ヤクート人の遺伝的歴史

 シベリア北部の新たな古代ゲノムデータを報告した研究(Crubézy et al., 2026)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、シベリア北東部の人類遺骸の古代ゲノムデータを用いて、ヤクート人(サハ人)の遺伝的歴史を検証しました。その結果、ヤクート人の遺伝的起源は、モンゴル帝国の拡大につれて移住してきたトランスバイカル集団と混合した在来人口集団にさかのぼる、と分かりました。17世紀以降のロシアによる征服にも関わらず、ヤクート人の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)とその口腔微生物叢はおおむね安定していたようで、天然痘については、1650年頃までにヨーロッパで記録された系統とは異なる系統が確認されました。ヤクート人の婚姻では近親婚が避けられていたようですが、シャーマニズムとの関わりが示唆される女性1個体は、両親が2親等の親族関係だった、と推測されています。

 以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、PCoA(principal coordinate analysis、主座標分析)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、AADR(The Allen Ancient DNA Resource、アレン古代DNA情報源)、cM(centimorgan、センチモルガン)、m(metre、meter、メートル)、km(kilometre、kilometer、キロメートル)、%(percent、百分率) 、Nₑ(有効人口規模)、ANOSIM(analysis of similarities、類似性分析)、PCR(polymerase chain reaction、ポリメラーゼ連鎖反応)、ASD(allele-sharing dissimilarity、アレル共有相違)、MAFSO(Mission Archéologique Française en Sibérie Orientale、シベリア東部におけるフランス考古学派遣団)、sib(Siberia、シベリア)、DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)、ASCEND(Allele Sharing Correlation for the Estimation of Non-equilibrium Demography、非平衡人口動態のアレル共有相関)です。

 以下の時代区分の略称は、IA(Iron Age、鉄器時代)、his(historical era、歴史時代)です。本論文で取り上げられる主要な地名は、ヤクーチア(Yakutia、サハ共和国)、サハ共和国のヤナ(Yana)とも呼ばれるベルホヤンスク(Verkhoyansk)町とラッソロダ(Rassoloda)村、ヴィリュイ(Vilyuy)川、インディギルカ(Indigirka)川、ブリヤート共和国(Buryatia)、ヴォログダ州(Vologda Administrative Region)です。本論文で取り上げられる主要な人類集団は、ヤクート人(Yakut)、ウリチ人(Ulchi)、エヴェンキ人(Evenk)、ブリヤート人(Buryat)、ガナサン人(Nganasan)、モクプ人(Mokp)、ボゼコフ(Bozekov)氏族、解剖学的現代人(Homo sapiens、現生人類)、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)です。

 本論文で取り上げられるシベリアの主要な遺跡は、アトダバン(AtDaban)、オモウク(Omouk)、ホウマフターフ(Khoumakhtaakh)、ハラス(Haras)、ビリャシュク(Byljasyk)、オクティオム(Oktiom)、オウラーフ(Oulakh)、アルブレ・チャマニケ(Arbre Chamanique)、ウッセルゲ(UsSergue)、キースオウノウオガ(KyysOunouoga)、アトラソフカ(Atlasovka)です。本論文で取り上げられる主要な微生物やウイルスは、アクチノミセス・デンタリス(Actinomyces dentalis)、デスルフォミクロビウム・オーラル(Desulfomicrobium orale)、デスルフォミクロビウム・オラリス(Desulfobulbus oralis)、オルセネラ属種(Olsenella sp.)、結核菌(Mycobacterium tuberculosis)、天然痘ウイルス(Variola virus、VARV)です。


●要約

 シベリア北東部のヤクート人共同体は地球上で最も寒冷な環境の一部に居住しており、並外れた考古学的記録を保持しています。ヤクート人の歴史はロシアの征服によって大きく作り変えられ、1632年以降、穀物や病原体やキリスト教がもたらされました。しかし、これらの変容の生物学的影響は不明なままです。この研究は、ヤクート人の遺伝的多様性および口腔微生物叢におけるこの時期の変化を解明するために、古代DNAデータを生成しました。その結果、ヤクート人の起源は、大モンゴル帝国の拡大につれて移住してきたトランスバイカル集団と混合した在来人口集団にさかのぼる、と分かりました。ロシアによる征服にも関わらず、ヤクート人の遺伝子プールと口腔微生物叢はおおむね安定していたようですが、1650年頃までにヨーロッパで記録された天然痘株とは異なるものが流行していました。婚姻習慣は一般的に低い割合の近親婚が維持されており、伝統的シャーマニズムの最新の標識を有している1人の女性は例外で、2親等の親族間の娘でした。


