西北九州の弥生時代人類のゲノムデータ

 九州北西部の弥生時代の人類遺骸の新たなゲノムデータを報告した研究(Kim et al., 2026)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。なお、「縄文時代」との時代区分や「縄文人」との表記には問題があるでしょうし、それは「弥生時代」や「弥生人」についてもかなりの程度当てはまるかもしれませんが、煩雑になるので、以下では「縄文時代」と「縄文人」と「弥生時代」と「弥生人」を「」では括りません。本論文は、九州北西部地域(西北九州)の2ヶ所の弥生時代遺跡で発見された人類遺骸4個体の新たなゲノムデータを報告しています。このうち、2個体のゲノムはほぼ完全な縄文人的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)で占められ、残りの2個体のゲノムは、割合の縄文的祖先系統とアジア東部現代人的な祖先系統でモデル化でき、その縄文的祖先系統の割合は本州・四国・九州とそのごく近隣の島々を中心とする日本列島「本土」現代人集団の平均より高くなる、と示されました。

 これは、西北九州において、弥生時代の前期~中期の移行期の頃には、在来集団とアジア東部大陸部から到来した集団の混合が進んでいたものの、一方でまだ遺伝的には縄文人そのものの集団も存在しており、この混合過程が単一の大規模な移住の波ではなく、漸進的だったことを示唆しています。ただ、本論文でも指摘されているように、西北九州の弥生時代の人類は形態学的に縄文人との類似性が以前から指摘されており、西北九州が弥生時代の九州、さらには西日本の人口史の全体的傾向を表していない可能性が高そうなことは、念頭に置かねばならないでしょう。弥生時代の日本列島の人類集団の遺伝的構成は、時空間的にかなり差異が大きかったように思われます。また、日本列島「本土」現代人集団の遺伝的形成については、古墳時代以降にアジア東部大陸部から日本列島に到来した人類集団の影響がかなり大きかった可能性も考えられ、今後の日本列島やその周辺地域での古代ゲノム研究の進展が期待されます。

 以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、SD(standard deviation、標準偏差)、C(carbon、炭素)、N(nitrogen、窒素)、DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)、SD(standard deviation、標準偏差)、IntCal(International Calibration、国際的較正)、K(系統構成要素数)です。

 本論文で取り上げられる日本の主要な遺跡は、長崎県壱岐市の正村遺跡、長崎県平戸市の根獅子遺跡、長崎県佐世保市の下本山岩陰遺跡、佐賀県唐津市の大友遺跡、福岡県筑紫野市の隈・西小田遺跡、宮古島の長墓遺跡、山口県下関市豊北町の土井ヶ浜遺跡、愛知県田原市の伊川津貝塚です。本論文で取り上げられる日本以外の主要な遺跡は、韓国の慶尚南道の欲知島(Yokchido)遺跡です。


●要約

 日本列島の人口史は移住と混合の大きな出来事によって形成され、とくに顕著なのは長く確立していた狩猟採集民伝統の縄文時代から弥生時代への3000年前頃の移行で、この移行期には、ユーラシア大陸部からの移民が農耕と新たな技術をもたらしました。西北九州は、骨格分析で、この地域の弥生時代個体群が縄文的な形態学的特徴を保持している、と示唆されてきたため、特別な関心を寄せられてきました。本論文は、日本の長崎県から発掘された、西北九州弥生人4個体の全ゲノムを報告します。そのうち2個体はほぼ完全な縄文祖先系統を保持しており、混合していない縄文人の子孫が、弥生時代の前期と中期の間の移行期まで、混合している人口集団とともに存続していた、と論証されます。他の2個体は混合の明確な証拠を示し、遺伝学的分析から、移民と在来の縄文人集団との間の遺伝子流動が、この地域ではすでに2600~2500年前頃に始まっていた、と示唆されました。これらの調査結果から、西北九州における混合は、弥生時代の始まりにおける単一の大規模な移住を通じてではなく、漸進的に起きた、と示唆され、古代日本の遺伝的景観を形成した、複雑な人口動態への新たな知見を提供します。


