鉄器時代イベリア半島北東部人類集団のゲノム

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、鉄器時代イベリア半島北東部人類集団のゲノムデータを報告した研究(Cuesta-Aguirre et al., 2026)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、イベリア半島北東部の3ヶ所の遺跡で発見された22個体のゲノムデータを新たに提示し、既知のデータとともに分析しました。その結果、青銅器時代から鉄器時代にかけて草原地帯関連の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の割合が増加し、地中海地域との遺伝的交流は、ローマによる征服前には限定的でした。イベリア半島北東部では、ローマによる征服後に新たな遺伝的流入があり、遺伝的異質性が増加しました。なお、当ブログでは原則として「文明」という用語を使わないことにしていますが、この記事では「civilization」の訳語として使います。以下は本論文の要約図です。
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 以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、PC1(first principal component、第一主成分)、PC2(second principal component、第一主成分)、MDS(multidimensional scaling、多次元尺度構成法)、km(kilometre、kilometer、キロメートル)です。

 以下の時代区分の略称は、LGM(Last Glacial Maximum、最終氷期極大期)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EBA(Early Bronze Age、前期青銅器時代)です。本論文で取り上げられる主要な文化は、イベロモーラシアン(Iberomaurusian)文化、ヤムナヤ(Yamnaya)文化、鐘状ビーカー(Bell Beaker 、鐘形杯、略してBB)文化です。

 本論文で取り上げられる主要な人類集団は、WHG(Western Hunter-Gatherer、西方狩猟採集民)、タルテッソス人(Tartessian)、ルシタニア人(Lusitanian)、ガラエキ人(Gallaeci)、アストゥレス人(Astures)、カンタブリ人(Cantabri)、ヴァスコン人(Vascones)、ヴァカイ人(Vaccaei)、ウェトネス人(Vettones)、トゥルドゥリ人(Turduli)、トゥルデタニ人(Turdetanian)、ライエタニ人(Layetani)、インディケテス人(Indiketes)、ケッセタニ人(Cessetani)、ラケタニ人(Lacetani)、イレルカボネス人(Ilercavones)、イレルゲテス人(Ilergetae)、アウセタニ人(Ausetani)、エブスス島人(Ebusitan)です。

 本論文で取り上げられる主要なイベリア半島(圏)の遺跡と地域は、ビラルス(Vilars、略してVILA)要塞、サン・ミゲル・ドレルドラ(Sant Miquel d’Olèrdola、略してOLE)遺跡、エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ(El Camp de les Lloses、略してCL)遺跡、ビラフランカ(Vilafranca)川、ダロ(Darró)遺跡、シッチェス(Sitges)遺跡、エブスス(Ebusus、現在のイビサ島)です。本論文で取り上げられる主要なイベリア半島(圏)以外の遺跡と地域は、フランスのマッシリア(Massaliot、現在のマルセイユ)です。


●要約

 鉄器時代(紀元前800~紀元前100年頃)に、イベリア半島北東部は在来の共同体と地中海社会の間の相互作用によって形成されました。イベリア半島の文化的伝統は紀元前6世紀以降に沿岸で発展し、ローマ期へとつながる大きな社会的変容を経て存続しました。初期鉄器時代から初期ローマ時代(紀元前775~紀元後50年頃)にわたる3ヶ所の遺跡の住居構造の下から回収された、新生児54個体の埋葬から得られた、古代ゲノムデータが分析されました。ゲノム規模データは22個体で得られ、さらに9個体ではmtHgも得られました。その結果、鉄器時代を通じての青銅器時代由来の在来人口集団からの遺伝的連続性が示唆され、地中海関連祖先系統の増加が伴っていました。この人口構造はローマの拡大までおおむね安定したままで、その後で追加の遺伝的流入がより異質な人口集団へと寄与しました。これらの調査結果は、長期の文化的連続性を漸進的な遺伝的変化と結びつけ、イベリア半島北東部の社会的および政治的移行の重要な期間における人口動態を明らかにしています。


●研究史

 イベリア半島は世界の多くの地域のように、多様な人口集団の連続的な統合によって特徴づけられます。歴史的な紛争および征服や平和的な経済的変化であれ、複雑な文化的混在がユーラシア大陸の北西部で織りなされてきました[1、2]。この地域の遺伝的状況の調査によって、最近の研究ではは、イベリア半島のさまざまな地域に居住していた古代の人口集団が明らかになってきました。

 イベリア半島はLGM(26000~19000年前頃)には退避地として機能しており、LGM前の遺伝的祖先系統がLGM後の人口集団で存続していた、との証拠があります[3、4]。中石器時代には、イベリア半島北部の狩猟採集民は、イベリア半島南部の狩猟採集民と比較してヨーロッパ中央部のWHGからのより強い遺伝的影響を示しており、動的な遺伝的変化を反映しています[2]。前期新石器時代には、アナトリア半島農耕民がヨーロッパへと拡大し、在来の狩猟採集民との共存期間へとつながりました。この相互作用によって、前期新石器時代人口集団ではアナトリア半島新石器時代祖先系統の増加がもたらされ、それによって新石器時代末および銅器時代の始まりまでにWHG祖先系統の割合が高まり、アナトリア半島新石器時代祖先系統は次第に希釈されました[3~6、9]。この影響はイベリア半島でも起きました[2、11]。イベリア半島の銅器時代は、新石器時代からの連続性によって特徴づけられました[1、2]。

 青銅器時代には、草原地帯祖先系統を有するさまざまな集団がヨーロッパ全域へと西方に拡大しました。イベリア半島では、前期青銅器時代(紀元前2200~紀元前1500年頃)は、草原地帯祖先系統の流入によって特徴づけられましたが、その影響は地域で異なっていました。草原地帯関連祖先系統はイベリア半島の北部および北東部地域においてより顕著でしたが、イベリア半島南部地域の影響はそれより小さく、この期間なおける漸進的で不均一な遺伝的移行が示唆されます。この期間にはY染色体系統の変化も見られ、YHg-R1bが主要な系統としてYHg-I2・G2・Hを置換しましたが、これら以前からの系統はより低い頻度で存続しました[1、2、13、14]。

