縄文時代と弥生時代の人類の高品質なゲノムデータ

 縄文時代と弥生時代の人類の高品質なゲノムデータを報告した研究(Ishiya et al., 2026)が公表されました。日本語の解説記事もあります。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。なお、「縄文時代」との時代区分や「縄文人」との表記には問題があるでしょうし、それは「弥生時代」や「弥生人」についても同様でしょうが、煩雑になるので、以下では「縄文時代」と「縄文人」を「」では括りません。

 本論文は、群馬県で発見された縄文時代早期の1個体と、山口県で発見された弥生時代中期の1個体の高被覆度(coverage、網羅率)のゲノムデータを報告し、各個体の集団の人口史を推定しています。縄文時代早期の1個体は既知の縄文人と遺伝的に近く、現代日本人により遺伝的に近いのは、縄文人よりも弥生時代中期の1個体の方でした。弥生時代中期の1個体は、その遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が、現代日本人のみならず、ユーラシア東部の多くの現代人とも近い関係にあります。これらは、既知のユーラシア東部の古代ゲノム研究とも整合的です。

 また本論文は、縄文人とアジア北東部人とアジア東部人的な祖先系統から構成される現代日本人の三重起源を提唱した研究[7]について、そうした遺伝的構成要素はすでに弥生時代中期に存在していた、との見解を提示しており、これは最近の研究[28]と整合的です。ただ、これは古墳時代にユーラシア大陸部から日本列島へと多くの人類が到来したことを否定しているわけではなく、類似した遺伝的構成である紀元前二千年紀以降のユーラシア東部集団を、さらに詳しく識別することで、日本列島の人口史をより深く解明できるでしょう。

 また、デンプンの豊富な食性と関連しているかもしれない遺伝子のコピー数が、日本列島において本格的な農耕が始まる縄文時代早期の1個体ですでに、比較的多いことも示されました。時空間的な差異はあるとしても、縄文時代には堅果類は食資源として一般的で、デンプンの豊富な食性と関連しているかもしれない遺伝子のコピー数増加が、必ずしも農耕の拡大と関連していなかった可能性も示唆されます。高品質なゲノムデータによって、人口史や進化と食性の関連などが、より詳しく解明されていくのではないか、と期待されます。

 以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、CNV(copy-number variants、コピー数多様体)、PSMC(pairwise sequentially Markovian coalescent、対での逐次マルコフ合着)、LD(linkage disequilibrium、連鎖不平衡)、LGM(Last Glacial Maximum、最終氷期極大期)、AMY1(Alpha-amylase 1、アルファアミラーゼ1型)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、HLA(Human Leukocyte Antigen、ヒト白血球型抗原)です。

 以下の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)です。本論文で取り上げられる主要な人類集団と勢力は、ダウール人(Daur)、ANEA(Ancient Northeast Asian、アジア北東部古代人)です。

 本論文で取り上げられる日本の主要な遺跡は、群馬県北西部の吾妻郡長野原町貝瀬地区にある居家以岩陰(Iyai rock shelter、略してIY)遺跡、山口県下関市豊北町の土井ヶ浜(Doigahama、略してDO)遺跡、北海道の礼文島の船泊遺跡、宮古島の長墓遺跡です。

 本論文で取り上げられる日本以外の主要な地域と遺跡は、西遼河(West Liao River、略してWLR)、AR(Amur River、アムール川)、モンゴルのハミンマンガ(Haminmangha、略してHMMH)遺跡、(現在は中華人民共和国の支配下にあり行政区分では内モンゴル自治区とされている)モンゴル南部の廟子溝(Miaozigou)遺跡、シベリアのバイカル湖近くのウスチベラヤ(Ust’-Belaya)埋葬地、ロシア極東沿岸の悪魔の門洞窟(Devil’s Gate Cave、Chertovy Vorota)遺跡とボイスマン(Boisman)遺跡、中国の山東省の北阡(Beiqian)遺跡と小荊山(Xiaojingshan)遺跡、韓国の慶尚南道の欲知島(Yokchido)遺跡、ポルトガルのラ・ブラナ(La Braña)遺跡です。


