北京の最初期完新世個体のゲノム

 北京西部の遺跡で発見された最初期完新世個体のゲノムを報告した研究(Zhang et al., 2026)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、北京西部の遺跡で発見された11000~9000年前頃の個体のゲノムデータを報告し、11000年前頃の個体が、これまで特定されていなかった非アフリカ系現代人系統におけるアジア東部北方内の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を表している、と示しました。この遺跡の9000年前頃の個体は、11000年前頃の個体との遺伝的類似性を示しているものの、別の祖先系統からの影響も受けている、と推定されました。

 アジア東部北方における後期更新世~前期完新世にかけては、類似しているものの、深く分岐した多様な遺伝的祖先系統の集団が存在した、と改めて明らかになり、アジア東部北方における旧石器時代から新石器時代への移行も、複雑な人口相互作用によって形成されたことが示唆されます。なお、明示していない場合、以下の年代は基本的に較正されています。また、本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事の以下の翻訳ではではとりあえず「中国」と表記します。以下は本論文の要約図です。
画像

 以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、K(kilo years ago、千年前)、TMRCA(the most recent common ancestor、最新共通祖先)、HPD(highest posterior density、最高事後確率)、AR(Amur River、アムール川)、nEA(northern East Asian、アジア東部北方)、SD(Shandong、山東)です。

 以下の時代区分と略称は、LGM(Last Glacial Maximum、最終氷期極大期)、ベーリング・アレレード(Bølling-Allerød)期、PNT(Paleolithic-to-Neolithic transition、旧石器時代~新石器時代の移行期)、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)です。本論文で取り上げられる主要な生物種は、現生人類(Homo sapiens)、ヒロクチカノコガイ(Neritina violacea)、アワ(Setaria italica)です。

 本論文で取り上げられる主要な中華人民共和国の遺跡は、北京市門頭溝(Mentougou)区の東胡林(Donghulin、略してDHL)遺跡、陝西省神木(Shenmu)市の石峁(Shimao)遺跡、河南省の汪溝(Wanggou、略してWGM)遺跡と暁塢(Xiaowu、略してXW)遺跡、山東省の小荊山(Xiaojingshan)遺跡と北阡(Beiqian)遺跡と博山(Boshan)遺跡と扁扁(Bianbian)遺跡と小高(Xiaogao)遺跡、福建省の奇和洞(Qihe Cave)遺跡です。本論文で取り上げられる主要な中華人民共和国以外の遺跡は、(現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では内モンゴル自治区とされている)モンゴル南部の裕民(Yumin)遺跡、ロシア極東沿岸の悪魔の門洞窟(Devil’s Gate Cave、Chertovy Vorota)遺跡とボイスマン(Boisman)遺跡です。


●要約

 最終氷期後の完新世の温暖化傾向と一致していたPNTは、世界中のヒトの文化的および遺伝的景観を大きく変えました。しかし、nEAにおけるこの移行期の遺伝的動態は、まだ充分には調べられていませんでした。本論文は、中国の北京西部に位置する東胡林遺跡(11000~9000年前頃)で発見された、3個体のミトコンドリアgenomeと2個体のゲノム規模データを報告します。11000年前頃のDHL_M1によって表される、新たに発見された深いnEA系統が特定され、この系統は後期更新世において初期に分岐しました。氷期後の温暖期における、約2000年間にわたる東胡林遺跡での遺伝的変化も特定されました。これらの調査結果は、nEAの新石器化の過程における遺伝的多様性と複雑な人口動態を浮き彫りにしており、この地域における独特なPNTの軌跡が示唆されます。


