インドネシアの人口史

 スマトラ島で発見された古代人のゲノムデータを報告した研究(Xu et al., 2026)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、スマトラ島北部で発見された3300年前頃と1700年前頃の人類遺骸のゲノムデータを報告し、既知のアジア南東部島嶼部の古代人19個体のゲノムデータとともに分析しました。その結果、現在のインドネシアの領域ではウォレス線を境として東西間で遺伝的差異があり、それは初期完新世にまでさかのぼる、と明らかになりました。新石器時代の後にも、オーストロネシア語族話者の拡大などによる、関連する遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の流入がありましたが、この東西間の遺伝的差異は消滅しなかったことも示されました。以下は本論文の要約図です。
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 以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、C(cytosine、シトシン)、T(thymine、チミン)、HO(Human Origins、ヒト起源)、AMH(anatomically modern human、解剖学的現代人、現生人類)、ESEA(East/Southeast Asian、アジア東部/南東部)、MSEA(Mainland Southeast Asia、アジア南東部本土)、ISEA(Islands Southeast Asia、アジア南東部島嶼部)です。

 以下の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)です。本論文で取り上げられる主要な文化は、ホアビニアン(Hòabìnhian、ホアビン文化)、トアレアン(Toalean、トアレン文化)、サーフィン=カラナイ(Sa Huynh-Kalanay)土器伝統です。

 本論文で取り上げられるインドネシアの主要な遺跡は、ロヤン・メンダレ(Loyang Mendale)洞窟、プトリ・プケス(Putri Pukes)洞窟、パンカラン貝塚(Pangkalan Kitchen Midden)、スラウェシ島南部のマロス(Maros)のマラワ(Mallawa)地区のリアン・パニンゲ(Leang Panninge)鍾乳洞です。本論文で取り上げられるインドネシア以外の主要な遺跡は、北京の南西56kmに位置する周口店(Zhoukoudian)の田園洞窟(Tianyuan Cave)、台湾の漢本(Hanben)です。


●要約

 深海のウォレス線はインドネシアの東西を分離する大きな生物地理学的境界ですが、この遺伝的区分の起源はインドネシア西部の古代ゲノムデータが限られているため、依然として未解決です。この研究では、インドネシア西部の後期新石器時代2個体のゲノムデータが報告され、アジア南東部島嶼部の刊行されている古代人19個体(7000~200年前頃)のゲノムと統合されました。本論文の分析は東西の遺伝的構造の2段階の形成を示唆しており、前期更新世には東西の分岐があり、西方採食民関連祖先系統はホアビニアン関連集団と、東方採食民関連祖先系統はパプア関連集団とより近く、その後の新石器時代および新石器時代後の人口統計学的過程には、オーストロネシア人の拡大や追加のアジア南東部本土からワラセア西部への遺伝子流動や、ワラセア東部へのパプア関連逆移動があり、この以前の構造を強化し、再形成しました。したがって、本論文が提案する人口統計学的モデルでは、繰り返しの完新世の移住が既存の地域的差異に作用し、現在のインドネシア人口集団の遺伝的景観を生成しました。


●研究史

 インドネシア17000以上の島から構成されており、世界の最も遺伝的に多様で地理的に複雑な地域の一つです。アジア本土とオセアニアの間の海上の交差点に位置するインドネシアの群島は、ウォレス線によって分かれています。この深海の生物地理学的境界は、生物多様性と生態系とヒトの歴史における完全な違いを形成しています。最終氷期極大期には、スマトラ島とジャワ島とボルネオ島を含めてインドネシア西部は、アジア本土とつながった陸塊であるスンダ大陸棚の一部を形成していました。対照的に、インドネシア東部は深海によって依然として隔てられており、メラネシアや太平洋により近い類似性を有する、生態学的および人口統計学的特徴が保存されていました。

 考古学的証拠から、AMHは南方沿岸経路でアジア南東部へ移動し、アジア南東部とサフルの両方に65000~50000年前頃の間に到来した、と示唆されています[2]。アジア全域のAMHの最初の拡散の間に、人口集団は少なくとも主要な3大系統へと急速に分化しました[4]。これらのうち、現在のオーストラロ・メラネシアと関連するオーストラレーシア系統と、古代ホアビニアン狩猟採集民と関連するESEA系統は、インドネシアの人口構造を大きく形成してきた古代の2系統から構成されています。両集団はこの地域の現在の人口集団と深く分岐していますが、古代DNA研究はその独特な関係を明らかにしてきました[5]。注目すべきことに、ラオス(7800年前頃)とマレーシア(4300年前頃)のホアビニアン関連個体群は、アンダマン諸島人とよりもパプア人関連集団との方が遺伝的類似性は少なくなっています[5]。しかし、スラウェシ島のトアレアン関連狩猟採集民(7300年前頃)はオーストラレーシア人系統と最も多くの遺伝的浮動および形態学的類似性を共有しており[6]、すでに初期完新世に存在していた、東西の人口集団の分岐が示唆されます。

