燕山地域の新石器時代人類のゲノムデータ
燕山地域の新石器時代人類のゲノムデータを報告した研究(Zhang et al., 2026)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、モンゴル高原と華北との間の移行地帯である燕山地域の、7700~4300年前頃となる前期新石器時代と後期新石器時代の人類遺骸のゲノムデータの分析結果を報告しています。その結果、前期新石器時代の燕山地域集団は遺伝的に前期新石器時代バイカル湖地域集団と関連しており、後期新石器時代の燕山地域集団は遺伝的に均質で、前期新石器時代燕山地域集団および黄河流域農耕民集団との混合を示す、先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有していた、と明らかになりました。本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事の以下の翻訳ではではとりあえず「中国」と表記します。以下は本論文の要約図です。
以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、KIN(Kinship INference、親族関係の推測)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、PMR(pairwise mismatch rate、不適正塩基対率)、AR(Amur River、アムール川)、K(kilo years ago、千年前)、o(outlier、外れ値)、s.e.m(Standard Error of the Mean、平均標準誤差)、km(kilometre、kilometer、キロメートル)、YMR(Yan Mountain Region 、燕山地域)、APS(Ancient Paleo-Siberian、旧シベリア古代人)、ANE(Ancient Northern Eurasian、古代北ユーラシア人)、ANA(Ancient Northeast Asian、アジア北東部古代人)、WHG(Western hunter-gatherer、ヨーロッパ西方狩猟採集民)です。
以下の時代区分の略称は、M(Mesolithic、中石器時代)、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、LNBA(Late Neolithic to Bronze Age、後期旧石器時代~青銅器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EBA(Early Bronze Age、前期青銅器時代)、EMBA(Early to Middle Bronze Age、前期~中期青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)です。本論文で取り上げられる主要な地名は、コリマ川(Kolyma River)、アラスカのアップウォードサン川(Upward Sun River、略してUSR)、ヤクーチア(Yakutia、サハ共和国)、ミヌシンスク盆地(Minusinsk Basin)です。本論文で取り上げられる主要な文化は、紅山(Hongshan)文化、興隆窪(Xinglongwa)文化、小河沿(Xiaoheyan)文化、大汶口(Dawenkou)文化、斉家(Qijia)文化、夏家店下層(Lower Xiajiadian)文化、龍山(Longshan)文化、グラズコヴォ(Glazkovo)文化、セロヴォ(Serovo)文化、セイマ・トルビノ(Seima-Turbino、略してST)現象、キトイ(Kitoi)文化、ベルカチ(Belkachi)文化です。
本論文で取り上げられる主要なモンゴルの遺跡は、STM(Sitaimengguying、四台モンゴル営)遺跡、裕民(Yumin)遺跡、ハミンマンガ(Haminmangha、略してHMMH)遺跡、廟子溝(Miaozigou)遺跡です。本論文で取り上げられる主要な中国の遺跡は、遼寧省の半拉山(Banlashan)遺跡、河北省の張家口市陽原県の姜家梁(Jiangjialiang、略してJJL)遺跡と鄭家溝(Zhengjiagou、略してZJG)遺跡、陝西省神木(Shenmu)市の石峁(Shimao)遺跡、山東省の崗山(GangShang、略してGS)遺跡、福建省の渓頭村(Xitoucun)遺跡です。本論文で取り上げられるそれ以外の地域の主要な遺跡は、バイカル湖地域のシャマンカ2(Shamanka II)遺跡とウスチキャフタ3(Ust-Kyakhta-3、略してUKY)遺跡とシュミリハ(Shumilikha)遺跡、シベリアのマリタ(Mal'ta)遺跡とアフォントヴァ・ゴラ(Afontova Gora、略してAG)遺跡とデュヴァニ・ヤー(Duvanny Yar)遺跡とヅィリンダ1(Dzhylinda-1)遺跡、ロシア北西部のボリショイ・オレニー・オストロフ(Bolshoy Oleni Ostrov)遺跡、ロシア極東沿岸の悪魔の門洞窟(Devil’s Gate Cave、Chertovy Vorota)遺跡、イランのテペ・ガンジュ・ダレー(Tepe Ganj Dareh)遺跡です。
●要約
燕山地域(YMR)はモンゴル高原と中国北部との間の移行地帯で、先史時代のアジア東部の遺伝的および文化的景観の形成において、重要ではあるものの、まだ研究されていない役割を果たしました。古代人42個体(7700~4300年前頃)のゲノム解析によって、前期新石器時代のSTM遺跡(STM_EN)および後期新石器時代の姜家梁遺跡(JJL_LN)に焦点を当てることで、新石器時代YMRの微細規模の人口史が明らかになります。前期新石器時代YMR集団(裕民遺跡個体とSTM_EN)は遺伝的に前期新石器時代バイカル湖集団と関連しており、これはバイカル湖地域における類似の埋葬慣行と一致します。後期新石器時代の小河沿文化に属していたJJL_LN個体群は遺伝的に均質で、STM_EN関連集団と黄河農耕民との間の混合を反映しており、紅山文化と夏家店下層文化との間の古代ゲノム標本抽出の空白を埋めます。本論文は、ユーラシア草原地帯と中国北部農耕社会との間の牧畜以前の接触との見解を裏づけ、黄河地域と西遼河地域との間の重要な相互作用圏としてのYMRを浮き彫りにします。
●研究史
シベリアとモンゴル高原と中国北部を含むアジア北東部はユーラシア内陸の重要な地域を構成しており、現生人類(Homo sapiens)や古代型人類【非現生人類ホモ属、絶滅ホモ属】の歴史において重要な地域として機能してきました。アジア東部北方内では、考古学的および考古遺伝学的研究はバイカル湖地域に焦点を当ててきており、バイカル湖地域では豊富な水と森林資源が初期狩猟採集民やその後の牧畜民にとって利用可能でした。この生態学的豊かさはバイカル湖地域が文化的および技術的発展の中心となったことや、充分に定義された動的な考古学的層序の連続的発展を促進したかもしれません。マリタ遺跡(24000年前頃)[2]やアフォントヴァ・ゴラ遺跡(17000年前頃)[3]などの遺跡の考古学とゲノムのデータは、旧石器時代におけるバイカル湖地域の重要性を示しています。この地域が新石器時代へと移行すると、シャマンカ2遺跡によって表されるキトイ文化(7500~7000年前頃)が出現し、その後にセロヴォ(後期新石器時代)とグラズコヴォ文化(前期青銅器時代)の埋葬伝統が続きました(6000~4000年前頃)。考古学的記録は、バイカル湖地域と近隣地域との間の顕著な文化的交流を示唆しています。たとえば、土器伝統の類似性が東方地域との相互作用を示唆した一方で、細石刃技術は西方地域との技術的交流の可能性を示しました。
独特な遺伝的特性の古代の人口集団は、APSと呼ばれることが多く、バイカル湖地域に長期間(14000~6000年前頃)存在し、ユーラシア北部全域および他の地域のその後の人口集団に長きにわたる遺伝的遺産を伝えました。APS人口集団に分類された古代ゲノムはごくわずかでしたが、その地理的および時間的位置は広範な地理的分布のメタ個体群(アレルの交換といった、ある水準で相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群の集団)構造を示唆しており、それは、シベリア南部のウスチキャフタ3遺跡(UKY、14000年前頃)[9]、シベリア北東部のデュヴァニ・ヤー遺跡(コリマ_M、9800年前頃)[10]、バイカル湖地域東部のヅィリンダ1遺跡(8500年前頃)とバイカル湖地域西部のirk030(6000年前頃)[11]です。これらの個体は3祖先系統構成要素の混合としてモデル化できる独特な遺伝的特性を共有しており、それは、個体MA-1(マリタ遺跡)や個体AG3(アフォントヴァ・ゴラ遺跡)など上部旧石器時代バイカル湖地域のANE祖先系統、少なくとも14000年前頃以降にアジア北東部に広く分布していたANA祖先系統、最初のアメリカ大陸先住民祖先系統です[9]。
先行研究はバイカル湖地域と、ヤクーチア地域との間のAPSにおける初期の人口分化を報告し、西バイカル_ENやヤクーチア_MNなどAPSの局所的な子孫を特定しました。先行研究では、中期新石器時代ヤクーチア人口集団が、ヨーロッパ北東部(ボリショイ・オレニー・オストロフ遺跡、4000年前頃)からグリーンランド(古イヌイット、4500年前頃)まで、北方地域にまたがるAPS祖先系統の拡散を保有していた可能性が高い集団として、ベルカチ文化と関連していたことも示唆しました[12]。別の研究では、APS人口集団は、青銅器時代のシベリアおよびそれ以外の地域の冶金伝統であるセイマ・トルビノ現象の西方への拡大でも重要な役割を果たした、と報告されました[13]。重要なことに、APSと関連する遺伝的標識はウラル語族およびエニセイ語族の拡大と密接に関連しており、APSは先史時代のアジア北部の高緯度地域における遺伝的および文化的交流に重要な役割を果たしてきた、と示唆されます。しかし、バイカル湖地域と中国北部の燕山地域(YMR)との間の相互作用回廊があったのかどうか、依然として調べられていません。さらに、APS祖先系統が、西バイカル_ENなどバイカル湖地域のその後の人口集団経由で、【現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では内モンゴル自治区とされている】モンゴル南部および中国北部へとさらに南方にも広がり、最終的には黄河および西遼河の農耕地域の人口集団と相互作用したのかどうかも不明です。
