ユーラシア北東部の新石器時代の親族関係

 古代ゲノムデータに基づく新石器時代ユーラシア北東部の親族関係についての研究(Liu et al., 2026)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、ユーラシア北東部の新たな古代人のゲノムデータと既知の証拠から、先史時代のユーラシアにおける居住や埋葬や配偶の慣行が多様だったことを強調しています。本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事の以下の翻訳ではではとりあえず「中国」と表記します。

 以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、cM(centimorgan、センチモルガン)、km(kilometre、kilometer、キロメートル)です。本論文で取り上げられる主要な文化は、仰韶(Yangshao)文化、裕民(Yumin)文化です。本論文で取り上げられる主要な遺跡は、中国の河北省の四台(Sitai)遺跡と山東省の傅家(Fujia)遺跡および北阡(Beiqian)遺跡と河南省の八里岡(Baligang)遺跡と雲南省の金蓮山(Jinlianshan)遺跡および高寨(Gaozhai)遺跡、【現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では内モンゴル自治区とされている】モンゴル南部の興隆(Xinglong)遺跡、トルコのチャタルヒュユク(Çatalhöyük)遺跡です。


●分析と考察

 最近の古遺伝学的研究は、初期のヒトの社会構造および埋葬慣行に関する理解を大きく深めてきました。古代DNA解析は、9000~7900年前頃となる新石器時代アナトリア半島のチャタルヒュユク遺跡[1]や、アジア東部の傅家遺跡(4700~4450年前頃)[2]を含めていくつかの母系の農耕共同体と、新石器時代中国(八里岡遺跡、5100~4900年前頃)[3]および後期新石器時代から青銅器時代のヨーロッパにおける父系共同体を特定してきました。しかし、初期のヒト社会が母系制から父系制への一貫した軌跡をたどったのかどうかは、依然として不明です。一部の人類学的研究は、先史時代と現在両方の狩猟採集民における双系的もしくは双方向的親族関係慣行を提唱してきましたが、直接的なDNAの証拠は欠如していました。

 雲南の青銅器時代人口集団(2000年前頃)に関する最近の古ゲノム研究は、明確な母系もしくは父系パターンの欠如を明らかにし、代わりに金蓮山や高寨などの遺跡における多世代家族の役割を強調しています。先史時代における埋葬および結婚慣行は、同様にさまざまで複雑でした。たとえば、ほぼ親族関係にない個体の6200年前頃の集団埋葬は、大規模な無差別殺害の証拠と解釈されましたが[6]、5000年前頃の共同埋葬は家族の構成員に影響した基準を反映しており、その遺骸は親族関係の結びつきに従って配置されていました[7]。さらに、古代ゲノムデータは、アジア東部における族内婚[2]や新石器時代スカンジナビア半島における族外婚を含めて、広範な配偶戦略を明らかにしてきました。

