青海省の後漢時代の古代人のゲノムデータ
取り上げるのが遅れてしまいましたが、青海省で発見された後漢時代の古代人のゲノムデータを報告した研究(Wang et al., 2025)が公表されました。本論文は、青海チベット高原の後漢時代の古代人のゲノムを解析し、黄河流域集団と関連する遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が優勢であるものの、在来集団的な祖先系統が見られることや、現代チベット人との遺伝的類似性があることを示しています。こうした後漢時代の古代人の遺伝的構成には、この地域が人口移動と文化的交流の中心地としての役割を担っていたことと、漢王朝の政策が大きな影響を与えたようです。
以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、READ(Relationship Estimation from Ancient DNA、古代DNAの関係推定)、SEA(Southern East Asian、アジア東部南方人)です。以下の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)です。本論文で取り上げられる主要な地域は、河湟谷(Hehuang Valley)、チベット(Xizang、西蔵)、チベット・イ回廊(Tibetan-Yi Corridor)、ネパールのムスタン(Mustang)郡およびマナン(Manang)郡(MMD地域)、青海省海西モンゴル族チベット族自治州都蘭(Dulan)県です。
本論文で取り上げられる主要な文化は、馬家窯(Majiayao)文化、ゾングリ(Zongri)文化、斉家(Qijia)文化です。本論文で取り上げられる主要な勢力は、羌人(Qiang)、ナシ人(Naxi)、イー人(Yi)、トゥプト(Tubo、吐蕃)、吐谷渾(Tuyuhun)、ネパールのムスタン郡およびマナン郡の古代人(ancient individuals from Mustang and Manang districts、略してaMMD)、文成公主(Princess Wencheng)、ソンツェン・ガンポ王(King Songtsen Gampo)です。本論文で取り上げられる主要な遺跡は、青海省の喇家(Lajia)遺跡と金蝉口(Jinchankou)遺跡と大槽子(Dacaozi、略してDCZ)遺跡と陶家寨(Taojiazhai)遺跡です。また、本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事の以下の翻訳ではではとりあえず「中国」と表記します。
●分析と考察
河湟谷は青海チベット高原の北東部に位置し、黄河上流域に相当します(図1A)。河湟谷は、馬家窯文化やゾングリ文化や斉家文化など、多くの新石器時代文化の起源の重要な地理的地域です。この流域は黄土高原と青海チベット高原の間に位置していたため、中原農耕民と中国北西部遊牧民のとの間の交易および統合の重要な中心地となりました。歴史的記録によると、古代羌人は河湟地域の最初の居住者で、半農半牧の生活様式でした。紀元前1世紀以降、中原から多くの移民がこの地域に移住してきました。この期間に起きた広範な移住は、中原の漢人集団と在来の羌人集団との間の相互作用と統合を強化し、トゥプトや吐谷渾王国や青海チベット高原の現在の住民を含めて、その後青海チベット高原に居住した人口集団に大きな影響を及ぼしました。それにも関わらず、これらの人口集団が遺伝的に受けてきた影響の正確な程度は、具体的な起源および影響の規模の観点では、依然として不明です。以下は本論文の図1です。
これまで、河湟谷人口集団について行なわれたの唯一の初期のヒトゲノム研究では、新石器時代から鉄器時代までの5500年間が網羅されていました(Ning et al., 2020)。その研究(Ning et al., 2020)には、在来の羌人を表すと考えられる(Xiong et al., 2024)この地域の斉家文化期の喇家遺跡と金蝉口遺跡の7個体や、漢王朝の大槽子遺跡の3個体が含まれています。その研究の主題は初期の北方人口集団間、とくに乾地雑穀農耕の2ヶ所の中心地を表している黄河地域人口集団と西遼河地域人口集団との間の相互作用の調査です。標本データの不充分な品質のため、漢王朝の河湟人口集団の遺伝的構造および形成過程や、その後の期間における近隣人口集団への遺伝的影響は検討されていません。大槽子遺跡は後漢(東漢)王朝から北魏王朝にかけての青海省の地元民間人の埋葬地で(図1A)、後漢王朝期における在来人口集団と中原人口集団との間の遺伝的交流への知見をもたらす可能性があります。