中国北部に位置する黄河と西遼河は、アジア東部における初期雑穀農耕の中核地域でした[16]。モンゴル南部およびその周辺の半乾燥農牧移行帯によって高緯度の森林草原地帯生物地理学的地域(バイカル湖地域など)と隔てられているため、黄河および西遼河地域の文化や技術や言語のユーラシア草原地帯とのつながりは一般的に、ユーラシア東方草原地帯における牧畜および冶金の最初の導入に続く前期青銅器時代にやっと始まった、と考えられていました[17]。たとえば、セイマ・トルビノ現象の軸受け斧は中国の初期殷(商)王朝で広く見られました。しかし、中国北部、とくにより広いYMRにおける最近の考古学的研究は、バイカル湖地域の牧畜前の狩猟採集民との共有された文化的特徴を示しており、この2地域【ユーラシア草原地帯と中国北部の農耕地域】間のずっと古いつながりが示唆されます。
モンゴル南部と河北省との間の境界を含むYMRは、モンゴル高原と華北平原と西遼河の考古学的文化の最南端地域との間の境界を示しています(図1a)。たとえば、裕民遺跡(8500年前頃)の最近の発掘では、中国北部で初めて丸底容器が発見されました。以前には、丸底容器はバイカル湖地域のみで発見されていたので、以前に推測されていたよりもずっと早い2地域【ユーラシア草原地帯と中国北部】間の文化的つながりが示唆されます。裕民遺跡の遺伝学的分析では、裕民遺跡個体は、中国東部の前期新石器時代人口集団およびバイカル湖地域西部の新石器時代キトイ文化集団に寄与した、アジア北東部内陸人を表していた、と提唱されました[20]。裕民遺跡個体が単一個体で、周辺地域のより古いゲノムが今では利用可能であることを考えると、裕民遺跡個体の遺伝的特性の代表性を検証し、アジア北部と中後区北部の古代の人口集団を結びつける、人口統計学的モデルを更新することが必要です。そのためには、YMR、とくに狩猟採集民と初期雑穀農耕民の背景に焦点を当てた、より多くの古代ゲノムの生成が必要です。そうしたゲノムデータ一式は、興隆窪文化(8200~7400年前頃)や小河沿文化(500~400年前頃)など先行研究では調べられていない重要な考古学的文化を含めて、さまざまな水準で雑穀農耕に依拠していた西遼河地域における新石器時代人口集団の遺伝的移行を示すための、堅固な参照も提供するでしょう。以下は本論文の図1です。
この研究では、3ヶ所の異なる考古学的遺跡の古代人50個体の全ゲノムデータが収集され、それは、前期新石器時代キトイ文化(1個体、7570~7430年前頃)と前期青銅器時代グラズコヴォ文化(1個体4523~4299年前頃)に属するバイカル湖地域南西部のシュミリハ遺跡と、河北省北部のSTM遺跡(12個体、7700~7400年前頃)および姜家梁(以下、JJL)遺跡(36個体、4828~4289年前頃)です。注目すべきことに、本論文で取り上げられる古代の個体群が発見されたSTM遺跡の第2期は、裕民文化と密接な考古学的つながりを示し、初期雑穀農耕慣行を共有しています。JJL遺跡はより広い西遼河地域における小河沿文化の最南端の境界に属し、これを示しています。小河沿文化は先行する中期新石器時代の紅山文化とつながっており、その後に後期新石器時代の夏家店下層文化が続きます。したがって、小河沿文化の遺伝学的研究は、西遼河地域における中期新石器時代の地理遺伝的勾配や後期新石器時代社会への遺伝的移行の動態をより深く理解することになる、と期待されます。刊行されている古代ゲノムデータと合わせて、バイカル湖地域からの寄与を伴う、アジア北東部内陸の遺伝的特性の形成について新たなモデルが開発されました。JJL個体群における動的な遺伝的変化も示され、より南方の農耕人口集団との継続的な混合が示されました。本論文は、アジア東部北方の古代ゲノム研究における重要な標本抽出の空白を埋めて、先史時代アジア東部における農耕と複雑な社会の初期発展の重要な地域である、西遼河地域全体の動的な遺伝的歴史の高解像度の全体像を提供します。
●資料と手法
人類遺骸のDNAは、おもに歯と側頭骨から抽出されました。古代DNAの真正性は、古代DNAに特徴的な死後損傷と汚染率によって確認されました。汚染率は、各個体のミトコンドリアと、男性個体のX染色体で評価されました。集団遺伝学的分析では、まず、ユーラシアの現代人2077個体と、その部分集合であるアジア東部現代人266個体で主成分を計算したPCAが用いられ、古代人が投影されました。ADMIXTURE分析は、K(系統構成要素数)=2~15で実行されました。
f3およびf4分析では、古代の人口集団間の遺伝的関係が判定されました。f3統計はf3形式(外群;X、Y)で計算され、外群はXとYの外部参照として機能し、本論文ではアフリカ中央部の現代のムブティ人集団が用いられました。人口集団Xは先行研究の古代および現代のユーラシア人口集団で、Yはこの研究で新たに生成された古代の人口集団です。人口集団XとYのより高いf3値は、XとYの間のより大きな遺伝的類似性を示唆しています。f4分析は、人口集団間の類似性が共通の祖先系統もしくは人口集団の混合に由来するのかどうか、さらに区別できます。f4統計はf4形式(P1、P2;P3、P4)で計算され、P1は通常、P2とP3とP4の外群人口集団と設定されます。本論文では、研究対象の人口集団と比較的遠い遺伝的関係にあるムブティ人がP1に選択されました。f4分析では、有意な正のf4(Z > 3)は、P2とP4の人口集団間で共有されるアレル(対立遺伝子)数が、P2とP3の人口集団間のアレル数より多いことを示唆しています。有意に負のf4(Z < −3)は、P2とP4の人口集団間で共有されるアレル数が、P2とP3の人口集団間のアレル数より少ないことを示唆しています。f4が0付近のs.e.m(Z < |3|)は、P2がP3およびP4とほぼ同じアレル数を共有している、と示唆しています。
古代の個体間の遺伝的近縁性を推定するために、各考古学的遺跡の個体のすべての組み合わせについて、まずPMRが計算され、1~3親等もしくはそれ以上(親族関係にない)か判断されました。3親等以内の親族関係の個体の組み合わせについては、KINソフトウェアが用いられました。IBD共有パターンの検出によって、特定の親族関係を判定できます。IBD共有パターンは、特定の1親等の親族関係パターン(親子やキョウダイ)を区別できます。下流分析では、1親等および2親等の組み合わせのうち、より低い網羅率の個体が除外されました。
qpAdmによる混合モデル化では、できるだけ少ない現代人の外群が用いられ、アフリカのムブティ人、中国南部の渓頭村遺跡の後期新石器時代人口集団[20]、アンダマン諸島のオンゲ人、アラスカのアップウォードサン川(USR)の末期更新世の1個体(USR1)[32]、テペ・ガンジュ・ダレーの初期新石器時代イラン人(イラン_N)[33]、中石器時代ヨーロッパ西部狩猟採集民のWHG[34]、APSの北東部の代表的人口集団であるコリマ_M[10]、現代のトルコの新石器時代農耕民のアナトリア_N[35]、【現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では新疆ウイグル自治区とされている】東トルキスタンの孤立した人口集団で高い割合のANE祖先系統を有するタリム_EMBA1[36]です。ムブティ人はユーラシア人口集団の外群として、イラン_NとWHGとアナトリア_Nはさまざまなユーラシア西部祖先系統構成要素を区別するため、オンゲ人は深いユーラシア東部系統として、タリム_EMBA1はANE祖先系統の固定のため、USR1は最初のアメリカ大陸先住民祖先系統の固定のため、コリマ_Mバイカル湖およびYMR人口集団で見られるAPS祖先系統構成要素の外群でありながらAPS祖先系統の固定のため、渓頭村遺跡集団は中国南部沿岸部祖先系統構成要素の固定のために用いられます。
●古代ゲノムデータの生成
まず、高緯度から低緯度まで、シュミリハ遺跡の合計50個体(西バイカル_EN_n、西バイカル_BA_n)と、STM遺跡個体群(STM_EN)とJJL遺跡個体群(JJL_LN)が検査されました(図1a)。全ゲノムショットガン配列決定[37]もしくは1233013ヶ所の祖先系統の情報をもたらすSNPの124万パネル溶液内濃縮が適用され、45個体では124万SNPで15000ヶ所超のゲノム規模データが得られました(常染色体網羅率の範囲は0.016~3.027倍)。複数の手法でデータの真正性が検証されました。全個体は古代DNAに特徴的な死後化学的損傷パターン[39]を示しました。全体的にヒトの汚染は低水準で、ミトコンドリアの汚染推定値は45個体のうち43個体で3%以下(一方の個体は利用できず、もう一方の個体は14%の汚染率)、核汚染推定値は26個体のうち21個体で4%以下(3個体は利用できず、2個体は6~10%の汚染率)でした。汚染された3個体がさらに除外され、42個体について半数体遺伝子型が生成され、124万SNPパネルでは16602~952885ヶ所のSNPが網羅されています。刊行されている利用可能な古代人および現代人のデータ[17]との統合で、下流分析のほとんどとヒト起源データセットで124万データセットが準備され、PCAのためのより適切な現在の人口集団の網羅率を有する593124ヶ所のSNPが含まれます。
●バイカル湖地域の人口史
まず、バイカル湖地域の新たに配列決定された個体群と以前に刊行された個体群との間の遺伝的関係が調べられました。PCAとADMIXTURE分析を用いると、新たに配列決定された西バイカル_EN_nおよび西バイカル_BA_n個体群は相互と骨なっており、それぞれ以前に刊行された西バイカル_ENおよび西バイカル_LNBA人口集団[12]とクラスタ化した(まとまった)、と分かりました(図1b)。外群f3統計も西バイカル_EN_nと西バイカル_ENとの間の高い類似性や、西バイカル_BA_nと西バイカル_LNBAとの間の高い類似性を論証しました(図2a)。同様に、新たに配列決定されたバイカル湖個体群は、f4対称性検定の優位ではない結果に基づいて、対応する期間の刊行されている個体群と単系統群を形成した、と分かり、つまり、f4(ムブティ人、世界規模;西バイカル_EN_n、西バイカル_EN)とf4(ムブティ人、世界規模;西バイカル_BA_n、西バイカル_LNBA)の両方はゼロから3 s.e.m.内です。先行研究[12]の手法に従って、西バイカル_EN_nと西バイカル_BA_nのqpAdm混合モデル化[43]を適用できました。それぞれ代理として前期新石器時代バイカル湖東部個体群(東バイカル_N、5個体)[11]とirk030を用いて、西バイカル_EN_nと西バイカル_BA_nはANAとAPSの混合として適切にモデル化されました。祖先系統以下は本論文の図2です。
バイカル湖地域の新たに配列決定された個体群と以前に刊行された個体群との間の遺伝的類似性を考慮して、西バイカル_EN_nは西バイカル_ENと、西バイカル_BA_nは西バイカル_LNBAと統合されました。刊行されている結果と一致して、西バイカル_LNBAは西バイカル_ENクラスタ(まとまり)から逸れており、個体AG3およびirk030によってそれぞれ表されるANEおよびAPSの方へと動いていました。西バイカル_LNBAはANE/APS関連人口集団と追加のアレルを共有していた、つまり、f4(ムブティ人、APS/ANE;西バイカル_EN、西バイカル_EN、西バイカル_LNBA)> 8.11 s.e.m.と分かりました。西バイカル_LNBAについての充分に適合するqpAdm近位混合モデルは、西バイカル_EN(43.3±4.1%)およびirk030(56.7±4.1%)として更新されました(図2b)。西バイカル_ENから西バイカル_LNBAへの遺伝的移行はAPS関連構成要素の顕著な増加であり、バイカル湖地域人口集団の形成におけるAPS系統からの持続的影響が論証されます。
