皇位継承と「正論」
皇室典範改正について新聞やTwitterで見かけることが増えたので、一度これまでに述べてきたことをまとめておきます。現行法では皇位継承が危ぶまれる中で、皇室典範改正が進められているわけですが、すでに小泉政権下で皇位継承の女系容認案が法制化されそうになりました。しかし、2006年の秋篠宮妃の懐妊公表と悠仁親王の誕生で、実質的に廃案となった感があります。そこから20年経過しているわけで、正直なところ、皇室典範改正があまりにも遅くなったことは否定できません。ただ、皇位継承問題は、政治家にとって票になりにくい上に、どのような解決策でも影響力があり声の大きな複数の著名人に批判されることになるので、政治家が先送りにしたい心情はよく理解できます。まあ、国会議員がそれでは困るわけですが。
皇室典範改正に対する意見は、女性天皇は容認しても女系天皇は容認しないなど、さまざまでしょうが、大まかには、「伝統」重視で男系のみの継承を維持する見解か、「人権」重視もしくは愛子内親王への強い支持から女性天皇さらには女系継承も容認する見解に二分できると思います。男系継承維持だと、旧宮家の男系男子と現在の皇族との男系の最終共通祖先が600年前頃までさかのぼり、すでに臣籍降下してから80年近く経過していることから、国民の理解は得られない、と否定的な意見は多いようです。ただ、現在の旧宮家の男系男子は元をたどると伏見宮家に由来しますが、その伏見宮家が臣籍降下まで500年以上続いてきたことの意味は重いと思います。その意味で、旧宮家の男系男子の養子案を否定するつもりはありませんが、旧宮家を復活させる方がよかった、と考えています。旧宮家の男系男子が皇籍復帰後に儲けた男子については、皇位継承権が認められるべきと思います。
一方で、「人権」重視の観点から、女性天皇も女系天皇も容認すべきとの意見もありますが、それを突き詰めると、皇族には参政権が認められないなど、深刻な人権侵害である皇室制度を廃止するしかないわけで、実際に「左派」や「リベラル派」の一部は「天皇制廃止」を主張し、皇室制度の存続を前提に女性天皇や女系天皇容認を訴える、「左派」や「リベラル派」を批判しています。私もそうした観点から、小学生の頃より長く「天皇制廃止」論に立っていましたが、21世紀になって意見が変わってきて、最近十数年間はもう「天皇制廃止」を主張していませんし、むしろ存続すべきと考えが変わりました。長く続いてきたものを現代人の感覚で安易に廃止することへの疑問が強くなってきたわけですが、皇室制度が人権侵害であることも確かですから、その点で皇族への配慮が必要なことも確かで、塩梅が難しいところだと思います。
現時点で少数派とはいえ、「天皇制廃止」を主張する「左派」や「リベラル派」について、「天皇制」の存続を前提に、女性天皇と女系天皇を容認する「左派」や「リベラル派」よりもずっと「筋が通っている」、と一定の評価をする人は「伝統」重視派の中にも少なくないようです。ただ、そのように評価してもよいのか、疑問も残ります。人権重視の観点からの「天皇制廃止論」は、確かに論理的帰結であり「正論」と言えます。しかし、「正論」は往々にして「極論」でもあります。「天皇制廃止」は憲法改正を必要としますが、女性天皇と女系天皇の容認ではその必要がありません。憲法護持の観点から、憲法改正への国民の心理的障壁を維持するためにも、「天皇制廃止」を主張せず、女性天皇と女系天皇の容認を訴える「左派」や「リベラル派」もいるかもしれません。それは、社会と政治への現実的な向き合い方の一例で、ことさらに「論理的整合性」の観点から強く批判されるべきとは考えていません。一方で、「天皇制廃止」を主張する「左派」や「リベラル派」は、「差別解消」のために改憲を厭わないのでしょう。ただ、「天皇制廃止」が現代日本社会の「差別的状況」の解消に大きく寄与するのか、私は疑問に思っていますが。まあ、女性天皇と女系天皇の容認を訴える人々のうち、どのくらいの割合が憲法護持を強く意識しているのか、分からないので、的外れなことを言っているかもしれませんが。
