中国のネコ科動物の古代ゲノム

 中国で発見されたネコ科動物遺骸のゲノムデータを報告した研究(Han et al., 2026)が報道されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、黄河流域を中心に、おもに現在の中華人民共和国北部の遺跡で発見されたネコ科動物のゲノムを解析し、ベンガルヤマネコが遅くとも5400年前頃には人為的環境に出現して、ヒトとは紀元後150年頃まで片利共生の関係を続け、その数世紀後におそらくはシルクロード(絹の道)経由で現在の中国にネコがもたらされた、と推測しています。なお、本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事の以下の翻訳ではではとりあえず「中国」と表記します。また、当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、この記事では本論文の「civilization」を「文明」と訳します。以下は本論文の要約図です。
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 以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、kb(kilo base、千塩基対)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、CI(confidence interval、信頼区間)、K(系統構成要素数)、W(white、白色)、ws(white spotting、白色斑点)、GTP(guanosine triphosphate、グアノシン三リン酸)です。本論文で取り上げられる主要なネコ科動物は、イエネコ(Felis catus、Felis silvestris catus)、リビアヤマネコ(Felis lybica)、ベンガルヤマネコ(Prionailurus bengalensis)、ヨーロッパヤマネコ(Felis silvestris)、ステップヤマネコ(Felis ornata)、ハイイロネコ(Felis bieti)です。

 本論文で取り上げられる主要な遺伝子は、ASIP(Agouti-signaling protein、野鼠色信号伝達タンパク質)、TYR(Tyrosinase、チロシナーゼ)、MLPH(Melanophilin、メラノフィリン)、KIT(Cytokine receptor、サイトカイン受容体)、FERV1(Feline Endogenous Retrovirus type 1、ネコ科内在性レトロウイルス1型)、Arhgap36(Rho GTPase activating protein 36、Rho族GTPアーゼ活性タンパク質)、Taqpep(Transmembrane aminopeptidase Q、膜貫通アミノペプチダーゼQ)、DKK4(Dickkopf Wnt Signaling Pathway Inhibitor 4、ディッコフ・ウィント信号伝達経路阻害物質4)、FGF5(Fibroblast growth factor 5、線維芽細胞成長因子5)、HR(hairless、無毛)、KRT71(Keratin 71、角質71)、LPAR6(Lysophosphatidic Acid Receptor 6、リゾホスファチジン酸受容体6)、LIPH(lipase H、脂肪分解酵素H)、BHLH(Basic helix-loop-helix proteins、基本螺旋状タンパク質)、HES7(Hes Family BHLH Transcription Factor 7、ヘス族BHLH転写因子7)です。

 本論文で取り上げられる中国の主要なネコ科動物の出土地は、陝西省の統万城(Tongwan City)、河南省の濮陽(Puyang)市の濮陽墓地(Puyang Tombs)と鄭州(Zhengzhou)市の鄭韓故城(Zheng and Han City Site)および鄭州商城(Zhengzhou Shang City Site)と新郷(Xinxiang)市の河南工学院(Henan Institute of Technology)にある新郷宋墓(Xinxiang Song Tomb)、河北省張家口市(Zhangjiakou City)市康保県(Kangbao County)の西土城(Xitucheng City)、陝西省の渭南市華州区泉護村遺跡(Quanhucun Site)と楡林市の靖辺県の五庄果墚(Wuzhuang Guoliang)遺跡および火石梁遺跡(Huoshiliang Site)と西安(Xi'an)市の老牛坡遺跡(Laoniupo Site)および未央区(Weiyang District)の漢長安城遺跡(Han Chang’an City Site)と咸陽(Xianyang)市の陽陵大霊廟(Yangling Mausoleum、前漢の景帝の陵墓)と新街遺跡(Xinjie Site)、湖南省長沙市(Changsha)芙蓉(Furong)区の馬王堆漢墓(Mawangdui Han Tomb)です。

