場合、日下に寝返る展開も考えられます。ミマアキが『日本書紀』の御間城入彦五十瓊殖天皇、つまり崇神天皇となるのではないか、というわけですが、その場合、山社連合と日下連合の間で、何らかの盟約が結ばれ、暈はその「ヤマト連合」から除外され、後に熊襲として語られるようになるのかな、と予想しています。<a name="more"></a>

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<title>大河ドラマ『豊臣兄弟！』第38回「和を以って、大和をなす」</title>
<description>　今回は小一郎（羽柴秀長）の大和統治が描かれました。小一郎は主人公だけに、大和統治はある程度描かれるとは思っていましたが、終盤は小一郎の大和統治と「豊臣兄弟」の関係を中心に、徳川家康や羽柴秀次や千宗易（千利休）が関わってくる展開になるのでしょうか。正直なところ、これまで小一郎が目立つ場面は空回りする傾向にあっただけに、大和統治で本格的に小一郎の見せ場を作ってもらいたいところですが、地味というか視聴者受けしないのは否めないでしょう。序盤から小一郎の銭への執着を描いてきたのは、大..</description>
<dc:subject>大河ドラマ</dc:subject>
<dc:creator>雑記帳</dc:creator>
<dc:date>2026-10-05T08:43:42+09:00</dc:date>
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　今回は小一郎（羽柴秀長）の大和統治が描かれました。小一郎は主人公だけに、大和統治はある程度描かれるとは思っていましたが、終盤は小一郎の大和統治と「豊臣兄弟」の関係を中心に、徳川家康や羽柴秀次や千宗易（千利休）が関わってくる展開になるのでしょうか。正直なところ、これまで小一郎が目立つ場面は空回りする傾向にあっただけに、大和統治で本格的に小一郎の見せ場を作ってもらいたいところですが、地味というか視聴者受けしないのは否めないでしょう。序盤から小一郎の銭への執着を描いてきたのは、大和編のための布石だと思うので、次回以降も期待したいところです。<br /><br />　この大和統治で、小一郎は千宗易（千利休）に助力を頼みます。これまで、小一郎と千宗易は、ある程度親しいものの、そこまで深い信頼関係があったようには見えませんでした。ただ、小一郎が拠点の郡山で商業を栄えさせるために、筆に注目し、そこで小一郎が見せた筆の質の良さに注目した千宗易は、顧客候補として狩野永徳を小一郎に紹介します。狩野永徳の登場は今回だけか、今後あるとしてもわずかでしょうが、本作は本当に配役面では頑張っていると思います。ただ、脚本と演出にもっと力を入れてもらいたい、と嫌味も言いたくなります。<br /><br />　藤吉郎（羽柴秀吉）の氏についての問題も描かれ、藤原氏となった藤吉郎は、新たな氏を何とするか悩み、豊臣と決めます。もちろん、形式的には豊臣氏は天皇から下賜されるわけですが。作中ではすでに天正14年に入っていると思いますが、その前年には石川数正が徳川家から出奔し、羽柴家に従っています。数正は序盤から登場しており、太閤記ものでは重要人物として描かれても不思議ではないだけに、数正の出奔が描かれないどころか、言及さえされないのは疑問が残るところです。ただ、予告を見ると、次回は数正が登場するようで、ここで数正の出奔の経緯も描かれるのでしょうか。あるいは、作中では藤吉郎が新たな氏として豊臣を考えたのは天正13年のことで、まだ数正の出奔前なのでしょうか。ここまで家康と数正の描写は悪くないように思うので、数正の出奔も捻ってくるのではないか、と予想していますし、期待もあります。<a name="more"></a>

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<title>アメリカ合衆国の「白人民族主義」</title>
<description>　アメリカ合衆国の「白人民族主義」に関する研究（Patrick et al., 2026）が公表されました。本論文の「white nationalism」をどう訳すべきか、迷いましたが、先行研究（会田.,2017）に倣って「白人民族主義」と訳します。アメリカ合衆国の公共生活において、「白人民族主義」はますます目立つようになってきています。しかし、これまでの調査研究では、この思潮への支持が、間接的な指標を通じて捉えられる潜在的な構成概念として扱われてきたため、「白人民族主義」へ..</description>
<dc:subject>社会科学</dc:subject>
<dc:creator>雑記帳</dc:creator>
<dc:date>2026-10-04T12:02:33+09:00</dc:date>
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　アメリカ合衆国の「白人民族主義」に関する<a href="https://doi.org/10.1038/s41586-026-11018-0"><span style=color:#e00>研究</span></a>（Patrick et al., 2026）が公表されました。本論文の「white nationalism」をどう訳すべきか、迷いましたが、先行研究（会田.,2017）に倣って「白人民族主義」と訳します。アメリカ合衆国の公共生活において、「白人民族主義」はますます目立つようになってきています。しかし、これまでの調査研究では、この思潮への支持が、間接的な指標を通じて捉えられる潜在的な構成概念として扱われてきたため、「白人民族主義」への明示的な支持を予測する因子やその支持の広がりについての知識は不足しています。<br /><br />　本論文は、「白人民族主義」運動の中核的な信条を回答者に伝えた上で、その運動を支持するかどうかを問う測定法の導入によって、その妥当性を検証しました。このような支持の表明は、この運動への組織的な所属とは別のものであり、本論文では後者は測定対象としていません。本論文は、非ヒスパニック系「白人」成人を対象とした、2021～2025年に実施した3回の全国調査の結果に基づいて、「白人民族主義」への支持には以下の3点の特徴があることを示します。<br /><br />　（1）個人的な困難や地域社会の苦境に直面する白人の間で支持が高く、これは、緊張理論と整合します。（2）地域の「人種」構成や近年の人口動態の変化とは関連せず、これは、地位脅威に関する説明を複雑なものにしています。（3）親密な友人関係を主としてオンラインに持つ「白人」で支持が高く、これは、オンラインでの動員によって過激主義が促進される、という理論と整合します。<br /><br />　「白人民族主義」への支持は、所得および教育水準の低い「白人」、共和党支持者や保守派の「白人」、政治に不満を抱く「白人」の間でより一般的でした。本論文の全国確率標本での推定支持率は、「白人」成人全体で4.9%、18～29歳の「白人」男性では13.5%でした。「白人民族主義」への支持は、「白人」の「人種」観の独特な次元を構成するようであり、その中核的な考えを支持する「白人」の多くは、それが何と呼ばれるものであるかを認識していません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの<a href="https://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/136859"><span style=color:#e00>引用</span></a>です。<br /><br /><br /><span style=color:#00c>社会科学：米国における白人ナショナリズム支持の予測因子と広がり<br /><br />社会科学：白人ナショナリズム支持の傾向分析<br /><br />　今回、米国における白人ナショナリズム支持の測定を目的として、非ヒスパニック系白人米国人を対象に実施された、3回の全国代表調査の結果が報告されている。白人ナショナリズムへの支持は全体としては限定的であったが、若い白人男性、教育水準の低い白人、所得の低い白人、信仰心の強い白人に集中しており、いずれも個人的な困難の経験によって促される傾向があることが見いだされた。</span><br /><br /><br />参考文献：<br />Patrick JE, Bisbee J, and Tucker JA.(2026): Predictors and prevalence of support for white nationalism in the United States. Nature, 657, 8133, 964–972.<br /><a href="https://doi.org/10.1038/s41586-026-11018-0" target="_blank">https://doi.org/10.1038/s41586-026-11018-0</a><br /><br />会田弘継(2017)「忘れ去られた異端者らの復権：トランプ政権誕生の思想史」『立教アメリカン・スタディーズ 』第39号P7-33<br /><a href="https://cir.nii.ac.jp/crid/1390290699762709760" target="_blank">https://cir.nii.ac.jp/crid/1390290699762709760</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202505article_4.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><a name="more"></a>

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<item rdf:about="https://sicambre.seesaa.net/article/202610article_3.html">
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<title>覚張隆史『日本人とは何か　私たちのルーツを巡る700万年の物語』</title>
<description>　SB新書の一冊として、SBクリエイティブより2026年7月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は日本人の遺伝的形成過程を検証していますが、その前提としての現生人類（Homo sapiens）の出現とアフリカから世界各地への拡散も取り上げており、現生人類の出現にいたる人類進化史も短く言及しています。本書では、現生人類の出アフリカをめぐる議論が、考古学的研究も踏まえてやや詳しく紹介されています。本書が指摘するように、現生人類は20万年以上前にアフリカからユーラシアへと拡..</description>
<dc:subject>読書</dc:subject>
<dc:creator>雑記帳</dc:creator>
<dc:date>2026-10-03T06:00:32+09:00</dc:date>
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　SB新書の一冊として、SBクリエイティブより2026年7月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は日本人の遺伝的形成過程を検証していますが、その前提としての現生人類（Homo sapiens）の出現とアフリカから世界各地への拡散も取り上げており、現生人類の出現にいたる人類進化史も短く言及しています。本書では、現生人類の出アフリカをめぐる議論が、考古学的研究も踏まえてやや詳しく紹介されています。本書が指摘するように、現生人類は20万年以上前にアフリカからユーラシアへと拡散していたかもしれないものの、これら初期の出アフリカ現生人類集団と現代人との系統関係は不明です。なお、「縄文時代」との時代区分や「縄文人」との表記には問題があるでしょうが、煩雑になるので、以下では「縄文時代」と「縄文人」を「」では括りません。<br /><br />　日本列島への人類の到来というか旧石器時代の始まりは、本書では38000年前頃とされています。それ以前とされる日本列島の遺跡も複数報告されていますが、数は少なく、確実で継続的な人類の痕跡が確認されるのは38000年前頃以降と言えるでしょう。4万年以上前の日本列島における人類の痕跡は、それが本当だとしても、38000年前頃以降の日本列島の人類と遺伝的もしくは文化的につながっているのか、そもそも担い手が現生人類なのか否か、現時点では断定できないと思います。その意味で、日本列島における人類史を38000年前頃以降とするのは、現時点では妥当でしょう。<br /><br />　日本列島の旧石器時代の人類遺骸は、本州および四国および九州とそのごく近隣の島々を中心とする「本土」ではほとんど見つかっておらず、むしろより高温な沖縄諸島の方で見つかっており、中には、沖縄県島尻郡八重瀬町の港川フィッシャー遺跡で発見された2万年前頃の港川1号（Mizuno et al., 2021）のように、DNA（deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸）解析に成功した事例もあります。本書は、石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡で発見された27000年前頃の男性人類遺骸（白保4号）についても言及しています。ただ、本書でも指摘されているように、白保4号のゲノムデータはまだ論文として公表されておらず、昨年（2025年）開催された国立科学博物館特別展「古代DNA ―日本人のきた道―」での展示（<a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202504article_8.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a>）以上の情報は現時点で公開されてないようです。<br /><br />　本書は縄文人の起源について、縄文時代草創期集団の祖先は旧石器時代のアジア東部南方沿岸地域に存在し、その集団の祖先は、さらな古い時期にアジア東部に存在した南北の旧石器時代集団の混合によって形成されたのではないか、と推測しています。論文化されていない白保4号のゲノムに関する公開情報では、縄文人の遺伝的構成については、白保4号的な構成要素6割と、沿海州の古代人的な構成要素4割でモデル化できるそうです。本書は、縄文人が24000年前頃にアジア東部の大陸集団と遺伝的に分岐した可能性を指摘していますが、本書が指摘するように、縄文人の形成過程についてはまだ断定できる段階になく、研究の進展を俟つしかなさそうです。<br /><br />　日本列島では、弥生時代に穀物栽培が本格的に始まり、水田稲作は当初から体系的だったので、こうした本格的な農耕はユーラシア大陸部から導入された、と考えられています。実際、本書が指摘するように、日本列島では縄文時代には人類集団の遺伝的構成が比較的均質で（Watanabe et al., 2026）、日本列島外集団からの大規模な遺伝子流動はなかったようですが、弥生時代になると、縄文人とは異質な遺伝的構成要素が確認されるようになります（Ishiya et al., 2026）。