陝西省の後期新石器時代人類集団のゲノムデータ
陝西省の後期新石器時代人類集団のゲノムデータを報告した研究(Chen et al., 2025)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、初期の社会階層化と国家形成の進展が示唆される、陝西省の後期新石器時代遺跡で発見された人類遺骸のゲノムデータを報告しています。この陝西省の後期新石器時代人類集団の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)は、中原の中期新石器時代農耕民集団と類似していることが示されました。また、最大4世代の家系図が復元され、「父系」的な社会だったことや、性別に応じた人身供犠が行なわれていた可能性も明らかになりました。日本人の一人としては、こうした社会構造も視野に入れた古代ゲノム研究が、日本列島でも進展するよう期待しています。
以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、cM(centimorgan、センチモルガン)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、o(outlier、外れ値)、)K(系統構成要素数)、k(kilo years ago、千年前)、nEA(northern East Asian、アジア東部北方人)、sEA(southern East Asian、アジア東部南方人)、AR(Amur River、アムール川)です。
以下の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EMBA(Early to Middle Bronze Age、前期~中期青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)です。本論文で取り上げられる主要な文化は、仰韶(Yangshao)文化、龍山(Longshan)文化、アファナシェヴォ(Afanasievo)文化、ヤムナヤ(Yamnaya)文化、です。
本論文で取り上げられる主要な遺跡は、陝西省神木(Shenmu)市の石峁(Shimao)遺跡と石峁遺跡内の東門(Dongmen、略してDM)および皇城台(Huangchengtai、略してHCT)墓地および韓家圪旦(Hanjiagedan)墓地と木柱柱梁(Muzhuzhuliang)遺跡と神圪墶梁(Shengedaliang)遺跡と楡林市府谷県の寨山(Zhaishan)遺跡と楡林市靖辺県の五庄果墚(Wuzhuangguoliang)遺跡と廟梁(Miaoliang)遺跡、山西省の臨汾市襄汾県の陶寺(Taosi)遺跡と運城市絳県の周家荘(Zhoujiazhuang)遺跡、浙江省の良渚(Liangzhu)遺跡、山東省の小高(Xiaogao)遺跡と扁扁(Bianbian)遺跡、福建省の渓頭村(Xitoucun)遺跡、モンゴルの廟子溝(Miaozigou)遺跡と裕民(Yumin)遺跡と新華(Xinhua)遺跡、ロシア極東沿岸の悪魔の門洞窟(Devil’s Gate Cave、Chertovy Vorota)遺跡、シベリアのシャマンカ(Shamanka)遺跡、台湾の漢本(Hanben)遺跡です。
本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事の以下の翻訳ではではとりあえず「中国」と表記します。なお、当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、この記事では本論文の「civilization」を「文明」と訳します。
●要約
中国の陝西省における国家水準の新石器時代の要塞集落である石峁市(紀元前2300~紀元前1800年頃)の発見は、社会的に階層化された都市社会の出現の理解を助けるのに、重要な役割を果たしました。しかし、祖先系統と親族関係が、人身供犠を特徴とするこの階級社会の階層構造をどのように形成したのかについて、依然として重要な問題が残っています。石峁遺跡および他の黄土高原の集落の創始者人口集団の起源と、より広範な祖先的背景内の相互作用は、まだ解明されていません。本論文は、石峁市およびその衛星都市の古代人144個体のゲノムの配列決定によって、墓の被葬者の家系を最大4世代まで示します。これらの調査結果は、石峁遺跡共同体におけるおもに父系の構造と、おそらくは性別に基づく御供儀式を明らかにします。本論文は人口史も特徴づけ、石峁文化関連人口集団はほぼ、少なくとも1000年以上前に存在した仰韶文化関連人口集団に由来し、モンゴル南部の裕民遺跡関連人口集団の継続的な流入は、地域的な遺伝的連続性を中断させなかった、と明らかにします。石峁文化関連人口集団への中国本土南部祖先系統からの遺伝的影響は、稲作の以前に予測されていたよりもさらに北方への拡大に関する証拠を裏づけます。まとめると、これらの結果は、初期国家樹立の地域的な定住と社会構造の詳細を明らかにしています。
●研究史
黄土高原北部とオルドス砂漠の境界に位置する石峁遺跡は、中国で発見された最大級の先史時代集落の一つです。石壁に囲まれた石峁遺跡は面積が約4km²で、外郭と内郭に区分でき、国家水準社会に典型的な特徴を示しており、それは工芸品製作と大規模な要塞と高度な社会階層で、多くの形態の人身供犠があります。厳格な階層政治形態と人身供犠の独特な文化がある石峁遺跡では、80点以上のヒト頭蓋が東門の下に埋葬されているのが発見され、石峁遺跡は初期国家水準のヒト社会での政治的および社会的関係の構築における家族と祖先系統の役割の好例として役立てます。石峁遺跡では2ヶ所の墓地が発見されており、一方は都市中心部の支配階級に分類されている皇城台墓地で、もう一方は、内郭の内部の韓家圪旦の南方に位置する上流階級に分類されている墓地です。外郭の東門には、人身供犠の犠牲者の埋葬坑が含まれています。石峁文化墓地の埋葬は4~5種類に区分されており、高位から低位の住民の階級に相当しており、これらはともに石峁社会内の厳格な階層構造を特徴づけています。墓地の配置は、都市計画と明確な社会階層化の兆候を示しています。
アジア東部における階層的に組織化された社会の出現を説明する以前の試みは、広範な分散した考古学的遺跡を分析したか、夏や殷(商)など初期王朝、もしくは地域国家の初期形態と考えられてきた、陶寺遺跡や良渚遺跡など他の大きな後期新石器時代集落に焦点を当てました。この大規模都市集落の広範な考古学的記録は、初期国家水準の共同体に関する知識をさらに深めました。2通りの見解が、石峁市およびその拡散した文化的側面の起源の説明を試みてきました。一方は、石峁遺跡が広範な交易網の国際的中心地で、おそらくはアジア東部北方もしくは長江流域の文化からもたらされた、東方草原地帯文化を想起させる青銅製器時代の小刀および翡翠の石刃や鰐皮と、中原の龍山文化と類似した土器様式が出土した、と提案しています。もう一方の仮説は、石峁遺跡を、おそらくは在来起原の地域的な文化的中心地として解釈し、中国の壁画や口琴の一部を有していました。この見解は、一部には建築技術や文化的遺物の差異に基づいており、この地域におけるその後の類似性は石峁の影響増加に起因していたかもしれない、と主張しています。
多数の個体と埋葬地からのDNAの広範な標本抽出と大規模な回収によって、大規模な家系図の構築が可能となり、古代文化の過去の配偶と埋葬慣行を報告する、前例のない機会が提供されます[17~19]。巨石支配層の墓もしくは大規模家族埋葬の研究は、父系および父方居住親族関係制度を示すことが多いものの[19~21]、これは常に当てはまるとは限らず、それは時に母系もしくは複合的パターンを示す事例があるからです[22、23]。地域横断的な研究は、社会結合についてさせに知見を提供するのみならず、大規模な古代の共同体間の個体と家族の移動性も記録します[24、25]。これまでに、こうした研究はおもにメソアメリカもしくはユーラシア西部および中央部の地域に焦点を当ててきました。最近では、これらの遺伝学的研究はアジア東部の新石器時代集落の親族関係を調べ始めました[26]。しかし、アジア東部先史時代文化の社会的階層化が見られる、大規模で組織化された集落を対象とした、同等の包括的な遺伝学的分析はまだありません。農耕共同体と遊牧共同体との間の回廊に栄えた石峁文化は、石峁市およびその同時代の衛星遺跡(たとえば、木柱柱梁や神圪墶梁や新華や寨山)によって表され、中華文明の黎明期における大規模集落に関するモデルの確立において重要な役割を果たし、住民の人口史および初期の社会構造への独特な遺伝学的機会を提供します。
