アジア東部の最初期ホモ属化石
取り上げるのが遅れてしまいましたが、アジア東部の最初期ホモ属化石の年代を報告した研究(Tu et al., 2026)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、中華人民共和国湖南省の遺跡で発見されたホモ属化石が177万±8万年前までさかのぼることを示しました。これによって、初期ホモ属は急速にアジア東部に拡散した可能性が指摘されています。中国では200万年以上前とされる石器が発見されており[14]、その担い手と177万年前頃の人類との関係についても、研究の進展が期待されます。
以下の略称は、Ar(Argon、アルゴン)、Be(beryllium、ベリリウム)、U(Uran、ウラン)、ESR(electron spin resonance、電子スピン共鳴法)年代測定、m(metre、meter、メートル)、g(gram、グラム)です。以下の時代区分は、ハラミヨ亜期(Jaramillo Subchron)、上桂(Kamikatsura)、サンタ・ローザ(Santa Rosa)、ブリュンヌ期(Brunhes Chron)、松山期(Matuyama Chron)、オルドヴァイ(Olduvai)亜期です。本論文で取り上げられる主要な生物は、ホモ・エレクトス(Homo erectus)、ホモ・エルガスター(Homo ergaster)ステゴドン属(Stegodon)、ゴンフォテリウム属(Gomphotherium)、ジャイアントパンダ属(Ailuropoda)、サンシマハイエナ(Hyaena licenti)、小型イノシシ(Sus xiaozhu)です。本論文で取り上げられる主要な中華人民共和国の遺跡と地域は、湖北省十堰(Shiyan)市鄖陽(Yunyang)区の鄖県(Yunxian)遺跡、陝西省藍田県の公王嶺(Gongwangling)および上陳(Shangchen)遺跡、北京市房山区の周口店(Zhoukoudian)遺跡、山西省の西侯渡(Xihoudu)遺跡、雲南省楚雄イ族自治州の元謀(Yuanmou)遺跡です。本論文で取り上げられる主要な中華人民共和国以外の遺跡と地域は、インドネシアのサンギラン・ドーム(Sangiran Dome)、ジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)です。
●要約
ほぼ完全なホモ・エレクトスの頭蓋3点の発見によって、鄖県はアジア東部における最も重要な初期更新世人類遺跡の一つになっています。しかし、鄖県化石の年代は申請できる数値的な年代測定結果の欠如のため、依然として議論されています。本研究では、充分に確立された等時線²⁶Ar/¹⁰Be埋没年代測定が、鄖県遺跡の2ヶ所の堆積層から得られた石英礫に適用されました。この年代測定結果から、鄖県頭蓋は177万±8万年前までさかのぼり(±1σの内部誤差)、アジア東部において原位置で発見された最古級のホモ・エレクトス化石を表しています。鄖県化石にずっと古い年代が割り当てられたことは、初期ホモ・エレクトスの急速な拡散と広がりとのモデルを裏づけ、アジア東部における最古級の考古学と人類古生物学との間の年代の隔たりを縮めるのに寄与します。
●研究史
アジアにおける最古級のホモ・エレクトス化石の年代は今では、ジョージアのドマニシにおける185万~175万年前頃とされています。しかし、ジョージアの東方では、アジア東部における最古級のホモ・エレクトス化石の年代については、議論が続いています。たとえば、インドネシアのサンギラン・ドームの初期ホモ・エレクトス化石は、その発見状況についての問題を考慮して、長く160万年前頃から151万年以上前の範囲、その後には130万年前頃と議論されました[5]。中国において提案され「初期」の遺跡の年代も、議論されてきました。これまで、最古級のホモ・エレクトス化石があるとみなされてきたのは、元謀と公王嶺の2ヶ所の遺跡でした。今では、元謀遺跡は²⁶Ar/¹⁰Be埋没年代測定に基づいて最近提案された年代ではそれよりわずかに古いと考えられており、その堆積物は172万年前頃に位置づけられています。しかし、元謀遺跡については問題となるのは、2点のホモ・エレクトスの上顎切歯が明らかに表面採集だった事実です。最近の年代測定再構築が堅牢とみなされていることを考えると、この元謀化石の出土状況の欠如は問題です。幸いなことに、公王嶺遺跡のホモ・エレクトス頭蓋は原位置で発見されたので、にこの問題はありません。公王嶺遺跡の事例では、化石は当初115万年前頃、最近では黄土と古土壌の層序に関する古時期の研究によって163万年前頃と年代測定されました[11]。このより新しい年代は、²⁶Ar/¹⁰Be埋没年代測定によって裏づけられ、今では公王嶺遺跡のホモ・エレクトス化石の問題として認められています。
