前期青銅器時代ヨーロッパ中央部の社会
オーストリアで発見された前期青銅器時代の人類遺骸のゲノムデータを報告した研究(Furtwängler et al., 2026)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、オーストリアで発見された前期青銅器時代の個体群の新たなゲノムデータを提示し、おもに厳格ではない女性族外婚の父方居住社会だったことを明らかにしています。また、共同体間の長距離の遺伝的つながりも示されましたが、共通の社会的動態にも関わらず、異なる文化集団間では顕著な遺伝的差異が見られ、この時期のヨーロッパ中央部の複雑な人口史が浮き彫りになります。
以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、ImtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、km(kilometre、kilometer、キロメートル)、WHG(Western Hunter-Gatherers、ヨーロッパ西方狩猟採集民)です。
以下の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EBA(Early Bronze Age、前期青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)です。本論文で取り上げられる主要な文化は、ウーニェチツェ(Únětice)文化、ウンターヴョルブリング(Unterwölbling)文化、鐘状ビーカー(Bell Beaker、鐘形杯)文化、ヤムナヤ(Yamnaya)文化です。
本論文で取り上げられるオーストリアの主要な遺跡は、ドラーゼンホーフェン(Drasenhofen、略してDSH)遺跡、ツヴィンゲンドルフ(Zwingendorf)遺跡、ウンターハウツェンタール(Unterhautzenthal)遺跡、シュラインバッハ(Schleinbach)遺跡、ウルリッヒシュキルヒェン(Ulrichskirchen)遺跡、ゲマインレーバルンF(Gemeinlebarn F)遺跡、フランツハウゼン1および2(Franzhausen I and II、略してFZH)遺跡、ポッテンブルン(Pottenbrunn)遺跡です。本論文で取り上げられるそれ以外の主要な遺跡は、ドイツ中央部のレウビンゲン(Leubingen)遺跡とヘルムスドルフ(Helmsdorf)遺跡、スイスのバート・ツルツァッハ(Bad Zurzach)遺跡、ロシア西部のサマラ(Samara)です。
●要約
この研究では、下オーストリア州、とくにウーニェチツェ文化集団およびウンターヴョルブリング文化集団と関連する、前期青銅器時代個体群の考古遺伝学的調査の結果が提示されます。129個体の新たに生成されたゲノム規模データの分析を通じて、これらの共同体間および共同体内の社会構造と遺伝的関係が調べられます。その結果、厳格ではない女性族外婚を伴う、おもに父方居住社会だったことが明らかになります。さらに、IBD分析は長距離の遺伝的つながりを検出し、この期間のヨーロッパ中央部における複雑な相互作用網が強調されます。共通の社会的動態にも関わらず、ウーニェチツェ集団とウンターヴョルブリング集団との間で顕著な遺伝的差異が見られます。これらの知見は、青銅器時代の人口集団の相互接続の理解に寄与し、この歴史的状況における社会動態の繊細な解釈を必要とします。
●研究史
紀元前三千年紀のヨーロッパ中央部における末期新石器時代から前期青銅器時代への移行は、顕著な社会経済的変容および人口動態が特徴でした。ポントス・カスピ海草原地帯(黒海とカスピ海に挟まれた、ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)からヨーロッパ中央部への人々の移動は、移動と相互作用と漸進的な混合の多世代の過程を通じて、在来人口集団の遺伝的特徴を作り変えました[1~4]。これらの相互作用は、新興していた冶金術の発展と並行して生じ、それによって青銅技術は紀元前三千年紀後期および紀元前二千年紀初期のヨーロッパ中央部全域で、さまざまな速度と強度で利用されました。先行研究が主張するように、青銅器の拡大はその後、長距離接続および文化伝播の形成に大きな役割を果たし、それは「青銅器化」と定義され、ユーラシア全域の社会政治的交流網の重要な駆動要因として作用しました。
ヨーロッパ中央部のさまざまな地域にわたる研究は、前期青銅器時代(EBA)の人口集団間の漸進的な遺伝的均質化について、説得力のある証拠を記録してきました。これらの研究は、広範な地理的地域にまたがるEBA個体間の遺伝的類似性の著しいパターンと共有された祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を明らかにしています(4、9~11)。さらに、これらEBA人口集団は居住パターンと生計戦略において顕著な類似性を示しており、それは墓地に近い居住および農耕構造で構成される農場によって特徴づけられます。
先行研究は、前期青銅器時代と先行する後期新石器時代/銅器時代における父方居住についての証拠を提供してきており、そうした研究では、息子が農場を継承した一方で、娘は他集団へと嫁ぎました[9、11、12]。しかし、先史時代の親族関係制度の解釈は依然として議論が進行中で、とくに新石器時代など前期青銅器時代より前の期間について、代替的なモデルが提案されてきました。ヨーロッパ中央部におけるほぼ均質で父方居住のEBA人口集団は、おもに地域間の観点に由来しました。しかし、これらの動態がより小さくより局所的な主要地域内でどのように現れたのかについて、依然として問題が残っています。
この問題に取り組むために本論文は、前期青銅器時代の豊富な考古学的証拠を有し、半径80kmの別々の地域を網羅する、東アルプスの北側の下オーストリア州に焦点を当てました。この地域はドナウ川によって分断されており、それはすぐ近くの二つの異なる初期青銅器時代の文化的拡大の形成をもたらし、その二つの文化とは、埋葬慣行が顕著に異なるウーニェチツェ集団とウンターヴョルブリング集団です。
ドナウ川の北側地域はウーニェチツェ複合体の一部で、有名なネブラ・ディスク(Nebra Sky Disc)などの道具がある豊富な考古学的記録と、ドイツ中央部のレウビンゲン遺跡やヘルムスドルフ遺跡など初期「王侯」埋葬で見られる社会階層化で知られています。対照的に、下オーストリア州の考古学的証拠はさほどありません。そうした考古学的証拠は、多くが河川と水域に近く、以前の貯蔵穴に集落埋葬のある小さな農場や、集落の近くにほとんど墓のない墓地で構成されています。一部の墓は小さな区画に並んで配置されていますが、墓1基あたり単葬が一般的で、二重および複数埋葬の事例も存在します。主要な埋葬慣行には、男女両方の遺骸を屈曲した姿勢で埋葬させることが含まれ、通常は右側で、頭部は南側に、視線は東側に向いています。考古学的に保存された副葬品は質素で、骨や貝殻や青銅の装身具、服飾品、遺体に供えられた土器の鉢や水差しや容器で構成されています。短剣などの道具や武器は稀です。飲食物を供えた動物の骨や植物遺骸も存在することがあります。本論文の考古遺伝学的調査は、考古学的および人類学的に充分に文脈化されている、ドラーゼンホーフェン遺跡、ツヴィンゲンドルフ遺跡、ウンターハウツェンタール遺跡、シュラインバッハ遺跡、ウルリッヒシュキルヒェン遺跡に焦点を当てます。
