インド北部の6世紀古代人のミトコンドリアゲノム
インド北部の洞窟で発見された6世紀の人類遺骸のミトコンドリアゲノムを報告した研究(Kumar et al., 2026)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、インド北部の6世紀の人類遺骸の母系が多様で、アジアの東部や中央部や南部と関連しており、文化的融合を示唆している、と指摘しています。インドは低緯度地帯に位置しているので、古代ゲノム研究が遅れていることは否定できないように思います。その意味で、母系のみとはいえ、本論文の知見は貴重と思います。以下は本論文の要約図です。
以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、mtDNA(mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、A(adenine、アデニン)、T(thymine、チミン)、G(guanine、グアニン)、C(cytosine、シトシン)、AMS(accelerator mass spectrometry、加速器質量分析法)、MP(Maximum-Parsimony、最大節約法)、o(outlier、外れ値)、SPGT(ancient Swat Primitive Grave Type、古代スワット原始墓地様式)、CI(confidence interval、信頼区間)、MJ(median-joining 中央結合)です。以下の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)、H(historical era、歴史時代)です。
本論文で取り上げられる主要なインドの地名は、北部のラダック(Ladakh)、ラダックのレー(Leh)市のチトカン(Chitkan)村、ヤルカンド(Yarkand)、パンジャーブ州アムリトサル(Amritsar)市、スワート渓谷(Swat valley)、カシミール(Kashmir)、カルナータカ(Karnataka)州のコダグ(Kodagu)、ジャンムー(Jammu)です。本論文で取り上げられる主要な人類集団は、ハザーラ人(Hazara)、ダルド人(Dard)、ブロクパ人(Brokpa)、カラシュ人(Kalash)、アエタ人(Aeta、Ayta)、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)です。本論文で取り上げられる主要な遺跡は、インドのレー市のチトカン村の老婆蜘蛛洞窟(Old Lady Spider Cave)、インドのロエバンル(Loebanr)、パキスタン北西部のカイバルパクトゥンクワ州のウデグラム(Udegram)とサイドゥ・シャリフ(Saidu Sharif)、タジキスタンのウスチ・ベラヤ(Ust Belaya)とペジケント(Pendzikent)、ロシアのフヴァリンスク(Khvalynsk)です。
●要約
ラダックの考古学的証拠は、絹の道回廊沿いのヒトの移住によって引き起こされた、初期の定住と複雑な文化的および人工透析学的変化を示していますが、遺伝的痕跡はまったくありませんでした。この空白を埋めるために、この研究は老婆蜘蛛洞窟遺跡で発見された古代の個体群から完全なミトコンドリアゲノムを再構築しました。本論文のミトコンドリアゲノムに関する詳細な研究から明らかになった行動に多様な遺伝子プールには、アジアの東部や中央部や南部と関連する母系が含まれています。ベイズ進化分析とハプロタイプ網と分岐時期は、C4a1系統をアジア東部およびシベリアと結びつけ、おそらくは絹の道の移住の痕跡を示唆しています。さらに、これらの分析はH2a1a系統をアジア中央部からの最近の到来と関連づける一方で、U7a系統をパキスタンのハザーラ人的集団と結びつけます。これらの調査結果は、多様な薄井の人々による、ラダックの老婆蜘蛛洞窟遺跡の複数回の移住および居住の母系の遺伝的痕跡を示しています。
●研究史
ゲノム再構築から、アジア南部はアフリカから世界の他地域へのヒトの移住においてきわめて重要な役割を果たした、と示唆されています。インド人集団は地域外の集団と初期から継続的に相互作用しており、インドは侵入に起因する複数回の人口流入を経て、遺伝的多様性が増加しました[5]。インド亜大陸全体には多様な民族集団が存在しますが、ヒマラヤ山脈の麓の地域を網羅する東部および北東部地域は、その言語および人口の多様性で際立っており、約300もの異なる民族集団が存在し、それぞれ独自の言語を有しています。
とくにラダックは、カラコルム山脈とヒマラヤ山脈の間に位置しています。ラダックはレーをヤルカンドに、アムリトサルをヤルカンドに結びつける交差点として機能し、ヤルカンドでは旅人が砂漠のオアシスの小さな集落に遭遇し、そうした集落は伝統的な経路沿いの休憩所として機能しました。こうした集落には、岩絵や石刻や碑文や寺院やマニ石壁や舎利塔があり、隊商の交易者がそれらを目印や基準点として利用していた、と示唆されています。ラダックの先住民は、インダス渓谷を通ってヒマラヤ西部へと移住した、ダルド人だったかもしれない、と示唆されてきました。その後、ダルド文化はチベットからの牧畜民および遊牧民の流入によって置換されました。現在、ラダックのほとんどのイスラム教徒は、14世紀以後のこの地域に定住したパキスタンから到来した神秘主義聖者の子孫ですが、仏教徒の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)はおもにチベット高原からの移住に由来します。大規模に人口移動と移住と定住の組み合わせは、経時的なこの地域における人口統計学的変化をもたらしてきました。
