ヒマラヤの人口史

 ヒマラヤの2300年前頃以降の人類の新たなゲノムデータを報告した研究(Bandyopadhyay et al., 2025)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、インド北部のヒマラヤ山脈の2300~100年前頃の7個体および現代人10個体と、ネパールのヒマラヤ中央部の3370年前頃となる人類1個体のゲノムデータを分析し、おもにチベット人関連の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)で構成されていることや、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)由来と推測されている高地適応の遺伝的多様体を検証しています。なお、以下の年代は基本的に較正されています。

 以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、EPAS1(Endothelial Per-Arnt-Sim Domain Protein 1、内皮パー・アルント・シムドメインタンパク質1)、外れ値(outlier、略してo)、WGS(Whole Genome Sequencing、全ゲノム配列決定)、PMD(postmortem damage、死後損傷)、k(kilo years ago、千年前)、ANI(Ancestral North Indian、祖先的北インド人)、ASI(Ancestral South Indian、祖先的南インド人)、DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、cM(centimorgan、センチモルガン)、MSMC2(Multiple Sequentially Markovian Coalescent 2、複数連続マルコフ合着2)、Nₑ(有効人口規模)、CEU(Northern Europeans from Utah、アメリカ合衆国ユタ州のヨーロッパ北部人)、eQTL(expression quantitative trait loci、発現量的形質座位)、TIMP3(Tissue Inhibitor of Metalloproteinases 3、メタロプロテイナーゼ3型組織阻害物質)、GTEx(Genotype-Tissue Expression、遺伝子型・組織発現)、PBS(Population Branch Statistics、人口集団分枝統計)、EGLN1(egl-9 family hypoxia inducible factor 1、egl9族低酸素症誘発因子1型)、FEEMS(fast and flexible estimation of migration surface、移動面の高速で柔軟な推定)、OSL(Optically Stimulated Luminescence、光刺激ルミネッセンス発光)です。

 以下の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)です。本論文で取り上げられる主要な地域と地名は、チベット高原ではガリ(Ngari)県とシガツェ(Shigatse)県と玉樹(Yushu)地域、ネパールではムスタン(Mustang)郡およびラホール(Lahaul)、パキスタンではスワート渓谷(Swat Valley)、インドではラダック(Ladakh)地方とヒマーチャル・プラデーシュ(Himachal Pradesh)州のキナウル(Kinnaur)郡およびスピティ(Spiti)郡、ナイジェリアではイバダン(Ibadan)市です。本論文で取り上げられる主要な人類集団は、シェルパ人(Sherpa)、タマン人(Tamang)、グルン人(Gurung)、テルグ人(Telugu)、サウラーシュトラ・バラモン(Sourashtra Brahmin)、チャンチュ人(Chanchu)、ブラフーイー人(Brahui)、カトリ人(Khatri)です。本論文で取り上げられる主要な国は、ヤルルン(Yarlung、雅魯)王朝、シャンシュン(Zhangzhung、象雄)王国です。本論文で取り上げられる主要な文化は、アファナシェヴォ(Afanasievo)文化、サカ(Saka)文化です。

 本論文で取り上げられる主要な遺跡は以下の通りです。ネパールでは、ムスタン郡のスイラ(Suila)遺跡、ルブラク(Lubrak)遺跡、チョホパニ(Chokhopani)遺跡です。チベット高原では、ガリ県のサングダロングオ(Sangdalongguo、略してSDLG)遺跡とグゲ(Guge)遺跡とルブラク(Lubrak)遺跡、ゾングリ(Zongri)遺跡、ピヤングジウェング(Piyangjiweng、略してPYJW)遺跡、ラガ(Laga)遺跡です。インドでは、ラダック地方のチョスカー(Choskar)遺跡、ヒマーチャル・プラデーシュ州のリッパ(Lippa)遺跡とカナム(Kanam)遺跡とサンルン(Sanglung)遺跡とタシガン(Tashigang)遺跡とキッバル(Kibber)遺跡、です。イランでは、シャハリ・ソフター(Shahr-I-Shokta)遺跡です。トルクメニスタンでは、ゴヌルテペ(Gonur Tepe)遺跡です。


●要約

 チベット高原および高地ヒマラヤ中央部から得られた考古学的および古ゲノム証拠は、相互とのおよび低地のアジア東部や中央部や南部との生物文化的つながりを示唆します。しかし、地理的にアジア中央部および低地アジア南部により近いインド北部ヒマラヤ境界地帯における遺伝的歴史は、依然としてあまり調べられていません。本論文では、インド北部ヒマラヤの古代人7個体(2300~100年前頃)および現代人10個体と、ネパールのヒマラヤ中央部の3370年前頃となる1個体のゲノム規模データが分析されました。ヒマラヤ北部の古代人および現代人はおもに、これらの個体における高地適応多様体の供給源である可能性が高いチベット人関連の遺伝的祖先系統を有しており、1300年前頃と現在との間の年代の全個体で観察される、かなりの草原地帯関連祖先系統があります。さらに、一部の現代人の個体には低地アジア南部人との混合があります。本論文の分析は、ヒマラヤ北部における遺伝的混合と連続性との間の動的な相互作用を明らかにします。


●研究史

 ヒマラヤ中央部およびチベット高原の現在および古代の個体群に関する最近のゲノム研究は、複雑なヒトの人口統計学的歴史を明らかに私的ており、アジアの東部と中央部と低地アジアの人口集団との経時的な遺伝的類似性が示唆されています[1~3、5]。この遺伝的混合は、7~9世紀の間のチベット帝国(ヤルルン王朝)の西方への拡大など、古代の移動と征服の結果です。これらの地域の高地領域のり住民は、低酸素環境への遺伝学的および生理学的適応の兆候も示しており、それには現在のチベット人のEPAS1遺伝子におけるデニソワ人由来の適応的な遺伝的多様体が含まれます。考古学的および民族誌的研究と合わせると、これらの研究は、こうした地域における極限の地球物理学環境的ヒト集団の周辺地域の人口集団との長期の生物文化的相互関連性のさまざまな程度を強調しています。

 古代人および現代人に関する研究は、低地アジア東部供給源からの分離以降の多様なチベット人の遺伝的系統を特徴づけてきました。チベット高原の南端に近いネパールのヒマラヤ中央部に位置する高地(海抜2500m以上)の3444~1300年前頃の間の古代人38個体のゲノムデータから、これら古代の個体は遺伝的に現在のチベット人およびシェルパ人に最も類似している、と明らかになりました[1、2]。これらの個体における遺伝的祖先系統は、黄河流域および周辺地域の古代人集団と関連する高地チベット人系統を表しており、他の研究[3、8、9]でも示されている、標本抽出されていない旧石器時代系統からのわずかな構成要素【最近の研究(Wang et al., 2025)で、雲南省で発見された7100年前頃の個体のゲノムが、現代チベット人に低い割合で寄与している遺伝的構成要素と密接に関連している、と示されました】が伴います。

