黄河下流域の漢代人類のゲノムデータ
黄河下流域の漢代人類のゲノムデータを報告した研究(Qiu et al., 2026)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。また、本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事の以下の翻訳ではではとりあえず「中国」と表記します。なお、当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、この記事では本論文の「civilization」を「文明」と訳します。敬称は省略します。
本論文は、現在の中華人民共和国山東省に位置する2ヶ所の遺跡から発見された、漢代の人類遺骸28個体のゲノムデータを新たに報告し、既知の古代人および現代人のゲノムデータとともに分析しました。その結果、漢代の黄河下流域集団では、中原後期新石器時代集団との強い遺伝的類似性が見られたものの、一部の集団では中国南東部沿岸関連の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)からの6.2%程度の小さな寄与が示されました。また、中原後期新石器時代人類集団の周辺地域への顕著な遺伝的影響も推定されています。本論文はこれを、「漢民族」の形成と結びつけていますが、「漢民族」の実態および年代も含めての形成過程や、「華夏人」の実態と役割などについては、今後も慎重な検証が必要とは思います。
以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、WGS(Whole Genome Sequencing、全ゲノム配列決定)、HO(Human Origin、ヒト起源)、o(outlier、外れ値)、UDG(uracil-DNA-glycosylase、ウラシルDNAグリコシラーゼ)、k(kilo years ago、千年前)、CV(cross-validation、交差検証)、K(系統構成要素数)、WLR(West Liao River、西遼河)、EA(East Asian、アジア東部人)、sEA(Southern East Asian、アジア東部南方人)、ANA(Ancient Northeast Asian、アジア北東部古代人)、、です。
以下の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、LBIA(Late Bronze Age to Iron Age、後期青銅器時代~鉄器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)、HE(historical era、歴史時代)です。
本論文で取り上げられる主要な人類集団と人物と事象は、華夏(Huaxia)、東夷(Dongyi)、西戎(Xirong)、大禹治水(Yu the Great Tames Floods)、厳文明(Yan Wenming)、永嘉の乱(Disaster of Yongjia)、湖広填四川(The Hu-Guang to Sichuan Migration)です。
本論文で取り上げられる主要な文化は、仰韶(Yangshao)文化、龍山(Longshan)文化、後李(Houli)文化、北辛(Beixin)文化、大汶口(Dawenkou)文化、MDWK(Middle Dawenkou、中期大汶口文化)、LDWK(Late Dawenkou、後期大汶口文化)、二里頭(Erlitou)文化、岳石(Yueshi)文化、夏家店上層(Upper Xiajiadian)文化、客省庄二期文化(Keshengzhuang Second Phase Culture)です。
本論文で取り上げられる主要な地域は、中原(Zhongyuan)、秦嶺淮河線(Qinling-Huaihe Line)、泰山(Mount Tai)の東側の山東半島を指す海岱(Haidai)地域、南嶺山脈(Nanling Mountains)です。
本論文で取り上げられる主要な中華人民共和国山東省の遺跡は、淄博(Zibo)市臨淄(Linzi)区臨淄51番通りの徐家村東(Xujiacundong、略してXJCDM)遺跡とそこから2km離れた場所に位置する周河(Zhouhe、略してZHM)遺跡、青嵐府(Qinglanfu)墓地、劉林(Liulin)遺跡、西夏侯(Xixiahou)遺跡、三里河(Sanlihe)遺跡、五台(Wutai)遺跡、城子崖(Chengziya)遺跡です。
本論文で取り上げられる主要な中華人民共和国の山東省以外の遺跡は、河南省の廟底溝(Miaodigou)遺跡と仰韶村(Yangshaocun)遺跡、福建省の亮島(Liangdao)遺跡、甘粛省の黒水国(Heishuiguo)遺跡と佛爺廟湾(Foyemiaowan)遺跡、青海省の大槽子(Dacaozi)遺跡、広西壮族(チワン族)自治区(以下、広西)のバロン(Balong)遺跡とバンダ(Banda)遺跡とキンチャン(Qinchang)遺跡と岑遜(Cenxun)遺跡(バロン遺跡とバンダ遺跡とキンチャン遺跡と岑遜遺跡の千年紀半ばの古代人はBaBanQinCen集団と呼ばれます)と独山洞窟(Dushan Cave)と神仙(Shenxian)洞窟と宝剣山(Baojianshan)洞窟、貴州省の松山(Songshan)遺跡です。本論文で取り上げられる主要な中華人民共和国以外の遺跡は、台湾の漢本(Hanben)遺跡、(現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では内モンゴル自治区とされている)モンゴル南部の竜頭山(Longtoushan)遺跡です。
●要約
漢民族の形成は、黄河流域、とくに先史時代社会と初期王朝文明を橋渡しした重要な龍山文化圏に根差しています。しかし、その後の歴史時代集団への龍山文化期人口集団の遺伝的影響は、この重要な移行期の古代ゲノムデータの決定的な不足のため、依然としてほぼ調べられていません。この空白は、中心地における初期の文化的統合がその後の中国人集団の遺伝的構造をどのように形成したのかについて、明確な理解を妨げています。
本論文は、山東省の漢王朝の徐家村東および周河考古学的遺跡から新たに配列決定された古代人28個体のゲノムを報告し、これを以前に刊行された地域的なデータセットと統合し、漢民族祖先系統の形成における新石器時代龍山文化人口集団の遺伝的遺産を調べました。本論文の分析は、後期新石器時代における中原と黄河下流域の龍山文化人口集団間の顕著な遺伝的分化を明らかにします。徐家村東遺跡のほとんどの個体は混合祖先系統を示しており、それはおもに中原の龍山文化関連祖先系統に由来し(93.8%)、中国南東部沿岸関連祖先系統からの小さな寄与(6.2%)がありました。対照的に、周河遺跡の全個体は、中原龍山文化関連祖先系統と遺伝的均質性を示します。これらの結果は、漢王朝期における黄河下流域内のかなりの遺伝的異質性を示唆しています。さらに、古代漢王朝人口集団と山東の現代漢民族との間の高度な遺伝的均質性が見つかりました。混合モデル化およびf統計から、龍山文化関連祖先系統、とくに中原と関連する祖先系統は、黄河上流域や西遼河流域や中国南西部などを含めて、広い地理的範囲にまたがって歴史時代の人口集団の遺伝的構造の形成に支配的役割を果たした、とさらに論証されます。
これらの調査結果は、中原龍山文化人口集団の周辺地域への顕著で広範な遺伝的影響を浮き彫りにし、漢民族の人口拡大と遺伝的均質化が促進されました。この人口移動と文化拡散の相互作用は、漢人の遺伝的形成と結合の形成における、龍山文化期の人口拡大の中心的役割を浮き彫りにします。
●背景
世界最大の民族集団として、漢民族は中国の人口の約91.11%を構成しており、世界の人口構成の役17.5を占めています。この人口の大半は、中華文明の歴史的軌跡および文化的発展の形成に重要な役割を果たしてきました。中原の肥沃な発祥地から生じた漢民族は、その祖先の起源が、新石器時代に黄河中下流域沿いに発展した古代農耕部族連合だった、華夏文明にさかのぼります。黄河文化は中華文明の起源の主脈を形成しました。本体としての黄河中下流域の徹底的な交流および統合によって、黄河文化は長江やさまざまな同様の地域的文化の先進的要素を寄せ集めてきました。新石器時代以降、華夏や東夷や西戎の部族を含めて、祖先の共同体は黄河流域で繁栄してきました。華夏は中華文明の創始者で、現代の漢民族の祖先です。秦と漢と魏と晋の王朝(紀元前221~紀元後420年)までに、黄河中下流域は次第に漢民族の中核的な文化圏へと発展し、中国の支配的な民族集団になりました。中華文明の長い形成期を通じて、この文化体系は、おもに中流文化と下流文化との間の顕著な相互作用および習合を通じて出現し、同時に長江流域や他地域の文化の先進要素を連続的に同化していき、それによって中華文明の起源の基盤として自身を確立しました。文明の曙から唐および宋王朝(618~1279年)を通じて、黄河流域は一反して国家の政治と経済と文化の中心地としての地位を維持し、中華文明の主要な揺籃地としての地位を固め、漢民族の形成の基礎を築きました。