●研究史

 PNTにおける文化と遺伝の変化および気候変化との関係の理解は、複数の一連の研究においてひじょうに重要で、主題となってきました[1、3]。ベーリング・アレレード間氷期のヨーロッパにおける人口変化から、人口史は最終氷期末の気候変動に対して敏感だった、と示唆されています[4]。さらに、文化の拡大は常にヒトの移動と一致していたわけではなく、この期間における複雑な人口動態が浮き彫りになります。アジア南西部では、在来の狩猟採集民が農耕技術と概念を、人口構造の大きな変化なしに採用しました[3、6]。対照的に、ヨーロッパへの農耕拡大には、大規模な祖先系統の変化が伴っていました[7、8]。しかし、アジア南西部とヨーロッパにおけるこの移行過程についての解明が進んできたにも関わらず、別の新石器化の中心地であるnEAの人口動態は、依然として充分には理解されていません。

 nEA(秦嶺淮河線の北側のアジア東部と定義されます[9])は、最終氷期末には多様な地形と比較的安定した気候で、PNT過程を調べるのに重要な地域です。最終氷期は11000年前頃に終わり、新石器時代の特徴を有するいくつかの遺跡が、この期間のnEAで特定されてきましたが、その数は少ないままです。これらの遺跡は、後期更新世狩猟採集民と比較して異なる文化的特性を示しており、そうした特徴の一部は、永続的居住や磨製石器や初期の雑穀栽培です。10000~8000年前頃となる完新世の温暖期には、より多くのPNT遺跡がこの地域全体で現れ、食料生産戦略の強化やヒトの移動性減少など共通の傾向にも関わらず、道具一式の地域化によって証明される文化的多様性を示しています。前期完新世のこの地域全体にわたる不均一な文化的特性およびさまざまな程度の新石器化に基づいて、有力な仮説では初期のnEAにおけるPNTの過程は、急激で大規模な人口置換によって引き起こされた文化的変化ではなく、局所的な生息地や資源や社会組織の当初の条件による、新石器時代の慣行をさまざまに開発もしくは採用した多様な在来集団の、漸進的な文化的移行によって特徴づけられていた、と想定されています。しかし、人口動態がこの地域における気候および文化的移行にどの程度対応していたのかは、依然として不明です。

 人口史の調査は、nEAにおける固有のPNTの軌跡を理解するのに不可欠です。以前の古代DNA研究では、nEA系統はLGM末までにアムール川流域に出現し、それは19000年前頃にこの地域に居住していた1個体であるAR19Kで見つかった祖先系統によって表される、と明らかになりました[23]。このnEA系統は、黄河流域からアムール川流域までnEA全域で広範に報告されてきており、1万年前頃以後の前期完新世における地域的な遺伝的分化を示しています[23~25]。アムール川流域では、人口集団は遺伝的連続性を維持しており、人口規模が14000年前頃以降に増加し、これはPNT過程と関連する傾向である可能性が高く、この地域における15000年前頃の土器の最古級の出現によって示されています[23]。しかし、1万年以上前の古代ゲノムの刊行数は限られているものの、この情報はどの文化的慣行とも直接的には関連づけることができず、それはこれらの以外が考古学的文脈なしに収集されたからです。この空白によって、nEAにおける新石器化の初期過程と関連する人口集団の遺伝的特性の理解が制約され、その後の、より遺伝的および文化的に多様な人口集団との遺伝的関係の解明が困難になっています。

 この空白に取り組むために、華北平原に位置する11000~9000年前頃の東胡林遺跡の古代の個体群のゲノムが配列決定されました。東胡林遺跡はnEAにおける最も代表的なPNT遺跡の一つで、1万年以上前の豊富な新石器時代の特徴があります。古気候研究では、この地域はこの期間に温暖湿潤な気候への移行を経た、と示唆されています。体系的な発掘調査では、東胡林遺跡における連続しているものの異なる2層が明らかになり(下層は最終氷期末に続く11150~10500年前頃、上層は完新世温暖化期間の10500~9450年前頃)、各層には1点の完全なヒトの埋葬が含まれ、遺骸はまとめて「東胡林人」と呼ばれています。形質人類学的研究では、これらの2個体は顕著な頭蓋形態の差異を示していた、と示唆されています。さらに、土器の特徴は下層と上層で体系的な違いを示しており、東胡林遺跡には経時的に異なる人々の集団が居住していた、と示唆されます。

