ユーラシア西部のイヌの進化史
後期更新世~初期完新世のユーラシア西部のイヌのゲノムデータを報告した研究(Marsh et al., 2026)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、ユーラシア西部の後期更新世~初期完新世のイヌの新たなゲノムデータを報告し、遺伝的に均一なイヌ個体群が遅くとも14300年前頃のヨーロッパとアナトリア半島に広く分布していたことを示しています。これは、イヌが遺伝的および文化的に異なるユーラシア西部の上部旧石器時代人類集団間で交換されていたことを示唆しています。また、中石器時代にはユーラシア東部のイヌ的な遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)がユーラシア西部に大規模に流入し、これはヨーロッパへの東方からの狩猟採集民との移動と同時期となります。
以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、K(系統構成要素数)、C(carbon、炭素)、N(nitrogen、窒素)、Glx-Phe(glutamine-phenylalanin、グルタミン酸-フェニルアラニン)、LGM(Last Glacial Maximum、最終氷期極大期)、NHGRI(National Human Genome Research Institute、国立ヒトゲノム研究所)です。本論文で取り上げられる主要な生物は、イヌ(Canis lupus familiaris、略してD)、ハイイロオオカミ(Canis lupu、略してW)、コヨーテ(Canis latrans)、オーロックス(Bos primigenius)、ウシ(Bos taurus)、イノシシ(Sus scrofa)、ブタ(Sus domesticus、Sus scrofa domesticus)です。本論文で取り上げられる主要な文化は、マグダレニアン(Magdalenian、マドレーヌ文化)、続グラヴェティアン(Epigravettian、続グラヴェット文化)、フェダーメッサー(Federmesser)文化、縄目文土器文化(Corded Ware culture、略してCWC)、ヤムナヤ(Yamnaya)文化、です。
本論文で取り上げられる主要な遺跡や地名は以下の通りです。イギリスでは、ゴフの洞窟(Gough’s Cave)、ケンドリックの洞窟(Kendrick’s Cave)。アイルランドでは、パークナビッニア(Parknabinnia)遺跡。スペインではエラッラ(Errala)遺跡、エル・ミロン洞窟(El Mirón Cave)。フランスでは、レ・モラン(Le Morin)遺跡。ルギーでは、ゴイエ(Goyet)。スイスでは、ケスラーロッホ(Kesslerloch)遺跡。イタリアでは、コンティネンツァ洞窟(Grotta Continenza)、パグリッチ洞窟(Grotta Paglicci)、ベルヴェルデ・ディ・チェトーナ(Belverde Di Cetona)。ドイツでは、ボン・オーバーカッセル(Bonn–Oberkassel)遺跡。チェコでは、プシェドモスティ(Předmostí)遺跡。セルビアでは、パディナ(Padina)遺跡、フラサク(Vlasac)遺跡、鉄門(Iron Gates)遺跡、プロチニク(Pločnik)遺跡。リトアニアでは、ヴィリニュス城(Vilnius Castle)。トルコでは、ピナルバシュ(Pınarbaşı)遺跡、マルマラ(Marmara)。イスラエルでは、アシュケロン(Ashkelon)、テレヘライツ(Tel Hreiz)遺跡。イランでは、ウェズメー(Wezmeh)遺跡、テペ・ゲラ・ギャプ(Tepe Ghela Gap)遺跡。ロシア西部では、ヴェレティエ(Veretye)、エリゼーヴィッチ1(Eliseevichi-I)遺跡。シベリアでは、アルタイ山脈のラズボイニクヤ洞窟(Razboinichya Cave)、ジョホフ(Zhokhov)島。カザフスタンでは、ボタイ(Botai)遺跡。
●要約
考古学的証拠から、イヌは15000年以上前の旧石器時代にオオカミから分岐した、と示唆されています[1]。しかし、最古級の明確な遺伝学的証拠は、19000年前頃の中石器時代の考古学的状況のイヌ遺骸と関連づけられています[8]。本研究は、トルコのピナルバシュ遺跡(15800年前頃)やイギリスのゴフの洞窟(14300年前頃)のイヌ科遺骸や、セルビアの中石器時代の2ヶ所の遺跡(11500~7900年前頃のパディナ遺跡と8900年前頃のフラサク遺跡)のイヌから、核とミトコンドリア両方のゲノムを生成します。分析の結果、遺伝的に均一なイヌ個体群が上部旧石器時代後期(少なくとも14300年前頃)のヨーロッパおよびアナトリア半島全域に広く分布していた、と示唆されます。この知見から、イヌは遺伝的および文化的に異なるユーラシア西部の後期旧石器時代のヒト集団、つまりマドレーヌ文化や続グラヴェット文化やアナトリア半島の狩猟採集民の間で交換されていた、と示唆されます。最後に、中石器時代におけるユーラシア東部のイヌ祖先系統の大規模な流入が特定され、これはヨーロッパへの東方狩猟採集民集団の移動と同時期で、これが現在のヨーロッパのイヌ個体群を定義する、主要な祖先系統の特徴の確立につながりました。
●研究史
分子および形態学両方の手法の適用にも関わらず、イヌの家畜化の時間的および地理的起源は依然として不明です。以前の推定値の範囲は135000~15000年前頃までとなり、これは、遺伝学に基づく年代測定手法と関連する大きな不確実性、および形態に基づいてイヌとオオカミの骨格遺骸を区別難しさの、両方を反映しています。これは家畜化の最古級の段階にとくに当てはまり、その段階では、検出可能な系統を定義する特徴がなかったかもしれません。
考古学的なイヌ科遺骸の形態学的分析では、イヌは上部旧石器時代のユーラシア全域に存在した(35000~15000年前頃)、と示唆されてきました[1]。旧石器時代の状況でイヌとオオカミを暫定的に区別するために、安定食性同位体(δ¹³C、δ¹⁵N)も使用されてきました。しかし、ゲノムデータの裏づけなしでは、これらの遺骸をイヌと決定的に同定することは困難でした。たとえば、ヨーロッパ(たとえば、較正年代で、ベルギーのゴイエの34000年前頃[1]、チェコのプシェドモスティの28500年前頃)やロシア(たとえば較正年代で、33000年前頃のアルタイ山脈のラズボイニクヤ洞窟、17600年前頃のロシア西部のエリゼーヴィッチ洞窟)の上部旧石器時代の遺骸が、形態学的手法を用いて初期のイヌと当初は同定されましたが、これらの個体から生成された核ゲノムは、こうした個体が今では絶滅したオオカミ個体群に属していたことを示しました[22]。核の遺伝的データに基づく最古級のの確実なイヌは、中石器時代のヴェレティエ遺跡(ロシアのカレリア)で同定されており、その較正年代は10900年前頃です[8]。
旧石器時代のイヌはまだ明確に同定されていませんが、いくつかの候補が提唱されてきました。たとえば、上部旧石器時代のボン・オーバーカッセル遺跡(ドイツ)の較正年代で14300年前頃のイヌ科の下顎はイヌ的な形態を示し、ヒトの二重埋葬とともに埋葬されており、長期間のヒトの世話がなければ致命的だったと思われる症状を示しています。形態学か生体分子どちらか若しくはその両方の分析に基づく旧石器時代のイヌとの主張も、ケスラーロッホ遺跡(スイス)やエラッラ遺跡(スペイン)[26]やパグリッチ洞窟(イタリア)やレ・モラン(フランス)の資料でもなされてきました。初期のイヌの他の候補には、トルコのアナトリア高原中央部のピナルバシュ遺跡のイヌ科の仔の埋葬かもしれない痕跡や、イギリスのゴフの洞窟における上部旧石器後期のマドレーヌ文化層準(較正年代で15100~14200年前頃)のイヌ科遺骸が含まれます。この両遺跡の遺骸は、ヒト遺骸とよく似ている死後の扱いを示しています。
本研究では、イヌが旧石器時代のユーラシア西部に存在した、との仮説を検証するために、ゴフの洞窟(イギリス、2点)とピナルバシュ(トルコ、1点)とウェズメー洞窟(イラン、2点)の旧石器時代と推定される堆積物で発掘されたイヌ科遺骸から、直接的に年代測定され、核ゲノムデータが生成されました。セルビアの中石器時代状況(パディナ遺跡で2点、フラサク遺跡で1点)から形態計測的に同定されたイヌからも、低網羅率のゲノムデータが生成されました(図1a・b)。これらのデータは、以前に刊行された過去10万年間にわたる古代のイヌ(68点)およびオオカミ(71点)のゲノムや、276点の現代のイヌとオオカミと外群イヌ科のゲノムとともに分析されました(これらはNHGRIイヌゲノム計画データベースに含まれる1700点のゲノムの代表的な部分集合です)。以下は本論文の図1です。
さらに、低網羅率の配列決定データ(0.001倍未満)が生成され、溶液内捕獲を用いて、ピナルバシュ(3点)とパディナ(2点)とフラサク(1点)とコンティネンツァ洞窟(イタリア、1点)のイヌ科遺骸から高網羅率のミトコンドリアゲノム(中央値の深度は15.7倍、5.0~72.3倍)が得られました。最後に、イヌ科遺骸に由来する食性同位体が旧石器時代のヒトとどの程度重なっていたのか、評価するために、ゴフの洞窟のヒトおよびイヌ科遺骸の個体のコラーゲンのアミノ酸炭素(δ¹³C)と窒素(δ¹⁵N)の化合物特異的安定同位体分析が実行されました。
●イヌは旧石器時代に広く分布していました