それにも関わらず、アジア東部における最古級の人類化石の年代は、とくに前期更新世人類化石の存在数を考えると、依然として大きな議論の的となっています。さらに、240万年前頃の西侯渡遺跡や210万年前頃の上陳遺跡[14]によって代用されるような、最初期の考古学的痕跡は実際、公王嶺遺跡に約80万年ほど先行します。さらなる原位置の人類化石の特定および確実な年代測定は、この年代的間隙を埋めるのに役立つかもしれません。本論文は、鄖県ホモ・エレクトス遺跡の等時線²⁶Ar/¹⁰Be埋没年代測定分析を提示し、人工遺物と人類化石を含む層は確実に177万年前頃と年代測定できる、と結論づけます。元謀遺跡のようなよく知られた事例とは異なり、鄖県遺跡の出土状況と化石について疑問がないものの、公王嶺遺跡より明らかに古いことを考えると、鄖県遺跡のこの年代はとくに重要です。
鄖県遺跡は、かなり完全なホモ・エレクトス頭蓋の原位置の発見でよく知られています。そのうちの2点(EV9001とEV9002)の堆積圧縮に起因する重度の変形のため、その形態学的差異の全容の判断は困難でした(図1C)。多くの研究では、鄖県化石は周口店出土地1のホモ・エレクトス頭蓋とは顕著に異なっている、と示唆されてきました。鄖県遺跡における新たな最近の野外調査では、最初の2点の頭蓋から約33~35m離れて、第三のかなり完全な人類頭蓋が発見されました。EV9001およびEV9002より保存状態が良好かつより完全で、EV9001およびEV9002と同じ体積層から出土したと報告されている、この化石の詳細な形態計測分析が待たれます。鄖県遺跡からは、前期旧石器時代に典型的な500点以上の人工遺物(現地で利用可能な珪岩で作られた、石核やチョッパーや剥片)が発掘されました。以下は本論文の図1です。
鄖県遺跡から発掘された関連する哺乳類化石は、中国南部の典型的なステゴドン属およびジャイアントパンダ属分類群です。明確な前期更新世(もしくはそれ以前)の分類群(たとえば、ゴンフォテリウム属やサンシマハイエナ)の欠如から、初期の研究者は、鄖県遺跡の年代が中期更新世と示唆した一方で、前期~中期更新世の小型イノシシの存在は、生物年代学に中期更新世初期であることを示唆しました。しかし、最近の研究では鄖県遺跡と公王嶺遺跡の動物相の間には多くの類似性があり、鄖県遺跡は明確に前期更新世にさかのぼる、と示唆されました。
鄖県遺跡のより詳しい年代範囲を特定する最初の試みは古地磁気研究で、主要な化石/考古学層はブリュンヌ/松山境界に先行する、と示唆され、87万~83万年前頃の年代が提案されました。放射性年代測定でのこの最初の試みは、9点の関連する哺乳類の歯のESR年代測定分析で、60万年前頃の平均年代が得られました。その後、試掘坑WTから得られた試料の古地磁気分析に基づいて、先行研究は下層の正磁極帯をハラミヨ亜期と関連づけ、2点の地磁気挙動をそれぞれ上桂(899000年前頃)およびサンタ・ローザ(936000年前頃)に割り当てました。これらの研究では、サンタ・ローザ事象は人類化石があるC3層と関連している、と関欠け得られました。その後、動物の歯の3点のESR/U系列年代では、加重平均110万±16万年前の結果が得られました。この年代範囲を考慮して、鄖県遺跡は広く100万~80 万年前頃とされており、明らかに前期更新世ではあるものの、元謀遺跡もしくは公王嶺遺跡のいずれかよりずっと新しいことになります。
上述の試みにも関わらず、鄖県人類の正確な年代は全として議論の主題になっています。宇宙起源の²⁶Ar/¹⁰Be埋没年代測定は、堆積物の直接的な年代測定の手段を提供します。この年代測定のための等時線手法の開発は年代測定に適した遺跡の範囲を大きく拡張し、得られた年代結果の信頼性を著しく改善しました。この年代測定手法の適用は、鄖県遺跡の独立しており堅牢な年代制約を提供できるかもしれません。
鄖県遺跡では発見以来、一連の体系的な発掘調査が行なわれてきました。発掘された試掘坑AおよびBおよびWTは、漢江の第4段丘に位置しています(図1)。これらの試掘坑で明らかになった層序系列は整合しています。試掘坑WTの層序はより完全で、学際的研究の基準断面として採用されてきました。堆積系列は6層に区分でき、人類頭蓋は試掘坑AおよびBにおけるC3層最上部の石灰質結石層準から回収されました(図2)。以下は本論文の図2です。
