ユーラシア東部内陸の銅器時代~鉄器時代の人口史

 古代ゲノムデータに基づいてユーラシア東部内陸の銅器時代~鉄器時代の人口史を検証した研究(Zhao et al., 2026)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では新疆ウイグル自治区とされている東トルキスタン北西部の銅器時代~鉄器時代の人類遺骸の新たなゲノムデータを報告しています。また、本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事の以下の翻訳ではではとりあえず「中国」と表記します。

 本論文は、東トルキスタン北西部の遺跡の銅器時代から鉄器時代の人類遺骸の新たなゲノムデータから、最初期の住民は古代北ユーラシア人とアルタイ山脈の狩猟採集民の遺伝的混合によって形成された、と示します。その後、初期青銅器時代にはアジア中央部や草原地帯から新たな集団が東トルキスタン北西部へと到来し、東トルキスタン北西部集団はそうした外来集団の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有することになります。これらの知見から、東トルキスタン北西部は銅器時代以降、周辺地域との多様な相互作用を経てきた、と明らかになります。

 以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、AADR(The Allen Ancient DNA Resource、アレン古代DNA情報源)、DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)、ANE(Ancient Northern Eurasian、古代北ユーラシア人)、ANA(Ancient Northeast Asian、アジア北東部古代人)です。

 以下の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、LNBA(Late Neolithic to Bronze Age、後期旧石器時代~青銅器時代)、CA(Copper Age、銅器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EBA(Early Bronze Age、前期青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)、MLBA(Middle to Late Bronze Age、中期~後期青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)です。

 本論文で取り上げられる主要な文化は、BMAC(Bactria Margiana Archaeological Complex、バクトリア・マルギアナ考古学複合)、アファナシェヴォ(Afanasievo)文化、チェムルチェク(ChemurchekもしくはQiemu’erqieke)文化、シンタシュタ(Sintashta)文化、ヤムナヤ(Yamnaya)文化、アンドロノヴォ(Andronovo)文化、ボタイ(Botai)文化、ウランズーク(Ulaanzuukh)文化、石板墓(Slab Grave)文化、オクネヴォ(Okunevo)文化、タスモラ(Tasmola)文化です。

 本論文で取り上げられる主要な地域は、モンゴル東部のフブスグル(Khovsgol、Khövsgöl)県、IAMC(Inner Asian Mountain Corridor、内陸アジア山地回廊)です。本論文で取り上げられる主要な東トルキスタンの遺跡は、那仁蘇(Narensu、略してNRS)遺跡、小河(Xiaohe)墓地遺跡、チャナングオール(Chananguole)遺跡です。本論文で取り上げられる主要な東トルキスタン以外の遺跡は、カザフスタンのダリ(Dali)遺跡、シベリアのアフォントヴァ・ゴラ(Afontova Gora、略してAG)遺跡、トルクメニスタンのゴヌルテペ(Gonur Tepe)遺跡です。


●要約

 東トルキスタン北西部はユーラシア草原地帯中央部とIAMCと天山山脈の合流点に位置し、考古学的および文化的および遺伝的多様性があります。しかし、時系列の古代DNAデータの不足のため、局所的な人口動態は依然として充分には理解されていません。銅器時代から鉄器時代にわたる東トルキスタン北西部の那仁蘇遺跡の10個体から、DNAが分析されました。本論文の調査結果から、東トルキスタン北西部の最初期の住民は6000年前頃のANEとアルタイの狩猟採集民の混合によって形成された、と明らかになります。初期青銅器時代におけるアジア中央部からのBMACと関連する祖先系統と草原地帯からのアファナシェヴォ文化関連人口集団の同時の到来が検出され、それによって、アジア中央部南方と東トルキスタンとの間の移動回廊としてのIAMCの重要な役割が浮き彫りになります。これは、ロシアとの国境となる東トルキスタン北部のアルタイ山脈のチェムルチェク文化人口集団の形成にも関わっていたかもしれません。那仁蘇遺跡で特定されたユーラシア草原地帯祖先系統は、後期青銅器時代シンタシュタ文化人口集団へと変わり、鉄器時代以降、バイカル湖のユーラシア東部祖先系統が顕著になります。本論文では、銅器時代から鉄器時代の人口動態の再構築によって、那仁蘇遺跡の住民は周辺地域からの遺伝子流入の複数回の波を継続的に受け入れてきた、と明らかになります。まとめると、これらの調査結果は、東トルキスタン北西部やユーラシア大陸全域の人口融合の歴史への包括的な全体像を提供します。


