チベット高原南部の人口史

 チベット高原南部で発見された4400~3500年前頃の人類遺骸の新たなゲノムデータを報告した研究(Ran et al., 2025)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、チベット高原南部のマブ湖(Mabu Co)遺跡(Coはチベット語で湖の意味)で発見された4400~3500年前頃の人類16個体の新たなゲノムデータを報告し、遺伝的多様性や基底部アジア遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)との関連を含めて、この地域の人口史を明らかにしています。チベット高原では種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の存在が確認されており[1~3]、デニソワ人と現生人類(Homo sapiens)との関係の観点でも注目されます。以下は本論文の要約図です。
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 以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、EPAS1(Endothelial PAS Domain Protein 1、内皮PASドメインタンパク質1)、LGM(Last Glacial Maximum、最終氷期極大期)、C(carbon、炭素)、AMS(accelerator mass spectrometry、加速器質量分析法)、k(kilo years ago、千年前)、o(outlier、外れ値)、G(group、集団)、NRMSD(normalized root-mean-square deviation、正規化二乗平均平方根誤差)、DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)、SEA(southern East Asian、アジア東部南方)、SEA(northern East Asian、アジア東部北方)です。

 時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)です。本論文で取り上げられる主要な地域と地名は、チベット高原では山南(Shannan)地域とガリ(Ngari)地区とシガツェ(Shigatze)市とヤルンツァンポ川(Yarlung Tsangpo River、雅魯蔵布江)とニアンチュ川(Nianchu River)とチベット・イ回廊(Tibetan-Yi Corridor)、雲南省の中央部の玉渓(Yuxi)市の通海(Tonghai)県の興義(Xingyi)村です。本論文で取り上げられる主要な文化は、仰韶(Yangshao)文化です。

 本論文で取り上げられる主要な遺跡は、チベット高原ではマブ湖(Mabu Co、瑪不錯、略してMbc)遺跡とゾングリ(Zongri)遺跡とガリ地区のゲブサイル(Gebusailu、略してGBSL)遺跡とルブラク(Lubrak)遺跡と蘇熱(Su-re)遺跡、北京の南西56km にある田園洞窟(Tianyuan Cave)で見された4万年前頃の男性1個体(田園洞個体)、陝西省の石峁(Shimao)遺跡、青海省の喇家(Lajia)遺跡、四川省の高山(Gaoshan)遺跡、雲南省の海門口(Haimenkou)遺跡、ロシアのシャマンカ(Shamanka)遺跡です。


●要約

 チベット高原南部は、チベット人集団の定住と半円にとって重要な地域ですが、この地域の長期の人口動態は依然としてよく分かっていません。マブ湖遺跡(海抜4400m)から新たに配列決定された16点のゲノムの分析によって、4400~3500年前頃のチベット高原南部の人口史が再構築されました。在来のチベット高原祖先系統が千年以上にわたって維持されましたが、これらの人口集団内の遺伝的多様性が経時的に観察されました。中国南西部の狩猟採集民人口集団とつながっている興義関連祖先系統を含めて、複数の混合が明らかになり、4400年前頃以後に再びチベット高原南部の古代人口集団に影響を及ぼした、この祖先系統の最初の証拠が提供されます。さらに、mtDNAとYHgから、個体群は限定された父系の保存とともに、より多様な母系の遺伝的多様性を示す、と明らかになります。本論文は、超高地におけるより高解像度の人口史を提供し、極限環境へのヒトの適応の理解に寄与します。


●研究史

 チベット高原における古代人の先史時代は、極限環境におけるヒトの進化に関する理解に寄与します。デニソワ人は早くも16万年前頃にチベット高原に存在し、おそらく4万年前頃まで存続しており[1、2]、LGM前にチベット高原に到来したかもしれない初期現生人類と重複していたかもしれません[3]。その後、考古学的データから、独特な細石刃技術を有する狩猟採集民集団がチベット高原北東端に14000~10000年前頃に到来した、と示唆されています。同様に、現代人の遺伝的データを用いて、チベット人集団は低地アジア東部人と15000~9000年前頃に分岐した、と推定されました。

 農耕技術および関連するシナ・チベット語族がチベット高原へとその後でもたらされ、これは黄河上中流域の仰韶文化と関連する雑穀農耕民の拡大によって7000~5000年前頃に促進された可能性が高そうですが、複数の移住の仮定が議論になっています[8、9]。これはチベット高原全域の広範な雑穀農耕体系の確立につながりました。しかし、チベット人集団では狩猟採集活動が中期完新世(4000年前頃)まで続いていました[11]。4000年前頃以後、顕著な農耕への移行が、家畜化されたヒツジおよびヤギを伴うオオムギおよびコムギに基づく農耕体系の導入とともに起きました。同時に、青銅技術がこれらの発展とともに到来したものの、鉄製人工遺物との層序的関連から、学者はこの期間を紀元後7世紀まで続いた「前期金属器時代」と呼びました。