●前期新石器時代STM_EN人口集団の遺伝的特性
次に、モンゴル高原南端のSTM遺跡のSTM_EN個体群の遺伝的特性が調べられました。STM遺跡は河北省の張家口市に位置します。文化的遺物の層序関係と特徴に基づいて、STM遺跡の時間枠は予備的に5段階に区分できます。本論文で分析された個体群は第2段階から得られ、較正年代は7600~7400年前頃です。STM遺跡の個体群は、以前に刊行されている裕民遺跡(8500年前頃)からわずか100kmほどの位置で、約千年新しく、裕民文化と密接な考古学的要素を共有していました(図1a)。
ユーラシア人とアジア東部人両方の背景のPCAでは、すべてのSTM_EN個体は緊密なクラスタ(まとまり)を形成し、現在のツングース語族話者の範囲内に収まりました(図1b)。裕民遺跡との地理と時間と考古学的な近さを裏づけるように、すべてのSTM_EN個体は裕民遺跡個体や、西遼河地域のハミンマンガ遺跡の中期新石器時代の1個体(HMMH_MN)[21]とクラスタ化しました(まとまりました)。STM_ENと裕民遺跡個体とHMMH_MNは、ADMIXTURE分析でも類似した遺伝的特性を示しました。外群f3分析では、STM_ENと裕民遺跡個体とHMMH_MNは相互の上位一覧で際立っており、3000年間にわたるこれらの集団間の密接な遺伝的関係が再び裏づけられます(図2a)。
STM_ENと裕民遺跡個体とHMMH_MNとの間で顕著な遺伝的差異があるのかどうか、さらに調べるために、この3人口集団のすべての組み合わせでf4形式(ムブティ人、世界規模;集団1、集団2)のf4対称検定が実行されました。裕民遺跡個体より古い古代の人口集団が、この3人口集団間の対称性を破ることはほとんど見つかりませんでした。その後のqpWave分析では、アジア東部人の外群として古代の人口集団のみが用いられ、これら3組は区別できなかった、と分かったので、その祖先系統組成において認識可能な違いがない、と裏づけられます。f4(ムブティ人、裕民;STM_EN、HMMH_MN)= −4.05 s.e.m.、f4(ムブティ人、STM_EN;HMMH_MN、裕民)= 5.05 s.e.m.、f4(ムブティ人、HMMH_MN;STM_EN、裕民)= 0.59 s.e.m.によって示唆されるように、この3集団のうち、裕民遺跡個体とSTM_ENは地理的および時間的により遠いHMMH_MNとよりも、相互と遺伝的に近くなっています(図2c・d)。まとめると、これらの結果は、前期~中期新石器時代のモンゴル南部における明確なメタ個体群の長期の存在を示唆しておやり、それはこの地域における一部の農耕慣行を伴う最古級の人口集団(つまり、8500年前頃の裕民遺跡集団)にさかのぼります。
●YMRとバイカル湖地域との間の初期の遺伝的相互作用
裕民遺跡個体とSTM_ENとHMMH_MNが属する祖先メタ個体群の形成を理解するために、近隣のバイカル湖地域および中国北部地域の古代の人口集団との遺伝的類似性における共有されている特徴が調べられ、とくにANAと広く考えられてきた人口集団に焦点が当てられました。裕民遺跡個体とSTM_ENとHMMH_MNは、中国北東部の沿岸部ANA集団(たとえば、AR_9K後[45]や悪魔の門_N[10]などロシア極東)とよりも、モンゴルとシベリアの内陸部ANA集団(たとえば、東モンゴル_BA前[44]や東バイカル_NやAR_EN[21])の方と高い外群f3値を示しました(図2a)。f4(ムブティ人、裕民/ STM_EN/HMMH_MN;内陸/沿岸ANA、内陸/沿岸ANA)形式のf4統計は、異なる類似性の統計的有意性を確証します。しかし、刊行されているモンゴル/シベリアのANA個体のほとんどは紀元前六千年紀以降なので、裕民遺跡個体より新しいことに要注意です。
この地域のより古い古代ゲノムは欠如しており、近隣地域のより古い人口集団を用いて、STM_ENの遺伝的特性のモデル化が試みられました。最も重要なのは、可能性のある2供給源人口集団のモデル適合度が比較されたことで、それは、(1)中国北東部の初期ANA集団(代理としてAR14KとAR13-10Kが用いられました)と、(2)中国北東部の19587~19175年前頃となるAR19K [45]を用いてのANAの前の人口集団、および中国東部の山東_EN(9545~8040年前頃)と関連している特性です。これら2集団は、本論文の主成分空間では、異なる位置にあります(図1b)。
qpAdmにおいて第2供給源として古代バイカル湖地域人口集団を用いると、AR19K+西バイカル_ENは59.3±5.3%のバイカル湖地域集団の寄与でモデルに適合した、と分かりました。対照的に、初期ANA集団はSTM_ENをモデル化できませんでした。AR19K+西バイカル_ENモデルは、AR14KもしくはAR13-10Kが外群として追加されてさえ堅牢なままで、以前の中国北東部におけるANAへの祖先系統の変化にも関わらず、AR19Kとの堅牢なつながりが裏づけられます。AR19Kと遺伝的に類似しており、裕民遺跡個体およびSTM_ENと時間的に近いものの、山東_ENはAR19Kよりも適切なモデルを提供しませんでした。山東_EN+西バイカル_ENはSTM_ENをモデル化できませんでしたが、裕民遺跡個体およびHMMH_MNには適切なモデルを提供しました。裕民遺跡個体とHMMH_MNがそれぞれ単一個体であることを考えると、限られた統計的解像度のためより多くのモデルが適合する、と示唆されます。AR19K+西バイカル_ENモデルは、山東_ENが外群に追加されても、依然として堅牢でした。
STM_ENが西バイカル_ENの個体のほとんどより年代的に古いことを考慮して、STM_ENが西バイカル_ENのより適切な祖先構成要素の一つとして機能できるのかどうか、調べられました。西バイカル_ENと西バイカル_LNBAは両方ともSTM_EN+irk030としてモデル化できますが、東バイカル_Nが外群に含められると、堅牢ではなくなりました。対照的に、STM_ENが外群に含められると、モデルはSTM_EN+irk030で依然として堅牢でした。要するに本論文の分析から、STM_ENは、APSの子孫の西バイカル_EN人口集団から継承された、小さいものの有意に異なるAPS遺伝的構成要素を有していた、と明らかになり、バイカル湖地域と中国北部のYMRをつなぐ先史時代の回廊についての証拠を提供します。
●STM_EN個体群内の密接な親族関係網
本論文のSTM_EN個体群は、家屋跡の下で発見されました(図3a)。興味深いことに、直接的に比較可能な墓地はありませんが、これらの個体間で密接な遺伝的親族が見つかりました。注目すべきことに、密接な成人の親族の組み合わせでは、すべてのあり得る性別の組み合わせが見つかり、つまりは男性間や女男間や女性間です。第一に、本論文のPMR[47]およびKIN分析では、YHgおよびmtHgとともに、男性5個体のうち4個体を含む(個体STMM08は除外されます)1家族が見つかり、この家族は父親(STMM02)1人とその3人の息子(STMM01とSTMM03とSTMM07)で構成されていました。これら3人の息子は、全兄弟(両親が同じ兄弟)です。第二に、成人女性STMM10とSTMM11は母親と娘の組み合わせで(どちらかが母親かもしれません)、成人女性STMM09とSTMM13は全姉妹です。最後に、成人女性STMM06と成人男性STMM08は2親等の親族です。まとめると、STM_ENの11個体のうち8個体には1親等の親族がおり、密接な親族がいないのは1個体(STMM04)だけでした。以下は本論文の図3です。
この家屋跡(図3a)では、男女の姿勢と位置は意図的に配置されているようでした。女性個体は戸から遠い家屋跡内に集中し、相互に隣接しており、より寛いだ姿勢でした。対照的に、男性個体は戸の近くで見つかり、その埋葬姿勢はより丸まっているようでした。男性個体と女性個体の間で遺伝的異質性は検出されませんでしたが、男性個体と女性個体の埋葬慣行にはある程度の違いがあるかもしれません。埋葬パターンが一般的に社会組織形態を直感的に表していることを考慮すると、STM遺跡が先史時代の社会に位置していた共同体内では、男女間で社会階級や社会的分業に違いがあったかもしれない、と推測できる可能性があります。
●後期新石器時代の農牧境界におけるJJL_LNの遺伝的特性
考古学者は長きにわたって、農耕と牧畜の移行地帯における人口動態、および紅山文化と小河沿文化との間の関係を議論してきました。これらの問題に取り組むために、河北省の張家口市に位置するJJL遺跡の後期新石器時代個体群の全ゲノムが回収されました。放射性炭素年代測定から、JJL遺跡の埋葬層の年代は4907~3542年前で、較正年代の範囲は4828~4445年前頃と示唆されます 。
ユーラシア人とアジア東部人両方の背景のPCA(図1b)では、JJL_LN個体群は勾配的な分布を形成し、STM_ENと黄河関連クラスタの間に位置します。JJL_LNの29個体のうち3個体は主成分空間上の位置においてとくに異なっており、95JJLM38と95JJLM62はSTM_ENとクラスタ化し、95JJLM11は龍山文化期の中原の黄河_LN個体群[21]に位置しました(図1b)。したがって、qpWave分析では、JJL_LN個体群はSTM_ENもしくは黄河_LNと区別できませんでした。そこで、95JJLM38と95JJLM62はJJL_LN_o1、95JJLM11はJJL_LN_o2と分類され、残りの19個体がJJL_LNとしてまとめられました(1親等および2親等の関係の組み合わせのうちより低い網羅率の個体が除外されました)。データの解像度の範囲内では、f4(ムブティ人、JJL_LN_o1;裕民/STM_EN/HMMH_MN、裕民/STM_EN/HMMH_MN)≤ 1.86 s.e.m.と測定されたように、JJL_LN_o1はとくに裕民遺跡個体ともSTM_ENともHMMH_MNともと近くはありませんでした。裕民遺跡個体とSTM_ENとHMMH_MNは、f4(ムブティ人、民/STM_EN/HMMH_MN;JJL_LN_o1、裕民/STM_EN/HMMH_MN)= 1.26 to 7.77 s.e.m.と測定されたように、JJL_LN_o1とよりも相互の方と近くなりました。