石峁遺跡とその周辺遺跡の片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアと父系のY染色体)の以前の調査は、ミトコンドリアハプロタイプの多様性を示し、相対的に少ないY染色体ハプロタイプとは対照的です。そうした大規模な先史時代集落からの核ゲノムのより深い標本抽出は、住民の遺伝的および社会的歴史へのより包括的な調査を可能とするでしょう。石峁遺跡社会の人口集団の起源と親族関係慣行を明らかにするために、多くの先史時代の文化(仰韶文化や石峁文化や陶寺文化)を示し、オルドス砂漠から陝西省および山西省の黄河下流域までの黄土高原上の地域を網羅する、9ヶ所の遺跡の中期~後期新石器時代と青銅器時代の密なゲノム標本抽出が実行されました。中国の陝西省の7ヶ所の考古学的遺跡および山西省の2ヶ所の考古学的遺跡から検査された207個体の遺骸のうち古代人169個体(169点の標本のうち142点は以前のミトコンドリアゲノム研究と重複し、2点は以前に報告された神圪墶梁遺跡の標本3点[29]と遺伝的に同一出した)でゲノム規模データが生成されました(図1)。合計で、9ヶ所の遺跡の保持された個体の各遺伝的クラスタ(まとまり)を表す32個体から、放射性炭素年代が収集されました(図1)。遺伝的に同一の24個体と、SNPの数が少ない13個体と、参照ゲノムに対して高いマッピング(多少の違いを許容しつつ、ゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)不一致率のある1個体の除外後に、親族関係にない144個体での集団分析と、合計で1親等もしくは2親等の親族がいる他の25個体で親族関係分析が実行されました。DNAライブラリは120万SNP[30]で濃縮され、29604~976271ヶ所の範囲のSNPが得られ、平均捕獲SNP網羅率は2.74倍でした。以下は本論文の図1です。
●石峁人口集団の遺伝的構成
石峁人口集団の起源を説明する試みは、近隣の中原の人口集団およびオルドス地域の周辺の北東部人口集団との文化的共通性や、中国北東部、たとえばアムール川流域もしくは沿岸部地域のより遠方の文化的特徴に集中してきました。刊行されているユーラシア人口集団の大規模なパネルとの遺伝的つながりを通じて、黄土高原の石峁文化を示すさまざまな人口集団の遺伝的形成が調べられました。まず、石峁市およびその周辺の遺跡(木柱柱梁と神圪墶梁と新華と寨山、以後はまとめて石峁_4kと呼ばれます)の石峁文化に分類される4200~3800年前頃の人口集団(すべての放射性炭素年代の上限)は、陝西省北部におけるそれ以前の人口集団である4800年前頃の仰韶文化関連人口集団(廟梁遺跡と五庄果墚遺跡、まとめて先石峁_5kと呼ばれます)と密接に関連していた、と分かりました。石峁_4kと先石峁_5kは、陝西省外のnEA祖先系統(たとえば、黄河_MN、黄河_LN、西遼河_MN、廟子溝_MN)とクラスタ化し(まとまり)、これはPCAおよびK=3の混合によって裏づけられます(図1)。外群f₃分析とD統計では、石峁文化関連人口集団を、黄河_MNと黄河_LNによって表される黄河流域のnEA祖先系統や、前期新石器時代山東(小高遺跡と扁扁遺跡)と西遼河流域(西遼河_MN、西遼河_LN)などさらに遠方の祖先系統と比較すると、石峁_4k人口集団は、他のnEA祖先系統と比較して、先石峁_5kと最高の全体的な類似性を有していました(図1c)。さらに、混合のある最尤系統発生(2回、図2)では、石峁_4k人口集団は先石峁_5kと明確な遺伝的連続性があると分かった、と確証されました(図2)。陝西省人口集団の遺伝的連続性はqpGraphを用いても確認され、石峁_4kは先石峁_5k(ここでは、より良好に網羅されている五庄果墚遺跡集団によって表されます)からの単一供給源(100%)としてモデル化できました(図2)。
石峁遺跡の人口集団について、先行する仰韶文化集団祖先系統とともに、余分な祖先系統を含めることができるのかどうか、さらに明らかにするために、広範なf₄分析が実行されました。注目すべきことに、石峁市とその衛星遺跡両方の石峁文化関連人口集団内の数個体(図1では、石峁sEA勾配と表記されています)は、黄河_LNによって表される後期新石器時代龍山文化人口集団と異なっており、D統計によって証明されるように、sEA祖先系統(台湾先住民のアミ人集団と福建省の渓頭村遺跡個体によって表されます)の多様な類似性を示します。qpAdmモデル化から、石峁遺跡のsEA外れ値は、おもに70~90%の仰韶文化関連祖先系統(五庄果墚遺跡集団によって表されます)と、さらに10~30%の南方祖先系統を有しており、この南方祖先系統は、22~31%の南方本土祖先系統(渓頭村遺跡個体)、もしくは台湾の鉄器時代の在来の漢本遺跡人口集団あるいはアミ人集団によって表される7~20%の南東部沿岸祖先系統によって表すことができる、と示唆され、稲作農耕民の後期新石器時代の拡大が中原よりさらに北方にまで広がっていたことを示しており、これは最近の調査結果[34]と一致します。
後期新石器時代の石峁遺跡および同時代の関連人口集団(つまり、木柱柱梁、神圪墶梁、新華、寨山)についてのqpAdmを用いての混合モデル化は、五庄果墚遺跡個体によって表される4800~4600年前頃その祖先系統からのひじょうに高度な寄与を示し(補足表4において灰色で強調された18人口集団のうち9人口集団は単一の祖先系統供給源を、5人口集団は80%以上の、五庄果墚的祖先系統を有しています)、石峁視野はほぼ、少なくとも1000年前にはこの地域で確立していた仰韶文化関連人口集団に起源があった、との仮説が裏づけられます。それ以前の五庄果墚遺跡人口集団の祖先系統供給源をさらに理解するために、模擬実験手法が適用されました。その結果は、五庄果墚遺跡人口集団について、黄河農耕民祖先系統とは区別される混合供給源を示唆しています。石峁_4k人口集団間の、山西省のさらに南方に位置する陶寺文化に分類される同時代の人口集団(陶寺遺跡個体と周家荘遺跡個体、まとめて陶寺_4kと呼ばれます)との遺伝的関係がさらに調べられ、石峁文化関連人口集団と陶寺文化関連人口集団との間の密接なつながりが示唆されます。
●裕民遺跡関連祖先系統の持続的存在
オルドス地域の農耕牧畜社会は中期新石器時代から後期新石器時代まで、牧畜生活様式と農耕生活様式との間で頻繁に変わりました。移行回廊に位置する石峁遺跡は、飼育動物の導入および石峁遺跡で見つかった彫刻石顔面の存在とともに草原地帯関連の特徴を示しました。近隣の草原地帯文化人口集団が遺伝的に石峁遺跡人口集団に影響を及ぼしたのかどうか、そうならば、その時期と程度を調査するために、先石峁_5kと石峁_4kと古代の東西の草原地帯人口集団(アファナシェヴォ文化集団[37]、ヤムナヤ_EMBA[38]、シャマンカ遺跡集団)[37、38、40]、ユーラシア西部および中央部人[41、42]、他のアジア東部人との間の遺伝的つながりが調べられ、このアジア東部人に含まれるのは、【現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では内モンゴル自治区とされている】モンゴル南部の草原地帯に居住しており、新石器時代と青銅器時代を通じてアジア東部北方に存在していた、裕民遺跡の8000年前頃の1個体[32]によって表される近隣のアジア東部北方祖先系統です。
主要な先石峁_5k人口集団はアジア東部外の祖先系統との混合の証拠が殆ど全くなかった、と分かりました。さまざまなnEA祖先系統と比較すると、中期新石器時代の五庄果墚遺跡の一部の外れ値個体は、残りの人口集団において顕著な祖先系統とは異なる祖先系統を有していた、と観察されました。五庄果墚遺跡人口集団における遺伝的外れ値(五庄果墚_o1、較正年代で4831~4585年前頃)は、PCAでは裕民遺跡個体とまとまりました(図1)。Treemix分析でも、これら五庄果墚遺跡の外れ値(先石峁_5k_o)は裕民遺跡個体的系統とまとまりました(図2)。これら裕民遺跡個体関連の外れ値2個体の遺伝的構成をさらに調べるために、遠位混合モデル化が適用され、50.2±11.5%の裕民遺跡個体関連祖先系統と、五庄果墚遺跡個体群によって表される49.8±11.5%の4832~4820年前頃の優勢な仰韶文化関連祖先系統の2供給源混合が裏づけられました。以下は本論文の図2です。
裕民遺跡個体関連祖先系統が石峁文化関連人口集団に1000年後に継続的な影響を及ぼしたのかどうか、調べると、後期新石器時代へと続くものの、それ以前の1000年間の在来の遺伝的連続性を弱めるひとはないような、裕民遺跡個体関連祖先系統の増加の事例が観察されました。PCAおよびf₃分析は、裕民遺跡個体とまとまるか密接な石峁文化関連人口集団において、6点の遺伝的外れ値(較正年代で4148~3390年前頃、新華_oと石峁_皇城台_oと石峁_東門_o1と石峁_東門_o2と木柱柱梁_oに属する2個体)を検出しました(図1)。そのうち後者の外れ値(新華_oと石峁_東門_o1と木柱柱梁_o)は、D(裕民遺跡個体、石峁/nEA;陝西省外れ値、ムブティ人)> 0(−0.3 < Z < 9.2)およびD(陝西省外れ値、裕民遺跡個体;石峁/nEA、ムブティ人)がほぼ 0(−2.9 < Z < 2.9)のD統計によって示されるように、石峁文化集団祖先系統もしくは他のnEA祖先系統とよりも、裕民遺跡個体の方と多くのアレル(対立遺伝子)を共有していました。Treemix分析でも、これら後期新石器時代外れ値(陝西_4k_o)は裕民遺跡個体的な系統と姉妹クレード(単系統群)になる、と示されました(図2)。
石峁遺跡の後期新石器時代の外れ値1個体(石峁_皇城台_o)のみが、約28~31%の裕民遺跡個体関連祖先系統と約69~72%の仰韶文化集団関連祖先系統の混合(混合割合の範囲は図2で提示されるqpAdmモデルに基づきます)でした(図2)。裕民遺跡個体と石峁市の東門の最も新しい年代の外れ値1個体(較正年代で3390~3253年前頃、石峁_東門_o2)との間の4500年以上の時間範囲にも関わらず、他の後期新石器時代の外れ値5個体(新華_o、石峁_東門_o1、石峁_東門_o2、木柱柱梁_oに属する2個体)において混合の証拠は見つかりませんでした。これは遠位もしくは近位モデル化のqpAdm分析によって証明され、陝西省のこれら後期新石器時代の外れ値5個体は、裕民遺跡個体と関連する祖先系統の単一の供給源(100%)として最適にモデル化され(図2)、これはD統計によってさらに裏づけられます。まとめると、これらの結果は古代の陝西省住民と裕民遺跡個体関連人口集団との間の共存および時折起きる混合による長期の相互作用と、中期新石器時代~後期新石器時代までの裕民遺跡個体関連の影響増加さえ示唆しており、飼育動物の利用の増加の事例の発見と一致します。これらの相互作用が交易や、おそらくは季節的な気候変動に対応した農耕牧畜生活様式の維持や、他の原意と関連していたのかどうか不明ですが、そうした相互作用は在来祖先系統の遺伝的連続性を中断させるのに充分なほど多くありませんでした。
