後期ネアンデルタール人のミトコンドリアDNA
後期ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の新たなミトコンドリアDNAを報告した研究(Fotiadou et al., 2026)が報道されました。この研究は昨年(2025年)、ヒト進化研究ヨーロッパ協会第15回総会で概要が報告されていました(関連記事)。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、ヨーロッパのネアンデルタール人の新たなミトコンドリアDNAデータを報告し、既知の遺伝的および考古学的データとともに分析することで、ヨーロッパの後期ネアンデルタール人の人口史を推定しています。遺伝学的にはあくまでも母系の観点からの人口史ですが、ミトコンドリアDNAは核DNAよりもずっと解析が用意で、より多くのデータ数を蓄積しやすいので、今後も母系に基づく人口史の推定は有用だと思います。
母系の観点では、ヨーロッパのほぼすべての後期ネアンデルタール人は単一の母系に属しており、人口置換が示唆されます。この単一の母系の多様化は65000年前頃に現在のフランス南西部で始まった、と推定されており、ネアンデルタール人は、寒冷化などで分布範囲が縮小した後で、温暖化などによって氷期逃避地から再びヨーロッパ全域へと拡大していった、と考えられます。恐らくこれは、ネアンデルタール人の人口史において繰り返されており、それは6万年以上前の現生人類(Homo sapiens)も種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)も同様なのでしょう。
さらに、母系の観点では、ネアンデルタール人の推定有効人口規模は45000年前頃に急速に減少し始め、42000年前頃に最小値となりますが、これはネアンデルタール人の痕跡がヨーロッパの大半において消滅する直前となります。おそらく、ネアンデルタール人がその進化史において局所的に消滅したことは珍しくなく、その要因は気候変動など時空間的に異なるのでしょうが、最終的にネアンデルタール人が絶滅した究極的要因は、現生人類との競合なのでしょう。ただ、ネアンデルタール人の絶滅とはいっても、非アフリカ系現代人はわずかながらネアンデルタール人由来のゲノム領域を継承しているので[14]、形態学的および遺伝学的にネアンデルタール人的な特徴を一括して有する集団は絶滅した、と表現するのがより妥当でしょうか。
以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、MIS(Marine Isotope Stage、海洋酸素同位体ステージ)、mg(milligram、ミリグラム)、HPD(highest posterior density、最高事後確率)、rCRS(revised Cambridge Reference Sequence、改訂ケンブリッジ参照配列)、ROCEEH(The Role of Culture in Early Expansions of Humans、ヒトの初期拡大における文化の役割)、OSL光刺激発光(Optically Stimulated Luminescence、略して)年代測定、ESR(electron spin resonance、電子スピン共鳴法)年代測定、ROAD(ROCEEH Out of Africa Database、ROCEEH出アフリカデータベース)です。本論文で取り上げられる主要な文化は、キーナ型ムステリアン(Quina-type Mousterian、キーナ型ムスティエ文化)です。
本論文で取り上げられる主要な遺跡および地名は、スペインのアタプエルカ山地(Sierra de Atapuerca)の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」(略してSH)と彫像坑道(Galería de las Estatuas、略してGE)とエル・シドロン(El Sidrón)洞窟、ジブラルタルのフォーブス採石場(Forbes’ Quarry)、フランスのサン=セザール(Saint-Césaire)のラ・ロシュ=ア=ピエロ(La Roche-à-Pierrot)とマンドラン洞窟(Grotte Mandrin)とレス・コテス(Les Cottés)とトゥルトワラック(Tourtoirac)、イタリアのブロイオン岩陰(Riparo Broion)、ベルギーのトロウ・マグリット(Trou Magrite)とゴイエ(Goyet)の第三洞窟(Troisième caverne)とスピ(Spy)洞窟とスクラディナ洞窟(Scladina Cave)とフォンヅ・デ・フォレット(Fonds de Forêt)、ドイツのゼッセルフェルス洞窟(Sesselfelsgrotte)岩陰と小フェルトホーファー洞窟(Kleine Feldhofer Grotte)とホーレンシュタイン・シュターデル洞窟(Hohlenstein-Stadel Cave)、クロアチアのヴィンディヤ(Vindija)洞窟、ポーランドのスタイニヤ洞窟(Stajnia Cave)、セルビアのペシュトゥリナ(Pešturina)洞窟、コーカサス北部のメズマイスカヤ(Mezmaiskaya)洞窟、シベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)とチャギルスカヤ洞窟(Chagyrskaya Cave)とオクラドニコフ(Okladnikov)洞窟です。
●要約
ネアンデルタール人の人口史は部分的にしか理解されていません。ヨーロッパでは、12万年前頃以降のある程度の遺伝的連続性が、複数回のその後の多様化事象にも関わらず、示されてきました。ヨーロッパにおける後期ネアンデルタール人の出現に先行する人口置換が提唱されてきましたが、この事象の程度と時期と地理的位置は現時点で不明です。本論文は、ベルギーとフランスとドイツとセルビアの6ヶ所の考古学的遺跡のネアンデルタール人のmtDNAを報告し、刊行されている49個体のmtDNAとともに分析します。系統発生的および分子的年代測定の広範な考古学的データセットとの統合によって、ネアンデルタール人の分布における時空間的なパターンの再構築が可能となりました。注目すべきことに、ヨーロッパ全域のほぼすべての後期ネアンデルタール人個体は、近い過去に多様化した単一のmtDNA系統に属しており、大規模な遺伝的置換が確証されます。本論文の分析では、この多様化事象の年代は65000年前頃となり、この多様化はフランス南西部の人口逃避地起源だった可能性が高く、ネアンデルタール人はそこからヨーロッパ全域で大きな範囲拡散を経たようです。さらに、45000年前頃に始まるネアンデルタール人のmtDNAの有効人口規模の急激な減少と、その有効人口規模は絶滅直前の42000年前頃に最小値に達したことが検出されます。本論文では、分子および考古学のデータセットの統合が後期ネアンデルタール人の人口史のより深い理解を提供する、と論証され、経時的なネアンデルタール人の遺伝的景観の形成における、気候に起因する逃避地の重要な役割とその後の範囲拡大が浮き彫りになります。
●研究史
ネアンデルタール人の遺伝的歴史がさほど理解されていないのは、限られた数のネアンデルタール人遺骸しか遺伝学的に調べられてこなかったからです。mtDNAの研究は、ネアンデルタール人の進化史の解明において重要でした。mtDNAの超可変領域の初期の分析で、ネアンデルタール人は現代人の遺伝的差異の範囲外に位置し、ユーラシア西部のみならず、東方ではシベリア南部のアルタイ山脈[2]まで分布していた、と明らかになりました。次世代配列決定技術の出現によって、最初の完全なネアンデルタール人のmtDNAの再構築が可能となり、配列決定されたネアンデルタール人のmtDNAは現代人の外群を表していた、と明らかに確証されました[3]。標的濃縮技術の開発に伴い、追加の完全なネアンデルタール人のmtDNAゲノムがヨーロッパ全域で利用可能になり、低い遺伝的多様性を一貫して示し、現代人と比較してより小さな有効人口規模が示唆されます[4、5]。2010年には、未知の人類集団のミトコンドリアゲノムが配列決定され、ネアンデルタール人と現生人類は、デニソワ人と命名された新たに配列決定された集団と比較して、姉妹集団と判断されました[6]。同年に、ネアンデルタール人とデニソワ人両方の最初の概要核ゲノムが刊行されました[7、8]。
ネアンデルタール人から非アフリカ系現代人、デニソワ人からオセアニア現代人への遺伝子流動の証拠が明らかになったことに加えて、ネアンデルタール人とデニソワ人の両古代型人類【非現生人類ホモ属、絶滅ホモ属】集団は、現代人とよりも相互の方と核ゲノム水準で密接に関連している、と示されました。スペインのSHの中期更新世人類(43万年前頃)のゲノム配列決定はこの状況にさらに複雑さを追加し、初期ネアンデルタール人と類似した核ゲノムが、デニソワ人と類似したmtDNAの兆候とともにあることを明らかにしました[9、10]。この不一致は初期現生人類集団からネアンデルタールへの遺伝子流動が原因とされ、これはmtDNAによって裏づけられた想定で[11]、後にY染色体分析[12]およびもっと新しいゲノム規模研究で裏づけられました[13、14]。
旧石器時代の洞窟から回収された堆積物標本の分析は、骨格遺骸がない場合でさえ、人類のmtDNAおよび核DNAの回収を顕著に拡大しました[15~17]。スペインの彫像坑道の中期更新世堆積物から回収された核DNAは、135000年前頃および105000年前頃となる少なくとも2回のネアンデルタール人の拡散の証拠を明らかにしました[15]。対照的に、アルタイ山脈の古代ゲノム研究は、12万~8万年前頃の間の西方ネアンデルタール人集団による人口置換を示唆しています[18、19]。一方で、ヨーロッパのネアンデルタール人からの遺伝的データは、MIS5~3にわたる12万~4万年前頃までのかなりの程度の連続性を示しています[20]。しかし、人口置換はヨーロッパにおけるネアンデルタール人の存在の末期に向かっても起きていたようです[21]。