●研究史

 ヤクート人はシベリア北東部のヤクーチアで最大の先住民集団で、人口は約50万人です。ヤクート人は地球上で最も寒冷な地域の皮質に居住しており、その年間気温変動は100度を超え、冬の温度は-60度を下回ります。遺伝学的および歴史的証拠から、ヤクート人は、恐らく13~14世紀に大モンゴル帝国の拡大に伴ってバイカル湖地域から移住してきた祖先人口集団の子孫だった、と示唆されています。この極限環境で生き残るために、ヤクート人は独特な文化的適応を発展させ、生計戦略はウマとウシの飼育が中心となり、それによって輸送と衣服と肉と乳を提供しました。これは、近隣の先住民集団のトナカイに基づく経済とは対照的です。さらに、ヤクート人は他のシベリア北東部の民族とともに、伝統的にシャーマニズムを行なっており、その実践者は精霊界と仲介して共同体を導き、守ります。ヤクート人の伝統的な生活様式は、ロシア帝国がおもに毛皮狩猟の領域拡大のため征服を始めた1632年以降に、大きく破壊されました。

 ロシアによる征服とそれに続く17世紀後半までの中国貿易の発展は、タバコやウォッカや炭水化物の豊富な穀物をこの地域にもたらしました。新たな交流は天然痘や結核や百日咳などの感染症をもたらし、免疫的に抗原刺激を受けていない先住民人口集団は壊滅的な発生に曝されました。食性と健康への影響以外に、ロシアによる征服は父方居住支族間の権力動態を変え、そのうちの1支族は狩猟場の支配権を得て、利益のある毛皮交易の重要拠点となり、莫大な経済的富を蓄積しました。商人とともに、キリスト教への改宗者がますますこの地域に到達し、最終的にはほぼ精霊信仰者とシャーマン教の先住民人口集団をキリスト教へと改宗させました。

 この期間の激動は、永久凍土内できわめて保存状態良好な考古学的記録と組み合わせることで、大きな生活様式の変容の生物学と医学と社会学の影響への詳細な解像度を得るための、独特な機会を提供します。本論文は、過去2000年間にわたるヤクーチアに暮らす個体群のヒト骨格遺骸と歯石の広範な収集物を分析し、おもに1500~1922年頃に焦点を当てます。広範な古代DNA配列決定を用いて、まずヤクート人共同体の歴史的起源が再構築され、その遺伝子プールへのロシアによる征服の影響が評価されます。次に、関連する食性と生活様式と社会の変容が、口腔微生物叢や病原体への曝露や結婚習慣や社会および経済的地位の潜在的指標としてのメチローム(methylome、ゲノムのメチル化の全体像)に影響を及ぼしたのかどうか、調べられます。


●データセットと実験設計

 ロシアとフランスの考古学者が共同で実施した2002~2018年の間のMAFSOによる発掘は、ヤクーチアの重要な4ヶ所の地域にまたがる、際立った考古学的記録を明らかにし、それは、ヤクーチア中央部、ヴィリュイ川の西側の河川流域、ベルホヤンスク(ヤナ)町北部、インディギルカ川東部です(図1a・b)。MAFSO探検隊の目的は、伝統的なヤクート人社会の調査と、ロシアによる征服後の変容の可能性の評価です。先住民の埋葬慣行に焦点を当てるために、発掘ではキリスト教墓地が避けられましたが、かつて発掘された、聖母マリアを模っているか、キリスト教の十字架を掘った遺物が含められました。シベリアの気候は、ほぼ無傷の、ヒト遺骸、織物、ヤクート人が使用し、発酵した馬乳を飲むのに用いられたチョロン(choron)と呼ばれる儀式用の三脚もしくは一脚の木製杯など、さまざまな文化的人工遺物を保存していました(図1c・d)。以下は本論文の図1です。
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 豊富な副葬品群は、1500~1922年頃にわたる埋葬された個体の、社会的地位や宗教的慣習やシャーマニズムの存在に稀な知見を提供しました。この期間は考古学的には4期に区分されており、ロシアからの影響増加を反映しています。第1期(1500~1689年頃)は、初期のロシアによる征服の前および最中の伝統的なヤクート人社会を表しています。第2期(1689~1750年頃)はヤクート人の「黄金時代」を表しており、この時期に、アトダバンのボゼコフ氏族が経済的に成功した毛皮交易を支配し、クロテンやテンやリスを扱っていました。この時期には前例のない経済的・空間的・人口統計学的拡大があり、ヤクート語(サハ語)はシベリア北東部の共通語(lingua franca)となりました。第3期(1750~1800年頃)には、人口増加が続きましたが、来の精霊伝統に対して正教会を優遇する法的措置など、信仰体系へのロシアの影響が強化されました。この過程は第4期(1800~1922年頃)に最高潮に達し、広範な改宗運動がありました。