 古植物学的研究では、栽培化された雑穀遺骸の考古学的に最古級の報告された事例の一つを表している、栽培化されたアワの穀粒が特定されました。栽培化された特徴を有する雑穀のデンプン粒の割合の増加は、下層から上層にかけての雑穀栽培化の継続的で強化された過程を反映しています。さらに、ヒロクチカノコガイの海洋性貝殻やダチョウの卵殻を含めて希少で独特な物質から製作された装飾品は、近隣地域を越えた、交流網もしくは資源調達戦略の存在を示唆しています。東胡林遺跡は、詳細な考古学的背景がある、nEAにおける稀ではあるものの代表的なPNT遺跡で、新石器時代への移行期の調査において例外的な場所になっています。最終氷期末から前期完新世の温暖化期間まで約2000年間にわたる、nEAにおける初期新石器化の過程のこの重要な段階での人口動態をより深く理解するために、東胡林遺跡の2ヶ所の埋葬からmtDNAと核DNAが、明確な考古学的背景を欠いている第三の個体からmtDNAが回収されました。


●DNA解析

 華北平原に位置する、11700~9027年前頃となる、北京西部の門頭溝区の東胡林遺跡の3個(DHL_M1、DHL_M2、DHL_M02)体の骨粉から内在性DNAが抽出されました(図1A)。DHL_M1(下層、11170~10700年前頃)とDHL_M2(上層、9263~9027年前頃)とDHL_M02(10200~9300年前頃)についてそれぞれ、合計で12点と15点と3点のライブラリが作成されました。古代DNA捕獲技術[8、38]を用いて、内在性ゲノム規模データが120万ヶ所のSNPと完全なミトコンドリアゲノムで濃縮されました。以下は本論文の図1です。
画像

 男性個体DHL_M2についてはさらに、より多くのY染色体の多様体を特定するために、Y染色体のSNPの拡張一式を組み込んだ、Twist古代DNA実施要綱が適用されました。全ライブラリには、内在性DNAの存在を示唆する、古代DNA損傷パターンの特徴がありました。現代人の汚染率が各ライブラリで推定され、5%未満の汚染率のライブラリがさらなる分析のため統合されました。DHL_M1とDHL_M2とDHL_M02の完全なミトコンドリアゲノムの取得に成功し、それぞれのmtDNAの網羅率は、712.0倍と874.5倍と72.3倍でした。さらに、DHL_M1(169993ヶ所のSNP)とDHL_M2(1024723ヶ所のSNP)で124万パネルから核データが生成されました。DHL_M02の核データは、回収されたSNPの数が少ないため(3740ヶ所のSNP)、分析から除外されました。


●初期に分岐したnEA系統は11000年前頃の最終氷期末に現在の北京西部に居住していました

 新たに配列決定された11000年前頃の個体DHL_M1の遺伝的特性を特徴づけるために、まずPCAが実行されました。DHL_M1はnEA祖先系統の範囲内に位置するものの、どの特定の下位集団ともまとまりません(図1B・C)。同じパターンは、外群f3分析で示されます(図2A)。f3階層クラスタ化(まとまること)視覚図では、DHL_M1はnEAクラスタ(まとまり)内に収まるものの、他のnEA人口集団とは比較的少ない類似性を共有しています。同様のパターンは、アムール川地域にLGM末に居住していた、最古級の既知のnEA個体であるAR19Kで見られます。以下は本論文の図2です。
画像

 DHL_M1とAR19Kが、ともに他のnEA人口集団と限定的な遺伝的つながりを示す、ということを考えて、D統計を用いて、DHL_M1がAR19Kと比較されました。その結果、DHL_M1はAR19Kと同様にnEA関連人口集団の大半と深く関連しており、D(AR19K、DHL_M1;検証対象、ムブティ人)∼0(−2.6 < Z < 1.3)、と確証されます(図2B)。それにも関わらず、DHL_M1とAR19Kの各個体は、他の個体では欠けている特定のnEA人口集団とのアレル(対立遺伝子)をより多く共有しており、その遺伝的違いが反映され、D(検証対象、DHL_M1;AR19K、ムブティ人)≳ 0(−0.6 < Z < 4.8)とD(検証対象、AR19K;DHL_M1、ムブティ人)≳ 0(−2.0 < Z < 5.4)です(図2B)。これらのパターンから、DHL_M1は、おそらくはAR19Kと同時期に分岐したものの、異なる遺伝的軌跡をたどった、初期に分岐したnEA系統の子孫かもしれない、と示唆されます。TreemixおよびqpGraph分析ではさらに、DHL_M1はAR19Kとは異なる深く分岐したnEA系統を表している、と示唆されます(図2C・D)。

