宋代のメロン消費
宋代のメロン消費とその形質について報告した研究(Walker-Hale et al., 2026)が公表されました。本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事の以下の翻訳ではではとりあえず「中国」と表記します。本論文は、中華人民共和国浙江省の遺跡で発見された宋代のメロンの種子2点のゲノムを報告しています。この2点のメロンは、栽培化されているものの、遺伝的には「野生」系統のアジア東部のメロンに位置づけられました。この2点の種子は、甘みと関連するアレル(対立遺伝子)を有しておらず、甘いデザートメロンとしてではなく、生食もしくは料理用の果実として消費された可能性が高そうです。
以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、CmOR(Cucumis melo Orange、メロン橙色)遺伝子、His(Histidine、ヒスチジン)、Arg(Arginine、アルギニン)、CmRPGE1(Cucumis melo REPRESSOR OF PHOTOSYNTHETIC GENES1、メロン光合成遺伝子1受容体)、CmACS7(Cucumis melo 1-aminocyclopropane-1-carboxylate synthase 7、メロン1型アミノシクロプロパン1型カルボン酸合成酵素7)、Ala57Val(タンパク質の57番目のアミノ酸がアラニンからバリンに置換されている変異)、pH(水素イオン指数)、CmPH(Cucumis melo pH、メロン水素イオン指数)、CmBt(Cucumis melo Bitter、メロン苦味)遺伝子です。
本論文で取り上げられる主要な植物は、ウリ科(Cucurbitaceae)、キュウリ属(Cucumis)、メロン(Cucumis melo)、東洋メロン(oriental melon、makuwa)、シロウリ(pickling melon、conomon)、料理用メロン(culinary melon、acidulus)、ティビッシュ(tibish)、セイナット(seinat)です。
本論文で取り上げられる主要な中華人民共和国の植物遺骸の出土地および生息地は、浙江省では温州(Wenzhou)市の朔門古港(Shuomen Gugang)と遺跡紹興(Shaoxing)市の南山(Nanshan)遺跡および亭山(Tingshan)遺跡、安徽省淮南市の武王墩(Wuwangdun)遺跡、江西省南昌市の海昏侯(Haihunhou)遺跡、湖南省長沙市の馬王堆(Mawangdui)遺跡です。
●要約
メロンの栽培化は、アフリカ北東部で1回、インドで2回、独立して起きた、と考えられていますが、考古植物学的種子遺物は、中国における別の栽培化事象の可能性を示しています。キュウリ属の種子は形態学的に同定が困難なので、これらの想定を評価し、古代のメロンの形質を再構築するには、考古資料からのゲノムデータが必要です。朔門古港遺跡(中国)の宋王朝(960~1279年)の種子2個が配列決定され、5.5倍と2.1倍の核ゲノム被覆度が回収されました。核および葉緑体分析は両方の種子を、中国の栽培化されたメロン、「野生の」アジア東部遺伝子プール内に位置づけました。これらの種子が甘いデザートメロンと関連する形質を有していたのかどうか、評価するために、果実の表現型と関わる遺伝子座が調べられました。どちらの種子も橙色の果肉アレルを有しておらず、一方は黄色/橙色の皮と関連するアレルを、もう一方は緑色の果肉および酸味減少と関連するアレルを有していました。野生のメロンは雌雄同株なので、丸い果実の形状と関連する、一方の種子における派生的な雄性両全同株性アレルは、果実の形状への初期の選択を示唆しています。
