中公旧版版世界の歴史第1巻『古代文明の発見』第26版

 本書は中公文庫の一冊として、1994年11月に中央公論社から刊行されました。初版の刊行は1974年11月です。本書の親本は1960年11月に中央公論社から刊行されました。当ブログを始める前に読んでおり、まだ当ブログで取り上げておらず、最近再読した本も今後当ブログに掲載していくことにしましたが、本書もその一環です。本書を取り上げた主要な目的は、1990年代後半に刊行された中公新版世界の歴史の、同じく人類進化史を取り上げている第1巻『人類の起源と古代オリエント』と比較することで、1990年代後半と1950年代後半の日本社会における一般的な人類進化史の理解の程度を把握することです。

 本書は貝塚茂樹氏と中原与茂九郎氏と加藤一朗氏の共同執筆で、貝塚氏が責任編集者となっています。人類の始まりと「古代四大文明」を取り上げています(インダス川流域については短い分量となっていますが)。「古代四大文明」なる用語は、随分前から日本社会において疑問が呈されていますが、今でも一般には根強く浸透しているように思います。本書では親本の刊行年代を反映して、アジア東部の土器の出現についてはもっぱら黄河が対象となっており、長江は取り上げられていません。更新世の人類進化史に関する記述(北京猿人の発見)は、貝塚氏の執筆です。日本では一般的に「北京原人」と呼ばれていますが、本書では中国と同じく「北京猿人」の表記が用いられており、これは著者の専門を反映しているのかもしれません。

 本書はまず、「北京原人」の発見の物語から始まります。ここは発見の過程や人間模様も描かれ、一般向けであることを強く意識した、読みやすい叙述になっていると思います。続いて本書は、「北京原人」の発見が大きな議論になった背景として、まだ化石人類(候補)の発見数が少ない中で人類の祖先の系図の解明が進められており、「北京原人」の脳容量が類人猿とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や現生人類(Homo sapiens)との間の中間で、類人猿から現代人への進化の「ミッシング・リンク(中間の環)」を表しているかもしれない、と考えられたことを挙げます。親しみやすい人間模様から、歴史というか人類史における意義へと叙述を進めていくところは、なかなか工夫されているように思います。人間に最も似ている哺乳類は類人猿であることを本書は指摘しますが、本書に掲載されている進化系統樹(P17)では、まず人類系統とオランウータンおよびゴリラおよびチンパンジー系統が分岐し、その後でオランウータン系統とゴリラおよびチンパンジー系統が分岐した、と示されており、当時の理解が反映されています。

 本書では、「北京原人」とともにジャワ島で発見された古代人類の発見もやや詳しく叙述されています。現在の日本では一般的に「ジャワ原人」と呼ばれていますが、本書では「直立猿人」と表記されています。本書は「北京原人」と「ジャワ原人」を比較し、後者の方が特殊化している、との人類学者の知見を紹介し、特殊化が著しい「ジャワ原人」は人間(現生人類系統)の祖先の本家から分かれた類人猿の方に近い分家に属し、「北京原人」は人間の本家もしくはより近い分家の祖先らしい、との見解を提示しています。類人猿系統と分岐した後で、「ジャワ原人」系統と現代人も含む「北京原人」系統が分岐したならば、「ジャワ原人」の方が「北京原人」よりも類人猿系統に近い、とは言えませんが、特殊化に注目して系統関係を推定する手法は、祖先的特徴と派生的特徴から系統関係を推定する手法と通じており、現在でも通用するように思います。

 本書では、おもに「北京原人」の発見以降にアフリカから発見された、より古い人類化石も取り上げています。本書はこれらがアウストラロピテクス属と呼ばれていることや、猿人というよりむしろ「人猿」と呼ぶ方が適切と指摘します。本書はこれらについて、人類と類人猿の共通祖先ではないか、との見解を提示していますが、「人類進化の系図」について、決定的な結論を出すのは時期尚早のようだ、と指摘します。P17に掲載されている進化系統樹にしても、「仮想された人間一家の系図の一例」と呼ばれています。この本書の姿勢は妥当で、今でも見習うべきところが多いように思いますし、私も自戒せねばなりません。

 本書の人類進化研究に関する立場は明快で、文字がない時代の人類史の研究において、神話のような言い伝えは信用できないとすると、人間の骨か人間の使った道具を手がかりとするしかない、と指摘されています。本書では、神による天地創造の神話をそのまま信じる人は現代ではめったに存在しないだろう、と述べられていますが(P4)、主要な(というかほぼ全員の)読者は日本人であることが想定されているからなのでしょう。1960年頃となると、アメリカ合衆国では進化学的な見解への懐疑が日本よりずっと強かったでしょうし、アメリカ合衆国では今でも、天地創造の神話をそのまま信じる人は、そこそこいるかもしれません。少なくとも、めったにいない、とは言えないでしょう。

 本書では、「北京原人」による火の使用も特筆されていますが、現時点では、意図的な火熾しを示す決定的な証拠は40万年前頃までしかさかのぼらないようです(Davis et al., 2026)。また、火の使用が考古学的に明確に可視化されるようになるのは40万年前頃以降との見解も提示されています(MacDonald et al., 2021)。「北京原人」の年代については、21世紀になって77万年前頃までさかのぼる可能性が指摘されており(Shen et al., 2009)、「北京原人」の発見場所の火の痕跡は、「北京原人」が火を熾していた(制御していた)証拠とはなりにくいように思いますし、そもそも「北京原人」が火を使用していたのかも、まだ断定はできないように思います。