●背景

 東トルキスタンはアジア中央部の中心に位置し、ユーラシア草原地帯とシベリアとアジア東部の古代の共同体をつなぐ、豊富な物質文化と遺伝的多様性で知られています[1、3、5、6]。とくに東トルキスタン北西部は、人口集団の相互作用と技術的交流にとって重要な地域で、西方ではユーラシア草原地帯中央部、南方ではIAMC、東方では天山山脈と接しています。したがって、農耕と牧畜と鉱業に不可欠な自然および生態資源に恵まれたこの重要な地域は、人口集団や生計や冶金の変容の複数回の波を経てきました。しかし、東トルキスタン北西部における時系列の古代DNAデータの欠如のため、そうした人口集団の変化および関連する文化の転換は依然として充分には研究されていません。

 以前の古代DNA研究は、東トルキスタンの初期の定住史の一部、とくに東トルキスタン南部のタリム盆地の小河遺跡のミイラの遺伝的起源について明らかにしました[1、6]。EBAタリム盆地のミイラの人口集団は、年代が4000年前頃で、9000年前頃のANEおよびANAと関連する人口集団間の混合から生じた、ユーラシア人口集団の最初期の遺伝的系統の一つを表していました[1]。ANE祖先系統の豊富な古代の人口集団がシベリア[8~10]では、南部~中央部[8]から北部[9]まで広く分布していたにも関わらず、小河遺跡のミイラは地理的にシベリアから遠いタリム盆地に位置しており、アルタイ山脈と天山山脈が間にあります。東トルキスタンについては、シベリアの時空間的に最も近い古代ANE関連集団は、7500~5500年前頃となる新石器時代アルタイ狩猟採集民です[10]。ANE祖先系統はシベリアで最初に特定されましたが、シベリアから東トルキスタン全域に拡大し、タリム盆地に入った可能性が高く、小河考古学的分化と関連する人口集団の遺伝的構成に寄与しました[1]。しかし、ANE関連祖先系統がどのように東トルキスタンへと広がったのかは、依然として解決されていません。

 本論文が把握している限りでは、東トルキスタン北部のEBA人口集団は、遺伝的に小河関連祖先系統と関連している人口集団とは遺伝的に異なっており、かなりの割合が、EBA草原地帯人口集団で、アルタイ・サヤン地域に居住していたアファナシェヴォ文化集団に由来します[1、6、11](図1)。アファナシェヴォ文化人口集団は、ポントス・カスピ海草原地帯(黒海とカスピ海に挟まれた、ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)から東方へ拡大したヤムナヤ文化人口集団に起源があり、これらの人口集団は同じ遺伝的構造を共有しています。その後、後継となるチェムルチェク文化がジュンガル盆地とアルタイ山脈に出現し、アファナシェヴォ文化との文化的つながりが仮定されているものの、アジア中央部南方のBMAC構成要素を含む、カザフスタン東部のダリ_EBA人口集団[3]との遺伝的類似性を示しました[14]。MLBAまでに、シンタシュタ_MLBA人口集団はウラル山脈に起源があり、先行する人口集団(アファナシェヴォ文化/ヤムナヤ文化集団)よりもユーラシア西部農耕民祖先系統を多く共有していました。シンタシュタ_MLBAは東方へと拡大し[3]、アジア中央部におけるアンドロノヴォ文化複合体の形成に寄与した可能性が高そうです。この拡大は、冶金技術など東トルキスタンへの大金文化的および遺伝的影響につながりました。鉄器時代に移行すると、ユーラシア東方草原地帯の遊牧民人口集団が広範に西方へと移動し、アルタイ・サヤン地域(ユーラシア東方草原地帯の西方の境界)[14]や東トルキスタン[6]でアジア東部祖先系統を顕著に広めました。以下は本論文の図1です。
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 これまで、東トルキスタンに関する以前のゲノム研究は、東トルキスタン全域のゲノム構成の広範な状況に焦点を当ててきましたが[1、6]、地域的な人口構造は解明されていませんでした。とくに東トルキスタン北西部は、ユーラシア草原地帯中央部とIAMCの声サテンに位置し、多様な人口集団の相互作用の重要な境界地帯として機能しました。