 古代ゲノムは、この期間のチベット高原の人口史に関する高解像度の証拠を提供できます[17~20、22]。初期古代チベット人(5100~2500年前頃)集団[20]について、ゲノム解析から、その祖先系統は、約80%がアジア東部北方祖先系統、約20%が最近報告された興義_EN関連祖先系統[23]に由来するとモデル化できる、と示唆されています。この雲南省で発見された7100年前頃の興義_EN個体は、アジア系統内の基底部興義関連祖先系統と示され、他の既知のアジアの分岐した系統(たとえば、田園洞個体やオンゲ人)と少なくとも4万年前頃に分離した可能性が高そうです[23]。この複雑な祖先構成に加えて、先行研究はチベット高原内の主要となる地域的な3遺伝的系統を明らかにしてきました[20、22]。その最古級の1系統はチベット高原北東部のゾングリ遺跡の個体群(5100年前頃)によって表され、現時点では、チベット高原の利用可能な最古級の遺伝学的証拠を提供します[20]。しかし、ほとんどの現在のチベット人が海抜3000m以上に暮らすことを考えると、ゾングリ遺跡がチベット高原全体を代表する可能性は低そうで、チベット高原の奥地に暮らす古代チベット人に関する理解は依然として限られています。

 チベット高原南部は平均海抜が4000m超で、過去のチベット高原の住民にとって中核的な居住地域でした。ヤルンツァンポ川の中流域は、チベット高原北部および西部と比較して、完新世以降には比較的温暖な気候が特徴です。現在のチベット人から得られた遺伝学的証拠は、チベット高原が初期の旧石器時代の住民にとって退避地である可能性が高いことを示唆しています。古代DNA研究から、山南地区とガリ地区とネパールの3000年前頃の個体群(山南_3kとGBSLとルブラク遺跡の人口集団によって表されます)は、チベット高原南部祖先系統と呼ばれる一貫した遺伝的特性を示した、と明らかになっています[19、20、22]。じっさい、チベット高原南部祖先系統は周辺地域の人口集団および現在のラサや山南やシガツェの現代チベット人の遺伝的特徴の形成に重要な役割を果たしてきました[20]。より重要なことに、新石器時代は、在来のチベット高原狩猟採集民が雑穀農耕と関連するシナ・チベット語族祖語話者など低地アジア東部農耕民と動的に相互作用した重要な期間を網羅しています。さらに、チベット人とアジア中央部/エジプト人との間の重要なつながりは、3500年前頃以前に現れるかもしれません。さらに、ウシとヒツジの導入や生計経済の変化は、この期間の文化と技術における広範な交流を示唆しています。しかし、以前の遺伝的データの限られた地理的および時間的範囲のため、チベット高原南部の人口集団に関する現時点での理解は、とくに後期新石器時代において依然として断片的で、関連する遺伝的および文化的交流を不明確にしています。

 チベット高原南部人口集団の初期の遺伝的歴史、および周辺人口集団とのつながりに関するより明確な理解を得るために、チベット高原南部のマブ湖遺跡の4400~3500年前頃となる古代人16個体の新たなゲノムが得られました(図1A)。マブ湖遺跡は、ヤルンツァンポ川中流域の支流であるニアンチュ川とつながっている、マブ湖の近くに位置しています。マブ湖遺跡は、古代人のゲノムが回収されたチベット高原奥地の最古級の新石器時代の遺跡です。マブ湖遺跡は海抜4446mに位置しており、4000年前頃以前の在来漁撈狩猟人口集団の湖中心の生活様式を表しています。マブ湖遺跡からのデータの分析を通じて、千年以上にわたる長期の遺伝的動態の研究と、それによる古代チベット高原南部人口集団の遺伝的構成や低地人口集団との相互作用の調査が目指されます。以下は本論文の図1です。
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●標本

 人骨が回収されたチベット高原南部の最古級の新石器時代遺跡である、マブ湖遺跡から新たに標本抽出されたヒトの標本16点について約120万ヶ所のSNPでゲノム規模データが生成されました。人骨の直接的な放射性炭素年代測定の範囲は、5023~3347年前です(図1B)。マブ湖遺跡はマブ湖に近く、魚類がこれら古代の個体の食性の一部なので[11]、直接的な放射性炭素年代測定は炭素貯蔵効果に影響を受けている可能性が高そうです(つまり、水系からの炭素の摂取によって、おもに大気のデータに基づいている年代推定値が偏るかもしれません)。そこで、より控えめな推定値が採用され、同じ層序の陸生動植物の年代に基づいて、マブ湖遺跡の標本は前期(4400年前頃)と中期(4000年前頃)と後期(3500年前頃)に分類されました。

