唐代支配層のゲノム
唐代の支配層のゲノムデータを報告した研究(Wang et al., 2026)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、モンゴル南東部の農牧移行帯に位置する遺跡で発見された支配層の墓に葬られた38個体のゲノムデータを報告し、碑文も活用して家系図を再構築しています。当時、この地域は唐の支配下にあり、唐と他勢力との境界に近く、ユーラシア西方社会からの影響も想定されます。この支配層は女性族外婚の父系構造で、ユーラシア西部関連の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有する女性が、この地域の支配層に嫁いでいたようです。ただ、父系制とはいっても、娘婿も時に葬られており、柔軟な運用だったようです。また、婚姻戦略の変化も見られ、ユーラシア西部関連祖先系統を有する女性との間に生まれた男系子孫は、地元のアジア東部関連祖先系統を有する女性と結婚するようになります。
以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、PC1(first principal component、第一主成分)、PC2(second principal component、第一主成分)、K(系統構成要素数)、cM(centimorgan、センチモルガン)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、SG(Shotgun sequencing、ショットガン配列決定)、N(nitrogen、窒素)です。以下の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、LBIA(Late Bronze Age to Iron Age、後期青銅器時代~鉄器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)です。
本論文で取り上げられる主要な歴史用語は、羈縻制度(jimi system)、屯田(agricultural garrison、tun tian、tuntian)、磚室墓(brick-chambered tomb)、開元通宝(Kaiyuan Tongbao)、胡化(Huhua)、絹の道(Silk Road、シルクロード)です。本論文で取り上げられる主要な勢力および人名は、胡人(Hu people)、突厥(Tujue)、ウイグル帝国(Huige、回鶻)、ソグド人(Sogdian、粟特)、アラン人(Alan)、張俊(Zhang Jun)、陳崇順(Chen Chongshun)、陳行彬(Chen Hangbin)、陳素(Chen Su)、陳?(Chen Jun、名前が損傷しており、解読できませんでした)です。本論文で取り上げられる主要な文化は、アファナシェヴォ(Afanasievo)文化、スルブナヤ(Srubnaya、Zrubna、ズルブナ)文化です。本論文で取り上げられる主要な遺跡と地域は、中華人民共和国陝西省の長安(Chang’an)、(現在は中華人民共和国の支配下にあり行政区分では内モンゴル自治区とされている)モンゴル南部の脳包湾(Naobaowan)墓群です。
●要約
唐王朝(618~907年)では、北方辺境地帯沿いに広範なユーラシアを横断した交流がありましたが、家族単位内におけるこの統合を媒介した社会的機序は依然として分かりにくくなっています。本論文は、モンゴル南部の農牧移行地帯に位置する、脳包湾墓地(713~739年)で発見された支配層氏族の38個体から得られたゲノム規模データを提示します。ゲノムおよび碑文の証拠を用いての多世代にわたる家系再構築から、YHg-O2a2b1a1a1a2aによって定義される父系構造が明らかになり、これには女性族外婚の体系的な慣行が伴い、それによって、高い割合のユーラシア西部草原地帯祖先系統を有する女性が中核系統に嫁ぎました。これらの女性は、その夫および子供とともに、在来の中原磚室墓慣行に従って埋葬されました。家系図全体でこれらの民族間の結婚を追跡すると、結婚戦略における変化が浮き彫りになり、それは、その後の世代の混合した男性子孫が一貫して、地元のアジア東部の女性と結婚していたからです。父系原則が氏族の社会組織を形成しましたが、目立つ墓に娘婿(張俊)が埋葬されていたことは、支配層の婚姻同盟における柔軟性を示しています。本論文の調査結果は、おもに父系の親族関係制度がどのように戦略的に女性族外婚および婚姻の柔軟性を採用していたのか、論証し、唐の辺境における遺伝的交流および文化的相互作用に関する家族単位の視点を提供します。
●研究史
モンゴル南部の中南部の農耕牧畜移行帯は長く、ユーラシアをまたぐ人口集団の相互作用と文化的交流の動的な地域でした。これら双方向の動態は、帝国の拡大と絹の道の反映によって促進され、唐王朝(618~907年)に最盛期を迎えました。軍事および農耕の植民(屯田)や降伏した部族を統治する羈縻制度下の県や州の設置など唐帝国の政策は、この地域へと中原の農耕慣行および人口を組織的にもたらしました。同時に、これらの政策は、突厥や回鶻やソグド人など多様な遊牧民集団(大まかに胡人と呼ばれます)の定住と統合を促進し、複雑な多民族社会の景観を形成しました。この根本的な人口統計学的変化は活気に満ちた混合経済を生み出し、そこでは雑穀農耕が畜産と共存しており、文化的か違法性が育まれ、唐帝国の首都である長安における胡化(外来の影響を受けること)慣行の広範な流行が有名です。最近の考古遺伝学的研究は、ユーラシアにまたがる相互作用のこの歴史的な言説について直接的な生物学的証拠を提供し始めました[10~12]。これらの交流の遺伝的遺産は今や、さまざまな唐代人口集団で可視化されており、ユーラシア西部祖先系統の個体が河西回廊の辺境駐屯地[13]から中原の中心部[14、15]までにまたがる遺跡で確認されています。これらの調査結果から、東西の人口集団の混合は絹の道時代の明白な結果だった、と決定的に確証されましたが、これらの相互作用を媒介した微細規模での社会的機序は依然として分かりにくくなっています。
