言語についての備忘録

 言語学については無知なので、的外れな発言になりそうですが、今後調べていくための参照として、以前からの思いつきを備忘録として残しておきます。「縄文時代」が近現代の考古学における便宜的な時代区分にすぎないことは、繰り返し強調されるべきとは思います。「縄文人」は「縄文文化」という便宜的な考古学的区分と関連する人々にすぎず、「縄文人」を単一の言語話者もしくは「民族」と想定することには大きな問題がある、と考えています。

 一方で、遺伝学的研究の進展によって、「縄文人」が既知の現代人および古代人集団と比較して、独特な一まとまりを形成することも明らかになってきました。とはいえ、「縄文人」の間で遺伝的な地域差も指摘されており、そもそも遺伝で「民族」を規定できませんから、「縄文人」が比較的均質で独特な遺伝的構成の集団だったとしても、それが単一の言語話者もしくは「民族」だったことを証明するわけではない、と私は考えています。

 ただ、「縄文人」が比較的均質で独特な遺伝的構成の集団だったとすると、遺伝的に均質な小規模の祖先集団が日本列島内で拡散していった、とも考えられ、元々は同じ言語を話していた可能性が低くないようにも思います。しかし、その分岐がたとえば15000年前頃に始まったとすると、4000年前頃の日本列島に行って、言語学的な調査を行なったとしても、北海道と九州、さらには「縄文文化」の影響が強いとされる貝塚時代の北琉球諸島で話されていた言語が、同じ系統と証明することは難しいように思います。パプア諸語ほど深い分岐ではないかもしれないとしても、「縄文時代」の北海道と九州、さらには貝塚時代の北琉球諸島で話されていた言語は、4000年前頃には、言語学で同系統と証明することが難しいくらい分岐していたのではないか、というわけです。

 言語についてもう一つ以前から考えているのは、言語学に無知なので的外れな疑問になるかもしれませんが、言語系統の推定分岐年代は、混合を含めて言語間の影響があった場合、どの程度参考になるのか、あるいは、そうした言語間の影響も考慮されているのか、ということです。遺伝学でも、複雑な混合があった場合の集団間の分岐年代の推定に難しさがあることは否定できないでしょう。

 より具体的には、貝塚時代の北琉球諸島には「縄文人」と遺伝的に類似した集団が存在していましたが、11世紀頃以降に、おそらくは九州から日本列島「本土」現代人と類似した遺伝的構成の集団が到来し、琉球諸島の現代人遺伝的構成が形成された、と考えられます。この場合、琉球諸語が貝塚時代集団の言語と平安時代の九州(の一部地域)の言語の混合によって成立したとすると、日本語と琉球諸語の分岐について提示されている推定分岐年代は、どこまで実際の分岐年代を反映しているのか、と以前から考えてきました。尤も、これは言語学に無知な門外漢の的外れな疑問かもしれませんが、日本語の起源に関する問題とともに、この問題は今後も考えていくつもりです。

この記事へのコメント

熊笹
2026年05月26日 20:52
 ヤポネシア(北海道~南西諸島)ではアイヌ語と朝鮮語を除く非日本語系の痕跡がほとんど確認されていません。このため、気候変動や土器の斉一化で、縄文後期(3500年ほど前)にはすでに原アイヌ語(ヤポネシア東北部)と原日本語(ヤポネシア西南部)の系統しか残存していなかったのではないかと想定しています。
熊笹
2026年05月26日 20:55
ただし本記事の通り、縄文前期から中期まではアイヌ語系や日本語系以外の縄文諸語が他にも存在したと考えています。
管理人
2026年05月27日 07:56
言語学に疎いので、言語学的には、私が考えるより明らかになっていることも多いかもしれない、とは思います。

言語学遺伝学と言語学を安易に関連づけてはなりませんが、「縄文人」の時空間的な遺伝的構造が明らかになっていけば、「縄文時代」の言語について推測する手がかりになるのではないか、と期待しています。