本書は、弥生時代にユーラシア大陸部から日本列島に到来した集団の起源について、まだ断定できる段階ではなく、複数地域の集団が関わっていた可能性を指摘しており、現時点では妥当だと思います。在来の縄文人的構成要素とユーラシア大陸部から到来した集団の構成要素の混合として、弥生時代の日本列島の人類集団のゲノムはモデル化できますが、本書でも指摘されているように、混合の過程は時空間的に異なっており、たとえば西北九州では、縄文人的構成要素のみでゲノムをモデル化できる個体と、縄文人的構成要素と新たな大陸的構成要素の混合としてゲノムをモデル化できる個体が混在しており（Kim et al., 2026）、北関東の弥生時代中期の人類のゲノムは遺伝的に縄文人と均質です（神澤他.,2024）。<br /><br />　古墳時代については、著者も深く関わった研究（Cooke et al., 2021）で、現代日本人の「三重構造モデル」が提唱されました。「三重構造モデル」では当初、弥生時代にアジア北東部的構成要素が流入して縄文人的構成要素と混合し、古墳時代にアジア東部的構成要素が流入して在来集団と混合し、現代日本人のゲノムが形成された、と推定されました（Cooke et al., 2021）。しかし、その後の研究で、アジア東部的構成要素はすでに弥生時代に中期に到来していたことが示されました（Kim et al., 2025）。その意味で、当初の「三重構造モデル」は訂正されねばなりませんが、現代日本人の遺伝的構成を三重構造で説明することは依然として妥当と思います（Liu et al., 2024）。縄文時代と弥生時代の高品質なゲノムデータを報告した研究（Ishiya et al., 2026）でも、弥生時代と古墳時代の人類の遺伝的差異が指摘されています。ただ、本書でも指摘されているように、弥生時代～古墳時代にかけての人口動態の正確な理解には、弥生時代～古墳時代の日本列島や、近い年代の朝鮮半島の古代ゲノムデータがさらに必要となります。<br /><br />　それらを踏まえた上で本書は、古墳時代に到来した集団が、在来集団と比較して多数派ではなかったものの、「政治的中枢を形成した少数層」だった可能性を指摘しています。また本書は、古墳時代における日本列島への人類集団の到来が1回のみではなかった可能性も示唆しており、古墳時代も日本列島の人類集団の遺伝的構成は複雑だったことが窺えます。古墳時代における日本列島人類集団の遺伝的差異については、時空間のみならず階層も考慮する必要があるのかもしれません。古墳時代の人類集団の遺伝的差異は、和歌山県田辺市の磯間岩陰遺跡で発見された5～6世紀の2個体のゲノムが、5割程度の縄文人的構成要素でモデル化できること（安達他.,2021）にも示されているように思います。類似した遺伝的構成要素を区別する手法がさらに改善されれば、おそらく三重以上に複雑な、日本列島の人口史が明らかになるのではないか、と私は予測しています。<br /><br />　本書では、長野県飯田市の溝口の塚古墳の被葬者のゲノム解析が報告されており、この研究については迂闊にも把握していませんでしたが、ひじょうに興味深い結果となっています。溝口の塚古墳の男性被葬者のゲノムは縄文人的構成要素とアジア東部的構成要素のみが検出され、アジア北東部的構成要素は明確には検出されませんでした。また、この男性個体の縄文人的構成要素の割合はひじょうに高かったそうです。さらに、この男性個体は、大韓民国慶尚南道金海市の大成洞（Daesung-dong）古墳で発見された女性個体との間に、5～6親等程度の血縁関係が確認されたそうです。当時の日本列島と朝鮮半島南岸との間では、長距離の人口移動があったようです。<br /><br />　本書は歴史時代も視野に入れて、日本列島における現代人集団の形成過程をひじょうに複雑な過程として描いていますが、歴史時代の人類遺骸のゲノム研究については、残念ながら日本列島はヨーロッパや中国と比較して大きく遅れている、と言えるでしょう。歴史時代の人類遺骸のゲノム研究が進めば、家族や社会の構造について理解が深まっていくのではないか、と期待されます。さらに本書は、今後の日本列島の人口動態も視野に入れています。近年、日本に多くの外国出身者が居住していることを、とくに都市部の住民は実感していると思います。本書は医療にゲノム研究が役立つ可能性も指摘していますが、こうした「実用的な」側面もあるため、ゲノム研究はますます盛んになっていくでしょう。本書は、現時点での研究の限界を踏まえて慎重に叙述を進めており、新書形式であることへの配慮もなされていると思います。一般層が日本人の遺伝的形成過程について最新の知見を得るのに適しており、日本人起源論に関心のある方には強くお勧めできます。<br /><br /><br />参考文献：<br />Cooke NP. et al.(2021): Ancient genomics reveals tripartite origins of Japanese populations. Science Advances, 7, 38, eabh2419.<br /><a href="https://doi.org/10.1126/sciadv.abh2419" target="_blank">https://doi.org/10.1126/sciadv.abh2419</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202602article_9.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />Ishiya K. et al.(2026): High-coverage ancient genomes reveal divergent population histories and prehistoric starch-related genetic variation in Japan. PNAS, 123, 30, e2606162123.<br /><a href="https://doi.org/10.1073/pnas.2606162123" target="_blank">https://doi.org/10.1073/pnas.2606162123</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202607article_31.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />Kim J. et al.(2025): Genetic analysis of a Yayoi individual from the Doigahama site provides insights into the origins of immigrants to the Japanese Archipelago. Journal of Human Genetics, 70, 1, 47–57.<br /><a href="https://doi.org/10.1038/s10038-024-01295-w" target="_blank">https://doi.org/10.1038/s10038-024-01295-w</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202410article_17.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />Kim J. et al.(2026): Ancient genomes reveal early-stage admixture and genetic diversity in the Northwestern Kyushu Yayoi. Scientific Reports, 16, 4833.<br /><a href="https://doi.org/10.1038/s41598-026-34996-7" target="_blank">https://doi.org/10.1038/s41598-026-34996-7</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202602article_9.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />Liu X. et al.(2024): Decoding triancestral origins, archaic introgression, and natural selection in the Japanese population by whole-genome sequencing. Science Advances, 10, 16, eadi8419.<br /><a href="https://doi.org/10.1126/sciadv.adi8419" target="_blank">https://doi.org/10.1126/sciadv.adi8419</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202404article_25.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />Mizuno F. et al.(2021): Population dynamics in the Japanese Archipelago since the Pleistocene revealed by the complete mitochondrial genome sequences. Scientific Reports, 11, 12018.<br /><a href="https://doi.org/10.1038/s41598-021-91357-2" target="_blank">https://doi.org/10.1038/s41598-021-91357-2</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202106article_15.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />Watanabe Y. et al.(2026): Jomon genomics reveal cold adaptation in Upper Paleolithic hunter-gatherers of eastern Eurasia. Science Advances, 12, 33, eaea7469.<br /><a href="https://doi.org/10.1126/sciadv.aea7469" target="_blank">https://doi.org/10.1126/sciadv.aea7469</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202608article_16.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />安達登、神澤秀明、藤井元人、清家章(2021)「磯間岩陰遺跡出土人骨のDNA分析」清家章編『磯間岩陰遺跡の研究分析・考察』P105-118<br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202109article_16.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />神澤秀明、角田恒雄、安達登、篠田謙一(2024)「群馬県八束脛洞窟遺跡出土弥生時代中期人骨の核ゲノム分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第252集P125-133<br /><a href="https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/records/2000324" target="_blank">https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/records/2000324</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202501article_16.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />覚張隆史(2026) 『日本人とは何か　私たちのルーツを巡る700万年の物語』（SBクリエイティブ）<a name="more"></a>

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<title>白亜紀のゼレステス類哺乳類の分類</title>
<description>　白亜紀のゼレステス類哺乳類の分類に関する研究（Giallombardo et al., 2026）が公表されました。コウモリ類や霊長類や鯨類を含むクレード（単系統群）である有胎盤哺乳類は、古第三紀における多様化の過程できわめて多様な臼歯を発達させました。これは、肉食や草食といった派生的な食性を示しています。一方で、有胎盤類のステム系統である白亜紀の真獣類分類群は、歯列がより保存的で、概して、高く鋭い咬頭を有する、食虫性向きの臼歯を備えていました。38年前に、後期白亜紀のゼレ..</description>
<dc:subject>自然科学</dc:subject>
<dc:creator>雑記帳</dc:creator>
<dc:date>2026-10-02T07:20:32+09:00</dc:date>