●石峁遺跡における性別に応じた犠牲
石峁文化の犠牲伝統の多様性は、高度な社会階層化と厳格な階層構造を示唆しています。石峁遺跡とその周辺遺跡における犠牲伝統は二つの形態から構成されており、それは、石峁遺跡の東門もしくは皇城台の宮殿を含んでいたかもしれない高台で見られるような、公的儀式の目的だったかもしれない集団埋葬と、石峁遺跡および寨山遺跡で見られるような犠牲者が墓主とともに埋葬された高位の埋葬を含む犠牲です(図3および図4)。供犠に選ばれた犠牲者の人口統計学的偏りを検出できるのかどうか調べるために、石峁の東門遺跡が調べられました。形態学的基準に基づいてこれらの犠牲を女性に偏っていると特定した以前の考古学的報告とは対照的に、本論文の結果では、東門の生贄犠牲者は女性に偏った証拠を示さず、犠牲者10人のうち9人は男性だった(男女の分類は誕生時の性別に基づきます)、と示されました。これらの男性個体のうち3個体は以前には、これらの報告で形態によって女性と特定されました。門の基盤の下の考古学的状況から、これらの犠牲はおそらく、中国のその後の遺跡で観察された慣行である、壁もしくは門の建設儀式と関連していた、と示唆されました。以下は本論文の図3です。
これらの調査結果をさらに理解するために、石峁遺跡の主要な人口集団と比較しての、これら犠牲にされた個体の遺伝的組成および親族関係が調べられました。本論文の分析は、裕民遺跡個体関連祖先系統を有していた東門の遺伝的外れ値2個体[32]を特定し、これには坑の犠牲者1個体と後期の墓の1個体(石峁_東門_o1、石峁_東門_o2)が含まれており、この2個体はおもに五庄果墚遺跡個体的な祖先系統の住民とともに埋葬されていました。対での親族関係もしくは共有されたIBD断片は、遺跡内もしくは遺跡間で、これらの外れ値個体と他の個体との間では検出されませんでした(図4)。これら裕民遺跡個体関連の犠牲になった個体を除いて、東門の犠牲に選ばれた個体と内部の石峁遺跡の墓主の上流階級との間で、祖先系統における違いは検出されませんでした。以下は本論文の図4です。
限られた標本規模は有意な性別の偏りの検出の統計的能力を減少させますが、石峁市の東門におけるおもに男性の犠牲者と、石峁市内の韓家圪旦や皇城台(図4)および寨山など二次的集落(図3)を含めて、いくつかの石峁の文化的遺跡における支配層埋葬と関連するおもに女性の犠牲者との間で、顕著な対照が観察されます。これらのうち、韓家圪旦は内郭の南側に位置し、貴族の墓地として機能していました。ほぼ全ての標本抽出された犠牲とされた個体は女性で(7個体のうち6個体)、墓主とは【生物学的】親族関係にありませんでした。支配階級が居住していたかもしれない、石峁市のもう一つの高位層墓地である皇城台も、おもに女性の犠牲者を示しました(19個体のうち14個体)。しかし、他の遺跡とは異なり、2親等の親族関係が犠牲者間で観察され(図4)、家族もしくは共同体が支配階層によって埋葬犠牲のために選択されたかもしれない、と示唆されます。
小さな埋葬地が、東門における集団埋葬と同様に、皇城台の宮殿区域の近くで発掘されました。そこに埋葬された全個体(3個体)は女性で、近隣の共同体の個体との検出可能な家族のつながりを示しませんでした(図4)。これらの女性犠牲者の出自は、共伴して発掘された手工芸品から推測でき、中核的な製作技術を習得した職人が、上流支配層居住区に集中していた、と仮定されます。石峁遺跡における観光と同様に、二次的集落である寨山遺跡も、女性のみの犠牲(2個体)を特徴としており、犠牲になった個体と墓主との間で密接な親族関係(1~2親等の親族)は観察されませんでした(図3)。ほぼ女性の犠牲者となるこれらのパターンは、斬首および集団埋葬に含まれていたのがほぼ標本抽出された男性だった東門とは著しく対照的です。石峁市と寨山遺跡の墓地で観察された犠牲慣行は、女性が名声のある上流階層帰属もしくは支配者の犠牲とされた、祖先崇拝を表しているかもしれません。これらの犠牲慣行で見られる異なる伝統は、石峁文化における複雑で階層的な社会制度を示唆しており、それは以前の古代ゲノム研究では観察されませんでした。しかし、本論文の分析は保存状態良好な限られた数の遺骸に基づいており、これは犠牲になった個体の全体の人口を完全には表していないかもしれません。残念ながら、この標本規模は堅牢な統計的検出力を書いており、偏りの比率の解釈は制約されます。
次に、中期~後期新石器時代の陝西省の共同体における近親婚の痕跡が調べられ、おそらくは両親が1親等もしくは2親等の親族だった、3個体が見つかりました。寨山遺跡では、犠牲になった女性1個体(C6213)がひじょうに長いROH(約400cM)を示し、この女性個体が2親等の親族間の配偶による子供であることと一致します。しかし、両親が高度な社会的承認を得ていた、と考えられた新石器時代アイルランドで報告された高位の近親婚による子供【43】とは異なり、女性個体C6213(図3)は、2系統の墓主(図3で示された系図の個体)と遠い親族関係を共有しているだけだった、と分かりました。近い親族間の配偶は、利用可能な系図もしくはROH情報がある他の支配層もしくは庶民では観察されず、そうした結婚はより高位の系統では避けられていたか、さほど一般的ではなかったかもしれない、と示唆されますが、このパターンの確証にはより大きな標本規模が必要です。
●支配的な父系構造
より発展した政治制度がない場合、研究者は伝統的に家族関係を上流階層の維持や権力永続の手段と考えてきました。石峁文化の墓主間の家族関係を調べるために、中期~後期新石器時代の大規模な共同体の低位から高位の墓の個体群が標本抽出され、2~4世代にまたがる近縁性のつながりが明らかになりました。遺跡全体の合計で、高い信頼度の2親等以内の25組の親族関係と、3親等~5親等の親族関係の可能性を示したIBD共有で31組を特定できました(図3および図4)。次に、石峁市と寨山遺跡の低位から高位の墓の墓主間で、最大4世代までさかのぼると、両遺跡で最大の家系はこう言いの男性によって築かれた、と分かりました。その男性子孫も、富の継承の権利(たとえば、副葬品や供物)がある、高い社会的を有しているようでした。これは寨山遺跡と韓家圪旦墓地における支配的な父系構造を示唆していますが、韓家圪旦墓地における母系の可能性を除外できません(図4)。
系統と系統外両方の構成員(図4の系図に組み込まれているか否か)で、高位の全個体の片親性遺伝標識ハプロタイプが決定され、寨山遺跡(図3)と韓家圪旦墓地(図4)の全系統の男性墓主はほぼ家以外なく同じ父系ハプログループ(O2a2b)を有していた、と分かりました。例外は、系統に属さない皇城台墓地の男性1個体で、そのY染色体ハプロタイプ(C2b1b)は異なっていました。これは、この3ヶ所の墓地【寨山と韓家圪旦と皇城台】で観察された10人の女性墓主の多様な母系ハプログループとは対照的です(図3および図4)。同様に、石峁文化に分類される同時代の集落(木柱柱梁、神圪墶梁、新華、寨山)におけるヒト遺骸も、住民におけるミトコンドリアハプロタイプの多様性と比較的限られた父系ハプロタイプ構造を論証し、集団の構成員の資格がおもに父親の系統に由来する父系構造を示しました。
女性族外婚の刊行は、遺伝的多様性の維持および密接な親族間の配偶の減少に有益となり得て、ユーラシア西部のいくつかの新石器時代共同体で特定されてきました[18、19、44]。これらの刊行が石峁遺跡における発達した社会階層制度の維持に役割を果たしたのかどうか、調べるために、男性親族とともに系統に属す女性個体と属さない女性個体全員が検査されました。韓家圪旦墓地で再構築された系図は、第2無世代の男性の女性配偶者が異なる生物学的家族の出自だったことを示しており、これは寨山遺跡でも見られる状況ですが、これらの結婚が連続的に起きたのか、一夫多妻だったのかどうかは、明確ではありません(図3)。寨山および韓家圪旦墓地における高位~低位の墓地におけるこれら女性墓主の、娘や両親やキョウダイなど、密接な生物学的親族は観察されず、これは、女性墓主が地元の家族の子孫ではなく、むしろ共同体の外部起源だったことを示唆しているかもしれません(図3および図4)。これらが女性族外婚慣行の事例なのかどうかは、不完全な標本抽出の影響のため不明です。石峁文化の配偶慣行のより深い理解には、墓主のより広範な標本抽出が必要でしょう。
地位の指標としての副葬品の追跡は、石峁遺跡の潜在的な階層社会における富の継承と父系の影響のパターンの推測に役立つことができます。皇城台墓地における系統に属さない女性墓主2個体が見つかり、豊富な副葬品と供物によって証明されるように、高い社会的地位だった、と推測されます。これは韓家圪旦および寨山の墓地における男性墓主5個体と類似しており、石峁文化では、高い社会的地位と関連する富は男性に限られていなかったかもしれず、女性も政治権力を有していた、と考えられます。これら女性墓主は認識できる家系に属していなかったか、直接的な親族が回収されなかったため、その富が両親もしくは夫から継承されたのか、独自に蓄積されたのかどうか、判断するのは困難です。全体的に、韓家圪旦と寨山両方の系図は、石峁共同体における家族の中核的役割を示しました。本論文は系図情報を用いて、墓の空間的配置は家族のつながりを反映している可能性があるのかどうか、判断しました。注目すべきことに、地理的近さと墓の方向による配置は、墓主間の1親等もしくは2親等の親族関係との強い相関を示さず、血縁関係が墓の配置の要因ではなかった、と論証されます(図3および図4c)。寨山墓地では、父親と成人の息子の墓が父親と成人の娘の墓よりも空間的に近く(図3)、父系もしくは父方居住の可能性が裏づけられます。