●要約

 先史時代の人口移動は、ユーラシア全域で遺伝的多様性の形成に中心的役割を果たしました。ユーラシア大陸の東端に位置する日本列島は、先史時代の在来系統と大陸部からの移住との間の遺伝的相互作用の再構築に重要な背景を提供します。しかし、日本の本土の高解像度のゲノム証拠は、DNAの保存状態が悪いため限られています。本論文は、日本の本土からの2点の低汚染で高被覆度の古代ゲノム、つまり縄文時代早期の1個体(67倍)と弥生時代中期の1個体(46倍)を報告します。この2点のゲノムによって、二倍体の遺伝子型決定と個体水準の人口統計学的推定が、これまでにない解像度で可能となりました。人口統計学的再構築から明らかになったのは、両系統がLGMに人口縮小を経たものの、その後の軌跡は分岐しており、縄文系統は認識できる拡大がない長期の氷期後の安定性によって特徴づけられるのに対して、弥生関連の祖先人口集団は漸進的で持続的な増加を示したことです。本論文の分析はさらに、弥生時代中期個体と現在の本土日本人との間の明確な遺伝的連続性を特定し、現代人の遺伝的特性の進化的軌跡を精緻化しています。さらに、弥生時代個体のゲノム特性は、日本列島に到来する前の大陸部の相互作用によって形成された、複雑な祖先の背景を反映していました。注目すべきことに、縄文時代早期の1個体で観察された唾液アミラーゼ(AMY1)コピー数の増加から、デンプンの豊富な食性と関連しているかもしれないAMY1コピー数の差異が、日本列島において稲作農耕の大規模な拡大前にすでに存在していた、と示唆されます。まとめると、この調査結果から、高被覆度の古代ゲノム手法は、対照的な人口史とヒトの生活様式の進化的枠組みの解明に強力な枠組みを提供できる、と論証されます。


●研究史

 ユーラシア東部の先史時代の移住は、依然としてヒトの進化史における最も複雑な章の一つです。[1、2]6万年前頃となるユーラシアへの現生人類(Homo sapiens)の広範な拡散は充分に確証されていますが、最近の古ゲノム研究は、後期更新世以降のユーラシア東部全域にわたる複雑な人口動態と遺伝的移行を解明してきました[3~8]。こうした研究は、ユーラシア大陸のゲノム景観を形成した、大規模な人口集団の変化および混合の歴史を明らかにしてきました。このような背景において、これらの経路の東端に位置する日本列島は、深い在来系統がその後の大陸部からの移住とどのように相互作用したのか、理解するために重要な地理的位置を表しています。考古学的記録は、ここの地域の特徴を定義する二つの転換期、つまり縄文時代(16000~3000年前頃)とそれに続く弥生時代(3000~1700年前頃)を特定してきました。旧石器時代から縄文時代への移行は土器の出現によって特徴づけら[14]、初期の定住生活様式と特化した資源利用で有名な長期の狩猟採集民文化につながりました。その後、ユーラシア大陸における水田稲作の導入によって特徴づけられる、弥生時代が続きました。この移行は、根本的な生物学的および人口統計学的再編を表している、と考えられており、日本列島の現代人集団にゲノムの基盤を提供したかもしれません。

 これらの事象における日本列島本土の重要性にも関わらず、高解像度でのゲノム史の再構築は、DNAの保存状態が悪いため限られてきました。日本列島本土の温暖湿潤で酸性土壌の特徴は、古代DNAの残存にきわめて有害で、低被覆度のゲノム規模データもしくはmtDNA配列の利用可能な情報を制約します[18]。高被覆度の古代ゲノムは北海道のより寒冷な気候から回収されましたが[19]、縄文時代から弥生時代への移行の主要な舞台である日本列島本土では、詳細なゲノム解析に必要な高深度の情報が不足しています。低被覆度のデータは、大まかな祖先系統マッピング(多少の違いを許容しつつ、ゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)には有用であるものの、正確な二倍体遺伝子型決定やCNV分析や個体水準の人口統計学的モデル化はできません。文化的および遺伝的交流がユーラシア東部におけるゲノム差異と人口史との間の相互作用をどのように形成したのか、解明するには、そうした高解像度の分析が不可欠です。