この研究では、まず後漢王朝の古代人48個体の標本が検査され、0.0091~0.6657倍の常染色体網羅率で古代人の標本7点からゲノム規模データが生成されました。これらのデータはそり後、同じ遺跡の3個体から得られた高品質な古代人のデータと統合され、長い断片のDNA汚染を除去するよう処理されて、10個体のデータセット(DCZと呼ばれます)が生成され、これによって大槽子遺跡のより包括的で詳しい分析が容易になりました。ゲノムデータの真正性を確証するために、いくつかの検証手法が適用されました。ミトコンドリアゲノム解析からは、アジア東部の漢人と共有されるmtHg(D4a3b2とA24)に加えて、最も高頻度のmtHgは中国西部のチベット人や羌人において最も高頻度で分布するmtHg(B4d1′2′3、D4b2b、F1g、G2b1b)だった、と明らかになりました。母系ハプログループ【mtHg】の相互共有は、中原および青海チベット高原の人口集団と河湟地域の大槽子遺跡の人口集団との間の遺伝的つながりを示唆しています。
母系で観察された顕著な多様性とは対照的に、YHg-OおよびNによって表される大槽子遺跡個体群の父系は、おもにアジア東部および北東部に分布していました。READおよびIcMLkinの両方の実行によって、1親等の親族として個体M21IIとM22VIが、2親等の親族として個体M21IIとM22Iが特定されました。大槽子遺跡で観察された男性間の密接な親族関係と異常な男女比は、同じ期間の近隣の遺跡で観察されたほぼ均衡のとれた性比(1:1)とは対照的で(たとえば、陶家寨遺跡では男女比は1.05:1です)、大槽子遺跡が当初は国境の軍事都市として築かれた、という事実と関連しているかもしれません。これは、男性が紛争時と大量移住時の両方で優位に立つ傾向にある事実に起因します。その後、大槽子遺跡は家族もしくは親族的つながり基づく集落へと移行しました。
さらに、大槽子遺跡人口集団と本論文における他の人口集団とのクラスタ化(まとまること)パターンが解明されました。アジア東部の現在の9人口集団のパネルを用いて行われたPCAの結果から、大槽子遺跡個体の大半は黄河農耕人口集団(黄河流域の中期新石器時代と後期新石器時代と後期青銅器時代と鉄器時代の人口集団に相当する、黄河_MN/LN/LBA/IAが含まれます)とクラスタ化した(まとまった)、と明らかになりました(図1B)。クラスタ化パターンはADMIXTUREで有効に再現でき、大槽子遺跡人口集団の祖先組成は、近隣の斉家文化人口集団(黄河上流_LN)とよりも黄河農耕人口集団の方と密接に一致する、と示唆されます。後漢前期~中期に埋葬された個体個体M21IIについては、本論文の調査結果は、おそらくは中原からの最初の移民を表している、中原人口集団とのより密接な遺伝的類似性を示唆しています。対照的に、その後の段階で埋葬されたM21IIと密接な遺伝的関係の他の2個体(M22IとM22VI)は、古代の斉家文化人口集団との追加のゲノム類似性を示しました。これは、漢王朝期の河湟谷における先住民と中原からの移民との間の通婚の発生を示唆しています。さらに、この出来事は移住事象後の河湟谷におけるこれら2人口集団【先住民と中原からの移民】間の急速な混合に関する追加の証拠を提供します。
大槽子遺跡人口集団内のゲノム差異を定量化し、より正確な水準で遺伝子流動を検出するために、次にf₄形式(DCZ_個体1、DCZ_個体2:X、ムブティ人)やf₄形式(DCZ_個体、黄河上流_LN/黄河_MN/黄河_LN:X、ムブティ人)の外群f₄統計が調べられました。その結果、XがSEA人口集団を表す場合に、大槽子遺跡人口集団において有意なゲノムの違いがある、と示唆されました。遺伝子流動の可能性をより正確に調べるために、外群f₄の結果に基づいて大槽子遺跡人口集団が3集団に区分されました。その分類は以下の通りで、黄河上流_LNとの追加のゲノム類似性を示すDCZ_黄河上流(個体M22VI)、黄河_MN/LNとのゲノム類似性および黄河上流_LNとのゲノムの差異を示すDCZ_黄河(個体M2IとM12IとM17IVとM21IIとM22VI)、黄河_MN/LNおよび黄河上流_LNの両方とゲノムの差異を示すDCZ_SEA(個体M22I)です。分類の信頼性は、大槽子遺跡人口集団の3集団に基づく、f₄(DCZ_個集団1、DCZ_集団2:X、ムブティ人)およびf₄(DCZ_集団、黄河上流_LN/黄河_MN/黄河_LN:X、ムブティ人)で検証されました。