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　白亜紀のゼレステス類哺乳類の分類に関する<a href="https://doi.org/10.1038/s41586-026-10861-5"><span style=color:#e00>研究</span></a>（Giallombardo et al., 2026）が公表されました。コウモリ類や霊長類や鯨類を含むクレード（単系統群）である有胎盤哺乳類は、古第三紀における多様化の過程できわめて多様な臼歯を発達させました。これは、肉食や草食といった派生的な食性を示しています。一方で、有胎盤類のステム系統である白亜紀の真獣類分類群は、歯列がより保存的で、概して、高く鋭い咬頭を有する、食虫性向きの臼歯を備えていました。38年前に、後期白亜紀のゼレステス類哺乳類の比較的低い（丘状歯状の）咬頭を有する臼歯が発見され、それが草食性の有胎盤類である偶蹄類の臼歯と収斂するものだったことから、白亜紀に、より有胎盤類に似た化石哺乳類の未知の放散があった、と示唆されました。しかし、ゼレステス類の単一個体のものとして関連付けられる歯や頭蓋や骨格の標本は発見されておらず、ゼレステス類が形態的および系統発生学的にどのような動物だったかに関して、仮説を厳密に検証することはできていませんでした。<br /><br />　本論文は、モンゴルで発見された後期白亜紀の新たな化石動物タミルハナ・バルカルセリ（Tamirkhan balcarceli）を報告しまる。その模式標本は単一個体のもので、四角形のゼレステス類様臼歯を伴う頭蓋と、走行への適応が見られる部分的な後肢からなる。タミルハナ・バルカルセリは、ゼレステス類の臼歯が、従来、よく知られた白亜紀の単系統群であるザランブダレステス科（Zalambdalestidae）の診断基準とされてきた特徴である、細長い下顎第1切歯（エナメル質が限局していて開放根が頬歯の下に伸びています）、涙骨を貫く管（translacrimal canal）、中足骨が細長くて遠位部が癒合した後肢と併存したことを示しています。したがって、ゼレステス類はザランブダレステス上科（Zalambdalestoidea）内の歯の特徴が異なる動物群であり、骨格的特徴はこの単系統群のものでした。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの<a href="https://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/136860"><span style=color:#e00>引用</span></a>です。<br /><br /><br /><span style=color:#00c>古生物学：白亜紀のゼレステス類哺乳類はザランブダレステス上科に属する<br /><br />古生物学：ゼレステス類の系統的位置付け<br /><br />　ゼレステス類は謎めいた白亜紀の哺乳類で、これまでは偶蹄類のごく初期の放散を代表すると考えられてきた。しかし今回、新たな標本の発見により、ゼレステス類が既知の白亜紀哺乳類群「ザランブダレステス類」に近縁であることが明らかになった。</span><br /><br /><br />参考文献：<br />Giallombardo A. et al.(2026): Cretaceous zhelestid mammals are zalambdalestoids. Nature, 657, 8133, 973–980.<br /><a href="https://doi.org/10.1038/s41586-026-10861-5" target="_blank">https://doi.org/10.1038/s41586-026-10861-5</a><a name="more"></a>

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<title>イベリア半島北東部の更新世人類化石のゲノム</title>
<description>　先月（2026年9月）17～19日にかけてスペインのブルゴスで開かれたヒト進化研究ヨーロッパ協会第16回総会で、スペインのカタルーニャ州のジローナ（Girona）県のバニョラス（Banyoles）で発見された人類化石の遺伝学的研究（Szymanski et al., 2026）が報告されました。この研究の要約はPDFファイルで読めます（P270）。［］は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。　バニョラス下顎は、1886年にバニョラス（..</description>
<dc:subject>古人類学</dc:subject>
<dc:creator>雑記帳</dc:creator>
<dc:date>2026-10-01T09:25:42+09:00</dc:date>
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　先月（2026年9月）17～19日にかけてスペインのブルゴスで開かれたヒト進化研究ヨーロッパ協会第16回総会で、スペインのカタルーニャ州のジローナ（Girona）県のバニョラス（Banyoles）で発見された人類化石の遺伝学的研究（Szymanski et al., 2026）が報告されました。この研究の要約は<a href="https://drive.google.com/file/d/19BeoSe5vhCUWQvdAmEvqFAx_phBCLtXN/view?usp=sharing"><span style=color:#e00>PDFファイル</span></a>で読めます（P270）。［］は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。<br /><br />　バニョラス下顎は、1886年にバニョラス（イベリア半島北東部の）の町と湖の近くにある石灰岩採石場で発見されました。バニョラス下顎は考古学的背景を伴わない孤立した古生物学的発見ですが、周囲の石灰華の年代測定とエナメル質および象牙質断片の直接的な年代測定から、73000～41000年前頃に位置づけられています。形態学的には、現生人類（Homo sapiens）に派生的な特徴（たとえば、明確な顎）がバニョラス下顎には描けており、1915年以降、バニョラス下顎はネアンデルタール人（Homo neanderthalensis）もしくは中期更新世ホモ属に分類されました。最近の形態計測研究は、バニョラス下顎を初期現生人類に分類しました。<br /><br />　バニョラス個体の分類学的および人口集団水準の類似性を明らかにするために、古代DNA（deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸）用に右側第三大臼歯から6点の部分標本が採取されました。DNAは各部分標本から抽出され、一本鎖DNAライブラリへと変換され、それがヒトのmtDNA（mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA）および核DNAでさらに濃縮されました。<br /><br />　バニョラス個体のDNA保存状態は概して悪いと分かりましたが、より深い歯の内部から採取された部分標本では、真正の古代DNA断片の割合がより高くなりました。すべての部分標本は高水準の現代人のDNA汚染（60%超）を示し、下流分析では厳格な選別戦略の適用が必要となりました。<br /><br />　mtDNAと核DNAの両方で、現生人類とネアンデルタール人と種区分未定のホモ属であるデニソワ人（Denisovan）の系統に固有の診断可能な部位が検証されると、現生人類の多様体の裏づけのみが見つかり、最近の形態学に基づく分類が支持されました。性染色体の分析はX染色体とY染色体両方の等しい裏づけを示し、バニョラス個体は男性と示唆されます。、mtHg（mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ）はUと分かり、これはLGM（Last Glacial Maximum、最終氷期極大期）の前後の旧石器時代人口集団において一般的な系統です。<br /><br />　現代人のゲノム（124万参照パネル）における124万ヶ所の可変部位［5］を用いて、バニョラス個体が現生人類集団と比較されました。バニョラス標本について示唆されていた年代とは異なり、バニョラス個体は、チェコのコニェプルシ（Koněprusy）洞窟群で発見された洞窟群の頂上の丘にちなんでズラティクン（Zlatý kůň）と呼ばれる個体や、シベリア南部西方のウスチイシム（Ust’-Ishim）で発見された個体といった、4万年前頃に生存していた現生人類の個体群とはまとまりません。むしろ、バニョラス個体のゲノムは、コステンキ・ボルシェヴォ（Kostenki-Borshchevo）遺跡群の一つであるコステンキ14号（Kostenki 14）遺跡個体など33000～23000年前頃の個体群や、ヨーロッパのオーリナシアン（Aurignacian、オーリニャック文化）やグラヴェティアン（Gravettian、グラヴェット文化）と関連するその後の個体群の方と、より近くなっています。このより新しい位置づけは、ネアンデルタール人と初期現生人類との間の混合事象により近い時期に生存していた個体群で予測される、バニョラス個体における長いネアンデルタール人由来断片の欠如によってさらに裏づけられます。<br /><br />　まとめると、遺伝学的証拠は、バニョラス個体が以前に考えられていたよりも新しい上部旧石器時代の男性個体であることを示しています。しかし、バニョラス個体には、その古代型の形態、および遺伝的データと以前の問題測定の試みとの間の不一致があり、将来の研究に多くの問題が残されています。<br /><br /><br />参考文献：<br />Szymanski M. et al.(2026): Ancient DNA analyses of the Banyoles mandible. The 16th Annual ESHE Meeting.<br /><br />［5］Mathieson I. et al.(2015): Genome-wide patterns of selection in 230 ancient Eurasians. Nature, 528, 7583, 499–503.<br /><a href="https://doi.org/10.1038/nature16152" target="_blank">https://doi.org/10.1038/nature16152</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/201512article_27.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><a name="more"></a>

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<title>バチョキロ洞窟の新たな現生人類遺骸</title>
<description>　今月（2026年9月）17～19日にかけてスペインのブルゴスで開かれたヒト進化研究ヨーロッパ協会第16回総会で、ブルガリアのバチョキロ洞窟（Bacho Kiro Cave）で発見された新たな現生人類（Homo sapiens）遺骸に関する研究（Schuh et al., 2026）が報告されました。この研究の要約はPDFファイルで読めます（P248）。［］は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。　バチョキロ洞窟は、ユーラシア西部への初..</description>
<dc:subject>古人類学</dc:subject>
<dc:creator>雑記帳</dc:creator>
<dc:date>2026-09-30T09:59:14+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　今月（2026年9月）17～19日にかけてスペインのブルゴスで開かれたヒト進化研究ヨーロッパ協会第16回総会で、ブルガリアのバチョキロ洞窟（Bacho Kiro Cave）で発見された新たな現生人類（Homo sapiens）遺骸に関する研究（Schuh et al., 2026）が報告されました。この研究の要約は<a href="https://drive.google.com/file/d/19BeoSe5vhCUWQvdAmEvqFAx_phBCLtXN/view?usp=sharing"><span style=color:#e00>PDFファイル</span></a>で読めます（P248）。［］は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。<br /><br />　バチョキロ洞窟は、ユーラシア西部への初期現生人類の最初期の拡散、およびUP（Upper Paleolithic、上部旧石器時代）の最初期段階における現生人類と最後のネアンデルタール人との相互作用に関する理解にとって、重要な遺跡として注目されてきました［1］。この期間のヒト遺骸の少なさのため、最初のユーラシア西部人の形態学的および遺伝学的差異はよく分かっていません。バチョキロ洞窟における最近の発掘調査では新たなヒト遺骸が得られ、それにはほぼ完全な左側上顎と数点の遊離した歯が含まれており、そのうち一部はIUP（Initial Upper Paleolithic、初期上部旧石器）遺物群と確実に関連づけられている層位から出土しました。以前に回収されたミトコンドリアおよび核の遺伝的データ［2］やこの研究で提示される新たな古遺伝学的データ（2点）から、少なくとも6個体を特定でき、その内訳は男性5個体と女性1個体です。この研究は、さまざまな年齢層によって表されるこれらの個体の解剖学的現分析を、以前に刊行された年代と一致する新たな放射性炭素年代測定とともに提示し、これらの遺物群は確実にIUP内に位置づけられます。<br /><br />　上顎と歯の幾何学的形態計測分析は一貫して、6個体すべてを現代人の範囲内に位置づけ、形態学的記述は特徴的なネアンデルタール人形質の欠如を示唆しています。上顎と歯の大きさは現代人の分布の上限に近い傾向があり、成人と亜成人の両方で大きな個体が示唆されますが、顔面の比率の大きな減少は、中部旧石器時代の現生人類と比較して、本論文のデータセットのすべての初期UP個体ですでに特定できます。この期間では稀と考えられている1点の歯の形質（大臼歯のエナメル質伸長）が特定され、これは現在のアジア東部人およびアメリカ大陸先住民においてより高頻度で存在します。<br /><br />　単一の考古学的人口集団に帰属するにも関わらず、遺伝学的証拠は、分析された個体間の最大6親等までの密接な親族関係の欠如を示しています。核DNA（deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸）分析は、これらバチョキロ洞窟のIUP個体群が、その後のヨーロッパ集団とよりも、アジア東部およびアメリカ大陸の古代と現在両方の人口集団の方と密接な類似性を有している、と論証しており、バチョキロ洞窟IUP個体群がヨーロッパにおける連続性が限定的な初期人口集団の拡散を表している、との見解が強固になります。<br /><br />　バチョキロ洞窟のすべてのIUP個体は少なくとも2回のネアンデルタール人からの遺伝子移入の証拠を示しており、2回目の波はこれらの個体が生きていた10～15世代前未満のことでした。遺伝子型と表現型の関係を調べるために、現代人と比較して有意により高い水準の遺伝子移入を示す、これらの個体におけるネアンデルタール人からの遺伝子移入のパターンが調べられました。まず、1000人ゲノム計画の比較現代人データセットにおけるこれらの断片の分布が、とくに頭蓋顔面発達と関わる遺伝子に焦点を当てて、調べられました。順列検定を用いた予備的な分析では、遺伝子のこの部分集合全体でのネアンデルタール人祖先系統（祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry）の枯渇は示唆されず、体系的な負の選択がなかったことを示唆しています。<br /><br />　まとめると、これらの結果はヨーロッパ西部における最初期現生人類の形態学的および遺伝学的多様性を浮き彫りにしていますが、古代型の遺伝子移入の発達の影響について新たな問題を提起しています。<br /><br /><br />参考文献：<br />Schuh A. et al.(2026): New fossil remains from Bacho Kiro Cave, Bulgaria: morphological and genetic insights into early Homo sapiens variation. The 16th Annual ESHE Meeting.<br /><br />［1］Hublin JJ. et al.(2020): Initial Upper Palaeolithic Homo sapiens from Bacho Kiro Cave, Bulgaria. Nature, 581, 7808, 299–302.<br /><a href="https://doi.org/10.1038/s41586-020-2259-z" target="_blank">https://doi.org/10.1038/s41586-020-2259-z</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202005article_20.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［2］Hajdinjak M. et al.(2021): Initial Upper Palaeolithic humans in Europe had recent Neanderthal ancestry. Nature, 592, 7853, 253–257.<br /><a href="https://doi.org/10.1038/s41586-021-03335-3" target="_blank">https://doi.org/10.1038/s41586-021-03335-3</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202104article_9.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><a name="more"></a>

