若宮總『イランの地下世界』

 角川新書の一冊として、KADOKAWAから2024年5月に刊行されました。電子書籍での購入です。以下、敬称は省略します。著者名は実名ではなく筆名とのことで、これは、イランに関する機微に触れる情報を明かしているため、長年イランで暮らしてきた著者が、イラン政府から入国を許可されなくなる懸念があるからです。今年(2026年)1月3日に、『イラン現代史』を当ブログで取り上げました(関連記事)。Twitterでブログ更新の通知を投稿したさいに、「情勢緊迫が伝えられるイランの現状理解に資すると思います」と述べましたが、その後のイラン情勢の激変を目の当たりにして、イランの一般層が現在の体制をどう考えているのか、より詳しく知りたいと思い、本書を読みました。

 『イラン現代史』を当ブログで取り上げて以降、イランで大規模な抗議運動が起きたものの、政権側がほぼ弾圧に成功したようで、イランでの体制転換はやはり難しいのかな、と思っていたところに、イスラエルとアメリカ合衆国が空爆でのイラン攻撃を始めて、イランの最高指導者であるが殺害され、その他にも多数のイラン指導者が殺害されて、の息子が最高指導者に選出された、とイラン政府は発表しましたが、最高指導者就任後には公的には姿を見せておらず、重傷を負っているのではないかとか、すでに死亡したのではないかとか、憶測が飛び交っています。

 イスラエルとアメリカ合衆国から攻撃を受けたイランが、ホルムズ海峡の封鎖に乗り出し、もちろん日本も含めて世界経済が大打撃を受けそうな中で、日本でもイラン現状への関心が高まっているでしょう。本書のイラン情報はほぼ2023年頃までとなりますが、今でもイラン国民の根本的な世界観や生活についてはほぼ通用するのではないか、と思います。その意味で本書は、私のようなイランに詳しくない日本人の一般層がイランの現状を理解するために、『イラン現代史』とともに強く推薦すべき日本語の本と考えています。

 『イラン現代史』でも、親米的で西洋化が進んだパフラヴィー朝と、反米的で厳格なイスラム教社会のイスラム革命後のイランというように、イラン社会を一元化して把握しないよう、注意を促していますが、この視点は本書でも根幹になっています。本書はイラン国民の多様性を浮き彫りにしており、それはイスラム教への姿勢にも当てはまります。これはイランに関する日本語の報道に接しているだけでもある程度は推測できますが、長年イランで暮らしてきた著者の証言は、イランに関する知見の乏しい私にとって、新鮮なところが多々ありました。

 私は、イラン国民の多様性についてある程度は理解しているつもりでしたが、それでも、偏見が根強くあることを、本書を読んで改めて思い知らされました。イランにおいて、ベールを着用しているからといって、政府や現体制支持の国民からの圧力を考えると、敬虔なイスラム教徒とは限らない、とは思っていましたが、逆に、ベール着用を拒否しても、強い信仰心を持ち続けている女性も少なからずいるようです。さらに、ベール着用の動機が信仰心ではなく出世の手段になってしまっている女性もおり、人々から警戒されているそうです。

 そうした女性の一人は、イスラム宣伝局の職員で、バシージ(民兵)の構成員でもありますが、自宅では著者の前でスカーフすら着用せず、ホメイニーやハーメネイーを罵倒し、酒の売買も斡旋できる人脈がありました。今年2月末に始まったイスラエルとアメリカ合衆国によるイラン攻撃で最高指導者だったハーメネイーが殺害されたことについて、イラン政府にイスラエルやアメリカ合衆国への内通者がいるのだろう、と多くの人が考えたでしょうが、本書を読むと、内通者候補は多数おり、イラン政府も全員を把握することはとてもできないだろう、と了解されます。ただ、国民全体では少数派のそうした人々の大半は、信仰心や本心では現体制への忠誠心が低くても、生活のため政府の方針に忠実に国民を弾圧し、政府を支えているようです。イスラム教への信仰心が弱く、国民全体では少数派としても、体制側は武力を有しており、体制に不満な人々は一枚岩ではないので、イランのイスラム体制の打倒は難しいのではないか、とも思います。

