モンゴル高原南東部の新石器時代人類のゲノムデータ
モンゴル高原南東部の新石器時代人類の新たなゲノムデータを報告した研究(Liu et al., 2026)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、8800~5000年前頃となるモンゴル高原南東部の古代人35個体のゲノムデータを報告し、8800~7500年前頃の個体群は、LGM後の細石刃技術の拡散と関連していたかもしれず、草原地帯の更新世集団において優勢だった遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を共有していた、と示しました。この祖先系統は7500~5700年前頃までモンゴル高原南東部において存続し、紅山文化と関連する西遼河流域集団の遺伝的構成に寄与しました。その後、モンゴル高原南東部の人類集団の遺伝的構成は、モンゴル高原北東部および西遼河流域の紅山文化集団からの遺伝的影響を受け、これは5700~5000年前頃の間の文化拡散と一致します。こうした知見は、完新世のモンゴル高原南東部とその周辺地域における、複雑な遺伝と文化の相互作用を示しています。なお、本論文の「中国」の指す範囲はよく分かりませんが、現在の中華人民共和国の支配領域を指しているように思われ、その範囲について異論もないわけではありませんが、この記事の以下の翻訳ではではとりあえず「中国」と表記します。以下は本論文の要約図です。
以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)、LGM(Last Glacial Maximum、最終氷期極大期)、DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)、K(kilo years ago、千年前)、ANE(Ancient Northern Eurasian、古代北ユーラシア人)、APS(Ancient Paleo-Siberian、旧シベリア古代人)、ANA(Ancient Northeast Asian、アジア北東部古代人)、MP(Mongolian Plateau、モンゴル高原)、AR(Amur River、アムール川)です。
以下の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)です。本論文で取り上げられる主要な地名は、ヤクーチア(Yakutia、サハ共和国)、レナ(Lena)川、コリマ川(Kolyma River)、大興安嶺(Great Khingan)山脈、陰山山脈(Yin Mountains)、ヘルレン川(Kherlen River)、フルン湖(Hulun Lake)です。本論文で取り上げられる主要な文化は、紅山(Hongshan)文化、仰韶(Yangshao)文化、フォフォノヴォ(Fofonovo)文化です。
本論文で取り上げられる主要なモンゴルの遺跡は、南部の興隆(Xinglong)遺跡と裕民(Yumin)遺跡とウキ(Wuqi)遺跡とジャライノール(Zhalainuoer)遺跡と廟子溝(Miaozigou)遺跡とハミンマンガ(Haminmangha、略してHMMH)遺跡、北部のノロヴリン・ウール(Norovlin Uul)遺跡です。本論文で取り上げられる主要な中国の遺跡は、河北省の鄭家溝(Zhengjiagou)遺跡と四台(Sitai)遺跡と雷公山(Leigongshan、漢字表記を検索しても確証を得ることができず、GrokとGeminiで一致した表記を採用します)遺跡です。本論文で取り上げられるそれ以外の主要な遺跡は、ロシア極東沿岸の悪魔の門洞窟(Devil’s Gate Cave、Chertovy Vorota)遺跡とボイスマン(Boisman)遺跡、バイカル湖地域のシャマンカ(Shamanka)遺跡とウスチキャフタ3(Ust-Kyakhta-3、略してUKY)遺跡、シベリア南部のマリタ(Malta)遺跡、エニセイ川流域の16000年前頃のアフォントヴァ・ゴラ(Afontova Gora)遺跡です。
●要約
アジア東部の草原地帯および平原とアジア東部北方の河川流域を隔てる山岳地域にまたがる集団間の文化および物質の交換は、旧石器時代以降記録されてきましたが、これらの相互作用が戦時時代の人口動態をどの程度反映しているのかは不明です。8800~5000年前頃にまたがるモンゴル高原南東部の古代人35個体の配列決定および分析によって、モンゴル高原南東部の前期完新世人口集団は共通の祖先系統を有していた、と分かりました。完新世の前の草原地帯人口集団において優勢で、LGM後の細石刃の拡散と関連していたかもしれないこの祖先系統は、7500~5700年前頃の間までモンゴル高原南東部において存続し、その期間にこの祖先系統は紅山文化と関連する西遼河流域人口集団に寄与した、と示されました。前期完新世モンゴル高原南東部祖先系統の連続性はその後、モンゴル高原北東部と西遼河両方の紅山文化人口集団からの遺伝的影響によって途絶え、これは5700~5000年前頃の間の文化拡散と一致します。これらは、LGMと中期完新世の間における、東方草原地帯に沿った複雑な遺伝的および文化的相互作用を明らかにしました。
●研究史
LGM(26500~19000年前頃)後に、末期更新世から完新世にかけての気候温暖化および居住環境改善に伴って、人口が増加しました。シベリアと中国北部とモンゴルとバイカル湖地域における末期更新世の考古学的遺跡の急増は、ヒトの居住強化の証拠を提供し、アジア東部人の人口統計学的歴史における重要な段階を表しています。LGM後に、変化する環境への適応的利点を有してアジア北東部全域に広がった細石刃技術は、この期間において重要な役割を果たし、LGM後のユーラシア東部におけるヒトの動態の推測に広く用いられてきました。細石刃の年代に基づいて、15000年前頃となるトランス・バイカル地域へのヒトの拡大を提案した学者もいた一方で、LGMの前後における中国の北東部と北部との間の人口集団接触の2回の事象を提案した学者もいました。さらなる仮説には、アジア北東部および東部全域の文化的および人口統計学的交流の重要な経路としての、ゴビ砂漠とモンゴルの役割が含まれています。その後の完新世には、環境条件の連続的改善が人口集団の拡大および農耕と土器の採用によっておもに特徴づけられる新石器文化の台頭を支えました。
雑穀の利用はゴビ砂漠頭部において早くも7600年前頃、ユーラシア東部草原地帯において6700~6100年前頃にまでさかのぼり、両者とも中国北部からもたらされた可能性が高そうです。アジア東部全域での共有された土器様式を特定した研究もありますが、バイカル湖地域と中国北東部との間や、アムール川地域からトランス・バイカル地域までの特定の土器の影響を示唆した研究もあります。さらに、アジア北東部における翡翠(軟玉)の起源と拡散は依然として議論になっていますが、一部の考古学者は、ロシア極東とバイカル湖地域と中国北東部の軟玉製人工遺物における類似性を見つけました。要するに、アジア東部における細石刃技術の拡散と新石器化の過程と文化的相互作用は、考古学的研究の中心的主題で、依然として進行中の議題です。
これら長期の文化的相互作用は、アジア東部北方における過去の人口接触を示しています。最近の古ゲノム研究も、これらの人口動態に新たな知見を提供してきました。LGMの終焉に伴い、モンゴル高原からシベリア南部の先行研究では、繰り返しの人口集団の変化が提案されてきました。これらの変化は、末期更新世から前期完新世にかけてシベリアに存在し、現在のアメリカ大陸先住民に寄与して、ANEとアジア東部古代人との間の混合によって形成された、APS祖先系統を有する人口集団[32~35]による、アジア東部現代人から深く分岐した系統で24000~14700年前頃にシベリア南部全域に分布していたANE祖先系統[30、31]を有する人口集団の置換として説明されたことが多くなっています。
完新世には、アジア東部北方の現代人と密接に関連するANA祖先系統の豊富な人口集団が、この地域で優勢になりました[35~38]。対照的に、アムール川地域はANA祖先系統人口集団の長期の遺伝的連続性を示しました[39、40]。モンゴル高原とアムール川地域のさらに南側では、モンゴル高原南東部の8400年前頃の1個体もANA祖先系統を示しており[41]、ANA祖先系統がこの期間に広範な地理的地域で優勢な遺伝的構成要素だった、と示唆されます。これらの遺伝学的知見にも関わらず、この地域の文化的相互作用の根底にある人口史は依然として理解が乏しく、これはおもに多様な祖先集団間の関係を調べた遺伝学的研究が限られていることに起因します。別の研究では、これら多様なANA祖先系統の人口集団が複雑な遺伝的つながりを共有していた、と分かり、アジア東部北方の文化的相互作用の根底にある遺伝的歴史と人口動態を解明するための、この地域における詳細な古代ゲノム研究の必要性が浮き彫りになります。
モンゴル高原南東部は陰山山脈が大興安嶺山脈と合流する地点の北西に位置し、大興安嶺山脈はモンゴル高原を、北方ではアムール川地域と、東方では西遼河流域と、南方では黄河流域とつないでいます。これらの地域間の地理的交差点として、興隆遺跡や四台遺跡や鄭家溝遺跡や雷公山遺跡によって表されるように、モンゴル高原南東部には多様な文化が出現しました。後期旧石器時代には、興隆遺跡と四台遺跡では、モンゴル高原やバイカル湖地域や中国北部で見つかった石器群と類似した細石刃群が発見されました。前期完新世(11600~7000年前頃)には、新石器文化がこれらの遺跡で出現しました。興隆遺跡は、裕民遺跡でも見られ、8800~7000年前頃までモンゴル高原南東部全域に分布していた裕民文化と関連していました。四台遺跡は、裕民文化と異なっていた独特な物質遺物群を示し、四台文化と呼ばれており、その年代は7740~7650年前頃です。アジア東部全域で共有される土器伝統に加えて、一部の考古学的研究は、共有されている土器様式に基づいて裕民文化とバイカル湖地域との間のつながりを示唆してきました。キビ(Panicum miliaceum)とアワ(Setaria italica)の遺物は、興隆遺跡と四台遺跡で発掘された農耕具とともに、採食から最初のおよびその後のより発展した農耕慣行への移行を記録しており、これは華北平原からの農耕拡大を反映している可能性が高そうです。その後の中期完新世(7000~5000年前頃)には、四台遺跡はバイカル湖地域と土器の類似性を共有していましたが、鄭家溝遺跡と雷公山遺跡は西遼河流域の紅山文化との、とくに独特な翡翠人工遺物および積石墓で、強い文化的類似性を示しました。