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<item rdf:about="https://sicambre.seesaa.net/article/202609article_29.html">
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<title>大河ドラマ『豊臣兄弟！』第37回「秀長の国」</title>
<description>　今回は、小一郎（羽柴秀長）の大和入りが描かれました。これまでの太閤記ものでは、小一郎の大和統治はさほど描かれてこなかったように思いますが、本作では小一郎が主人公ですから、わりと詳しく描かれるようです。小一郎の家臣も増えて、藤堂高虎は割と早くから登場していましたが、吉川平介もすでに登場しており、「豊臣兄弟」の確執も終盤の見どころとなりそうです。大和統治となると、やはり興福寺は欠かせず、今回は興福寺の僧も登場しましたが、演出があまりにも過剰だったように思います。さらに、興福寺の..</description>
<dc:subject>相撲</dc:subject>
<dc:creator>雑記帳</dc:creator>
<dc:date>2026-09-29T11:27:19+09:00</dc:date>
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　今回は、小一郎（羽柴秀長）の大和入りが描かれました。これまでの太閤記ものでは、小一郎の大和統治はさほど描かれてこなかったように思いますが、本作では小一郎が主人公ですから、わりと詳しく描かれるようです。小一郎の家臣も増えて、藤堂高虎は割と早くから登場していましたが、吉川平介もすでに登場しており、「豊臣兄弟」の確執も終盤の見どころとなりそうです。大和統治となると、やはり興福寺は欠かせず、今回は興福寺の僧も登場しましたが、演出があまりにも過剰だったように思います。さらに、興福寺の僧に留まらず、大和の商人や村落も描かれ、大河ドラマではこうした描写は好まれないように思いますが、私は注目しています。<br /><br />　小一郎の大和統治となると、気になるのは、<a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202605article_26.html"><span style=color:#e00>第20回</span></a>で描かれた、松永久秀が遺した地図です。この地図には、大和に隠された南朝の秘宝が記されていましたが、それがどこまで本当なのか、あるいは別の意味が秘められているのか、放送当時から気になっていました。本作は人物を無駄遣いというか、使い捨てにする傾向があり、小一郎の舅である安藤守就の本能寺の変直後の最期も、描かれないどころか言及さえされていませんから（今後、言及される可能性も残ってはいますが）、けっきょく触れられずに終わる懸念もありますが、さすがにこの件はきっちりと描いてくれるのではないか、と思います。<br /><br />　石田三成は茶々に冷たく諫言していましたが、司馬遼太郎作品では、近江出身の三成は浅井長政の娘である茶々を崇拝していたとか、尾張派と近江派の対立といった図式とかが描かれていたこともあるように記憶しています。この図式に関しては、司馬作品を読んでいた当時から疑問を抱いていましたが、詳しく調べたわけではないので、断定は控えます。三成と茶々が悪役的な役割を担う作品では、1981年放送の大河ドラマ『おんな太閤記』など、両者が提携して陰謀を企む展開もありました。本作で関ヶ原の戦いや大坂の陣に言及されるのか分かりませんし、茶々と三成の関係は本作の主題ではありませんが、両者の関係にも注目しています。<br /><br />　蜂須賀小六（正勝）は今回で退場となるようで、「豊臣兄弟」や前野長康とのやり取りがそれなりに描かれました。小六は藤吉郎（羽柴秀吉）の家臣では（小一郎を除くと）最も存在感があっただけに、寂しさがあります。本作では、小一郎の死後も多少言及されるかもしれませんが、序盤からの重要人物で小一郎の死の前に退場となりそうなのは、後は「豊臣兄弟」の妹の「あさひ」くらいでしょうか。「あさひ」の場合、その前に徳川家康との婚姻が描かれますが、太閤記ものではここが見せ場の一つになるので、どう描かれるのか、注目しています。<a name="more"></a>

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<item rdf:about="https://sicambre.seesaa.net/article/202609article_28.html">
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<title>大相撲秋場所千秋楽</title>
<description>　今場所は、霧島関の横綱昇進が最大の注目でしたが、不振の両横綱が立ち直れるのかどうかも、私も含めて案じていた人は多かったように思います。その両横綱のうち、豊昇龍関は全休となり、手術後の復調に時間がかかっているようです。豊昇龍関は今場所が横綱10場所目で、まだ優勝がなく、今年（2026年）に入って、初場所が10勝5敗、春場所が11勝4敗、夏場所が初日に負けて2日目から休場、名古屋場所が7勝7敗で千秋楽は休場でした。まだ横綱審議委員会から引退勧告を出すのは早いと思いますが、まずは..</description>
<dc:subject>相撲</dc:subject>
<dc:creator>雑記帳</dc:creator>
<dc:date>2026-09-28T05:58:51+09:00</dc:date>
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　今場所は、霧島関の横綱昇進が最大の注目でしたが、不振の両横綱が立ち直れるのかどうかも、私も含めて案じていた人は多かったように思います。その両横綱のうち、豊昇龍関は全休となり、手術後の復調に時間がかかっているようです。豊昇龍関は今場所が横綱10場所目で、まだ優勝がなく、今年（2026年）に入って、初場所が10勝5敗、春場所が11勝4敗、夏場所が初日に負けて2日目から休場、名古屋場所が7勝7敗で千秋楽は休場でした。まだ横綱審議委員会から引退勧告を出すのは早いと思いますが、まずは状態を立て直すことに専念すべきで、状態が戻らないようなら、来場所も休場でもかまわないと思います。ただ、その場合は来年初場所が正念場となります。<br /><br />　霧島関は7日目まで2敗で、今場所後の横綱昇進の可能性がまだわずかに残っていましたが、8日目に負けて落ち込んだのか、9日目と10日目も負けてしまい、千秋楽に勝ち越しがかかるところまで追い込まれ、千秋楽は琴櫻関に勝って何とか勝ち越し、8勝7敗で場所を終えました。これで横綱昇進は一から出直しとなってしまいました。今場所の霧島関は、7日目まで2敗だったものの、相撲内容は全体的に悪かったので、この結果も仕方のないところでしょうか。この1年近く、最も成績が安定しているのは霧島関でしょうが、なかなか12勝の壁を破ることができませんでした。ただ、以前よりも八百長が激減しているのだとしたら、13勝以上はなかなか難しいでしょうし、連続して13勝以上はなおさら難しくなります。大関や横綱の昇進基準、さらには大関や横綱に昇進してからの成績も、その点を踏まえる必要があるとは思います。<br /><br />　優勝争いを牽引したのはもう一人の横綱である大の里関で、4日目に高安関に負けたものの、8日目に単独首位に立ちました。ただ、大の里関は強い時と脆い時の差が激しいというか、立ち会いで圧倒すると強いものの、圧倒できなかった場合は安易に引く癖が修正されていないどころか、悪化している感さえあります。今場所で完全に相撲勘を取り戻して、来場所からは圧倒的な強さを見せてもらいたいところですが、この1年間の苦境で、立ち会いで抵抗されると引いてしまう癖がすっかり定着してしまったのではないか、と懸念されます。その意味で、単独首位に立ち、最初に勝ち越しを決めても、大の里関を安心して見ていられる状況ではありませんでした。それでも、大の里関はこのところ負けていた伯乃富士関と藤ノ川関と熱海富士関に勝ち、単独首位で星二つの差をつけて13日目に霧島関に攻め急いだ感もあって負けてしまい、やはりまだ復調していないのかな、とさらに不安になりました。<br /><br />　大の里関は14日目に琴櫻関に負けてしまい、千秋楽を迎えた時点で、優勝争いは大の里関と安青錦関に絞られ、相星決戦となる結びの一番で両者が対戦するという、盛り上がる展開となりましたが、大の里関を応援している私にとっては、13日目と14日目は攻め急いだ感があり、何とも残念でした。大の里関は安青錦関には合口がよいものの、終盤の状態からは、とても楽観できる状況ではなく、不安が残りました。結びの一番では、大の里関が立ち合いから圧倒し、突き出して安青錦関を破り、1年振りとなる6回目の優勝を果たしました。かなり不安でしたが、大の里関の復活優勝となり、安堵しています。安青錦関にとって、やはり横綱昇進の最大の壁は大の里関になりそうです。安青錦関には、まず足の怪我が完治するよう、願っています。<br /><br />　今場所は、熱海富士関の大関昇進も話題で、熱海富士関は10日目に勝ち越しを決めて、しかも琴櫻関相手に堂々とした勝ち方だったので、今場所後の大関昇進と優勝もあるかな、と思いましたが、11日目から4連敗となり、千秋楽も新関脇の藤ノ川関に負けて二桁勝利に届かず、8勝7敗で場所を終えました。熱海富士関はさらに力強くなった感じで、大の里関相手にも立ち合いの圧力で負けていないどころか、上回っている感さえありますが、相撲の上手さの点でまだ足りないところがあるように思います。熱海富士関は多数の関取を抱える伊勢ヶ濱部屋所属で、稽古環境には恵まれているだけに、来場所での巻き返しと、近いうちに大関に昇進することを期待しています。ただ、来場所13勝以上で優勝し、内容がよければ、来場所後に熱海富士関が大関に昇進しても不思議ではないように思います。<br /><br />　藤ノ川関は11勝4敗として、大関昇進の起点を作りましたが、正直なところ、他の力士による研究が進めば、大関昇進は容易ではないように思います。上述のように、近年では以前よりも八百長が激減しているのだとしたら、大関に昇進できるだけの成績を残すのはなかなか難しいように思います。その意味で、大関昇進、さらには横綱昇進の基準も変えていくべきなのでしょうが、相撲協会も報道陣も愛好者も保守的な傾向が強そうですから、どうしても以前の基準で考えてしまうのでしょうか。そもそも、八百長が激減している状況で、1場所15日で1年6場所は多すぎるように思いますが、これは大関と横綱の昇進基準以上に変えるのが難しそうです。<a name="more"></a>

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<title>過去12000年間のアジア東部南西の人口史</title>
<description>　古代ゲノムデータに基づく過去12000年間のアジア東部南西の人口史に関する研究（Bai et al., 2026）が公表されました。［］は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。また、本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン（大清帝国、清王朝）の18省かもしれませんが、この記事の以下の翻訳ではではとりあえず「中国」と表記します。　本論文は、現在の中華人民共和国貴州省の遺跡..</description>
<dc:subject>古人類学</dc:subject>
<dc:creator>雑記帳</dc:creator>
<dc:date>2026-09-27T09:15:43+09:00</dc:date>
