パラオの人口史
取り上げるのが遅れてしまいましたが、パラオの古代人のゲノムデータを報告した研究(Liu et al., 2026)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、パラオの2900~500年前頃の4ヶ所の遺跡から発見された21個体のゲノムデータを報告し、この21個体全員が、アジア東部人と関連する約60%の遺伝的祖先系統祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)、およびパプア人と関連する約40%の祖先系統を有している、と示しました。このゲノム構成はパラオの現代人と似ており、長い人口連続性を示しています。パラオに最初の人類が定住する前に、この2祖先系統の混合はすでに起きていたことも分かり、これは、太平洋南西部の最初期住民の遺伝的構成要素が、ほぼ完全にアジア東部関連祖先系統だったこととは対照的です。遠(リモート)オセアニアと近(ニア)オセアニアは古代ゲノム研究に適した環境ではありませんが、近年の古代ゲノム研究の進展は目覚ましく、今後も大いに注目される地域です。以下は本論文の要約図です。
以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、cM(centimorgan、センチモルガン)、MP(Malayo-Polynesian、マレー・ポリネシア)語派、AMS(accelerator mass spectrometry、加速器質量分析法)、PNG(Papua New Guinean、パプアニューギニア人)、NG(New Guinea、ニューギニア)FRO(First Remote Oceanian、最初の遠オセアニア人)、SWP(SouthwestPacific、南西太平洋)、NB(NewBritain、ニューブリテン島)、OOA(Out Of Africa、出アフリカ)、C(carbon、炭素)、N(nitrogen、窒素)、CI(confidence interval、信頼区間)、DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)です。
本論文で取り上げられる主要な人類集団や言語は、コルディリェラ人(Cordilleran)、カンカナイ人(Kankanaey)、チャモロ語(CHamoruはグアムの言語学の専門家に好まれ、Chamorroはマリアナの他の地域で用いられています)、傣人(Dai)、バヌアツ現地人(ni-Vanuatu)、ナシオイ(Nasioi)人です。本論文で取り上げられる主要な文化は、ラピタ(Lapita)文化、ウナイ(Unai)文化、ラッテ(Latte)文化、フヨン(Huyong)文化です。
本論文で取り上げられる主要な地名や島は、バベルダオブ(Babeldaob)島、コロール(Koror)島のゲサオル(Ngesaol)のゲルメレウエス尾根(Ngermereues Ridge)埋葬洞窟およびウチェリウングス・ロックアイランド(Ucheliungs Rock Island)、ウルクターブル島(Ngeruktabel)のオメドクル・ロックアイランド(Omedokl Rock Island)埋葬洞窟および(Ngkeklau)、バベルダオブ(Babeldaob)島北東部のガクラオ(Ngkeklau)、チェレコル・ラ・オラック(Chelechol ra Orrak)、ウーロン島(Ulong Island)、アドミラルティ諸島(Admiralty Islands)のマヌス(Manus)島、チューク(Chuuk)諸島、ポンペイ(Pohnpei)保護環礁、パプアニューギニアのセピック(Sepik)地域、インドネシアのモロタイ(Morotai)島のアル・マナラ(Aru Manara)石灰岩洞窟およびタンジュン・ピナン(Tanjung Pinang)、インドネシアの北マルク州(Northern Maluku)とハルマヘラ(Halmahera)島です。
●要約
遠オセアニアに最初の人類が到達したのは3000年前頃で、太平洋南西部とマリアナ諸島とパラオにほぼ同時に到来しました。しかし、パラオのゲノム規模古代DNAデータは理由できず、本論文は2900~500年前頃の間の4ヶ所の考古学的遺跡から発見された21個体の報告によって、この空白に取り組みます。この21個体は全員、アジア東部人と関連する約60%の祖先系統、およびパプア人と関連する約40%の祖先系統を有し、現在のパラオ人と類似しており、オセアニアのどこよりも長い人口連続性となります。最古級の個体群における連続的なパプア人祖先系統断片の長さから、標本抽出されたパプア人全員の祖先におけるパプア人とアジア東部人との間の主要な混合は、最初の定住の前に始まった、と示されます。これは太平洋南西部のパターンとは異なっており、太平洋南西部では、異なる3ヶ所の島のラピタ考古学的文化の標本抽出された個体群は、ほぼ完全なアジア東部祖先系統を有しており、大量のパプア人との混合がやっと観察されるのは、その数百年後です。
●研究史
ラピタ考古学的複合体の人々から得られた古代DNAデータでは、年代が3000~2500年前頃にまたがり、異なる2ヶ所の群島の3ヶ所の遺跡から標本抽出された、太平洋南西部のこの最初の文化の分析された全個体は、96~100%程度のアジア東部祖先系統を有しており[1~8]、もはや混合していない形態では存在せず、FRO(FROSWP)と呼ばれてきた人口集団に由来する[2、3、5、6]、と示されています。遺伝学的分析から、これらの個体のアジア東部人の祖先はフィリピンのルソン島北部のコルディリェラ人(たとえば、カンカナイ人)と最も密接に関連しており[1~8]、台湾の新石器時代および鉄器時代集団との関連はより遠い[10、11]、と示唆されています。2500年前頃のラピタ文化後の個体群以降、大規模でおもに男性手動の太平洋南西部への移住があり、これはニューギニアおよび近隣の島々で数万年支配的で、具体的にはビスマルク諸島のニューブリテン島の人々と関連している系統(パプア人NB)からのほぼ完全なパプア人祖先系統を有していました[3~6]。現在、ほとんどの先住のバヌアツ現地人は80%超のパプア人祖先系統を有しており、これは東方ではフィジーへも広がり、さらに東方へとポリネシアに拡大して、ポリネシアでは現在、人々の祖先系統の少なくとも25%パプア人関連です[2]。