 本論文は、銅器時代から歴史時代まで人々が居住してきた、東トルキスタン北西部の1ヶ所の遺跡(那仁蘇遺跡)遺跡に焦点を当てます。那仁蘇遺跡では、アファナシェヴォ文化やアンドロノヴォ文化や鉄器時代草原地帯の人口集団と共有されている文化的特徴を示す、多様な人工遺物が発掘されました。その独特な地理的位置と時間的連続性と文化的豊かさを考えると、那仁蘇遺跡は時系列の古代DNA研究にとって理想的な機会を提供します。10点の新たなゲノム規模データを生成し、考古学的背景とともに分析することによって、遺伝的交流や技術的および文化的相互作用のパターンの解明が期待されます。


●分析結果

 銅器時代から鉄器時代まで2000年間にわたる、東トルキスタン北西部の那仁蘇遺跡の10個体について新たに全ゲノムデータが生成され、そのうち7個体では、ショットガン配列決定と124万パネル[20]の標的濃縮後に、124万パネルで平均して385032ヶ所のSNPを網羅するかなりの量の古代DNAデータが得られました。全標本は死後損傷パターンを伴う、古代DNAの典型的特徴を示し、新たに生成されたデータの汚染率は、ミトコンドリアゲノムとX染色体からの推定値に基づくと、2%未満です。3親等以上の家族関係は、検証された全個体で検出されませんでした。次に、新たに生成された古代ゲノムが、下流集団遺伝学的分析のためAADR(第54.1.p1版)のデータセット[21]と統合されました。経時的な遺伝的構造および人口動態を調べるために、まずPCAが実行され、本論文の古代ゲノムがユーラシア現代人から計算された遺伝的差異の背景に投影されました。那仁蘇遺跡のさまざまな時期の個体群は、明確な遺伝的構造を示した、と分かりました。那仁蘇遺跡の青銅器時代個体群はタリム_EMBA1とユーラシア草原地帯人口集団との間の遺伝的勾配に沿って並びましたが、鉄器時代個体群はユーラシア東部人口集団の方への移動を示しました(図2a)。以下は本論文の図2です。
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●東トルキスタン北西部の最初期の住民

 興味深いことに、那仁蘇遺跡の最初期の1個体NRS_M5_4925年前は、地理的距離にも関わらず、東トルキスタン南部の以前に刊行されたタリム盆地のミイラ[1、6]とクラスタ化する(まとまる)、と分かりました(図2a)。そうしたクラスタ化パターンは、教師無ADMIXTUREの結果によってさらに裏づけられます(図3a)。NRS_M5_4925年前とより高い遺伝的類似性がある人口集団を特定するために、f3形式(ムブティ人;検証集団、NRS_M5_4925年前)のf3統計が実行され、タリム_EMBA1がNRS_M5_4925年前と最高のアレル(対立遺伝子)共有の人口集団と特定されました。ANE祖先系統の水準が高くなっている古代の人口集団も、NRS_M5_4925年前と高い遺伝的類似性を示し、それには、カザフスタン南東部の1個体(ダリ_EBA、紀元前2650年頃)[3]、カザフスタンのボタイ文化と関連するウマの牧畜民(ボタイ_CA、紀元前3500~紀元前3300年頃)[22、23]、シベリアのアフォントヴァ・ゴラ遺跡の後期更新世の1個体(AG3、16900~16500年前頃)[24]、シベリア西部の新石器時代狩猟採集民(西シベリア_N、8000~6000年前頃)[3]が含まれます。