黄河下流域では、黄河流域の初期文明があり、これは、後李文化(紀元前7000~紀元前5000年頃)から北辛文化(紀元前5400~紀元前4400年頃)や大汶口文化(紀元前4200~紀元前2600年頃)や山東龍山文化(紀元前2500~紀元前2200年頃)などを経て、連続的な発展により特徴づけられます。龍山文化は山東省の龍山町での発見に因んだ名前で、中国の黄河中下流域の後期新石器時代の文化遺物の種類を広く指します。初期山東龍山文化は大汶口文化から継承され、岳石文化(紀元前2500~紀元前2000年頃)に先行しました。その後、考古学者はさまざまな場所で関連する遺物を発見してきており、それは、(1)仰韶文化から発展し、中原の龍山文化の初期段階を表している、中原の廟底溝第2文化期(較正放射性炭素年代測定で紀元前2900~紀元前2800年頃)と、(2)後に中原の初期青銅器文明へと発展した河南龍山文化(放射性炭素年代測定で紀元前2600~紀元前2000年頃)と、(3)客省庄二期文化(紀元前2300~紀元前2000年頃)としても知られている陝西龍山文化です。じっさい、龍山文化は多くの異なる考古学的特徴から構成される複合体です。たとえば、中原と山東地域の龍山文化は、別々の起源と発展を伴う独立した文化体系かもしれない、と考えられています。
龍山文化は、同時代の文化とのさまざまな程度の相互作用を維持しました。これらの相互関連を強調する観点からは、この期間は「龍山期」と命名できるかもしれず、年代的には、廟底溝第2期/大汶口文化と二里頭/岳石文化との間に位置します。龍山期は新石器時代から青銅器時代への移行を示しており、伝説的な3王朝(夏と殷と周)の出現に相当します。考古学的研究では、黄河下流域に位置する海岱地域の初期の社会経済的発展は、中原より著しく進んでいた、と示唆されています。しかし、その後の期間には、大洪水(おそらくは、大禹治水の伝説と関連しています)が文化的断絶を引き起こし、これは岳石文化と山東龍山文化との間の明確な継承の欠如によって証明されています。対照的に、中原の龍山文化は比較的安定した環境で発展し続け、最終的には、二里頭文化期に夏王朝文明が誕生しました。先秦時代の重要な文化期として、龍山期は中原龍山文化の中核地域を中心に、次第に求心的な分布パターンを確立しました。この文化的枠組みは、地域文化の発展に影響を及ぼしたのみならず、中華民族の「多元一体」構成の基礎を築きました。高度な土器製作技術や初期の都市集落の出現や社会的階層の発達など龍山期の文化的成果は、初期中華文明の形成に最終的にはつながった先史時代の文化的発展における重要な段階でした。
WGSもしくはSNP配列に基づく一連の分析は、さまざまな地域の現代の漢人集団間の遺伝的差異を明らかにしてきており、北部人口集団内では遺伝的差異がより小さく、南下するにつれて遺伝的多様性が増加します。遺伝学的証拠は、漢人亜集団の地理的境界として秦嶺淮河線と南嶺山脈を裏づけており、南北の漢人集団は共通の祖先系統を有しています。現代の漢人集団のY染色体とmtDNAに基づく研究では、北部漢人集団の大規模な移動が漢人集団とその文化の拡大につながった、と示唆されています。これは、漢人の祖先が、周辺地域へと連続的に拡大した黄河中流域の華夏部族にたどれる、と示唆して歴史的記録と一致します。しかし、古代ゲノムデータの不足のため、初期形成期における漢人集団の遺伝的パターンは依然として不明です。「漢」という用語は、特定の民族集団を指しているだけではなく、共有された祖先系統と歴史と文化の独自性も示しています。
「漢民族」もしくは「漢人」という名称は、南北朝時代に初めて現れ、中国の最初の黄金期の一つと考えられている漢王朝に由来します。漢王朝の威信と名声は、古代華夏の多くに、自らを漢人と自認させることらなりました。漢王朝は文化的空白に出現したわけではありません。漢王朝は、先史時代に起源があり、中間王朝経由で継承された中核要素を、吸収し、洗練して、体系化しました。以前の古代ゲノム研究[14~20]は、黄河上流/下流域や中国北東部および南西部の人口集団への黄河中流域の古代の人口集団の顕著な遺伝的影響を明らかにしてきており、これは龍山文化期にさえ先行する仰韶文化期(黄河下流域の大汶口文化期と同年代)にたどれる遺産です。本論文では、山東省の徐家村東および周河遺跡で発見された、漢王朝の古代人28個体が新たに報告されました。これら2ヶ所の考古学的遺跡は地質学的に、刊行されている古代の人口集団(青嵐府_HE、山東_HE)の近くに位置します。龍山文化期後におけるアジア東部の他地域から得られた、以前に刊行された古代人のゲノム[14~19、21、22]との統合によって、歴史時代の人口集団への龍山文化関連の祖先構成要素の遺伝的影響が調べられました(図1A)。本論文の目的は文化的移行と人口動態との間のより深いつながりを解明することで、中華文明の起源や、漢王朝期の黄河下流域の古代人集団の周辺の現在の漢民族への遺伝的影響に関する研究に、新視点を提供します。以下は本論文の図1です。
●新たに生成された古代ゲノム規模データ
この研究では、山東省淄博市の徐家村東および周河遺跡の漢王朝の古代人58個体の遺骸からDNAが抽出されました。これら2ヶ所の考古学的遺跡は、地理的に相互に隣接しています。UDGでの処理なしに、各標本で二本鎖ライブラリが構築され、その後でショットガン配列決定が実行されました。全ゲノムは、古代DNAの典型的な損傷パターンを示しました。疑似半数体遺伝子型が、124万SNPの各部位で無作為に単一のアレル(対立遺伝子)を標本抽出することによって、標的SNPで呼び出されました。高水準(3%超)の汚染か、低網羅率のSNP(3万ヶ所未満)のいずれかの25個体が除外されました。残りの個体の124万パネルのSNPの数の範囲は、36682~1006484ヶ所です。さらに、最大3親等の遺伝的近縁性の5組の5個体が特定され、2ヶ所各考古学的遺跡内と遺跡間の両方で見られました。徐家村東遺跡と周河遺跡の地理的近さを考慮すると、これらの親族関係のつながりは古代の人口集団における遺跡間の相互作用の存在を示唆しており、それには通婚が含まれるかもしれません。集団遺伝学的分析における偏りを避けるために、親族関係にある各組み合わせの個体のうちより高い網羅率の個体のみが、下流分析で保持されました。
最終的に、親族関係にない28個体がさらなる分析のため保持されました。XJCDM110とXJCDM354とZHM3の標本の3点の歯が、従来の放射性炭素年代測定のため分析されました。較正された放射性炭素年代は漢王朝に相当する紀元前200~紀元前100年頃の範囲内に収まり、関連する文化的背景から推定された考古学的年代と一致します。まず、研究対象の個体は、それぞれの考古学的遺跡に基づいて、徐家村東_漢代および周河_漢代と分類表示されました。その後、予備的なPCAおよび個体水準のqpWave分析に基づいて、漢王朝期の徐家村東遺跡から遺伝的に異なる1個体が特定され、これは徐家村東_漢代_o1と命名されました。
●YHgとmtHgの割り当て
残りの28個体のうち、10個体は男性、18個体は女性と生物学的に判断されました。mtHgは高度な多様性を示すものの、すべてアジア東部系統に特徴的です(図2A)。たとえば、mtHg-Mの下位に分類される個体群には、アジア東部に広く分布するM7やM8などの下位単系統群が含まれています。mtHg-Dがおもにアジア東部北方で見られるのに対して、mtHg-Bはアジア東部の太平洋岸沿いなどでより一般的です。YHgはおもに4種類に区分され、それはOとNとQとCです(図2B)。YHg-Oはアジア東部において優勢な父系で、これらの標本では最高頻度です(40%)。YHg-Nは中国北部やモンゴルやシベリアに広く分布しており、大きな割合を占めています(30%)。YHg-Qに割り当てられた2個体はその下位単系統群Q1a1aに属し、YHg-Q1a1aは、古代のシベリア人口集団に起源があり、その後に2000年以上にわたって漢民族の父方祖先系統へと統合された、と仮定されています。1個体は、中国北部およびアジア北部でおもに観察される、YHg-C2b1a2aに属します。以下は本論文の図2です。
●中原および黄河下流域の人口集団の遺伝的構造
まず、古代人のゲノムを、アジア東部現代人から構築された差異の最初の2主成分(PC)へと投影することによって、PCAが実行されました。対象の人口集団は、異なる3クラスタ(まとまり)にまたがって分布し、中国南東部の沿岸および内陸部人口集団、アジア北東部人口集団、高地人口集団に相当します(図1B)。注目すべきことに、山東龍山文化の背景と関連する個体群は、中原の同時代の龍山文化人口集団と遺伝的にクラスタ化せず(まとまらず)、後期新石器時代における顕著な地域的分化が示唆されます。新たに報告された個体群は、黄河下流域の歴史時代の以前に刊行された個体群(たとえば、山東_1k、山東_2k、山東_HE)とともに、それ以前の同じ地域の大汶口文化および龍山文化関連人口集団(たとえば、劉林_MDWK、西夏侯_LDWK、三里河_LDWK、三里河_龍山、五台_龍山)とはまとまりませんでした。むしろ、これら歴史時代の個体群は、黄河_LBIAや黄河_LNなど、中原のそれ以前の古代の人口集団とより密接な遺伝的類似性を示しました。
教師無ADMIXTURE分析では、最小CV誤差はK=3で観察され、3祖先構成要素が選択された人口集団では最適に裏づけられるモデルを提供する、と示唆されます。この解像度では、本論文の研究対象の人口集団の個体群は、おもに3祖先系統要素で構成されており、その全体的な特性と相対的な寄り合いは、龍山文化期の黄河中流域の古代の人口集団での観察と類似しています。これらの構成要素は大まかには、中国の頭部沿岸地域(黄色で示されます)と中国南東部沿岸部および内陸部(橙色で示されます)とアジア東部北方およびアジア北東部(青色で示されます)の古代の人口集団と関連する、遺伝的類似性に対応しています。