 本研究は、日本列島本土の2点の高被覆度の古代ゲノム、つまり縄文時代早期の1個体(被覆度は67倍超)と弥生時代中期の1個体(被覆度は46倍超)の提示によって、この重要な空白に取り組みます。提示されたデータは、ユーラシア東部ではこれまでにないゲノム情報を表しており、単純な混合モデルから高解像度の進化的推測への移行を可能とします。これらのゲノムの振動の活用によって、在来系統と大陸部祖先系統との間の遺伝的分岐が解明され、LGM後の人口統計学的軌跡が再構築されて、AMY1コピー数の増加が明らかになりました。本論文の調査結果から、高被覆度の古代ゲノム手法は、文化的移行と環境変化と現代人のゲノムの形成に関する複雑な関係を解明できる、と論証されました。


●日本列島本土の高被覆度の古代ゲノム

 日本列島の中央部と南西部の縄文時代早期(IY1)と弥生時代中期(DO)の標本の、高被覆度のゲノム配列決定が実行されました。IY1は縄文時代早期の最古級の埋葬ヒト遺骸の一つです(図1A)。DOが発掘された土井ヶ浜遺跡も渡来系弥生人の遺跡として有名で、この個体は渡来系弥生人の代表的なゲノム情報源を表しているかもしれません(図1A・B)。ゲノムDNAは両標本の錐体骨から抽出され、ショットガン配列決定は高被覆度(IY1では常染色体の平均被覆度は67.94倍、DOでは常染色体の平均被覆度は46.82倍)を示しました(表1)。古代DNAの真正性は配列決定読み取りが死後の脱アミノ化パターンを示した、と確認されることで検証されました。さらに、両個体【IY1とDO】は1%未満の外来性DNA汚染(ミトコンドリアゲノムでは、IY1は0.727%、DOは0.234%で、X染色体では男性個体DOは0.420%)を示しました(表1)。IY1とDOの母系のmtHgは、それぞれN9bとD4b2b1でした。mtHg割り当ての結果は、ミトコンドリアゲノムに関する先行研究と一致します[18]。男性個体DOのYHgは、現代日本人個体群で観察されるD1a2a系統に割り当てられました。以下は本論文の図1です。
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●縄文時代と弥生時代の2個体の祖先背景

 ユーラシア東部人口集団を用いてのPCA(図1C)は、縄文人を他のアジア北東部および東部人口集団と明確に区別しました。注目すべきことに、縄文人クラスタ(まとまり)には朝鮮半島の欲知島遺跡古代人個体が含まれ、先史時代の遺伝的相互作用もしくは渡海による移住が示唆されます。対照的に、弥生時代の1個体DOは縄文人集団とよりも大陸アジア東部人口集団の近くに位置し、弥生時代と関連する明らかな遺伝的変化が繁栄されています。

 混合分析(図2A)では、IY1とDOの両方とも、現代日本人で見られる遺伝的構成要素を共有していましたが、異なる祖先特性を示した、と明らかになりました。バイカル湖およびモンゴルの新石器時代関連のANEA集団で広く見られる特定の構成要素(P1)は、DOでは特定されましたが、縄文人には依然として存在しません。これが示唆しているのは、ANEA関連系統は弥生人の遺伝的形成に寄与した供給源を表している可能性が高く、その祖先系統は在来の縄文人と区別されることです。以下は本論文の図2です。
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 さらに、高被覆度の縄文人と弥生人のゲノムでのみ特定されるものの、低被覆度の標本では検出されなかった共通の構成要素(P4)が、アジア東部とアジア南東部とオセアニアの全域で広く見られました(図2A)。この分布から、縄文人系統と弥生人系統が地域にまたがる共通の祖先供給源を保持していた、と示唆されます。あり得る混合モデル化から、初期に分岐した系統(たとえば、E2とE21)が縄文人および弥生人集団の祖先供給源となっている、と示唆されました。最後に、縄文人で主要なP5構成要素は朝鮮半島の欲知島個体でも特定され、日本列島外の縄文人関連祖先系統を反映しています(図2A)。

 外群f3およびf4統計から、ユーラシア東部人口集団との遺伝的類似性は縄文時代を通じて安定したままだったものの、弥生時代への移行期には顕著に変わった、と明らかになりました。混合分析の結果と一致して、IY1は他の縄文時代個体群と高い遺伝的類似性を示しましたが、大陸部との顕著なつながりを欠いており、唯一の例外は朝鮮半島の欲知島個体です。対照的に、DOのf4統計は、廟子溝_MNや小荊山遺跡個体を含めて、アジア北東部および山東半島のさまざまな中期新石器時代人口集団との顕著なアレル(対立遺伝子)共有を示しました。これは、縄文時代と比較しての、大陸部系統との遺伝的類似性の大幅な増加を示唆しています。現在のアジア北東部では、ダウール人がDOと最高の類似性を共有しており、弥生人祖先系統の大陸部起源がさらに裏づけられます。古墳時代の標本は明確な関連パターンを示しましたが、外群f3統計では、DOは古墳時代個体群よりも縄文人および沿岸部ユーラシア東部系統とのより多い共通の浮動を保持していた、と明らかになりました。