これらの広範な文化的つながりは、アジア東部北方における文化的拡散の根底にある人口史を研究するための、重要な地域としてのモンゴル高原南東部を浮き彫りにします。しかし、この期間および地域の遺伝的データの不足は、先史時代人口集団に関するこれらの相互作用の遺伝的結果の理解を妨げます。前期完新世は人口増加と新石器化の重要な期間を表していますが、中国北部から報告されてきた前期完新世のゲノムは、モンゴル高原南東部のわずか1点[41]とアムール川流域の18点[39、40]を含めて、わずか19点です。モンゴル高原南東部とその周辺地域の人口集団の相互作用を解明し、モンゴル高原南東部における文化資料の起源に取り組むために、モンゴル高原南東部とその近隣地域の人口集団間の相互作用圏から、新石器時代のゲノムの時系列が生成されました。
●資料と手法
35個体の人骨からDNAが抽出され、mtDNAで汚染率が推定されるとともに、男性ではX染色体でも汚染率が推定されて、古代ゲノムデータの真正性が検証されました。mtDNAもしくはX染色体のどちらかで汚染率が5%超だった場合は、汚染データとみなされ、以後の遺伝子型決定から除外されました。性染色体の読み取り比から遺伝学的性別が決定され、mtHgとYHgも分類されました。これら古代人のゲノムデータは、世界中の現代人115集団のゲノムデータと統合されました。血縁関係の推定で1親等もしくは2親等の親族関係が判明した場合は、SNP数のより少ない個体が集団遺伝学的分析から除外されました。
集団遺伝学的分析では、まずPCAが実行されました。PCAでは、ユーラシア全域の82人口集団で構成される主成分と、アジアの50人口集団で構成される主成分が計算され、それらに古代人のゲノムが投影されました。教師無ADMIXTURE分析は、ユーラシア全域の古代人317個体と現代人656個体を対象に行なわれました。ADMIXTURE分析では、K(系統構成要素数)=2~30が各K値について30回実行され、交差検証誤差が最小の最適なK値が決定されました。人口集団のアレル(対立遺伝子)頻度に基づいて、TreeMix第1.13版で移動事象のある最尤系統樹が構築されました。f統計では、アフリカ中央部のムブティ人を外群として、f3(ムブティ人;X、Y)およびf4(ムブティ人、X;Y、Z)で計算されました。qpAdmでは、祖先の供給源が推定され、対象人口集団への遺伝的寄与が定量化されました。潜在的な各供給源集団を用いて、1~3方向の混合事象が施行されました。混合年代の推定にはDATESが用いられ、1世代は28年と仮定されました。
●DNA解析結果
この研究では、陰山山脈とモンゴル高原の南東端に位置する4ヶ所の遺跡で発見された古代人35個体からゲノム規模データの回収に成功し、その内訳は、興隆遺跡から12個体、四台遺跡から13個体、鄭家溝遺跡から8個体、雷公山遺跡から2個体です(図1A)。この35個体のうち10個体の放射性炭素年代の範囲は、較正年代で8821~4956年前(1950年が基準)です(図1B)。これらのうち、22個体の年代範囲は8800~7500年前頃で、前期完新世中国北部の利用可能な古代ゲノムの数は2倍以上となり、モンゴル高原南東部にやけるこの重要な期間の遺伝的歴史の調査について時間的に密なデータセットを提供します。以前に報告された手法に従って、124万SNPパネルを網羅するDNAで濃縮されました[81]。古代DNAの真正性を保証するために、各個体のmtDNAおよび男性ではX染色体について現代人によるDNA汚染率が推定されました。分析の信頼性を高めるために、5%超の推定汚染率および2万ヶ所未満のSNP数の個体は除外され、網羅率0.04~6.16倍とSNP数41814~981727ヶ所の30個体が下流分析に保持されました。以下は本論文の図1です。
●7500年前以前のモンゴル高原における空間的に異なる人口構造
モンゴル高原と隣接するバイカル湖地域やアムール川地域や中国北部は、アジア東部北方における独特な新石器文化の出現の中心地となりました。この地域全体の前期新石器時代のゲノムは、ロシア極東(悪魔の門_N[33]、ボイスマン_MN[38])、アムール川流域(AR14K[40]、AR13-10K[40]、AR9K後[40])、モンゴル高原(北モンゴル_N[38]、東モンゴル_N[38])、バイカル湖地域(シスバイカル_8980-8640年前[35]、シャマンカ_EN[37])にまたがって密接に関連しており、本論文のPCA(図2A)と最尤系統樹(図4B)では一貫したクラスタ(まとまり)を形成します。この広く共有されて遺伝的特性は、以前に定義されたANA祖先系統に対応します[36]。以下は本論文の図2です。
この全体的な類似性にも関わらず、PCAとADMIXTUREと外群f3統計では、モンゴル高原の南部と北部と東部の人口集団間で明確な遺伝的下部構造が検出されました(図2A・Bと図3と図4A)。PCAおよび外群f3クラスタ化(まとまること)では(図2A・Bと図4A)、モンゴル高原南東部(裕民遺跡個体[41]と興隆8.8-7.5kと四台7.6kによって表されます)、東方のロシア極東とアムール川地域(AR14K[40]、AR13-10K[40]、AR9K後[40]、悪魔の門_N[33]、ボイスマン_MN[38]によって示されます)、モンゴル高原北部およびその周辺のバイカル湖地域(おもに、シスバイカル_8980-8640年前[35]、シャマンカ_EN[37]、フォフォノヴォ_EN[36]、北モンゴル_N[38]、東モンゴル_N[38]によって表されます)が、3遺伝的クラスタを形成しました。これはADMIXTUREの結果によって裏づけられ、モンゴル高原の北部および東部集団は、各地域で最大化される明確な祖先構成要素を共有していた、と示されます。対照的に、モンゴル高原南東部集団は、モンゴル高原北部人口集団とアジア東部集団でそれぞれ最大化される二つの祖先構成要素を共有していました。その後、追加の手法を用いて、その遺伝的構造および人口史がより詳しく解明されました。以下は本論文の図3です。
モンゴル高原南東部クラスタの遺伝的特徴と内部の遺伝的関係を調べるために、まずPCAと外群f3クラスタ化が興隆8.8-7.5kと四台7.6kに適用されました。PCA(図2A・B)と外群f3(図4A)の結果から、興隆8.8-7.5kと四台7.6kは密接な遺伝的類似性を共有し、刊行されているアジア東部北方の8400年前頃の裕民遺跡の1個体とクラスタ化する(まとまる)、と示唆され、これは1000回のブートストラップの最尤系統樹(1000回のうち951回)でも確証され、興隆8.8-7.5kおよび四台7.6kと裕民遺跡の1個体との間のかなりの遺伝的類似性および連続性が示唆されます(図4B)。以下は本論文の図4です。
これらの個体が相互と姉妹集団だったのか、あるいは多様な遺伝的構成要素を含んでいたのかどうか、さらに検証するために計算された各f4は、f4(ムブティ人、興隆8.8-7.5k/四台7.6k;他のユーラシア古代人、裕民個体)> 0(4.3 ≤ Z ≤ 59.6)、f4(ムブティ人、裕民個体;他のユーラシア古代人、興隆8.8-7.5k/四台7.6k)> 0(4.3 ≤ Z ≤ 58.8)、f4(ムブティ人、他のユーラシア古代人;裕民個体、興隆8.8-7.5k/四台7.6k)∼ 0(−2.0 ≤ Z ≤ 2.1)となり(図5A)、興隆8.8-7.5kと四台7.6kは刊行されているアジア東部北方の裕民遺跡の1個体とは姉妹集団とみなすことができ、他の人口集団と余分な遺伝的類似性を有していなかった、と論証されます。これを裏づけるように、興隆8.8-7.5kと四台7.6kは両方ともqpAdmにおいて単一の祖先系統供給源として裕民遺跡の1個体で最適にモデル化でき、これらの個体間の共有された共通の祖先系統が示されます。雑穀農耕が裕民文化および四台文化に広がったことを考えて、これらの文化の集団と最古級の既知の雑穀農耕祖先系統(黄河_MN[39])との間の関係が評価され、農耕拡散の根底にある人口動態が調べられました。f4統計では、モンゴル高原南東部集団は他のアジア東部北方人と比較して、黄河農耕民とより高い遺伝的類似性を示さず、つまり、f4(ムブティ人、仰韶文化農耕民;新石器時代アジア東部北方人、興隆8.8-7.5k/四台7.6k)≤ 0(−10.2 ≤ Z ≤ 1.1)です。これらの結果は少なくとも8800年前頃以降における、他の祖先系統の寄与がない、モンゴル高原南東部における高い遺伝的連続性を明らかにします。この祖先系統は、独特なANA祖先系統を表しているアムール川集団とは、異なる遺伝的クラスタを形成します。以下は本論文の図5です。
次に、モンゴル高原北部人口集団と近隣のバイカル湖地域集団によって形成されるクラスタの遺伝的痕跡が調べられました。PCAでは、モンゴル高原南東部人口集団と比較して、モンゴル高原北部人口集団はAPS(ヤクーチア_レナ16900-16450年前[35]やUKY[32]やコリマ[33]によって表されます)およびアムール川集団に向かって逸れています(図2A・B)。モンゴル高原北部とバイカル湖地域の集団のf4統計とqpAdm分析から、前期完新世モンゴル高原南東部祖先系統(29.9%)とアムール川祖先系統(47.6%)の両方が、モンゴル高原北部の最古級の分析された前期完新世新石器時代の1個体であるシスバイカル_8980-8640年前[35]に存在し、APSからの追加の遺伝的寄与(22.5%)がある、と明らかになりました(図6A)。さらに、モンゴル高原北部およびバイカル湖地域の他の集団はすべて、これら3遺伝的祖先系統によってモデル化でき(図6A)、それはアムール川集団からモンゴル高原北部への遺伝子流動を推定するTreeMixによって確証され(図4B)、これは先行研究[42、84]と一致します(モンゴル高原北部的祖先系統と表記されます)。以下は本論文の図6です。
モンゴル高原南東部における標本抽出の増加によって、多様なANA集団を含む新たな遺伝的勾配が特定され、それらの集団間の遺伝的差異が明らかになりました。この勾配はアムール川集団からチベット高原南東部の人口集団まで広がり、モンゴル高原北部とバイカル湖地域のアジア東部北方祖先系統の形成に寄与しました(図2Bおよび図6A)。北方の地域ではモンゴル高原南東部とアムール川地域で見られる祖先系統の出現は、遺伝的にはモンゴル高原の南部と北部とバイカル湖地域を結びつけます。しかし、モンゴル高原の南東部と北部の広範な中間地域にまたがるゲノムデータの不足のため、どの人口集団が直接的にこの過程と関連しているのか、理解することは制約されます。さらに、この地域における1万年以上前のゲノムデータは依然として少なく、LGM後の人口史と前期完新世モンゴル高原南東部祖先系統の出現は、依然としてほぼ解明されていません。それにも関わらず、新たなモンゴル高原南東部のゲノムによって、以前に報告された、モンゴル高原北東部のフルン湖近くのウキ遺跡とジャライノール遺跡の7400年前頃のアムール川(AR)祖先系統集団であるAR_EN[39]が、前期完新世モンゴル高原南東部個体のゲノムへと移動し、本論文で新たに定義された前期完新世モンゴル高原南東部人口集団からアムール川人口集団へと広がる遺伝的勾配に沿っていたことも観察されました(図2Bおよび図3)。同様に、f4統計とqpAdmを用いて、AR_ENの祖先構成要素が再調査されました。その結果、AR_ENは28.7%のAR祖先系統と71.3%のモンゴル高原北部的な祖先系統としてモデル化できる(図6A)、と分かり、モンゴル高原北部およびバイカル湖地域の遺伝的構造の形成における周辺地域からの混合の役割が論証されます。