ドナウ川の南側でウィーン森の西側に位置するウンターヴョルブリング集団は、前期青銅器時代ドイツ南部集団と文化的につながっています。この地域のよく知られている遺跡には、レヒ川流域の農場と墓地があり、広範に研究されてきました[9、25]。鐘形杯手伝統に続いて、下オーストリア州のウーニェチツェ集団とは対照的に、埋葬儀式は子供でさえ、強く二元的性別の特徴に従ってジェンダー化【以下、genderは性別ではなく、ジェンダーと訳します】されていました。男性は通常、頭部を北側にして、左側に屈曲した姿勢で安置されましたが、女性は通常、頭部を南側にして右側に安置されました。したがって、両者ともに東側を向いていました。性別を区分したこの慣行は、たとえば、ライン川南部地域やドナウ川沿岸やティサ川およびヴィスワ川沿岸の大半など、ヨーロッパ中央部の多くの地域において一般的でしたが、より特異な慣行がヨーロッパの周縁部では報告されています。これらの共同体のヨーロッパ中央部の人々にとって、二元的ジェンダー区分への執着は重要だったようです。しかし、ジェンダー化された埋葬で個体が埋葬されたことは、生涯においてどのように自己認識し、ジェンダーを実践していたのかを、必ずしも反映していません。
ゲマインレーバルンF遺跡やフランツハウゼン1および2遺跡など、数千ではなくとも数百もの埋葬がある、重要な墓地が発見されてきました。単葬が通常で、二重もしくは多重埋葬はきわめて稀です。墓の深さと副葬品の数および質は死者の社会的地位に応じて異なりますが、これは副葬品が除去されたさいに、墓が頻繁に開け直されるため、判断が困難です。この考古遺伝学的研究では、フランツハウゼン1遺跡とポッテンブルン遺跡の個体が含められました。
微細規模の視点に焦点を当てることによって目指されるのは、地理的に限定的な障壁によって隔てられた人口集団間の遺伝的均質性の水準の決定、下オーストリア州の同時代の人口集団内の異なる社会構造の特定、ヨーロッパ中央部のEBA社会内の複雑な遺伝的および社会的および文化的相互作用に関する理解の深化です。
●標本の概要
紀元前2300~紀元前1600年頃の間の7ヶ所の考古学的遺跡から発見された、先史時代の183個体が検査され(図1a・b)、保存されている古代人のDNAの品質を確保するために、厳格な選択過程が適用されました。具体的には、ヒトゲノムの「124万捕獲パネル」を用いて、1233013ヶ所の祖先系統の情報をもたらす部位について、126個体が濃縮された一方で、ポッテンブルン遺跡の標本15点はTWIST一式を用いて捕獲されました。1~22番の常染色体とX染色体上の1200343ヶ所(124万パネル)のSNPが、使用されたTWISTパネルに含められましたが、後者については、Y染色体上とゲノム全域の追加のSNPが含められました。以下は本論文の図1です。
濃縮に続いて、不充分な網羅率(124万パネルで網羅されている部位が3万ヶ所未満)もしくは汚染(mtDNAおよび/もしくはX染色体での推定汚染率が5%以上)を示唆するの個体群は分析から除外され、12点の標本が除外されました。結果として、下オーストリア州の前期青銅器時代の129個体で構成される、新たに報告されるデータ(32個体はドナウ川の南側、106個体はドナウ川の北側)が提示されます。
●下オーストリア州におけるEBA集団の遺伝学的分析
まず、EBA下オーストリア州の古代の個体群を最初の2軸に投影することによって、PCAが実行されました。このPCAは、67集団のユーラシア西部現代人551個体のデータセットを用いて構築されました。さらに、参照点として以前に刊行された古代人267個体のゲノム[4、32~38]が含められ、下オーストリア州のEBA個体群とともにPCA図に投影されました。
得られたPCA図(図2)は、独特なパターンを明らかにしました。予測されたように、下オーストリア州のEBAの138個体はすべて、アナトリア半島の初期農耕民(アナトリア_N)とWHGとポントス・カスピ海草原地帯の牧畜民(ロシア_EBA_ヤムナヤ_サマラ)の間でクラスタ化し(まとまり)、ヨーロッパ中央部の以前に刊行された同時代集団[9、10、35、39]との近接性を示しました。以下は本論文の図2です。
遺伝学的分析は、ドナウ川の北側と南側の地域の個体間の遺伝的差異を示唆します。これらの違いは、上述のPCAの第2主成分(PC2)で観察された平均値(図2および図3a)や、qpAdmでモデル化された祖先系統構成要素の相対的な割合(図3B)で明らかです。具体的には、ポッテンブルン遺跡およびフランツハウゼン1遺跡のドナウ川の南側地域に居住していた個体群(ウンターヴョルブリング文化の担い手)は、草原地帯関連祖先系統と比較して相対的により多い量の初期農耕民祖先系統を示します。逆に、ドナウ川の北側のウーニェチツェ文化個体群は反対のパターンを示し、初期農耕民祖先系統と比較して草原地帯関連祖先系統の割合がより高く、アナトリア_Nに対するロシア_EBA_ヤムナヤ_サマラの比率は、ウーニェチツェ文化標本では1.91、ウンターヴョルブリング文化標本では0.89です。これらの対照的な遺伝的特性はこの2人口集団【ウーニェチツェ文化人口集団とウンターヴョルブリング文化人口集団】間の有意な遺伝的差異を示唆しており、この2人口集団に影響を及ぼした異なる祖先の寄与と遺伝的動態が強調されます。ROH分析からは、この両集団【ウーニェチツェ文化集団とウンターヴョルブリング文化集団】は大きく異系交配の人口を抱えている、と示唆され、近親関係の両親間の結婚は示唆されていません。たとえば、成人期の乳糖耐性を含む機能的SNPの調査では、この2集団【ウーニェチツェ文化集団とウンターヴョルブリング文化集団】間で観察された頻度の違いはありませんでした。以下は本論文の図3です。
●ウーニェチツェ文化およびウンターヴョルブリング文化と関連する個体間の文化間のつながり
IBD分析を用いた調査によって、最大8親等の遺伝的つながりの検出と、8親等を越えたつながりの特定さえ可能となります。さまざまな地域の同時代集団の分析から、この二つの文化【ウーニェチツェ文化とウンターヴョルブリング文化】の研究対象の個体はレヒ渓谷、具体的には中期青銅器時代(MBA)と最も多くの遺伝的つながりを有している(図4)、と明らかになります。このパターンは、ウーニェチツェ文化のみを検討してさえ、当てはまります。レヒ渓谷は現在のドイツ南部に位置し、青銅器時代には重要な地域で、考古学的豊かさと複雑な社会構造や移動性や戦争の慣行の証拠で知られており、遺伝学的比較の重要な参照点となります。しかし、この研究で新たに生成された配列決定データのウンターヴョルブリング文化個体群のみに焦点を当てると、最も強い遺伝的つながりは、スイスのバート・ツルツァッハ遺跡のEBA二重埋葬[4]で見られます。以下は本論文の図4です。
IBD分析は、本論文の全遺跡が半径80km以下の地域に由来するにも関わらず、研究対象の二つの文化【ウーニェチツェ文化とウンターヴョルブリング文化】集団間の最小限のつながりをさらに明らかにします。ウンターヴョルブリング文化のフランツハウゼン遺跡の亜成体の1個体(FZH002)のみが、ウーニェチツェ文化集団の個体群と共有されるIBD断片を示しますが(図5)、8親等を超える程度の親族関係です。この個体【FZH002】はフランツハウゼン遺跡の三重埋葬の思春期の少年です。個体FZH002は、父親と息子と特定されている成人男性1個体および第二の思春期の少年とともに埋葬され、個体FZH002はともに埋葬されているこの2個体と遺伝的親族関係ではありません。以下は本論文の図5です。
IBD分析は、青銅器時代文化内の社会的つながりにおける性別に基づく差異も明らかにし、これは各節(分岐点)が持つつながりの数によって定義される、次数中心性(k)によって測定されます。ウーニェチツェ文化では、女性の平均次数中心性(k)は2.54なのに対して、男性では3.42です。これは男性の方がより多い接続性を有する傾向にあることを示唆しているので、ジェンダーによって区別された社会的動態を示しているかもしれませんが、ウーニェチツェ文化集団内の平均値における観察された差異は、統計的に有意ではありません。しかし、これが差異の真の欠如を反映しているのかどうか、あるいは小さな標本規模に起因する限られた統計的検出力の影響に影響を受けているのかどうかは、依然として不明です。