これら新たに配列決定されたイヌ科が遺伝的に現代および古代のイヌもしくはオオカミとより近かったのかどうか、判断するために、まず核ゲノムデータに基づいてPCAと教師無ADMIXTURE(K=2、イヌとオオカミを区別します)分析が実行されました。新たに配列決定された8個体のうち、6個体は現代および古代のイヌとクラスタ化し(まとまり)、これには、較正年代で15800年前頃のピナルバシュ個体(網羅率は1.3倍、較正年代で15915~15669年前頃)、ゴフの洞窟の較正年代で14300年前頃の個体(網羅率は1.7倍、較正年代で14793~14090年前頃)、セルビアの中石器時代の3個体すべて(パディナ個体は網羅率が0.1倍と0.2倍、フラサク個体は網羅率が0.1倍、較正年代で11500~7900年前頃)、イランのウェズメー洞窟の較正年代で1532年前頃の個体(網羅率は0.1倍、較正年代で1574~1419年前頃)が含まれます。
ゴフの洞窟の同じ層から較正年代で14300年前頃のオオカミ(網羅率は0.2倍、較正年代で14808~14091年前頃)と、イランのウェズメー洞窟の較正年代で2700年前頃のオオカミ(網羅率は3.0倍、較正年代で2745~2542年前頃)も同定されました。ウェズメー洞窟のイヌ科の層序年代推定値と直接的な年代推定値との間の不一致は、旧石器時代層準の最近の人為的攪乱を反映しています。すべての分類学的分類は、超低網羅率の配列決定を考慮して、イヌとオオカミを区別するパイプラインを用いて生成された割り当てと一致しました。選別データ(ライブラリ1点あたり数百万ヶ所の読み取り)を用いて、このパイプラインから、これらの遺跡でイヌ13個体とオオカミ2個体や、コンティネンツァ洞窟の旧石器時代遺跡でオオカミ1個体がさらに同定されました。
ゴフの洞窟とピナルバシュのイヌの決定的な核ゲノムに基づく同定によって、他の旧石器時代のイヌ科の位置づけを評価するために、たらいに生成されたmtDNAデータおよび刊行されている利用可能なmtDNAデータの評価が可能となりました。イヌのmtDNAは、単系統の5ハプログループに区分でき(A~DとD)、それぞれが絶滅および現存のオオカミ系統の姉妹群です(図1d)。mtDNAが以前に生成された、旧石器時代ヨーロッパのイヌと推定される遺骸のほとんどは、以前の分析においてmtHg-Cのイヌの多様性のすぐ外側で分岐しています[35]。現代および古代のイヌの多様性外となるものの、オオカミよりもイヌに近いこの系統発生的位置づけのため、家畜化の状態の評価は困難でした。
すべての既知のイヌのmtHgを表す220個体のミトコンドリアゲノム(イヌ202個体とオオカミ17個体が含まれます)と、外群としてコヨーテを用いて、最尤系統樹が構築されました(図1d)。ゴフの洞窟およびピナルバシュ遺跡のイヌは他の旧石器時代ヨーロッパのイヌと推定される個体とともにクラスタ化し(まとまり)、これはイヌのmtHg-Cの姉妹群で、本論文ではmtHg-C5と命名されます。このクレード(単系統群)には、ドイツ(ボン・オーバーカッセル遺跡、較正年代で14805~14088年前頃)やスイス(ケスラーロッホ遺跡、較正年代で14318~14039年前頃)やイタリア(パグリッチ洞窟、較正年代で14310~13859年前頃)の続グラヴェット文化遺跡のイヌ科が含まれています。コンティネンツァ洞窟のオオカミは、mtHg-C5を含むすべてのmtHg-Cのイヌの多様性と姉妹系統を形成します。
イヌ固有のミトコンドリア単系統群内のボン・オーバーカッセル遺跡とケスラーロッホ遺跡とパグリッチ洞窟の個体の位置づけから、これらの個体もイヌ核祖先系統を有している、と示唆されます。したがってイヌの核祖先系統とmtDNAのC5単系統群との間の関連から、イヌは上部旧石器時代後期においてユーラシア全域に広く分布していた、と示唆されます。
●遺伝的に類似している旧石器時代のイヌ
上部旧石器時代後期のイヌ間の類似性の程度を評価するために、まずベイズ時間較正mtDNA系統発生が推定されました。ゴフの洞窟およびピナルバシュ個体群の最新共通祖先までの推定時間は、16900年前頃(95%最高自己密度で18569~15860年前)で、これはピナルバシュ遺跡のイヌの死から3000年以内です。さらに、常染色体データの対での距離計算と外群f₃と親族関係の分析から、ゴフの洞窟とピナルバシュ遺跡のイヌは他のイヌとよりも相互と遺伝的に類似している、と示唆されます。まとめると、本論文のmtDNAおよび核の結果から、旧石器時代のイヌの既知の分布の東端と西端となるピナルバシュ個体とゴフの洞窟の個体は遺伝的に非常に類似しており、18500~14000年前頃の間にユーラシア西部全域に拡大した集団の構成員だった、と示唆されます。
旧石器時代のイヌ5個体のうち(図2a)、それぞれは上部旧石器時代後期のヨーロッパおよびアナトリア半島全域で見られる、遺伝的および文化的に異なるヒト狩猟採集民集団の一つと関連しており、それは、マドレーヌ文化(ゴフの洞窟)、続グラヴェット文化(ボン・オーバーカッセル遺跡、ケスラーロッホ遺跡、パグリッチ洞窟)、アナトリア半島狩猟採集民(ピナルバシュ遺跡)です。この地域全体のこれらのイヌの拡大は、これら旧石器時代文化と関連するヒトの移動や拡散や相互作用と関連していた可能性が高そうです。じっさい、本論文におけるほとんどの旧石器時代のイヌは、ピナルバシュ遺跡のアナトリア半島狩猟採集民を含めて、続グラヴェット文化関連遺伝的祖先系統のヒト集団と関連していますが[36]、ゴフの洞窟のイヌは、マドレーヌ文化関連祖先系統を有するヒトの堆積状況から回収されました[37]。
旧石器時代における遺伝的に分化したヒト集団の遺跡にまたがる遺伝的に類似したイヌの存在から、イヌとヒトの集団史は異なっていた、と示唆されます。これを評価するためにまず、上部旧石器時代後期から中世にわたる35ヶ所の遺跡にまたがる同じ考古学的背景のヒトとイヌの祖先系統がどの程度相関していたのか、遺伝的類似性の測定として外群f₃統計を用いて確認されました。時空間的自己相関の補正後に、ヒト間およびイヌ間の外群f₃値の間で強い正の相関が見つかり、共有された空間的もしくは時間的構造のみでは説明できない、ヒトとイヌとの間の共有された進化史が示唆されます。
同じ遺跡におけるヒト間およびイヌ間の外群f₃値の間の差異の比較において、ピナルバシュとゴフの洞窟の旧石器時代遺跡のイヌはこの分布の末尾内に位置した、と観察されました。これが示唆するのは、同じ遺跡の関連するヒト間よりもイヌ間の遺伝的類似性の方が大きかったことで、比較的均質なイヌ集団が、上部旧石器時代後期のヨーロッパおよびアナトリア半島全域で遺伝的および文化的に異なるヒト集団間で広がっていた、とのさらなる証拠を提供します。
旧石器時代におけるヒトとイヌの祖先系統間の不一致を説明する一つの妥当な想定は、イヌの拡散は16000年前頃の続グラヴェット文化関連の祖先系統および物質文化の拡大と組み合わさっており、相互作用の期間を経て最終的には、以前に優勢だっマドレーヌ文化およびその祖先系統をヨーロッパ北部で置換した、というものです[14、37]。この時間枠は、本論文におけるゴフの洞窟およびピナルバシュ遺跡のイヌのmtDNAに基づく最新共通祖先推定値(95%最高事後密度)とよく一致しており、これは、祖先集団の分岐の推定上限(18500年前頃以後に起きたはずです)と、その祖先集団がすでに分岐していたに違いない、下限年代となる、最新の放射性炭素年代(ゴフの洞窟の較正年代で14808~14091年前頃)を提供します。重要なことに、ユーラシア西部におけるイヌの拡大の時間枠(18500~14000年前頃)は、マドレーヌ文化および続グラヴェット文化のヒト集団のそれ以前の分岐に先行しており、これはLGM(24000~21000年前頃)の期間もしくはその前に起きた可能性が最も高そうです。したがって、ユーラシア西部全域の旧石器時代のイヌの拡大は、これら異なるヒト2集団の分岐後に起きた可能性が最も高そうで、恐らくは16000年前頃となる続グラヴェット文化関連の祖先系統および物質文化の拡大の期間です。以下は本論文の図2です。
しかし、ゴフの洞窟のイヌの年代は後期マドレーヌ文化となり(15000年前頃以降、図2b)、これは現時点では、イギリスにおける続グラヴェット文化関連祖先系統を有するヒトの証拠がない期間です[37]。しかし、この期間は、ヨーロッパ大陸において続グラヴェット文化関連祖先系統を有する人々(たとえば、ボン・オーバーカッセル遺跡)と関連する石器技術における移行(たとえば、フェダーメッサー集団)によって特徴づけられているのに対して、イギリスのその後の個体(たとえば、較正年代で13780~13354年前頃のケンドリックの洞窟)は、続グラヴェット文化関連ら祖先系統を有しています[14、37]。さらに、イヌの推定される存在(短いmtDNA断片に基づいています)も、スペイン(エラッラ洞窟、較正年代で17410~17096年前頃)の別のマドレーヌ文化状況で示唆されてきており、ゴフの洞窟とは異なり、これらの遺骸はこの地域における続グラヴェット文化祖先系統の最古級の証拠より1000年以上遅くなります(較正年代で18700年前頃となるエル・ミロン洞窟[43、44])。