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　古代ゲノムデータに基づく過去12000年間のアジア東部南西の人口史に関する<a href="https://doi.org/10.1093/nsr/nwag398"><span style=color:#e00>研究</span></a>（Bai et al., 2026）が公表されました。［］は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。また、本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン（大清帝国、清王朝）の18省かもしれませんが、この記事の以下の翻訳ではではとりあえず「中国」と表記します。<br /><br />　本論文は、現在の中華人民共和国貴州省の遺跡で発見された人類遺骸の新たなゲノムデータを報告し、既知の古代人および現代人のゲノムデータと統合することで、アジア東部南西の過去12000年間の人口史を検証しています。アジア東部南西の人類集団には末期更新世～新石器時代まで、アジア東部現代人の主要な遺伝的祖先系統（祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry）と深い分岐関係にある、基底部アジア東部祖先系統の影響が残っていましたが、この祖先系統はアジア東部南西に置いて青銅器時代までに消滅しました。1200年前頃以降、この地域で人類集団間の遺伝的相互作用が活発化し、それは語族のパターンに従っていました。<br /><br />　本論文で注目されるのは、すでに更新世末期に、黄河流域の新石器時代集団に見られるアジア東部北方的な祖先系統が、アジア東部南西に存在していた、と示されたことです。本論文では、これが更新世末期におけるアジア東部の北方らか南方への人口移動を示唆していた考古学的研究と整合的かもしれない、と指摘されています。このアジア東部北方的な祖先系統がどのように末期更新世までにアジア東部南西に出現したのか、まだ不明ですが、更新世～完新世にかけてのユーラシア東部の複雑な人口史が窺えます。本論文は、ユーラシア東部、とくにその南方において少ない更新世人類のゲノムデータを新たに報告した点で、ユーラシア東部の人口史の解明に大きく寄与していると思います。日本列島の人口史の解明が、ユーラシア東部の動向と関連づけられ、解明されていくことが期待されます。<br /><br />　以下の略称は、DNA（deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸）、SNP（Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型）、PCA（principal component analysis、主成分分析）、km（kilometre、kilometer、キロメートル）、K（kilo years ago、千年前）、AR（Amur River、アムール川）です。以下の時代区分の略称は、P（Paleolithic、旧石器時代）、N（Neolithic、新石器時代）、EN（Early Neolithic、前期新石器時代）、LN（Late Neolithic、後期新石器時代）、BA（Bronze Age、青銅器時代）、H（historical era、歴史時代）です。本論文で取り上げられる主要な文化は、ホアビニアン（Hòabìnhian、ホアビン文化）です。<br /><br />　本論文で取り上げられる主要な中華人民共和国貴州省の遺跡は、牛坡洞（Niupodong）遺跡、大洞（Dadong）遺跡、招果（Zhaoguo）洞遺跡、穿洞（Chuandong）遺跡、棺材洞（Guancaidong）遺跡、仙人橋（Xianrenqiao）遺跡、甘掌（Ganzhang）遺跡（漢字表記は間違っているかもしれません）、果里村（Guolicun）遺跡、猫猫洞（Maomaodong）遺跡、ツァオハイ（Caohai）遺跡、松山（Songshan）遺跡です。<br /><br />　本論文で取り上げられる主要な中華人民共和国広西壮族（チワン族）自治区（以下、広西）の遺跡は、隆林洞窟（Longlin Cave）、田東（Tiandong）県の林逢（Linfeng）鎮の独山洞窟（Dushan Cave）、宝剣山（Baojianshan）洞窟、高峰（Gaofeng）遺跡と花橋（Huaqiao）遺跡と化図岩（Huatuyan）遺跡（高峰遺跡と花橋遺跡と化図岩遺跡の人類集団はGaoHuaHuaと呼ばれます）、バロン（Balong）遺跡とバンダ（Banda）遺跡とキンチャン（Qinchang）遺跡と岑遜（Cenxun）遺跡（バロン遺跡とバンダ遺跡とキンチャン遺跡と岑遜遺跡の千年紀半ばの古代人はBaBanQinCen集団と呼ばれます）、ラセン（Lacen）遺跡です。<br /><br />　本論文で取り上げられる貴州省と広西以外の主要な中華人民共和国の遺跡は、北京市の南西56kmに位置する田園洞（Tianyuan Cave）、雲南省では対子（Duizi）遺跡と玉渓（Yuxi）市の通海（Tonghai）県の興義（Xingyi）遺跡と玉渓市の澄江県の雪山（Xueshan）遺跡および金蓮山（Jinlianshan）遺跡と臘甸（Ladian）遺跡、山東省では博山（Boshan）遺跡と扁扁（Bianbian）遺跡、福建省では奇和洞（Qihe Cave）遺跡、安徽省では馬鞍山（Ma’anshan）市の和県（Hexian）です。本論文で取り上げられる中国以外の主要な遺跡は、チベット高原のゾングリ（Zongri）遺跡です。<br /><br /><br /><strong>●要約</strong><br /><br />　アジア東部南方とアジア南東部とチベット高原を結ぶ重要な交差点であるアジア東部南西は、初期のヒトの移住に関する研究にとって重要な地域です。しかし、この地域の東部、とくに貴州省における古代DNA研究は依然として不足しています。本論文は、12000年間にわたる期間の貴州人口集団の最初のゲノム研究を提示し、その中には1万年以上前の貴州の5個体が含まれます。刊行されている貴州省および雲南省の標本と組み合わせると、旧石器時代から前期新石器時代までのアジア東部南西におけるヒト集団の複雑な遺伝的歴史が明らかになります。旧石器時代の人口集団は、最近報告された基底部アジア東部興義_EN祖先系統とアジア東部北方に存在する祖先系統その混合のパターンの異質な分布によって特徴づけられました。青銅器時代までに、この謎めいた基底部祖先系統はもはやこの地域では検出されなくなりました。1200年前頃以降、貴州と広西の人口集団間の遺伝的相互作用は、言語固有のパターンにしたがって活発化しました。全体的に本論文の結果は、過去12000年間にわたるアジア東部南西の複雑な人口動態を明らかにします。<br /><br /><br /><strong>●研究史</strong><br /><br />　アジア東部南西には、現在の中国の雲南省と貴州省と広西が含まれます。アジア東部低地とチベット高原とアジア南東部を結ぶ重要な回廊として、アジア東部南西は初期アジア人口集団の移動と相互作用に重要な役割を果たしてきました［1］。最近のゲノム研究が報告した雲南中央部の7000年前頃の興義個体は、「失われた」深く分岐した基底部アジア東部系統に属しており、アジア東部北方の40000～33000年前頃の田園祖先系統や、アジア南東部における8000～4000年前頃のホアビン文化関連祖先系統とは異なります［1、5～7］。これら深い祖先系統はアジア東部人口集団の南北の祖先系統への文化の前に分岐した、と分かりました［8～10］。これらの研究は、アジアの人口集団の初期の分岐の解明のため、アジア東部南西の古代ゲノム研究の重要性を強調しました。しかし、この地域の東部、とくに現在の貴州省では、旧石器時代と前期新石器時代の遺伝的データの利用可能性に大きな空白が依然としてあります。<br /><br />　旧石器時代から新石器時代への移行は、古代人の社会の発展における重要な転換点を表しており、それは、新たな生計慣行の導入には人口の移動および置換を伴うことが多かったからです［6、11～15］。遺伝的多様性の維持、および基底部アジア東部系統の残存がこの過程を通じて存続したのかどうかは、アジア東部南方人の人口史の理解において重要な問題です。先行研究では、この地域の西部において、後期新石器時代から青銅器時代の雲南人口集団は、現在のオーストロアジア語族話者の祖先およびアジア東部北方古代人と関連する遺伝的構成要素を有しており、より在来的な興義関連基底部アジア東部祖先系統を置換した、と示されました［5］。近隣の広西地域の対応する古代ゲノムデータの不足と、南東部沿岸の福建地域における興義関連祖先系統の欠如［16、17］を考えると、この期間における基底部アジア東部系統の存続や、南北両方からのより新しい新石器時代アジア東部祖先系統との相互作用は、依然としてよく分かっていません。貴州地域の後期新石器時代人口集団に焦点を当てる古代ゲノム研究は、これらの問題に重要な知見を提供できます。<br /><br />　現在のアジア東部南西は、アジア東部における最高水準の民族多様性の地域で、クラ・ダイ語族やミャオ・ヤオ（モン・ミエン）語族を話す人口集団を含めて、多くの少数民族が存在します。遺伝的つながりが、これらの語族集団と1500～500年前頃の広西の人口集団との間で論証されました［16］。貴州と広西の歴史時代の少数人口集団間の遺伝的関係の調査は、現在のアジア東部南西の民族集団の相互作用と移住の歴史に関する理解を深めるでしょう。<br /><br />　現在の知識におけるこれらの間隙に取り組むために、旧石器時代から歴史時代までの貴州省の8ヶ所の考古学的遺跡で発見された36個体から、標本が得られました。本研究の目的は、旧石器時代アジア東部南西人の遺伝的特徴、新石器文化の確立期における人口動態、この地域の現在の遺伝的および民族的多様性につながる機序への、役立つ科学的知見の提供です。<br /><br /><br /><strong>●DNA解析</strong><br /><br />　アジア東部南西の貴州地域の36個体から、120万ヶ所の祖先系統の情報をもたらす部位から構成される、ゲノム規模SNPデータの取得が試みられました。放射性炭素年代測定によって、これらの遺骸は較正年代で12000～300年前頃（基準は紀元後1950年）に位置づけられました（図1）。すべての結果は、内在性由来を示唆する、典型的な古代DNA損傷特性［19］を示しました。不充分なSNP数（15000ヶ所未満）の標本の除外後に、全標本について現代のミトコンドリア汚染水準、男性についてX染色体の汚染率が推定されました。5%以上の標本については、古代DNA損傷の兆候があるDNA断片のみ、分析に用いられました。選別後の汚染推定値が依然として5%以上か、残っているSNP数が15000ヶ所未満の場合、標本は除外されました。次に、残りの標本の各組み合わせ間で親族関係の程度が評価され、密接に関連する2個体（2親等の親族関係）と遺伝的に同一の標本2点（同じ個体）が見つかりました。これらの各組み合わせについて、人口集団分析に含めるために、最も多い数のSNP数の標本が選択されました。以下は本論文の図1です。<br /><div align="center"><a href="https://sicambre.up.seesaa.net/image/Bai20et20al.2026E38080E382A2E382B8E382A2E69DB1E983A8E58D97E8A5BFE381AEE58FA4E4BBA3E382B2E3838EE383A0282026070229E59BB31.jpeg"><img src="https://sicambre.up.seesaa.net/image/Bai20et20al.2026E38080E382A2E382B8E382A2E69DB1E983A8E58D97E8A5BFE381AEE58FA4E4BBA3E382B2E3838EE383A0282026070229E59BB31.jpeg" alt="画像" width="365" height="445" class="up-image" title="図1" onclick="location.href = 'https://sicambre.seesaa.net/upload/detail/image/Bai20et20al.2026E38080E382A2E382B8E382A2E69DB1E983A8E58D97E8A5BFE381AEE58FA4E4BBA3E382B2E3838EE383A0282026070229E59BB31.jpeg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a></div><br />　品質および親族関係の選別後に、120万対象SNPの17999～877796ヶ所のSNP数を有する、親族関係にない28個体が維持されました。古代貴州人口集団の周辺のアジア東部人との遺伝的関係を調べるために、新たに配列決定されたデータが、古代のアジア東部の南北とアジア南東部と近隣のユーラシアの刊行されている人口集団と統合されました。<br /><br /><br /><strong>●旧石器時代から前期新石器時代までのアジア東部南西人の遺伝的特性</strong><br /><br />　選別を通過した新たに配列決定された28個体のうち5個体の年代は1万年以上前で、貴州省の重要な旧石器時代遺跡が網羅されており、招果と牛坡洞と大洞が含まれます。これらの新たなデータによって、1万年以上前のアジア東部南方の旧石器時代のゲノムの数は3倍となります（図1）。これらのデータが、アジア東部南西の刊行されている旧石器時代から前期新石器時代人口集団と統合され、包括的なゲノムデータセットが作成されました。<br /><br />　アジア東部南西の初期人口集団の遺伝的特徴を調べるために、現在のアジア人口集団を用いて計算された主成分空間に、アジア東部南西の初期人口集団が投影されました。旧石器時代貴州の5個体はPCAでは別のクラスタ（まとまり）を形成し、検証対象の2人口集団間の共有されている遺伝的浮動の量を測定する外群f3統計では、旧石器時代貴州の5個体は類似した祖先系統を共有していた、と論証されました（図2）。これをさらに検証し、これら旧石器時代貴州標本がどのくらい深く分岐しているのか、調べるために、D統計を用いて、旧石器時代貴州個体が新石器時代および基底部アジア東部系統と比較されました。田園個体およびホアビニアン個体（La368によって粗さ割れます）と比較して、旧石器時代貴州標本は新石器時代アジア東部人とより多くのアレル（対立遺伝子）を共有しており、D（アジア東部新石器時代個体、田園/AR33K/ホアビニアン個体；招果M1/招果M2/牛坡洞M9/大洞、ムブティ人）ではZ = 2.1–11.4です。しかし、周辺地域に局在する、最近報告された基底部アジア東部祖先系統の興義_ENと比較すると、大洞遺跡個体を除いて旧石器時代貴州個体群はほぼすべての事例で、この深く分岐した基底部祖先系統とは、新石器時代アジア東部人に対してと同様に遺伝的に等距離でした。以下は本論文の図2です。<br /><div align="center"><a href="https://sicambre.up.seesaa.net/image/Bai20et20al.2026E38080E382A2E382B8E382A2E69DB1E983A8E58D97E8A5BFE381AEE58FA4E4BBA3E382B2E3838EE383A0282026070229E59BB32.jpeg"><img src="https://sicambre.up.seesaa.net/image/Bai20et20al.2026E38080E382A2E382B8E382A2E69DB1E983A8E58D97E8A5BFE381AEE58FA4E4BBA3E382B2E3838EE383A0282026070229E59BB32.jpeg" alt="画像" width="365" height="470" class="up-image" title="図2" onclick="location.href = 'https://sicambre.seesaa.net/upload/detail/image/Bai20et20al.2026E38080E382A2E382B8E382A2E69DB1E983A8E58D97E8A5BFE381AEE58FA4E4BBA3E382B2E3838EE383A0282026070229E59BB32.jpeg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a></div><br />　全体的に、旧石器時代貴州個体群は、新石器時代アジア東部の北方もしくは南方のいずれかと遺伝的類似性の有意なパターンを示さず、より被覆度の高い招果M1および招果M2によって表される旧石器時代貴州個体は、ゾングリ5.1Kを除くほぼ全ての他のアジア東部古代人よりも、興義_ENと多くの遺伝的浮動を共有しており、D(招果M1/招果M2、ゾングリ5.1Kと隆林洞窟個体以外のアジア東部古代人;興義_EN、ムブティ人)ではZ = 2.3–9.5です。このパターンが予測されたのは、ゾングリ5.1Kと隆林洞窟個体の両方が興義_EN関連祖先系統を含んでいる、と示されたからです［5］。これらの結果から、旧石器時代貴州標本は、アジア東部の南北の人口集団の分離より早くに分岐した、興義_EN祖先系統をある程度含んでいた、と示唆されます。