大槽子遺跡人口集団の多様な混合割合を直接的に比較し、その起源を調べるために、以下の潜在的な供給源を用いたqpAdm分析が実行され、それは黄河農耕人口集団と黄河上流_LNとSEAです(図1C)。1方向混合モデル化によると、【大槽子遺跡人口集団の】3集団はすべて黄河集団からの主要な寄与を示しますが、黄河上流_LNはDCZ_黄河/DCZ_SEAの単一の潜在的祖先として特定できません。次に、SEAを第二供給源として用いて2方向混合が適用され、DCZ_黄河は100%の黄河祖先系統と一致するのに対して、DCZ_SEAは82.9%の黄河_LN祖先系統由来を示した、と論証されました。黄河中下流域の中原人口集団は後期新石器時代以降に中国南部人口集団から遺伝的影響を受けてきたので(Ning et al., 2020)、上述の分析から、中原からの顕著な西方への流入が河湟谷における人口集団の遺伝的構造および遺伝的多様性を変えた、と示唆されます。大槽子遺跡の独特な地理的位置および歴史的背景は、中原からの人口移住の触媒として機能したかもしれません。考古学的記録によると、大槽子遺跡の墓地で頻繁に観察された二次的に攪乱した埋葬は古代羌人埋葬に典型的ですが、豊富な犠牲に供された家畜の発見は、中国北西部の明確な文化的特徴も示します。しかし、大槽子遺跡の墓地における丸天井の屋根の墓は、中原の漢人の墓で典型的です。さらに、大槽子遺跡の墓地で発掘された土器や青銅器は、同じ期間の近隣の漢人の墓での発掘品と類似しています。これらの調査結果から、さまざまな人口集団のこの交流と統合は、遺伝的水準でこの地域の遺伝的多様性を高めただけではなく、この地域において社会的および文化的相互作用の複雑な性質も捉えている、と論証されます。
青海チベット高原と中原に接する河湟谷は、効果と低地の住民が相互作用し、統合する移行的な地域として機能します。チベット人集団は黄河上流域から高地高原への新石器時代農耕人口集団とシナ・チベット語族の拡大に起源がある、と長く考えられてきました(Chen et al., 2015、Zhang et al., 2019)。先行研究はqpGraphを実行し、都蘭県住民と現代チベット人を84~89%の黄河上流_LN祖先系統に由来する、とモデル化しましたが、残りの祖先系統は標本抽出された系統から特定できませんでした(Zhu et al., 2022)。DCZ_黄河が黄河関連供給源および二次供給源としてのaMMDとして用いられると、qpAdmモデル化は都蘭県人口集団について27.8%の大槽子遺跡人口集団の寄与を推定しました。さらに、現代チベット人はDCZ_黄河からの約10.2%の祖先系統とaMMDと関連する約89.8%の祖先系統の混合としてモデル化されました。この研究の結果は、大槽子遺跡人口集団と関連する遺伝的構成要素の顕著な流入を示唆しており、その後の青海チベット高原高地住民への顕著な遺伝的寄与がありました。
チベット・ビルマ語派人口集団内の非チベット人集団としてのナシ人とイー人は、DCZ_黄河からの約80.2~87.3%の祖先系統およびaMMDと関連する約12.7~19.8%の祖先系統の混合として有効にモデル化されました(図1D)。この証拠から、大槽子遺跡人口集団のその後の人口集団への遺伝的影響は青海チベット高原に限られておらず、チベット・イ回廊地域の現代の人口集団に影響を及ぼし続けたかもしれない、と示唆されます。中原を青海チベット高原へとつなぐ回廊として、河湟谷はシルクロード(絹の道)の南方経路の創設以降に、低地住民と高地住民との間の交易および文化的交流の拠点として機能してきました。歴史的記録によると、河湟谷は唐王朝の文成公主がチベットへ向かう経路で、文成公主はトゥプト王国のソンツェン・ガンポ王と結婚しました。したがって、大槽子遺跡人口集団によって表される河湟地域人口集団の遺伝的組成は、長期にわたって青海チベット高原人口集団の確立に顕著で持続的な影響を及ぼしてきました。
