東天山山脈の上部旧石器時代石器
東天山山脈の上部旧石器時代の石器群を報告した研究(Wang et al., 2025)が公表されました。本論文は、【現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では新疆ウイグル自治区とされている】東トルキスタンの東天山山脈で発見された上部旧石器時代の石刃や細石刃と、東天山山脈に位置する蒲類洞窟(Pulei Cave)の堆積物の年代測定が45000~43000年前頃だったことを報告しています。これらの石器は現生人類(Homo sapiens)のユーラシア東部への拡散と関わっているかもしれない点でも注目されます。
●要約
東トルキスタンの東天山山脈における大規模な野外調査で、108ヶ所の旧石器/細石器の表面発見地点が特定されました。蒲類洞窟は、上部旧石器時代の文化遺物を含む東トルキスタン東部における最初の保存状態良好な洞窟堆積物記録で、年代は45000~43000年前頃です。
●背景
中国【現在の中華人民共和国の実効支配地域】北西部の東トルキスタンの東天山山脈は、人類史を通じてアルタイ山脈とチベット高原とアジア東部の間の接合店として機能してきました。現時点の証拠はこの地域の初期の居住を示唆していますが、信頼できる層序記録のある旧石器時代/細石器遺跡のため、この地域の旧石器時代文化の枠組みは依然としてほぼ調べられていません。2022~2024年の間の調査によって、この地域で108ヶ所の旧石器時代/細石器発見地点が特定され、合計11522点の石器が収集されました。蒲類洞窟内では石器と保存状態良好な層序が特定され、東天山山脈で最初となる上部旧石器時代のヒトの活動の信頼できる絶対年代測定が可能となりました。
●野外調査
東天山山脈の地表石器群は2種類の主要な技術を明らかにしており、それは石核・剥片と細石刃で(図1)、両方とも上部旧石器時代の中国(5万~12000年前頃)では一般的です。以下は本論文の図1です。
細石刃石器群はさらに3種類に分類でき、それは最初期の細石刃技術と湧別技法と発展円錐形細石核技術です(図2)。これらの石器群は、一部の細石器遺跡におけるルヴァロワ(Levallois)様石核や尖頭器や両面石器とともに、東トルキスタンの技術的複雑さを論証し(図2)、磨製石器が支配的な青銅器時代および鉄器時代の遺跡と区別します。以下は本論文の図2です。
●蒲類洞窟
蒲類洞窟(北緯43度37分23.5秒、東経92度23分43.8秒、海抜2004m)は東天山山脈の北側のバルコル盆地(Barkol Basin)の西縁に位置し、断崖の下に西向きに開いた幅16mの半円の入口が特徴です。蒲類洞窟の内部は、36.1m×19.3m×3.5mの不規則な空間を形成しています(図3A・B)。以下は本論文の図3です。
蒲類洞窟の北東隅には文化的堆積物が残っていました。攪乱された堆積物の調査から、19点の石器と数点の動物の骨が見つかりました(図3C)。蒲類洞窟の北東隅の南壁と北壁は約2m離れており、それぞれの底部にはす、深さ約0.5mと0.7~1.2mの類似した層序が保存されていました。第1層は深さが約0.2mの攪乱した黄土堆積物で、石器と動物の骨が含まれていました(図4A)。第2層(深さ0.1~0.34m)は攪乱していない緩い褐色土壌で構成され、動物の骨も含まれています。第3層は深さ0.2~0.4mの別の攪乱されていない黄土層で、石器がいくつかあり、この層の北側からは3点の石器と動物の骨が収集されました(図4B)。第4層は深さ約0.3mの浅津の砂の層で、第3層の北側の下に位置しており、石器と動物の骨が含まれています。以下は本論文の図4です。
洞窟外で発見された2点の石器を含めて、合計24点の石器が蒲類洞窟から収集され、そのうち4点は珪岩、19点は珪質岩、1点は珪質泥岩で製作されていました。これらは蒲類洞窟で発見された粗い変成岩とは異なっており、原材料は外部起源と示唆されます(図2B)。この収集物には石刃(2点)と石刃石核1点と石刃石器(13点、ほとんどは石刃から製作された掻器と直交刃斧です)が含まれています。これらの特徴は一般的に上部旧石器時代石刃インダストリーを示唆しており、チベット高原中央部の尼阿底(Nwya Devu)遺跡(4万~3万年前頃、Zhang et al., 2018)やモンゴルのトルボル16(Tolbor 16)遺跡(49000~46000年前頃)の石器群と類似しており、小柱的石刃石核技術の優占が特徴です。この技術的一貫性から、東天山山脈は地理的に広範な技術複合体に織り込まれており、人口移動の可能性を示唆している、と示されます。
