楊海英『中国共産党 歴史を書き換える技術』

 ワニブックスPLUS新書の一冊として、ワニブックスより2025年10月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書の主題は「中国による歴史修正の実態」で、中華人民共和国の経済・軍事・政治力が今後も増大し、中国が覇権国家としての地位をさらに確たるものにした場合、日本でも伝統的な「中華至上主義史観」が新たな装いで声高に主張されるようになり、通時的な「中国」の範囲が、漠然と現代の中華人民共和国の支配領域にまで拡大して印象づけられ、チベットやモンゴルなどに適用される状況が、日中両国で当然の光景になる日が来るかもしれない、などと20年近く前からずっと考えてきたので(関連記事1および関連記事2)、本書を読みました。

 ただ、私のような歴史学や政治学の素人が、中華人民共和国の体制教義的な言説に疑問を抱いて「反論」したところで、的確ではなく、却って中華人民共和国の体制教義的な言説の側に立つ人々(中国に限らず、日本も含めて外国にも存在するのでしょう)にとって隙の多い好都合なものになってしまう危険性が高いことは否定できません。その意味で本書は、現在の中華人民共和国が前面に押し出している主流的な歴史観について、日本への亡命者も含めて近代の「中国人」知識層にまでさかのって内在的理解を試みている点で、私にとって有益でした。なお、本書の対象範囲外ですが、更新世というか「先史時代」の人類史に関する、中華人民共和国の体制教義的見解や、中国の「愛国派」の認識にも私はきわめて批判的なので(関連記事)、今後も関連情報を収集し、時には当ブログで見解を述べるつもりです。

 現代中国の歴史認識について、本書の指摘でまず重要になるのは、「中国」という国名や「中国史」という概念は、梁啓超や康有為(関連記事)が近代日本の初期東洋史学界との対話の中で自覚していったことに、重要な契機があることです。日本への亡命経験もある孫文は当初、「中華」の範囲を万里の長城以南のいわゆる「内地十八省」に限定しており、「漢民族」による新国家建設を構想していました。つまり、満洲やモンゴルやウイグルやチベットなどは「新国家」構想から除外されていた可能性が高いわけです。ただ、実際に成立した中華民国では、そうした地域も領土と主張され、「五族共和」が謳われました。日本滞在経験のある人物としては、郭沫若と廖承志も取り上げられており、郭沫若については、子供の頃の「封建的価値観」への反発から革命運動に参加しながら、中華人民共和国成立後にも、妻を纏足状態にさせ、毛沢東など権力者に迎合したことが指摘されています。廖承志は、中華人民共和国において中日友好協会の初代会長も務めましたが、中国主導の世界革命を夢想し、その中には日本も含まれていたことが指摘されています。

 現代というか第二次天安門事件以降の中国から日本への亡命者については、日本が中国への配慮から欧米よりも慎重に対応し続けたことや、著者自身の体験も踏まえて、必ずしも民主化や自由への真摯な意志があるとは限らず、とくに江沢民政権以降の中国から日本への留学生は、中国共産党の体制教義的な歴史観を強く抱いている傾向にあり、日本の大学で中国からの留学生の割合が高いことは、日本の学術、さらには社会に悪影響を及ぼす懸念が指摘されています。また、中国からの亡命者は、亡命先に溶け込まない傾向があることも指摘されています。本書はその背景として、儒教的観念に基づく中国への帰属意識を見ています。

 こうした近代日本への中国の亡命者や留学生に、後に中国で重要な役割を果たした人物がいたことは上述の事例からも分かりますが、本書は、中国共産党を創設した主要人物である李大釗や陳独秀が、早稲田大学で社会主義思想に触れたことは、中国の公的な歴史では無視される傾向にあることを指摘します。本書は、こうした中国の青年が近代日本で左翼思想を学ぼうとした背景について、いくつかの点を挙げています。まず、漢字が共通していたことです。さらに、当時の日本では社会ダーウィニズムが浸透していたことも挙げられています。社会ダーウィニズムは人種差別や社会的弱者排除の正当化の根拠とされ、伝統的な「中華思想」と親和的な側面があることを、本書は指摘します。社会ダーウィニズムは、漢民族によるモンゴルやウイグルやチベットなど異民族に対する支配を正当化し、「善意による指導」と認識する根拠となったわけです。