 本論文で取り上げられる中国以外の主要なネコ科動物の出土地は、【現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では内モンゴル自治区とされている】モンゴル南部のフフホト(Hohhot)市の沙梁子(Shaliangzi City Site)、カザフスタンのドフザンケント(Dhzankent)です。本論文で取り上げられる主要なネコ科動物の標本は、FS1~5(西土城)、FS6(新郷宋墓)、FS7(火石梁)、FS8(五庄果墚)、FS10(老牛坡)、FS12(統万城)、FS13(陽陵大霊廟)、FS14(新街遺跡)、FS15(泉護村)、FS16(鄭州商城)、FS17(沙梁子)、FS18(濮陽墓地)、FS19~23(鄭韓故城)、FS24(漢長安城)で、()は出土地です。


●要約

 アジア東部におけるヒトとネコの相互作用の歴史およびイエネコの到来を追跡するために、5000年間にわたる中国全域の14ヶ所の考古学的遺跡から発掘された、ネコ科の小さな骨22点が分析されました。ゲノムおよび放射性炭素の証拠から、片利共生のベンガルヤマネコは少なくとも5400年前頃に人為的環境に現れ、150年頃まで存続した、と明らかになりました。数世紀の空白の後に、完全にもしくは部分的に白毛のネコと副県された中国で最古級の既知のイエネコ(730年頃)が、唐王朝期の陝西省で確認されました。現代と古代のユーラシアのネコ130個体を組み合わせたゲノム解析は、中国のイエネコのレヴァント起源と、絹の道経由で商人によって拡散された可能性が高いことを示唆しました。片利共生のベンガルヤマネコとイエネコはかつて、中国において独立して古代人の集落に生息しましたが、その後は異なる社会文化的経路をたどり、イエネコのみが完全に家畜化され、世界中にもたらされました。


●研究史

 リビアヤマネコはすべての現代のイエネコの祖先です。ネコの家畜化の時期と状況は不明ですが、動物考古学的証拠から、ヨーロッパへのイエネコの北方への拡散は早くも紀元前500年頃に起きていた、と論証されています[3]。イエネコはユーラシアを横断して中国へと東方にも伝播しましたが、この拡散の経路と時期は依然として未解明です。

 中国西部の泉護村遺跡の5400年前頃のネコ科遺骸の安定同位体分析から、ネコ科はヒトの集落内で齧歯類を捕食していた、と結論づけられ、それによって、後期新石器時代までに中国にはイエネコが存在していた、と推定されました。しかし、同じ標本のその後の形態学的および古代mtDNA分析では、それらのネコ科遺骸はイエネコに属さず、むしろアジアの南部と南東部と東部に在来の小型野生ネコ科であるベンガルヤマネコに属していた、と明らかになりました。人為的環境から得られた資源を食べることによって、ベンガルヤマネコ種は中国の古代人と片利共生関係を築き、ヒトの環境から利益を受け、家畜化の過程が始まったかもしれません。

 他の研究者は、首都長安市のイエネコに属する、と推定されたネコ科の尺骨1点に基づいて、イエネコが漢王朝期(紀元前202~紀元後220年)に中国にもたらされた、と提案してきました。しかし、小柄なネコ科の骨の形態学的区別が困難であることを考えると、批判的再評価が必要です。

 現代の標本に基づくゲノム研究では、中国のすべてのイエネコはその祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)がリビアヤマネコにさかのぼる、と明らかになり、世界中のネコの単一の家畜化起源が裏づけられました。中国では、ステップヤマネコやハイイロネコなど密接に関連する在来の野生種は中国のイエネコの出現に寄与しませんでしたが、青海チベット高原のハイイロネコと、この地域に最近到来した可能性が高い地元のイエネコとの間で、同時代の遺伝子流動が検出されました。同様の事例はユーラシア西部で報告されており、イエネコがヒトによってヨーロッパにもたらされた後に、ヨーロッパヤマネコと交雑し、それによってヨーロッパヤマネコの遺伝的完全性が損なわれました[3]。中国における古代のイエネコのゲノム特性の調査は、経時的なヒトと動物の相互作用の歴史的背景に貴重な知見を提供するでしょう。