 ヤクート人の歴史を調べ、人口構造と婚姻刊行と食性と健康へのロシアによる征服の影響を評価するために、第1期~第4期にわたる122個体の包括的な収集物が分析されました。このデータセットには、70点の錐体骨と17点の長骨断片と54点の歯と78点の歯と3点の生体組織検査と1点の筋組織標本が含まれていました。612点のライブラリの447億7千万点のDNA鋳型のショットガン配列決定から、男性59個体と女性49個体で下流分析に適したゲノム規模データが得られ、網羅率の深度の中央値は2.13倍(0.017~69.85倍の範囲)で、核汚染推定値は男性で0.5%未満でした。さらに、74点の口腔微生物叢が再構築されました。

 本論文の調査結果の状況をさらに説明するために、ブリヤート共和国の17世紀の男性1個体の歯1点と、ヤクーチア中央部の鉄器時代の男性1個体(モクプ人)の錐体骨1点から2点のヒトゲノムが特徴づけられました(図1a)。配列データによって、90個体で16点のメチロームの特徴づけと7840万ヶ所の遺伝子型の補完が可能となりました。集団遺伝学的分析が、AADR第5版[18]の124万SNPと1000人ゲノム計画一覧から補完された遺伝子型について、疑似半数体データで実行されました。


●人口史とロシアによる征服

 ヤクート人の遺伝的多様性をより広範なヒト集団の枠組み内に位置づけるために、PCAが実行され、古代人のゲノムはすべて、現代のユーラシア人とアメリカ大陸先住民のゲノムで観察された差異に投影されました(図2a)。最初の主成分はヨーロッパ人集団をアジア人およびアメリカ大陸先住民集団から分離し、古代と現代両方のヤクート人はアジア人集団とクラスタ化しましした(まとまりました)。第2主成分はアジア人とアメリカ大陸先住民にわたる遺伝的類似性をさらに精緻化し、現代と歴史時代(第1期~第4期)のヤクート人を、ロシア極東のエヴェンキ人およびウリチ人やトランスバイカル地域のブリヤート人など、他のシベリア人集団の近くに位置づけます。以下は本論文の図2です。
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 歴史時代のヤクート人の遺伝的構成は顕著に均質で、現代のヤクート人と密接に類似していました。これはPCA(図2a)やADMIXTUREの祖先系統特性(図2c)やfineSTRUCTUREのクラスタ化(まとまること)において明らかです(図2c)。対照的に、鉄器時代のモクプ人1個体は独特な遺伝的類似性を示し、現代のガナサン人およびヤクーチアの新石器時代~鉄器時代の個体群[22]とクラスタ化しました。モクプ人で最大化される遺伝的祖先系統構成要素はこれら全個体でも顕著でしたが、ほとんどの歴史時代および現代のヤクート人では、バイカル湖地域の歴史時代の人口集団の部分集合と共有されている、他の遺伝的祖先系統との混合を通じて希釈化されました(図2b)。これらのADMIXTUREパターンはfineSTRUCTUREの結果と一致しており、歴史時代のヤクート人1個体(オモウク1号)を除く全個体よりも、モクプ人においてアジア東部および北部からの遺伝的寄与がより大きいことを示唆しています(図2c)。まとめると、これらの分析から、1500年頃以降のヤクート人は遺伝的に紀元前280年頃(モクプ人の放射性炭素年代)までヤクーチアに居住していた人口集団と遺伝的に連続していなかった、と示唆されます。

 第4期のオモウク1号女性は、PCAでは歴史時代および現代のヤクート人と比較して、明確な遺伝的外れ値でした(図2a)。オモウク1号はアジア人のハプロタイプ共有の増加(図2c)、および現代のトランスバイカルのエヴェンキ人と類似したADMIXTURE特性(図2b)を示しました。注目すべきことに、ヤクート人の単語「オモウク(omuk)」は「ツングース」もしくは外来者を意味しており、関連する考古学的資料はツングース(エヴェンキ人)のトナカイ飼育伝統を反映しています。これらの調査結果から、オモウク1号はヤクーチアで埋葬されながらも、その起源は他の歴史時代および現代のヤクート人とは異なる遺伝的および文化的背景にあった、と示唆されます。