<br /><br />　貴州省の11000年前頃の隆林個体は、深く分岐したアジア東部祖先系統を有する別の旧石器時代個体で、基底部アジア東部の興義_EN関連祖先系統と、新石器時代アジア東部南方祖先系統の混合と分かりました［5］。隆林個体も基底部の田園個体およびホアビニアン個体とよりも、新石器時代アジア東部人の方と多くのアレルを共有していますが、旧石器時代貴州標本と同様に、興義_ENおよび新石器時代アジア東部人と同等に密接です［16］。田園個体およびホアビニアン個体の基底部アジア東部祖先系統と比較すると、隆林個体と旧石器時代貴州個体群は両方とも相互と遺伝的により類似しており、興義_EN祖先系統では区別できません（図3A）。最尤系統樹でも、招果M1個体は隆林個体および興義_ENと同様に、新石器時代の南北のアジア東部人に対して外群として機能する、と示されました。これらの結果から、旧石器時代貴州標本は隆林個体で見られる同じ基底部アジア東部興義_EN関連祖先系統を共有している、と示唆されます。以下は本論文の図3です。<br /><div align="center"><a href="https://sicambre.up.seesaa.net/image/Bai20et20al.2026E38080E382A2E382B8E382A2E69DB1E983A8E58D97E8A5BFE381AEE58FA4E4BBA3E382B2E3838EE383A0282026070229E59BB33.jpeg"><img src="https://sicambre.up.seesaa.net/image/Bai20et20al.2026E38080E382A2E382B8E382A2E69DB1E983A8E58D97E8A5BFE381AEE58FA4E4BBA3E382B2E3838EE383A0282026070229E59BB33.jpeg" alt="画像" width="365" height="475" class="up-image" title="図3" onclick="location.href = 'https://sicambre.seesaa.net/upload/detail/image/Bai20et20al.2026E38080E382A2E382B8E382A2E69DB1E983A8E58D97E8A5BFE381AEE58FA4E4BBA3E382B2E3838EE383A0282026070229E59BB33.jpeg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a></div><br />　新石器時代の南北のアジア東部人に対する旧石器時代貴州標本と隆林個体との間の遺伝的差異をさらに評価するために、D統計が実行された結果、旧石器時代貴州標本、とくにSNP数が最も多い11000年前頃の招果M1は、隆林個体よりも、山東半島沿岸部と黄河内陸部地域の両方の新石器時代人口集団で見られる祖先系統と類似した祖先系統を有意に多く有していた、と示されます（図3B）。独山洞窟および宝剣山洞窟の9000～6000年前頃の広西人口集団はそれぞれ、隆林個体的祖先系統と南方の福建沿岸祖先系統、独山個体的祖先系統とホアビニアン個体関連祖先系統の混合でしたが、旧石器時代貴州標本では、福建もしくはホアビニアン関連祖先系統のいずれかの有意な兆候は見つかりませんでした（図3A・B）。混合図分析でも、招果M1個体は興義_EN関連祖先系統と、隆林個体には存在しない古代の広範なアジア東部北方祖先系統との間の混合としてモデル化できる、と示されました。招果M1へのアジア東部北方からの影響は、最尤系統樹でも裏づけられました。隆林個体を供給源として含めると、招果M1は、隆林個体および追加の約11.5～13.4%のアジア東部北方祖先系統（たとえば、博山遺跡や扁扁遺跡の個体）としてモデル化できます（図4）。以下は本論文の図4です。<br /><div align="center"><a href="https://sicambre.up.seesaa.net/image/Bai20et20al.2026E38080E382A2E382B8E382A2E69DB1E983A8E58D97E8A5BFE381AEE58FA4E4BBA3E382B2E3838EE383A0282026070229E59BB34.jpeg"><img src="https://sicambre.up.seesaa.net/image/Bai20et20al.2026E38080E382A2E382B8E382A2E69DB1E983A8E58D97E8A5BFE381AEE58FA4E4BBA3E382B2E3838EE383A0282026070229E59BB34.jpeg" alt="画像" width="365" height="180" class="up-image" title="図4" onclick="location.href = 'https://sicambre.seesaa.net/upload/detail/image/Bai20et20al.2026E38080E382A2E382B8E382A2E69DB1E983A8E58D97E8A5BFE381AEE58FA4E4BBA3E382B2E3838EE383A0282026070229E59BB34.jpeg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a></div><br />　まとめると、本論文の結果は、1万年以上前の旧石器時代アジア東部南西における複雑な遺伝的景観と、雲南中央部の興義_EN個体群によって表される「失われた」基底部アジア東部祖先系統が、この地域に広く分布していたことを明らかにします。この期間には、貴州および広西の旧石器時代人口集団は興義_EN関連の基底部アジア東部祖先系統と新石器時代アジア東部の南方もしくは北方祖先系統の混合で（基底部アジア東部集団と新石器時代のアジア東部の南北の集団を表すのに用いられた人口集団については、図2Aを参照）、そのうち、貴州標本ではアジア東部北方祖先系統の割合がより高く、広西標本にはアジア東部南方祖先系統の割合がより高く存在しました。この期間以後、沿岸部福建人口集団とアジア南東部のホアビニアンシミの祖先系統は広西地域へと拡大しましたが［16］、貴州のさらに内陸部では見つかりませんでした。<br /><br /><br /><strong>●青銅器時代までにアジア東部南西から基底部アジア東部祖先系統は消滅します</strong><br /><br />　基底部アジア東部の興義_EN祖先系統が後期新石器時代および青銅器時代まで貴州で特定されるのかどうか、調べるために、穿洞遺跡の4000～2000年前頃の層から発掘された4個体が配列決定されました。これらの標本は、雲南以外のアジア東部南西における後期新石器時代と歴史時代の間に存在した時間的空白を埋めます。PCA図において（図2A）、穿洞遺跡個体群は、旧石器時代貴州標本とよりも、山東もしくは黄河地域の集団など、新石器時代アジア東部北方人口集団の方と近くでクラスタ化しました（まとまりました）。穿洞遺跡の4個体のうち3個体のSNP数は25000ヶ所未満なので、すべての穿洞遺跡標本は統計的検出力を向上させるために単一の集団へ統合されました。<br /><br />　青銅器時代貴州地域における基底部アジア東部祖先系統の存在を調べるために、D統計を用いて、興義_ENと穿洞遺跡個体群との間でアレル共有が計算されました。その結果、青銅器時代穿洞群は、他のアジア東部古代人よりも興義_ENと多くのアレルを共有していたわけではない、と分かり、これはその後の歴史時代の貴州人口集団でも一貫していました。興義_EN祖先系統が青銅器時代アジア東部南西人に寄与したのかどうか、検証するために、穿洞遺跡人口集団や雲南および福建の他の後期新石器時代～青銅器時代の人口集団がqpAdmモデル化で標的集団として選定され、興義_EN人口集団がこれら標的人口集団の祖先供給源として機能できるのかどうか、評価されました。その結果、基底部アジア東部興義_EN関連祖先系統のごく低い割合が雲南西部の2000年前頃の対子遺跡人口集団に存在したものの（約10.8%）、穿洞遺跡を含めて他の標的人口集団には存在しなかった、と示されました。興義_ENはqpAdm分析でその後の青銅器時代の貴州もしくは雲南人口集団の妥当な供給源としてモデル化できないので、興義_EN祖先系統はこの期間までに既知のアジア東部南西人口集団から消滅した、と提案されます。<br /><br />　穿洞遺跡人口集団は、興義_LN祖先系統の1方向でモデル化できました（図4）。最初に後期新石器時代雲南個体で特定された興義_LN祖先系統は地域的な系統で、興義_ENとは連続しておらず、以前に報告されたアジア東部の南北の祖先系統勾配とは異なります。雲南地域では、興義_LNは後期新石器時代までに、それ以前の在来の興義_EN関連の基底部アジア東部祖先系統を置換し、現在のオーストロアジア語族話者の祖先と関連している、と提案されています［5］。qpAdmの結果に基づき、4000～2000年前頃の穿洞遺跡個体群の考古学的背景がおおむね信頼できると仮定すると、同様の祖先系統の置換は青銅器時代の開始の頃もしくはその前に貴州地域でも起きていた（3100～3000年前頃）、と主張されます。この仮説をさらに検証するために、穿洞遺跡人口集団と旧石器時代貴州人口集団との間の遺伝的差異が評価されました。全体的に、穿洞遺跡人口集団は旧石器時代貴州人口集団とよりも、広西地域外の新石器時代アジア東部人口集団と多くのアレルを共有していました（図3C）。さらに、穿洞遺跡人口集団を他の新石器時代アジア東部人口集団と比較すると、旧石器時代貴州人口集団との類似性は検出されず、D(アジア東部古代人、穿洞個体;貴州_P、ムブティ人)では−2.2 < Z < 2.8でした。これらの全ての結果は、4000年前頃以前に起きた、貴州における以前の在来の興義_EN関連基底部アジア東部祖先系統の置換を裏づけます。<br /><br />　しかし、本論文の結果は、特定の祖先人口集団がこれらの遺伝的変化を引き起こしたのか、判断するには不充分でした。雲南中央部の興義_LN人口集団は穿洞遺跡人口集団の1方向の妥当な供給源でしたが、興義_LN人口集団と興義_BAや雪山遺跡や金蓮山遺跡の人口集団など他の雲南中央部人口集団は、黄河および山東地域の新石器時代アジア東部北方人やアジア東部南方の一部の福建人口集団と類似したD統計値を示しました（図3C）。穿洞遺跡人口集団と雲南中央部人口集団と新石器時代アジア東部人口集団の間の遺伝的関係はD統計によって解決できず、D(興義_LN、古代黄河/山東/福建;穿洞、ムブティ人)では−1.9 < Z < 2.4、D(興義_LN、穿洞;古代黄河/山東/福建、ムブティ人)では−3.3 < Z < 1.2、D(古代黄河/山東/福建、穿洞;興義_LN、ムブティ人)では−2.5 < Z < −0.1です。これらの結果は、穿洞遺跡人口集団と興義_LNがクレード（単系統群）であることも、穿洞遺跡人口集団が興義_LNと新石器時代の黄河もしくは山東もしくは福建人口集団の混合であることも裏づけていません。検証対象の新石器時代アジア東部人では、雲南西部の臘甸遺跡人口集団はD(興義_LN、古代黄河/山東/福建;穿洞、ムブティ人)検定で最大量の祖先系統を共有していました。雲南西部人口集団も雲南中央部祖先系統人口集団とアジア東部北方の人口集団との間の混合でしたが、穿洞遺跡人口集団と雲南西部人口集団との間の遺伝的類似性が、直接的なつながり、もしくは雲南中央部およびアジア東部北方人口集団からの共通の遺伝子流動を反映しているのかどうかは、判断できません。<br /><br />　全体的に本論文の結果から、基底部アジア東部興義_EN遺伝的構成要素は、青銅器時代までにアジア東部南西では消滅した、と示唆されます。しかし、現時点のデータは、この置換を引き起こした特定の供給源人口集団を特定できていません。近隣の雲南地域もしくはより遠いアジア東部北方の供給源からの遺伝子流動が、妥当な説明を表しています。<br /><br /><br /><strong>●歴史時代の貴州および広西人口集団の遺伝的類似性</strong><br /><br />　1100～300年前頃の標本抽出によって、次に歴史時代における貴州人口集団の遺伝的特徴が調べられました。PCA図では、歴史時代の貴州人口集団は同様の期間、とくに広西の500年前頃のGaoHuaHua人口集団と重なっていました（図2A）。外群f3視覚図では、歴史時代の貴州人口集団とGaoHuaHuaはともにまとまりました（図2B）。D統計を用いてのこの遺伝的関係の統計的評価では、歴史時代の広西人口集団は他の古代のアジア東部の南北の個体群よりも歴史時代の奇襲人口集団とより近く、qpAdmモデル化も歴史時代の貴州人口集団と広西人口集団の祖先系統共有を裏づける、と示されました（図4）。<br /><br />　記録および碑文によると、棺材洞遺跡や仙人橋遺跡や甘掌遺跡や果里村遺跡を含めて貴州地域の洞窟埋葬は、ミャオ・ヤオ人の祖先に属していました。先行研究では、広西の洞窟埋葬人口集団では、GaoHuaHua人口集団によって表されるミャオ・ヤオ（モン・ミエン）語族話者と関連する個体群は、チワン語（タイ・カダイ語族）話者（たとえば、BaBanQinCen人口集団やラセン遺跡人口集団）と関連する人々とは顕著な遺伝的分化を示しており、少なくとも500年前頃までの大きな人口構造が示唆される、と示されました［16］。新たに配列決定された貴州の歴史時代の個体群をD統計でこれら広西人口集団と比較することによって、貴州の歴史時代の洞窟埋葬人口集団は他の歴史時代の広西遺跡標本（たとえば、BaBanQinCen集団やラセン遺跡集団）や他のアジア東部標本とよりもGaoHuaHuaの方と密接にまとまっている、と分かり、D(臘甸、新石器時代アジア東部人;GaoHuaHua、ムブティ人)では −26.9 < Z < −4.4、D(アジア東部古代人、GaoHuaHua;貴州_H、ムブティ人)では−25.0 < Z < −4.2、D(GaoHuaHua、州_H;アジア東部古代人、ムブティ人)では−1.4 < Z < 4.1です（図5A）。まとめると、ミャオ・ヤオ祖先系統を有する貴州および広西の歴史時代の人口集団は、近隣のチワン語話者関連人口集団とよりも相互の方と密接な遺伝的類似性を示し、ミャオ・ヤオ語族集団とチワン語集団との間の遺伝的分化が少なくとも500年前頃にはすでに確立していた、との結論がさらに裏づけられます。以下は本論文の図5です。<br /><div align="center"><a href="https://sicambre.up.seesaa.net/image/Bai20et20al.2026E38080E382A2E382B8E382A2E69DB1E983A8E58D97E8A5BFE381AEE58FA4E4BBA3E382B2E3838EE383A0282026070229E59BB35.jpeg"><img src="https://sicambre.up.seesaa.net/image/Bai20et20al.2026E38080E382A2E382B8E382A2E69DB1E983A8E58D97E8A5BFE381AEE58FA4E4BBA3E382B2E3838EE383A0282026070229E59BB35.jpeg" alt="画像" width="365" height="332" class="up-image" title="図5" onclick="location.href = 'https://sicambre.seesaa.net/upload/detail/image/Bai20et20al.2026E38080E382A2E382B8E382A2E69DB1E983A8E58D97E8A5BFE381AEE58FA4E4BBA3E382B2E3838EE383A0282026070229E59BB35.jpeg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a></div><br />　歴史時代の貴州人口集団の遺伝的特徴を形成した移動事象をさらに調べるために、歴史時代の貴州人口集団が新石器時代の穿洞遺跡人口集団と比較されました。