 したがって、これらの結果は、イエネコがいつどのように中国へともたらされたのか、ベンガルヤマネコは考古学的背景でどの程度の期間存続していたのか、ベンガルヤマネコと古代人との間の片利共生関係はどのように終焉したのか、このネコ科2種【ベンガルヤマネコとイエネコ】はヒトの集落で共存していたのかどうか、再考を必要とします。

 これらの問題に取り組むために、紀元前3500年頃から紀元後1800年頃までの年代の中国の古代のネコ科22点の骨から、ゲノム配列決定データが回収されました(図1A)。これまでに15ヶ所の考古学的遺跡から小型ネコ科遺骸が発掘されてきており、そのうち14ヶ所が本論文の標本一式に含まれており、過去5000年間の小型ネコ科の発掘のほぼ完全な網羅を提供します。6個体が直接的に放射性炭素年代測定され、ショットガン配列決定もしくは捕獲に基づく標的配列決定によって、7個体の核ゲノム(網羅率は2.4~16倍)と22点のミトコンドリアゲノム(網羅率は12~304倍)が生成されました(図1A)。次に、これらのデータは世界中のネコかの遺伝的差異の背景で分析され、それには古代と現代の標本から以前に刊行された、核ゲノム63点とミトコンドリアゲノム108点が含まれます。以下は本論文の図1です。
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●中国におけるイエネコの後期の到来はおそらく絹の道経由でした

 5000年以上にわたる中国で発見された合計22点のネコ科の骨の標本が、mtDNAの系統発生分析に用いられました(図1B)。この標本一式の目的は、小型ネコ科とヒトとの間の片利共生関係関係の最古級の考古学的証拠が中国で現れる後期新石器時代に始まり、古代中国史の大半の期間にわたる、時間的範囲の把握です。

 これらのうち、紀元後730~1800年頃の14個体は、イエネコと特定されました(図1)。これらの個体は長期の歴史時代にわたって7ヶ所の考古学的遺跡から回収され、唐(618~907年)と宋(960~1279年)と大元ウルス(1279~1368年)と明(1368~1644年)とダイチン・グルン(1644~1911)の王朝にまたがっています(図1)。このデータセットの最古級のイエネコ(FS12、図1)は、ミトコンドリアゲノム(図1および図2)と核ゲノム(図3)の両方を用いて特定され、中国西部における絹の道沿いに重要な拠点だった統万城から発掘されました。FS12は、唐王朝中期となる730年頃(95.4%のCIで706~883年)と直接的に放射性炭素年代測定されました(図1)。年代と位置を考えると、FS12は、775~940年頃と年代測定された、カザフスタンのドフザンケントの以前に刊行された古代のネコのゲノムとともに、ユーラシア東部における絹の道の中継点で見つかった既知の最古級のイエネコ2個体のうち1個体を表しています(図1C)。以下は本論文の図2です。
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 興味深いことに、中国におけるイエネコの最古級の描写は、中国中央部の唐王朝期の墓2基内で描かれた絵で見つかっており、年代はFS12と同じ頃です(図1C)。イエネコの明確な記述のある最古級の文献もこの期間と一致し、皇后が大臣に愛玩動物のネコを贈ったとする、唐王朝の物語が含まれます。これらの歴史的記録は、イエネコが外来の愛玩動物とみなされ、古代中国の支配層で飼われていたことを示唆しており、中国への【唐代から】比較的近い過去の【イエネコ】の導入を反映しています。