まとめると、本論文の結果は、16000年前頃の続グラヴェット文化関連の祖先系統および物質文化の拡大と並行する、上部旧石器時代後期のヨーロッパ全域にやけるイヌの拡散と一致します。この想定では、イギリスおよび恐らくはスペインのマドレーヌ文化関連祖先系統を有する人々は、続グラヴェット文化人との相互作用によってイヌを獲得しました。これらの相互作用は、ゴフの洞窟のマドレーヌ文化のヒトに続グラヴェット文化祖先系統の兆候を残しておらず、旧石器時代のヒト集団間のイヌの交換には、常にヒト集団内の検出可能な遺伝子流動が伴っていたわけではなかった、と示唆されます。しかし、イヌが続グラヴェット文化の拡大と関連しない交流網で交換されていた、との代替的な想定は、旧石器時代のイヌ遺骸の少なさのため、現時点では除外できません。
●密接な旧石器時代のヒトとイヌの関連
ユーラシア西部全域におけるマドレーヌ文化と続グラヴェット文化とアナトリア半島の狩猟採集民の状況内でのイヌの発見から、イヌは文化的および地理的および遺伝的に異なるヒト集団と統合されていた、と示唆されます。ゴフの洞窟では、マドレーヌ文化状況におけるヒト遺骸は、頭蓋骨の頭蓋杯の作成やヒト遺骸の彫刻を含めて、死後の人為的改変を示しています。これは儀式的食人を示唆しており、ヨーロッパ全域のマドレーヌ文化で特定されている行動です。同様の死後の人為的改変はゴフの洞窟のイヌでも明らかであり、最も顕著なのは咬筋窩における穿孔で(図2C)、ヒトと位置の死後の共通する処置が示唆されます。イヌおよびヒト遺骸の同様の共通する死後の処置はピナルバシュ遺跡でも明らかで、新生児と幼体のイヌが同時代のヒト埋葬と同じ埋葬区域に埋葬されていました(図2b)。死後の処置のこれら共通のパターンから、中石器時代に特定されたイヌの象徴的扱いはそれ以前の旧石器時代狩猟採集民にさかのぼります。
同様の密接な関連がイヌの生涯においても明らかだったのかどうか、調べるために、ゴフの洞窟およびピナルバシュ遺跡におけるイヌ科とヒトの間の食性類似性の程度が、骨のコラーゲンの全体およびアミノ酸同位体の測定(δ¹³C、δ¹⁵N)で評価されました(図2d)。ゴフの洞窟では、イヌとヒトが同等の体およびアミノ酸δ¹⁵N値を有しており、栄養段階のδ¹⁵NGlx-Phe代理(図2d)は、同様の雑食性を示唆しています。ゴフの洞窟のオオカミは、これら両種【イヌとヒト】と同様の栄養段階を占めていました。したがって、イヌとオオカミとの間の生態的地位の分化は、その後の期間、とくに新石器時代におけるデンプンの方墳食性の出現後と比較して、上部旧石器時代後期のヨーロッパではさほど顕著ではなかったかもしれません。しかし、異なる食性が同一の同位体痕跡をもたらすかもしれないので、同位体手法には、野生のイヌ科と家畜化されたイヌ科を決定的に識別する解像度が欠けていることには、要注意です。あるいは、ゴフの洞窟におけるオオカミとヒトとの間の食性の重複も密接な関連を示唆しているかもしれませんが、上部旧石器時代後期における人為的状況外のオオカミの比較同位体データの欠如を考えると、依然として暫定的です。
ピナルバシュ遺跡では、周産期のイヌ(および代理としてのその母親)はヒトと異なる同位体痕跡を有しており(図2d)、イヌとヒト両種のδ¹⁵NGlx-Phe値はゴフの洞窟と比較して上昇していました。母子の同位体の相殺における不確実性にも関わらず、これにのデータは海洋性の食性構成要素を示唆しています。おそらくは捕獲された小型淡水魚の遺骸は、ピナルバシュ遺跡のヒト居住層では一般的で、イヌが直接的もしくは間接的にヒトによって食料を提供されていた、と示唆されます。
●旧石器時代のイヌの遺伝的祖先系統
イヌは大まかに2系統に区別でき、一方は北極圏やアジア東部や先コロンブス期アメリカ大陸のイヌ(1492年以後、ほぼ消滅しました[55])で見られる東方系統と、ヨーロッパおよび近東まイヌを含む西方系統[56]です。カレリアの10900年前頃となる中石器時代のイヌにおける東西両方の祖先系統の存在[8]は、旧石器時代にこの2祖先系統が分岐したことを示唆しています。旧石器時代および中石器時代のヨーロッパのイヌの祖先系統を確認するために、f₃形式(コヨーテ、D_テペゲラギャプ1_5826/D_ジョホフ1_9515、X)の外群f₃統計を用いて、東方(較正年代で9500年前頃となるジョホフ島のシベリアの狩猟採集民のイヌ[57])と西方(較正年代で5800年前頃となる、新石器時代イランのテペ・ゲラ・ギャプ遺跡のイヌ[58])のイヌ系統の代表との共有されている浮動が計算されました。
ヨーロッパとアナトリア半島の旧石器時代のイヌはユーラシア西部系統とより多くの浮動を共有しており、これはPCA(図1c)およびD形式(コヨーテ、X、D_ジョホフ1_9515、D_テペゲラギャプ1_5826)のD統計でも明らかです。これらの結果から、旧石器時代のイヌはユーラシア西部イヌ系統の一部を形成している、と示唆され、これによって東西のイヌ集団の分岐は15800年以上前にさかのぼります。
●古代近東におけるオオカミとイヌの混合
最近のゲノム研究[22]では、現代および古代両方のユーラシア西部のイヌはシベリアの現在のオオカミと類似した遺伝的祖先系統を有している、と示唆されました。新たに配列決定されたユーラシア西部の旧石器時代および中石器時代のイヌも近東オオカミ祖先系統を有しているのかどうか、評価するために、D形式(コヨーテ、近東のオオカミ、初期ユーラシア西部のイヌ、D_ジョホフ1_9515)のD統計が実行されました。イランの2700年前頃のオオカミ(ウェズメー洞窟、図1a)から得られた、新たに配列決定されたゲノム1点(網羅率3倍)を近東オオカミ祖先系統の代理として用いたのは、一部の現在の近東オオカミ集団(たとえば、イスラエルやサウジアラビア)は恐らく、もっと新しい交雑を通じて、イヌ祖先系統を獲得したからです。
古代近東のイヌ(ピナルバシュ遺跡の旧石器時代のイヌ1個体を含みます)とウェズメー洞窟のオオカミ1個体の間で過剰なアレル(対立遺伝子)共有が特定され、これは15800年前頃までさかのぼるイヌ集団と在来の近東オオカミ集団との間の遺伝子流動と一致します。ヴェレティエ遺跡(ロシア北西部のカレリア、較正年代で10900年前頃)もしくはパンディナ遺跡(セルビア、11500~7900年前頃)の中石器時代のイヌとの、過剰なアレル共有の証拠は見つかりませんでした。しかし、フラサク遺跡の中石器時代のイヌ1個体(セルビア、9500~8300年前頃)については、検定は有意でした。これらの結果から、近東のオオカミ祖先系統は旧石器時代および中石器時代のユーラシア西部のイヌでは多様だった、と示唆されます。
近東では、新石器時代およびそれ以降のオオカミは、同時代のヨーロッパのイヌと比較すると、近東のオオカミとの過剰なアレル共有を示します。D形式(コヨーテ、近東のオオカミ、X、D_プナルバシュ1_15787)のD統計はほとんどの事例において有意に負で、これら近東のイヌはピナルバシュ遺跡のイヌよりも多くの近東オオカミ祖先系統を有している、と示唆されます。これら新石器時代および新石器時代後における過剰な近東オオカミ祖先系統の程度を定量化かるために、F₄比が計算され、教師有ADMIXTURE分析が実行されました。これらの分析では、テレヘライツ遺跡(イスラエル)の7000年前頃のイヌ1個体において、最高水準のオオカミ祖先系統(F₄比で19.0%、ADMIXTUREで13.5%)が確認されました。この構成要素はその後の1000年間にわたって減少し、2300年前頃のアシュケロン(イスラエル)のイヌでは、5%未満(F₄比で2.9~4.8%、ADMIXTUREで3.2~4.8%)となります。
対照的に、高水準のオオカミ祖先系統は現代のバセンジーで維持されており、恐らくは植民地期までのサハラ砂漠以南のアフリカにおけるこのイヌ集団の孤立に起因します。先行研究では、アフリカのイヌはアフリカ固有のイヌ科からの遺伝子流動を経た、と示唆されました。したがって、バセンジーで特定された近東オオカミ祖先系統は、イヌがアフリカへと拡散した後で、これら固有のイヌ科との遺伝子流動に由来するかもしれません。
これら混合事象の方向性と回数の両方を視覚化するために、TreeMixとAdmixtureBayesを用いて、混合図が構築されました(図3a)。これらの結果は、古代近東(ピナルバシュ遺跡のイヌ1個体を除きます)およびアフリカのイヌが混合祖先系統を有している、との結論をさらに裏づけます。具体的には、主要な2祖先系統構成要素は、ユーラシア西部のイヌ(ピナルバシュ遺跡とゴフの洞窟のイヌによって表されます)が96%、近東のオオカミ(ウェズメー洞窟のオオカミ1個体によって表されます)が4%です。以下は本論文の図3です。
全体的に本論文の結果から、新石器時代(およびもっと新しい)近東およびアフリカのイヌは、旧石器時代および中石器時代のユーラシア西部のイヌよりも多くの近東オオカミ祖先系統を有している、と示唆されます。このオオカミ関連祖先系統が独立した家畜化の過程の結果だった可能性は残りますが[22、56]、新石器時代および新石器時代後のユーラシア西部のイヌと近東のオオカミとの間の地理的および時間的に限られた遺伝子流動からの結果だった可能性が、より高そうです。
●旧石器時代のイヌのゲノム遺産
本論文の分析から、ゴフの洞窟とピナルバシュ遺跡のイヌの祖先系統のほとんどはユーラシア西部のイヌ系統に由来し、それは新石器時代(およびその後の近東)のイヌと同様だった、と示唆されます。先行研究では、後期新石器時代以降、ヨーロッパのイヌはユーラシア東西両方の祖先系統からの混合祖先系統を有している、と示されてきました[22、56、58、62]。祖先系統におけるこの変化は、後期新石器時代および前期青銅器時代のCWCおよびヤムナヤ文化と関連する草原地帯牧畜民の移動期における、東方からのイヌ祖先系統の流入に起因しました[62]。