●中原龍山文化と山東龍山文化の祖先系統間の遺伝的分化
本論文の対象人口集団への中原龍山文化および山東龍山文化の個体群の遺伝的影響をさらに調べるために、f₄統計分析が実行されました。以後の考察における一貫性のため、まず刊行されている龍山文化関連の祖先人口集団が2種類に区分され、一方は刊行されている中原龍山文化関連祖先系統の黄河_LN(8個体)および黄河_仰韶村_龍山(7個体)を含む黄河_龍山で、もう一方は山東龍山文化関連祖先系統の三里河_龍山(4個体)と城子崖_龍山(1個体)と五台_龍山(6個体)を含む山東_龍山です。第一に、f₄(ムブティ人、中国南東部沿岸および内陸部;黄河_龍山、山東_龍山)では、有意に正の結果(Z得点が3超)が得られました。これは、山東_龍山が黄河_龍山の場合よりも、中国南東部沿岸および内陸部の人口集団と多くのアレルを共有していた、と示唆しています。第二に、これら2集団が山東の初期の在来狩猟採集民(山東_EN)と比較されました。f₄(ムブティ人、山東_EN;黄河_龍山、五台_龍山)は有意に正の値(Z得点が3超)を示しましたが、f₄(ムブティ人、山東_EN;黄河_龍山、三里河_龍山/城子崖_龍山)では有意な兆候は検出されませんでした。これは、山東_龍山の3人口集団のうち、五台_龍山のみが黄河_龍山の場合よりも多くのアレルを山東_ENと共有していた一方で、三里河_龍山と城子崖_龍山はそのようなパターンを示さなかった、と示唆しています。まとめると、これらの結果から、山東龍山文化祖先系統は、中原龍山文化祖先系統と比較して、中国南東部沿岸人口集団および在来の山東狩猟採集民の2供給源から有意により多くの遺伝子流動を受けた、と論証されます。これは、中原龍山文化と山東龍山文化は二つの異なる文化的体系だった可能性が高く、それぞれ独立した起源と発展の軌跡がある、との考古学的仮説の裏づけとなる遺伝学的証拠を提供します。
●黄河下流域の古代漢民族の遺伝的形成
外群f₃形式(対象、X:ムブティ人)の外群f₃分析では、本論文の研究対象の人口集団は黄河沿いの祖先人口集団と最大の遺伝的浮動を共有していた、と明らかになりました(図2C)。龍山文化期から漢王朝まで黄河の中流域と下流域の間で文化的交流が増加し、最終的に統合した、と述べている歴史的記録とともに、PCAおよびADMIXTUREおよび外群f₃分析と統合すると、中原龍山文化関連祖先系統は、龍山文化期の後に黄河下流域沿いの人口集団に遺伝的に寄与した可能性が高そうです。f₄(ムブティ人、黄河中流関連;徐家村東_漢代/周河_漢代、山東_龍山)の有意に負の値(Z得点が3未満)でも、徐家村東_漢代/周河_漢代は山東龍山文化関連祖先系統と比較して、黄河中流域関連祖先系統とより多くのアレルを共有していた、と示唆されました。
f₄(ムブティ人、山東_EN;対象、山東_龍山)では有意に負の値が検出されず、本論文の対象人口集団は山東_ENからの検出可能な遺伝的影響を示さなかった、と示唆されます。さらに、三里河_龍山(4個体)は、城子崖_龍山(1個体)よりも堅牢な遺伝的データを提供します。これらf₄統計の結果と標本規模の考慮を組み合わせると、山東_龍山の代表として三里河_龍山が暫定的に選択されました。先行研究[32]は黄河_LNと黄河_仰韶村_龍山(両者ともに黄河_龍山に属します)を比較し、黄河_仰韶村_龍山にはより多くのANA関連祖先系統が含まれていたのに対して、黄河_LNは検出可能なANA関連祖先系統を示さなかった、と分かりました。次に、f₄(ムブティ人、ANA関連;対象、山東_龍山)を用いて(ANAの代表として刊行されているアムール川の古代の人口集団が用いられました)、本論文の対象人口集団が検証され、同様に有意なANA関連祖先系統は検出されませんでした。本論文の対象と黄河_LNとの間でのANAの特性における一貫性を考慮して、黄河_龍山の代表として黄河_LNが選択されました。
黄河_LNを黄河_龍山の代表として用いると、f₄形式(ムブティ人、X;徐家村東_漢代、黄河_LN)では、Xが中国南東部沿岸および内陸部(たとえば、亮島2号やアミ人)を表している場合、有意に負の値(Z得点が−3未満)は検出されましたが、f₄形式(ムブティ人、X;周河_漢代、黄河_LN)では有意に負の値(Z得点が−3未満)は検出されませんでした。さらに、f₄形式(ムブティ人、X;徐家村東_漢代_o1、黄河_LN)では、有意な値は検出されませんでした(Z得点が3未満)。
本論文の対象人口集団の祖先供給源をさらに検証するために、qpAdmモデル化でこの分析が拡張されました。異なる地域を表す潜在的な3祖先供給源が選択され、それは、黄河_LN(黄河中流域祖先系統)、三里河_龍山(黄河下流域祖先系統)、アミ人(南東部沿岸/内陸部祖先系統)です。モデルの堅牢性を確保するために、循環戦略を用いると、徐家村東_漢代は約93.8%の黄河_龍山関連+約6.2%の中国南東部沿岸/内陸部関連によって成功した適合としてモデル化できる、と分かりました。比較すると、外れ値の徐家村東_漢代_o1は、黄河_龍山関連に祖先系統の100%が由来する、との1方向でモデル化に成功できました。さらに、周河_漢代も1方向モデルで黄河_龍山関連に完全に由来する、とモデル化できました。黄河下流域のさまざまな考古学的遺跡の刊行されている歴史時代の古代の個体群でも祖先モデル化が実行された結果、その大半は黄河_龍山の1方向もしくは約56.6~62.3%の黄河_龍山関連+約37.7~43.4%の山東_龍山関連の2方向モデル化のいずれかとしてモデル化できる、と示されました(図3)。以下は本論文の図3です。
●他地域の中国古代人の集団遺伝学的構造
龍山文化の後期には、中原龍山文明はすでに、より広範な中国の領域の文化的中核を形成していました。地域的な遺伝的景観を体系的に調べるためな、中国全域の刊行されている古代ゲノムデータセット[17~19、22]が、この研究で新たに配列決定された個体群と組み合わされ、龍山文化関連の祖先構成要素のこれらの人口集団への寄与の評価が目的とされました。
大槽子遺跡や黒水国遺跡や佛爺廟湾遺跡から発掘された個体群を含めて、黄河上流域の人口集団について、f₄形式(ムブティ人、X;黄河上流、黄河_LN)のf₄統計が実行され、この場合、Xは黄河流域外のユーラシアの人口集団を、黄河_LNは中原龍山文化関連祖先系統を表します。f₄(ムブティ人、中国南東部;黒水国_HE、黄河_LN)での中程度の負の値(Z得点が−3超で−2未満)を除いて、有意な結果は検出されませんでした(図2D)。qpAdmを用いると、大槽子_HE(黄河上流_IAとも呼ばれます)と佛爺廟湾_HEが黄河_龍山関連祖先系統に完全に由来するとモデル化できたのに対して、黒水国_HEは約92.9%の黄河_龍山関連祖先系統とアミ人によって表される約7.1%の中国南東部沿岸関連祖先系統で構成される2方向モデルを必要としました(図3)。
龍山文化期の後の黄河中流域(考古学的には青銅器時代の相当する、黄河の春秋時代および西周王朝)では、f₄統計は黄河_LNと比較して有意な負の偏差(Z得点が3未満)を明らかにはしませんでした(図2D)。qpAdmモデル化では、これらの人口集団は黄河_龍山関連祖先系統に完全に由来すると表すことができる、とさらに確証されました。
以前の古代ゲノム研究[18]は、黄河および西遼河地域における頻繁な人口置換を記録しました。これらの観察と一致して、西遼河の竜頭山遺跡の青銅器時代個体群は、f₄(ムブティ人、ANA関連;西遼河_BA、黄河_LN)のZ得点が−3未満で、ANA関連人口集団との有意に負のf₄統計を示し(図2D)、西遼河_BAは黄河_龍山関連と比較してANA関連祖先系統とより多くのアレルを共有していた、と示唆されます。qpAdmモデル化では、西遼河_BAは祖先系統の約48.2%が黄河_龍山関連供給源に、約51.8%がここではアムール_EN によって表されるANA関連祖先系統に由来する、と推定されました(図3)。
最後に、中国南西部の松山遺跡人口集団について、たとえばBaBanQinCen集団や独山洞窟集団や神仙洞窟集団などでf₄(ムブティ人、中国南部;松山、黄河_LN)では有意に負の値(Z得点が−3未満)、たとえば亮島2号や宝剣山洞窟個体や台湾_漢本などで、f₄(ムブティ人、中国南東部沿岸および内陸部;松山、黄河_LN)中程度の負の値(Z得点が−3超で−2未満)が検出され、松山遺跡人口集団は黄河_LNと比較して中国南部祖先系統とより多くのアレルを共有していた、と示唆されます。松山遺跡集団は約70.9%の河_龍山関連祖先系統+約17.7%の中国南東部沿岸関連祖先系統+約11.4%のsEA祖先系統(広西の宝剣山洞窟個体によって表されます)としてモデル化に成功できました(図3)。
●山東省の現在の漢民族への徐家村東_漢代/周河_漢代の遺伝的影響