外群f3の結果(図2a)では、JJL_LNは、紅山文化の半拉山遺跡(西遼河_MN、3個体)[21]や鄭家溝遺跡の(河北_鄭家溝_MN、3個体)[50]個体群など、中国北部の古代の人口集団と高い類似性を共有していた、と分かりました。注目すべきことに、STM_ENとHMMH_MNはJJL_LNとも高い類似性を示しました(図2a)。f4(ムブティ人、全世界;JJL_LN、黄河_LN)を用いると、JJL_LNはより北方の人口集団と追加の遺伝的類似性を教諭していた、と分かりました(図4a)。f4(ムブティ人、全世界;JJL_LN、STM_EN)を用いると、JJL_LNはアジア東部南方人口集団と追加の遺伝的類似性を共有していました(図4b)。これらのf4結果は、STM_ENと黄河関連人口集団の間の勾配に位置した、PCAにおけるJJL_LNの位置と一致しました。以下は本論文の図4です。
f4結果に基づき、北方供給源としてSTM_EN、南方供給源として中国北部集団(たとえば、黄河_MN、黄河_LN、山東_EN、山東_大汶口_崗山集団)[51、52]を用いて、JJL_LNのqpAdm混合モデル化が試みられました。中原の中期および後期新石器時代集団(黄河_MN、黄河_LN)と山東_ENに加えて、南方供給源として、時空間的に近い集団である、山東省の崗山遺跡の中期~後期新石器時代個体群である山東_大汶口_崗山集団が検証されました。STM_EN(66.9±6.5%)と山東_大汶口_崗山集団(33.1±6.5%)の混合モデルはJJL_LNに適合しましたが、残りのモデルは失敗しました(図4c)。主成分空間上のJJL_LN_o2の異なる位置は、中原もしくは山東大汶口文化期人口集団、とくに黄河_LNと山東_大汶口_崗山集団からの直接的寄与を示唆しましたが、JJL_LN_o2と上述の南方供給源との間のqpWave分析には、区別に充分な高解像度がありませんでした(図4c)。
同じ分析を中期新石器時代の紅山文化個体群である西遼河_MNに適用すると、同様の結果が得られました。すべてのSTM_ENおよび南方モデルは、小さな標本規模に起因するかもしれないため、基準外群で西遼河_MNを敵B眉宇させましたが、このモデルはいずれも、山東_ENと山東_大汶口_崗山集団と黄河_MNの人口集団一式で循環qpAdm分析を用いると、堅牢ではありませんでした。STM遺跡の約100km南方に位置する別の紅山文化人口集団である河北_鄭家溝_MN(15個体)[50]については、STM_ENと山東の人口集団のモデル基準外群でよく適合したのに対して、STM_EN+黄河_MNモデルは実行不可能でした。STM_ENと山東の人口集団のモデルは、黄河_MNを外群に追加すると実行不可能になりました。要するに、農耕地域と牧畜地域の移行帯に位置するJJL遺跡の個体群は、継続的な南北の混合動態を示しました。小河沿文化および紅山文化人口集団に関する本論文の結果は、小河沿文化を紅山文化の後継者とする、考古学的見解を裏づけます。
●STM_ENは中国北部人口集団の遺伝的構造を形成します
STM_ENの遺伝的構造の再構築、および中国北部の古代の人口集団に関するデータの継続的な更新の結果として、中国北部の古代の人口集団の遺伝的構造をより明確に調べることができるようになりました。本論文の目的は、ANA人口集団とよりもSTM_ENの方と地理的に近い、黄河上流の古代人集団の人口史の体系的な更新です。
qpAdmを適用し、モンゴル南部の廟子溝_MNと陝西省の石峁_LNと黄河上流域の斉家文化の黄河上流_LNが分析されました。先行研究では、これらの個体はANA人口集団と黄河人口集団の中間的な遺伝的特性を有しており、AR_ENと黄河_MN/黄河_LNの勾配としてモデル化される、と報告されました。AR_ENをSTM_ENと置換すると、STM_EN+黄河_LNモデルが3集団【廟子溝_MN、石峁_LN、黄河上流_LN】すべてで適切だった、と分かりました。全体的に、中国北部のANA人口集団よりも時間と地理の両方で近いSTM_ENを用いて、黄河上流域およびモンゴル南部の新石器時代の古代の人口集団の遺伝的歴史が更新されました。
●考察とまとめ
アジア東部の高緯度から低緯度にまたがる3ヶ所の考古学的遺跡から発見された古代の個体群の標本抽出によって、長い時間的および地理的規模で人口動態が再構築されました。APSの独特で明確な遺伝的特徴のため、本論文では、アジア東部草原地帯と中国北部のYMRとの間のつながりは前期新石器時代以降確立していた、と確証されます。農耕地帯と牧畜地帯の境界に位置するYMRは、動的な人口史を示し、周辺の西遼河および黄河地域に影響を及ぼしました。
●高緯度と低緯度の間の新たな南北の回廊:バイカル湖地域と中国北部とのつながり
バイカル湖地域の新たに標本抽出された個体群および以前に刊行された個体群とYMRのSTM_ENを組み合わせて、前期新石器時代には、STM_EN人口集団はバイカル湖地域から南方へ移動してきたAPSの子孫人口集団に影響を受けた、と分かりました。この調査結果は、農耕と狩猟採集民の生計パターンの組み合わせを行なっていた、この地域の最古級の人口集団の歴史を補完するだけではなく、高緯度人口集団の遺伝的構造の形成におけるAPSとその子孫人口集団の役割への焦点が限られてきた、先行研究の空白も埋めます。
遺伝学的に、STM_ENはバイカル湖地域の前期新石器時代人口集団、とくにAPSの子孫と考えられるキトイ文化人口集団と関連する祖先構成要素を有していました。このパターンは孤立の可能性を除外し、STM_ENへの遺伝的影響がバイカル湖地域人口集団の南方への移動に由来したことを確証します。さらに、以前に研究された裕民遺跡の単一個体と比較して、STM_ENのより大きな標本規模(12個体)は、バイカル湖地域とYMRとの間の相互作用に関する結論の代表性を強化します。考古学的には、STM遺跡と裕民遺跡の類似した丸底容器は中国北部の前期新石器時代考古学において独特で、バイカル湖地域で偶然にも一般的に見られる広範な新しい要素を表しています。さらに興味深いのは、STM_ENの男性個体は全員、四肢を重ねた横向きの姿勢で埋葬されていたことで、これもシャマンカ2遺跡によって代表されるバイカル湖地域で一般的だった埋葬慣行です。さらに、西バイカル_ENとSTM_ENで翡翠が崇拝されていたことは、両地域の結びつきを強めます。明確な在来ではない埋葬伝統の類似性は、バイカル湖地域とYMRとの間の相互作用をさらに裏づけます。
これらの調査結果は、ユーラシア草原地帯と中国北部との間の牧畜前の相互作用の証拠を提供します。重要なことに、これらの調査結果が依拠し、強化する以前の結論では、APS関連人口集団は高緯度に広がり、アルタイ地域[53]かミヌシンスク盆地の人口集団の形成に寄与した、とされており、APSの子孫人口集団の南方への移動も論証しています。まとめると、遺伝学と考古学両方のつながりは、初期YMR人口集団の形成におけるバイカル湖地域人口集団の大きな役割を示唆し、バイカル湖地域と中国北部との間の牧畜に先行する相互作用の南北の回廊の存在を示唆しています。
●YMRの農牧移行帯における人口集団の相互作用と統合
アジア東部草原地帯と中国北部のYMRとの間の相互作用回廊が証明されました。農耕地帯と牧畜地帯の間の境界に位置するYMRは、動的な人口史を示し、周辺の西遼河および黄河の人口集団の遺伝的構造を形成しました。より重要なことに、この相互作用は移行帯に限られていたのではなく、むしろ小河沿文化のJJL遺跡個体群によって表される農耕中核地域に及んでおり、中国北部の遺伝的および文化的パターンを継続的に形成した、と分かりました。
前期新石器時代YMRにおけるSTM_ENおよび裕民遺跡人口集団の遺伝的組成は高度に類似し、この遺伝的特性を中期新石器時代西遼河のHMMH_MNと共有しており、この遺伝的特性のより広範な地理的分布が示唆されます。STM_ENと裕民遺跡個体とHMMH_MNにおける違いから、HMMH_MN人口集団は裕民遺跡個体の前にYMR集団から分岐した、と示唆されるかもしれません。中国北部の以前に刊行された古代ゲノムのqpAdmモデルの更新によって、中国北部全域のその後の人口集団へのYMRのSTM_EN人口集団の遺産を明らかにできます。石峁_LNと黄河上流_LNと廟子溝_MNの更新された混合モデルは、供給源祖先人口集団として、ANA関連人口集団より実行可能な適合を提供し、それによって、中国北部の新石器時代黄河上流人口集団へのYMR人口集団のより広範な影響を強化します。
先行研究は、中期新石器時代の紅山文化と後期新石器時代の夏家店下層文化との間の、西遼河地域における大きな遺伝的変化を示唆しましたが[21]、これら2文化間の千年にわたる時間的空白は、おもに小河沿文化に相当し、依然として調べられていませんでした[21]。小河沿文化の最南端の範囲に属していたJJL遺跡の多数の古代の個体の調査によって、その遺伝的特性は全体的に選好する紅山文化集団と類似しており、継続的な遺伝子流動に起因する遺伝的変容を経つつあった、と示されました。刊行されている紅山文化個体群が時間的により古く、【JJL遺跡よりも】さらに北東に位置することを考えると、遺伝的特性における類似性は、紅山文化と小河沿文化との間の密接な考古学的つながりが裏づけられます。
興味深いことに、JJL遺跡の遺伝的外れ値個体は、進行中の遺伝子流動の二つの異なる供給源を示唆しており、一方はSTM_ENなど在来の先行する人口集団と類似しており(JJL_LN_o1)、もう一方は黄河_MNや黄河_LNなど中原の農耕人口集団と一致します(JJL_LN_o2)。遺伝的に南方の外れ値の存在はその後の夏家店下層文化人口集団の遺伝的特性から予測でき、驚くべきは、STM_EN的外れ値が観察されることで、STM_EN関連人口集団がこの地域に存在する人口集団の拠点・退避地だったことを示唆しています。STM_ENは遺伝的に残りのJJL_LNや西遼河のそれ以前の紅山文化個体群とは異なっていたので、これはYMRもしくは近隣地域におけるSTM_EN的人口集団の存続を示唆しています。これは、より広範なYMRおよび西遼河地域の新石器時代人口集団が、微細な地理的階層化を有していたかもしれないことも示唆しています。HMMH_MNはそうした供給源人口集団に適合するかもしれませんが、JJL_LN_o1は裕民遺跡個体もしくはSTM_ENと比較して、とくにHMMH_MN近かったわけではありません。JJL_LNにおける混合の年代を堅牢には推定できませんでしたが、これはアジア東部供給源集団の密接な遺伝的関係に起因する可能性が高く、外れ値の存在はJJL遺跡人口集団への継続的な近い過去の遺伝子流動を示唆しました。紅山文化や小河沿文化や夏家店下層文化関連の個体群の古代ゲノムのさらなる標本抽出は将来、高解像度での遺伝的変化の期間の推定に役立つでしょう。
要するに、本論文は追跡子としてAPSを用いて、バイカル湖地域から中国北部のYMRへと広がる人口集団の相互作用の長距離回廊を特定し、早くも新石器時代に高緯度と低緯度を結びつけます。STM_ENによって提供された知見がなければ、先史時代の南北のつながりは検出されないままだったでしょう。STM_ENは重要な仲介として機能し、バイカル湖関連人口集団の遺伝的兆候を保存して、その後の中国北部人口集団への遺産の追跡を可能としました。YMRにおける前期~後期新石器時代の人口動態の再構築を通じて、農牧移行帯の共同体が遺伝と文化の両方で経時的にどのように適応したのかについて、より深い理解が得られます。しかし、現在のデータセットは時間と空間両方の範囲で依然として限られています。中国北部、とくに研究の不充分な地域と期間からの追加の古代ゲノムが、人口構造と文化的移行を深く理解することには不可欠でしょう。