現代人に関する以前の遺伝学的研究では、ラダックには上述の歴史的な移住事象のため人口の多様な遺伝的混在がある、と示されました。mtHg-M9の高頻度と多様性は、チベット高原および中国からの遺伝的流入を浮き彫りにしています。アジア東部人との遺伝的類似性は、mtHg-Aの優勢によってさらに裏づけられ、mtHg-Aはインドではさほど一般的ではないものの、チベット人などのチベット・ビルマ語派話者集団やモンゴル人では広く分布しています。
アジア南部の移住史において重要ではあるものの、ラダックの定住史は完全には理解されていません。近隣地域からのよく知られている移動と遺伝子流動は、ラダックの人口動態の関心を高めて、それには、他の人口集団およびデニソワ人のような絶滅人類との遺伝的混合が含まれるかもしれません。現時点で、ヒトがどのくらい長くこの地域に居住してきたのか、遺伝的混合が他のヒト集団および絶滅人類と起きたのかどうか、いつ起きたのかについて、知識は限られています。ほとんどの研究は、高度に混合し、孤立に起因する遺伝的浮動に影響を受けているかもしれない、ラダックの現代人集団に焦点を当ててきました。
この研究の目的は、ラダックにおける人口統計学的変化の遺伝的影響の調査です。この研究では、インドのレー市のチトカン村の老婆蜘蛛洞窟の古代の個体群の完全なミトコンドリアゲノムを配列決定しました。その結果得られたデータは、この巨大な地域における人々の詳細な理解を提供し、それには、範囲拡大、入植、繰り返しの移住、遺伝的多様性への歴史的影響が含まれます。
●再構築された古代ミトコンドリアゲノムとAMS年代
ラダックの洞窟遺跡で標本抽出された古代人7個体から、ミトコンドリアゲノム配列(16569塩基対)の回収に成功しました(図1A~C)。配列には、14588~23198ヶ所の固有のマッピング(多少の違いを許容しつつ、ゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)読み取りがあり、平均網羅率は46.40~83.28倍で、平均マッピング品質は36.72~36.93倍です。mapDamage2によって特定された損傷パターンは、読み取り末端におけるCからTへの置換頻度増加を示しており、末端のシトシンの脱アミノ化、したがって、回収された古代DNA配列の真正性が確証されることを示唆しています。汚染推定値はSchmutziパイプラインを用いて得られ、Schmutzi汚染推定値が0.38の標本1点(LD25)は、さらなる分析から除外されました。コンセンサスFASTAは、最終的なSchmutzi実行のログファイルを用いて、4点の品質閾値(Q10とQ20とQ30とQ50)で生成されました。老婆蜘蛛洞窟のヒト遺骸7点すべてのAMS放射性炭素年代は536~585年の範囲で、中世に属します。頻度以下は本論文の図1です。
●mtHgと地理空間的分布
Schmutziの4点の品質水準での、ラダックの古代人標本におけるmtHg分布は、表S3な示されています。古代人標本LD1(PV658272)とLD36(PV658277)はmtHg-U7a3b(haplogrep得点0.96)に属しており、これはイラン人では最も一般的なmtDNA系統(0.17)です。mtHg-U7a3bはカシミール(0.05)とカルナータカのコダグ(0.05)でも見られ、パキスタン(0.04)とアフガニスタン(0.04)ではより低頻度です。古代人標本LD2(PV658273)はmtHg-H2a1aに属しており、これはアジア中央部(タジキスタンでは0.35)と中国(0.14)とヨーロッパの複数の国(フィンランドでは0.11、デンマークでは0.06)において優勢です。mtHg-H2a1aはパキスタンのカラシュ人(0.03)や他の人口集団(0.03)でも、低頻度で見られます。ラダックの標本LD11(PV658274)はmtHg-M52に属しており、これはフィリピン人において一般的で(0.41)、インド北部のイスラム教徒(0.25)でも見られ、イエメン(0.05)やサウジアラビア(0.03)やイラン(0.03)には低頻度で存在します。ラダックの標本LD34(PV658276)はmtHg-C4a1に属しており、これはシベリア(0.27)と中国(0.21)において高頻度で、アジア中央部(キルギスタンでは0.03、タジキスタンでは0.02)ではさほど一般的ではありません。LD38(PV658278)標本のmtHgはM65a+@16311で、これはカシミール(0.23)とパキスタン(0.20)において高頻度で見られ、タジキスタン(0.10)とラダック(0.06)でも顕著な水準で見られます。
●MP系統樹