これらの人口統計学的パターン、とくにヨーロッパ全域での人口縮小と再拡大と系統置換や、その時間的および地理的範囲は、依然として充分には理解されていません。さらに、これらの人口動態を文脈化するための、遺伝的データの考古学的証拠との統合は、これまで限られてきました。本論文は、追加のネアンデルタール人49個体のmtDNA配列の包括的データセットとともに調べた、新たに配列決定されたmtDNAゲノムに基づく、後期ネアンデルタール人の出現と発展に関する人口統計学的観点を提供します。本論文の結果は、地理的縮小に続くヨーロッパ全域のネアンデルタール人の再拡大を明らかにし、これはネアンデルタール人の最終的な消滅に先行する系統置換によって特徴づけられます。これらの遺伝的兆候を文脈化するために、ユーラシア西部全域の物質文化における通時的変化を捉えている、広範な考古学的データセットが統合されました。本論文では、後期ネアンデルタール人の多様化に先行する遺伝的置換は、考古学的遺物群の分布減少と一致する、と示されます。気候記録とともに文化的および遺伝学的証拠を統合することで、この学際的分析は絶滅に至ったネアンデルタール人の経た人口統計学的変化のより詳細な理解を提供します。
●考古学的背景とデータ生成
ベルギーとフランスとドイツとセルビアの6ヶ所の考古学的遺跡から、完全もしくは部分的なネアンデルタール人のミトコンドリアゲノムが生成されました(図1)。これらには、ベルギーのゴイエの第三洞窟の配列決定された後期ネアンデルタール人3個体が含まれ、ゴイエでは以前に、ネアンデルタール人6個体の遺骸から核ゲノムとmtDNAの両配列が回収されました[5、21]。フランスのサン=セザールのラ・ロシュ=ア=ピエロのムステリアン層で見つかった、後期ネアンデルタール人新生児1見たいからの遺伝的データも報告されます。ベルギーのトロウ・マグリットのネアンデルタール人の新生児1個体から追加のmtDNAデータが得られ、これはトロウ・マグリットの既知のネアンデルタール人遺骸2個体のうち1個体ですが、その層序的および文化的背景は依然として不明です。別のミトコンドリアゲノムが、イツのゼッセルフェルス洞窟岩陰のネアンデルタール人胎児1個体から回収され、その年代測定も不明です。さらに、フランスのトゥルトワラック遺跡のMIS3に先行するネアンデルタール人3個体が分析され、これはキーナ型ムステリアンの背景と関連しています。最後に、セルビアのペシュトゥリナ洞窟遺跡で見つかった、MIS3に先行するネアンデルタール人の歯1点からmtDNAデータが生成されました。遺伝学的に分析された費用本および関連する考古学的遺跡に関するさらなる情報は、補足資料第1項で報告されています。以下は本論文の図1です。
全標本は、8~77mgの間の骨もしくは歯の粉末を標本抽出する前に微細計算断層写真術で検査され、骨もしくは歯の粉末からDNAが抽出されて、一本鎖遺伝的ライブラリへと変換されました。平均網羅率の範囲は14~146倍で、5’末端におけるシトシンからチミンへの脱アミノ化の割合は10~58%の間でした。mtDNAの汚染水準が推定され、典型的な古代DNA損傷の存在に基づいて、10%超の現代人の汚染の証拠証拠がある個体のデータは除外されました。最後に、mtDNAコンセンサス配列が収集され、それが系統発生と分子年代測定と人口統計学的な分析に用いられました。
●系統発生分析
以前に刊行されたほぼ完全なネアンデルタール人のmtDNAとともに、新たに配列決定されたミトコンドリアゲノムを系統発生分析すると(図2)、後期更新世ネアンデルタール人のmtDNAの差異内の配置が確証されました(図2A)。ベルギー(ゴイエ)とフランス(サン=セザール)両方の後期ネアンデルタール人個体の配列は、他の後期ネアンデルタール人の大半とともに系統発生的枝に位置します。トロウ・マグリット遺跡個体のmtDNAもこの系統に属しており、後期ネアンデルタール人との時間的関連が示唆されます。じっさい、フランスのレス・コテス遺跡の個体Z4-1514と、フランスのマンドラン洞窟のトラン(Thorin)と呼ばれる個体のmtDNA配列[21、34]を除いて、イベリア半島(エル・シドロン1253号)からコーカサス(メズマイスカヤ2号)まで他のすべての後期ネアンデルタール人個体は、同じmtDNA系統の下位の枝へとクラスタ化します(まとまります)。以下は本論文の図2です。
具体的には、ゴイエの2878-2D個体の新たに配列決定されたmtDNAは系統発生的に、ベルギーのスピの1個体およびイタリアのブロイオン岩陰の1個体の近くに位置しています(図2)。ゴイエの標本は、放射性炭素年代測定によって較正年代で37000~36000年前頃とされました[5]。しかし、4万年前頃となるネアンデルタール人絶滅について予測される時期に先行するこの年代は、ニスによる汚染に影響を受けている可能性が高そうです[5]。さらに、対での距離分析から、ゴイエ2878-2DのmtDNA配列は、較正年代で43000~42000年前頃と直接的に年代測定された同じ考古学的遺跡の1個体であるゴイエQ56-1と同一と示されます[5]。これは、ゴイエ2878-2Dについて同様の年代を示唆しており、それは、以前に提案された、45000~41000年前頃とのゴイエのネアンデルタール人遺骸全体の年代間隔内に収まります。同様に、新たに配列決定された標本Q305-1についてで得られた4万年前頃以後の放射性炭素年代(較正年代で37560~36430年前頃)は、おそらくコラーゲンの汚染のためです。じっさい、ゴイエQ305-1のmtDNAはQ305-4およびフェルトホーファー2号とともに分類され、フェルトホーファー2号は、44000~42000年前頃と年代測定されたネアンデル渓谷の小フェルトホーファー洞窟の後期ネアンデルタール人個体です。最後に、ベルギーのトロウ・マグリット2422-36個体(直接的に年代測定されていません)は、小フェルトホーファー洞窟(フェルトホーファー1号)やゴイエ(ゴイエQ57-2)やクロアチアのヴィンディヤ洞窟の1個体(ヴィンディヤ33.25)の他のmtDNA配列とまとまります。
限られたDNA保存状態と高水準のDNA汚染のため、標本ゴイエD183-4(直接的な年代測定では較正年代で38880~37030年前頃ですが、コラーゲン汚染のため不自然により新しくなっている可能性が最も高そうです)とサン=セザールRPB_117(層序学的年代測定では60000~55000年前頃)は、系統発生的分析に含められませんでした。しかし、系統発生全体における各下位系統の診断可能な置換の検査によって、これらの配列は暫定的にネアンデルタール人のmtDNA系統樹内に位置づけることができました。ゴイエD183-4とサン=セザールRPB_117は後期更新世ネアンデルタール人系統に位置し、その時間的関連と一致します(図2)。解像度の限界までだと、サン=セザールRPB_117が後期ネアンデルタール人系統の主要な節から分岐しているのに対して、ゴイエD183-4は系統樹のより派生的な位置から分岐しており、ベルギーやドイツやクロアチアの他の個体を含む下位系統に位置しています。これらの結果は、広範な地理的距離にまたがる後期ネアンデルタール人の間の密接なmtDNAの類似性を浮き彫りにしており、ヨーロッパの西部と南部の後期ネアンデルタール人集団を結びつけます。
ゴイエとヴィンディヤと小フェルトホーファー洞窟の遺跡には異なる下位系統に位置するmtDNAを有する1個体以上が含まれているので、これらの各遺跡の遺伝的多様性の水準の、後期ネアンデルタール人の間で観察される多様性との比較が試みられました。各考古学的遺跡内の配列間と、主要な後期ネアンデルタール人のmtDNA系統に位置する全個体間の対でのmtDNA距離が計算されました。最も多くの標本が抽出されたゴイエやヴィンディヤやフェルトホーファーの個体群の遺伝的多様性は、主要な後期ネアンデルタール人系統全体と有意には異なっていません(図2B)。これがとくに注目すべきなのは、少なくともゴイエについては、ネアンデルタール人の骨格群は一般的なネアンデルタール人集団を表しておらず、選択的食人を含めて人為的活動の結果である可能性が最も高いからです。
ヨーロッパとアルタイのMIS5~4のネアンデルタール人標本(123000~57000年前頃)は、系統発生においてより基底部で分岐した系統の一部です。ヨーロッパ内では、ホーレンシュタイン・シュターデル洞窟(ドイツ)とスクラディナ洞窟(ベルギー)の12万年前頃と年代測定された2個体が異なる2系統に位置しており、それらは後期更新世のmtDNA系統樹の最も基底部[11、20]です(図2A)。ネアンデルタール人の居住が間接的にMIS3よりも前、つまり57000年以上前と年代測定された、フランスのトゥルトワラックの新たに配列決定されたネアンデルタール人のうち2個体(N.1とN.4)は、スクラディナI-4Aと同じ系統に位置します。むしろ、ヨーロッパの他のMIS5~4のネアンデルタール人のほとんどは、ロシア西部の2個体(メズマイスカヤ1号および3号)およびポーランドの1個体(スタイニヤS5000)のミトコンドリアゲノムを含む、別の系統に位置します。
新たに配列決定された個体のうち、間接的に111000±11000年前と年代測定されたセルビアのペシュトゥリナ3号と、トゥルトワラックのMIS3に先行するネアンデルタール人1個体(D_14)は、この系統とも関連しています。トゥルトワラックの分析された3個体は、同じネアンデルタール人の居住期間に属している、と考えられています。そのmtDNA配列は不完全ですが、本論文のSNP分析では、これらのmtDNA配列はmtDNAの異なる2系統に収まる、と示唆されており、単一の後期ネアンデルタール人遺跡で観察された場合よりもトゥルトワラック遺跡の方で遺伝的多様性が大きい、と示唆されます。この研究で生成され、主要なMIS5~4の系統と関連する別のネアンデルタール人のmtDNAは、ゼッセルフェルス1号の胎児遺骸に由来します。この個体は直接的に年代測定されていませんが、堆積状況の真上の堆積物の熱発光年代測定では、51100±10300年前と57500±12800年前の年代が得られました。これらの層序学的推定値は、その系統発生的位置づけとともに、ゼッセルフェルス遺跡のMIS3に先行する帰属を裏づけるかもしれません。しかし、ゼッセルフェルス洞窟全体を層序的に年代測定する将来の試みは、この個体の年代および文化的背景の解明に役立つかもしれません。
