150万年前頃の異なる人類系統の足跡
取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、150万年前頃の人類の足跡を報告した研究(Hatala et al., 2024)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、ケニアの150万年前頃の異なる歩行様式の人類の足跡が、数時間もしくは数日以内に残されたことを報告しており、これがホモ属とパラントロプス属の共存の証拠になる、と指摘しています。確かに、この足跡はホモ属とパラントロプス属がほぼ間違いなく遭遇していたことを示しており、異なる2系統の人類の共存が改めて確認されました。
かつて、文化は強力な生態的地位なので、文化を持つ人類はどの時代においても単一種であり続け、アウストラロピテクス属の猿人→初期ホモ属の原人→ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)のような後期ホモ属の旧人→現生人類(Homo sapiens)の新人へと進化した、との人類単一種説が1960年代に提唱されましたが、アフリカ東部の150万年前頃の地層でホモ属とパラントロプス属(パラントロプス属という単系統群が成立しない場合はアウストラロピテクス属)の化石が発見されたことで、破綻しました(Lewin.,1999,P56-57)。本論文の知見は、人類単一種説的な認識が間違っていたことを改めて示しており、人類進化史の複雑な様相を浮き彫りにしているように思います。
ホモ属とパラントロプス属は長期間にわたって共存した可能性が高く、それは両者の生態的地位が、類似していた側面は当然あるとしても、明確に異なっていた側面も多分にあり、競合度が弱かったからではないか、と思います。その意味では、ネアンデルタール人と現生人類の生態的地位は、完全に同じではないとしても、ホモ属とパラントロプス属よりも生態的地位が類似していたため、競合度が強く、最終的にはネアンデルタール人の絶滅(もっとも、ネアンデルタール人が絶滅したとはいっても、非アフリカ系現代人はわずかながらネアンデルタール人由来のゲノム領域を継承しているので、形態学的および遺伝学的にネアンデルタール人的な特徴を一括して有する集団は絶滅した、と表現するのがより妥当でしょうか)に至ったのではないか、と考えています。
以下の略称は、 RAV(relative arch volume、相対的な足底弓容積)、cm(centimetre、センチメートル)、km(kilometre、kilometer、キロメートル)、m/s(meter per second、毎秒メートル速度)、3D(three-dimensional、三次元)です。本論文で取り上げられる主要な人類は、ホモ・エレクトス(Homo erectus)、パラントロプス・ボイセイ(Paranthropus boisei)、ホモ・ルドルフェンシス(Homo rudolfensis)、ホモ・ハビリス(Homo habilis)、アウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)です。本論文で取り上げられる主要なケニアの化石や足跡の発見地は、イレレット(Ileret)とトゥルカナ湖(Lake Turkana)の東側のクービフォラ層(Koobi Fora Formation)のKBS(Kay Behrensmeyer site、ケイ・ベーレンスミーヤー遺跡)、オコテ層(Okote Member)、エロマリンガ凝灰岩(Elomaling’a Tuff)、FE22(Site ET-2022-103-FE22、ET-2022-103-FE22遺跡)、ラエトリ(Laetoli)です。本論文で取り上げられる主要なケニア以外の化石や足跡の発見地は、タンザニアのオルドヴァイ渓谷(Olduvai Gorge)です。
●要約
鮮新世および更新世の大半で、複数の人類種がアフリカの東部と南部の同じ地域で共存していました。骨格化石記録の限界のため、種間相互作用に関する問題は、依然として未解決です。本論文は、ケニアのクービフォラの足跡(150万年前頃)の発見を報告し、この足跡は、同じ足跡表面に現れた更新世人類の二足歩行の異なる2パターンの最初の証拠を提供します。新たな分析から、これはトゥルカナ盆地東部の複数の同時代の遺跡で繰り返し観察される、と示されます。これらのデータはホモ・エレクトスとパラントロプス・ボイセイとの間の同所性関係を示唆しており、湖岸生息地はこの両種にとって重要だったことが示唆され、ヒトの進化におけるさまざまな水準の共存と競合と生態的地位の分割が浮き彫りになります。
●研究史
化石は、複数の人類種がアフリカの東部および南部の同じ地域に同時期に共存していた証拠を提供しています。同じ生態系における縁の分類群の共存は、適応的生態的地位の分割によって説明されることが多く、その場合、異なる形態および行動の適応が、共有景観内の異なる資源を利用可能とすることによって、直接的な競合を制約しています[3]。しかし、仮定的な同所性は通常、数十~数百km²にまたがり、数千~数万年にわたって蓄積された、堆積物内の骨格化石の共存に基づいています。これらのデータの時空間的解像度は、種が同時に(数年~10年以内)同じ景観に生息していたのか、判断することにも、ホモ属の出現を含めて、ヒトの進化における種間競合の役割の可能性を扱うことにも不充分です。
人類の同所性についての知見を制約する骨格化石の時空間的限界以外に、ホモ・エレクトスとパラントロプス・ボイセイを含めて、同時代の分類群間の適応的分岐に関する知見も限られてきました。多くの研究が仮定的な食性の差異に焦点を当ててきたのは、確実にこれらの分類群に帰属させられるほとんどの化石が頭蓋および歯の遺骸だからです[10]。ある仮説では、ホモ・エレクトスは完全に現代人的な二足歩行および持久走を行なっていた最初の人類で、このテク王によって異なる進化の軌跡を歩むことになった、と仮定されています。ほぼ遊離し、断片的で、および/もしくは分類学的帰属の困難な頭蓋後方【人類の場合は首から下】化石の記録は疎らで、ホモ・エレクトスとパラントロプス・ボイセイにおける二足歩行の直接的比較を可能とする骨格証拠はほとんどありません。