●LGM後の対照的な人口統計学的軌跡

 縄文人系統と弥生人系統の有効人口規模は、10万年前頃まで識別可能な違いを示しませんでした(図2B)。しかし、その人口統計学的軌跡は、LGM後には大きく異なりました。縄文時代個体群の推定値から、LGMにおける人口増加の欠如と減少傾向が明らかになりました(図2B)。対照的に、弥生人の祖先集団はLGM後に規模の漸進的で持続的な増加を示しました(図2B・C)。PSMCの人口統計学的軌跡は、2万年前頃以降にはブートストラップ反復および第一区間検証で一貫しており、観察された傾向が人口統計学的推定値の人工的効果ではなかったことを確証しています。本論文の高被覆度の古代ゲノムは、2祖先集団間の対照的な人口統計学的変化を明らかにしており、異なる生活様式が繁栄されています。


●日本列島における先史時代の移住の遺伝的寄与

 ユーラシア東部人口集団の最尤系統発生分析から、縄文人はアジア東部人内の初期の分岐系統を表している、と示唆されました。さらに、このモデルは縄文人から現代日本人への移住線を推定しており、現在の日本人集団への縄文人系統の有意な遺伝的寄与を裏づけています。現代日本人を対象とした混合事象の時期の推定のため、IY1とDOと漢人を祖先の代理として、加重LDにおける減衰が分析されました。IY1とDOとの間のLD減衰は72.34±6.82世代で、弥生時代以降に及んでいました。

 さらに、現代日本人と弥生時代および古墳時代の個体群について、祖先の代理として縄文人および刊行されているユーラシア東部古代人を用いて、2方向混合モデル化(qpAdm)が実行されました。現代日本人については、2方向モデルは妥当な大陸部の供給源としてWLR_BAで裏づけられ、混合係数はあり得る範囲内(0、1)に収まりました。弥生時代の1個体(DO)では、AR_ENやHMMH_MNなどアジア北東部の祖先代理が、裏づけられた適合を提供しました。西遼河の候補(WLR_BAとWLR_MN)は高い裾確率を示しましたが、入れ子モデルは却下できませんでした。同様に、古墳時代個体群については、モデルは裏づけられた大陸部供給源としてWLR_BAとWLR_MNを特定したのに対して、他の候補(たとえば、AR_IAやHMMH_MN)は統計的に妥当なパターンを示したものの、最終的にはさほど節約的ではありません。この結果は、日本列島の弥生時代およびその後の人口集団を家制した、大陸部の遺伝的寄与の変遷に知見を提供します。


●縄文人と弥生人におけるAMY1コピー数

 IY1とDOの高深度被覆度を活用して、構造的に複雑なデンプンと関連しているAMY1遺伝子座におけるコピー数が推定されました。両個体とも、デンプンの多い食性集団と少ない食性集団両方にわたるさまざまな現在のアジア東部人口集団と比較して多いAMY1コピー数を示し、IY1は約9個のコピー、DOは約10個のコピーを有しています(図3)。この値は、中石器時代ヨーロッパ狩猟採集民であるラ・ブラナ1号[20]で特定された約5個のAMYのコピー数より顕著に多くなっています。最近の大規模な研究では、AMY1コピー数の主要な拡大は農耕開始後に世界中で起きた、と示唆されましたが[21]、その分析は地理的に限られており、ユーラシア東部、とくに日本列島の高被覆度の古代ゲノムがほぼ欠けていました。本論文の調査結果から、デンプンの豊富な植物資源の食事への利用と関連しているかもしれないAMY1コピー数の増加は、日本列島では稲作農耕の拡散前にすでに存在していた、と示唆されました。その後、農耕への移行が日本列島におけるこれらのコピー数の差異をさらに形成したかもしれません。以下は本論文の図3です。
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●考察