保存状態が悪いmtDNA配列のより大きなデータセットを含む別の系統発生分析では、同じ主要なMIS5~4の系統には、イベリア半島の2ヶ所の遺跡のMIS3に先行するネアンデルタール人(彫像坑道2号の第2層、彫像坑道1号の第3層、フォーブス採石場)が含まれます。MIS5~4のヨーロッパのネアンデルタール人のmtDNA多様性内な尾サマル唯一の後期ネアンデルタール人個体は、フランスのマンドラン洞窟の最近刊行されたmtDNA(トラン)で、年代は5万年前頃です[34]。したがって、主要な後期ネアンデルタール人のmtDNA系統と同じく、このおもにMIS3に先行するネアンデルタール人の系統には、イベリア半島からコーカサスまで、広範な地理的分布のヨーロッパの個体群も含まれています。
要するに、ネアンデルタール人のmtDNA系統の地理的分布は、MIS5~4とMIS3との間の遺伝的多様性における明確な減少を論証しています。MIS5~4にはユーラシア全域で複数の系統が存在していましたが、MIS3のほとんどのネアンデルタール人は単一の系統発生的無枝に属しており、フランス南西部ではより深く分岐したmtDNA配列が稀に存続しています。系統多様性におけるこの減少は、後期ネアンデルタール人集団の遺伝的歴史における大きな人口統計学的変化を裏づけます。
●分子年代測定と人口統計学的分析
mtDNA系統樹内の主要な多様化事情の年代を推定し、間接的に年代測定されたネアンデルタール人標本の年代を評価するために、分子年代測定分析が実行されました。この分析のために、ゴイエ2878-2DとゴイエQ305-1とトロウ・マグリット2422-36とペシュトゥリナ3と、欠落データの割合の低い他の以前に刊行されたネアンデルタール人のmtDNAが無保持されました。ベイズ統計枠組みを用いて、系統発生内の主要な節の分岐年代が計算されました(図3A)。ホーレンシュタイン・シュターデル系統の最も深い分岐は275000年前頃(95%HPD間隔で316000~235000年前)と推定され、先行研究[11]で報告された年代が確証されました。より派生的な系統の起源は177000年前頃(95%HPD間隔で206000~148000年前)および101000年前頃(95%HPD間隔で123000~87000年前)と年代測定され、ペシュトゥリナ3を含めて、アルタイとヨーロッパのMIS3に先行するネアンデルタール人のmtDNA配列のほとんどがそこから生じました。最後に、主要な後期ネアンデルタール人のmtDNA系統の多様化は65000年前頃(95%HPD間隔で76000~56000年前)と推定されました。この合着(合祖)事象の前に3万年間にわたる停滞があり、その期間には特定されたmtDNA系統の多様化が起きませんでした。以下は本論文の図3です。
さらに、おそらくは汚染の影響を受けたか(ゴイエ2878-2D、ゴイエQ305-1)、放射性炭素年代測定の限界を超えた(ペシュトゥリナ3)、直接的年代が利用できなかった(トロウ・マグリット2422-36)、新たに生成されたmtDNA配列分子年代が推定されました。標本ゴイエ2878-2DとゴイエQ305-1とトロウ・マグリット2422-36ではそれぞれ、41000年前頃(95%HPD間隔で46000~36000年前)と41000年前頃(95%HPD間隔で5万~3万年前)と44000年前頃(95%HPD間隔で53000~35000年前)の平均年代が得られました。これらの値はほぼ、後期ネアンデルタール人の時間範囲およびゴイエの他の個体の以前に刊行された放射性炭素年代と重なっています。さらに、ペシュトゥリナ3は分子的に11万年前頃(95%HPD間隔で140000~79000年前)と年代測定され、MIS5e~5cとの以前に得られたOSLおよびESR年代と一致します。したがって、ベルギーとセルビアの新たに報告された個体群の結果は、分子年代測定と層序もしくは関連する遺物に基づく他の間接的な年代測定手法との間で一致を示します。この分析を直接的な放射性炭素年代測定のない以前に刊行された個体群に拡張すると、系統樹にそっとより基底部に動く、より古くなる一般的パターンが観察されます。じっさい、主要な後期ネアンデルタール人系統に位置する全個体は、平均年代の範囲が44000~40000年前頃となる狭い95%HPD間隔(±7000年)をもたらします。
より深い系統からの分岐にも関わらず、固定された放射性炭素年代なしで分析すると、後期ネアンデルタール人個体であるレス・コテスZ4-1514の分子年代は、64000年前頃(95%HPD間隔で91000~41000年前)となります。平均分子年代は直接的年代(較正年代で43740~42720年前頃)より古いものの、HPD間隔は重なっています。むしろ、主要なMIS5~4のネアンデルタール人のヨーロッパの系統に属する全個体は、ペシュトゥリナやメズマイスカヤ1号および3号やスタイニヤS5000やトランを含めて、ずっと大きな95%HPD間隔(±25000年)にも関わらず、10万年前頃の平均分子年代を示します。これらの年代は、他の年代測定技術での各個体の推定年代と大まかには一致しているか、わずかにより古く、例外はトランで、分子年代測定の半分ほどの年代でした[34]。トランを5万年前頃に固定すると、この系統の全個体はより新しくなるものの、後期ネアンデルタール人と一致する推定平均年代には達しません。最後に、より基底部に位置するヨーロッパの2個体、つまりホーレンシュタイン・シュターデル個体とスクラディナI-4A倍では12万年前頃の年代が得られ、以前に刊行された推定値[11、20]と一致します。
分子的に標本を年代測定するための、ベイズ分析の堅牢性を評価するために、以前に計算された最大節約系統樹でTempEstを用いて、末端から根への回帰分析が実行されました。現代人の参照配列(rCRS)かホーレンシュタイン・シュターデル配列のいずれかを、系統樹の根に位置づけるために用いると、系統発生的により派生した配列はより基底部の配列と比較して系統樹の根からより長い距離になる、との一般的傾向が観察され、これはBEAST2で得られた年代測定結果と一致しします(図3B)。しかし、注目すべき例外が2点あります。一方はレス・コテスZ4-1514のmtDNAで、主要な後期ネアンデルタール人系統より基底部で分岐しているにも関わらず、全ネアンデルタール人の中で置換数が最も多く蓄積されていました。もう一方はトランで、MIS3に先行するネアンデルタール人と類似した限定的な数の置換を示します。系統樹の枝間でかなりの割合の差異があるかもしれないので、トランで観察された短い枝長がより古い年代のためなかの、そのmtDNA系統のより速い変異率のためなのか、あるいはその両方なのかどうか、確証できません。じっさい、主要な後期ネアンデルタール人系統とは対照的に、現時点では、ネアンデルタール人のmtDNA系統樹における深い事象を較正する能力は、より深く分岐した枝に位置する放射性炭素年代測定された個体の少なさによって限られています。おもにMIS5~4のネアンデルタール人の枝から分岐したmtDNAを有する個体群の信頼できる直接的な年代が較正点として利用可能になれば、ネアンデルタール人の進化史におけるより古い事象について、より信頼できて正確な分子年代測定推定を実行できるでしょう。
最後に、合祖ベイズスカイライン分析を用いて、西方ネアンデルタール人の母系の有効人口規模の変化が計算されました(図3C)。この分析には、おそらくは単一の遺伝子座の疎らな標本抽出のため、MIS3に先行するネアンデルタール人の歴史における拡大および/もしくは縮小を検出する解像度はありませんが、利用可能な最大量の遺伝的データを有する期間である、後期ネアンデルタール人段階における人口統計学的変化が観察されました。具体的には、本論文の分析は、44500年前頃に後期ネアンデルタール人の有効人口規模の急激な減少を特定し、有効人口規模は42000年前頃に最小に達して、その直後にネアンデルタール人は消滅しました[42]。
●考古学的遺物群における時間的変化
本論文で得られた遺伝学的結果を考古学的枠組み内に位置づけるために、ROADを活用して、13万年前頃以降のネアンデルタール人の考古学的遺物群の分布が調べられました。ネアンデルタール人と関連する考古学的証拠の時空間的存在は、研究史やデータセットの収集および保存や地質学的制約など複数の偏りに影響を受ける可能性が高い、と本論文は認識しています。それにも関わらず、本論文の目的は、ROADの個別の3点の問題の実行によって、ネアンデルタール人の考古学的存在のさまざまな側面を把握することで、それは、(1)ヨーロッパにおける現生人類の到来に先行する年代のすべての利用可能なヨーロッパの中部旧石器時代遺跡、(2)ネアンデルタール人の骨格遺骸を含むすべての利用可能な遺跡、(3)ネアンデルタール人とこれまで関連づけられている技術複合体と関連するすべての利用可能な遺跡です。
次に、ROADに入力された年代が最大で3万年となる遺物群のみを維持するよう、これらのデータが選別されました。1万年の時間区分によって、ユーラシア全域のネアンデルタール人の記録された存在が図示されました(図4)。この分析では、13万~8万年前頃にかけて、ネアンデルタール人と関連するヨーロッパにおける考古学的証拠の分布は変動し、西方ではイベリア半島から東方ではバルカン半島にまでまたがる複数の地域に集中している、と明らかになります。その後、8万年前頃以降、考古学的遺物群の分布は7万~6万年前頃の間にフランス南部において最高密度で観察され、これは人口縮小の期間における人口統計学的および/もしくは文化的逃避地を示唆しているかもしれません。その後、密度の多発域停滞したままですが、より多い数の個々の遺跡がユーラシア西部の大半に分布しており、地理的再拡大段階が示唆されます。このパターンは、ユーラシア西部全域の後期ネアンデルタール人の、変動する気候的および生態学的条件に対応する、変化する適応戦略を反映しているかもしれません。以下は本論文の図4です。