漢民族は、中華文明の発展は連続の形成において中心的役割を果たしてきました。漢民族は中原起源で、その祖先系統は華夏人にさかのぼります。漢民族とその文化は後に、中国本土を中心に広がっていき、それは中国史の連続的な期間、たとえば、秦王朝(紀元前221~紀元前206年)や漢王朝(紀元前202~紀元後220年)における大規模で持続的な移動の波によって引き起こされ、中国史のさまざまな時点で何世紀にもわたってさまざまな非漢人民族集団を吸収しました。こうして、中国において長期の遺伝的安定性がじょじょに出現し始めました。この歴史的枠組みと一致して、PCAでは、現代の北方漢民族は徐家村東遺跡および周河遺跡の漢王朝期人口集団の個体群と密接にまとまる、と示されます。現在の山東漢人への黄河下流域古代の人口集団の寄与を評価するために、新たに配列決定された漢王朝の個体群のゲノムを用いて、qpAdmモデル化が実行されました。注目すべきことに、現代の山東漢民族は、単一祖先供給源として、中原龍山文化祖先系統の遺伝的連続性を表している、周河遺跡の個体群を用いてのモデル化に成功できました。
●考察
汎地域的な民族的実体としての漢民族の出現は、文化的統合と人口拡大の千年にわたる過程を反映しており、黄河流域全体の多様な人口集団ア石田の新石器時代の相互作用に根差しています。本論文は、中国の初期国家水準社会の形成の基盤となった龍山文化関連の遺伝的組成が、歴史時代の漢民族の遺伝的景観をどのように形成したのか、解明するために、考古学とゲノムの証拠を統合します。本論文は、現在の山東省淄博市の漢王朝の古代人28個体のゲノムの分析を通じて、地域的な遺伝的多様性と中原龍山文化祖先系統の優勢な影響との間の微妙な相互作用を明らかにし、漢文化と遺伝の拡大の背景にある「人口拡散」モデルへの新たな知見を提供します。
●黄河下流域における後期新石器時代から漢王朝までの地域的な遺伝的動態
後期新石器時代における中原龍山文化と山東龍山文化の人口集団間の遺伝的区別は、これらが独立した起源の異なる文化的実態であることを示唆する、考古学的証拠と一致します。現在の河南省と山西省を中心とする中原龍山文化が、二里頭文化と夏王朝の基礎を築きいたのに対して、大汶口文化の伝統から特徴を継承した山東龍山文化は、海岱地域で独特な物質文化を発展させました。考古学的調査結果は、山東における中原土器様式の土器の存在など文化的相互作用を示唆していますが、ゲノムデータは、後期大汶口文化と山東龍山文化の人口集団間のほぼ直接的な遺伝的連続性を明らかにします。
漢王朝までに、徐家村東遺跡のほとんどの個体は、中原龍山文化関連祖先系統(約93.8%)と中国南東部沿岸/内陸部関連祖先系統(約6.2%)の混合を示し、何世紀にもわたる人口融合を反映しています。対照的に、徐家村東遺跡の外れ値1個体と周河遺跡の個体群は中原龍山文化関連祖先系統との遺伝的均質性を示し、漢王朝の中央集権的統治と関連する人口移動によって引き起こされた可能性が高い、中原からの直接的な人口拡大と一致します。さらに、黄河下流域全体の他の考古学的遺跡の歴史時代の個体群の遺伝的特性は、歴史時代の古代山東人口集団への中原龍山文化関連祖先系統の持続的で大きな影響とともに、この地域における顕著な遺伝的多様性を反映しています。注目すべきことに、それ以前の在来の山東狩猟採集民からこれら漢王朝人口集団への有意な遺伝的寄与は検出されませんでした。
●遺伝的拠点としての中原:龍山文化祖先系統の汎中国的拡散
黄河上流から中国南西部まで、多様な地域の中原龍山文化関連祖先系統の広範な分布は、漢民族の根幹となる遺伝的基盤としての役割を強調しています。黄河上流域では、大槽子遺跡や佛爺廟湾遺跡などの考古学的遺跡の個体群は、その祖先系統が完全に中原龍山文化関連祖先系統に由来し、新石器時代における雑穀農耕の拡大および関連する文化的慣行の西方への拡大に関する考古学的証拠と一致します。黒水国遺跡で観察された南東部沿岸祖先系統の控えめな混合(約7.1%)は、交易網もしくは南方への移動に伴うその後の相互作用を反映している可能性が高そうですが、中原の構成要素が依然として圧倒的に優勢です。
西遼河では、竜頭山遺跡の夏家店上層文化人口集団が、中原龍山文化関連祖先系統(約48.2%)とANA関連祖先系統(約51.8%)のほぼ均等な混合を示し、南方の農耕民と北東部の狩猟採集農耕民との間の遺伝的相互作用が浮き彫りになります。この混合は、遼河流域への雑穀農耕の拡散に関する考古学的証拠に対応しており、中原からの移民は農耕技術をもたらしたものの、在来人口集団とも通婚し、混合的な遺伝的特性が生じた、と示唆されます。
中国南西部では、歴史時代の松山遺跡人口集団は、中国南部構成要素と組み合わさった約70.9%の中原龍山文化関連祖先系統を示し、漢王朝および唐王朝期における雲南貴州高原への漢人の拡大に関する歴史的記録と一致します。先行研究[20]はこれを、中原からの移民が在来集団と混合し、龍山文化関連祖先系統が優占するものの、それのみではない遺伝的景観につながった、「チベット・ビルマ回廊」沿いの雑穀農耕の拡大と関連づけました。
●人口拡散と文化的統合と漢民族の形成
本論文の調査結果は、中原からの農耕民の移住が文化と遺伝両方の拡大を引き起こした、との先行研究によって提唱された「人口拡散モデル」への強い裏づけを提供します。黄河流域の漢民族の遺伝的均質性は、2000年前でさえ、南方漢民族で観察された多様性増加と対称的で、これは北方から南方への移住の連続した波、および在来人口集団との混合から生じた可能性が高そうです[35]。中原龍山文化祖先系統は、「遺伝的接着剤」として機能したようで、地域全体の均質化を促進した一方で、東方では山東龍山文化、北東ではANA人口集団、南西では中国南部人口集団からの寄与など、局所的な混合事象が地域的多様性を追加しました。
この過程は純粋には人口統計学的ではなかったものの、文化的同化と密接に絡み合っていました。龍山文化の技術的革新(たとえば、青銅の冶金や都市化)とその思想体系(たとえば、祖先崇拝や政治運営)は、遺伝的混合が起きてさえ、在来の人口集団による漢人の帰属意識の採用を、惹きつけたか共生した可能税が高そうです。歴史時代の山東人口集団では、アジア北東部狩猟採集民祖先系統が、新石器時代には存在していた[16]にも関わらず、欠如していたことから、文化的統合には選択的な遺伝的置換もしくは融合が伴い、農耕民系統が選好された、と示唆されます。
秦および漢代には、国家権力が次第に中央集権化されましたが、漢民族は中原から外へと拡大し、周辺の人口集団に顕著な影響を及ぼしました。漢王朝は、漢民族の出現において重要な形成期間として際立っており、中国史における最初の黄金期の一つと考えられています。短命な秦王朝の光景だった統一されて結合した帝国として、漢民族は自身を当時のアジア東部の地政学的秩序の中心として確立し、その権力と影響力をアジアの隣人に及ぼしました。漢王朝は、人口規模と地理的範囲と文化的範囲において、同時代のローマ帝国に匹敵しました。人口拡大および統合のこれらの歴史的過程は、現代人の遺伝的パターンの理解に背景を提供します。山東の現代漢民族の潜在的な祖先供給源として、漢王朝期の黄河下流域における祖先系統を用いると、漢代黄河下流域祖先系統は1方向混合(100%の適合)によって完全にモデル化できる、と分かり、山東において漢王朝の古代人口集団と現代の漢民族との間の高度な遺伝的均質性が論証されました。
黄河東部の山東の地理的位置は、中原と中国の南北を橋渡しして、人口移動と文化的交流両方の重要な回廊として機能しました。沿岸に位置し、遼東半島や朝鮮半島や日本列島に面している山東は、西方では中原、南方では江南地域ともつながっており、戦略的な交通および文化の拠点となりました。山東がその後の【漢王朝の後の】2000年間にわたって他地域との相互作用を通じて、追加の遺伝的置換を経たのかどうか、これが現代の漢民族の遺伝的特性をどのように形成したのかは、将来の調査の重要な課題として残ります。
●中華文明の研究への示唆
厳文明は1987年に「多弁花文(multi-petal flower)」モデルを提唱し、そこでは中原が周辺地域を統合する中核地域として機能し、これは本論文でゲノムの裏づけが見つかりました。中原龍山文化祖先系統は、唯一寄与したわけではありませんが、基礎的な遺伝的および文化的枠組みを提供し、地域的なな「花弁」(たとえば、山東龍山文化や中国南部)が全体を豊かにしました。平和的な交流と人口拡大の両方によって引き起こされた中核と周辺のこの相互作用は、広範な地理的広がりにも関わらず、漢民族をまとまった民族集団として定義する、遺伝的および文化的近縁性を生じさせました。
より多くの地域(たとえば、長江流域と南嶺山脈)および期間(たとえば、唐王朝や宋王朝)からの古代ゲノムを統合した将来の研究は、「永嘉の乱」(十六国時代)や「湖広填四川」(明清期の移住)のような歴史的事象がどのように漢人の遺伝的景観を形成したのかについて、理解をさらに深めるでしょう。さらに、龍山文化関連人口集団の機能的ゲノム解析は、雑穀農耕や疾患耐性や環境適応と関連する適応的形質を解明して、人口拡大の生物学的結果に光を当てることができるかもしれません。
●まとめ
以前に刊行された歴史時代の人口集団とともに、現在の山東省淄博市の2ヶ所の考古学的遺跡から得られた、漢王朝期の古代人28個体のゲノムを分析することによって、本論文は、中国のさまざまな地域にまたがる漢民族集団の形成への龍山文化関連祖先系統の遺伝的寄与を調べます。その結果、漢民族の出現は、大半では中原龍山文化人口集団からの人口拡散によって引き起こされ、地域的な相互作用によってさらに形成された、混合の動的な過程だった、と論証されます。多様な地域にまたがる中原龍山文化関連祖先系統の広範な拡散は、遺伝と文化両方の中心としての黄河流域の重要な役割を強調していますが、局所的な混合事象は民族形成の複雑さを浮き彫りにします。さらに、漢民族の帰属意識の形成段階において、黄河下流域の古代の漢王朝人口集団は、すでに現在の山東漢民族に顕著な遺伝的影響を及ぼしていました。これらの調査結果は、考古学的言説をゲノム証拠と統合し、人口移動が人類最大級の民族集団の一つの出現にどのように寄与したのか、明らかにします。