ケニア北部のトゥルカナ盆地の初期更新世堆積物は、ホモ・エレクトスとパラントロプス・ボイセイとの間の同所的関係に関する新たな証拠を提供します。本論文は、クービフォラ層のKBS層上部における、初期更新世の足跡遺跡の発見を提示します。本論文は、人類の足跡を分析し、同じ地域の同様の年代の足跡群[18]の広範な一式を再調査します。化石足跡は、極端に狭い時空間的規模内(たとえば、数時間から数日の期間の数十m²)の情報を記録しており、骨格化石では利用できない人類の歩行や行動や環境背景についての仮説の検証が可能となります。新たな分析技術を東トゥルカナ足跡遺跡群の増加し続けている標本へと適用することによって、人類の運動学の異なる2パターンの証拠が一貫して見つかります。これらのパターンは、同じ表面上で相互に隣接しており、複数の場所にまたがって記録されています。本論文の結果は、(1)初期更新世人類間の異なる歩行運動学の直接的な証拠と、(2)同所性の論証に適したデータの時空間的に限定された瞬間(数時間から数日の規模)を提示し、人類の異なる2分類群が湖岸環境において150万年前頃に繰り返し道を交差していた、と示します。
●遺跡の報告
遺跡FE22は2021年に、東トゥルカナ地域において、クービフォラ層のKBS最上層内で発見されました(図1A)。本論文で提示される足跡面は層序的に、最近152万年前頃と年代測定された、エロマリンガ凝灰岩(図1B・C)の10m下に位置しています。降下火砕堆積物層序学的相関から、この遺跡はトゥルカナ盆地の既知のどの人類足跡遺跡[18]よりもわずかに古い、と示唆されます。以下は本論文の図1です。
FE22の足跡面は、細粒砂と沈泥が交互に3.5mの厚さで層序化している、32cmの厚さの均一な沈泥単位上に形成されています(図1D)。上部2.5mにわたって、不規則な成層は脊椎動物の足跡の断面を示唆しており(図1D)、少なくとも5点の足跡面(TS-1~TS-5)が保存されている可能性は高そうです(図1D)。ここで発掘されたストロマトライト層状の砂沈泥および足跡面で覆われて満たされている砂とこれらの層には、人類化石など、脊椎動物の身体化石が含まれています。下部1.3mには、二枚貝の優占する貝殻層が含まれ、根と植物の茎の構造はヨシの層の証拠と解釈されています。上部の貝殻層には、魚の巣と特定された皿状の堆積物構造があります。上部の堆積物は、波状もしくは水平なストロマトライト層状の砂および沈泥砂で、複数の大きな沈泥および沈泥粘土単位が相互に重なり、わずか25cmの深さの深く切れ込んで満たされている構造が局所的な水流を示唆しています(図1D)。根の痕跡はほとんどなく、長期間地上に露出したことを示唆する泥の亀裂の証拠はありません。
TS-2面では、人類1個体の残した連続的な1点の足跡と、大きさおよび向きに基づくと、追加の異なる3個体を表していると思われる、孤立下3点の人類の足跡が発見されました(図2)。TS-2面には、鳥類61点とウシ科30点とウマ類3点の足跡も含まれています。多くの鳥類の足跡はひじょうに大きく、最大幅は27cmとなり、他に数点20cmを超えています(図2E)。これらの足跡の大きさと形態は、巨大ハゲコウ類似種(Leptoptilos cf. falconeri)など、アフリカハゲコウと一致しています。アフリカハゲコウ分類群の骨格化石は、現時点では鮮新世のみしか知られていませんが、オコテ層足跡遺跡における巨大な鳥類の足跡は、暫定的にアフリカハゲコウ分類群に帰属させられています。以下は本論文の図2です。
●結果と考察
FE22の岩相は、湖岸層序の形成過程を表しています。堆積単位(図1D)は、ヨシ原のある安定した湖岸線における堆積作用から、最小限の堆積物の再作用のある急速な蓄積への移行を記録しており、おそらくは浅い三角州の岸における分流水路による堆積に起因します。堆積作用における短い中断によって、2点の相対的に厚い沈泥層が安定化し、そのうち1点はTS-2面を形成しました。動物は、支えられていながらも変形しやすい基盤の上で、浅瀬か湖岸線のごく近くにて歩き、立っていました。この面への侵食の証拠(たとえば、偽礫や粗い底部のずれ)はなく、連続的で急速な堆積が裏づけられます。泥の亀裂や発根の欠如から、TS-2面は水面下にあったか、地上に露出したのは最小限だった、と示唆され、限られた足跡の重なりは、足跡形成と埋没との間の短い期間(数時間から数日)を示唆しています。
足跡の形態とそこに保持されている情報は、基層の性質に部分的に依存します。TS-2基層は、人類が深く沈む(約4~8.5cm)のに充分なほど柔らかかったものの、詳細な足跡の形態を記録するに充分なほど粘着性がありました。この基層は、人類が安定した速度で歩くのに充分なほど安定していたようです。HT1足跡は、一定の歩幅(平均87.28cm、標準偏差4.05cm)と狭い歩幅(平均2.63cm、標準偏差3.66cm)によって特徴づけられます。統べるか、他の明らかな歩行異常の証拠はありません。歩長(平均171.85cm)に基づいて、この個体は、中程度の歩行速度である約1.81m/sで動いていた、と推定されています。動作の速度と一貫性を考えると、HT1足跡は、この個体が軟らかい基層の上を移動するさいの通常の歩様を表している可能性が高そうです。
足跡の深さはTS-2面で横方向に代わっており、孤立した足跡はすべて、HT1足跡で観察された深さの範囲内に収まります。1点の例外(足跡HT1-9)を除いて、孤立した足跡とHT1足跡内の足跡はすべて、同様の形態学的詳細(足指の痕跡間の隆起)を示します。類似した深さと形態学的詳細、およびきわめて近いことと組み合わせると、すべての人類の足跡は同様の基層条件下で残された可能性が高そうです。重要なことに、本論文の分析は、足跡の形態が足跡の深さに応じて終わることを説明しており、異なる深さの足跡を比較できます。
TS-2足跡で記録された足の運動学は、足跡の形態が足の動きによってどのように形成されるのか、ということに関する2方面X線研究のために開発された手法を用いて評価されました。先行研究では、RAVとして定量化された、ヒトの足跡の縦方向の弓状は、現代人の踵と足裏と爪先の回転運動の産物と示されてきました。ヒト足跡は、RAVが足跡の相対的深さ(足の大きさに比例した深さ)に応じて対数的に増加する、という独特なパターンに従います。足の動きおよび基層の抵抗への変化によって、ヒトがより深く沈むほど、より高い弓状の足跡が残ることになります。相対深度の点で、RAVの比較は、化石人類の足跡によって現れた異なる運動学的パターンの検出を可能とします。孤立したTS-2足跡のうち2点(H2とH3)は、深度についてヒト的なRAVなので、ヒト的な足の運動学の証拠を示しています(図3)。以下は本論文の図3です。