 第4期のヤクート人のオモウク3号女性も、ヨーロッパ人のハプロタイプ共有の増加を含めて、わずかに非対称的な遺伝的特性を示しました(図2c)。同様のパターンは、第4期の別の女性(ホウマフターフ遺跡)と第2期の女性(ハラス遺跡)とツングース集団に特徴的な頭蓋変形を示す第1期の男性(ビリャシュク3号)で観察されました。qpAdmを用いると、その遺伝的構成は3方向混合で最適にモデル化され、1500年頃以後の他の全てのヤクート人と共通する2供給源とは異なる、余分なユーラシア西部供給源が組み込まれていました。この余分な祖先系統は、ロシアによる征服期のヨーロッパ人からの遺伝的流入を表していたかもしれません。しかし、ハラス個体(718~1373年頃)で推定された混合年代はロシアによる征服に先行しており、恐らくはトランスバイカル地域からの、すでに混合した人口集団とのそれ以前の接触が示唆されます。ホウマフターフ個体およびオモウク3号におけるヨーロッパ人的な混合の年代は1454~1790年頃で、ロシアによる征服の前およびその後両方の接触と一致します。

 稀な例外を除いて、全ての他の第1~4期のヤクート人の遺伝的構成は、鉄器時代にヤクーチアに居住していた人口集団と、13~15世紀にバイカル地域に居住していた人口集団(バイカル_his)との間の2方向混合(バイカル_his が、62~84%のヤクーチア_IAおよびバイカル_sibを有する16~38%と、21~60%のヤクーチア_IAを有する40~38%)としてモデル化できます。西方ロシア人供給源(ヴォログダ州)とバイカル供給源(バイカル_hisもしくはバイカル_sib)を含む2方向混合モデルは、実行不可能および/もしくは却下されました。ロシア西部など、4語族を表す11人口集団のヤクーチア_IAとバイカル_his/バイカル_sibとヨーロッパ人の供給源を含む3方向モデルは、実行不可能もしくは無視出来る混合割合が返され、2方向入れ子モデルと比較して統計的適合性は改善されませんでした。

 ロシアによる征服の遺伝的影響をさらに調べるために、D形式(ムブティ人、ヨーロッパ人;ヤクート_X、ヤクート_Y)のD統計が計算され、ここでのヤクート_Xとヤクート_Yは、以前に特定された遺伝的外れ値を除く、ヤクート人集団のさまざまな組み合わせを表しています。第1期と比較して、その後の各期ヤクート人を形成する集団も現代のヤクート人も、ロシア西部人を含めて、ヨーロッパ人と遺伝的共有度の統計的に有意な過剰を示しませんでした。さらに、どの特定の考古学的段階も、それ以前の段階と比較して、濃縮は検出されませんでした。100回の検証された組み合わせのうち1回のみが、第2期個体群よりも現代のヤクート人へのわずかに高い割合のロシア西部人からの遺伝的寄与を示しました。まとめると、これらの分析は、分析されたヤクート人集団へりロシアによる征服のわずかな遺伝的影響を示唆しています。

 歴史時代および現代のヤクート人の安定しており均質な遺伝的組成は、その起源に関する既存のモデルの精緻化に役立ちました。DATESは主要な2祖先系統供給源(ヤクーチア_IA+ガナサン人とバイカル_sib)間の混合時期を、1100~1250年頃の間と推定しました。ASCEND分析(図2d)からさらに、ヤクート人集団は、比較的穏やかな強度の創始者事象に続いて、この混合の直後(1210~1400年頃)に出現した、と示唆されました。関連する人口統計学的ボトルネック(瓶首効果)は、瓶首効果の期間と2倍の有効規模との間の比率として定量化され、3.0~6.4%と推定されました。HAPROH[26]に基づく推定値は、第1~4期を通じての、すでに限られた有効規模(約532~721のNₑ)を示唆していたので、本論文の分析はヤクート人集団の形成の基盤にある短期の瓶首効果を裏づけます。


●口腔微生物叢と疾患発生

 ロシア人入植者の到来は、オオムギやライムギやさまざまな飲料を含めて、伝統的に肉と魚が優占する食性に新たな食品をもたらしました。口腔微生物叢へのこれら食性変化の影響の可能性を評価するために、ヤクート人85個体に属する78点の歯石および55点の歯の分類群的および機能的組成が分析されました。74個体の部分集合は第1~4期にまたがり、典型的な口腔微生物叢特性を示し、環境汚染は限定的でした。特定された最も豊富な真正細菌種はアクチノミセス・デンタリスで、それに続くのが、デスルフォミクロビウム・オーラルやデスルフォミクロビウム・オラリスや80のオルセネラ属種の口腔分類群など他種で、これらはすべて、過去の口腔環境において一般的で、歯の生物膜と歯垢に寄与する、と知られています。