 本論文の高被覆度の古代ゲノムは、縄文人および弥生人の対照的な人口統計学的歴史の理解に、節目を提供しました(図1および図2)。LGM後に、これらの系統は異なる軌跡を示しました。縄文時代早期の祖先人口集団は顕著な数的拡大を示しませんでしたが、弥生人の祖先人口集団は漸進的な増加傾向を経ました(図2B・C)。このパターンは、異なる祖先の生活様式および環境への対応が人口統計学的歴史をどのように形成してきたのか、反映している可能性が高そうです。その後の縄文時代において、本州と四国の個体間のROH水準の急激な変化の欠如から、これらの人口集団は急速な人口統計学的移行もしくはユーラシア大陸部からの顕著な外部の影響を避けて、地域全体で比較的安定した人口規模を維持した、と示唆されました。この結果は、農耕文化後の大陸部人口集団で観察された急速な拡散とは異なる、日本列島における長期の人口安定性の独特なモデルを強調しています。

 AMY1の進化に関する先行研究がおもにユーラシア西部人口集団に焦点を当ててきた[21、22]のに対して、最近の研究では、AMY1コピー数の差異はより複雑な進化史を経ており、農耕およびデンプンの豊富な食性との関係は人口集団や人口統計学的背景で異なるかもしれない、と示唆されました[22]。本論文では、高被覆度のゲノムが古代のAMY1コピー数の差異にユーラシア東部の視点を提供しています。その調査結果から、AMY1コピー数の差異は、農耕への一様な反応ではなく、日本列島では地域で異なる軌跡をたどったかもしれない、と示唆されました。本論文の結果から、縄文時代早期個体(IY1)はすでにより多いAMY1コピー数(約9個)を有しており、それは生活様式におけるデンプンの豊富な植物資源の食事での利用と関連しているかもしれない、と示されました。この遺伝的特性は居家以岩陰遺跡の考古学的記録と一致しており、クルミやクリやナラなどの豊富な植物遺骸が発掘されましたるさらに、縄文時代におけるアズキの栽培化に関する最近の報告は、縄文時代の生活様式における植物資源の重要性を補強しました。本論文の結果から、在来植物資源を含めて地域的な食性の特化が、ユーラシア西部で観察されたような農耕への移行とは独立して、デンプン消化と関連するAMY1コピー数の差異と関連していたかもしれない、と示唆されました。弥生時代における集約的な稲作へのその後の移行は、DOで観察されたより多いAMY1コピー数に反映されているように、AMY1コピー数の差異へとさらに影響を及ぼしたかもしれません。この結果は、ユーラシア全域の異なる環境的および文化的背景が、ヒトにおいて収束的でありながら時間的に異なる食性と関連する遺伝的差異に寄与した、という可能性を浮き彫りにしました。

 さらに、本論文の高被覆度の古代ゲノムは、日本人集団を形成した混合事象の正確な再構築を容易にしました。縄文人と弥生人の混合は約65.52~79.16世代前に起きましたが、現在の漢人と弥生時代関連の祖先との間の分岐年代は、67.55~98.51世代前です。これらの年代間隔から、日本人集団の形成は多段階の過程で、祖先の大陸部集団は日本列島内でのその後の混合の前に、独自の遺伝的相互作用を経た、と示唆されました。本論文の分析は、縄文時代の代表的個体にはまったく存在しなかった、弥生時代の1個体(DO)における明確な祖先構成要素を特定しました(図2A)。ウスチベラヤ遺跡[26]やモンゴル[6]の個体群を含めて、アジア北東部古代人におけるこの構成要素の広がりから、この系統もしくは関連する代理は、弥生人のゲノム特性への統合の前にユーラシア北東部なに広く分布していた、と示唆されました。地理的には、弥生人のゲノム内の大陸部の遺産は、ユーラシアの北東部と東部沿岸の両方を含んでいます。観察されたf4パターンは、弥生時代個体のモンゴル南部の中期新石器時代集団(たとえば、廟子溝_MNやHMMH_MN)および中国の山東半島の前期~後期新石器時代人口集団[3、4]との、密接な遺伝的類似性を補強しました。現在の人口集団では、ダウール人がDOと最も強い類似性を示しており、黄河流域からモンゴル高原にまたがる集団とのつながりが示唆されます。さらに、外群f3統計は弥生時代の1個体を、古墳時代の個体群とよりも、悪魔の門遺跡[27]やボイスマン遺跡[6]個体群などユーラシア北東部東部沿岸人の方と強く結びつけています。このつながりは、沿岸部およびモンゴル新石器時代祖先系統の弥生人への顕著な寄与を裏づけました。これら大陸部からの移住の影響は、日本列島内の明確な地域的対照を示しました。本論文の人口モデル化が裏づけた見解は、日本列島本土の弥生時代および古墳時代人口集団が、新石器時代のアジア北東部およびモンゴル南部集団からの遺伝的影響を示す、というものでした。対照的に、宮古島の長墓遺跡人口集団の提案された供給源である北阡遺跡集団[8]は、日本列島本土の弥生時代および古墳時代時との明確な遺伝的関係を示しませんでした。この違いは、日本列島本土と南方諸島を形成した、対照的な大陸部からの影響を浮き彫りにしており、以前に認識されていたよりも複雑で多層な日本人集団の形成が明らかになります。