まとめると、本論文は、河湟谷の遺伝的景観に関する視点を提供し、以前には見過ごされていた多様性、および歴史時代と現在の両方での近隣地域との重要な遺伝的つながりを強調します。本論文の調査結果は、持続的な在来の構成要素および現代チベット人集団とのつながりとともに、顕著な黄河関連の遺伝的痕跡を明らかにし、この地域における複雑な人口動態を浮き彫りにします。埋葬および副葬品の特徴から、漢王朝の政策がこの地域の文化と遺伝両方の後世に顕著な影響を及ぼした、と示唆されます。チベット・イ回廊沿いのその後のチベット人集団における大槽子遺跡人口集団の遺伝的遺産は、移住および文化的交流の拠点としての河湟谷の役割を示唆しています。したがって、本論文は、地理的および文化的境界にまたがるヒトの歴史複雑さとその相互作用の解明における古代DNA研究の重要性を論証しながら、河湟谷およびその近隣地域における歴史的政策と移住の持続的な遺伝的遺産に関する説得力のある言説を提示します。河湟谷における人口動態に関する本論文の知見をさらに精緻化するには、より広範な時間規模のより多くの標本によるさらなる研究が必要です。
参考文献:
Chen F. et al.(2015): Agriculture facilitated permanent human occupation of the Tibetan Plateau after 3600 BP. Science, 347, 6219, 248-250.
https://doi.org/10.1126/science.1259172
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Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
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Wang L. et al.(2025): Ancient DNA reveals genetic exchange in the Hehuang valley in the context of demic diffusion during the Han dynasty. Journal of Genetics and Genomics, 52, 4, 592-595.
https://doi.org/10.1016/j.jgg.2024.11.013
Xiong J. et al.(2024): Inferring the demographic history of Hexi Corridor over the past two millennia from ancient genomes. Science Bulletin, 69, 5, 606-611.
https://doi.org/10.1016/j.scib.2023.12.031
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Zhang M. et al.(2019): Phylogenetic evidence for Sino-Tibetan origin in northern China in the Late Neolithic. Nature, 569, 7754, 112–115.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1153-z
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Zhu K. et al.(2022): Cultural and demic co-diffusion of Tubo Empire on Tibetan Plateau. iScience, 25, 12, 105636.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2022.105636
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以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、READ(Relationship Estimation from Ancient DNA、古代DNAの関係推定)、SEA(Southern East Asian、アジア東部南方人)です。以下の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)です。本論文で取り上げられる主要な地域は、河湟谷(Hehuang Valley)、チベット(Xizang、西蔵)、チベット・イ回廊(Tibetan-Yi Corridor)、ネパールのムスタン(Mustang)郡およびマナン(Manang)郡(MMD地域)、青海省海西モンゴル族チベット族自治州都蘭(Dulan)県です。