こうした「正論」の問題は「伝統」の観点に基づく皇位継承の男系維持派にも当てはまり、「伝統」を重視するならば、皇族の一夫多妻や譲位(もしくは退位)を認めるべきではないか、との主張につながります。しかし、皇族の一夫多妻を主張する人も見かけますが、「天皇制廃止」論者よりさらに少ないようですし、男系維持を主張する人と、現在の上皇陛下の退位に批判的だった人はかなり重なっているようにも思います。結局のところ、「伝統」を重視する男系維持派とはいっても、「伝統」を取捨選択しているわけで、「正論」を突き付けられると論理として弱いところがあります。ただ、「伝統」の取捨選択は社会と政治への現実的な向き合い方の一例とも言えるわけで、ことさらに「論理的整合性」の観点から強く批判されるべきとは考えていません。それは、上述のように、「正論」は往々にして「極論」でもある、との認識に基づいています。
ただ、「正論」はその「論理的整合性」の故に魅力的であることは否定できず、今後も「正論」を主張し続ける人はいなくならないでしょう。宗教の「原理主義」がなくならないのも、「原理主義」が往々にして「正論」であるからで、皇位継承問題でも、「正論」が政治家を拘束するところはあると思います。最大与党の政調会長が「皇位の男系継承は2600年以上にわたって先人たちが守り抜いてきた皇室の伝統だ」と述べるのも、「正論」を無視できないからで、政治家には「正論」を「飼い馴らす」ための「術(クンスト)」を身に着けてもらいたいものですが、現実はそう理想通りにはいかず、「正論」に振り回されることも多々ありそうです。まあ、往々にして「極論」である「正論」が社会の「常識」や「良識」になることは、数百年単位ではなく個人の一生の間にも起き得るわけで、「正論」だから「非現実的」と安易に断定するわけにもいきませんが。ただ、「正論」が現実の社会や経済や政治の負荷をさほど考慮しない、「極論」というか「理想論」になる傾向はあると思いますし、そうした人々を「筋が通っている」と安易に賞賛すべきではない、と考えています。とはいえ、「正論」もしくは「理想」に拘ると、社会が硬直し、結果として多くの人々の不利益になることは往々にあるとしても、「正論」もしくは「理想」がなくなればよいものでもなく、時に「正論」もしくは「理想」に立ち返らねば、社会は「現実主義」という美名の「現状追認」が横行し、堕落するでしょう。
なお、皇位継承問題を歴史的に見ると、女性天皇と女系天皇の容認派の一部?で主張されている、飛鳥時代と奈良時代には女系での皇位継承も容認されていた、との見解には、女性皇族への強い婚姻規制と男性皇族には婚姻規制がないことから、強い疑問を抱いています(関連記事)。また、確かに日本史上において女帝は存在しましたが、全員即位時には独身で、譲位の有無を問わず、崩御まで独身だったこと(即位前に夫を亡くしたか、生涯未婚)は、皇族の最重要使命の一つが再生産(継承、繁殖)であることを考えると、とても無視できない特徴で、女帝の緊急避難的性格は無視できないと思います。近年では評判の悪そうな「女帝中継ぎ」論ですが、政治を主導し、功績を残した女帝がいたことは確かとしても、それは女帝の「中継ぎ」的性格と矛盾するものではないと思います。その意味でも、皇位を男系男子に限定することには反対しません。これが「男女不平等」であることは確かですが、そもそも皇室制度自体が深刻な人権侵害なので、「伝統」を踏まえて、存続を前提とするなら、皇位を男系男子に限定することも許容されるべきと考えます。