それにも関わらず、古代人のゲノムは、ヨーロッパの東部および中央部および南部への東方狩猟採集民遺伝的祖先系統を有する人々の、より早期の移動(9000年以上前)を示唆しました[14]。ヨーロッパ北東部(カレリアのヴェレティエ)とユーラシア中央部草原地帯(カザフスタンのボタイ)の東方狩猟採集民状況のイヌの分析から、これらの個体はユーラシア東部のイヌ祖先系統を有していた、と示されました[63]。これらの結果から、ユーラシア東部のイヌ祖先系統は以前に考えられていたよりも早く、おそらくは中石器時代にヨーロッパの他地域に到達したかもしれない、と示唆されます。
ユーラシア西部のイヌにおけるユーラシア東部のイヌ祖先系統の程度を評価するために、qpAdmでイヌ祖先系統の3供給源モデルが実行されて、D統計および混合図の結果に基づいて3祖先系統供給源が用いられ、それは、旧石器時代ユーラシア西部のイヌ(D_プナルバシュ1_15787)とユーラシア東部のイヌ(D_ジョホフ1_9515)と近東のオオカミ(W_ウェズメー1_2708)です。予測されたように、ほとんどの古代近東のイヌはユーラシア西部のイヌと近東のオオカミ両方の祖先系統を有していました。ユーラシア東部のイヌの祖先系統構成要素は、ビザンツ(東ローマ帝国)前期(トルコのマルマラの較正年代で1565年前頃の個体)まで存在しません。対照的に、セルビアの鉄門のバルカン半島(パディナ遺跡とフラサク遺跡)およびロシア北西部(ヴェレティエ)の中石器時代のイヌは、ユーラシア西部のイヌ祖先系統(平均56.2%)とユーラシア東部のイヌ祖先系統(平均43.8%)の組み合わせとして最適にモデル化されました。
これらのイヌのいくつか(鉄門とヴェレティエ)と同じ状況の中石器時代狩猟採集民のゲノム分析では、そうした中石器時代狩猟採集民は東方狩猟採集民の遺伝的祖先系統も有していた、と示されてきました[14、64]。ヒトとイヌの祖先系統間の正の相関と組み合わせると、本論文の結果から、ユーラシア東部のイヌ祖先系統は、中石器時代において東方狩猟採集民の拡大期にヨーロッパへともたらされたかもしれず、以前に提唱されたようなその後の草原地帯牧畜民の移住期[62]ではなかった、と示唆されます。
本論文のqpAdm分析は、ユーラシア東部のイヌ祖先系統がヨーロッパのイヌ集団において中石器時代から現在まで存続したことも示唆しています。このユーラシア東部祖先系統構成要素は、約30%が新石器時代のイヌ(たとえば、セルビアのプロチニク遺跡)、約22%が鉄器時代(たとえば、アイルランドのパークナビッニア遺跡)、約18%が中世(たとえば、リトアニアのヴィリニュス城)、約20%が現代のイヌの品種に存在します(図3b)。これは中石器時代の後のヨーロッパへのユーラシア東部のイヌ祖先系統のさらなる流入を除外するわけではありませんが[58、62]、これらの調査結果から、ヨーロッパのイヌにおける基本的な祖先系統構成要素(ユーラシア東西の祖先系統)は遅くとも10900年前頃までに確立されており、現代の品種にまで存続した、と示されます。
●まとめ
本論文の結果は、上部旧石器時代後期におけるイギリスとドイツとイタリアとスイスとトルコの遺伝的に類似したイヌの存在(較正年代で15800~14200年前頃の間)について、ゲノム証拠を提供します(図1および図2)。この旧石器時代の集団の祖先系統は、完新世を通じて現代の品種までイヌで保持されました(図3)。本論文は、この初期イヌ集団がまず、上部旧石器時代後期のヨーロッパ全域に続グラヴェット文化関連の祖先系統および物質文化とともに16000年前頃に拡大した、と提唱します。しかし、混合していないマドレーヌ文化関連遺伝的祖先系統を有するヒトと密接に関連したイヌの存在(たとえば、ゴフの洞窟)は、広範な遺伝子流動もしくは人口置換がなかった、上部旧石器時代後期の文化的に異なるヒト集団間でのイヌの交換を示唆しています。
上部旧石器時代後期のイヌ集団は、すでにオオカミからほぼ繁殖的に隔離されていたようです。じっさい、ユーラシア西部におけるイヌとオオカミの15000年以上にわたる共存にも関わらず、7000年前頃以前に起きた近東でのオオカミとの混合の孤立した(複数の)事例を除いて、イヌはオオカミ祖先系統を殆ど全く獲得しませんでした。これは、ヨーロッパへの導入後に野生のイノシシおよびオーロックスの在来集団と広範に混合したブタやウシなど、他の家畜種で見られる遺伝子移入のパターンとは対照的です[65]。古代および現代のイヌのゲノムにおけるオオカミ祖先系統がほぼないことから、オオカミとイヌとの間の遺伝子流動への大きな胸壁が上部旧石器時代後期までにヨーロッパとアナトリア半島で確立していた、と示唆されます。ユーラシア全域の過去2万年間にわたる多くの一連の証拠(たとえば、DNAや同位体や物質文化)を組み合わせると、イヌの出現おわびその後のオオカミとの生殖隔離の原因となった、正確な系統発生および文化的機序の確証に役立つでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
古生物学:遺伝学が明らかにしたヨーロッパにおける最古の犬の歴史
家畜化された犬が、少なくとも1万4200年前には、すでにユーラシア西部に広く分布していたことを報告する2つの論文が、Nature にオープンアクセスで掲載される。これらの論文は、これまで知られていた最古の犬のゲノムを報告しており、これまでの最古の記録である約1万900年前よりも古いものである。また、この時点で遺伝的に類似した犬の集団が、ユーラシア西部に広く広がっていたことも明らかになった。これらの研究結果を合わせると、ヨーロッパにおける犬の初期の歴史を明らかにするものである。
農業が始まる前のヨーロッパに存在した家畜は、犬だけであったが、その起源の正確な時期は依然として不明である。考古学的証拠によると、犬は1万5000年以上前の旧石器時代にオオカミから分岐したとされ、ヨーロッパで確認できる最古の犬の遺骸は少なくとも1万4000年前のものだとされる。しかし、全ゲノムデータがなかったため、これらの初期のヨーロッパ犬の起源を確認することは困難であった。
最初の研究では、Anders Bergströmら(イーストアングリア大学〔英国〕)が、ヨーロッパおよびその周辺地域で発見された216体の犬およびオオカミの遺骸のゲノムを解析した。最も古い標本は、スイスのケスラーロッホ(Kesslerloch)遺跡から出土した初期の犬のもので、放射性炭素年代測定の結果、1万4200年前のものとされた。ゲノム解析の結果、ケスラーロッホの犬は、ほかの地域の犬と共通の祖先を持つことが判明した。これは、家畜化された犬の遺伝的多様化が1万4200年以上前に始まっており、ヨーロッパの旧石器時代の犬が独立した家畜化過程から派生したものではないことを示している。著者らは、また、新石器時代のヨーロッパの犬の一部に南西アジア系の遺伝子が流入していることを発見した。これは、農業がヨーロッパに広がる過程での人々の移動を反映している。しかし、この遺伝的影響は人間に比べて犬では小さかった。これは、地元の狩猟採集民に属する犬が、新石器時代の、そしておそらく現代のヨーロッパの犬に対しても、大きく寄与していることを示唆している。
別の研究では、Laurent Frantzら(ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン〔ドイツ〕)は、トルコのプナルバシュ(Pınarbaşı;約1万5800年前)、英国のゴフ洞窟(Gough’s Cave;約1万4300年前)、およびセルビアの2つの中石器時代遺跡(それぞれ約1万1500~7900年前、8900年前)から発見された犬の遺骸のゲノムを解析した。その結果、少なくとも1万4300年前には、家畜化された犬がすでに西ユーラシア全域に広く分布していたことが示された。これらの旧石器時代の犬は、遺伝的に類似しており、1万8500年前から1万4000年前の間にこの地域全体に拡大した集団に属していた。遺骸は、遺伝的および文化的に異なる複数の狩猟採集民集団と関連しており、犬の拡散はこれらの集団の移動や相互作用と関連していた可能性があることを示唆している。
これらの研究結果を合わせると、犬がヨーロッパに早い時期から存在し、広まっていったことを示す強い遺伝学的証拠になる。また、ゲノム解析により、ヨーロッパにおける犬の存在は、後期旧石器時代(約1万5800~1万4200年前)にまでさかのぼることが明らかとなった。さらに、これらの研究は、古代の人類集団がいかに移動し、交流し、最初の犬たちと生活をともにしたかについて、新たな知見をもたらしている。
古代DNA:イヌは旧石器時代には西ユーラシアに広く分布していた
Cover Story:古き友:古代ゲノムから明らかになったイヌとヒトの初期の関係
表紙は、氷河期のスイスの集落の近くで、ヒトとその伴侶動物であるイヌが一緒にいる様子を描いた想像図である。イヌは何千年にもわたりヒトの伴侶であり続けてきた。イヌは家畜化された最初の動物であり、イヌの形態的特徴を備えている可能性のある遺骸の年代は、少なくとも1万4000年前にさかのぼる。しかし、初期のイヌの正確な起源と性質は、いまだよく分かっていない。今週号では2報の論文が、この問題の解明に向けた前進を示している。一方の論文では、A BergströmとP Skoglundたちが約200点の古代のイヌおよびオオカミの遺骸のゲノムを解析しており、もう一方の論文では、W Marsh、L Scarsbrook、L Frantzたちが、1万6000〜1万4000年前のイヌ2頭のゲノム塩基配列を報告して、塩基配列が解読された最古のイヌの年代を更新している。まとめるとこれらの論文は、イヌが、農耕が導入されるずっと前からユーラシア西部全域に広く分布していたことを示している。また著者たちは、イヌの遺伝的多様化が、従来考えられていたよりもはるかに早く始まっていたことを示す証拠も見いだしている。