 MetaPhlAn4を用いて判断された分類学的存在度特性や、種水準のアルファ多様性(特定の場所や標本における生物多様性)は、ロシアによる征服の過程で有意な変化を示しませんでした。同様に、HUMAnN第3.0版やUniRef第90版やChocoPhlAnによって評価された機能的経路の多様性は、全期間を通じて安定したままでした(図3b)。PCoAとPCAの両方は、ネットワークに基づくクラスタ化とともに、複数の考古学的段階にまたがる分類学的および機能的多様性での世界的重複を明らかにしました。この安定性は統計的検定によってさらに裏づけられ、それには、ANOSIMや多変量分散解析が含まれており(図4b)、両者とも考古学的段階間よりも考古学的段階内のより大きな類似性を却下しました。解像度向上のために代謝経路に焦点を移すと、統計的に有意な変化は炭水化物の存在度特性とアミノ酸の代謝経路では観察されませんでした(図3c)。66点の歯石の部分集合に上述の分析を限定すると、結論は変わりませんでした。まとめると、これらの結果は、ロシアによる征服によってもたらされた食性変化にも関わらず、1500~1900年頃の間の口腔微生物叢における顕著な安定性を示しています。以下は本論文の図3です。
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 先行研究は、ロシアによる征服期の炭水化物消費における、マツの白層粉(樹木)からオオムギおよびライムギへの変化を、とくに第4期における喫煙と関連する歯の感染症の危険性増加とともに報告しました。生物膜の形成および周期的な疾患と関わる5点の真正細菌複合体および8点の口腔病原体の存在度の分析によって、これらの変化が口腔の健康に影響を及ぼしたのかどうか、調べられました。本論文の分析は、第1期から第4期にかけての存在度水準における有意な増加を明らかにしませんでした(図3d)。さらに、真正細菌複合体と比較しての古代の個体の口腔の健康への解像度向上を提供する、6点の口腔病原体もしくは豊富な口腔種の株水準分析は、ヤクーチアと世界の他地域で異なる株が循環していたことや、ロシアによる征服期に変化がなかったことを示唆しました。これらの調査結果から、口腔の健康はロシアによる征服期にほぼ変化しないままだった、と示唆され、これは考古学的に観察された虫歯の低い発生率と一致します。

 しかし、本論文のデータは、ヤクーチア中央部の第2期の3個体(AC1S2とAC1S3とラッソロダ個体)における天然痘の存在を明らかにし(図1)、そのうち11個体は以前に天然痘についてPCRで要請でした。配列データは永久凍土層で保存された肺および骨組織や歯と歯石に由来しましたが、限られた割合の天然痘ゲノムを特徴づけることができました(網羅率の平均深度は、AC1S2では0.12倍、ラッソロダ個体で0.15倍)。最尤系統樹再構築から、この天然痘ウイルスは7~10世紀のスカンジナビア半島およびロシア西部個体群で以前に特定されたもの[36]や、20世紀の世界規模の発生の原因となった主要な2クラスタ(VARV-PIとVARV P-II)とは異なる株に属していた、と示唆されました(図3e)。位相幾何学的検定は、リトアニアの17世紀の女性1個体で以前に検出されたVD21株とのクラスタ化を却下し、より深い系統発生的位置づけが裏づけられます。これは、さまざまな天然痘株が17世紀と18世紀のユーラシアに存在していたことを示唆しています。