 一般的観点では、イエネコは中国において早くも漢王朝(紀元前206~紀元後220年)に存在していました。しかし、本論文のデータセットにおける漢代より前もしくは漢代のすべての小型ネコ科遺骸は、首都長安で発見された漢代起源仮説を裏づけるのに用いられた標本であるFS24を含めて、遺伝的にイエネコには属さない、と特定されました。さらに、アジア中央部で記録された最古級のイエネコも、中国の唐王朝に先行しません。まとめると、これらの結果は、イエネコはユーラシア東部および中国に比較亭最近到来した、との結論に収束しました。

 中国の古代のネコ14個体とユーラシア全域の古代もしくは現代のネコ87個体のミトコンドリアゲノムに基づく系統発生再構築によって、中国へのイエネコの起源と拡散経路がさらに調べられました(図2)。系統樹では、すべての古代の中国のイエネコは、レヴァントの現代のリビアヤマネコも含むレヴァントのハプログループ[15]である、ミトコンドリアのクレード(単系統群)IV-B内でクラスタ化する(まとまる)、と示されました(図2)。IV-Bハプロタイプは古代と現代両方のヨーロッパのネコでは稀ですが[3、15]、この単系統群はユーラシア東部では顕著です(図2)。古代中国の標本に加えて、IV-Bハプロタイプにはカザフスタンのドフザンケントのイエネコ1個体も含まれ、これは絹の道沿いのアジア中央部で記録された最古級のイエネコです。さらに、中国の現代のイエネコ38個体のうち30個体(78.9%)はこのハプログループ【IV-B】に属しています。これらの調査結果は、ユーラシア東部のイエネコに関する母方祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の理解における重要な空白を埋めて、レヴァントとアジア中央部と中国のネコ間の強いつながりを示唆しています。

 核ゲノムの解析は、同様のパターンを明らかにしました。PCAは、ユーラシア西部および中国/アジア中央部(ドフザンケント)のイエネコとレヴァントのリビアヤマネコら相当する主要な3クラスタ(まとまり)を特定しました。主成分1(PC1)がユーラシア西部のイエネコを他のイエネコと分離するのに対して、PC2(主成分2)は中国/アジア中央部のイエネコをレヴァントのリビアヤマネコとさらに区別します(図3A)。これは、中国およびアジア中央部のイエネコとレヴァントのリビアヤマネコとの間のゲノムの類似性を裏づけます。二倍体および疑似半数体データを用いてのADMIXTURE分析は、この観察をさらに裏づけており、古代および現代の中国のイエネコとドフザンケントのネコとレヴァントのリビアヤマネコは、K=2~6の高度な共有された祖先系統を有している、と示され、共通の遺伝的起源を反映しているかもしれません(図3C)。さらに、二倍体および疑似半数体データを用いた外群f₃分析では両方とも、他の標本と比較して、古代中国のイエネコは絹の道の最古級のイエネコであるドフザンケントのネコと強い関連を示す、と論証されました(図3B)。しかし、重要なのは、ドフザンケントのネコでのこれらのf₃値は大きな標準誤差を示す場合が多く、1点の低深度の個体のゲノムのみが、この個体群で利用可能である可能性が高いためである、と留意することです。以下は本論文の図3です。
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 まとめると、これらの結果は、イエネコが絹の道経由で中国にもたらされ、それは商人によって確立された交易網を通じてだったかもしれない、との可能性を提起します。空間的には、ユーラシア東部の最古級のイエネコは、アジア中央部のドフザンケントのネコと中国西部のFS12を含めて、両者とも絹の道の交易路沿いに現れ、レヴァントのネコと密接なゲノム関連性を示しました。時間的には、両方のネコ【ドフザンケントのネコとFS12】の年代は1200年前頃で、隋唐期(581~907年)内となり(図1C)、この期間にユーラシアの東西間の絹の道の交易網は最盛期に達しました。しかし、この経路沿いの初期の標本(700年以前)の欠如は、イエネコが絹の道沿いで中国へともたらされた、と明確に結論づける能力を制約します。この仮説の妥当性には、将来の研究における追加の古代標本の分析を通じての、さらなる検証が待たれます。