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以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、KIN(Kinship INference、親族関係の推測)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、PMR(pairwise mismatch rate、不適正塩基対率)、AR(Amur River、アムール川)、K(kilo years ago、千年前)、o(outlier、外れ値)、s.e.m(Standard Error of the Mean、平均標準誤差)、km(kilometre、kilometer、キロメートル)、YMR(Yan Mountain Region 、燕山地域)、APS(Ancient Paleo-Siberian、旧シベリア古代人)、ANE(Ancient Northern Eurasian、古代北ユーラシア人)、ANA(Ancient Northeast Asian、アジア北東部古代人)、WHG(Western hunter-gatherer、ヨーロッパ西方狩猟採集民)です。
以下の時代区分の略称は、M(Mesolithic、中石器時代)、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、LNBA(Late Neolithic to Bronze Age、後期旧石器時代~青銅器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EBA(Early Bronze Age、前期青銅器時代)、EMBA(Early to Middle Bronze Age、前期~中期青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)です。本論文で取り上げられる主要な地名は、コリマ川(Kolyma River)、アラスカのアップウォードサン川(Upward Sun River、略してUSR)、ヤクーチア(Yakutia、サハ共和国)、ミヌシンスク盆地(Minusinsk Basin)です。本論文で取り上げられる主要な文化は、紅山(Hongshan)文化、興隆窪(Xinglongwa)文化、小河沿(Xiaoheyan)文化、大汶口(Dawenkou)文化、斉家(Qijia)文化、夏家店下層(Lower Xiajiadian)文化、龍山(Longshan)文化、グラズコヴォ(Glazkovo)文化、セロヴォ(Serovo)文化、セイマ・トルビノ(Seima-Turbino、略してST)現象、キトイ(Kitoi)文化、ベルカチ(Belkachi)文化です。
本論文で取り上げられる主要なモンゴルの遺跡は、STM(Sitaimengguying、四台モンゴル営)遺跡、裕民(Yumin)遺跡、ハミンマンガ(Haminmangha、略してHMMH)遺跡、廟子溝(Miaozigou)遺跡です。本論文で取り上げられる主要な中国の遺跡は、遼寧省の半拉山(Banlashan)遺跡、河北省の張家口市陽原県の姜家梁(Jiangjialiang、略してJJL)遺跡と鄭家溝(Zhengjiagou、略してZJG)遺跡、陝西省神木(Shenmu)市の石峁(Shimao)遺跡、山東省の崗山(GangShang、略してGS)遺跡、福建省の渓頭村(Xitoucun)遺跡です。本論文で取り上げられるそれ以外の地域の主要な遺跡は、バイカル湖地域のシャマンカ2(Shamanka II)遺跡とウスチキャフタ3(Ust-Kyakhta-3、略してUKY)遺跡とシュミリハ(Shumilikha)遺跡、シベリアのマリタ(Mal'ta)遺跡とアフォントヴァ・ゴラ(Afontova Gora、略してAG)遺跡とデュヴァニ・ヤー(Duvanny Yar)遺跡とヅィリンダ1(Dzhylinda-1)遺跡、ロシア北西部のボリショイ・オレニー・オストロフ(Bolshoy Oleni Ostrov)遺跡、ロシア極東沿岸の悪魔の門洞窟(Devil’s Gate Cave、Chertovy Vorota)遺跡、イランのテペ・ガンジュ・ダレー(Tepe Ganj Dareh)遺跡です。
●要約
燕山地域(YMR)はモンゴル高原と中国北部との間の移行地帯で、先史時代のアジア東部の遺伝的および文化的景観の形成において、重要ではあるものの、まだ研究されていない役割を果たしました。古代人42個体(7700~4300年前頃)のゲノム解析によって、前期新石器時代のSTM遺跡(STM_EN)および後期新石器時代の姜家梁遺跡(JJL_LN)に焦点を当てることで、新石器時代YMRの微細規模の人口史が明らかになります。前期新石器時代YMR集団(裕民遺跡個体とSTM_EN)は遺伝的に前期新石器時代バイカル湖集団と関連しており、これはバイカル湖地域における類似の埋葬慣行と一致します。後期新石器時代の小河沿文化に属していたJJL_LN個体群は遺伝的に均質で、STM_EN関連集団と黄河農耕民との間の混合を反映しており、紅山文化と夏家店下層文化との間の古代ゲノム標本抽出の空白を埋めます。本論文は、ユーラシア草原地帯と中国北部農耕社会との間の牧畜以前の接触との見解を裏づけ、黄河地域と西遼河地域との間の重要な相互作用圏としてのYMRを浮き彫りにします。
●研究史
シベリアとモンゴル高原と中国北部を含むアジア北東部はユーラシア内陸の重要な地域を構成しており、現生人類(Homo sapiens)や古代型人類【非現生人類ホモ属、絶滅ホモ属】の歴史において重要な地域として機能してきました。アジア東部北方内では、考古学的および考古遺伝学的研究はバイカル湖地域に焦点を当ててきており、バイカル湖地域では豊富な水と森林資源が初期狩猟採集民やその後の牧畜民にとって利用可能でした。この生態学的豊かさはバイカル湖地域が文化的および技術的発展の中心となったことや、充分に定義された動的な考古学的層序の連続的発展を促進したかもしれません。マリタ遺跡(24000年前頃)[2]やアフォントヴァ・ゴラ遺跡(17000年前頃)[3]などの遺跡の考古学とゲノムのデータは、旧石器時代におけるバイカル湖地域の重要性を示しています。この地域が新石器時代へと移行すると、シャマンカ2遺跡によって表されるキトイ文化(7500~7000年前頃)が出現し、その後にセロヴォ(後期新石器時代)とグラズコヴォ文化(前期青銅器時代)の埋葬伝統が続きました(6000~4000年前頃)。考古学的記録は、バイカル湖地域と近隣地域との間の顕著な文化的交流を示唆しています。たとえば、土器伝統の類似性が東方地域との相互作用を示唆した一方で、細石刃技術は西方地域との技術的交流の可能性を示しました。
独特な遺伝的特性の古代の人口集団は、APSと呼ばれることが多く、バイカル湖地域に長期間(14000~6000年前頃)存在し、ユーラシア北部全域および他の地域のその後の人口集団に長きにわたる遺伝的遺産を伝えました。APS人口集団に分類された古代ゲノムはごくわずかでしたが、その地理的および時間的位置は広範な地理的分布のメタ個体群(アレルの交換といった、ある水準で相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群の集団)構造を示唆しており、それは、シベリア南部のウスチキャフタ3遺跡(UKY、14000年前頃)[9]、シベリア北東部のデュヴァニ・ヤー遺跡(コリマ_M、9800年前頃)[10]、バイカル湖地域東部のヅィリンダ1遺跡(8500年前頃)とバイカル湖地域西部のirk030(6000年前頃)[11]です。これらの個体は3祖先系統構成要素の混合としてモデル化できる独特な遺伝的特性を共有しており、それは、個体MA-1(マリタ遺跡)や個体AG3(アフォントヴァ・ゴラ遺跡)など上部旧石器時代バイカル湖地域のANE祖先系統、少なくとも14000年前頃以降にアジア北東部に広く分布していたANA祖先系統、最初のアメリカ大陸先住民祖先系統です[9]。
先行研究はバイカル湖地域と、ヤクーチア地域との間のAPSにおける初期の人口分化を報告し、西バイカル_ENやヤクーチア_MNなどAPSの局所的な子孫を特定しました。先行研究では、中期新石器時代ヤクーチア人口集団が、ヨーロッパ北東部(ボリショイ・オレニー・オストロフ遺跡、4000年前頃)からグリーンランド(古イヌイット、4500年前頃)まで、北方地域にまたがるAPS祖先系統の拡散を保有していた可能性が高い集団として、ベルカチ文化と関連していたことも示唆しました[12]。別の研究では、APS人口集団は、青銅器時代のシベリアおよびそれ以外の地域の冶金伝統であるセイマ・トルビノ現象の西方への拡大でも重要な役割を果たした、と報告されました[13]。重要なことに、APSと関連する遺伝的標識はウラル語族およびエニセイ語族の拡大と密接に関連しており、APSは先史時代のアジア北部の高緯度地域における遺伝的および文化的交流に重要な役割を果たしてきた、と示唆されます。しかし、バイカル湖地域と中国北部の燕山地域(YMR)との間の相互作用回廊があったのかどうか、依然として調べられていません。さらに、APS祖先系統が、西バイカル_ENなどバイカル湖地域のその後の人口集団経由で、【現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では内モンゴル自治区とされている】モンゴル南部および中国北部へとさらに南方にも広がり、最終的には黄河および西遼河の農耕地域の人口集団と相互作用したのかどうかも不明です。
中国北部に位置する黄河と西遼河は、アジア東部における初期雑穀農耕の中核地域でした[16]。モンゴル南部およびその周辺の半乾燥農牧移行帯によって高緯度の森林草原地帯生物地理学的地域(バイカル湖地域など)と隔てられているため、黄河および西遼河地域の文化や技術や言語のユーラシア草原地帯とのつながりは一般的に、ユーラシア東方草原地帯における牧畜および冶金の最初の導入に続く前期青銅器時代にやっと始まった、と考えられていました[17]。たとえば、セイマ・トルビノ現象の軸受け斧は中国の初期殷(商)王朝で広く見られました。しかし、中国北部、とくにより広いYMRにおける最近の考古学的研究は、バイカル湖地域の牧畜前の狩猟採集民との共有された文化的特徴を示しており、この2地域【ユーラシア草原地帯と中国北部の農耕地域】間のずっと古いつながりが示唆されます。