これらの問題に取り組むために、モンゴル南部の農牧移行帯に位置する、支配層の陳氏と関連する多世代にわたる埋葬地である、脳包湾墓地(713~739年)の古ゲノム研究が実行されました(図1)。人口集団水準の分析から個体水準の家系図の再構築に移行することによって本論文は、ゲノムおよび歴史的証拠で報告されている生物学的近縁性と民族間の結婚が、唐の辺境において遺伝的混合および文化的相互作用のパターンにどのように寄与したのかについて、事例研究を提供します。以下は本論文の図1です。
●唐王朝の古脳包湾墓地の古代ゲノム規模データ
ショットガン配列決定と溶液内混合捕獲の組み合わせを用いて、発掘された38個体から古代DNAデータが生成されました。すべてのライブラリは古代DNAの損傷パターンおよび低い割合(5%未満)の現代人の汚染を示しました。各読み取りの末端の8塩基対の除去後に、下流分析で平均541932ヶ所のSNPを網羅する38個体の高品質な遺伝子型データが得られました。遺伝学的性別は性染色体の被覆度の比率を用いて判断され、18個体が男性、20個体が女性と分類されました。片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアと父系のY染色体)の分析から、母系と父系との間の顕著な対照性が明らかになりました。ほとんどの男性個体(18個体のうち13個体)は同じYHg-O2a2b1a1a1a2aに分類され、これは共通の陳氏の祖先の子孫であることと一致します。逆に、母系のハプロタイプは高度に多様で、B4やD4やG1などアジア東部で一般的な系統が含まれます。注目すべきことに、ユーラシア西部人口集団において高頻度で通常は見られる系統である、mtHg-H5a1を有する2個体が確認されました。Y染色体の低い多様性とmtDNAの高い多様性のこのパターンは、陳氏における父系親族関係制度の明確な証拠を提供します。ROHの分析から、4cM超のROHを有するのは8個体のみで、ほとんどは短い4~8cMの断片で、20cM超のROHを示した個体はいなかった、と明らかになり、近い過去の近親婚もしくは体系的に両親の近縁性が高かった証拠は提供されません。
●陳氏の家系図のゲノム再構築
氏族の家系図を再構築するために、アレル(対立遺伝子)共有およびIBDに基づく手法を用いて、遺伝的近縁性が体系的に評価されました。主要な参照としてKIN分類を用いて、合計で30組の1親等の関係(5組のキョウダイと25組の親子)と19組の2親等の関係と7組の3親等の関係が堅牢に検出されました(図2C)。片親性遺伝標識や時間的文脈や遺伝学的性別とともに、信頼性の高い1親等および2親等の親族関係に基づいて、脳包湾墓地内の主要な3父系と5家族単位から構成される拡張家系図が再構築されました。以下は本論文の図2です。
YHg-O2a2b1a1a1a2aによって定義される主要な父系は陳氏の中核を形成し、相互につながった3家族単位を含んでいます。この系統内で、男性個体M13aと女性個体M13bの子孫である、4世代の核家族が再構築されました(黄色で強調)。親族関係分析は、M4とM5aをM13aの孫息子と位置づけ、これは陳?(Chen Jun)および陳行彬と記した碑銘によって裏づけられる関係です。さらに2家族集団がこの同じ父系に属しており(赤褐色および薄茶色で表示)、個体M12c(M13aの2親等の親族)によって形成される2世代の家族と、M16aおよびM18bの兄弟(M12cの2親等の親族)の家族です(図2A)。空間的には、これら3中核家族は墓地の中心部を占めており、陳氏における中心的地位を反映しています(図2B)。
他の2父系は個体M9a(張俊)のYHg-O1a1a1a1a∗と個体M20a(陳素)のO2a1b1a2a2a1b1によって表され、それぞれより小さな2世代の家族単位を形成しています(それぞれ青色と緑色で示されています)。個体M20a(陳素)は陳氏を名乗っていますが、その父系は中核陳氏家系とは異なり、他の陳氏との親族関係のつながりは検出されませんでした。したがって、個体M20aが陳氏族に属しているのかどうかは、依然として不明です。対照的に、個体M9a(張俊)の妻と推定される個体M9bは個体M13aと2親等の親族関係を共有しており、碑銘は陳氏家系の娘婿として張俊を明記しており、張俊が陳氏族に属している、と確証されます。墓地の配置の観点では、これら追加の2父系は埋葬地の両側に位置しており、各親族集団の構成員は近接して埋葬されています(図2B)。これら充分に定義された構造以外に、孤立した埋葬の3個体は主要な家系図に完全には統合できず、個体M3は兄弟であるM16aおよびM18bと2親等の親族関係を共有しており、個体M15は女性個体M5cの2親等の親族で、分析された脳包湾墓地個体群には、個体M17の遺伝的親族は検出されませんでした(図2A)。
再構築された親族関係網は、男性と男性(34組)および男性と女性(17組)の遺伝的つながりが大半です。ひじょうに対照的に、女性間の密接な関係(7組)は比較的稀です(図2C)。この性別の偏った親族関係パターンは、この支配層系統に特徴的な一貫した生物学的構造を明らかにします。墓地全体で観察された高いミトコンドリア多様性と合わせると、このパターンは体系的な女性族外婚によって維持された父系親族関係制度をさらに裏づけます。
世帯単位では、共通の子供がいる成人の男女の組み合わせは一貫してともに埋葬されており、夫婦の共同埋葬との考古学的推定と一致します(図2)。しかし、子供の埋葬の扱いはより柔軟で、二つの異なるパターンが論証され、一部の子供はM16号墓によって例証されるように両親の墓に埋葬されましたが、他の子供は、M9およびM8およびM10号墓で観察されるように、別ではあるものの隣接する墓に埋葬されました。共通の墓内で遺伝的に親族関係にない個体も特定され(たとえば、M12bとM14c)、埋葬単位は密接な生物学的親族のみで構成されていたわけではなく、社会的もしくは姻戚関係といった他の形態も組み込んでいたかもしれない、と示唆されます。
●唐の辺境における民族間の結婚と文化的相互作用
