ヨーロッパ西部の狩猟採集民の遺伝的存続

 ヨーロッパ西部の新石器時代人類集団の新たな古代ゲノムデータを報告した研究(Olalde et al., 2026)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、現在のオランダとベルギーとドイツの紀元前8500~紀元前1700年頃の人類112個体の新たなゲノムデータを報告し、既知の古代人と比較しています。その結果、これらの地域の湿地と河川流域と沿岸部には、約約50%と高い割合の中石器時代狩猟採集民的な遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有する人類集団が、ヨーロッパのほとんどの地域よりも3000年遅く存続していた、と示されました。これらの集団では、おもに初期ヨーロッパ農耕民祖先系統の女性個体が、在来共同体に組み込まれていたようです。これは、新石器文化の全面的な採用に適していなかった地域における、独特な人口動態を表しているかもしれません。

 その後のオランダ西部では、草原地帯祖先系統の到来の指標となる土器とY染色体ハプログループを有しているにも関わらず、常染色体では草原地帯関連祖先系統をほぼ有していない集団が確認されました。その後、ライン川・マース川下流の鐘状ビーカー(鐘形杯)文化集団の拡大はヨーロッパ北西部全域の人類集団の遺伝的構成を大きく変えて、とくにブリテン島では、在来集団の祖先系統の90~100%を置換しました。こうした完新世ヨーロッパ北西部の事例は、本格的な農耕文化の初期の導入とY染色体ハプログループと常染色体ゲノムとの関係など、「縄文時代」から「弥生時代」と「古墳時代」を経て「飛鳥時代」へと至る、日本列島の人口史にも重要な示唆になるかもしれません。

 以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、mtDNA(mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、cM(centimorgan、センチモルガン)、ID(identification、識別番号)、WHG(western hunter-gatherer、西方狩猟採集民)、EEF(early European farmer、初期ヨーロッパ農耕民)です。本論文で取り上げられる主要な地域は、フリージアン=ドレンティアン(Friesian-Drenthian)高原、です。

 本論文で取り上げられる主要な文化は、鐘状ビーカー(Bell Beaker 、鐘形杯、略してBB)文化、線形陶器(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)文化、縄目文土器(Corded Ware、略してCW)文化、ヴラールディンゲン(Vlaardingen)文化、漏斗状ビーカー(漏斗形杯)文化(Funnelbeaker Culture、Trichterbecherkultu、略してFBCもしくはTRB)、ヤムナヤ(Yamnaya)文化、球状アンフォラ(両取って付き壺)文化(Globular Amphora Culture、略してGAC)、ヴァールブルク文化(Wartberg Culture、略してWBC)、です。

 本論文で取り上げられる主要な遺跡は以下の通りです。イギリスでは、ストーンヘンジ(Stonehenge)、エーヴベリー(Avebury)、ウッドヘンジ(Woodhenge)、シルベリー・ヒル(Silbury Hill)です。フランスでは、ラオゲット(La Hoguette)、ヴィルヌーヴ=サン=ジェルマン(Villeneuve-Saint-Germain)、ミヒェルスベルク(Michelsberg)、アブリ・サンドロン(Abri Sandron)、モン・アイメー(Mont-Aimé)です。オランダでは、スウィフテルバント(Swifterbant、略してSWA)、ハゼンドンク(Hazendonk)、ニューウェハイン=ヘット・クルースター(Nieuwegein-het Klooster)、アンゲレン=カンプセパッド(Angeren-Kampsepad)、ズーレン=デ・ベルダート(Zoelen-de Beldert)、ティール=メデル=デ・ロースカンプ(Tiel-Medel-de Roeskamp)、オプメール=ミエナッカー(Opmeer-Mienakker)、シベカルスペル=オプ・デ・ヴェーケン(Sijbekarspel-Op de Veken)、モーレンアールスグラーフ(Molenaarsgraaf)、オオストワウド=トゥイトホールン(Oostwoud-Tuithoorn)です。ベルギーでは、ブリッキー(Blicquy)、オットランド=クロメ・エルボー(Ottoland-Kromme Elleboog)です。ドイツでは、西部のリンブルク(Limburg)、レッセン(Rössen)、ビシュハイム(Bischheim)、バルトルム(Baltrum、略してBLR)、ブレッターヘーレ(Blätterhöhle)、バールベルゲ(Baalberge)遺跡、ニーダーティーフェンバッハ(Niedertiefenbach)遺跡です。ロシアでは、サマラ(Samara)です。