まとめると、これらの知見から、宋王朝のメロンは、甘いデザートメロンではなく、生食もしくは料理用果実として消費された可能性が高い、と示唆されます。これらの種子の果肉の色合いは、メロンの形状で作られることが多かった、翡翠色の青磁によって例証されるように、宋代の美的感覚と共鳴しています。アジア東部の考古植物学的遺物を現代のメロンのゲノム差異内に位置づけることによって、本研究は中国におけるメロン栽培について時間的枠組みを提供し、古代ゲノミクスが過去の作物の利用をどのように解明できるのか、示します。
●研究史
メロンは重要なウリ科の作物で、2024年には世界中で2200万トン以上栽培されています。過去10年間でメロンの栽培化は広く研究されてきており、選択や遺伝子移入の役割について貴重な知見が得られました。しかし、この作物がアジア全域にどのように広がり、その初期の栽培型がどのようなものだったのかは、依然として報告が乏しくなっています。
分子生物学的証拠から、メロンの栽培化はアフリカ北東部で1回、インドで2回、独立して起きた、と示唆されています。考古植物学的証拠は、中国の長江下流域における初期の栽培化とキュウリ属の独立した栽培化の可能性を示唆しており、長江下流域では、種子遺物が新石器時代と青銅器時代にわたって発見されています。栽培化はウリ科の一部の属では種子の形状のみから推測することは困難で、それは、種子の特徴が栽培化と野生に戻った場合と野生の形態で重なっており、劣化によって識別できる特徴が曖昧になるかもしれないからです。したがって、考古学的資料から得られた分子データが、これらの遺物を作物のゲノム多様性内に位置づけるのに必要です。
遺伝学的証拠と考古学的証拠との間の不一致は3通りのあり得る状況を示しており、それは、(a)アジア東部の初期のキュウリ属の利用にはメロン以外の種が含まれていました、(b)古代中国においてキュウリ属は独立して栽培化され、その子孫は現代の中国の品種において存続しています、(c)初期の中国のメロンはインドの栽培化の中心地から導入されたメロンです。7000年前頃以降の長江下流域における連続的な考古学的記録を考えると、考古学とゲノム手法の組み合わせは時宜を得ています。
多くのキュウリ属の種子が中国全域の考古学的遺跡から回収されました。24点の種子からDNAが抽出され、紹興市の南山および亭山遺跡から発掘された20点の種子は、年代が春秋時代(紀元前770~紀元前476年)ですが、充分な内在性DNAを回収できませんでした。4点の種子が、温州市の古代の港である朔門古港遺跡(以後、古港と呼ばれます)から回収されました(図1A・B)。宋王朝期(960~1279年)に、おいて古港は西太平洋およびインド洋にまたがる海上交易網体系を結ぶ主要な港として機能しました。2024年の発掘では、コメやモモやブドウやオリーブやナツメやキュウリ属の種子で構成される、考古学的遺物群が明らかになりました。ライチやキウイフルーツを含む熱帯および温帯の果物も存在し、広範な海上交易のつながりが証明されます。南宋期の浸水した堆積物から発見されたキュウリ属の種子から充分な内在性DNAが得られ(図1C)、同じ考古学的状況の別の種子の放射性炭素年代は930~800年前頃(つまり、1020~1150年頃)でした。以下は本論文の図1です。
本研究では、中国のキュウリ属の種子の考古学的遺物から古代DNAが生成および分析され、(1)その分類学的同定が確証され、(2)栽培化のされたメロンのゲノム多様性内に位置づけられて、アジア東部における栽培化されたメロンの年代が確証されて、初期の中国の資料がメロンの栽培化の解明に寄与できるのかどうか、検証され、(3)古代中国のメロンの果実の形質およびあり得る利用が再構築されます。
●結果および考察
