原田俊治『新世界の名馬』第2刷

 サラブレッド血統センターより1993年7月に刊行されました。第1刷の刊行は1993年5月です。当ブログを始める前に読んでおり、まだ当ブログで取り上げておらず、最近再読した本も今後当ブログに掲載していくことにしましたが、本書もその一環です。本書は、1970年に初版が刊行された原田俊治『世界の名馬 セントサイモンからケルソまで』(関連記事)の続編となります。本書刊行当時には、ハイセイコーによる熱狂と、その後の安定(停滞?)期を経て、オグリキャップと武豊騎手による競馬人気の沸騰があり、すでにジャパンカップも10回以上行なわれていましたから、こうした世界の名馬物語への需要もかなりあったのではないか、と思います。『世界の名馬』刊行時には、著者は海外経験がなかったそうですが、本書刊行時までに何度かの海外出張を経験して、本書で取り上げられている名馬でも、ニジンスキーやシアトルスルーなどを直接的に見たそうです。また、『世界の名馬』で取り上げられた名馬はいずれも、日本で出走したり繁殖に供用されたりしていませんが、本書で取り上げられている名馬では、日本で繁殖に供用されたサラブレッドこそいないものの、ジョンヘンリーが第2回ジャパンカップ(1982年)に出走しています(1番人気で13着)。

 本書では、『世界の名馬』で収録された最古のサラブレッドであるセントサイモン(サンシモン)よりも古い、18世紀のエクリプスと19世紀のキンツェムや、『世界の名馬』初版刊行後に競走馬として活躍したミルリーフやシアトルスルーやシャーガーなども取り上げられており、より広範囲の年代が対象となっています。それ故に、本書は『世界の名馬』より包括的な近代競馬史としての性格も有しており、本書を通読することで、近代競馬をより詳しく把握できる効能もあります。『世界の名馬』と比較すると、本書では北アメリカ大陸の名馬がより多く取り上げられており、本書で取り上げられているヨーロッパで競争生活を送った名馬にしても、ニジンスキーやミルリーフやアレフランスやアレッジドは北アメリカ大陸産ですから、第二次世界大戦後のサラブレッド生産におけるヨーロッパに対しての北アメリカ大陸の優位を見ることができそうです。

 上述のように、本書で取り上げられた名馬で、日本に来たことがあるのは、第2回ジャパンカップに出走したジョンヘンリーだけですが、産駒が日本で競争馬もしくは種牡馬として活躍したことで、日本でも知名度の高そうな名馬となると、産駒のノーザンテーストが日本で大種牡馬となったノーザンダンサーや、産駒のマルゼンスキーが日本において、競走馬として強烈な印象を残し、種牡馬としてもなかなかの成績を残したニジンスキーや、産駒のミルジョージが日本で種牡馬として大成功し、他にも産駒のマグニテュードが日本で種牡馬としてミホノブルボンなど活躍馬を輩出したミルリーフでしょうか。本書刊行後しばらくして日本で産駒が活躍した名馬となると、ダンツシアトルやタイキブリザードを輩出したシアトルスルーがいます。

 本書で取り上げられている名馬で最も生年が新しいのはシャーガー(1978年生まれ)ですが、シャーガーは種牡馬として供用されていた1983年2月8日に誘拐され、身代金が要求されたたものの、シャーガーのシンジケート事務局は全員一致で支払いに反対し、誘拐から4日目以降に犯人からの電話連絡はまったくないことが明らかになっています。警察は、IRA(Irish Republican Army、アイルランド共和軍)の犯行との見解を発表し、シャーガーは犯人からの電話連絡が途絶えた時点で、殺されたか死亡した、と推測されています。このシャーガー誘拐事件は当時、読売新聞にて「世界一の名馬誘拐」との見出しで大きく報道されたそうです。英愛ダービーとキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを勝ったシャーガーが、当時すでに権威が低下しており、三冠馬の資格があるわけでもないのに、セントレジャーに出走してきたことは、当時驚かれたそうですが、その後に凱旋門賞出走の予定を取り消して引退したこととともに、本書でも理由がよく分からない、と指摘されています。

 そのセントレジャーの権威の低下と関連しそうなのがニジンスキーで、1970年に二千ギニーと英愛ダービーとキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを無敗で制したニジンスキーの陣営は当初、当時すでに権威が低下していたセントレジャーへの出走に消極的だったそうです。しかし、三冠がかかっていることもあり、イギリスの競馬界、とくにドンカスター競馬場の関係者からの強い要請で、馬主はニジンスキーのセントレジャー出走を決断したそうです。ニジンスキーはセントレジャーを勝って無敗で三冠馬となりましたが、次走の凱旋門賞では2着に負けてしまいました。これについて本書でも言及されていますが、ニジンスキーの馬主は、当初計画になかったニジンスキーのセントレジャー出走を後悔していたようです。長距離のセントレジャーでニジンスキーが予想以上に疲弊し、凱旋門賞時のニジンスキーは、主戦のレスター・ピゴット騎手が信じているほどの能力を発揮できなかった、とニジンスキーの馬主は考えていました。おそらく、ニジンスキーがセントレジャーに出走して勝ったものの、凱旋門賞で負けてしまったことで、セントレジャーの権威が決定的に低下したのではないか、と思います。

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