●要約

 古代DNA研究では、紀元前6500~紀元前4000年頃のヨーロッパにおいて、アナトリア半島西部農耕民の子孫が在来狩猟採集民と混合し、70~100%の祖先系統の置換をもたらした[1]後で、草原地帯祖先系統がCW複合体とともに紀元前3000~紀元前2500年頃に広がったかった[2]、と明らかになりました。本論文は、紀元前8500~紀元前1700年頃の112人のゲノム規模データを用いて、オランダとベルギーとドイツ西部の湿地と河川地域と沿岸部における例外を示します。こうした地域では、高い割合(約50%)の狩猟採集民祖先系統を有する独特な人口集団がヨーロッパのほとんどの地域よりも3000年後まで存続しており、初期ヨーロッパ農耕民祖先系統の女性個体の在来共同体への組み込みが反映されています。オランダ西部では、縄目文土器複合体の到来も例外的で、縄目文土器を採用した集落の低地個体群は、初期縄目文土器複合体と関連する人々に特徴的なY染色体にも関わらず、ほぼ草原地帯祖先系統を有していませんでした。こうした独特なパターンはこれらの集団が居住した特殊な生態環境を反映しているかもしれず、そうした環境は、線形陶器とともに導入された農耕の初期新石器時代様式の完全な採用に適しておらず、着想の伝達に遺伝子流動がほとんど伴わなかった、独特な共同体が生じました。この状況は、在来集団(13~18%)および両性の移住と関連する縄目文土器の融合による、ライン川・マース川下流の鐘形杯使用者の形成とともに変わりました。この集団のその後の拡大は、ヨーロッパ北西部のずっと広範な地域全体、とくに大ブリテン島に破壊的影響を及ぼし、大ブリテン島では、在来の新石器時代祖先系統の90~100%の置換の主要な供給源でした。


●研究史

 全ゲノム古代DNA分析は、完新世ヨーロッパにおける文化的および人口統計学的変容についての長年の議論に光を当ててきました。先史時代の大きな2回の事象が特徴づけられてきており、それは、前期新石器時代における農耕の導入と関連する、アナトリア半島西部農耕民に由来する遺伝的祖先系統のヨーロッパへの拡大[4]と、CW複合体およびBB複合体の拡散によって媒介された、紀元前三千年紀におけるヤムナヤ文化草原地帯牧畜民に特徴的な祖先系統の拡大[2、5~7]です。しかし、地域水準での人口統計学的過程は依然として明確には理解されておらず、多様なパターンに従うことが示されてきました。たとえば、ヨーロッパ中央部におけるアナトリア祖先系統の拡大がおもにLBK農耕民の拡大によって促進された一方で[1、4、5]、バルト海地域およびスカンジナビア半島では、農耕生活様式のさいようはずっと遅れており、一部の事例では、狩猟と採集と漁撈への回帰さえありました[9、10]。

 本論文は、より広範なオランダ西部および中央部とベルギーとドイツ北部および北西部の水の豊富な環境の共同体の、独特な軌跡に焦点を当てます。紀元前5500年頃に、この地域の南部ではLBK関連農耕民が到来し、この集団はオランダの南部とベルギーの一部とドイツとフランスの肥沃な黄土層全域に定住しました。これらの共同体内では、リンブルクおよびラオゲット土器によって記録されているように、狩猟採集民集団との接触の証拠がありますが、これらの土器の起源とこれらの接触の重要性は議論になっています。これらLBK共同体は確立すると、ブリッキーやレッセンやヴィルヌーヴ=サン=ジェルマンやビシュハイムやその後のミヒェルスベルク南部集団など、地域的異形へと発展しました。

 黄土の北側では、スヘルデ川やマース川やライン川など大河によって、農耕民の好む肥沃な土壌を含む動的景観が、紀元前4200年頃の農耕の完全な採用後の狩猟や採集や漁撈の慣行を支えた、海岸線や砂浜や河川三角州湿地帯や森林に覆われた河岸砂丘などともに形成されました。これは、農耕慣行が急速に優勢になったヨーロッパの他地域(例外はスカンジナビア半島北部とバルト海地域とヨーロッパ東部のタイガ)とは対照的です。ライン川・マース川下流域では、スウィフテルバント(紀元前五千年紀)およびハゼンドンク(紀元前4000~紀元前3500年頃)文化の湿地帯共同体が、水路と泥炭失言の優占する地域において高台(河岸砂丘や海岸砂丘や堤防決壊堆積物や河川堤防)に定住しました。こうした共同体はおもに狩猟や採集や漁撈に依存しましたが、農耕も行なっていました。紀元前3500年頃に、ヴラールディンゲン文化がスウィフテルバントおよびハゼンドンク伝統に続きながら、ほぼ同じ地域に依然として定住していました。同時期に、漏斗形杯文化(もしくはオランダではTRB)と関連する農耕民が、以前のり居住の証拠も、埋葬や集落の証拠も見つかっていない地域で、フリージアン=ドレンティアン高原北東部およびその周辺の砂質の高台に定住しました。スウィフテルバントとハゼンドンクとヴラールディンゲンの集落はすべて水流の近くに位置していましたが、TRB農耕民はおもに森林に覆われた砂質の高台とその周辺に定住し、それは南方のミヒェルスベルク共同体も同様でした。