ミクロネシアでは、2800~2400年前頃となるマリアナ南部(グアム)のウナイ期個体群から、最古級の古代DNAが得られています[6、8]。その祖先系統(FROマリアナ)は太平洋南西部のラピタ文化個体群と近い姉妹群です(FROSWP)。マリアナのラッテ期の個体群(グアムとサイパン)の祖先系統の15%は、パセオの現代人の主要なアジア東部祖先系統(FROパラオ)と関連する別のアジア東部供給源に由来し、この人々は2400~1700年前頃に、おそらくはマリアナの新たな土器様式および内陸部の集落拡大によって特徴づけられるフヨン期にFROマリアナと混合しました。ポンペイやチュークなどミクロネシア中央部の島々の居住はその後で、マリアナの人々と共有されており、太平洋南西部の混合の証拠は2500~2000年前頃です[6]。しかしミクロネシア中央部では、混合の供給源は異なっており、男性のパプア人NG(太平洋南西部のようなパプア人NBではなく)と女性のFROSWP(FROマリアナとミクロネシア西部のFROパラオのどこかのアジア東部供給源とは異なります)祖先系統でした[6]。
パラオの歴史は、遠オセアニアにおけるヒトの出現の物語において中心的です。ヒトはまずパラオの石灰岩ロックアイランドと火山性のバベルダオブ島に3200年前頃に居住し、これはマリアナと太平洋南西部に別の移住の波が到達したのと同じ時期です。別の再構築では、パラオ語はMP語派内の残留下位集団の一部とされ、MP語派はフィリピンやマリアナやインドネシア西部(遠くスラウェシ島とボルネオ島まで)とアジア南東部本土で話されている言語からも構成されています。別の再構築では、パラオ語とチャモロ語とオセアニアのオーストロネシア語族(遠オセアニアの大半で話されています)は、等しく異なる枝に割り当てられています。これらの再構築は、パラオとマリアナと太平洋南西部と遠オセアニアの他地域で話されている言語には共通の起源がある、つまり、その後で少なくとも異なる3系統に分岐した単一の遠オセアニア祖先人口集団を示唆している点で一致します。遺伝学的手がかりも、パラオの重要な役割を示しています[6]。パラオにはFRO系統の最初の分岐(FROパラオ)があり、現代パラオ人の祖先系統の約60%に寄与しており、残りはおもに、ニューギニア本土と関連する男性由来のパプア祖先系統(パプア人NG)で、混合年代は2800~2000年前頃と推定されています。現在のパラオ人から得られた遺伝学的証拠は、ミクロネシア中央部やマリアナや太平洋南西部から得られた古代DNAとともに、2500~2000年前頃の間の遠オセアニアにおける、主要な性別の偏った移住および相互作用の異なる4回の事例を明らかにします。パラオ古代人からのDNAなしには、このミクロネシア最南西部諸島の役割は、依然として不明でした。
●分析結果
パラオの4ヶ所の考古学的遺跡から発見された、37点の骨格標本が分析されました(図1A)。その内訳は、コロール島のゲサオルのゲルメレウエス尾根埋葬洞窟(OR-3:30、以下、コロール採石場)から22個体、ウチェリウングス・ロックアイランド埋葬洞窟(OR-14:8、以下、ウチェリウングス)から6個体、オメドクル・ロックアイランド埋葬洞窟(OR-15:8、以下、オメドクル)から4個体、バベルダオブ島北東部のおそらくはガクラオ地域(以下、ガクラオ)から5個体です。100万ヶ所以上のSNPについて、溶液濃縮を用いてゲノム規模古代DNAデータが生成されました。対象の近くのSNPを含めて、最大で約200万ヶ所の多型SNPからのデータが分析されました。汚染の証拠がない個体のみを選別後、21個体でデータが回収され、コロール採石場から12個体、ウチェリウングスから3個体、オメドクルから3個体、ガクラオから3個体です(表1)。これらの個体のうち、密接な親族や長いROHやIBD断片の大きな共有は見つかりませんでした。以下は本論文の図1です。
正確な年表は、この研究の主要な調査結果にとって重要です。13個体で17点のAMS放射性炭素年代が生成され、この13個体ではゲノム規模古代DNAデータも得られました。これらの各年代について、コラーゲンの保存状態について情報を提供する、炭素および窒素同位体の測定値が得られました。12点の標本が、ジョージア大学応用同位体研究所で前処理され、年代測定されました。ニューメキシコ大学安定同位体研究所で追加の5点が前処理され、続いてペンシルベニア州立大学で年代測定されました。炭素と窒素の原始重量比(C:N)が2.9~3.4の推奨範囲ではなかった年代は、除外されました。標本1点で2点の年代が得られ、一方があり得る汚染を除去するために限外濾過もしくはアミノ酸分離によって前処理された骨のコラーゲンに基づき、もう一方がそうした前処理がなされなかった場合は、常に前処理に基づく年代が用いられました。これらの手順の適用後に、11点の標本で直接的年代が得られました。
ウチェリウングスから得られた年代のうち2点は、パラオの定住時期に近く、ウチェリウングス遺跡の文化資料の予測される放射性炭素年代の範囲内に収まり、較正年代では、I41048は2924~2710年前(限外濾過の年代)、I41049は2776~2495年前です。骨のコラーゲンの放射性炭素年代の食性補正は、食事のタンパク質に由来するコラーゲンに組み込まれた、海洋性炭素の割合を反映するはずで、食性全体の海洋性食料の割合を反映しているわけではありません。本論文の主要な分析について、50%の海洋性蛋白質と50%の陸生タンパク質の仮定を用いて、年代が較正されました。タンパク質における海洋性の割合と海洋貯蔵相殺について、さまざまな他の仮定でも年代が推定され、パラオの最初の定住に選好するパプア人とアジア東部人との間の主要な混合に関する本論文の重要な調査結果は堅牢だった、と分かりました。
●ほぼ3000年間にわたってのパラオにおける少なくとも40%のパプア祖先系統
人口構造の概要を得るために、異なる配列で遺伝子型決定された多様な太平洋人口集団からのデータの統合によって、約300万のSNPでPCAが実行されました。現在の傣人(中国南部)とナシオイ人(ソロモン諸島北部)とニューギニア人(パプアニューギニアの高地東部と中央セピック地域)から得られた全ゲノムショットガン配列決定データを用いて軸が計算され、他の個体が投影されました。第1主成分(PC)はアジア東部関連祖先系統の割合と相関していますが(PC1、左側は下方、右側は上方)、第2主成分はソロモン諸島とニューギニアからパプア祖先系統を区別します(PC2、上方から下方)。コロール採石場とウチェリウングスとオメドクルとガクラオの古代の個体群や現在の個体群は、ニューギニアと他のミクロネシアの集団をつなぐ遺伝的勾配に沿って位置しています。