 鉄器時代を通じて(図1)、多様な文化がイベリア半島では共存していました(紀元前800~紀元前100年頃)。在来集団には、さまざまなイベリア半島の部族(詳細は後述)やタルテッソス人やケルトイベリア人のようにケルトの影響を受けた集団が含まれていました。ルシタニア人などケルト語およびインド・ヨーロッパ語族(ケルト以前)集団も、ガラエキ人やアストゥレス人やカンタブリ人やヴァスコン人やヴァカイ人やウェトネス人やトゥルドゥリ人やトゥルデタニ人など、地域的集団とともに存在していました。重要なのは、時間的および位置的観点におけるこれらの集団の境界は流動的で、文化的融合が一般的だった、と留意することです。さらに、考古学的記録によると、イベリア半島における地中海食門地の建設は、イベリア半島南東部がフェニキア文化の中心地になることにつながった一方で、イベリア半島北東部ではギリシア人植民地が形成されたことです。れ以下は本論文の図1です。
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 紀元前3世紀に、カルタゴ帝国(ポエニとしても知られています)と共和政ローマが地中海西部における支配的な勢力として台頭しました。フェニキア人の子孫だったカルタゴ人が広大な海洋帝国を築いたのに対して、ローマはイベリア半島の指導者かつ守護者となりました。この拡張論者の野心は、ポエニ戦争につながりました(紀元前246~紀元前146年)。第二次ポエニ戦争はイベリア半島においてとくに重要で、紀元前206年以降にはカルタゴ人の排除に至りました。ローマ人はこの地域の支配を確立し、再起の可能性を防ぐために、ローマ帝国に組み込みました。在来の人口集団は次第にローマ化していき、次第にローマの慣行と文化を採用しました。

 鉄器時代には、ギリシア人やローマ人によって、イベリア半島の東部および南部地中海沿岸に居住する共同体を指すのに、「イベリア人」という用語が使われました。この呼称には、ライエタニ人やインディケテス人やケッセタニ人やラケタニ人やイレルカボネス人やイレルゲテス人やアウセタニ人など、さまざまな部族が含まれており、それぞれ独自の統治機構や慣行があり、類似性は共有しているものの、同一ではありませんでした。紀元前6世紀頃の鉄器時代に栄えたイベリア文化はイベリア半島の豊かな歴史を反映しており、フェニキア人やギリシア人やカルタゴ人など他の地中海文明からの大きな影響を受けていました。

 イベリア人は顕著な進歩を遂げており、経済は冶金や農耕や家畜に基づき、沿岸地域では漁業に基づいていました。イベリア人は独自のアルファベットと貨幣制度を発展させました。宗教的慣行の観点では、イベリア人は神々の神殿を崇拝し、他の地中海地域といくつかの要素を共有していました。火葬がイベリア人の主要な葬儀でした。しかし、家屋や生産活動区域の建物内の新生児埋葬が報告されており、人類学的および古ゲノム的研究に重要な情報源を提供しています。この慣行はイベリア人に限定されていませんでしたが、先史時代から中世まで世界各地で報告されてきたので、乳児埋葬の儀礼的意義について議論が起きました。しかし、最近の証拠から、新生児の年齢構成は自然死とよく一致する、と示唆されています。

 イベリア文化集団に関する最初の古遺伝学的研究はmtDNA解析、具体的には超可変領域Iに焦点を当てていました。これら初期の研究の目的は、さまざまな期間の古代の個体群(銅器時代集団や青銅器時代集団やローマ人)およびバスク人やエトルリア人など文化的集団と比較して、イベリア人における広く見られるmtHgを特定することでした。これらの研究は、9ヶ所の考古学的遺跡の成人27個体の遺骸を分析しており、イベリア人によって歴史的に居住されていた地域で見つかった骨片を含んでいたことが多かったものの、時にはイベリア人由来なのか、疑わしいものもありました。その結果、古代イベリア人のmtHg組成は現在のイベリア半島人口集団と顕著に類似しており(多様性は低くなっています)、と明らかになり、先ローマ期以降のこの地域における長期の遺伝的連続性が示唆されました。さらに、初期の研究ではイベリア人とエトルリア人との間の密接な遺伝的関係が見つからず、先ローマ期ヨーロッパライブにおけるかなりの遺伝的異質性が示唆されます。そうした人口集団の主要なmtHgは、J・T・K・U4・U5の系統で、W系統も存在しました。さらに、賞の研究では、ヨーロッパでは旧石器時代人口集団の指標と考えられていた、mtHg-Vが異常に高頻度で見つかりました。遺伝学的研究手法の発展、とくに古ゲノム研究での次世代配列決定の採用によって、イベリア半島の7ヶ所の考古学的遺跡で発見された15個体の遺骸(バレンシアの新生児3個体と、成人12個体)から得られたmtDNAと核DNAの両方により詳細な知見が提供され[2]、イベリア半島の鉄器時代個体群は青銅器時代祖先系統と比較して、ヨーロッパ北部および中央部人口集団と関連する祖先系統の割合が増加していた、と分かりました[2]。