等時線²⁶Ar/¹⁰Be埋没年代測定の砕屑物一式2点が試掘坑WTの西壁から原位置で収集され、人類図がEV9001とEV90002と最近発見された化石からは、それぞれ75mと78mと43m離れています。10点の石英で構成されている砕屑物(YX14-1~YX14-6、YX14-8、YQSA-1、YQSA-3、YQSA-4)は、深さ5.0~5.3mでC3化石および人工遺物含有層から採集され、これは人類縋外が発掘されたのと同じ層準です(図2)。別の10点の砕屑物の一式は、YX-A~YX-Jと番号を割り当てられ、深さ8.1~8.3mでC6の砂利層(以下、C6一式と呼ばれます)から採取されました。
●結果
2点の標本一式の測定された²⁶Ar/¹⁰Be濃度および年代結果は表1に提示され、図3で示されており、元の測定値は補足表2で提供されています。試料C3一式については、²⁶Ar/¹⁰Be濃度から177万±8万年前の等時線年代(±1σの内部誤差、以下同様)と、埋没後の¹⁰Be濃度N10,pb = (38.7 ± 4.9) × 10³の1gあたり原子量が得られました(図3)。試料YX14-3は等時線を下回っており、より古い堆積物から再移動した、と示唆されるので、年代計算から除外されました。試料YX-Cは等時線を上回りましたが、2σ内で予測値と重なったので、残されました。以下は本論文の図3です。
C6一式については、9点の濃度の組み合わせのうち8点が176万±22万年前の年代の等時線上に位置しています(図3)。試料YX-Hはこの等時線の下に位置しており、外れ値として除外されました。それは、計算に含めると、等時線適合の荷重偏差平均二乗値が1.87から2.58へと大きく上昇し、適切な等時線適合の許容範囲(2.07未満)を超えるからです。この等時線値は1gあたりの原子量がN10,pb = (17.7 ± 4.5) × 10³で、C3一式よりわずかに低く、より深い埋没深度と一致します。C3およびC6の年代が統計的に区別できないのは恐らく、この2層の堆積速度の高さと、とくにC6一式の比較的大きな誤差範囲のためです。本論文で提示されるこの年代結果の不確実性は、内部的な分析および回帰の誤差のみを反映しています。生成率比および崩壊定数における不確実さを取り込むことによって、全体的な不確実性は、C3では11万年、C6では23万年増加します。他の年代測定手法から得られた年代結果と比較するさいには、これらの不確実性が用いられるべきです。
●考察
等時線年代は、試料が特定の速度で一貫して埋没した、との仮定によって計算されました。そうならば、計算されたC3の埋没後の¹⁰Be濃度は、元々の埋没深度8±2mに相当します。実際の埋没深度と比較すると、これは、約3mの上部の土壌が試掘坑WTからごく最近に除去されたことを示唆しています。この再構築は、地元村民から情報が得られたように、1960年代および1970年代における農業整地事象とよく一致します。
C6一式の年代(176万±22万年前、全体的な不確実性は±23万年前)は誤差範囲内で、オルドヴァイ亜期(195万~178万年前頃)の数値的範囲と一致します。したがって、C5~C6層の正磁極帯およびその下のRBa-RBe層は、以前に先行研究によって割り当てられたハラミヨ亜期(107万~99万年前頃)ではなく、オルドヴァイ事象に相当するに違いありません(図2)。178万年前頃となるオルドヴァイ亜期の上部は、下に位置するC3層の下限年代として機能するかもしれません。鄖県遺跡の精緻な磁気層序を確証するには、より高解像度でのさらなる調査が必要です。
C3一式の採取層準には石器が多く、年代測定された試料の一部には人類による加工の痕跡があるので、この層準の年代(177万±8万年前、全体的な不確実性は±11万年前)は、鄖県遺跡における人類の居住期間の直接的な時間的制約を提供します。C3一式は人類頭蓋が発掘された層から採取されたので、鄖県遺跡のホモ・エレクトス化石は以前に提案されたよりもずっと古い年代に割り当てられます。分析の基準として100万年前頃との元々の年代を用いた、鄖県2号の最近の系統発生的研究[35]を考えると、鄖県遺跡のこれら更新されてずっと古い年代が、これらの化石の系統発生的分析および位置づけをどのように変化するのかは、興味深いところです。
堅牢性および内部一貫性以外に、本論文の年代結果はより広範な地質構造的観点からも妥当です。鄖県盆地の第5段丘の砂利層から採取された砕屑物試料1点に関する以前に報告された単純な年代は、204万±11万年前頃の下限年代の可能性を示唆していますが、そうした単一の試料埋没年代の信頼性が依然として限られているのは、埋没後の生成および/もしくはより古い堆積物からの再堆積の可能性のためです。本研究では、第3段丘の砂利層から得られた試料2点(WJG-GL、WJG-SD)からはそれぞれ、68万±9万年前と89万±10万年前の下限年代が得られました。16mの一反した埋没深度におけるミュー粒子による埋没後の生成について補正することによって、112万±19万年前と123万±17万年前の上限年代が得られ、加重平均は118万±13万年前です。したがって、第3段丘の年代は89万±10万年前と118万±13万年前の間に位置づけることができ、これは断面上部で特定されたブリュンヌ/松山逆転と一致します。鄖県遺跡におけるC6一式の埋没年代およびオルドヴァイ亜期との相関は、鄖県ポンチの第4段丘の砂利層について180万年前頃の年代を示唆しており、これは第3および第5段丘の予備的な年代枠組みと一致します。