 考古学的証拠は、この東西の区分を裏づけています。ホアビニアン文化複合体はMSEAからインドネシア西部へと早くも12000年前頃には広がっており、8000年前頃には、スマトラ島北部のロヤン・メンダレ洞窟などの遺跡で特徴的なスマトラ式石器が見つかっています。対照的に、インドネシア東部ではホアビニアン物質文化がなく、代わりに、スラウェシ島のトアレアン技術複合体によって示される独特な技術文化伝統が保存されています[6]。これらの記録から、インドネシアの東西は生態学的に異なるだけではなく、完新世には人口統計学的および文化的にも異なっていた、と示唆されます。

 この長期の分離はISEAの新石器化、とくに5000~4000年前頃に始まるオーストロネシア人の拡大によって変容しました[5、10、12、13]。この移動は中国南東部本土と台湾に起源があり、稲作農家や赤色研磨土器や航海技術をインドネシアの東西両方にもたらし、地域的な物質文化に深い痕跡を残しました。これと並行して、MSEAの新石器時代集団が同じ期間もしくはその少し後にインドネシア西部へと移動しました[13]。これらの人口移動は、既存の地理的障壁および文化的区分に重なり、インドネシアの現代人集団で観察される複雑な人口構造の形成に中心的役割を果たしてきた、と考えられています。

 現在のゲノム研究は一貫して、ウォレス線と密接に一致する、インドネシア全域の顕著な東西の遺伝的勾配を報告してきました。現在の全人口集団はオーストロネシア関連祖先系統を有していますが、インドネシア西部人口集団(たとえば、ジャワ島やスマトラ島)がおもにアジア東部由来なのに対して、インドネシア西部人口集団(たとえば、ティモール島やモルッカ諸島やフローレス島)は顕著なパプア関連構成要素を有しています[21]。この違いは片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアと父系のY染色体)にも反映されており、たとえばY染色体では西部のYHg-O2(M122)と東部のYHg-M(P256)、ミトコンドリアではでは両地域ともmtHg-B4a1aというように、インドネシア群島全域で性別の偏った混合が示唆されまする言語学的証拠はこのパターンをさらに反映しており、700以上の現存言語はオーストロネシア語族話者集団(全域で優勢)とインドネシア東部に局在するパプア諸語関連言語に区分されます。

 最近の研究は、この人口統計学的全体像に新たな複雑さを追加してきました。ゲノム解析から、ワラセアで観察されるパプア関連祖先系統は少なくとも部分的には、3500年前頃に始まるニューギニアからの逆移住に起因するかもしれない、と示唆されています[26]。このオーストロネシア人の後のパプア人からの遺伝子流動は、インドネシア東部の人口史に双方向的な層を付け加えています。しかし、これらのパターンの解釈における大きな限界はインドネシア西部の古代DNAの少なさで、この研究の前に利用可能なのは、2点の低網羅率の古代ゲノムしかありませんでした[5]。結果として、インドネシアの東西の区分の根底にある時間的起源と機序は、依然として充分には解明されていません。そこで本論文は、新石器時代~最近のゲノムで検証できる問題に焦点を当て、それは、(1)インドネシアの東西の構造が3300年前頃までにすでに検出できるのかどうか、(2)オーストロネシア関連およびMSEA関連祖先系統が経時的にインドネシア西部にどのように寄与したのか、(3)パプア関連祖先系統がオーストロネシア人関連の拡散の間およびその後に、インドネシア東部でどのように変わったのか、ということです。

 これら長年の問題に取り組むために、スマトラ島北部のロヤン・メンダレ洞窟で発掘された古代人2個体から、ゲノム規模捕獲データが生成されて分析されました。この2個体の年代はそれぞれ3347年前頃と1720年前頃で、インドネシア西部における重要な人口統計学的移行期にまたがっています。これらの新たなデータを、考古学的背景および現代人集団の比較分析とともに、ISEA全域の古代人19個体のゲノムと統合することによって、インドネシア群島全域のヒトの移住と混合と人口構造の時空間的動態再構築が目指されました。

 ロヤン・メンダレ洞窟は、この調査に理想的な状況を提供します。この遺跡における層序化された文化堆積物は、ホアビニアンやオーストロネシア語族やMSEA新石器時代文化層と関連する、連続的な居住を捉えています。最古級の層(8430~5040年前頃)には、ホアビニアン遺跡に典型的な石器と軟体動物遺骸が含まれています。中期段階(4980~1740年前頃)はオーストロネシア様式の磨製手斧や装飾品や土器が含まれているのに対して、最上部の堆積物(2330年前頃以降)には、サーフィン=カラナイ式土器や東西方向の埋葬が含まれており、文化的変容もしくは人口置換を反映しています。

 この複数段階の遺跡考古学とゲノムと片親性遺伝標識の証拠の統合と、それをより広範な地域的枠組み内に位置づけることによって、インドネシアの独特な地理とヒトの居住の長い歴史が、アジア南東部における最も複雑な遺伝的景観の一つをどのように生み出したのか、解明が試みられます。本論文の調査結果は、インドネシアにおける東西の遺伝的勾配の起源と持続と再形成への知見を提供し、この勾配は単に深い時間的孤立のみではなく、何千年にもわたる移住と局所的連続性と社会文化的動態の繰り返しの波によっても形成されました。