PCAは脳包湾共同体内の大きな遺伝的異質性を明らかにしており、個体群はアジア東部人口集団とユーラシア西部人口集団にまたがる勾配沿いに分布しています(図3A)。ほとんどの個体は黄河流域の後期新石器時代およびその後の雑穀農耕人口集団(たとえば、黄河_LN、黄河_LBIA)と密接にクラスタ化しました(まとまりました)。対照的に、女性3個体(M13b、M18a、M10b)は明確に古代ユーラシア草原地帯人口集団(たとえば、ロシア_アファナシェヴォ、ロシア_アラン人.SG)の方へと動いていました。K=5では、ADMIXTURE分析は一貫したパターンを示し(補足図6A)、黄河関連構成要素(黄色)はほとんどの脳包湾墓地個体で多く、ユーラシア西部関連構成要素(緑色)は個体M13bとM18aと10bで高い割合に達しました。これらの祖先系統構成要素はPCAの差異(補足図6B)と強く相関しており、ユーラシア西部関連構成要素はPC1と強い正の相関を、PC2と負の相関を示したのに対して、黄河関連構成要素は逆のパターンを示しました。以下は本論文の図3です。
脳包湾共同体の詳細な遺伝的構造を解明するためにまず、参照として選択された代表的に古代ユーラシア東部人口集団を用いて、外群f₃統計クラスタ化(まとまること)が採用されました。視覚図は明確な二分を明らかにし、脳包湾墓地個体群の大半が古代黄河雑穀農耕民(たとえば、黄河_LBIA)と緊密にまとまったのに対して、異なる部分集合(個体M13bとM18aが含まれます)は古代ユーラシア草原地帯人口集団とクラスタを形成します。この類似性は最大のf₃値によってさらに裏づけられ、これら特定の個体が古代ユーラシア西部関連系統(たとえば、ロシア_アファナシェヴォ、ロシア_スルブナヤ)やユーラシア西部の現代の人口集団(たとえば、アイスランド人、リトアニア人、ヴェプス人)と最高の遺伝的浮動を共有している、と明らかになります。この外来の遺伝子流動について形式的に検証するために、のf₄(ムブティ人、参照;脳包湾個体群、黄河_LBIA)が計算されました。ほとんどの脳包湾墓地個体は黄河参照集団とクレード(単系統群)を形成したのに対して(図3d)、草原地帯へと動いていた個体群(たとえば、個体M13bとM18a)は、参照人口集団がユーラシア西部牧畜民の場合、有意に負のZ得点を示します。これによって、これらの個体が在来の黄河集団の基準と比較して、草原地帯集団と余分なアレルを共有している、と確証されます。この異質性をさらに評価するために、対でのqpWave分析が実行されました。ほとんどの個体の組み合わせは類似の祖先系統特性と同等でしたが、草原地帯へと動いていた女性、とくに個体M13bとM18aを含む比較は頻繁に却下され、脳包湾墓地人口集団内の検出可能な異質性がさらに裏づけられます。まとめると、脳包湾共同体は中核的な黄河由来系統とユーラシア草原地帯祖先系統を有する女性の統合の両方によって、構成されていました。
これらの祖先系統特性を再構築された家系図と統合することによって、世代間のこれら異なる祖先系統の継承を直接的に追跡できます。最も明確な事例には、高い割合のユーラシア西部関連祖先系統を有する個体M13bと、ともに中核的な4世代の系統を築いた在来のアジア東部男性である個体M13aが含まれます。その息子の個体M14aは、PCA上では両親の中間的位置を占めており、第1世代の混合であることと一致します(図3B)。その後の世代で示されるのは、混合した男性子孫が繰り返し在来のアジア東部女性と結婚したため、ユーラシア西部祖先系統が次第に減少することです。
次に、qpAdmを用いて、さまざまな父系にわたる個体の特定の祖先系統の割合がモデル化されました(図3C)。その結果、ユーラシア西部祖先系統は中核的な陳氏の父系の決定的特徴と明らかになります。女性3個体(M13b、M18aもM10b)は、きわめて高い割合のユーラシア西部関連祖先系統(76.2~93.4%)を有していました。個体M13bのすべての男性子孫(M14a、M14dもM4aもM5a、M6a、M7a)は2方向混合としてモデル化に成功し、その祖先系統の9.1~50.1%はユーラシア西部関連供給源に、残りの祖先系統は在来のアジア東部供給源に由来します。個体M12cおよびM18aおよびM16bと関連する家族集団も、ユーラシア西部関連供給源とアジア東部関連供給源の2方向混合としてモデル化できますが、ユーラシア西部構成要素の割合は一貫してより低く、その範囲は4.8~24%です。一方で、個体M9aおよびM20aによって築かれた他の2父系は、圧倒的に高い割合(90%超)のアジア東部関連祖先系統を示します。これらの結果から、民族間の結婚は中核的な陳氏系統の出現に創出的な役割を果たしたのに対して、その後の混合男性の子孫の世代は一貫して、在来のアジア東部関連人口集団の女性と結婚した、と示唆されます。結果として、それ以前の民族間の結婚によってもたらされたユーラシア西部関連祖先系統は、世代を経ると次第に減少しました。
重要なことに、かなりのユーラシア西部関連祖先系統を有する女性は、陳氏の社会的および埋葬構造に完全に組み込まれていました。個体M13bおよびM18aなどの個体は、他の陳氏の構成員のような同じ磚室墓伝統を用いた中核的な家族墓地内に埋葬されており、その夫および子孫とともに埋葬されました。その後、そうした個体の子孫は墓地の継続的な空間的および系譜的拡大に関わりました。これらのパターンから、唐の辺境における民族間の結婚は遺伝的混合のみならず、女性の在来の親族関係制度および埋葬伝統への統合も含んでいた、と示唆されます。
まとめると、遺伝学と考古学と放射性炭素と碑銘の総合から、唐王朝期(618~907年)における、黄河関連人口集団とユーラシア西部関連人口集団との間の持続的な相互作用によって形成された、多世代にわたる系統が明らかになります。脳包湾墓地は、一時的な移動性を反映しているだけではなく、民族間の結婚やふけいの連続性や共有された埋葬慣行が、唐の辺境において、遺伝的混合や社会的統合や文化的相互作用のパターンをどのように形成したのかについて、家族単位の記録を保存しています。
●考察