●過去のヤクート人共同体の社会生活

 歴史的および民族誌的資料はヤクート人共同体を、父系および父方居住氏族中心に構造化されており、厳格な族外婚だった、と記述しています。ミトコンドリアの多様性が第1~4期を通じて高かったのに対して、Y染色体ハプロタイプの数は顕著に限られたままでした(図4a)。さらに、異なる地域に埋葬された同じ性別の成人の組み合わせにおける長いIBD断片(12cM以上)の割合は、女性よりも男性間の方で有意に大きくなっていました。これらの調査結果は族外婚を行なっていた父方居住氏族の予測と一致しますが、標本抽出された集団における男性の多さが、男性間の遺伝的近縁性の検出を促進する可能性に要注意です。以下は本論文の図4です。
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 親族関係分析は、最大3親等の遺伝的に親族関係にある61個体を特定し、同じ遺跡に埋葬された1親等および2親等の4事例(アトダバン、オクティオム、オウラーフ、英語で「シャーマンの木」を意味するアルブレ・チャマニケ)が含まれます(図4a)。オウラーフでは全員1親等の親族関係の成人男性3個体が相互と数m内に埋葬されており、アトダバンでは、父親とその成人の息子がともに埋葬されていて、父方居住慣行と一致します。しかし、アルブレ・チャマニケでは祖母1人がその娘および孫2人と埋葬されていたのに対して、学童期(6~7歳から12~13歳頃)の男性は姉妹の息子【甥】および父親とともに埋葬されていました。これらの調査結果は厳格ではない父方居住慣行を示唆していますが、後者2ヶ所の遺跡【アトダバンとアルブレ・チャマニケ】はヤクーチア全体では特異です。同時に堆積した個体が示されており、これは、アルブレ・チャマニケに埋葬された人々(AC1S2とAC1S3)を殺した天然痘発生など、破滅的事象を示唆しています。共同体全体を表す大規模な埋葬地の遺伝学的分析を組み込んださらなる研究が、より広範な血の敵地域にまたがるより密な標本抽出とともに、父方居住パターンの優勢を評価するのに必要です。

 このデータセットでは、族外婚は同じ地理的地域内の個体群に限られており、それは、異なる地域にまたがって1親等もしくは2しんとうの親族が特定されなかったからです(図4a)。したがって、IBD断片共有は、異なる地域に埋葬された個体群と比較して、同じ地域に埋葬された個体群の組み合わせ内の方でより強くなりました。地域間の3親等の関係の数も、任意交配下で予測されるよりも顕著に低くなりました。さらに、ASDと微生物叢組成とDNAメチル化の分析は、標本の限られた部分集合ではあるものの、有意な地域的クラスタ化を明らかにしました。まとめると、これらの結果から、結婚と相互作用と微生物の交流はおもに地域的境界内で起きた、と示唆されます。現時点の標本規模と地理的範囲はヤクーチアの大きな広がりと比較して限られていますが、このパターンは、同じ遺物群に基づいて、地域間の広範な移住が物質文化の顕著な類似性の原因になった、と提案した一般的な考古学的解釈とは対照的です。

 ASDの変化と微生物群集および機能的経路に基づく対での距離とDNAメチル化は、考古学的段階との統計的な関連を示さず、これはヤクート人の遺伝子プールおよび微生物叢特性の経時的な観察された安定性と一致します。男女と関連する物質文化は明らかに異なっていましたが、性別はゲノム間やメチローム間や微生物叢間で測定された類似性に顕著な影響を及ぼしていませんでした(図4b)。微生物叢間の類似性への県庁な影響がないことは、男女間での食性の違いを反映していない、安定同位体分析と一致します。さらに、遺伝的近さや近親交配や微生物叢によって推定した場合に、経済的富や指導者層やキリスト教やシャーマニズムと生物学的距離との間で関連は見つかりませんでした(図4b)。これは、同様の社会的および宗教的地域の個体群が、必ずしも異なる地位の個体群とよりも生物学的に近くはなかったことを示唆しています。メチロームと富や指導層など社会経済的要因との間の関連の欠如からさらに、古代のメチロームの再構築のための現在の手法が過去の社会経済的地位に提供する解像度は限られている、と示唆されます。最後に、指導層の指標とではなく、遺伝的距離と地域的提携との間の有意な関連は、政治的権力が単一の支族に集中していなかったことを示唆します。

 シャーマニズムの慣行に関する考古学的証拠は、近親者集団内で(AC1S2とAC1S3)見つかりました(図4a)。しかし、シャーマニズムは遺伝的に近い個体の組み合わせと関連しておらず、シャーマニズムの慣行は単一の遺伝的な家系の氏族に限られていなかった、と示唆されます。歴史時代の近親交配水準は低かったものの、最も近親交配のヤクート人(ウッセルゲ1号、図4c)は、伝統的なシャーマニズムの明確な痕跡とともに発掘された最後の個体でもありました(図4d)。女性個体ウッセルゲ1号は、17世紀後半/18世紀初期の最も著名な氏族長だったボゼコフに嫁いだ、アトダバン6号の曽孫と特定されました。ウッセルゲ1号の高い近親交配水準は、2親等の親族間の配偶を示唆しています。しかし、ウッセルゲ1号が、例外的な近親者の子供だったので、シャーマニズムに接触していた可能性は低そうなのに対して、シャーマニズムの人工遺物の最も広範な収集物(キースオウノウオガ)とともに埋葬された女性は、近親婚の証拠を示しませんでした。