 DHL_M1の系統発生的位置を解明するために、アムール川地域[23]やモンゴル南部[24]や黄河流域[25]や黄土高原[25]やロシア極東[41]のさまざまなnEA系統と比較しての、他の人口集団との遺伝的距離が評価されました。代表的なアジア東部南方古代人である奇和洞3号がnEA人口集団に対する外群として用いられ、D(DHL_M1、奇和洞3号;X、ムブティ人)とD(さまざまなnEA系統、奇和洞3号;X、ムブティ人)のZ得点が、バイプロットで比較されました。その結果、DHL_M1とAR19Kが検証対象の人口集団とどうとうの遺伝的距離を示すのに対して、他のnEA系統(AR14K、裕民個体、石峁_LN、黄河_MN_WGM、悪魔の門_N)と比較すると、DHL_M1が他の個体と共有する遺伝的類似性は少ない、と示されます。これらの調査結果から、DHL_M1はAR19Kと同じくらい早く分岐した初期nEA祖先系統を表している、と確証されます。

 DHL_M1の遺伝的特徴をさらに調べるために、代理供給源として多様なnEAおよびアジア系統でqpAdmを実行することによって、女性個体DHL_M1の遺伝的組成のモデル化が試みられました。2方向qpAdmモデル化は、主要な(81~97%)nEA構成要素(AR19K/裕民個体/AR14K)にnEAクレード(単系統群)外からの系統のわずかな寄与、もしくは異なるnEA(AR19K/裕民個体/AR14K/山東_EN)の2供給源の組み合わせを推定しました。しかし、合格したqpAdm供給源のどれも、D(検証対象、DHL_M1;合格した供給源、ムブティ人)他のnEA関連人口集団と比較して、DHL_M1と独占的な類似性(Z < −2.5)を示さず、既知のnEA供給源がDHL_M1の遺伝的組成について完全には説明していないことを示唆しています。したがって、qpAdmの結果は、DHL_M1の遺伝的パターンの発見を助ける概要としてのみ機能しも特定の2方向混合を示唆しているわけではありません。まとめると、初期の分岐を考慮して、これらの調査結果から、DHL_M1は以前には認識されていなかったnEA系統を表しているか、認識されていない祖先系統を有するnEA系統を含む混合を反映しているかもしれない、と示唆されます。

 この新たに特定された初期に分岐したnEA祖先系統が、他の検証された古代nEA人口集団およびアジア東部現代人と共有している遺伝的類似性は相対的に少なく、D(nEA関連人口集団の大半、DHL_M1;検証対象、ムブティ人)≳ 0であるものの、DHL_M1はアムール川地域のAR14K後集団(AR14K/AR13_10K/AR9K後)の方と、後期旧石器時代~新石器時代の他のnEA集団とよりもわずかに多くのアレル(対立遺伝子)を共有しており、D(nEA関連人口集団、AR14K後;DHL_M1、ムブティ人)≲0になる、と観察されました。このつながりをさらに調べるために、循環qpAdm手法が採用されました。その結果、AR14KはDHL_M1と在来のアムール川供給源の2方向混合(84%のDHL_M1+16%の悪魔の門_N)としてのみモデル化できるのに対して、他の新石器時代アムール川人口集団(悪魔の門_N、ボイスマン_MN、AR_EN)は供給源としてDHL_M1でモデル化できない、と明らかになります。さらに、最近の研究では、山東人口集団は7700年前頃以前にAR14K関連供給源から遺伝子流動を受けた、と示唆されています[43]。DHL_M1関連供給源がAR14Kに寄与したならば、山東集団と追加のDHL_M1関連の類似性があるかもしれません。この可能性と一致して、小荊山遺跡(7700年前頃)や北阡遺跡(5500年前頃)などの山東人口集団は、AR14K後で観察された兆候と同様にDHL_M1とのアレル共有を示しており、これは以前の調査結果と一致します。それにも関わらず要注意なのは、D(nEA関連人口集団、AR14K後;DHL_M1、ムブティ人)が一貫して有意な負のZ値(Z < −2.5)を示すように、DHL_M1とAR14K後との間のこのつながりは間接的かもしれないことです。