 一方で、中国人にとって、自らと文化が大きく異なる「野蛮な」モンゴルなどと異なり、漢字文化圏の日本は中国文化を尊重して学んできた、言わば「弟子」のような存在だったことから、中国が弱体化した近代に侵略してきた日本は深い怨恨の対象になることを、本書は指摘します。本書は、こうした中国社会の認識や、共産党体制の社会構造に基づいて、中国が経済的に発展すれば、「市民的な中産階級」が台頭し、民主化が伸展するだろう、とのかつて「西側」で広く共有されていた認識について、たいへん批判的です。中華人民共和国において富裕になれるのは共産党員か共産党と密接なつながりのある個人や組織だけで、その価値観や行動規範は共産党の論理によって形成されて制約される、というわけです

 本書はこうした知見に基づいて、現代中国における歴史認識の問題点を整理しています。本書が中国の歴史認識で重視しているのは、「正当化」と「正統性」です。中国は、現代の支配領域を歴史的に「中国」とみなし、モンゴル帝国も「中国の地方政権」と位置づけます。本書はこれと密接に関連する問題として、「少数民族」なる概念を挙げます。たとえば、現在中国の支配下にあるチベット人やモンゴル人やウイグル人の人口は何百万人以上にもなり、ヨーロッパの一部の主権国家以上になるのに、「少数」とみなされるのは、多数派の中国人というか漢人視点にすぎず、自らを「唯一の正統」と位置づけ、歴史的に一貫した支配関係や文化的統一性があったとはとても言い難い、広範な地域の多数の人々の支配を「正当化」しているわけです。こうした歴史認識は、現在の中国の支配領域のみならず、ベトナムなどアジア南東部や朝鮮半島や日本列島、とくに琉球諸島にも影響を及ぼしています。

 また本書は、漢や唐など「中華王朝」からチベットなど周辺の国家への「降嫁」を「民族団結の象徴」、農耕社会の「中国」と遊牧社会との実利的で相互依存的な交易を、遊牧社会の「中華文明」への憧憬として解釈するような中国の歴史認識や、漢字の使用を「漢族」の指標とみなすような中国の主張が、外交問題において周辺諸国にとって危険であることを指摘します。じっさい、中国では1950~1960年代の「民族識別工作」で、漢字での姓名表記や日常的な漢字使用といった理由だけで、特定の集団が一方的に「漢族」へと編入されたそうです。こうした「漢族」の恣意的定義は、日本も含めて周辺諸国でも、短期的には大きな問題にならないとしても、潜在的な脅威であることは認識しておくべきなのでしょう。

 こうした中華人民共和国による「歴史工作」を著者も実体験しており、1996年に茨城県立歴史館において「チンギス・ハーンとその末裔たち」と題した展示企画で、著者は展示カタログの編集と「まえがき」の執筆を依頼され、原稿は完成したものの、中国政府は、著者が関与するならば中国領内にある展示品は一切貸与しない、と通告し、著者の原稿は却下され、展示カタログでは中国政府の立場からの「モンゴル史観」が採用されたそうです。チンギス・ハーンも「中国人」というか「多元一体」の「中華民族」の一員とみなすような中華人民共和国の歴史認識の危険性は、朝貢を自国領の根拠とするところにも表れており、琉球王国が大明王朝やダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)に朝貢していたことから(足利政権やその配下の大名も大明王朝に朝貢していましたが)、日本も無縁ではありません。本書は、朝貢とは一種の通商制度で、形式的な儀礼を伴いつつも、実質的には対等な国家間による定期的な交易関係にすぎなかった、と指摘しています。本書は、こうした中華人民共和国の体制教義的な歴史認識が、共産党のみならず、知識層も含めて深く国民に浸透していることを指摘します。その意味で、習近平政権、さらには共産党体制が崩壊すれば、中国の民主化が進む、といった楽観論は、本書が指摘するように疑問です。