ROADデータセットにおける空間的パターンの堅牢性を評価するために、空間依存性と不均一な標本抽出を考慮しながら、ネアンデルタール人の遺跡密度の統計的に有意なまとまり(「多発域」)を特定する局所的なGetis–Ord Gi*が適用されました。この手法は、クラスタ化(まとまること)の形式的な空間検定の提供によって、核心密度可視化を補完します。その結果、13万~11万年前頃から9万~8万年前頃までの多発地域の縮小が示され、その後、8万年前頃以後に、クラスタ化は復活し、強化されます。8万~7万年前頃以降は、出現して持続する多発域がヨーロッパ西部に集中する一方で、他地域の多発域は消滅する傾向にあります。6万~5万年前頃までに、統計的に有意な集中がフランスで現れ、これはネアンデルタール人の存在の最終段階にネアンデルタール人の活動がヨーロッパ南西部に集中していたことと一致します。構造化順列検定では、このパターンは無作為の空間標本抽出のみでは説明できない、と論証されており、このパターンは発見の偏りではなく人口統計学的持続を反映している、との解釈を裏づけます。
さらに、局所的水準希薄化分析を用いて、この明らかな後期の地理的拡大がより大きな標本規模によって説明できるのかどうか、検証されました。8万~7万年前頃を基準として用いて、同じ数の場所(60ヶ所)により新しい年代断面を繰り返し低解像度処理して(1000回反復)、経度範囲と2度の経度区分の居住を通じて経度の拡大(全体と中央95%)が定量化されました。希薄化後に、経度の拡大は漸進的に増加し、7万~6万年前頃には、8万~7万年前頃よりも有意に広い中心95%範囲が示され、6万~5万年前頃と5万~4万年前頃には、有意にゆり大きな全体と中心範囲が示されました。8万~7万年前頃以後のすべての時間断面は、基準に欠けている追加の経度区分を占めており(中央値で2~3の区分)、標本規模増加のみが原因ではない、地理的分布の実際の8万~7万年前頃以後の拡大を裏づけています。
さらに、先行研究で実行された分析が再現され、13万~4万年前頃のネアンデルタール人の基本的な気候生態的地位の空間が調べられました。近年では、ROCEEH研究団がより多くのヨーロッパのデータをROADに統合することに注力しており、そりによって、より広範なデータセットに同じ手法を適用できるようになりました。本論文の分析は、ROADの最新版を用いて、ユーラシア西部全域のネアンデルタール人遺跡の古気候再構築と時空間的種分布モデルと年代測定された文脈を組み合わせます。間氷期のMIS5e以降のネアンデルタール人の生態的地位の空間規模の一般的縮小が確証され、ネアンデルタール人の消滅期間を除けば、最小の予測される潜在的な生態的地位の空間は65000年前頃となり、これはMIS4の最盛期で、これは寒冷で乾燥した気候条件が特徴の氷期です。
まとめると、これらの調査結果は、考古学的遺跡の分布と生態的地位モデル化の両方で、環境変化とネアンデルタール人の空間構造との間の密接な関係を強調します。
●考察
本論文は古代型のヒト【非現生人類ホモ属、絶滅ホモ属】のmtDNAデータセットを確証し、絶滅につながったネアンデルタール人の進化の最後の段階に伴っていた、遺伝的過程を解明します。標的濃縮と次世代配列決定に従って、MIS5~4およびMIS3両方の後期ネアンデルタール人と関連する、10点の完全もしくは部分的なネアンデルタール人のミトコンドリアゲノムが収集されました。これらに含まれる追加のmtDNA配列は、ゴイエ(ベルギー)の3点、トゥルトワラック岩陰(フランス)の3点、ペシュトゥリナ(セルビア)とサン=セザール(フランス)とトロウ・マグリット(ベルギー)とゼッセルフェルス(ドイツ)の1点ずつです。トロウ・マグリットのデータは、ベルギーにおける遺跡の総数を増やし、特定されているネアンデルタール人標本は9点になりました。新たに生成された配列は、ユーラシア西部とシベリア南部のアルタイ山脈にまたがる、以前に刊行されたmtDNA配列と共同分析されました。
mtDNA系統発生分析は、後期ネアンデルタール人における強い時間的兆候と、系統地理的パターンの欠如を示しています。じっさい、現時点で利用可能な後期ネアンデルタール人22個体のミトコンドリアゲノムのうち2点を除いてすべて、単一の系統内でまとまっており、この系統にはスペインからコーカサスまでのヨーロッパの大半にまたがる個体群が含まれています。対照的に、ペシュトゥリナとトゥルトワラックの新たに報告されたMIS3に先行するヨーロッパのネアンデルタール人や、ゼッセルフェルスのネアンデルタール人は、より深く分岐した枝に位置づけられ、後期ネアンデルタール人の遺伝的差異外に位置しています。このパターンは、ゴイエなど1ヶ所の遺跡におけるmtDNAの多様性を調べる場合とくに明らかで、ゴイエには、最大4000年の時間枠で、ヨーロッパ全域の後期ネアンデルタール人で観察されたほぼ全体の多様性が含まれていますか。したがって、ネアンデルタール人のmtDNAの多様性はMIS5~4からMIS3にかけて減少し、単一の後期ネアンデルタール人系統がヨーロッパ全域に広く分布しており、大きな人口統計学的変化が示唆されます。
これらの調査結果から、後期ネアンデルタール人集団は、それ以前のmtDNA系統の大半の喪失につながった、人口ボトルネック(瓶首効果)もしくは連続的で小さな有効人口規模から出現した、と示唆されます。興味深いことに、ネアンデルタール人の三半規管に関する最近の形態学的分析も、同様の瓶首効果事象を指摘しています。さらに、MIS5~4のヨーロッパのネアンデルタール人は同様の進化的軌跡をたどったようで、そのmtDNAは地理に関係なくmtDNAの2系統でおもにまとまっています。まとめると、これらの結果から、ネアンデルタール人の人口史を通じて地理的縮小および拡大の繰り返しのパターンがあり、それは恐らく最終氷期における大きな気候変動によって引き起こされた、と示唆されます。
ベイズ統計枠組みを用いて、新たに誠意背されたmtDNA配列の分子年代が推定され、層序もしくは関連する遺物に基づく間接的年代測定手法との一致が示されました。これらの分子年代測定劣化は、この研究で得られた2点の年代を含めて、4万年前頃より新しいゴイエの標本の直接的な放射性炭素年代に疑問を呈する、さらなる証拠をもたらします。さらに、トロウ・マグリットの放射性炭素年代測定されなかった新生児の大腿骨について、MIS3の分子年代が得られました。さらに、主要な後期ネアンデルタール人のmtDNAの枝の出現は65000年前頃に起きており、その前の停滞期にはmtDNAの多様化事象が起きなかった、と推定されます。この停滞期は3万年以上続き、過酷な気候条件によって特徴づけられる氷期である、MIS4にまたがっています。とくに、73000~60000年前頃の氷期極大期には、ヨーロッパのネアンデルタール人は著しく悪化した気候条件に直面した可能性が高そうです。したがって、本論文の結果は、後期ネアンデルタール人のmtDNA系統の大半が由来する、ネアンデルタール人の歴史の末期に向かって起きた、気候によって引き起こされた人口置換と一致します。
後期ネアンデルタール人のmtDNAの枝の起源の年代測定に加えて、ほとんどの後期ネアンデルタール人のmtDNAの多様性を生み出した、MIS4における氷期逃避地かもしれない場所の推測が試みられました。ROADにおける約20年間のデータ収集に基づいて、ネアンデルタール人の歴史の9万年(13万~4万年前頃)にわたる考古学的遺物群の地理的変化が追跡されました。遺伝学と考古学のデータの組み合わせから見浮きネアンデルタール人は大規模な人口置換を経ており、ヨーロッパの他地域全体に再分布する前に、おそらくはフランス南西部の地理的に限定された集団から生じた、と示されます。これは、7万年前頃のヨーロッパ西部における大きな生態的地位の変化との仮説を裏づけ、その仮説では、ネアンデルタール人は新たな技術的解決を開発し、異なる移動パターンを採用することで、MIS5と同じ領域に居住できた、とされます。しかし、本論文の主張は、この生態学的地位の縮小は大陸水準の影響を及ぼし、65000年前頃以後のヨーロッパにおける後期ネアンデルタール人の間の高度な遺伝的均質性につながったかもしれない、というものです。
この事象はほぼより古いネアンデルタール人系統を置換し、後期ネアンデルタール人における生き残った65000年前頃以前のmtDNAの多様性がほぼ欠如していることで証明されるように、単一のmtDNA系統が急速に拡大しました。衆目すべき例外には、フランスのトランとレス・コテスZ4-1514が含まれており、そのmtDNA系統は置換事象後も存続し、ヨーロッパ南西部の氷期逃避地におけるより高い遺伝的多様性の保存が示唆されます。遺伝学と考古学の記録における偏りの可能性を認識しつつも、本論文で提示された遺伝学的調査結果は、推定される遺伝的瓶首効果の頃のネアンデルタール人遺物群の蓄積の縮小およびその後の拡大を示唆する、ROADの考古学的証拠と一致します。遺伝的データは後期ネアンデルタール人集団間の高度な均質性を示しますが、この期間の物質文化はまったく均質ではありません。将来の古遺伝学的研究は最終的に、ネアンデルタール人の絶滅に先行した可能性が高い、文化的多様化と孤立の過程の複雑さに知見を提供できるかもしれません。
最後に、本論文は45000年前頃以後の後期ネアンデルタール人の有効人口規模における急速な減少を特定し、この人口減少は42000年前頃に最小に達しており、これは恐らくネアンデルタール人の最終的な消滅の期間に相当します。この結果はユーラシア西部全域の潜在的なネアンデルタール人の生態的地位の空間の分析を裏づけており、その空間はネアンデルタール人の存在の末期に最小に達しました。