 母系については、DHL_M1と東胡林遺跡の別の個体であるDHL_M02は、同じmtHg-D4hを有しています。mtHg-D4hはnEA起源で、後期更新世において2回の拡散事象を経た、と考えられています[44]。これを調べるために、古代と現代のmtHg-D4hデータセットが収集され、DHL_M1とDHL_M02のmtDNAデータが組み込まれ、ベイズ系統樹が再構築されました。東胡林遺跡の2個体【DHL_M1とDHL_M02】は、nEA、とくに中国北部の人口集団とおもに関連する単系統群に位置するものの、両者はそれぞれの下位系統内で相対的に基底部の位置を占めています(図3)。さらに、東胡林遺跡関連の下位系統のTMRCAはDHL_M1では14000年前頃(95%HPDで16230~11675年前)、DHL_M02では13000年前頃(95%HPDで15103~10637年前)と推定されました(図3)。まとめると、母系の結果は東胡林遺跡個体群の初期の分岐をさらに示唆しており、これは核の遺伝的調査結果と一致します。さらに、新たに生成された東胡林遺跡個体のmtDNAデータは、以前に報告された最終退氷期(19000~11000年前頃)におけるnEA沿岸でのmtHg-D4h拡大の追加の証拠を提供します【44】。以下は本論文の図3です。
画像


●前期完新世における東胡林遺跡における祖先系統の変化および華北平原とモンゴル高原南部との間の相互作用

 より新しい9000年前頃のDHL_M2個体の遺伝的特性を調べるためにPCAが実行され、DHL_M2はDHL_M1と密接にクラスタ化しない(まとまらない)か、他のnEA祖先系統の中核領域内に位置する、と明らかになりました(図1C)。DHL_M2とそれ以前のDHL_M1が姉妹集団なのかどうか調べるために、D統計が適用されました。DHL_M2とDHL_M1が姉妹集団ならば、D(検証対象、DHL_M1;DHL_M2、ムブティ人)は負になるはずです。しかし、その結果から、DHL_M2はモンゴル高原やアムール川や山東の関連人口集団など多様な検証対象のnEA系統の大半よりも、DHL_M1と多くのアレルを共有しているわけではなく、D(検証対象、DHL_M1;DHL_M2、ムブティ人)∼0(−2.3 < Z < 0.8)で(図4A)、DHL_M1とDHL_M2との間の異なる遺伝的祖先系統が示唆されます。一方で、DHL_M2はDHL_M1とD統計では過剰なアレル共有を示しませんが、初期に分岐したDHL_M1はDHL_M2と最高のf3類似性を示しており、DHL_M1からDHL_M2への部分的な遺伝的寄与の可能性が開かれます。

 次に、外群f3視覚図を用いて、DHL_M2の遺伝的パターンが調べられました。DHL_M2はより古い同じ遺跡のDHL_M1とまとまらず、他の検証対象の古代nEA集団、とくにモンゴル高原南部の8400年前頃の裕民遺跡個体とより多くの類似性(f3値は0.333)を示しています(図2A)。この結果は、DHL_M2が遺伝的変化を経ており、裕民遺跡個体と追加の遺伝的つながりを共有している、とさらに示唆しています。さらに、Treemix(図2D)とqpGraph(m=0~2)の両分析は、DHL_M2をDHL_M1ではなく裕民遺跡個体の近くに位置づけており、これはf3分析の結果と一致します(図2A)。さらに、裕民遺跡個体とのつながりは、DHL_M2が多様な古代のnEA関連系統とよりも裕民遺跡個体の方と多くの類似性を共有しており、D(検証対象、裕民;DHL_M2、ムブティ人)≲0(−6.9 < Z < −0.5)であるものの、DHL_M2は裕民遺跡個体と同様に、いくつかの後期旧石器時代および前期新石器時代nEA人口集団と密接に関連しており、D(DHL_M1/AR関連/博山、裕民;DHL_M2、ムブティ人)∼ 0(−2.0 < Z < −0.5)になる、と示すD統計によって裏づけられます(図4A)。これらの結果から、DHL_M2は裕民遺跡個体関連人口集団と固有の遺伝的つながりを有しているものの、裕民遺跡個体と単純な姉妹集団の関係であることは裏づけられていない、と示唆されます。以下は本論文の図4です。
画像