 さらに、2751~2720年前頃となる先行研究[2]で報告されたチョホパニ遺跡の古代の個体群は、低地アジア東部からの混合を有している、と示されました。その研究[2]は、元々は2018年の研究で配列決定された、チベット高原およびヒマラヤ弧の現在の人口集団のより広範な遺伝的景観も評価しました。ヒマラヤ弧沿いとチベット高原の現代の住民数人は、他のアジア東部の古代人および現代人とよりも、配列決定された古代ネパールの個体群の方と遺伝的に近い、と報告されており、チベット高原東端の集団は低地アジア東部人系統からのより高い遺伝的寄与を示し、チベット高原西端の中程度の標高の集団は、ASIと関連する低地アジア南部供給源からの遺伝的混合を示します[11]。これらの結果は、現在のヒマラヤのいくつかの人口集団をアジア東部現代人とアジア南部現代人の供給源の混合としてモデル化し、高地人口集団は長期の遺伝的浮動に起因して独自の遺伝的構成要素を隠しくした、とする2018年の研究における人口統計学的推測と一致します。

 別の研究[3]はチベット高原の海抜4000m超の29ヶ所の遺跡の5100~100年前頃の間の古代人89個体を分析し、主要なチベット人祖先系統は初期アジア北東部人と関連する遺伝的祖先系統と、現時点では標本抽出されていない深く分岐した系統【上述のように、最近の研究(Wang et al., 2025)で、雲南省で発見された7100年前頃の個体が、この系統と密接に関連している、と示されました】の混合から生じた、と示しました。4700年前頃以降となるチベット高原の北東端の古代黄河農耕民と関連する供給源、および少なくとも2300年前頃以降となるチベット高原の西部および南部におけるアジア中央部古代人集団と関連する供給源からの遺伝子流動が観察されました。さらに最近の先行研究[5]は、3チベット高原西部のガリ県の6ヶ所の遺跡の500~300年前頃の古代の個体群から得られた遺伝的データを報告し、この地域では近隣地域との交易が行なわれてきており、チベット高原全域の仏教の拡大に重要な役割を果たしました。その研究[5]では、3500~3000年前頃より古い個体群がチベット高原南部の古代の個体群と高い遺伝的類似性を共有していたのに対して、2300年前頃のより阿多西井個体群はアジア南部および中央部の古代人集団と混合していた、と分かりました。上述の研究の多くはさらに、デニソワ人関連のEPAS1中核ハプロタイプの派生的アレル(対立遺伝子)頻度における経時的な増加を示し、EPAS1アレルにおける正の選択が非格差的最近まで作用したことを示唆しました。

 これらの研究はチベット高原および近隣のヒマラヤ中央部における複雑なヒトの遺伝的歴史を明らかにしましたが、ヒマラヤ弧北端における混合動態についてはほとんど知られていません。物質文化と関連する証拠は、ヒマラヤ北部のトランスヒマラヤ地帯とアジア中央部とヒマラヤ中央部とチベット高原の古代の遺跡間の長期の文化的つながりを示唆しています。多層構造の人工洞窟や竪穴埋葬や木棺などの多様な慣行を含む、紀元前千年紀から歴史時代の間の埋葬伝統の類似性が、トランスヒマラヤとアジア中央部とスワート渓谷渓谷とネパールのムスタン地域とチベット西部で報告されてきました。関連する物質分久賀と埋葬伝統の重複は、この広大な山岳地帯の人々における文化的および経済/交易的接触との示唆につながりました。

 本論文の目的は、ヒマラヤの北端における混合動態に関する理解の空白に取り組み、アジア中央部とアジア南部とチベット高原の交差点における戦略的位置を考えると予測できるかもしれないように、この地域のヒト集団が経時的に多様な遺伝的類似性を示すのかどうか、評価することです。インド北部のヒマラヤのラダック地方とヒマーチャル・プラデーシュ州から発見された2300~100年前頃の7個体のゲノム規模データが分析され、ネパールのヒマラヤ中央部のムスタン郡の3370年前頃となる以前に分析された1個体[2]が、より高い深度(26.5倍)で再配列決定されました。この研究で配列決定されたすべての古代の個体は、海抜2440~4650mの範囲の高地の考古学的遺跡で発掘されました。さらに、現代人のゲノム文献におけるヒマラヤ北部の提示不足のため、ヒマーチャル・プラデーシュ州の考古学的遺跡の近くに居住する、高地の現代人10個体の全ゲノムが配列決定されました。少なくとも過去1300年間にわたるより広範な遺伝的連続性に加えて、ヒマラヤ北部におけるチベット高原と草原地帯と低地アジア南部の古代人集団と関連する遺伝的祖先系統についての本論文の観察結果は考古学的文献と一致し、高地にも関わらず、この知育における多様な混合ヒト集団の存在を裏づけます。


●データ概要

 この研究では、北部(インドのヒマーチャル・プラデーシュ州とラダック地方)とヒマラヤ中央部(ネパールののムスタン郡)の7ヶ所の高地の考古学的遺跡(図1)の古代人10個体から、ショットガン配列決定データが生成されました。その内訳は、リッパ遺跡(ヒマーチャル・プラデーシュ州、3個体、標本抽出された個体の直接的な年代はありません)、カナム遺跡(ヒマーチャル・プラデーシュ州、1個体、較正年代で2348~2182年前頃)、サンルン遺跡(ヒマーチャル・プラデーシュ州、1個体、1392~1312年前頃)、キッバル遺跡(ヒマーチャル・プラデーシュ州、1個体、1263~1062年前頃)、チョスカー遺跡(ラダック地方、2個体、2267~21年前頃)、元々は低深度で配列決定されたスイラ遺跡(ムスタン郡、1個体、3444~3267年前頃)です。きょくたんに低深度で、さらなる分析から除外されたリッパ遺跡の2個体(リッパ1号とリッパ3号_中心村落)を除いて、平均常染色体深度の範囲は0.0006~26.5倍の間でした。ヒマーチャル・プラデーシュ州のすべての古代の個体は、一般的には石板で覆われた長方形の竪穴埋葬が特徴の石棺埋葬と関連していました。本論文のデータセットには、ヒマラヤおよびチベット地域からこれまでに報告された中で最高の網羅率の古代人のゲノムが含まれます(サンルン遺跡の1個体の16.6倍とスイラ遺跡の1個体の26.5倍)。以下は本論文の図1です。
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 古代ゲノムデータの真正性は、シトシンの脱アミノ化の形態における端末損傷の存在によって検証されました。この研究で配列決定された古代の個体群は、低水準の汚染を示しました(多くの他の古代DNA研究のように、ミトコンドリアの汚染推定値は5%未満でした)。この例外はチョスカー遺跡の2個体それぞれの1点のライブラリ(L1)で、汚染推定値は10%以上となり、さらなる分析から除外されました。本論文で調べられた考古学的遺跡に近い、ラホールとヒマーチャル・プラデーシュ州のスピティ郡およびキナウル郡の現代人10個体についてもWGSデータが生成され、平均常染色体網羅率の範囲は15.7~23.6倍でした。これらの集落のほとんどは接近が困難で、住民の範囲は10~数百人の間と小さな人口規模です。ヒマラヤ北部からの最初に報告される古代DNAデータに加えて、本論文では現代のゲノミクス文献におけるこの地域の代表性を高めるために、共同体の関与する手法にも従いました。この研究で配列決定されたヒマラヤ北部の古代人および現代人と関連する考古学的および人類学的背景についてのさらなる詳細は、補足文献に示されています。