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本論文は、現在の中華人民共和国山東省に位置する2ヶ所の遺跡から発見された、漢代の人類遺骸28個体のゲノムデータを新たに報告し、既知の古代人および現代人のゲノムデータとともに分析しました。その結果、漢代の黄河下流域集団では、中原後期新石器時代集団との強い遺伝的類似性が見られたものの、一部の集団では中国南東部沿岸関連の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)からの6.2%程度の小さな寄与が示されました。また、中原後期新石器時代人類集団の周辺地域への顕著な遺伝的影響も推定されています。本論文はこれを、「漢民族」の形成と結びつけていますが、「漢民族」の実態および年代も含めての形成過程や、「華夏人」の実態と役割などについては、今後も慎重な検証が必要とは思います。
以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、WGS(Whole Genome Sequencing、全ゲノム配列決定)、HO(Human Origin、ヒト起源)、o(outlier、外れ値)、UDG(uracil-DNA-glycosylase、ウラシルDNAグリコシラーゼ)、k(kilo years ago、千年前)、CV(cross-validation、交差検証)、K(系統構成要素数)、WLR(West Liao River、西遼河)、EA(East Asian、アジア東部人)、sEA(Southern East Asian、アジア東部南方人)、ANA(Ancient Northeast Asian、アジア北東部古代人)、、です。
以下の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、LBIA(Late Bronze Age to Iron Age、後期青銅器時代~鉄器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)、HE(historical era、歴史時代)です。
本論文で取り上げられる主要な人類集団と人物と事象は、華夏(Huaxia)、東夷(Dongyi)、西戎(Xirong)、大禹治水(Yu the Great Tames Floods)、厳文明(Yan Wenming)、永嘉の乱(Disaster of Yongjia)、湖広填四川(The Hu-Guang to Sichuan Migration)です。
本論文で取り上げられる主要な文化は、仰韶(Yangshao)文化、龍山(Longshan)文化、後李(Houli)文化、北辛(Beixin)文化、大汶口(Dawenkou)文化、MDWK(Middle Dawenkou、中期大汶口文化)、LDWK(Late Dawenkou、後期大汶口文化)、二里頭(Erlitou)文化、岳石(Yueshi)文化、夏家店上層(Upper Xiajiadian)文化、客省庄二期文化(Keshengzhuang Second Phase Culture)です。
本論文で取り上げられる主要な地域は、中原(Zhongyuan)、秦嶺淮河線(Qinling-Huaihe Line)、泰山(Mount Tai)の東側の山東半島を指す海岱(Haidai)地域、南嶺山脈(Nanling Mountains)です。
本論文で取り上げられる主要な中華人民共和国山東省の遺跡は、淄博(Zibo)市臨淄(Linzi)区臨淄51番通りの徐家村東(Xujiacundong、略してXJCDM)遺跡とそこから2km離れた場所に位置する周河(Zhouhe、略してZHM)遺跡、青嵐府(Qinglanfu)墓地、劉林(Liulin)遺跡、西夏侯(Xixiahou)遺跡、三里河(Sanlihe)遺跡、五台(Wutai)遺跡、城子崖(Chengziya)遺跡です。
本論文で取り上げられる主要な中華人民共和国の山東省以外の遺跡は、河南省の廟底溝(Miaodigou)遺跡と仰韶村(Yangshaocun)遺跡、福建省の亮島(Liangdao)遺跡、甘粛省の黒水国(Heishuiguo)遺跡と佛爺廟湾(Foyemiaowan)遺跡、青海省の大槽子(Dacaozi)遺跡、広西壮族(チワン族)自治区(以下、広西)のバロン(Balong)遺跡とバンダ(Banda)遺跡とキンチャン(Qinchang)遺跡と岑遜(Cenxun)遺跡(バロン遺跡とバンダ遺跡とキンチャン遺跡と岑遜遺跡の千年紀半ばの古代人はBaBanQinCen集団と呼ばれます)と独山洞窟(Dushan Cave)と神仙(Shenxian)洞窟と宝剣山(Baojianshan)洞窟、貴州省の松山(Songshan)遺跡です。本論文で取り上げられる主要な中華人民共和国以外の遺跡は、台湾の漢本(Hanben)遺跡、(現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では内モンゴル自治区とされている)モンゴル南部の竜頭山(Longtoushan)遺跡です。
●要約
漢民族の形成は、黄河流域、とくに先史時代社会と初期王朝文明を橋渡しした重要な龍山文化圏に根差しています。しかし、その後の歴史時代集団への龍山文化期人口集団の遺伝的影響は、この重要な移行期の古代ゲノムデータの決定的な不足のため、依然としてほぼ調べられていません。この空白は、中心地における初期の文化的統合がその後の中国人集団の遺伝的構造をどのように形成したのかについて、明確な理解を妨げています。
本論文は、山東省の漢王朝の徐家村東および周河考古学的遺跡から新たに配列決定された古代人28個体のゲノムを報告し、これを以前に刊行された地域的なデータセットと統合し、漢民族祖先系統の形成における新石器時代龍山文化人口集団の遺伝的遺産を調べました。本論文の分析は、後期新石器時代における中原と黄河下流域の龍山文化人口集団間の顕著な遺伝的分化を明らかにします。徐家村東遺跡のほとんどの個体は混合祖先系統を示しており、それはおもに中原の龍山文化関連祖先系統に由来し(93.8%)、中国南東部沿岸関連祖先系統からの小さな寄与(6.2%)がありました。対照的に、周河遺跡の全個体は、中原龍山文化関連祖先系統と遺伝的均質性を示します。これらの結果は、漢王朝期における黄河下流域内のかなりの遺伝的異質性を示唆しています。さらに、古代漢王朝人口集団と山東の現代漢民族との間の高度な遺伝的均質性が見つかりました。混合モデル化およびf統計から、龍山文化関連祖先系統、とくに中原と関連する祖先系統は、黄河上流域や西遼河流域や中国南西部などを含めて、広い地理的範囲にまたがって歴史時代の人口集団の遺伝的構造の形成に支配的役割を果たした、とさらに論証されます。
これらの調査結果は、中原龍山文化人口集団の周辺地域への顕著で広範な遺伝的影響を浮き彫りにし、漢民族の人口拡大と遺伝的均質化が促進されました。この人口移動と文化拡散の相互作用は、漢人の遺伝的形成と結合の形成における、龍山文化期の人口拡大の中心的役割を浮き彫りにします。
●背景
世界最大の民族集団として、漢民族は中国の人口の約91.11%を構成しており、世界の人口構成の役17.5を占めています。この人口の大半は、中華文明の歴史的軌跡および文化的発展の形成に重要な役割を果たしてきました。中原の肥沃な発祥地から生じた漢民族は、その祖先の起源が、新石器時代に黄河中下流域沿いに発展した古代農耕部族連合だった、華夏文明にさかのぼります。黄河文化は中華文明の起源の主脈を形成しました。本体としての黄河中下流域の徹底的な交流および統合によって、黄河文化は長江やさまざまな同様の地域的文化の先進的要素を寄せ集めてきました。新石器時代以降、華夏や東夷や西戎の部族を含めて、祖先の共同体は黄河流域で繁栄してきました。華夏は中華文明の創始者で、現代の漢民族の祖先です。秦と漢と魏と晋の王朝(紀元前221~紀元後420年)までに、黄河中下流域は次第に漢民族の中核的な文化圏へと発展し、中国の支配的な民族集団になりました。中華文明の長い形成期を通じて、この文化体系は、おもに中流文化と下流文化との間の顕著な相互作用および習合を通じて出現し、同時に長江流域や他地域の文化の先進要素を連続的に同化していき、それによって中華文明の起源の基盤として自身を確立しました。文明の曙から唐および宋王朝(618~1279年)を通じて、黄河流域は一反して国家の政治と経済と文化の中心地としての地位を維持し、中華文明の主要な揺籃地としての地位を固め、漢民族の形成の基礎を築きました。