●インドネシア西部の後期新石器時代のゲノム

 インドネシア西部の古代ゲノムデータにおける重要な空白に取り組むにあたって、ロヤン・メンダレ洞窟とプトリ・プケス洞窟とパンカラン貝塚の3ヶ所の考古学的遺跡から、4点の骨格標本が検査されました。これらのうち、LMCM1およびLMCM2と命名された2個体のみが、古代DNAの中程度の保存状態を示しました。この2点の標本はスマトラ島のロヤン・メンダレ洞窟から発掘され、直接的な放射性炭素年代測定で、それぞれ1720年前頃と3347年前頃と推定されました。この期間はこの地域における人口統計学的変容の重要な時期に相当し、広範な人口移動によって形成された可能性が高そうで、その影響はゲノム証拠によって追跡できます。

 熱帯のアジア南東部では、常に高い湿度と気温のため、古代DNAの保存状態がきわめて悪いことを考えて[5、12]、ゲノム回収率を向上させるために、高度な分子手法が用いられました。具体的には、先行研究で報告されたように、100万ヶ所のゲノム規模SNPを対象に、溶液内濃縮実施要綱を用いて、1本鎖混合捕獲が複数回実行されました。この手法で、LMCM1とLMCM2についてそれぞれ、8点と4点の1本鎖混合捕獲が得られました。

 古代起源であることの真正性を認証し、現代の汚染を最小限にするために、厳格な品質管理測定が実行されました。ライブラリは、以下の基準を満たせば保持され、それは、(1)特徴的な死後のDNA損傷の証拠(C→Tの置換頻度が0.06超)、(2)124万パネルうえで3万ヶ所以上の対象SNPの回収、(3)3通りの独立した手法を用いての、一貫した遺伝学的性別判定、(4)男性のmtDNAとX染色体の分析による汚染推定値が3.5%未満です。これらの閾値に基づいて、LMCM1では8点のライブラリのうち3点、LMCM2では4点のライブラリのうち2点が保持されました。

 1万ヶ所超のSNPがあるものの、汚染の可能性があるライブラリについては、古代DNAを示唆する真正の損傷パターンが見られる断片のみを保持するために、追加の選別が適用されました。個体ごとにライブラリを統合した後で古代人2個体のゲノムが回収され、LMCM1は171570ヶ所のSNP、LMCM2は551065ヶ所のSNPが得られました。両個体のゲノムは、認証基準をすべて満たしました。

 片親性遺伝標識分析は、この2個体の祖先の起源をさらに解明しました。LMCM1とLMCM2の両個体はYHg-O1a2を有しており、これはアジア南東部で広く分布しており、台湾の先住民集団で見られます。LMCM1はmtHg-Y2a1も有しており、これは同様にアジア南東部人口集団とオーストロネシア語族話者共同体において優勢です。しかし、LMCM2のmtHgは不充分なミトコンドリアゲノムの網羅率のため決定的ではなかったので、本論文では報告されません。

 LMCM1とLMCM2との間の遺伝的関係を調べるために、PCAと外群f₃統計とqpWaveのモデル化が実行されました。すべての分析は一貫して、個体LMCM1とLMCM2の間の密接な遺伝的類似性を裏づけました。具体的には、この2個体はPCA空間では重なる位置を占めており(図1)、外群f₃分析では相互に最良の一致を示し、qpWaveの結果では遺伝的均質性を示しました。これらの一致する調査結果を踏まえて、LMCM1とLMCM2はその後の集団遺伝学的分析では単一の人口集団単位に分類され、本論文ではインドネシア_ロヤン_メンダレ_洞窟と呼ばれます。以下は本論文の図1です。
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 この新たに定義された人口集団は、以前には標本抽出されていなかった地域および期間の重要なゲノムデータを提供します。この人口集団は、インドネシア西部における人口統計学的移行の再構築にとって堅牢な基準点を定義し、ISEA前期における人口動態の地図化のより広範な試みに寄与します。


●インドネシアにおける東西の深い遺伝的区分が最近の遺伝子流動のみで説明できる可能性は低そうです

 顕著な東西の遺伝的区分はインドネシア群島を特徴づけており、これは現代人のゲノムと言語学のデータによって長く認識されてきたパターンです。しかし、この区分の時間的起源は古代DNAの限られた比較分析のため依然として未解明で、この構造が最近の遺伝子流動から生じたのか、それとも古代の人口集団においてすでに確立していたのか、という問題を提起します。

 この問題に取り組むために、インドネシア古代人のゲノムのPCAが実行され、全体的な人口構造が調べられました(図1)。得られた三角形の分布は主要に地域的祖先系統と一致しており、オーストロアジア人とオーストロネシア人とパプア人です。主成分1(PC1)がパプア人をオーストロアジア語族およびオーストロネシア語族話者人口集団から分離した一方で、主成分2(PC2)はオーストロアジア人系統をオーストロネシア人系統から区別しました。驚くべきことに、PC1とPC2の両方が、古代インドネシア人口集団を地理的起源と一致する東西の異なる2クラスタ(まとまり)に分割しました。西部人口集団が左側(PC1)と上部(PC2)に向かってクラスタ化した(まとまった)のに対して、東部人口集団は反対のパターンを示しました。この観察された構造は形式的な統計的相関によって実証され、PC1は軽度と負に相関し、PC2は経度と正に相関しましたが、どちらの軸も緯度とは有意に相関しませんでした。まとめると、これらの結果は、古代インドネシア人口集団における南北の階層化なしでの堅牢な東西の分岐を示唆しました。しかし、この解釈が慎重に扱われねばならないのは、本論文で用いられた特定の標本一式とPCAパネルのみを反映していたからです。したがって、これらの調査結果は予備的な観察を表しており、詳細な人口史には定量的な祖先系統モデル化によるさらなる調査が必要でした。