●考察
陝西省と山西省の保存状態良好な集落から得られた広範で高解像度のデータセットは、先史時代中国におけるこれら独特で重要な過去の社会の、ヒトの移動や相互作用や親族関係への遺伝学的手段を提供しました。オルドス湾曲部内の石峁社会の人口集団は、単一の祖先供給源に起源があった、と分かり、これは中期~後期新石器時代の地域的な遺伝的連続性に対応しており、石峁市は黄土高原とオルドス地域の農耕牧畜民上流階層によって築かれた、との考古学者の仮説との一貫性を示します。この地域は農耕関連祖先系統と牧畜関連祖先系統との間の相互作用の回廊として機能しており、石峁文化に属する大規模集落は中原とは区別されます。さらに、石峁遺跡の居住期間とその前において、モンゴル南部草原地帯の裕民遺跡個体の内陸部アジア東部北方祖先系統存在が検出されました。裕民個体的祖先系統の持続的存在は、優勢な在来の石峁祖先系統の遺伝的連続性の中断がない、中国北部【モンゴル南部】の裕民遺跡人口集団からの断続的な遺伝的流入を伴う、定期的で長い相互作用を示唆しています。さらに、本論文の調査結果は、【中国】本土南部の渓頭村遺跡個体的祖先系統と、台湾の漢本遺跡個体もしくはアミ人によって表される南東部沿岸祖先系統からの、より広範な遺伝的寄与を示しており、これは福建省もしくは台湾から山西省および陝西省人口集団への長距離にわたっていました。これは、稲作農耕の拡大がより広範な人口集団の接触を伴って、さらに北方へ拡大した証拠[34]と一致します。それにも関わらず、これらの遺伝的類似性が南方沿岸部もしくは本土人口集団に直接的に由来するのかどうか、あるいは長江流域の龍山文化人口集団【龍山文化は長江流域にも影響を及ぼしました】によって媒介されたのかは、依然として不明です。この問題の解決には、さらなる標本抽出が必要です。
1000年前に同じ地域に居住していた人口集団との遺伝的連続性を考えると、裕民遺跡個体関連の遺伝子移入を除くと、石峁遺跡の人々は、西方ではユーラシア西部草原地帯やアジア北部および中央部、東方では山東半島沿岸部の人口集団など、いくつかの文化的類似性を共有していた外部集団との混合を殆ど全く示しませんでした。これは、石峁遺跡における擬人化した石の彫刻や特殊な小刀や翡翠製石刃や鰐の骨板などの人工遺物が、遺伝的交流なしに広範な交易網でこれらの地域からもたらされた可能性が最も高かったことを示唆しています。両者間の距離にも関わらず、石峁遺跡と同等の同時代の大規模集落である陶寺遺跡と近隣の集落である周家荘遺跡の住民は、オルドス北部平原の先石峁遺跡人口集団密接な祖先系統を共有しています。これは、交易と略奪の両方を含むより複雑な関係が2ヶ所の大規模な共同体間に存在したかもしれない、との考古学的データに基づく提案と矛盾しません。五庄果墚遺跡において少なくとも5000年前に居住していた仰韶文化関連人口集団は、文化的影響の石峁および陶寺地域の祖先であり、北方では裕民遺跡個体関連人口集団との相互作用は限られ、石峁市の建設者の起源および石峁遺跡と陶寺遺跡の関係についての重要な問題を解決しますが、これらの関係をより性格に解明するにはより多くの問題が残っており、祖先と家族両方の系統が陝西省および山西省地域の初期社会で役割を果たしたかもしれません。
石峁遺跡において台頭しつつあった農耕牧畜社会の集落パターンとともに、さまざまな社会階級に属する豊富な量の埋葬によって、親族関係慣行に基づく社会構造の3点の側面の調査が可能となり、それは、家系と結婚パターンと居住規則です。低位から高位の墓と供犠埋葬坑のゲノム標本抽出によって、階層構造に基づく石峁社会の社会組織と親族関係のパターンがさらに解明されました。上流階層から庶民までのこれらの埋葬内では、本論文の結果はおもに明らかな男性特有と女性特有の犠牲慣行とともに父系組織を裏づけ、これらはともに階層的に構造化された石峁社会を形成しました。これまでにユーラシアの西部から中央部までの家族埋葬から回収された広範な系図[17、20]とは異なり、多様な埋葬慣行における多くの1親等および2親等の親族関係とIBDの組み合わせによって、高位および低位両方の墓にまたがるいくつかの拡張系図の再構築が可能となりました。より大きな規模では、仰韶文化に分類される先石峁文化および石峁文化の人口集団は、ほとんど近親婚のない健全な人口集団の多様性と、1000年以上にわたる大きな有効人口規模を維持した、と示されます。さらに、黄土高原に位置するすべての遺跡間で、個体間の空間的距離と系図が共同分析されました。石峁文化共同体内もしくは山西省の南方の陶寺文化共同体間では、高い信頼性での密接な親族関係もしくは共有されたIBD塊が見つからず、異なる文化に属する家族もしくは支配的な在来共同体からずっと遠くの家族間の、抑制された移動および配偶パターンが示唆されます。
石峁共同体内では、社会的上流階層と犠牲とされた個体群との間で直接的な家族のつながりは検出されず、制約された配偶慣行および社会的境界の存在が示唆されます。しかし、上流階層とより低い地位の個体との間の親族関係のつながりが観察されたことを考えると、これらの境界はおそらくある程度流動的でした。中間的な地位の個体からのさらなるデータが、石峁社会の社会的階層化のより包括的な評価には不可欠です。むしろ、墓における上流階層の墓主と犠牲になった人々との間の親族関係の欠如は、墓が社会的上流階層とその家族を中心に築かれ、犠牲の儀式は社会的地位に応じて行なわれていたことを示唆しているかもしれません。片親性遺伝的データが父系親族関係制度を示唆しているのに対して、高位の女性個体の存在は、性別(ジェンダー)の役割が石峁共同体において高い社会的地位への接近を厳格には制約していなかった、と示唆しているかもしれません。要約すると、本論文の分析は、先史時代の社会組織の詳細なパターンを明らかにするための、広範なゲノム標本抽出の有益性を浮き彫りにします。武器や土器や動物およびヒトの犠牲など副葬品が系図に沿って追跡されることでも、1ヶ所のアジア東部の初期の政治権力中心地およびその衛星集落群の内部における、富の継承と階級分化のパターンを明らかにしてきました。これらの調査結果をより広範な文化的および象徴的枠組みに位置づけることで、石峁遺跡の古代の儀式的慣行と社会動態の理解は深まります。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
遺伝学:中国の先史時代の都市に関する新たな手がかり
中国北部に位置する4,000年前の城壁都市・石峁(シーマオ;Shimao)の人々の起源、社会構造、および文化慣習を報告する論文が、今週のNatureに掲載される。石峁に居住した人々の古代DNA分析によると、この集団は都市南部の集落と遺伝的つながりを持っていた。さらに、人身供犠の慣習に関連する男性集団埋葬が行われていた可能性を示す証拠も発見された。
中国北西部・陝西省(せんせいしょう;Shaanxi)にある石峁市は、紀元前2300~1800年ごろの新石器時代の要塞集落で、万里の長城よりも古く、中国で発見された最大級の先史遺跡の一つである。石壁に囲まれた遺跡は、約4平方キロメートルの面積を持ち、複数の区域に分かれており、社会組織や人身供犠の痕跡が確認されている。この都市と周辺遺跡は、中国文明の黎明期における大規模集落のモデル確立に重要な役割を果たした可能性がある。遺伝学的研究は、この階級社会における階層構造が、血統や親族関係によってどのように形成されたかという疑問の解明に寄与するかもしれない。
Qiaomei Fuら(中国科学院古人類及古脊椎動物研究所〔中国〕)は、石峁市とその衛星遺跡、さらに周辺のより古い遺跡から出土した、4,800年から3,600年前の169体の古代ゲノムを解読した。このゲノムデータを、中国のほかの集団からすでに公表されている古代DNAデータと比較した結果、石峁の人々はおもに、約1,000年前にこの地域に居住していた集団に由来することが分かった。著者らは、石峁の集団が黄河に囲まれた黄土高原の仰韶(ぎょうしょう;Yangshao)文化集団と文化的・遺伝的に結びついていることを発見し、石峁の人々の起源の可能性を示唆している。
本研究でサンプリングされた個体は、おもに父系を通じて最大4世代にわたる石峁の人々を含む墓から採取され、墓所有者間の家族関係を明らかにしている。この発見は、社会的地位が父系を通じて継承される父系社会構造を示している。人身供犠の証拠は、以前より石峁で報告されており、東門の下から80以上の人の頭蓋骨が発見されている。先行研究では、犠牲者の大半が女性とされていたが、Fuらは東門下で発見された遺体の10体中9体が男性であることを明らかにした。しかし、複数の石峁遺跡では、性別に応じた犠牲の慣行が異なるパターンを示していた。皇城台(ホワンチョンタイ;Huangchengtai)や韩家圪旦(ハンジャーグーダン;Hanjiagedan)などのエリート墓地では、東門とは異なり、おもに女性を犠牲にした証拠が見られた。
これらの発見は総合的に、古代集団の親族関係、社会構造、および文化的慣行に関する新たな詳細を提供している。