これが「男女不平等」であることは確かですが、そもそも皇室制度自体が深刻な人権侵害なので、「伝統」を踏まえて、存続を前提とするなら、皇位を男系男子に限定することも許容されるべきと考えます。ただ、それが「国際的に」どう見られるのか、という問題は残ります。しかし、そうした文脈での「国際社会(世界)」はおおむねヨーロッパを対象としており、たとえばサウジアラビアは視界に入っていないように思います。情報発信力を踏まえると、日本がヨーロッパの反応を気にするのは当然の現実的対応とも言えますが、日本社会における「白人」への劣等感が根強いことを改めて痛感します。政治家への道は、少なくとも制度的には女性にも開かれており、じっさい現在は初の女性首相ですから、政治的実権のない天皇を男性のみに限定してもよい、と私は考えていますが、国民の「象徴」としての天皇との観点から、女性にも皇位継承権を認めるよう主張する人がいるのは、当然とも思います。それに、現在の皇室典範改正案が、女性皇族の結婚後に、夫と子供は皇籍に入らないとされていることも問題で、これまで通り、女性皇族は結婚後に皇籍を離脱し、旧宮家の男系男子を養子として、皇族の人数を確保し、皇位継承と国事行為代行に備えるのがよいのではないか、と考えています。
現在、愛子内親王の即位を望む声は強いようですが、これは週刊誌などで伝えられる愛子内親王の人柄と見識への敬意や、皇太子、さらには天皇の唯一の子として注目されてきたことに由来し、本質的には芸能人の人気と変わるところがなく、現在の人気(世論)に基づいて皇位継承順位を変更するのは、きわめて危険と思います。現時点では、旧宮家の男系男子の養子案への世論の支持は、女性天皇容認にも女系天皇容認にもずっと劣るようですが、旧皇族男系男子に、容貌と人格と教養と体力に優れた復帰意志のある候補がいて、週刊誌や地上波が持ち上げれば、状況は劇的に変わるでしょう。まあ、そうした逸材が実在するのか知りませんが、政府が複数の大手紙の反対を無視して押し切り、ここまで強引に旧宮家の男系男子の養子案を進めるのは、切り札を抱えているからではないか、と邪推したくもなります。まあ、「切り札」はいなくとも、政府の強引な姿勢から推測すると、旧宮家の男系男子で、養子案が法制化されれば、まだ公表していないとしても、皇族に復帰する意思を示している人がいる可能性は高いと思います。もし、皇室典範改正後に、皇族に復帰する意思を示す人がいなかったら、政府の大失態ですが、さすがにそこは見込みがあると思います。ただ、高市内閣を私はまったく支持していませんし、信用もしていないので、高市内閣なら、そうした失態もあり得るのではないか、と不安も残ります。尤も、そのように皇位継承の条件というか視覚に人格や見識を求めるのは政治および社会的安定のためにも好ましくなく、皇位は基本的には血筋で決めるべきと思います。もちろん、今後人格面などで問題のある天皇が出現する可能性は否定できませんが、それは摂政制度で対処すべき問題でしょう。
なお、皇位継承の男系維持派で、Y染色体を根拠に挙げる人が、一時期ほどではなくとも、今でもそれなりにいるようですが、論外だと思います。宦官制度がなかったことや南北朝時代の直仁親王の事例(崇光天皇の皇太子に立てられた直仁親王は、公式には花園院の息子とされていたのに、実は光厳院の息子だった可能性が高そう、少なくとも光厳院はそう認識していたこと)や猪熊事件からも、皇室の歴史においてどこかで「間違い」が生じた危険性は否定できず、Y染色体を男系維持の根拠にすると、もし「間違い」、つまりペア外父性(系図と生物学的な父子関係が一致しない場合)が証明された場合、皇室の正統性の問題に発展するでしょう。前近代からの長い歴史がある皇位継承の正統性を、Y染色体のような近代以降に判明した「科学的事実」で担保する必要はなく、むしろ皇位継承の正統性を棄損する可能性さえある点で、極めて有害な言説と考えています。皇位の男系継承の根拠としてY染色体を挙げるのは、「科学的」だから「(政治的もしくは社会的に)正しい」と考えたり、「(政治的もしくは社会的)正しさ」に「科学的根拠」を求めたりする、近代以降の人間が陥りやすい誤謬だと思います。これは悪しき近代主義もしくは近代人の心性と言うべきで、たとえば、三島由紀夫がこうした言説を知れば、おそらく近代的誤謬として強く批判するのではないか、と思います。