mtHg-U7aのMP系統樹は、LD1およびLD36の完全な古代ミトコンドリアゲノム配列を含めて、ユーラシアの現代人95個体と古代人6個体の完全なmtDNA配列データを用いて再構築されました。この系統樹では、ラダックの両標本(LD1とLD36)はハザーラ人標本(KY824947.1)とクレード(単系統群)を形成し、インド北部のカシミールの標本も含む主要な単系統群の一部でした。mtHg-H2a1aのMP系統樹では、LD2はアジア中央部とヨーロッパの個体群の間に位置し、ユーラシア西部起源が示唆されます。mtHg-M52のMP系統樹は、パキスタンのスワート渓谷の現代人25個体と古代人1個体の標本を用いて作成されました。ここでは、ラダックのLD11標本はアジア南東部個体群(アエタ人集団)とまとまりました。アジア東部人mtHg-C4a1のMP系統樹では、ラダックの標本LD34は多様な人口集団のより大きな単系統群内の独特な枝の一部で、おもにアジア東部とアジア中央部(タジキスタン)とヨーロッパの個体群が含まれます。最後に、M65系統のMP系統樹では、ラダックの古代人標本(LD38)は、インドのインド・ヨーロッパ語族話者やSPGT古代人標本やパキスタンとアジア南東部とチベット人の標本と共有される主要な単系統群内の、深い起源の孤立した下位単系統群に位置づけられました。
●時間較正系統発生分析
さらに、ベイズ手法による古代人参照から得られた年代測定されたデータを用いて、ラダックの古代人標本の進化史の再構築が試みられました。各mtDNA配列について、ラダックの歴史時代の標本で観察された各mtHgに関して公開されて利用可能な現代人および古代人の参照の一式が用いられました。得られたハプロタイプU7a系統樹では、ラダックの古代人標本2点は、アジア中央部およびアジア東部の標本とともに、パキスタンのハザーラ人標本と単系統群を形成しました(図2A)。このパターンは、MP系統樹で見られたものと一致します。以下は本論文の図2です。
さらに、LD2個体(H2a)はベイズ系統樹ではタジキスタンのアジア中央部の個体群のみと単系統群を形成しました(図2B)。このLD11個体は、M52のベイズ系統樹(図2C)では、おもにインド北部のイスラム教徒個体群とクラスタ化しました(まとまりました)。LD34は、アジア中央部/シベリアの個体群の大規模で均一な集団と節を共有していました。C4a1系統樹では、LD34は青銅器時代のウスチベラヤ_o(タジキスタン)個体と起源が同じでした(図3A)。M65aの年代測定されたベイズ系統発生は、ロエバンル_IA(SPGT)標本と同じ起源で、ラダックのLD38標本は、MP系統樹と同様に、深い起源の個体の単系統群に位置づけられます(図3B)。以下は本論文の図3です。
●ハプロタイプ網と分岐時期
ラダックの古代人標本で観察されたミトコンドリア配列網は、ベイズ分析で推測された関係と一致しました。U7aのハプロタイプ網では、ラダックの両個体(LD1とLD36)は単一の節と示され、進化的にハザーラ人とつながっています。SPGT(ウデグラム_IA)からのLD1とLD36のハプロタイプの分岐時期は4024.31年前頃で、95%CIでは4924.17~3124.45年前です。H2aのMJ系統樹では、LD2のハプロタイプはアジア中央部の創始者節に位置し、これはその派生を示唆している可能性が高そうです。そのフヴァリンスク_ENとの分岐時期は1408.34年前頃で、95%CIでは1940.64~876.04年前です。
M52のハプロタイプ網は明らかに、フィリピンのクラスタ(まとまり)から、イランとインドとスワート渓谷の歴史時代とLD11(ラダック古代人)の標本を区別しました。このハプロタイプ網では、LD11個体はインド北部のイスラム教徒のハプロタイプと節を共有していました。ラダックのM52(LD11)のハプロタイプのスワート渓谷の歴史時代標本(サイドゥシャリフ_H)からの分岐時期は、6841.322年前頃で、95%CIでは8014.599~5668.045年前です。C4a1ハプロタイプ網で観察されたパターンは、C4a1のベイズ系統発生と一致し、そこでは、LD34ハプロタイプはアジア中央部/シベリアのクラスタと節を共有していました。M65aのハプロタイプ網は、LD38標本の起源が、ブロクパやSPGTやパキスタンやミャンマーのハプロタイプによって共有されている中央の節に由来することを示しました。ウデグラム_IA(SPGT)からのLD38の分岐時期は9657.17年前頃で、95%CIでは10795.278~8519.062年前です。
●考察
ラダックはその中心的位置のため、ヒトの移動や文化的交流やアジアの南部と東部と中央部の間のつながりにおいて、重要な役割を果たしました。ラダックは文化と言語と遺伝的多様性の坩堝として機能してきました。歴史的には、ラダックはインド北西部において重要な位置を占めて、仏教遺跡と金銀のような貴重な金属と高級織物でしられていました。この地域は、ホウ砂やパシュミナや塩や銅などの資源でも有名でした。チベットやペジケントやヤルカンドやホータンやミランやバクトリアやイランとつながっているラダックの交易路は、きわめて重要な交易の幹線でした。