古代DNA:石峁市の古代DNAに記録された中国の新石器時代における親族慣習
古代DNA:中国の新石器時代の要塞都市の慣習を古代DNAでひもとく
今回、中国北部の重要な考古学遺跡である石峁(Shimao)市に由来する古代DNAの解析から、新石器時代の地域社会における社会組織構造と埋葬慣習についての手掛かりが得られている。
参考文献:
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以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、cM(centimorgan、センチモルガン)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、o(outlier、外れ値)、)K(系統構成要素数)、k(kilo years ago、千年前)、nEA(northern East Asian、アジア東部北方人)、sEA(southern East Asian、アジア東部南方人)、AR(Amur River、アムール川)です。
以下の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EMBA(Early to Middle Bronze Age、前期~中期青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)です。本論文で取り上げられる主要な文化は、仰韶(Yangshao)文化、龍山(Longshan)文化、アファナシェヴォ(Afanasievo)文化、ヤムナヤ(Yamnaya)文化、です。
本論文で取り上げられる主要な遺跡は、陝西省神木(Shenmu)市の石峁(Shimao)遺跡と石峁遺跡内の東門(Dongmen、略してDM)および皇城台(Huangchengtai、略してHCT)墓地および韓家圪旦(Hanjiagedan)墓地と木柱柱梁(Muzhuzhuliang)遺跡と神圪墶梁(Shengedaliang)遺跡と楡林市府谷県の寨山(Zhaishan)遺跡と楡林市靖辺県の五庄果墚(Wuzhuangguoliang)遺跡と廟梁(Miaoliang)遺跡、山西省の臨汾市襄汾県の陶寺(Taosi)遺跡と運城市絳県の周家荘(Zhoujiazhuang)遺跡、浙江省の良渚(Liangzhu)遺跡、山東省の小高(Xiaogao)遺跡と扁扁(Bianbian)遺跡、福建省の渓頭村(Xitoucun)遺跡、モンゴルの廟子溝(Miaozigou)遺跡と裕民(Yumin)遺跡と新華(Xinhua)遺跡、ロシア極東沿岸の悪魔の門洞窟(Devil’s Gate Cave、Chertovy Vorota)遺跡、シベリアのシャマンカ(Shamanka)遺跡、台湾の漢本(Hanben)遺跡です。
本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事の以下の翻訳ではではとりあえず「中国」と表記します。なお、当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、この記事では本論文の「civilization」を「文明」と訳します。
●要約
中国の陝西省における国家水準の新石器時代の要塞集落である石峁市(紀元前2300~紀元前1800年頃)の発見は、社会的に階層化された都市社会の出現の理解を助けるのに、重要な役割を果たしました。しかし、祖先系統と親族関係が、人身供犠を特徴とするこの階級社会の階層構造をどのように形成したのかについて、依然として重要な問題が残っています。石峁遺跡および他の黄土高原の集落の創始者人口集団の起源と、より広範な祖先的背景内の相互作用は、まだ解明されていません。本論文は、石峁市およびその衛星都市の古代人144個体のゲノムの配列決定によって、墓の被葬者の家系を最大4世代まで示します。これらの調査結果は、石峁遺跡共同体におけるおもに父系の構造と、おそらくは性別に基づく御供儀式を明らかにします。本論文は人口史も特徴づけ、石峁文化関連人口集団はほぼ、少なくとも1000年以上前に存在した仰韶文化関連人口集団に由来し、モンゴル南部の裕民遺跡関連人口集団の継続的な流入は、地域的な遺伝的連続性を中断させなかった、と明らかにします。石峁文化関連人口集団への中国本土南部祖先系統からの遺伝的影響は、稲作の以前に予測されていたよりもさらに北方への拡大に関する証拠を裏づけます。まとめると、これらの結果は、初期国家樹立の地域的な定住と社会構造の詳細を明らかにしています。
●研究史
黄土高原北部とオルドス砂漠の境界に位置する石峁遺跡は、中国で発見された最大級の先史時代集落の一つです。石壁に囲まれた石峁遺跡は面積が約4km²で、外郭と内郭に区分でき、国家水準社会に典型的な特徴を示しており、それは工芸品製作と大規模な要塞と高度な社会階層で、多くの形態の人身供犠があります。厳格な階層政治形態と人身供犠の独特な文化がある石峁遺跡では、80点以上のヒト頭蓋が東門の下に埋葬されているのが発見され、石峁遺跡は初期国家水準のヒト社会での政治的および社会的関係の構築における家族と祖先系統の役割の好例として役立てます。石峁遺跡では2ヶ所の墓地が発見されており、一方は都市中心部の支配階級に分類されている皇城台墓地で、もう一方は、内郭の内部の韓家圪旦の南方に位置する上流階級に分類されている墓地です。外郭の東門には、人身供犠の犠牲者の埋葬坑が含まれています。石峁文化墓地の埋葬は4~5種類に区分されており、高位から低位の住民の階級に相当しており、これらはともに石峁社会内の厳格な階層構造を特徴づけています。墓地の配置は、都市計画と明確な社会階層化の兆候を示しています。
アジア東部における階層的に組織化された社会の出現を説明する以前の試みは、広範な分散した考古学的遺跡を分析したか、夏や殷(商)など初期王朝、もしくは地域国家の初期形態と考えられてきた、陶寺遺跡や良渚遺跡など他の大きな後期新石器時代集落に焦点を当てました。この大規模都市集落の広範な考古学的記録は、初期国家水準の共同体に関する知識をさらに深めました。2通りの見解が、石峁市およびその拡散した文化的側面の起源の説明を試みてきました。一方は、石峁遺跡が広範な交易網の国際的中心地で、おそらくはアジア東部北方もしくは長江流域の文化からもたらされた、東方草原地帯文化を想起させる青銅製器時代の小刀および翡翠の石刃や鰐皮と、中原の龍山文化と類似した土器様式が出土した、と提案しています。もう一方の仮説は、石峁遺跡を、おそらくは在来起原の地域的な文化的中心地として解釈し、中国の壁画や口琴の一部を有していました。この見解は、一部には建築技術や文化的遺物の差異に基づいており、この地域におけるその後の類似性は石峁の影響増加に起因していたかもしれない、と主張しています。
多数の個体と埋葬地からのDNAの広範な標本抽出と大規模な回収によって、大規模な家系図の構築が可能となり、古代文化の過去の配偶と埋葬慣行を報告する、前例のない機会が提供されます[17~19]。巨石支配層の墓もしくは大規模家族埋葬の研究は、父系および父方居住親族関係制度を示すことが多いものの[19~21]、これは常に当てはまるとは限らず、それは時に母系もしくは複合的パターンを示す事例があるからです[22、23]。地域横断的な研究は、社会結合についてさせに知見を提供するのみならず、大規模な古代の共同体間の個体と家族の移動性も記録します[24、25]。これまでに、こうした研究はおもにメソアメリカもしくはユーラシア西部および中央部の地域に焦点を当ててきました。最近では、これらの遺伝学的研究はアジア東部の新石器時代集落の親族関係を調べ始めました[26]。しかし、アジア東部先史時代文化の社会的階層化が見られる、大規模で組織化された集落を対象とした、同等の包括的な遺伝学的分析はまだありません。農耕共同体と遊牧共同体との間の回廊に栄えた石峁文化は、石峁市およびその同時代の衛星遺跡(たとえば、木柱柱梁や神圪墶梁や新華や寨山)によって表され、中華文明の黎明期における大規模集落に関するモデルの確立において重要な役割を果たし、住民の人口史および初期の社会構造への独特な遺伝学的機会を提供します。
石峁遺跡とその周辺遺跡の片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアと父系のY染色体)の以前の調査は、ミトコンドリアハプロタイプの多様性を示し、相対的に少ないY染色体ハプロタイプとは対照的です。そうした大規模な先史時代集落からの核ゲノムのより深い標本抽出は、住民の遺伝的および社会的歴史へのより包括的な調査を可能とするでしょう。石峁遺跡社会の人口集団の起源と親族関係慣行を明らかにするために、多くの先史時代の文化(仰韶文化や石峁文化や陶寺文化)を示し、オルドス砂漠から陝西省および山西省の黄河下流域までの黄土高原上の地域を網羅する、9ヶ所の遺跡の中期~後期新石器時代と青銅器時代の密なゲノム標本抽出が実行されました。中国の陝西省の7ヶ所の考古学的遺跡および山西省の2ヶ所の考古学的遺跡から検査された207個体の遺骸のうち古代人169個体(169点の標本のうち142点は以前のミトコンドリアゲノム研究と重複し、2点は以前に報告された神圪墶梁遺跡の標本3点[29]と遺伝的に同一出した)でゲノム規模データが生成されました(図1)。合計で、9ヶ所の遺跡の保持された個体の各遺伝的クラスタ(まとまり)を表す32個体から、放射性炭素年代が収集されました(図1)。遺伝的に同一の24個体と、SNPの数が少ない13個体と、参照ゲノムに対して高いマッピング(多少の違いを許容しつつ、ゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)不一致率のある1個体の除外後に、親族関係にない144個体での集団分析と、合計で1親等もしくは2親等の親族がいる他の25個体で親族関係分析が実行されました。DNAライブラリは120万SNP[30]で濃縮され、29604~976271ヶ所の範囲のSNPが得られ、平均捕獲SNP網羅率は2.74倍でした。以下は本論文の図1です。