脳包湾墓地の38個体に関する本論文のゲノム分析によって、陳氏における家族関係の最初の直接的な再構築が可能となり、唐王朝の支配層系統内の社会的組織に関する高解像度の視点が提供されます。陳氏は強い父系制を中心に較正され、それは中核的な3家系にわたって共有されているY染色体系統(O2a2b1a1a1a2a)がほぼ均一であることに反映されています(図2A)。同時に、高度に多様な母系と密接な女性同士の親族関係の少なさは、組織的な女性族外婚を示唆しており、それによって、女性は一貫して外部集団の氏族から陳氏へと嫁ぎました。これらのパターンから、系統の存続は、婚姻同盟によって外部の女性を取り込みながら、安定した父系的中核を維持することに依存していた、と示唆され、これは、羈縻制度下で統治されている多民族的な辺境の環境において、局所的権威を強化するのにも役立ったかもしれません。しかし、異なる父系を有するにも関わらず、墓地内に目立って埋葬された娘婿である、張俊(M9a)などの個体が含まれることから、この社会的構造は姻戚関係の取り込みによって柔軟性を保っていた、とさらに示唆されます。
再構築された家系図は、親族組織が墓地の空間的構造をどのように形成したのかについても、明らかにします。遺伝的に関連する家系は墓地の中心部を占めていたのに対して、周縁的な系統は端の方へと位置しており(図2B)、これは時系列での墓地拡大に関する碑銘に基づく再構築と一致します。夫婦の共同埋葬が多いことと合わせると、これらの調査結果から、墓地は系図の連続性は世帯組織の両方を埋葬空間によって符号化していた、と論証されます。特定の墓における遺伝的に親族関係のない個体の存在から、埋葬単位は密接な生物学的親族のみで構成されているわけではなく、社会的もしくは姻戚関係のより広範な形態でつながっていた個体も取り込んでいたかもしれない、とさらに示唆されます。たとえば、主要な男性被葬者に対する個体M14cの埋葬位置は、世帯内の異なる社会的役割を示唆している可能性があり、唐社会における歴史的に記録されている二次的な姻戚関係と一致するかもしれません。興味深いことに、墓地から以前に報告された安定同位体データは、世帯構造における内部の差異をさらに示唆しています。個体M14cは、主要系統との密接な遺伝的親族関係がないにも関わらず、ほとんどの他の個体と比較して高いδ¹⁵N値を示しており、これは動物由来の食料をより多く消費していたことと一致します。このパターンの社会的意義は依然として不明ですが、同位体と葬儀と遺伝的な証拠の組み合わせから、埋葬単位の構成員は密接な生物学的親族に厳格には限られていなかった、と示唆されます。
この父系制度の際立った特徴は、ユーラシア西部草原地帯祖先系統を有する女性の、中核的な陳氏家系への取り込みです。これらの女性は周縁的な集団ではなく主要な父系に統合されたので、これらの結婚が孤立した人口統計学的事象を表している可能性は低そうです。陳氏の支配層の地位を考えると、これらの結婚は唐の辺境の複雑な多民族的景観における戦略的同盟を表している可能性が高く、そこでは、親族関係の結びつきが局所的な権威や政治的関係や社会的交流網の強化を促進したかもしれません。
重要なことに、これら民族間の結婚には遺伝的混合と社会的統合の両方が伴っていました。M13bなどの女性の子孫が継承したのは世代ごとに減少した割合のユーラシア西部関連祖先系統で、それは、混合男性の子孫が繰り返し在来のアジア東部関連女性と結婚したからです。同時に、これら外来の女性は他の氏族構成員と同じ磚室墓を用いて埋葬され、中核的な墓地構造内にその夫および子孫とともに埋葬されました。その後、子孫はこの系統の墓地の継続的な空間拡大に関わりました。まとめると、これらのパターンから、唐の辺境における民族間の結婚には、生物学的混合のみならず、在来の親族関係制度および埋葬伝統への統合も伴っていた、と示唆されます。
脳包湾墓地は単一の支配層系統を表しており、より広範な人口動態を反映していないかもしれませんが、唐の辺境沿いの文化的相互作用の根底にある機序について、希少な家族単位の視点を提供します。本論文の調査結果は、ユーラシアにまたがる交流を単に大規模な人口移動とみなすのではなく、親族関係網や結婚戦略や埋葬慣行が、支配層の辺境共同体における長期の遺伝的および文化的相互作用をどのように総合的に媒介していたのか、論証します。
参考文献:
Wang Y. et al.(2026): Genomic signatures of female exogamy and cultural interaction in a Tang Dynasty patrilineal clan. Current Biology, 36, 16, 4208–4215.E6.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2026.06.086
[10]Jeong C. et al.(2020): A Dynamic 6,000-Year Genetic History of Eurasia’s Eastern Steppe. Cell, 183, 4, 890–904.E29.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.10.015
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[11]Wang CC. et al.(2021): Genomic insights into the formation of human populations in East Asia. Nature, 591, 7850, 413–419.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03336-2
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[12]Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
関連記事
[13]Xiong J. et al.(2024): Inferring the demographic history of Hexi Corridor over the past two millennia from ancient genomes. Science Bulletin, 69, 5, 606-611.