要するに、本論文は後期ネアンデルタール人の複雑な人口統計学的歴史を明らかにし、それは人口縮小とその後の再拡大によって特徴づけられ、最終的にはヨーロッパ全域のmtDNA系統のほぼ完全な置換に至りました。この人口置換の程度を判断するのは、追加のネアンデルタール人の核ゲノムの生成のみでしょうが、ミトコンドリアゲノムを考古学的証拠と統合することで、後期ネアンデルタール人の遺伝的構成を形成した事象の時期と地理的背景に、重要な知見が提供されます。
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母系の観点では、ヨーロッパのほぼすべての後期ネアンデルタール人は単一の母系に属しており、人口置換が示唆されます。この単一の母系の多様化は65000年前頃に現在のフランス南西部で始まった、と推定されており、ネアンデルタール人は、寒冷化などで分布範囲が縮小した後で、温暖化などによって氷期逃避地から再びヨーロッパ全域へと拡大していった、と考えられます。恐らくこれは、ネアンデルタール人の人口史において繰り返されており、それは6万年以上前の現生人類(Homo sapiens)も種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)も同様なのでしょう。
さらに、母系の観点では、ネアンデルタール人の推定有効人口規模は45000年前頃に急速に減少し始め、42000年前頃に最小値となりますが、これはネアンデルタール人の痕跡がヨーロッパの大半において消滅する直前となります。おそらく、ネアンデルタール人がその進化史において局所的に消滅したことは珍しくなく、その要因は気候変動など時空間的に異なるのでしょうが、最終的にネアンデルタール人が絶滅した究極的要因は、現生人類との競合なのでしょう。ただ、ネアンデルタール人の絶滅とはいっても、非アフリカ系現代人はわずかながらネアンデルタール人由来のゲノム領域を継承しているので[14]、形態学的および遺伝学的にネアンデルタール人的な特徴を一括して有する集団は絶滅した、と表現するのがより妥当でしょうか。
以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、MIS(Marine Isotope Stage、海洋酸素同位体ステージ)、mg(milligram、ミリグラム)、HPD(highest posterior density、最高事後確率)、rCRS(revised Cambridge Reference Sequence、改訂ケンブリッジ参照配列)、ROCEEH(The Role of Culture in Early Expansions of Humans、ヒトの初期拡大における文化の役割)、OSL光刺激発光(Optically Stimulated Luminescence、略して)年代測定、ESR(electron spin resonance、電子スピン共鳴法)年代測定、ROAD(ROCEEH Out of Africa Database、ROCEEH出アフリカデータベース)です。本論文で取り上げられる主要な文化は、キーナ型ムステリアン(Quina-type Mousterian、キーナ型ムスティエ文化)です。
本論文で取り上げられる主要な遺跡および地名は、スペインのアタプエルカ山地(Sierra de Atapuerca)の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」(略してSH)と彫像坑道(Galería de las Estatuas、略してGE)とエル・シドロン(El Sidrón)洞窟、ジブラルタルのフォーブス採石場(Forbes’ Quarry)、フランスのサン=セザール(Saint-Césaire)のラ・ロシュ=ア=ピエロ(La Roche-à-Pierrot)とマンドラン洞窟(Grotte Mandrin)とレス・コテス(Les Cottés)とトゥルトワラック(Tourtoirac)、イタリアのブロイオン岩陰(Riparo Broion)、ベルギーのトロウ・マグリット(Trou Magrite)とゴイエ(Goyet)の第三洞窟(Troisième caverne)とスピ(Spy)洞窟とスクラディナ洞窟(Scladina Cave)とフォンヅ・デ・フォレット(Fonds de Forêt)、ドイツのゼッセルフェルス洞窟(Sesselfelsgrotte)岩陰と小フェルトホーファー洞窟(Kleine Feldhofer Grotte)とホーレンシュタイン・シュターデル洞窟(Hohlenstein-Stadel Cave)、クロアチアのヴィンディヤ(Vindija)洞窟、ポーランドのスタイニヤ洞窟(Stajnia Cave)、セルビアのペシュトゥリナ(Pešturina)洞窟、コーカサス北部のメズマイスカヤ(Mezmaiskaya)洞窟、シベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)とチャギルスカヤ洞窟(Chagyrskaya Cave)とオクラドニコフ(Okladnikov)洞窟です。
●要約
ネアンデルタール人の人口史は部分的にしか理解されていません。ヨーロッパでは、12万年前頃以降のある程度の遺伝的連続性が、複数回のその後の多様化事象にも関わらず、示されてきました。ヨーロッパにおける後期ネアンデルタール人の出現に先行する人口置換が提唱されてきましたが、この事象の程度と時期と地理的位置は現時点で不明です。本論文は、ベルギーとフランスとドイツとセルビアの6ヶ所の考古学的遺跡のネアンデルタール人のmtDNAを報告し、刊行されている49個体のmtDNAとともに分析します。系統発生的および分子的年代測定の広範な考古学的データセットとの統合によって、ネアンデルタール人の分布における時空間的なパターンの再構築が可能となりました。注目すべきことに、ヨーロッパ全域のほぼすべての後期ネアンデルタール人個体は、近い過去に多様化した単一のmtDNA系統に属しており、大規模な遺伝的置換が確証されます。本論文の分析では、この多様化事象の年代は65000年前頃となり、この多様化はフランス南西部の人口逃避地起源だった可能性が高く、ネアンデルタール人はそこからヨーロッパ全域で大きな範囲拡散を経たようです。さらに、45000年前頃に始まるネアンデルタール人のmtDNAの有効人口規模の急激な減少と、その有効人口規模は絶滅直前の42000年前頃に最小値に達したことが検出されます。本論文では、分子および考古学のデータセットの統合が後期ネアンデルタール人の人口史のより深い理解を提供する、と論証され、経時的なネアンデルタール人の遺伝的景観の形成における、気候に起因する逃避地の重要な役割とその後の範囲拡大が浮き彫りになります。
●研究史
ネアンデルタール人の遺伝的歴史がさほど理解されていないのは、限られた数のネアンデルタール人遺骸しか遺伝学的に調べられてこなかったからです。mtDNAの研究は、ネアンデルタール人の進化史の解明において重要でした。mtDNAの超可変領域の初期の分析で、ネアンデルタール人は現代人の遺伝的差異の範囲外に位置し、ユーラシア西部のみならず、東方ではシベリア南部のアルタイ山脈[2]まで分布していた、と明らかになりました。次世代配列決定技術の出現によって、最初の完全なネアンデルタール人のmtDNAの再構築が可能となり、配列決定されたネアンデルタール人のmtDNAは現代人の外群を表していた、と明らかに確証されました[3]。標的濃縮技術の開発に伴い、追加の完全なネアンデルタール人のmtDNAゲノムがヨーロッパ全域で利用可能になり、低い遺伝的多様性を一貫して示し、現代人と比較してより小さな有効人口規模が示唆されます[4、5]。2010年には、未知の人類集団のミトコンドリアゲノムが配列決定され、ネアンデルタール人と現生人類は、デニソワ人と命名された新たに配列決定された集団と比較して、姉妹集団と判断されました[6]。同年に、ネアンデルタール人とデニソワ人両方の最初の概要核ゲノムが刊行されました[7、8]。
ネアンデルタール人から非アフリカ系現代人、デニソワ人からオセアニア現代人への遺伝子流動の証拠が明らかになったことに加えて、ネアンデルタール人とデニソワ人の両古代型人類【非現生人類ホモ属、絶滅ホモ属】集団は、現代人とよりも相互の方と核ゲノム水準で密接に関連している、と示されました。スペインのSHの中期更新世人類(43万年前頃)のゲノム配列決定はこの状況にさらに複雑さを追加し、初期ネアンデルタール人と類似した核ゲノムが、デニソワ人と類似したmtDNAの兆候とともにあることを明らかにしました[9、10]。この不一致は初期現生人類集団からネアンデルタールへの遺伝子流動が原因とされ、これはmtDNAによって裏づけられた想定で[11]、後にY染色体分析[12]およびもっと新しいゲノム規模研究で裏づけられました[13、14]。
旧石器時代の洞窟から回収された堆積物標本の分析は、骨格遺骸がない場合でさえ、人類のmtDNAおよび核DNAの回収を顕著に拡大しました[15~17]。スペインの彫像坑道の中期更新世堆積物から回収された核DNAは、135000年前頃および105000年前頃となる少なくとも2回のネアンデルタール人の拡散の証拠を明らかにしました[15]。対照的に、アルタイ山脈の古代ゲノム研究は、12万~8万年前頃の間の西方ネアンデルタール人集団による人口置換を示唆しています[18、19]。一方で、ヨーロッパのネアンデルタール人からの遺伝的データは、MIS5~3にわたる12万~4万年前頃までのかなりの程度の連続性を示しています[20]。しかし、人口置換はヨーロッパにおけるネアンデルタール人の存在の末期に向かっても起きていたようです[21]。