本論文で提示された放射性年代から、鄖県遺跡のホモ・エレクトス化石はアジア東部における最古級の確実に年代測定された人類化石で、おそらくは元謀遺跡の化石とほぼ同年代であるもの、公王嶺遺跡の化石より明らかに古い、と提案されます。鄖県遺跡の年代は、177万年前頃のホモ・エレクトスがジョージアのドマニシのみならず、もっと広範に分布していたことも示唆していますが、オルドヴァイ亜期の上部に位置するドマニシ遺跡(185万~178万年前頃)がわずかに古いはずです。これは、200万年前頃以後に始まった、アジア全域へのホモ・エレクトスの急速な拡散モデルを裏づけます[39]。これらの人類の年代はさかのぼり続けているので、中国における、243万年前頃の西侯渡遺跡や210万年前頃の上陳遺跡[14]のような遺跡における最古級の年代と、人類古生物学との間の年代的空白は急速に縮まりつつある、と示唆されます。しかし、ホモ・エレクトスはいつどこに最初に出現したのか、現時点で前期更新世初期にさかのぼる、中国や他地域におけるこれらいくつかの遺跡の居住者の一部だった可能性はあるのかに関して、問題は残っています[14]。もしそうでなければ、次にアジアの最初期の居住者の可能性として別の人類を検討すべきで、それは特に、アジアにおける最古級の遺跡が今や、ホモ・エルガスター/ホモ・エレクトスのこれまで認められてきた出現(190万年前頃)に先行するからです。本論文で提示された鄖県遺跡の年代は、そうした問題に取り組むための一歩前進となります。
参考文献:
Tu H. et al.(2026): The oldest in situ Homo erectus crania in eastern Asia: The Yunxian site dates to ~1.77 Ma. Science Advances, 12, 8, eady2270.
https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.ady2270
[5]Matsu’ura S. et al.(2020): Age control of the first appearance datum for Javanese Homo erectus in the Sangiran area. Science, 367, 6474, 210–214.
https://doi.org/10.1126/science.aau8556
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[11]Zhu MD. et al.(2015): New dating of the Homo erectus cranium from Lantian (Gongwangling), China. Journal of Human Evolution, 78, 144–157.
https://doi.org/10.1016/j.jhevol.2014.10.001
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[14]Zhu Z. et al.(2018): Hominin occupation of the Chinese Loess Plateau since about 2.1 million years ago. Nature, 559, 7715, 608–612.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0299-4
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[35]Feng X. et al.(2025): The phylogenetic position of the Yunxian cranium elucidates the origin of Homo longi and the Denisovans. Science, 389, 6767, 1320–1324.