地層(36点)および攪乱した堆積物(32点)から収集された動物の骨のうち、14点の破片は形態学的にシカやノウサギやウマ類や小型ウシ科に同定できます(図5A)。異なる層の骨が、蘭州大学での放射性炭素年代測定のため選択されました。較正された放射性炭素年代は、48000~27000年前頃と3300~2400年前頃となる堆積物の2期間を明らかにしています(図5B)。最初の期間は上部旧石器時代に相当し、近隣地域から報告されている石器年代(49000~30000年前頃)と一致します。第二の期間は青銅器時代と鉄器時代における局所的な集落の増加に相当します。第3層の石器の近くで見つかった骨の標本1点の較正年代は44727~42997年前で、蒲類洞窟のヒトの居住の確実な年代基準を提供します。しかし、他の期間におけるヒトの居住の可能性については、将来の発掘におけるさらなる検証が必要です。以下は本論文の図5です。
●まとめ
東天山山脈における湧別技法とルヴァロワ様式を特徴とする表面石器の同定は、東トルキスタン東部におけるこれらの技術の地理的拡大の理解に新たな視点を開きます。蒲類洞窟では典型的な上部旧石器時代石刃インダストリーが論証され、45000~43000年前頃と直接的に年代測定された、この地域における最初の保存状態良好な洞窟文化堆積物が得られました。これらの発見は、シベリアおよびアルタイ山脈を中国北部およびチベット高原とつなぐ交通路としての東天山山脈の既知の枠組みを、45000年前頃にまでさかのぼらせます。これは東トルキスタン地域における初期のヒトの居住の理解を大きく深めるだけではなく、アジア中央部とアジア東部との間の技術的相互作用の研究の重要な飼料も提供します。将来の体系的な発掘調査は、蒲類洞窟の化石生成論的および環境的背景とこれらの人工遺物のあり得る製作者をさらに明らかにすることになるでしょう。
参考文献:
Wang Y. et al.(2025): Pulei Cave: the first Palaeolithic cave site found in the Eastern Tianshan Mountains of Xinjiang. Antiquity, 99, 408, e52.
https://doi.org/10.15184/aqy.2025.10157
Zhang XL. et al.(2018): The earliest human occupation of the high-altitude Tibetan Plateau 40 thousand to 30 thousand years ago. Science, 362, 6418, 1049-1051.
https://doi.org/10.1126/science.aat8824
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●要約
東トルキスタンの東天山山脈における大規模な野外調査で、108ヶ所の旧石器/細石器の表面発見地点が特定されました。蒲類洞窟は、上部旧石器時代の文化遺物を含む東トルキスタン東部における最初の保存状態良好な洞窟堆積物記録で、年代は45000~43000年前頃です。
●背景
中国【現在の中華人民共和国の実効支配地域】北西部の東トルキスタンの東天山山脈は、人類史を通じてアルタイ山脈とチベット高原とアジア東部の間の接合店として機能してきました。現時点の証拠はこの地域の初期の居住を示唆していますが、信頼できる層序記録のある旧石器時代/細石器遺跡のため、この地域の旧石器時代文化の枠組みは依然としてほぼ調べられていません。2022~2024年の間の調査によって、この地域で108ヶ所の旧石器時代/細石器発見地点が特定され、合計11522点の石器が収集されました。蒲類洞窟内では石器と保存状態良好な層序が特定され、東天山山脈で最初となる上部旧石器時代のヒトの活動の信頼できる絶対年代測定が可能となりました。
●野外調査
東天山山脈の地表石器群は2種類の主要な技術を明らかにしており、それは石核・剥片と細石刃で(図1)、両方とも上部旧石器時代の中国(5万~12000年前頃)では一般的です。以下は本論文の図1です。
細石刃石器群はさらに3種類に分類でき、それは最初期の細石刃技術と湧別技法と発展円錐形細石核技術です(図2)。これらの石器群は、一部の細石器遺跡におけるルヴァロワ(Levallois)様石核や尖頭器や両面石器とともに、東トルキスタンの技術的複雑さを論証し(図2)、磨製石器が支配的な青銅器時代および鉄器時代の遺跡と区別します。以下は本論文の図2です。
●蒲類洞窟
蒲類洞窟(北緯43度37分23.5秒、東経92度23分43.8秒、海抜2004m)は東天山山脈の北側のバルコル盆地(Barkol Basin)の西縁に位置し、断崖の下に西向きに開いた幅16mの半円の入口が特徴です。蒲類洞窟の内部は、36.1m×19.3m×3.5mの不規則な空間を形成しています(図3A・B)。以下は本論文の図3です。