遺跡内のつながりの数をウーニェチツェ文化の各個体のつながりの総数(kw)で割ると、kw/k比は、女性では0.46、男性では0.58です。これは、遺跡内において男性が平均して女性よりも多くつながっていることを、さらに示しています。逆に、ウンターヴョルブリング文化では、男女間の差異は顕著により小さく、女性は平均して5点のつながりを示すのに対して、男性では5.8です。男性におけるより高いつながりの値は、父方居住への傾向を示唆しています[42]。
●文化と社会構造内の遺伝的親族関係
mtHgとYHgの調査を含む複数の手法の統合によって、遺伝的親族関係の包括的分析が実行され、二つの文化【ウーニェチツェ文化とウンターヴョルブリング文化】集団と関連する埋葬地内の遺伝的系図を再構築できました(図6)。これらの遺伝的系図は最大3世代にわたり、遺伝的関係のパターンを明らかにします。重要なのは、遺伝的関係が必ずしも社会的親族関係を表していないのに留意することです。以下は本論文の図6です。
それにも関わらず、本論文の観察からは、同じ墓地に男性を両親や子供と埋葬することが一般的だった、と示唆され、これは家族のつながりの参照を示唆しているかもしれません。対照的に、女性は子供のみと埋葬されることがより一般的でした。ある遺伝的系図では3人のキョウダイがおり、そのうち2人は全キョウダイ(両親が同じキョウダイ)、1人は父親が共通する半キョウダイ(両親の一方のみを共有するキョウダイ)で、この父親は標本抽出されていない個体です【本文ではこの系図は補足図5と示されていますが、補足図6の間違いと思われます】。DSH023とDSH027はX染色体の類似性を共有しているので、これはDSH027の母親とDSH008の母親であるDSH009に遠い共通祖先がいたことを示唆しているかもしれません。しかし、X染色体上で共有されるSNPの数は限定的です。
本論文の調査結果は、成人女性がその両親もしくはキョウダイとともに埋葬されていた、ウーニェチツェ文化集団における二つの事例も明らかにし【本文ではこの系図は補足図4および11と示されていますが、補足図4は補足図5の間違いと思われます】、これは先行研究に基づくと予想外でした。EBAのヨーロッパ中央部の他地域では、女性族外婚の証拠が一般的でした[9]。埋葬慣行が社会的行動を正確には反映していないかもしれないとしても、本論文の観察は、族外婚慣行からの逸脱を示唆しているかもしれません。
ドラーゼンホーフェン遺跡に埋葬されたこれらの女性のうち2個体も、同じ埋葬地に直接的子孫がおり、それは、娘のDSH016、DSH016の新生児の息子(DSH006)、娘のDSH01です。これは、生物学的母親も女性族外婚の例外に含められたことを示唆しているかもしれません。密接な親族とともに埋葬された成人女性のこれらの事例はより繊細な社会的動態を示唆しており、ドナウ川の南北の地域の人口集団内におけるさまざまな種類の家族および社会組織を示唆しているかもしれません。
●考察
埋葬地の核DNAについて個体の網羅的に近い標本抽出が豊富で包括的なデータセットの構築を可能にしたため、本論文の調査結果はドナウ川地域のEBA共同体の理解における顕著な進展を提示します。この密な標本抽出は、先史時代のこの特定の地域に居住する人々の詳細な断面を得るための、前例のない機会を提供しました。
地理的近さにも関わらず、ウンターヴョルブリング文化集団とウーニェチツェ文化集団との間には顕著な遺伝的差異が存在します。ウンターヴョルブリング文化と関連する個体群は、アナトリア半島の最初の農耕民と関連する祖先系統をより高い割合で示し、それはウーニェチツェ文化個体群で観察されたより高い割合の草原地帯関連祖先系統とは対照的です。このパターンは、近い人口集団は遺伝的に類似している、との地理的予測に反しており、EBAのヨーロッパ中央部における人口均質化の過程は文化的に形成された相互接続性および交易網によって促進され、一様な現象ではなかったことを示唆しています。むしろ、これらの繊細な遺伝的差異は、共同体間の接触における地域的多様性を示しており、一部の集団は特定の地域および人々とより深いつながりを築きました。女性を含めてこれらの集団間のより高い移動性は、これらのつながりの一つの結果でした。異母兄弟間のX染色体上の遺伝的類似性から、それぞれの母親は遠い親族関係で、同じ地域から到来したか、同じ長距離婚姻網の一部だったかもしれない、と示唆されます。
重要なのは、IBDのつながりは必ずしも直接的な移住を表しているのではなく、第三の代表されていない地域を通じたつながりを反映しているかもしれない、と留意することです。それにも関わらず、スイスのバート・ツルツァッハ遺跡とのウンターヴョルブリング文化集団の強いつながりに関する本論文の調査結果は、ドナウ川沿いの接触および交通網の存在を示唆しています。対照的に、現在のチェコ共和国にある近隣地域とのIBDのつながりの数が少ないことは、より広範な地域的交流を促進した、おそらくはドナウ川のような主要河川沿いといった特定の経路への選好を示唆しています。EBAにおけるドナウ川交通網の重要性は考古学的に長く認識されてきており、ドナウ展板青銅網(Danubian Sheet Bronze network、Danubischer Blechkreis)と呼ばれ、遺伝学的近縁性と物質文化の相関は注目に値します。しかし、この関係はEBAのみに存在しており、物質文化と社会制度の両方に関して、レヒ渓谷ではEBAとMBAとの間に顕著な断絶があり、これは紀元前1700年頃以降のレヒ渓谷における新たな集団の到来を示しているかもしれません[9]。したがって、EBAの下オーストリア州とMBAのレヒ渓谷との間の遺伝的つながりは予想外です。したがって、本論文の調査結果から、MBAレヒ渓谷の人口集団はEBAオーストリアとの強いつながりのある集団に起源があった可能性は高い、と示唆されるかもしれません。先行研究は一貫して、EBAヨーロッパ中央部における一般的な社会的パターンとして父方居住を特定してきました。しかし、本論文は、ドナウ川の北側地域のウーニェチツェ文化で、繁殖年齢の女性が自身の子供とともに父親もしくは兄弟と埋葬された事例を明らかにします。これは、さほど厳格にジェンダー化されていない埋葬慣行と、さほど厳密ではない結婚規則との間の関連を示唆しており、そうした場合には、女性は他の共同体へと嫁がなかったか、死後に祖先の埋葬地に戻されました。
しかし、代替的な説明も検討されるべきです。たとえば、そうした埋葬は、女性が結婚後の居住地に関わらず出生親族とともに埋葬される文化的慣行か、女性が実家に戻る離婚などの社会的状況を反映しているかもしれません。一部の女性は結婚しないままだったか、特定の儀式が埋葬の決定に影響を及ぼした可能性もあります。さらに、ジェンダー自認と死亡時の状況が、これらの埋葬選択を形成したかもしれません。この観察はより繊細な女性の移動性や多様な家族の配置に関する、理想的にはストロンチウム同位体の研究を含む、研究の可能性を示唆し、そうした研究は、既存の解釈上の枠組みをより豊かにし、父方居住の理論的枠組みに異議を唱えるかもしれません。
ウンターヴョルブリング文化集団の乳児は、EBAの子供たちが直面した課題を明らかにします。同じ家族の3人の関連する子供が全員、幼くして死亡しており、青銅器時代の子供が幼少期に遭遇した、過酷な環境が浮き彫りになります。3人の幼い個体の骨格遺骸における髄膜炎や肋膜感染症などの損傷や疾患の痕跡は、これらの共同体内の健康と生存に多くの困難があったことをさらに示しています。幼い子供たちの困苦のこれらの事例は、シュラインバッハ遺跡の子供殺害に関する以前に刊行された事例とよく一致し、これは孤立した事件ではなかった可能性が高かったことを示唆しています。
埋葬地からの個体の密な標本抽出によって可能となった広範なデータセットは、この地域のEBA共同体について独特な視点を提供します。それは、遺伝的関係の複雑さや集団間の顕著な交流や親族関係や社会構造を明らかにします。この調査結果は、人口動態ら光を当て、より広範な地域的研究を補完するための、微細規模の調査の重要性を強調します。これは、この歴史の変容期におけるヒトの相互作用の微妙な差異および社会文化的発展へのさらなる調査を促します。