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以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、K(系統構成要素数)、C(carbon、炭素)、N(nitrogen、窒素)、Glx-Phe(glutamine-phenylalanin、グルタミン酸-フェニルアラニン)、LGM(Last Glacial Maximum、最終氷期極大期)、NHGRI(National Human Genome Research Institute、国立ヒトゲノム研究所)です。本論文で取り上げられる主要な生物は、イヌ(Canis lupus familiaris、略してD)、ハイイロオオカミ(Canis lupu、略してW)、コヨーテ(Canis latrans)、オーロックス(Bos primigenius)、ウシ(Bos taurus)、イノシシ(Sus scrofa)、ブタ(Sus domesticus、Sus scrofa domesticus)です。本論文で取り上げられる主要な文化は、マグダレニアン(Magdalenian、マドレーヌ文化)、続グラヴェティアン(Epigravettian、続グラヴェット文化)、フェダーメッサー(Federmesser)文化、縄目文土器文化(Corded Ware culture、略してCWC)、ヤムナヤ(Yamnaya)文化、です。
本論文で取り上げられる主要な遺跡や地名は以下の通りです。イギリスでは、ゴフの洞窟(Gough’s Cave)、ケンドリックの洞窟(Kendrick’s Cave)。アイルランドでは、パークナビッニア(Parknabinnia)遺跡。スペインではエラッラ(Errala)遺跡、エル・ミロン洞窟(El Mirón Cave)。フランスでは、レ・モラン(Le Morin)遺跡。ルギーでは、ゴイエ(Goyet)。スイスでは、ケスラーロッホ(Kesslerloch)遺跡。イタリアでは、コンティネンツァ洞窟(Grotta Continenza)、パグリッチ洞窟(Grotta Paglicci)、ベルヴェルデ・ディ・チェトーナ(Belverde Di Cetona)。ドイツでは、ボン・オーバーカッセル(Bonn–Oberkassel)遺跡。チェコでは、プシェドモスティ(Předmostí)遺跡。セルビアでは、パディナ(Padina)遺跡、フラサク(Vlasac)遺跡、鉄門(Iron Gates)遺跡、プロチニク(Pločnik)遺跡。リトアニアでは、ヴィリニュス城(Vilnius Castle)。トルコでは、ピナルバシュ(Pınarbaşı)遺跡、マルマラ(Marmara)。イスラエルでは、アシュケロン(Ashkelon)、テレヘライツ(Tel Hreiz)遺跡。イランでは、ウェズメー(Wezmeh)遺跡、テペ・ゲラ・ギャプ(Tepe Ghela Gap)遺跡。ロシア西部では、ヴェレティエ(Veretye)、エリゼーヴィッチ1(Eliseevichi-I)遺跡。シベリアでは、アルタイ山脈のラズボイニクヤ洞窟(Razboinichya Cave)、ジョホフ(Zhokhov)島。カザフスタンでは、ボタイ(Botai)遺跡。
●要約
考古学的証拠から、イヌは15000年以上前の旧石器時代にオオカミから分岐した、と示唆されています[1]。しかし、最古級の明確な遺伝学的証拠は、19000年前頃の中石器時代の考古学的状況のイヌ遺骸と関連づけられています[8]。本研究は、トルコのピナルバシュ遺跡(15800年前頃)やイギリスのゴフの洞窟(14300年前頃)のイヌ科遺骸や、セルビアの中石器時代の2ヶ所の遺跡(11500~7900年前頃のパディナ遺跡と8900年前頃のフラサク遺跡)のイヌから、核とミトコンドリア両方のゲノムを生成します。分析の結果、遺伝的に均一なイヌ個体群が上部旧石器時代後期(少なくとも14300年前頃)のヨーロッパおよびアナトリア半島全域に広く分布していた、と示唆されます。この知見から、イヌは遺伝的および文化的に異なるユーラシア西部の後期旧石器時代のヒト集団、つまりマドレーヌ文化や続グラヴェット文化やアナトリア半島の狩猟採集民の間で交換されていた、と示唆されます。最後に、中石器時代におけるユーラシア東部のイヌ祖先系統の大規模な流入が特定され、これはヨーロッパへの東方狩猟採集民集団の移動と同時期で、これが現在のヨーロッパのイヌ個体群を定義する、主要な祖先系統の特徴の確立につながりました。
●研究史
分子および形態学両方の手法の適用にも関わらず、イヌの家畜化の時間的および地理的起源は依然として不明です。以前の推定値の範囲は135000~15000年前頃までとなり、これは、遺伝学に基づく年代測定手法と関連する大きな不確実性、および形態に基づいてイヌとオオカミの骨格遺骸を区別難しさの、両方を反映しています。これは家畜化の最古級の段階にとくに当てはまり、その段階では、検出可能な系統を定義する特徴がなかったかもしれません。
考古学的なイヌ科遺骸の形態学的分析では、イヌは上部旧石器時代のユーラシア全域に存在した(35000~15000年前頃)、と示唆されてきました[1]。旧石器時代の状況でイヌとオオカミを暫定的に区別するために、安定食性同位体(δ¹³C、δ¹⁵N)も使用されてきました。しかし、ゲノムデータの裏づけなしでは、これらの遺骸をイヌと決定的に同定することは困難でした。たとえば、ヨーロッパ(たとえば、較正年代で、ベルギーのゴイエの34000年前頃[1]、チェコのプシェドモスティの28500年前頃)やロシア(たとえば較正年代で、33000年前頃のアルタイ山脈のラズボイニクヤ洞窟、17600年前頃のロシア西部のエリゼーヴィッチ洞窟)の上部旧石器時代の遺骸が、形態学的手法を用いて初期のイヌと当初は同定されましたが、これらの個体から生成された核ゲノムは、こうした個体が今では絶滅したオオカミ個体群に属していたことを示しました[22]。核の遺伝的データに基づく最古級のの確実なイヌは、中石器時代のヴェレティエ遺跡(ロシアのカレリア)で同定されており、その較正年代は10900年前頃です[8]。
旧石器時代のイヌはまだ明確に同定されていませんが、いくつかの候補が提唱されてきました。たとえば、上部旧石器時代のボン・オーバーカッセル遺跡(ドイツ)の較正年代で14300年前頃のイヌ科の下顎はイヌ的な形態を示し、ヒトの二重埋葬とともに埋葬されており、長期間のヒトの世話がなければ致命的だったと思われる症状を示しています。形態学か生体分子どちらか若しくはその両方の分析に基づく旧石器時代のイヌとの主張も、ケスラーロッホ遺跡(スイス)やエラッラ遺跡(スペイン)[26]やパグリッチ洞窟(イタリア)やレ・モラン(フランス)の資料でもなされてきました。初期のイヌの他の候補には、トルコのアナトリア高原中央部のピナルバシュ遺跡のイヌ科の仔の埋葬かもしれない痕跡や、イギリスのゴフの洞窟における上部旧石器後期のマドレーヌ文化層準(較正年代で15100~14200年前頃)のイヌ科遺骸が含まれます。この両遺跡の遺骸は、ヒト遺骸とよく似ている死後の扱いを示しています。
本研究では、イヌが旧石器時代のユーラシア西部に存在した、との仮説を検証するために、ゴフの洞窟(イギリス、2点)とピナルバシュ(トルコ、1点)とウェズメー洞窟(イラン、2点)の旧石器時代と推定される堆積物で発掘されたイヌ科遺骸から、直接的に年代測定され、核ゲノムデータが生成されました。セルビアの中石器時代状況(パディナ遺跡で2点、フラサク遺跡で1点)から形態計測的に同定されたイヌからも、低網羅率のゲノムデータが生成されました(図1a・b)。これらのデータは、以前に刊行された過去10万年間にわたる古代のイヌ(68点)およびオオカミ(71点)のゲノムや、276点の現代のイヌとオオカミと外群イヌ科のゲノムとともに分析されました(これらはNHGRIイヌゲノム計画データベースに含まれる1700点のゲノムの代表的な部分集合です)。以下は本論文の図1です。
さらに、低網羅率の配列決定データ(0.001倍未満)が生成され、溶液内捕獲を用いて、ピナルバシュ(3点)とパディナ(2点)とフラサク(1点)とコンティネンツァ洞窟(イタリア、1点)のイヌ科遺骸から高網羅率のミトコンドリアゲノム(中央値の深度は15.7倍、5.0~72.3倍)が得られました。最後に、イヌ科遺骸に由来する食性同位体が旧石器時代のヒトとどの程度重なっていたのか、評価するために、ゴフの洞窟のヒトおよびイヌ科遺骸の個体のコラーゲンのアミノ酸炭素(δ¹³C)と窒素(δ¹⁵N)の化合物特異的安定同位体分析が実行されました。
●イヌは旧石器時代に広く分布していました
これら新たに配列決定されたイヌ科が遺伝的に現代および古代のイヌもしくはオオカミとより近かったのかどうか、判断するために、まず核ゲノムデータに基づいてPCAと教師無ADMIXTURE(K=2、イヌとオオカミを区別します)分析が実行されました。新たに配列決定された8個体のうち、6個体は現代および古代のイヌとクラスタ化し(まとまり)、これには、較正年代で15800年前頃のピナルバシュ個体(網羅率は1.3倍、較正年代で15915~15669年前頃)、ゴフの洞窟の較正年代で14300年前頃の個体(網羅率は1.7倍、較正年代で14793~14090年前頃)、セルビアの中石器時代の3個体すべて(パディナ個体は網羅率が0.1倍と0.2倍、フラサク個体は網羅率が0.1倍、較正年代で11500~7900年前頃)、イランのウェズメー洞窟の較正年代で1532年前頃の個体(網羅率は0.1倍、較正年代で1574~1419年前頃)が含まれます。