 これらの調査結果は、先史時代の社会組織や埋葬慣行や繁殖行動の複雑さを強調しています。しかし、アジア東部におけるこれらの発展の最初期段階、とくに5000年前頃以前は、依然としてよく分かっていません。この空白に取り組むために、四台と興隆という中国の新石器時代の2ヶ所の遺跡から家系図が再構築され(図1A・B)、この2ヶ所の遺跡の人口集団は、アジア東部現代人と関連する遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有しており、中国沿岸部やアムール川地域やユーラシア中央部および西部の同時代の集団とは異なっていました[8]。四台遺跡は中国北部の乾燥草原地帯に位置し、新石器時代の四台文化を表しており、アジア東部における初期の社会組織に貴重な知見を提供します。7600年前頃の層からの発掘によって、21棟の家屋が明らかになり、農具や土器や栽培化された雑穀があり、雑穀栽培にある程度依存した採食に基づく生計を反映しています。13個体の識別可能な頭蓋が含まれている、10個体以上を含む共同埋葬(2020F2)も四台遺跡で発掘されました(図1C)。この共同埋葬の個体群は、住居自体の内部に埋葬されていました。以下は本論文の図1です。
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 13点の頭蓋すべてからゲノムデータの取得に成功しました。1個体(四台13号)は5%超の現代人のDNA汚染を示し、残りの12個体のゲノムは高品質で、高度に均質な遺伝的特性を共有している、と分かりました[8]。この共同規模と個体間の遺伝的類似性を考えると、親族関係および共同体の構造に関する問題は、とくに興味深いものでした。独立した2通りの親族関係推定手法に基づいて、四台遺跡では3系統の家族が特定されました(図1D)。この埋葬パターンは独特で、単一の中核的もしくは拡張家族のみを通常は含んでいる、アジア東部で以前に知られていた埋葬とは異なります。20cM以上の3ヶ所のIBD断片の共有に基づいて、異なる核家族の2個体間で3~6親等の関係も特定されました(図1F)。これらの家族集団以外では、IBD断片検出に基づくと、男性2個体と女性1個体が少なくとも6世代以内では他の個体と検出那関係を示さず、これは、四台共同体が埋葬地に存在する家族と密接な親族関係になかった個体も含んでいたことを示唆しています。さらに、四台遺跡において、20cM以上のROHが観察されず、再構築された系図は密接な親族間の結婚を示さなかったので、近親婚の証拠はありませんでした。骨学的年齢推定値から、個体は異なる生物学的年齢で死亡した、と明らかになりました。家族1の事例(図1D)では、父親は比較的高齢で死亡し、2人の子供は若い年齢で死亡して、成人の子供1人は30歳頃に死亡しました。このパターンは、同じ頃に死因となった事象(たとえば、感染症)によって説明できるかもしれないか、この核家族の構成員が別の時期に死亡し、その後で世代にまたがって同じ場所に埋葬されました。

 四台遺跡の単一の共同埋葬における複数の核家族の存在は、四台遺跡に1000年以上先行する近隣の興隆遺跡における共同埋葬へのさらなる調査を促しました。興隆遺跡は四台遺跡から100kmに位置し、8800~7500年前頃の個体間の高い遺伝的連続性を示しています[8]。地理的近さと遺伝的類似性にも関わらず、裕民に分類されてきたさほど発展していない農耕慣行を考えると、興隆遺跡は文化的に四台遺跡とは異なります。いくつかの共同埋葬が興隆遺跡で発見されており、そこから8800~5700年前頃の12個体でゲノムデータが得られました。興隆遺跡では2系統の家族が再構築されました。一方の家族(家族A)は8800年前頃の層、もう一方の家族は7500年前頃の層に由来し(図1E)、この地域では完新世において、家族埋葬が単一の孤立した現象ではなく、複数回出現したことを示唆しています。家族Aが四台遺跡の埋葬と同様に家屋の共同埋葬に葬られたのに対して、家族Bはそうではありませんでした。注目すべきことに、四台遺跡のように、興隆遺跡の家屋の共同埋葬も、家族Aの構成員と少なくとも6親等の近縁性以内ではどの個体とも遺伝的つながりを示さなかった、1個体を含んでおり(図1E)、家族埋葬における親族ではない個体の包摂は、興隆遺跡でも行なわれていました。さらに、興隆遺跡個体群は1個体を除いて、短いROHを示しており、興隆遺跡個体群が一般的に近親婚を行なっていなかった、と示唆されます(図1G)。この外れ値個体である興隆T0906M3_中央は20~300cMのROH区画を有しており、これはIBDに基づく分析でも裏づけられ、この個体の両親が3~6親等の関係を共有していた、と示唆されます(図1F・G)。

 考古学的研究では、新石器時代中国における親族に基づく共同埋葬の存在は、5000年前頃以前の仰韶文化にたどることができる、と示唆されてきました。古ゲノム研究は、山東省の5400年前頃の北阡遺跡[9]や雲南省の2000年前頃の金蓮山遺跡および高寨遺跡[5]など、さまざまな地域間の家族埋葬の証拠を提供してきました。本論文の調査結果から、家族埋葬の慣行は北阡遺跡における最古級の刊行された観察の少なくとも3400年前に存在していた、と示唆されます。したがって、家族埋葬の慣行はおそらくアジア東部において初期共同体にさかのぼるかもしれません。