参考文献:
Furtwängler A. et al.(2026): Tracing social mechanisms and interregional connections in Early Bronze Age Societies in Lower Austria. Nature Communications, 17, 131.
https://doi.org/10.1038/s41467-025-67906-y
[1]Lazaridis I. et al.(2014): Ancient human genomes suggest three ancestral populations for present-day Europeans. Nature, 513, 7518, 409–413.
https://doi.org/10.1038/nature13673
関連記事
[2]Haak W. et al.(2015): Massive migration from the steppe was a source for Indo-European languages in Europe. Nature, 522, 7555, 207–211.
https://doi.org/10.1038/nature14317
関連記事
[3]Allentoft ME. et al.(2024): Population genomics of post-glacial western Eurasia. Nature, 625, 7994, 301–311.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06865-0
関連記事
[4]Furtwängler A. et al.(2020): Ancient genomes reveal social and genetic structure of Late Neolithic Switzerland. Nature Communications, 11, 1915.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-15560-x
関連記事
[9]Mittnik A. et al.(2019):Kinship-based social inequality in Bronze Age Europe. Science, 366, 6466, 731–734.
https://doi.org/10.1126/science.aax6219
関連記事
[10]Papac L. et al.(2021): Dynamic changes in genomic and social structures in third millennium BCE central Europe. Science Advances, 7, 35, eabi6941.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abi6941
関連記事
[11]Penske S. et al.(2024): Kinship practices at the early bronze age site of Leubingen in Central Germany. Scientific Reports, 14, 3871.
https://doi.org/10.1038/s41598-024-54462-6
関連記事
[12]Sjögren K-G, Olalde I, Carver S, Allentoft ME, Knowles T, Kroonen G, et al. (2020) Kinship and social organization in Copper Age Europe. A cross-disciplinary analysis of archaeology, DNA, isotopes, and anthropology from two Bell Beaker cemeteries. PLoS ONE 15(11): e0241278.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0241278
関連記事
[25]Knipper C. et al.(2017): Female exogamy and gene pool diversification at the transition from the Final Neolithic to the Early Bronze Age in central Europe. PNAS, 114, 38, 10083–10088.
https://doi.org/10.1073/pnas.1706355114
関連記事
[32]Mathieson I. et al.(2015): Genome-wide patterns of selection in 230 ancient Eurasians. Nature, 528, 7583, 499–503.
https://doi.org/10.1038/nature16152
関連記事
[33]Feldman M. et al.(2019): Late Pleistocene human genome suggests a local origin for the first farmers of central Anatolia. Nature Communications, 10, 1218.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-09209-7
関連記事
[34]Mathieson I. et al.(2018): The genomic history of southeastern Europe. Nature, 555, 7695, 197–203.
https://doi.org/10.1038/nature25778
関連記事
[35]Olalde I. et al.(2018): The Beaker phenomenon and the genomic transformation of northwest Europe. Nature, 555, 7695, 190–196.
https://doi.org/10.1038/nature25738
関連記事
[36]Olalde I. et al.(2019): The genomic history of the Iberian Peninsula over the past 8000 years. Science, 363, 6432, 1230-1234.
https://doi.org/10.1126/science.aav4040
関連記事
[37]Narasimhan VM. et al.(2019): The formation of human populations in South and Central Asia. Science, 365, 6457, eaat7487.
https://doi.org/10.1126/science.aat7487
関連記事
[38]Jones ER. et al.(2015): Upper Palaeolithic genomes reveal deep roots of modern Eurasians. Nature Communications, 6, 8912.
https://doi.org/10.1038/ncomms9912
関連記事
[39]Mittnik A. et al.(2018): The genetic prehistory of the Baltic Sea region. Nature Communications, 9, 442.
