本村凌二『地中海世界の歴史8 人類と文明の変容 「古代末期」という時代』

 講談社選書メチエの一冊として、2025年月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書の対象範囲は軍人皇帝の時代から西ローマ帝国の滅亡までとなり、心性史、より具体的には多神教世界から一神教であるキリスト教世界への移行が中心的に取り上げられています。本書は、当時の世界にあって一神教は異例の宗教であり、それが広大なローマ帝国において浸透していったことを、人類史における最大級の問題と認識しています。この西ローマ帝国滅亡の前後の期間は、ローマ帝国の衰退や暗黒時代としての中世の到来ではなく、心性の変化を伴う、「文明」の変容や創生の時代としての「古代末期」と把握されるようになりました。『地中海世界の歴史』では一貫して、宗教というか人々の心性が重視されてきましたが、本書でもその点は一貫しています。

 軍人皇帝の時代は混乱が強く印象に残りますが、235~284年の間に、正当な皇帝とみなされた者だけでも26人おり、そのうち24人は戦場や暗殺などで落命しました。さらに、共同統治者である副帝3人や自称もしくは僭称の皇帝41人含めると、半世紀の間に70人もの皇帝が出現し、そのほとんどが軍人でした。この半世紀間で皇帝擁立回数が圧倒的に多かったのはライン川やドナウ川やユーフラテス川流域の国境地域で、イタリアなど平安な地中海沿岸地域にいる皇帝ではもはや国境の緊迫した軍事的危機に対処できない、との認識が兵士たちにあったようです。軍人皇帝の時代の前から、兵士優遇策による財政危機があり、その対処として通貨の増発が繰り返されたため、物価は上昇し、民衆にも危機意識が広がったようです。「軍人皇帝」のうちウァレリアヌスとガリエヌスについては、平時であれば賢帝として評価された可能性を本書は指摘します。ガリエヌス帝の後世の評価は悪いものの、それは軍事経験の浅い元老院議員を軍隊の高級職から締め出したことに起因するのではないか、と本書は指摘します。こうした問題は、前近代においては地域と時代を問わず当てはまるかもしれず、識字率の低い世界において、知識層に嫌われると悪評が残りやすい傾向にあるように思われます。この軍人皇帝の時代において本書で他に高く評価されているのはアウレリアヌスですが、この時代の皇帝らしく側近に殺害されました。

 この軍人皇帝時代に終止符を打ったとされるのがディオクレティアヌス帝で、低い身分に生まれたものの、軍人として台頭し、皇帝即位後には帝国の分割統治によって政情を安定させ、当初は東西の分担、後には東西それぞれに正帝と副帝を置く四分治制が施行されました。ディオクレティアヌスは軍事力の強化と属州の細分化による再編を実行し、文官と武官を切り離します。こうした改革の裏づけとなったのが税制改革で、帝国全土において人口調査と土地測量が実施されました。軍人皇帝時代に著しかった物価上昇への対策として、最高価格令によって広範な品目で最高価格が設定され、違反者は厳罰に処せられることになりましたが、商人の反発や取り締まりの実行の難しさから、最高価格令は間もなく事実上撤廃されたようです。ディオクレティアヌス帝は宗教面では、自身をゼウス=ユピテル神の化身として、東方世界的な皇帝礼拝を進めました。これは、ローマの伝統からの大きな逸脱となります。一方で、ディオクレティアヌス帝はローマの伝統宗教の再興によって統合の強化を図ります。これは、直接的にキリスト教を否定したわけではありませんが、ローマの神々への礼拝が義務づけられたので、それを拒絶することの多かったキリスト教徒が迫害されることになりました。ディオクレティアヌス帝のキリスト教徒迫害については、ローマ帝国西方より東方で激しかったなど地域差があったことや、迫害の実務者もしぶしぶ行なっていた可能性が指摘されています。