https://doi.org/10.1126/science.ado9202
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[39]Antón S, Potts R, and Aiello LC.(2014): Evolution of early Homo: An integrated biological perspective. Science, 345, 6192, 1236828.
https://doi.org/10.1126/science.1236828
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以下の略称は、Ar(Argon、アルゴン)、Be(beryllium、ベリリウム)、U(Uran、ウラン)、ESR(electron spin resonance、電子スピン共鳴法)年代測定、m(metre、meter、メートル)、g(gram、グラム)です。以下の時代区分は、ハラミヨ亜期(Jaramillo Subchron)、上桂(Kamikatsura)、サンタ・ローザ(Santa Rosa)、ブリュンヌ期(Brunhes Chron)、松山期(Matuyama Chron)、オルドヴァイ(Olduvai)亜期です。本論文で取り上げられる主要な生物は、ホモ・エレクトス(Homo erectus)、ホモ・エルガスター(Homo ergaster)ステゴドン属(Stegodon)、ゴンフォテリウム属(Gomphotherium)、ジャイアントパンダ属(Ailuropoda)、サンシマハイエナ(Hyaena licenti)、小型イノシシ(Sus xiaozhu)です。本論文で取り上げられる主要な中華人民共和国の遺跡と地域は、湖北省十堰(Shiyan)市鄖陽(Yunyang)区の鄖県(Yunxian)遺跡、陝西省藍田県の公王嶺(Gongwangling)および上陳(Shangchen)遺跡、北京市房山区の周口店(Zhoukoudian)遺跡、山西省の西侯渡(Xihoudu)遺跡、雲南省楚雄イ族自治州の元謀(Yuanmou)遺跡です。本論文で取り上げられる主要な中華人民共和国以外の遺跡と地域は、インドネシアのサンギラン・ドーム(Sangiran Dome)、ジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)です。
●要約
ほぼ完全なホモ・エレクトスの頭蓋3点の発見によって、鄖県はアジア東部における最も重要な初期更新世人類遺跡の一つになっています。しかし、鄖県化石の年代は申請できる数値的な年代測定結果の欠如のため、依然として議論されています。本研究では、充分に確立された等時線²⁶Ar/¹⁰Be埋没年代測定が、鄖県遺跡の2ヶ所の堆積層から得られた石英礫に適用されました。この年代測定結果から、鄖県頭蓋は177万±8万年前までさかのぼり(±1σの内部誤差)、アジア東部において原位置で発見された最古級のホモ・エレクトス化石を表しています。鄖県化石にずっと古い年代が割り当てられたことは、初期ホモ・エレクトスの急速な拡散と広がりとのモデルを裏づけ、アジア東部における最古級の考古学と人類古生物学との間の年代の隔たりを縮めるのに寄与します。
●研究史
アジアにおける最古級のホモ・エレクトス化石の年代は今では、ジョージアのドマニシにおける185万~175万年前頃とされています。しかし、ジョージアの東方では、アジア東部における最古級のホモ・エレクトス化石の年代については、議論が続いています。たとえば、インドネシアのサンギラン・ドームの初期ホモ・エレクトス化石は、その発見状況についての問題を考慮して、長く160万年前頃から151万年以上前の範囲、その後には130万年前頃と議論されました[5]。中国において提案され「初期」の遺跡の年代も、議論されてきました。これまで、最古級のホモ・エレクトス化石があるとみなされてきたのは、元謀と公王嶺の2ヶ所の遺跡でした。今では、元謀遺跡は²⁶Ar/¹⁰Be埋没年代測定に基づいて最近提案された年代ではそれよりわずかに古いと考えられており、その堆積物は172万年前頃に位置づけられています。しかし、元謀遺跡については問題となるのは、2点のホモ・エレクトスの上顎切歯が明らかに表面採集だった事実です。最近の年代測定再構築が堅牢とみなされていることを考えると、この元謀化石の出土状況の欠如は問題です。幸いなことに、公王嶺遺跡のホモ・エレクトス頭蓋は原位置で発見されたので、にこの問題はありません。公王嶺遺跡の事例では、化石は当初115万年前頃、最近では黄土と古土壌の層序に関する古時期の研究によって163万年前頃と年代測定されました[11]。このより新しい年代は、²⁶Ar/¹⁰Be埋没年代測定によって裏づけられ、今では公王嶺遺跡のホモ・エレクトス化石の問題として認められています。