https://doi.org/10.1038/s41467-018-02825-9
関連記事
[42]Gnecchi-Ruscone GA. et al.(2024): Network of large pedigrees reveals social practices of Avar communities. Nature, 629, 8011, 376–383.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-07312-4
関連記事
以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、ImtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、km(kilometre、kilometer、キロメートル)、WHG(Western Hunter-Gatherers、ヨーロッパ西方狩猟採集民)です。
以下の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EBA(Early Bronze Age、前期青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)です。本論文で取り上げられる主要な文化は、ウーニェチツェ(Únětice)文化、ウンターヴョルブリング(Unterwölbling)文化、鐘状ビーカー(Bell Beaker、鐘形杯)文化、ヤムナヤ(Yamnaya)文化です。
本論文で取り上げられるオーストリアの主要な遺跡は、ドラーゼンホーフェン(Drasenhofen、略してDSH)遺跡、ツヴィンゲンドルフ(Zwingendorf)遺跡、ウンターハウツェンタール(Unterhautzenthal)遺跡、シュラインバッハ(Schleinbach)遺跡、ウルリッヒシュキルヒェン(Ulrichskirchen)遺跡、ゲマインレーバルンF(Gemeinlebarn F)遺跡、フランツハウゼン1および2(Franzhausen I and II、略してFZH)遺跡、ポッテンブルン(Pottenbrunn)遺跡です。本論文で取り上げられるそれ以外の主要な遺跡は、ドイツ中央部のレウビンゲン(Leubingen)遺跡とヘルムスドルフ(Helmsdorf)遺跡、スイスのバート・ツルツァッハ(Bad Zurzach)遺跡、ロシア西部のサマラ(Samara)です。
●要約
この研究では、下オーストリア州、とくにウーニェチツェ文化集団およびウンターヴョルブリング文化集団と関連する、前期青銅器時代個体群の考古遺伝学的調査の結果が提示されます。129個体の新たに生成されたゲノム規模データの分析を通じて、これらの共同体間および共同体内の社会構造と遺伝的関係が調べられます。その結果、厳格ではない女性族外婚を伴う、おもに父方居住社会だったことが明らかになります。さらに、IBD分析は長距離の遺伝的つながりを検出し、この期間のヨーロッパ中央部における複雑な相互作用網が強調されます。共通の社会的動態にも関わらず、ウーニェチツェ集団とウンターヴョルブリング集団との間で顕著な遺伝的差異が見られます。これらの知見は、青銅器時代の人口集団の相互接続の理解に寄与し、この歴史的状況における社会動態の繊細な解釈を必要とします。
●研究史
紀元前三千年紀のヨーロッパ中央部における末期新石器時代から前期青銅器時代への移行は、顕著な社会経済的変容および人口動態が特徴でした。ポントス・カスピ海草原地帯(黒海とカスピ海に挟まれた、ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)からヨーロッパ中央部への人々の移動は、移動と相互作用と漸進的な混合の多世代の過程を通じて、在来人口集団の遺伝的特徴を作り変えました[1~4]。これらの相互作用は、新興していた冶金術の発展と並行して生じ、それによって青銅技術は紀元前三千年紀後期および紀元前二千年紀初期のヨーロッパ中央部全域で、さまざまな速度と強度で利用されました。先行研究が主張するように、青銅器の拡大はその後、長距離接続および文化伝播の形成に大きな役割を果たし、それは「青銅器化」と定義され、ユーラシア全域の社会政治的交流網の重要な駆動要因として作用しました。
ヨーロッパ中央部のさまざまな地域にわたる研究は、前期青銅器時代(EBA)の人口集団間の漸進的な遺伝的均質化について、説得力のある証拠を記録してきました。これらの研究は、広範な地理的地域にまたがるEBA個体間の遺伝的類似性の著しいパターンと共有された祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を明らかにしています(4、9~11)。さらに、これらEBA人口集団は居住パターンと生計戦略において顕著な類似性を示しており、それは墓地に近い居住および農耕構造で構成される農場によって特徴づけられます。
先行研究は、前期青銅器時代と先行する後期新石器時代/銅器時代における父方居住についての証拠を提供してきており、そうした研究では、息子が農場を継承した一方で、娘は他集団へと嫁ぎました[9、11、12]。しかし、先史時代の親族関係制度の解釈は依然として議論が進行中で、とくに新石器時代など前期青銅器時代より前の期間について、代替的なモデルが提案されてきました。ヨーロッパ中央部におけるほぼ均質で父方居住のEBA人口集団は、おもに地域間の観点に由来しました。しかし、これらの動態がより小さくより局所的な主要地域内でどのように現れたのかについて、依然として問題が残っています。
この問題に取り組むために本論文は、前期青銅器時代の豊富な考古学的証拠を有し、半径80kmの別々の地域を網羅する、東アルプスの北側の下オーストリア州に焦点を当てました。この地域はドナウ川によって分断されており、それはすぐ近くの二つの異なる初期青銅器時代の文化的拡大の形成をもたらし、その二つの文化とは、埋葬慣行が顕著に異なるウーニェチツェ集団とウンターヴョルブリング集団です。
ドナウ川の北側地域はウーニェチツェ複合体の一部で、有名なネブラ・ディスク(Nebra Sky Disc)などの道具がある豊富な考古学的記録と、ドイツ中央部のレウビンゲン遺跡やヘルムスドルフ遺跡など初期「王侯」埋葬で見られる社会階層化で知られています。対照的に、下オーストリア州の考古学的証拠はさほどありません。そうした考古学的証拠は、多くが河川と水域に近く、以前の貯蔵穴に集落埋葬のある小さな農場や、集落の近くにほとんど墓のない墓地で構成されています。一部の墓は小さな区画に並んで配置されていますが、墓1基あたり単葬が一般的で、二重および複数埋葬の事例も存在します。主要な埋葬慣行には、男女両方の遺骸を屈曲した姿勢で埋葬させることが含まれ、通常は右側で、頭部は南側に、視線は東側に向いています。考古学的に保存された副葬品は質素で、骨や貝殻や青銅の装身具、服飾品、遺体に供えられた土器の鉢や水差しや容器で構成されています。短剣などの道具や武器は稀です。飲食物を供えた動物の骨や植物遺骸も存在することがあります。本論文の考古遺伝学的調査は、考古学的および人類学的に充分に文脈化されている、ドラーゼンホーフェン遺跡、ツヴィンゲンドルフ遺跡、ウンターハウツェンタール遺跡、シュラインバッハ遺跡、ウルリッヒシュキルヒェン遺跡に焦点を当てます。
ドナウ川の南側でウィーン森の西側に位置するウンターヴョルブリング集団は、前期青銅器時代ドイツ南部集団と文化的につながっています。この地域のよく知られている遺跡には、レヒ川流域の農場と墓地があり、広範に研究されてきました[9、25]。鐘形杯手伝統に続いて、下オーストリア州のウーニェチツェ集団とは対照的に、埋葬儀式は子供でさえ、強く二元的性別の特徴に従ってジェンダー化【以下、genderは性別ではなく、ジェンダーと訳します】されていました。男性は通常、頭部を北側にして、左側に屈曲した姿勢で安置されましたが、女性は通常、頭部を南側にして右側に安置されました。したがって、両者ともに東側を向いていました。性別を区分したこの慣行は、たとえば、ライン川南部地域やドナウ川沿岸やティサ川およびヴィスワ川沿岸の大半など、ヨーロッパ中央部の多くの地域において一般的でしたが、より特異な慣行がヨーロッパの周縁部では報告されています。これらの共同体のヨーロッパ中央部の人々にとって、二元的ジェンダー区分への執着は重要だったようです。しかし、ジェンダー化された埋葬で個体が埋葬されたことは、生涯においてどのように自己認識し、ジェンダーを実践していたのかを、必ずしも反映していません。