本論文で取り上げられる主要な文化は、馬家窯(Majiayao)文化、ゾングリ(Zongri)文化、斉家(Qijia)文化です。本論文で取り上げられる主要な勢力は、羌人(Qiang)、ナシ人(Naxi)、イー人(Yi)、トゥプト(Tubo、吐蕃)、吐谷渾(Tuyuhun)、ネパールのムスタン郡およびマナン郡の古代人(ancient individuals from Mustang and Manang districts、略してaMMD)、文成公主(Princess Wencheng)、ソンツェン・ガンポ王(King Songtsen Gampo)です。本論文で取り上げられる主要な遺跡は、青海省の喇家(Lajia)遺跡と金蝉口(Jinchankou)遺跡と大槽子(Dacaozi、略してDCZ)遺跡と陶家寨(Taojiazhai)遺跡です。また、本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事の以下の翻訳ではではとりあえず「中国」と表記します。
●分析と考察
河湟谷は青海チベット高原の北東部に位置し、黄河上流域に相当します(図1A)。河湟谷は、馬家窯文化やゾングリ文化や斉家文化など、多くの新石器時代文化の起源の重要な地理的地域です。この流域は黄土高原と青海チベット高原の間に位置していたため、中原農耕民と中国北西部遊牧民のとの間の交易および統合の重要な中心地となりました。歴史的記録によると、古代羌人は河湟地域の最初の居住者で、半農半牧の生活様式でした。紀元前1世紀以降、中原から多くの移民がこの地域に移住してきました。この期間に起きた広範な移住は、中原の漢人集団と在来の羌人集団との間の相互作用と統合を強化し、トゥプトや吐谷渾王国や青海チベット高原の現在の住民を含めて、その後青海チベット高原に居住した人口集団に大きな影響を及ぼしました。それにも関わらず、これらの人口集団が遺伝的に受けてきた影響の正確な程度は、具体的な起源および影響の規模の観点では、依然として不明です。以下は本論文の図1です。
これまで、河湟谷人口集団について行なわれたの唯一の初期のヒトゲノム研究では、新石器時代から鉄器時代までの5500年間が網羅されていました(Ning et al., 2020)。その研究(Ning et al., 2020)には、在来の羌人を表すと考えられる(Xiong et al., 2024)この地域の斉家文化期の喇家遺跡と金蝉口遺跡の7個体や、漢王朝の大槽子遺跡の3個体が含まれています。その研究の主題は初期の北方人口集団間、とくに乾地雑穀農耕の2ヶ所の中心地を表している黄河地域人口集団と西遼河地域人口集団との間の相互作用の調査です。標本データの不充分な品質のため、漢王朝の河湟人口集団の遺伝的構造および形成過程や、その後の期間における近隣人口集団への遺伝的影響は検討されていません。大槽子遺跡は後漢(東漢)王朝から北魏王朝にかけての青海省の地元民間人の埋葬地で(図1A)、後漢王朝期における在来人口集団と中原人口集団との間の遺伝的交流への知見をもたらす可能性があります。
この研究では、まず後漢王朝の古代人48個体の標本が検査され、0.0091~0.6657倍の常染色体網羅率で古代人の標本7点からゲノム規模データが生成されました。これらのデータはそり後、同じ遺跡の3個体から得られた高品質な古代人のデータと統合され、長い断片のDNA汚染を除去するよう処理されて、10個体のデータセット(DCZと呼ばれます)が生成され、これによって大槽子遺跡のより包括的で詳しい分析が容易になりました。ゲノムデータの真正性を確証するために、いくつかの検証手法が適用されました。ミトコンドリアゲノム解析からは、アジア東部の漢人と共有されるmtHg(D4a3b2とA24)に加えて、最も高頻度のmtHgは中国西部のチベット人や羌人において最も高頻度で分布するmtHg(B4d1′2′3、D4b2b、F1g、G2b1b)だった、と明らかになりました。母系ハプログループ【mtHg】の相互共有は、中原および青海チベット高原の人口集団と河湟地域の大槽子遺跡の人口集団との間の遺伝的つながりを示唆しています。