 古代DNA研究では多くの場合、古代の個体群は現代の参照人口集団に由来する主成分に投影されます。この参照パネルの組成は、パプア人やアジア東部人口集団など特定の集団が差異の主要な軸の原因となる場合はとくに、得られる座標空間に大きな影響を及ぼすかもしれません。この効果の影響を評価射るために、パネル組成の変化が推定される構造にどのように影響を及ぼしたのか、明示的に検証されました。具体的には、投影される標本としてインドネシア古代人個体群の同じ一式を維持しながら、パプア人集団なしでの代替的な参照パネルを用いてPCAが繰り返されました。顕著な東西の遺伝的分岐は、パプア人参照が含まれる場合に最も顕著だった、と観察され、インドネシアの東西の集団間のパプア祖先系統について、強い類似性の差異が反映されています。パプア人標本が除外されると、東西のクラスタ間の分離はかなり不明瞭になりました。これらの比較結果から、観察されたパターンはとくに参照組成に左右され、PCAのみでは決定的ではなく、記述的として解釈されねばならない、と確証されます。これは、f統計と混合モデル化を用いての形式的な検定を促します。

 この調査結果を検証し、PCAの偏りの可能性を説明するために、f₃形式(X、Y;ムブティ人)の対での外群f₃統計の階層的クラスタ化(まとめること)が採用され、ここでのXとYは古代アジア南東部人口集団とオンゲ人とパプア人です。この分析から一貫した4クラスタが得られた、それは、(1)パプア人関連人口集団(クラスタ1)、(2)ホアビニアン関連狩猟採集民(クラスタ2)、(3)インドネシア東部古代人(クラスタ3)、インドネシア西部古代人(クラスタ4)です(図2A)。注目すべきことに、ホアビニアン関連集団とパプア人関連集団が一つの超クラスタ(クラスタ1_2)を形成した一方で、東西のインドネシア人は別のクラスタ(クラスタ3_4)を形成しました。これらのパターンから、インドネシアの東西の古代人はウォレス線全域とよりも各地域内の方で多くの遺伝的浮動を共有している、と示唆され、それは分化の少なくとも2層を示唆しており、ホアビニアン関連系統とパプア関連系統との間の深い分岐で、その後でインドネシアの追加の完新世の構造化が続きます(図2A)。以下は本論文の図2です。
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 この分析は現代のインドネシア人口集団に拡張されました。クラスタに基づくf₃式分析に含めると、現代人集団は新石器時代/新石器時代後の古代の西部もしくは東部の人口集団のどちらかとそれぞれクラスタ化し、古代と現在の人口構造間の連続性が示唆されます。これらの結果から、東西の遺伝的勾配は少なくとも初期完新世に確立され、その後の人口統計学的過程によって強化された可能性が高い、と示唆されます。したがって、最近の遺伝子流動のみでは、観察された構造を説明できません。


●基底部の分岐は新石器時代の遺伝的分化の基盤です

 この区分の祖先の起源を調べるために、PCAの軸が再評価され、PC1(パプア祖先系統)が経度と負に相関していたのに対して、PC2(オーストロアジア人/オーストロネシア人祖先系統)は正に相関していました。まとめると、これらの相関は東西の勾配と一致しており、インドネシア東部集団がパプア人関連集団祖先系統をより多く共有しているのに対して、インドネシア西部集団はMSEAとより密接に関係しています。さらに、これらの結果は古代のインドネシア人口集団における顕著な東西の遺伝的分化を浮き彫りにしています。しかし、このPCAにおける南北の階層化の欠如を注意深く解釈すべきなのは、それが本論文で用いられた特定の標本組成とSNPパネルのみを反映しているからです。2023年の研究[13]を含む先行研究は、この分析では捕獲されていない、インドネシア東部内の追加の南北の祖先系統の区別を論証しました。

 f₃形式(MSEA/太平洋/オーストロネシア人、インドネシア古代人;ムブティ人)の外群f₃検定は、顕著な非対称性を明らかにしました。インドネシア西部の人々が、ホアビニアンおよび新石器時代人口集団を含めて、MSEA集団とより大きな遺伝的類似性を示したのに対して、インドネシア東部の人々は太平洋人口集団とのより強い類似性を示しました(図2B・C)。注目すべきことに、インドネシアの東西の両集団はオーストロネシア語族話者集団とかなりの水準の浮動を示しており、オーストロネシア人の拡大による均質化の影響が示唆されます。外群f₃値が広範囲にわたっていることは注目され(図2B)、パプア関連祖先系統を有するインドネシア東部個体群が0.30に近い割合を示すのに対して、ワラセア西部集団は参照集団ではずっと小さな違いを示します。このパターンから、ホアビニアン関連ゲノムが本論文のパネルでは最も深い西部の類似性の最適となる利用可能な代理であるものの、ワラセア西部の対応する兆候比較的微妙で、在来の新石器時代前の採食民からの連続性の直接的証拠ではなく、不完全な代理との弱い類似性として解釈されるべきである、と示唆されます。

