加藤聖文『世界史の中の明治維新 なぜ日本は「帝国」を目指したのか』

 SB新書の一冊として、SBクリエイティブより2026年3月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は世界史の視点からの明治維新で、著者の国民国家の視点からの日本近代史である『国民国家と戦争 挫折の日本近代史』(関連記事)と対になっているように思います。まず、江戸時代の日本列島の住民は、一部の知識層を除いて、「日本」を強く意識していなかったことで指摘されています。これはかなりのところ妥当な認識としても、近世は封建制社会で、中国や朝鮮には厳密に言えば近世はなく、古代の王朝体制がずっと続いていた、との本書の認識は、特定地域(本書の場合は日本)を基準に他地域にも時代区分を適用している点で、大きな疑問が残ります。

 本書では、近代は国民国家の時代とされますが、本来の「国民」とは共通の理念に基づいており、民族的な属性ではない、と指摘されています。国民国家の有効性は、フランス革命による軍事力強化で認識されていき、フランスがナポレオン時代に勢力を拡大していく過程で、蹂躙された側、具体的にはドイツで国民国家の要素に「民族」という概念が現れた、との見通しを本書は提示しています。日本も、江戸時代の国学で「日本」が強く意識され、明治維新の源流の一つとなります。つまり本書の分類では、近代国民国家における「国民」には、大別する「理念(市民)型」と「民族型」があるわけです。

 本書は、国民国家が世界史に広がった要因として、軍事的優位性以外に資本主義を挙げています。近代において、産業と金融の結びつきによって資本主義は成長しましたが、この産業革命と国民国家の親和性は、国民国家によって封建制が打ち破られ、階層流動性が高まったことにある、と本書は指摘します。社会の平準化が進み、人間の移動が自由になると、経済活動が活発になり、資本が巨大化していく、というわけです。国民国家と産業革命の組み合わせによって国力が増加し、強国が誕生した一方で、こうした動向に乗り遅れた国、つまりハプスブルク帝国やオスマン帝国やロシア帝国やダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)が没落していった、と本書は指摘します。

 日米修好通商条約については、本書では不平等と指摘されていますが、幕末に江戸幕府が日本を代表して西洋諸国と締結した条約は不平等である、との認識が社会に定着したのは明治時代以降だった、との見解(関連記事)も重要と思います。天皇の政治権力は平安時代中期以降に失われていた、との見解はかなり疑問ですし(後三条など天皇が政治を主導した、と言えそうな事例は少なくないように思います)、江戸時代には多くの庶民は天皇の存在をほとんど意識していなかった、との認識も、評価の微妙なところとは思います(どれだけ意識していたかはともかく、軍記物の語りによって、天皇の存在を知っていた庶民は少なくなかったでしょう)。本書の前近代や日本以外の見解については、疑問に思うところがややありました。

 明治以降の「国民の創出」については、まず家を行政の最末端組織として、家単位で把握されていった、と指摘されています。近代国民国家では領土の確定も重要となりますが、その過程で周辺諸国との対立が生じることは珍しくなく、時には戦争に至ります。日本の場合、台湾出兵などもありましたが、領土確定が直接的に本格的な対外戦争と結びついたわけではなく、近代初の本格的な対外戦争である日清戦争は、朝鮮をめぐる両国の対立から生じたことが指摘されています。ダイチン・グルンは、近代西洋の影響を受ける中で、朝鮮を冊封体制下の国から従属国へと読み替えるようになり、不平等条約とはいえ近代国家同士として1876年に日朝修好条規を締結し、朝鮮での勢力確保を考えていた日本にとって、ダイチン・グルンの対朝鮮政策は受け入れられませんでした。

 日清戦争と日露戦争を経て、韓国併合で日本は文字通りの「帝国」になった、と本書は評価しています。一方で、それが日本に併合された朝鮮も含めて、アジア東部の民族意識の覚醒につながり、帝国となった日本がそうした民族意識と対決してったことも、本書は指摘します。本書の主要な対象は、この明治時代末の韓国併合までとなりますが、大正時代以降の展望として、領土が拡大した日本において、新たな領土の住民を国民としていかに再編成するかが課題になった、と指摘されています。

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