中国の3ヶ所の遺跡で回収されたキュウリ属の種子24点から調整された32点のライブラリの低被覆度配列決定が、抽出およびライブラリ対象とともに実行されました。古港の2点の種子(GG1およびGG4)からは、深い配列決定に充分な内在性DNAが得られました。品質選別および重複配列の除去後に、メロンのDHL92参照ゲノムに一致する固有断片はそれぞれ3700万個と1500万個で、それぞれ5.5倍と2.1倍の被覆度が得られました(葉緑体ゲノムではそれぞれ150倍と73倍の被覆度)。誤取り込みパターンから、真の古代DNAが確証されました。本論文の古代DNAデータは先行研究の現生種のデータと組み合わされ、疑似半数体配列と遺伝子型尤度が推定されました。主成分分析および系統ゲノム分析は、本論文の古代の種子をクレード(単系統群)3(野生単系統群3)の中国の栽培化されたメロンの最も近くに位置づけ(図1)、これは葉緑体データと一致する結果で、欠落データに対して堅牢でした。
本論文のデータから、歴史時代のアジア東部のキュウリ属はじっさいにメロンと確証され、少なくとも宋王朝の長江下流域におけるアジア東部の「野生」系統の栽培化されたメロンに関する時間的記録が提供されます。先行研究は、野生単系統群における単一の栽培化事象を推定しました。そのため、本論文の結果は、独立した中国での栽培化ではなく、より広範なアジアの栽培化プールからの導入と一致します。しかし、本論文のデータは、今では絶滅したか標本抽出されていない野生先祖からの独立した中国での栽培化を除外できません。中国では確認されたメロン個体群は知られていませんが、この仮説が決定的に除外されるには、さらなる野外標本抽出とゲノムデータが必要です。
長江下流以外では、形態学的に証明されたメロンは中国南西部の古代の埋葬(700年頃)および先漢の墓(武王墩遺跡、紀元前238年)と前漢(西漢)の墓(紀元前59年の海昏侯遺跡と紀元前168年の馬王堆遺跡)から報告されており、栽培化されたメロンが漢王朝の前にもたらされた、と示唆されます。最古級の記録が絹の道(シルクロード)沿いではなく中国南部の状況に由来することを考えると、妥当なのは、メロンが、茶馬古道として歴史的に知られている、アジア南部から中国南西部とヒマラヤの山脈を横断する交流網で、漢王朝の前に中国南部に到達したことです。その後、メロンは宋王朝期に海上網を通って、中国へと再びもたらされたのかもしれません。本論文の宋王朝の種子と長江下流域の新石器時代のキュウリ属の種子(7000~4000年前頃)との間の関係は依然として解決されておらず、新石器時代と青銅器時代にまたがる考古学的記録におけるキュウリ属の連続性を考えると、現生の遺伝子型によって表されない遺伝子プールからの局所的な栽培化との想定は除外できません。この問題の解決には、新石器時代もしくは青銅器時代の種子遺物を対象としたさらなる古代DNA標本抽出が必要です。
これら古代のメロンの潜在的な表現型と利用を推定するために、メロンの果実および花の形質を制御する遺伝子座における配列が比較されました。CmORはβカロチン生合成に関わっており、His108は橙色の果肉をもたらし、白色/緑色の果肉をもたらすArg108に対して顕性(優性)です。GG1およびGG4はArg108の証拠を示し、GG1では、被覆度を考えると、異型接合性の可能性はひじょうに低くなります(図2H・G)。以下は本論文の図2です。
CmRPGE1は色素体の発達および葉緑素の維持に関わるタンパク質をコードしており、この遺伝子座における差異は、橙色ではないメロンが白色もしくは緑色の果実を発達させるのかどうかを決定します。GG4は緑色の果肉のアレル有しており(図2H)、単系統群3における緑色の果肉のより高い発生頻度と一致しますが、低被覆度のため(わずか2ヶ所の読み取り)、異型接合性を除外できません。CmAPRR2において報告されている切断の証拠は見つからず、未熟果の果皮の色が濃いことを示唆しています。GG1にはCmKFBにおける白色の果皮と関連する欠失がなく(図2G)、黄色の果皮が示唆されます。
GG1とGG4には、追熟と関わる4ヶ所の遺伝子座において追熟しない種類と関連する遺伝子型が見られ、GG1における黄緑色の成熟果の皮が示唆されます。この果実には縫合線はなかった可能性が高そうです(図2G・H)。GG4における単一の読み取りは、果実の酸味を制御するCmPHにおける12塩基対の重複を裏づけており、酸味のない果肉が示唆され、両標本【GG1とGG4】は高頻度の酸味のない単系統群に位置します(図2D)。苦味を制御因子であるCmBtでは切断が見つからなかったものの、苦味はCmBtのプロモーターの差異によっても制御されているかもしれません。雄性両全同株性は栽培化において選好されてきており、それは、より丸い果実と関連し、育種を促進するからです。