HT1足跡は、異なる運動学的パターンの証拠を示しています。これらの足跡はその深度ではずっと平坦で、これに関してはタンザニアのラエトリの366万年前頃の足跡と類似しています(図3)。しかし、HT1足跡の多くはラエトリの足跡とは反対に傾いており(つまり、踵の痕跡と比較してより深い前足)、おそらくは、現代人で観察された足跡だけではなく、ラエトリで証明された足跡とも異なっていた、踵の着地および/もしくは蹴り出しのパターンを示唆しています。現代人340点の足跡の本論文の比較標本(複数の基層にわたって足跡を残した複数の人口集団が含まれます)内では、ヒトのRAV相対深度対数回帰直線から大きく外れた、同じ個人の少なくとも5点の足跡一式の標本抽出の確率はゼロです。
160万~140万年前頃の東トゥルカナの人類の足跡の既知の標本全体を広く見ると、今や二足歩行運動学の異なる2パターンのさらなる証拠が認識されます。ケニアのイレレットで回収された足跡[18、30]の一方の部分集合には、現代人のRAV相対深度回帰の95%予測間隔内に収まるRAV値があります。第二の部分集合には、その予測間隔から大きく外れるRAV値があり、これらはTS-2のHT1足跡と類似しています(図3)。FE22に近いものの、より層序が上のGaJi10の1点の定量化可能な足跡も、HT1足跡と類似した低いRAVを示します(図3)。先行研究では、RAVによって把握される縦方向の足跡の弓状はおもに踵と足裏と爪先の回転で生じ、現代人で観察されるRAV相対深度からの逸脱は異なる足跡運動学を示唆している(それは、足の形態の違いと関連しているかもしれません)、と論証されました。160万~140万年前頃のすべての利用可能な証拠の評価から、歩行運動学の2通りの異なるパターンが同じ足跡面で記録されている、と示唆され、一部の足跡は現代人的な歩行運動、他は足の運動の異なるパターンを示唆しています。
RAVによって示唆される運動学的差異に加えて、HT1足跡内の母趾跡は、現代人の足跡と比較した場合、足の形態の差異および/もしくは機能の差異を示しています。絶対値では、母趾外転角度は、現代人の足跡で観察された角度を上回る傾向にありました(図4A)。同じことはラエトリのG1足跡にも当てはまりますが、どちらもチンパンジーの足跡の高度に外転した母趾跡には達しません。より外転していることに加えて、HT1足跡内の母趾の向きは現代人よりも多様です。集団間の平均中心母趾外転を比較すると、HT1標本は現代人より広範囲に及び、より大きな母趾の歩幅の位置の差異を示します(図4B)。HT1足跡内の足跡から測定された最大外転角度と最小外転角度間の差異(左足では15.9度、右足では19.1度)は、実験的な現代人の足跡の反復再標本抽出から得られた95%信頼限界(1.4~10.6度)外に位置します。母趾外転の同等の差異はラエトリのG1とチンパンジーの足跡で観察されますが(図4B)、HT1およびラエトリのG1の足跡は、チンパンジーとは異なります。HT1とラエトリのG1では、母趾が第一中足指節関節で足の長軸から外転するのに対して、チンパンジーでは、足跡の外転は足根中足関節で始まります。足跡の形態に基づいて、HT1およびラエトリのG1の足跡は現代人(およびチンパンジー)とは、第一中足指節関節において形態および/もしくは運動学で異なっている、と仮定されます。同様の母趾外転パターンは、イレレットに近い150万年前頃の人類の足跡で明らかです。以下は本論文の図4です。
本論文の分析が潜在的な基層の差異を適切に説明している、と仮定すると、FE22の足跡の形態のパターンは、初期更新世人類の分類群には足の形態と歩行運動学において現代人で観察されるよりもずっと大きな種内差異があったことによって、説明できるかもしれません。しかし、上述の証拠および以下の骨格化石データから、TS-2面は異なる2分類群の共存を記録しており、東トゥルカナの初期更新世足跡群が増加している中で、異なる足の形態および運動学を示した、と提案されます。
確実に分類できる骨格化石の少ない記録にも関わらず、頭蓋後方形態は初期更新世人類分類群間の歩行運動差異の推測に用いられてきました。先行研究はパラントロプス属に帰属させられているアフリカ南部の下肢化石を分析し、同時代の人類とは異なる歩行運動パターンを推測しました。東トゥルカナおよびタンザニアのオルドヴァイ渓谷の初期更新世の距骨化石の分析は、パラントロプス属とホモ属における二足歩行の異なるパターンを反映している、と仮定されている形態学的差異を特定しました。足の化石形態に関するより新しい研究は、三次元手法を適用し、新たな分析的手法を使い、より新しく発見された化石を組み込みました。これらの研究は、初期更新世人類間の歩行運動多様性の新たな状況を浮き彫りにし続けています。たとえば、踵骨の形態に基づいて多様な踵の着地パターンが仮定されてきたのに対して、後足および足裏中央部の着地の運動学と縦方向の弓状形態の差異は、距骨の形態から推測されてきました。中足の堅牢性に基づいて、蹴り出し運動学における差異が仮定されてきました。まとめると、既知の骨格化石の形態は、初期更新世人類の足の機能におけるかなりの差異を示唆しています。これらの形態学的差異は、初期更新世の人類の足跡によって記録される2通りの運動学的に異なる歩様に関する、本論文の調査結果と一致します。
本論文の分析と直接的に関連して、パラントロプス属と推定される化石における第一中足基底部の形態は、現代人で観察されるより大きな母趾外転と関連づけられてきました。第一中足頭の背側狭小化は、パラントロプス属の第一中足を化石や現代人と区別する、と分かりました。背側狭小化は、一般的にラエトリのG1の足跡を残したと推定されている、アウストラロピテクス・アファレンシスの第一中足でも観察されています。これらの研究は、この形態が現代人での観察とは異なる爪先が地上から離れるパターンの原因となるだろう、と推測してきました。本論文では、パラントロプス属とアウストラロピテクス・アファレンシスの第一中足の形態は、地面との接触時に母趾のより外転してより多様な位置と関連しており、この運動学的パターンはTS-2のHT1およびラエトリのG1の足跡において明らかである、と仮定されます。これに基づいて本論文では、HT1の足跡はパラントロプス・ボイセイによって、孤立したTS-2の足跡はホモ・エレクトスによって残された、と仮定されます[44]。
異なる人類の足跡の形態の共存、およびTS-2面の他の哺乳類および鳥類の足跡との関連は、地質学的には瞬間的でした。FE22の岩相は、区域103およびイレレットの区域1aにおける他の足跡のある堆積物と類似しており、160万~140万年前頃の間の異なる層序層で見られます。これらのデータに基づくと、明らかなのは、人類が繰り返し湖岸の生息地を訪れ、湿った基層の上を歩き、浅瀬へと入り、これらの環境に頻繁に言っていた他の動物と相互作用していたかもしれないことです。
