中公新版世界の歴史第1巻『人類の起源と古代オリエント』

 本書は1998年11月に中央公論社から刊行されました。当ブログを始める前に読んでおり、まだ当ブログで取り上げておらず、最近再読した本も今後当ブログに掲載していくことにしましたが、本書もその一環です。本書を取り上げた主要な目的は、1990年代後半の日本社会における一般的な人類進化史の理解の程度を把握することです。本書は大貫良夫氏と前川和也氏と渡辺和子氏と屋形禎亮氏の共同執筆で、人類の始まりと古代オリエント社会を取り上げています。こうした10巻以上で構成される大型の通史的な世界史本は20世紀後半の日本で何度か刊行されており、21世紀になってからは刊行されていないように思います(中公新版世界の歴史でも一部は21世紀に刊行されたかもしれませんが)。当ブログで取り上げた『興亡の世界史』全21巻(関連記事)は21世紀になってからの刊行ですが、通史とは言えないでしょう。世界における日本の相対的な国力の低下が背景にあるのかもしれませんが、より至近的な理由としては、やはり出版業界の体力低下があるのでしょう。

 20世紀後半のこうした世界史ものでは、本書も含めて第1巻で更新世の人類進化史が取り上げられる慣例になっていたように思いますが、これは日本の世界史教科書が更新世の石器時代から始まることと関連しているのでしょうか。そのうち、本書以外に所有している世界史本も取り上げるつもりです。本書の人類の起源に関する章の執筆を担当したのは大貫良夫氏で、古人類学の専門家ではない大貫氏の執筆なので、1990年代後半の日本社会における一般的な人類進化史の理解の程度を把握するのに適している、と判断しました。なお、本書の表題には含まれていませんが、大貫氏の専門を反映してか、アンデスにおける農耕の始まりから神殿の建造も本書では取り上げられており、メソアメリカも、マヤにおける都市の出現やテオティワカンが言及されています。

 本書は、猿人→原人→旧人→新人という枠組みで人類進化史を語っており、私はこの枠組みで人類進化史を語ることには四半世紀ほど前から批判的ですが(関連記事)、日本では今でもこれらの用語が一般的に使われており、当時の一般向けの世界史本としては妥当だと思います。本書は、人類の起源をどこに置くのか、というも問題も取り上げており、チンパンジー属系統との分岐後を対象としていますが、本書に掲載されている図(P12)では、チンパンジー属およびゴリラ属系統と人類系統が分岐したことになっており、ここは当時でもやや古いかな、と思います(現在の知見では、人類系統およびチンパンジー属系統の共通祖先とゴリラ属の系統が分岐した、とされています)。

 本書は「北京原人」などの人類化石発見の経緯も取り上げており、一般向けの本として読者を飽きさせないようにする工夫がされていると思います。本書では、人類の祖先が450万年前頃までさかのぼることを指摘し、それはアルディピテクス・ラミダス(Ardipithecus ramidus)です。本書刊行時には、まだ発見が公表されたばかりのアルディピテクス・ラミダスも取り上げられていることからは、最新の知見も取り入れる執筆および編集方針が窺えます。一般向けの、それも更新世の人類進化史が主題ではない本でありながら、意欲的と思います。

 本書は人類進化史におけるホモ・ハビリス(Homo habilis)の重要性を指摘していますが、それは、脳容量の増加とともに、石器を使用していたからです。これによって、ホモ・ハビリスは他の「猿人」よりも有意に立った、と本書は評価していますが、現在では、ホモ・ハビリスという種区分の問題(複数の異なる系統の化石をまとめている可能性)とともに、ホモ・ハビリスの出現以前に石器が用いられていたことも、考慮しなければならないでしょう(関連記事)。これは本書刊行後に明らかになったことで、この四半世紀における人類進化研究の大きな進展が改めて示されているように思います。本書では、ホモ・ハビリスは「猿人」に分類されつつも、他の「猿人」との違いが指摘されており、ここにもホモ・ハビリスの分類をめぐる難しさが現れているように思います。

