リビアの7000年前頃の人類のゲノムデータ

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、リビアの7000年前頃の人類のゲノムデータを報告した研究の解説(Curry., 2025)が公表されました。この記事は、現在のリビア南西部のタドラルト・アカクス山脈(Tadrart Acacus Mountains)に位置するタカルコリ(Takarkori)岩陰で発見された、牧畜新石器時代となる7000年前頃の人類遺骸2個体のゲノムデータを報告した研究(Salem et al., 2025)の解説です。その研究では、タカルコリ岩陰の7000年前頃の2個体のゲノムの大半(約93%)は、未知の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)で占められている、と示されました。この系統は現生人類(Homo sapiens)系統において、サハラ砂漠以南のアフリカの系統から出アフリカ系統と同じ頃に分岐し、少なくとも一部地域では7000年前頃までほぼ孤立していたようです。タカルコリ岩陰の2個体は遺伝的に、既知の古代人および現代人では、イベロマウルシアン(Iberomaurusian)インダストリーと関連しており、AHP(African Humid Period、アフリカ湿潤期)に先行するモロッコのタフォラルト洞窟(Taforalt Cave)の15000年前頃の採食民と類似しています。


●解説

 現在、サハラ砂漠は砂の海ですが、7000年前頃には、カバやクロコダイルやゾウやキリンが生息する、緑豊かなサバンナでした。5000年以上にわたった湿潤でモンスーンの激しい期間に、人々は今では移動する砂丘に覆われている景観で、狩りや漁撈や最終的には家畜の飼育を行ないました。しかし、そうした人々は誰だったのでしょうか?多くの考古学者は、サハラ以南からの移民が地中海の人々と混合した、と考えていました。しかし、その見解は検証困難でした。「緑のサハラ」以降にサハラを占めていた熱く乾燥した環境のため、古代の骨にDNAはほとんど残りませんでした。今や、遺伝学者と考古学者の研究団がついに、初期サハラ人からの遺伝的データの収集に成功し、それはリビア南部の洞窟に埋葬されていた女性2人です。オクスフォード大学の考古学者であるピーター・ミッチェル(Peter Mitchell)氏は、「サハラから古代ゲノムが得られたのは初めてです。たいへん興奮しています」と述べています。

 今週『Nature』誌の論文(Salem et al., 2025)で報告された調査結果は、当時サハラ以南のアフリカに居住していた人々とは完全に分離していた、以前には知られていなかった人口集団を明らかにします。「驚くべきことです。緑のサハラ全域ではより多くの遺伝子流動を予測していました」と、この研究に関わっていないローマ・サピエンツァ大学の集団遺伝学者であるユージェニア・ダタナシオ(Eugenia D’Atanasio)氏は述べています。

 2003~2006年の間に、考古学者の研究団は、アルジェリアとの国境に近いリビア南西部のタカルコリと呼ばれる岩陰を発掘しました。タカルコリ遺跡は「今ではサハラ砂漠の中央に位置しています」と、サピエンツァ大学の考古学者で発掘指導者であるサヴィーノ・ディ・レルニア(Savino di Lernia)氏は述べていますが、ここで7000年前頃に暮らしていた人々は、1年中湖を見渡していたでしょう。以下は現在のタカルコリ岩陰一帯の写真です。
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 タカルコリ遺跡では、アフリカでは酪農の最古級の証拠となる乳脂肪の染み込んだ土器片(Dunne et al., 2012)や、アフリカ大陸では野生穀類栽培化の最初の痕跡のいくつかが発見されました。近隣の洞窟は、狩猟と牧畜の場面を描いた多くの岩絵で飾られています。タカルコリ遺跡では、8000~400年前頃の間に埋葬された、15人の女性と子供の遺骸もありました。そのうち2人はいずれも40代の女性で、変化する気候パターンがサハラの緑の期間を終わらせた後の、紀元前5000年頃に死亡しました。この女性2ことは乾燥した砂漠の環境によって自然にミイラ化しており、研究者がゲノムを再構築し、その祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を現代および古代の人口集団のデータベースと比較するのに充分な、保存されたDNAが含まれていました。「この水準で保存された標本があるのはひじょうに幸運です」と、EVA(Max Planck Institute for Evolutionary Anthropology、マックスプランク進化人類学研究所)の古遺伝学者で共著者のナダ・サレム(Nada Salem)氏は述べています。