ゲマインレーバルンF遺跡やフランツハウゼン1および2遺跡など、数千ではなくとも数百もの埋葬がある、重要な墓地が発見されてきました。単葬が通常で、二重もしくは多重埋葬はきわめて稀です。墓の深さと副葬品の数および質は死者の社会的地位に応じて異なりますが、これは副葬品が除去されたさいに、墓が頻繁に開け直されるため、判断が困難です。この考古遺伝学的研究では、フランツハウゼン1遺跡とポッテンブルン遺跡の個体が含められました。
微細規模の視点に焦点を当てることによって目指されるのは、地理的に限定的な障壁によって隔てられた人口集団間の遺伝的均質性の水準の決定、下オーストリア州の同時代の人口集団内の異なる社会構造の特定、ヨーロッパ中央部のEBA社会内の複雑な遺伝的および社会的および文化的相互作用に関する理解の深化です。
●標本の概要
紀元前2300~紀元前1600年頃の間の7ヶ所の考古学的遺跡から発見された、先史時代の183個体が検査され(図1a・b)、保存されている古代人のDNAの品質を確保するために、厳格な選択過程が適用されました。具体的には、ヒトゲノムの「124万捕獲パネル」を用いて、1233013ヶ所の祖先系統の情報をもたらす部位について、126個体が濃縮された一方で、ポッテンブルン遺跡の標本15点はTWIST一式を用いて捕獲されました。1~22番の常染色体とX染色体上の1200343ヶ所(124万パネル)のSNPが、使用されたTWISTパネルに含められましたが、後者については、Y染色体上とゲノム全域の追加のSNPが含められました。以下は本論文の図1です。
濃縮に続いて、不充分な網羅率(124万パネルで網羅されている部位が3万ヶ所未満)もしくは汚染(mtDNAおよび/もしくはX染色体での推定汚染率が5%以上)を示唆するの個体群は分析から除外され、12点の標本が除外されました。結果として、下オーストリア州の前期青銅器時代の129個体で構成される、新たに報告されるデータ(32個体はドナウ川の南側、106個体はドナウ川の北側)が提示されます。
●下オーストリア州におけるEBA集団の遺伝学的分析
まず、EBA下オーストリア州の古代の個体群を最初の2軸に投影することによって、PCAが実行されました。このPCAは、67集団のユーラシア西部現代人551個体のデータセットを用いて構築されました。さらに、参照点として以前に刊行された古代人267個体のゲノム[4、32~38]が含められ、下オーストリア州のEBA個体群とともにPCA図に投影されました。
得られたPCA図(図2)は、独特なパターンを明らかにしました。予測されたように、下オーストリア州のEBAの138個体はすべて、アナトリア半島の初期農耕民(アナトリア_N)とWHGとポントス・カスピ海草原地帯の牧畜民(ロシア_EBA_ヤムナヤ_サマラ)の間でクラスタ化し(まとまり)、ヨーロッパ中央部の以前に刊行された同時代集団[9、10、35、39]との近接性を示しました。以下は本論文の図2です。
遺伝学的分析は、ドナウ川の北側と南側の地域の個体間の遺伝的差異を示唆します。これらの違いは、上述のPCAの第2主成分(PC2)で観察された平均値(図2および図3a)や、qpAdmでモデル化された祖先系統構成要素の相対的な割合(図3B)で明らかです。具体的には、ポッテンブルン遺跡およびフランツハウゼン1遺跡のドナウ川の南側地域に居住していた個体群(ウンターヴョルブリング文化の担い手)は、草原地帯関連祖先系統と比較して相対的により多い量の初期農耕民祖先系統を示します。逆に、ドナウ川の北側のウーニェチツェ文化個体群は反対のパターンを示し、初期農耕民祖先系統と比較して草原地帯関連祖先系統の割合がより高く、アナトリア_Nに対するロシア_EBA_ヤムナヤ_サマラの比率は、ウーニェチツェ文化標本では1.91、ウンターヴョルブリング文化標本では0.89です。これらの対照的な遺伝的特性はこの2人口集団【ウーニェチツェ文化人口集団とウンターヴョルブリング文化人口集団】間の有意な遺伝的差異を示唆しており、この2人口集団に影響を及ぼした異なる祖先の寄与と遺伝的動態が強調されます。ROH分析からは、この両集団【ウーニェチツェ文化集団とウンターヴョルブリング文化集団】は大きく異系交配の人口を抱えている、と示唆され、近親関係の両親間の結婚は示唆されていません。たとえば、成人期の乳糖耐性を含む機能的SNPの調査では、この2集団【ウーニェチツェ文化集団とウンターヴョルブリング文化集団】間で観察された頻度の違いはありませんでした。以下は本論文の図3です。
●ウーニェチツェ文化およびウンターヴョルブリング文化と関連する個体間の文化間のつながり
IBD分析を用いた調査によって、最大8親等の遺伝的つながりの検出と、8親等を越えたつながりの特定さえ可能となります。さまざまな地域の同時代集団の分析から、この二つの文化【ウーニェチツェ文化とウンターヴョルブリング文化】の研究対象の個体はレヒ渓谷、具体的には中期青銅器時代(MBA)と最も多くの遺伝的つながりを有している(図4)、と明らかになります。このパターンは、ウーニェチツェ文化のみを検討してさえ、当てはまります。レヒ渓谷は現在のドイツ南部に位置し、青銅器時代には重要な地域で、考古学的豊かさと複雑な社会構造や移動性や戦争の慣行の証拠で知られており、遺伝学的比較の重要な参照点となります。しかし、この研究で新たに生成された配列決定データのウンターヴョルブリング文化個体群のみに焦点を当てると、最も強い遺伝的つながりは、スイスのバート・ツルツァッハ遺跡のEBA二重埋葬[4]で見られます。以下は本論文の図4です。
IBD分析は、本論文の全遺跡が半径80km以下の地域に由来するにも関わらず、研究対象の二つの文化【ウーニェチツェ文化とウンターヴョルブリング文化】集団間の最小限のつながりをさらに明らかにします。ウンターヴョルブリング文化のフランツハウゼン遺跡の亜成体の1個体(FZH002)のみが、ウーニェチツェ文化集団の個体群と共有されるIBD断片を示しますが(図5)、8親等を超える程度の親族関係です。この個体【FZH002】はフランツハウゼン遺跡の三重埋葬の思春期の少年です。個体FZH002は、父親と息子と特定されている成人男性1個体および第二の思春期の少年とともに埋葬され、個体FZH002はともに埋葬されているこの2個体と遺伝的親族関係ではありません。以下は本論文の図5です。
IBD分析は、青銅器時代文化内の社会的つながりにおける性別に基づく差異も明らかにし、これは各節(分岐点)が持つつながりの数によって定義される、次数中心性(k)によって測定されます。ウーニェチツェ文化では、女性の平均次数中心性(k)は2.54なのに対して、男性では3.42です。これは男性の方がより多い接続性を有する傾向にあることを示唆しているので、ジェンダーによって区別された社会的動態を示しているかもしれませんが、ウーニェチツェ文化集団内の平均値における観察された差異は、統計的に有意ではありません。しかし、これが差異の真の欠如を反映しているのかどうか、あるいは小さな標本規模に起因する限られた統計的検出力の影響に影響を受けているのかどうかは、依然として不明です。
遺跡内のつながりの数をウーニェチツェ文化の各個体のつながりの総数(kw)で割ると、kw/k比は、女性では0.46、男性では0.58です。これは、遺跡内において男性が平均して女性よりも多くつながっていることを、さらに示しています。逆に、ウンターヴョルブリング文化では、男女間の差異は顕著により小さく、女性は平均して5点のつながりを示すのに対して、男性では5.8です。男性におけるより高いつながりの値は、父方居住への傾向を示唆しています[42]。