 305年にディオクレティアヌス帝が退位した後、低位をめぐって内乱が起きましたが、コンスタンティヌスが313年までには事態を収拾し、西方の皇帝となります。コンスタンティヌスは313年のミラノ勅令でキリスト教を公認し、東方皇帝のリキニウスと対立して324年には降伏に追い込みます。コンスタンティヌス帝は官僚制を整備し、通貨改革を行ない、野戦機動部隊を創設して、ローマ帝国内の軍隊の移動を円滑にしました。また、コンスタンティヌス帝の治世では農耕民や職人の自由が制限されていき、全体的に職業の世襲化が進みます。コンスタンティヌス帝死後の政争を勝ち抜いたコンスタンティウス帝は、政争で親族が次々と落命し、息子がいないため、従弟のユリアヌスを副帝とします。ユリアヌスは天性の軍事的才能があったのか、遠征で功績を挙げていき、ついには兵士たちによって正帝に擁立されたユリアヌスとコンスタンティウスが軍事衝突に至るか、と思われたところでコンスタンティウスが急死し、意外にもコンスタンティウスはユリアヌスを後継者に指名しました。ユリアヌスはローマ古来の神々への祭儀復興を主導したため、「背教者」と呼ばれていますが、基本的には信教の自由を認めており、それはキリスト教も同様でした。本書は、キリスト教がローマ帝国に公認されて厚遇されることによって、淀みが生じたため、清貧を重んじる禁欲的な時代風潮の中で、ユリアヌスにとってキリスト教はおぞましく見えたのではないか、と推測します。本書は、皮肉に見れば、禁欲を強く訴えるユリアヌスの姿勢こそキリスト教徒のあるべき敬虔な姿だった、と指摘します。ユリアヌスの異教復興策は時代錯誤ではなく、時代の底に潜む肉声をいち早く感じ取っていた、というわけです。

 ユリアヌス帝の死後、ユーラシア東方の遊牧民集団の西進によってゲルマン人が圧迫し、ローマ帝国内への移動を活発化し始めて、皇帝も戦死するなど苦境にあったローマ帝国では、テオドシウスが即位して体制を立て直します。テオドシウスは即位後すぐにキリスト教の洗礼を受け、その廷臣のほとんどは「正統派」のキリスト教徒だったようです。テオドシウスは391年には「異教」祭儀を禁止し、キリスト教を事実上国教とします。キリスト教がローマ帝国の国教となるのには、アンブロシウスの役割が大きかった、と本書は評価しています。アンブロシウスは、テオドシウス帝に有罪を宣告し、テオドシウス帝がアンブロシウスに屈服したことさえありました。本書は、アンブロシウスがキリスト教のその後の発展に大きく貢献したのではないか、と評価しています。395年にテオドシウス帝は没し、ローマ帝国は息子2人に分割継承され、再び統一されることはありませんでした。これ以降、ローマ帝国の東西は対照的な軌跡をたどり、西ローマ帝国が476年に「滅亡した」のに対して、東ローマ帝国はそこからさらに1000年近く存続し、現在ではビザンツ帝国とも呼ばれています。

 ローマ帝国の「衰亡」については、古くから多数の節が提唱されてきました。本書はその一部を紹介しつつ、経済と軍事と「文明」に焦点を当てています。まず経済的には、社会資本を何百年にもわたった維持できる経済力があったのか、本書は疑問視しています。奴隷制社会において、革新への意欲は高まりにくく、経済成長どころか安定した経済力の維持さえ覚束なかったかもしれない、というわけです。次に、内乱や周辺勢力との軍事対立によって軍事費が増大し、民衆の負担となり、ローマ皇帝への求心力が失われたことです。最後に、多神教「文明」から一神教「文明」への変容です。ローマが拡大する中で、じゅうらいの地縁や血縁よりも個人としての意識が大きくなり、それぞれの神を抱くポリス市民ではなく世界公民としての自覚が強くなって、東方起源の個人救済宗教が浸透し、これは「文明」というか心性の大きな変容だった、と本書は指摘します。公民意識の低下など、ローマを成立させていた要素が巨大化に伴って大きく変容していったことこそ、ローマ帝国の「衰亡」の背景だった、と言えるでしょうか。ただ本書は、ローマ帝国の「衰亡」を、単にローマ帝国の「崩壊」に留まらず、広く「地中海文明」の視点で、4000年間におよぶ「地中海文明」の「老衰」による「自然死」との観点を提示しています。ローマ帝国によって政治的に統合された古代地中海世界は、各地域で土着的とも言える伝統世界を再び復活させながら、自己の世界を築いていき、それは没落や衰退といった図式では把握できないのではないか、と本書は指摘します。