その結果、後期新石器時代および青銅器時代に見られるように、アジア東部北方祖先系統の影響は歴史時代の貴州人口集団にも見られる、と分かりました（図5B）。さまざまな地域の新石器時代アジア東部北方人口集団のうち、新石器時代黄河祖先系統が歴史時代の貴州人口集団とアレル共有の最も顕著な兆候を有しており、新石器時代黄河祖先系統がこの期間の遺伝子流動の可能性が高い祖先系統供給源だった、と示唆されます。さらに、歴史時代の貴州人口集団は、地理的に貴州に隣接する、9000年前頃の広西の独山洞窟個体とも遺伝的類似性を示しました（図5B）。全体的に、アジア東部北方人とより在来的な人口集団の二重の影響下で、貴州および広西人口集団の遺伝的組成は歴史時代には次第に収束しました。<br /><br /><br /><strong>●考察</strong><br /><br />　本研究は、過去12000年間にわたるアジア東部南西の貴州地域の遺伝的な人口史を調べました。その結果、旧石器時代から前期新石器時代のアジア東部南西人口集団には複雑な遺伝的特性があった、と示されました。貴州も同時代の広西および雲南地域と同様に、旧石器時代には在来の基底部アジア東部興義_EN祖先系統を示し、アジア東部北方との有意により強い遺伝的類似性がありました。後期新石器時代および青銅器時代（4000～2000年前頃）には、雲南中央部およびアジア東部北方祖先系統はアジア東部南西に影響を及ぼし続け、基底部アジア東部の興義_EN祖先系統は、青銅器時代までにはアジア東部南西でもはや検出できなくなります。歴史時代（1100～300年前頃）における新石器時代広西および沿岸部福建関連人口集団からの追加の遺伝子流動は、貴州と広西の人口集団間の遺伝的均質化に寄与しました。<br /><br />　以前には、アジア東部南方から得られた1万年以上前のゲノムデータは、おもに基底部の興義_EN祖先系統と沿岸部福建人口集団と類似した遺伝的構成要素を有していた11000年前頃の隆林洞窟の1個体と、沿岸部福建の12000年前頃の奇和洞3号のみでした［5、16］。本研究は、1万年以上前の貴州の3ヶ所の航行学的遺跡の5個体から得られたゲノム規模データを提供し、新石器時代の前のアジア東部南方の遺伝的記録を大きく拡張します。北方的な遺伝的構成要素は以前には、8300年前頃に福建沿岸地域に出現し始めた、と報告されましたが［17］、貴州の新たに配列決定された旧石器時代のゲノムデータは今や、11000年前頃以前のアジア東部南西内におけるアジア東部北方祖先系統の地域的に異質な分布パターンの証拠を提供し、これは提唱されている農耕関連のシナ・チベット語族話者人口集団の拡大に先行します［25、26］。<br /><br />　まとめると、これらの調査結果から、アジア東部の北方から南方への遺伝子流動は以前に報告されていたよりも前に起きたか、アジア東部北方人口集団と関連する系統が旧石器時代にアジア東部南西に存在していた、と示唆されます。更新世末には、貴州の石器インダストリーはおもに2種類に区分され、それは打撃技法によって特徴づけられる猫猫洞様式と、「小型剥片石器」によって区別される馬鞍山様式です。貴州における小型剥片石器伝統の発見は、南方への北方採食民の移動と関連している、と考えられましたが、代替的な仮説では、この技術の在来起源が提唱されました。本論文の新たな遺伝学的結果から、招果遺跡や大洞遺跡など小型剥片石器伝統と関連する古代の個体群は、アジア東部北方人と関連する遺伝的構成要素を有している、と明らかになります。これらの調査結果から、旧石器時代の貴州における小型剥片石器伝統は北方集団によってもたらされた、との仮説を裏づける遺伝学的証拠が初めて提供されます。<br /><br />　貴州地域は広大なカルスト地形によって特徴づけられます。この山がちな環境は、外部の人口集団の流入には地理的障壁として機能した可能性が高そうで、農耕に適した土地が限られていることによって、新石器時代農耕集団にとってさほど魅力的ではなかったかもしれません。考古学的証拠は、新石器時代の貴州において同時代の雲南地域よりも農耕慣行がさほど発達していなかったことを示唆しています。しかし、外部からの人口統計学的影響を制約するかもしれない山がちな地形にも関わらず、基底部アジア東部の興義_EN祖先系統は青銅器時代まで存続せず、この地域における後期新石器時代から青銅器時代への移行は顕著な人口変化によって特徴づけられていた、と示唆されます。<br /><br />　少なくとも1100年前頃以降、貴州地域と近隣の広西地域の古代の人口集団間の遺伝的相互作用が活発化し、沿岸部福建人口集団関連祖先系統が貴州で出現し始めました。歴史的記録から、北宋王朝末に向かって、宋政府は貴州を広西および大理王国との馬交易の中継拠点として使い始めた、と示されています。貴州および広西における馬交易は、これら2地域間の人口集団の移動と相互作用を促進した可能性が高そうです。貴州の松山遺跡の漢文化集団は、おもに黄河関連祖先系統を有していたものの、同時代の広西人口集団とは異なっていました［37、38］。対照的に、貴州の新たに配列決定されたミャオ・ヤオ人の動埋葬人口集団は、広西のチワン人の洞窟埋葬人口集団ではなく、歴史時代のミャオ・ヤオ人とまとまりました。これらのパターンから、モン・ミエン語族話者（ミャオ・ヤオ人）とクラ・ダイ語族話者（チワン人）の間の遺伝的分離は、貴州と広西の人口集団で維持されていた、と示唆されました。アジア南東部現代人の遺伝学的研究は、地理的孤立が異なる言語集団間の遺伝的分化の主因と示唆しましたが、本論文の新たな結果から、言語と分化の差異もアジア東部南西の歴史時代人口集団の遺伝的階層化の形成に大きな役割を果たしたかもしれない、と示唆されました。<br /><br /><br /><strong>●まとめ</strong><br /><br />　全体的に、本研究は過去12000年間にわたる貴州における古代人口集団の遺伝的歴史を調べ、いくつかの重要な問題に新たな知見を提供します。本論文の調査結果は、早くも12000年前頃にアジア東部南西において、アジア東部北方祖先系統と基底部アジア東部の興義_EN系統が共存していたことを明らかにします。本論文はさらに、貴州の小型剥片石器伝統を北方狩猟採集民の南方への移動と結びつける、最初の遺伝学的証拠を提供します。青銅器時代（4000～2000年前頃）までに、興義_EN関連祖先系統はアジア東部南西では置換され、もはや検出できなくなりました。歴史時代には、貴州人口集団と広西人口集団との間の相互作用が活発化したものの、言語特有の帰属によって依然として制約されており、ミャオ・ヤオ人集団とチワン人集団との間の遺伝的差異は、少なくとも500年前頃以降、この地域にはすでに存在していました。<br /><br /><br />参考文献：<br />Bai F. et al.(2026): Paleogenomics retraces the ancient population history of Southwestern East Asia for the past 12,000 years. National Science Review, 13, 17, nwag398.<br /><a href="https://doi.org/10.1093/nsr/nwag398" target="_blank">https://doi.org/10.1093/nsr/nwag398</a><br /><br />［1］Yang MA.(2022): A genetic history of migration, diversification, and admixture in Asia. Human Population Genetics and Genomics, 2, 1, 0001.<br /><a href="https://doi.org/10.47248/hpgg2202010001" target="_blank">https://doi.org/10.47248/hpgg2202010001</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202202article_11.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［5］Wang T. et al.(2025): Prehistoric genomes from Yunnan reveal ancestry related to Tibetans and Austroasiatic speakers. Science, 388, 6750, eadq9792.<br /><a href="https://doi.org/10.1126/science.adq9792" target="_blank">https://doi.org/10.1126/science.adq9792</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202506article_3.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［6］McColl H. et al.(2018): The prehistoric peopling of Southeast Asia. Science, 361, 6397, 88–92.<br /><a href="https://doi.org/10.1126/science.aat3628" target="_blank">https://doi.org/10.1126/science.aat3628</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/201807article_11.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［7］Yang MA. et al.(2017): 40,000-Year-Old Individual from Asia Provides Insight into Early Population Structure in Eurasia. Current Biology, 27, 20, 3202–3208.E19.<br /><a href="https://doi.org/10.1016/j.cub.2017.09.030" target="_blank">https://doi.org/10.1016/j.cub.2017.09.030</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/201710article_16.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［8］Mao X. et al.(2021): The deep population history of northern East Asia from the Late Pleistocene to the Holocene. Cell, 184, 12, 3256–3266.E13.<br /><a href="https://doi.org/10.1016/j.cell.2021.04.040" target="_blank">https://doi.org/10.1016/j.cell.2021.04.040</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202106article_1.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［9］Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.<br /><a href="https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2" target="_blank">https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202006article_3.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［10］Liu J. et al.(2025): East Asian Gene flow bridged by northern coastal populations over past 6000 years. Nature Communications, 16, 1322.<br /><a href="https://doi.org/10.1038/s41467-025-56555-w" target="_blank">https://doi.org/10.1038/s41467-025-56555-w</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202502article_6.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［11］Chen F. et al.(2015): Agriculture facilitated permanent human occupation of the Tibetan Plateau after 3600 BP. Science, 347, 6219, 248-250.<br /><a href="https://doi.org/10.1126/science.1259172" target="_blank">https://doi.org/10.1126/science.1259172</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/201411article_26.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［12］Wang H. et al.(2023): Human genetic history on the Tibetan Plateau in the past 5100 years. Science Advances, 9, 11, eadd5582.<br /><a href="https://doi.org/10.1126/sciadv.add5582" target="_blank">https://doi.org/10.1126/sciadv.add5582</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202303article_22.