 qpWave分析も実行され、タリム盆地のミイラ(タリム_EMBA1、タリム_EMBA2)とNRS_M5_4925年前との間の遺伝的均質性が評価され、タリム_EMBA2を用いると、それは有意なようです。タリム_EMBA2のSNP網羅率がかなり限定的であることを考慮して、ANE人口集団とANA人口集団間の混合の検証戦略に従って、NRS_M5_4925年前の遺伝的構造の正確なモデル化のために、qpAdm検定が実行されました。f4(ムブティ人、NRS_M5_4925年前:X軸集団、Y軸集団)を用いると、アルタイ_5500年前がアジア東部祖先系統の最も妥当な代表として特定されました。したがって、NRS_M5_4925年前は、ANE祖先系統が多い人口集団である、後期更新世の1個体(AG3)から約36%とアルタイ地域の新石器時代狩猟採集民(アルタイ_5500年前)から約64%の混合として、最適にモデル化されました(図3b)。さらに、NRS_M5_4925年前によって表される遺伝子プールの形成時期はNRS_M5_4925年前の約46世代前、1世代の平均時間を29年と仮定すると、1334±580年前頃と推定されました(図3c)。本論文は、6800~5600年前頃に形成されたANE関連人口集団である、東トルキスタン北西部の最初期住民の遺伝的構成要素への最初の知見を提供します。以下は本論文の図3です。
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 対照的に、那仁蘇遺跡の他のEBA個体、つまり、NRS_M5_4925年前より後に居住していたNRS_M4_4904年前とNRS_M2_4727年前は、PCAではアファナシェヴォ文化/ヤムナヤ文化人口集団の方へと動いています。f3形式(ムブティ人;検証集団、NRS_M4_4904年前/NRS_M2_4727年前)の外群f3統計は、最初期の1個体であるNRS_M5_4925年前と最も密接な遺伝的類似性を示唆します。qpAdmを用いると、NRS_M4_4904年前とNRS_M2_4727年前はそれぞれ、その近位祖先系統の59%と34%がNRS_M5_4925年前に、残りの祖先系統がアファナシェヴォ文化集団に由来する、とモデル化されました(図3b)。この混合事象は、DATESの解像度向上のため標的集団としてEBAの2個体をまとめたことに基づいて、これらの標本の83±47年前頃に起きた、と推定されました(図3c)。

 那仁蘇遺跡のEBA個体群の、他のジュンガル盆地EBA人口集団への遺伝的寄与も検証されました。先行研究[1]は当初、ジュンガル_EBA1およびジュンガル_EBA2人口集団を、タリム_EMBA1とバイカル_LNBAとアファナシェヴォ文化人口集団の混合としてモデル化しました。新石器時代アルタイ狩猟採集民のゲノムの刊行後、アルタイ_5500年前とアファナシェヴォ文化集団を含むより単純な2方向モデルが提案されました。しかし、タリム_EMBA1が右側一式に含まれると、qpAdmモデルは却下されました[10]。したがって、ジュンガル_EBA1およびジュンガル_EBA2の近位祖先代理は依然として不明です。NRS_M5_4925年前とNRS_M4_4904年前を、アファナシェヴォ文化人口集団とともに、ジュンガル_EBA1およびジュンガル_EBA2対応する時空間的範囲内の近位祖先代理として用いることによって、2方向qpAdmモデルが採用されました。その結果、ジュンガル_EBA1およびジュンガル_EBA2は、56〜80%のNRS_M4_4904年前と20〜44%のアファナシェヴォ文化集団でそれぞれモデル化でき、これは、アルタイ狩猟採集民やタリム_EMBA1やバイカル_LNBAなど密接に関連する遺伝的集団を外群一覧に追加しても、依然として堅牢である、と分かりました。

 まとめると、那仁蘇遺跡の新たなゲノムデータを用いることで、アファナシェヴォ文化関連人口集団の到来前に、東トルキスタン共和国北西部の最初期の住民は、東トルキスタン南部のタリム_EMBA1人口集団と、同様のANE関連遺伝的構成要素を共有していた、と明らかになりました。那仁蘇遺跡は、東トルキスタン北部の初期住民とユーラシア草原地帯人口集団との間の最初接触地帯を表しているかもしれません。この接触後、これらの集団は引き続き混合し、東トルキスタン北部および西部全域へとさらに拡大しました。