 本書というか『地中海世界の歴史』全体の主題の一つとも言える心性については、軍人皇帝の時代において、政治と軍事のみならず上述の財政危機による経済面での混乱もあり、旧来の共同体のつながりが崩壊していく中で、上述のように、人々は旧来の神々ではなく、東方起源の個人救済の神々を信仰していきます。キリスト教もそうした東方起源の個人救済の宗教の一つでしたが、3世紀半ばまで、ローマ国家がキリスト教を一つの宗教として認知することはほとんどなかったようです。キリスト教は誕生後200年ほど、ローマ帝国内で信者数はわずかに増えただけでしたが、3世紀半ばからの60年間ほどで急速に広がり、ローマ帝国の住民の約1割(500万~600万人)が信者になった、と推定されています。キリスト教も含めて多様な東方起源の宗教が進行された、この多種多様な宗教の混在と融合と離反の時代はシンクレティズム(融合、習合主義)と呼ばれています。本書は、キリスト教が古代地中海世界で宗教的覇権を確立した要因として、「救い主イエスが人類の罪を一身に背負って十字架刑に処せられた」という分かりやすい主題があったことや、貧しい下層民こそ救われるべきと説かれていたことなどを挙げます。多神教からキリスト教というかより広く一神教への転換のさらに根本的な背景としては、一神教が人間の内なる世界にまで入り込み、物欲を戒めていたことが挙げられています。このキリスト教の濃厚な禁欲意識は、すでにヘレニズム期にも存在しましたが、ローマ帝国が拡大していく中で、「心の豊かさ」を求める心性がローマ帝国に定着し、キリスト教浸透の基盤になったのではないか、というわけです。修道院も、そうした禁欲的な風潮の中で生じた「世捨て人」が吸収されることで、形成されていったようです。本書はこの多神教世界から一神教世界の変容を、古代社会における大転換と把握しており、その意義の大きさは、近代(あるいは近世)以降の一神教を大前提とする社会の人々には理解しにくく、古代にあっては一神教こそ「無神論」とみられていただろう、と指摘します。

 これで『地中海世界の歴史』全8巻を当ブログで取り上げたことになります。とくに宗教関連で示唆を得るところが多く、そのうち第1巻から改めて通読するつもりです。第1巻~第7巻の記事は以下の通りです。

第1巻『神々のささやく世界 オリエントの文明』
https://sicambre.seesaa.net/article/202407article_6.html

第2巻『沈黙する神々の帝国 アッシリアとペルシア』
https://sicambre.seesaa.net/article/202407article_13.html

第3巻『白熱する人間たちの都市 エーゲ海とギリシアの文明』
https://sicambre.seesaa.net/article/202407article_20.html

第4巻『辺境の王朝と英雄 ヘレニズム文明』
https://sicambre.seesaa.net/article/202411article_16.html

第5巻『勝利を愛する人々 共和政ローマ』
https://sicambre.seesaa.net/article/202502article_15.html

第6巻『「われらが海」の覇権 地中海世界帝国の成立』
https://sicambre.seesaa.net/article/202505article_31.html

第7巻『平和と繁栄の宿命 パクス・ロマーナ』
https://sicambre.seesaa.net/article/202509article_6.html

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