●研究史

 どのように、異なる人口集団が混合し、新た遺伝的および文化的独自性を形成するのか、理解することは、人口史の中心的問題です。移住および混合事象は世界中で繰り返しヒトの多様性を形成してきており、遺伝的祖先系統や社会的・文化的・技術的変容に影響を及ぼしました。たとえば、完新世における農耕の拡大に伴う人口移動は、ヨーロッパやアジア南部やアジア南東部やアフリカなど地域の遺伝的景観を根本的に作り変えました。日本列島は、そうした変容のとくによく記録された事例研究を提供しており、長く続いた狩猟採集民文化が、移住と混合を通じて農耕社会によって置換されました。

 日本列島の先史時代は二つの主要な文化期に区分されており、それは縄文時代と弥生時代です。縄文時代(16500年前頃〜紀元前10世紀頃)は、採食や漁撈や独特な「縄紋」土器の製作によって特徴づけられる新石器時代社会を表しています。考古学的および遺伝学的証拠から、縄文人は何千年にもわたって固有の文化的および生物学的独自性を維持しており、ユーラシア大陸部からはほぼ孤立していた、と示唆されています[2〜4]。対照的に、紀元前10世紀頃に始まり、その特徴的な土器が初めて特定された場所に因んで命名された弥生時代は、アジア東部大陸部からの移民による水田稲作と新技術の導入を特徴としており、朝鮮半島経由だった可能性が最も高そうです。

 この混合は、在来の縄文人と到来してきた大陸部人口集団との間の混合につながり、大きな人口統計学と文化と技術の変容が生じました。この混合は現代本土日本人の祖先系統を形成した主要な過程と考えられており、文献では「二重構造モデル」と要約されることが多く、集団遺伝学的研究では、現代日本人と弥生時代個体群における大陸部祖先系統構成要素は、おもに朝鮮半島と関連する集団に由来する、と堅固に確証されてきました[11、12]。

 これらの調査結果は、朝鮮半島からの移民の最初の到来が日本列島内においてどこでどのように起きたのか、という問題を提起します。考古学的証拠から、現代の九州は、水田稲作を採用し、多くの朝鮮式人工遺物を示す最初の地域だった、と示唆されています。朝鮮半島と九州北部は狭い海峡によって隔てられているので、長崎県を含めてこの地域は、大陸からの移民にとって主要な入口点と広く考えられています。とくに、朝鮮半島と九州本土との間に位置する対馬と壱岐島は、この移住経路沿いの足がかりと考えられています。しかし、九州北部は全体的にこれらの移民にとって入口として機能しましたが、考古学的および形態学的証拠から、大陸部祖先系統の人口統計学的影響は九州北部地域全体で均一ではなかった、と示唆されており、とくに、九州北西部は独特なパターンを示しています。

 九州北部の北西部地域は、この地域で見つかった遺骸の独特な形態学的特徴のため、大きな関心が寄せられてきました。古代人の骨格遺骸の分析は、九州北西部の弥生時代の人々(本論文では、[西北九州弥生人]と呼ばれます)を他地域の弥生時代の人々と区別してきました。西北九州弥生人は、低くて広い顔面や低身長など縄文人と類似する形態学的特徴を示します。対照的に、九州北部弥生人や九州とは関門海峡を挟んで位置する山口県の土井ヶ浜遺跡の弥生人など、周辺地域の弥生時代個体群は、より高い身長やより高い顔面を示します。これらの形態学的特徴はよく記録されていますが、西北九州弥生人の遺骸は依然としてさほど理解されていません。

 最近の古代DNA研究は、下本山岩陰遺跡の西北九州弥生人2個体の分析によって重要な最初の洞察を提供し、大陸部アジア祖先系統の存在にも関わらず、西北九州弥生人と縄文人との間の大きなゲノム類似性を明らかにしました[18]。しかし、この地域で多くの弥生時代遺跡が知られているものの、これらの結論は単一地点の2個体のみに由来します。西北九州弥生人の遺伝的多様性と人口構造についてより包括的な理解を得るためには、より広範な遺跡と個体からのゲノムデータが必要です。