黄河下流域では、黄河流域の初期文明があり、これは、後李文化(紀元前7000~紀元前5000年頃)から北辛文化(紀元前5400~紀元前4400年頃)や大汶口文化(紀元前4200~紀元前2600年頃)や山東龍山文化(紀元前2500~紀元前2200年頃)などを経て、連続的な発展により特徴づけられます。龍山文化は山東省の龍山町での発見に因んだ名前で、中国の黄河中下流域の後期新石器時代の文化遺物の種類を広く指します。初期山東龍山文化は大汶口文化から継承され、岳石文化(紀元前2500~紀元前2000年頃)に先行しました。その後、考古学者はさまざまな場所で関連する遺物を発見してきており、それは、(1)仰韶文化から発展し、中原の龍山文化の初期段階を表している、中原の廟底溝第2文化期(較正放射性炭素年代測定で紀元前2900~紀元前2800年頃)と、(2)後に中原の初期青銅器文明へと発展した河南龍山文化(放射性炭素年代測定で紀元前2600~紀元前2000年頃)と、(3)客省庄二期文化(紀元前2300~紀元前2000年頃)としても知られている陝西龍山文化です。じっさい、龍山文化は多くの異なる考古学的特徴から構成される複合体です。たとえば、中原と山東地域の龍山文化は、別々の起源と発展を伴う独立した文化体系かもしれない、と考えられています。
龍山文化は、同時代の文化とのさまざまな程度の相互作用を維持しました。これらの相互関連を強調する観点からは、この期間は「龍山期」と命名できるかもしれず、年代的には、廟底溝第2期/大汶口文化と二里頭/岳石文化との間に位置します。龍山期は新石器時代から青銅器時代への移行を示しており、伝説的な3王朝(夏と殷と周)の出現に相当します。考古学的研究では、黄河下流域に位置する海岱地域の初期の社会経済的発展は、中原より著しく進んでいた、と示唆されています。しかし、その後の期間には、大洪水(おそらくは、大禹治水の伝説と関連しています)が文化的断絶を引き起こし、これは岳石文化と山東龍山文化との間の明確な継承の欠如によって証明されています。対照的に、中原の龍山文化は比較的安定した環境で発展し続け、最終的には、二里頭文化期に夏王朝文明が誕生しました。先秦時代の重要な文化期として、龍山期は中原龍山文化の中核地域を中心に、次第に求心的な分布パターンを確立しました。この文化的枠組みは、地域文化の発展に影響を及ぼしたのみならず、中華民族の「多元一体」構成の基礎を築きました。高度な土器製作技術や初期の都市集落の出現や社会的階層の発達など龍山期の文化的成果は、初期中華文明の形成に最終的にはつながった先史時代の文化的発展における重要な段階でした。
WGSもしくはSNP配列に基づく一連の分析は、さまざまな地域の現代の漢人集団間の遺伝的差異を明らかにしてきており、北部人口集団内では遺伝的差異がより小さく、南下するにつれて遺伝的多様性が増加します。遺伝学的証拠は、漢人亜集団の地理的境界として秦嶺淮河線と南嶺山脈を裏づけており、南北の漢人集団は共通の祖先系統を有しています。現代の漢人集団のY染色体とmtDNAに基づく研究では、北部漢人集団の大規模な移動が漢人集団とその文化の拡大につながった、と示唆されています。これは、漢人の祖先が、周辺地域へと連続的に拡大した黄河中流域の華夏部族にたどれる、と示唆して歴史的記録と一致します。しかし、古代ゲノムデータの不足のため、初期形成期における漢人集団の遺伝的パターンは依然として不明です。「漢」という用語は、特定の民族集団を指しているだけではなく、共有された祖先系統と歴史と文化の独自性も示しています。
「漢民族」もしくは「漢人」という名称は、南北朝時代に初めて現れ、中国の最初の黄金期の一つと考えられている漢王朝に由来します。漢王朝の威信と名声は、古代華夏の多くに、自らを漢人と自認させることらなりました。漢王朝は文化的空白に出現したわけではありません。漢王朝は、先史時代に起源があり、中間王朝経由で継承された中核要素を、吸収し、洗練して、体系化しました。以前の古代ゲノム研究[14~20]は、黄河上流/下流域や中国北東部および南西部の人口集団への黄河中流域の古代の人口集団の顕著な遺伝的影響を明らかにしてきており、これは龍山文化期にさえ先行する仰韶文化期(黄河下流域の大汶口文化期と同年代)にたどれる遺産です。本論文では、山東省の徐家村東および周河遺跡で発見された、漢王朝の古代人28個体が新たに報告されました。これら2ヶ所の考古学的遺跡は地質学的に、刊行されている古代の人口集団(青嵐府_HE、山東_HE)の近くに位置します。龍山文化期後におけるアジア東部の他地域から得られた、以前に刊行された古代人のゲノム[14~19、21、22]との統合によって、歴史時代の人口集団への龍山文化関連の祖先構成要素の遺伝的影響が調べられました(図1A)。本論文の目的は文化的移行と人口動態との間のより深いつながりを解明することで、中華文明の起源や、漢王朝期の黄河下流域の古代人集団の周辺の現在の漢民族への遺伝的影響に関する研究に、新視点を提供します。以下は本論文の図1です。
●新たに生成された古代ゲノム規模データ
この研究では、山東省淄博市の徐家村東および周河遺跡の漢王朝の古代人58個体の遺骸からDNAが抽出されました。これら2ヶ所の考古学的遺跡は、地理的に相互に隣接しています。UDGでの処理なしに、各標本で二本鎖ライブラリが構築され、その後でショットガン配列決定が実行されました。全ゲノムは、古代DNAの典型的な損傷パターンを示しました。疑似半数体遺伝子型が、124万SNPの各部位で無作為に単一のアレル(対立遺伝子)を標本抽出することによって、標的SNPで呼び出されました。高水準(3%超)の汚染か、低網羅率のSNP(3万ヶ所未満)のいずれかの25個体が除外されました。残りの個体の124万パネルのSNPの数の範囲は、36682~1006484ヶ所です。さらに、最大3親等の遺伝的近縁性の5組の5個体が特定され、2ヶ所各考古学的遺跡内と遺跡間の両方で見られました。徐家村東遺跡と周河遺跡の地理的近さを考慮すると、これらの親族関係のつながりは古代の人口集団における遺跡間の相互作用の存在を示唆しており、それには通婚が含まれるかもしれません。集団遺伝学的分析における偏りを避けるために、親族関係にある各組み合わせの個体のうちより高い網羅率の個体のみが、下流分析で保持されました。
最終的に、親族関係にない28個体がさらなる分析のため保持されました。XJCDM110とXJCDM354とZHM3の標本の3点の歯が、従来の放射性炭素年代測定のため分析されました。較正された放射性炭素年代は漢王朝に相当する紀元前200~紀元前100年頃の範囲内に収まり、関連する文化的背景から推定された考古学的年代と一致します。まず、研究対象の個体は、それぞれの考古学的遺跡に基づいて、徐家村東_漢代および周河_漢代と分類表示されました。その後、予備的なPCAおよび個体水準のqpWave分析に基づいて、漢王朝期の徐家村東遺跡から遺伝的に異なる1個体が特定され、これは徐家村東_漢代_o1と命名されました。
●YHgとmtHgの割り当て
残りの28個体のうち、10個体は男性、18個体は女性と生物学的に判断されました。mtHgは高度な多様性を示すものの、すべてアジア東部系統に特徴的です(図2A)。たとえば、mtHg-Mの下位に分類される個体群には、アジア東部に広く分布するM7やM8などの下位単系統群が含まれています。mtHg-Dがおもにアジア東部北方で見られるのに対して、mtHg-Bはアジア東部の太平洋岸沿いなどでより一般的です。YHgはおもに4種類に区分され、それはOとNとQとCです(図2B)。YHg-Oはアジア東部において優勢な父系で、これらの標本では最高頻度です(40%)。YHg-Nは中国北部やモンゴルやシベリアに広く分布しており、大きな割合を占めています(30%)。YHg-Qに割り当てられた2個体はその下位単系統群Q1a1aに属し、YHg-Q1a1aは、古代のシベリア人口集団に起源があり、その後に2000年以上にわたって漢民族の父方祖先系統へと統合された、と仮定されています。1個体は、中国北部およびアジア北部でおもに観察される、YHg-C2b1a2aに属します。以下は本論文の図2です。
●中原および黄河下流域の人口集団の遺伝的構造
まず、古代人のゲノムを、アジア東部現代人から構築された差異の最初の2主成分(PC)へと投影することによって、PCAが実行されました。対象の人口集団は、異なる3クラスタ(まとまり)にまたがって分布し、中国南東部の沿岸および内陸部人口集団、アジア北東部人口集団、高地人口集団に相当します(図1B)。注目すべきことに、山東龍山文化の背景と関連する個体群は、中原の同時代の龍山文化人口集団と遺伝的にクラスタ化せず(まとまらず)、後期新石器時代における顕著な地域的分化が示唆されます。新たに報告された個体群は、黄河下流域の歴史時代の以前に刊行された個体群(たとえば、山東_1k、山東_2k、山東_HE)とともに、それ以前の同じ地域の大汶口文化および龍山文化関連人口集団(たとえば、劉林_MDWK、西夏侯_LDWK、三里河_LDWK、三里河_龍山、五台_龍山)とはまとまりませんでした。むしろ、これら歴史時代の個体群は、黄河_LBIAや黄河_LNなど、中原のそれ以前の古代の人口集団とより密接な遺伝的類似性を示しました。
教師無ADMIXTURE分析では、最小CV誤差はK=3で観察され、3祖先構成要素が選択された人口集団では最適に裏づけられるモデルを提供する、と示唆されます。この解像度では、本論文の研究対象の人口集団の個体群は、おもに3祖先系統要素で構成されており、その全体的な特性と相対的な寄り合いは、龍山文化期の黄河中流域の古代の人口集団での観察と類似しています。これらの構成要素は大まかには、中国の頭部沿岸地域(黄色で示されます)と中国南東部沿岸部および内陸部(橙色で示されます)とアジア東部北方およびアジア北東部(青色で示されます)の古代の人口集団と関連する、遺伝的類似性に対応しています。
●中原龍山文化と山東龍山文化の祖先系統間の遺伝的分化