 循環qpAdmを用いて、DHL_M2の遺伝的構成要素がさらに調べられ、DHL_M2は裕民遺跡個体(55%)とAR14K(45%)の2方向混合としてモデル化できる(p > 0.05)、と分かりました。しかし、D統計では、AR14KはDHL_M2および他の代表的な新石器時代nEA供給源(たとえば、DHL_M1、裕民遺跡個体、扁扁遺跡や博山遺跡や小高遺跡を含めて山東_EN)と同様のアレルを共有している、と示され、D(検証対象、DHL_M2;AR14K、ムブティ人)∼0(−1.8 < Z < 2.0)で、DHL_M2とAR14Kとの間の固有のつながり証拠は提供されません。

 合格したqpAdm混合モデルの妥当性を検証するために、裕民遺跡個体とAR14K後の2方向混合が模擬実験され、D(DHL_M2、模擬実験混合;検証対象、ムブティ人)が計算されて、このモデルが完全にDHL_M2を表せるのかどうか、評価されました。これが正しければ、選択された検証構成要素に関わらず、D値の線形傾向はqpAdmの推定割合でゼロと交差する、と予測されます。ただ、代表的なnEA人口集団の範囲(DHL_M1、黄河_MN)が検証構成要素として用いられた場合、その傾向は比較的大きな標準誤差にも関わらず、正に留まります。これは、裕民遺跡個体とAR14Kの混合がDHL_M2の構成要素を完全には説明できていないかもしれない、と示唆しています。これはさらに、DHL_M2と裕民遺跡個体との間の遺伝的つながりを示すqpGraph(m=2)分析によって裏づけられますが、AR14Kトの直接的つながりは、2回の混合事象を許容した場合には推定されません(図4B)。これは、AR14Kが、DHL_M2と固有のつながりを共有しているのではなく、qpAdm混合モデルにおいて、共通のnEA供給源として機能している可能性を示唆しています。まとめると、DHL_M2と裕民遺跡個体関連供給源との間で固有の遺伝的つながりが見つかりましたが、裕民遺跡個体とは異なるDHL_M2における追加の構成要素は、どの既存の新石器時代nEA供給源によっても表すことができません。

 広範な現在の人口集団を組み込み、D(nEA関連人口集団、DHL_M2;検証対象、ムブティ人)を用いて、DHL_M2が他のnEA供給源よりも古代もしくは現在の人口集団により大きく遺伝的寄与したのかどうか、さらに調べられました。その結果、裕民遺跡個体を除き、他の古代nEA供給源と比較して、DHL_M2と有意に多くの負のD値を一貫して示した人口集団は存在しない、と示されました。これは、DHL_M2には、裕民遺跡個体関連集団との共有されている追加のアレル以外に、その後のどの人口集団とも固有の遺伝的つながりが欠けていることを示唆しています。さらに、DHL_M2のmtHgは稀なG4で、この系統はこれまで中国と日本の現在の個体群で散発的にしか報告されておらず、最小限の母系の遺伝的寄与が示唆されます。さらに、DHL_M2のYHgは、N1a2(F1360)系統内の基底部の位置を占めており、既知の下位系統への分岐がありません。

 これらの調査結果から、DHL_M2は片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアと父系のY染色体)の観点から残した遺伝的遺産は限定的かもしれない、と示唆され、それは核の結果と一致します。しかし、DHL_M2はDHL_M1よりも検証対象の現在の人口集団の大半と多くのアレルを共有しているものの、この結果は常に有意とは限らず、D(DHL_M1、DHL_M2;現在の人口集団、ムブティ人)は−2.7 < Z < 0.4です。これは、DHL_M2関連供給源がDHL_M1よりも多く寄与したことを示唆しており、f3視覚図の結果(図2A)と一致します。さらに、古代型の遺伝子移入検定では、DHL_M1とDHL_M2の両方が、他の同時代およびより新しいアジア東部人と比較して、同様の水準の古代型祖先系統を示している、と分かりました。DHL_M2関連供給源の影響の時空間的な程度のより正確な理解に達するには、とくにnEAの前期および中期新石器時代の追加の古代DNAデータが必要になるでしょう。