 この問題に取り組むために、西北九州弥生人と関連する2ヶ所の追加の考古学的遺跡から弥生人のゲノムが配列決定され、それは、壱岐島の正村遺跡の1個体と平戸島の根獅子遺跡の3個体です(図1)。根獅子遺跡から発掘された個体群が縄文人と類似した形態学的特徴を示したのに対して、正村遺跡の個体群は不完全な骨格遺骸のため、決定的には分類できませんでした。包括的な集団遺伝学的分析を通じて、西北九州弥生人個体群の遺伝学的特性が特徴づけられ、保持されている縄文祖先系統の程度が定量化されて、移民に由来する祖先系統を有する個体群に基づき、混合の時期が推定されました。以下は本論文の図1です。
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●弥生時代個体群の年代および食性背景

 弥生人個体群の時間および食性の背景を確認するために、骨のコラーゲンの放射性炭素年代測定と安定同位体分析が実行され、弥生人が生きていた年代と、弥生時代初期に行なわれていた生計戦略が解明されました。4点の骨コラーゲン標本の測定された炭素と窒素の原子比(C/N)とδ¹³Cおよびδ¹⁵N値と¹⁴C年代と較正年代は、補足表1に 要約されています。C/N比の範囲は3.3〜3.7です。これらの値のうち3点(2.9〜3.6)は保存状態良好な骨コラーゲンの推奨範囲内にあり、抽出されたコラーゲンが放射性炭素年代測定に適していたことを示唆しています。標本MSMR-No5(正村遺跡)の値は推奨範囲からわずかに逸れており、恐らくはフミン酸など生物起源物質による軽度の汚染を示唆しています。δ¹³C値の範囲は−16.3‰ 〜 −13.5‰で、平均は−15.1‰ 、SDは1.2‰です。δ¹⁵N値の範囲は10.6‰ 〜 16.7‰で、平均は13.2‰ 、SDは2.7‰です。補足図2は、先行研究によって報告された参照データと比較しての、骨標本におけるδ¹³Cとδ¹⁵Nの同位体値間の関係を示しています。これらの値は、陸生草食動物の消費で予測される値より高くなっています。これが示唆するのは、個体群が陸上生態系のみならず、海洋性資源もしくはイネに基づく農産物など、より高い窒素比のタンパク質源にも異存していた可能性です。

 4点の標本の放射性炭素(¹⁴C)年代の範囲は、2441±20〜2227±20年前でした。これらのヒトは海洋性資源から食性タンパク質の一部を得ていたので、骨コラーゲンには一定の割合の海洋性由来の炭素が含まれています。したがって、コラーゲンに基づく放射性炭素年代から正確な暦年代を得るさいには、海洋貯蔵効果が考慮されねばなりません。各コラーゲン標本における海洋性起源の割合は、先行研究の方法論に従って、炭素同位体比(δ¹³C)から推定されました。これらの推定された割合を用いて、IntCal20およびMarine20に基づいて混合較正曲線が構築され、較正はOxCalを用いて実行されました。佐賀県の大友遺跡の人骨の分析で採用されたように、−296 ± 35のΔR値を用いて局所的な貯蔵が補正されました。補足図3は、4点のコラーゲン標本の較正年代の確率分布を示しています。較正された暦年代の95.4%の確率範囲は以下の通りで、NSK–11(根獅子11号)は紀元前345〜紀元前281年(7.8%)と紀元前258〜紀元前34年(87.6%)、NSK–13(根獅子13号)は紀元前392〜紀元前149年(7.8%)、NSK–16(根獅子16号)は紀元前396〜紀元前166年、MSMR-No5(正村遺跡)は紀元前506〜紀元前184年です。標本の平均較正年代は、紀元前348〜紀元前148年です。


●二重起源を反映している母系と父系

 弥生人個体群の遺伝的な母系および父系と、大陸からの移民および在来人口集団両方からの潜在的寄与を評価するために、弥生人4個体のmtHgとYHg分析されました(表1)。壱岐島の正村遺跡の弥生人標本は、mtHgがD4c1aと特定されたのに対して、YHgはO1b2a1a1a系統に属していました。mtHg-D4とYHg-O1b2(旧称はO2b)は両方とも、日本人のみならず、大陸部アジア東部人でも一般的な系統です。YHg-O1b2a1a1(旧称はO2b1)は日本と韓国で一般的です。これらのハプログループは、弥生時代に大陸部アジア東部から日本列島へともたらされたかもしれません。縄文人個体群で通常観察されるmtHgは、M7aとN9bなので、正村遺跡個体におけるmtHg-D4c1aの存在から、この個人は大陸部祖先系統を有しており、移民と在来の縄文人の混合人口集団の子孫だった可能性が高い、と示唆されます。