GG1はCmACS7に派生的なAla57Valアレルを有しており、雄性両全同株性だった、と示唆されます。遺伝子型を裏づける配列は、参考文献の補足図14に示されています。追熟型および非追熟型の種類におけるアレル頻度の要約は、参考文献の補足表3~6に示されています。いくつかの現生メロンは本論文の宋王朝の種子から推測された形質を示しており、それは、橙色ではない果肉や黄色の果皮が多いことや白色から淡緑色の果肉です。これらは一般的に、果肉や口当たりの良い果物や野菜や種子として利用されています。
類似の植物には、韓国の東洋メロン、日本のシロウリ、インド南部の料理用メロン、スーダンのティビッシュやセイナットが含まれます。これが示唆しているのは、本論文の古代の標本で観察された形質の組み合わせ(橙色ではないか白色か緑色の可能性の果肉、黄緑色の果皮)は宋王朝において、高度な当分含有量のためではなく、新鮮でほのかに甘い果実、生食もしくは加工、食用種子の潜在的供給源として用いられた可能性が高いことです。この解釈は文化的検討によってさらに裏づけられ、淡緑色の果肉と黄色の果皮の「東洋メロン」型は、アジア東部において長く象徴的意味を維持し続けており、アジア東部では、豊富な種子は肥沃と継続を、緑色の果肉は確立された美的価値と共鳴していました。とくに、龍泉青磁を含めて長江下流で製作された緑色の青磁は、メロン型の形態で作られることが多く、釉薬はメロンの果肉の翡翠色を反映しており、これはとくに宋王朝で顕著になり、古港遺跡から回収されることが多かった形式です。
参考文献:
Walker-Hale N. et al.(2026): Ancient DNA reveals early use of melons in China’s Song dynasty. PNAS, 123, 36, e2610284123.
https://doi.org/10.1073/pnas.2610284123
以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、CmOR(Cucumis melo Orange、メロン橙色)遺伝子、His(Histidine、ヒスチジン)、Arg(Arginine、アルギニン)、CmRPGE1(Cucumis melo REPRESSOR OF PHOTOSYNTHETIC GENES1、メロン光合成遺伝子1受容体)、CmACS7(Cucumis melo 1-aminocyclopropane-1-carboxylate synthase 7、メロン1型アミノシクロプロパン1型カルボン酸合成酵素7)、Ala57Val(タンパク質の57番目のアミノ酸がアラニンからバリンに置換されている変異)、pH(水素イオン指数)、CmPH(Cucumis melo pH、メロン水素イオン指数)、CmBt(Cucumis melo Bitter、メロン苦味)遺伝子です。
本論文で取り上げられる主要な植物は、ウリ科(Cucurbitaceae)、キュウリ属(Cucumis)、メロン(Cucumis melo)、東洋メロン(oriental melon、makuwa)、シロウリ(pickling melon、conomon)、料理用メロン(culinary melon、acidulus)、ティビッシュ(tibish)、セイナット(seinat)です。
本論文で取り上げられる主要な中華人民共和国の植物遺骸の出土地および生息地は、浙江省では温州(Wenzhou)市の朔門古港(Shuomen Gugang)と遺跡紹興(Shaoxing)市の南山(Nanshan)遺跡および亭山(Tingshan)遺跡、安徽省淮南市の武王墩(Wuwangdun)遺跡、江西省南昌市の海昏侯(Haihunhou)遺跡、湖南省長沙市の馬王堆(Mawangdui)遺跡です。