ゴフの洞窟の同じ層から較正年代で14300年前頃のオオカミ(網羅率は0.2倍、較正年代で14808~14091年前頃)と、イランのウェズメー洞窟の較正年代で2700年前頃のオオカミ(網羅率は3.0倍、較正年代で2745~2542年前頃)も同定されました。ウェズメー洞窟のイヌ科の層序年代推定値と直接的な年代推定値との間の不一致は、旧石器時代層準の最近の人為的攪乱を反映しています。すべての分類学的分類は、超低網羅率の配列決定を考慮して、イヌとオオカミを区別するパイプラインを用いて生成された割り当てと一致しました。選別データ(ライブラリ1点あたり数百万ヶ所の読み取り)を用いて、このパイプラインから、これらの遺跡でイヌ13個体とオオカミ2個体や、コンティネンツァ洞窟の旧石器時代遺跡でオオカミ1個体がさらに同定されました。
ゴフの洞窟とピナルバシュのイヌの決定的な核ゲノムに基づく同定によって、他の旧石器時代のイヌ科の位置づけを評価するために、たらいに生成されたmtDNAデータおよび刊行されている利用可能なmtDNAデータの評価が可能となりました。イヌのmtDNAは、単系統の5ハプログループに区分でき(A~DとD)、それぞれが絶滅および現存のオオカミ系統の姉妹群です(図1d)。mtDNAが以前に生成された、旧石器時代ヨーロッパのイヌと推定される遺骸のほとんどは、以前の分析においてmtHg-Cのイヌの多様性のすぐ外側で分岐しています[35]。現代および古代のイヌの多様性外となるものの、オオカミよりもイヌに近いこの系統発生的位置づけのため、家畜化の状態の評価は困難でした。
すべての既知のイヌのmtHgを表す220個体のミトコンドリアゲノム(イヌ202個体とオオカミ17個体が含まれます)と、外群としてコヨーテを用いて、最尤系統樹が構築されました(図1d)。ゴフの洞窟およびピナルバシュ遺跡のイヌは他の旧石器時代ヨーロッパのイヌと推定される個体とともにクラスタ化し(まとまり)、これはイヌのmtHg-Cの姉妹群で、本論文ではmtHg-C5と命名されます。このクレード(単系統群)には、ドイツ(ボン・オーバーカッセル遺跡、較正年代で14805~14088年前頃)やスイス(ケスラーロッホ遺跡、較正年代で14318~14039年前頃)やイタリア(パグリッチ洞窟、較正年代で14310~13859年前頃)の続グラヴェット文化遺跡のイヌ科が含まれています。コンティネンツァ洞窟のオオカミは、mtHg-C5を含むすべてのmtHg-Cのイヌの多様性と姉妹系統を形成します。
イヌ固有のミトコンドリア単系統群内のボン・オーバーカッセル遺跡とケスラーロッホ遺跡とパグリッチ洞窟の個体の位置づけから、これらの個体もイヌ核祖先系統を有している、と示唆されます。したがってイヌの核祖先系統とmtDNAのC5単系統群との間の関連から、イヌは上部旧石器時代後期においてユーラシア全域に広く分布していた、と示唆されます。
●遺伝的に類似している旧石器時代のイヌ
上部旧石器時代後期のイヌ間の類似性の程度を評価するために、まずベイズ時間較正mtDNA系統発生が推定されました。ゴフの洞窟およびピナルバシュ個体群の最新共通祖先までの推定時間は、16900年前頃(95%最高自己密度で18569~15860年前)で、これはピナルバシュ遺跡のイヌの死から3000年以内です。さらに、常染色体データの対での距離計算と外群f₃と親族関係の分析から、ゴフの洞窟とピナルバシュ遺跡のイヌは他のイヌとよりも相互と遺伝的に類似している、と示唆されます。まとめると、本論文のmtDNAおよび核の結果から、旧石器時代のイヌの既知の分布の東端と西端となるピナルバシュ個体とゴフの洞窟の個体は遺伝的に非常に類似しており、18500~14000年前頃の間にユーラシア西部全域に拡大した集団の構成員だった、と示唆されます。
旧石器時代のイヌ5個体のうち(図2a)、それぞれは上部旧石器時代後期のヨーロッパおよびアナトリア半島全域で見られる、遺伝的および文化的に異なるヒト狩猟採集民集団の一つと関連しており、それは、マドレーヌ文化(ゴフの洞窟)、続グラヴェット文化(ボン・オーバーカッセル遺跡、ケスラーロッホ遺跡、パグリッチ洞窟)、アナトリア半島狩猟採集民(ピナルバシュ遺跡)です。この地域全体のこれらのイヌの拡大は、これら旧石器時代文化と関連するヒトの移動や拡散や相互作用と関連していた可能性が高そうです。じっさい、本論文におけるほとんどの旧石器時代のイヌは、ピナルバシュ遺跡のアナトリア半島狩猟採集民を含めて、続グラヴェット文化関連遺伝的祖先系統のヒト集団と関連していますが[36]、ゴフの洞窟のイヌは、マドレーヌ文化関連祖先系統を有するヒトの堆積状況から回収されました[37]。
旧石器時代における遺伝的に分化したヒト集団の遺跡にまたがる遺伝的に類似したイヌの存在から、イヌとヒトの集団史は異なっていた、と示唆されます。これを評価するためにまず、上部旧石器時代後期から中世にわたる35ヶ所の遺跡にまたがる同じ考古学的背景のヒトとイヌの祖先系統がどの程度相関していたのか、遺伝的類似性の測定として外群f₃統計を用いて確認されました。時空間的自己相関の補正後に、ヒト間およびイヌ間の外群f₃値の間で強い正の相関が見つかり、共有された空間的もしくは時間的構造のみでは説明できない、ヒトとイヌとの間の共有された進化史が示唆されます。
同じ遺跡におけるヒト間およびイヌ間の外群f₃値の間の差異の比較において、ピナルバシュとゴフの洞窟の旧石器時代遺跡のイヌはこの分布の末尾内に位置した、と観察されました。これが示唆するのは、同じ遺跡の関連するヒト間よりもイヌ間の遺伝的類似性の方が大きかったことで、比較的均質なイヌ集団が、上部旧石器時代後期のヨーロッパおよびアナトリア半島全域で遺伝的および文化的に異なるヒト集団間で広がっていた、とのさらなる証拠を提供します。
旧石器時代におけるヒトとイヌの祖先系統間の不一致を説明する一つの妥当な想定は、イヌの拡散は16000年前頃の続グラヴェット文化関連の祖先系統および物質文化の拡大と組み合わさっており、相互作用の期間を経て最終的には、以前に優勢だっマドレーヌ文化およびその祖先系統をヨーロッパ北部で置換した、というものです[14、37]。この時間枠は、本論文におけるゴフの洞窟およびピナルバシュ遺跡のイヌのmtDNAに基づく最新共通祖先推定値(95%最高事後密度)とよく一致しており、これは、祖先集団の分岐の推定上限(18500年前頃以後に起きたはずです)と、その祖先集団がすでに分岐していたに違いない、下限年代となる、最新の放射性炭素年代(ゴフの洞窟の較正年代で14808~14091年前頃)を提供します。重要なことに、ユーラシア西部におけるイヌの拡大の時間枠(18500~14000年前頃)は、マドレーヌ文化および続グラヴェット文化のヒト集団のそれ以前の分岐に先行しており、これはLGM(24000~21000年前頃)の期間もしくはその前に起きた可能性が最も高そうです。したがって、ユーラシア西部全域の旧石器時代のイヌの拡大は、これら異なるヒト2集団の分岐後に起きた可能性が最も高そうで、恐らくは16000年前頃となる続グラヴェット文化関連の祖先系統および物質文化の拡大の期間です。以下は本論文の図2です。
しかし、ゴフの洞窟のイヌの年代は後期マドレーヌ文化となり(15000年前頃以降、図2b)、これは現時点では、イギリスにおける続グラヴェット文化関連祖先系統を有するヒトの証拠がない期間です[37]。しかし、この期間は、ヨーロッパ大陸において続グラヴェット文化関連祖先系統を有する人々(たとえば、ボン・オーバーカッセル遺跡)と関連する石器技術における移行(たとえば、フェダーメッサー集団)によって特徴づけられているのに対して、イギリスのその後の個体(たとえば、較正年代で13780~13354年前頃のケンドリックの洞窟)は、続グラヴェット文化関連ら祖先系統を有しています[14、37]。さらに、イヌの推定される存在(短いmtDNA断片に基づいています)も、スペイン(エラッラ洞窟、較正年代で17410~17096年前頃)の別のマドレーヌ文化状況で示唆されてきており、ゴフの洞窟とは異なり、これらの遺骸はこの地域における続グラヴェット文化祖先系統の最古級の証拠より1000年以上遅くなります(較正年代で18700年前頃となるエル・ミロン洞窟[43、44])。
まとめると、本論文の結果は、16000年前頃の続グラヴェット文化関連の祖先系統および物質文化の拡大と並行する、上部旧石器時代後期のヨーロッパ全域にやけるイヌの拡散と一致します。この想定では、イギリスおよび恐らくはスペインのマドレーヌ文化関連祖先系統を有する人々は、続グラヴェット文化人との相互作用によってイヌを獲得しました。これらの相互作用は、ゴフの洞窟のマドレーヌ文化のヒトに続グラヴェット文化祖先系統の兆候を残しておらず、旧石器時代のヒト集団間のイヌの交換には、常にヒト集団内の検出可能な遺伝子流動が伴っていたわけではなかった、と示唆されます。しかし、イヌが続グラヴェット文化の拡大と関連しない交流網で交換されていた、との代替的な想定は、旧石器時代のイヌ遺骸の少なさのため、現時点では除外できません。
●密接な旧石器時代のヒトとイヌの関連