●ユーラシア東西の人々とのヒマラヤ北部の人々の広い規模の遺伝的類似性

 新たに配列決定された個体群の遺伝的差異および類似性の広い規模のパターンを特徴づけるために、いくつかの補完的分析が活用されました。現在のユーラシア人口集団で構築された主成分(PC)に投影すると、カナム遺跡とリッパ遺跡(リッパ2号)とサンルン遺跡とタシガン遺跡とキッバル遺跡のヒマラヤ北部の古代の個体群は、相互およびラホール郡とスピティ郡の現代人10個体のうち8個体(以後、HIM-Aと呼ばれます)と密接にクラスタ化し(まとまり)、アジア東部人の遺伝的クラスタからわずかに離れます(図2A)。これらの結果は、アジア東部現代人で構築されたPCAで再現され、サンルン遺跡とタシガン遺跡とキッバル遺跡の古代の個体群は相互およびHIM-Aと密接にまとまり、ネパールの一部のチベット・ビルマ語派話者集団や、SDLG遺跡およびピヤングジウェング遺跡など2300~2000年前頃の数個体は、アファナシェヴォ文化およびゴヌル1_BAと関連する古代の草原地帯およびアジア中央部の古代人集団[3、5]とまとまります(図2B)。ユーラシア規模と地域的規模の両方での上述の観察は、充分な網羅率のある古代の個体群(つまり、サンルン遺跡とタシガン遺跡とキッバル遺跡の個体群)について、データの完全版と末端削除版の間で一致しており、古代DNAの損傷と汚染は本論文の結果に実質的に影響しなかった、と示唆されます(図2)。以下は本論文の図2です。
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 アジア東部人およびチベット人集団とのこの遺伝的類似性は、ADMIXTURE/astNGSadmix分析でも観察され、サンルン遺跡とタシガン遺跡とキッバル遺跡の個体群およびHIM-A集団は、相互や現代および古代の多くのアジア東部やチベットやヒマラヤの人口集団と遺伝的な祖先構成要素を共有していました(図2C)。具体的には、これらの個体はヒマラヤの現代人集団(高地と中程度の標高地域の、ネパールとブータンとアジア東部北方)および高地ネパールと低地アジア東部北方(アムール川地域と西遼河地域と黄河地域)の古代の個体群で最大化される構成要素を有しています(図2C)。これらの構成要素に加えて、古代と現在両方のヒマラヤ北部の個体群は、ヨーロッパとアジア南部の現代人およびアジアの中央部と南部と西部の古代の個体群で最大化される桃色と橙色の存在を示し、PCAにおける主要なアジア東部遺伝的勾配から離れているこれらの個体の位置を説明できるかもしれません。外群f₃分析も、古代および現在のヒマラヤ北部個体群の、チベット高原や低地アジア東部やヒマラヤ中央部の古代人集団、とくにネパールのルブラク遺跡の3000年前頃の個体群との共有された遺伝的類似性を浮き彫りにします(図2D)。

 最後に、ヒマラヤ北部の個体群で特定された片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアと父系のY染色体)系統は、チベット高原やアジア東部北方の古代人および現代人集団との遺伝的類似性、またアジア西部および中央部および南部の古代人および現代人集団とのある程度の遺伝的類似性をさらに裏づけます。サンルン遺跡の1個体はmtHg-U4aを有している、と観察され、mtHg-U4aは以前にアジア西部および南部の現在の個体群で報告されていますが、YHg-D1(M174)はチベットと日本と中国とタイとアンダマン諸島の古代および現在の個体群で以前に報告されました[3]。これが示唆しているのは、このサンルン遺跡の1個体がアジア東部とアジア西部か中央部か南部の人口集団の両方と関連する遺伝的祖先系統を有していることで、アジア東部人口集団と関連する遺伝的祖先系統は父系、アジア西部か中央部か南部の人口集団と関連する遺伝的祖先系統は母系で媒介されました。これはタシガン遺跡およびキッバル遺跡の他の古代人2個体とは対照的で、この2個体のmtHgはそれぞれB4a4とF1b1c、キッバル遺跡の1個体はサンルン遺跡の1個体でも観察されたYHg-D1(M174)で、これは以前にアジア東部の古代および現在の個体群で報告されました[3、8、26、28]。現在のHIM-A個体群で観察されるmtHg(G1a、G2a1、G2a2、F1g、M13a2)とYHg(CT、O2a2b1a1a)も、チベット高原を含めてアジア東部の現在および古代の個体群で報告されました[2、3、28]。HIM-Aのうち1個体はYHg-N1c1aで、これは以前にヨーロッパ北部とシベリアとアジア中央部の人口集団で報告されました。一般的に、上述のヒマラヤ北部の個体群ではYHgよりmtHgの方で定性的に多様性がより高く、これはネパールおよびチベットの古代の個体群で報告された傾向を反映しています[2、5]。古代から現在にかけてのmtHgとYHgの連続性も観察されませんが、この結果は本論文におる小さな標本規模によって、あるいは、片親性遺伝標識は経時的により高い遺伝的浮動を受けやすいため、偏っているかもしれません。

 対照的に、チョスカー遺跡の2個体とキナウル郡の現代人2個体は現在のアジア東部人とアジア南部人の中間のPC空間を示しており、アジア南部人はおもに、先行研究[11]で報告されたANI-ASI勾配に位置する現在の人口集団で構成されています(図2A)。これらキナウル郡の現代人2個体はHIM-BおよびHIM-Cと分類表示され、HIM-CはHIM-Bと比較してANI-ASI勾配の方へとより近くに動いています。アジア南部現代人との全体的な遺伝的類似性にも関わらず、チョスカー遺跡の2個体はANI-ASI勾配のANI端のより近くに位置しているのに対して、HIM-BとHIM-Cはこの勾配のより中間に位置する人口集団の方へと動いています。HIM-BおよびHIM-Cは地域的なPCA上では、アファナシェヴォ文化集団やシャハリ・ソフター_BA2など[2、5]古代の草原地帯集団とアジアの西部か中央部か南部の集団と関連する、かなりの遺伝的混合を有する1900~300年前頃のガリ県のSDLGおよびグゲ遺跡の個体群に加えて、ネパールのチベット・ビルマ語派話者およびインド・ヨーロッパ語族話者と高水準のANI-ASI遺伝的混合[2]でまとまっています(図2B)。