●青銅器時代の東トルキスタン北西部におけるBMAC関連祖先系統

 青銅器時代個体のうち、NRS_M9_4320年前は主成分3(PC3)に沿ってBMAC人口集団へと動いており、アルタイ山脈南部のチェムルチェク_南アルタイ[14、25]および東トルキスタン_BA6_aBMAC(東トルキスタンのチャナングオール遺跡のチェムルチェク文化の2個体[6])と同様のパターンを示しており、両者にはBMAC関連祖先系統が豊富です。外群f3(ムブティ人;検証集団、NRS_M9_4320年前)は、NRS_M5_4925年前やNRS_M2_4727年前など、那仁蘇遺跡のそれ以前の個体群との遺伝的類似性を示唆しています。このパターンは、この期間の那仁蘇遺跡における遺伝的連続性を示唆しています。PCAとf統計の結果に基づいて、qpAdmを適用し、2方向混合モデル化一式が実行され、NRS_M9_4320年前はNRS_M2_4727年前(約67%)とゴヌル1_BA(約33%)の混合としてモデル化されました。ANEとBMACの祖先系統間の混合時期は5003〜4783年前頃と推定され、チェムルチェク_南アルタイ[14]と東トルキスタン_BA6_aBMAC[6]の混合時期と一致します。アファナシェヴォ文化ヤムナヤ文化祖先系統とBMAC祖先系統は、東トルキスタン北西部に同時に到来したようです(図3c)。本論文の調査結果は、東トルキスタンのIAMCに最も近い地点におけるBMAC関連祖先系統の最初の観察を表しており、BMAC人口集団は早くもEBAに東トルキスタンへと移動したことを示唆し、地理的近さを考えると、それはIAMC経由だった可能性が高そうです。そうしたBMAC祖先系統は、北方へはさらにアルタイ山脈まで拡大し、チェムルチェク文化集団のゲノム形成に寄与しました。


●那仁蘇遺跡における持続的な人口融合

 NRS_M5_4925年前個体は東トルキスタン北西部の最初期の住民を表していますが、那仁蘇遺跡のその後の個体群は、ユーラシア草原地帯やBMACやアジア北東部人を含めて、遺伝子流入の複数回の波を受けました。EBAには、アファナシェヴォ文化/ヤムナヤ文化祖先系統が那仁蘇遺跡人口集団で着実に増加しました。同時に、BMAC祖先系統はIAMCを経て東トルキスタンへと北方に移動しました。LBAまでに、ヨーロッパ新石器時代農耕民祖先系統の割合が増加した、ユーラシア草原地帯中央部起源のシンタシュタ文化人口集団は東方へと拡大し、アンドロノヴォ文化が生まれました[3、11、26]。那仁蘇遺跡のLBA個体であるNRS_M11_3506年前は、那仁蘇遺跡青銅器時代人口集団の端に位置し、PCAではシンタシュタ_MLBAと密接に一致します(図2a)。外群f3統計は、ユーラシア草原地帯のLBA人口集団へのより密接な遺伝的寄与をさらに確証します。qpAdmを用いると、NRS_M11_3506年前はNRS_M9_4320年前(約25%)とシンタシュタ_MLBA(約75%)の混合としてモデル化され(図3b)、この混合はNRS_M11_3506年前の511±102年前頃に起きた、と推定されました(図3c)。EBA個体群とは対照的に、NRS_M11_3506年前については、最初期の住民との有意な遺伝的つながりが外群f3統計ではもはや観察されません。しかし、qpAdmモデルでは、継続的な遺伝的混合がこの期間には起きており、LBAユーラシア草原地帯人口集団からのかなりの遺伝子流入があった、と示唆されます。