ホモ・エレクトスとパラントロプス・ボイセイの骨格化石は長く、クービフォラ層の同じ地質学的層内で共存していた、と知られてきました。以前の分析では、どちらかの分類群の化石が特定の環境ではらより一般的である、と示されてきました。湖岸堆積物では、ほぼ同じ頻度でホモ属とパラントロプス属の化石が保存されており、これらの環境が生態学的同所性を支えていたかもしれない、と示唆されます。しかし、骨格化石群は時空間的に平均化されたデータで、死後の移動の影響を受けるので、この仮説の評価に理想的ではありません。対照的に、化石足跡はその場に焦点を当てた瞬間を提供し、これによって種間の共存および相互作用をより直接的に推測できるようになります[45]。
FE22およびイレレットに近いFwJj14E遺跡では[18、30]、同じ足跡面で人類の足跡の形態の異なる2パターンが記録されてきました。本論文では、これらは、異なる足の形態と歩行運動学によって特徴づけられる、異なる2分類群を表している、と提案されます。相互に数mおよび数時間から数日以内のこの種間共存から、初期更新世において湖岸環境で、ホモ・エレクトスとパラントロプス・ボイセイは共存しており、相互作用していたかもしれない、と示唆されます。さらに、これら2系統の人類の足跡形態に関して、同じ約20万年間以内での異なる位置と堆積および時間の差異を考えると、人類の同所性の持続的なパターンの証拠が提供されます。おそらく、共存する足跡が記録されている湖岸や三角州環境およびより大きな周辺生態系は、明らかな適応的差異にも関わらず、両分類群【ホモ・エレクトスとパラントロプス・ボイセイ】に利用可能で好ましい資源を提供していました。ホモ属とパラントロプス属との間のそうした同所性がより速い時期、おそらくは280万年前頃のホモ・の起源[46]から持続していたならば、ホモ属とパラントロプス属の間の低度から中程度の競合が仮定されます。異なる食性資源の消費に関する明らかな適応[10]を考えると、この想定は妥当なようです。その後、気候が原因の環境変動は、資源の利用可能性の均衡を変えたかもしれず、それが競合激化につながり、その後でホモ属を定義した、より危険で、より高報酬の食料獲得戦略への適応的変化を促進したかもしれません[48]。そうした仮説の検証には、複数の環境および行動データ情報源の詳細な分析が必要で、化石の足跡を他の化石や考古学的証拠と統合することから恩恵を受けるでしょう。
参考文献:
Hatala KG. et al.(2025): Footprint evidence for locomotor diversity and shared habitats among early Pleistocene hominins. Science, 386, 6725, 1004–1010.
https://doi.org/10.1126/science.ado5275
Lewin R.著(1999)、渡辺毅訳『現生人類の起源』(東京化学同人社、原書の刊行は1993年)
[3]Antón S, Potts R, and Aiello LC.(2014): Evolution of early Homo: An integrated biological perspective. Science, 345, 6192, 1236828.
https://doi.org/10.1126/science.1236828
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[10]Cerlinga TE. et al.(2011): Diet of Paranthropus boisei in the early Pleistocene of East Africa. PNAS, 108, 23, 9337-9341.
https://doi.org/10.1073/pnas.1104627108
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[18]Bennett MR. et al.(2009): Early Hominin Foot Morphology Based on 1.5-Million-Year-Old Footprints from Ileret, Kenya. Science, 323, 5918, 1197-1201.
https://doi.org/10.1126/science.1168132
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[30]Hatala KG. et al.(2016): Footprints reveal direct evidence of group behavior and locomotion in Homo erectus. Scientific Reports, 6, 28776.
https://doi.org/10.1038/srep28766
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[44]いずれの足跡群もホモ・ハビリスもしくはホモ・ルドルフェンシスが残したかもしれませんが、クービフォラ層から発見された、確実にホモ・ハビリスおよびホモ・ルドルフェンシス分類群に帰属させられる標本の現時点で既知の最後の出現年代は、それぞれ175万年前頃と178万年前頃です。ストロマトライト層A6がTS-2の足跡面の下に位置することを考えると、本論文で分析された足跡は160万年前頃より新しい可能性が最も高そうです。クービフォラ層におけるホモ・エレクトス(広義)とパラントロプス・ボイセイの確実に帰属させられる標本の最後の出現年代は、それぞれ144万年前頃と141万年前頃です。この前提に基づいて、足跡はホモ・エレクトスとパラントロプス・ボイセイの2分類群に帰属する、と仮定するのが最も節約的です。
[45]Bustos D. et al.(2018): Footprints preserve terminal Pleistocene hunt? Human-sloth interactions in North America. Science Advances, 4, 4, eaar7621.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aar7621
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[46]Villmoare B. et al.(2015): Early Homo at 2.8 Ma from Ledi-Geraru, Afar, Ethiopia. Science, 347, 6228, 1352-1355.