 現時点で、初期鉄器時代からローマ征服期にまたがるイベリア人に焦点を当てた体系的な古代ゲノム研究はなく、これはおもに鉄器時代の広範な火葬慣行に起因し、古代DNA解析に適した骨格遺骸が不足しています。イベリア人集団の遺伝的多様性を調べるために、イベリア文化と関連するイベリア半島北東部に位置する3ヶ所の遺跡(図2A)から発見された、新生児埋葬が分析され、それは、ビラルス要塞(VILA)とサン・ミゲル・ドレルドラ(OLE)とエル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ(CL)です。ビラルス要塞はイレルゲテス人部族の領域に位置しており、紀元前8世紀~紀元前3世紀まで居住され、長期の集落を表しており、これによって、前期~中期鉄器時代の移行期、換言すると先イベリア文化からイベリア文化までの研究が可能となります。サン・ミゲル・ドレルドラはケッセタニ人部族の領域に位置し、紀元前4世紀~紀元前2世紀の間にイベリア人が居住しており、確立されたイベリア人共同体への知見を提供し、手工業の専門化や交易網の証拠があります。最後に、エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡はアウセタニ人部族の領域に位置し、年代は後期鉄器時代(紀元前2世紀)から紀元後1世紀までとなり、この地域におけるローマの影響増加を反映しており、共和政ローマの軍事的基盤と関連する専門的な兵站および産業中心地として機能しました。以下は本論文の図2です。
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 まとめると、これら3ヶ所の遺跡は、遺伝的構成がイベリア半島北東部で鉄器時代への以降の重要な磁気にわたって、独立した在来共同体から、地中海およびローマとの相互作用増加によって形成される居住へと、どのように進化したのか調査するのに、通時的枠組みを提供します。この研究の目的は、3ヶ所のイベリア半島の遺跡の古ゲノム的特徴づけを提供し、前期鉄器時代からローマ征服期までの経時的な在来人口集団の遺伝的進化を評価して、イベリア半島の北東部地域における遺伝的祖先系統と混合と人口動態への知見を提供することです。


●イベリア文化の鉄器時代におけるゲノム規模データ

 新生児54個体のうち36個体が、ライブラリ生成のための必要にDNA抽出量に達しました(図2B)。80点のライブラリが、異なる方法論を用いて調整されました。12点のライブラリが除外されたのは、最初の5’末端部位において10%未満の損傷率を示したからです。さらに、mtDNAで100未満の読み取りを示したライブラリも除外されましたが、例外はVILA01とVILA02とVILA03とVILA08で、それは、これらのライブラリ(単一個体由来)ではmtHg割り当てが可能だからです。合計11点のライブラリは、mtDNAの回収読み取り数が少ないために除外されました。故に、57点の成功したライブラリが、配列決定された36個体のうち31個体で得られました。13個体(OLE03、OLE07、VILA01、VILA04、VILA07、VILA08、VILA10、VILA11、VILA16、VILA19、VILA21)が示したのは124万パネル[9]の2万ヶ所未満の常染色体SNPで、集団分析から除外されましたが、例外はOLE03(常染色体SNPが19084ヶ所)とVILA04(常染色体SNPが19381ヶ所)とVILA07(常染色体SNPが18610ヶ所)で、これらは124万パネル[9]のほぼ2万ヶ所の常染色体SNPを示しており、一部の分析で含められました。8個体(VILA12、OLE01、OLE04、OLE06、CL1、CL2、CL3、CL6)は、124万パネル[9]の2万~5万ヶ所の間の常染色体SNPを示しました。7個体(VILA13、VILA14、CL12、CL7、CL8、CL9、CL4)は124万パネル[9]の5万~10万ヶ所の間の常染色体SNPを示しました。最後に、4個体(OLE08、VILA05、VILA15、VILA18)は124万パネル[9]の10万ヶ所以上の常染色体SNPを示しました。PCAとADMIXTUREと個体のqpAdm分析については、124万パネル[9]の約2万ヶ所以上の常染色体SNPを示した22個体が用いられました。しかし、124万パネル[9]の5万ヶ所超のSNPを有する7個体のみが、集団分析に基づくf統計およびqpAdmに含められました。

 32個体について遺伝学的性別が推定されました。個体の約56%(32個体のうち18個体)が女性でした。女性の最高頻度はサン・ミゲル・ドレルドラ遺跡(6個体のうち5個体、0.83)とエル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ(9個体のうち6個体、0.67)で観察され、比較すると、ビラルスでの頻度は0.41(17個体のうち7個体)でした。

 31個体でmtHgが特定されました。mtHg-Hが最も一般的で、個体群の32.23%を構成し(H1とH2とH3とH4)、それに続くのが22.58%のmtHg-K(K1aとK1b)と16.13%のmtHg-U(U4とU5aとU5b)です。最も頻度の高い下位系統のmtHgはK1(ビラルス要塞のK1a3a、ビラルスとサン・ミゲル・ドレルドラの両要塞のK1a + 195、エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュのK1b1a)でした。顕著な多様性が全遺跡で観察され、多様な下位系統(H1、H3、H4、HV0、T2、K1、U4、U5a、U5b、N1、M1)がイベリア文化には存在していました。ビラルス要塞では、個体VILA01およびVILA07が同じハプロタイプを共有していました。さらに、同じ場所に埋葬された個体VILA16とVILA18とVILA21も、同じハプロタイプを共有していました。エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュでは、CL6およびCL7(H1at1)とCL9およびCL12(H3 + 152)がそれぞれ同じハプロタイプを共有していました。対照的に、サン・ミゲル・ドレルドラではハプロタイプの共有が観察されませんでした。

 YHgは、男性16個体のうち10個体で判定に成功しました。サン・ミゲル・ドレルドラ遺跡の個体ではYHgを判定できませんでした。最も多くの個体がYHg-R1bに属していましたが、個体VILA14はYHg-H2a1に分類されました。配列決定解像度を考慮して、YHg-R1b系統が個体間で同一だったのかどうか、評価されませんでした。

 ビラルスおよびサン・ミゲル・ドレルドラ要塞で実行された分析では、分析された個体については1親等もしくは2親等の関係は明らかになりませんでした。しかし、エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡では、1親等の関係がCL6とCL7の間で特定され、2親等の関係がCL1およびCL6とCL2およびCL6とCL2およびCL9の組み合わせで観察されました。

 1-f₃(個体1、個体2;ムブティ人)のMDS図は、イベリア半島北東部の全イベリア人集団がまとめて分析された場合、年代もしくは性別に基づいてクラスタ化しない(まとまらない)ことを示唆しました。各考古学的遺跡では、第1および第2次元に沿った一部のクラスタ化が観察できましたが、再び、性別や年代や遺跡における配置とは関連していませんでした。