 さらに、現代の中国のイエネコの低い割合(21.1%、38点の標本のうち8点)、とくに南部および東部沿岸のイエネコは、mtDNA単系統群IV-Aを有しています。このハプログループはユーラシア西部においてより一般的で、中国の古代のイエネコには存在しません(図2)。唐代の後に、中国の東部沿岸地域は東西をつなぐ海洋交易体系の主要な拠点の一つとなりました。したがって、海洋経路も中国へのイエネコの導入に寄与した、と考えられます。あるいは、IV-Aの存在(図2)は、現代の愛玩動物の品種が中国にもたらされた、より新しい拡散事象を反映しているかもしれず、それはより古くから確立していた個体群への遺伝子移入につながりました。


●中国における最古級のイエネコの表現型復元

 多くの家畜化された分類群において、人為的環境での生活と関連する選択圧の変化は、野生近縁種と区別される表現型形質の出現につながりました。これらには、隠蔽色の喪失や新たな毛色とパターンの出現が含まれていますが、その起源の時期は大きく異なります。たとえば、独特な渦模様のブチの毛色パターンは、中世の後にやっとヨーロッパのイエネコで広く見られるようになりました[15]。

 中国における最古級の既知のイエネコ(FS12)の形態を復元するために、この標本について16倍の網羅率の核ゲノムが生成され、イエネコで以前に特定された表現型に相当する遺伝子型が評価されました。FS12は、約0.5(比率は0.49)だった常染色体に対するX染色体の配列決定深度比に基づいて、雄と分類されました。次に、毛色や色素沈着模様や毛の長さや尾の長さや遺伝性疾患の可能性を含めて、現代のイエネコで報告された広範な形質と関連する94ヶ所の遺伝的多様体が特徴づけられました。

 FS12の毛色と模様の遺伝的復元が実行されました。ASIPにおける潜性の色素沈着アレル(対立遺伝子)と関連する多様体は、FS12が黒色の毛ではなかったことを示唆しています。よく特徴づけられている遺伝的機序の他の遺伝子座も調べられ、すべては野生型アレルの同型接合で、FS12におけるそうした特定の毛色は発現しない、と分かりました。暗褐色(TYR遺伝子)および薄い色(MLPH遺伝子)と関連するゲノム領域はFS12では網羅されておらず、これらの毛色の状態は決定的ではありません(図4A)。それにも関わらず、暗褐色と薄い色はおもに現代の西方のネコ品種で見られるので、FS12がこれらの毛色のどちらかを示していた可能性は低そうです。以下は本論文の図4です。
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 遺伝子と挿入の両方を網羅する、マッピング(多少の違いを許容しつつ、ゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)された読み取りに基づいて、KIT遺伝子内のFERV1の挿入も特定されました(図4A)。部分的なFERV1の挿入から完全に白色もしくは顕性(W)の結果が、全長挿入から白色斑点(ws)のアレルの結果から得られましたが、古代DNAの分解した性質のため、両者の区別に必要な解像度は制約されました。それにも関わらず、挿入の存在から、FS12については、完全に白の毛色もしくは白色の斑模様のあるサバトラのどちらかかもしれない、と示唆されます。橙の毛色をもたらすX染色体関連のArhgap36遺伝子における5kbの欠失が、さらに調べられました。欠失領域(10.7倍)の配列決定深度と3kbの隣接領域の完全な遺伝子(11.7倍)の比較から、0.91の比率が得られ、5kbの配列がFS12のArhgap36遺伝子に存在し、橙の毛色は除外されるこみとが示唆されます(図4A)。

 さらに、FS12は渦模様のブチ色(Taqpep遺伝子)もしくは霜降り模様(DKK4遺伝子)のアレルを有していた、との可能性が除外され、模様が白色によって完全には隠れていなかった、と仮定すると、FS12はサバトラ(野生型)だった可能性が高い、と推測されました。まとめると、これらの結果から、FS12は全身の毛色が城だったか、白色の模様のあるサバトラだった、と示唆されます。