 16個体では、「124万」SNPの配列決定深度の範囲は0.22~3.35倍、SNPの数の範囲は231354~848263ヶ所でした。以前に刊行されたマブ湖遺跡の9個体が親族関係分析のため組み合わされ、相互に親族関係だったのかどうか、判断されました。25個体のうち、3組の親族関係(1親等および2親等)が見つかり、各親族集団について、AMS¹⁴C年代測定とSNP数の多い個体が保持され、密接な親族関係にある個体によってもたらされる、集団遺伝学的分析における偏りの可能性が減少されました。集団ゲノム解析のため、マブ湖遺跡の合計22個体が刊行されているチベット高原全域およびその近隣地域、とくにアジア東部の現在および古代の人口集団と組み合わされました。


●4400年前頃における最初期の古代のチベット高原南部人口集団の遺伝的起源

 マブ湖遺跡個体群の遺伝的特徴を調べるためにPCAが実行され、古代人標本は現在のユーラシアおよびアジア東部人口集団の2通りの一式へと投影されました(図2)。マブ湖遺跡個体群の大半は現在および古代のチベット人集団とクラスタ化し(まとまり)、例外はMbc_3.5k_oです(MabucoNM11、男性)。新たに標本抽出されたほとんどの個体は、依然に刊行された初期のマブ湖遺跡人口集団と密接に一致し、チベット高原南部人口集団の近くでまとまりました。以下は本論文の図2です。
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 個体間の遺伝的距離に基づくPCAとf3およびf4統計を用いて、マブ湖遺跡の22個体が遺伝的に分類されました。初期(4400年前頃、13個体)には、個体群はおもにアジア東部人との類似性に基づいて、遺伝的に異なる3集団(G0とG1とG2)に分類できます。以前に刊行されたMbc4.4k_G1とMbc4.4k_G2は、さまざまな割合のアジア東部祖先系統と混合した(G1は66~71%のチベット高原南部祖先系統+29~34%のアジア東部祖先系統、G2は100%の在来祖先系統)、在来のチベット高原南部祖先系統(山南_3k人口集団[11]によって表されます)を有しています。対照的に、新たに標本抽出された同時代の個体群(Mbc4.4k_G0とMbc_3.5k_G0)は主成分1(PC1)に沿ってG1およびG2とは別々にまとまり、アジア東部南方および北方の人々からは離れています。マブ湖遺跡個体群におけるf3およびf4両方の統計によって裏づけられるこのパターンに基づいて、これらの個体はG0集団と命名されました。個体間の遺伝的距離の程度が、対でのf4分析によってさらに明らかになりました。G1およびG2集団内の個体のほとんどの組み合わせでは有意な遺伝的差異が欠けていたのに対して、G0集団と他の外れ値個体は他の個体と比較して遺伝的に大きな差異の値を示しました。同様の結果はADMIXTUREに基づく祖先モデル化で観察され(図3)、G1およびG2クラスタ(まとまとり)がおもに低い割合のアジア東部低地関連祖先構成要素(茶色の構成要素)によって特徴づけられたのに対して、G0はと外れ値個体は祖先の複雑さの増加を示しました(明るい黄色と桃色の構成要素)。以下は本論文の図3です。
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 新たに特定されたMbc4.4k_G0集団はチベット高原の遺伝的構成要素とわずかに異なる遺伝的類似性を示したので、その遺伝的特性の包括的調査が実行されました。この分析は依然に確立されているチベット高原の遺伝的下部構造に基づいており、南北の異なる祖先系統が特定されました。f4形式(Mbc4.4k_G0、ゾングリ_5.1k;チベット高原古代人、外群)のf4統計を用いてのアレル(対立遺伝子)の統計的要約によって、チベット高原人口集団内のこれら2集団について異なる祖先系統特性が特定され(図4B)、このパターンはf4比統計の結果と一致しており、チベット高原南部の個体群(たとえば、山南_3kやルブラク遺跡個体)はMbc4.4k_G0とより密接に関連している、と明らかになります。これらの調査結果はTreeMix分析によってさらに裏づけられ、チベット高原における南北の系統間の明確な遺伝的分岐が明らかになり、Mbc4.4k_G0とゾングリ_5.1kはそれぞれ、チベット高原における南部と北東部の初期古代次祖先系統として機能する、と確証されます。以下は本論文の図4です。
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 アジア東部人口集団の文脈では、Mbc4.4k_G0とゾングリ_5.1kとの間の遺伝的類似性が、追加のf4(Mbc4.4k_G0、SEA /深い系統;ゾングリ_5.1k、ムブティ人)>0によって実証され、大半のZ は3.0超(3.0 < Z < 13.1)から得られており、Mbc4.4k_G0とゾングリ_5.1kは検証されたSEA /深い系統と比較してより奥の遺伝的類似性を共有している、と確証されました。一貫して、Mbc4.4k_G0とゾングリ_5.1kはqpAdm分析では相互について主要な供給源としてモデル化でき、両者間の高い類似性が確証されます。それにも関わらず、Mbc4.4k_G0とゾングリ_5.1kとの間の微妙な遺伝的差異が、0付近(−0.9 < Z < 2.3)のf4(ゾングリ_5.1k /Mbc4.4k_G0、NEA;Mbc4.4k_G0/ゾングリ_5.1k、ムブティ人)のNEAでの有意でない結果によっても裏づけられるように、f4(Mbc4.4k_G0、ゾングリ_5.1k;喇家_4k/シャマンカ_EN/バイカル_EN、ムブティ人)<0(−4.8 < Z < −3.1)で依然として観察され、Mbc4.4k_G0とゾングリ_5.1kは直接的な姉妹集団ではない、と示唆されます。