 PCAで観察されたように、ADMIXTURE/fastNGSadm分析におけるHIM-BとHIM-Cの桃色および橙色の構成要素のより高い割合、および外群f₃分析における低地アジア南部の現代人集団とのより大きな遺伝的類似性も、チョスカー遺跡の2個体におけるより高水準のANI-ASI関連混合を裏づけます。チョスカー遺跡の2個体は地域的なPCAもしくはADMIXTURE/fastNGSadm分析には少ないSNPの重複のため含められまず、外群f₃分析はこの2個体のチベットおよび低地アジア東部古代人との他の世界規模の集団に対するより高い類似性を示しましたが、この分析は少ないSNPの重複にも制約されます。PCAの結果と一致して、チョスカー遺跡の2個体はmtHg-U7aおよびM52を有している、と観察され、両mtHgともにアジア西部および南部の現在の個体群で報告されています。現在の2個体群のうち、HIM-Bがヨーロッパとアジアの西部および中央部および南部の集団で以前に報告されたmtHg-U7a3bおよびYHg-J2bを有している、と観察されたのに対して、低地アジア南部人関連のより多い混合を有するHIM-は、アジア東部およびチベットで観察されてきたmtHg-M9a1a1c1b1a[2、3、5、8、26、28]に分類されました。この結果は、これらの個体における性別の偏った混合の複雑なパターンを示唆しています。


●チベット人およびアファナシェヴォ文化関連集団からヒマラヤ北部への古代の遺伝子流動

 ヒマラヤ北部個体群における、チベット高原およびヒマラヤの両方や、アジアの西部か中央部か南部もしくは草原地帯集団と関連する遺伝的祖先系統の存在を示唆する上述の結果に基づいて、まずD統計が実行され、ヒマラヤ北部の古代人3個体とHIM-Aにおける遺伝的供給源が調べられ、ヒマラヤ北部の古代人3個体とHIM-Aはいずれも、以前の分析で同様の遺伝的類似性を示しました。ヒマラヤ北部におけるアジア東部関連供給源が高地ヒマラヤ中央部(ルブラク遺跡の個体群によって表されます)もしくはチベット高原の古代の個体群とより密接なのかどうか、調べるために、D形式(ルブラク遺跡個体群、古代チベット人;ヒマラヤ北部人、ムブティ人)のD統計分析が実行されました。その結果、ヒマラヤ北部人はルブラク遺跡個体群および5100~300年前頃の間となる他の古代チベット人系統を代表する数個体、とくに先行研究[3]でルブラク遺跡個体群的な祖先系統を有するとモデル化された個体群と、等しくアレルを共有していた、と分かりました。上述の結果の例外は、最古級の配列決定されたチベット人集団であるゾングリ_5.1kおよび玉樹_2.8kなど関連集団の個体群と、シガツェ_1.5k_1とガリ県のグゲ遺跡の1個体やSDLGの外れ値の1個体(SDLG_o)などアジア中央部/南部や草原地帯供給源からのかなりの遺伝的混合を有する個体群での検定で、その中では、ヒマラヤ北部の個体群がこれらの集団とよりもルブラク遺跡個体群の方と有意に多いアレルを共有していました。本論文のD統計の結果から、サンルン遺跡およびタシガン遺跡およびキッバル遺跡の個体群とHIM-A集団は、ルブラク遺跡個体群およびチベット高原集団の両方と広く類似している遺伝的祖先系統を有している、と示唆されるものの、これらの検定は、これら全集団で共有されている祖先系統のため、単一の供給源を特定するのに充分な解像度はない可能性が高そうです。

 さらに、PCAおよびADMIXTURE/fastNGSadmix分析においてこれらの個体で観察された、草原地帯かアジア中央部かアジア西部かアジア南部関連の遺伝的類似性を定量的に評価するために、D検定が実行され、アジア西部とアジア中央部と草原地帯と東トルキスタン【現在は中華人民共和国支配下の新疆ウイグル自治区】の多くの古代人集団およびアジア南部現代人(ANI-ASI勾配人口集団)は、ルブラク遺跡集団とよりもヒマラヤ北部人の方と多くのアレルを共有している、と観察されました(図3A)。ルブラク遺跡集団が比較対象として選択されたのは、外群f₃分析においてヒマラヤ北部人と最高の遺伝的浮動を共有する集団に一貫して位置していたからです。サンルン遺跡の1個体は、他のヒマラヤ北部人と比較して、アジア中央部の古代人数集団とより弱いアレルを共有していましたが、D統計の結果は本論文の上述の結果、およびヒマラヤ北部と地理的に近い古代の個体群、とくに、アジア中央部か西部か南部もしくは草原地帯関連の遺伝的混合を同様に示す、チベット高原西部の古代の個体群を報告した他の研究[3、5]と一致します。以下は本論文の図3です。
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 上述のD統計の結果は、一方でチベット高原およびヒマラヤ中央部、他方でアジア中央部や草原地帯や東トルキスタンやアジア南部(ANI-ASI勾配人口集団)の推定供給源の優先順位付けに用いられ、まずqpAdmを用いてヒマラヤ北部の古代人3個体がモデル化されました。サンルン遺跡とキッバル遺跡の個体は、チベット人関連系統からの84.9~85.8%の祖先系統と草原地帯関連系統からの残りの14.2~15.1%の祖先系統でモデル化されます(図3B)。タシガン遺跡の1個体はチベット人系統からの80.6%の遺伝的祖先系統と、草原地帯関連系統からの残りの19.4%の遺伝的祖先系統でモデル化され、草原地帯関連祖先系統の割合はサンルン遺跡およびキッバル遺跡の個体よりわずかに高くなっています(図3B)。チベット人以外の供給源について、現在のロシアの草原地帯から標本抽出された5000~4000年前頃のアファナシェヴォ文化に分類される個体群からは一貫して、ヒマラヤ北部の古代人3個体全員について有意なモデルが得られました。さらに、一部の低地アジア南部現代人もキッバル遺跡の1個体について合格モデルを生成しましたが、この個体の低網羅率のデータのため、とくに現在のANI-ASI関連のアジア南部と草原地帯とアジア中央部とアジア西部の集団間で共有されている祖先系統に起因して、さまざまな推測から真の兆候を区別することは困難です。