●考察

 東胡林遺跡に関する本論文の遺伝学的調査は、11000年前頃のDHL_M1個体によって表される、新たに発見されたnEA系統を明らかにします。興味深いことに、この系統は最終氷期末に存在していましたが、ずっと早く分岐しており、それは現時点で既知の最古級のnEA系統であるAR19Kと同じ頃で、LGM末に近い19000年前頃です[23]。本論文の観察から、後期更新世の一部の深いnEA系統は氷期後の温暖期を通じて存続した、と示唆され、それはより定住的なん生活様式とより広範な食性範囲への文化的移行期でした。これは、nEAにおける新石器化過程の、急激な置換ではなく長い移行以降との想定と一致します。

 DHL_M1秘匿して新しい9000年前頃のDHL_M2個体における明確な遺伝的変化が観察されましたが、在来のDHL_M1関連祖先系統からの部分的な遺伝的寄与の可能性は完全には除外できません。これは、高水準の頭蓋顔面の形態学的差異および東胡林遺跡の下層と上層間で観察された土器の差異と一致します。人類学的および考古学的証拠とともに、本論文の遺伝学的観察は、人口変化が氷期後の温暖化の期間に同じ遺跡内で起きたことを示唆しており、これは、アムール川流域や山東地域沿岸など、同じ地域のその後の人口集団と明確な遺伝的連続性を示した、1万年前頃にさかのぼる一部の他のnEA系統とは異なります。さらに、この調査結果は、東胡林遺跡個体群の生存重圧によって裏づけられ、それは、より古いDHL_M1とより新しいDHL_M2両方の古人類学的特徴によって証明されており、これはおそらく、アジア東部の前期完新世における気候不安定性によって引き起こされた資源の不均衡と関連しています。遺伝的変化にも関わらず、栽培化された雑穀の割合増加に反映されているように、東胡林遺跡人口集団は継続的な新石器化慣行を維持しました。これは、生存圧力が人口集団に資源利用の新たな戦略の開発を強制した、との見解を裏づけており、それはnEAにおけるPNT過程の原動力の一つだったかもしれません。さらに、DHL_M1とAR14K後との間、およびDHL_M2と裕民遺跡個体関連人口集団との間で共有されているアレルによって証明されているように、人口移動は地域間の相互作用にも反映されています。これは、華北平原の北端が、自然の山道および回廊を通じて、外部との接触を維持しながらも、比較的独立した単位である、との見解とも一致し、これは、東胡林遺跡で発見された外来の装飾品によっても裏づけられています。

 2000年間離れた同じ遺跡の2個体で新たに特定された二つのnEA系統の発見は、nEAの初期新石器化の期間における人口集団の高度な多様性を示唆しています。ある仮説では、nEAにおける新石器化の過程は、じょじょに新石器時代の慣行を採用した、小さく多様な狩猟採集民集団によって特徴づけられる、と提唱されています。本論文では、PNT過程における不均一なnEA系統が観察されますが、継続的な新石器化の過程の存在にも関わらず、東胡林遺跡における人口変化も明らかになりました。このパターンは、前期完新世のアジア南西部とヨーロッパにおける農耕によって引き起こされた人口拡大[7、8]とは異なり、nEAにおける独特なPNTの軌跡が示唆されます。さらに、1万年前頃のnEAでは多様な系統が見つかりましたが、その全ては広範なnEA祖先系統内に収まり、外部からの遺伝的構成要素の顕著な影響はありません。これは、nEA全域で広く見られる、細石刃道具や平底鉢などの考古学的証拠と一致します。nEA内の地域的差異にも関わらず、この地域は巨視的水準では比較的独立したPNT中心地を構成しています。本論文の東胡林遺跡に関する遺伝学的分析は、この軌跡の理解のための事例研究を提供しますが、nEAにおけるPNT過程の人口史をさらに解明するためには、追加の標本が必要です。