●要約
メロンの栽培化は、アフリカ北東部で1回、インドで2回、独立して起きた、と考えられていますが、考古植物学的種子遺物は、中国における別の栽培化事象の可能性を示しています。キュウリ属の種子は形態学的に同定が困難なので、これらの想定を評価し、古代のメロンの形質を再構築するには、考古資料からのゲノムデータが必要です。朔門古港遺跡(中国)の宋王朝(960~1279年)の種子2個が配列決定され、5.5倍と2.1倍の核ゲノム被覆度が回収されました。核および葉緑体分析は両方の種子を、中国の栽培化されたメロン、「野生の」アジア東部遺伝子プール内に位置づけました。これらの種子が甘いデザートメロンと関連する形質を有していたのかどうか、評価するために、果実の表現型と関わる遺伝子座が調べられました。どちらの種子も橙色の果肉アレルを有しておらず、一方は黄色/橙色の皮と関連するアレルを、もう一方は緑色の果肉および酸味減少と関連するアレルを有していました。野生のメロンは雌雄同株なので、丸い果実の形状と関連する、一方の種子における派生的な雄性両全同株性アレルは、果実の形状への初期の選択を示唆しています。
まとめると、これらの知見から、宋王朝のメロンは、甘いデザートメロンではなく、生食もしくは料理用果実として消費された可能性が高い、と示唆されます。これらの種子の果肉の色合いは、メロンの形状で作られることが多かった、翡翠色の青磁によって例証されるように、宋代の美的感覚と共鳴しています。アジア東部の考古植物学的遺物を現代のメロンのゲノム差異内に位置づけることによって、本研究は中国におけるメロン栽培について時間的枠組みを提供し、古代ゲノミクスが過去の作物の利用をどのように解明できるのか、示します。
●研究史
メロンは重要なウリ科の作物で、2024年には世界中で2200万トン以上栽培されています。過去10年間でメロンの栽培化は広く研究されてきており、選択や遺伝子移入の役割について貴重な知見が得られました。しかし、この作物がアジア全域にどのように広がり、その初期の栽培型がどのようなものだったのかは、依然として報告が乏しくなっています。
分子生物学的証拠から、メロンの栽培化はアフリカ北東部で1回、インドで2回、独立して起きた、と示唆されています。考古植物学的証拠は、中国の長江下流域における初期の栽培化とキュウリ属の独立した栽培化の可能性を示唆しており、長江下流域では、種子遺物が新石器時代と青銅器時代にわたって発見されています。栽培化はウリ科の一部の属では種子の形状のみから推測することは困難で、それは、種子の特徴が栽培化と野生に戻った場合と野生の形態で重なっており、劣化によって識別できる特徴が曖昧になるかもしれないからです。したがって、考古学的資料から得られた分子データが、これらの遺物を作物のゲノム多様性内に位置づけるのに必要です。
遺伝学的証拠と考古学的証拠との間の不一致は3通りのあり得る状況を示しており、それは、(a)アジア東部の初期のキュウリ属の利用にはメロン以外の種が含まれていました、(b)古代中国においてキュウリ属は独立して栽培化され、その子孫は現代の中国の品種において存続しています、(c)初期の中国のメロンはインドの栽培化の中心地から導入されたメロンです。7000年前頃以降の長江下流域における連続的な考古学的記録を考えると、考古学とゲノム手法の組み合わせは時宜を得ています。