蒲類洞窟の北東隅には文化的堆積物が残っていました。攪乱された堆積物の調査から、19点の石器と数点の動物の骨が見つかりました(図3C)。蒲類洞窟の北東隅の南壁と北壁は約2m離れており、それぞれの底部にはす、深さ約0.5mと0.7~1.2mの類似した層序が保存されていました。第1層は深さが約0.2mの攪乱した黄土堆積物で、石器と動物の骨が含まれていました(図4A)。第2層(深さ0.1~0.34m)は攪乱していない緩い褐色土壌で構成され、動物の骨も含まれています。第3層は深さ0.2~0.4mの別の攪乱されていない黄土層で、石器がいくつかあり、この層の北側からは3点の石器と動物の骨が収集されました(図4B)。第4層は深さ約0.3mの浅津の砂の層で、第3層の北側の下に位置しており、石器と動物の骨が含まれています。以下は本論文の図4です。
洞窟外で発見された2点の石器を含めて、合計24点の石器が蒲類洞窟から収集され、そのうち4点は珪岩、19点は珪質岩、1点は珪質泥岩で製作されていました。これらは蒲類洞窟で発見された粗い変成岩とは異なっており、原材料は外部起源と示唆されます(図2B)。この収集物には石刃(2点)と石刃石核1点と石刃石器(13点、ほとんどは石刃から製作された掻器と直交刃斧です)が含まれています。これらの特徴は一般的に上部旧石器時代石刃インダストリーを示唆しており、チベット高原中央部の尼阿底(Nwya Devu)遺跡(4万~3万年前頃、Zhang et al., 2018)やモンゴルのトルボル16(Tolbor 16)遺跡(49000~46000年前頃)の石器群と類似しており、小柱的石刃石核技術の優占が特徴です。この技術的一貫性から、東天山山脈は地理的に広範な技術複合体に織り込まれており、人口移動の可能性を示唆している、と示されます。
地層(36点)および攪乱した堆積物(32点)から収集された動物の骨のうち、14点の破片は形態学的にシカやノウサギやウマ類や小型ウシ科に同定できます(図5A)。異なる層の骨が、蘭州大学での放射性炭素年代測定のため選択されました。較正された放射性炭素年代は、48000~27000年前頃と3300~2400年前頃となる堆積物の2期間を明らかにしています(図5B)。最初の期間は上部旧石器時代に相当し、近隣地域から報告されている石器年代(49000~30000年前頃)と一致します。第二の期間は青銅器時代と鉄器時代における局所的な集落の増加に相当します。第3層の石器の近くで見つかった骨の標本1点の較正年代は44727~42997年前で、蒲類洞窟のヒトの居住の確実な年代基準を提供します。しかし、他の期間におけるヒトの居住の可能性については、将来の発掘におけるさらなる検証が必要です。以下は本論文の図5です。
●まとめ
東天山山脈における湧別技法とルヴァロワ様式を特徴とする表面石器の同定は、東トルキスタン東部におけるこれらの技術の地理的拡大の理解に新たな視点を開きます。蒲類洞窟では典型的な上部旧石器時代石刃インダストリーが論証され、45000~43000年前頃と直接的に年代測定された、この地域における最初の保存状態良好な洞窟文化堆積物が得られました。これらの発見は、シベリアおよびアルタイ山脈を中国北部およびチベット高原とつなぐ交通路としての東天山山脈の既知の枠組みを、45000年前頃にまでさかのぼらせます。これは東トルキスタン地域における初期のヒトの居住の理解を大きく深めるだけではなく、アジア中央部とアジア東部との間の技術的相互作用の研究の重要な飼料も提供します。将来の体系的な発掘調査は、蒲類洞窟の化石生成論的および環境的背景とこれらの人工遺物のあり得る製作者をさらに明らかにすることになるでしょう。
参考文献:
Wang Y. et al.(2025): Pulei Cave: the first Palaeolithic cave site found in the Eastern Tianshan Mountains of Xinjiang. Antiquity, 99, 408, e52.
https://doi.org/10.15184/aqy.2025.10157
Zhang XL. et al.(2018): The earliest human occupation of the high-altitude Tibetan Plateau 40 thousand to 30 thousand years ago. Science, 362, 6418, 1049-1051.
https://doi.org/10.1126/science.aat8824
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