●文化と社会構造内の遺伝的親族関係
mtHgとYHgの調査を含む複数の手法の統合によって、遺伝的親族関係の包括的分析が実行され、二つの文化【ウーニェチツェ文化とウンターヴョルブリング文化】集団と関連する埋葬地内の遺伝的系図を再構築できました(図6)。これらの遺伝的系図は最大3世代にわたり、遺伝的関係のパターンを明らかにします。重要なのは、遺伝的関係が必ずしも社会的親族関係を表していないのに留意することです。以下は本論文の図6です。
それにも関わらず、本論文の観察からは、同じ墓地に男性を両親や子供と埋葬することが一般的だった、と示唆され、これは家族のつながりの参照を示唆しているかもしれません。対照的に、女性は子供のみと埋葬されることがより一般的でした。ある遺伝的系図では3人のキョウダイがおり、そのうち2人は全キョウダイ(両親が同じキョウダイ)、1人は父親が共通する半キョウダイ(両親の一方のみを共有するキョウダイ)で、この父親は標本抽出されていない個体です【本文ではこの系図は補足図5と示されていますが、補足図6の間違いと思われます】。DSH023とDSH027はX染色体の類似性を共有しているので、これはDSH027の母親とDSH008の母親であるDSH009に遠い共通祖先がいたことを示唆しているかもしれません。しかし、X染色体上で共有されるSNPの数は限定的です。
本論文の調査結果は、成人女性がその両親もしくはキョウダイとともに埋葬されていた、ウーニェチツェ文化集団における二つの事例も明らかにし【本文ではこの系図は補足図4および11と示されていますが、補足図4は補足図5の間違いと思われます】、これは先行研究に基づくと予想外でした。EBAのヨーロッパ中央部の他地域では、女性族外婚の証拠が一般的でした[9]。埋葬慣行が社会的行動を正確には反映していないかもしれないとしても、本論文の観察は、族外婚慣行からの逸脱を示唆しているかもしれません。
ドラーゼンホーフェン遺跡に埋葬されたこれらの女性のうち2個体も、同じ埋葬地に直接的子孫がおり、それは、娘のDSH016、DSH016の新生児の息子(DSH006)、娘のDSH01です。これは、生物学的母親も女性族外婚の例外に含められたことを示唆しているかもしれません。密接な親族とともに埋葬された成人女性のこれらの事例はより繊細な社会的動態を示唆しており、ドナウ川の南北の地域の人口集団内におけるさまざまな種類の家族および社会組織を示唆しているかもしれません。
●考察
埋葬地の核DNAについて個体の網羅的に近い標本抽出が豊富で包括的なデータセットの構築を可能にしたため、本論文の調査結果はドナウ川地域のEBA共同体の理解における顕著な進展を提示します。この密な標本抽出は、先史時代のこの特定の地域に居住する人々の詳細な断面を得るための、前例のない機会を提供しました。
地理的近さにも関わらず、ウンターヴョルブリング文化集団とウーニェチツェ文化集団との間には顕著な遺伝的差異が存在します。ウンターヴョルブリング文化と関連する個体群は、アナトリア半島の最初の農耕民と関連する祖先系統をより高い割合で示し、それはウーニェチツェ文化個体群で観察されたより高い割合の草原地帯関連祖先系統とは対照的です。このパターンは、近い人口集団は遺伝的に類似している、との地理的予測に反しており、EBAのヨーロッパ中央部における人口均質化の過程は文化的に形成された相互接続性および交易網によって促進され、一様な現象ではなかったことを示唆しています。むしろ、これらの繊細な遺伝的差異は、共同体間の接触における地域的多様性を示しており、一部の集団は特定の地域および人々とより深いつながりを築きました。女性を含めてこれらの集団間のより高い移動性は、これらのつながりの一つの結果でした。異母兄弟間のX染色体上の遺伝的類似性から、それぞれの母親は遠い親族関係で、同じ地域から到来したか、同じ長距離婚姻網の一部だったかもしれない、と示唆されます。
重要なのは、IBDのつながりは必ずしも直接的な移住を表しているのではなく、第三の代表されていない地域を通じたつながりを反映しているかもしれない、と留意することです。それにも関わらず、スイスのバート・ツルツァッハ遺跡とのウンターヴョルブリング文化集団の強いつながりに関する本論文の調査結果は、ドナウ川沿いの接触および交通網の存在を示唆しています。対照的に、現在のチェコ共和国にある近隣地域とのIBDのつながりの数が少ないことは、より広範な地域的交流を促進した、おそらくはドナウ川のような主要河川沿いといった特定の経路への選好を示唆しています。EBAにおけるドナウ川交通網の重要性は考古学的に長く認識されてきており、ドナウ展板青銅網(Danubian Sheet Bronze network、Danubischer Blechkreis)と呼ばれ、遺伝学的近縁性と物質文化の相関は注目に値します。しかし、この関係はEBAのみに存在しており、物質文化と社会制度の両方に関して、レヒ渓谷ではEBAとMBAとの間に顕著な断絶があり、これは紀元前1700年頃以降のレヒ渓谷における新たな集団の到来を示しているかもしれません[9]。したがって、EBAの下オーストリア州とMBAのレヒ渓谷との間の遺伝的つながりは予想外です。したがって、本論文の調査結果から、MBAレヒ渓谷の人口集団はEBAオーストリアとの強いつながりのある集団に起源があった可能性は高い、と示唆されるかもしれません。先行研究は一貫して、EBAヨーロッパ中央部における一般的な社会的パターンとして父方居住を特定してきました。しかし、本論文は、ドナウ川の北側地域のウーニェチツェ文化で、繁殖年齢の女性が自身の子供とともに父親もしくは兄弟と埋葬された事例を明らかにします。これは、さほど厳格にジェンダー化されていない埋葬慣行と、さほど厳密ではない結婚規則との間の関連を示唆しており、そうした場合には、女性は他の共同体へと嫁がなかったか、死後に祖先の埋葬地に戻されました。
しかし、代替的な説明も検討されるべきです。たとえば、そうした埋葬は、女性が結婚後の居住地に関わらず出生親族とともに埋葬される文化的慣行か、女性が実家に戻る離婚などの社会的状況を反映しているかもしれません。一部の女性は結婚しないままだったか、特定の儀式が埋葬の決定に影響を及ぼした可能性もあります。さらに、ジェンダー自認と死亡時の状況が、これらの埋葬選択を形成したかもしれません。この観察はより繊細な女性の移動性や多様な家族の配置に関する、理想的にはストロンチウム同位体の研究を含む、研究の可能性を示唆し、そうした研究は、既存の解釈上の枠組みをより豊かにし、父方居住の理論的枠組みに異議を唱えるかもしれません。
ウンターヴョルブリング文化集団の乳児は、EBAの子供たちが直面した課題を明らかにします。同じ家族の3人の関連する子供が全員、幼くして死亡しており、青銅器時代の子供が幼少期に遭遇した、過酷な環境が浮き彫りになります。3人の幼い個体の骨格遺骸における髄膜炎や肋膜感染症などの損傷や疾患の痕跡は、これらの共同体内の健康と生存に多くの困難があったことをさらに示しています。幼い子供たちの困苦のこれらの事例は、シュラインバッハ遺跡の子供殺害に関する以前に刊行された事例とよく一致し、これは孤立した事件ではなかった可能性が高かったことを示唆しています。
埋葬地からの個体の密な標本抽出によって可能となった広範なデータセットは、この地域のEBA共同体について独特な視点を提供します。それは、遺伝的関係の複雑さや集団間の顕著な交流や親族関係や社会構造を明らかにします。この調査結果は、人口動態ら光を当て、より広範な地域的研究を補完するための、微細規模の調査の重要性を強調します。これは、この歴史の変容期におけるヒトの相互作用の微妙な差異および社会文化的発展へのさらなる調査を促します。
参考文献:
Furtwängler A. et al.(2026): Tracing social mechanisms and interregional connections in Early Bronze Age Societies in Lower Austria. Nature Communications, 17, 131.