多くのキュウリ属の種子が中国全域の考古学的遺跡から回収されました。24点の種子からDNAが抽出され、紹興市の南山および亭山遺跡から発掘された20点の種子は、年代が春秋時代(紀元前770~紀元前476年)ですが、充分な内在性DNAを回収できませんでした。4点の種子が、温州市の古代の港である朔門古港遺跡(以後、古港と呼ばれます)から回収されました(図1A・B)。宋王朝期(960~1279年)に、おいて古港は西太平洋およびインド洋にまたがる海上交易網体系を結ぶ主要な港として機能しました。2024年の発掘では、コメやモモやブドウやオリーブやナツメやキュウリ属の種子で構成される、考古学的遺物群が明らかになりました。ライチやキウイフルーツを含む熱帯および温帯の果物も存在し、広範な海上交易のつながりが証明されます。南宋期の浸水した堆積物から発見されたキュウリ属の種子から充分な内在性DNAが得られ(図1C)、同じ考古学的状況の別の種子の放射性炭素年代は930~800年前頃(つまり、1020~1150年頃)でした。以下は本論文の図1です。
本研究では、中国のキュウリ属の種子の考古学的遺物から古代DNAが生成および分析され、(1)その分類学的同定が確証され、(2)栽培化のされたメロンのゲノム多様性内に位置づけられて、アジア東部における栽培化されたメロンの年代が確証されて、初期の中国の資料がメロンの栽培化の解明に寄与できるのかどうか、検証され、(3)古代中国のメロンの果実の形質およびあり得る利用が再構築されます。
●結果および考察
中国の3ヶ所の遺跡で回収されたキュウリ属の種子24点から調整された32点のライブラリの低被覆度配列決定が、抽出およびライブラリ対象とともに実行されました。古港の2点の種子(GG1およびGG4)からは、深い配列決定に充分な内在性DNAが得られました。品質選別および重複配列の除去後に、メロンのDHL92参照ゲノムに一致する固有断片はそれぞれ3700万個と1500万個で、それぞれ5.5倍と2.1倍の被覆度が得られました(葉緑体ゲノムではそれぞれ150倍と73倍の被覆度)。誤取り込みパターンから、真の古代DNAが確証されました。本論文の古代DNAデータは先行研究の現生種のデータと組み合わされ、疑似半数体配列と遺伝子型尤度が推定されました。主成分分析および系統ゲノム分析は、本論文の古代の種子をクレード(単系統群)3(野生単系統群3)の中国の栽培化されたメロンの最も近くに位置づけ(図1)、これは葉緑体データと一致する結果で、欠落データに対して堅牢でした。
本論文のデータから、歴史時代のアジア東部のキュウリ属はじっさいにメロンと確証され、少なくとも宋王朝の長江下流域におけるアジア東部の「野生」系統の栽培化されたメロンに関する時間的記録が提供されます。先行研究は、野生単系統群における単一の栽培化事象を推定しました。そのため、本論文の結果は、独立した中国での栽培化ではなく、より広範なアジアの栽培化プールからの導入と一致します。しかし、本論文のデータは、今では絶滅したか標本抽出されていない野生先祖からの独立した中国での栽培化を除外できません。中国では確認されたメロン個体群は知られていませんが、この仮説が決定的に除外されるには、さらなる野外標本抽出とゲノムデータが必要です。
長江下流以外では、形態学的に証明されたメロンは中国南西部の古代の埋葬(700年頃)および先漢の墓(武王墩遺跡、紀元前238年)と前漢(西漢)の墓(紀元前59年の海昏侯遺跡と紀元前168年の馬王堆遺跡)から報告されており、栽培化されたメロンが漢王朝の前にもたらされた、と示唆されます。最古級の記録が絹の道(シルクロード)沿いではなく中国南部の状況に由来することを考えると、妥当なのは、メロンが、茶馬古道として歴史的に知られている、アジア南部から中国南西部とヒマラヤの山脈を横断する交流網で、漢王朝の前に中国南部に到達したことです。その後、メロンは宋王朝期に海上網を通って、中国へと再びもたらされたのかもしれません。本論文の宋王朝の種子と長江下流域の新石器時代のキュウリ属の種子(7000~4000年前頃)との間の関係は依然として解決されておらず、新石器時代と青銅器時代にまたがる考古学的記録におけるキュウリ属の連続性を考えると、現生の遺伝子型によって表されない遺伝子プールからの局所的な栽培化との想定は除外できません。この問題の解決には、新石器時代もしくは青銅器時代の種子遺物を対象としたさらなる古代DNA標本抽出が必要です。