これまでにラダックで行なわれた遺伝学的研究は、ラダックの現在の人口集団に焦点を当ててきており、その遺伝子プールへの在来とアジア中央部とアジア東部の供給源からの影響を示しています。現代の人口集団からの遺伝的証拠は決定的ですが、過去の人口統計学的変化についての直接的手がかりと、さまざまな期間にまたがる文化的つながりを欠いています。本論文ではおもに、ラダックの中世の重要な洞窟住居(老婆蜘蛛洞窟)における母系の遺伝的多様性の詳細な調査を通じて、これらのパターンの特定が目的とされました。本論文の古代DNA分析は、老婆蜘蛛洞窟遺跡における多様な遺伝的構成を明らかにし、アジア東部とアジア中央部/シベリアとパキスタンからの寄与があり、顕著な人口移動が示唆されます。
ラダックの古代人標本におけるmtHgのうち、U7aはほぼイラン固有で、アフガニスタンとパキスタンとカシミールにおいてわずかに存在します。標本LD1とLD36のこの系統について、ベイズ分析とハプロタイプ網分析の両方はハザーラ人部族とのより密接なつながりを示し、近隣のアフガニスタンおよびパキスタンからの移住が示唆されます。この配列の分岐時期は、それが青銅器時代に先行し、SPGT集団と関連していることを示唆しています。対照的に、ラダックのH2aハプロタイプはもっと新しい時期に合着(合祖)したようで、本論文の分析から、H2aハプロタイプははアジア中央部、おそらくはタジキスタンからの移民だった可能性が高い個体によってもたらされた、と示唆されます。ベイズ分析およびハプロタイプ網分析によって裏づけられるこの分布パターンは、ラダックのLD11個体を在来の(カシミール地域)のイスラム教徒の移住と結びつけます。しかし、MP系統樹は、アジア南東部(アエタ人集団との関係)からの移住に関する代替的な仮説を支持しています。これらの推測の両方とも、全ゲノムに基づく分析手法を用いることによって検証され、結論を導かねばなりません。さらに、そのより古い合祖時期は、この系統がこの地域へと古い時期にずっと早く到来したことを示唆しています。
さらに、老婆蜘蛛洞窟遺跡の1個体(LD34)でmtHg-C4a1が見つかり、これはアジア東部とシベリアとアジア中央部に存在する系統です。この系統は、近隣の考古学的発掘調査中に見つかった人工遺物によって示唆されるように、絹の道沿いの交易と関わる移住と結びついているかもしれません。本論文のベイズ進化分析とハプロタイプ網分析は両方ともこのつながりを裏づけており、ラダック地域と絹の道の交易との間のつながりがさらに強化されます。
対照的に、mtHg-M65aと関連する唯一の古代のラダック個体(LD38)は、深い祖先の起源がある、おもに在来住民のようです(9657年前頃の合祖時期)。ジャンムーとカシミールの現在の人口集団に関する以前の遺伝学的研究も、この地域におけるmtHg-M65aの高頻度をほうこくしましたが、おどろくべきことに、中世の標本ではアジア東部(M9)もしくはチベット(A21)系統の証拠が見つかりませんでした。
まとめると、本論文は、トランス・ヒマラヤ回廊と絹の道を通る移動の、遺伝学的指標を提供します。本論文の分析は、在来とアジア中央部とパキスタンとアジア東部の母系の存在を示すことによって、古代ラダックの老婆蜘蛛洞窟遺跡の国際的性質を裏づけます。これらの調査結果は、多方向の移住によるさまざまな人口集団との接触を示す、考古学的証拠をさらに支持します。しかし、ラダックの老婆蜘蛛洞窟遺跡の古代の個体群には、この地域の現在の人口統計学に存在する、よく知られているアジア東部(M9)およびチベット(A21)のいくつかの母系が欠けています。本論文は、老婆蜘蛛洞窟の1ヶ所のみの遺跡(おもに中世)から得られた古代人標本での予備的な遺伝学的研究なので、さまざまな時間枠と多様な遺跡と、全ゲノム配列決定を用いてのより詳細な分析が、アジア東部との欠落したつながりの解明に役立つでしょう。
●この研究の限界
一方で、本論文はとくに老婆蜘蛛洞窟遺跡の洞察に満ちた遺伝的歴史を提供します。ただ、本論文には、より大きな標本規模と、全ゲノム配列決定のゲノム規模遺伝標識の解像度が欠けています。本論文は、ラダックの老婆蜘蛛洞窟遺跡の個体群の母系起源の主要な遺伝的歴史の解明に関して適切ですが、ゲノム水準の研究の解像度が欠けています。ミトコンドリアゲノム分析に適用される手法の一部と関連する限界もあり、たとえば、分岐した系統間の進化速度の異質性が生じやすい、厳密な分子時計の仮定です。さらに、合祖年代推定へのρおよびσ統計の使用は、人口統計学的歴史における違い(人口集団における浮動や瓶首効果や創始者事象の存在など)のため、時に誤りが生じやすくなります。
参考文献:
Kumar L. et al.(2026): The Old Lady spider cave skeletons in Ladakh have diverse maternal genetic origin. iScience, 29, 6, 116193.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2026.116193
[5]Narasimhan VM. et al.(2019): The formation of human populations in South and Central Asia. Science, 365, 6457, eaat7487.