次に、人口動態をより深く理解するために、混合事象の年代測定が試みられました。シスバイカル_8980-8640年前の遺伝的特性は、モンゴル高原南東部とAPSとARの祖先系統の3方向混合と判断されました。DATESを用いて、この3供給源祖先系統間のすべてのあり得る組み合わせの共同計算によって、混合時期が推定されました。APSをARもしくはモンゴル高原南東部祖先系統と共同計算すると、推定値は代表する人口集団への依拠によって変わりましたが、推定混合年代の範囲は14235~11767年前でした。対照的に、ARをモンゴル高原南東部祖先系統と共同計算すると、11146~9258年前の範囲のより新しい混合年代が得られました。この時間的不一致から、AR祖先系統とモンゴル高原南東部祖先系統は当初、末期更新世に混合し、その後で前期完新世にAPS祖先系統と混合した、と示唆されます。モンゴル高原東部のAR_ENについては、AR祖先系統とモンゴル高原北部的祖先系統を用いて混合時期が推定され、混合年代は11500年前頃までさかのぼる、と分かりました(図5B)。混合時期は、LGMの終焉と、ヤンガー・ドライアス(Younger Dryas)寒冷事象(12900~11700年前頃)に続く前期完新世の温暖化の時期との間のある時点における、モンゴル高原全域のさまざまな人口集団間のヒトの相互作用を示しています。この年代の将来の改訂は、この混合を、気温と湿度の上昇期間、つまり14000~12900年前頃のベーリング・アレレード(Bølling-Allerød)期か、もしくは前期完新世(11700~8200年前頃)の温暖化期と関連づけることができるのかどうか、判断するのに重要になるでしょう。
モンゴル高原とバイカル湖地域における人口集団の混合が末期更新世にさかのぼる、と推定されたため、アフォントヴァ・ゴラ3号(シベリア南部の18000年前頃となるANE[30])とUKY(トランス・バイカル地域のウスチキャフタ3遺跡の14000年前頃のAPSの1個体[32])の遺伝的特性がさらに調べられました。シベリア南部の24000年前頃となるANEの1個体であるマリタ1号と比較して、f4(ムブティ人、モンゴル高原南東部/AR;マリタ1号、アフォントヴァ・ゴラ3号)∼ 0(−0.7 ≤ Z ≤ 1)によって示唆されるように、アフォントヴァ・ゴラ3号はARもしくはモンゴル高原南東部集団との有意に過剰なアレル(対立遺伝子)共有を示しません。対照的にUKYは、16000年前頃のAPSの1個体であるヤクーチア_レナ16900-16450年前[35]と比較すると、ARおよびモンゴル高原南東部集団との有意に過剰なアレル共有を示し、つまりf4(ムブティ人、モンゴル高原南東部/AR;ヤクーチア_レナ16900-16450年前、UKY)> 0(2.6 ≤ Z ≤ 4.9)で、qpAdmでは約87.4%のヤクーチア_レナ16900-16450年前と約12.6%のAR祖先系統の2方向混合としてとして説明できます。UKYで観察された異なる2祖先系統、つまりヤクーチア_レナ16900-16450年前によって表されるAPS祖先系統とAR祖先系統との間の混合は、14000年前頃以前のモンゴル高原に沿った遺伝的拡散の証拠を提供します。
●5700年前頃以前のモンゴル高原南東部における劇的な人口集団の変化
前期完新世モンゴル高原の遺伝的構造は、文化的つながりとの相互作用への知見を提供しました。次に、この構造がその後の中期完新世にどのように展開したのか、調べられました。まず、PCAでは、興隆5.7kは、興隆8.8-7.5kの裕民遺跡個体関連クラスタではなく、モンゴル高原北部およびバイカル湖地域集団のクラスタに収まりました(図2B)。興隆5.7kとヘルレン川南岸およびモンゴル高原北部のノロヴリン・ウール遺跡の8000~6500年前頃の東モンゴル_Nは、最尤系統樹で堅牢なクレード(単系統群)を形成し(ブートストラップの裏づけは1000回のうち836回、図4B)、その強い遺伝的類似性が示唆され、これは外群f3クラスタ化とADMIXTURE分析でも裏づけられました(図3および図4A)。モンゴル高原北部とバイカル湖地域の人口集団では、f4統計でも、興隆5.7kが他の集団よりも東モンゴル_Nの方と有意に多くのアレルを共有していた、と示され、つまり、f4(ムブティ人、興隆5.7k;他集団、東モンゴル_N)≥ 0(1.6 ≤ Z ≤ 53.7)、f4(ムブティ人、東モンゴル_N;他集団、興隆5.7k)≥ 0(−0.1 ≤ Z ≤ 56.0)、f4(ムブティ人、他集団;東モンゴル_N、興隆5.7k)∼ 0(−2.0 ≤ Z ≤ 2.5)です。
さらに、興隆5.7kと東モンゴル_Nは遺伝的に類似した人口集団と示され、qpAdmでは類似の割合で同じ供給源を用いてモデル化できます(図6Aおよび図7B)。このつながりをさらに確認するために、qpAdmで興隆5.7kおよび東モンゴル_Nと同じ3祖先系統供給源を共有していた、モンゴル高原北部とバイカル湖地域の集団の大規模な循環一式がモデル化され、東モンゴル_Nは興隆5.7kの単一供給源として他の集団より優位で(図6Bおよび図7B)、モンゴル高原南東部自体における混合状況ではなく、モンゴル高原の南東部と北東部を結びつける人口置換が裏づけられます。まとめると、これらの観察はモンゴル高原北部からの南方へのヒトの移動が妥当であり、5700年前頃までにモンゴル高原南東部において人口と文化の両方で置換が起きたことを示唆しています。さらに、モンゴル高原南東部に5200年前頃に居住していた廟子溝文化と関連する人口集団(廟子溝_MN)[39]は、先行研究や本論文のPCAおよびADMIXTURE分析では黄河農耕民祖先系統を示しており(図2A・Bおよび図3)、モンゴル高原南東部は5700年前頃以後に劇的な人口変化を経た、と再び示唆されます。以下は本論文の図7です。
以前の遺伝学的研究は西遼河流域の5600年前頃の1個体であるHMMH_MNを、黄河農耕民とAR狩猟採集民の混合として説明しましたが[39]、モンゴル高原南東部の新たな個体群を含めた本論文のPCAでは、HMMH_MNはモンゴル高原南東部集団とAR集団の勾配に位置し(図2B)、モンゴル高原南東部祖先系統に含まれる可能性が示唆されます。f4統計では、HMMH_MNは前期完新世モンゴル高原南東部人口集団と最も多くのアレルを共有しており、つまりは、f4(ムブティ人、HMMH_MN;AR/黄河_MN/他集団、前期完新世モンゴル高原南東部集団)≥ 0(−1.9 ≤ Z ≤ 54.3)です(図7A)。前期完新世モンゴル高原南東部集団と比較すると、HMMH_MNはAR集団およびモンゴル高原北部的集団とより多くのアレルを共有しており、つまりはf4(ムブティ人、シスバイカル_8980-8640年前/悪魔の門_N;モンゴル高原南東部集団、HMMH_MN)> 0(1.5 ≤ Z ≤ 2.8)です。さらに、先行研究[39]とは対照的に、HMMH_MNは黄河農耕民との明らかに遺伝的類似性を示さず、つまりはf4(ムブティ人、黄河_MN/黄河_LN;モンゴル高原南東部集団、HMMH_MN)∼ 0(0.2 ≤ Z ≤ 1.)です。HMMH_MNの遺伝的組成はqpAdmによって65.8%の前期完新世モンゴル高原南東部的祖先系統と34.2%のモンゴル高原北部的祖先系統の混合としてモデル化でき(図6B)、f4統計の結果を確証しており、西遼河流域の西部とモンゴル高原南東部との間の遺伝的つながりが示唆されます。
●モンゴル高原南東部の西遼河紅山文化人口集団との遺伝的つながり
紅山文化の2ヶ所の遺跡、つまり鄭家溝遺跡と雷公山遺跡の古代人のゲノムが新たに配列決定され、モンゴル高原南東部における文化的証拠の根底にある遺伝的動態が調べられました。まず、西遼河流域の以前に報告された5200年前頃の紅山文化集団、つまり西遼河_MN[39]と、5000年前頃のモンゴル高原南東部の紅山文化集団、つまり鄭家溝遺跡および雷公山遺跡の個体群との間の遺伝的類似性が比較されました。PCAと外群f3クラスタ化とTreeMixでは、これら紅山文化の3集団はともにクラスタ化し(図2Bおよび図4A・B)、個体水準のADMIXTURE分析クラスタ化によっても裏づけられる類似性を示します(図3)。さらに、これら紅山文化の3集団はf4統計では最も多くのアレルを共有しており、つまりf4(ムブティ人、紅山文化集団;他集団、紅山文化集団)> 0(0.5 ≤ Z ≤ 48.1)です。統計的分析はさらに、これらの集団を相互との姉妹集団と特定し、f4(ムブティ人、他集団;西遼河_MN、鄭家溝/雷公山個体)∼ 0(−2.4 ≤ Z ≤ 3.8)です。さらに、より古い紅山文化集団(西遼河_MN)は、より新しい紅山文化集団の両方(鄭家溝遺跡および雷公山遺跡個体)について単一供給源人口集団としてモデル化でき(図6Bおよび図7C)、西遼河流域の紅山文化人口集団とモンゴル高原南東部の紅山文化人口集団との間の少なくとも5200~5000年前頃における人口集団のつながりが示唆されます。
紅山文化人口集団と関連するYHg-N1の下位系統の高頻度から、YHg-N1はかつて中国北部全域に広く文武していた、と示唆されます。興味深いことに、新たにゲノムデータが生成された前期完新世モンゴル高原南東部個体群の男性11個体YHgのうち、10個体はYHg-N1で、これは紅山文化関連人口集団の遺伝的起源を示唆しているかもしれない、と分かりました。先行研究では、西遼河の紅山文化集団である西遼河_MN[39]を、AR狩猟採集民と黄河農耕民の混合と特徴づけました。しかし本論文では、紅山文化集団はARおよび黄河関連集団と比較して、前期完新世モンゴル高原南東部集団と過剰なアレルを共有していた、つまり、f4(ムブティ人、紅山文化集団;黄河/AR集団、前期完新世モンゴル高原南東部集団)≥ 0(−1.7 ≤ Z ≤ 4.9)、と分かりました(図7A)。次に、qpAdmが検証され、紅山文化人口集団の遺伝的組成がモデル化され、紅山文化人口集団は前期完新世モンゴル高原南東部祖先系統と中国沿岸部山東半島狩猟採集民祖先系統(アジア東部現代人と関連し、ANA祖先系統とは異なる9500~8000年前頃の人口集団)[41]の2方向混合によって最適にモデル化できる、と分かり(図7C)、8800~7500年前頃のモンゴル高原南東部人口集団によって表される祖先系統が、5200年前頃の西遼河の紅山文化人口集団の遺伝子プールに寄与し、YHg-N1の起源だった可能性が高い、と示唆されます。
●考察