 対照的に、根獅子遺跡の西北九州弥生人3個体のmtDNAはmtHg-M7a1aに属する、と確認されたのに対して、男性2個体のYHgはD1a2a1c1でした。このmtHgとYHgは両方ともユーラシア大陸部では稀ですが、現在の日本人集団では頻繁に見られ、縄文祖先系統と関連している、と考えられています[33]。しかし要注意なのは、これらのうち1個体(根獅子11号)は本論文の核ゲノム解析によると大陸部関連祖先系統を有していることで、片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアと父系のY染色体)は混合史の完全な複雑さを必ずしも捉えていない、と浮き彫りになります。


●個体間の親族関係

 新たにゲノム解析された弥生時代の4個体が人口集団の独立した構成員か、あるいは密接に関連している家族の構成員を表してたのかどうか、確認するために、この4個体間の血縁係数が計算されました。根獅子13号と根獅子16号は3親等の親族関係かもしれず、それは、その血縁係数(0.0801138)が0.08839と0.04419の間に収まるからです。この3親等の親族関係は、この組み合わせの0.264のIBD1値によってさらに裏づけられましたが、他のすべての組み合わせはひじょうに低いIBD1およびIBD2値を示しました。弥生時代4個体の6組すべてが0.08839未満の血縁係数を示したので、2親等の家族関係の欠如が確証され、その後の集団遺伝学的分析に弥生時代の4個体すべてが含められました。


●西北九州弥生人個体群の遺伝的類似性

 西北九州弥生人個体群が他の古代および現代のアジア東部人口集団と遺伝的にどのように関連しているのか、調べるために、PCAとADMIXTURE分析が実行されました。図2に示されているPCA図には、新たに配列決定された西北九州弥生人のゲノムが、アジア北東部および東部の古代人および現代人のゲノムとともに含まれています。この図では、主成分1(PC1)がユーラシア東部人の南北の遺伝的勾配を表しているのに対して、主成分2(PC2)はユーラシア東部人を縄文人から区別しているようです。PCA図の底部では、日本列島の縄文人個体群は遺伝的に縄文人的な個体群とともにクラスタ化し(まとまり)、それには琉球諸島の長墓遺跡の日本_長墓_2800年前と韓国の最南端の島である欲知島遺跡の韓国_欲知島が含まれます[38]。現在の日本人は、アジア東部大陸部クラスタ(まとまり)と縄文人クラスタとの間に位置します。以下は本論文の図2です。
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 西北九州弥生人個体群(正村遺跡、根獅子11号、根獅子13号、根獅子16号)は現在の日本人とまとまらず、むしろ、縄文人クラスタの方に位置していました(図2)。注目すべきことに、縄文人クラスタとの類似性の程度は、個体間で異なっていました。正村遺跡個体と根獅子11号は縄文人クラスタと現在の日本人クラスタとの間に位置し、同様に西北九州弥生人に属する下本山岩陰遺跡の弥生人[18]と同様です。対照的に、根獅子遺跡の他の2個体、つまり根獅子13号と根獅子16号は縄文人個体群と直接的にクラスタ化しました。

 弥生人4個体について遺伝子型データを用いると、ほぼ同一のPCAの結果が得らたことも確証され、全体的なパターンは遺伝子型呼び出し手法に堅牢だった、と示唆されます。この一貫性を考慮して、疑似半数体データに基づく分析では同等の結果が得られる、と予測されたので、その後のADMIXTURE分析は、西北九州弥生人4個体について、疑似半数体遺伝子型を用いて行なわれました。先行研究では、古代と現在の日本人集団は主要な3祖先構成要素によって特徴づけることができ、それはアジア東部人関連とアジア北東部人関連と縄文人関連の祖先系統である、と示されました[12]。K=3のADMIXTURE分析では、正村遺跡個体と根獅子11号個体は主要な3祖先系統構成要素を示し、それは、アジア東部人関連系統(青色)とアジア北東部人関連系統(黄色)と縄文人関連の祖先系統(黄色)です。このパターンは、先行研究[12]で報告されたように、九州北部の弥生時代個体(隈・西小田遺跡)や山口県の土井ヶ浜遺跡個体での観察と類似しています。これらの結果から、正村遺跡個体と根獅子11号は、縄文人由来の祖先系統をかなりの割合で保持しながら、混合の影響を受け、大陸部祖先系統からの遺伝的寄与を有していた、と示唆されます。対照的に、根獅子13号と根獅子16号は縄文人と区別できない祖先系統特性を示し、アジア東部人関連もしくはアジア北東部人関連系統からの検出可能な寄与はなく、この2個体は縄文人の混合していない子孫だった可能性が高い、と示唆されます。