●石峁人口集団の遺伝的構成
石峁人口集団の起源を説明する試みは、近隣の中原の人口集団およびオルドス地域の周辺の北東部人口集団との文化的共通性や、中国北東部、たとえばアムール川流域もしくは沿岸部地域のより遠方の文化的特徴に集中してきました。刊行されているユーラシア人口集団の大規模なパネルとの遺伝的つながりを通じて、黄土高原の石峁文化を示すさまざまな人口集団の遺伝的形成が調べられました。まず、石峁市およびその周辺の遺跡(木柱柱梁と神圪墶梁と新華と寨山、以後はまとめて石峁_4kと呼ばれます)の石峁文化に分類される4200~3800年前頃の人口集団(すべての放射性炭素年代の上限)は、陝西省北部におけるそれ以前の人口集団である4800年前頃の仰韶文化関連人口集団(廟梁遺跡と五庄果墚遺跡、まとめて先石峁_5kと呼ばれます)と密接に関連していた、と分かりました。石峁_4kと先石峁_5kは、陝西省外のnEA祖先系統(たとえば、黄河_MN、黄河_LN、西遼河_MN、廟子溝_MN)とクラスタ化し(まとまり)、これはPCAおよびK=3の混合によって裏づけられます(図1)。外群f₃分析とD統計では、石峁文化関連人口集団を、黄河_MNと黄河_LNによって表される黄河流域のnEA祖先系統や、前期新石器時代山東(小高遺跡と扁扁遺跡)と西遼河流域(西遼河_MN、西遼河_LN)などさらに遠方の祖先系統と比較すると、石峁_4k人口集団は、他のnEA祖先系統と比較して、先石峁_5kと最高の全体的な類似性を有していました(図1c)。さらに、混合のある最尤系統発生(2回、図2)では、石峁_4k人口集団は先石峁_5kと明確な遺伝的連続性があると分かった、と確証されました(図2)。陝西省人口集団の遺伝的連続性はqpGraphを用いても確認され、石峁_4kは先石峁_5k(ここでは、より良好に網羅されている五庄果墚遺跡集団によって表されます)からの単一供給源(100%)としてモデル化できました(図2)。
石峁遺跡の人口集団について、先行する仰韶文化集団祖先系統とともに、余分な祖先系統を含めることができるのかどうか、さらに明らかにするために、広範なf₄分析が実行されました。注目すべきことに、石峁市とその衛星遺跡両方の石峁文化関連人口集団内の数個体(図1では、石峁sEA勾配と表記されています)は、黄河_LNによって表される後期新石器時代龍山文化人口集団と異なっており、D統計によって証明されるように、sEA祖先系統(台湾先住民のアミ人集団と福建省の渓頭村遺跡個体によって表されます)の多様な類似性を示します。qpAdmモデル化から、石峁遺跡のsEA外れ値は、おもに70~90%の仰韶文化関連祖先系統(五庄果墚遺跡集団によって表されます)と、さらに10~30%の南方祖先系統を有しており、この南方祖先系統は、22~31%の南方本土祖先系統(渓頭村遺跡個体)、もしくは台湾の鉄器時代の在来の漢本遺跡人口集団あるいはアミ人集団によって表される7~20%の南東部沿岸祖先系統によって表すことができる、と示唆され、稲作農耕民の後期新石器時代の拡大が中原よりさらに北方にまで広がっていたことを示しており、これは最近の調査結果[34]と一致します。
後期新石器時代の石峁遺跡および同時代の関連人口集団(つまり、木柱柱梁、神圪墶梁、新華、寨山)についてのqpAdmを用いての混合モデル化は、五庄果墚遺跡個体によって表される4800~4600年前頃その祖先系統からのひじょうに高度な寄与を示し(補足表4において灰色で強調された18人口集団のうち9人口集団は単一の祖先系統供給源を、5人口集団は80%以上の、五庄果墚的祖先系統を有しています)、石峁視野はほぼ、少なくとも1000年前にはこの地域で確立していた仰韶文化関連人口集団に起源があった、との仮説が裏づけられます。それ以前の五庄果墚遺跡人口集団の祖先系統供給源をさらに理解するために、模擬実験手法が適用されました。その結果は、五庄果墚遺跡人口集団について、黄河農耕民祖先系統とは区別される混合供給源を示唆しています。石峁_4k人口集団間の、山西省のさらに南方に位置する陶寺文化に分類される同時代の人口集団(陶寺遺跡個体と周家荘遺跡個体、まとめて陶寺_4kと呼ばれます)との遺伝的関係がさらに調べられ、石峁文化関連人口集団と陶寺文化関連人口集団との間の密接なつながりが示唆されます。
●裕民遺跡関連祖先系統の持続的存在
オルドス地域の農耕牧畜社会は中期新石器時代から後期新石器時代まで、牧畜生活様式と農耕生活様式との間で頻繁に変わりました。移行回廊に位置する石峁遺跡は、飼育動物の導入および石峁遺跡で見つかった彫刻石顔面の存在とともに草原地帯関連の特徴を示しました。近隣の草原地帯文化人口集団が遺伝的に石峁遺跡人口集団に影響を及ぼしたのかどうか、そうならば、その時期と程度を調査するために、先石峁_5kと石峁_4kと古代の東西の草原地帯人口集団(アファナシェヴォ文化集団[37]、ヤムナヤ_EMBA[38]、シャマンカ遺跡集団)[37、38、40]、ユーラシア西部および中央部人[41、42]、他のアジア東部人との間の遺伝的つながりが調べられ、このアジア東部人に含まれるのは、【現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では内モンゴル自治区とされている】モンゴル南部の草原地帯に居住しており、新石器時代と青銅器時代を通じてアジア東部北方に存在していた、裕民遺跡の8000年前頃の1個体[32]によって表される近隣のアジア東部北方祖先系統です。
主要な先石峁_5k人口集団はアジア東部外の祖先系統との混合の証拠が殆ど全くなかった、と分かりました。さまざまなnEA祖先系統と比較すると、中期新石器時代の五庄果墚遺跡の一部の外れ値個体は、残りの人口集団において顕著な祖先系統とは異なる祖先系統を有していた、と観察されました。五庄果墚遺跡人口集団における遺伝的外れ値(五庄果墚_o1、較正年代で4831~4585年前頃)は、PCAでは裕民遺跡個体とまとまりました(図1)。Treemix分析でも、これら五庄果墚遺跡の外れ値(先石峁_5k_o)は裕民遺跡個体的系統とまとまりました(図2)。これら裕民遺跡個体関連の外れ値2個体の遺伝的構成をさらに調べるために、遠位混合モデル化が適用され、50.2±11.5%の裕民遺跡個体関連祖先系統と、五庄果墚遺跡個体群によって表される49.8±11.5%の4832~4820年前頃の優勢な仰韶文化関連祖先系統の2供給源混合が裏づけられました。以下は本論文の図2です。
裕民遺跡個体関連祖先系統が石峁文化関連人口集団に1000年後に継続的な影響を及ぼしたのかどうか、調べると、後期新石器時代へと続くものの、それ以前の1000年間の在来の遺伝的連続性を弱めるひとはないような、裕民遺跡個体関連祖先系統の増加の事例が観察されました。PCAおよびf₃分析は、裕民遺跡個体とまとまるか密接な石峁文化関連人口集団において、6点の遺伝的外れ値(較正年代で4148~3390年前頃、新華_oと石峁_皇城台_oと石峁_東門_o1と石峁_東門_o2と木柱柱梁_oに属する2個体)を検出しました(図1)。そのうち後者の外れ値(新華_oと石峁_東門_o1と木柱柱梁_o)は、D(裕民遺跡個体、石峁/nEA;陝西省外れ値、ムブティ人)> 0(−0.3 < Z < 9.2)およびD(陝西省外れ値、裕民遺跡個体;石峁/nEA、ムブティ人)がほぼ 0(−2.9 < Z < 2.9)のD統計によって示されるように、石峁文化集団祖先系統もしくは他のnEA祖先系統とよりも、裕民遺跡個体の方と多くのアレル(対立遺伝子)を共有していました。Treemix分析でも、これら後期新石器時代外れ値(陝西_4k_o)は裕民遺跡個体的な系統と姉妹クレード(単系統群)になる、と示されました(図2)。
石峁遺跡の後期新石器時代の外れ値1個体(石峁_皇城台_o)のみが、約28~31%の裕民遺跡個体関連祖先系統と約69~72%の仰韶文化集団関連祖先系統の混合(混合割合の範囲は図2で提示されるqpAdmモデルに基づきます)でした(図2)。裕民遺跡個体と石峁市の東門の最も新しい年代の外れ値1個体(較正年代で3390~3253年前頃、石峁_東門_o2)との間の4500年以上の時間範囲にも関わらず、他の後期新石器時代の外れ値5個体(新華_o、石峁_東門_o1、石峁_東門_o2、木柱柱梁_oに属する2個体)において混合の証拠は見つかりませんでした。これは遠位もしくは近位モデル化のqpAdm分析によって証明され、陝西省のこれら後期新石器時代の外れ値5個体は、裕民遺跡個体と関連する祖先系統の単一の供給源(100%)として最適にモデル化され(図2)、これはD統計によってさらに裏づけられます。まとめると、これらの結果は古代の陝西省住民と裕民遺跡個体関連人口集団との間の共存および時折起きる混合による長期の相互作用と、中期新石器時代~後期新石器時代までの裕民遺跡個体関連の影響増加さえ示唆しており、飼育動物の利用の増加の事例の発見と一致します。これらの相互作用が交易や、おそらくは季節的な気候変動に対応した農耕牧畜生活様式の維持や、他の原意と関連していたのかどうか不明ですが、そうした相互作用は在来祖先系統の遺伝的連続性を中断させるのに充分なほど多くありませんでした。