 唐王朝から20世紀(827~1930年)までにわたる歴史時代の絵画33点から得られた91個体のネコの絵の分析によって、中国のイエネコにおける毛色についての図像学的調査が実行されました。その結果、これらの絵に描かれたネコの85%(91個体の内77個体)はさまざまな程度の白いいを示す、と分かりました。顕性の白色もしくは白色の斑点だった中国の最古級のイエネコの遺伝学的復元と合わせると、これは、白色が古代アジア東部社会で好まれたかもしれず、恐らくは人為的選択の対象になった可能性がある、と示唆しているかもしれません。それにも関わらず、この解釈は依然として暫定的で、さらなる検証を必要とします。

 毛色に加えて、他の表現型と関連する7ヶ所の遺伝子座の遺伝子型が調べられ、FS12はより短い毛(FGF5、HR、KRT71、LPAR6、LIPH)と長い尾(HES7、T)を有していた可能性が高い、と分かりました(図4C)。健康に関して、一般的なネコ科の遺伝性疾患と関連する有害な変異はFS12では検出されませんでした。ほとんどのそうした疾患はおもに現代のネコの品種で報告されており、強い選択的繁殖をまだ経ていなかった古代のイエネコには散在しなかったかもしれないことは、注目に値します。


●在来のヤマネコと古代中国のイエネコとの間に遺伝子流動はありません

 中国の2点の在来のヤマネコ標本、つまり中国のハイイロネコとステップヤマネコは、イエネコと交雑して、繁殖能力のある仔を産むことができます。しかし、古代中国のイエネコ標本4点のADMIXTURE分析では、このどちらかの種【ハイイロネコとステップヤマネコ】からの祖先構成要素は明らかになりませんでした(図3C)。同様に、D統計では、D形式(外群、ハイイロネコ/ステップヤマネコ、集団X、古代中国)において遺伝子移入の有意な兆候は検出されず、古代中国における在来のヤマネコとイエネコとの間の遺伝子流動がなかったことを示唆しています。

 古代中国のイエネコにおけるヤマネコからの遺伝子移入の欠如は、ヒトの媒介による拡散との絹の道節を裏づけます。絹の道の特徴である交易拠点間の隊商の急速な陸上移動は、ステップヤマネコなど在来のヤマネコとの遭遇を最小限とした一方で、ハイイロネコの青海チベット高原東部に限定された生息範囲は絹の道の外側にあり、初期の中国のイエネコへの遺伝的影響が排除されました。イエネコはハイイロネコの生息地と重複しなかった地域で中国へともたらされた可能性が高く、そのために交雑の機会が限られていました。最近数世紀になってやっと、イエネコは青海チベット高原へと広がり、高地の近縁種と遭遇し始めました。遺伝学的分析から、この同所性のため、この地域の現代のイエネコはハイイロネコからの1~10%の祖先系統を今では有している、と示唆されました。


●イエネコの前に片利共生のベンガルヤマネコがヒトの集落に生息しました

 新石器時代から後漢王朝まで(紀元前3400年頃~紀元後200年頃)、イエネコと関連していない小型のネコ科種がヒトの集落に広く存在しました。22点の古代の標本のミトコンドリアゲノム系統発生分析(図1A・B)は、放射性炭素年代測定と組み合わされて、中国の考古学的遺跡で見つかった7点のネコ科遺骸のうち6点はベンガルヤマネコだったことを明らかにしました。唯一の例外は、ステップヤマネコもしくはハイイロネコのどちらかで見られるmtDNAハプロタイプを有している、火石梁遺跡の1個体(FS7、紀元前1800年頃)です(図1)。本論文における最古級の考古学的ベンガルヤマネコ標本は泉護村遺跡のFS15で、年代は5400年前頃です(図1)。紀元前3000年頃から紀元後150年頃の間(後期新石器時代~末期漢王朝)の6ヶ所の遺跡から発見された追加の遺骸はすべて、mtDNA(図1)および核DNA分析を用いてベンガルヤマネコと特定されました。最も新しいベンガルヤマネコ標本(FS19)は鄭韓故城のヒトの埋葬で見つかった骨格で、年代は後漢王朝の紀元後150年頃です(図1B・C)。