●縄文人関連祖先系統のゲノム規模の証拠

 縄文人や他の人口集団との弥生人個体群の遺伝的類似性を定量化するために、外群f3およびf4分析が実行されました。これらの統計量は共有されている祖先系統を評価し、対象の個体もしくは人口集団と遺伝的近い個体および人口集団の特定に役立ちます。f3形式(ムブティ人、対象、X)のf3統計では対象は西北九州弥生人の各個体に相当し、弥生人4個体すべてが、現在の日本人もしくは他の人口集団と比較して、相互との密接な遺伝的類似性、および琉球諸島の個体群(日本_長墓_2800年前)や韓国の欲知島遺跡個体(韓国_欲知島)を含めて縄文人集団との一貫してより高い類似性を示した、と分かりました(図3)。根獅子13号と根獅子16号はこの分析ではともに分類され、それは、この2個体が密接な家族関係を共有しており(表2)、最高のf3値を示したからです。以下は本論文の図3です。
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 PCAでは縄文人個体群とまとまり、ADMIXTURE分析では縄文人関連祖先系統のみを示した根獅子13号と根獅子16号(図2)は、縄文人集団と非縄文人集団との間でf3値では顕著な対照性を示し(図3C)、これらのパターンと完全に一致します。正村遺跡個体と根獅子11号はADMIXTURE分析に基づくと、縄文人集団と大陸からの移民集団との間の混合に影響を受けた、と推測されましたが、この両個体は遺伝的に根獅子13号および根獅子16号と近い、と分かりました。この解釈と一致して、混合に影響を受けた、と推定されている別の西北九州弥生人の集団である、下本山岩陰遺跡の弥生時代個体を用いて計算された外群f3統計も、根獅子13号および根獅子16号と同様に高い類似性を示しました。まとめると、これらの結果は、西北九州弥生人個体群がこの地域に居住していた縄文人に由来る遺伝的構成要素を共有していたことによって、最も妥当に説明されます。さらに、西北九州弥生人個体群と、先行研究では本土縄文人集団と遺伝的に近いと示された日本_長墓_2800年前との間で観察された密接な遺伝的類似性から、九州北西部の後期縄文人と日本_長墓_2800年前個体群は比較的近い過去間共通の祖先系統を有していたかもしれない、と示唆されます。

 外群f3分析から得られたもう一つの注目すべき観察は、誤差範囲が重なり、違いが統計的に有意ではないとしても、現在の日本人個体群が、大陸部人口集団とよりも、大陸部由来の祖先系統を有する弥生人個体群(つまり、正村遺跡個体や根獅子11号や土井ヶ浜遺跡の弥生人)と遺伝的により近い傾向を示すことです。この傾向は現在の日本人と古墳時代個体群との間で観察された類似性と同等で、弥生時代と古墳時代の両集団が現在の日本人個体群と類似していることを示唆しています。このパターンは、現在の日本人の根底にある祖先人口集団の形成が弥生時代にすでに起きていた可能性を示唆します。