●イベリア半島における青銅器時代と初期/中期鉄器時代との間(紀元前775~紀元前200年頃)の遺伝的連続性

 イベリア人の遺伝的特性を調べるために、本論文のデータセットが古代地中海個体群の収集と統合されました。これらの個体はヨーロッパとアフリカ北部とコーカサスとアジア南西部の現在の人口集団に基づくPCAの、最初の2主成分(PC1およびPC2)に投影されました。選別後に、124万パネル[9]の616427ヶ所の常染色体SNPが分析用に保持されました。

 ビラルスおよびサン・ミゲル・ドレルドラ要塞のほとんどの個体は、他の鉄器時代個体と密接にまとまっています。しかし、数個体はコーカサスとアジア南西部とアフリカ北部の現在の人口集団の方へとわずかな遺伝的移動を示しています(図3)。本論文で分析されたほぼすべてのイベリア人は、新石器時代から鉄器時代までの先史時代イベリア半島個体群によって確立されている遺伝的差異内に収まります。そうした遺跡の分析された個体群のうち、VILA18がVILA15とVILA13に近いにも関わらず、イベリア半島の在来の鉄器時代個体群のクラスタ内で密接にまとまっている、5万ヶ所以上の常染色体SNPを有しているのは、VILA15とVILA13だけです。より広範な鉄器時代遺伝的クラスタ内に収まるものの、常染色体SNPが2万~5万ヶ所の間の他の個体は、VILA07とVILA13とOLE03です(図3)。教師有ADMIXTURE分析の複製は、Pong第1.5版によると、0.997の平均的な組み合わせの類似性を示しました。ビラルスおよびサン・ミゲル・ドレルドラ要塞の5万ヶ所以上の常染色体SNPを有するイベリア人新生児は、WHGとアナトリア半島新石器時代とヤムナヤ文化青銅器時代祖先系統で構成される特性を示し(図4)、他の鉄器時代もしくは後期青銅器時代標本と酷似しており、イベリア半島の青銅器時代人口集団と比較して、草原地帯祖先系統の割合が増加しています。以下は本論文の図3です。
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 これらPCAおよびADMIXTUREに基づく観察をさらに評価するためな、5万ヶ所以上の常染色体SNPがある個体群を用いて、f₃形式(イベリア半島の遺跡、検証対象;ムブティ人)の外群f₃統計が実行されました。この分析を用いて、本論文のイベリア人に最も近い遺伝的一致が特定されました。その結果は、イベリア半島の青銅器時代および鉄器時代人口集団とより多い共有されている遺伝的浮動を示唆しており、それには、ケルト人や鉄器時代個体群やギリシア・ヘレニズム期やイベリア半島北東部の局所的なローマ人が含まれます。対照的に、現在のポルトガルの領域のローマ人集団やイベリア半島南部の後期カルタゴ人およびローマ人やイベリア半島北東部の混合ローマ人とは、より低い遺伝的類似性が観察されました。これらの結果は、イベリア半島北東部における青銅器時代から鉄器時代までの遺伝的連続性を裏づけています。以下は本論文の図4です。
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 遺伝的関係および潜在的な混合事象を調べるために、f₄形式(ムブティ人;イベリア半島の遺跡;検証対象、参照)のf₄統計が適用されました。正の有意な値から、イベリア半島の遺跡の人口集団は、検証人口集団とよりも参照人口集団の方と多くの遺伝的類似性を共有している、と示唆されます。ムブティ人が外群として選択されました。ビラルスおよびサン・ミゲル・ドレルドラ要塞個体群はまとめて分析され、他の地中化人口集団とよりも、イベリア半島の他の青銅器時代および鉄器時代人口集団の方と類似していた、と観察されました。

 イベリア半島北東部のイベリア人がそれ以前の地域人口集団との遺伝的連続性を示すのかどうか、検証するために、qpAdmを用いて、単一の人口集団およびそれ以前の人口集団の混合の両方として、イベリア人の祖先系統がモデル化されました。ビラルスおよびサン・ミゲル・ドレルドラ要塞の個体群が、これらの分析のため統合されました。イベリア半島の北東部および南東部の青銅器時代人口集団を用いた近位モデルでは、0.05未満のp値が得られ、モデル適合度は低いと示唆されました。次に、これら青銅器時代人口集団がさまざまな地中海人口集団と組み合わされ、それには、旧石器時代モロッコ人(イベロモーラシアン)と新石器時代モロッコ人とフェニキア人(イスラエル)とカルタゴ人(サルデーニャ島とシチリア島)が含まれました。どのモデルも有意性に達しませんでした。対照的に、イベリア半島北東部および南東部の青銅器時代人口集団がポントス・カスピ海草原地帯(黒海とカスピ海に挟まれた、ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)の青銅器時代人口集団ヤムナヤ文化個体群と組み合わされると、モデルは適合し、イベリア半島北東部青銅器時代(0.793)+ヤムナヤ文化(0.207)が0.143のp値なのに対して、イベリア半島南東部青銅器時代(0.778)+ヤムナヤ文化(0.222)は0.07のp値でした(図5)。以下は本論文の図5です。
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 注目すべきことに、ビラルス要塞の個体群のqpAdmモデルから、VILA04やVILA05やVILA07やVILA12やVILA18など前期鉄器時代の新生児(紀元前775~紀元前675年頃)は、在来の青銅器時代イベリア祖先系統のみを用いて適切にモデル化できる、と示唆されました。対照的に、VILA15(紀元前550~紀元前450年頃)やVILA14(紀元前450~紀元前325年頃)などその後の個体群は、青銅器時代イベリア祖先系統のみでは説明できず、ヤムナヤ文化もしくは他の地中海供給源からの追加の寄与を必要としました。