対称性f₄統計(X、カンカナイ人;ニューギニア高地人、傣人)が計算され、パラオの古代の全個体には顕著なパプア人との混合があった(パプア祖先系統の証拠がない基準としてカンカナイ人が用いられました)、と確証されました。アジア東部人との混合に起因する偏りの補正後に、さまざまなパプア人供給源との類似性を計算する、f₄統計に基づく回帰手法を用いて、パプア人との混合はソロモン諸島もしくはビスマルク諸島の人々とよりもニューギニア高地人集団とより密接に関連し、ごく小さな標準誤差で約40%の遺伝的祖先系統に相当する、と分かりました。この推定値は、同じ手法によって推定される現在のパラオ人におけるパプア人祖先系統の水準[6]とひじょうに類似しています。パラオのパターンは太平洋南西部とは定性的に異なっており、パラオが過去2800年間にわたって比較的安定した水準のパプア祖先系統を示すのに対して、バヌアツは2500年前頃のラピタ期末に続く急激な増加を示しています(図2)。以下は本論文の図2です。
qpAdmを用いると、ウチェリウングスのパプア祖先系統(43.2±0.9%)はコロール採石場(40.7±0.7%)やオメドクル(40.0±0.9%)やガクラオ(39.6±0.8%)よりわずかに高かった、と推定されます。f₄統計(X、ウチェリウングス;ニューギニア高地人、傣人)が計算され、コロール採石場やオメドクルやガクラオと比較して、ウチェリウングスにおけるパプア祖先系統の小さいものの統計的に有意な過剰が確証されました。放射性炭素年代の範囲(表1)に基づいてこれらの個体が分類され、それぞれ、2900~2500年前頃、1700~1200年前頃、700~500年前頃です。パラオにおけるパプア祖先系統の割合は、基準としてウチェリウングスの個体群(2900~2500年前頃)を用いると、経時的に最大10%減少し、この減少が統計的に有意だったことは、f₄統計で確証されました。現代人と同様にすべての遺跡で、パラオのパプア祖先系統はおもに男性の祖先に由来する、と推測され、X染色体よりも常染色体の方でパプア祖先系統は有意に多くなっています。
グアムのウナイ後期およびラッテ期個体群とバヌアツおよびトンガのラピタ集団は一貫して、先史時代のパラオのアジア東部祖先系統と一致しますが、1個体は他の個体よりも統計的に適切な代理ではありませんでした。先史時代パラオ人における独特なFROパラオ系統について形式的に検証するために、今度はパラオ人を表す古代DNAデータの使用によって、補足図S3で示されるような混合図が修正されました。最適なモデルでは、先史時代のパラオ人が、現在のパラオ人と同様に、約60%のFROパラオと約40%のパプア祖先系統を有する、と推定され、これはパラオにおける少なくとも2800年間の強い遺伝的連続性の証拠を提供します。
●パラオ人におけるパプアおよびアジア東部祖先系統はパラオの最初の定住前に混合しました
DATESを用いると、FROパラオとパプア人NGの系統間の混合の平均時期は、最古のパラオの個体I41048が生きていた時期の30.1±3.5世代前と(95%CIで37~23世代前)推定されます。人類学的および遺伝学的研究[19]に基づいて、1世代の平均年代は28.4±0.7年(95%CIで27~30年)と仮定されます。最古級のウチェリウングス個体(I41048)の直接的な年代範囲がさらに組み込まれ、較正後の年代は2799±53年前(95%CIで2924~2710年前)です。3点すべての標準誤差を考慮すると、混合時期の95%CIは3880~3429年前頃と分かりました。パラオは一般的に、ウーロン島の放射性炭素年代に基づいて、3200~3000年前頃に居住された、と考えられています。この考古学的推定と本論文の遺伝的データを組み合わせると、パラオの最初の人々の祖先はすでに、太平洋南西部へのパプア祖先系統の2500年前頃の大規模な移動の1000年近く前に、パプア祖先系統の人々と混合していた、と結論づけられます(図3)。以下は本論文の図3です。
ウチェリウングスの2番目に古い個体(I41049)の放射性炭素年代の不確実性範囲は、最古の個体と重なります。この2個体の分析を組み合わせると、依然として3864~3213年前頃の混合年代が得られ、これはパラオへの考古学的に推定された定住より古くなります。より新しいパラオの個体群の混合年代に関する本論文の推定値の95%CIは、多数の事例で決定的に3200年前頃より古い混合年代を示唆しており、つまりは定住に先行しているものの、一部のCIは3200年前頃以後も含んでいます。現在のパラオ人については、混合年代推定値は2791~2040年前頃で顕著に新しく、これは、3200年前頃以後のパラオへの継続的な移住によって説明でき、じっさい、その後の個体群におけるアジア東部祖先系統のより高い割合と一致します。
パラオの最初の定住に選好する主要なパプア人とアジア東部人の混合に関する本論文の重要な調査結果は、最古級のウチェリウングス個体群の年代に依拠しているので、最古級のウチェリウングス個体(I41048)の放射性炭素年代の較正について、代替的な仮定の影響が調べられました。具体的には、文献で−250±50~+168±43年前の海洋保存補正仮定(ΔR)が調べられ、それは海洋データベースに基づいてパラオで利用可能な−140±35年前の推定値で、これは主要な文献で引用された較正の基礎として用いられています。より正の方向のΔR値では、より新しい較正年代が得られたのに対して、より負の方向のΔRア台ではより古い年代がもたらされ、ウチェリウングスがあるパラオの南西礁湖に固有のΔRアア台はすべてこの範囲の負の部分にあり、−250±50年前と−140±35年前と−52±22年前で、より古い年代が予測されます。50%のパラオ古代人の食性タンパク質における海洋性の割合を仮定するならば、これは、チェレコル・ラ・オラックの石灰岩の岩陰における3100年前頃の埋葬かに得られた25%の海洋性食性タンパク質の推定値を用いる場合よりも、本論文の年代推定値が控えめに新しくなり、パプア人とアジア東部人との混合年代の95%CIは常に、仮定されたΔRに関わらず3200年前頃より古くなります。−140±35年前にΔRを設定する逆の手法を用いて、食性における海洋性タンパク質の仮定割合を0~100%に変えても、混合のCIは常に3200年前頃より古くなります。
チェレコル・ラ・オラックから得られた年代は、遺伝学的観点からも本論文の結果と一致します。チェレコル・ラ・オラック遺跡からは利用可能なゲノム規模データが得られておらず、標本を分析できませんが、4点のミトコンドリアゲノム配列が7点の標本(較正年代で2717~1566年前頃)から回収されており、mtHgではB4とD4とE1とM7に属し、これらはすべてアジア東部において一般的です。本論文で新たに報告されるmtHgにはE1/E2とB4/B5とP1が含まれており、このうちE1/E2とB4/B5はアジア東部人口集団において一般的です(チェレコル・ラ・オラックのパターンと同様です)。mtHg-P1はおもにパプア人とメラネシア人とオーストラリア先住民で見られ、パラオ人のパプア祖先系統は母系と父系の両方で到来した、と示されます。これらすべてのハプログループは、現在のパラオ人でも見られます[6]。