https://doi.org/10.1126/science.aaa1343
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[48]Roach NT. et al.(2013): Elastic energy storage in the shoulder and the evolution of high-speed throwing in Homo. Nature, 498, 7455, 483-486.
https://doi.org/10.1038/nature12267
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かつて、文化は強力な生態的地位なので、文化を持つ人類はどの時代においても単一種であり続け、アウストラロピテクス属の猿人→初期ホモ属の原人→ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)のような後期ホモ属の旧人→現生人類(Homo sapiens)の新人へと進化した、との人類単一種説が1960年代に提唱されましたが、アフリカ東部の150万年前頃の地層でホモ属とパラントロプス属(パラントロプス属という単系統群が成立しない場合はアウストラロピテクス属)の化石が発見されたことで、破綻しました(Lewin.,1999,P56-57)。本論文の知見は、人類単一種説的な認識が間違っていたことを改めて示しており、人類進化史の複雑な様相を浮き彫りにしているように思います。
ホモ属とパラントロプス属は長期間にわたって共存した可能性が高く、それは両者の生態的地位が、類似していた側面は当然あるとしても、明確に異なっていた側面も多分にあり、競合度が弱かったからではないか、と思います。その意味では、ネアンデルタール人と現生人類の生態的地位は、完全に同じではないとしても、ホモ属とパラントロプス属よりも生態的地位が類似していたため、競合度が強く、最終的にはネアンデルタール人の絶滅(もっとも、ネアンデルタール人が絶滅したとはいっても、非アフリカ系現代人はわずかながらネアンデルタール人由来のゲノム領域を継承しているので、形態学的および遺伝学的にネアンデルタール人的な特徴を一括して有する集団は絶滅した、と表現するのがより妥当でしょうか)に至ったのではないか、と考えています。
以下の略称は、 RAV(relative arch volume、相対的な足底弓容積)、cm(centimetre、センチメートル)、km(kilometre、kilometer、キロメートル)、m/s(meter per second、毎秒メートル速度)、3D(three-dimensional、三次元)です。本論文で取り上げられる主要な人類は、ホモ・エレクトス(Homo erectus)、パラントロプス・ボイセイ(Paranthropus boisei)、ホモ・ルドルフェンシス(Homo rudolfensis)、ホモ・ハビリス(Homo habilis)、アウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)です。本論文で取り上げられる主要なケニアの化石や足跡の発見地は、イレレット(Ileret)とトゥルカナ湖(Lake Turkana)の東側のクービフォラ層(Koobi Fora Formation)のKBS(Kay Behrensmeyer site、ケイ・ベーレンスミーヤー遺跡)、オコテ層(Okote Member)、エロマリンガ凝灰岩(Elomaling’a Tuff)、FE22(Site ET-2022-103-FE22、ET-2022-103-FE22遺跡)、ラエトリ(Laetoli)です。本論文で取り上げられる主要なケニア以外の化石や足跡の発見地は、タンザニアのオルドヴァイ渓谷(Olduvai Gorge)です。
●要約
鮮新世および更新世の大半で、複数の人類種がアフリカの東部と南部の同じ地域で共存していました。骨格化石記録の限界のため、種間相互作用に関する問題は、依然として未解決です。本論文は、ケニアのクービフォラの足跡(150万年前頃)の発見を報告し、この足跡は、同じ足跡表面に現れた更新世人類の二足歩行の異なる2パターンの最初の証拠を提供します。新たな分析から、これはトゥルカナ盆地東部の複数の同時代の遺跡で繰り返し観察される、と示されます。これらのデータはホモ・エレクトスとパラントロプス・ボイセイとの間の同所性関係を示唆しており、湖岸生息地はこの両種にとって重要だったことが示唆され、ヒトの進化におけるさまざまな水準の共存と競合と生態的地位の分割が浮き彫りになります。
●研究史
化石は、複数の人類種がアフリカの東部および南部の同じ地域に同時期に共存していた証拠を提供しています。同じ生態系における縁の分類群の共存は、適応的生態的地位の分割によって説明されることが多く、その場合、異なる形態および行動の適応が、共有景観内の異なる資源を利用可能とすることによって、直接的な競合を制約しています[3]。しかし、仮定的な同所性は通常、数十~数百km²にまたがり、数千~数万年にわたって蓄積された、堆積物内の骨格化石の共存に基づいています。これらのデータの時空間的解像度は、種が同時に(数年~10年以内)同じ景観に生息していたのか、判断することにも、ホモ属の出現を含めて、ヒトの進化における種間競合の役割の可能性を扱うことにも不充分です。
人類の同所性についての知見を制約する骨格化石の時空間的限界以外に、ホモ・エレクトスとパラントロプス・ボイセイを含めて、同時代の分類群間の適応的分岐に関する知見も限られてきました。多くの研究が仮定的な食性の差異に焦点を当ててきたのは、確実にこれらの分類群に帰属させられるほとんどの化石が頭蓋および歯の遺骸だからです[10]。ある仮説では、ホモ・エレクトスは完全に現代人的な二足歩行および持久走を行なっていた最初の人類で、このテク王によって異なる進化の軌跡を歩むことになった、と仮定されています。ほぼ遊離し、断片的で、および/もしくは分類学的帰属の困難な頭蓋後方【人類の場合は首から下】化石の記録は疎らで、ホモ・エレクトスとパラントロプス・ボイセイにおける二足歩行の直接的比較を可能とする骨格証拠はほとんどありません。
ケニア北部のトゥルカナ盆地の初期更新世堆積物は、ホモ・エレクトスとパラントロプス・ボイセイとの間の同所的関係に関する新たな証拠を提供します。本論文は、クービフォラ層のKBS層上部における、初期更新世の足跡遺跡の発見を提示します。本論文は、人類の足跡を分析し、同じ地域の同様の年代の足跡群[18]の広範な一式を再調査します。化石足跡は、極端に狭い時空間的規模内(たとえば、数時間から数日の期間の数十m²)の情報を記録しており、骨格化石では利用できない人類の歩行や行動や環境背景についての仮説の検証が可能となります。新たな分析技術を東トゥルカナ足跡遺跡群の増加し続けている標本へと適用することによって、人類の運動学の異なる2パターンの証拠が一貫して見つかります。これらのパターンは、同じ表面上で相互に隣接しており、複数の場所にまたがって記録されています。本論文の結果は、(1)初期更新世人類間の異なる歩行運動学の直接的な証拠と、(2)同所性の論証に適したデータの時空間的に限定された瞬間(数時間から数日の規模)を提示し、人類の異なる2分類群が湖岸環境において150万年前頃に繰り返し道を交差していた、と示します。