●ローマ到来(紀元前218年)前のイベリア半島北東部の鉄器時代におけるイベリア人と他の地中海文化との間の遺伝的相互作用

 ビラルスおよびサン・ミゲル・ドレルドラ要塞のほとんどのイベリア人個体は、PCAではイベリア半島の鉄器時代人口集団の一般的な多様性の内部もしくは近くでまとまっており、2個体(VILA04とOLE06)がこの鉄器時代クラスタ(まとまり)から逸れていて、コーカサスおよびアジア南西部の方へと動いています(図3)。さらに、VILA12とOLE01とOLE08は独特なパターンを示しており、アフリカ北部クラスタの方へと動いています(図3)。ADMIXTURE分析から、VILA04がイベリア半島新石器時代祖先系統を顕著な割合で有していたのに対して、VILA12とOLE08は旧石器時代モロッコ(イベロモーラシアン)祖先系統より低い割合で有していた、と明らかになりました(図4)。OLE01およびOLE06はイラン新石器時代および旧石器時代モロッコ(イベロモーラシアン)の両祖先系統を示しており、イベロモーラシアン祖先系統はOLE01で、イラン新石器時代祖先系統はOLE06で優勢です(図4)。留意すべきなのは、OLE08を除いて上述の標本の常染色体SNPは2万~5万ヶ所の間なので、これらの結果は注意深く解釈されねばならないことです。注目すべきことに、イベリア半島北東部のギリシア・ヘレニズム期の状況の他の局所的個体群および鉄器時代個体群も、ADMIXTURE分析で見られるように、イラン新石器時代祖先系統を有していました。これは、イベリア人と他の地中海人口集団との間のいくらかの相互作用が鉄器時代に起きていた可能性を示唆しています。

 これらの遺伝的つながりをより詳しく調べるために、イベリア半島北東部の新生児について、いくつかの近位qpAdmモデルが検証されました。ほとんどの個体は青銅器時代イベリア半島人口集団を用いての1方法モデルで適切に説明でき、追加の祖先系統供給源はイベリア半島北東部の新生児の遺伝的特性の説明には必要ないかもしれない、と示唆されます。例外はOLE06で、ビラルスおよびサン・ミゲル・ドレルドラ要塞で、PCAおよびADMIXTUREにおいて異なる挙動を示す唯一の個体です。OLE06については、青銅器時代イベリア半島人口集団を用いての1方向qpAdmモデルは充分な適合を提供せず(p値が0.05未満)、いくつかの2方向モデルでは許容可能な適合が提供され(p値が0.05超)、青銅器時代イベリア祖先系統が、旧石器時代モロッコ(イベロモーラシアン)や後期新石器時代モロッコやイスラエルのフェニキア人を含めて、他の地中海祖先系統と組み合わされます。しかし、これらのモデルが唯一というわけではなく、注意深く解釈すべきなのは、複数の代替的な組み合わせで統計的に同等の適合が得られるからです。さらに、OLE06は比較的低被覆度(約23000ヶ所のSNP)、モデルの解像度が制約されているかもしれません。しかし、OLE01やOLE03やOLE04など同様の被覆度の同じ遺跡の他の標本は、イベリア半島の北東部もしくは南東部青銅器時代人口集団の1方向モデルによって説明できました。

 5万ヶ所以上の常染色体SNPを有する他の個体(VILA05、VILA13、VILA14)もすべて、青銅器時代イベリア祖先系統を地中海構成要素と組み合わされるた、2方向モデルで充分に適合しました。たとえば、VILA05はイベリア半島北東部前期青銅器時代(0.56)+後期新石器時代モロッコ(0.44、p=0.889)もしくはイベリア半島南東部(0.517)+後期新石器時代モロッコ(0.483、p=0.973)のいずれかとしてモデル化できました。VILA13では、最適なモデルにはイベリア半島北東部(0.524)+後期新石器時代モロッコ(0.476、p=0.618)が含まれました。VILA14については、イベリア半島北東部青銅器時代(0.856)を旧石器時代モロッコ祖先系統(0.144、p=0.152)と組み合わせるモデルが、最良の適合を提供しました。

 全体的に、qpAdmがいくつかの標本で複数の妥当な混合状況を特定しますが、解決が一意性ではないことから、これらの結果は注意深く解釈すべきで、研究対象の個体群におけるアフリカ北部祖先系統の決定的証拠を構成していない、と示唆されます。


●後期イベリア人集団へのローマ人からの遺伝子流動の影響(紀元前125~紀元後50年頃)

 エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡の9個体のうち5個体では、そのうち1個体が5万ヶ所未満の常染色体SNPで、PCAではアフリカ北部クラスタに向かって明確な偏りを示しており、CL2およびCL7のみが鉄器時代個体群の近くでまとまっていました(図3)。ADMIXTURE分析は、エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡の個体間の異質な祖先系統を明らかにしました。一部の個体は他の鉄器時代標本で見られる典型的なWHGとアナトリア半島新石器時代とヤムナヤ青銅器時代のパターンを示しましたが、他の個体は旧石器時代モロッコ(イベロモーラシアン)および/もしくはイラン新石器時代祖先系統を有していました(図4)。このパターンはエル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡における独特な遺伝的組成を示唆しており、その年代は紀元前125~紀元後50年頃となり、この期間にはイベリア半島北東部におけるローマ人の存在はすでに充分に確立していました。

 遺伝的類似性を調べるために、f₃形式(EL個体、検証対象;ムブティ人)の外群f₃統計が計算され、検証対象には、イベリア半島の青銅器時代と鉄器時代とローマ期の集団が含まれました。ビラルスおよびサン・ミゲル・ドレルドラ要塞で観察されたように、エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡個体群に最も近い遺伝的一致は青銅器時代および鉄器時代人口集団やイベリア半島北東部の局所的なローマ人集団で、イベリア半島の他地域の混合もしくは後期ローマ人集団、あるいは南方のカルタゴ人ではありませんでした。