●パラオ人の祖先の起源地の可能性が高いワラセア
アジア東部およびパプア両方の祖先系統を有していた可能性が最も高い、パラオの最初期住民の起源について知見を得るために、本論文のデータが近隣地域から以前に報告されたデータと共同分析されました。その結果、パラオ人におけるアジア東部祖先系統(FROパラオ)は、太平洋南西部とマリアナの初期FRO系統とよりも、北マルク州のモロタイ島のアル・マナラおよびタンジュン・ピナンの2100年前頃の東インドネシア人のアジア東部祖先系統の方と密接に関連している、と分かりました。したがって、FROパラオとパプア人NGの独特な組み合わせは、パラオとこれらモロタイ島個体群との間で特異的に共有されています。qpAdmにおいて供給源としてモロタイ島古代人を用いて、パラオの祖先系統をモデル化すると、このモデルは、外群にバヌアツとトンガの初期個体群(FROSWP)もしくはマリアナ諸島の初期個体群(FROマリアナ)を含めてさえ、成立します。これは、パラオ人の初期の祖先におけるアジア東部祖先系統とパプア祖先系統の特定の混合がインドネシア東部の人々の祖先系統でも起きた、との結論をさらに裏づけます。標本抽出が限られているため、他のインドネシア東部地域に類似の祖先系統があり、起源地だった可能性を除外できません。
2100年前頃のモロタイ島標本には約30%のパラオと同じ種類のニューギニアからのパプア祖先系統と、約70%のアジア東部祖先系統(パラオ人より約10%多いアジア東部祖先系統)があります[25]。モロタイ島個体群におけるこの2祖先系統の混合は、これらの個体が生きていた約23±3世代前に起きた、と推定されます。較正された直接的な放射性炭素年代を組み込むことによって、モロタイ島個体群における混合時期の95%CIは3016~2176年前頃(以前の推定値[25]と類似しています)と計算され、それが最初期のパラオ人より遅いのは、モロタイ島の古代の個体群が、その後のパラオ人と同様に、経時的にアジア東部祖先系統を受け取り続けたかもしれないからです。
●考察
パラオの定住は、遠オセアニアへのヒトの拡散における最初期の出来事の一つでした。古代人と現代人のDNAの以前の再構築は、遠オセアニアの2ヶ所の地域(太平洋南西部とミクロネシア中央部)や、現在のパラオ人の遺伝的祖先系統における、FROとパプア系統の2500~2000年前頃の間の男性に偏った混合を明らかにしました[2、5、6]。これらのパターンに基づくと、パラオ人の祖先へのパプア祖先系統の混合は他の遠オセアニア人と同じ時期に起きた、と自然に予測されるので、より古いパプア人との混合を示した本論文の結果は、驚くべき者でした[2~6、8]。
本論文の分析ではFRO系統の最初の分岐と示唆された、FROパラオ祖先系統の地理的起源はどこだったのでしょうか?先行研究は、FROパラオ系統が2400~1700年前頃の間にマリアナで混合し、ラッテ期人口集団の祖先が生じたものの、パラオに存在するパプア祖先系統はなかった、と推定したので[6]、この祖先系統が直接的にパラオ起源だった可能性は低そうです。パラオで観察されたパプア人とFROの祖先系統の混合と、北マルク州のモロタイ島の2100年前頃の個体群との間の類似性を考えると、むしろこの起源地はワラセア北部のマルク地域のどこかにあった、と考えるのが妥当です。しかし、モロタイ島の人々は、パラオ人のようにオーストロネシア語族を話しているのではなく、パプア諸語を話しており、考古学的研究は2300~2000年前頃までモロタイ島には土器を使用した人口集団が存在しなかった、と示唆しており、この頃に金属器時代の強い影響が現れ、それはパプア人NGとFROパラオの混合が起きたのと同じ時期です。モロタイ島における混合の遺伝学的年代は、パラオより遅くなります。したがって、現在のモロタイ島人口集団は、パラオの最初の人々の混合がない、直接的子孫ではあり得ません。
マルクを含むインドネシア東部のより広範な地域は、3200年前頃以後にパラオへと拡大した、FROパラオ祖先系統と混合したパプアおよびアジア東部人口集団の両方の起源地の主要な候補ではありません。この頃に、海水準は完新世半ばの高海水準から低下しつつあり、これは海洋生息地を変えて、海岸線を広げ、耕作に適した低地土壌が蓄積され始めた、長期の仮定でした。同じ頃に、エルニーニョ南方振動気象体系の変動増加が、より強いモンスーンとより頻繁な旱魃をもたらしました。これらの環境変化は、ワラセア北部からの誘導的な海洋採食民に、パラオなどミクロネシア西部の無人の小島群の探索を促進したかもしれず、そうした島では、高度に生産的な浅海生息地が現れつつありました。航海模擬実験技術を気候および海洋地理データや内陸部の分析と組み合わせた古代の航海モデルでは、スラウェシ島北部を含めてミンダナオ島からハルマヘラ島の弧状から出発した人々が、パラオの上陸に成功できた可能性はあり得ます。インドネシア北東部からのパラオの定住との想定は、パラオの岩絵とマルク州の島々との間で見つかった類似性とも一致し、両者は赤色の顔料に依存し、見えやすい海岸の断崖に位置しています。これらの想定は、関連する時期と場所の古代DNAデータで検証できます。
パラオの最初の入植者がマヌス島のようなアドミラルティ諸島から到来した、と仮定することは魅力的ですが、これはミクロネシア中央部におけるパプア祖先系統の候補起源地域として特定されてきており、パラオ人のような同じ種類のパプア祖先系統を有しています[6]。しかし、そうした想定が本論文のデータを説明できないのは、パラオとアドミラルティ諸島におけるアジア東部祖先系統が明らかに異なるからです。太平洋南西部とミクロネシア中央部で見られるアジア東部祖先系統が一般的に「ラピタ的」(FROSWP)であるのに対して[6]、パラオにおけるアジア東部祖先系統は異なっているので(FROパラオ)、この2ヶ所の地域におけるアジア東部人とパプア人の混合史は関連していません。
これらの調査結果は、遠オセアニアの最初の定住に関する理解を質的に変えます。一般的に議論されている歴史言語学的モデルは、オーストロネシア語族の台湾起源と、台湾からフィリピン、さらにはマリアナとパラオを含めてミクロネシア西部への、稲作に依存する新石器時代人口集団の長期の人口拡大による太平洋規模の拡散を想定しています。しかし、本論文の調査結果はパラオにおいてこのモデルと矛盾しており、遠オセアニア諸島の最初の定住は、最小限の相互作用もしくは在来人口集団との混合を伴う、フィリピンを経由しての台湾からの直接的に移住しただけの結果ではなかった、と示されます。とくに、分岐したFRO系統に対応するパラオへの経路はより複雑なにパターンに従っており、インドネシア東部経由の代替経路と、パプアとアジア東部の古代人口集団間の長期の相互作用が組み込まれる、と示されます。