新石器時代アジア東部北方の祖先系統の軌跡に関する本論文の分析は、微細構造の人口動態を明らかにし、この生態学的に多様な地域における異なる先史時代の文化的慣行の拡大の背景にある原動力の解明を可能としました。モンゴル高原南東部全域で共有されている独特な祖先系統が特定され、これは裕民遺跡[41]や興隆8.8-7.5kや四台7.6kでは8800~7500年前頃まで人口集団の安定性を維持していました。しかし、経時的な遺伝的連続性にも関わらず、この祖先系統は雑穀に基づく農耕を異なる強度で行なっていたさまざまな文化と関連していました。モンゴル高原南東部の雑穀農耕は華北平原からもたらされた、と推定されており、華北平原では最古級の栽培化された雑穀が発見されていて、その年代は1万年以上前です。本論文の遺伝学的結果では、この前期完新世の導入は黄河農耕民の流入の結果ではなかった、と示され、人口拡散ではないモデルか、在来の革新が示唆されます。このパターンは、アジア南部[90]やアナトリア半島[91]における農耕の独自発展に関する先行研究で提唱された想定と一致しますが、日本で観察された人口拡散とは対照的です[92]。さらに、本論文の調査結果は、中期完新世におけるこの地域の農耕の広がりの原因を農耕人口集団の拡大とした以前の古ゲノム研究に異議を唱え、異なる機序が前期および中期完新世の段階では作用していた可能性が高い、と示唆されます。
アジア東部北方における主要な祖先系統として、ANA祖先系統は前期~中期完新世においてバイカル湖地域からロシア極東まで広範な地域で優勢でした。しかし、ANA集団内の詳細な人口動態は依然としてよく理解されていません。本論文の詳細な分析は、モンゴル高原南東部やモンゴル高原北部やアムール川流域を含めて、異なる地理的地域に対応するANA人口集団内の下部構造を解明し、ANA集団の遺伝的多様性と混合史に新たな知見を提供します。8800~6500年前頃のモンゴル高原北部およびバイカル湖地域の人口集団は、APS祖先系統とともに、前期完新世モンゴル高原南東部祖先系統およびAR祖先系統と遺伝的構成要素を共有していました。これらの混合事象は14200~11700年前頃に少なくとも異なる2段階で起きた可能性が高い、と推定され、それは、末期更新世におけるAR祖先系統とモンゴル高原南東部祖先系統との間の最初の混合と、それに続く、前期完新世におけるAPS祖先系統とのその後の混合段階です。この末期更新世の混合は、AR祖先系統からトランス・バイカル地域の14000年前頃のUKY個体への遺伝的寄与[32]によって、さらに裏づけられます。
7300年前頃までのモンゴル高原北部的な祖先系統からAR人口集団(AR_EN)への遺伝子流動[39]とともに、これらの遺伝的相互作用事象は、モンゴル高原の遺伝的景観を形成し、アジア東部の遺伝的先史時代への新たな知見を提供します。以前の古ゲノム研究は、ANA祖先系統として知られている、前期完新世アジア東部で共有されていた祖先系統を特定してきました[35~38]。本論文の分析は、ANA集団内の詳細な人口構造を明らかにし、混合が共有された遺伝的痕跡の形成に中心的な役割を果たした、と論証します。mtDNAとY染色体[94]に関する以前の系統発生研究はアジア北東部全域のLGM後の人口拡散を示唆してきており、本論文は、この想定を裏づける、ゲノム規模の証拠をさらに滞京します。さらに、前期完新世におけるAPS祖先系統との裕民遺跡個体的祖先系統およびAR祖先系統との間で観察された混合から、APS関連人口集団はシベリア南部からモンゴル北部の広範な地域にわたってこの期間に存続していた、と示唆されます。これまでに、既知の最新のAPS人口集団は、シベリア北東部の1万年前頃のコリマ個体によって表されます[33]。本論文の調査結果からさらに、APS人口集団は前期完新世においてシベリアに依然に認識されていたよりもずっと広く分布していたかもしれない、と示唆されます。
モンゴル高原における広範な混合は、LGM後の細石刃技術の広範な拡散にも妥当な背景を提供します。この石器技術は、アジア北東部全域の狩猟採集民で観察された技術的傾向と一致し、おもにこの技術の出現によって特徴づけられます。この技術的拡大は考古学的研究では人口拡大と関連づけられてきており、本論文において末期更新世のアジア北東部で特定された混合事象は、細石刃の拡散を伴う、LGM後の人口統計学的拡大を裏づけます。考古学的研究は、ゴビ砂漠における細石刃遺跡の年表に基づいて、LGM後の気候改善の開始に伴う砂漠地域への再拡大を示唆してきました。本論文の遺伝学的結果から、ゴビ砂漠の南東に位置するモンゴル高原南東部の祖先系統は末期更新世にAR祖先系統と混合した、と示唆されます。ゴビ砂漠の北側に位置するモンゴル高原北部とバイカル湖地域の人口集団でたどれたこの混合の遺伝的遺産の分布から、この混合はゴビ地域で起きて、モンゴル高原全域に拡大した可能性が高い、と示唆されます。このパターンは、より広範な地域へのLGM後の再拡大との仮説を裏づけます。細石刃技術の共有された要素に基づいて、一部の考古学者は、LGMの期間およびその後における中国北東部と中国北部との間の人口集団の接触を亭ア称してきました。本論文で特定された前期完新世モンゴル高原南東部祖先系統とAR祖先系統との間の混合は、このLGM後の接触を裏づける、遺伝学的証拠を提供します。15500年前頃にトランス・バイカルで見られる細石刃技術の出現頻度増加は、ベーリング・アレレード期の移住事象に起因するとされてきており、本論文で検出されたトランス・バイカルの14000年前頃のUKY個体におけるAR祖先系統の遺伝的混合は、この仮説の裏づけとなるヒトの接触に関する直接的証拠を提供します。
本論文の遺伝学的結果は、新石器時代の土器の相互作用にも光を当てました。考古学者はアジア東部の広範な地域にまたがって共有される土器伝統を特定してきており、それには中国北部やモンゴルやバイカル湖地域やアムール川地域が含まれます。本論文で見つかったこれらの地域にわたる人口集団の接触は、こうした共有された特徴を促進したかもしれません。具体的には、前期完新世モンゴル高原南東部の裕民文化とバイカル湖地域の文化との間の土器様式の類似性に基づいて、裕民文化はバイカル流域に起源があった、との提唱もありました。しかし、裕民文化の祖先系統(裕民、興隆8.8-7.5k)からバイカル湖地域への遺伝子流動はこの解釈に異議を唱え、文化拡散のより複雑な状況を示唆しています。裕民文化の土器伝統は、モンゴル高原南東部では7000年前頃以後に突然消滅しました。
同じ場所でも、より新しい興隆遺跡遺骸(興隆5.7k)は裕民文化の興隆8.8-7.5kとは顕著に異なっており、高度に遊動的な生活様式を採用した可能性が高そうです。遺伝学的に、興隆5.7kはそれ以前の興隆遺跡個体群で観察された連続性を維持せず、むしろモンゴル高原北東部の東モンゴル_Nとの人口類似性を示しました。この地域における8800~7500年前頃から5700年前頃にかけての文化的および遺伝的変化の同時発生から、人口置換がここで観察された顕著な文化的変容に寄与したかもしれない、と示唆されます。しかし、この仮説の検証にさらなる研究が必要なのは、現時点では興隆5.7kの2個体のみに基づいているからです。対照的に、裕民文化は少なくとも5000年前頃までに西遼河流域へと東方に広がっていました。5600年前頃のハミンマンガ遺跡(HMMH_MN)の土器は、裕民文化と関連する文化的特徴を示していました。本論文においてHMMH_MNで見つかった裕民文化関連祖先系統の遺伝的遺産から、裕民文化と関連する人口集団は遺伝と文化の両方でハミンマンガ文化の形成に寄与したかもしれない、と示唆されます。
さらに、本論文の遺伝学的調査結果は、新石器時代翡翠文化の背景にある人口動態への知見を提供します。ハミンマンガ遺跡における穿孔技術は、その類似性に基づいてバイカル湖地域に由来する、と提案されました。ハミンマンガ遺跡の人々の遺伝的特性(HMMH_MN)の約34%(シスバイカル_8980-8640年前によって表されます)を占める、バイカル湖地域およびモンゴル高原北部にまたがる祖先系統が見つかりました。HMMH_MNにおけるこの祖先系統の実際の供給源は、バイカル湖地域とモンゴル高原北部にまたがる広範な地域に由来するかもしれませんが、この遺伝的組成はこれらの地域と西遼河流域との間の人口集団の接触を示唆しており、翡翠製人工遺物に基づく文化的拡散の観察を裏づけます。さらに、中国の主要な翡翠文化である紅山文化と関連する人口集団の遺伝的起源と拡散は、依然として不明で議論になっています。本論文では、西遼河流域の5200年前頃の紅山文化人口集団(西遼河_MN)が、モンゴル高原南東縁の5000年前頃の人口集団(鄭家溝遺跡と雷公山遺跡)と同じ祖先系統を共有している、と示されます。
考古学的証拠は、紅山文化関連の翡翠と積石墓の南方への拡大を通じて、これらの人口集団を結びつけます。本論文で観察されるこれらの集団間の遺伝的連続性はこの解釈を裏づけており、それは別のゲノム研究[98]と一致し、この南方への文化拡散は西遼河流域からモンゴル高原南東部への人口移動と関連しているかもしれない、と示唆されます。西遼河流域の紅山文化の遺伝的起源に関して、いくつかの仮説が提唱されてきました。紅山文化関連人口集団における高頻度のYHg-N1は、アジア北東部もしくは新石器時代の前の西遼河地域起源の推測に用いられました。ゲノム研究は、さまざまな参照パネルに基づいて、紅山文化人口集団の祖先系統を、黄河農耕民およびAR狩猟採集民[39]、もしくは新石器時代モンゴル狩猟採集民[98]との混合として、推測してきました。より信頼できる代理祖先系統供給源に基づく本論文では、前期完新世モンゴル高原南東部人口集団が紅山文化の形成に重要な役割を果たし、それは高頻度のYHg-N1も説明する、と分かりました。前期新石器時代山東半島狩猟採集民の祖先系統が紅山文化関連集団に大きく寄与したことも分かりましたが、黄河祖先系統および他のANA祖先系統から紅山文化人口集団への遺伝的流入も依然としてあり得ます。
モンゴル高原南東部の先史時代の人口動態の再構築と、その周辺地域との遺伝的つながりの解明によって、末期更新世から中期完新世にかけて作物と文化と技術と遺伝子の交換の中心だった、アジアの東部および北東部にまたがる複雑なヒトの相互作用が明らかになりました。この地域に居住する集団間では、人口集団と文化の相互作用のさまざまなモデルが特定されました。広範な人口拡散に加えて、非人工的な文化伝播もこの地域では起きました。これらの相互作用は、この期間を通じての細石刃製作や土器伝統や翡翠工芸など文化的慣行の背景にある、複雑なヒトの人口動態を明らかにします。それにも関わらず、古代ゲノムデータにおけるかなりの年代的および地理的空版が残っています。現時点の調査結果に基づくと、前期完新世モンゴル高原南東部祖先系統はモンゴル高原に広く分布していたかもしれず、アジアの東部および北東部のこの祖先系統とAR地域の祖先系統との間の遺伝的勾配の確立の時期は、利用可能なデータからは判断できず、人口集団の先史時代とこれらの祖先のつながりの意味の解明には、さらなる学際的研究が必要と浮き彫りになります。結論として、本論文の古ゲノム調査は、アジア東部全域における人口動態と文化動態との間の多面的な相互作用に新たな知見を提供します。