 那仁蘇遺跡の青銅器時代人口集団は高い遺伝的異質性を示しましたが、鉄器時代個体群は顕著な遺伝的均質性増加を示しました。NRS_M71_3003年前とNRS_M25B_2569年前は約400年間離れていますが、PCAでは同様の遺伝的組成を示します(図2a)。qpWave検定は、NRS_M71_3003年前とNRS_M25B_2569年前との間の強い遺伝的均質性を示唆しています。したがって、さらなる分析のため、この2個体はまとめられ、NRS_IAと分類表示されました。qpWave分析から、NRS_IA個体群はカザフスタン東部のタスモラ_紀元前650年人口集団と同様の遺伝的構造を共有している、と示唆されます。外群f3統計からタリム_EMBA1人口集団およびユーラシア草原地帯東部の集団との密接な遺伝的類似性が明らかになっていることを考えて、在来の先行する人口集団を主要な祖先系統供給として用いて、鉄器時代の那仁蘇遺跡人口集団における遺伝的連続性が調べられました。

 2方向qpAdmモデル化では、LBAモンゴルにおける3系統の異なる地理的に構造化された遺伝子プール(フブスグル_LBA、アルタイ_MLBA、ウランズーク_石板墓)は、潜在的供給源として適合できる、と論証されます。さらに、XとYがモンゴルのLBA人口集団を表すf4(ムブティ人、那仁蘇個体;X、Y)検定が採用され、最適な供給源が特定されました。その結果、フブスグル_LBAが最も妥当な祖先代理として機能する、と示唆されます。最終的に、NRS_IAは、NRS_M11_3506年前(約56%)とモンゴル北部〜中央部の人口集団であるフブスグル_LBA(約44%)の混合としてモデル化できます(図3b)。こに混合事象は、NRS_IAの337±160年前頃に起きた、と推定されます。銅器時代から鉄器時代まで、那仁蘇遺跡の住民はさまざまな侵入してきた人口集団との継続的な遺伝的混合を経ており、それは多様な祖先構成要素によって特徴づけられる独特な遺伝的構造の形成につながりました。


●考察

 アルタイ山脈や天山山脈やユーラシア草原地帯中央部とIAMCの交差点と接している東トルキスタン北西部は、ユーラシア草原地帯において遺伝子と文化と技術の交流の重要な地域でした。自然環境が農耕と畜産の両方を支えた一方で、豊富な鉱物資源は冶金技術の拡大と発展を促進してきました。したがって、この地域では人口と文化の接触と拡大の複数の波がありました。しかし、東トルキスタン北部における古代ゲノムデータは限られており、サンプリング標本抽出には時間的空白があります。本論文は初めて、単一の考古学遺跡において時系列標本抽出手法を用いて、銅器時代から鉄器時代までの地域的な人口動態を追跡しました。

 6800~5600年前頃の新石器時代(図3c)には、ANEおよび古シベリア祖先系統と関連する人口集団の混合から東トルキスタンの最初期の住民が生じ、これは、ANE関連人口集団の拡散と分布をユーラシア草原地帯およびシベリア全域にさらに広げました。EBAには、ユーラシア草原地帯西部のアファナシェヴォ文化/ヤムナヤ文化人口集団とアジア中央部のBMAC関連人口集団が東トルキスタン北部にほぼ同時に到来し、IAMC東部におけるBMAC祖先系統の最初の出現を示しており、これは以前に見つかったチェムルチェク文化集団におけるBMAC祖先系統の存在[14]を補完します。IAMC東部におけるBMAC祖先系統の新たな発見は、IAMC沿いのBMAC関連集団の拡大の可能性を示唆しており、このBMAC祖先系統は、在来の共同体と混合し、那仁蘇遺跡の個体群の遺伝子プールを形成しました。そうした地域的な混合事象は、同じ頃にアルタイ地域に居住していた、チェムルチェク文化人口集団のゲノム形成と関連しているかもしれません。その後、シンタシュタ_MLBAなどMLBAユーラシア草原地帯人口集団が、東トルキスタンにかなりの遺伝的構成要素をもたらし、継続的に在来集団と混合して、人口融合の動的過程が促進されました。鉄器時代以降、ユーラシア草原地帯東部人口集団の祖先系統の割合が増加し、それ以前の青銅器時代の東トルキスタン北西部へと新たな東方の遺伝的要素をもたらしました。