 遺伝的関係と潜在的な混合の兆候をさらに調べるために、f₄形式(ムブティ人、EL個体;検証対象、参照)のf₄統計が実行され、参照の4人口集団は、青銅器時代集団と鉄器時代集団と局所的なローマ人と混合したローマ人で、そのすべてはイベリア半島北東部に由来します。参照として青銅器時代と鉄器時代とローマ期の人口集団で進めていくと、一貫した時間的パターンが観察されました。多くの比較が参照としてのイベリア半島北東部青銅器時代人口集団との有意な正の結果を示しており、これが意味するのは、エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡個体群は検証人口集団とよりも青銅器時代人口集団の方と多くの遺伝的浮動を共有していたことです。イベリア半島北東部鉄器時代人口集団を参照として用いると、強い正の兆候の数は減少し、エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡個体群は遺伝的にそれ以前の青銅器時代人口集団とよりも他の鉄器時代人口集団の方と類似していた、と示唆されます。この傾向はローマ人集団を参照としたばあいにも続き、有意な正のf₄値はさらに少なくなり、エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡個体群はローマ期のより広範な遺伝的景観とさほど区別できなくさえなった、と示唆されます。

 まとめると、時系列が進むにつれて、次第に強く有意な正の結果では漸進的減少が示され、同時代の人口集団との遺伝的類似性と一致します。混合ローマ人集団を参照として用いると、このパターンは明確に変化しました。強い正の結果が得られる代わりに、多くの比較では負の有意なf₄値が得られ、エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡個体群は混合したローマ人集団自体とよりも、検証人口集団と多くの遺伝的浮動を共有していた、と示唆されます。この結果は、エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡個体群が強いイベリア人の遺伝的痕跡を保持していた、と反映している可能性が高そうです。換言すると、これらの比較における負の値から、エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡個体群は、遺伝的に多様な混合ローマ人集団内よりも、在来のそれ以前のイベリア半島の共同体内で適合する、と裏づけられます。

 f統計はエル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡個体群とそれ以前のイベリア半島人口集団との間の強い分化を明らかにしませんでしたが、PCAとADMIXTURE分析は独特な遺伝的組成を示唆しました。これを明らかにするために、さまざまなqpAdmモデルが評価されました。まず、ビラルスおよびサン・ミゲル・ドレルドラ要塞に適用されたモデルが繰り返され、エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡個体群がイベリア半島の北東部初期青銅器時代人口集団もしくは南東部青銅器時代人口集団のみで説明できるのかどうか、検証されました。これらのモデルは0.05未満のp値を示しました。検証された2方向モデルでは2件が許容され、p値が0.531のイベリア半島北東部前期青銅器時代(0.764)+ヤムナヤ草原地帯(0.236)と、p値が0.096のイベリア半島南東部青銅器時代(0.761)+ヤムナヤ草原地帯(0.239)です(図5)。次に、5万ヶ所以上の常染色体SNPを有する、イベリア半島の遺跡で見つかった親族関係にない全個体を用いて、イベリア祖先系統に基づき近位モデルが検証されました。この事例では、エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡個体群の祖先系統はイベリア祖先系統によって説明できる、との最も単純なモデルがp値0.06で有意でした。2方向モデルのうち、1件だけが充分に適合し(図5)、イベリア祖先系統(0.718)を後期新石器時代モロッコ祖先系統(0.282、p=0.160)と組み合わせました。これらの結果から、エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡人口集団はおもに在来のイベリア半島人口集団に由来し、他の地中海供給源からのいくらかの寄与がその遺伝的組成の完全な説明に必要だった可能性は高い、と示唆されます。

 エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡の全個体は、イベリア祖先系統に基づく近位1方向qpAdmモデルでモデル化できます。しかし、検証された2方向モデルでは、2個体のみで有意となり、CL1(5万ヶ所未満の常染色体SNP)はイベリア祖先系統(0.499)とサルデーニャ島の後期カルタゴ祖先系統(0.501)でモデル化され、p値は0.829で、CL8もイベリア祖先系統(0.581)とサルデーニャ島の後期カルタゴ祖先系統(0.419)でモデル化され、p値は0.482でした。しかし、準近位モデルについては、CL1やCL2やCL9やCL4などイベリア半島の青銅器時代祖先系統に基づく個体は、さまざまな地中海祖先系統が含まれたいくつかの2方向モデルを示しました。


●考察

 ビラルスおよびサン・ミゲル・ドレルドラ要塞の一部の個体は評価できませんでしたが、割合は異なるものの、男女の個体が3ヶ所の遺跡すべてで特定されました。この差異は限られた標本規模に得依拠を受けている可能性が高く、そのため、性別分布について決定的結論を導く能力が制約されます。それにも関わらず、各遺跡における両性の存在は、先行研究で観察された自然死のパターンと組み合わされて、人口集団の代表的標本があることを示唆しています。これは、遺伝的近縁性が分析されたさいにも見られ、1親等および2親等の関係はわずかしか見つかりませんでした。ビラルス要塞では、1親等もしくは2親等の関係は見つかりませんした。しかし、mtDNAハプロタイプを共有している一部の事例が個体群では見つかり、一部はともに埋葬されていました。個体群の一部の組み合わせで回収された共通の常染色体SNPの少なさから、個体間の遺伝的近縁性の判定はできませんでした。興味深いことに、サン・ミゲル・ドレルドラ遺跡の2個体(OLE06とOLE04)は以前に、壁の近くで発見され、反対方向に位置し、脚が絡み合い、堆積物が2点の骨格を分離していなかったため、双子と仮定されました。しかし、ゲノム規模分析では、両者が親族関係になかった、と確実に明らかになりました。さらに、この両個体は異なるmtHgを示しており、OLE04がN1a1a1a3、OLE06がM1です。これらの調査結果は、この両個体が双子だった可能性を決定的に除外します。エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡では、わずかに多い遺伝的近縁性のパターンが観察され、姉妹の1組と2親等の関係の2組が特定されました。