皇室典範改正に対する意見は、女性天皇は容認しても女系天皇は容認しないなど、さまざまでしょうが、大まかには、「伝統」重視で男系のみの継承を維持する見解か、「人権」重視もしくは愛子内親王への強い支持から女性天皇さらには女系継承も容認する見解に二分できると思います。男系継承維持だと、旧宮家の男系男子と現在の皇族との男系の最終共通祖先が600年前頃までさかのぼり、すでに臣籍降下してから80年近く経過していることから、国民の理解は得られない、と否定的な意見は多いようです。ただ、現在の旧宮家の男系男子は元をたどると伏見宮家に由来しますが、その伏見宮家が臣籍降下まで500年以上続いてきたことの意味は重いと思います。その意味で、旧宮家の男系男子の養子案を否定するつもりはありませんが、旧宮家を復活させる方がよかった、と考えています。旧宮家の男系男子が皇籍復帰後に儲けた男子については、皇位継承権が認められるべきと思います。
一方で、「人権」重視の観点から、女性天皇も女系天皇も容認すべきとの意見もありますが、それを突き詰めると、皇族には参政権が認められないなど、深刻な人権侵害である皇室制度を廃止するしかないわけで、実際に「左派」や「リベラル派」の一部は「天皇制廃止」を主張し、皇室制度の存続を前提に女性天皇や女系天皇容認を訴える、「左派」や「リベラル派」を批判しています。私もそうした観点から、小学生の頃より長く「天皇制廃止」論に立っていましたが、21世紀になって意見が変わってきて、最近十数年間はもう「天皇制廃止」を主張していませんし、むしろ存続すべきと考えが変わりました。長く続いてきたものを現代人の感覚で安易に廃止することへの疑問が強くなってきたわけですが、皇室制度が人権侵害であることも確かですから、その点で皇族への配慮が必要なことも確かで、塩梅が難しいところだと思います。
現時点で少数派とはいえ、「天皇制廃止」を主張する「左派」や「リベラル派」について、「天皇制」の存続を前提に、女性天皇と女系天皇を容認する「左派」や「リベラル派」よりもずっと「筋が通っている」、と一定の評価をする人は「伝統」重視派の中にも少なくないようです。ただ、そのように評価してもよいのか、疑問も残ります。人権重視の観点からの「天皇制廃止論」は、確かに論理的帰結であり「正論」と言えます。しかし、「正論」は往々にして「極論」でもあります。「天皇制廃止」は憲法改正を必要としますが、女性天皇と女系天皇の容認ではその必要がありません。憲法護持の観点から、憲法改正への国民の心理的障壁を維持するためにも、「天皇制廃止」を主張せず、女性天皇と女系天皇の容認を訴える「左派」や「リベラル派」もいるかもしれません。それは、社会と政治への現実的な向き合い方の一例で、ことさらに「論理的整合性」の観点から強く批判されるべきとは考えていません。一方で、「天皇制廃止」を主張する「左派」や「リベラル派」は、「差別解消」のために改憲を厭わないのでしょう。ただ、「天皇制廃止」が現代日本社会の「差別的状況」の解消に大きく寄与するのか、私は疑問に思っていますが。まあ、女性天皇と女系天皇の容認を訴える人々のうち、どのくらいの割合が憲法護持を強く意識しているのか、分からないので、的外れなことを言っているかもしれませんが。
こうした「正論」の問題は「伝統」の観点に基づく皇位継承の男系維持派にも当てはまり、「伝統」を重視するならば、皇族の一夫多妻や譲位(もしくは退位)を認めるべきではないか、との主張につながります。しかし、皇族の一夫多妻を主張する人も見かけますが、「天皇制廃止」論者よりさらに少ないようですし、男系維持を主張する人と、現在の上皇陛下の退位に批判的だった人はかなり重なっているようにも思います。結局のところ、「伝統」を重視する男系維持派とはいっても、「伝統」を取捨選択しているわけで、「正論」を突き付けられると論理として弱いところがあります。ただ、「伝統」の取捨選択は社会と政治への現実的な向き合い方の一例とも言えるわけで、ことさらに「論理的整合性」の観点から強く批判されるべきとは考えていません。それは、上述のように、「正論」は往々にして「極論」でもある、との認識に基づいています。