https://doi.org/10.1126/science.aat7487
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●要約
ラダックの考古学的証拠は、絹の道回廊沿いのヒトの移住によって引き起こされた、初期の定住と複雑な文化的および人工透析学的変化を示していますが、遺伝的痕跡はまったくありませんでした。この空白を埋めるために、この研究は老婆蜘蛛洞窟遺跡で発見された古代の個体群から完全なミトコンドリアゲノムを再構築しました。本論文のミトコンドリアゲノムに関する詳細な研究から明らかになった行動に多様な遺伝子プールには、アジアの東部や中央部や南部と関連する母系が含まれています。ベイズ進化分析とハプロタイプ網と分岐時期は、C4a1系統をアジア東部およびシベリアと結びつけ、おそらくは絹の道の移住の痕跡を示唆しています。さらに、これらの分析はH2a1a系統をアジア中央部からの最近の到来と関連づける一方で、U7a系統をパキスタンのハザーラ人的集団と結びつけます。これらの調査結果は、多様な薄井の人々による、ラダックの老婆蜘蛛洞窟遺跡の複数回の移住および居住の母系の遺伝的痕跡を示しています。
●研究史
ゲノム再構築から、アジア南部はアフリカから世界の他地域へのヒトの移住においてきわめて重要な役割を果たした、と示唆されています。インド人集団は地域外の集団と初期から継続的に相互作用しており、インドは侵入に起因する複数回の人口流入を経て、遺伝的多様性が増加しました[5]。インド亜大陸全体には多様な民族集団が存在しますが、ヒマラヤ山脈の麓の地域を網羅する東部および北東部地域は、その言語および人口の多様性で際立っており、約300もの異なる民族集団が存在し、それぞれ独自の言語を有しています。
とくにラダックは、カラコルム山脈とヒマラヤ山脈の間に位置しています。ラダックはレーをヤルカンドに、アムリトサルをヤルカンドに結びつける交差点として機能し、ヤルカンドでは旅人が砂漠のオアシスの小さな集落に遭遇し、そうした集落は伝統的な経路沿いの休憩所として機能しました。こうした集落には、岩絵や石刻や碑文や寺院やマニ石壁や舎利塔があり、隊商の交易者がそれらを目印や基準点として利用していた、と示唆されています。ラダックの先住民は、インダス渓谷を通ってヒマラヤ西部へと移住した、ダルド人だったかもしれない、と示唆されてきました。その後、ダルド文化はチベットからの牧畜民および遊牧民の流入によって置換されました。現在、ラダックのほとんどのイスラム教徒は、14世紀以後のこの地域に定住したパキスタンから到来した神秘主義聖者の子孫ですが、仏教徒の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)はおもにチベット高原からの移住に由来します。大規模に人口移動と移住と定住の組み合わせは、経時的なこの地域における人口統計学的変化をもたらしてきました。
現代人に関する以前の遺伝学的研究では、ラダックには上述の歴史的な移住事象のため人口の多様な遺伝的混在がある、と示されました。mtHg-M9の高頻度と多様性は、チベット高原および中国からの遺伝的流入を浮き彫りにしています。アジア東部人との遺伝的類似性は、mtHg-Aの優勢によってさらに裏づけられ、mtHg-Aはインドではさほど一般的ではないものの、チベット人などのチベット・ビルマ語派話者集団やモンゴル人では広く分布しています。
アジア南部の移住史において重要ではあるものの、ラダックの定住史は完全には理解されていません。近隣地域からのよく知られている移動と遺伝子流動は、ラダックの人口動態の関心を高めて、それには、他の人口集団およびデニソワ人のような絶滅人類との遺伝的混合が含まれるかもしれません。現時点で、ヒトがどのくらい長くこの地域に居住してきたのか、遺伝的混合が他のヒト集団および絶滅人類と起きたのかどうか、いつ起きたのかについて、知識は限られています。ほとんどの研究は、高度に混合し、孤立に起因する遺伝的浮動に影響を受けているかもしれない、ラダックの現代人集団に焦点を当ててきました。
この研究の目的は、ラダックにおける人口統計学的変化の遺伝的影響の調査です。この研究では、インドのレー市のチトカン村の老婆蜘蛛洞窟の古代の個体群の完全なミトコンドリアゲノムを配列決定しました。その結果得られたデータは、この巨大な地域における人々の詳細な理解を提供し、それには、範囲拡大、入植、繰り返しの移住、遺伝的多様性への歴史的影響が含まれます。
●再構築された古代ミトコンドリアゲノムとAMS年代