 外群f3分析から、正村遺跡個体と根獅子11号は遺伝的に縄文人的な根獅子13号および根獅子16号個体と近い、と明らかになりました。どの個体もしくは人口集団が参照本土縄文人集団とよりも各西北九州弥生人個体の方と遺伝的に近いのか、さらに評価するため、次にf4形式(ムブティ人、縄文人;対象、X)のf4統計が適用され、ここでの「縄文人」は具体的にはまとめられた本土縄文人集団(本州、四国、九州、北海道)を指します(図4A・B)。正村遺跡個体と根獅子11号は、根獅子13号や根獅子16号(長崎_根獅子13_16)や韓国_欲知島など縄文人的な個体群と有意に正のf4値を示し、正村遺跡個体と根獅子11号の両個体は本土縄文人集団とよりもこれらの集団とかなり強い遺伝的類似性を有している、と示唆されます。以下は本論文の図4です。
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 上述の分析において、西北九州弥生人4個体すべては、琉球諸島の長墓遺跡の縄文人的個体群(日本_長墓_2800年前)と遺伝的近い、と示唆されました。九州西北部の後期縄文人と日本_長墓_2800年前が比較的近い過去の共通の祖先系統を有していたのかどうか、評価するために、根獅子13号と根獅子16号についてf4統計が計算され、両者とも縄文人個体群と同等のゲノム規模特性を示しました。f4値が日本_長墓_2800年前ではほぼゼロであることから、根獅子13号と根獅子16号は少なくとも遺伝的には、本土縄文人集団とよりも、日本_長墓_2800年前の方と近い、と示唆されます。


●縄文人集団との遺伝的類似性における地域的差異

 上述のf4統計分析では、本土縄文人個体群は「縄文人」と分類表示された単一の人口集団にまとめられました。しかし、縄文人集団は日本列島全体で地域的な遺伝的異質性を示す、と予測されます。西北九州弥生人個体群が日本列島のさまざまな地域の縄文人集団と異なる類似性を示すのかどうか、判断するために、f4統計(ムブティ人、対象;縄文人1、縄文人2)が計算されました。基本的に、f4統計は対象(つまり、弥生人個体)が遺伝的に縄文人2とよりも縄文人1の方と近い場合には負の値、対象が縄文人よりも縄文人2の方と近い場合には正の値となります。f4分析では、西北九州弥生人個体群はさまざまな地域の縄文人個体と非対称的な遺伝的関係を示した、と示唆されました。とくに、西北九州弥生人個体群は、本論文のデータセットでは縄文人標本で、地理と時間の両方で九州に最も近い、四国地域の後期縄文人1個体と最高の遺伝的類似性を示しました。この結果は、九州に隣接する山口県の土井ヶ浜遺跡から発掘された弥生人1個体の以前の分析[12]と一致します。

 この分析は各地域の少数の縄文人のゲノムに依拠しており、時間的および地理的な人口構造は高品質なゲノムを用いてまだ厳密には特徴づけられていないので、これらの結果は予備的と解釈されるべきです。この限界は、低網羅率(1倍未満)の1個体のみによって表される「日本_四国_後期縄文」[39]で明らかであり、この兆候は確率論的差異にとくに敏感になります。そうだとしても、浮き彫りになったパターンは縄文人の間の地域的分化の可能性を示唆しており、これは、日本列島のさまざまな地域の追加の高品質なゲノムが利用可能になるにつれて、より堅牢に評価できます。


●縄文人系統と大陸部系統との間の混合モデル化

 弥生人およびその後の日本人集団における縄文人と大陸部の祖先系統構成要素の割合をモデル化するために、qpAdmが適用されました(図5)。この分析では、現在と古代両方の日本人が、縄文人関連系統と韓国人関連系統との間の混合に由来するとモデル化でき、、P値は0.05を超える、と示されました。さらに、縄文人個体群から以前に刊行されたデータ(図5A)に加えて、ゲノム特性が縄文人個体群と本質的に根獅子13号と根獅子16号(図2)は、縄文人関連祖先系統の潜在的な供給源として機能できる、と分かりました(図5B)。縄文人供給源として根獅子13号および根獅子16号を用いると、わずかながら、統計的に有意ではないものの、分析された人口集団全体で縄文人関連祖先系統の推定割合の増加につながりました(図5)。以下は本論文の図5です。
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 混合祖先系統の証拠を示した西北九州弥生人個体群(つまり、正村遺跡個体と根獅子11号と下本山岩陰遺跡個体)は、九州北部(つまり、隈・西小田遺跡の弥生人)および山口県の(つまり、土井ヶ浜遺跡)の弥生人個体群よりも高い割合の縄文人関連祖先系統を示しました。朝鮮半島の九州北西部の地理的近さにも関わらず、このパターンから、この地域への移住の規模はこの時点では比較的限られたままだったかもしれない、と示唆されます。