 本書では、「原人」の出現はホモ・エレクトス(Homo erectus)からとされており、その年代は150万年前頃もしくは180万年前頃までさかのぼる、と指摘されています。ホモ・エレクトスに関して本書は、石器の進展も重要な特徴として挙げています。伝統的な石器様式の区分(関連記事)に基づくと、初期ホモ・ハビリスが用いていたのは様式1で、ホモ・エレクトスの頃から様式2のアシューリアン(Acheulian、アシュール文化)握斧(ハンドアックス)が用いられるようになります。最新の知見では、種区分の問題は複雑なので断定はできませんが、ホモ・エレクトスは200万年前頃、アシューリアン石器は195万年前頃までさかのぼることが示されています(Mussi et al., 2023)。本書では、「原人」がアフリカに留まらず、広くユーラシアに拡散したことや、火を使用していた意義が強調されています。ただ、現時点では、意図的な火熾しを示す決定的な証拠は40万年前頃までしかさかのぼらないようです(Davis et al., 2026)。

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)については、石器製作技術のさらなる進歩が指摘されています。つまり、伝統的な石器様式の区分に基づくと、様式3です。ただ、そうした石器製作技術の起源は、アフリカにある可能性が高いように思います(Scerri, and Will., 2023)。当然、本書刊行時には、2010年に存在が明らかになった(関連記事)種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)は知られておらず、デニソワ人候補と考えられる、中国で発見された中期~後期更新世のホモ属遺骸については、図(P25)では「サピエンス型人類」と表記されています。

 現生人類(Homo sapiens)の起源と拡散については、現代人と直接的に関わるためか、本書では大きく取り上げられており、その拡散範囲が、「猿人」はもとより「原人」や「旧人」よりもずっと広かったことを強調しています。本書は現生人類の起源について、「アジアからアフリカまで広がっていた原人が各地で進化をとげながら、ネアンデルタール人とその仲間に進化し、やがてその中から新人が生まれたという、多地域多系統同時進化説が一般には唱えられてきた」、と述べた後で、「ところが最近になって、新人になる系統はもともとはアフリカのサハラ以南にいて、そこですぐれた技術を発達させながら徐々に生存上優位に立ち、やがておよそ一〇万年前にはアフリカから中近東に出て、これが原人のようにふたたび旧世界に広がったとする考え方が有力になっている」と指摘します。

 これは、1990年代後半の日本における、一般的な現生人類進化に関する論争への認識を表していると思います。つまり、現生人類の進化について、元々は多地域進化説的な見解が主流で、その後でアフリカ単一起源説的な見解が提唱された、というような認識です。21世紀の日本でもそうした認識が珍しくなかったようなので、本書の記述は仕方のないところですが、そもそも現生人類多地域進化説の最終的な成立は1980年代になってからで、現生人類アフリカ単一起源説の成立と比較して早いとは言い難いように思います(関連記事1および関連記事2)。現生人類の進化をめぐる議論が、日本では歪んで伝わったというか、受容されたのではないか、とも考えたくなりますが、この問題については、今後の課題とします。


参考文献:
Davis R. et al.(2026): Earliest evidence of making fire. Nature, 649, 8097, 631–637.
https://doi.org/10.1038/s41586-025-09855-6
関連記事

Mussi M. et al.(2023): Early Homo erectus lived at high altitudes and produced both Oldowan and Acheulean tools. Science, 382, 6671, 713–718.
https://doi.org/10.1126/science.add9115
関連記事

Scerri ML, and Will M.(2023): The revolution that still isn't: The origins of behavioral complexity in Homo sapiens. Journal of Human Evolution, 179, 103358.
https://doi.org/10.1016/j.jhevol.2023.103358
関連記事

大貫良夫、前川和也、渡辺和子、屋形禎亮(1998)『世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント』(中央公論社)

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