 より形式的に祖先系統をモデル化するために、qpAdmが適用されました。妥当なモデル一式全体で、すべてのインドネシア古代人集団は、オーストロネシア関連供給源が含められる場合のみ最適です。これらのモデルでは、西部集団が追加のホアビニアン関連構成要素を必要とするのに対して、東部集団はパプア人関連構成要素を必要とします(図3A)。これらの結果は、f₄形式(ムブティ人、インドネシアの東西の古代人;ホアビニアン、パプア人)のf₄統計によってさらに裏づけられ、東部人口集団については有意な正の値が、西部人口集団については負の値が示されます(図3B)。この研究で新たに配列決定された最も網羅率の高いインドネシア西部人のゲノムは統計的有意性に達しており、微妙な類似性の解明について、より網羅率の高いゲノムの重要性が強調されます。TreeMix分析は複数回の移住事象を推測しており、それには、いくつかのインドネシア東部地域への3回のパプア関連事象と、ホアビニアン関連事象のインドネシア西部への移住事象が含まれます。まとめると、これらの結果から、新石器時代/新石器時代後のインドネシアの人口構造は、単一の単純な置換事象ではなく、より深いホアビニアン関連およびパプア関連の分岐を含む混合によって形成されている、と示されます。以下は本論文の図3です。
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●現代のインドネシア人口集団における初期完新世採食民の遺伝的遺産と後期新石器時代の置換と連続性

 初期完新世採食民と関連する祖先系統がその後の集団で検出できるのかどうか、調べるために、現在のデータセットで利用可能な2点の新石器時代の前のゲノム(スラウェシ島のトアレアン技術複合体のリアン・パニンゲと、MSEAのホアビニアン関連狩猟採集民)が含められました[5、6]。これらの個体は独特なクラスタを形成し、遺伝的には上述のクラスタに基づく外群f₃分析(図2A)で新石器時代およびその後の人口集団と遺伝的に遠く、不適正塩基対率は新石器時代前の採食民とその後の人口集団との間の大きな差異を浮き彫りにしています。インドネシア西部の新石器時代前のゲノムは利用できないので、その地域では遺伝的連続性を直接的には検証できません。代わりに、最適となる利用可能な代理でのqpAdmを用いると、その後のインドネシア西部集団のモデルではホアビニアンのゲノムと関連する構成要素を必要とする場合が多いのに対して、その後のインドネシア東部集団のモデルではパプア関連構成要素が必要になる、と分かりました(図3A)。これらの推定値は代理選択とモデル仮定に依存しているので、在来の新石器時代前の人口集団との決定的な連続性ではなく、深い地域的系統との検出可能な類似性の証拠として解釈されます。

 これらのパターンと古代の分岐が現在までどのように存続しているのか、評価するために、外群f₃およびqpAdmモデルを用いて、現在の人口集団のゲノムが分析されました。新石器時代のインドネシアの東西の人口集団と一致して(図2C)、インドネシア西部の現代人もホアビニアンおよび新石器時代MSEA集団と有意により大きな浮動を示すのに対して、インドネシア東部集団は太平洋人口集団とより多くの浮動を共有しています(図4A)。インドネシア西部の現代人集団は、同地域の古代人集団よりもオーストロネシア関連の強い類似性を示しており、インドネシア西部地域における追加の新石器時代後のオーストロネシア関連の遺伝子流動と一致します(図4A・B)。以下は本論文の図4です。
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 qpAdm混合モデル化では、インドネシア西部人口集団は、ホアビニアン(4.9~7.8%)と新石器時代MSEA人口集団(ラオス_LN_BAによって表され、11.2へ62.3%)とオーストロネシア人祖先系統(31~92.2%)の2もしくは3方向混合として最適に説明される(図4C)、と示唆されました。しかし、インドネシア東部人口集団最大で4祖先系統構成要素を必要としており、それには、パプア人(10.9~58.4%)やオーストロネシア人(31~73.6%)や新石器時代MSEA(4.8~59.1%)やホアビニアン(3.6~11%)が含まれます(図4C)。全体的に、これらのモデルから、後期新石器時代とその後の完新世の移動(オーストロネシア人およびオーストロアジア人関連)がインドネシアの遺伝的差異を強く形成した一方で、それ以前の採食民と関連する祖先系統は多くの現代人集団においてより低水準で依然として検出可能である、と示唆されます。