 近年日本では、「左翼」や「リベラル」の側から、日本は中国と軍拡競争をしても勝てないのだから諦めよ、といった言説が発せられるのを見かけます。こうした言説の背景に中国政府の工作があるのか、定かではありませんし、そうした日本人のほとんどは「自発的に」発信しているのでしょうが、本書が指摘したような中国政府による歴史認識とともに、中国政府にとって好都合な言説であることは否定できないでしょう。しかし、そうした言説はごく初歩的な詭弁で、日本側には、中国領に攻め込んだり、日中の領土ではないどこかの地域の支配をめぐって中国と争ったりする意思はなく(能力も)、中国側の日本への侵略、もっと現実的には外交交渉に大きく影響するような実効的な軍事的威圧を防ぐだけの(他国とも提携しながらの)軍事力の確保が目的で、中国以上の軍事力を整備する意思も能力もないわけです。まあ、対中で他国との提携を意識しすぎると、第二次以降の安倍政権のようにロシアに手玉に取られる危険性があるわけですが、それはともかく、妥当な選択を取り上げず、いくつかの(しばしば極端な)選択を提示し、一択を迫るような言説は、詭弁に他なりません。

 こうした日中間の「軍拡競争」や本書で取り上げられているような歴史に関する中国側に好都合な認識を発信している一部の日本人が、ほぼ全員「自発的に」発信しているだろうとはいっても、中国側が日本に対してまったく情報工作をしていない、と考えるのも非現実的とは思います。ただ、日本では近年ずっと対中感情が悪く、中国側に好都合な認識というか中国側の情報工作が日本に浸透するのを防ぐうえで、日本社会における否定的な対中感情の強さは重要な「政治的資産」になっている、とさえ言えるかもしれません。しかし、かつて大正期から昭和初期の日本において、世論は軍縮に傾き、陸軍が批判対象となっていたのに、満洲事変を契機に世論が急激に変わった理由として、軍縮志向があまりにも急激で、時間をかけて成熟したものではなかったことも指摘されています(関連記事)。

 近年の日本社会における否定的な対中感情の強さも時間をかけて成熟したものではなさそうで、何か重要な契機があれば、日本社会における肯定的な対中感情が大きく上昇し、漢代以降の「2000年間にわたる(短期間の異常な戦争・対立状態を挟みつつ維持された)中日友好」というような中国側の言説や、中国に従属することを是とし、中国のさまざまな問題点を無視・軽視するような認識が日本の世論で主流派になる可能性は、無視できるほど低くはないように思います。そのように極端な方向へと軽率に行かないためには、中国側の歴史認識とその構造を内在的に理解する必要があり(理解することと賛同することは別です)、本書はそのための手がかりを提供してくれているように思います。

この記事へのコメント

2025年11月01日 09:15
この記事内容を、今朝(11/1)のFacebookのグループ「古代史研究会」にシェア投稿させていただきます。
 HPの琉球国王のルーツを探る 3部作で、沖縄が何故、中国影響が強いかを感じています。
管理人
2025年11月01日 13:15
わざわざご丁寧に連絡をいただき、感謝申し上げます。
熊笹
2025年11月01日 23:44
 日本では「”中国共産党”が中華の範囲を拡大している」という言説が多いですが。反共を掲げ、冷戦期(蒋介石時代)に日本の自民党とも交友のあった国民党の方が領有権を主張する範囲をみると、共産党より”大中華主義”といえることは、本書で指摘されいるのでしょうか。国民党はかつて、共産党が放棄したモンゴルの領有権を主張し、今でもトゥヴァの領有権を主張しています。
 中国本土でも、「一等洋人、二等官、三等少民、四等漢」というポピュラーなネット用語があり、当局を”弱腰”、”少数民族を優遇”、”漢人を脅威に晒す”と批判する事例が多数あります。
管理人
2025年11月02日 06:34
本書では、台湾は「中国」の「不可分の領土」ではない、との認識が示されているためか、ほぼ台湾のみが実効支配領域となって以降の中華民国における「中国」の範囲をめぐる認識については、とくに取り上げられていなかった、と記憶しています。

「中国」の範囲をめぐる大清王朝末期~中華民国期の認識の変容については、モンゴルやウイグルやチベットなどが当初は含まれていなかったと考えられることや、後にそうした地域を「中国」の支配下として当然視しするようになった経緯が社会ダーウィニズムとの関連などで論じられ、そうした「中国」に関する認識の中華人民共和国への継承が指摘されています。