 ヒマラヤ北部の古代人3個体は全員、ネパールのルブラク遺跡もしくはチョホパニ遺跡個体群に対して、チベット高原西部の古代の個体群で優先的にモデル化されましたが、これらの合格したqpAdmモデルにおけるチベット人集団のラガ遺跡個体のデータが低網羅率であることに要注意です。単一の供給源として2供給源モデルで検証された、チベット人もしくは非チベット人集団のどちらかを表す入れ子モデルからは、有意なP値が生成されず(P < 0.05)、これら対称個体について2方向混合の想定が裏づけられました。チベット人関連供給源であるラガ遺跡個体と、アファナシェヴォ文化集団との間の混合は、サンルン遺跡とキッバル遺跡の個体ではDATESを用いて3800~2700年前頃と年代測定され(タシガン遺跡の1個体の結果は有意ではありませんでした)、これは本論文のヒマラヤ北部の古代の個体群に約2000年先行します。まとめると、D統計とqpAdmの結果は、ヒマラヤ北部の最古級の3個体における、チベット人供給源に由来する祖先系統の主要な供給源に加えて、かなりの水準の非チベット人遺伝的祖先系統を浮き彫りにします。本論文の結果から、ヒマラヤ北部ではチベット高原および草原地帯と関連する祖先系統を有する集団からの、経時的なかなりの遺伝子流動があった、と示唆されます。


●ヒマラヤ北部における遺伝的連続性

 サンルン遺跡とタシガン遺跡とキッバル遺跡の古代の個体群において、チベット人供給源および古代草原地帯(アファナシェヴォ文化関連)集団と関連する非チベット人供給源で構成される、異なる2遺伝的祖先系統が観察されましたが、サンルン遺跡の1個体より年代的に新しい他の2個体【タシガン遺跡とキッバル遺跡】およびHIM-Aについて、1供給源としてサンルン遺跡の1個体を用いて、地域的な遺伝的連続性が調べられました。本論文で検証された非チベット人集団は、補足表S7のD統計と、おもにアジア中央部および西部と草原地帯の古代人集団や、アジア南部の現代人を含む、先行研究[3、5]における地理的に近い混合チベット西部集団をモデル化した供給源に基づいて選択されました。タシガン遺跡の1個体は、92.6~95.4%のサンルン遺跡の1個体関連祖先系統と4.6~7.4%の非チベット人関連祖先系統でモデル化されますが、非チベット人関連祖先系統の正確な供給源は決定できませんでした。この2供給源モデルは、チベット人供給源でまとめてモデル化したさいには、サンルン遺跡およびキッバル遺跡の個体とは対照的に、タシガン遺跡の1個体におけるわずかにより高い割合のアファナシェヴォ文化集団関連構成要素を説明できるかもしれません。しかし、タシガン遺跡の1個体についてサンルン遺跡の1個体での単一供給源(入れ子)モデルも除外できず、経時的な100%の遺伝的連続性か、qpAdmではこの個体における既存のアファナシェヴォ文化集団関連祖先系統と密接に関連する供給源からの二次的な混合を解明できないことか、どちらかを示唆しているかもしれません。

 検証されたすべての供給源のうち、有意な混合年代はサンルン遺跡の1個体とアファナシェヴォ文化個体群でのタシガン遺跡の1個体で得られ、1500年前頃と推定されました。この年代はサンルン遺跡とキッバル遺跡の個体におけるチベット人関連祖先系統とアファナシェヴォ文化集団関連祖先系統の混合年代より新しく、タシガン遺跡の1個体の系統における少なくとも2回の混合事象を反映している可能性が高そうで、その一方はサンルン遺跡およびキッバル遺跡の個体と共有されており、もう一方は上述の追加の祖先系統をもたらしました。タシガン遺跡の1個体とは対照的に、キッバル遺跡の1個体と現在のHIM-A集団は、両方ともそれぞれサンルン遺跡とキッバル遺跡の個体によって完全にモデル化でき、実行可能な2供給源モデルはありません(図3C)。HIM-Aにおけるチベット人供給源とアファナシェヴォ文化集団供給源との間の混合は、キッバル遺跡の1個体のこれらの構成要素の連続性を考慮して、1800年前頃と推定されました。古代の個体群とHIM-Aとの間の遺伝的連続性を論証するこれらのqpAdmモデルは、これらの個体間の単系統群性のqpWaveの結果によってさらに裏づけられます。


●ヒマラヤ北部と低地アジア南部との間の遺伝子流動

 他の分析と一致して、ANI-ASI勾配上のいくつかのアジア南部の現在の人口集団とのHIM-BおよびHIM-CのD統計検定において、他のヒマラヤ北部人と比較して、より高い割合のアレル共有が観察されました。HIM-Bはキッバル遺跡の1個体(62.1~72.4%)とアジア南部古代人の祖先と関連する祖先系統を有するアジア中央部/西部の古代人集団(ゴヌル2_BAとシャハリ・ソフター_BA2)もしくはアジア南部現代人(ANI-ASI勾配人口集団)のどちらか(27.6~37.9%)の混合としてモデル化できます(図3C)。本論文の上述の結果とし一致して、HIM-CはHIM-Bよりもかなり高い割合のANI-ASI関連祖先系統(68.9~83.4%)でモデル化でき、残りの祖先系統は、サンルン遺跡とタシガン遺跡とキッバル遺跡の個体によって表されるヒマラヤ北部古代人関連系統(16.6~31.1%)に由来します(図3C)。検証されたアジア南部供給源のうち、ANI-ASI勾配上で中間に位置する人口集団(イギリスもしくはITUのインド系テルグ人とサウラーシュトラ・バラモンとチャンチュ人)では、現在の混合ANI祖先系統の人口集団(ブラフーイー人とカトリ人)もしくは古代のゴヌル2_BAおよびとシャハリ・ソフター_BA2個体群と比較して、最高のP値で実行可能なモデルが生成されるのに対して、混合ASI祖先系統のアジア南部人口集団は供給源として機能しませんでした。これはアジア南部人口集団へと向かうユーラシア特有のPCA上でのHIM-BおよびHIM-Cの変化と一致し、このアジア南部人口集団は、ANI-ASI勾配のより中心に位置し、PCA勾配のANI端に向かうチョスカー遺跡の2個体の遺伝的類似性とは対照的です。

 古代のヒマラヤ北部供給源と低地アジア南部供給源との間の混合は、HIM-Bでは3000~2400年前頃、HIM-Cでは700年前頃と年代測定されました。低網羅率のため、qpAdmを用いてチョスカー遺跡の2個体をモデル化できず、そのアジア南部関連の遺伝的類似性を解明できませんでした。HIM-BとHIM-Cについてのこれらのモデルは、FEEMS分析によってさらに裏づけられます。共同集団として現代人10個体全員を含めると、データへの良好な適合が観察され、ヒマラヤ弧全域で低い有効移動の地域が推定され、低地アジア南部およびアジア東部からアジア中央部までの個体群が分離されます。分析にHIM-BとHIM-Cのみを含めると、障壁の兆候の希薄化が観察され、低地アジア南部とのHIM-BおよびHIM-Cのあり得る遺伝子流動の回廊が示唆されます。逆に、分析からこれらの個体を除外し、HIM-Aの8個体のみを保持すると、障壁は強化されました。前項と合わせると、本論文の結果から、サンルン遺跡の1300年前頃の1個体によって最適に表される古代ヒマラヤ北部系統の遺伝的連続性に加えて、一部のヒマラヤ北部の現代人には低地アジア南部関連供給源との追加の混合があった、と示唆されます。