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以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)、LGM(Last Glacial Maximum、最終氷期極大期)、DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)、K(kilo years ago、千年前)、ANE(Ancient Northern Eurasian、古代北ユーラシア人)、APS(Ancient Paleo-Siberian、旧シベリア古代人)、ANA(Ancient Northeast Asian、アジア北東部古代人)、MP(Mongolian Plateau、モンゴル高原)、AR(Amur River、アムール川)です。
以下の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)です。本論文で取り上げられる主要な地名は、ヤクーチア(Yakutia、サハ共和国)、レナ(Lena)川、コリマ川(Kolyma River)、大興安嶺(Great Khingan)山脈、陰山山脈(Yin Mountains)、ヘルレン川(Kherlen River)、フルン湖(Hulun Lake)です。本論文で取り上げられる主要な文化は、紅山(Hongshan)文化、仰韶(Yangshao)文化、フォフォノヴォ(Fofonovo)文化です。
本論文で取り上げられる主要なモンゴルの遺跡は、南部の興隆(Xinglong)遺跡と裕民(Yumin)遺跡とウキ(Wuqi)遺跡とジャライノール(Zhalainuoer)遺跡と廟子溝(Miaozigou)遺跡とハミンマンガ(Haminmangha、略してHMMH)遺跡、北部のノロヴリン・ウール(Norovlin Uul)遺跡です。本論文で取り上げられる主要な中国の遺跡は、河北省の鄭家溝(Zhengjiagou)遺跡と四台(Sitai)遺跡と雷公山(Leigongshan、漢字表記を検索しても確証を得ることができず、GrokとGeminiで一致した表記を採用します)遺跡です。本論文で取り上げられるそれ以外の主要な遺跡は、ロシア極東沿岸の悪魔の門洞窟(Devil’s Gate Cave、Chertovy Vorota)遺跡とボイスマン(Boisman)遺跡、バイカル湖地域のシャマンカ(Shamanka)遺跡とウスチキャフタ3(Ust-Kyakhta-3、略してUKY)遺跡、シベリア南部のマリタ(Malta)遺跡、エニセイ川流域の16000年前頃のアフォントヴァ・ゴラ(Afontova Gora)遺跡です。
●要約
アジア東部の草原地帯および平原とアジア東部北方の河川流域を隔てる山岳地域にまたがる集団間の文化および物質の交換は、旧石器時代以降記録されてきましたが、これらの相互作用が戦時時代の人口動態をどの程度反映しているのかは不明です。8800~5000年前頃にまたがるモンゴル高原南東部の古代人35個体の配列決定および分析によって、モンゴル高原南東部の前期完新世人口集団は共通の祖先系統を有していた、と分かりました。完新世の前の草原地帯人口集団において優勢で、LGM後の細石刃の拡散と関連していたかもしれないこの祖先系統は、7500~5700年前頃の間までモンゴル高原南東部において存続し、その期間にこの祖先系統は紅山文化と関連する西遼河流域人口集団に寄与した、と示されました。前期完新世モンゴル高原南東部祖先系統の連続性はその後、モンゴル高原北東部と西遼河両方の紅山文化人口集団からの遺伝的影響によって途絶え、これは5700~5000年前頃の間の文化拡散と一致します。これらは、LGMと中期完新世の間における、東方草原地帯に沿った複雑な遺伝的および文化的相互作用を明らかにしました。
●研究史
LGM(26500~19000年前頃)後に、末期更新世から完新世にかけての気候温暖化および居住環境改善に伴って、人口が増加しました。シベリアと中国北部とモンゴルとバイカル湖地域における末期更新世の考古学的遺跡の急増は、ヒトの居住強化の証拠を提供し、アジア東部人の人口統計学的歴史における重要な段階を表しています。LGM後に、変化する環境への適応的利点を有してアジア北東部全域に広がった細石刃技術は、この期間において重要な役割を果たし、LGM後のユーラシア東部におけるヒトの動態の推測に広く用いられてきました。細石刃の年代に基づいて、15000年前頃となるトランス・バイカル地域へのヒトの拡大を提案した学者もいた一方で、LGMの前後における中国の北東部と北部との間の人口集団接触の2回の事象を提案した学者もいました。さらなる仮説には、アジア北東部および東部全域の文化的および人口統計学的交流の重要な経路としての、ゴビ砂漠とモンゴルの役割が含まれています。その後の完新世には、環境条件の連続的改善が人口集団の拡大および農耕と土器の採用によっておもに特徴づけられる新石器文化の台頭を支えました。
雑穀の利用はゴビ砂漠頭部において早くも7600年前頃、ユーラシア東部草原地帯において6700~6100年前頃にまでさかのぼり、両者とも中国北部からもたらされた可能性が高そうです。アジア東部全域での共有された土器様式を特定した研究もありますが、バイカル湖地域と中国北東部との間や、アムール川地域からトランス・バイカル地域までの特定の土器の影響を示唆した研究もあります。さらに、アジア北東部における翡翠(軟玉)の起源と拡散は依然として議論になっていますが、一部の考古学者は、ロシア極東とバイカル湖地域と中国北東部の軟玉製人工遺物における類似性を見つけました。要するに、アジア東部における細石刃技術の拡散と新石器化の過程と文化的相互作用は、考古学的研究の中心的主題で、依然として進行中の議題です。
これら長期の文化的相互作用は、アジア東部北方における過去の人口接触を示しています。最近の古ゲノム研究も、これらの人口動態に新たな知見を提供してきました。LGMの終焉に伴い、モンゴル高原からシベリア南部の先行研究では、繰り返しの人口集団の変化が提案されてきました。これらの変化は、末期更新世から前期完新世にかけてシベリアに存在し、現在のアメリカ大陸先住民に寄与して、ANEとアジア東部古代人との間の混合によって形成された、APS祖先系統を有する人口集団[32~35]による、アジア東部現代人から深く分岐した系統で24000~14700年前頃にシベリア南部全域に分布していたANE祖先系統[30、31]を有する人口集団の置換として説明されたことが多くなっています。
完新世には、アジア東部北方の現代人と密接に関連するANA祖先系統の豊富な人口集団が、この地域で優勢になりました[35~38]。対照的に、アムール川地域はANA祖先系統人口集団の長期の遺伝的連続性を示しました[39、40]。モンゴル高原とアムール川地域のさらに南側では、モンゴル高原南東部の8400年前頃の1個体もANA祖先系統を示しており[41]、ANA祖先系統がこの期間に広範な地理的地域で優勢な遺伝的構成要素だった、と示唆されます。これらの遺伝学的知見にも関わらず、この地域の文化的相互作用の根底にある人口史は依然として理解が乏しく、これはおもに多様な祖先集団間の関係を調べた遺伝学的研究が限られていることに起因します。別の研究では、これら多様なANA祖先系統の人口集団が複雑な遺伝的つながりを共有していた、と分かり、アジア東部北方の文化的相互作用の根底にある遺伝的歴史と人口動態を解明するための、この地域における詳細な古代ゲノム研究の必要性が浮き彫りになります。
モンゴル高原南東部は陰山山脈が大興安嶺山脈と合流する地点の北西に位置し、大興安嶺山脈はモンゴル高原を、北方ではアムール川地域と、東方では西遼河流域と、南方では黄河流域とつないでいます。これらの地域間の地理的交差点として、興隆遺跡や四台遺跡や鄭家溝遺跡や雷公山遺跡によって表されるように、モンゴル高原南東部には多様な文化が出現しました。後期旧石器時代には、興隆遺跡と四台遺跡では、モンゴル高原やバイカル湖地域や中国北部で見つかった石器群と類似した細石刃群が発見されました。前期完新世(11600~7000年前頃)には、新石器文化がこれらの遺跡で出現しました。興隆遺跡は、裕民遺跡でも見られ、8800~7000年前頃までモンゴル高原南東部全域に分布していた裕民文化と関連していました。四台遺跡は、裕民文化と異なっていた独特な物質遺物群を示し、四台文化と呼ばれており、その年代は7740~7650年前頃です。アジア東部全域で共有される土器伝統に加えて、一部の考古学的研究は、共有されている土器様式に基づいて裕民文化とバイカル湖地域との間のつながりを示唆してきました。キビ(Panicum miliaceum)とアワ(Setaria italica)の遺物は、興隆遺跡と四台遺跡で発掘された農耕具とともに、採食から最初のおよびその後のより発展した農耕慣行への移行を記録しており、これは華北平原からの農耕拡大を反映している可能性が高そうです。その後の中期完新世(7000~5000年前頃)には、四台遺跡はバイカル湖地域と土器の類似性を共有していましたが、鄭家溝遺跡と雷公山遺跡は西遼河流域の紅山文化との、とくに独特な翡翠人工遺物および積石墓で、強い文化的類似性を示しました。
これらの広範な文化的つながりは、アジア東部北方における文化的拡散の根底にある人口史を研究するための、重要な地域としてのモンゴル高原南東部を浮き彫りにします。しかし、この期間および地域の遺伝的データの不足は、先史時代人口集団に関するこれらの相互作用の遺伝的結果の理解を妨げます。前期完新世は人口増加と新石器化の重要な期間を表していますが、中国北部から報告されてきた前期完新世のゲノムは、モンゴル高原南東部のわずか1点[41]とアムール川流域の18点[39、40]を含めて、わずか19点です。モンゴル高原南東部とその周辺地域の人口集団の相互作用を解明し、モンゴル高原南東部における文化資料の起源に取り組むために、モンゴル高原南東部とその近隣地域の人口集団間の相互作用圏から、新石器時代のゲノムの時系列が生成されました。
●資料と手法
35個体の人骨からDNAが抽出され、mtDNAで汚染率が推定されるとともに、男性ではX染色体でも汚染率が推定されて、古代ゲノムデータの真正性が検証されました。mtDNAもしくはX染色体のどちらかで汚染率が5%超だった場合は、汚染データとみなされ、以後の遺伝子型決定から除外されました。性染色体の読み取り比から遺伝学的性別が決定され、mtHgとYHgも分類されました。これら古代人のゲノムデータは、世界中の現代人115集団のゲノムデータと統合されました。血縁関係の推定で1親等もしくは2親等の親族関係が判明した場合は、SNP数のより少ない個体が集団遺伝学的分析から除外されました。