ただ、「正論」はその「論理的整合性」の故に魅力的であることは否定できず、今後も「正論」を主張し続ける人はいなくならないでしょう。宗教の「原理主義」がなくならないのも、「原理主義」が往々にして「正論」であるからで、皇位継承問題でも、「正論」が政治家を拘束するところはあると思います。最大与党の政調会長が「皇位の男系継承は2600年以上にわたって先人たちが守り抜いてきた皇室の伝統だ」と述べるのも、「正論」を無視できないからで、政治家には「正論」を「飼い馴らす」ための「術(クンスト)」を身に着けてもらいたいものですが、現実はそう理想通りにはいかず、「正論」に振り回されることも多々ありそうです。まあ、往々にして「極論」である「正論」が社会の「常識」や「良識」になることは、数百年単位ではなく個人の一生の間にも起き得るわけで、「正論」だから「非現実的」と安易に断定するわけにもいきませんが。ただ、「正論」が現実の社会や経済や政治の負荷をさほど考慮しない、「極論」というか「理想論」になる傾向はあると思いますし、そうした人々を「筋が通っている」と安易に賞賛すべきではない、と考えています。とはいえ、「正論」もしくは「理想」に拘ると、社会が硬直し、結果として多くの人々の不利益になることは往々にあるとしても、「正論」もしくは「理想」がなくなればよいものでもなく、時に「正論」もしくは「理想」に立ち返らねば、社会は「現実主義」という美名の「現状追認」が横行し、堕落するでしょう。
なお、皇位継承問題を歴史的に見ると、女性天皇と女系天皇の容認派の一部?で主張されている、飛鳥時代と奈良時代には女系での皇位継承も容認されていた、との見解には、女性皇族への強い婚姻規制と男性皇族には婚姻規制がないことから、強い疑問を抱いています(関連記事)。また、確かに日本史上において女帝は存在しましたが、全員即位時には独身で、譲位の有無を問わず、崩御まで独身だったこと(即位前に夫を亡くしたか、生涯未婚)は、皇族の最重要使命の一つが再生産(継承、繁殖)であることを考えると、とても無視できない特徴で、女帝の緊急避難的性格は無視できないと思います。近年では評判の悪そうな「女帝中継ぎ」論ですが、政治を主導し、功績を残した女帝がいたことは確かとしても、それは女帝の「中継ぎ」的性格と矛盾するものではないと思います。その意味でも、皇位を男系男子に限定することには反対しません。これが「男女不平等」であることは確かですが、そもそも皇室制度自体が深刻な人権侵害なので、「伝統」を踏まえて、存続を前提とするなら、皇位を男系男子に限定することも許容されるべきと考えます。
これが「男女不平等」であることは確かですが、そもそも皇室制度自体が深刻な人権侵害なので、「伝統」を踏まえて、存続を前提とするなら、皇位を男系男子に限定することも許容されるべきと考えます。ただ、それが「国際的に」どう見られるのか、という問題は残ります。しかし、そうした文脈での「国際社会(世界)」はおおむねヨーロッパを対象としており、たとえばサウジアラビアは視界に入っていないように思います。情報発信力を踏まえると、日本がヨーロッパの反応を気にするのは当然の現実的対応とも言えますが、日本社会における「白人」への劣等感が根強いことを改めて痛感します。政治家への道は、少なくとも制度的には女性にも開かれており、じっさい現在は初の女性首相ですから、政治的実権のない天皇を男性のみに限定してもよい、と私は考えていますが、国民の「象徴」としての天皇との観点から、女性にも皇位継承権を認めるよう主張する人がいるのは、当然とも思います。それに、現在の皇室典範改正案が、女性皇族の結婚後に、夫と子供は皇籍に入らないとされていることも問題で、これまで通り、女性皇族は結婚後に皇籍を離脱し、旧宮家の男系男子を養子として、皇族の人数を確保し、皇位継承と国事行為代行に備えるのがよいのではないか、と考えています。