 本書は「北京原人」の化石の行方にも、かなりの分量を割いています。ここは、物語というか歴史の謎として、少なからぬ人の関心を惹くでしょうから、本書のような一般向けの概説で詳しく取り上げられていることにも納得できます。本書は、「北京原人」の化石が秦皇島のアメリカ合衆国の軍用倉庫に送られたものの、この軍用倉庫を「とりあげにいった無知な日本憲兵隊などは、もしかするとこの化石のはいった箱をたんにがらくたのつまったものと思いこんで、倉庫からほうりだしてすててしまったかもしれない」可能性を指摘しています。ただ、これも確証のないことで、「北京原人」の化石が現存していれば、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)の解析は難しいとしても、タンパク質の解析は可能だったかもしれませんし、同位体分析によって判明することも多かった可能性はあります。本書は、すでに北京原人の化石は余すところなく研究されつくした感があり、学問的にそれほど支障がないのは幸いと述べていますが、その後の研究の進展を考えると、本当に惜しまれる出来事でした。この件については、日本人の一人として昔から後ろめたく思うことがあります。

 ネアンデルタール人については、現生人類を除けば当時も今も最も詳しく研究されている人類系統だけに、本書でも詳しく取り上げられています。ただ、ネアンデルタール人の埋葬を確定的に考えていることや、ネアンデルタール人とともに見られるオーカー(鉄分を多く含んだ粘土)などに、芸術や信仰の萌芽を認める見解は、当時としてはやや勇み足だったようにも思います。本書はこの延長で洞窟壁画にも言及していますが、こうした「高度の芸術を創造しえた根源」が、「活字印刷物を読む不自然な疲労からまぬかれた、健康な旧石器時代人の眼にある」との指摘は、なかなか興味深いと思います。当時は、旧石器時代の具象的な洞窟壁画はヨーロッパでしか発見されていませんでしたが、現在ではスラウェシ島とその近隣の島でも発見されており、その年代がヨーロッパよりもずっと古い5万年以上前と示されており(Oktaviana et al., 2024)、本書の親本刊行から現在までの70年近い間の、大きな研究の進展が改めて強く印象づけられます。

 本書は人類進化史の叙述の最後に、中国における現代人の進化をめぐる議論について言及し、

この論争は、中国にすむ人類が、北京猿人の太古から現代中国人にいたるまで、おなじ蒙古人種的特徴をもつ人間がしだいに進化してきたものか、あるいは、西欧の後期旧石器時代かまたは太平洋のメラネシア人などと親縁をもった外来要素が加わったことがあったかという、重要な問題をなげかけたものである。外国人類学者と新中国の学者とのあいだに、大きな意見のくいちがいができたのは、中国人の民族意識にふれるところがあるからである。

と締めくくっています。本書はこの論争について判断を提示していませんが、そうした点も含めて、本書は全体的に抑制的で、今でも見習うべきところが多々あります。「中国人の民族意識にふれるところがある」との指摘は今でも有効で、現在にも通ずる問題意識と思います(Cheng., 2017)。中国でも現在では、遺伝学者は基本的に現生人類アフリカ単一起源説を支持しています(Bennett et al., 2024)。この点では隔世の感もありますが、形質人類学(自然人類学)の中国の研究者は、今でも「北京原人」から現代人までの「中国」における人類集団の連続性に拘るところがあります(Cheng., 2017)。本書の人類進化に関する叙述は、当時としては全体的に的確なように思えます。これも貝塚氏の博学の故とは思いますが、京都大学の同僚の人類学や霊長類学の研究者からの「助言」もあったのかもしれません。


参考文献:
Bennett EA, Liu Y, and Fu Q.(2024): Reconstructing the Human Population History of East Asia through Ancient Genomics. Elements in Ancient East Asia.
https://doi.org/10.1017/9781009246675
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Cheng Y.(2017): “Is Peking Man Still Our Ancestor?”—Genetics, Anthropology, and the Politics of Racial Nationalism in China. The Journal of Asian Studies, 76, 3, 575–602.
https://doi.org/10.1017/S0021911817000493
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Davis R. et al.(2026): Earliest evidence of making fire. Nature, 649, 8097, 631–637.
https://doi.org/10.1038/s41586-025-09855-6
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MacDonald K. et al.(2021): Middle Pleistocene fire use: The first signal of widespread cultural diffusion in human evolution. PNAS, 118, 31, e2101108118.
https://doi.org/10.1073/pnas.2101108118
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Oktaviana AA. et al.(2024): Narrative cave art in Indonesia by 51,200 years ago. Nature, 631, 8022, 814–818.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-07541-7
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Shen G. et al.(2009): Age of Zhoukoudian Homo erectus determined with 26Al/10Be burial dating. Nature, 458, 7235, 198-200.
https://doi.org/10.1038/nature07741
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大貫良夫、前川和也、渡辺和子、屋形禎亮(1998)『世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント』(中央公論社)
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貝塚茂樹、中原与茂九郎、加藤一朗(1994)『世界の歴史1 古代文明の発見』(中央公論社)

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