ラダックの洞窟遺跡で標本抽出された古代人7個体から、ミトコンドリアゲノム配列(16569塩基対)の回収に成功しました(図1A~C)。配列には、14588~23198ヶ所の固有のマッピング(多少の違いを許容しつつ、ゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)読み取りがあり、平均網羅率は46.40~83.28倍で、平均マッピング品質は36.72~36.93倍です。mapDamage2によって特定された損傷パターンは、読み取り末端におけるCからTへの置換頻度増加を示しており、末端のシトシンの脱アミノ化、したがって、回収された古代DNA配列の真正性が確証されることを示唆しています。汚染推定値はSchmutziパイプラインを用いて得られ、Schmutzi汚染推定値が0.38の標本1点(LD25)は、さらなる分析から除外されました。コンセンサスFASTAは、最終的なSchmutzi実行のログファイルを用いて、4点の品質閾値(Q10とQ20とQ30とQ50)で生成されました。老婆蜘蛛洞窟のヒト遺骸7点すべてのAMS放射性炭素年代は536~585年の範囲で、中世に属します。頻度以下は本論文の図1です。
●mtHgと地理空間的分布
Schmutziの4点の品質水準での、ラダックの古代人標本におけるmtHg分布は、表S3な示されています。古代人標本LD1(PV658272)とLD36(PV658277)はmtHg-U7a3b(haplogrep得点0.96)に属しており、これはイラン人では最も一般的なmtDNA系統(0.17)です。mtHg-U7a3bはカシミール(0.05)とカルナータカのコダグ(0.05)でも見られ、パキスタン(0.04)とアフガニスタン(0.04)ではより低頻度です。古代人標本LD2(PV658273)はmtHg-H2a1aに属しており、これはアジア中央部(タジキスタンでは0.35)と中国(0.14)とヨーロッパの複数の国(フィンランドでは0.11、デンマークでは0.06)において優勢です。mtHg-H2a1aはパキスタンのカラシュ人(0.03)や他の人口集団(0.03)でも、低頻度で見られます。ラダックの標本LD11(PV658274)はmtHg-M52に属しており、これはフィリピン人において一般的で(0.41)、インド北部のイスラム教徒(0.25)でも見られ、イエメン(0.05)やサウジアラビア(0.03)やイラン(0.03)には低頻度で存在します。ラダックの標本LD34(PV658276)はmtHg-C4a1に属しており、これはシベリア(0.27)と中国(0.21)において高頻度で、アジア中央部(キルギスタンでは0.03、タジキスタンでは0.02)ではさほど一般的ではありません。LD38(PV658278)標本のmtHgはM65a+@16311で、これはカシミール(0.23)とパキスタン(0.20)において高頻度で見られ、タジキスタン(0.10)とラダック(0.06)でも顕著な水準で見られます。
●MP系統樹
mtHg-U7aのMP系統樹は、LD1およびLD36の完全な古代ミトコンドリアゲノム配列を含めて、ユーラシアの現代人95個体と古代人6個体の完全なmtDNA配列データを用いて再構築されました。この系統樹では、ラダックの両標本(LD1とLD36)はハザーラ人標本(KY824947.1)とクレード(単系統群)を形成し、インド北部のカシミールの標本も含む主要な単系統群の一部でした。mtHg-H2a1aのMP系統樹では、LD2はアジア中央部とヨーロッパの個体群の間に位置し、ユーラシア西部起源が示唆されます。mtHg-M52のMP系統樹は、パキスタンのスワート渓谷の現代人25個体と古代人1個体の標本を用いて作成されました。ここでは、ラダックのLD11標本はアジア南東部個体群(アエタ人集団)とまとまりました。アジア東部人mtHg-C4a1のMP系統樹では、ラダックの標本LD34は多様な人口集団のより大きな単系統群内の独特な枝の一部で、おもにアジア東部とアジア中央部(タジキスタン)とヨーロッパの個体群が含まれます。最後に、M65系統のMP系統樹では、ラダックの古代人標本(LD38)は、インドのインド・ヨーロッパ語族話者やSPGT古代人標本やパキスタンとアジア南東部とチベット人の標本と共有される主要な単系統群内の、深い起源の孤立した下位単系統群に位置づけられました。
●時間較正系統発生分析