集団遺伝学的分析では、まずPCAが実行されました。PCAでは、ユーラシア全域の82人口集団で構成される主成分と、アジアの50人口集団で構成される主成分が計算され、それらに古代人のゲノムが投影されました。教師無ADMIXTURE分析は、ユーラシア全域の古代人317個体と現代人656個体を対象に行なわれました。ADMIXTURE分析では、K(系統構成要素数)=2~30が各K値について30回実行され、交差検証誤差が最小の最適なK値が決定されました。人口集団のアレル(対立遺伝子)頻度に基づいて、TreeMix第1.13版で移動事象のある最尤系統樹が構築されました。f統計では、アフリカ中央部のムブティ人を外群として、f3(ムブティ人;X、Y)およびf4(ムブティ人、X;Y、Z)で計算されました。qpAdmでは、祖先の供給源が推定され、対象人口集団への遺伝的寄与が定量化されました。潜在的な各供給源集団を用いて、1~3方向の混合事象が施行されました。混合年代の推定にはDATESが用いられ、1世代は28年と仮定されました。
●DNA解析結果
この研究では、陰山山脈とモンゴル高原の南東端に位置する4ヶ所の遺跡で発見された古代人35個体からゲノム規模データの回収に成功し、その内訳は、興隆遺跡から12個体、四台遺跡から13個体、鄭家溝遺跡から8個体、雷公山遺跡から2個体です(図1A)。この35個体のうち10個体の放射性炭素年代の範囲は、較正年代で8821~4956年前(1950年が基準)です(図1B)。これらのうち、22個体の年代範囲は8800~7500年前頃で、前期完新世中国北部の利用可能な古代ゲノムの数は2倍以上となり、モンゴル高原南東部にやけるこの重要な期間の遺伝的歴史の調査について時間的に密なデータセットを提供します。以前に報告された手法に従って、124万SNPパネルを網羅するDNAで濃縮されました[81]。古代DNAの真正性を保証するために、各個体のmtDNAおよび男性ではX染色体について現代人によるDNA汚染率が推定されました。分析の信頼性を高めるために、5%超の推定汚染率および2万ヶ所未満のSNP数の個体は除外され、網羅率0.04~6.16倍とSNP数41814~981727ヶ所の30個体が下流分析に保持されました。以下は本論文の図1です。
●7500年前以前のモンゴル高原における空間的に異なる人口構造
モンゴル高原と隣接するバイカル湖地域やアムール川地域や中国北部は、アジア東部北方における独特な新石器文化の出現の中心地となりました。この地域全体の前期新石器時代のゲノムは、ロシア極東(悪魔の門_N[33]、ボイスマン_MN[38])、アムール川流域(AR14K[40]、AR13-10K[40]、AR9K後[40])、モンゴル高原(北モンゴル_N[38]、東モンゴル_N[38])、バイカル湖地域(シスバイカル_8980-8640年前[35]、シャマンカ_EN[37])にまたがって密接に関連しており、本論文のPCA(図2A)と最尤系統樹(図4B)では一貫したクラスタ(まとまり)を形成します。この広く共有されて遺伝的特性は、以前に定義されたANA祖先系統に対応します[36]。以下は本論文の図2です。
この全体的な類似性にも関わらず、PCAとADMIXTUREと外群f3統計では、モンゴル高原の南部と北部と東部の人口集団間で明確な遺伝的下部構造が検出されました(図2A・Bと図3と図4A)。PCAおよび外群f3クラスタ化(まとまること)では(図2A・Bと図4A)、モンゴル高原南東部(裕民遺跡個体[41]と興隆8.8-7.5kと四台7.6kによって表されます)、東方のロシア極東とアムール川地域(AR14K[40]、AR13-10K[40]、AR9K後[40]、悪魔の門_N[33]、ボイスマン_MN[38]によって示されます)、モンゴル高原北部およびその周辺のバイカル湖地域(おもに、シスバイカル_8980-8640年前[35]、シャマンカ_EN[37]、フォフォノヴォ_EN[36]、北モンゴル_N[38]、東モンゴル_N[38]によって表されます)が、3遺伝的クラスタを形成しました。これはADMIXTUREの結果によって裏づけられ、モンゴル高原の北部および東部集団は、各地域で最大化される明確な祖先構成要素を共有していた、と示されます。対照的に、モンゴル高原南東部集団は、モンゴル高原北部人口集団とアジア東部集団でそれぞれ最大化される二つの祖先構成要素を共有していました。その後、追加の手法を用いて、その遺伝的構造および人口史がより詳しく解明されました。以下は本論文の図3です。
モンゴル高原南東部クラスタの遺伝的特徴と内部の遺伝的関係を調べるために、まずPCAと外群f3クラスタ化が興隆8.8-7.5kと四台7.6kに適用されました。PCA(図2A・B)と外群f3(図4A)の結果から、興隆8.8-7.5kと四台7.6kは密接な遺伝的類似性を共有し、刊行されているアジア東部北方の8400年前頃の裕民遺跡の1個体とクラスタ化する(まとまる)、と示唆され、これは1000回のブートストラップの最尤系統樹(1000回のうち951回)でも確証され、興隆8.8-7.5kおよび四台7.6kと裕民遺跡の1個体との間のかなりの遺伝的類似性および連続性が示唆されます(図4B)。以下は本論文の図4です。
これらの個体が相互と姉妹集団だったのか、あるいは多様な遺伝的構成要素を含んでいたのかどうか、さらに検証するために計算された各f4は、f4(ムブティ人、興隆8.8-7.5k/四台7.6k;他のユーラシア古代人、裕民個体)> 0(4.3 ≤ Z ≤ 59.6)、f4(ムブティ人、裕民個体;他のユーラシア古代人、興隆8.8-7.5k/四台7.6k)> 0(4.3 ≤ Z ≤ 58.8)、f4(ムブティ人、他のユーラシア古代人;裕民個体、興隆8.8-7.5k/四台7.6k)∼ 0(−2.0 ≤ Z ≤ 2.1)となり(図5A)、興隆8.8-7.5kと四台7.6kは刊行されているアジア東部北方の裕民遺跡の1個体とは姉妹集団とみなすことができ、他の人口集団と余分な遺伝的類似性を有していなかった、と論証されます。これを裏づけるように、興隆8.8-7.5kと四台7.6kは両方ともqpAdmにおいて単一の祖先系統供給源として裕民遺跡の1個体で最適にモデル化でき、これらの個体間の共有された共通の祖先系統が示されます。雑穀農耕が裕民文化および四台文化に広がったことを考えて、これらの文化の集団と最古級の既知の雑穀農耕祖先系統(黄河_MN[39])との間の関係が評価され、農耕拡散の根底にある人口動態が調べられました。f4統計では、モンゴル高原南東部集団は他のアジア東部北方人と比較して、黄河農耕民とより高い遺伝的類似性を示さず、つまり、f4(ムブティ人、仰韶文化農耕民;新石器時代アジア東部北方人、興隆8.8-7.5k/四台7.6k)≤ 0(−10.2 ≤ Z ≤ 1.1)です。これらの結果は少なくとも8800年前頃以降における、他の祖先系統の寄与がない、モンゴル高原南東部における高い遺伝的連続性を明らかにします。この祖先系統は、独特なANA祖先系統を表しているアムール川集団とは、異なる遺伝的クラスタを形成します。以下は本論文の図5です。
次に、モンゴル高原北部人口集団と近隣のバイカル湖地域集団によって形成されるクラスタの遺伝的痕跡が調べられました。PCAでは、モンゴル高原南東部人口集団と比較して、モンゴル高原北部人口集団はAPS(ヤクーチア_レナ16900-16450年前[35]やUKY[32]やコリマ[33]によって表されます)およびアムール川集団に向かって逸れています(図2A・B)。モンゴル高原北部とバイカル湖地域の集団のf4統計とqpAdm分析から、前期完新世モンゴル高原南東部祖先系統(29.9%)とアムール川祖先系統(47.6%)の両方が、モンゴル高原北部の最古級の分析された前期完新世新石器時代の1個体であるシスバイカル_8980-8640年前[35]に存在し、APSからの追加の遺伝的寄与(22.5%)がある、と明らかになりました(図6A)。さらに、モンゴル高原北部およびバイカル湖地域の他の集団はすべて、これら3遺伝的祖先系統によってモデル化でき(図6A)、それはアムール川集団からモンゴル高原北部への遺伝子流動を推定するTreeMixによって確証され(図4B)、これは先行研究[42、84]と一致します(モンゴル高原北部的祖先系統と表記されます)。以下は本論文の図6です。
モンゴル高原南東部における標本抽出の増加によって、多様なANA集団を含む新たな遺伝的勾配が特定され、それらの集団間の遺伝的差異が明らかになりました。この勾配はアムール川集団からチベット高原南東部の人口集団まで広がり、モンゴル高原北部とバイカル湖地域のアジア東部北方祖先系統の形成に寄与しました(図2Bおよび図6A)。北方の地域ではモンゴル高原南東部とアムール川地域で見られる祖先系統の出現は、遺伝的にはモンゴル高原の南部と北部とバイカル湖地域を結びつけます。しかし、モンゴル高原の南東部と北部の広範な中間地域にまたがるゲノムデータの不足のため、どの人口集団が直接的にこの過程と関連しているのか、理解することは制約されます。さらに、この地域における1万年以上前のゲノムデータは依然として少なく、LGM後の人口史と前期完新世モンゴル高原南東部祖先系統の出現は、依然としてほぼ解明されていません。それにも関わらず、新たなモンゴル高原南東部のゲノムによって、以前に報告された、モンゴル高原北東部のフルン湖近くのウキ遺跡とジャライノール遺跡の7400年前頃のアムール川(AR)祖先系統集団であるAR_EN[39]が、前期完新世モンゴル高原南東部個体のゲノムへと移動し、本論文で新たに定義された前期完新世モンゴル高原南東部人口集団からアムール川人口集団へと広がる遺伝的勾配に沿っていたことも観察されました(図2Bおよび図3)。同様に、f4統計とqpAdmを用いて、AR_ENの祖先構成要素が再調査されました。その結果、AR_ENは28.7%のAR祖先系統と71.3%のモンゴル高原北部的な祖先系統としてモデル化できる(図6A)、と分かり、モンゴル高原北部およびバイカル湖地域の遺伝的構造の形成における周辺地域からの混合の役割が論証されます。