●石峁遺跡における性別に応じた犠牲
石峁文化の犠牲伝統の多様性は、高度な社会階層化と厳格な階層構造を示唆しています。石峁遺跡とその周辺遺跡における犠牲伝統は二つの形態から構成されており、それは、石峁遺跡の東門もしくは皇城台の宮殿を含んでいたかもしれない高台で見られるような、公的儀式の目的だったかもしれない集団埋葬と、石峁遺跡および寨山遺跡で見られるような犠牲者が墓主とともに埋葬された高位の埋葬を含む犠牲です(図3および図4)。供犠に選ばれた犠牲者の人口統計学的偏りを検出できるのかどうか調べるために、石峁の東門遺跡が調べられました。形態学的基準に基づいてこれらの犠牲を女性に偏っていると特定した以前の考古学的報告とは対照的に、本論文の結果では、東門の生贄犠牲者は女性に偏った証拠を示さず、犠牲者10人のうち9人は男性だった(男女の分類は誕生時の性別に基づきます)、と示されました。これらの男性個体のうち3個体は以前には、これらの報告で形態によって女性と特定されました。門の基盤の下の考古学的状況から、これらの犠牲はおそらく、中国のその後の遺跡で観察された慣行である、壁もしくは門の建設儀式と関連していた、と示唆されました。以下は本論文の図3です。
これらの調査結果をさらに理解するために、石峁遺跡の主要な人口集団と比較しての、これら犠牲にされた個体の遺伝的組成および親族関係が調べられました。本論文の分析は、裕民遺跡個体関連祖先系統を有していた東門の遺伝的外れ値2個体[32]を特定し、これには坑の犠牲者1個体と後期の墓の1個体(石峁_東門_o1、石峁_東門_o2)が含まれており、この2個体はおもに五庄果墚遺跡個体的な祖先系統の住民とともに埋葬されていました。対での親族関係もしくは共有されたIBD断片は、遺跡内もしくは遺跡間で、これらの外れ値個体と他の個体との間では検出されませんでした(図4)。これら裕民遺跡個体関連の犠牲になった個体を除いて、東門の犠牲に選ばれた個体と内部の石峁遺跡の墓主の上流階級との間で、祖先系統における違いは検出されませんでした。以下は本論文の図4です。
限られた標本規模は有意な性別の偏りの検出の統計的能力を減少させますが、石峁市の東門におけるおもに男性の犠牲者と、石峁市内の韓家圪旦や皇城台(図4)および寨山など二次的集落(図3)を含めて、いくつかの石峁の文化的遺跡における支配層埋葬と関連するおもに女性の犠牲者との間で、顕著な対照が観察されます。これらのうち、韓家圪旦は内郭の南側に位置し、貴族の墓地として機能していました。ほぼ全ての標本抽出された犠牲とされた個体は女性で(7個体のうち6個体)、墓主とは【生物学的】親族関係にありませんでした。支配階級が居住していたかもしれない、石峁市のもう一つの高位層墓地である皇城台も、おもに女性の犠牲者を示しました(19個体のうち14個体)。しかし、他の遺跡とは異なり、2親等の親族関係が犠牲者間で観察され(図4)、家族もしくは共同体が支配階層によって埋葬犠牲のために選択されたかもしれない、と示唆されます。
小さな埋葬地が、東門における集団埋葬と同様に、皇城台の宮殿区域の近くで発掘されました。そこに埋葬された全個体(3個体)は女性で、近隣の共同体の個体との検出可能な家族のつながりを示しませんでした(図4)。これらの女性犠牲者の出自は、共伴して発掘された手工芸品から推測でき、中核的な製作技術を習得した職人が、上流支配層居住区に集中していた、と仮定されます。石峁遺跡における観光と同様に、二次的集落である寨山遺跡も、女性のみの犠牲(2個体)を特徴としており、犠牲になった個体と墓主との間で密接な親族関係(1~2親等の親族)は観察されませんでした(図3)。ほぼ女性の犠牲者となるこれらのパターンは、斬首および集団埋葬に含まれていたのがほぼ標本抽出された男性だった東門とは著しく対照的です。石峁市と寨山遺跡の墓地で観察された犠牲慣行は、女性が名声のある上流階層帰属もしくは支配者の犠牲とされた、祖先崇拝を表しているかもしれません。これらの犠牲慣行で見られる異なる伝統は、石峁文化における複雑で階層的な社会制度を示唆しており、それは以前の古代ゲノム研究では観察されませんでした。しかし、本論文の分析は保存状態良好な限られた数の遺骸に基づいており、これは犠牲になった個体の全体の人口を完全には表していないかもしれません。残念ながら、この標本規模は堅牢な統計的検出力を書いており、偏りの比率の解釈は制約されます。
次に、中期~後期新石器時代の陝西省の共同体における近親婚の痕跡が調べられ、おそらくは両親が1親等もしくは2親等の親族だった、3個体が見つかりました。寨山遺跡では、犠牲になった女性1個体(C6213)がひじょうに長いROH(約400cM)を示し、この女性個体が2親等の親族間の配偶による子供であることと一致します。しかし、両親が高度な社会的承認を得ていた、と考えられた新石器時代アイルランドで報告された高位の近親婚による子供【43】とは異なり、女性個体C6213(図3)は、2系統の墓主(図3で示された系図の個体)と遠い親族関係を共有しているだけだった、と分かりました。近い親族間の配偶は、利用可能な系図もしくはROH情報がある他の支配層もしくは庶民では観察されず、そうした結婚はより高位の系統では避けられていたか、さほど一般的ではなかったかもしれない、と示唆されますが、このパターンの確証にはより大きな標本規模が必要です。
●支配的な父系構造
より発展した政治制度がない場合、研究者は伝統的に家族関係を上流階層の維持や権力永続の手段と考えてきました。石峁文化の墓主間の家族関係を調べるために、中期~後期新石器時代の大規模な共同体の低位から高位の墓の個体群が標本抽出され、2~4世代にまたがる近縁性のつながりが明らかになりました。遺跡全体の合計で、高い信頼度の2親等以内の25組の親族関係と、3親等~5親等の親族関係の可能性を示したIBD共有で31組を特定できました(図3および図4)。次に、石峁市と寨山遺跡の低位から高位の墓の墓主間で、最大4世代までさかのぼると、両遺跡で最大の家系はこう言いの男性によって築かれた、と分かりました。その男性子孫も、富の継承の権利(たとえば、副葬品や供物)がある、高い社会的を有しているようでした。これは寨山遺跡と韓家圪旦墓地における支配的な父系構造を示唆していますが、韓家圪旦墓地における母系の可能性を除外できません(図4)。
系統と系統外両方の構成員(図4の系図に組み込まれているか否か)で、高位の全個体の片親性遺伝標識ハプロタイプが決定され、寨山遺跡(図3)と韓家圪旦墓地(図4)の全系統の男性墓主はほぼ家以外なく同じ父系ハプログループ(O2a2b)を有していた、と分かりました。例外は、系統に属さない皇城台墓地の男性1個体で、そのY染色体ハプロタイプ(C2b1b)は異なっていました。これは、この3ヶ所の墓地【寨山と韓家圪旦と皇城台】で観察された10人の女性墓主の多様な母系ハプログループとは対照的です(図3および図4)。同様に、石峁文化に分類される同時代の集落(木柱柱梁、神圪墶梁、新華、寨山)におけるヒト遺骸も、住民におけるミトコンドリアハプロタイプの多様性と比較的限られた父系ハプロタイプ構造を論証し、集団の構成員の資格がおもに父親の系統に由来する父系構造を示しました。
女性族外婚の刊行は、遺伝的多様性の維持および密接な親族間の配偶の減少に有益となり得て、ユーラシア西部のいくつかの新石器時代共同体で特定されてきました[18、19、44]。これらの刊行が石峁遺跡における発達した社会階層制度の維持に役割を果たしたのかどうか、調べるために、男性親族とともに系統に属す女性個体と属さない女性個体全員が検査されました。韓家圪旦墓地で再構築された系図は、第2無世代の男性の女性配偶者が異なる生物学的家族の出自だったことを示しており、これは寨山遺跡でも見られる状況ですが、これらの結婚が連続的に起きたのか、一夫多妻だったのかどうかは、明確ではありません(図3)。寨山および韓家圪旦墓地における高位~低位の墓地におけるこれら女性墓主の、娘や両親やキョウダイなど、密接な生物学的親族は観察されず、これは、女性墓主が地元の家族の子孫ではなく、むしろ共同体の外部起源だったことを示唆しているかもしれません(図3および図4)。これらが女性族外婚慣行の事例なのかどうかは、不完全な標本抽出の影響のため不明です。石峁文化の配偶慣行のより深い理解には、墓主のより広範な標本抽出が必要でしょう。
地位の指標としての副葬品の追跡は、石峁遺跡の潜在的な階層社会における富の継承と父系の影響のパターンの推測に役立つことができます。皇城台墓地における系統に属さない女性墓主2個体が見つかり、豊富な副葬品と供物によって証明されるように、高い社会的地位だった、と推測されます。これは韓家圪旦および寨山の墓地における男性墓主5個体と類似しており、石峁文化では、高い社会的地位と関連する富は男性に限られていなかったかもしれず、女性も政治権力を有していた、と考えられます。これら女性墓主は認識できる家系に属していなかったか、直接的な親族が回収されなかったため、その富が両親もしくは夫から継承されたのか、独自に蓄積されたのかどうか、判断するのは困難です。全体的に、韓家圪旦と寨山両方の系図は、石峁共同体における家族の中核的役割を示しました。本論文は系図情報を用いて、墓の空間的配置は家族のつながりを反映している可能性があるのかどうか、判断しました。注目すべきことに、地理的近さと墓の方向による配置は、墓主間の1親等もしくは2親等の親族関係との強い相関を示さず、血縁関係が墓の配置の要因ではなかった、と論証されます(図3および図4c)。寨山墓地では、父親と成人の息子の墓が父親と成人の娘の墓よりも空間的に近く(図3)、父系もしくは父方居住の可能性が裏づけられます。