さらに、ベイズ手法による古代人参照から得られた年代測定されたデータを用いて、ラダックの古代人標本の進化史の再構築が試みられました。各mtDNA配列について、ラダックの歴史時代の標本で観察された各mtHgに関して公開されて利用可能な現代人および古代人の参照の一式が用いられました。得られたハプロタイプU7a系統樹では、ラダックの古代人標本2点は、アジア中央部およびアジア東部の標本とともに、パキスタンのハザーラ人標本と単系統群を形成しました(図2A)。このパターンは、MP系統樹で見られたものと一致します。以下は本論文の図2です。
さらに、LD2個体(H2a)はベイズ系統樹ではタジキスタンのアジア中央部の個体群のみと単系統群を形成しました(図2B)。このLD11個体は、M52のベイズ系統樹(図2C)では、おもにインド北部のイスラム教徒個体群とクラスタ化しました(まとまりました)。LD34は、アジア中央部/シベリアの個体群の大規模で均一な集団と節を共有していました。C4a1系統樹では、LD34は青銅器時代のウスチベラヤ_o(タジキスタン)個体と起源が同じでした(図3A)。M65aの年代測定されたベイズ系統発生は、ロエバンル_IA(SPGT)標本と同じ起源で、ラダックのLD38標本は、MP系統樹と同様に、深い起源の個体の単系統群に位置づけられます(図3B)。以下は本論文の図3です。
●ハプロタイプ網と分岐時期
ラダックの古代人標本で観察されたミトコンドリア配列網は、ベイズ分析で推測された関係と一致しました。U7aのハプロタイプ網では、ラダックの両個体(LD1とLD36)は単一の節と示され、進化的にハザーラ人とつながっています。SPGT(ウデグラム_IA)からのLD1とLD36のハプロタイプの分岐時期は4024.31年前頃で、95%CIでは4924.17~3124.45年前です。H2aのMJ系統樹では、LD2のハプロタイプはアジア中央部の創始者節に位置し、これはその派生を示唆している可能性が高そうです。そのフヴァリンスク_ENとの分岐時期は1408.34年前頃で、95%CIでは1940.64~876.04年前です。
M52のハプロタイプ網は明らかに、フィリピンのクラスタ(まとまり)から、イランとインドとスワート渓谷の歴史時代とLD11(ラダック古代人)の標本を区別しました。このハプロタイプ網では、LD11個体はインド北部のイスラム教徒のハプロタイプと節を共有していました。ラダックのM52(LD11)のハプロタイプのスワート渓谷の歴史時代標本(サイドゥシャリフ_H)からの分岐時期は、6841.322年前頃で、95%CIでは8014.599~5668.045年前です。C4a1ハプロタイプ網で観察されたパターンは、C4a1のベイズ系統発生と一致し、そこでは、LD34ハプロタイプはアジア中央部/シベリアのクラスタと節を共有していました。M65aのハプロタイプ網は、LD38標本の起源が、ブロクパやSPGTやパキスタンやミャンマーのハプロタイプによって共有されている中央の節に由来することを示しました。ウデグラム_IA(SPGT)からのLD38の分岐時期は9657.17年前頃で、95%CIでは10795.278~8519.062年前です。
●考察
ラダックはその中心的位置のため、ヒトの移動や文化的交流やアジアの南部と東部と中央部の間のつながりにおいて、重要な役割を果たしました。ラダックは文化と言語と遺伝的多様性の坩堝として機能してきました。歴史的には、ラダックはインド北西部において重要な位置を占めて、仏教遺跡と金銀のような貴重な金属と高級織物でしられていました。この地域は、ホウ砂やパシュミナや塩や銅などの資源でも有名でした。チベットやペジケントやヤルカンドやホータンやミランやバクトリアやイランとつながっているラダックの交易路は、きわめて重要な交易の幹線でした。
これまでにラダックで行なわれた遺伝学的研究は、ラダックの現在の人口集団に焦点を当ててきており、その遺伝子プールへの在来とアジア中央部とアジア東部の供給源からの影響を示しています。現代の人口集団からの遺伝的証拠は決定的ですが、過去の人口統計学的変化についての直接的手がかりと、さまざまな期間にまたがる文化的つながりを欠いています。本論文ではおもに、ラダックの中世の重要な洞窟住居(老婆蜘蛛洞窟)における母系の遺伝的多様性の詳細な調査を通じて、これらのパターンの特定が目的とされました。本論文の古代DNA分析は、老婆蜘蛛洞窟遺跡における多様な遺伝的構成を明らかにし、アジア東部とアジア中央部/シベリアとパキスタンからの寄与があり、顕著な人口移動が示唆されます。