 本論文で提示された、67倍の縄文人(IY1)と弥生人(DO)の高被覆度の古代ゲノムの活用によって、以前の低被覆度もしくは疑似半数体データセットで検出できないままだった、祖先構成要素が特定されました(図2A)。縄文時代のIY1個体については、高被覆度のゲノムによって、アジア東部とアジア南東部とオセアニアにまたがって広く共有されていた基底部の祖先供給源が明らかになりました。さらに、二倍型配列によって、HLAの遺伝子型決定が容易になり、日本の現在の琉球およびアイヌ集団に共通する特定のアレルが明らかになり、縄文人のゲノムにおける古代型人類的断片の特定が可能になりました。さらに、本論文の高被覆度の弥生人ゲノムは、日本人集団の最近提案された三重起源[7]の精緻化に必要な解像度を提供しました。以前の解釈は低被覆度(0.01~0.07倍)の弥生人標本ゲノムに依拠し、現代日本人の遺伝的構成要素は古墳時代になってやっと出現した、と示唆しましたが、本論文のデータは、これらの要素が弥生時代にはすでに確立していたことを確証しました。弥生時代から現在の本土日本人までの連続性は以前の観察[28]と一致しており、日本人集団の起源の二重構造モデルを裏づけました。

 まとめると、本論文の結果で強調されたのは、高被覆度の古代ゲノムが、古ゲノミクスにおいて以前には達成できなかった解像度を提供できるかもしれないことです。この技術的転換は、日本人集団の形成を解明するだけではなく、世界規模のヒト集団の起源と進化史にも光を当てました。


参考文献:
Ishiya K. et al.(2026): High-coverage ancient genomes reveal divergent population histories and prehistoric starch-related genetic variation in Japan. PNAS, 123, 30, e2606162123.
https://doi.org/10.1073/pnas.2606162123

[1]Bae CJ, Douka K, and Petraglia MD.(2017): On the origin of modern humans: Asian perspectives. Science, 358, 6368, eaai9067.
https://doi.org/10.1126/science.aai9067
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[2]Matsumura H. et al.(2019): Craniometrics Reveal “Two Layers” of Prehistoric Human Dispersal in Eastern Eurasia. Scientific Reports, 9, 1451.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-35426-z
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[3]Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
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[4]Yang MA. et al.(2020): Ancient DNA indicates human population shifts and admixture in northern and southern China. Science, 369, 6501, 282–288.
https://doi.org/10.1126/science.aba0909
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[5]Gakuhari T. et al.(2020): Ancient Jomon genome sequence analysis sheds light on migration patterns of early East Asian populations. Communications Biology, 3, 437.
https://doi.org/10.1038/s42003-020-01162-2
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[6]Wang CC. et al.(2021): Genomic insights into the formation of human populations in East Asia. Nature, 591, 7850, 413–419.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03336-2
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[7]Cooke NP. et al.(2021): Ancient genomics reveals tripartite origins of Japanese populations. Science Advances, 7, 38, eabh2419.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abh2419
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[8]Liu J. et al.(2025): East Asian Gene flow bridged by northern coastal populations over past 6000 years. Nature Communications, 16, 1322.
https://doi.org/10.1038/s41467-025-56555-w
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[14]Lucquin A. et al.(2018): The impact of environmental change on the use of early pottery by East Asian hunter-gatherers. PNAS, 115, 31, 7931–7936.
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[18]Mizuno F. et al.(2021): Population dynamics in the Japanese Archipelago since the Pleistocene revealed by the complete mitochondrial genome sequences. Scientific Reports, 11, 12018.
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[19]Kanzawa-Kiriyama H. et al.(2019): Late Jomon male and female genome sequences from the Funadomari site in Hokkaido, Japan. Anthropological Science, 127, 2, 83–108.
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[20]Olalde I. et al.(2014): Derived immune and ancestral pigmentation alleles in a 7,000-year-old Mesolithic European. Nature, 507, 7491, 225–228.
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[21]Bolognini D. et al.(2024): Recurrent evolution and selection shape structural diversity at the amylase locus. Nature, 634, 8034, 617–625.
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[27]Sikora M. et al.(2019): The population history of northeastern Siberia since the Pleistocene. Nature, 570, 7760, 182–188.
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[28]Kim J. et al.(2025): Genetic analysis of a Yayoi individual from the Doigahama site provides insights into the origins of immigrants to the Japanese Archipelago. Journal of Human Genetics, 70, 1, 47–57.
https://doi.org/10.1038/s10038-024-01295-w
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この記事へのコメント