 ベンガルヤマネコはかつて、イエネコと同様の人為的生態的地位を占めていたかもしれず、新石器時代以降に、ヒトが改変した環境で小型齧歯類を捕食することによって、古代中国でヒトと片利共生関係に入りました。『礼記』(元々は紀元前5~紀元前3世紀に編纂されました)の記録は、この片利共生のさらなる証拠を提供し、人々が害虫駆除のために農場で「ヤマネコ」を迎え入れた、と述べています。ベンガルヤマネコがこの地域で唯一の小型の野生ネコ科だったことを考えると、これは、ヒトの集落の近くで齧歯類を捕食していた、ベンガルヤマネコを指している可能性が高そうです。ヒトとの密接な関連は、馬王堆漢墓(紀元前168年頃)の食器の装飾画など古代中国の芸術にも反映されており、イエネコではなく、ベンガルヤマネコに似た丸い斑点のネコ科が描かれています(図4C)。

 遺伝学的および年代的分析から、ベンガルヤマネコはイエネコの到来より少なくとも4000年前に、ヒトが改変した環境に生息していた、と示唆されています(図1B・C)。この関係は少なくとも3500年間続き、最も新しい片利共生のベンガルヤマネコの年代は紀元後200年頃です(図1B・C)。注目すべきことに、中国におけるイエネコの最古級の出現の前には、約600年間の空白が続きます。小型のネコ遺骸はこの期間の動物考古学的記録では特定されておらず、ヒトの集落にネコが本当に存在しなかったか、もしくは極めて稀にしか存在しなかったか、どちらかを示唆しています。

 興味深いことに、ベンガルヤマネコの【ヒトの集落からの】消滅は、漢王朝の崩壊に続き、唐王朝の台頭に先行する、激動の時代と一致しています。この期間は、400年間続いた、より寒冷でより乾燥した環境と、農業生産の低下と、社会不安と、人口縮小を経ました。これらの要因は、ベンガルヤマネコを支えた、ヒトの生態的地位を崩壊させた可能性が高そうです。ヨーロッパでは同様の現象を見ることができ、クマネズミ個体群がローマ帝国の崩壊とともに減少し、経済回復とともにやっと再出現しました。両方の事例【中国とヨーロッパ】では、大きな文明の衰退が、ヒトによって作られた生態系に依存していた片利共生動物の消滅につながったかもしれません。

 小型ネコ科の【ヒトの集落からの】消滅の6世紀後に、イエネコの遺骸が中国やアジア中央部の別の絹の道の交易拠点に出現し始めました(図1および図2)。イエネコの到来は、ヒトの集落におけるベンガルヤマネコの再定着を妨げたかもしれず、それは、両種【ベンガルヤマネコとイエネコ】が類似した生態的地位を占めているからです。さらに、漢王朝の後の古代中国における養鶏の台頭は、ベンガルヤマネコによるニワトリの捕食の傾向を考えると、ヒトとベンガルヤマネコとの衝突をもたらしたかもしれず、ベンガルヤマネコの人為的環境への回帰をさらに妨げました。