ユーラシア西部全域におけるマドレーヌ文化と続グラヴェット文化とアナトリア半島の狩猟採集民の状況内でのイヌの発見から、イヌは文化的および地理的および遺伝的に異なるヒト集団と統合されていた、と示唆されます。ゴフの洞窟では、マドレーヌ文化状況におけるヒト遺骸は、頭蓋骨の頭蓋杯の作成やヒト遺骸の彫刻を含めて、死後の人為的改変を示しています。これは儀式的食人を示唆しており、ヨーロッパ全域のマドレーヌ文化で特定されている行動です。同様の死後の人為的改変はゴフの洞窟のイヌでも明らかであり、最も顕著なのは咬筋窩における穿孔で(図2C)、ヒトと位置の死後の共通する処置が示唆されます。イヌおよびヒト遺骸の同様の共通する死後の処置はピナルバシュ遺跡でも明らかで、新生児と幼体のイヌが同時代のヒト埋葬と同じ埋葬区域に埋葬されていました(図2b)。死後の処置のこれら共通のパターンから、中石器時代に特定されたイヌの象徴的扱いはそれ以前の旧石器時代狩猟採集民にさかのぼります。
同様の密接な関連がイヌの生涯においても明らかだったのかどうか、調べるために、ゴフの洞窟およびピナルバシュ遺跡におけるイヌ科とヒトの間の食性類似性の程度が、骨のコラーゲンの全体およびアミノ酸同位体の測定(δ¹³C、δ¹⁵N)で評価されました(図2d)。ゴフの洞窟では、イヌとヒトが同等の体およびアミノ酸δ¹⁵N値を有しており、栄養段階のδ¹⁵NGlx-Phe代理(図2d)は、同様の雑食性を示唆しています。ゴフの洞窟のオオカミは、これら両種【イヌとヒト】と同様の栄養段階を占めていました。したがって、イヌとオオカミとの間の生態的地位の分化は、その後の期間、とくに新石器時代におけるデンプンの方墳食性の出現後と比較して、上部旧石器時代後期のヨーロッパではさほど顕著ではなかったかもしれません。しかし、異なる食性が同一の同位体痕跡をもたらすかもしれないので、同位体手法には、野生のイヌ科と家畜化されたイヌ科を決定的に識別する解像度が欠けていることには、要注意です。あるいは、ゴフの洞窟におけるオオカミとヒトとの間の食性の重複も密接な関連を示唆しているかもしれませんが、上部旧石器時代後期における人為的状況外のオオカミの比較同位体データの欠如を考えると、依然として暫定的です。
ピナルバシュ遺跡では、周産期のイヌ(および代理としてのその母親)はヒトと異なる同位体痕跡を有しており(図2d)、イヌとヒト両種のδ¹⁵NGlx-Phe値はゴフの洞窟と比較して上昇していました。母子の同位体の相殺における不確実性にも関わらず、これにのデータは海洋性の食性構成要素を示唆しています。おそらくは捕獲された小型淡水魚の遺骸は、ピナルバシュ遺跡のヒト居住層では一般的で、イヌが直接的もしくは間接的にヒトによって食料を提供されていた、と示唆されます。
●旧石器時代のイヌの遺伝的祖先系統
イヌは大まかに2系統に区別でき、一方は北極圏やアジア東部や先コロンブス期アメリカ大陸のイヌ(1492年以後、ほぼ消滅しました[55])で見られる東方系統と、ヨーロッパおよび近東まイヌを含む西方系統[56]です。カレリアの10900年前頃となる中石器時代のイヌにおける東西両方の祖先系統の存在[8]は、旧石器時代にこの2祖先系統が分岐したことを示唆しています。旧石器時代および中石器時代のヨーロッパのイヌの祖先系統を確認するために、f₃形式(コヨーテ、D_テペゲラギャプ1_5826/D_ジョホフ1_9515、X)の外群f₃統計を用いて、東方(較正年代で9500年前頃となるジョホフ島のシベリアの狩猟採集民のイヌ[57])と西方(較正年代で5800年前頃となる、新石器時代イランのテペ・ゲラ・ギャプ遺跡のイヌ[58])のイヌ系統の代表との共有されている浮動が計算されました。
ヨーロッパとアナトリア半島の旧石器時代のイヌはユーラシア西部系統とより多くの浮動を共有しており、これはPCA(図1c)およびD形式(コヨーテ、X、D_ジョホフ1_9515、D_テペゲラギャプ1_5826)のD統計でも明らかです。これらの結果から、旧石器時代のイヌはユーラシア西部イヌ系統の一部を形成している、と示唆され、これによって東西のイヌ集団の分岐は15800年以上前にさかのぼります。
●古代近東におけるオオカミとイヌの混合
最近のゲノム研究[22]では、現代および古代両方のユーラシア西部のイヌはシベリアの現在のオオカミと類似した遺伝的祖先系統を有している、と示唆されました。新たに配列決定されたユーラシア西部の旧石器時代および中石器時代のイヌも近東オオカミ祖先系統を有しているのかどうか、評価するために、D形式(コヨーテ、近東のオオカミ、初期ユーラシア西部のイヌ、D_ジョホフ1_9515)のD統計が実行されました。イランの2700年前頃のオオカミ(ウェズメー洞窟、図1a)から得られた、新たに配列決定されたゲノム1点(網羅率3倍)を近東オオカミ祖先系統の代理として用いたのは、一部の現在の近東オオカミ集団(たとえば、イスラエルやサウジアラビア)は恐らく、もっと新しい交雑を通じて、イヌ祖先系統を獲得したからです。
古代近東のイヌ(ピナルバシュ遺跡の旧石器時代のイヌ1個体を含みます)とウェズメー洞窟のオオカミ1個体の間で過剰なアレル(対立遺伝子)共有が特定され、これは15800年前頃までさかのぼるイヌ集団と在来の近東オオカミ集団との間の遺伝子流動と一致します。ヴェレティエ遺跡(ロシア北西部のカレリア、較正年代で10900年前頃)もしくはパンディナ遺跡(セルビア、11500~7900年前頃)の中石器時代のイヌとの、過剰なアレル共有の証拠は見つかりませんでした。しかし、フラサク遺跡の中石器時代のイヌ1個体(セルビア、9500~8300年前頃)については、検定は有意でした。これらの結果から、近東のオオカミ祖先系統は旧石器時代および中石器時代のユーラシア西部のイヌでは多様だった、と示唆されます。
近東では、新石器時代およびそれ以降のオオカミは、同時代のヨーロッパのイヌと比較すると、近東のオオカミとの過剰なアレル共有を示します。D形式(コヨーテ、近東のオオカミ、X、D_プナルバシュ1_15787)のD統計はほとんどの事例において有意に負で、これら近東のイヌはピナルバシュ遺跡のイヌよりも多くの近東オオカミ祖先系統を有している、と示唆されます。これら新石器時代および新石器時代後における過剰な近東オオカミ祖先系統の程度を定量化かるために、F₄比が計算され、教師有ADMIXTURE分析が実行されました。これらの分析では、テレヘライツ遺跡(イスラエル)の7000年前頃のイヌ1個体において、最高水準のオオカミ祖先系統(F₄比で19.0%、ADMIXTUREで13.5%)が確認されました。この構成要素はその後の1000年間にわたって減少し、2300年前頃のアシュケロン(イスラエル)のイヌでは、5%未満(F₄比で2.9~4.8%、ADMIXTUREで3.2~4.8%)となります。
対照的に、高水準のオオカミ祖先系統は現代のバセンジーで維持されており、恐らくは植民地期までのサハラ砂漠以南のアフリカにおけるこのイヌ集団の孤立に起因します。先行研究では、アフリカのイヌはアフリカ固有のイヌ科からの遺伝子流動を経た、と示唆されました。したがって、バセンジーで特定された近東オオカミ祖先系統は、イヌがアフリカへと拡散した後で、これら固有のイヌ科との遺伝子流動に由来するかもしれません。
これら混合事象の方向性と回数の両方を視覚化するために、TreeMixとAdmixtureBayesを用いて、混合図が構築されました(図3a)。これらの結果は、古代近東(ピナルバシュ遺跡のイヌ1個体を除きます)およびアフリカのイヌが混合祖先系統を有している、との結論をさらに裏づけます。具体的には、主要な2祖先系統構成要素は、ユーラシア西部のイヌ(ピナルバシュ遺跡とゴフの洞窟のイヌによって表されます)が96%、近東のオオカミ(ウェズメー洞窟のオオカミ1個体によって表されます)が4%です。以下は本論文の図3です。
全体的に本論文の結果から、新石器時代(およびもっと新しい)近東およびアフリカのイヌは、旧石器時代および中石器時代のユーラシア西部のイヌよりも多くの近東オオカミ祖先系統を有している、と示唆されます。このオオカミ関連祖先系統が独立した家畜化の過程の結果だった可能性は残りますが[22、56]、新石器時代および新石器時代後のユーラシア西部のイヌと近東のオオカミとの間の地理的および時間的に限られた遺伝子流動からの結果だった可能性が、より高そうです。
●旧石器時代のイヌのゲノム遺産
本論文の分析から、ゴフの洞窟とピナルバシュ遺跡のイヌの祖先系統のほとんどはユーラシア西部のイヌ系統に由来し、それは新石器時代(およびその後の近東)のイヌと同様だった、と示唆されます。先行研究では、後期新石器時代以降、ヨーロッパのイヌはユーラシア東西両方の祖先系統からの混合祖先系統を有している、と示されてきました[22、56、58、62]。祖先系統におけるこの変化は、後期新石器時代および前期青銅器時代のCWCおよびヤムナヤ文化と関連する草原地帯牧畜民の移動期における、東方からのイヌ祖先系統の流入に起因しました[62]。
それにも関わらず、古代人のゲノムは、ヨーロッパの東部および中央部および南部への東方狩猟採集民遺伝的祖先系統を有する人々の、より早期の移動(9000年以上前)を示唆しました[14]。ヨーロッパ北東部(カレリアのヴェレティエ)とユーラシア中央部草原地帯(カザフスタンのボタイ)の東方狩猟採集民状況のイヌの分析から、これらの個体はユーラシア東部のイヌ祖先系統を有していた、と示されました[63]。これらの結果から、ユーラシア東部のイヌ祖先系統は以前に考えられていたよりも早く、おそらくは中石器時代にヨーロッパの他地域に到達したかもしれない、と示唆されます。