●考察

 本論文はヤクート人の遺伝的起源、結婚と葬儀と宗教的慣行の間の複雑な相互作用で、これらの側面がロシアによる征服で変わった程度を明らかにします。まず、ヤクート人の遺伝子プールは、鉄器時代の起源のある在来人口集団と、13世紀初期に大モンゴル帝国の拡大期にこの地域に到来した、おそらくはトランスバイカル地域からの別の集団との間の混合を通じて出現した、と分かりました。この時系列は、バイカル地域との広範なつながりとともに、その起源についての口承伝統と一致します。しかし、かなりの在来の遺伝的構成要素の存続は、優勢なアジア中央部のテュルク語族およびモンゴル語族の影響を示す、文化的および言語学的証拠とは対照的です。しかし、在来人口集団からの推定寄与は検証されたバイカル供給源に応じて変わることに要注意で、地域と期間にまたがるより密な標本抽出の必要性が強調されます。現時点のモデル、は限られた数の遺伝学的に特徴づけられた個体によって定義された人口集団供給源に依存しており、これは恐らく、混合時期におけるヤクーチアの広範な領域全体の遺伝的多様性を完全には捉えていません。これらの限界にも関わらず、本論文の結果から、ヤクート人の歴史は、遺伝学的および文化的両方で、移住してきた集団との在来集団の融合を表している、と示唆されます。

 本論文の分析は、ヤクート人の拡大に先行する人口統計学的瓶首効果が急速で、1400年頃以前に混合の直後に起きた、と示すことによって、創始者事象を示唆する片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアと父系のY染色体)に基づく先行研究も改善しました。本論文で配列決定された最初期のヤクート人(アトラソフカ)は、15世紀後期/16世紀初期までに埋葬されており、再構築された親族関係網で重要な祖先だったようで、その創始者的役割がさらに裏づけられます。さらに、親族関係分析から、1親等および2親等の親族は同じ考古学的遺跡に埋葬されるかもしれないものの、おもに地理的近い歯所で見つかっており、相互とは最大で159km以内(平均距離は45m)である、と明らかになりました。同じ地域の埋葬間のこの強い遺伝的近さは、近親者を除外した場合でさえ依然として明らかでした。まとめると、これらの調査結果は、ヤクート人とその父親とおよび祖父の地との間の深い起源があるつながりを強調しています。

 さらに、本論文の遺伝的データは父方居住の例外を明らかにし、小さな有効人口規模にも関わらず、近親婚は限定的なままでした。そうした慣行がどれほど一般的だったのか、評価するにはさらなる研究が必要ですが、2親等の親族間の娘と特定された女性個体ウッセルゲ1号によって示されているように、社会規範は近親婚を許可していました。重要なことに、ウッセルゲ1号は、最古級のヤクート人の物質文化を想起させる、18世紀後期に典型的ではない副葬品とともに埋葬されていました。ウッセルゲ1号は、発掘された伝統的なシャーマニズムの人工遺物の最新の個体でした。ウッセルゲ1号は特定された最も豊かな墓の一つに埋葬されており、記録されている最も裕福な氏族の子孫でした。ウッセルゲ1号はキリスト教信仰がヤクート人社会で影響を有し始めた時に死亡したので、文化的および宗教的伝統を保存する氏族の試みの具現化として見ることができるかもしれません。

 最後に、ロシアによる征服は、少なくとも本論文で調べられた期間と地域内では、ヤクート人集団にわずかな遺伝的影響しか及ぼさなかった、と分かりました。ヤクート人は伝統的に死者を埋葬するのではなく、開けた基盤に安置したので、考古学的に表されていないより広範な人口集団内のロシア人との混合の程度は、依然として不明です。しかし、埋葬された個体群の経済および社会的地位の範囲は、小集団の指導者やシャーマンや自殺者から主要氏族の指導者まで広く、標本抽出の偏りは最小限と示唆されます。キリスト教徒墓地におけるロシア人との混合の程度も特徴づけられていませんが、ヤクート人の遺伝子プールは全考古学的段階を通じて現在まで安定しているようで、ロシア征服期における限定的な混合が示唆されます。したがって、本論文はヤクート人を、軍事的もしくは人口統計学的征服の地ではなく、ヤクート人とロシア人が経済的協力に関わった、中間地帯として描きます。