 考古学的調査結果と組み合わせると、本論文は、東トルキスタン北西部におけるアファナシェヴォ文化人口集団からの文化と遺伝の影響の不一致を明らかにしました。初期段階では、アファナシェヴォ文化からの文化と技術の明らかな統合がありました。那仁蘇遺跡における銅器時代の発掘では、仰臥位の屈葬や墓内に散在するオーカー(鉄分を多く含んだ粘土)や彫刻文様のある卵形壺など、アファナシェヴォ/ヤムナヤ文化的特徴が明らかになりました。しかし、個体NRS_M5_4925年前が草原地帯祖先系統をわずかしか有していなかったのに対して、同じ考古学的遺跡のNRS_M4_4904年前とNRS_M2_4727年前はそれぞれ、41%と66%のアファナシェヴォ文化集団祖先系統からの混合を示しました。

 アファナシェヴォ文化集団との遺伝的混合の欠如にも関わらず、NRS_M5_4925年前の墓には、純銅や銅滓などの人工遺物が含まれており、銅の精錬技術の早期習得が示唆されます。さらに、これまでに東トルキスタンで見つかった最初期の瑪瑙およびトルコ石はNRS_M5_4925年前の墓で発掘されており、それは、技術と物資の交換を大規模に促進した、ユーラシア草原地帯人口集団によってもたらされたかもしれません。個体NRS_M4_4904年前の墓は最大規模の古墳で、65点の石鏃など豊富な副葬品があり、これは初期の東トルキスタンの墓で見つかった中では最多です。考古学者はこれらの調査結果に基づいて、NRS_M4_4904年前は高い社会的地位を有していた、と示唆しています。混合モデルおよび時期の結果と組み合わせると、NRS_M4_4904年前は那仁蘇遺跡への最初期の草原地帯祖先系統の到来を表している、と推測されました。アファナシェヴォ/ヤムナヤ文化では存在しない側方の玄室の存在から、個体NRS_M4_4904年前は特定の地域的特徴を保持していた、と示唆されます。さらに、NRS_M9_4320年前の文化的属性はオクネヴォ文化と関連づけられてきましたが、オクネヴォ文化集団関連祖先系統は検出されませんでした。

 これらの学際的調査結果は、考古学的文化要素の拡大が遺伝的交流よりも顕著だったように見える可能性を示唆しており、文化的交流と遺伝的交流との間の複雑な関係を浮き彫りにしています。これは、古代社会の包括的な再構築における、古代ゲノム分析の重要な役割も浮き彫りにします。那仁蘇遺跡の標本コホート(特定の性質が一致する個体で構成される集団)はかなり限られているので、本論文はおもに、個体水準の分析に基づいて地域的な遺伝的歴史に焦点を当てました。より広範な標本抽出戦略を採用する将来の研究からは、東トルキスタンのより包括的な遺伝的景観が得られるでしょうし、東トルキスタンの人口動態はユーラシア全域の継続的な移住および文化的相互作用を保存してきました。


●まとめ

 銅器時代から鉄器時代にわたる東トルキスタン北西部の那仁蘇遺跡からの時系列のゲノム規模データの配列決定によって、ANEやアファナシェヴォ/ヤムナヤ文化やBMACやシンタシュタ_MLBAやフブスグル_LBAと関連する人口集団からの遺伝的混合を伴う、連続的な人口集団の融合史が明らかになりました。本論文で初めて、東トルキスタン北部の最初期の住民は、6000年前頃以前に、ANEおよびアルタイ狩猟採集民関連人口集団の混合を通じて形成され、東トルキスタン南部のタリム盆地のミイラと同じ祖先系統を共有している、と論証されました。さらに、東トルキスタン北西部におけるアファナシェヴォ文化関連人口集団とBMAC関連人口集団の同時の到来は、アジア中央部南方を東トルキスタンと結びつけ、さらにシベリア南部へと広げる、IAMCの重要な役割を裏づける、と分かりました。これらの結果はともに、ユーラシアの文化と技術と人口の交流促進における、東トルキスタン北西部の重要な役割を明らかにしました。


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