 本論文の結果は、初期中国北部における核家族の潜在的重要性も示唆し、古代におけるアジア東部全域の共同体組織の多様性を浮き彫りにします。八里岡遺跡における5000年前頃の父系共同体および傅家遺跡における4700年前頃の母系共同体とは対照的に、四台遺跡もしくは興隆遺跡では、母系もしくは父系の血統あるいは母方居住もしくは父方居住のいずれかが確立していた、と示唆する明確な証拠は見つかりませんでした。これらの調査結果は、母系制度から父系制度への直線的な発展との見解に異議を唱え、代わりに、親族関係と居住のパターンの多様性を提案する、より新しい人類学的モデルを裏づけます。さらに、一部の考古学者は、仰韶文化中期~後期(6000~4800年前頃)における複数家族の共同居住単位の出現は、その後の社会の発展にとって重要だった基本的変化を表していた、と主張しました。四台遺跡で特定された異なる核家族と親族関係にない個体を含む共同埋葬から、アジア東部における多家族の直接的な遺伝学的証拠は7600年前頃にさかのぼります。

 興隆遺跡と四台遺跡で観察されたような家屋内の埋葬された家族の構成員の慣行は、9000~7900年前頃の新石器時代アナトリア半島のチャタルヒュユクでも報告されており[1]、家族の構成員の家屋の共同埋葬の慣行はユーラシアにおいて孤立した現象ではなかった、と示唆されます。配偶行動はアジア東部全域でかなりの多様性を示しました。四台遺跡と興隆遺跡の人口集団では近親婚の証拠が、ほとんど全く見つからなかったのに対して、雲南省の近親婚は14ヶ所の遺跡の分析に基づくと、かなりの頻度で起きていたようです[5]。さらに、全体的なROH水準に基づくと、四台遺跡と興隆遺跡における族外婚は標準だったようですが、傅家遺跡では、標本抽出された個体群は比較的高いROH水準を示しており、族内婚が示唆されます[2]。異なる核家族の共同埋葬は、四台遺跡と興隆遺跡の両方の親族関係にない個体群の包含とともに、協調的で包摂的な共同体を示唆しています。結論として、四台遺跡と興隆遺跡で明らかになった遺伝的関係は、中国北部における埋葬慣行と配偶制度の最古級の状況のひとつを提供し、先史時代の中国における家族に基づく埋葬慣行の多様性を強調します。


参考文献:
Liu T. et al.(2026): Family-based community organization in Neolithic Northern China from 8,800 to 7,500 years ago. The Innovation, 7, 1, 101188.
https://doi.org/10.1016/j.xinn.2025.101188

[1]Yüncü E. et al.(2025): Female lineages and changing kinship patterns in Neolithic Çatalhöyük. Science, 388, 6754, eadr2915.
https://doi.org/10.1126/science.adr2915
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[2]Wang J. et al.(2025): Ancient DNA reveals a two-clanned matrilineal community in Neolithic China. Nature, 643, 8074, 1304–1311.
https://doi.org/10.1038/s41586-025-09103-x
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[3]Yang T. et al.(2025): Ancient DNA reveals the population interactions and a Neolithic patrilineal community in Northern Yangtze Region. Nature Communications, 16, 8728.
https://doi.org/10.1038/s41467-025-63743-1
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[5]Wang T. et al.(2025): Prehistoric genomes from Yunnan reveal ancestry related to Tibetans and Austroasiatic speakers. Science, 388, 6750, eadq9792.
https://doi.org/10.1126/science.adq9792
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[6]Novak M, Olalde I, Ringbauer H, Rohland N, Ahern J, Balen J, et al. (2021) Genome-wide analysis of nearly all the victims of a 6200 year old massacre. PLoS ONE 16(3): e0247332.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0247332
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[7]Schroeder H. et al.(2019): Unraveling ancestry, kinship, and violence in a Late Neolithic mass grave. PNAS, 116, 22, 10705–10710.
https://doi.org/10.1073/pnas.1820210116
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[8]Liu T. et al.(2026): The genetic history around the southeastern Mongolian Plateau traces Neolithic cultural diffusions in northern East Asia. The Innovation, 7, 1, 101186.
https://doi.org/10.1016/j.xinn.2025.101186
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[9]Liu J. et al.(2025): East Asian Gene flow bridged by northern coastal populations over past 6000 years. Nature Communications, 16, 1322.
https://doi.org/10.1038/s41467-025-56555-w
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