 本書は、現在のイラン国民では、体制に不満を抱き、イスラム教への信仰心も弱い人が最も多いのではないか、と推測しています。イランの政教一致体制への不満は、小学生が述べることさえあるそうです。イラン国民が考える政教一致の主要な問題点は、一つには宗教の専門家(イスラム法学者)が「特権」を手に入れ、政治的独裁につながることです。政教一致体制では、弾圧が神の名によって正当化されます。もう一つは、弾圧が神の名によって正当化されることで、政治不信が宗教にも向けられ、宗教が弱体化することです。この2点が現在イランでは現実になっている、と本書は指摘します。とくにイランの若い世代で、イスラム教離れが進行しているそうです。さらに、イスラム教には内面軽視の傾向がある、と指摘する若い世代もいるそうです。こうしたイスラム教離れの中で、棄教に留まらず、改宗した人もいますが、イランにおいてイスラム教徒の棄教や改宗は死刑も覚悟せねばならないので、イスラム教からキリスト教へと回収しても、「隠れキリシタン」にならざるを得ません。こうしたイスラム教離れの傾向の中で、古代ペルシア帝国への憧憬が高まっているそうです。こうした動向の中で、アラブ人嫌悪の風潮が高まっているようです。

 現在の少なからぬイラン国民がイスラム教を厳格に信仰しているわけではないことは、飲食など個人生活の面でも見られます。たとえば、豚肉はアルメニア正教徒やゾロアスター教徒など、少数派の宗教の信者の店で入手できます。ただ、イスラム教徒でなくとも、豚肉を扱っている、と当局に知られると処罰されるので、「いつもの」といった隠語が使われているそうです。恋愛では、イランは同性愛が違法とされ、死刑もあり、国民の差別意識は日本以上のようですが、同性愛者の集まる場所もあるそうです。イランでは薬物汚染が日本以上に進行しており、アヘンの上客がイスラム法学者であることは、イランではよく知られているようです。こうした薬物汚染を、警察三半ば黙認しているそうです。飲酒もイランでは禁止されていますが、大都市ではほとんどの人が酒を飲んでいるようです。

 このようにイランでは、現在のイスラム体制に従順ではない国民が多く、それは王政復古論につながっているそうです。ただ、王政復古論者から支持されているのは、パフラヴィー朝第2代国王(シャー)のモハマンド=レザーではなく、王妃のファラ・パフラヴィーと、初代国王のレザー・ハーンです。こうした王政復古論は現体制への不満から生じていますが、それが、イスラム革命は欧米諸国が企んだ、との陰謀論にもつながっているそうです。つまり、かつてホメイニーを支持し、イスラム体制が成立したことをイラン国民は後悔しているものの、自分の責任を認めたくないので、他責的になっているわけです。この文脈での「反米」は、イランの現体制が主張するような意味ではなく、裏でイスラム体制と通じている(と一部のイラン国民が信じているわけですが)ことへの根深い不信感ですが、一方で、イラン国民の間でアメリカ合衆国への憧憬も根強くあるようで、これは私も20世紀末に聞いたことがあります。

 近年、イランと関係を深めていると言われる中国とロシアに対しても、イスラム体制を支えていることから、多くのイラン国民の印象はひじょうに悪いようです。このように、イラン現体制の公的な喧伝と多くのイラン国民の感情との間には乖離があり、2023年秋以降にイスラエルがガザへの侵攻を本格化すると、若者を中心に多くのイラン国民がイスラエルを支持したそうです。これには、治安部隊がイラン人だと、国民への徹底的弾圧を躊躇うので、イランでは少数民族であるアラブ人を現体制が治安部隊に起用していることで、イラン人のアラブ人への感情はさらに悪化したようです。

 では、欧米も中露もアラブ人など近隣地域も嫌いなイラン人が好きな国はどこかというと、本書は日本を挙げています。イラン人は付き合いが深かった国を嫌うので、その点で日本は欧米や中露や中東諸国よりもイラン人に好感を持たれやすいわけですが、それだけではなく、経済成長や文化で日本に親しみを抱くイラン人が多いようで、若い世代では日本のアニメが人気とのことです。「親日国」といった表現は、日本では「左派」や「リベラル」から冷笑されてきたように思いますが、最近の緊迫したイラン情勢では、「左派」や「リベラル」がイランは「親日国」と(反米的な文脈で)主張し、「反左派」や「反リベラル」がイランは「親日国」ではない、と反論することが目立つように思います。確かに、イランの現体制が「親日的」とは言い難いように思いますが、国民感情では「親日的」であることは、否定できないのかもしれません。

 本書はイランの「国民性」についても論じており、イラン社会が一見すると親切でありながら、嫉妬と欲望と陰謀の渦巻く人間関係で、多くの人が他人より優位に立ちたがり、自分が有意な立場では独裁者のように振舞うことを指摘します。本書のこの観察がかなり妥当なのだとしたら、現在のイランの体制を倒したところで、また似たような抑圧的体制が形成される可能性は高そうです。本書も、イランの独裁的というか抑圧的な現体制が、突然出現したのではなく、内的要因で存続していることを指摘します。本書はこれを、「独裁への甘え」と表現しています。本書について、イランの政治や経済などの専門家から批判はあるかもしれませんが、本書はイランの「現実」をかなり的確に浮き彫りにできているのではないか、と思います。

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