●ヒマラヤ北部集団の人口統計学的および選択の歴史

 ヒマラヤ北部の個体群におけるかなりの水準の非チベット人遺伝的祖先系統の観察によって、遺伝的混合が、他の高地のヒマラヤおよびチベット高原の集団と比較して、長期の人口統計学的軌跡と自然選択の痕跡にどのように影響を及ぼした可能性があるのか、調べられることになりました。MSMC2分析では、HIM-A個体群を含めて現在のチベット高原および高地ヒマラヤの数集団のNₑの軌跡は、少なくとも2万年前頃までは同様だった、と観察され、この年代は本論文の分析の解像度を超えています。この分析に、ネパールの古代の高網羅率のスイラ遺跡の1個体がさらに統合され、同様の傾向が観察されました。より大きな標本規模を活用し、最近の解像度を向上させるために、現在の人口集団に分析を限定すると、現在のヒマラヤ北部集団やHIM-Aやチベット人やネパールの他の高地ヒマラヤ集団(シェルパ人)を含めてすべての検証された高地集団は、ヨーロッパや低地アジア南部やアジア東部の人口集団よりも、それぞれ35000年前頃と29000年前頃と2万年前頃の分岐以降、より小さなNₑを維持してきた、と分かりました。1万年前頃のHIM-AのNₑにはわずかな増加があり、これはチベット人およびシェルパ人からのHIM-Aの分岐に近い年代です。これは、チベット人とシェルパ人には共有されていないアファナシェヴォ文化集団関連供給源からの、HIM-Aにおけるより新しい混合を反映しているかもしれません。

 まとめると、これらの結果から、現在および古代のチベット高原とヒマラヤの人口集団は同様の長期の遺伝的歴史を共有していたものの、近い過去では異なる人口統計学的軌跡を有している、と示唆されます。MSMC2分析におけるこれら現在の人口集団で観察された低いNₑはROHでも再現され、一部の現在のヒマラヤ北部人とチベット人とシェルパ人や、高地ヒマラヤ中央部(ネパール)の古代人数個体は、小さな人口規模から生じる背景近縁性を反映している、高水準の短いROH(4~8cM)を有しています。すべてこれらの古代人および現代人集団の数個体はさらに長いROH(20cM超)を有しており、これは近親婚で生まれた子供であることを示唆し、この場合は両親がイトコもしくはマタイトコに相当します。現在のヒマラヤ北部の個体群および古代のヒマラヤ中央部の個体群とは対照的に、タシガン遺跡の1個体のROHは観察されず、サンルン遺跡とキッバル遺跡の個体では短いROHのかなり低い割合が観察されました。本論文における標本規模は小さいものの、これらの結果から、遺伝的混合と小さな人口規模と近親婚がともに現在のヒマラヤ北部人口集団の遺伝的多様性に影響を及ぼし、近隣の高地人口集団からだけではなく、遺伝的祖先である同じ地域の古代の個体群とも分化したかもしれない、と示唆されます。

 次に、ヒマラヤ北部人の高地背景から、チベット人やシェルパ人など近隣の高地人口集団[40]における低酸素反応の根底にある最近の正の選択の痕跡が、HIM-A集団に存在していたのかどうか、調べられました。これらの痕跡には、EPAS1およびEGLN1遺伝子における多様体が含まれ、現在および古代のチベット人とヒマラヤ中央部集団における、デニソワ人と関連する供給源からのEPAS1遺伝子座における適応的な遺伝子移入の追加の証拠があります[1~3、7]。HIM-A個体群におけるアファナシェヴォ文化集団関連の混合にも関わらず、HIM-A集団の遺伝的祖先系統の大半はチベット人関連で、予測されるように、EPAS1遺伝子座の周辺におけるデニソワ人関連の遺伝子移入の兆候(図4A・B)、およびEPAS1とEGLN1の両方において選択の兆候(図4C)が観察されました。遺伝子移入の兆候について、アルタイ山脈のデニソワ人との約30%と約80%の一致率の二峰性分布が検出され、これはアジア東部人で報告されたデニソワ人からの遺伝子移入の2回の波[42、43]、およびアルタイ山脈のデニソワ人との約79%の一致率のあるEPAS1の中核領域(2番染色体、参照配列hg19の46552202~46600661)内の遺伝子移入の兆候に相当します(図4A・B)。しかし、この兆候はCEUでのみ検出され、外群としてのナイジェリアのイバダン市のヨルバ人では検出されませんでした。この現象はチベット人で観察されてきており、その理由は、CEUがEPAS1において適応的な遺伝子移入の兆候を有していないのに対して、ヨルバ人の個体群は、深い共有祖先系統かユーラシアからの逆流か他の人類からの亡霊(ゴースト)遺伝子移入に起因する、数ヶ所のEPAS1アレル(対立遺伝子)を有している可能性があるからです[7、42]。以下は本論文の図4です。
画像

 HIM-Aの選択検査において注目すべきは、EPAS1とEGLN1に加えて、SNPのrs5998622において最も強いPBSの兆候の1点が観察されたことで、これは心臓左心耳組織におけるTIMP3遺伝子の顕著なGTExのeQTLです。TIMP3遺伝子は、低酸素状態下の内皮細胞機能障害の原因と知られており、TIMP3における別の1ヶ所のSNPは、日本人集団における高地肺水腫への耐性と関連しており、この遺伝子の抑制は予防的と主張されている、と以前に示されました。このSNPの代替的で派生的なC(シトシン)アレルは、1000人ゲノム計画の1000人口集団すべてやチベット人やシェルパ人と比較してHIM-A集団においてずっと低頻度で、このアレルの正のeQTL効果を考えると、TIMP3は他の世界規模の人口集団と比較して、HIM-Aにおいて平均的な発言がずっと少ない、と予測されます。派生的なA(アデニン)アレルは、があるサンルン遺跡とスイラ遺跡の個体には存在しないと分かり、サンルン遺跡とスイラ遺跡の2個体のみが、この研究において少なくとも1倍以上の網羅率で配列決定された古代人です。しかし、Aアレルは先行研究[2]のネパールの古代人のうち数個体に存在する、と分かりました。将来の機能的ゲノム研究は、この多様体の役割、とくに、ヒマラヤ北部の現代人において一般的に存在する高地適応の遺伝的基盤の理解の拡張が目標となるでしょう。