母系で観察された顕著な多様性とは対照的に、YHg-OおよびNによって表される大槽子遺跡個体群の父系は、おもにアジア東部および北東部に分布していました。READおよびIcMLkinの両方の実行によって、1親等の親族として個体M21IIとM22VIが、2親等の親族として個体M21IIとM22Iが特定されました。大槽子遺跡で観察された男性間の密接な親族関係と異常な男女比は、同じ期間の近隣の遺跡で観察されたほぼ均衡のとれた性比(1:1)とは対照的で(たとえば、陶家寨遺跡では男女比は1.05:1です)、大槽子遺跡が当初は国境の軍事都市として築かれた、という事実と関連しているかもしれません。これは、男性が紛争時と大量移住時の両方で優位に立つ傾向にある事実に起因します。その後、大槽子遺跡は家族もしくは親族的つながり基づく集落へと移行しました。
さらに、大槽子遺跡人口集団と本論文における他の人口集団とのクラスタ化(まとまること)パターンが解明されました。アジア東部の現在の9人口集団のパネルを用いて行われたPCAの結果から、大槽子遺跡個体の大半は黄河農耕人口集団(黄河流域の中期新石器時代と後期新石器時代と後期青銅器時代と鉄器時代の人口集団に相当する、黄河_MN/LN/LBA/IAが含まれます)とクラスタ化した(まとまった)、と明らかになりました(図1B)。クラスタ化パターンはADMIXTUREで有効に再現でき、大槽子遺跡人口集団の祖先組成は、近隣の斉家文化人口集団(黄河上流_LN)とよりも黄河農耕人口集団の方と密接に一致する、と示唆されます。後漢前期~中期に埋葬された個体個体M21IIについては、本論文の調査結果は、おそらくは中原からの最初の移民を表している、中原人口集団とのより密接な遺伝的類似性を示唆しています。対照的に、その後の段階で埋葬されたM21IIと密接な遺伝的関係の他の2個体(M22IとM22VI)は、古代の斉家文化人口集団との追加のゲノム類似性を示しました。これは、漢王朝期の河湟谷における先住民と中原からの移民との間の通婚の発生を示唆しています。さらに、この出来事は移住事象後の河湟谷におけるこれら2人口集団【先住民と中原からの移民】間の急速な混合に関する追加の証拠を提供します。
大槽子遺跡人口集団内のゲノム差異を定量化し、より正確な水準で遺伝子流動を検出するために、次にf₄形式(DCZ_個体1、DCZ_個体2:X、ムブティ人)やf₄形式(DCZ_個体、黄河上流_LN/黄河_MN/黄河_LN:X、ムブティ人)の外群f₄統計が調べられました。その結果、XがSEA人口集団を表す場合に、大槽子遺跡人口集団において有意なゲノムの違いがある、と示唆されました。遺伝子流動の可能性をより正確に調べるために、外群f₄の結果に基づいて大槽子遺跡人口集団が3集団に区分されました。その分類は以下の通りで、黄河上流_LNとの追加のゲノム類似性を示すDCZ_黄河上流(個体M22VI)、黄河_MN/LNとのゲノム類似性および黄河上流_LNとのゲノムの差異を示すDCZ_黄河(個体M2IとM12IとM17IVとM21IIとM22VI)、黄河_MN/LNおよび黄河上流_LNの両方とゲノムの差異を示すDCZ_SEA(個体M22I)です。分類の信頼性は、大槽子遺跡人口集団の3集団に基づく、f₄(DCZ_個集団1、DCZ_集団2:X、ムブティ人)およびf₄(DCZ_集団、黄河上流_LN/黄河_MN/黄河_LN:X、ムブティ人)で検証されました。
大槽子遺跡人口集団の多様な混合割合を直接的に比較し、その起源を調べるために、以下の潜在的な供給源を用いたqpAdm分析が実行され、それは黄河農耕人口集団と黄河上流_LNとSEAです(図1C)。1方向混合モデル化によると、【大槽子遺跡人口集団の】3集団はすべて黄河集団からの主要な寄与を示しますが、黄河上流_LNはDCZ_黄河/DCZ_SEAの単一の潜在的祖先として特定できません。次に、SEAを第二供給源として用いて2方向混合が適用され、DCZ_黄河は100%の黄河祖先系統と一致するのに対して、DCZ_SEAは82.9%の黄河_LN祖先系統由来を示した、と論証されました。黄河中下流域の中原人口集団は後期新石器時代以降に中国南部人口集団から遺伝的影響を受けてきたので(Ning et al., 2020)、上述の分析から、中原からの顕著な西方への流入が河湟谷における人口集団の遺伝的構造および遺伝的多様性を変えた、と示唆されます。大槽子遺跡の独特な地理的位置および歴史的背景は、中原からの人口移住の触媒として機能したかもしれません。考古学的記録によると、大槽子遺跡の墓地で頻繁に観察された二次的に攪乱した埋葬は古代羌人埋葬に典型的ですが、豊富な犠牲に供された家畜の発見は、中国北西部の明確な文化的特徴も示します。しかし、大槽子遺跡の墓地における丸天井の屋根の墓は、中原の漢人の墓で典型的です。さらに、大槽子遺跡の墓地で発掘された土器や青銅器は、同じ期間の近隣の漢人の墓での発掘品と類似しています。これらの調査結果から、さまざまな人口集団のこの交流と統合は、遺伝的水準でこの地域の遺伝的多様性を高めただけではなく、この地域において社会的および文化的相互作用の複雑な性質も捉えている、と論証されます。