熊笹
2026年08月01日 22:00
 本記事でも、解析対象の弥生人は北東アジア集団との遺伝的親和性が示されました。また、現代日本人男性の20%に検出されるO2系も弥生時代人骨から検出例が確認されません。
 そのため、弥生の時点では現代日本人は完成せず、その後の渡来を通じて黄河系集団の遺伝的影響を増大させ北東アジア要素が薄まった現代日本人的なゲノム構成が完成したと考えています。
管理人
2026年08月02日 08:22
土井ヶ浜遺跡の個体のゲノムを報告した以前の研究と今回の研究から、現代日本人の遺伝的起源について、2021年に提唱された三重構造説ではなく、20世紀後半に提唱された二重構造説が正しい、との認識もあるようですが、2021年に提唱された三重構造説は、古墳時代にそれまで存在しなかったアジア東部的構成要素が流入した、と推定した点で間違いとしても、現代日本人の遺伝的構成を大まかに三重構造で把握すること自体は間違っておらず、古墳時代から飛鳥時代にかけて大陸から日本列島へ多くのヒトが流入した可能性は高いように思います。
Lightory
2026年08月14日 09:05
熊笹さんのコメントに関して
>解析対象の弥生人は北東アジア集団との遺伝的親和性が示されました。
→こちらはどこに記述されていますでしょうか。むしろ遺伝的構成要素はすでに弥生時代中期に存在していたという内容かと思います

「本論文は、縄文人とアジア北東部人とアジア東部人的な祖先系統から構成される現代日本人の三重起源を提唱した研究について、そうした遺伝的構成要素はすでに弥生時代中期に存在していた、との見解を提示しており、これは最近の研究と整合的です。」

「縄文人と弥生人の混合は約65.52~79.16世代前に起きましたが、現在の漢人と弥生時代関連の祖先との間の分岐年代は、67.55~98.51世代前です。
これらの年代間隔から、日本人集団の形成は多段階の過程で、祖先の大陸部集団は日本列島内でのその後の混合の前に、独自の遺伝的相互作用を経た、と示唆されました。」
熊笹
2026年08月14日 09:55
 土井ヶ浜の個体が現代のダウール族(現代日本人よりも北東アジア系統が多い)との親縁性があるという記述が本記事でありました。また、外群f3統計では土井ヶ浜個体を古墳時代人よりも、ボイスマンや悪魔の門との親縁性が目立つという記述が本記事にあります。
L
2026年08月14日 15:47
「アジア北東部および山東半島のさまざまな中期新石器時代人口集団との顕著なアレル(対立遺伝子)共有を示しました。」ですよね?
そして「"現在のアジア北東部では"、ダウール人がDOと最高の類似性を共有」という言葉尻を切り取っているかと思います

f3については比較の話かと。結局のところDOは日本人と古墳人の方が、ボイスマンや悪魔の門より近いのですから
二重構造説は弥生以降の渡来も想定していますし、古墳以降の渡来を通じて縄文度合いが薄まって行ったという言い方になるのかなと思います

個人的にはf3で不思議なのが、DO・古墳人ともにMiaozigou_MNが一番近かったというデータですね
Lightory
2026年08月14日 15:48
すみません。名前の打ち込み中で送信してしまいました