https://doi.org/10.1016/j.scib.2023.12.031
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[14]Wang R. et al.(2025): East and West admixture in eastern China of Tang Dynasty inferred from ancient human genomes. Communications Biology, 8, 219.
https://doi.org/10.1038/s42003-025-07665-0
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[15]Lv M. et al.(2024): Ancient genomes from the Tang Dynasty capital reveal the genetic legacy of trans-Eurasian communication at the eastern end of Silk Road. BMC Biology, 22:267.
https://doi.org/10.1186/s12915-024-02068-9
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以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、PC1(first principal component、第一主成分)、PC2(second principal component、第一主成分)、K(系統構成要素数)、cM(centimorgan、センチモルガン)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、SG(Shotgun sequencing、ショットガン配列決定)、N(nitrogen、窒素)です。以下の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、LBIA(Late Bronze Age to Iron Age、後期青銅器時代~鉄器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)です。
本論文で取り上げられる主要な歴史用語は、羈縻制度(jimi system)、屯田(agricultural garrison、tun tian、tuntian)、磚室墓(brick-chambered tomb)、開元通宝(Kaiyuan Tongbao)、胡化(Huhua)、絹の道(Silk Road、シルクロード)です。本論文で取り上げられる主要な勢力および人名は、胡人(Hu people)、突厥(Tujue)、ウイグル帝国(Huige、回鶻)、ソグド人(Sogdian、粟特)、アラン人(Alan)、張俊(Zhang Jun)、陳崇順(Chen Chongshun)、陳行彬(Chen Hangbin)、陳素(Chen Su)、陳?(Chen Jun、名前が損傷しており、解読できませんでした)です。本論文で取り上げられる主要な文化は、アファナシェヴォ(Afanasievo)文化、スルブナヤ(Srubnaya、Zrubna、ズルブナ)文化です。本論文で取り上げられる主要な遺跡と地域は、中華人民共和国陝西省の長安(Chang’an)、(現在は中華人民共和国の支配下にあり行政区分では内モンゴル自治区とされている)モンゴル南部の脳包湾(Naobaowan)墓群です。
●要約
唐王朝(618~907年)では、北方辺境地帯沿いに広範なユーラシアを横断した交流がありましたが、家族単位内におけるこの統合を媒介した社会的機序は依然として分かりにくくなっています。本論文は、モンゴル南部の農牧移行地帯に位置する、脳包湾墓地(713~739年)で発見された支配層氏族の38個体から得られたゲノム規模データを提示します。ゲノムおよび碑文の証拠を用いての多世代にわたる家系再構築から、YHg-O2a2b1a1a1a2aによって定義される父系構造が明らかになり、これには女性族外婚の体系的な慣行が伴い、それによって、高い割合のユーラシア西部草原地帯祖先系統を有する女性が中核系統に嫁ぎました。これらの女性は、その夫および子供とともに、在来の中原磚室墓慣行に従って埋葬されました。家系図全体でこれらの民族間の結婚を追跡すると、結婚戦略における変化が浮き彫りになり、それは、その後の世代の混合した男性子孫が一貫して、地元のアジア東部の女性と結婚していたからです。父系原則が氏族の社会組織を形成しましたが、目立つ墓に娘婿(張俊)が埋葬されていたことは、支配層の婚姻同盟における柔軟性を示しています。本論文の調査結果は、おもに父系の親族関係制度がどのように戦略的に女性族外婚および婚姻の柔軟性を採用していたのか、論証し、唐の辺境における遺伝的交流および文化的相互作用に関する家族単位の視点を提供します。
●研究史