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［13］Liu CC. et al.(2022): Ancient genomes from the Himalayas illuminate the genetic history of Tibetans and their Tibeto-Burman speaking neighbors. Nature Communications, 13, 1203.<br /><a href="https://doi.org/10.1038/s41467-022-28827-2" target="_blank">https://doi.org/10.1038/s41467-022-28827-2</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202203article_18.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［14］Ding M.. et al.(2020): Ancient mitogenomes show plateau populations from last 5200 years partially contributed to present-day Tibetans. Proceedings of the Royal Society B, 287, 1923, 20192968.<br /><a href="https://doi.org/10.1098/rspb.2019.2968" target="_blank">https://doi.org/10.1098/rspb.2019.2968</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202005article_27.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［15］Lipson M. et al.(2018): Ancient genomes document multiple waves of migration in Southeast Asian prehistory. Science, 361, 6397, 92–95.<br /><a href="https://doi.org/10.1126/science.aat3188" target="_blank">https://doi.org/10.1126/science.aat3188</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/201805article_29.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［16］Wang T. et al.(2021): Human population history at the crossroads of East and Southeast Asia since 11,000 years ago. Cell, 184, 14, 3829–3841.E21.<br /><a href="https://doi.org/10.1016/j.cell.2021.05.018" target="_blank">https://doi.org/10.1016/j.cell.2021.05.018</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202106article_27.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［17］Yang MA. et al.(2020): Ancient DNA indicates human population shifts and admixture in northern and southern China. Science, 369, 6501, 282–288.<br /><a href="https://doi.org/10.1126/science.aba0909" target="_blank">https://doi.org/10.1126/science.aba0909</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202005article_26.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［19］Briggs AW. et al.(2007): Patterns of damage in genomic DNA sequences from a Neandertal. PNAS, 104, 37, 14616-14621.<br /><a href="https://doi.org/10.1073/pnas.0704665104" target="_blank">https://doi.org/10.1073/pnas.0704665104</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/200707article_24.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［22］Haak W. et al.(2015): Massive migration from the steppe was a source for Indo-European languages in Europe. Nature, 522, 7555, 207–211.<br /><a href="https://doi.org/10.1038/nature14317" target="_blank">https://doi.org/10.1038/nature14317</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/201506article_14.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［23］Fu Q. et al.(2015): An early modern human from Romania with a recent Neanderthal ancestor. Nature, 524, 7564, 216–219.<br /><a href="https://doi.org/10.1038/nature14558" target="_blank">https://doi.org/10.1038/nature14558</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/201506article_28.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［25］Sagart L. et al.(2019): Dated language phylogenies shed light on the ancestry of Sino-Tibetan. PNAS, 116, 21, 10317–10322.<br /><a href="https://doi.org/10.1073/pnas.1817972116" target="_blank">https://doi.org/10.1073/pnas.1817972116</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/201905article_12.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［26］Zhang M. et al.(2019): Phylogenetic evidence for Sino-Tibetan origin in northern China in the Late Neolithic. Nature, 569, 7754, 112–115.<br /><a href="https://doi.org/10.1038/s41586-019-1153-z" target="_blank">https://doi.org/10.1038/s41586-019-1153-z</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/201904article_37.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［37］Zhu K. et al.(2024): The demic diffusion of Han culture into the Yunnan-Guizhou plateau inferred from ancient genomes. National Science Review, 11, 12, nwae387.<br /><a href="https://doi.org/10.1093/nsr/nwae387" target="_blank">https://doi.org/10.1093/nsr/nwae387</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202504article_9.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><br /><br />［38］Wan W. et al.(2025): Ancient genomes in Southwest China revealed genetic interactions among diverse populations in the historical period. BMC Biology, 23:174.<br /><a href="https://doi.org/10.1186/s12915-025-02299-4" target="_blank">https://doi.org/10.1186/s12915-025-02299-4</a><br /><a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202507article_6.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a><a name="more"></a>

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<title>北野隆一『側近が見た昭和天皇　天皇の言動でたどる昭和史』</title>
<description>　幻冬舎新書の一冊として、幻冬舎から2025年7月に刊行されました。電子書籍での購入です。以下、敬称は省略します。著者は歴史学を専攻したわけではないようで、その点に不安はありましたが、田島道治「拝謁記」や「百武三郎日記」などが取り上げられており、昭和天皇の側近の証言集としては有益なのではないか、と期待して読みました。ただ、本書は単なる証言集ではなく、当時の組織や政治制度や政治状況の解説もあり、新書として配慮された構成になっていると思います。以下、興味深い証言や見解を備忘録とし..</description>
<dc:subject>読書</dc:subject>
<dc:creator>雑記帳</dc:creator>
<dc:date>2026-09-26T09:14:44+09:00</dc:date>
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　幻冬舎新書の一冊として、幻冬舎から2025年7月に刊行されました。電子書籍での購入です。以下、敬称は省略します。著者は歴史学を専攻したわけではないようで、その点に不安はありましたが、田島道治「拝謁記」や「百武三郎日記」などが取り上げられており、昭和天皇の側近の証言集としては有益なのではないか、と期待して読みました。ただ、本書は単なる証言集ではなく、当時の組織や政治制度や政治状況の解説もあり、新書として配慮された構成になっていると思います。以下、興味深い証言や見解を備忘録として取り上げます。<br /><br />　宇垣一成が組閣に失敗したさいに、百武三郎は辞職してまで天皇の大権を守ろうと思い詰め、宇垣内閣待望論を説いていますが、昭和天皇は宇垣をあまり評価していなかった、との見解もあり、「この様な人は総理大臣にしてはならぬと思ふ」と述べたそうです。この百武の激情を見た宮中の実務官僚は、百武への政治情報提供の抑制を申し合わせ、百武は政治に関与しなくなった、と言われていました。ただ、「百武三郎日記」によると、百武は木戸幸一内大臣と政治情勢や天皇の発言について、活発に情報を交換していたようです。また百武は、盧溝橋事件後の日中和平交渉の試みの一つである「船津工作」にも関わっています。<br /><br />　日中戦争が長期化する中で、日米関係は悪化していき、百武は昭和天皇の疲弊を感じ取ります。昭和天皇は外相の松岡洋右にたいへん不満を抱いていたようで、松岡が外相を更迭された（第二次近衛内閣が総辞職し、外相だけ交代させて、第三次近衛内閣が発足）さいには、百武が見たところ、昭和天皇の表情はすっきりしていたそうです。しかし、その直後の南部仏印進駐によって日米関係は大きく悪化し、昭和天皇は心労が重なっているように百武には見えたようです。昭和天皇は、1941年9月頃までは対米開戦に慎重な姿勢を示し続けたようですが、同年10月には対米開戦への覚悟を強めていったようで、それと関連してか、百武が見るところ、昭和天皇の表情は明るくなったそうです。対米開戦直後の戦果に、昭和天皇は上機嫌だったようです。<br /><br />　坪島文雄は1941年9月から1945年4月まで侍従武官を務め、その日記は2021年11月に遺族から国会図書館へ寄贈され、「昭和天皇実録」の典拠資料にはありません。侍従武官は、軍の報告を天皇に取り次ぎ、天皇の意向を軍に伝達する役割でした。坪島文雄の日記からは、太平洋戦争勃発後しばらくは、軍からの戦況奏上は詳しかったものの、1943年春頃からは、薄い内容になっていったことが窺えるそうです。坪島は、1945年2月には、日本敗戦を覚悟していたようで、坪島の日記によると、昭和天皇も1944年春には戦後のことをかなり気にしていたようです。<br /><br />　戦後の昭和天皇は、戦争責任を記者に問われて、「言葉のアヤ」と言って返答を拒否したことや、広島への原爆投下について「やむを得ないこと」と答えたことが批判されました。この頃侍従を務めていた小林忍は、昭和天皇が「御自信を失っておられる」と日記に書いています。田島道治の「拝謁記」には、昭和天皇の生の感情が垣間見えて興味深いものの、公開すべきではなかった、と反発する人も多そうです。田島道治の「拝謁記」については、当ブログで以前に原武史『象徴天皇の実像　「昭和天皇拝謁記」を読む』（<a href="https://sicambre.seesaa.net/article/202411article_23.html"><span style=color:#e00>関連記事</span></a>）を取り上げました。<a name="more"></a>

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