現在、愛子内親王の即位を望む声は強いようですが、これは週刊誌などで伝えられる愛子内親王の人柄と見識への敬意や、皇太子、さらには天皇の唯一の子として注目されてきたことに由来し、本質的には芸能人の人気と変わるところがなく、現在の人気(世論)に基づいて皇位継承順位を変更するのは、きわめて危険と思います。現時点では、旧宮家の男系男子の養子案への世論の支持は、女性天皇容認にも女系天皇容認にもずっと劣るようですが、旧皇族男系男子に、容貌と人格と教養と体力に優れた復帰意志のある候補がいて、週刊誌や地上波が持ち上げれば、状況は劇的に変わるでしょう。まあ、そうした逸材が実在するのか知りませんが、政府が複数の大手紙の反対を無視して押し切り、ここまで強引に旧宮家の男系男子の養子案を進めるのは、切り札を抱えているからではないか、と邪推したくもなります。まあ、「切り札」はいなくとも、政府の強引な姿勢から推測すると、旧宮家の男系男子で、養子案が法制化されれば、まだ公表していないとしても、皇族に復帰する意思を示している人がいる可能性は高いと思います。もし、皇室典範改正後に、皇族に復帰する意思を示す人がいなかったら、政府の大失態ですが、さすがにそこは見込みがあると思います。ただ、高市内閣を私はまったく支持していませんし、信用もしていないので、高市内閣なら、そうした失態もあり得るのではないか、と不安も残ります。尤も、そのように皇位継承の条件というか視覚に人格や見識を求めるのは政治および社会的安定のためにも好ましくなく、皇位は基本的には血筋で決めるべきと思います。もちろん、今後人格面などで問題のある天皇が出現する可能性は否定できませんが、それは摂政制度で対処すべき問題でしょう。
なお、皇位継承の男系維持派で、Y染色体を根拠に挙げる人が、一時期ほどではなくとも、今でもそれなりにいるようですが、論外だと思います。宦官制度がなかったことや南北朝時代の直仁親王の事例(崇光天皇の皇太子に立てられた直仁親王は、公式には花園院の息子とされていたのに、実は光厳院の息子だった可能性が高そう、少なくとも光厳院はそう認識していたこと)や猪熊事件からも、皇室の歴史においてどこかで「間違い」が生じた危険性は否定できず、Y染色体を男系維持の根拠にすると、もし「間違い」、つまりペア外父性(系図と生物学的な父子関係が一致しない場合)が証明された場合、皇室の正統性の問題に発展するでしょう。前近代からの長い歴史がある皇位継承の正統性を、Y染色体のような近代以降に判明した「科学的事実」で担保する必要はなく、むしろ皇位継承の正統性を棄損する可能性さえある点で、極めて有害な言説と考えています。皇位の男系継承の根拠としてY染色体を挙げるのは、「科学的」だから「(政治的もしくは社会的に)正しい」と考えたり、「(政治的もしくは社会的)正しさ」に「科学的根拠」を求めたりする、近代以降の人間が陥りやすい誤謬だと思います。これは悪しき近代主義もしくは近代人の心性と言うべきで、たとえば、三島由紀夫がこうした言説を知れば、おそらく近代的誤謬として強く批判するのではないか、と思います。
この記事へのコメント
雑記帳を毎日読ませて頂いています。
私は去年から はてなブログという無料サイトでネット情報を纏めたブログを書いています。
完全に自分用の備忘録で、他人に読んで貰う事は最初から想定していませんし、実際、自分以外に見る人は殆どいません。
本日、雑記帳の 皇位継承と「正論」とそれに関係する記事を転載させて頂きました:
雑記帳 _ 神武天皇のY染色体、皇位継承と「正論」
https://a111111.hatenablog.com/entry/2026/07/19/035735
皇位継承関係では他に幾つもスレを書いています:
天皇のY染色体ハプログループ
https://www.asyura2.com/18/reki3/msg/584.html
天皇家の万世一系の男系男子は虚構
https://a111111.hatenablog.com/entry/2026/06/15/121052
今上天皇が怒った高市内閣の皇室典範改正、国民の声を無視する自民党と産経新聞の異常。
https://a111111.hatenablog.com/entry/2026/07/01/224309