モンゴル南部の中南部の農耕牧畜移行帯は長く、ユーラシアをまたぐ人口集団の相互作用と文化的交流の動的な地域でした。これら双方向の動態は、帝国の拡大と絹の道の反映によって促進され、唐王朝(618~907年)に最盛期を迎えました。軍事および農耕の植民(屯田)や降伏した部族を統治する羈縻制度下の県や州の設置など唐帝国の政策は、この地域へと中原の農耕慣行および人口を組織的にもたらしました。同時に、これらの政策は、突厥や回鶻やソグド人など多様な遊牧民集団(大まかに胡人と呼ばれます)の定住と統合を促進し、複雑な多民族社会の景観を形成しました。この根本的な人口統計学的変化は活気に満ちた混合経済を生み出し、そこでは雑穀農耕が畜産と共存しており、文化的か違法性が育まれ、唐帝国の首都である長安における胡化(外来の影響を受けること)慣行の広範な流行が有名です。最近の考古遺伝学的研究は、ユーラシアにまたがる相互作用のこの歴史的な言説について直接的な生物学的証拠を提供し始めました[10~12]。これらの交流の遺伝的遺産は今や、さまざまな唐代人口集団で可視化されており、ユーラシア西部祖先系統の個体が河西回廊の辺境駐屯地[13]から中原の中心部[14、15]までにまたがる遺跡で確認されています。これらの調査結果から、東西の人口集団の混合は絹の道時代の明白な結果だった、と決定的に確証されましたが、これらの相互作用を媒介した微細規模での社会的機序は依然として分かりにくくなっています。
これらの問題に取り組むために、モンゴル南部の農牧移行帯に位置する、支配層の陳氏と関連する多世代にわたる埋葬地である、脳包湾墓地(713~739年)の古ゲノム研究が実行されました(図1)。人口集団水準の分析から個体水準の家系図の再構築に移行することによって本論文は、ゲノムおよび歴史的証拠で報告されている生物学的近縁性と民族間の結婚が、唐の辺境において遺伝的混合および文化的相互作用のパターンにどのように寄与したのかについて、事例研究を提供します。以下は本論文の図1です。
●唐王朝の古脳包湾墓地の古代ゲノム規模データ
ショットガン配列決定と溶液内混合捕獲の組み合わせを用いて、発掘された38個体から古代DNAデータが生成されました。すべてのライブラリは古代DNAの損傷パターンおよび低い割合(5%未満)の現代人の汚染を示しました。各読み取りの末端の8塩基対の除去後に、下流分析で平均541932ヶ所のSNPを網羅する38個体の高品質な遺伝子型データが得られました。遺伝学的性別は性染色体の被覆度の比率を用いて判断され、18個体が男性、20個体が女性と分類されました。片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアと父系のY染色体)の分析から、母系と父系との間の顕著な対照性が明らかになりました。ほとんどの男性個体(18個体のうち13個体)は同じYHg-O2a2b1a1a1a2aに分類され、これは共通の陳氏の祖先の子孫であることと一致します。逆に、母系のハプロタイプは高度に多様で、B4やD4やG1などアジア東部で一般的な系統が含まれます。注目すべきことに、ユーラシア西部人口集団において高頻度で通常は見られる系統である、mtHg-H5a1を有する2個体が確認されました。Y染色体の低い多様性とmtDNAの高い多様性のこのパターンは、陳氏における父系親族関係制度の明確な証拠を提供します。ROHの分析から、4cM超のROHを有するのは8個体のみで、ほとんどは短い4~8cMの断片で、20cM超のROHを示した個体はいなかった、と明らかになり、近い過去の近親婚もしくは体系的に両親の近縁性が高かった証拠は提供されません。
●陳氏の家系図のゲノム再構築
氏族の家系図を再構築するために、アレル(対立遺伝子)共有およびIBDに基づく手法を用いて、遺伝的近縁性が体系的に評価されました。主要な参照としてKIN分類を用いて、合計で30組の1親等の関係(5組のキョウダイと25組の親子)と19組の2親等の関係と7組の3親等の関係が堅牢に検出されました(図2C)。片親性遺伝標識や時間的文脈や遺伝学的性別とともに、信頼性の高い1親等および2親等の親族関係に基づいて、脳包湾墓地内の主要な3父系と5家族単位から構成される拡張家系図が再構築されました。以下は本論文の図2です。
YHg-O2a2b1a1a1a2aによって定義される主要な父系は陳氏の中核を形成し、相互につながった3家族単位を含んでいます。この系統内で、男性個体M13aと女性個体M13bの子孫である、4世代の核家族が再構築されました(黄色で強調)。親族関係分析は、M4とM5aをM13aの孫息子と位置づけ、これは陳?(Chen Jun)および陳行彬と記した碑銘によって裏づけられる関係です。さらに2家族集団がこの同じ父系に属しており(赤褐色および薄茶色で表示)、個体M12c(M13aの2親等の親族)によって形成される2世代の家族と、M16aおよびM18bの兄弟(M12cの2親等の親族)の家族です(図2A)。空間的には、これら3中核家族は墓地の中心部を占めており、陳氏における中心的地位を反映しています(図2B)。
他の2父系は個体M9a(張俊)のYHg-O1a1a1a1a∗と個体M20a(陳素)のO2a1b1a2a2a1b1によって表され、それぞれより小さな2世代の家族単位を形成しています(それぞれ青色と緑色で示されています)。個体M20a(陳素)は陳氏を名乗っていますが、その父系は中核陳氏家系とは異なり、他の陳氏との親族関係のつながりは検出されませんでした。したがって、個体M20aが陳氏族に属しているのかどうかは、依然として不明です。対照的に、個体M9a(張俊)の妻と推定される個体M9bは個体M13aと2親等の親族関係を共有しており、碑銘は陳氏家系の娘婿として張俊を明記しており、張俊が陳氏族に属している、と確証されます。墓地の配置の観点では、これら追加の2父系は埋葬地の両側に位置しており、各親族集団の構成員は近接して埋葬されています(図2B)。これら充分に定義された構造以外に、孤立した埋葬の3個体は主要な家系図に完全には統合できず、個体M3は兄弟であるM16aおよびM18bと2親等の親族関係を共有しており、個体M15は女性個体M5cの2親等の親族で、分析された脳包湾墓地個体群には、個体M17の遺伝的親族は検出されませんでした(図2A)。