それにも関わらず、アジア東部における最古級の人類化石の年代は、とくに前期更新世人類化石の存在数を考えると、依然として大きな議論の的となっています。さらに、240万年前頃の西侯渡遺跡や210万年前頃の上陳遺跡[14]によって代用されるような、最初期の考古学的痕跡は実際、公王嶺遺跡に約80万年ほど先行します。さらなる原位置の人類化石の特定および確実な年代測定は、この年代的間隙を埋めるのに役立つかもしれません。本論文は、鄖県ホモ・エレクトス遺跡の等時線²⁶Ar/¹⁰Be埋没年代測定分析を提示し、人工遺物と人類化石を含む層は確実に177万年前頃と年代測定できる、と結論づけます。元謀遺跡のようなよく知られた事例とは異なり、鄖県遺跡の出土状況と化石について疑問がないものの、公王嶺遺跡より明らかに古いことを考えると、鄖県遺跡のこの年代はとくに重要です。
鄖県遺跡は、かなり完全なホモ・エレクトス頭蓋の原位置の発見でよく知られています。そのうちの2点(EV9001とEV9002)の堆積圧縮に起因する重度の変形のため、その形態学的差異の全容の判断は困難でした(図1C)。多くの研究では、鄖県化石は周口店出土地1のホモ・エレクトス頭蓋とは顕著に異なっている、と示唆されてきました。鄖県遺跡における新たな最近の野外調査では、最初の2点の頭蓋から約33~35m離れて、第三のかなり完全な人類頭蓋が発見されました。EV9001およびEV9002より保存状態が良好かつより完全で、EV9001およびEV9002と同じ体積層から出土したと報告されている、この化石の詳細な形態計測分析が待たれます。鄖県遺跡からは、前期旧石器時代に典型的な500点以上の人工遺物(現地で利用可能な珪岩で作られた、石核やチョッパーや剥片)が発掘されました。以下は本論文の図1です。
鄖県遺跡から発掘された関連する哺乳類化石は、中国南部の典型的なステゴドン属およびジャイアントパンダ属分類群です。明確な前期更新世(もしくはそれ以前)の分類群(たとえば、ゴンフォテリウム属やサンシマハイエナ)の欠如から、初期の研究者は、鄖県遺跡の年代が中期更新世と示唆した一方で、前期~中期更新世の小型イノシシの存在は、生物年代学に中期更新世初期であることを示唆しました。しかし、最近の研究では鄖県遺跡と公王嶺遺跡の動物相の間には多くの類似性があり、鄖県遺跡は明確に前期更新世にさかのぼる、と示唆されました。
鄖県遺跡のより詳しい年代範囲を特定する最初の試みは古地磁気研究で、主要な化石/考古学層はブリュンヌ/松山境界に先行する、と示唆され、87万~83万年前頃の年代が提案されました。放射性年代測定でのこの最初の試みは、9点の関連する哺乳類の歯のESR年代測定分析で、60万年前頃の平均年代が得られました。その後、試掘坑WTから得られた試料の古地磁気分析に基づいて、先行研究は下層の正磁極帯をハラミヨ亜期と関連づけ、2点の地磁気挙動をそれぞれ上桂(899000年前頃)およびサンタ・ローザ(936000年前頃)に割り当てました。これらの研究では、サンタ・ローザ事象は人類化石があるC3層と関連している、と関欠け得られました。その後、動物の歯の3点のESR/U系列年代では、加重平均110万±16万年前の結果が得られました。この年代範囲を考慮して、鄖県遺跡は広く100万~80 万年前頃とされており、明らかに前期更新世ではあるものの、元謀遺跡もしくは公王嶺遺跡のいずれかよりずっと新しいことになります。
上述の試みにも関わらず、鄖県人類の正確な年代は全として議論の主題になっています。宇宙起源の²⁶Ar/¹⁰Be埋没年代測定は、堆積物の直接的な年代測定の手段を提供します。この年代測定のための等時線手法の開発は年代測定に適した遺跡の範囲を大きく拡張し、得られた年代結果の信頼性を著しく改善しました。この年代測定手法の適用は、鄖県遺跡の独立しており堅牢な年代制約を提供できるかもしれません。
鄖県遺跡では発見以来、一連の体系的な発掘調査が行なわれてきました。発掘された試掘坑AおよびBおよびWTは、漢江の第4段丘に位置しています(図1)。これらの試掘坑で明らかになった層序系列は整合しています。試掘坑WTの層序はより完全で、学際的研究の基準断面として採用されてきました。堆積系列は6層に区分でき、人類頭蓋は試掘坑AおよびBにおけるC3層最上部の石灰質結石層準から回収されました(図2)。以下は本論文の図2です。
等時線²⁶Ar/¹⁰Be埋没年代測定の砕屑物一式2点が試掘坑WTの西壁から原位置で収集され、人類図がEV9001とEV90002と最近発見された化石からは、それぞれ75mと78mと43m離れています。10点の石英で構成されている砕屑物(YX14-1~YX14-6、YX14-8、YQSA-1、YQSA-3、YQSA-4)は、深さ5.0~5.3mでC3化石および人工遺物含有層から採集され、これは人類縋外が発掘されたのと同じ層準です(図2)。別の10点の砕屑物の一式は、YX-A~YX-Jと番号を割り当てられ、深さ8.1~8.3mでC6の砂利層(以下、C6一式と呼ばれます)から採取されました。