 紀元前三千年紀までオランダ西部/中央部では、狩猟と採集と農耕の混合生計戦略が存続しており、この頃により集約的な農耕に基づく経済が、後期ヴラールディンゲン複合体および紀元前3000年頃の引掛け犂の導入と関連して出現しました。ライン川・マース川下流域へのCW(縄目文土器)の影響の広がりは、ヨーロッパの中央部および東部の多くの他地域ではより複雑でした。骨格資料の保存状態が悪く、古代DNAデータが利用できない傾向にある高台では、完全なCW一括は、CW古墳の建造や集落の一般的な欠如や疎らな土器出土に現れています。対照的に、沿岸の湿地帯やライン川・マース川三角州や他の低地帯では、CW関連土器はヴラールディンゲン集落の状況へと組み込まれましたが、特徴的なCW様式埋葬は取り入れられませんでした。

 紀元前2500年頃のBB複合体の到来が顕著な別の大きい文化的移行になったのは、集落が湿地帯と沿岸部全域に広がり、ヴラールディンゲン/CW集落を置換したからですが、一般的な同じ遺跡は使用されませんでした。BB経済は以前のCW経済と似ており、低強度の狩猟および採集と混合した、おもに農耕で構成されていました。砂質の高台では、墳丘儀式が継続しましたが、異なるBBの特徴および物質文化がCWの特徴一覧を置換しました。オランダ南部およびベルギーの砂質土壌上のBB古墳において明らかなように、BB集団はライン川の南側でも証明されています。BB集落はこの地域では依然として、CW集落と同様に分かりにくくなっています。しかし、後期新石器時代の耕地の存在から、集落の証拠の欠如は遊牧の結果ではなく、むしろ考古学者による検出の機会がほとんどない低地集落が存在した結果である、と示唆されます。

 考古遺伝学的データには、ライン川・マース川下流域における動的変化の性質に関する理解を深める可能性があります。紀元前8500~紀元前1700年頃の44個体から、100万ヶ所以上のSNPで溶液濃縮を用いて、ゲノム規模データが生成され、この地域の古代DNA記録の空白を埋める文化的背景が標本抽出されました(図1a・b)。115万常染色体標的の中核一式から網羅されたSNPの平均数は492551ヶ所で、平均網羅率は1.09倍です。刊行されている69個体[1、6、28、29、31]とともに、この時間横断区には112個体が含まれます。新たに分析された個体について、14点の新たな放射性炭素年代も報告されます。以下は本論文の図1です。
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●採食民祖先系統の後期の存続

 本論文は、すべての祖先系統が中石器時代WHGに由来する、中石器時代の新たな5個体を報告し、それはこの地域の中石器時代狩猟採集民の以前の遺伝学的結果[28]と一致します。PCAに基づくと(図1c)、ライン川・マース川下流域の新石器時代個体群はヨーロッパ中央部/西部新石器時代勾配に沿っていますが、ほとんどのヨーロッパの新石器時代農耕民よりもWHGのずっと近くに位置しています。これはWHG関連祖先系統が多かったことを示唆しており、それはqpAdmモデルを用いてのモデル化によって確証されました。スウィフテルバント文化と関連している最初期の新石器時代個体群(紀元前4400~紀元前3800年頃)は遺伝的に高度に不均一で、母親と娘(ニューウェハイン=ヘット・クルースター遺跡のI12093とI12094)は完全に狩猟採集民人口集団の子孫で、1個体(アンゲレン=カンプセパッド遺跡のI38442)は84%の狩猟採集民祖先系統、3個体(ニューウェハイン=ヘット・クルースター遺跡のI12091およびI17968とズーレン=デ・ベルダート遺跡のI33739)は60~63%の狩猟採集民祖先系統、4個体(スウィフテルバントS2遺跡のSWA001およびSWA002およびSWA004とズーレン=デ・ベルダート遺跡のI33738)は37~45%の狩猟採集民祖先系統と分かりました。