本論文の対象人口集団への中原龍山文化および山東龍山文化の個体群の遺伝的影響をさらに調べるために、f₄統計分析が実行されました。以後の考察における一貫性のため、まず刊行されている龍山文化関連の祖先人口集団が2種類に区分され、一方は刊行されている中原龍山文化関連祖先系統の黄河_LN(8個体)および黄河_仰韶村_龍山(7個体)を含む黄河_龍山で、もう一方は山東龍山文化関連祖先系統の三里河_龍山(4個体)と城子崖_龍山(1個体)と五台_龍山(6個体)を含む山東_龍山です。第一に、f₄(ムブティ人、中国南東部沿岸および内陸部;黄河_龍山、山東_龍山)では、有意に正の結果(Z得点が3超)が得られました。これは、山東_龍山が黄河_龍山の場合よりも、中国南東部沿岸および内陸部の人口集団と多くのアレルを共有していた、と示唆しています。第二に、これら2集団が山東の初期の在来狩猟採集民(山東_EN)と比較されました。f₄(ムブティ人、山東_EN;黄河_龍山、五台_龍山)は有意に正の値(Z得点が3超)を示しましたが、f₄(ムブティ人、山東_EN;黄河_龍山、三里河_龍山/城子崖_龍山)では有意な兆候は検出されませんでした。これは、山東_龍山の3人口集団のうち、五台_龍山のみが黄河_龍山の場合よりも多くのアレルを山東_ENと共有していた一方で、三里河_龍山と城子崖_龍山はそのようなパターンを示さなかった、と示唆しています。まとめると、これらの結果から、山東龍山文化祖先系統は、中原龍山文化祖先系統と比較して、中国南東部沿岸人口集団および在来の山東狩猟採集民の2供給源から有意により多くの遺伝子流動を受けた、と論証されます。これは、中原龍山文化と山東龍山文化は二つの異なる文化的体系だった可能性が高く、それぞれ独立した起源と発展の軌跡がある、との考古学的仮説の裏づけとなる遺伝学的証拠を提供します。
●黄河下流域の古代漢民族の遺伝的形成
外群f₃形式(対象、X:ムブティ人)の外群f₃分析では、本論文の研究対象の人口集団は黄河沿いの祖先人口集団と最大の遺伝的浮動を共有していた、と明らかになりました(図2C)。龍山文化期から漢王朝まで黄河の中流域と下流域の間で文化的交流が増加し、最終的に統合した、と述べている歴史的記録とともに、PCAおよびADMIXTUREおよび外群f₃分析と統合すると、中原龍山文化関連祖先系統は、龍山文化期の後に黄河下流域沿いの人口集団に遺伝的に寄与した可能性が高そうです。f₄(ムブティ人、黄河中流関連;徐家村東_漢代/周河_漢代、山東_龍山)の有意に負の値(Z得点が3未満)でも、徐家村東_漢代/周河_漢代は山東龍山文化関連祖先系統と比較して、黄河中流域関連祖先系統とより多くのアレルを共有していた、と示唆されました。
f₄(ムブティ人、山東_EN;対象、山東_龍山)では有意に負の値が検出されず、本論文の対象人口集団は山東_ENからの検出可能な遺伝的影響を示さなかった、と示唆されます。さらに、三里河_龍山(4個体)は、城子崖_龍山(1個体)よりも堅牢な遺伝的データを提供します。これらf₄統計の結果と標本規模の考慮を組み合わせると、山東_龍山の代表として三里河_龍山が暫定的に選択されました。先行研究[32]は黄河_LNと黄河_仰韶村_龍山(両者ともに黄河_龍山に属します)を比較し、黄河_仰韶村_龍山にはより多くのANA関連祖先系統が含まれていたのに対して、黄河_LNは検出可能なANA関連祖先系統を示さなかった、と分かりました。次に、f₄(ムブティ人、ANA関連;対象、山東_龍山)を用いて(ANAの代表として刊行されているアムール川の古代の人口集団が用いられました)、本論文の対象人口集団が検証され、同様に有意なANA関連祖先系統は検出されませんでした。本論文の対象と黄河_LNとの間でのANAの特性における一貫性を考慮して、黄河_龍山の代表として黄河_LNが選択されました。
黄河_LNを黄河_龍山の代表として用いると、f₄形式(ムブティ人、X;徐家村東_漢代、黄河_LN)では、Xが中国南東部沿岸および内陸部(たとえば、亮島2号やアミ人)を表している場合、有意に負の値(Z得点が−3未満)は検出されましたが、f₄形式(ムブティ人、X;周河_漢代、黄河_LN)では有意に負の値(Z得点が−3未満)は検出されませんでした。さらに、f₄形式(ムブティ人、X;徐家村東_漢代_o1、黄河_LN)では、有意な値は検出されませんでした(Z得点が3未満)。
本論文の対象人口集団の祖先供給源をさらに検証するために、qpAdmモデル化でこの分析が拡張されました。異なる地域を表す潜在的な3祖先供給源が選択され、それは、黄河_LN(黄河中流域祖先系統)、三里河_龍山(黄河下流域祖先系統)、アミ人(南東部沿岸/内陸部祖先系統)です。モデルの堅牢性を確保するために、循環戦略を用いると、徐家村東_漢代は約93.8%の黄河_龍山関連+約6.2%の中国南東部沿岸/内陸部関連によって成功した適合としてモデル化できる、と分かりました。比較すると、外れ値の徐家村東_漢代_o1は、黄河_龍山関連に祖先系統の100%が由来する、との1方向でモデル化に成功できました。さらに、周河_漢代も1方向モデルで黄河_龍山関連に完全に由来する、とモデル化できました。黄河下流域のさまざまな考古学的遺跡の刊行されている歴史時代の古代の個体群でも祖先モデル化が実行された結果、その大半は黄河_龍山の1方向もしくは約56.6~62.3%の黄河_龍山関連+約37.7~43.4%の山東_龍山関連の2方向モデル化のいずれかとしてモデル化できる、と示されました(図3)。以下は本論文の図3です。
●他地域の中国古代人の集団遺伝学的構造
龍山文化の後期には、中原龍山文明はすでに、より広範な中国の領域の文化的中核を形成していました。地域的な遺伝的景観を体系的に調べるためな、中国全域の刊行されている古代ゲノムデータセット[17~19、22]が、この研究で新たに配列決定された個体群と組み合わされ、龍山文化関連の祖先構成要素のこれらの人口集団への寄与の評価が目的とされました。
大槽子遺跡や黒水国遺跡や佛爺廟湾遺跡から発掘された個体群を含めて、黄河上流域の人口集団について、f₄形式(ムブティ人、X;黄河上流、黄河_LN)のf₄統計が実行され、この場合、Xは黄河流域外のユーラシアの人口集団を、黄河_LNは中原龍山文化関連祖先系統を表します。f₄(ムブティ人、中国南東部;黒水国_HE、黄河_LN)での中程度の負の値(Z得点が−3超で−2未満)を除いて、有意な結果は検出されませんでした(図2D)。qpAdmを用いると、大槽子_HE(黄河上流_IAとも呼ばれます)と佛爺廟湾_HEが黄河_龍山関連祖先系統に完全に由来するとモデル化できたのに対して、黒水国_HEは約92.9%の黄河_龍山関連祖先系統とアミ人によって表される約7.1%の中国南東部沿岸関連祖先系統で構成される2方向モデルを必要としました(図3)。
龍山文化期の後の黄河中流域(考古学的には青銅器時代の相当する、黄河の春秋時代および西周王朝)では、f₄統計は黄河_LNと比較して有意な負の偏差(Z得点が3未満)を明らかにはしませんでした(図2D)。qpAdmモデル化では、これらの人口集団は黄河_龍山関連祖先系統に完全に由来すると表すことができる、とさらに確証されました。
以前の古代ゲノム研究[18]は、黄河および西遼河地域における頻繁な人口置換を記録しました。これらの観察と一致して、西遼河の竜頭山遺跡の青銅器時代個体群は、f₄(ムブティ人、ANA関連;西遼河_BA、黄河_LN)のZ得点が−3未満で、ANA関連人口集団との有意に負のf₄統計を示し(図2D)、西遼河_BAは黄河_龍山関連と比較してANA関連祖先系統とより多くのアレルを共有していた、と示唆されます。qpAdmモデル化では、西遼河_BAは祖先系統の約48.2%が黄河_龍山関連供給源に、約51.8%がここではアムール_EN によって表されるANA関連祖先系統に由来する、と推定されました(図3)。
最後に、中国南西部の松山遺跡人口集団について、たとえばBaBanQinCen集団や独山洞窟集団や神仙洞窟集団などでf₄(ムブティ人、中国南部;松山、黄河_LN)では有意に負の値(Z得点が−3未満)、たとえば亮島2号や宝剣山洞窟個体や台湾_漢本などで、f₄(ムブティ人、中国南東部沿岸および内陸部;松山、黄河_LN)中程度の負の値(Z得点が−3超で−2未満)が検出され、松山遺跡人口集団は黄河_LNと比較して中国南部祖先系統とより多くのアレルを共有していた、と示唆されます。松山遺跡集団は約70.9%の河_龍山関連祖先系統+約17.7%の中国南東部沿岸関連祖先系統+約11.4%のsEA祖先系統(広西の宝剣山洞窟個体によって表されます)としてモデル化に成功できました(図3)。
●山東省の現在の漢民族への徐家村東_漢代/周河_漢代の遺伝的影響
漢民族は、中華文明の発展は連続の形成において中心的役割を果たしてきました。漢民族は中原起源で、その祖先系統は華夏人にさかのぼります。漢民族とその文化は後に、中国本土を中心に広がっていき、それは中国史の連続的な期間、たとえば、秦王朝(紀元前221~紀元前206年)や漢王朝(紀元前202~紀元後220年)における大規模で持続的な移動の波によって引き起こされ、中国史のさまざまな時点で何世紀にもわたってさまざまな非漢人民族集団を吸収しました。こうして、中国において長期の遺伝的安定性がじょじょに出現し始めました。この歴史的枠組みと一致して、PCAでは、現代の北方漢民族は徐家村東遺跡および周河遺跡の漢王朝期人口集団の個体群と密接にまとまる、と示されます。現在の山東漢人への黄河下流域古代の人口集団の寄与を評価するために、新たに配列決定された漢王朝の個体群のゲノムを用いて、qpAdmモデル化が実行されました。注目すべきことに、現代の山東漢民族は、単一祖先供給源として、中原龍山文化祖先系統の遺伝的連続性を表している、周河遺跡の個体群を用いてのモデル化に成功できました。