秋篠宮文仁 僕の父親は一体誰なんでしょう? 皆さんも一緒に探してください
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/10/18/034827
伏見宮家は間男の子孫だった
https://www.asyura2.com/20/reki5/msg/240.html
皇籍復帰の最筆頭「賀陽家」とは? 有識者会議で示された「皇位継承順位系図」の中身とは
https://www.asyura2.com/21/reki7/msg/870.html
削除した方が良ければ伝えて下さい。
宜しくお願い致します。
出展を明示していただければ、転載はとくに問題ありません。
東山天皇の男系子孫のY染色体D1bがどうこうのと言っていた勢力(20年近く確たる証拠を提示しないので、私はすでに「偽情報」と認定)が、最近では影響力が一時期よりかなり下がりましたね
逆に女系派から「旧宮家養子のY染色体を検査しろ」「神武のY染色体を持ってこい」などと批判材料に利用されているレベルです
私としても、指摘されている皇統断絶の科学的可能性や、そもそもの神武天皇含む初代天皇の考古学的実在性など、いくらでも反論材料が思いつくので、皇統(という宗教的価値観)にY染色体(たかだか数十年の現代科学による産物)を持ち出す行為は愚行でしかないと思います
一時期猛威を奮った皇統D1a2説ですが、これが界隈にて支持を広げた背景に、
「天皇家が台頭したと推定される弥生〜古墳時代には「縄文人」が「渡来人」に対して父系的に優位な社会であり、故にD1a2系統が現代人に(核ゲノムに比べ)比較的多く残っており皇統もその系譜と考えられる」というような「俗説」があった事が一つの原因かと思います
しかし最近の正村遺跡や下本山岩陰遺跡、磯間岩陰遺跡の古人遺骸解析事例から解釈できる通り、「縄文人」の遺伝的構成要素を強く持つ個体から「渡来人」の父系(O,O1b2a1a1)も頻繁に検出され、「縄文人」の遺伝的構成要素を強く残す集団(西北九州、紀伊半島)に於いても「渡来人」の父系は特に珍しいものではなかった事(弥生時代初期段階でも混血が極めて複雑な状況)が明らかになるにつれ、前述の前提が支持に値するものではなくなっており、これに基づく「皇統のY染色体D1a2説」は科学的にも裏付けが難しくなっているように思います
代わりに台頭しているものが、(以前からありましたが)「中世日本に於いて、既に遺伝的構成がヤマト集団化していた有力者(皇族や皇別氏族)が、D1a2男系子孫を多く残した」というもので、前段の説よりは説得力があります
しかしY-STRの高精度な時系列分析が可能な現在では、現代日本人男性のD1a2父系枝が必ずしも中世日本に分岐したものに由来するというわけでも無いように私には思え、(検証の余地ありと言えど)私にはこれも論理の飛躍的な前提に立脚したものであると思います
まぁ愛子内親王即位を求める世論が大きい現在では、男系男子派(さらに言えばY染色体論者の中でも)ですらこの論者自体が少なくなっているわけで、既に国政に影響を与えるような勢力でもないですが、「女系派に塩を送りかねないような愚行的主張」がかつてネット右翼間で持て囃されていたことは、ネット思想史を考える上でも興味深いなと思います
父系と常染色体と文化の関係は、社会構造との関連もあるのでしょうが、時空間的に大きな違いがあるようなので、その解釈には難しいところがあるように思います。
縄文人の私の”霊感"では、天皇の父系は縄文人なんじゃないかと思ってます。乗っ取りが発生している場合もあると思いますが。
遺伝子検査したD1a2aのコミュニティがあるんですが、その中のD1a2a同士のやり取りでも、天皇はD1a2aなんじゃないのか?と思っているD1a2aが結構いますね。
天皇廃止派がO2やO1b2で、天皇がD1a2aだったらおもしろいなと思っています。人種問題ですね。天皇のY染色体ハプログループを公開した後、共産党の反応とかも見てみたいですね。