 地域的には、最西端人口集団が最高の割合のオーストロネシア祖先系統(平均85.1%)を示すのに対して、パプア関連祖先系統はウォレス線の西側には存在しません。対照的に、バリ島(地理的にウォレス線の西側ではあるものの、行政的には東インドネシアの一部)を除く東部人口集団)は、高い割合のパプア祖先系統を含んでいます(図4C)。バリ島集団は遺伝的にジャワ島集団と類似しており、インドネシア西部集団とのより強い類似性と一致します。いくつかの東端の人口集団は本論文のモデルではパプア関連祖先系統とオーストロネシア関連祖先系統がほぼ均衡しており、利用可能な時間横断区では少なくとも新石器時代以降、比較的安定した混合割合が示唆されます。

 とくに注目すべきは、本論文のqpAdm分析で、前期完新世のトアレアン関連のリアン・パニンゲ個体(7300年前頃)の祖先系統[6]を、パプア関連供給源のみに由来するとモデル化するのに成功できなかったことです。この結果は以前の調査結果と一致して、そこでは、トアレアン個体はパプア人とクレード(単系統群)を形成するものの、パプア人と比較して、田園洞個体およびオンゲ人と関連する追加の深いアジア祖先系統構成要素も有している、と示されました。したがって、供給源としてトアレアン個体を用いての、新石器時代およびインドネシア現代人集団のモデル化は、選択基準に合致するモデルの生成に失敗することが多くありました。このパターンはパプア人の逆移住モデルを裏づけており、このモデルでは、トアレアン個体のゲノムはインドネシア東部のより広範な完新世祖先系統を表している、と仮定されています。

 しかし、トアレアン狩猟採集民とパプア人が系統発生空間では密接に関連する位置を占めていることを考えると、ワラセアのパプア関連祖先系統は前期完新世までにすでに存在しており、その後の遺伝子流動は、この構成要素を開始したのではなく、増加させた可能性が高い、と推測されます。


●考察

 この研究では、ロヤン・メンダレ洞窟における、インドネシア西部のこれまでに最古級(3300年前頃と1700年前頃)の古代ゲノムを提示し、それがISEA全域の古代人および現代人のゲノムの広範なデータセットと統合されます。このデータは直接的に、3300年前頃までにインドネシア西部個体群は、MSEA関連系統との類似性を保持しながら、かなりのオーストロネシア関連祖先系統を既に有していた、と示します。利用可能な古代の時間横断区全体で、本論文の分析から、インドネシアの現在の東西の遺伝的区分は、ごく最近の遺伝子流動のみで生成されたのではなく、初期完新世の地域的分岐の遺産と、その後の完新世の混合過程の両方を反映している、と示唆されます。

 本論文は、インドネシアの東西の遺伝的構造の起源について2段階モデルを提案します。第1段階(古代ゲノムデータと考古学的背景の比較によって示唆されます)では、西部のホアビニアン関連採食民と東部のパプア関連集団(トアレアン狩猟採集民によって表されます)との間で少なくとも前期完新世には深い分岐があり、これはウォレス線を挟んでの地理的孤立によって引き起こされた可能性が高そうです。第2段階(新石器時代から最近のゲノムによって直接的に裏づけられます)では、新石器時代のオーストロネシア人の拡大がインドネシア群島全域にアジア東部関連祖先系統をもたらしましたが、地域的な差異は除去されませんでした。代わりに、先住民構成要素の非対称的な保持、ワラセア西部への追加の新石器時代/金属器時代MSEA関連の遺伝子流動、ワラセア東部におけるパプア人関連の逆移住[26]が、古代人と現代人両方のゲノムで可視化される東西の人口構造を強化し、再編しました(図5)。この枠組みと一致して、新石器時代と現代両方のワラセア東部人口集団は高水準のパプア関連祖先系統を有しており(図3Aおよび図4C)、パプア人集団と同等の遺伝的類似性を示し(図4B)、オーストロネシア人関連の拡散の期間および/もしくは後における、ワラセア東部系統へのかなりのパプア人関連の遺伝子流動が示唆されます[26]。以下は本論文の図5です。
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 しかし、本論文のモデルは学際的証拠の統合によって構築されており、一連の人口統計学的仮定の影響をうけやすい、と明確にする必要があります。本論文のモデルの第1段階については、考古学および古ゲノムデータにおもに依拠しました。ホアビン文化と関連する考古学的遺跡はMSEAからインドネシア西部へと1万年前頃に拡大しましたが、インドネシア東部には到達しませんでした。インドネシア西部のホアビニアン関連狩猟採集民のゲノムが現時点では欠如していることを踏まえて、本論文は代理としてMSEAの刊行されているホアビニアン個体のゲノムを用いて、インドネシア東部の最初期狩猟採集民と比較しました。その結果、狩猟採集民のこれら2集団は高度に分岐しており、異なる遺伝的クラスタ(図2A)と系統発生単系統群(図3C)を形成する、と示されました。具体的には、ホアビニアン関連個体群がアンダマン諸島人口集団とより密接な遺伝的類似性を示したのに対して、ワラセアの完新世半ばの狩猟採集民[26]はパプア人とのより密接な遺伝的類似性を示しました。さらに、パプア祖先系統を有するインドネシア東部の個体群が、最高のf₃値を示すのに対して、ワラセア西部の個体群はホアビニアン関連個体群集団と弱い類似性しか示さない、と分かりました(図2)。インドネシア東部人口集団における高度なパプア人関連の類似性と、インドネシア西部人口集団とホアビニアン関連集団との間の比較的低い類似性から、インドネシア西部の在来採食民祖先系統は地域的により異なっていたかもしれない、と示唆されます。したがって、MSEAのホアビニアン関連集団は、密接なもしくは決定的な供給源人口集団ではなく、現時点で最適となる利用可能な代理によって表されているかもしれません。インドネシア西部の新石器時代前のゲノムを得ることは、本論文で提案されたモデルの第1段階の直接的評価に不可欠です。このモデルの第2段階は、インドネシア群島全体の時系列のゲノムデータから得られました。しかし、重要な接触期における古代ゲノムの不足のため、直接的な移行過程は依然として未解明です。