 ヒマラヤ北部の古代人について、低網羅率データのため、EPAS1およびEGLN1の適応的ハプロタイプへとマッピング(多少の違いを許容しつつ、ゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)された読み取りが調べられました。サンルン遺跡とタシガン遺跡の個体については両方の遺伝子座で、EPAS1の部位が網羅されていなかったキッバル遺跡の1個体については、EGLN1のみで適応的アレルが観察されました。同じ読み取り数が高度に混合した現代人2個体であるHIM-BとHIM-Cで繰り返され、この2個体は選択検査に含まれず、HIM-BとHIM-CはEGLN1では派生的アレルで同型接合と観察されたものの、EPAS1の部位では、HIM-Bは異型接合、HIM-Cは同型接合の参照と観察されました。これは、HIM-BとHIM-Cにおける非チベット人との遺伝的混合の高い割合に由来する可能性が高そうです。さらに、現在のチベット人で報告された[2、3]EPAS1における派生的アレルの頻度(約75~85%)はHIM-Aでの観察(約60~70%)よりわずかに高く、これはHIM-Aにおけるアファナシェヴォ文化集団関連との混合の存在によって説明できるかもしれません。全体的に、ヒマラヤ北部の古代人と現代人においてEPAS1とEGLN1の両方で正の選択の兆候が観察されましたが、これらの個体における非チベット人関連の遺伝的混合のさまざまな水準が、選択された部位におけるアレル頻度に影響を及ぼしてきました。


●考察

 ネパールとチベット高原全区域の高地遺跡における広範な発掘調査からは、ゲノム研究とともに、これらの地域の経時的なヒト集団の文化的および遺伝的類似性への重要な知見が得られてきました[1~3、5]。対照的に、ヒマラヤ北部は、アジア中央部とスワート渓谷とチベット高原の周辺地域間の交易経路とヒトの移動を促進する回廊と考えられているにも関わらず、考古学と遺伝学の両方で依然として広くは調べられてはおらず、この地域とその周辺の初期住民および現在の住民と初期住民の関係に関する知識の不足につながっています。スピティ渓谷における一部の考古学的および文化的調査は、早くも25000~15000年前頃のこの地域におけるヒトの存在を示唆していますが、埋葬されたヒト遺骸の科学的な年代測定は、構造化された居住を2500~1250年前頃に位置づけます。ヒマラヤの北部辺境におるヒトの遺伝的歴史を特徴づけるために、ラダック(インド)とヒマーチャル・プラデーシュ州(インド)とムスタン郡(ネパール)の古代人10個体とヒマーチャル・プラデーシュ州の現代人10個体が配列決定され、古代人10個体のうち8個体では下流分析に充分なDNAが得られました。

 ヒマラヤ北部のヒマーチャル・プラデーシュ州の1300~1100年前頃の間となる古代人3個体のゲノムデータを活用して、異なる2遺伝的祖先系統の証拠が見つかり、それは主要なチベット人構成要素とより低い割合ではあるもののかなりの(16.2%)のアファナシェヴォ文化集団と関連する構成要素で、この2祖先系統は3800~2700年前頃に混合し、標本抽出されたヒマラヤ北部の現代人へと祖先系統をもたらした、遺伝子プールを形成しました。このように、ヒマラヤ北部の標本抽出された地域の少なくとも過去1300年間における、遺伝的連続性と以前には報告されていなかった草原地帯関連の遺伝的祖先系統が見つかりました。上述の古代人3個体に先行するリッパ遺跡とカナム遺跡の2個体が分析されましたが、そのDNA収量が少なかったのは、他の3個体より低い標高に起因する可能性が高く、PCAについてのみ充分なデータが得られました。2300年前頃(本論文のカナム遺跡の1個体の直接的な年代)と2100年前頃(リッパ遺跡のOSL年代)の年代測定の両個体は、アジア東部人および他のヒマラヤ北部の古代人3個体の近くに位置します。ヒマラヤ北部の古代人3個体と同様に、アジア東部勾配から離れているカナム遺跡個体とリッパ遺跡個体の位置から、この2個体は草原地帯関連の遺伝的祖先系統も有していたかもしれないものの、低いゲノム深度のため、その遺伝的歴史のより詳細な理解は制約される、と示唆されます。

 本論文のデータはさらに、ヒマラヤ北部における低地アジア南部との二次的な混合を明らかにしています。ヒマーチャル・プラデーシュ州の現代人10個体のうち2個体は、地域的な遺伝的連続性を裏づけるヒマラヤ北部古代人と関連する祖先系統と、ANI-ASI勾配上のアジア南部人(2個体のそれぞれで約33.2%と約75.8%)の混合としてモデル化され、低地アジア南部とのつながりが示唆されます。これら混合している現代人2個体は、他の8個体の出身であるラホールおよびスピティ郡より標高が低いキナウル郡出身で、低地領域と接触しやすくなります。低地アジア南部人との混合は、標本抽出された2個体よりわずかに低い標高で暮らすタマン人やグルン人などネパールの現代人集団で以前に報告されましたが、それらの集団における混合の程度は、ヒマラヤ北部の2個体[2]よりかなり低くなります(9~19%)。さらに、一部のチベット西部の古代人2個体には、イランおよびインド南部古代人の祖先関連の祖先系統を有するアジア中央部/西部集団(ゴヌル2_BA、シャハリ・ソフター_BA2)からの混合があった、と報告されました[5]。現在の個体群だけではなくラダック地域のチョスカー遺跡の歴史時代の2個体も同様に、ANI-ASI勾配のASI端により近い低地アジア南部人口集団との遺伝的類似性を示します。低深度のためこれらの個体の混合モデル化は制約されましたが、その混合特性は年代およびラダック地域の現代人集団で観察された人口構造と一致します。

 本論文の標本規模は小さく、先行研究[2、3、5]で分析された個体群と比較してやや新しい時代を把握していますが、本論文で分析された全個体には非チベット人遺伝的祖先系統があります。これは、低地アジア東部関連の混合を有するネパールの2700年前頃のチョホパニ遺跡個体群[2]や、草原地帯およびアジア中央部/南部関連の混合を有するチベット西部の2300~1000年前頃の個体群[3、5]に加えて、100%のチベット人遺伝的祖先系統を有する古代および現在の個体群が報告されてきた、近隣の高地領域とは対照的です。これは、ヒマラヤ北部がおそらくは近隣地域により接触しやすく、トランスヒマラヤが経時的にヒト集団にとって移動回廊として機能したことを裏づけます。

 標本抽出されたヒマラヤ北部個体群におけるかなりのチベット人遺伝的祖先系統は、共有されているチベット・ビルマ語派やボン教および仏教と関連する宗教的慣行を含めて、2地域間の文化的つながりによって裏づけられます。トランスヒマラヤとネパールとチベットの境界に居住する人々は、生存と持続可能性のため古代以来移牧と交易に従事しました。これらの山岳地帯における低い農業生産性を考慮して、人々は農耕交易民牧畜民経済に依存しました。過去には、スピティと低地アジア南部およびチベットの近隣地域との間で、オオムギが鉄や茶やヤギなどの交易品の貴重な品目として機能しました。チベットのラサ地域から、スピティ人は水差しや茶や羊毛や琥珀や木器を輸入しました。さらに、トランスヒマラヤ全域で埋葬構造は異なるものの、関連する副葬品の種類における類似性が、チベット西部を含めてこの地域全体の文化的つながりの裏づけに用いられてきました。スピティ渓谷の現在の住民は、ヒマーチャル・プラデーシュ州やラダック地方などインドのヒマラヤの他地域のみならず、グゲなどチベット西部の地域とも交易定期市に参加し続け、生産物を他の商品と交換しました。