これらの人口統計学的パターン、とくにヨーロッパ全域での人口縮小と再拡大と系統置換や、その時間的および地理的範囲は、依然として充分には理解されていません。さらに、これらの人口動態を文脈化するための、遺伝的データの考古学的証拠との統合は、これまで限られてきました。本論文は、追加のネアンデルタール人49個体のmtDNA配列の包括的データセットとともに調べた、新たに配列決定されたmtDNAゲノムに基づく、後期ネアンデルタール人の出現と発展に関する人口統計学的観点を提供します。本論文の結果は、地理的縮小に続くヨーロッパ全域のネアンデルタール人の再拡大を明らかにし、これはネアンデルタール人の最終的な消滅に先行する系統置換によって特徴づけられます。これらの遺伝的兆候を文脈化するために、ユーラシア西部全域の物質文化における通時的変化を捉えている、広範な考古学的データセットが統合されました。本論文では、後期ネアンデルタール人の多様化に先行する遺伝的置換は、考古学的遺物群の分布減少と一致する、と示されます。気候記録とともに文化的および遺伝学的証拠を統合することで、この学際的分析は絶滅に至ったネアンデルタール人の経た人口統計学的変化のより詳細な理解を提供します。
●考古学的背景とデータ生成
ベルギーとフランスとドイツとセルビアの6ヶ所の考古学的遺跡から、完全もしくは部分的なネアンデルタール人のミトコンドリアゲノムが生成されました(図1)。これらには、ベルギーのゴイエの第三洞窟の配列決定された後期ネアンデルタール人3個体が含まれ、ゴイエでは以前に、ネアンデルタール人6個体の遺骸から核ゲノムとmtDNAの両配列が回収されました[5、21]。フランスのサン=セザールのラ・ロシュ=ア=ピエロのムステリアン層で見つかった、後期ネアンデルタール人新生児1見たいからの遺伝的データも報告されます。ベルギーのトロウ・マグリットのネアンデルタール人の新生児1個体から追加のmtDNAデータが得られ、これはトロウ・マグリットの既知のネアンデルタール人遺骸2個体のうち1個体ですが、その層序的および文化的背景は依然として不明です。別のミトコンドリアゲノムが、イツのゼッセルフェルス洞窟岩陰のネアンデルタール人胎児1個体から回収され、その年代測定も不明です。さらに、フランスのトゥルトワラック遺跡のMIS3に先行するネアンデルタール人3個体が分析され、これはキーナ型ムステリアンの背景と関連しています。最後に、セルビアのペシュトゥリナ洞窟遺跡で見つかった、MIS3に先行するネアンデルタール人の歯1点からmtDNAデータが生成されました。遺伝学的に分析された費用本および関連する考古学的遺跡に関するさらなる情報は、補足資料第1項で報告されています。以下は本論文の図1です。
全標本は、8~77mgの間の骨もしくは歯の粉末を標本抽出する前に微細計算断層写真術で検査され、骨もしくは歯の粉末からDNAが抽出されて、一本鎖遺伝的ライブラリへと変換されました。平均網羅率の範囲は14~146倍で、5’末端におけるシトシンからチミンへの脱アミノ化の割合は10~58%の間でした。mtDNAの汚染水準が推定され、典型的な古代DNA損傷の存在に基づいて、10%超の現代人の汚染の証拠証拠がある個体のデータは除外されました。最後に、mtDNAコンセンサス配列が収集され、それが系統発生と分子年代測定と人口統計学的な分析に用いられました。
●系統発生分析
以前に刊行されたほぼ完全なネアンデルタール人のmtDNAとともに、新たに配列決定されたミトコンドリアゲノムを系統発生分析すると(図2)、後期更新世ネアンデルタール人のmtDNAの差異内の配置が確証されました(図2A)。ベルギー(ゴイエ)とフランス(サン=セザール)両方の後期ネアンデルタール人個体の配列は、他の後期ネアンデルタール人の大半とともに系統発生的枝に位置します。トロウ・マグリット遺跡個体のmtDNAもこの系統に属しており、後期ネアンデルタール人との時間的関連が示唆されます。じっさい、フランスのレス・コテス遺跡の個体Z4-1514と、フランスのマンドラン洞窟のトラン(Thorin)と呼ばれる個体のmtDNA配列[21、34]を除いて、イベリア半島(エル・シドロン1253号)からコーカサス(メズマイスカヤ2号)まで他のすべての後期ネアンデルタール人個体は、同じmtDNA系統の下位の枝へとクラスタ化します(まとまります)。以下は本論文の図2です。
具体的には、ゴイエの2878-2D個体の新たに配列決定されたmtDNAは系統発生的に、ベルギーのスピの1個体およびイタリアのブロイオン岩陰の1個体の近くに位置しています(図2)。ゴイエの標本は、放射性炭素年代測定によって較正年代で37000~36000年前頃とされました[5]。しかし、4万年前頃となるネアンデルタール人絶滅について予測される時期に先行するこの年代は、ニスによる汚染に影響を受けている可能性が高そうです[5]。さらに、対での距離分析から、ゴイエ2878-2DのmtDNA配列は、較正年代で43000~42000年前頃と直接的に年代測定された同じ考古学的遺跡の1個体であるゴイエQ56-1と同一と示されます[5]。これは、ゴイエ2878-2Dについて同様の年代を示唆しており、それは、以前に提案された、45000~41000年前頃とのゴイエのネアンデルタール人遺骸全体の年代間隔内に収まります。同様に、新たに配列決定された標本Q305-1についてで得られた4万年前頃以後の放射性炭素年代(較正年代で37560~36430年前頃)は、おそらくコラーゲンの汚染のためです。じっさい、ゴイエQ305-1のmtDNAはQ305-4およびフェルトホーファー2号とともに分類され、フェルトホーファー2号は、44000~42000年前頃と年代測定されたネアンデル渓谷の小フェルトホーファー洞窟の後期ネアンデルタール人個体です。最後に、ベルギーのトロウ・マグリット2422-36個体(直接的に年代測定されていません)は、小フェルトホーファー洞窟(フェルトホーファー1号)やゴイエ(ゴイエQ57-2)やクロアチアのヴィンディヤ洞窟の1個体(ヴィンディヤ33.25)の他のmtDNA配列とまとまります。
限られたDNA保存状態と高水準のDNA汚染のため、標本ゴイエD183-4(直接的な年代測定では較正年代で38880~37030年前頃ですが、コラーゲン汚染のため不自然により新しくなっている可能性が最も高そうです)とサン=セザールRPB_117(層序学的年代測定では60000~55000年前頃)は、系統発生的分析に含められませんでした。しかし、系統発生全体における各下位系統の診断可能な置換の検査によって、これらの配列は暫定的にネアンデルタール人のmtDNA系統樹内に位置づけることができました。ゴイエD183-4とサン=セザールRPB_117は後期更新世ネアンデルタール人系統に位置し、その時間的関連と一致します(図2)。解像度の限界までだと、サン=セザールRPB_117が後期ネアンデルタール人系統の主要な節から分岐しているのに対して、ゴイエD183-4は系統樹のより派生的な位置から分岐しており、ベルギーやドイツやクロアチアの他の個体を含む下位系統に位置しています。これらの結果は、広範な地理的距離にまたがる後期ネアンデルタール人の間の密接なmtDNAの類似性を浮き彫りにしており、ヨーロッパの西部と南部の後期ネアンデルタール人集団を結びつけます。
ゴイエとヴィンディヤと小フェルトホーファー洞窟の遺跡には異なる下位系統に位置するmtDNAを有する1個体以上が含まれているので、これらの各遺跡の遺伝的多様性の水準の、後期ネアンデルタール人の間で観察される多様性との比較が試みられました。各考古学的遺跡内の配列間と、主要な後期ネアンデルタール人のmtDNA系統に位置する全個体間の対でのmtDNA距離が計算されました。最も多くの標本が抽出されたゴイエやヴィンディヤやフェルトホーファーの個体群の遺伝的多様性は、主要な後期ネアンデルタール人系統全体と有意には異なっていません(図2B)。これがとくに注目すべきなのは、少なくともゴイエについては、ネアンデルタール人の骨格群は一般的なネアンデルタール人集団を表しておらず、選択的食人を含めて人為的活動の結果である可能性が最も高いからです。
ヨーロッパとアルタイのMIS5~4のネアンデルタール人標本(123000~57000年前頃)は、系統発生においてより基底部で分岐した系統の一部です。ヨーロッパ内では、ホーレンシュタイン・シュターデル洞窟(ドイツ)とスクラディナ洞窟(ベルギー)の12万年前頃と年代測定された2個体が異なる2系統に位置しており、それらは後期更新世のmtDNA系統樹の最も基底部[11、20]です(図2A)。ネアンデルタール人の居住が間接的にMIS3よりも前、つまり57000年以上前と年代測定された、フランスのトゥルトワラックの新たに配列決定されたネアンデルタール人のうち2個体(N.1とN.4)は、スクラディナI-4Aと同じ系統に位置します。むしろ、ヨーロッパの他のMIS5~4のネアンデルタール人のほとんどは、ロシア西部の2個体(メズマイスカヤ1号および3号)およびポーランドの1個体(スタイニヤS5000)のミトコンドリアゲノムを含む、別の系統に位置します。
新たに配列決定された個体のうち、間接的に111000±11000年前と年代測定されたセルビアのペシュトゥリナ3号と、トゥルトワラックのMIS3に先行するネアンデルタール人1個体(D_14)は、この系統とも関連しています。トゥルトワラックの分析された3個体は、同じネアンデルタール人の居住期間に属している、と考えられています。そのmtDNA配列は不完全ですが、本論文のSNP分析では、これらのmtDNA配列はmtDNAの異なる2系統に収まる、と示唆されており、単一の後期ネアンデルタール人遺跡で観察された場合よりもトゥルトワラック遺跡の方で遺伝的多様性が大きい、と示唆されます。この研究で生成され、主要なMIS5~4の系統と関連する別のネアンデルタール人のmtDNAは、ゼッセルフェルス1号の胎児遺骸に由来します。この個体は直接的に年代測定されていませんが、堆積状況の真上の堆積物の熱発光年代測定では、51100±10300年前と57500±12800年前の年代が得られました。これらの層序学的推定値は、その系統発生的位置づけとともに、ゼッセルフェルス遺跡のMIS3に先行する帰属を裏づけるかもしれません。しかし、ゼッセルフェルス洞窟全体を層序的に年代測定する将来の試みは、この個体の年代および文化的背景の解明に役立つかもしれません。