モンゴル南部と河北省との間の境界を含むYMRは、モンゴル高原と華北平原と西遼河の考古学的文化の最南端地域との間の境界を示しています(図1a)。たとえば、裕民遺跡(8500年前頃)の最近の発掘では、中国北部で初めて丸底容器が発見されました。以前には、丸底容器はバイカル湖地域のみで発見されていたので、以前に推測されていたよりもずっと早い2地域【ユーラシア草原地帯と中国北部】間の文化的つながりが示唆されます。裕民遺跡の遺伝学的分析では、裕民遺跡個体は、中国東部の前期新石器時代人口集団およびバイカル湖地域西部の新石器時代キトイ文化集団に寄与した、アジア北東部内陸人を表していた、と提唱されました[20]。裕民遺跡個体が単一個体で、周辺地域のより古いゲノムが今では利用可能であることを考えると、裕民遺跡個体の遺伝的特性の代表性を検証し、アジア北部と中後区北部の古代の人口集団を結びつける、人口統計学的モデルを更新することが必要です。そのためには、YMR、とくに狩猟採集民と初期雑穀農耕民の背景に焦点を当てた、より多くの古代ゲノムの生成が必要です。そうしたゲノムデータ一式は、興隆窪文化(8200~7400年前頃)や小河沿文化(500~400年前頃)など先行研究では調べられていない重要な考古学的文化を含めて、さまざまな水準で雑穀農耕に依拠していた西遼河地域における新石器時代人口集団の遺伝的移行を示すための、堅固な参照も提供するでしょう。以下は本論文の図1です。
この研究では、3ヶ所の異なる考古学的遺跡の古代人50個体の全ゲノムデータが収集され、それは、前期新石器時代キトイ文化(1個体、7570~7430年前頃)と前期青銅器時代グラズコヴォ文化(1個体4523~4299年前頃)に属するバイカル湖地域南西部のシュミリハ遺跡と、河北省北部のSTM遺跡(12個体、7700~7400年前頃)および姜家梁(以下、JJL)遺跡(36個体、4828~4289年前頃)です。注目すべきことに、本論文で取り上げられる古代の個体群が発見されたSTM遺跡の第2期は、裕民文化と密接な考古学的つながりを示し、初期雑穀農耕慣行を共有しています。JJL遺跡はより広い西遼河地域における小河沿文化の最南端の境界に属し、これを示しています。小河沿文化は先行する中期新石器時代の紅山文化とつながっており、その後に後期新石器時代の夏家店下層文化が続きます。したがって、小河沿文化の遺伝学的研究は、西遼河地域における中期新石器時代の地理遺伝的勾配や後期新石器時代社会への遺伝的移行の動態をより深く理解することになる、と期待されます。刊行されている古代ゲノムデータと合わせて、バイカル湖地域からの寄与を伴う、アジア北東部内陸の遺伝的特性の形成について新たなモデルが開発されました。JJL個体群における動的な遺伝的変化も示され、より南方の農耕人口集団との継続的な混合が示されました。本論文は、アジア東部北方の古代ゲノム研究における重要な標本抽出の空白を埋めて、先史時代アジア東部における農耕と複雑な社会の初期発展の重要な地域である、西遼河地域全体の動的な遺伝的歴史の高解像度の全体像を提供します。
●資料と手法
人類遺骸のDNAは、おもに歯と側頭骨から抽出されました。古代DNAの真正性は、古代DNAに特徴的な死後損傷と汚染率によって確認されました。汚染率は、各個体のミトコンドリアと、男性個体のX染色体で評価されました。集団遺伝学的分析では、まず、ユーラシアの現代人2077個体と、その部分集合であるアジア東部現代人266個体で主成分を計算したPCAが用いられ、古代人が投影されました。ADMIXTURE分析は、K(系統構成要素数)=2~15で実行されました。
f3およびf4分析では、古代の人口集団間の遺伝的関係が判定されました。f3統計はf3形式(外群;X、Y)で計算され、外群はXとYの外部参照として機能し、本論文ではアフリカ中央部の現代のムブティ人集団が用いられました。人口集団Xは先行研究の古代および現代のユーラシア人口集団で、Yはこの研究で新たに生成された古代の人口集団です。人口集団XとYのより高いf3値は、XとYの間のより大きな遺伝的類似性を示唆しています。f4分析は、人口集団間の類似性が共通の祖先系統もしくは人口集団の混合に由来するのかどうか、さらに区別できます。f4統計はf4形式(P1、P2;P3、P4)で計算され、P1は通常、P2とP3とP4の外群人口集団と設定されます。本論文では、研究対象の人口集団と比較的遠い遺伝的関係にあるムブティ人がP1に選択されました。f4分析では、有意な正のf4(Z > 3)は、P2とP4の人口集団間で共有されるアレル(対立遺伝子)数が、P2とP3の人口集団間のアレル数より多いことを示唆しています。有意に負のf4(Z < −3)は、P2とP4の人口集団間で共有されるアレル数が、P2とP3の人口集団間のアレル数より少ないことを示唆しています。f4が0付近のs.e.m(Z < |3|)は、P2がP3およびP4とほぼ同じアレル数を共有している、と示唆しています。
古代の個体間の遺伝的近縁性を推定するために、各考古学的遺跡の個体のすべての組み合わせについて、まずPMRが計算され、1~3親等もしくはそれ以上(親族関係にない)か判断されました。3親等以内の親族関係の個体の組み合わせについては、KINソフトウェアが用いられました。IBD共有パターンの検出によって、特定の親族関係を判定できます。IBD共有パターンは、特定の1親等の親族関係パターン(親子やキョウダイ)を区別できます。下流分析では、1親等および2親等の組み合わせのうち、より低い網羅率の個体が除外されました。
qpAdmによる混合モデル化では、できるだけ少ない現代人の外群が用いられ、アフリカのムブティ人、中国南部の渓頭村遺跡の後期新石器時代人口集団[20]、アンダマン諸島のオンゲ人、アラスカのアップウォードサン川(USR)の末期更新世の1個体(USR1)[32]、テペ・ガンジュ・ダレーの初期新石器時代イラン人(イラン_N)[33]、中石器時代ヨーロッパ西部狩猟採集民のWHG[34]、APSの北東部の代表的人口集団であるコリマ_M[10]、現代のトルコの新石器時代農耕民のアナトリア_N[35]、【現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では新疆ウイグル自治区とされている】東トルキスタンの孤立した人口集団で高い割合のANE祖先系統を有するタリム_EMBA1[36]です。ムブティ人はユーラシア人口集団の外群として、イラン_NとWHGとアナトリア_Nはさまざまなユーラシア西部祖先系統構成要素を区別するため、オンゲ人は深いユーラシア東部系統として、タリム_EMBA1はANE祖先系統の固定のため、USR1は最初のアメリカ大陸先住民祖先系統の固定のため、コリマ_Mバイカル湖およびYMR人口集団で見られるAPS祖先系統構成要素の外群でありながらAPS祖先系統の固定のため、渓頭村遺跡集団は中国南部沿岸部祖先系統構成要素の固定のために用いられます。
●古代ゲノムデータの生成
まず、高緯度から低緯度まで、シュミリハ遺跡の合計50個体(西バイカル_EN_n、西バイカル_BA_n)と、STM遺跡個体群(STM_EN)とJJL遺跡個体群(JJL_LN)が検査されました(図1a)。全ゲノムショットガン配列決定[37]もしくは1233013ヶ所の祖先系統の情報をもたらすSNPの124万パネル溶液内濃縮が適用され、45個体では124万SNPで15000ヶ所超のゲノム規模データが得られました(常染色体網羅率の範囲は0.016~3.027倍)。複数の手法でデータの真正性が検証されました。全個体は古代DNAに特徴的な死後化学的損傷パターン[39]を示しました。全体的にヒトの汚染は低水準で、ミトコンドリアの汚染推定値は45個体のうち43個体で3%以下(一方の個体は利用できず、もう一方の個体は14%の汚染率)、核汚染推定値は26個体のうち21個体で4%以下(3個体は利用できず、2個体は6~10%の汚染率)でした。汚染された3個体がさらに除外され、42個体について半数体遺伝子型が生成され、124万SNPパネルでは16602~952885ヶ所のSNPが網羅されています。刊行されている利用可能な古代人および現代人のデータ[17]との統合で、下流分析のほとんどとヒト起源データセットで124万データセットが準備され、PCAのためのより適切な現在の人口集団の網羅率を有する593124ヶ所のSNPが含まれます。
●バイカル湖地域の人口史
まず、バイカル湖地域の新たに配列決定された個体群と以前に刊行された個体群との間の遺伝的関係が調べられました。PCAとADMIXTURE分析を用いると、新たに配列決定された西バイカル_EN_nおよび西バイカル_BA_n個体群は相互と骨なっており、それぞれ以前に刊行された西バイカル_ENおよび西バイカル_LNBA人口集団[12]とクラスタ化した(まとまった)、と分かりました(図1b)。外群f3統計も西バイカル_EN_nと西バイカル_ENとの間の高い類似性や、西バイカル_BA_nと西バイカル_LNBAとの間の高い類似性を論証しました(図2a)。同様に、新たに配列決定されたバイカル湖個体群は、f4対称性検定の優位ではない結果に基づいて、対応する期間の刊行されている個体群と単系統群を形成した、と分かり、つまり、f4(ムブティ人、世界規模;西バイカル_EN_n、西バイカル_EN)とf4(ムブティ人、世界規模;西バイカル_BA_n、西バイカル_LNBA)の両方はゼロから3 s.e.m.内です。先行研究[12]の手法に従って、西バイカル_EN_nと西バイカル_BA_nのqpAdm混合モデル化[43]を適用できました。それぞれ代理として前期新石器時代バイカル湖東部個体群(東バイカル_N、5個体)[11]とirk030を用いて、西バイカル_EN_nと西バイカル_BA_nはANAとAPSの混合として適切にモデル化されました。祖先系統以下は本論文の図2です。
バイカル湖地域の新たに配列決定された個体群と以前に刊行された個体群との間の遺伝的類似性を考慮して、西バイカル_EN_nは西バイカル_ENと、西バイカル_BA_nは西バイカル_LNBAと統合されました。刊行されている結果と一致して、西バイカル_LNBAは西バイカル_ENクラスタ(まとまり)から逸れており、個体AG3およびirk030によってそれぞれ表されるANEおよびAPSの方へと動いていました。西バイカル_LNBAはANE/APS関連人口集団と追加のアレルを共有していた、つまり、f4(ムブティ人、APS/ANE;西バイカル_EN、西バイカル_EN、西バイカル_LNBA)> 8.11 s.e.m.と分かりました。西バイカル_LNBAについての充分に適合するqpAdm近位混合モデルは、西バイカル_EN(43.3±4.1%)およびirk030(56.7±4.1%)として更新されました(図2b)。西バイカル_ENから西バイカル_LNBAへの遺伝的移行はAPS関連構成要素の顕著な増加であり、バイカル湖地域人口集団の形成におけるAPS系統からの持続的影響が論証されます。
●前期新石器時代STM_EN人口集団の遺伝的特性