 重要な未解決問題は、とくにインドネシア東部における、初期の局所的な祖先系統の兆候に関してです。その後の新石器時代人口集団におけるパプア関連兆候が、一貫した前期完新世祖先系統を反映していたのか、あるいは異なるパプア人の逆移住によって生じたのか、依然として不明でした。本論文の分析から、ワラセアの完新世半ばの狩猟採集民は、qpAdmモデル化(図3Aおよび図4C)とTreeMix(図3C)によって示唆されるように、新石器時代およびその後のインドネシア東部人口集団で見られる遺伝的構成要素とさほど密接に関連していなかった、と示唆されました。それにも関わらず、トアレアン狩猟採集民とパプア人が系統発生空間で密接に関連する位置を占めていること(図3C)を考えて、ワラセアにおけるパプア関連祖先系統は前期完新世までにすでに存在していた可能性が高く、ニューギニアからの遺伝子流動はこの構成要素を始めたのではなく蓄積した、と本論文では提案されました。したがって、この段階の決定的な検証を提供するには、インドネシア東部のより広範でより古いゲノム標本抽出が必要です。

 ゲノムの結果を新石器時代前の採食伝統の考古学的証拠(ホアビニアンとトアレアン技術複合体を含みます)と統合することによって、本論文の分析からは、初期完新世採食民と関連する祖先系統はその後の人口集団に寄与した、と示唆されます。同時に、本論文のf統計クラスタ化およびqpAdm比較では、新石器時代前の個体群は多くの3000年前頃以後の集団と深く分岐しています(図2Aおよび図3A)。まとめると、これらの観察は、新石器時代とその後の期間を通じての、両祖先系統の存続とかなりの人口統計学的変化想定を裏づけます。

 本論文のqpAdmモデル化は新石器時代インドネシア西部人における異なる祖先系統構成要素を回収し、それは台湾_漢本_IA関連(43.3%)とラオス_ホアビニアン関連(29.1%)とラオス_LN_BA(27.6%)の供給源を含む三重混合です(図3A)。これらの割合はモデル依存で、選択された代理参照下の推定値として解釈されるべきですが、インドネシア西部における複数の本土関連と台湾関連の寄与を一貫して示唆していまするこの遺伝的特性はロヤン・メンダレ洞窟の考古学的記録を補完しており、その考古学的記録では、ホアビニアン採食民およびオーストロネシア人拡大およびMSEAの文化的影響と関連する連続的な居住が報告されています。層序化された文化的段階と異なる祖先系統構成要素との間の一致から、これらの物質文化伝統には、文化的伝播のみではなくヒトの移動と混合の出来事が伴っていた、と示唆されます。注目すべきことに、この遺伝的パターンはこの研究で新たに配列決定された標本に固有ではなく、インドネシア西部における西部からい以前に報告された低網羅率の2個体のゲノム[5]は同じ三重構造を示しており、インドネシア西部全域におけるより広範な人口と分化の共拡散の堅牢な証拠を提供しています。対照的に、いくつかの東端の人口集団はより単純なパプア関連とオーストロネシア関連の混合によく適合しており、この接触地帯近くの一部の人口集団(たとえば、フローレス島)は追加のMSEA関連兆候を示しています(図4C)。先行研究(たとえば、[13])との不一致は、参照パネルや標本構成や124万とHOに基づくqpAdmの結果間の差異など統計的検出力の違いを反映している可能性が高そうです。全体的に、利用可能なモデルは新石器時代/金属器時代におけるウォレス線を越えた一部のMSEA関連祖先系統の、地域的に限られた東方への移動を示唆しています。

 本論文の結果は、最近の研究[26]で提案されたパプア人の逆移住モデルとも一致しますが、補完的解釈も可能です。トアレアンおよびパプア人の参照は密接に関連する系統発生的位置を占めているので、その後のインドネシア東部集団におけるパプア関連祖先系統は、前期完新世までにすでに存在したパプア関連祖先系統の存続と、ニューギニアからの追加のその後の遺伝子流動の両方を反映しているかもしれません。本論文のデータは全てのパプア関連の流入の時期を独自に特定するわけではなく、インドネシア東部におけるより密な時間的標本抽出が、その後の波から連続性をより決定的に区別するのに必要でしょう。最後に、本論文のモデル化枠組みでは、オンゲ関連祖先系統はパプア人の参照とよりもホアビニアン関連狩猟採集民の方と強い類似性を示しており、オンゲ関連祖先系統が普遍的な創始者構成要素ではなく、MSEA固有の深いアジア系統にたどれる可能性を示唆しています。