●この研究の限界
未解決の明代は、FROの異なる3系統、とくにFROパラオの地理的および時間的起源です。パラオとフィリピンとスラウェシ島とハルマヘラ島のより古い時期に焦点を当てた古代DNA研究は、オーストロネシア人の拡散の前後の人口動態の変化に重要な知見を提供するでしょう。
参考文献:
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以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、cM(centimorgan、センチモルガン)、MP(Malayo-Polynesian、マレー・ポリネシア)語派、AMS(accelerator mass spectrometry、加速器質量分析法)、PNG(Papua New Guinean、パプアニューギニア人)、NG(New Guinea、ニューギニア)FRO(First Remote Oceanian、最初の遠オセアニア人)、SWP(SouthwestPacific、南西太平洋)、NB(NewBritain、ニューブリテン島)、OOA(Out Of Africa、出アフリカ)、C(carbon、炭素)、N(nitrogen、窒素)、CI(confidence interval、信頼区間)、DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)です。
本論文で取り上げられる主要な人類集団や言語は、コルディリェラ人(Cordilleran)、カンカナイ人(Kankanaey)、チャモロ語(CHamoruはグアムの言語学の専門家に好まれ、Chamorroはマリアナの他の地域で用いられています)、傣人(Dai)、バヌアツ現地人(ni-Vanuatu)、ナシオイ(Nasioi)人です。本論文で取り上げられる主要な文化は、ラピタ(Lapita)文化、ウナイ(Unai)文化、ラッテ(Latte)文化、フヨン(Huyong)文化です。
本論文で取り上げられる主要な地名や島は、バベルダオブ(Babeldaob)島、コロール(Koror)島のゲサオル(Ngesaol)のゲルメレウエス尾根(Ngermereues Ridge)埋葬洞窟およびウチェリウングス・ロックアイランド(Ucheliungs Rock Island)、ウルクターブル島(Ngeruktabel)のオメドクル・ロックアイランド(Omedokl Rock Island)埋葬洞窟および(Ngkeklau)、バベルダオブ(Babeldaob)島北東部のガクラオ(Ngkeklau)、チェレコル・ラ・オラック(Chelechol ra Orrak)、ウーロン島(Ulong Island)、アドミラルティ諸島(Admiralty Islands)のマヌス(Manus)島、チューク(Chuuk)諸島、ポンペイ(Pohnpei)保護環礁、パプアニューギニアのセピック(Sepik)地域、インドネシアのモロタイ(Morotai)島のアル・マナラ(Aru Manara)石灰岩洞窟およびタンジュン・ピナン(Tanjung Pinang)、インドネシアの北マルク州(Northern Maluku)とハルマヘラ(Halmahera)島です。
●要約
遠オセアニアに最初の人類が到達したのは3000年前頃で、太平洋南西部とマリアナ諸島とパラオにほぼ同時に到来しました。しかし、パラオのゲノム規模古代DNAデータは理由できず、本論文は2900~500年前頃の間の4ヶ所の考古学的遺跡から発見された21個体の報告によって、この空白に取り組みます。この21個体は全員、アジア東部人と関連する約60%の祖先系統、およびパプア人と関連する約40%の祖先系統を有し、現在のパラオ人と類似しており、オセアニアのどこよりも長い人口連続性となります。最古級の個体群における連続的なパプア人祖先系統断片の長さから、標本抽出されたパプア人全員の祖先におけるパプア人とアジア東部人との間の主要な混合は、最初の定住の前に始まった、と示されます。これは太平洋南西部のパターンとは異なっており、太平洋南西部では、異なる3ヶ所の島のラピタ考古学的文化の標本抽出された個体群は、ほぼ完全なアジア東部祖先系統を有しており、大量のパプア人との混合がやっと観察されるのは、その数百年後です。
●研究史
ラピタ考古学的複合体の人々から得られた古代DNAデータでは、年代が3000~2500年前頃にまたがり、異なる2ヶ所の群島の3ヶ所の遺跡から標本抽出された、太平洋南西部のこの最初の文化の分析された全個体は、96~100%程度のアジア東部祖先系統を有しており[1~8]、もはや混合していない形態では存在せず、FRO(FROSWP)と呼ばれてきた人口集団に由来する[2、3、5、6]、と示されています。遺伝学的分析から、これらの個体のアジア東部人の祖先はフィリピンのルソン島北部のコルディリェラ人(たとえば、カンカナイ人)と最も密接に関連しており[1~8]、台湾の新石器時代および鉄器時代集団との関連はより遠い[10、11]、と示唆されています。2500年前頃のラピタ文化後の個体群以降、大規模でおもに男性手動の太平洋南西部への移住があり、これはニューギニアおよび近隣の島々で数万年支配的で、具体的にはビスマルク諸島のニューブリテン島の人々と関連している系統(パプア人NB)からのほぼ完全なパプア人祖先系統を有していました[3~6]。現在、ほとんどの先住のバヌアツ現地人は80%超のパプア人祖先系統を有しており、これは東方ではフィジーへも広がり、さらに東方へとポリネシアに拡大して、ポリネシアでは現在、人々の祖先系統の少なくとも25%パプア人関連です[2]。
ミクロネシアでは、2800~2400年前頃となるマリアナ南部(グアム)のウナイ期個体群から、最古級の古代DNAが得られています[6、8]。その祖先系統(FROマリアナ)は太平洋南西部のラピタ文化個体群と近い姉妹群です(FROSWP)。マリアナのラッテ期の個体群(グアムとサイパン)の祖先系統の15%は、パセオの現代人の主要なアジア東部祖先系統(FROパラオ)と関連する別のアジア東部供給源に由来し、この人々は2400~1700年前頃に、おそらくはマリアナの新たな土器様式および内陸部の集落拡大によって特徴づけられるフヨン期にFROマリアナと混合しました。ポンペイやチュークなどミクロネシア中央部の島々の居住はその後で、マリアナの人々と共有されており、太平洋南西部の混合の証拠は2500~2000年前頃です[6]。しかしミクロネシア中央部では、混合の供給源は異なっており、男性のパプア人NG(太平洋南西部のようなパプア人NBではなく)と女性のFROSWP(FROマリアナとミクロネシア西部のFROパラオのどこかのアジア東部供給源とは異なります)祖先系統でした[6]。