 歴史資料は、当時拡大しつつあった毛皮交易の性交にきわめて重要だった集団としてのヤクート人を浮き彫りにしており、毛皮交易はロシア人の征服の動機となっただけではなく、有力なヤクート人氏族に大きな富と権力の機会を提供しました。さらに、ヨーロッパ人入植者にとって致命的であることが多く、大規模な穀物農業に適していない過酷な環境は、大規模なロシア人集落の設立を妨げました。その結果、ヤクーチアにおけるロシア人の拡大は在来人口集団に大きく依存し、先住民の排除と根絶によって進んだアメリカ大陸の入植者の植民地主義とは異なる植民地主義の形態を表しています。ロシア人の植民地主義は、植民地インドに特徴的な間接的支配とも異なっており、インドでは、植民地の権力は領土統治なしに現地指導者を通じて維持されました。対照的に、ロシアの権力はヤクート人共同体に税制を課し、市民権を与え、帝国の構造に組み込むことで、ヤクート人支配層を利用し、伝統的なヤクート人の政治的および社会的組織を、外来の帝国の臣民にしつつ、根本的に変えました。

 顕著な遺伝的影響がなかったにも関わらず、ロシアによる征服はヤクート人の生活さ人口動態に大きな影響を及ぼしまし秦。ロシア人との接触は多くの感染症媒体をもたらし、それには本論文で特定された天然痘や結核菌が含まれ、免疫的に抗原刺激を受けていない先住民先住民人口集団に壊滅的な人口統計学的影響がありました。歴史資料に記録されている深刻な発生はhapROHで検出されておらず、限定的ではあるものの安定した有効人口規模が示唆されます。これは恐らく、こうした発生の急速な進行、もしくは検出力を制約する、他の要因を反映しています。食性変化は充分に記録されていますが、本論文は、ヤクート人の口腔微生物叢の分類学的および機能的多様性における変化を特定できませんでした。これは、真正細菌のヨーロッパにおける炭水化物消費の激増とともに大きな変化を報告した先行研究と対照的です。本論文の調査結果は、乳製品や炭水化物の消費増加など生活様式や衛生や食性の変化と関連づけられてきた、大ブリテン島で記録されている口腔微生物叢の変化(紀元前2200~紀元後1853年頃)とも矛盾しています。本論文で調べられた短い小進化的時系列でのヤクート人の口腔微生物叢の一貫性は、炭水化物の劇的な摂取量増加ではなく、消費した種類の変化(樹木採取の粉から穀粉)を反映しているかもしれません。さらに、本論文の調査結果は、ネアンデルタール人と解剖学的現代人の間、および狩猟と採食から農耕への新石器時代の移行期における、深い系統発生的規模での安定した口腔微生物叢を報告した、他の研究と一致します。口腔微生物叢組成と機能の決定要因、歯石がこれらの動態を把握する能力、生活様式と食性と健康への消化器系微生物叢のより広範な応答を理解するには、将来の研究が必要です。

 ヤクートの永久凍土層に保存された例外的な考古学的記録は、物質文化の証拠を古代DNA分析の全範囲と調和させる、独特な機会を提供し、人口集団の起源や社会的慣行や健康や個人の地位に光を当てます。これによって、古代の共同体の多世代にわたる生活様式の把握を目的とした、ますます発展する古代DNA研究に寄与しました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


集団遺伝学:古代DNAから見たロシアのヤクート征服

集団遺伝学:ゲノム史で見るヤクート人の歴史

 今回、シベリア北東部に居住するヤクート人コミュニティーのゲノム史が調べられ、17世紀のロシアによる征服にもかかわらず、その時期のこれらの人々の遺伝子プールや口腔マイクロバイオームは安定していたことが明らかにされた。



参考文献:
Crubézy É. et al.(2026): An ancient DNA perspective on the Russian conquest of Yakutia. Nature, 650, 8101, 389–398.
https://doi.org/10.1038/s41586-025-09856-5

[18]Mallick S. et al.(2024): The Allen Ancient DNA Resource (AADR) a curated compendium of ancient human genomes. Scientific Data, 11, 182.
https://doi.org/10.1038/s41597-024-03031-7
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[22]Kılınç GM. et al.(2021): Human population dynamics and Yersinia pestis in ancient northeast Asia. Science Advances, 7, 2, eabc4587.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abc4587
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[26]Ringbauer H, Novembre J, and Steinrücken M.(2021): Parental relatedness through time revealed by runs of homozygosity in ancient DNA. Nature Communications, 12, 5425.
https://doi.org/10.1038/s41467-021-25289-w
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[36]Mühlemann B. et al.(2020): Diverse variola virus (smallpox) strains were widespread in northern Europe in the Viking Age. Science, 369, 6502, eaaw8977.
https://doi.org/10.1126/science.aaw8977
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