人馴れしていた猫の話

 最近、まだある程度記憶が残っているうちに、体系的ではなくとも備忘録として残しておきたい、と思うことが色々とあり、テレビの個人的な視聴史についてまとめました(関連記事)。その記事は、将来、情報通信技術のさらなる発展によって、こうしたデジタルデータに残っていない個人の視聴履歴も有効に活用できる研究が出ることを期待して、書き残しておきました。今回の記事は、別に将来の研究に役立てばよい、といった意図は全くなく、単に昔から気になっていたことを、記憶のあるうちに残しておきたかっただけです。私が中学2年生の冬だった1986年12月~1987年1月頃のことです。

 1986年も終わろうとする頃、近所に雌の三毛猫が現れました。近所で飼われているわけでもなく、首輪もありませんでした。当時、近所には黒色と白色の体毛の雄猫と、別の雌の三毛猫が野良猫としていましたが、この2匹は人に懐かず、私の姿を見ると警戒して、すぐに逃げ出しました。しかし、ある時、近所の老人が雄猫に餌をやっているのを見て、それ以降、雄猫が老人に近づき、頭を擦りつけるところも、何度か見ました。こうした行為が見つかったら、今では厳しく批判されるでしょうし、SNSで動画や画像が公開されたら、炎上しそうですが、当時は大らかだったように思います。

 この雄猫に限らず、成人してからも野良猫を随分と見てきましたが、私は餌をやったことがないので、野良猫に懐かれたことは一度もありません。しかし、こうした野良猫に餌をやっている人に野良猫が懐いているところは、それなりに見てきました。私の姿を見ると、警戒してすぐに逃げ出す姿勢を取り、私が目的の方向なので仕方なく猫に近づいていくと、さっと逃げてしまうことは、何度も経験しました。そのため、野良猫は餌をくれる人にしか懐かないのかな、とずっと考えていました。それくらい警戒心が強い野良猫でないと、生きていくのが難しいのかもしれません。

 ところが、1986年の大晦日近くに現れた雌の三毛猫は、私が呼びかけたわけではなく、外で空を眺めていただけなのに、私に寄ってきて、頭を擦りつけてきました。驚きつつも、猫が懐いてくるとやはり大半の人間は嬉しいもので、私も例外ではなく、雌の三毛猫を撫でると、嬉しそうな声を出していました。その後、この雌の三毛猫を見かけると、声をかけるようになりましたが、すぐに寄ってきて、頭を擦りつけてきました。この雌の三毛猫に餌を与えたことは一度もありませんでしたが、それでも懐くことに驚いたものです。この雌の三毛猫は、私以外の近所の人にも懐いていましたが、1987年1月後半以降、近所で見かけることはありませんでした。残念に思いつつも、餌を与えない人間にも懐く猫として、深く記憶に残っています。

 成人しても、この雌の三毛猫を思い出すことがありましたが、野良猫なのになぜ餌を与えない人間にも懐いていたのか、不思議でした。ただ、近年になって思うのは、この雌の三毛猫は誰かに飼われており、私の住居の近くに捨てられたか、捨てられずとも、迷い込んできたか、気まぐれで遠くまで出かけていた可能性です。餌を与えない人間にも積極的に頭を擦りつけていくのは、やはり飼われていた記憶があるからではないか、と思います。この雌の三毛猫が、飼い主の家に戻ったのか、別の場所へ移動したのか、誰かに飼われたのか、自動車に轢かれるなどして死んだのか、分かりませんが、穏やかに天寿を全うしたことを、願っています。

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