 考古学的調査結果と以前のゲノム研究に基づいて、研究者は以前には、アフリカ北部からの移民が緑のサハラに居住し、その後でサハラ以南のアフリカや地中海東部の人々と混合した、と仮定しました。「人々は、これが回廊だった、と言っていました。結局、動物はサハラ以南のサバンナから1万年以上前に到来しました」と、EVA(Max Planck Institute for Evolutionary Anthropology、マックスプランク進化人類学研究所)の遺伝学者で共著者であるヨハネス・クローゼ(Johannes Krause)氏は述べています。

 むしろ、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)はタカルコリ岩陰の人類の祖先がサハラ以南のアフリカ人とは異なっていたことを示唆しています。他の手がかりは、タカルコリ岩陰の人々の出自がレヴァントではなかったことを明らかにしました。レヴァント地域およびアフリカ外の世界の大半の人々のゲノムには、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)由来のDNAが含まれており、これは、6万~5万年前頃に、現生人類がアフリカから移動し始めて、その近縁なイトコ【ネアンデルタール人】と遺伝子を交換したさいに獲得しました。しかし、保存状態が最良のDNAのあるタカルコリ岩陰の女性1個体のゲノムには、ネアンデルタール人祖先系統がごくわずかしかなく、現在サハラ以南のアフリカに暮らす人々の1/10です。

 一方で、母系で継承されるこの女性のmtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)は、この女性の祖先が、ヨーロッパに最初期の現生人類の移民の一部をもたらした、アフリカの人口集団に由来していたことを示唆します。その人口集団は今では、両大陸【アフリカとヨーロッパ】から消え去りました。「それはサハラ以南のアフリカとは異なる人口集団ですが、現在のアフリカ外の人々とも異なっています」と、サレム氏は述べています。

 謎は残っています。タカルコリ岩陰で発見された土器は、アフリカ北部全域で製作されていた土器と類似しています。これは、サハラ外の人々との接触を示唆しています。しかし遺伝子は、ウシやヤギの放牧など新技術が8300年前頃にもたらされた時でさえ、新たな人口集団との混合を示しません。他の地域におけるそうした技術および文化の変化は、新たな人々の流入を伴うことが多くあります。「緑のサハラは人々の移動の回廊ではありませんでしたが、着想と技術の回廊だったことは確かです」と、ディ・レルニア氏は述べています。

 これらの女性の祖先系統は、束の間の緑のサハラに居住した人々の物語への適切な出発点を提供するものの、もっと多くの研究が必要になる、とミッチェル氏は述べています。20年前のタカルコリ岩陰でのディ・レルニア氏の発掘以降、政治的緊張と暴力によって、この地域の研究は危険になりました。「これはひじょうに興奮することですが、2点のデータ点に基づいて、どの程度確実なのか判断するのは困難です。おそらく、サハラの他の埋葬からDNAが得られれば、より複雑な状況が見えるでしょう」と、ミッチェル氏は述べています。


参考文献:
Curry A.(2025): Skeletons from ‘green Sahara’ offer genetic peek at a lost human population. Science, 388, 6742, 18.
https://doi.org/10.1126/science.adx9095

Dunne J. et al.(2012): First dairying in green Saharan Africa in the fifth millennium bc. Nature, 486, 7403, 390–394.
https://doi.org/10.1038/nature11186
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Salem N. et al.(2025): Ancient DNA from the Green Sahara reveals ancestral North African lineage. Nature, 641, 8061, 144–150.
https://doi.org/10.1038/s41586-025-08793-7
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