 これらの結果は、農耕経済の到来が一般的に在来のWHG祖先系統を30%未満に減少させた、ヨーロッパ中央部および西部の他地域の狩猟採集民と農耕民の混合の全体的なパターンとは異なっています。しかし、この結果はおそらく、農耕をライン川・マース川下流の湿地帯および流域の豊富な野生資源への継続的な中核的依存と組み合わせた、均一に限定的な経済的変容の観点では、より理解できます。高度なWHG祖先系統を有する在来集団の遺伝的混合はその後の約1500年間継続し、約40~50%のWHG祖先系統と約50~60%のEEF祖先系統の割合は安定していました。稀な例外に含まれるのがバルトルム島の中期新石器時代の1個体(BLR001)とブレッターヘーレ遺跡の1個体(I15651)で、両者は75%超の狩猟採集民祖先系統を有していました。この相対的に高い割合のWHG祖先系統がライン川・マース川下流域の湿地帯のみならず、さらにライン川およびマース川沿いと北部沿岸にも広がっていた事実は、この地域全体における人々の継続的な文化的関与の考古学的証拠と一致します。

 間接的に年代測定されたティール=メデル=デ・ロースカンプ遺跡の3個体は、高度なWHG祖先系統のこのパターンから逸れており、WHG祖先系統の割合は約20%で、おそらくはより低い割合のWHG関連祖先系統を有する近隣のヨーロッパ北西部からの新たな到来を表しています。この独特な遺伝的特性は、土器および石器技術における類似性と組み合わさって、南東部のビシュハイム集団などその地域における同時代の完全な新石器時代共同体に起源があることを示唆しています。このように、ティール=メデル=デ・ロースカンプ集落は祖先系統と物質文化の両方で地域的な外れ値を表しており、ライン川・マース川下流域は孤立しておらず、文化的障壁を横断する移動性と遭遇と相互作用によって特徴づけられる動的な辺境の一部だった、と浮き彫りになります。

 農耕が行なわれていたヨーロッパの中央部と南部と西部の他地域と比較して、ライン川・マース川下流域は人口集団規模での高い割合のWHG関連祖先系統(孤立した事例[33~35]とは対照的に)の、紀元前三千年紀半ばとなるBBへの移行までの長い存続の点で際立っていました(図2)。人口集団規模でのWHG祖先系統がそうした高い割合で青銅器時代の始まりまで存続した他の事例を特定するためには、高度なEEF祖先系統が重要な影響を及ぼさなかったバルト海沿岸の一部[9]や、完全なWHG祖先系統を有する狩猟採集民が紀元前三千年紀初期まで存続したスカンジナビア半島[10]に注目せねばなりません。以下は本論文の図2です。
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 ライン川・マース川下流域新石器時代集団の独特な祖先系統構成は、EEFとWHGの混合の年代推定値からも明らかで、他のヨーロッパ地域とは異なり、紀元前四千まで混合が継続しました。ティール=メデル=デ・ロースカンプ遺跡個体群は、より古い混合年代のこのパターンから逸れており、ライン川・マース川下流域外の近い過去の起源である可能性が高い、と再び浮き彫りになります。


●女性を介した初期農耕民祖先系統

 ライン川・マース川下流域新石器時代集団におけるEEF祖先系統の割合は、常染色体よりもX染色体の方で有意に高かった、と分かり、EEF祖先系統を有する女性からのより高い割合の祖先の寄与が示唆されます。ゲノムの2ヶ所の片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアと父系のY染色体)部分の分析によって、独立した確証が提供されます。前期および中期新石器時代の男性(密接な親族を除いた43個体)のうち、中期新石器時代狩猟採集民で一般的なY染色体系統のみが観察され、それはYHgのI2aとR1b1b(V88)とC1a2です。対照的に、母系継承のミトコンドリア系統はおもに、新石器時代農耕民起源(71個体のうち50個体、標本抽出されたヨーロッパの中石器時代個体群には存在しない系統に基づきます)です[4、6、9、10、28、35~37]。たとえば、EEF祖先系統を有する最古級の1個体は、スウィフテルバント文化と関連する女性で、年代は紀元前4342~紀元前4171年頃で(ニューウェハイン=ヘット・クルースター遺跡のI17968)で、常染色体では37%のEEF祖先系統しか有していませんが、農耕民関連のmtHg-H+152を有しています。先行研究[36]は、イベリア半島の新石器時代農耕民およびヨーロッパ北部のFBC農耕民における、同様の性別の偏った混合を報告しました。妥当な想定は、3ヶ所の地域【ライン川・マース川下流域とイベリア半島とヨーロッパ北部】すべてで、狩猟採集民共同体が、おそらくは農耕と関連する着想および技術の交換を媒介した、農耕民女性を組み込んだことです。新石器時代祖先系統の性別の偏った混合とのこの想定は、初期新石器時代ヨーロッパの他の一部地域で起きた過程である、侵入してきた農耕民と集団全体の移住による在来祖先系統のほぼ完全な置換との想定とは対照的です[38]。