●混合事象の時期

 最後に、縄文人由来系統と大陸部由来系統との間の混合がいつ起きたのか推定するために、連鎖不平衡減衰のパターンに基づくDATES手法が適用されました[41]。正村遺跡個体は混合事象の約4~5世代後(4.860±1.824もしくは4.222±1.566世代)に生きていた、と推定されたのに対して、根獅子11号は混合の約10~11世代前(9.632±2.082もしくは10.602±2.623世代)に生きていた、と推定されました(表3)。DATES分析では、縄文人と韓国人の混合モデルが仮定され、さまざまな日本人集団の推定混合時期の範囲は、2600~1900年前頃でした。これらの調査結果は、ユーラシア大陸部からの移住は弥生時代を通じてじょじょに起き、古墳時代の後に減少した、との歴史的見解と一致します。


●考察

 長崎県で発掘された西北九州弥生人の古代ゲノムは、現在の日本人集団よりも顕著に高い割合の縄文人関連祖先系統を示し、西北九州弥生人個体群自体が、この祖先系統の割合においてかなりの差異を示しました。混合年代測定の結果はさらに、朝鮮半島から日本列島への移住の時期への重要な知見を提供しました。

 弥生時代の始まりは、光沢のある赤みがかった表面と窪み模様(刻線装飾)によって特徴づけられる独特な弥生土器様式や水田稲作や他の文化的要素の出現など、おもに考古学的基準に基づいて定義されており、紀元前10世紀から紀元後3世紀の推定範囲について、依然として学術的議論の主題となっています。炭化した植物遺骸や他の考古学的資料の最近の放射性炭素年代測定では、弥生時代の開始は歯奥も紀元前10世紀~紀元前9世紀にさかのぼる、と示唆されました。そうした年表は文化的変化を反映していますが、人口集団間の混合など生物学的相互作用がいつ始まったのか、直接的には明らかにしません。この点で本論文は、縄文人と朝鮮半島からの移民との間の混合時期の推定によって、遺伝学的観点を追加します。具体的には、2441年前頃となる正村遺跡の1個体の混合年代測定から、遺伝子流動はこの地域で2600年前頃までにすでに始まっていた、と示唆されます。この遺伝学的証拠は弥生時代の始まりを再定義しませんが、文化的変容に伴っていた可能性が高い、人口統計学的相互作用の時期への追加の知見を提供します。

 弥生時代以後の古代日本人のゲノムのうち、2681年前頃となる伊川津貝塚の1個体(IK002)は、ほぼ縄文人と一致する遺伝的特性を独特に示します。本論文では、2355~2340年前頃となる西北九州弥生人2個体、つまり根獅子13号と根獅子16号のゲノムはほぼ完全に縄文人祖先系統で構成される、と確認されました。これらの調査結果から、この期間の日本列島には、縄文人と大陸からの移民との間の混合祖先系統の個体のみではなく、縄文人の【祖先において、縄文時代晩期以降にユーラシア大陸部から到来してきた移民との遺伝的混合がなかった】直接的子孫も居住していた、と論証されます。注目すべきことに、そうした縄文人の子孫の個体群は、朝鮮半島と地理的に最も近い地域で、大陸からの移民にとって最初の入口と考えられている、九州北西部にさえ存在しました。

 この状況は、在来の遺伝的系統が大きな文化的および人口統計学的移行にも関わらず局所的に存続している、他の世界中の事例と類似しています。たとえば、中石器時代狩猟採集民祖先系統が新石器時代のイベリア半島の一部では残っており、採食民祖先系統の同様の存続はスカンジナビア半島やサハラ砂漠以南のアフリカで観察されました[44~46]。そうした事例から、文化的変容は必ずしも完全な遺伝的置換を伴わないものの、連続性と混合の複雑な寄せ集めを生じるかもしれない、と浮き彫りになります。日本では、これが意味するのは、弥生時代中期において、人口集団には大陸からの移民の混合している子孫と直接的な縄文人系統が含まれていることで、日本の先史時代において遺伝的最も多様な時期の一つを表しています。