 分析された3ヶ所のイベリア半島の遺跡では、ミトコンドリア系統の高度な多様性が明らかです。H・J・T・K・N・Uなどの系統は通常、ヨーロッパライブと関わっており、新石器時代農耕民の拡大と関連しています[44]。こうした系統のほとんどは、鉄器時代にイベリア半島の領域ですでに検出されていました[2]。しかし、アジア南西部やアフリカ北東部とも関連しているmtHg-N1の下位ハプログループと、アフリカ北西部に特徴的なmtHg-M1の下位系統の存在は、より広範な遺伝的影響を示唆しているかもしれません。注目すべきことに、このミトコンドリアの多様性は、分析された個体数が少ないにも関わらず、高度です。このパターンは、北部ケルト人もしくは北東部ギリシア・ヘレニズム期人口集団など、イベリア半島の他の鉄器時代共同体と一致していますが、低い多様性を示したブリテン島のケルト人[49]とは対照的です。注目すべきことに、通常はヨーロッパ東部と関連しているmtHg-U4d2が、最新の個体(CL4、紀元前50~紀元後50年頃)で見つかりました。mtHg-Vはどの個体でも検出されず、イベリア半島の領域で行なわれた以前のゲノム研究とは対照的です。しかし、その研究はmtHg-Vを定義する部位として16298Cを使っており、今では、この部位はmtHg-HV0を定義するのに用いられ、mtHg-HV0は本論文の個体群では頻繁に見られました。

 YHgについては、ヨーロッパおよびイベリア半島におけるそれ以前の系統をほぼ置換した、青銅器時代における草原地帯関連個体群の到来と関連するR1b系統の予測された優勢が観察されます。しかし、H2a1(VILA14で検出)など新石器時代のYHgの存続は、それ以前の人口集団との連続性を浮き彫りにしています。YHg-H2の下位系統が、イベリア半島[2、9、11、13]および他のヨーロッパ人口集団[53]の後期新石器時代および銅器時代で検出されてきました。さらに、YHg-H2a1は以前に、チェコ共和国の青銅器時代の2個体とフランスの新石器時代の2個体で見つかりました。

 本論文の結果から、イベリア半島北東部における青銅器時代から鉄器時代への移行は顕著な外部からの流入なしに起きた、と示唆され、先行研究[2]と一致します。この移行は在来共同体の連続性を浮き彫りにします。この在来共同体は先行研究ではイベリア人へと発展した、と提案されており、後期青銅器時代社会の階層的首長制、最終的には顕著な外部からの流入のない古代貴族国家への変容が強調されました。注目すべきことに、青銅器時代イベリア半島と比較しての鉄器時代イベリア半島北東部における草原地帯関連祖先系統の増加は、ヨーロッパ中央部からのさらなる遺伝子流動から生じた、と以前に示唆されました[2]。それにも関わらず、青銅器時代人口集団を形成した親族関係にない青銅器時代の11個体が、異なる5ヶ所の考古学的遺跡から発見され、個体間の大きな差異が示されました[2、13]。この領域の鉄器時代における草原地帯関連祖先系統の増加を検証するには、イベリア半島北東部のより多くの青銅器時代個体の分析が必要です。

 ビラルス要塞個体群は青銅器時代および鉄器時代人口集団や、イベリア半島北東部全域のさまざまな文化の鉄器時代個体群と密接に一致します。しかし、地中海からの影響が、遺伝学的に検出されました。この観察は、ビラルス遺跡から回収された物質文化と一致します。それ以前の段階(紀元前775~紀元前450年頃)には、土器のほとんどは先イベリアもしはくイベリア伝統に相当します。しかし、早くも紀元前700~紀元前550年頃には、フェニキア人の影響の証拠がビラルス遺跡に現れ、それには宝飾品と土器が含まれます。ビラルス遺跡の分析結果は、より広範な人口集団内の個々の差異を浮き彫りにします。同様の平穏な青銅器時代~鉄器時代の移行はイベリア半島や現在のフランスの領域で報告されてきました。

 青銅器時代以降の遺伝的連続性は、サン・ミゲル・ドレルドラ遺跡でも観察できます。しかし、サン・ミゲル・ドレルドラ遺跡ではビラルス要塞より高い割合の地中海祖先系統が検出されました(PCAとADMIXTUREとmtDNAが用いられました)。これは、サン・ミゲル・ドレルドラ遺跡が沿岸により近く、ビラフランカ川を通じて地中海と接続されており、サン・ミゲル・ドレルドラ遺跡から約15~17km離れて位置する、イベリア半島のダロおよびシッチェス遺跡における2ヶ所の潜在的な港につながっている、という事実と関連しているかもしれません。ほとんどの個体(OLE01とOLE06とOLE08)は、PCAとADMIXTUREで証明されているように、ある程度の地中海祖先系統を有している、と示唆されていまするしかし、OLE06は、青銅器時代祖先系統のみでは説明できず、追加の地中海もしくはヤムナヤ祖先系統を必要とする、サン・ミゲル・ドレルドラ遺跡の唯一の個体です。OLE06は、M1に属すmtHgを示しました(アフリカ北部祖先系統)。この混合によって、OLE06は外れ値で、地元の個体ではなかった、と考えることができます。しかし、誕生時に死亡した新生児として、最も妥当な結論は、OLE06が地元の個体と密接なカルタゴ祖先系統を有する女性との間の子供だったことです。この仮説は、多くのカルタゴ(カルタゴ人・エブスス人と地中海中央部)の両取っ手付き壺と土器が、サン・ミゲル・ドレルドラ遺跡のイベリア人層全体で見つかってきた事実によって、裏づけることができるかもしれません。イタリアおよびギリシアの土器もこの年代に見つかっており、他の標本で見られる地中海祖先系統とも相関しているかもしれません。しかし、イベリア半島の遺跡における両取っ手付き壺や軟膏壺や準高級食器の存在が、通商上の交換と関連していたことに、留意すべきです。