 ライン川・マース川下流域の中期新石器時代人口集団は、過去十数世代で共通祖先を有している個体群のみで予測される、ゲノムの大きなIBD断片(12cM超)に反映されているように、遺伝的に高度に相互接続されていました。20cM超のいくつかの事例も見つかり、ブレッターヘーレやニーダーティーフェンバッハやアブリ・サンドロンなどの遺跡間や、ライン川・マース川下流域とヨーロッパ中央部およびフランス北部の近隣地域の遺跡間における、より密接な関係が示唆されます(図4a)。注目すべき事例は、現代のドイツ西部のブレッターヘーレ遺跡の1個体と、現代のフランス北部のモン・アイメー遺跡の、他の個体より多くの狩猟採集民祖先系統を示す明確な祖先系統外れ値でもある父親と娘の親子との間の関係(IBDでは約50cM)です。


●最小限の草原地帯DNAを有する集団で形成されたCW

 ヨーロッパの多くの地域では、CW複合体の出現は、草原地帯祖先系統を有する集団の到来に起因する、大規模な人口統計学的変化と関連しています。オランダ西部におけるヴラールディンゲン/CW状況の標本抽出された3個体における祖先系統の変化は、ずっと小さい者です。これらの個体はCW複合体の遺物とともに集落内に埋葬されていましたが、ヴラールディンゲン文化地域では全体的に存在しない、典型的なCWの単葬墓には埋葬されていませんでした。女性1個体(モーレンアールスグラーフ24A遺跡のI12896)には草原地帯関連祖先系統がまったくなく、代わりに、この地域の後期新石器時代農耕民と祖先系統を共有しています(図3)。しかし、ライン川三角州の北側に位置する、オプメール=ミエナッカー遺跡とシベカルスペル=オプ・デ・ヴェーケン遺跡の他の2個体(I12902とI33741)は、CW集団の主要クラスタ(まとまり)と関連する12~16%の祖先系統と、後期新石器時代ベルギーもしくはハゼンドンク遺跡個体と同様に高い割合の狩猟採集民祖先系統を有するライン川・マース川下流域新石器時代人口集団に由来する84~88%の祖先系統の混合としてモデル化できます。常染色体における低い割合の草原地帯祖先系統にも関わらず、オプメール=ミエナッカー遺跡の男性個体I12902のYHgは、ボヘミアの初期CW関連の1個体でも知られているR1b1a1b1a1a1(U106)です。さらに、個体I12902の年代は紀元前2852~紀元前2574年頃で、ボヘミアおよびバルト海地域以外のヨーロッパにおける最古級のCW複合体関連の年代の一つです。これらの結果から、このYHgをライン川・マース川下流域にもたらした男性祖先は初期のCW拡大の一部だった、と示唆されます。CBの以下は本論文の図3です。
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 3個体に限られているものの、ヴラールディンゲン/CW個体についてのIBD分析は、追加の2点の顕著な兆候を明らかにしました。第一に、近隣の遺跡で発掘された約11%のCW祖先系統を有する2個体には、約7親等の関係を表すIBDの一致があり、小さな共同体規模が示唆されます。第二に、そのIBDのつながりの地理的範囲は、以前の集団よりさらにずっと東方に広がっています。最も密接なつながりのうち、ヨーロッパ東部のサマラのヤムナヤ文化関連の1個体(ID: I6733)[41]と現在のポーランド(ID: pcw362)[42]およびエストニア(ID: NEO306)[43]のCW関連の1個体が見つかり、ヴラールディンゲン/CW個体群はこれらの個体と、数世代以上の存続の可能性はひじょうに低い、約19cM長のIBD断片を1ヶ所共有しています。他のライン川・マース川下流域後期新石器時代個体とのつながりも検出され、ヴラールディンゲン/CW個体群における主要な在来祖先系統構成要素の直接的証拠が提供されます。これらのパターンは祖先系統の二重起源を反映しており、それは、CW中央部/東部集団からの(およびヤムナヤ文化草原地帯牧畜民経由での)小さな構成要素(完全に男系だったかもしれません)と、在来新石器時代人口集団からの主要な構成要素です。本論文の個体群はCW関連集団と在来集団との間の混合の最初の世代を表していませんが、近隣のフランス北東部のパターンはこの相互作用の適切なモデルとして機能できるかもしれません。フランス北東部では、紀元前2500年頃に、CW関連個体群(前身装飾のCW様式杯とともに舞う相された近隣のCBV95[44]を含みます)は、在来女性との間に子供を儲けました。その息子は同様に、ヴラールディンゲン/CWの個体I12902およびI33741で見られるのと同等の水準へと、草原地帯祖先系統を急速に減少させました。