https://doi.org/10.1038/s41467-025-67906-y
[1]Lazaridis I. et al.(2014): Ancient human genomes suggest three ancestral populations for present-day Europeans. Nature, 513, 7518, 409–413.
https://doi.org/10.1038/nature13673
関連記事
[2]Haak W. et al.(2015): Massive migration from the steppe was a source for Indo-European languages in Europe. Nature, 522, 7555, 207–211.
https://doi.org/10.1038/nature14317
関連記事
[3]Allentoft ME. et al.(2024): Population genomics of post-glacial western Eurasia. Nature, 625, 7994, 301–311.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06865-0
関連記事
[4]Furtwängler A. et al.(2020): Ancient genomes reveal social and genetic structure of Late Neolithic Switzerland. Nature Communications, 11, 1915.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-15560-x
関連記事
[9]Mittnik A. et al.(2019):Kinship-based social inequality in Bronze Age Europe. Science, 366, 6466, 731–734.
https://doi.org/10.1126/science.aax6219
関連記事
[10]Papac L. et al.(2021): Dynamic changes in genomic and social structures in third millennium BCE central Europe. Science Advances, 7, 35, eabi6941.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abi6941
関連記事
[11]Penske S. et al.(2024): Kinship practices at the early bronze age site of Leubingen in Central Germany. Scientific Reports, 14, 3871.
https://doi.org/10.1038/s41598-024-54462-6
関連記事
[12]Sjögren K-G, Olalde I, Carver S, Allentoft ME, Knowles T, Kroonen G, et al. (2020) Kinship and social organization in Copper Age Europe. A cross-disciplinary analysis of archaeology, DNA, isotopes, and anthropology from two Bell Beaker cemeteries. PLoS ONE 15(11): e0241278.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0241278
関連記事
[25]Knipper C. et al.(2017): Female exogamy and gene pool diversification at the transition from the Final Neolithic to the Early Bronze Age in central Europe. PNAS, 114, 38, 10083–10088.
https://doi.org/10.1073/pnas.1706355114
関連記事
[32]Mathieson I. et al.(2015): Genome-wide patterns of selection in 230 ancient Eurasians. Nature, 528, 7583, 499–503.
https://doi.org/10.1038/nature16152
関連記事
[33]Feldman M. et al.(2019): Late Pleistocene human genome suggests a local origin for the first farmers of central Anatolia. Nature Communications, 10, 1218.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-09209-7
関連記事
[34]Mathieson I. et al.(2018): The genomic history of southeastern Europe. Nature, 555, 7695, 197–203.
https://doi.org/10.1038/nature25778
関連記事
[35]Olalde I. et al.(2018): The Beaker phenomenon and the genomic transformation of northwest Europe. Nature, 555, 7695, 190–196.
https://doi.org/10.1038/nature25738
関連記事
[36]Olalde I. et al.(2019): The genomic history of the Iberian Peninsula over the past 8000 years. Science, 363, 6432, 1230-1234.
https://doi.org/10.1126/science.aav4040
関連記事
[37]Narasimhan VM. et al.(2019): The formation of human populations in South and Central Asia. Science, 365, 6457, eaat7487.
https://doi.org/10.1126/science.aat7487
関連記事
[38]Jones ER. et al.(2015): Upper Palaeolithic genomes reveal deep roots of modern Eurasians. Nature Communications, 6, 8912.
https://doi.org/10.1038/ncomms9912
関連記事
[39]Mittnik A. et al.(2018): The genetic prehistory of the Baltic Sea region. Nature Communications, 9, 442.
https://doi.org/10.1038/s41467-018-02825-9
関連記事
[42]Gnecchi-Ruscone GA. et al.(2024): Network of large pedigrees reveals social practices of Avar communities. Nature, 629, 8011, 376–383.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-07312-4
関連記事






この記事へのコメント