次に、モンゴル高原南端のSTM遺跡のSTM_EN個体群の遺伝的特性が調べられました。STM遺跡は河北省の張家口市に位置します。文化的遺物の層序関係と特徴に基づいて、STM遺跡の時間枠は予備的に5段階に区分できます。本論文で分析された個体群は第2段階から得られ、較正年代は7600~7400年前頃です。STM遺跡の個体群は、以前に刊行されている裕民遺跡(8500年前頃)からわずか100kmほどの位置で、約千年新しく、裕民文化と密接な考古学的要素を共有していました(図1a)。
ユーラシア人とアジア東部人両方の背景のPCAでは、すべてのSTM_EN個体は緊密なクラスタ(まとまり)を形成し、現在のツングース語族話者の範囲内に収まりました(図1b)。裕民遺跡との地理と時間と考古学的な近さを裏づけるように、すべてのSTM_EN個体は裕民遺跡個体や、西遼河地域のハミンマンガ遺跡の中期新石器時代の1個体(HMMH_MN)[21]とクラスタ化しました(まとまりました)。STM_ENと裕民遺跡個体とHMMH_MNは、ADMIXTURE分析でも類似した遺伝的特性を示しました。外群f3分析では、STM_ENと裕民遺跡個体とHMMH_MNは相互の上位一覧で際立っており、3000年間にわたるこれらの集団間の密接な遺伝的関係が再び裏づけられます(図2a)。
STM_ENと裕民遺跡個体とHMMH_MNとの間で顕著な遺伝的差異があるのかどうか、さらに調べるために、この3人口集団のすべての組み合わせでf4形式(ムブティ人、世界規模;集団1、集団2)のf4対称検定が実行されました。裕民遺跡個体より古い古代の人口集団が、この3人口集団間の対称性を破ることはほとんど見つかりませんでした。その後のqpWave分析では、アジア東部人の外群として古代の人口集団のみが用いられ、これら3組は区別できなかった、と分かったので、その祖先系統組成において認識可能な違いがない、と裏づけられます。f4(ムブティ人、裕民;STM_EN、HMMH_MN)= −4.05 s.e.m.、f4(ムブティ人、STM_EN;HMMH_MN、裕民)= 5.05 s.e.m.、f4(ムブティ人、HMMH_MN;STM_EN、裕民)= 0.59 s.e.m.によって示唆されるように、この3集団のうち、裕民遺跡個体とSTM_ENは地理的および時間的により遠いHMMH_MNとよりも、相互と遺伝的に近くなっています(図2c・d)。まとめると、これらの結果は、前期~中期新石器時代のモンゴル南部における明確なメタ個体群の長期の存在を示唆しておやり、それはこの地域における一部の農耕慣行を伴う最古級の人口集団(つまり、8500年前頃の裕民遺跡集団)にさかのぼります。
●YMRとバイカル湖地域との間の初期の遺伝的相互作用
裕民遺跡個体とSTM_ENとHMMH_MNが属する祖先メタ個体群の形成を理解するために、近隣のバイカル湖地域および中国北部地域の古代の人口集団との遺伝的類似性における共有されている特徴が調べられ、とくにANAと広く考えられてきた人口集団に焦点が当てられました。裕民遺跡個体とSTM_ENとHMMH_MNは、中国北東部の沿岸部ANA集団(たとえば、AR_9K後[45]や悪魔の門_N[10]などロシア極東)とよりも、モンゴルとシベリアの内陸部ANA集団(たとえば、東モンゴル_BA前[44]や東バイカル_NやAR_EN[21])の方と高い外群f3値を示しました(図2a)。f4(ムブティ人、裕民/ STM_EN/HMMH_MN;内陸/沿岸ANA、内陸/沿岸ANA)形式のf4統計は、異なる類似性の統計的有意性を確証します。しかし、刊行されているモンゴル/シベリアのANA個体のほとんどは紀元前六千年紀以降なので、裕民遺跡個体より新しいことに要注意です。
この地域のより古い古代ゲノムは欠如しており、近隣地域のより古い人口集団を用いて、STM_ENの遺伝的特性のモデル化が試みられました。最も重要なのは、可能性のある2供給源人口集団のモデル適合度が比較されたことで、それは、(1)中国北東部の初期ANA集団(代理としてAR14KとAR13-10Kが用いられました)と、(2)中国北東部の19587~19175年前頃となるAR19K [45]を用いてのANAの前の人口集団、および中国東部の山東_EN(9545~8040年前頃)と関連している特性です。これら2集団は、本論文の主成分空間では、異なる位置にあります(図1b)。
qpAdmにおいて第2供給源として古代バイカル湖地域人口集団を用いると、AR19K+西バイカル_ENは59.3±5.3%のバイカル湖地域集団の寄与でモデルに適合した、と分かりました。対照的に、初期ANA集団はSTM_ENをモデル化できませんでした。AR19K+西バイカル_ENモデルは、AR14KもしくはAR13-10Kが外群として追加されてさえ堅牢なままで、以前の中国北東部におけるANAへの祖先系統の変化にも関わらず、AR19Kとの堅牢なつながりが裏づけられます。AR19Kと遺伝的に類似しており、裕民遺跡個体およびSTM_ENと時間的に近いものの、山東_ENはAR19Kよりも適切なモデルを提供しませんでした。山東_EN+西バイカル_ENはSTM_ENをモデル化できませんでしたが、裕民遺跡個体およびHMMH_MNには適切なモデルを提供しました。裕民遺跡個体とHMMH_MNがそれぞれ単一個体であることを考えると、限られた統計的解像度のためより多くのモデルが適合する、と示唆されます。AR19K+西バイカル_ENモデルは、山東_ENが外群に追加されても、依然として堅牢でした。
STM_ENが西バイカル_ENの個体のほとんどより年代的に古いことを考慮して、STM_ENが西バイカル_ENのより適切な祖先構成要素の一つとして機能できるのかどうか、調べられました。西バイカル_ENと西バイカル_LNBAは両方ともSTM_EN+irk030としてモデル化できますが、東バイカル_Nが外群に含められると、堅牢ではなくなりました。対照的に、STM_ENが外群に含められると、モデルはSTM_EN+irk030で依然として堅牢でした。要するに本論文の分析から、STM_ENは、APSの子孫の西バイカル_EN人口集団から継承された、小さいものの有意に異なるAPS遺伝的構成要素を有していた、と明らかになり、バイカル湖地域と中国北部のYMRをつなぐ先史時代の回廊についての証拠を提供します。
●STM_EN個体群内の密接な親族関係網
本論文のSTM_EN個体群は、家屋跡の下で発見されました(図3a)。興味深いことに、直接的に比較可能な墓地はありませんが、これらの個体間で密接な遺伝的親族が見つかりました。注目すべきことに、密接な成人の親族の組み合わせでは、すべてのあり得る性別の組み合わせが見つかり、つまりは男性間や女男間や女性間です。第一に、本論文のPMR[47]およびKIN分析では、YHgおよびmtHgとともに、男性5個体のうち4個体を含む(個体STMM08は除外されます)1家族が見つかり、この家族は父親(STMM02)1人とその3人の息子(STMM01とSTMM03とSTMM07)で構成されていました。これら3人の息子は、全兄弟(両親が同じ兄弟)です。第二に、成人女性STMM10とSTMM11は母親と娘の組み合わせで(どちらかが母親かもしれません)、成人女性STMM09とSTMM13は全姉妹です。最後に、成人女性STMM06と成人男性STMM08は2親等の親族です。まとめると、STM_ENの11個体のうち8個体には1親等の親族がおり、密接な親族がいないのは1個体(STMM04)だけでした。以下は本論文の図3です。
この家屋跡(図3a)では、男女の姿勢と位置は意図的に配置されているようでした。女性個体は戸から遠い家屋跡内に集中し、相互に隣接しており、より寛いだ姿勢でした。対照的に、男性個体は戸の近くで見つかり、その埋葬姿勢はより丸まっているようでした。男性個体と女性個体の間で遺伝的異質性は検出されませんでしたが、男性個体と女性個体の埋葬慣行にはある程度の違いがあるかもしれません。埋葬パターンが一般的に社会組織形態を直感的に表していることを考慮すると、STM遺跡が先史時代の社会に位置していた共同体内では、男女間で社会階級や社会的分業に違いがあったかもしれない、と推測できる可能性があります。
●後期新石器時代の農牧境界におけるJJL_LNの遺伝的特性
考古学者は長きにわたって、農耕と牧畜の移行地帯における人口動態、および紅山文化と小河沿文化との間の関係を議論してきました。これらの問題に取り組むために、河北省の張家口市に位置するJJL遺跡の後期新石器時代個体群の全ゲノムが回収されました。放射性炭素年代測定から、JJL遺跡の埋葬層の年代は4907~3542年前で、較正年代の範囲は4828~4445年前頃と示唆されます 。
ユーラシア人とアジア東部人両方の背景のPCA(図1b)では、JJL_LN個体群は勾配的な分布を形成し、STM_ENと黄河関連クラスタの間に位置します。JJL_LNの29個体のうち3個体は主成分空間上の位置においてとくに異なっており、95JJLM38と95JJLM62はSTM_ENとクラスタ化し、95JJLM11は龍山文化期の中原の黄河_LN個体群[21]に位置しました(図1b)。したがって、qpWave分析では、JJL_LN個体群はSTM_ENもしくは黄河_LNと区別できませんでした。そこで、95JJLM38と95JJLM62はJJL_LN_o1、95JJLM11はJJL_LN_o2と分類され、残りの19個体がJJL_LNとしてまとめられました(1親等および2親等の関係の組み合わせのうちより低い網羅率の個体が除外されました)。データの解像度の範囲内では、f4(ムブティ人、JJL_LN_o1;裕民/STM_EN/HMMH_MN、裕民/STM_EN/HMMH_MN)≤ 1.86 s.e.m.と測定されたように、JJL_LN_o1はとくに裕民遺跡個体ともSTM_ENともHMMH_MNともと近くはありませんでした。裕民遺跡個体とSTM_ENとHMMH_MNは、f4(ムブティ人、民/STM_EN/HMMH_MN;JJL_LN_o1、裕民/STM_EN/HMMH_MN)= 1.26 to 7.77 s.e.m.と測定されたように、JJL_LN_o1とよりも相互の方と近くなりました。
外群f3の結果(図2a)では、JJL_LNは、紅山文化の半拉山遺跡(西遼河_MN、3個体)[21]や鄭家溝遺跡の(河北_鄭家溝_MN、3個体)[50]個体群など、中国北部の古代の人口集団と高い類似性を共有していた、と分かりました。注目すべきことに、STM_ENとHMMH_MNはJJL_LNとも高い類似性を示しました(図2a)。f4(ムブティ人、全世界;JJL_LN、黄河_LN)を用いると、JJL_LNはより北方の人口集団と追加の遺伝的類似性を教諭していた、と分かりました(図4a)。f4(ムブティ人、全世界;JJL_LN、STM_EN)を用いると、JJL_LNはアジア東部南方人口集団と追加の遺伝的類似性を共有していました(図4b)。これらのf4結果は、STM_ENと黄河関連人口集団の間の勾配に位置した、PCAにおけるJJL_LNの位置と一致しました。以下は本論文の図4です。