●鐘形杯使用者の在来集団との混合

 紀元前2500年頃以後のライン川・マース川下流域三角州におけるBB複合体の出現とともに、以前のヴラールディンゲン/CW個体群と比較して、遺伝的祖先系統における強い差異が見られます。利用可能なBB関連の全13個体はPCAでは遺伝的に、ヨーロッパ東部のCW関連集団と近いようですが、先行するヴラールディンゲン/CW個体群とは近くないようです。この13個体はヨーロッパ東部CW関連個体群の主要クラスタからの約82%の祖先系統(図3)と、最小水準の狩猟採集民祖先系統を有するライン川・マース川下流域の新石器時代人口集団を表している、ヴァールブルク文化の新石器時代関連集団からの残りの祖先系統か、ライン川・マース川下流域外の中期および後期新石器時代集団(たとえば、ポーランドの両取って付き壺文化、チェコのTRB、ドイツのバールベルゲ文化、イベリア半島の新石器時代~銅器時代)とベルギーの後期新石器時代人口集団との間の混合としてモデル化できます。これらの想定はすべて、ライン川・マース川下流域におけるBB複合体の到来と関連する約82~87%(ただし、100%ではありません)の祖先系統の変化を示しています。

 在来農耕民の寄与は、狩猟採集民祖先系統の独特な痕跡とともに、ライン川・マース川下流域三角州のBB関連個体群の形成のモデル化に不可欠です。13~18%でさえ、この局所的混合が起きたことを確信でき、この独特なライン川・マース川下流域農耕民の遺伝的寄与を欠いているモデルは、強い統計的有意性で却下されます。これが示唆するのは、CW文化関連集団と、ライン川・マース川下流域BBの遺伝的特性を形成したヨーロッパ農耕民との間で観察された混合が、少なくとも一部では、その地域自体で起きたに違いないことです。これらの遺伝学的結果の文脈では、放射性炭素年代から、ライン川・マース川下流域はBBの文化的現象が生じた最古級の場所の一つだった、と示唆されることは注目に値します。BB物質文化の最古級の出現はイベリア半島に位置づけられてきましたが、本論文の結果から、文化的のみならず遺伝的にもCW使用者に影響を受けたBB関連集団の最初期の形成は、ライン川・マース川下流域を含めてヨーロッパ西部で起きたかもしれない、と示されます。

 分析されたヴラールディンゲン/CW人口集団とBB人口集団との間にはおそらく数世紀あるので、遺伝的祖先系統における劇的な変化は、突然の変化ではなくより漸進的な過程だったかもしれない可能性を考慮せねばなりません。しかし、本論文の時間横断区における以前の祖先系統変化と比較して異なる点は、今回は両性が含まれていたことです。BB男性では、全員がYHg-R1b1a1b1a1a(L151)で、このYHgは、ヨーロッパ中央部のチェコの初期CW関連個体群を除いて、これ以前の新石器時代ヨーロッパ人口集団には存在しませんでした[7]。オオストワウド=トゥイトホールン遺跡とオオストワウド=トゥイトホールン遺跡の利用可能なBB関連9個体は全員、ヨーロッパ全域のBB集団で主要な系統である、派生的なYHg-R1b1a1b1a1a(L151)およびR1b1a1b1a1a2(P312)に属していました[6]。YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の3個体はさらに下位系統のYHg-R1b1a1b1a1a2e(DF19)に分類でき、これはYHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の少ない下位系統で、現在ではヨーロッパ中央部/北部人口集団におもに存在します。

 モーレンアールスグラーフ遺跡では、YHg-R1b1a1b1a1a(L151)の下位系統を決定するのに充分な解像度のある唯一の男性個体(I13025)は下位系統YHg-R1b1a1b1a1a(L151)に属しており、これは上述のオプメール=ミエナッカー遺跡のヴラールディンゲン/CW関連の男性1個体と一致し、ライン川・マース川下流域におけるヴラールディンゲン/CWとBB両方の男性における父系祖先系統の同様のCW関連起源が示唆されます。これは、たとえ低地との限られた局所的連続性があったとしても、この地域へのCW土器の到来と関連していた同じ男系(ヴラールディンゲン/CW状況)が、少なくとも部分的にその後のBBの出現と関連していた、との仮説と一致しているかもしれません。これが示唆するのは、ライン川・マース川下流域におけるBB関連人口集団はこの地域への「古典的」CW関連集団の継続的流入から出現し(骨格が保存されていないものの、古典的CW埋葬が存在する、東方の高台で記録されている事例など)、高い割合の狩猟採集民祖先系統を有していた、在来のヴラールディンゲンもしくは他のライン川・マース川下流域新石器時代人口集団と混合しました。