再構築された親族関係網は、男性と男性(34組)および男性と女性(17組)の遺伝的つながりが大半です。ひじょうに対照的に、女性間の密接な関係(7組)は比較的稀です(図2C)。この性別の偏った親族関係パターンは、この支配層系統に特徴的な一貫した生物学的構造を明らかにします。墓地全体で観察された高いミトコンドリア多様性と合わせると、このパターンは体系的な女性族外婚によって維持された父系親族関係制度をさらに裏づけます。
世帯単位では、共通の子供がいる成人の男女の組み合わせは一貫してともに埋葬されており、夫婦の共同埋葬との考古学的推定と一致します(図2)。しかし、子供の埋葬の扱いはより柔軟で、二つの異なるパターンが論証され、一部の子供はM16号墓によって例証されるように両親の墓に埋葬されましたが、他の子供は、M9およびM8およびM10号墓で観察されるように、別ではあるものの隣接する墓に埋葬されました。共通の墓内で遺伝的に親族関係にない個体も特定され(たとえば、M12bとM14c)、埋葬単位は密接な生物学的親族のみで構成されていたわけではなく、社会的もしくは姻戚関係といった他の形態も組み込んでいたかもしれない、と示唆されます。
●唐の辺境における民族間の結婚と文化的相互作用
PCAは脳包湾共同体内の大きな遺伝的異質性を明らかにしており、個体群はアジア東部人口集団とユーラシア西部人口集団にまたがる勾配沿いに分布しています(図3A)。ほとんどの個体は黄河流域の後期新石器時代およびその後の雑穀農耕人口集団(たとえば、黄河_LN、黄河_LBIA)と密接にクラスタ化しました(まとまりました)。対照的に、女性3個体(M13b、M18a、M10b)は明確に古代ユーラシア草原地帯人口集団(たとえば、ロシア_アファナシェヴォ、ロシア_アラン人.SG)の方へと動いていました。K=5では、ADMIXTURE分析は一貫したパターンを示し(補足図6A)、黄河関連構成要素(黄色)はほとんどの脳包湾墓地個体で多く、ユーラシア西部関連構成要素(緑色)は個体M13bとM18aと10bで高い割合に達しました。これらの祖先系統構成要素はPCAの差異(補足図6B)と強く相関しており、ユーラシア西部関連構成要素はPC1と強い正の相関を、PC2と負の相関を示したのに対して、黄河関連構成要素は逆のパターンを示しました。以下は本論文の図3です。
脳包湾共同体の詳細な遺伝的構造を解明するためにまず、参照として選択された代表的に古代ユーラシア東部人口集団を用いて、外群f₃統計クラスタ化(まとまること)が採用されました。視覚図は明確な二分を明らかにし、脳包湾墓地個体群の大半が古代黄河雑穀農耕民(たとえば、黄河_LBIA)と緊密にまとまったのに対して、異なる部分集合(個体M13bとM18aが含まれます)は古代ユーラシア草原地帯人口集団とクラスタを形成します。この類似性は最大のf₃値によってさらに裏づけられ、これら特定の個体が古代ユーラシア西部関連系統(たとえば、ロシア_アファナシェヴォ、ロシア_スルブナヤ)やユーラシア西部の現代の人口集団(たとえば、アイスランド人、リトアニア人、ヴェプス人)と最高の遺伝的浮動を共有している、と明らかになります。この外来の遺伝子流動について形式的に検証するために、のf₄(ムブティ人、参照;脳包湾個体群、黄河_LBIA)が計算されました。ほとんどの脳包湾墓地個体は黄河参照集団とクレード(単系統群)を形成したのに対して(図3d)、草原地帯へと動いていた個体群(たとえば、個体M13bとM18a)は、参照人口集団がユーラシア西部牧畜民の場合、有意に負のZ得点を示します。これによって、これらの個体が在来の黄河集団の基準と比較して、草原地帯集団と余分なアレルを共有している、と確証されます。この異質性をさらに評価するために、対でのqpWave分析が実行されました。ほとんどの個体の組み合わせは類似の祖先系統特性と同等でしたが、草原地帯へと動いていた女性、とくに個体M13bとM18aを含む比較は頻繁に却下され、脳包湾墓地人口集団内の検出可能な異質性がさらに裏づけられます。まとめると、脳包湾共同体は中核的な黄河由来系統とユーラシア草原地帯祖先系統を有する女性の統合の両方によって、構成されていました。
これらの祖先系統特性を再構築された家系図と統合することによって、世代間のこれら異なる祖先系統の継承を直接的に追跡できます。最も明確な事例には、高い割合のユーラシア西部関連祖先系統を有する個体M13bと、ともに中核的な4世代の系統を築いた在来のアジア東部男性である個体M13aが含まれます。その息子の個体M14aは、PCA上では両親の中間的位置を占めており、第1世代の混合であることと一致します(図3B)。その後の世代で示されるのは、混合した男性子孫が繰り返し在来のアジア東部女性と結婚したため、ユーラシア西部祖先系統が次第に減少することです。
次に、qpAdmを用いて、さまざまな父系にわたる個体の特定の祖先系統の割合がモデル化されました(図3C)。その結果、ユーラシア西部祖先系統は中核的な陳氏の父系の決定的特徴と明らかになります。女性3個体(M13b、M18aもM10b)は、きわめて高い割合のユーラシア西部関連祖先系統(76.2~93.4%)を有していました。個体M13bのすべての男性子孫(M14a、M14dもM4aもM5a、M6a、M7a)は2方向混合としてモデル化に成功し、その祖先系統の9.1~50.1%はユーラシア西部関連供給源に、残りの祖先系統は在来のアジア東部供給源に由来します。個体M12cおよびM18aおよびM16bと関連する家族集団も、ユーラシア西部関連供給源とアジア東部関連供給源の2方向混合としてモデル化できますが、ユーラシア西部構成要素の割合は一貫してより低く、その範囲は4.8~24%です。一方で、個体M9aおよびM20aによって築かれた他の2父系は、圧倒的に高い割合(90%超)のアジア東部関連祖先系統を示します。これらの結果から、民族間の結婚は中核的な陳氏系統の出現に創出的な役割を果たしたのに対して、その後の混合男性の子孫の世代は一貫して、在来のアジア東部関連人口集団の女性と結婚した、と示唆されます。結果として、それ以前の民族間の結婚によってもたらされたユーラシア西部関連祖先系統は、世代を経ると次第に減少しました。