パラオの歴史は、遠オセアニアにおけるヒトの出現の物語において中心的です。ヒトはまずパラオの石灰岩ロックアイランドと火山性のバベルダオブ島に3200年前頃に居住し、これはマリアナと太平洋南西部に別の移住の波が到達したのと同じ時期です。別の再構築では、パラオ語はMP語派内の残留下位集団の一部とされ、MP語派はフィリピンやマリアナやインドネシア西部(遠くスラウェシ島とボルネオ島まで)とアジア南東部本土で話されている言語からも構成されています。別の再構築では、パラオ語とチャモロ語とオセアニアのオーストロネシア語族(遠オセアニアの大半で話されています)は、等しく異なる枝に割り当てられています。これらの再構築は、パラオとマリアナと太平洋南西部と遠オセアニアの他地域で話されている言語には共通の起源がある、つまり、その後で少なくとも異なる3系統に分岐した単一の遠オセアニア祖先人口集団を示唆している点で一致します。遺伝学的手がかりも、パラオの重要な役割を示しています[6]。パラオにはFRO系統の最初の分岐(FROパラオ)があり、現代パラオ人の祖先系統の約60%に寄与しており、残りはおもに、ニューギニア本土と関連する男性由来のパプア祖先系統(パプア人NG)で、混合年代は2800~2000年前頃と推定されています。現在のパラオ人から得られた遺伝学的証拠は、ミクロネシア中央部やマリアナや太平洋南西部から得られた古代DNAとともに、2500~2000年前頃の間の遠オセアニアにおける、主要な性別の偏った移住および相互作用の異なる4回の事例を明らかにします。パラオ古代人からのDNAなしには、このミクロネシア最南西部諸島の役割は、依然として不明でした。
●分析結果
パラオの4ヶ所の考古学的遺跡から発見された、37点の骨格標本が分析されました(図1A)。その内訳は、コロール島のゲサオルのゲルメレウエス尾根埋葬洞窟(OR-3:30、以下、コロール採石場)から22個体、ウチェリウングス・ロックアイランド埋葬洞窟(OR-14:8、以下、ウチェリウングス)から6個体、オメドクル・ロックアイランド埋葬洞窟(OR-15:8、以下、オメドクル)から4個体、バベルダオブ島北東部のおそらくはガクラオ地域(以下、ガクラオ)から5個体です。100万ヶ所以上のSNPについて、溶液濃縮を用いてゲノム規模古代DNAデータが生成されました。対象の近くのSNPを含めて、最大で約200万ヶ所の多型SNPからのデータが分析されました。汚染の証拠がない個体のみを選別後、21個体でデータが回収され、コロール採石場から12個体、ウチェリウングスから3個体、オメドクルから3個体、ガクラオから3個体です(表1)。これらの個体のうち、密接な親族や長いROHやIBD断片の大きな共有は見つかりませんでした。以下は本論文の図1です。
正確な年表は、この研究の主要な調査結果にとって重要です。13個体で17点のAMS放射性炭素年代が生成され、この13個体ではゲノム規模古代DNAデータも得られました。これらの各年代について、コラーゲンの保存状態について情報を提供する、炭素および窒素同位体の測定値が得られました。12点の標本が、ジョージア大学応用同位体研究所で前処理され、年代測定されました。ニューメキシコ大学安定同位体研究所で追加の5点が前処理され、続いてペンシルベニア州立大学で年代測定されました。炭素と窒素の原始重量比(C:N)が2.9~3.4の推奨範囲ではなかった年代は、除外されました。標本1点で2点の年代が得られ、一方があり得る汚染を除去するために限外濾過もしくはアミノ酸分離によって前処理された骨のコラーゲンに基づき、もう一方がそうした前処理がなされなかった場合は、常に前処理に基づく年代が用いられました。これらの手順の適用後に、11点の標本で直接的年代が得られました。
ウチェリウングスから得られた年代のうち2点は、パラオの定住時期に近く、ウチェリウングス遺跡の文化資料の予測される放射性炭素年代の範囲内に収まり、較正年代では、I41048は2924~2710年前(限外濾過の年代)、I41049は2776~2495年前です。骨のコラーゲンの放射性炭素年代の食性補正は、食事のタンパク質に由来するコラーゲンに組み込まれた、海洋性炭素の割合を反映するはずで、食性全体の海洋性食料の割合を反映しているわけではありません。本論文の主要な分析について、50%の海洋性蛋白質と50%の陸生タンパク質の仮定を用いて、年代が較正されました。タンパク質における海洋性の割合と海洋貯蔵相殺について、さまざまな他の仮定でも年代が推定され、パラオの最初の定住に選好するパプア人とアジア東部人との間の主要な混合に関する本論文の重要な調査結果は堅牢だった、と分かりました。
●ほぼ3000年間にわたってのパラオにおける少なくとも40%のパプア祖先系統
人口構造の概要を得るために、異なる配列で遺伝子型決定された多様な太平洋人口集団からのデータの統合によって、約300万のSNPでPCAが実行されました。現在の傣人(中国南部)とナシオイ人(ソロモン諸島北部)とニューギニア人(パプアニューギニアの高地東部と中央セピック地域)から得られた全ゲノムショットガン配列決定データを用いて軸が計算され、他の個体が投影されました。第1主成分(PC)はアジア東部関連祖先系統の割合と相関していますが(PC1、左側は下方、右側は上方)、第2主成分はソロモン諸島とニューギニアからパプア祖先系統を区別します(PC2、上方から下方)。コロール採石場とウチェリウングスとオメドクルとガクラオの古代の個体群や現在の個体群は、ニューギニアと他のミクロネシアの集団をつなぐ遺伝的勾配に沿って位置しています。
対称性f₄統計(X、カンカナイ人;ニューギニア高地人、傣人)が計算され、パラオの古代の全個体には顕著なパプア人との混合があった(パプア祖先系統の証拠がない基準としてカンカナイ人が用いられました)、と確証されました。アジア東部人との混合に起因する偏りの補正後に、さまざまなパプア人供給源との類似性を計算する、f₄統計に基づく回帰手法を用いて、パプア人との混合はソロモン諸島もしくはビスマルク諸島の人々とよりもニューギニア高地人集団とより密接に関連し、ごく小さな標準誤差で約40%の遺伝的祖先系統に相当する、と分かりました。この推定値は、同じ手法によって推定される現在のパラオ人におけるパプア人祖先系統の水準[6]とひじょうに類似しています。パラオのパターンは太平洋南西部とは定性的に異なっており、パラオが過去2800年間にわたって比較的安定した水準のパプア祖先系統を示すのに対して、バヌアツは2500年前頃のラピタ期末に続く急激な増加を示しています(図2)。以下は本論文の図2です。