これら古代のメロンの潜在的な表現型と利用を推定するために、メロンの果実および花の形質を制御する遺伝子座における配列が比較されました。CmORはβカロチン生合成に関わっており、His108は橙色の果肉をもたらし、白色/緑色の果肉をもたらすArg108に対して顕性(優性)です。GG1およびGG4はArg108の証拠を示し、GG1では、被覆度を考えると、異型接合性の可能性はひじょうに低くなります(図2H・G)。以下は本論文の図2です。
CmRPGE1は色素体の発達および葉緑素の維持に関わるタンパク質をコードしており、この遺伝子座における差異は、橙色ではないメロンが白色もしくは緑色の果実を発達させるのかどうかを決定します。GG4は緑色の果肉のアレル有しており(図2H)、単系統群3における緑色の果肉のより高い発生頻度と一致しますが、低被覆度のため(わずか2ヶ所の読み取り)、異型接合性を除外できません。CmAPRR2において報告されている切断の証拠は見つからず、未熟果の果皮の色が濃いことを示唆しています。GG1にはCmKFBにおける白色の果皮と関連する欠失がなく(図2G)、黄色の果皮が示唆されます。
GG1とGG4には、追熟と関わる4ヶ所の遺伝子座において追熟しない種類と関連する遺伝子型が見られ、GG1における黄緑色の成熟果の皮が示唆されます。この果実には縫合線はなかった可能性が高そうです(図2G・H)。GG4における単一の読み取りは、果実の酸味を制御するCmPHにおける12塩基対の重複を裏づけており、酸味のない果肉が示唆され、両標本【GG1とGG4】は高頻度の酸味のない単系統群に位置します(図2D)。苦味を制御因子であるCmBtでは切断が見つからなかったものの、苦味はCmBtのプロモーターの差異によっても制御されているかもしれません。雄性両全同株性は栽培化において選好されてきており、それは、より丸い果実と関連し、育種を促進するからです。
GG1はCmACS7に派生的なAla57Valアレルを有しており、雄性両全同株性だった、と示唆されます。遺伝子型を裏づける配列は、参考文献の補足図14に示されています。追熟型および非追熟型の種類におけるアレル頻度の要約は、参考文献の補足表3~6に示されています。いくつかの現生メロンは本論文の宋王朝の種子から推測された形質を示しており、それは、橙色ではない果肉や黄色の果皮が多いことや白色から淡緑色の果肉です。これらは一般的に、果肉や口当たりの良い果物や野菜や種子として利用されています。
類似の植物には、韓国の東洋メロン、日本のシロウリ、インド南部の料理用メロン、スーダンのティビッシュやセイナットが含まれます。これが示唆しているのは、本論文の古代の標本で観察された形質の組み合わせ(橙色ではないか白色か緑色の可能性の果肉、黄緑色の果皮)は宋王朝において、高度な当分含有量のためではなく、新鮮でほのかに甘い果実、生食もしくは加工、食用種子の潜在的供給源として用いられた可能性が高いことです。この解釈は文化的検討によってさらに裏づけられ、淡緑色の果肉と黄色の果皮の「東洋メロン」型は、アジア東部において長く象徴的意味を維持し続けており、アジア東部では、豊富な種子は肥沃と継続を、緑色の果肉は確立された美的価値と共鳴していました。とくに、龍泉青磁を含めて長江下流で製作された緑色の青磁は、メロン型の形態で作られることが多く、釉薬はメロンの果肉の翡翠色を反映しており、これはとくに宋王朝で顕著になり、古港遺跡から回収されることが多かった形式です。
参考文献:
Walker-Hale N. et al.(2026): Ancient DNA reveals early use of melons in China’s Song dynasty. PNAS, 123, 36, e2610284123.
https://doi.org/10.1073/pnas.2610284123


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