●考察
陝西省と山西省の保存状態良好な集落から得られた広範で高解像度のデータセットは、先史時代中国におけるこれら独特で重要な過去の社会の、ヒトの移動や相互作用や親族関係への遺伝学的手段を提供しました。オルドス湾曲部内の石峁社会の人口集団は、単一の祖先供給源に起源があった、と分かり、これは中期~後期新石器時代の地域的な遺伝的連続性に対応しており、石峁市は黄土高原とオルドス地域の農耕牧畜民上流階層によって築かれた、との考古学者の仮説との一貫性を示します。この地域は農耕関連祖先系統と牧畜関連祖先系統との間の相互作用の回廊として機能しており、石峁文化に属する大規模集落は中原とは区別されます。さらに、石峁遺跡の居住期間とその前において、モンゴル南部草原地帯の裕民遺跡個体の内陸部アジア東部北方祖先系統存在が検出されました。裕民個体的祖先系統の持続的存在は、優勢な在来の石峁祖先系統の遺伝的連続性の中断がない、中国北部【モンゴル南部】の裕民遺跡人口集団からの断続的な遺伝的流入を伴う、定期的で長い相互作用を示唆しています。さらに、本論文の調査結果は、【中国】本土南部の渓頭村遺跡個体的祖先系統と、台湾の漢本遺跡個体もしくはアミ人によって表される南東部沿岸祖先系統からの、より広範な遺伝的寄与を示しており、これは福建省もしくは台湾から山西省および陝西省人口集団への長距離にわたっていました。これは、稲作農耕の拡大がより広範な人口集団の接触を伴って、さらに北方へ拡大した証拠[34]と一致します。それにも関わらず、これらの遺伝的類似性が南方沿岸部もしくは本土人口集団に直接的に由来するのかどうか、あるいは長江流域の龍山文化人口集団【龍山文化は長江流域にも影響を及ぼしました】によって媒介されたのかは、依然として不明です。この問題の解決には、さらなる標本抽出が必要です。
1000年前に同じ地域に居住していた人口集団との遺伝的連続性を考えると、裕民遺跡個体関連の遺伝子移入を除くと、石峁遺跡の人々は、西方ではユーラシア西部草原地帯やアジア北部および中央部、東方では山東半島沿岸部の人口集団など、いくつかの文化的類似性を共有していた外部集団との混合を殆ど全く示しませんでした。これは、石峁遺跡における擬人化した石の彫刻や特殊な小刀や翡翠製石刃や鰐の骨板などの人工遺物が、遺伝的交流なしに広範な交易網でこれらの地域からもたらされた可能性が最も高かったことを示唆しています。両者間の距離にも関わらず、石峁遺跡と同等の同時代の大規模集落である陶寺遺跡と近隣の集落である周家荘遺跡の住民は、オルドス北部平原の先石峁遺跡人口集団密接な祖先系統を共有しています。これは、交易と略奪の両方を含むより複雑な関係が2ヶ所の大規模な共同体間に存在したかもしれない、との考古学的データに基づく提案と矛盾しません。五庄果墚遺跡において少なくとも5000年前に居住していた仰韶文化関連人口集団は、文化的影響の石峁および陶寺地域の祖先であり、北方では裕民遺跡個体関連人口集団との相互作用は限られ、石峁市の建設者の起源および石峁遺跡と陶寺遺跡の関係についての重要な問題を解決しますが、これらの関係をより性格に解明するにはより多くの問題が残っており、祖先と家族両方の系統が陝西省および山西省地域の初期社会で役割を果たしたかもしれません。
石峁遺跡において台頭しつつあった農耕牧畜社会の集落パターンとともに、さまざまな社会階級に属する豊富な量の埋葬によって、親族関係慣行に基づく社会構造の3点の側面の調査が可能となり、それは、家系と結婚パターンと居住規則です。低位から高位の墓と供犠埋葬坑のゲノム標本抽出によって、階層構造に基づく石峁社会の社会組織と親族関係のパターンがさらに解明されました。上流階層から庶民までのこれらの埋葬内では、本論文の結果はおもに明らかな男性特有と女性特有の犠牲慣行とともに父系組織を裏づけ、これらはともに階層的に構造化された石峁社会を形成しました。これまでにユーラシアの西部から中央部までの家族埋葬から回収された広範な系図[17、20]とは異なり、多様な埋葬慣行における多くの1親等および2親等の親族関係とIBDの組み合わせによって、高位および低位両方の墓にまたがるいくつかの拡張系図の再構築が可能となりました。より大きな規模では、仰韶文化に分類される先石峁文化および石峁文化の人口集団は、ほとんど近親婚のない健全な人口集団の多様性と、1000年以上にわたる大きな有効人口規模を維持した、と示されます。さらに、黄土高原に位置するすべての遺跡間で、個体間の空間的距離と系図が共同分析されました。石峁文化共同体内もしくは山西省の南方の陶寺文化共同体間では、高い信頼性での密接な親族関係もしくは共有されたIBD塊が見つからず、異なる文化に属する家族もしくは支配的な在来共同体からずっと遠くの家族間の、抑制された移動および配偶パターンが示唆されます。
石峁共同体内では、社会的上流階層と犠牲とされた個体群との間で直接的な家族のつながりは検出されず、制約された配偶慣行および社会的境界の存在が示唆されます。しかし、上流階層とより低い地位の個体との間の親族関係のつながりが観察されたことを考えると、これらの境界はおそらくある程度流動的でした。中間的な地位の個体からのさらなるデータが、石峁社会の社会的階層化のより包括的な評価には不可欠です。むしろ、墓における上流階層の墓主と犠牲になった人々との間の親族関係の欠如は、墓が社会的上流階層とその家族を中心に築かれ、犠牲の儀式は社会的地位に応じて行なわれていたことを示唆しているかもしれません。片親性遺伝的データが父系親族関係制度を示唆しているのに対して、高位の女性個体の存在は、性別(ジェンダー)の役割が石峁共同体において高い社会的地位への接近を厳格には制約していなかった、と示唆しているかもしれません。要約すると、本論文の分析は、先史時代の社会組織の詳細なパターンを明らかにするための、広範なゲノム標本抽出の有益性を浮き彫りにします。武器や土器や動物およびヒトの犠牲など副葬品が系図に沿って追跡されることでも、1ヶ所のアジア東部の初期の政治権力中心地およびその衛星集落群の内部における、富の継承と階級分化のパターンを明らかにしてきました。これらの調査結果をより広範な文化的および象徴的枠組みに位置づけることで、石峁遺跡の古代の儀式的慣行と社会動態の理解は深まります。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
遺伝学:中国の先史時代の都市に関する新たな手がかり
中国北部に位置する4,000年前の城壁都市・石峁(シーマオ;Shimao)の人々の起源、社会構造、および文化慣習を報告する論文が、今週のNatureに掲載される。石峁に居住した人々の古代DNA分析によると、この集団は都市南部の集落と遺伝的つながりを持っていた。さらに、人身供犠の慣習に関連する男性集団埋葬が行われていた可能性を示す証拠も発見された。
中国北西部・陝西省(せんせいしょう;Shaanxi)にある石峁市は、紀元前2300~1800年ごろの新石器時代の要塞集落で、万里の長城よりも古く、中国で発見された最大級の先史遺跡の一つである。石壁に囲まれた遺跡は、約4平方キロメートルの面積を持ち、複数の区域に分かれており、社会組織や人身供犠の痕跡が確認されている。この都市と周辺遺跡は、中国文明の黎明期における大規模集落のモデル確立に重要な役割を果たした可能性がある。遺伝学的研究は、この階級社会における階層構造が、血統や親族関係によってどのように形成されたかという疑問の解明に寄与するかもしれない。
Qiaomei Fuら(中国科学院古人類及古脊椎動物研究所〔中国〕)は、石峁市とその衛星遺跡、さらに周辺のより古い遺跡から出土した、4,800年から3,600年前の169体の古代ゲノムを解読した。このゲノムデータを、中国のほかの集団からすでに公表されている古代DNAデータと比較した結果、石峁の人々はおもに、約1,000年前にこの地域に居住していた集団に由来することが分かった。著者らは、石峁の集団が黄河に囲まれた黄土高原の仰韶(ぎょうしょう;Yangshao)文化集団と文化的・遺伝的に結びついていることを発見し、石峁の人々の起源の可能性を示唆している。
本研究でサンプリングされた個体は、おもに父系を通じて最大4世代にわたる石峁の人々を含む墓から採取され、墓所有者間の家族関係を明らかにしている。この発見は、社会的地位が父系を通じて継承される父系社会構造を示している。人身供犠の証拠は、以前より石峁で報告されており、東門の下から80以上の人の頭蓋骨が発見されている。先行研究では、犠牲者の大半が女性とされていたが、Fuらは東門下で発見された遺体の10体中9体が男性であることを明らかにした。しかし、複数の石峁遺跡では、性別に応じた犠牲の慣行が異なるパターンを示していた。皇城台(ホワンチョンタイ;Huangchengtai)や韩家圪旦(ハンジャーグーダン;Hanjiagedan)などのエリート墓地では、東門とは異なり、おもに女性を犠牲にした証拠が見られた。
これらの発見は総合的に、古代集団の親族関係、社会構造、および文化的慣行に関する新たな詳細を提供している。
古代DNA:石峁市の古代DNAに記録された中国の新石器時代における親族慣習
古代DNA:中国の新石器時代の要塞都市の慣習を古代DNAでひもとく
今回、中国北部の重要な考古学遺跡である石峁(Shimao)市に由来する古代DNAの解析から、新石器時代の地域社会における社会組織構造と埋葬慣習についての手掛かりが得られている。
参考文献:
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