●結果
2点の標本一式の測定された²⁶Ar/¹⁰Be濃度および年代結果は表1に提示され、図3で示されており、元の測定値は補足表2で提供されています。試料C3一式については、²⁶Ar/¹⁰Be濃度から177万±8万年前の等時線年代(±1σの内部誤差、以下同様)と、埋没後の¹⁰Be濃度N10,pb = (38.7 ± 4.9) × 10³の1gあたり原子量が得られました(図3)。試料YX14-3は等時線を下回っており、より古い堆積物から再移動した、と示唆されるので、年代計算から除外されました。試料YX-Cは等時線を上回りましたが、2σ内で予測値と重なったので、残されました。以下は本論文の図3です。
C6一式については、9点の濃度の組み合わせのうち8点が176万±22万年前の年代の等時線上に位置しています(図3)。試料YX-Hはこの等時線の下に位置しており、外れ値として除外されました。それは、計算に含めると、等時線適合の荷重偏差平均二乗値が1.87から2.58へと大きく上昇し、適切な等時線適合の許容範囲(2.07未満)を超えるからです。この等時線値は1gあたりの原子量がN10,pb = (17.7 ± 4.5) × 10³で、C3一式よりわずかに低く、より深い埋没深度と一致します。C3およびC6の年代が統計的に区別できないのは恐らく、この2層の堆積速度の高さと、とくにC6一式の比較的大きな誤差範囲のためです。本論文で提示されるこの年代結果の不確実性は、内部的な分析および回帰の誤差のみを反映しています。生成率比および崩壊定数における不確実さを取り込むことによって、全体的な不確実性は、C3では11万年、C6では23万年増加します。他の年代測定手法から得られた年代結果と比較するさいには、これらの不確実性が用いられるべきです。
●考察
等時線年代は、試料が特定の速度で一貫して埋没した、との仮定によって計算されました。そうならば、計算されたC3の埋没後の¹⁰Be濃度は、元々の埋没深度8±2mに相当します。実際の埋没深度と比較すると、これは、約3mの上部の土壌が試掘坑WTからごく最近に除去されたことを示唆しています。この再構築は、地元村民から情報が得られたように、1960年代および1970年代における農業整地事象とよく一致します。
C6一式の年代(176万±22万年前、全体的な不確実性は±23万年前)は誤差範囲内で、オルドヴァイ亜期(195万~178万年前頃)の数値的範囲と一致します。したがって、C5~C6層の正磁極帯およびその下のRBa-RBe層は、以前に先行研究によって割り当てられたハラミヨ亜期(107万~99万年前頃)ではなく、オルドヴァイ事象に相当するに違いありません(図2)。178万年前頃となるオルドヴァイ亜期の上部は、下に位置するC3層の下限年代として機能するかもしれません。鄖県遺跡の精緻な磁気層序を確証するには、より高解像度でのさらなる調査が必要です。
C3一式の採取層準には石器が多く、年代測定された試料の一部には人類による加工の痕跡があるので、この層準の年代(177万±8万年前、全体的な不確実性は±11万年前)は、鄖県遺跡における人類の居住期間の直接的な時間的制約を提供します。C3一式は人類頭蓋が発掘された層から採取されたので、鄖県遺跡のホモ・エレクトス化石は以前に提案されたよりもずっと古い年代に割り当てられます。分析の基準として100万年前頃との元々の年代を用いた、鄖県2号の最近の系統発生的研究[35]を考えると、鄖県遺跡のこれら更新されてずっと古い年代が、これらの化石の系統発生的分析および位置づけをどのように変化するのかは、興味深いところです。
堅牢性および内部一貫性以外に、本論文の年代結果はより広範な地質構造的観点からも妥当です。鄖県盆地の第5段丘の砂利層から採取された砕屑物試料1点に関する以前に報告された単純な年代は、204万±11万年前頃の下限年代の可能性を示唆していますが、そうした単一の試料埋没年代の信頼性が依然として限られているのは、埋没後の生成および/もしくはより古い堆積物からの再堆積の可能性のためです。本研究では、第3段丘の砂利層から得られた試料2点(WJG-GL、WJG-SD)からはそれぞれ、68万±9万年前と89万±10万年前の下限年代が得られました。16mの一反した埋没深度におけるミュー粒子による埋没後の生成について補正することによって、112万±19万年前と123万±17万年前の上限年代が得られ、加重平均は118万±13万年前です。したがって、第3段丘の年代は89万±10万年前と118万±13万年前の間に位置づけることができ、これは断面上部で特定されたブリュンヌ/松山逆転と一致します。鄖県遺跡におけるC6一式の埋没年代およびオルドヴァイ亜期との相関は、鄖県ポンチの第4段丘の砂利層について180万年前頃の年代を示唆しており、これは第3および第5段丘の予備的な年代枠組みと一致します。