次に、人口動態をより深く理解するために、混合事象の年代測定が試みられました。シスバイカル_8980-8640年前の遺伝的特性は、モンゴル高原南東部とAPSとARの祖先系統の3方向混合と判断されました。DATESを用いて、この3供給源祖先系統間のすべてのあり得る組み合わせの共同計算によって、混合時期が推定されました。APSをARもしくはモンゴル高原南東部祖先系統と共同計算すると、推定値は代表する人口集団への依拠によって変わりましたが、推定混合年代の範囲は14235~11767年前でした。対照的に、ARをモンゴル高原南東部祖先系統と共同計算すると、11146~9258年前の範囲のより新しい混合年代が得られました。この時間的不一致から、AR祖先系統とモンゴル高原南東部祖先系統は当初、末期更新世に混合し、その後で前期完新世にAPS祖先系統と混合した、と示唆されます。モンゴル高原東部のAR_ENについては、AR祖先系統とモンゴル高原北部的祖先系統を用いて混合時期が推定され、混合年代は11500年前頃までさかのぼる、と分かりました(図5B)。混合時期は、LGMの終焉と、ヤンガー・ドライアス(Younger Dryas)寒冷事象(12900~11700年前頃)に続く前期完新世の温暖化の時期との間のある時点における、モンゴル高原全域のさまざまな人口集団間のヒトの相互作用を示しています。この年代の将来の改訂は、この混合を、気温と湿度の上昇期間、つまり14000~12900年前頃のベーリング・アレレード(Bølling-Allerød)期か、もしくは前期完新世(11700~8200年前頃)の温暖化期と関連づけることができるのかどうか、判断するのに重要になるでしょう。
モンゴル高原とバイカル湖地域における人口集団の混合が末期更新世にさかのぼる、と推定されたため、アフォントヴァ・ゴラ3号(シベリア南部の18000年前頃となるANE[30])とUKY(トランス・バイカル地域のウスチキャフタ3遺跡の14000年前頃のAPSの1個体[32])の遺伝的特性がさらに調べられました。シベリア南部の24000年前頃となるANEの1個体であるマリタ1号と比較して、f4(ムブティ人、モンゴル高原南東部/AR;マリタ1号、アフォントヴァ・ゴラ3号)∼ 0(−0.7 ≤ Z ≤ 1)によって示唆されるように、アフォントヴァ・ゴラ3号はARもしくはモンゴル高原南東部集団との有意に過剰なアレル(対立遺伝子)共有を示しません。対照的にUKYは、16000年前頃のAPSの1個体であるヤクーチア_レナ16900-16450年前[35]と比較すると、ARおよびモンゴル高原南東部集団との有意に過剰なアレル共有を示し、つまりf4(ムブティ人、モンゴル高原南東部/AR;ヤクーチア_レナ16900-16450年前、UKY)> 0(2.6 ≤ Z ≤ 4.9)で、qpAdmでは約87.4%のヤクーチア_レナ16900-16450年前と約12.6%のAR祖先系統の2方向混合としてとして説明できます。UKYで観察された異なる2祖先系統、つまりヤクーチア_レナ16900-16450年前によって表されるAPS祖先系統とAR祖先系統との間の混合は、14000年前頃以前のモンゴル高原に沿った遺伝的拡散の証拠を提供します。
●5700年前頃以前のモンゴル高原南東部における劇的な人口集団の変化
前期完新世モンゴル高原の遺伝的構造は、文化的つながりとの相互作用への知見を提供しました。次に、この構造がその後の中期完新世にどのように展開したのか、調べられました。まず、PCAでは、興隆5.7kは、興隆8.8-7.5kの裕民遺跡個体関連クラスタではなく、モンゴル高原北部およびバイカル湖地域集団のクラスタに収まりました(図2B)。興隆5.7kとヘルレン川南岸およびモンゴル高原北部のノロヴリン・ウール遺跡の8000~6500年前頃の東モンゴル_Nは、最尤系統樹で堅牢なクレード(単系統群)を形成し(ブートストラップの裏づけは1000回のうち836回、図4B)、その強い遺伝的類似性が示唆され、これは外群f3クラスタ化とADMIXTURE分析でも裏づけられました(図3および図4A)。モンゴル高原北部とバイカル湖地域の人口集団では、f4統計でも、興隆5.7kが他の集団よりも東モンゴル_Nの方と有意に多くのアレルを共有していた、と示され、つまり、f4(ムブティ人、興隆5.7k;他集団、東モンゴル_N)≥ 0(1.6 ≤ Z ≤ 53.7)、f4(ムブティ人、東モンゴル_N;他集団、興隆5.7k)≥ 0(−0.1 ≤ Z ≤ 56.0)、f4(ムブティ人、他集団;東モンゴル_N、興隆5.7k)∼ 0(−2.0 ≤ Z ≤ 2.5)です。
さらに、興隆5.7kと東モンゴル_Nは遺伝的に類似した人口集団と示され、qpAdmでは類似の割合で同じ供給源を用いてモデル化できます(図6Aおよび図7B)。このつながりをさらに確認するために、qpAdmで興隆5.7kおよび東モンゴル_Nと同じ3祖先系統供給源を共有していた、モンゴル高原北部とバイカル湖地域の集団の大規模な循環一式がモデル化され、東モンゴル_Nは興隆5.7kの単一供給源として他の集団より優位で(図6Bおよび図7B)、モンゴル高原南東部自体における混合状況ではなく、モンゴル高原の南東部と北東部を結びつける人口置換が裏づけられます。まとめると、これらの観察はモンゴル高原北部からの南方へのヒトの移動が妥当であり、5700年前頃までにモンゴル高原南東部において人口と文化の両方で置換が起きたことを示唆しています。さらに、モンゴル高原南東部に5200年前頃に居住していた廟子溝文化と関連する人口集団(廟子溝_MN)[39]は、先行研究や本論文のPCAおよびADMIXTURE分析では黄河農耕民祖先系統を示しており(図2A・Bおよび図3)、モンゴル高原南東部は5700年前頃以後に劇的な人口変化を経た、と再び示唆されます。以下は本論文の図7です。
以前の遺伝学的研究は西遼河流域の5600年前頃の1個体であるHMMH_MNを、黄河農耕民とAR狩猟採集民の混合として説明しましたが[39]、モンゴル高原南東部の新たな個体群を含めた本論文のPCAでは、HMMH_MNはモンゴル高原南東部集団とAR集団の勾配に位置し(図2B)、モンゴル高原南東部祖先系統に含まれる可能性が示唆されます。f4統計では、HMMH_MNは前期完新世モンゴル高原南東部人口集団と最も多くのアレルを共有しており、つまりは、f4(ムブティ人、HMMH_MN;AR/黄河_MN/他集団、前期完新世モンゴル高原南東部集団)≥ 0(−1.9 ≤ Z ≤ 54.3)です(図7A)。前期完新世モンゴル高原南東部集団と比較すると、HMMH_MNはAR集団およびモンゴル高原北部的集団とより多くのアレルを共有しており、つまりはf4(ムブティ人、シスバイカル_8980-8640年前/悪魔の門_N;モンゴル高原南東部集団、HMMH_MN)> 0(1.5 ≤ Z ≤ 2.8)です。さらに、先行研究[39]とは対照的に、HMMH_MNは黄河農耕民との明らかに遺伝的類似性を示さず、つまりはf4(ムブティ人、黄河_MN/黄河_LN;モンゴル高原南東部集団、HMMH_MN)∼ 0(0.2 ≤ Z ≤ 1.)です。HMMH_MNの遺伝的組成はqpAdmによって65.8%の前期完新世モンゴル高原南東部的祖先系統と34.2%のモンゴル高原北部的祖先系統の混合としてモデル化でき(図6B)、f4統計の結果を確証しており、西遼河流域の西部とモンゴル高原南東部との間の遺伝的つながりが示唆されます。
●モンゴル高原南東部の西遼河紅山文化人口集団との遺伝的つながり
紅山文化の2ヶ所の遺跡、つまり鄭家溝遺跡と雷公山遺跡の古代人のゲノムが新たに配列決定され、モンゴル高原南東部における文化的証拠の根底にある遺伝的動態が調べられました。まず、西遼河流域の以前に報告された5200年前頃の紅山文化集団、つまり西遼河_MN[39]と、5000年前頃のモンゴル高原南東部の紅山文化集団、つまり鄭家溝遺跡および雷公山遺跡の個体群との間の遺伝的類似性が比較されました。PCAと外群f3クラスタ化とTreeMixでは、これら紅山文化の3集団はともにクラスタ化し(図2Bおよび図4A・B)、個体水準のADMIXTURE分析クラスタ化によっても裏づけられる類似性を示します(図3)。さらに、これら紅山文化の3集団はf4統計では最も多くのアレルを共有しており、つまりf4(ムブティ人、紅山文化集団;他集団、紅山文化集団)> 0(0.5 ≤ Z ≤ 48.1)です。統計的分析はさらに、これらの集団を相互との姉妹集団と特定し、f4(ムブティ人、他集団;西遼河_MN、鄭家溝/雷公山個体)∼ 0(−2.4 ≤ Z ≤ 3.8)です。さらに、より古い紅山文化集団(西遼河_MN)は、より新しい紅山文化集団の両方(鄭家溝遺跡および雷公山遺跡個体)について単一供給源人口集団としてモデル化でき(図6Bおよび図7C)、西遼河流域の紅山文化人口集団とモンゴル高原南東部の紅山文化人口集団との間の少なくとも5200~5000年前頃における人口集団のつながりが示唆されます。
紅山文化人口集団と関連するYHg-N1の下位系統の高頻度から、YHg-N1はかつて中国北部全域に広く文武していた、と示唆されます。興味深いことに、新たにゲノムデータが生成された前期完新世モンゴル高原南東部個体群の男性11個体YHgのうち、10個体はYHg-N1で、これは紅山文化関連人口集団の遺伝的起源を示唆しているかもしれない、と分かりました。先行研究では、西遼河の紅山文化集団である西遼河_MN[39]を、AR狩猟採集民と黄河農耕民の混合と特徴づけました。しかし本論文では、紅山文化集団はARおよび黄河関連集団と比較して、前期完新世モンゴル高原南東部集団と過剰なアレルを共有していた、つまり、f4(ムブティ人、紅山文化集団;黄河/AR集団、前期完新世モンゴル高原南東部集団)≥ 0(−1.7 ≤ Z ≤ 4.9)、と分かりました(図7A)。次に、qpAdmが検証され、紅山文化人口集団の遺伝的組成がモデル化され、紅山文化人口集団は前期完新世モンゴル高原南東部祖先系統と中国沿岸部山東半島狩猟採集民祖先系統(アジア東部現代人と関連し、ANA祖先系統とは異なる9500~8000年前頃の人口集団)[41]の2方向混合によって最適にモデル化できる、と分かり(図7C)、8800~7500年前頃のモンゴル高原南東部人口集団によって表される祖先系統が、5200年前頃の西遼河の紅山文化人口集団の遺伝子プールに寄与し、YHg-N1の起源だった可能性が高い、と示唆されます。
●考察
新石器時代アジア東部北方の祖先系統の軌跡に関する本論文の分析は、微細構造の人口動態を明らかにし、この生態学的に多様な地域における異なる先史時代の文化的慣行の拡大の背景にある原動力の解明を可能としました。モンゴル高原南東部全域で共有されている独特な祖先系統が特定され、これは裕民遺跡[41]や興隆8.8-7.5kや四台7.6kでは8800~7500年前頃まで人口集団の安定性を維持していました。しかし、経時的な遺伝的連続性にも関わらず、この祖先系統は雑穀に基づく農耕を異なる強度で行なっていたさまざまな文化と関連していました。モンゴル高原南東部の雑穀農耕は華北平原からもたらされた、と推定されており、華北平原では最古級の栽培化された雑穀が発見されていて、その年代は1万年以上前です。本論文の遺伝学的結果では、この前期完新世の導入は黄河農耕民の流入の結果ではなかった、と示され、人口拡散ではないモデルか、在来の革新が示唆されます。このパターンは、アジア南部[90]やアナトリア半島[91]における農耕の独自発展に関する先行研究で提唱された想定と一致しますが、日本で観察された人口拡散とは対照的です[92]。さらに、本論文の調査結果は、中期完新世におけるこの地域の農耕の広がりの原因を農耕人口集団の拡大とした以前の古ゲノム研究に異議を唱え、異なる機序が前期および中期完新世の段階では作用していた可能性が高い、と示唆されます。