 先行研究では、弥生時代以後、縄文人由来の人口集団と大陸部に由来する人口集団との間の混合が、日本本土の大半で進行した、と示されてきました。東北地方の現在の人口集団はわずかにより高い割合の縄文人祖先系統を保持していますが、大陸部祖先系統との縄文人祖先系統の全体的な比率は、本土日本人全体で著しく均一です[47]。対照的に、アイヌや琉球人など周辺集団は、大陸部の移民にさほど影響を受けなかったようです。ゲノム規模分析から、アイヌや琉球人は独特な遺伝的まとまりを形成し、本土日本人よりも高い割合の縄文人祖先系統を保持している、と示されてきました。これらのより広範なパターンは、この人口統計学的移行の初期の局所的段階の一つを捉えている、九州北西部における本論文の調査結果の解釈について、重要な文脈的枠組みを提供します。

 本論文は、おもに共有されている縄文人的な形態学的特徴に基づいて以前に定義された集団である、西北九州弥生人内のかなりの遺伝的多様性を明らかにしました。正村遺跡と根獅子遺跡と下本山岩陰遺跡の個体間で観察された縄文人祖先系統における広範な差異から、西北九州弥生人は均質な人口集団とみなすことができない、と示唆されます。本論文で分析された個体は人口集団全体の遺伝的多様性を完全には把握していないかもしれませんが、この地域における弥生人の遺伝的景観の理解を深めるには、将来の研究での標本数の増加が不可欠でしょう。


参考文献:
Kim J. et al.(2026): Ancient genomes reveal early-stage admixture and genetic diversity in the Northwestern Kyushu Yayoi. Scientific Reports, 16, 4833.
https://doi.org/10.1038/s41598-026-34996-7

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https://doi.org/10.1038/jhg.2016.110
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[3]Kanzawa-Kiriyama H. et al.(2019): Late Jomon male and female genome sequences from the Funadomari site in Hokkaido, Japan. Anthropological Science, 127, 2, 83–108.
https://doi.org/10.1537/ase.190415
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[4]Gakuhari T. et al.(2020): Ancient Jomon genome sequence analysis sheds light on migration patterns of early East Asian populations. Communications Biology, 3, 437.
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[11]Jeon S. et al.(2020): Korean Genome Project: 1094 Korean personal genomes with clinical information. Science Advances, 6, 22, eaaz7835.
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[12]Kim J. et al.(2025): Genetic analysis of a Yayoi individual from the Doigahama site provides insights into the origins of immigrants to the Japanese Archipelago. Journal of Human Genetics, 70, 1, 47–57.
https://doi.org/10.1038/s10038-024-01295-w
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[18]篠田謙一、神澤秀明、角田恒雄、安達登(2019)「西北九州弥生人の遺伝的な特徴―佐世保市下本山岩陰遺跡出土人骨の核ゲノム解析―」『Anthropological Science (Japanese Series)』119巻1号P25-43
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[33]Mizuno F. et al.(2023): Diversity in matrilineages among the Jomon individuals of Japan. Annals of Human Biology, 50, 1, 324–331.
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[41]Narasimhan VM. et al.(2019): The formation of human populations in South and Central Asia. Science, 365, 6457, eaat7487.
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関連記事

[46]Olalde I. et al.(2019): The genomic history of the Iberian Peninsula over the past 8000 years. Science, 363, 6432, 1230-1234.
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[47]Watanabe Y, and Ohashi J.(2023): Modern Japanese ancestry-derived variants reveal the formation process of the current Japanese regional gradations. iScience, 26, 3, 106130.
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この記事へのコメント

熊笹
2026年02月13日 11:36
”脊振山以西の在来系vs脊振山以東の渡来系”など弥生時代の在来人と渡来人の関係は”住み分け”で説明されてきましたが、考古学界では研究が進むにつれて否定される傾向が強いようです(宮地2025参照)。一方、人類学では朝日遺跡と伊川津遺跡のDNAの対比など同じ地域での”住み分け”が強調されているように見受けられます。しかし、朝日遺跡の出土人骨は弥生中期とする見解もあり、安易に”住み分け”の前提に立つのは難しいと考えています。
管理人
2026年02月14日 06:01
現時点では、縄文時代晩期~弥生時代中期の西日本の古代ゲノムデータが時空間的に散発的にしか得られていないので、この期間の在来集団と新たに大陸から到来した集団との関係および相互作用について、遺伝的にはまだごく一部しか見えていないように思います。

この関係および相互作用は時空間的に大きな差異があったかもしれないので、特定地域のごく一時期の少ない事例から時空間的に広く一般化することには慎重であるべきとは思います。