f4結果に基づき、北方供給源としてSTM_EN、南方供給源として中国北部集団(たとえば、黄河_MN、黄河_LN、山東_EN、山東_大汶口_崗山集団)[51、52]を用いて、JJL_LNのqpAdm混合モデル化が試みられました。中原の中期および後期新石器時代集団(黄河_MN、黄河_LN)と山東_ENに加えて、南方供給源として、時空間的に近い集団である、山東省の崗山遺跡の中期~後期新石器時代個体群である山東_大汶口_崗山集団が検証されました。STM_EN(66.9±6.5%)と山東_大汶口_崗山集団(33.1±6.5%)の混合モデルはJJL_LNに適合しましたが、残りのモデルは失敗しました(図4c)。主成分空間上のJJL_LN_o2の異なる位置は、中原もしくは山東大汶口文化期人口集団、とくに黄河_LNと山東_大汶口_崗山集団からの直接的寄与を示唆しましたが、JJL_LN_o2と上述の南方供給源との間のqpWave分析には、区別に充分な高解像度がありませんでした(図4c)。
同じ分析を中期新石器時代の紅山文化個体群である西遼河_MNに適用すると、同様の結果が得られました。すべてのSTM_ENおよび南方モデルは、小さな標本規模に起因するかもしれないため、基準外群で西遼河_MNを敵B眉宇させましたが、このモデルはいずれも、山東_ENと山東_大汶口_崗山集団と黄河_MNの人口集団一式で循環qpAdm分析を用いると、堅牢ではありませんでした。STM遺跡の約100km南方に位置する別の紅山文化人口集団である河北_鄭家溝_MN(15個体)[50]については、STM_ENと山東の人口集団のモデル基準外群でよく適合したのに対して、STM_EN+黄河_MNモデルは実行不可能でした。STM_ENと山東の人口集団のモデルは、黄河_MNを外群に追加すると実行不可能になりました。要するに、農耕地域と牧畜地域の移行帯に位置するJJL遺跡の個体群は、継続的な南北の混合動態を示しました。小河沿文化および紅山文化人口集団に関する本論文の結果は、小河沿文化を紅山文化の後継者とする、考古学的見解を裏づけます。
●STM_ENは中国北部人口集団の遺伝的構造を形成します
STM_ENの遺伝的構造の再構築、および中国北部の古代の人口集団に関するデータの継続的な更新の結果として、中国北部の古代の人口集団の遺伝的構造をより明確に調べることができるようになりました。本論文の目的は、ANA人口集団とよりもSTM_ENの方と地理的に近い、黄河上流の古代人集団の人口史の体系的な更新です。
qpAdmを適用し、モンゴル南部の廟子溝_MNと陝西省の石峁_LNと黄河上流域の斉家文化の黄河上流_LNが分析されました。先行研究では、これらの個体はANA人口集団と黄河人口集団の中間的な遺伝的特性を有しており、AR_ENと黄河_MN/黄河_LNの勾配としてモデル化される、と報告されました。AR_ENをSTM_ENと置換すると、STM_EN+黄河_LNモデルが3集団【廟子溝_MN、石峁_LN、黄河上流_LN】すべてで適切だった、と分かりました。全体的に、中国北部のANA人口集団よりも時間と地理の両方で近いSTM_ENを用いて、黄河上流域およびモンゴル南部の新石器時代の古代の人口集団の遺伝的歴史が更新されました。
●考察とまとめ
アジア東部の高緯度から低緯度にまたがる3ヶ所の考古学的遺跡から発見された古代の個体群の標本抽出によって、長い時間的および地理的規模で人口動態が再構築されました。APSの独特で明確な遺伝的特徴のため、本論文では、アジア東部草原地帯と中国北部のYMRとの間のつながりは前期新石器時代以降確立していた、と確証されます。農耕地帯と牧畜地帯の境界に位置するYMRは、動的な人口史を示し、周辺の西遼河および黄河地域に影響を及ぼしました。
●高緯度と低緯度の間の新たな南北の回廊:バイカル湖地域と中国北部とのつながり
バイカル湖地域の新たに標本抽出された個体群および以前に刊行された個体群とYMRのSTM_ENを組み合わせて、前期新石器時代には、STM_EN人口集団はバイカル湖地域から南方へ移動してきたAPSの子孫人口集団に影響を受けた、と分かりました。この調査結果は、農耕と狩猟採集民の生計パターンの組み合わせを行なっていた、この地域の最古級の人口集団の歴史を補完するだけではなく、高緯度人口集団の遺伝的構造の形成におけるAPSとその子孫人口集団の役割への焦点が限られてきた、先行研究の空白も埋めます。
遺伝学的に、STM_ENはバイカル湖地域の前期新石器時代人口集団、とくにAPSの子孫と考えられるキトイ文化人口集団と関連する祖先構成要素を有していました。このパターンは孤立の可能性を除外し、STM_ENへの遺伝的影響がバイカル湖地域人口集団の南方への移動に由来したことを確証します。さらに、以前に研究された裕民遺跡の単一個体と比較して、STM_ENのより大きな標本規模(12個体)は、バイカル湖地域とYMRとの間の相互作用に関する結論の代表性を強化します。考古学的には、STM遺跡と裕民遺跡の類似した丸底容器は中国北部の前期新石器時代考古学において独特で、バイカル湖地域で偶然にも一般的に見られる広範な新しい要素を表しています。さらに興味深いのは、STM_ENの男性個体は全員、四肢を重ねた横向きの姿勢で埋葬されていたことで、これもシャマンカ2遺跡によって代表されるバイカル湖地域で一般的だった埋葬慣行です。さらに、西バイカル_ENとSTM_ENで翡翠が崇拝されていたことは、両地域の結びつきを強めます。明確な在来ではない埋葬伝統の類似性は、バイカル湖地域とYMRとの間の相互作用をさらに裏づけます。
これらの調査結果は、ユーラシア草原地帯と中国北部との間の牧畜前の相互作用の証拠を提供します。重要なことに、これらの調査結果が依拠し、強化する以前の結論では、APS関連人口集団は高緯度に広がり、アルタイ地域[53]かミヌシンスク盆地の人口集団の形成に寄与した、とされており、APSの子孫人口集団の南方への移動も論証しています。まとめると、遺伝学と考古学両方のつながりは、初期YMR人口集団の形成におけるバイカル湖地域人口集団の大きな役割を示唆し、バイカル湖地域と中国北部との間の牧畜に先行する相互作用の南北の回廊の存在を示唆しています。
●YMRの農牧移行帯における人口集団の相互作用と統合
アジア東部草原地帯と中国北部のYMRとの間の相互作用回廊が証明されました。農耕地帯と牧畜地帯の間の境界に位置するYMRは、動的な人口史を示し、周辺の西遼河および黄河の人口集団の遺伝的構造を形成しました。より重要なことに、この相互作用は移行帯に限られていたのではなく、むしろ小河沿文化のJJL遺跡個体群によって表される農耕中核地域に及んでおり、中国北部の遺伝的および文化的パターンを継続的に形成した、と分かりました。
前期新石器時代YMRにおけるSTM_ENおよび裕民遺跡人口集団の遺伝的組成は高度に類似し、この遺伝的特性を中期新石器時代西遼河のHMMH_MNと共有しており、この遺伝的特性のより広範な地理的分布が示唆されます。STM_ENと裕民遺跡個体とHMMH_MNにおける違いから、HMMH_MN人口集団は裕民遺跡個体の前にYMR集団から分岐した、と示唆されるかもしれません。中国北部の以前に刊行された古代ゲノムのqpAdmモデルの更新によって、中国北部全域のその後の人口集団へのYMRのSTM_EN人口集団の遺産を明らかにできます。石峁_LNと黄河上流_LNと廟子溝_MNの更新された混合モデルは、供給源祖先人口集団として、ANA関連人口集団より実行可能な適合を提供し、それによって、中国北部の新石器時代黄河上流人口集団へのYMR人口集団のより広範な影響を強化します。
先行研究は、中期新石器時代の紅山文化と後期新石器時代の夏家店下層文化との間の、西遼河地域における大きな遺伝的変化を示唆しましたが[21]、これら2文化間の千年にわたる時間的空白は、おもに小河沿文化に相当し、依然として調べられていませんでした[21]。小河沿文化の最南端の範囲に属していたJJL遺跡の多数の古代の個体の調査によって、その遺伝的特性は全体的に選好する紅山文化集団と類似しており、継続的な遺伝子流動に起因する遺伝的変容を経つつあった、と示されました。刊行されている紅山文化個体群が時間的により古く、【JJL遺跡よりも】さらに北東に位置することを考えると、遺伝的特性における類似性は、紅山文化と小河沿文化との間の密接な考古学的つながりが裏づけられます。
興味深いことに、JJL遺跡の遺伝的外れ値個体は、進行中の遺伝子流動の二つの異なる供給源を示唆しており、一方はSTM_ENなど在来の先行する人口集団と類似しており(JJL_LN_o1)、もう一方は黄河_MNや黄河_LNなど中原の農耕人口集団と一致します(JJL_LN_o2)。遺伝的に南方の外れ値の存在はその後の夏家店下層文化人口集団の遺伝的特性から予測でき、驚くべきは、STM_EN的外れ値が観察されることで、STM_EN関連人口集団がこの地域に存在する人口集団の拠点・退避地だったことを示唆しています。STM_ENは遺伝的に残りのJJL_LNや西遼河のそれ以前の紅山文化個体群とは異なっていたので、これはYMRもしくは近隣地域におけるSTM_EN的人口集団の存続を示唆しています。これは、より広範なYMRおよび西遼河地域の新石器時代人口集団が、微細な地理的階層化を有していたかもしれないことも示唆しています。HMMH_MNはそうした供給源人口集団に適合するかもしれませんが、JJL_LN_o1は裕民遺跡個体もしくはSTM_ENと比較して、とくにHMMH_MN近かったわけではありません。JJL_LNにおける混合の年代を堅牢には推定できませんでしたが、これはアジア東部供給源集団の密接な遺伝的関係に起因する可能性が高く、外れ値の存在はJJL遺跡人口集団への継続的な近い過去の遺伝子流動を示唆しました。紅山文化や小河沿文化や夏家店下層文化関連の個体群の古代ゲノムのさらなる標本抽出は将来、高解像度での遺伝的変化の期間の推定に役立つでしょう。
要するに、本論文は追跡子としてAPSを用いて、バイカル湖地域から中国北部のYMRへと広がる人口集団の相互作用の長距離回廊を特定し、早くも新石器時代に高緯度と低緯度を結びつけます。STM_ENによって提供された知見がなければ、先史時代の南北のつながりは検出されないままだったでしょう。STM_ENは重要な仲介として機能し、バイカル湖関連人口集団の遺伝的兆候を保存して、その後の中国北部人口集団への遺産の追跡を可能としました。YMRにおける前期~後期新石器時代の人口動態の再構築を通じて、農牧移行帯の共同体が遺伝と文化の両方で経時的にどのように適応したのかについて、より深い理解が得られます。しかし、現在のデータセットは時間と空間両方の範囲で依然として限られています。中国北部、とくに研究の不充分な地域と期間からの追加の古代ゲノムが、人口構造と文化的移行を深く理解することには不可欠でしょう。
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