●遺跡の報告
遺跡FE22は2021年に、東トゥルカナ地域において、クービフォラ層のKBS最上層内で発見されました(図1A)。本論文で提示される足跡面は層序的に、最近152万年前頃と年代測定された、エロマリンガ凝灰岩(図1B・C)の10m下に位置しています。降下火砕堆積物層序学的相関から、この遺跡はトゥルカナ盆地の既知のどの人類足跡遺跡[18]よりもわずかに古い、と示唆されます。以下は本論文の図1です。
FE22の足跡面は、細粒砂と沈泥が交互に3.5mの厚さで層序化している、32cmの厚さの均一な沈泥単位上に形成されています(図1D)。上部2.5mにわたって、不規則な成層は脊椎動物の足跡の断面を示唆しており(図1D)、少なくとも5点の足跡面(TS-1~TS-5)が保存されている可能性は高そうです(図1D)。ここで発掘されたストロマトライト層状の砂沈泥および足跡面で覆われて満たされている砂とこれらの層には、人類化石など、脊椎動物の身体化石が含まれています。下部1.3mには、二枚貝の優占する貝殻層が含まれ、根と植物の茎の構造はヨシの層の証拠と解釈されています。上部の貝殻層には、魚の巣と特定された皿状の堆積物構造があります。上部の堆積物は、波状もしくは水平なストロマトライト層状の砂および沈泥砂で、複数の大きな沈泥および沈泥粘土単位が相互に重なり、わずか25cmの深さの深く切れ込んで満たされている構造が局所的な水流を示唆しています(図1D)。根の痕跡はほとんどなく、長期間地上に露出したことを示唆する泥の亀裂の証拠はありません。
TS-2面では、人類1個体の残した連続的な1点の足跡と、大きさおよび向きに基づくと、追加の異なる3個体を表していると思われる、孤立下3点の人類の足跡が発見されました(図2)。TS-2面には、鳥類61点とウシ科30点とウマ類3点の足跡も含まれています。多くの鳥類の足跡はひじょうに大きく、最大幅は27cmとなり、他に数点20cmを超えています(図2E)。これらの足跡の大きさと形態は、巨大ハゲコウ類似種(Leptoptilos cf. falconeri)など、アフリカハゲコウと一致しています。アフリカハゲコウ分類群の骨格化石は、現時点では鮮新世のみしか知られていませんが、オコテ層足跡遺跡における巨大な鳥類の足跡は、暫定的にアフリカハゲコウ分類群に帰属させられています。以下は本論文の図2です。
●結果と考察
FE22の岩相は、湖岸層序の形成過程を表しています。堆積単位(図1D)は、ヨシ原のある安定した湖岸線における堆積作用から、最小限の堆積物の再作用のある急速な蓄積への移行を記録しており、おそらくは浅い三角州の岸における分流水路による堆積に起因します。堆積作用における短い中断によって、2点の相対的に厚い沈泥層が安定化し、そのうち1点はTS-2面を形成しました。動物は、支えられていながらも変形しやすい基盤の上で、浅瀬か湖岸線のごく近くにて歩き、立っていました。この面への侵食の証拠(たとえば、偽礫や粗い底部のずれ)はなく、連続的で急速な堆積が裏づけられます。泥の亀裂や発根の欠如から、TS-2面は水面下にあったか、地上に露出したのは最小限だった、と示唆され、限られた足跡の重なりは、足跡形成と埋没との間の短い期間(数時間から数日)を示唆しています。
足跡の形態とそこに保持されている情報は、基層の性質に部分的に依存します。TS-2基層は、人類が深く沈む(約4~8.5cm)のに充分なほど柔らかかったものの、詳細な足跡の形態を記録するに充分なほど粘着性がありました。この基層は、人類が安定した速度で歩くのに充分なほど安定していたようです。HT1足跡は、一定の歩幅(平均87.28cm、標準偏差4.05cm)と狭い歩幅(平均2.63cm、標準偏差3.66cm)によって特徴づけられます。統べるか、他の明らかな歩行異常の証拠はありません。歩長(平均171.85cm)に基づいて、この個体は、中程度の歩行速度である約1.81m/sで動いていた、と推定されています。動作の速度と一貫性を考えると、HT1足跡は、この個体が軟らかい基層の上を移動するさいの通常の歩様を表している可能性が高そうです。
足跡の深さはTS-2面で横方向に代わっており、孤立した足跡はすべて、HT1足跡で観察された深さの範囲内に収まります。1点の例外(足跡HT1-9)を除いて、孤立した足跡とHT1足跡内の足跡はすべて、同様の形態学的詳細(足指の痕跡間の隆起)を示します。類似した深さと形態学的詳細、およびきわめて近いことと組み合わせると、すべての人類の足跡は同様の基層条件下で残された可能性が高そうです。重要なことに、本論文の分析は、足跡の形態が足跡の深さに応じて終わることを説明しており、異なる深さの足跡を比較できます。
TS-2足跡で記録された足の運動学は、足跡の形態が足の動きによってどのように形成されるのか、ということに関する2方面X線研究のために開発された手法を用いて評価されました。先行研究では、RAVとして定量化された、ヒトの足跡の縦方向の弓状は、現代人の踵と足裏と爪先の回転運動の産物と示されてきました。ヒト足跡は、RAVが足跡の相対的深さ(足の大きさに比例した深さ)に応じて対数的に増加する、という独特なパターンに従います。足の動きおよび基層の抵抗への変化によって、ヒトがより深く沈むほど、より高い弓状の足跡が残ることになります。相対深度の点で、RAVの比較は、化石人類の足跡によって現れた異なる運動学的パターンの検出を可能とします。孤立したTS-2足跡のうち2点(H2とH3)は、深度についてヒト的なRAVなので、ヒト的な足の運動学の証拠を示しています(図3)。以下は本論文の図3です。
HT1足跡は、異なる運動学的パターンの証拠を示しています。これらの足跡はその深度ではずっと平坦で、これに関してはタンザニアのラエトリの366万年前頃の足跡と類似しています(図3)。しかし、HT1足跡の多くはラエトリの足跡とは反対に傾いており(つまり、踵の痕跡と比較してより深い前足)、おそらくは、現代人で観察された足跡だけではなく、ラエトリで証明された足跡とも異なっていた、踵の着地および/もしくは蹴り出しのパターンを示唆しています。現代人340点の足跡の本論文の比較標本(複数の基層にわたって足跡を残した複数の人口集団が含まれます)内では、ヒトのRAV相対深度対数回帰直線から大きく外れた、同じ個人の少なくとも5点の足跡一式の標本抽出の確率はゼロです。