ラダックの古代人標本におけるmtHgのうち、U7aはほぼイラン固有で、アフガニスタンとパキスタンとカシミールにおいてわずかに存在します。標本LD1とLD36のこの系統について、ベイズ分析とハプロタイプ網分析の両方はハザーラ人部族とのより密接なつながりを示し、近隣のアフガニスタンおよびパキスタンからの移住が示唆されます。この配列の分岐時期は、それが青銅器時代に先行し、SPGT集団と関連していることを示唆しています。対照的に、ラダックのH2aハプロタイプはもっと新しい時期に合着(合祖)したようで、本論文の分析から、H2aハプロタイプははアジア中央部、おそらくはタジキスタンからの移民だった可能性が高い個体によってもたらされた、と示唆されます。ベイズ分析およびハプロタイプ網分析によって裏づけられるこの分布パターンは、ラダックのLD11個体を在来の(カシミール地域)のイスラム教徒の移住と結びつけます。しかし、MP系統樹は、アジア南東部(アエタ人集団との関係)からの移住に関する代替的な仮説を支持しています。これらの推測の両方とも、全ゲノムに基づく分析手法を用いることによって検証され、結論を導かねばなりません。さらに、そのより古い合祖時期は、この系統がこの地域へと古い時期にずっと早く到来したことを示唆しています。
さらに、老婆蜘蛛洞窟遺跡の1個体(LD34)でmtHg-C4a1が見つかり、これはアジア東部とシベリアとアジア中央部に存在する系統です。この系統は、近隣の考古学的発掘調査中に見つかった人工遺物によって示唆されるように、絹の道沿いの交易と関わる移住と結びついているかもしれません。本論文のベイズ進化分析とハプロタイプ網分析は両方ともこのつながりを裏づけており、ラダック地域と絹の道の交易との間のつながりがさらに強化されます。
対照的に、mtHg-M65aと関連する唯一の古代のラダック個体(LD38)は、深い祖先の起源がある、おもに在来住民のようです(9657年前頃の合祖時期)。ジャンムーとカシミールの現在の人口集団に関する以前の遺伝学的研究も、この地域におけるmtHg-M65aの高頻度をほうこくしましたが、おどろくべきことに、中世の標本ではアジア東部(M9)もしくはチベット(A21)系統の証拠が見つかりませんでした。
まとめると、本論文は、トランス・ヒマラヤ回廊と絹の道を通る移動の、遺伝学的指標を提供します。本論文の分析は、在来とアジア中央部とパキスタンとアジア東部の母系の存在を示すことによって、古代ラダックの老婆蜘蛛洞窟遺跡の国際的性質を裏づけます。これらの調査結果は、多方向の移住によるさまざまな人口集団との接触を示す、考古学的証拠をさらに支持します。しかし、ラダックの老婆蜘蛛洞窟遺跡の古代の個体群には、この地域の現在の人口統計学に存在する、よく知られているアジア東部(M9)およびチベット(A21)のいくつかの母系が欠けています。本論文は、老婆蜘蛛洞窟の1ヶ所のみの遺跡(おもに中世)から得られた古代人標本での予備的な遺伝学的研究なので、さまざまな時間枠と多様な遺跡と、全ゲノム配列決定を用いてのより詳細な分析が、アジア東部との欠落したつながりの解明に役立つでしょう。
●この研究の限界
一方で、本論文はとくに老婆蜘蛛洞窟遺跡の洞察に満ちた遺伝的歴史を提供します。ただ、本論文には、より大きな標本規模と、全ゲノム配列決定のゲノム規模遺伝標識の解像度が欠けています。本論文は、ラダックの老婆蜘蛛洞窟遺跡の個体群の母系起源の主要な遺伝的歴史の解明に関して適切ですが、ゲノム水準の研究の解像度が欠けています。ミトコンドリアゲノム分析に適用される手法の一部と関連する限界もあり、たとえば、分岐した系統間の進化速度の異質性が生じやすい、厳密な分子時計の仮定です。さらに、合祖年代推定へのρおよびσ統計の使用は、人口統計学的歴史における違い(人口集団における浮動や瓶首効果や創始者事象の存在など)のため、時に誤りが生じやすくなります。
参考文献:
Kumar L. et al.(2026): The Old Lady spider cave skeletons in Ladakh have diverse maternal genetic origin. iScience, 29, 6, 116193.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2026.116193
[5]Narasimhan VM. et al.(2019): The formation of human populations in South and Central Asia. Science, 365, 6457, eaat7487.
https://doi.org/10.1126/science.aat7487
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