●考察
汎地域的な民族的実体としての漢民族の出現は、文化的統合と人口拡大の千年にわたる過程を反映しており、黄河流域全体の多様な人口集団ア石田の新石器時代の相互作用に根差しています。本論文は、中国の初期国家水準社会の形成の基盤となった龍山文化関連の遺伝的組成が、歴史時代の漢民族の遺伝的景観をどのように形成したのか、解明するために、考古学とゲノムの証拠を統合します。本論文は、現在の山東省淄博市の漢王朝の古代人28個体のゲノムの分析を通じて、地域的な遺伝的多様性と中原龍山文化祖先系統の優勢な影響との間の微妙な相互作用を明らかにし、漢文化と遺伝の拡大の背景にある「人口拡散」モデルへの新たな知見を提供します。
●黄河下流域における後期新石器時代から漢王朝までの地域的な遺伝的動態
後期新石器時代における中原龍山文化と山東龍山文化の人口集団間の遺伝的区別は、これらが独立した起源の異なる文化的実態であることを示唆する、考古学的証拠と一致します。現在の河南省と山西省を中心とする中原龍山文化が、二里頭文化と夏王朝の基礎を築きいたのに対して、大汶口文化の伝統から特徴を継承した山東龍山文化は、海岱地域で独特な物質文化を発展させました。考古学的調査結果は、山東における中原土器様式の土器の存在など文化的相互作用を示唆していますが、ゲノムデータは、後期大汶口文化と山東龍山文化の人口集団間のほぼ直接的な遺伝的連続性を明らかにします。
漢王朝までに、徐家村東遺跡のほとんどの個体は、中原龍山文化関連祖先系統(約93.8%)と中国南東部沿岸/内陸部関連祖先系統(約6.2%)の混合を示し、何世紀にもわたる人口融合を反映しています。対照的に、徐家村東遺跡の外れ値1個体と周河遺跡の個体群は中原龍山文化関連祖先系統との遺伝的均質性を示し、漢王朝の中央集権的統治と関連する人口移動によって引き起こされた可能性が高い、中原からの直接的な人口拡大と一致します。さらに、黄河下流域全体の他の考古学的遺跡の歴史時代の個体群の遺伝的特性は、歴史時代の古代山東人口集団への中原龍山文化関連祖先系統の持続的で大きな影響とともに、この地域における顕著な遺伝的多様性を反映しています。注目すべきことに、それ以前の在来の山東狩猟採集民からこれら漢王朝人口集団への有意な遺伝的寄与は検出されませんでした。
●遺伝的拠点としての中原:龍山文化祖先系統の汎中国的拡散
黄河上流から中国南西部まで、多様な地域の中原龍山文化関連祖先系統の広範な分布は、漢民族の根幹となる遺伝的基盤としての役割を強調しています。黄河上流域では、大槽子遺跡や佛爺廟湾遺跡などの考古学的遺跡の個体群は、その祖先系統が完全に中原龍山文化関連祖先系統に由来し、新石器時代における雑穀農耕の拡大および関連する文化的慣行の西方への拡大に関する考古学的証拠と一致します。黒水国遺跡で観察された南東部沿岸祖先系統の控えめな混合(約7.1%)は、交易網もしくは南方への移動に伴うその後の相互作用を反映している可能性が高そうですが、中原の構成要素が依然として圧倒的に優勢です。
西遼河では、竜頭山遺跡の夏家店上層文化人口集団が、中原龍山文化関連祖先系統(約48.2%)とANA関連祖先系統(約51.8%)のほぼ均等な混合を示し、南方の農耕民と北東部の狩猟採集農耕民との間の遺伝的相互作用が浮き彫りになります。この混合は、遼河流域への雑穀農耕の拡散に関する考古学的証拠に対応しており、中原からの移民は農耕技術をもたらしたものの、在来人口集団とも通婚し、混合的な遺伝的特性が生じた、と示唆されます。
中国南西部では、歴史時代の松山遺跡人口集団は、中国南部構成要素と組み合わさった約70.9%の中原龍山文化関連祖先系統を示し、漢王朝および唐王朝期における雲南貴州高原への漢人の拡大に関する歴史的記録と一致します。先行研究[20]はこれを、中原からの移民が在来集団と混合し、龍山文化関連祖先系統が優占するものの、それのみではない遺伝的景観につながった、「チベット・ビルマ回廊」沿いの雑穀農耕の拡大と関連づけました。
●人口拡散と文化的統合と漢民族の形成
本論文の調査結果は、中原からの農耕民の移住が文化と遺伝両方の拡大を引き起こした、との先行研究によって提唱された「人口拡散モデル」への強い裏づけを提供します。黄河流域の漢民族の遺伝的均質性は、2000年前でさえ、南方漢民族で観察された多様性増加と対称的で、これは北方から南方への移住の連続した波、および在来人口集団との混合から生じた可能性が高そうです[35]。中原龍山文化祖先系統は、「遺伝的接着剤」として機能したようで、地域全体の均質化を促進した一方で、東方では山東龍山文化、北東ではANA人口集団、南西では中国南部人口集団からの寄与など、局所的な混合事象が地域的多様性を追加しました。
この過程は純粋には人口統計学的ではなかったものの、文化的同化と密接に絡み合っていました。龍山文化の技術的革新(たとえば、青銅の冶金や都市化)とその思想体系(たとえば、祖先崇拝や政治運営)は、遺伝的混合が起きてさえ、在来の人口集団による漢人の帰属意識の採用を、惹きつけたか共生した可能税が高そうです。歴史時代の山東人口集団では、アジア北東部狩猟採集民祖先系統が、新石器時代には存在していた[16]にも関わらず、欠如していたことから、文化的統合には選択的な遺伝的置換もしくは融合が伴い、農耕民系統が選好された、と示唆されます。
秦および漢代には、国家権力が次第に中央集権化されましたが、漢民族は中原から外へと拡大し、周辺の人口集団に顕著な影響を及ぼしました。漢王朝は、漢民族の出現において重要な形成期間として際立っており、中国史における最初の黄金期の一つと考えられています。短命な秦王朝の光景だった統一されて結合した帝国として、漢民族は自身を当時のアジア東部の地政学的秩序の中心として確立し、その権力と影響力をアジアの隣人に及ぼしました。漢王朝は、人口規模と地理的範囲と文化的範囲において、同時代のローマ帝国に匹敵しました。人口拡大および統合のこれらの歴史的過程は、現代人の遺伝的パターンの理解に背景を提供します。山東の現代漢民族の潜在的な祖先供給源として、漢王朝期の黄河下流域における祖先系統を用いると、漢代黄河下流域祖先系統は1方向混合(100%の適合)によって完全にモデル化できる、と分かり、山東において漢王朝の古代人口集団と現代の漢民族との間の高度な遺伝的均質性が論証されました。
黄河東部の山東の地理的位置は、中原と中国の南北を橋渡しして、人口移動と文化的交流両方の重要な回廊として機能しました。沿岸に位置し、遼東半島や朝鮮半島や日本列島に面している山東は、西方では中原、南方では江南地域ともつながっており、戦略的な交通および文化の拠点となりました。山東がその後の【漢王朝の後の】2000年間にわたって他地域との相互作用を通じて、追加の遺伝的置換を経たのかどうか、これが現代の漢民族の遺伝的特性をどのように形成したのかは、将来の調査の重要な課題として残ります。
●中華文明の研究への示唆
厳文明は1987年に「多弁花文(multi-petal flower)」モデルを提唱し、そこでは中原が周辺地域を統合する中核地域として機能し、これは本論文でゲノムの裏づけが見つかりました。中原龍山文化祖先系統は、唯一寄与したわけではありませんが、基礎的な遺伝的および文化的枠組みを提供し、地域的なな「花弁」(たとえば、山東龍山文化や中国南部)が全体を豊かにしました。平和的な交流と人口拡大の両方によって引き起こされた中核と周辺のこの相互作用は、広範な地理的広がりにも関わらず、漢民族をまとまった民族集団として定義する、遺伝的および文化的近縁性を生じさせました。
より多くの地域(たとえば、長江流域と南嶺山脈)および期間(たとえば、唐王朝や宋王朝)からの古代ゲノムを統合した将来の研究は、「永嘉の乱」(十六国時代)や「湖広填四川」(明清期の移住)のような歴史的事象がどのように漢人の遺伝的景観を形成したのかについて、理解をさらに深めるでしょう。さらに、龍山文化関連人口集団の機能的ゲノム解析は、雑穀農耕や疾患耐性や環境適応と関連する適応的形質を解明して、人口拡大の生物学的結果に光を当てることができるかもしれません。
●まとめ
以前に刊行された歴史時代の人口集団とともに、現在の山東省淄博市の2ヶ所の考古学的遺跡から得られた、漢王朝期の古代人28個体のゲノムを分析することによって、本論文は、中国のさまざまな地域にまたがる漢民族集団の形成への龍山文化関連祖先系統の遺伝的寄与を調べます。その結果、漢民族の出現は、大半では中原龍山文化人口集団からの人口拡散によって引き起こされ、地域的な相互作用によってさらに形成された、混合の動的な過程だった、と論証されます。多様な地域にまたがる中原龍山文化関連祖先系統の広範な拡散は、遺伝と文化両方の中心としての黄河流域の重要な役割を強調していますが、局所的な混合事象は民族形成の複雑さを浮き彫りにします。さらに、漢民族の帰属意識の形成段階において、黄河下流域の古代の漢王朝人口集団は、すでに現在の山東漢民族に顕著な遺伝的影響を及ぼしていました。これらの調査結果は、考古学的言説をゲノム証拠と統合し、人口移動が人類最大級の民族集団の一つの出現にどのように寄与したのか、明らかにします。
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