qpAdmを用いると、ウチェリウングスのパプア祖先系統(43.2±0.9%)はコロール採石場(40.7±0.7%)やオメドクル(40.0±0.9%)やガクラオ(39.6±0.8%)よりわずかに高かった、と推定されます。f₄統計(X、ウチェリウングス;ニューギニア高地人、傣人)が計算され、コロール採石場やオメドクルやガクラオと比較して、ウチェリウングスにおけるパプア祖先系統の小さいものの統計的に有意な過剰が確証されました。放射性炭素年代の範囲(表1)に基づいてこれらの個体が分類され、それぞれ、2900~2500年前頃、1700~1200年前頃、700~500年前頃です。パラオにおけるパプア祖先系統の割合は、基準としてウチェリウングスの個体群(2900~2500年前頃)を用いると、経時的に最大10%減少し、この減少が統計的に有意だったことは、f₄統計で確証されました。現代人と同様にすべての遺跡で、パラオのパプア祖先系統はおもに男性の祖先に由来する、と推測され、X染色体よりも常染色体の方でパプア祖先系統は有意に多くなっています。
グアムのウナイ後期およびラッテ期個体群とバヌアツおよびトンガのラピタ集団は一貫して、先史時代のパラオのアジア東部祖先系統と一致しますが、1個体は他の個体よりも統計的に適切な代理ではありませんでした。先史時代パラオ人における独特なFROパラオ系統について形式的に検証するために、今度はパラオ人を表す古代DNAデータの使用によって、補足図S3で示されるような混合図が修正されました。最適なモデルでは、先史時代のパラオ人が、現在のパラオ人と同様に、約60%のFROパラオと約40%のパプア祖先系統を有する、と推定され、これはパラオにおける少なくとも2800年間の強い遺伝的連続性の証拠を提供します。
●パラオ人におけるパプアおよびアジア東部祖先系統はパラオの最初の定住前に混合しました
DATESを用いると、FROパラオとパプア人NGの系統間の混合の平均時期は、最古のパラオの個体I41048が生きていた時期の30.1±3.5世代前と(95%CIで37~23世代前)推定されます。人類学的および遺伝学的研究[19]に基づいて、1世代の平均年代は28.4±0.7年(95%CIで27~30年)と仮定されます。最古級のウチェリウングス個体(I41048)の直接的な年代範囲がさらに組み込まれ、較正後の年代は2799±53年前(95%CIで2924~2710年前)です。3点すべての標準誤差を考慮すると、混合時期の95%CIは3880~3429年前頃と分かりました。パラオは一般的に、ウーロン島の放射性炭素年代に基づいて、3200~3000年前頃に居住された、と考えられています。この考古学的推定と本論文の遺伝的データを組み合わせると、パラオの最初の人々の祖先はすでに、太平洋南西部へのパプア祖先系統の2500年前頃の大規模な移動の1000年近く前に、パプア祖先系統の人々と混合していた、と結論づけられます(図3)。以下は本論文の図3です。
ウチェリウングスの2番目に古い個体(I41049)の放射性炭素年代の不確実性範囲は、最古の個体と重なります。この2個体の分析を組み合わせると、依然として3864~3213年前頃の混合年代が得られ、これはパラオへの考古学的に推定された定住より古くなります。より新しいパラオの個体群の混合年代に関する本論文の推定値の95%CIは、多数の事例で決定的に3200年前頃より古い混合年代を示唆しており、つまりは定住に先行しているものの、一部のCIは3200年前頃以後も含んでいます。現在のパラオ人については、混合年代推定値は2791~2040年前頃で顕著に新しく、これは、3200年前頃以後のパラオへの継続的な移住によって説明でき、じっさい、その後の個体群におけるアジア東部祖先系統のより高い割合と一致します。
パラオの最初の定住に選好する主要なパプア人とアジア東部人の混合に関する本論文の重要な調査結果は、最古級のウチェリウングス個体群の年代に依拠しているので、最古級のウチェリウングス個体(I41048)の放射性炭素年代の較正について、代替的な仮定の影響が調べられました。具体的には、文献で−250±50~+168±43年前の海洋保存補正仮定(ΔR)が調べられ、それは海洋データベースに基づいてパラオで利用可能な−140±35年前の推定値で、これは主要な文献で引用された較正の基礎として用いられています。より正の方向のΔR値では、より新しい較正年代が得られたのに対して、より負の方向のΔRア台ではより古い年代がもたらされ、ウチェリウングスがあるパラオの南西礁湖に固有のΔRアア台はすべてこの範囲の負の部分にあり、−250±50年前と−140±35年前と−52±22年前で、より古い年代が予測されます。50%のパラオ古代人の食性タンパク質における海洋性の割合を仮定するならば、これは、チェレコル・ラ・オラックの石灰岩の岩陰における3100年前頃の埋葬かに得られた25%の海洋性食性タンパク質の推定値を用いる場合よりも、本論文の年代推定値が控えめに新しくなり、パプア人とアジア東部人との混合年代の95%CIは常に、仮定されたΔRに関わらず3200年前頃より古くなります。−140±35年前にΔRを設定する逆の手法を用いて、食性における海洋性タンパク質の仮定割合を0~100%に変えても、混合のCIは常に3200年前頃より古くなります。
チェレコル・ラ・オラックから得られた年代は、遺伝学的観点からも本論文の結果と一致します。チェレコル・ラ・オラック遺跡からは利用可能なゲノム規模データが得られておらず、標本を分析できませんが、4点のミトコンドリアゲノム配列が7点の標本(較正年代で2717~1566年前頃)から回収されており、mtHgではB4とD4とE1とM7に属し、これらはすべてアジア東部において一般的です。本論文で新たに報告されるmtHgにはE1/E2とB4/B5とP1が含まれており、このうちE1/E2とB4/B5はアジア東部人口集団において一般的です(チェレコル・ラ・オラックのパターンと同様です)。mtHg-P1はおもにパプア人とメラネシア人とオーストラリア先住民で見られ、パラオ人のパプア祖先系統は母系と父系の両方で到来した、と示されます。これらすべてのハプログループは、現在のパラオ人でも見られます[6]。
●パラオ人の祖先の起源地の可能性が高いワラセア