 非チベット人との遺伝的混合の供給源と時期も、アジア中央部および低地アジア南部とのヒマラヤ北部のつながりの理解において、重要となります。歴史的記録では、スピティとキナウルの両郡は、おもにチベット西部とラダック地方で構成されているものの、立石の使用などアジア中央部の文化を特徴ととしていたシャンシュン王国(2450~1325年前頃)の一部だった、と示唆されています。チベット北部における草原地帯関連祖先系統は、チベット経由ならば、シャンシュン王国もしくは他の歴史的背景とのつながりを介していたかもしれません。本論文のようにアファナシェヴォ文化集団を遠位供給源の代理として、先行研究[5]では2300~300年前頃のチベット西部の個体群における草原地帯関連祖先系統を見つけました。あるいは、直接的到来ならば、2150~450年前頃までユーラシア全域を横断していたシルクロード(絹の道)【絹の道と呼べるようなユーラシアを広く横断する交易路は、もっと古くから存在したでしょうが】とトランスヒマラヤとの間のつながりが提案されてきており、これはアジア中央部からの移動を支えてきたかもしれない、峠や渓谷によって促進されました。ヒマラヤ北部古代人におけるこの祖先系統の供給源は、上述の2通りの想定と一致し、本論文で得られた混合年代は両事象に先行します(3800~2700年前頃)。

 現在のHIM-A個体群はヒマラヤ北部の古代人3個体(1800年前頃)における同じ供給源の混合年代より新しいものの、標準誤差とHIM-Aの低いNₑによって混乱している可能性を考えると、重複していることに要注意です。注意が必要なのは、ヒマラヤ北部の古代人における混合年代推定値と関連する大きな標準誤差のためでもありますが、これは、タシガン遺跡の1個体についてのわずかにより高い割合のアファナシェヴォ文化集団的構成要素とより新しい混合年代を考えると、こうした地域間の生物文化的つながりがかなり古くて反復的である可能性を示唆しています。トランスヒマラヤとアジア中央部との間のより古い文化的類似性も、地域的な青銅器時代(4000年前頃)のスピティ渓谷におけるペトログリフに基づいて提案されてきており、このペトログリフは、アジア中央部とより広範なトランスヒマラヤ地域におけるマスコイド(mascoid、顔面もしくは仮面の絵画もしくは彫刻)などの芸術模様との類似性がある、と示唆されてきました。さらに、地域的な鉄器時代(3000年前頃)の動物模様は、サカ人など遊牧民のユーラシア草原地帯の部族によってもたらされた、と示唆されています。さらに、文化接触が、岩絵に基づいて、アジア中央部とチベットのラサとの間の交易網の入口として、ラダック地方とアジア中央部とアジア南部北方(カシミール地方、パキスタン、アフガニスタン)の間で提案されてきましたが、この時期は依然として分かっていません。チベット西部の3500年前頃の個体群の混合年代測定結果(草原地帯供給源とチベット人供給源との間の平均混合年代は6000年前頃)に基づいて、先行研究[5]では、チベット高原とアジア中央部との間の接触は限られていたかもしれないものの、数千年前には確立していた可能性が高い、と示唆されました。そうならば、これは同様にヒマラヤ北部に当てはまるかもしれませんが、現時点では、より古い接触を裏づける考古学的もしくは遺伝学的証拠はありません。

 同様に、キナウル地域における低地アジア南部人との混合の供給源は、PCA上でANI-ASI勾配の中間に位置する現在の人口集団によって最適に表されるようです。この地域と低地アジア南部との間の文化的および経済的つながりは、歴史的および考古学的記録で報告されてきました。より古い低地アジア南部とのつながりの裏づけは、ヒマラヤ北部のスピティおよびキナウルや、ネパール中央部のチョホパニ遺跡(2800年前頃)やチベット西部のガリ遺跡(2750~2450)年前頃における貝殻製ビーズの広範な発見を通じて得られてきており、この貝殻製ビーズの起源はアジア南部沿岸と提案されています。低地アジア南部からの歴史時代およびより新しい移動は、キナウル郡および他の近隣の郡のリンゴ園における経済的機会によって促進されてきました。HIM-B(3000~2400年前頃)とHIM-C(700年前頃)におけるヒマラヤ北部供給源と低地アジア南部供給源との間の遺伝的混合年代は、少なくとも過去数千年間にわたるこれらの地域間の継続的な接触を裏づけます。しかし、大きな標準誤差と、アジア南部供給源自体の内部における混合の兆候によって起きる年代の上方への偏りの可能性のため、これらの推定値には不確実性があります。ヒマラヤ北部における草原地帯およびアジア南部関連祖先系統の到来の経路および時期と、これが移住集団とのその場での混合の結果なのか、チベットからのすでに混合した集団のアファナシェヴォ文化集団関連祖先系統の事例における結果なのかどうか、という問題に取り組むためには、これらの地域からのより古いDNAデータが必要です。

 ヒマラヤは険しい地形から構成されており、ヒトと動物の移動を促進した渓谷や峠以外では通行できないことが多くあります。とくに高地のヒトの集落は、一般的に到達が困難で人口は疎らです。本論文の結果はこの見解を補強し、それは、ヒマラヤとチベットの人口集団の長期のNₑが近隣の低地人口集団よりかなり低く、ヒマラヤ北部の現代人は、他のチベットおよびヒマラヤ集団のように、背景近縁性と近親婚の水準が上昇しているからです。しかし、本論文の結果は、ヒマラヤ北部の古代人および現代人の最近の人口史における動態を把握しており、それは、地球物理学的背景にも関わらず、かなりの遺伝的連続性を裏づけており、同時に、ヒマラヤ北部の古代人および現代人を、ヒマラヤ中央部およびチベット高原の他の高地居住人口集団と区別します。考古学的研究と併せると、これらの結果から、ヒマラヤ北部は孤立しておらず、むしろ、トランスヒマラヤをチベットやアジア中央部/草原地帯や低地アジア南部と結びつける重要な文化および移動の経路として機能した、と示唆されます。より広範囲のトランスヒマラヤにおける将来の考古ゲノム学的調査には、本論文で特徴づけられたさまざまな祖先系統がヒマラヤ北部に到来した経路を含めて、この地域の豊富な地理文化史の未解決の側面に対処できる可能性があります。


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