ユーラシア西部のイヌにおけるユーラシア東部のイヌ祖先系統の程度を評価するために、qpAdmでイヌ祖先系統の3供給源モデルが実行されて、D統計および混合図の結果に基づいて3祖先系統供給源が用いられ、それは、旧石器時代ユーラシア西部のイヌ(D_プナルバシュ1_15787)とユーラシア東部のイヌ(D_ジョホフ1_9515)と近東のオオカミ(W_ウェズメー1_2708)です。予測されたように、ほとんどの古代近東のイヌはユーラシア西部のイヌと近東のオオカミ両方の祖先系統を有していました。ユーラシア東部のイヌの祖先系統構成要素は、ビザンツ(東ローマ帝国)前期(トルコのマルマラの較正年代で1565年前頃の個体)まで存在しません。対照的に、セルビアの鉄門のバルカン半島(パディナ遺跡とフラサク遺跡)およびロシア北西部(ヴェレティエ)の中石器時代のイヌは、ユーラシア西部のイヌ祖先系統(平均56.2%)とユーラシア東部のイヌ祖先系統(平均43.8%)の組み合わせとして最適にモデル化されました。
これらのイヌのいくつか(鉄門とヴェレティエ)と同じ状況の中石器時代狩猟採集民のゲノム分析では、そうした中石器時代狩猟採集民は東方狩猟採集民の遺伝的祖先系統も有していた、と示されてきました[14、64]。ヒトとイヌの祖先系統間の正の相関と組み合わせると、本論文の結果から、ユーラシア東部のイヌ祖先系統は、中石器時代において東方狩猟採集民の拡大期にヨーロッパへともたらされたかもしれず、以前に提唱されたようなその後の草原地帯牧畜民の移住期[62]ではなかった、と示唆されます。
本論文のqpAdm分析は、ユーラシア東部のイヌ祖先系統がヨーロッパのイヌ集団において中石器時代から現在まで存続したことも示唆しています。このユーラシア東部祖先系統構成要素は、約30%が新石器時代のイヌ(たとえば、セルビアのプロチニク遺跡)、約22%が鉄器時代(たとえば、アイルランドのパークナビッニア遺跡)、約18%が中世(たとえば、リトアニアのヴィリニュス城)、約20%が現代のイヌの品種に存在します(図3b)。これは中石器時代の後のヨーロッパへのユーラシア東部のイヌ祖先系統のさらなる流入を除外するわけではありませんが[58、62]、これらの調査結果から、ヨーロッパのイヌにおける基本的な祖先系統構成要素(ユーラシア東西の祖先系統)は遅くとも10900年前頃までに確立されており、現代の品種にまで存続した、と示されます。
●まとめ
本論文の結果は、上部旧石器時代後期におけるイギリスとドイツとイタリアとスイスとトルコの遺伝的に類似したイヌの存在(較正年代で15800~14200年前頃の間)について、ゲノム証拠を提供します(図1および図2)。この旧石器時代の集団の祖先系統は、完新世を通じて現代の品種までイヌで保持されました(図3)。本論文は、この初期イヌ集団がまず、上部旧石器時代後期のヨーロッパ全域に続グラヴェット文化関連の祖先系統および物質文化とともに16000年前頃に拡大した、と提唱します。しかし、混合していないマドレーヌ文化関連遺伝的祖先系統を有するヒトと密接に関連したイヌの存在(たとえば、ゴフの洞窟)は、広範な遺伝子流動もしくは人口置換がなかった、上部旧石器時代後期の文化的に異なるヒト集団間でのイヌの交換を示唆しています。
上部旧石器時代後期のイヌ集団は、すでにオオカミからほぼ繁殖的に隔離されていたようです。じっさい、ユーラシア西部におけるイヌとオオカミの15000年以上にわたる共存にも関わらず、7000年前頃以前に起きた近東でのオオカミとの混合の孤立した(複数の)事例を除いて、イヌはオオカミ祖先系統を殆ど全く獲得しませんでした。これは、ヨーロッパへの導入後に野生のイノシシおよびオーロックスの在来集団と広範に混合したブタやウシなど、他の家畜種で見られる遺伝子移入のパターンとは対照的です[65]。古代および現代のイヌのゲノムにおけるオオカミ祖先系統がほぼないことから、オオカミとイヌとの間の遺伝子流動への大きな胸壁が上部旧石器時代後期までにヨーロッパとアナトリア半島で確立していた、と示唆されます。ユーラシア全域の過去2万年間にわたる多くの一連の証拠(たとえば、DNAや同位体や物質文化)を組み合わせると、イヌの出現おわびその後のオオカミとの生殖隔離の原因となった、正確な系統発生および文化的機序の確証に役立つでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
古生物学:遺伝学が明らかにしたヨーロッパにおける最古の犬の歴史
家畜化された犬が、少なくとも1万4200年前には、すでにユーラシア西部に広く分布していたことを報告する2つの論文が、Nature にオープンアクセスで掲載される。これらの論文は、これまで知られていた最古の犬のゲノムを報告しており、これまでの最古の記録である約1万900年前よりも古いものである。また、この時点で遺伝的に類似した犬の集団が、ユーラシア西部に広く広がっていたことも明らかになった。これらの研究結果を合わせると、ヨーロッパにおける犬の初期の歴史を明らかにするものである。
農業が始まる前のヨーロッパに存在した家畜は、犬だけであったが、その起源の正確な時期は依然として不明である。考古学的証拠によると、犬は1万5000年以上前の旧石器時代にオオカミから分岐したとされ、ヨーロッパで確認できる最古の犬の遺骸は少なくとも1万4000年前のものだとされる。しかし、全ゲノムデータがなかったため、これらの初期のヨーロッパ犬の起源を確認することは困難であった。
最初の研究では、Anders Bergströmら(イーストアングリア大学〔英国〕)が、ヨーロッパおよびその周辺地域で発見された216体の犬およびオオカミの遺骸のゲノムを解析した。最も古い標本は、スイスのケスラーロッホ(Kesslerloch)遺跡から出土した初期の犬のもので、放射性炭素年代測定の結果、1万4200年前のものとされた。ゲノム解析の結果、ケスラーロッホの犬は、ほかの地域の犬と共通の祖先を持つことが判明した。これは、家畜化された犬の遺伝的多様化が1万4200年以上前に始まっており、ヨーロッパの旧石器時代の犬が独立した家畜化過程から派生したものではないことを示している。著者らは、また、新石器時代のヨーロッパの犬の一部に南西アジア系の遺伝子が流入していることを発見した。これは、農業がヨーロッパに広がる過程での人々の移動を反映している。しかし、この遺伝的影響は人間に比べて犬では小さかった。これは、地元の狩猟採集民に属する犬が、新石器時代の、そしておそらく現代のヨーロッパの犬に対しても、大きく寄与していることを示唆している。
別の研究では、Laurent Frantzら(ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン〔ドイツ〕)は、トルコのプナルバシュ(Pınarbaşı;約1万5800年前)、英国のゴフ洞窟(Gough’s Cave;約1万4300年前)、およびセルビアの2つの中石器時代遺跡(それぞれ約1万1500~7900年前、8900年前)から発見された犬の遺骸のゲノムを解析した。その結果、少なくとも1万4300年前には、家畜化された犬がすでに西ユーラシア全域に広く分布していたことが示された。これらの旧石器時代の犬は、遺伝的に類似しており、1万8500年前から1万4000年前の間にこの地域全体に拡大した集団に属していた。遺骸は、遺伝的および文化的に異なる複数の狩猟採集民集団と関連しており、犬の拡散はこれらの集団の移動や相互作用と関連していた可能性があることを示唆している。
これらの研究結果を合わせると、犬がヨーロッパに早い時期から存在し、広まっていったことを示す強い遺伝学的証拠になる。また、ゲノム解析により、ヨーロッパにおける犬の存在は、後期旧石器時代(約1万5800~1万4200年前)にまでさかのぼることが明らかとなった。さらに、これらの研究は、古代の人類集団がいかに移動し、交流し、最初の犬たちと生活をともにしたかについて、新たな知見をもたらしている。
古代DNA:イヌは旧石器時代には西ユーラシアに広く分布していた
Cover Story:古き友:古代ゲノムから明らかになったイヌとヒトの初期の関係
表紙は、氷河期のスイスの集落の近くで、ヒトとその伴侶動物であるイヌが一緒にいる様子を描いた想像図である。イヌは何千年にもわたりヒトの伴侶であり続けてきた。イヌは家畜化された最初の動物であり、イヌの形態的特徴を備えている可能性のある遺骸の年代は、少なくとも1万4000年前にさかのぼる。しかし、初期のイヌの正確な起源と性質は、いまだよく分かっていない。今週号では2報の論文が、この問題の解明に向けた前進を示している。一方の論文では、A BergströmとP Skoglundたちが約200点の古代のイヌおよびオオカミの遺骸のゲノムを解析しており、もう一方の論文では、W Marsh、L Scarsbrook、L Frantzたちが、1万6000〜1万4000年前のイヌ2頭のゲノム塩基配列を報告して、塩基配列が解読された最古のイヌの年代を更新している。まとめるとこれらの論文は、イヌが、農耕が導入されるずっと前からユーラシア西部全域に広く分布していたことを示している。また著者たちは、イヌの遺伝的多様化が、従来考えられていたよりもはるかに早く始まっていたことを示す証拠も見いだしている。
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