保存状態が悪いmtDNA配列のより大きなデータセットを含む別の系統発生分析では、同じ主要なMIS5~4の系統には、イベリア半島の2ヶ所の遺跡のMIS3に先行するネアンデルタール人(彫像坑道2号の第2層、彫像坑道1号の第3層、フォーブス採石場)が含まれます。MIS5~4のヨーロッパのネアンデルタール人のmtDNA多様性内な尾サマル唯一の後期ネアンデルタール人個体は、フランスのマンドラン洞窟の最近刊行されたmtDNA(トラン)で、年代は5万年前頃です[34]。したがって、主要な後期ネアンデルタール人のmtDNA系統と同じく、このおもにMIS3に先行するネアンデルタール人の系統には、イベリア半島からコーカサスまで、広範な地理的分布のヨーロッパの個体群も含まれています。
要するに、ネアンデルタール人のmtDNA系統の地理的分布は、MIS5~4とMIS3との間の遺伝的多様性における明確な減少を論証しています。MIS5~4にはユーラシア全域で複数の系統が存在していましたが、MIS3のほとんどのネアンデルタール人は単一の系統発生的無枝に属しており、フランス南西部ではより深く分岐したmtDNA配列が稀に存続しています。系統多様性におけるこの減少は、後期ネアンデルタール人集団の遺伝的歴史における大きな人口統計学的変化を裏づけます。
●分子年代測定と人口統計学的分析
mtDNA系統樹内の主要な多様化事情の年代を推定し、間接的に年代測定されたネアンデルタール人標本の年代を評価するために、分子年代測定分析が実行されました。この分析のために、ゴイエ2878-2DとゴイエQ305-1とトロウ・マグリット2422-36とペシュトゥリナ3と、欠落データの割合の低い他の以前に刊行されたネアンデルタール人のmtDNAが無保持されました。ベイズ統計枠組みを用いて、系統発生内の主要な節の分岐年代が計算されました(図3A)。ホーレンシュタイン・シュターデル系統の最も深い分岐は275000年前頃(95%HPD間隔で316000~235000年前)と推定され、先行研究[11]で報告された年代が確証されました。より派生的な系統の起源は177000年前頃(95%HPD間隔で206000~148000年前)および101000年前頃(95%HPD間隔で123000~87000年前)と年代測定され、ペシュトゥリナ3を含めて、アルタイとヨーロッパのMIS3に先行するネアンデルタール人のmtDNA配列のほとんどがそこから生じました。最後に、主要な後期ネアンデルタール人のmtDNA系統の多様化は65000年前頃(95%HPD間隔で76000~56000年前)と推定されました。この合着(合祖)事象の前に3万年間にわたる停滞があり、その期間には特定されたmtDNA系統の多様化が起きませんでした。以下は本論文の図3です。
さらに、おそらくは汚染の影響を受けたか(ゴイエ2878-2D、ゴイエQ305-1)、放射性炭素年代測定の限界を超えた(ペシュトゥリナ3)、直接的年代が利用できなかった(トロウ・マグリット2422-36)、新たに生成されたmtDNA配列分子年代が推定されました。標本ゴイエ2878-2DとゴイエQ305-1とトロウ・マグリット2422-36ではそれぞれ、41000年前頃(95%HPD間隔で46000~36000年前)と41000年前頃(95%HPD間隔で5万~3万年前)と44000年前頃(95%HPD間隔で53000~35000年前)の平均年代が得られました。これらの値はほぼ、後期ネアンデルタール人の時間範囲およびゴイエの他の個体の以前に刊行された放射性炭素年代と重なっています。さらに、ペシュトゥリナ3は分子的に11万年前頃(95%HPD間隔で140000~79000年前)と年代測定され、MIS5e~5cとの以前に得られたOSLおよびESR年代と一致します。したがって、ベルギーとセルビアの新たに報告された個体群の結果は、分子年代測定と層序もしくは関連する遺物に基づく他の間接的な年代測定手法との間で一致を示します。この分析を直接的な放射性炭素年代測定のない以前に刊行された個体群に拡張すると、系統樹にそっとより基底部に動く、より古くなる一般的パターンが観察されます。じっさい、主要な後期ネアンデルタール人系統に位置する全個体は、平均年代の範囲が44000~40000年前頃となる狭い95%HPD間隔(±7000年)をもたらします。
より深い系統からの分岐にも関わらず、固定された放射性炭素年代なしで分析すると、後期ネアンデルタール人個体であるレス・コテスZ4-1514の分子年代は、64000年前頃(95%HPD間隔で91000~41000年前)となります。平均分子年代は直接的年代(較正年代で43740~42720年前頃)より古いものの、HPD間隔は重なっています。むしろ、主要なMIS5~4のネアンデルタール人のヨーロッパの系統に属する全個体は、ペシュトゥリナやメズマイスカヤ1号および3号やスタイニヤS5000やトランを含めて、ずっと大きな95%HPD間隔(±25000年)にも関わらず、10万年前頃の平均分子年代を示します。これらの年代は、他の年代測定技術での各個体の推定年代と大まかには一致しているか、わずかにより古く、例外はトランで、分子年代測定の半分ほどの年代でした[34]。トランを5万年前頃に固定すると、この系統の全個体はより新しくなるものの、後期ネアンデルタール人と一致する推定平均年代には達しません。最後に、より基底部に位置するヨーロッパの2個体、つまりホーレンシュタイン・シュターデル個体とスクラディナI-4A倍では12万年前頃の年代が得られ、以前に刊行された推定値[11、20]と一致します。
分子的に標本を年代測定するための、ベイズ分析の堅牢性を評価するために、以前に計算された最大節約系統樹でTempEstを用いて、末端から根への回帰分析が実行されました。現代人の参照配列(rCRS)かホーレンシュタイン・シュターデル配列のいずれかを、系統樹の根に位置づけるために用いると、系統発生的により派生した配列はより基底部の配列と比較して系統樹の根からより長い距離になる、との一般的傾向が観察され、これはBEAST2で得られた年代測定結果と一致しします(図3B)。しかし、注目すべき例外が2点あります。一方はレス・コテスZ4-1514のmtDNAで、主要な後期ネアンデルタール人系統より基底部で分岐しているにも関わらず、全ネアンデルタール人の中で置換数が最も多く蓄積されていました。もう一方はトランで、MIS3に先行するネアンデルタール人と類似した限定的な数の置換を示します。系統樹の枝間でかなりの割合の差異があるかもしれないので、トランで観察された短い枝長がより古い年代のためなかの、そのmtDNA系統のより速い変異率のためなのか、あるいはその両方なのかどうか、確証できません。じっさい、主要な後期ネアンデルタール人系統とは対照的に、現時点では、ネアンデルタール人のmtDNA系統樹における深い事象を較正する能力は、より深く分岐した枝に位置する放射性炭素年代測定された個体の少なさによって限られています。おもにMIS5~4のネアンデルタール人の枝から分岐したmtDNAを有する個体群の信頼できる直接的な年代が較正点として利用可能になれば、ネアンデルタール人の進化史におけるより古い事象について、より信頼できて正確な分子年代測定推定を実行できるでしょう。
最後に、合祖ベイズスカイライン分析を用いて、西方ネアンデルタール人の母系の有効人口規模の変化が計算されました(図3C)。この分析には、おそらくは単一の遺伝子座の疎らな標本抽出のため、MIS3に先行するネアンデルタール人の歴史における拡大および/もしくは縮小を検出する解像度はありませんが、利用可能な最大量の遺伝的データを有する期間である、後期ネアンデルタール人段階における人口統計学的変化が観察されました。具体的には、本論文の分析は、44500年前頃に後期ネアンデルタール人の有効人口規模の急激な減少を特定し、有効人口規模は42000年前頃に最小に達して、その直後にネアンデルタール人は消滅しました[42]。
●考古学的遺物群における時間的変化
本論文で得られた遺伝学的結果を考古学的枠組み内に位置づけるために、ROADを活用して、13万年前頃以降のネアンデルタール人の考古学的遺物群の分布が調べられました。ネアンデルタール人と関連する考古学的証拠の時空間的存在は、研究史やデータセットの収集および保存や地質学的制約など複数の偏りに影響を受ける可能性が高い、と本論文は認識しています。それにも関わらず、本論文の目的は、ROADの個別の3点の問題の実行によって、ネアンデルタール人の考古学的存在のさまざまな側面を把握することで、それは、(1)ヨーロッパにおける現生人類の到来に先行する年代のすべての利用可能なヨーロッパの中部旧石器時代遺跡、(2)ネアンデルタール人の骨格遺骸を含むすべての利用可能な遺跡、(3)ネアンデルタール人とこれまで関連づけられている技術複合体と関連するすべての利用可能な遺跡です。
次に、ROADに入力された年代が最大で3万年となる遺物群のみを維持するよう、これらのデータが選別されました。1万年の時間区分によって、ユーラシア全域のネアンデルタール人の記録された存在が図示されました(図4)。この分析では、13万~8万年前頃にかけて、ネアンデルタール人と関連するヨーロッパにおける考古学的証拠の分布は変動し、西方ではイベリア半島から東方ではバルカン半島にまでまたがる複数の地域に集中している、と明らかになります。その後、8万年前頃以降、考古学的遺物群の分布は7万~6万年前頃の間にフランス南部において最高密度で観察され、これは人口縮小の期間における人口統計学的および/もしくは文化的逃避地を示唆しているかもしれません。その後、密度の多発域停滞したままですが、より多い数の個々の遺跡がユーラシア西部の大半に分布しており、地理的再拡大段階が示唆されます。このパターンは、ユーラシア西部全域の後期ネアンデルタール人の、変動する気候的および生態学的条件に対応する、変化する適応戦略を反映しているかもしれません。以下は本論文の図4です。