●考察

 この研究は中国におけるイエネコの後期の到来を示唆しており、中国と古代絹の道の両方で、イエネコの最古級の骨格遺骸や画像や文字記録が表れるのは7世紀となる1400年前頃以降です(図1B・C)。これは、イエネコが新石器時代もしくは漢王朝期のどちらかには中国に存在していた、との一般的な仮説に異議を唱えます。さらに、本論文の調査結果から、イエネコは中国にもたらされた最新の家畜化された動物の1種で、ウシやヒツジやヤギ(紀元前3000~紀元前2000年頃)およびウマ(紀元前1200年頃)など他のユーラシアの家畜よりずっと遅くに到来した、と示唆されます。重要な絹の道の遺跡における古代のウシのゲノム証拠は、この交易路(絹の道)沿いの商人によって促進された拡散の可能性を提起しており、家畜化された動物の拡大における絹の道の役割が浮き彫りになります。

 中国内における絹の道の環境背景は、さほど発展していない農耕慣行を伴う砂漠とオアシスによって特徴づけられ、イエネコの導入に影響を及ぼした可能性が高い、と以前に提案されました。最古級のイエネコはおそらく、農業共同体と関連する漸進的な拡散ではなく、交易する隊商によって絹の道経由で中国へともたらされました。この急速な導入は、イエネコを、古代中華文明揺籃の地である、現在の中国西部および中央部の黄河中流域にもたらしました。

 保全の観点からは、イエネコの導入は在来のヤマネコ種に大きな悪影響を及ぼしてきました。ヨーロッパでは、最古級のイエネコとヨーロッパヤマネコとの間の遺伝子流動は最小限でしたが[3]、20世紀の広範な交雑は雑種の大群の出現をもたらし、少なくともスコットランドでは、純潔のヨーロッパヤマネコは消滅しました。同様に、イエネコと在来の中国のヤマネコ(ステップヤマネコとハイイロネコ)との間の古代の遺伝子移入の証拠は見つかりませんでしたが、イエネコとハイイロネコとの間の現代の混合が、青海チベット高原へのイエネコの到来後に報告されてきました。この傾向は、アジアにおける在来のヤマネコの遺伝的完全性への、拡大するイエネコ個体群の影響について懸念を引き起こしています。

 動物考古学的および遺伝学的証拠から、考古学的文脈における最古級の片利共生ネコ科はベンガルヤマネコで、中国では少なくとも5400年前頃に最初に出現し、3500年間続いた、と示唆されています。しかし、200年頃の漢王朝の崩壊後に、ベンガルヤマネコは動物考古学的遺物群および芸術的描写から消え去ったか、ほぼ消滅しました。その消滅は社会経済的混乱によって引き起こされたかもしれず、これはローマ帝国の崩壊後のヨーロッパ北部におけるクマネズミの一時的な消滅と類似したパターンです。

 ベンガルヤマネコはベンガルヤマネコ属に属しており、自然ではネコ属種と交雑せず、ヒトが媒介した交配は1980年代に始まり、ベンガルというネコの品種が誕生しました。本論文の調査結果は、古代中国において人為的環境に独立して連続的に生息した、別々の属の異なる2系統の小型ネコ科の【数百年間の断絶はあるものの】連続を明らかにします。両種【ベンガルヤマネコとイエネコ】はヒトの文化的表現に現れましたが、異なる社会文化的軌跡をたどり、異なる行先に達し、イエネコは完全に家畜化され、世界中に分布したのに対して、ヒトとベンガルヤマネコの片利共生は終焉し、ベンガルヤマネコは自然の生息地へ戻りました。


参考文献:
Han Y. et al.(2026): The late arrival of domestic cats in China via the Silk Road after 3,500 years of human-leopard cat commensalism. Cell Genomics, 6, 1, 101099.
https://doi.org/10.1016/j.xgen.2025.101099

[3]Jamieson A. et al.(2023): Limited historical admixture between European wildcats and domestic cats. Current Biology, 33, 21, 4751–4760.E14.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2023.08.031
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[15]Ottoni C. et al.(2017): The palaeogenetics of cat dispersal in the ancient world. Nature Ecology & Evolution, 1, 0139.
https://doi.org/10.1038/s41559-017-0139
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