本論文で提示された放射性年代から、鄖県遺跡のホモ・エレクトス化石はアジア東部における最古級の確実に年代測定された人類化石で、おそらくは元謀遺跡の化石とほぼ同年代であるもの、公王嶺遺跡の化石より明らかに古い、と提案されます。鄖県遺跡の年代は、177万年前頃のホモ・エレクトスがジョージアのドマニシのみならず、もっと広範に分布していたことも示唆していますが、オルドヴァイ亜期の上部に位置するドマニシ遺跡(185万~178万年前頃)がわずかに古いはずです。これは、200万年前頃以後に始まった、アジア全域へのホモ・エレクトスの急速な拡散モデルを裏づけます[39]。これらの人類の年代はさかのぼり続けているので、中国における、243万年前頃の西侯渡遺跡や210万年前頃の上陳遺跡[14]のような遺跡における最古級の年代と、人類古生物学との間の年代的空白は急速に縮まりつつある、と示唆されます。しかし、ホモ・エレクトスはいつどこに最初に出現したのか、現時点で前期更新世初期にさかのぼる、中国や他地域におけるこれらいくつかの遺跡の居住者の一部だった可能性はあるのかに関して、問題は残っています[14]。もしそうでなければ、次にアジアの最初期の居住者の可能性として別の人類を検討すべきで、それは特に、アジアにおける最古級の遺跡が今や、ホモ・エルガスター/ホモ・エレクトスのこれまで認められてきた出現(190万年前頃)に先行するからです。本論文で提示された鄖県遺跡の年代は、そうした問題に取り組むための一歩前進となります。
参考文献:
Tu H. et al.(2026): The oldest in situ Homo erectus crania in eastern Asia: The Yunxian site dates to ~1.77 Ma. Science Advances, 12, 8, eady2270.
https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.ady2270
[5]Matsu’ura S. et al.(2020): Age control of the first appearance datum for Javanese Homo erectus in the Sangiran area. Science, 367, 6474, 210–214.
https://doi.org/10.1126/science.aau8556
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[11]Zhu MD. et al.(2015): New dating of the Homo erectus cranium from Lantian (Gongwangling), China. Journal of Human Evolution, 78, 144–157.
https://doi.org/10.1016/j.jhevol.2014.10.001
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[14]Zhu Z. et al.(2018): Hominin occupation of the Chinese Loess Plateau since about 2.1 million years ago. Nature, 559, 7715, 608–612.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0299-4
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[35]Feng X. et al.(2025): The phylogenetic position of the Yunxian cranium elucidates the origin of Homo longi and the Denisovans. Science, 389, 6767, 1320–1324.
https://doi.org/10.1126/science.ado9202
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[39]Antón S, Potts R, and Aiello LC.(2014): Evolution of early Homo: An integrated biological perspective. Science, 345, 6192, 1236828.
https://doi.org/10.1126/science.1236828
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