 本論文のデータから、インドネシア西部は3300年前頃までにオーストロネシア人の拡大地帯へとすでに組み込まれており、それは稲作や赤色研磨土器や海上交流網の考古学的証拠によって裏づけられる、と示されます。さらに、台湾の鉄器時代オーストロネシア人集団(漢本_IA)は、ワラセア西部の後期新石器時代人口集団の間よりも、現代の人口集団の間の浮動アレル(対立遺伝子)の有意により高い割合を示しており(図4B)、これはインドネシア西部の一部における追加の新石器時代後のオーストロネシア人関連の混合と一致します。ロヤン・メンダレ洞窟の2個体はオーストロネシア語族話者人口集団で一般的な片親性遺伝標識を有していますが、インドネシア東部の一部におけるY染色体系統は、たとえばYHg-M(P256)やYHg-C1b2a1aなどパプア人関連YHgの頻度増加を示しながらミトコンドリア系統はアジア東部由来(たとえば、mtHg-B4a1a1やmtHg-F3b)であることが多くなっています。この性別の非対称パターンは、オセアニア全域の男性に偏ったパプア人関連混合や母方居住や民族誌的観察と一致しますが[12、31]、根底にある社会的仮定(たとえば、母方居住)は依然として、追加の片親性遺伝標識および同位体データで検証されるべき解釈です。


●結論と将来の方向性

 インドネシア群島のゲノム構造は、深い時間分岐とより新しい人口統計学的過程の複雑な相互作用を反映しています。古代と現代両方の人口集団で明らかな一貫した東西の遺伝的区分は、非対称的な祖先系統の寄与に基盤があり、西部のホアビニアン関連系統と東部のパプア関連祖先系統です。オーストロネシア人の拡大は、ウォレス線を越えて、より深い既存の遺伝的区分の上に広範なアジア東部関連祖先系統を重ね合わせました。しかし、それがこの以前の祖先系統を完全に消し去ったわけではなく、新石器時代前の東西の構造は現在の人口集団において存続しています。

 インドネシア西部から得られた本論文の新たな古代ゲノムデータは、インドネシアの人口史のモデル検証において、時間的および地理的範囲を改善します。この結果は、刊行されている古代の時系列と組み合わせることで、混合した連続性と置換の全体像を裏づけており、それは、初期完新世祖先系統からの検出可能な寄与、オーストロネシア人およびMSEA関連の移動と関係するかなりの完新世の混合、インドネシア東部における地域的に異なるパプア人関連の遺伝子流動です。片親性遺伝標識のパターンと常染色体の混合勾配は、ワラセアの一部における性別の偏った過程として解釈されますが、これらの動態を堅牢に定量化するには、追加の標本抽出が必要になる、と強調されます。全体的に、ワラセアは長期の接触地帯として浮かび上がり、そこでは、地理が移動を制約したものの、アジアとオセアニアの関連系統間の繰り返しの相互作用を妨げたわけではありませんでした。これらの調査結果は、地球上の最も言語学的および文化的に多様な地域の一つの遺伝的形成の理解を深めます。

 今後、ISEAの複雑な定着を解明するには、とくに移行地域および標本抽出が不充分な地域と後期更新世化石からの、より詳細な規模でより時間的に解像度の高いゲノムデータセットが不可欠です。これらの調査結果には、地理と文化と生物学がどのように交差し、海洋アジア南東部におけるヒトの多様性の持続的パターンを形成するのか、という理解について、より広範な示唆があります。


●この研究の限界

 インドネシア西部の最古級の直接的な古代ゲノム証拠の提供にも関わらず、この研究はデータセットにおける時間的および地理的空白によって制約されています。古代ゲノムは、とくに新石器時代前のインドネシア西部とボルネオ島やスラウェシ島や小スンダ列島など標本が不充分な地域では、依然として乏しくなっています。前期完新世の分岐についての本論文の重要な推測は、MSEAのホアビニアンゲノムとダイリツとしての単一のトアレアンのゲノムの使用に依拠しており、それは、インドネシア西部の比較可能な初期ゲノムがまだ利用できないからで、これは第1段階の分岐の直接的な年代測定の能力を制約します。さらに、パネル組成と網羅率の偏りはqpAdm推定とモデル適合度に影響を及ぼすかもしれず、異なる妥当な代理選択は、定性的パターンが安定している場合でさえ、推定混合割合(ホアビニアン関連祖先系統の豊富な西部と、パプア関連祖先系統の豊富な東部)を変えるかもしれません。TreeMixの移住端は、固有の歴史的事象ではなく地理的特徴を表しており、移住の回数もしくは方向性の決定的証拠ではなく、仮説生成として解釈されるべきです。多様な生態学的および文化的背景にわたる高解像度のゲノム標本抽出が、島内の差異や移住経路や混合動態の理解を深めるのに重要となるでしょう。


参考文献:
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[21]Lipson M. et al.(2014): Reconstructing Austronesian population history in Island Southeast Asia. Nature Communications, 5, 4689.
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