アジア東部北方における主要な祖先系統として、ANA祖先系統は前期~中期完新世においてバイカル湖地域からロシア極東まで広範な地域で優勢でした。しかし、ANA集団内の詳細な人口動態は依然としてよく理解されていません。本論文の詳細な分析は、モンゴル高原南東部やモンゴル高原北部やアムール川流域を含めて、異なる地理的地域に対応するANA人口集団内の下部構造を解明し、ANA集団の遺伝的多様性と混合史に新たな知見を提供します。8800~6500年前頃のモンゴル高原北部およびバイカル湖地域の人口集団は、APS祖先系統とともに、前期完新世モンゴル高原南東部祖先系統およびAR祖先系統と遺伝的構成要素を共有していました。これらの混合事象は14200~11700年前頃に少なくとも異なる2段階で起きた可能性が高い、と推定され、それは、末期更新世におけるAR祖先系統とモンゴル高原南東部祖先系統との間の最初の混合と、それに続く、前期完新世におけるAPS祖先系統とのその後の混合段階です。この末期更新世の混合は、AR祖先系統からトランス・バイカル地域の14000年前頃のUKY個体への遺伝的寄与[32]によって、さらに裏づけられます。
7300年前頃までのモンゴル高原北部的な祖先系統からAR人口集団(AR_EN)への遺伝子流動[39]とともに、これらの遺伝的相互作用事象は、モンゴル高原の遺伝的景観を形成し、アジア東部の遺伝的先史時代への新たな知見を提供します。以前の古ゲノム研究は、ANA祖先系統として知られている、前期完新世アジア東部で共有されていた祖先系統を特定してきました[35~38]。本論文の分析は、ANA集団内の詳細な人口構造を明らかにし、混合が共有された遺伝的痕跡の形成に中心的な役割を果たした、と論証します。mtDNAとY染色体[94]に関する以前の系統発生研究はアジア北東部全域のLGM後の人口拡散を示唆してきており、本論文は、この想定を裏づける、ゲノム規模の証拠をさらに滞京します。さらに、前期完新世におけるAPS祖先系統との裕民遺跡個体的祖先系統およびAR祖先系統との間で観察された混合から、APS関連人口集団はシベリア南部からモンゴル北部の広範な地域にわたってこの期間に存続していた、と示唆されます。これまでに、既知の最新のAPS人口集団は、シベリア北東部の1万年前頃のコリマ個体によって表されます[33]。本論文の調査結果からさらに、APS人口集団は前期完新世においてシベリアに依然に認識されていたよりもずっと広く分布していたかもしれない、と示唆されます。
モンゴル高原における広範な混合は、LGM後の細石刃技術の広範な拡散にも妥当な背景を提供します。この石器技術は、アジア北東部全域の狩猟採集民で観察された技術的傾向と一致し、おもにこの技術の出現によって特徴づけられます。この技術的拡大は考古学的研究では人口拡大と関連づけられてきており、本論文において末期更新世のアジア北東部で特定された混合事象は、細石刃の拡散を伴う、LGM後の人口統計学的拡大を裏づけます。考古学的研究は、ゴビ砂漠における細石刃遺跡の年表に基づいて、LGM後の気候改善の開始に伴う砂漠地域への再拡大を示唆してきました。本論文の遺伝学的結果から、ゴビ砂漠の南東に位置するモンゴル高原南東部の祖先系統は末期更新世にAR祖先系統と混合した、と示唆されます。ゴビ砂漠の北側に位置するモンゴル高原北部とバイカル湖地域の人口集団でたどれたこの混合の遺伝的遺産の分布から、この混合はゴビ地域で起きて、モンゴル高原全域に拡大した可能性が高い、と示唆されます。このパターンは、より広範な地域へのLGM後の再拡大との仮説を裏づけます。細石刃技術の共有された要素に基づいて、一部の考古学者は、LGMの期間およびその後における中国北東部と中国北部との間の人口集団の接触を亭ア称してきました。本論文で特定された前期完新世モンゴル高原南東部祖先系統とAR祖先系統との間の混合は、このLGM後の接触を裏づける、遺伝学的証拠を提供します。15500年前頃にトランス・バイカルで見られる細石刃技術の出現頻度増加は、ベーリング・アレレード期の移住事象に起因するとされてきており、本論文で検出されたトランス・バイカルの14000年前頃のUKY個体におけるAR祖先系統の遺伝的混合は、この仮説の裏づけとなるヒトの接触に関する直接的証拠を提供します。
本論文の遺伝学的結果は、新石器時代の土器の相互作用にも光を当てました。考古学者はアジア東部の広範な地域にまたがって共有される土器伝統を特定してきており、それには中国北部やモンゴルやバイカル湖地域やアムール川地域が含まれます。本論文で見つかったこれらの地域にわたる人口集団の接触は、こうした共有された特徴を促進したかもしれません。具体的には、前期完新世モンゴル高原南東部の裕民文化とバイカル湖地域の文化との間の土器様式の類似性に基づいて、裕民文化はバイカル流域に起源があった、との提唱もありました。しかし、裕民文化の祖先系統(裕民、興隆8.8-7.5k)からバイカル湖地域への遺伝子流動はこの解釈に異議を唱え、文化拡散のより複雑な状況を示唆しています。裕民文化の土器伝統は、モンゴル高原南東部では7000年前頃以後に突然消滅しました。
同じ場所でも、より新しい興隆遺跡遺骸(興隆5.7k)は裕民文化の興隆8.8-7.5kとは顕著に異なっており、高度に遊動的な生活様式を採用した可能性が高そうです。遺伝学的に、興隆5.7kはそれ以前の興隆遺跡個体群で観察された連続性を維持せず、むしろモンゴル高原北東部の東モンゴル_Nとの人口類似性を示しました。この地域における8800~7500年前頃から5700年前頃にかけての文化的および遺伝的変化の同時発生から、人口置換がここで観察された顕著な文化的変容に寄与したかもしれない、と示唆されます。しかし、この仮説の検証にさらなる研究が必要なのは、現時点では興隆5.7kの2個体のみに基づいているからです。対照的に、裕民文化は少なくとも5000年前頃までに西遼河流域へと東方に広がっていました。5600年前頃のハミンマンガ遺跡(HMMH_MN)の土器は、裕民文化と関連する文化的特徴を示していました。本論文においてHMMH_MNで見つかった裕民文化関連祖先系統の遺伝的遺産から、裕民文化と関連する人口集団は遺伝と文化の両方でハミンマンガ文化の形成に寄与したかもしれない、と示唆されます。
さらに、本論文の遺伝学的調査結果は、新石器時代翡翠文化の背景にある人口動態への知見を提供します。ハミンマンガ遺跡における穿孔技術は、その類似性に基づいてバイカル湖地域に由来する、と提案されました。ハミンマンガ遺跡の人々の遺伝的特性(HMMH_MN)の約34%(シスバイカル_8980-8640年前によって表されます)を占める、バイカル湖地域およびモンゴル高原北部にまたがる祖先系統が見つかりました。HMMH_MNにおけるこの祖先系統の実際の供給源は、バイカル湖地域とモンゴル高原北部にまたがる広範な地域に由来するかもしれませんが、この遺伝的組成はこれらの地域と西遼河流域との間の人口集団の接触を示唆しており、翡翠製人工遺物に基づく文化的拡散の観察を裏づけます。さらに、中国の主要な翡翠文化である紅山文化と関連する人口集団の遺伝的起源と拡散は、依然として不明で議論になっています。本論文では、西遼河流域の5200年前頃の紅山文化人口集団(西遼河_MN)が、モンゴル高原南東縁の5000年前頃の人口集団(鄭家溝遺跡と雷公山遺跡)と同じ祖先系統を共有している、と示されます。
考古学的証拠は、紅山文化関連の翡翠と積石墓の南方への拡大を通じて、これらの人口集団を結びつけます。本論文で観察されるこれらの集団間の遺伝的連続性はこの解釈を裏づけており、それは別のゲノム研究[98]と一致し、この南方への文化拡散は西遼河流域からモンゴル高原南東部への人口移動と関連しているかもしれない、と示唆されます。西遼河流域の紅山文化の遺伝的起源に関して、いくつかの仮説が提唱されてきました。紅山文化関連人口集団における高頻度のYHg-N1は、アジア北東部もしくは新石器時代の前の西遼河地域起源の推測に用いられました。ゲノム研究は、さまざまな参照パネルに基づいて、紅山文化人口集団の祖先系統を、黄河農耕民およびAR狩猟採集民[39]、もしくは新石器時代モンゴル狩猟採集民[98]との混合として、推測してきました。より信頼できる代理祖先系統供給源に基づく本論文では、前期完新世モンゴル高原南東部人口集団が紅山文化の形成に重要な役割を果たし、それは高頻度のYHg-N1も説明する、と分かりました。前期新石器時代山東半島狩猟採集民の祖先系統が紅山文化関連集団に大きく寄与したことも分かりましたが、黄河祖先系統および他のANA祖先系統から紅山文化人口集団への遺伝的流入も依然としてあり得ます。
モンゴル高原南東部の先史時代の人口動態の再構築と、その周辺地域との遺伝的つながりの解明によって、末期更新世から中期完新世にかけて作物と文化と技術と遺伝子の交換の中心だった、アジアの東部および北東部にまたがる複雑なヒトの相互作用が明らかになりました。この地域に居住する集団間では、人口集団と文化の相互作用のさまざまなモデルが特定されました。広範な人口拡散に加えて、非人工的な文化伝播もこの地域では起きました。これらの相互作用は、この期間を通じての細石刃製作や土器伝統や翡翠工芸など文化的慣行の背景にある、複雑なヒトの人口動態を明らかにします。それにも関わらず、古代ゲノムデータにおけるかなりの年代的および地理的空版が残っています。現時点の調査結果に基づくと、前期完新世モンゴル高原南東部祖先系統はモンゴル高原に広く分布していたかもしれず、アジアの東部および北東部のこの祖先系統とAR地域の祖先系統との間の遺伝的勾配の確立の時期は、利用可能なデータからは判断できず、人口集団の先史時代とこれらの祖先のつながりの意味の解明には、さらなる学際的研究が必要と浮き彫りになります。結論として、本論文の古ゲノム調査は、アジア東部全域における人口動態と文化動態との間の多面的な相互作用に新たな知見を提供します。
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この記事へのコメント
この頃の西遼河および黄河地域の人類の動向も気になるところですが、まだそこまで古い古代ゲノムデータは得られていないようです。
N1の分岐年代に近い17000年ほど前に北方系の細石刃が華北にも出現するため(加藤2023)、同時にN1を軸とするANEAが華北に進出してO2系を軸とする土着のASEAと混血して黄河農耕民や古代山東人が成立したと個人的に考えています。
おそらくアジア北東部でも34000年前頃から新石器時代までの間に、最終氷期極大期を挟んで、集団が遺伝的に分化していき、最終氷期極大期後にそうして成立した異なる集団の混合によって、各地の集団が形成されていったことは多いだろう、と考えています。