アジア東部およびパプア両方の祖先系統を有していた可能性が最も高い、パラオの最初期住民の起源について知見を得るために、本論文のデータが近隣地域から以前に報告されたデータと共同分析されました。その結果、パラオ人におけるアジア東部祖先系統(FROパラオ)は、太平洋南西部とマリアナの初期FRO系統とよりも、北マルク州のモロタイ島のアル・マナラおよびタンジュン・ピナンの2100年前頃の東インドネシア人のアジア東部祖先系統の方と密接に関連している、と分かりました。したがって、FROパラオとパプア人NGの独特な組み合わせは、パラオとこれらモロタイ島個体群との間で特異的に共有されています。qpAdmにおいて供給源としてモロタイ島古代人を用いて、パラオの祖先系統をモデル化すると、このモデルは、外群にバヌアツとトンガの初期個体群(FROSWP)もしくはマリアナ諸島の初期個体群(FROマリアナ)を含めてさえ、成立します。これは、パラオ人の初期の祖先におけるアジア東部祖先系統とパプア祖先系統の特定の混合がインドネシア東部の人々の祖先系統でも起きた、との結論をさらに裏づけます。標本抽出が限られているため、他のインドネシア東部地域に類似の祖先系統があり、起源地だった可能性を除外できません。
2100年前頃のモロタイ島標本には約30%のパラオと同じ種類のニューギニアからのパプア祖先系統と、約70%のアジア東部祖先系統(パラオ人より約10%多いアジア東部祖先系統)があります[25]。モロタイ島個体群におけるこの2祖先系統の混合は、これらの個体が生きていた約23±3世代前に起きた、と推定されます。較正された直接的な放射性炭素年代を組み込むことによって、モロタイ島個体群における混合時期の95%CIは3016~2176年前頃(以前の推定値[25]と類似しています)と計算され、それが最初期のパラオ人より遅いのは、モロタイ島の古代の個体群が、その後のパラオ人と同様に、経時的にアジア東部祖先系統を受け取り続けたかもしれないからです。
●考察
パラオの定住は、遠オセアニアへのヒトの拡散における最初期の出来事の一つでした。古代人と現代人のDNAの以前の再構築は、遠オセアニアの2ヶ所の地域(太平洋南西部とミクロネシア中央部)や、現在のパラオ人の遺伝的祖先系統における、FROとパプア系統の2500~2000年前頃の間の男性に偏った混合を明らかにしました[2、5、6]。これらのパターンに基づくと、パラオ人の祖先へのパプア祖先系統の混合は他の遠オセアニア人と同じ時期に起きた、と自然に予測されるので、より古いパプア人との混合を示した本論文の結果は、驚くべき者でした[2~6、8]。
本論文の分析ではFRO系統の最初の分岐と示唆された、FROパラオ祖先系統の地理的起源はどこだったのでしょうか?先行研究は、FROパラオ系統が2400~1700年前頃の間にマリアナで混合し、ラッテ期人口集団の祖先が生じたものの、パラオに存在するパプア祖先系統はなかった、と推定したので[6]、この祖先系統が直接的にパラオ起源だった可能性は低そうです。パラオで観察されたパプア人とFROの祖先系統の混合と、北マルク州のモロタイ島の2100年前頃の個体群との間の類似性を考えると、むしろこの起源地はワラセア北部のマルク地域のどこかにあった、と考えるのが妥当です。しかし、モロタイ島の人々は、パラオ人のようにオーストロネシア語族を話しているのではなく、パプア諸語を話しており、考古学的研究は2300~2000年前頃までモロタイ島には土器を使用した人口集団が存在しなかった、と示唆しており、この頃に金属器時代の強い影響が現れ、それはパプア人NGとFROパラオの混合が起きたのと同じ時期です。モロタイ島における混合の遺伝学的年代は、パラオより遅くなります。したがって、現在のモロタイ島人口集団は、パラオの最初の人々の混合がない、直接的子孫ではあり得ません。
マルクを含むインドネシア東部のより広範な地域は、3200年前頃以後にパラオへと拡大した、FROパラオ祖先系統と混合したパプアおよびアジア東部人口集団の両方の起源地の主要な候補ではありません。この頃に、海水準は完新世半ばの高海水準から低下しつつあり、これは海洋生息地を変えて、海岸線を広げ、耕作に適した低地土壌が蓄積され始めた、長期の仮定でした。同じ頃に、エルニーニョ南方振動気象体系の変動増加が、より強いモンスーンとより頻繁な旱魃をもたらしました。これらの環境変化は、ワラセア北部からの誘導的な海洋採食民に、パラオなどミクロネシア西部の無人の小島群の探索を促進したかもしれず、そうした島では、高度に生産的な浅海生息地が現れつつありました。航海模擬実験技術を気候および海洋地理データや内陸部の分析と組み合わせた古代の航海モデルでは、スラウェシ島北部を含めてミンダナオ島からハルマヘラ島の弧状から出発した人々が、パラオの上陸に成功できた可能性はあり得ます。インドネシア北東部からのパラオの定住との想定は、パラオの岩絵とマルク州の島々との間で見つかった類似性とも一致し、両者は赤色の顔料に依存し、見えやすい海岸の断崖に位置しています。これらの想定は、関連する時期と場所の古代DNAデータで検証できます。
パラオの最初の入植者がマヌス島のようなアドミラルティ諸島から到来した、と仮定することは魅力的ですが、これはミクロネシア中央部におけるパプア祖先系統の候補起源地域として特定されてきており、パラオ人のような同じ種類のパプア祖先系統を有しています[6]。しかし、そうした想定が本論文のデータを説明できないのは、パラオとアドミラルティ諸島におけるアジア東部祖先系統が明らかに異なるからです。太平洋南西部とミクロネシア中央部で見られるアジア東部祖先系統が一般的に「ラピタ的」(FROSWP)であるのに対して[6]、パラオにおけるアジア東部祖先系統は異なっているので(FROパラオ)、この2ヶ所の地域におけるアジア東部人とパプア人の混合史は関連していません。
これらの調査結果は、遠オセアニアの最初の定住に関する理解を質的に変えます。一般的に議論されている歴史言語学的モデルは、オーストロネシア語族の台湾起源と、台湾からフィリピン、さらにはマリアナとパラオを含めてミクロネシア西部への、稲作に依存する新石器時代人口集団の長期の人口拡大による太平洋規模の拡散を想定しています。しかし、本論文の調査結果はパラオにおいてこのモデルと矛盾しており、遠オセアニア諸島の最初の定住は、最小限の相互作用もしくは在来人口集団との混合を伴う、フィリピンを経由しての台湾からの直接的に移住しただけの結果ではなかった、と示されます。とくに、分岐したFRO系統に対応するパラオへの経路はより複雑なにパターンに従っており、インドネシア東部経由の代替経路と、パプアとアジア東部の古代人口集団間の長期の相互作用が組み込まれる、と示されます。
●この研究の限界
未解決の明代は、FROの異なる3系統、とくにFROパラオの地理的および時間的起源です。パラオとフィリピンとスラウェシ島とハルマヘラ島のより古い時期に焦点を当てた古代DNA研究は、オーストロネシア人の拡散の前後の人口動態の変化に重要な知見を提供するでしょう。
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