160万~140万年前頃の東トゥルカナの人類の足跡の既知の標本全体を広く見ると、今や二足歩行運動学の異なる2パターンのさらなる証拠が認識されます。ケニアのイレレットで回収された足跡[18、30]の一方の部分集合には、現代人のRAV相対深度回帰の95%予測間隔内に収まるRAV値があります。第二の部分集合には、その予測間隔から大きく外れるRAV値があり、これらはTS-2のHT1足跡と類似しています(図3)。FE22に近いものの、より層序が上のGaJi10の1点の定量化可能な足跡も、HT1足跡と類似した低いRAVを示します(図3)。先行研究では、RAVによって把握される縦方向の足跡の弓状はおもに踵と足裏と爪先の回転で生じ、現代人で観察されるRAV相対深度からの逸脱は異なる足跡運動学を示唆している(それは、足の形態の違いと関連しているかもしれません)、と論証されました。160万~140万年前頃のすべての利用可能な証拠の評価から、歩行運動学の2通りの異なるパターンが同じ足跡面で記録されている、と示唆され、一部の足跡は現代人的な歩行運動、他は足の運動の異なるパターンを示唆しています。
RAVによって示唆される運動学的差異に加えて、HT1足跡内の母趾跡は、現代人の足跡と比較した場合、足の形態の差異および/もしくは機能の差異を示しています。絶対値では、母趾外転角度は、現代人の足跡で観察された角度を上回る傾向にありました(図4A)。同じことはラエトリのG1足跡にも当てはまりますが、どちらもチンパンジーの足跡の高度に外転した母趾跡には達しません。より外転していることに加えて、HT1足跡内の母趾の向きは現代人よりも多様です。集団間の平均中心母趾外転を比較すると、HT1標本は現代人より広範囲に及び、より大きな母趾の歩幅の位置の差異を示します(図4B)。HT1足跡内の足跡から測定された最大外転角度と最小外転角度間の差異(左足では15.9度、右足では19.1度)は、実験的な現代人の足跡の反復再標本抽出から得られた95%信頼限界(1.4~10.6度)外に位置します。母趾外転の同等の差異はラエトリのG1とチンパンジーの足跡で観察されますが(図4B)、HT1およびラエトリのG1の足跡は、チンパンジーとは異なります。HT1とラエトリのG1では、母趾が第一中足指節関節で足の長軸から外転するのに対して、チンパンジーでは、足跡の外転は足根中足関節で始まります。足跡の形態に基づいて、HT1およびラエトリのG1の足跡は現代人(およびチンパンジー)とは、第一中足指節関節において形態および/もしくは運動学で異なっている、と仮定されます。同様の母趾外転パターンは、イレレットに近い150万年前頃の人類の足跡で明らかです。以下は本論文の図4です。
本論文の分析が潜在的な基層の差異を適切に説明している、と仮定すると、FE22の足跡の形態のパターンは、初期更新世人類の分類群には足の形態と歩行運動学において現代人で観察されるよりもずっと大きな種内差異があったことによって、説明できるかもしれません。しかし、上述の証拠および以下の骨格化石データから、TS-2面は異なる2分類群の共存を記録しており、東トゥルカナの初期更新世足跡群が増加している中で、異なる足の形態および運動学を示した、と提案されます。
確実に分類できる骨格化石の少ない記録にも関わらず、頭蓋後方形態は初期更新世人類分類群間の歩行運動差異の推測に用いられてきました。先行研究はパラントロプス属に帰属させられているアフリカ南部の下肢化石を分析し、同時代の人類とは異なる歩行運動パターンを推測しました。東トゥルカナおよびタンザニアのオルドヴァイ渓谷の初期更新世の距骨化石の分析は、パラントロプス属とホモ属における二足歩行の異なるパターンを反映している、と仮定されている形態学的差異を特定しました。足の化石形態に関するより新しい研究は、三次元手法を適用し、新たな分析的手法を使い、より新しく発見された化石を組み込みました。これらの研究は、初期更新世人類間の歩行運動多様性の新たな状況を浮き彫りにし続けています。たとえば、踵骨の形態に基づいて多様な踵の着地パターンが仮定されてきたのに対して、後足および足裏中央部の着地の運動学と縦方向の弓状形態の差異は、距骨の形態から推測されてきました。中足の堅牢性に基づいて、蹴り出し運動学における差異が仮定されてきました。まとめると、既知の骨格化石の形態は、初期更新世人類の足の機能におけるかなりの差異を示唆しています。これらの形態学的差異は、初期更新世の人類の足跡によって記録される2通りの運動学的に異なる歩様に関する、本論文の調査結果と一致します。
本論文の分析と直接的に関連して、パラントロプス属と推定される化石における第一中足基底部の形態は、現代人で観察されるより大きな母趾外転と関連づけられてきました。第一中足頭の背側狭小化は、パラントロプス属の第一中足を化石や現代人と区別する、と分かりました。背側狭小化は、一般的にラエトリのG1の足跡を残したと推定されている、アウストラロピテクス・アファレンシスの第一中足でも観察されています。これらの研究は、この形態が現代人での観察とは異なる爪先が地上から離れるパターンの原因となるだろう、と推測してきました。本論文では、パラントロプス属とアウストラロピテクス・アファレンシスの第一中足の形態は、地面との接触時に母趾のより外転してより多様な位置と関連しており、この運動学的パターンはTS-2のHT1およびラエトリのG1の足跡において明らかである、と仮定されます。これに基づいて本論文では、HT1の足跡はパラントロプス・ボイセイによって、孤立したTS-2の足跡はホモ・エレクトスによって残された、と仮定されます[44]。
異なる人類の足跡の形態の共存、およびTS-2面の他の哺乳類および鳥類の足跡との関連は、地質学的には瞬間的でした。FE22の岩相は、区域103およびイレレットの区域1aにおける他の足跡のある堆積物と類似しており、160万~140万年前頃の間の異なる層序層で見られます。これらのデータに基づくと、明らかなのは、人類が繰り返し湖岸の生息地を訪れ、湿った基層の上を歩き、浅瀬へと入り、これらの環境に頻繁に言っていた他の動物と相互作用していたかもしれないことです。
ホモ・エレクトスとパラントロプス・ボイセイの骨格化石は長く、クービフォラ層の同じ地質学的層内で共存していた、と知られてきました。以前の分析では、どちらかの分類群の化石が特定の環境ではらより一般的である、と示されてきました。湖岸堆積物では、ほぼ同じ頻度でホモ属とパラントロプス属の化石が保存されており、これらの環境が生態学的同所性を支えていたかもしれない、と示唆されます。しかし、骨格化石群は時空間的に平均化されたデータで、死後の移動の影響を受けるので、この仮説の評価に理想的ではありません。対照的に、化石足跡はその場に焦点を当てた瞬間を提供し、これによって種間の共存および相互作用をより直接的に推測できるようになります[45]。