 BB期における外部地域からの大規模な流入のさらなる証拠はIBD網の調査に由来し、この時点以後、IBD網はヴラールディンゲン/CW期と比較して、東方および北東へとさらに数千キロメートル広がりました(図4b)。これらはボヘミアのCWおよびBB関連個体群との強いつながりや、イングランドおよびスコットランドの遠方の前期青銅器時代の親族の証拠を示し、北海の対岸に位置するこれらの集団間で共有されている起源に関する調査結果を裏づけます[6]。BB層準は本論文の時間横断区では、ライン川・マース川下流域の人々がずっと広範なヨーロッパのIBD網に徹底的に統合されるようになった最初の期間で、これは以前のより地域的なパターンとは対照的ですが、同位体研究から明らかになった、高水準の移動性についての別の示唆もあります。以下は本論文の図4です。
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 この顕著な人口統計学的変化期の後に、ライン川・マース川下流域の前期青銅器時代個体群はBBの先駆者と同様の祖先系統を有しており(図1cおよび図3)、約3%は追加の新石器時代関連祖先系統で、近隣人口集団との小規模な混合を反映しているかもしれません。BB期から中期青銅器時代までの局所的連続性は、前期青銅器時代個体群をそれ以前のBB個体群およびその後の中期青銅器時代個体群の両方と結びつける豊富な家族のつながりにも反映されており、6親等程度の関係で予測されるような、最大で100cMのIBDの組み合わせがあります。


●ライン川・マース川下流域からブリテン島への拡大

 本論文はライン川・マース川下流域を、最初のイベリア半島への拡大よりも大きな人口統計学的影響を及ぼしたBB使用者の、二次的拡大の起源地の可能性が高い、と特定します。これを証明するために、ブリテン島におけるBB使用者の到来に関する遺伝学的証拠を再調査する、統計的モデル化枠組みが用いられました。先行研究はY染色体データに基づいて、ライン川・マース川下流域におけるブリテン島のBB関連集団の起源を提案し[7]、少なくとも約90%の祖先系統の変化を示しましたが、どのEEF祖先系統がブリテン島自体もしくは他地域から到来したのか、モデルを区別できませんでした。本論文は、主要な均質クラスタから大ブリテン島のBB関連28個体を分析し、ライン川・マース川三角州BB個体群について、同じ結果を得ました。両者は、高水準の狩猟採集民祖先系統を有するライン川・マース川下流域新石器時代人口集団からの約12~19%の祖先系統に加えて、主要なCW遺伝的クラスタからの祖先系統を必要とします(図3)。これは、ブリテン島新石器時代農耕民からの寄与が全くなかったことと一致します。

 しかし、主要クラスタより低い割合の草原地帯祖先系統を有する、高位の「エイムズベリーの射手(Amesbury Archer)」を含めてブリテン島のBB関連4個体の外れ値部分集合では、CW複合体関連集団とライン川・マース川下流域農耕民を対象とするモデルは、低い適合度を提供します。これら外れ値の一部は在来のブリテン島の新石器時代人口集団に由来するかもしれない、との可能性を除外できませんが、同位体の遺伝的痕跡がアルプス起源を示唆するエイムズベリーの射手についての示唆など、ブリテン島への別の移住の流れに由来する可能性もあります。ブリテン島における祖先系統の割合が安定した前期青銅器時代までに、約92%のライン川・マース川下流域祖先系統と最大で約8%ではあるものの、恐らくはほぼ0%の在来のブリテン島新石器時代祖先系統が推定され、ブリテン島におけるBBへの移行と関連する人口統計学的移行の規模について新たな情報が提供されます。