 鉄器時代には、イベリア人はより高い割合のヤムナヤ祖先系統を示しました。このパターンは、イベリア半島の遺跡の背景が不明な鉄器時代個体群において先行研究[2]で、イベリア半島北部のケルト人個体群において別の先行研究でも特定されました。しかし、この両研究のどちらも、個体における地中海祖先系統を分析しませんでした。本論文の個体群の分析から、イベリア人は他の地中海文化と相互作用していた、と確証されます。考古学的証拠によって裏づけられるこれらの相互作用は、イベリア半島人口集団に遺伝的痕跡を残しましたが、証拠が示しているのは、多くの他のヨーロッパ鉄器時代人口集団で起きたように、イベリア半島人口集団における持続的な遺伝的連続性です。

 ローマ人の到来は、文化的および遺伝的両面で、漸進的ではあるものの変容的な移行をイベリア人共同体に残しました。f統計はエル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡個体群とそれ以前のイベリア半島人口集団との間の強い分化を明らかにしませんでしたが、PCAとADMIXTUREは個体の一部について独特な遺伝的組成を示しており、いくらかの変化を伴う人口集団の連続性が示唆されます。エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡人口集団の2方向近位qpAdm分析は、地中海祖先系統の存在を明らかにしました。これらの調査結果は、エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡がローマ軍と結びついている金属加工および兵站と関連していることを考えると、驚くべきことではありません。じっさい、イベリア文化とローマ・イタリア文化の融合はエル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡の構造において明らかで、礎石や土壁のような在来の建築物資を活用しながら、中央の中庭を伴う長方形の家屋など、ローマ・イタリア様式を組み込んでいます。エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡における埋葬慣行はイベリア人の伝統と一致しており(たとえば、火葬)、土器群にはイベリア式の人工遺物とローマ・イタリア式の人工遺物の混合が含まれています。さらに、回収された硬貨のほとんど(90%)はイベリア半島起源ですが、マッシリア(現在のマルセイユ)のローマおよびギリシアの硬貨も発見されてきました。

 個体CL12とCL6とCL7は以前の在来人口集団に最も近く、ADMIXTUREおよびqpAdmモデルでは地中海祖先系統の痕跡がありません。上述のように、エル・キャンプ・デ・レス・リョセシュ遺跡におけるローマ人の影響は明らかで、地中海もしくはアフリカ北部祖先系統の導入に寄与したかもしれません。しかし、エブスス(現在のイビサ島におけるフェニキア人都市)やトリポリ地域(アフリカ北部)やイベリア半島南部(ジブラルタル海峡周辺)の土器の存在から、これらの祖先系統はフェニキア人もしくはカルタゴ人との接触によっても導入されたかもしれない、と示唆されます。アフリカ北部および東部で最も一般的に見られるmtHg-M1a3aを有していたCL2は、異なる事例でした。CL2については、アフリカ=間歩もしくは東部からの影響は検出されず、それは低い核DNAの被覆度に起因している可能性が高そうで、その祖先系統は、唯一の寄与供給源としてイベリア半島北東部前期青銅器時代集団を用いての、1方向qpAdmモデルと一致しました。mtHg-M1a系統は、イベリア半島中央部地域の鐘形杯文化の1個体におけるmtHg-M1a1b1など、イベリア半島で以前に特定されてきましたが、特定のmtHg-M1a3aの下位系統はイベリア半島の古代の個体群では報告されていませんでした。これは、mtHg-M1a3aがそれ以前の移住もしくは接触によってもたらされたものの、ごく低頻度のままだった可能性を示唆しているかもしれません。経時的に、関連するアフリカ北部核祖先系統は在来人口集団との混合を通じて希釈されたかもしれず、CL2におけるアフリカ祖先系統の最も強い遺伝的痕跡として、このmtHg-M1a3aが遺されました。CL2が2万~5万ヶ所の間の常染色体SNPを示しているので、ゲノムの結果は注意深く扱われねばならないことに、留意せねばなりません。CL1とCL8とCL9はADMIXTUREと準近位qpAdm2方向モデルの両方で地中海祖先系統の兆候を示しましたが、古代のイベリア半島(CL1はK1b1a、CL8ではH3、CL9ではH3 + 152)およびヨーロッパ西部で一般的に見られるミトコンドリア系統を示しました。

 本研究は、イベリア文化に属する鉄器時代イベリア半島共同体の起源と進化への最初の古ゲノム的知見を提供し、家屋や生産活動区域の床下に埋葬された新生児に焦点を当てました。本論文の調査結果は、イベリア文化が在来の青銅器時代人口集団から発生し、鉄器時代を通じて漸進的に発展した、との考古学的仮説を確証します。他の地中海供給源との相互作用がイベリア人の発展に寄与しましたが、その遺伝的独自性はおおむね維持されました。しかし、ローマ人の到来とともに、新たな遺伝的影響がもたらされ、顕著な社会および政治的変容とともに、より多様なイベリア・ローマ人集団へとつながりました。本研究は、イベリア半島の共同体の複雑で持続的な遺伝的遺産を浮き彫りにしています。


●本研究の限界

 イベリア文化における組織的な火葬慣行のため、新生児が唯一の利用可能な土葬された人類学的標本を構成しています。結果として、遺伝学的推論は住居埋葬の状況に組み込まれた個体群に由来し、鉄器時代共同体の全年齢構造ではなく、生活史の初期での死亡と家族単位での慣行を反映しています。

 本研究は、異なる古代DNAの保存状態やデータ解像度とおもに関連する限界に直面しています。ゲノム規模データは異なる被覆度水準で回収され、124万パネルの約2万~5万ヶ所ヶ所の常染色体SNPが11個体で、5万ヶ所以上の常染色体SNPが別の11個体で得られました。両群はPCAおよびADMIXTUREモデル化に含められ、広範な規模の人口構造と鉄器時代にわたる時間的な祖先系統の傾向の評価が可能となりました。人口集団についてのf統計およびqpAdmを含めて形式的なアレル(対立遺伝子)頻度に基づく分析は、5万ヶ所以上の常染色体SNPの個体群に限定されており、そうした個体については、データが充分な検出力と信頼性を提供しました。さらに、少ない内在性DNA含有量は、片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアと父系のY染色体)、とくにYHgの判定にも影響を及ぼしました。


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