参考文献:
Zhang G. et al.(2026): Ancient genomes provide insight into the Paleolithic-to-Neolithic transition in northern East Asia. Current Biology, 36, 6, 1399–1409.E7.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2026.02.004

[1]Stoneking M. et al.(2023): Genomic perspectives on human dispersals during the Holocene. PNAS, 120, 4, e2209475119.
https://doi.org/10.1073/pnas.2209475119
関連記事

[3]Lazaridis I. et al.(2016): Genomic insights into the origin of farming in the ancient Near East. Nature, 536, 7617, 419–424.
https://doi.org/10.1038/nature19310
関連記事

[4]Fu Q. et al.(2016): The genetic history of Ice Age Europe. Nature, 534, 7606, 200–205.
https://doi.org/10.1038/nature17993
関連記事

[6]Feldman M. et al.(2019): Late Pleistocene human genome suggests a local origin for the first farmers of central Anatolia. Nature Communications, 10, 1218.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-09209-7
関連記事

[7]Allentoft ME. et al.(2024): Population genomics of post-glacial western Eurasia. Nature, 625, 7994, 301–311.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06865-0
関連記事

[8]Haak W. et al.(2015): Massive migration from the steppe was a source for Indo-European languages in Europe. Nature, 522, 7555, 207–211.
https://doi.org/10.1038/nature14317
関連記事

[9]Yang MA.(2022): A genetic history of migration, diversification, and admixture in Asia. Human Population Genetics and Genomics, 2, 1, 0001.
https://doi.org/10.47248/hpgg2202010001
関連記事

[23]Mao X. et al.(2021): The deep population history of northern East Asia from the Late Pleistocene to the Holocene. Cell, 184, 12, 3256–3266.E13.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2021.04.040
関連記事

[24]Yang MA. et al.(2020): Ancient DNA indicates human population shifts and admixture in northern and southern China. Science, 369, 6501, 282–288.
https://doi.org/10.1126/science.aba0909
関連記事

[25]Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
関連記事

[38]Fu Q. et al.(2015): An early modern human from Romania with a recent Neanderthal ancestor. Nature, 524, 7564, 216–219.
https://doi.org/10.1038/nature14558
関連記事

[40]Briggs AW. et al.(2007): Patterns of damage in genomic DNA sequences from a Neandertal. PNAS, 104, 37, 14616-14621.
https://doi.org/10.1073/pnas.0704665104
関連記事

[41]Siska V. et al.(2017): Genome-wide data from two early Neolithic East Asian individuals dating to 7700 years ago. Science Advances, 3, 2, e1601877.
https://doi.org/10.1126/sciadv.1601877
関連記事

[42]Wang T. et al.(2021): Human population history at the crossroads of East and Southeast Asia since 11,000 years ago. Cell, 184, 14, 3829–3841.E21.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2021.05.018
関連記事

[43]Liu J. et al.(2025): East Asian Gene flow bridged by northern coastal populations over past 6000 years. Nature Communications, 16, 1322.
https://doi.org/10.1038/s41467-025-56555-w
関連記事

[44]Li YC. et al.(2023): Mitogenome evidence shows two radiation events and dispersals of matrilineal ancestry from northern coastal China to the Americas and Japan. Cell Reports, 42, 5, 112413.
https://doi.org/10.1016/j.celrep.2023.112413
関連記事

この記事へのコメント

熊笹
2026年04月10日 21:24
黄河農耕民が穀物栽培を始めて拡散したと思っていましたが、DHL M1とDHL Ⅿ2という別系統の集団(河北と北京では事実上絶滅)によって始められたものが取り入れられたように考えられすね
管理人
2026年04月11日 06:26
その可能性もあると思います。黄河中流域で農耕を始めたのが、後の仰韶文化集団的な遺伝的構成の集団だったのか(文化伝播)、あるいは北東からのある程度の人口移動を伴っており、その遺伝的痕跡が仰韶文化期には希釈されて検出できなくなったのか、あるいはアジア北東部に仰韶文化集団的な遺伝的構成の集団も完新世最初期に存在していたのか、裴李崗文化集団などアジア東部北方の多様な初期完新世集団の遺伝的構成に注目しています。