重要なことに、かなりのユーラシア西部関連祖先系統を有する女性は、陳氏の社会的および埋葬構造に完全に組み込まれていました。個体M13bおよびM18aなどの個体は、他の陳氏の構成員のような同じ磚室墓伝統を用いた中核的な家族墓地内に埋葬されており、その夫および子孫とともに埋葬されました。その後、そうした個体の子孫は墓地の継続的な空間的および系譜的拡大に関わりました。これらのパターンから、唐の辺境における民族間の結婚は遺伝的混合のみならず、女性の在来の親族関係制度および埋葬伝統への統合も含んでいた、と示唆されます。
まとめると、遺伝学と考古学と放射性炭素と碑銘の総合から、唐王朝期(618~907年)における、黄河関連人口集団とユーラシア西部関連人口集団との間の持続的な相互作用によって形成された、多世代にわたる系統が明らかになります。脳包湾墓地は、一時的な移動性を反映しているだけではなく、民族間の結婚やふけいの連続性や共有された埋葬慣行が、唐の辺境において、遺伝的混合や社会的統合や文化的相互作用のパターンをどのように形成したのかについて、家族単位の記録を保存しています。
●考察
脳包湾墓地の38個体に関する本論文のゲノム分析によって、陳氏における家族関係の最初の直接的な再構築が可能となり、唐王朝の支配層系統内の社会的組織に関する高解像度の視点が提供されます。陳氏は強い父系制を中心に較正され、それは中核的な3家系にわたって共有されているY染色体系統(O2a2b1a1a1a2a)がほぼ均一であることに反映されています(図2A)。同時に、高度に多様な母系と密接な女性同士の親族関係の少なさは、組織的な女性族外婚を示唆しており、それによって、女性は一貫して外部集団の氏族から陳氏へと嫁ぎました。これらのパターンから、系統の存続は、婚姻同盟によって外部の女性を取り込みながら、安定した父系的中核を維持することに依存していた、と示唆され、これは、羈縻制度下で統治されている多民族的な辺境の環境において、局所的権威を強化するのにも役立ったかもしれません。しかし、異なる父系を有するにも関わらず、墓地内に目立って埋葬された娘婿である、張俊(M9a)などの個体が含まれることから、この社会的構造は姻戚関係の取り込みによって柔軟性を保っていた、とさらに示唆されます。
再構築された家系図は、親族組織が墓地の空間的構造をどのように形成したのかについても、明らかにします。遺伝的に関連する家系は墓地の中心部を占めていたのに対して、周縁的な系統は端の方へと位置しており(図2B)、これは時系列での墓地拡大に関する碑銘に基づく再構築と一致します。夫婦の共同埋葬が多いことと合わせると、これらの調査結果から、墓地は系図の連続性は世帯組織の両方を埋葬空間によって符号化していた、と論証されます。特定の墓における遺伝的に親族関係のない個体の存在から、埋葬単位は密接な生物学的親族のみで構成されているわけではなく、社会的もしくは姻戚関係のより広範な形態でつながっていた個体も取り込んでいたかもしれない、とさらに示唆されます。たとえば、主要な男性被葬者に対する個体M14cの埋葬位置は、世帯内の異なる社会的役割を示唆している可能性があり、唐社会における歴史的に記録されている二次的な姻戚関係と一致するかもしれません。興味深いことに、墓地から以前に報告された安定同位体データは、世帯構造における内部の差異をさらに示唆しています。個体M14cは、主要系統との密接な遺伝的親族関係がないにも関わらず、ほとんどの他の個体と比較して高いδ¹⁵N値を示しており、これは動物由来の食料をより多く消費していたことと一致します。このパターンの社会的意義は依然として不明ですが、同位体と葬儀と遺伝的な証拠の組み合わせから、埋葬単位の構成員は密接な生物学的親族に厳格には限られていなかった、と示唆されます。
この父系制度の際立った特徴は、ユーラシア西部草原地帯祖先系統を有する女性の、中核的な陳氏家系への取り込みです。これらの女性は周縁的な集団ではなく主要な父系に統合されたので、これらの結婚が孤立した人口統計学的事象を表している可能性は低そうです。陳氏の支配層の地位を考えると、これらの結婚は唐の辺境の複雑な多民族的景観における戦略的同盟を表している可能性が高く、そこでは、親族関係の結びつきが局所的な権威や政治的関係や社会的交流網の強化を促進したかもしれません。
重要なことに、これら民族間の結婚には遺伝的混合と社会的統合の両方が伴っていました。M13bなどの女性の子孫が継承したのは世代ごとに減少した割合のユーラシア西部関連祖先系統で、それは、混合男性の子孫が繰り返し在来のアジア東部関連女性と結婚したからです。同時に、これら外来の女性は他の氏族構成員と同じ磚室墓を用いて埋葬され、中核的な墓地構造内にその夫および子孫とともに埋葬されました。その後、子孫はこの系統の墓地の継続的な空間拡大に関わりました。まとめると、これらのパターンから、唐の辺境における民族間の結婚には、生物学的混合のみならず、在来の親族関係制度および埋葬伝統への統合も伴っていた、と示唆されます。
脳包湾墓地は単一の支配層系統を表しており、より広範な人口動態を反映していないかもしれませんが、唐の辺境沿いの文化的相互作用の根底にある機序について、希少な家族単位の視点を提供します。本論文の調査結果は、ユーラシアにまたがる交流を単に大規模な人口移動とみなすのではなく、親族関係網や結婚戦略や埋葬慣行が、支配層の辺境共同体における長期の遺伝的および文化的相互作用をどのように総合的に媒介していたのか、論証します。
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