FE22およびイレレットに近いFwJj14E遺跡では[18、30]、同じ足跡面で人類の足跡の形態の異なる2パターンが記録されてきました。本論文では、これらは、異なる足の形態と歩行運動学によって特徴づけられる、異なる2分類群を表している、と提案されます。相互に数mおよび数時間から数日以内のこの種間共存から、初期更新世において湖岸環境で、ホモ・エレクトスとパラントロプス・ボイセイは共存しており、相互作用していたかもしれない、と示唆されます。さらに、これら2系統の人類の足跡形態に関して、同じ約20万年間以内での異なる位置と堆積および時間の差異を考えると、人類の同所性の持続的なパターンの証拠が提供されます。おそらく、共存する足跡が記録されている湖岸や三角州環境およびより大きな周辺生態系は、明らかな適応的差異にも関わらず、両分類群【ホモ・エレクトスとパラントロプス・ボイセイ】に利用可能で好ましい資源を提供していました。ホモ属とパラントロプス属との間のそうした同所性がより速い時期、おそらくは280万年前頃のホモ・の起源[46]から持続していたならば、ホモ属とパラントロプス属の間の低度から中程度の競合が仮定されます。異なる食性資源の消費に関する明らかな適応[10]を考えると、この想定は妥当なようです。その後、気候が原因の環境変動は、資源の利用可能性の均衡を変えたかもしれず、それが競合激化につながり、その後でホモ属を定義した、より危険で、より高報酬の食料獲得戦略への適応的変化を促進したかもしれません[48]。そうした仮説の検証には、複数の環境および行動データ情報源の詳細な分析が必要で、化石の足跡を他の化石や考古学的証拠と統合することから恩恵を受けるでしょう。
参考文献:
Hatala KG. et al.(2025): Footprint evidence for locomotor diversity and shared habitats among early Pleistocene hominins. Science, 386, 6725, 1004–1010.
https://doi.org/10.1126/science.ado5275
Lewin R.著(1999)、渡辺毅訳『現生人類の起源』(東京化学同人社、原書の刊行は1993年)
[3]Antón S, Potts R, and Aiello LC.(2014): Evolution of early Homo: An integrated biological perspective. Science, 345, 6192, 1236828.
https://doi.org/10.1126/science.1236828
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[10]Cerlinga TE. et al.(2011): Diet of Paranthropus boisei in the early Pleistocene of East Africa. PNAS, 108, 23, 9337-9341.
https://doi.org/10.1073/pnas.1104627108
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[18]Bennett MR. et al.(2009): Early Hominin Foot Morphology Based on 1.5-Million-Year-Old Footprints from Ileret, Kenya. Science, 323, 5918, 1197-1201.
https://doi.org/10.1126/science.1168132
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[30]Hatala KG. et al.(2016): Footprints reveal direct evidence of group behavior and locomotion in Homo erectus. Scientific Reports, 6, 28776.
https://doi.org/10.1038/srep28766
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[44]いずれの足跡群もホモ・ハビリスもしくはホモ・ルドルフェンシスが残したかもしれませんが、クービフォラ層から発見された、確実にホモ・ハビリスおよびホモ・ルドルフェンシス分類群に帰属させられる標本の現時点で既知の最後の出現年代は、それぞれ175万年前頃と178万年前頃です。ストロマトライト層A6がTS-2の足跡面の下に位置することを考えると、本論文で分析された足跡は160万年前頃より新しい可能性が最も高そうです。クービフォラ層におけるホモ・エレクトス(広義)とパラントロプス・ボイセイの確実に帰属させられる標本の最後の出現年代は、それぞれ144万年前頃と141万年前頃です。この前提に基づいて、足跡はホモ・エレクトスとパラントロプス・ボイセイの2分類群に帰属する、と仮定するのが最も節約的です。
[45]Bustos D. et al.(2018): Footprints preserve terminal Pleistocene hunt? Human-sloth interactions in North America. Science Advances, 4, 4, eaar7621.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aar7621
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[46]Villmoare B. et al.(2015): Early Homo at 2.8 Ma from Ledi-Geraru, Afar, Ethiopia. Science, 347, 6228, 1352-1355.
https://doi.org/10.1126/science.aaa1343
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[48]Roach NT. et al.(2013): Elastic energy storage in the shoulder and the evolution of high-speed throwing in Homo. Nature, 498, 7455, 483-486.
https://doi.org/10.1038/nature12267
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