ROADデータセットにおける空間的パターンの堅牢性を評価するために、空間依存性と不均一な標本抽出を考慮しながら、ネアンデルタール人の遺跡密度の統計的に有意なまとまり(「多発域」)を特定する局所的なGetis–Ord Gi*が適用されました。この手法は、クラスタ化(まとまること)の形式的な空間検定の提供によって、核心密度可視化を補完します。その結果、13万~11万年前頃から9万~8万年前頃までの多発地域の縮小が示され、その後、8万年前頃以後に、クラスタ化は復活し、強化されます。8万~7万年前頃以降は、出現して持続する多発域がヨーロッパ西部に集中する一方で、他地域の多発域は消滅する傾向にあります。6万~5万年前頃までに、統計的に有意な集中がフランスで現れ、これはネアンデルタール人の存在の最終段階にネアンデルタール人の活動がヨーロッパ南西部に集中していたことと一致します。構造化順列検定では、このパターンは無作為の空間標本抽出のみでは説明できない、と論証されており、このパターンは発見の偏りではなく人口統計学的持続を反映している、との解釈を裏づけます。
さらに、局所的水準希薄化分析を用いて、この明らかな後期の地理的拡大がより大きな標本規模によって説明できるのかどうか、検証されました。8万~7万年前頃を基準として用いて、同じ数の場所(60ヶ所)により新しい年代断面を繰り返し低解像度処理して(1000回反復)、経度範囲と2度の経度区分の居住を通じて経度の拡大(全体と中央95%)が定量化されました。希薄化後に、経度の拡大は漸進的に増加し、7万~6万年前頃には、8万~7万年前頃よりも有意に広い中心95%範囲が示され、6万~5万年前頃と5万~4万年前頃には、有意にゆり大きな全体と中心範囲が示されました。8万~7万年前頃以後のすべての時間断面は、基準に欠けている追加の経度区分を占めており(中央値で2~3の区分)、標本規模増加のみが原因ではない、地理的分布の実際の8万~7万年前頃以後の拡大を裏づけています。
さらに、先行研究で実行された分析が再現され、13万~4万年前頃のネアンデルタール人の基本的な気候生態的地位の空間が調べられました。近年では、ROCEEH研究団がより多くのヨーロッパのデータをROADに統合することに注力しており、そりによって、より広範なデータセットに同じ手法を適用できるようになりました。本論文の分析は、ROADの最新版を用いて、ユーラシア西部全域のネアンデルタール人遺跡の古気候再構築と時空間的種分布モデルと年代測定された文脈を組み合わせます。間氷期のMIS5e以降のネアンデルタール人の生態的地位の空間規模の一般的縮小が確証され、ネアンデルタール人の消滅期間を除けば、最小の予測される潜在的な生態的地位の空間は65000年前頃となり、これはMIS4の最盛期で、これは寒冷で乾燥した気候条件が特徴の氷期です。
まとめると、これらの調査結果は、考古学的遺跡の分布と生態的地位モデル化の両方で、環境変化とネアンデルタール人の空間構造との間の密接な関係を強調します。
●考察
本論文は古代型のヒト【非現生人類ホモ属、絶滅ホモ属】のmtDNAデータセットを確証し、絶滅につながったネアンデルタール人の進化の最後の段階に伴っていた、遺伝的過程を解明します。標的濃縮と次世代配列決定に従って、MIS5~4およびMIS3両方の後期ネアンデルタール人と関連する、10点の完全もしくは部分的なネアンデルタール人のミトコンドリアゲノムが収集されました。これらに含まれる追加のmtDNA配列は、ゴイエ(ベルギー)の3点、トゥルトワラック岩陰(フランス)の3点、ペシュトゥリナ(セルビア)とサン=セザール(フランス)とトロウ・マグリット(ベルギー)とゼッセルフェルス(ドイツ)の1点ずつです。トロウ・マグリットのデータは、ベルギーにおける遺跡の総数を増やし、特定されているネアンデルタール人標本は9点になりました。新たに生成された配列は、ユーラシア西部とシベリア南部のアルタイ山脈にまたがる、以前に刊行されたmtDNA配列と共同分析されました。
mtDNA系統発生分析は、後期ネアンデルタール人における強い時間的兆候と、系統地理的パターンの欠如を示しています。じっさい、現時点で利用可能な後期ネアンデルタール人22個体のミトコンドリアゲノムのうち2点を除いてすべて、単一の系統内でまとまっており、この系統にはスペインからコーカサスまでのヨーロッパの大半にまたがる個体群が含まれています。対照的に、ペシュトゥリナとトゥルトワラックの新たに報告されたMIS3に先行するヨーロッパのネアンデルタール人や、ゼッセルフェルスのネアンデルタール人は、より深く分岐した枝に位置づけられ、後期ネアンデルタール人の遺伝的差異外に位置しています。このパターンは、ゴイエなど1ヶ所の遺跡におけるmtDNAの多様性を調べる場合とくに明らかで、ゴイエには、最大4000年の時間枠で、ヨーロッパ全域の後期ネアンデルタール人で観察されたほぼ全体の多様性が含まれていますか。したがって、ネアンデルタール人のmtDNAの多様性はMIS5~4からMIS3にかけて減少し、単一の後期ネアンデルタール人系統がヨーロッパ全域に広く分布しており、大きな人口統計学的変化が示唆されます。
これらの調査結果から、後期ネアンデルタール人集団は、それ以前のmtDNA系統の大半の喪失につながった、人口ボトルネック(瓶首効果)もしくは連続的で小さな有効人口規模から出現した、と示唆されます。興味深いことに、ネアンデルタール人の三半規管に関する最近の形態学的分析も、同様の瓶首効果事象を指摘しています。さらに、MIS5~4のヨーロッパのネアンデルタール人は同様の進化的軌跡をたどったようで、そのmtDNAは地理に関係なくmtDNAの2系統でおもにまとまっています。まとめると、これらの結果から、ネアンデルタール人の人口史を通じて地理的縮小および拡大の繰り返しのパターンがあり、それは恐らく最終氷期における大きな気候変動によって引き起こされた、と示唆されます。
ベイズ統計枠組みを用いて、新たに誠意背されたmtDNA配列の分子年代が推定され、層序もしくは関連する遺物に基づく間接的年代測定手法との一致が示されました。これらの分子年代測定劣化は、この研究で得られた2点の年代を含めて、4万年前頃より新しいゴイエの標本の直接的な放射性炭素年代に疑問を呈する、さらなる証拠をもたらします。さらに、トロウ・マグリットの放射性炭素年代測定されなかった新生児の大腿骨について、MIS3の分子年代が得られました。さらに、主要な後期ネアンデルタール人のmtDNAの枝の出現は65000年前頃に起きており、その前の停滞期にはmtDNAの多様化事象が起きなかった、と推定されます。この停滞期は3万年以上続き、過酷な気候条件によって特徴づけられる氷期である、MIS4にまたがっています。とくに、73000~60000年前頃の氷期極大期には、ヨーロッパのネアンデルタール人は著しく悪化した気候条件に直面した可能性が高そうです。したがって、本論文の結果は、後期ネアンデルタール人のmtDNA系統の大半が由来する、ネアンデルタール人の歴史の末期に向かって起きた、気候によって引き起こされた人口置換と一致します。
後期ネアンデルタール人のmtDNAの枝の起源の年代測定に加えて、ほとんどの後期ネアンデルタール人のmtDNAの多様性を生み出した、MIS4における氷期逃避地かもしれない場所の推測が試みられました。ROADにおける約20年間のデータ収集に基づいて、ネアンデルタール人の歴史の9万年(13万~4万年前頃)にわたる考古学的遺物群の地理的変化が追跡されました。遺伝学と考古学のデータの組み合わせから見浮きネアンデルタール人は大規模な人口置換を経ており、ヨーロッパの他地域全体に再分布する前に、おそらくはフランス南西部の地理的に限定された集団から生じた、と示されます。これは、7万年前頃のヨーロッパ西部における大きな生態的地位の変化との仮説を裏づけ、その仮説では、ネアンデルタール人は新たな技術的解決を開発し、異なる移動パターンを採用することで、MIS5と同じ領域に居住できた、とされます。しかし、本論文の主張は、この生態学的地位の縮小は大陸水準の影響を及ぼし、65000年前頃以後のヨーロッパにおける後期ネアンデルタール人の間の高度な遺伝的均質性につながったかもしれない、というものです。
この事象はほぼより古いネアンデルタール人系統を置換し、後期ネアンデルタール人における生き残った65000年前頃以前のmtDNAの多様性がほぼ欠如していることで証明されるように、単一のmtDNA系統が急速に拡大しました。衆目すべき例外には、フランスのトランとレス・コテスZ4-1514が含まれており、そのmtDNA系統は置換事象後も存続し、ヨーロッパ南西部の氷期逃避地におけるより高い遺伝的多様性の保存が示唆されます。遺伝学と考古学の記録における偏りの可能性を認識しつつも、本論文で提示された遺伝学的調査結果は、推定される遺伝的瓶首効果の頃のネアンデルタール人遺物群の蓄積の縮小およびその後の拡大を示唆する、ROADの考古学的証拠と一致します。遺伝的データは後期ネアンデルタール人集団間の高度な均質性を示しますが、この期間の物質文化はまったく均質ではありません。将来の古遺伝学的研究は最終的に、ネアンデルタール人の絶滅に先行した可能性が高い、文化的多様化と孤立の過程の複雑さに知見を提供できるかもしれません。
最後に、本論文は45000年前頃以後の後期ネアンデルタール人の有効人口規模における急速な減少を特定し、この人口減少は42000年前頃に最小に達しており、これは恐らくネアンデルタール人の最終的な消滅の期間に相当します。この結果はユーラシア西部全域の潜在的なネアンデルタール人の生態的地位の空間の分析を裏づけており、その空間はネアンデルタール人の存在の末期に最小に達しました。
要するに、本論文は後期ネアンデルタール人の複雑な人口統計学的歴史を明らかにし、それは人口縮小とその後の再拡大によって特徴づけられ、最終的にはヨーロッパ全域のmtDNA系統のほぼ完全な置換に至りました。この人口置換の程度を判断するのは、追加のネアンデルタール人の核ゲノムの生成のみでしょうが、ミトコンドリアゲノムを考古学的証拠と統合することで、後期ネアンデルタール人の遺伝的構成を形成した事象の時期と地理的背景に、重要な知見が提供されます。
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