●考察

 本論文の注目される調査結果は、狩猟採集民遺伝的祖先系統の割合の長期の存続が、以前に報告されたライン川流域ブレッターヘーレ洞窟[1]およびヴァールブルク文化[29]に限られていたわけではなく、オランダの中核湿地帯およびマース川の内陸部地域でも見られたことです。考古学的証拠の文脈では、これはライン川・マース川下流域全体における、紀元前三千年紀まで存続した、二つの異なるものの絡み合った新石器時代圏の共存を示唆しています。これらのうち一方は湿地帯中核のみならず、水路を通じてつながって、水を中心に共同体を構成しており、半農耕生活様式を行なっていました。これらの共同体にとって水のつながりが中心的で、水路沿いに暮らす人々とのつながりは、物理的により近い隣人とのつながりより重要なことが多くありました。水路周辺では、他の文化圏が本格的な農耕共同体を構成しており、そうした共同体は肥沃な黄土層を選好し、集落と住居と物質文化と埋葬の文化的に固有の伝統を維持しました。これは、より地理的に限られた状況ではあるものの、先行研究によって提案された「辺境移動性」を裏づけます。これらの共同体は着想を交換し、女性がEEF祖先系統とおそらくはより多く狩猟採集を行なっていた共同体において技術的知識も導入しましたが、その独特な文化は数千年にわたって存続しました。

 WHG祖先系統の顕著に高い割合が、最古級の新石器時代のスウィフテルバント共同体からCW複合体の導入期まで観察されました。CW土器はライン川・マース川三角州に存在しますが、この文化の他の側面は、とくに特徴的な埋葬儀式において欠けています。これは、限られた人口流入および以前に確立した集団の遺伝的祖先系統の高度な保持と一致します。

 BB複合体関連共同体は、遺伝的祖先系統における顕著な変化を示すので、以前に確証されたパターンとの変化の証拠を有しています。これは、CW関連祖先系統を有する、両性の新たに侵入してきた人々によってもたらされました。在来のライン川・マース川下流域三角州人口集団との混合が起きましたが、13~18%に限られていました。本論文の横断区における放射性炭素年代測定された個体の不確実性のため、分析されたヴラールディンゲン/CW関連個体群とBB関連の13個体との間の、わずかにより大きな時間的空白の可能性を考慮しなければなりません。したがって、CW関連の遺伝的特性とライン川・マース川下流域の新石器時代の遺伝的特性を有する人々がともに到来した時間経緯と正確な場所は、依然として不明です。しかし、標本抽出された3ヶ所のBB関連の遺跡内の祖先系統の均一性から、この混合はその時点(紀元前2400~紀元前1900年頃)までにほぼ起きていた、と示されます。

 杯使用者の拡大の時期までに、ライン川・マース川下流域において大規模に人口統計学的変化があった証拠は、杯使用者が同じ頃に広がった、ブリテン島からの証拠に照らすと重要です。杯使用者が痩躯ヴしたブリテン島の新石器時代人口集団は火葬を行なっていたので、古代DNA解析の可能な標本が得られず、急激な人口変化があったのか、あるいは長い共存期間があったのかどうか、不明でした。ライン川・マース川下流域でこの問題がないのは、火葬は以前集団では稀にしか行なわれていなかったからですが、遺伝的置換はブリテン島のように同様に顕著だったようで、局所的なBB埋葬の大半は、在来のブリテン島新石器時代祖先系統を有しておらず、前期青銅器時代までの在来のブリテン島新石器時代人口集団の寄与は9%以下であることと一致します。何がこの大規模な移動を引き起こしたのか、分かりませんが、ライン川・マース川下流域とブリテン島の両方で、在来人口集団の遺伝的遺産が比較的急速に崩壊したことは明らかです。

 文化的断絶の証拠にも関わらず、ライン川・マース川下流域とブリテン島の両方で、在来の文化的伝統および知識は、紀元前2450~紀元前2200年頃のしばらくの間、そのまま維持されていました。イギリスの考古学者が強調しているのは、連続性がストーンヘンジやエーヴベリーやウッドヘンジやシルベリー・ヒルのような後期新石器時代個体の記念碑の建造と使用で見られ、文化的に大きな変化は紀元前23世紀にやって起きたことです。同様に、ライン川・マース川下流域では、BB集団は同じ地域を使用しましたが、ヴラールディンゲン/CWの先駆者と正確に同じ集落跡ではありませんでした。BB集団は、河川流域や堤防決壊堆積物の上や河川沿いの砂丘に、狩猟と農耕の混合経済を明確に志向した方法で、定住し続けました。これは、異なる遺伝的祖先系統を有する新参者が他地域の同様の景観から到来したか、この固有の景観に対処する方法を学ぶために、在来共同体と密接に接触していたことを示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


進化学:ライン川–マース川下流の狩猟採集民祖先系統の存続が鐘状ビーカー文化の拡大を形作った

進化学:鐘状ビーカー文化の拡大に寄与した集団の特徴

 今回、ライン川–マース川下流では、農耕が到来した後も広範な地域で狩猟採集民祖先系統が長い間存続し、こうした状況が、この地域における鐘状ビーカー文化の拡大に関与した可能性があることが明らかになった。



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