青海チベット高原と中原に接する河湟谷は、効果と低地の住民が相互作用し、統合する移行的な地域として機能します。チベット人集団は黄河上流域から高地高原への新石器時代農耕人口集団とシナ・チベット語族の拡大に起源がある、と長く考えられてきました(Chen et al., 2015、Zhang et al., 2019)。先行研究はqpGraphを実行し、都蘭県住民と現代チベット人を84~89%の黄河上流_LN祖先系統に由来する、とモデル化しましたが、残りの祖先系統は標本抽出された系統から特定できませんでした(Zhu et al., 2022)。DCZ_黄河が黄河関連供給源および二次供給源としてのaMMDとして用いられると、qpAdmモデル化は都蘭県人口集団について27.8%の大槽子遺跡人口集団の寄与を推定しました。さらに、現代チベット人はDCZ_黄河からの約10.2%の祖先系統とaMMDと関連する約89.8%の祖先系統の混合としてモデル化されました。この研究の結果は、大槽子遺跡人口集団と関連する遺伝的構成要素の顕著な流入を示唆しており、その後の青海チベット高原高地住民への顕著な遺伝的寄与がありました。
チベット・ビルマ語派人口集団内の非チベット人集団としてのナシ人とイー人は、DCZ_黄河からの約80.2~87.3%の祖先系統およびaMMDと関連する約12.7~19.8%の祖先系統の混合として有効にモデル化されました(図1D)。この証拠から、大槽子遺跡人口集団のその後の人口集団への遺伝的影響は青海チベット高原に限られておらず、チベット・イ回廊地域の現代の人口集団に影響を及ぼし続けたかもしれない、と示唆されます。中原を青海チベット高原へとつなぐ回廊として、河湟谷はシルクロード(絹の道)の南方経路の創設以降に、低地住民と高地住民との間の交易および文化的交流の拠点として機能してきました。歴史的記録によると、河湟谷は唐王朝の文成公主がチベットへ向かう経路で、文成公主はトゥプト王国のソンツェン・ガンポ王と結婚しました。したがって、大槽子遺跡人口集団によって表される河湟地域人口集団の遺伝的組成は、長期にわたって青海チベット高原人口集団の確立に顕著で持続的な影響を及ぼしてきました。
まとめると、本論文は、河湟谷の遺伝的景観に関する視点を提供し、以前には見過ごされていた多様性、および歴史時代と現在の両方での近隣地域との重要な遺伝的つながりを強調します。本論文の調査結果は、持続的な在来の構成要素および現代チベット人集団とのつながりとともに、顕著な黄河関連の遺伝的痕跡を明らかにし、この地域における複雑な人口動態を浮き彫りにします。埋葬および副葬品の特徴から、漢王朝の政策がこの地域の文化と遺伝両方の後世に顕著な影響を及ぼした、と示唆されます。チベット・イ回廊沿いのその後のチベット人集団における大槽子遺跡人口集団の遺伝的遺産は、移住および文化的交流の拠点としての河湟谷の役割を示唆しています。したがって、本論文は、地理的および文化的境界にまたがるヒトの歴史複雑さとその相互作用の解明における古代DNA研究の重要性を論証しながら、河湟谷およびその近隣地域における歴史的政策と移住の持続的な遺伝的遺産に関する説得力のある言説を提示します。河湟谷における人口動態に関する本論文の知見をさらに精緻化するには、より広範な時間規模のより多くの標本によるさらなる研究が必要です。
参考文献:
Chen F. et al.(2015): Agriculture facilitated permanent human occupation of the Tibetan Plateau after 3600 BP. Science, 347, 6219, 248-250.
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