 TreeMix分析は、基底部アジア興義関連祖先系統からMbc4.4k_G0への遺伝子流動の兆候の可能性を示唆します(図4C)。これと一致して、qpAdmモデル化から、ゾングリ_5.1kはおもにMbc4.4k_G0祖先系統としてモデル化でき、少量のNEA構成要素(15.2~20.1%)があるのに対して、Mbc4.4k_G0はほぼゾングリ_5.1k祖先系統としてモデル化でき、少量の興義_EN(約6.2%)と混合していた、と示唆されます。これと一致して、qpGraphモデル化では、1件の妥当な再構築が得られ、Mbc4.4k_G0における祖先系統の約36%は基底部アジア興義関連祖先系統に由来する、とモデル化されるのに対して、残りの約64%は北方低地アジア東部人に由来し、これはゾングリ_5.1kなど他の初期チベット高原人口集団と一致します。補完された遺伝的データでの系統に基づく染色体彩色手法を用いると、G0視野における興義_EN と関連する祖先系統の高い割合が一貫して検出されました。要約すると、マブ湖個体群は在来祖先系統を他の初期チベット高原人口集団と共有しているものの、基底部アジア興義関連祖先系統によってもたらされた遺伝的差異が、ゾングリ_5.1k と比較してマブ湖遺跡人口集団の一部で観察されます。

 チベット高原南部のMbc4.4k_G0の遺伝的特性を活用して、初期チベット高原痔の遺伝的景観に新たな光を当てることができます。古代チベット高原南部人口集団とのMbc4.4k_G0の相対的な類似性は、比較の基準を提供します。Mbc4.4k_G0と比較して、Mbc4.4k_G1およびMbc4.4k_G2集団は、有意に正のf4(Mbc4.4k_G 1/Mbc4.4k_G2、Mbc4.4k_G0;NEA SEA、ムブティ人)>0(ほとんどのZは3超)によって証明されるように、低地アジア東部人口集団からのかなりの遺伝子流動を示します(図3D)。これは、Mbc4.4k_G1およびMbc4.4k_G2集団におもに影響を及ぼした、部分的な追加の遺伝子流動の可能性を示唆しています。一貫して、黄河関連構成要素のさまざまな混合水準がqpAdmモデルで得られ、G1およびG2の両方はG0および石峁遺跡の前もしくは中期新石器時代の黄河農耕民人口集団(黄河_MN)と関連する人口集団によって2方向でモデル化できますが、G1とG2における黄河_MN と関連する人口集団の割合は、それぞれ73.2%と48.1%です(図5)。以下は本論文の図5です。
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 この混合はG1については19±6世代前(Zは2.88、NRMSD は0.167、1世代29年と仮定するとG1の364~700年前頃)、G2については19±6世代前(Zは5.09、NRMSD は0.155、1世代29年と仮定するとG2の252~364年前頃)と年代測定できます。したがって、在来のマブ湖遺跡人口集団(その遺伝的特徴はG0によって表されます)は低地アジア東部人によるマブ湖遺跡人口集団の252~700年前頃に遺伝子移入されたされ、それは現在から5100~4652年前頃のことで、この遺伝子移入はG1とG2に異なる影響を及ぼし、マブ湖遺跡人口集団に微細な遺伝的分岐をもたらしました。


●4400~3500年前頃のチベット高原南部における人口動態および遺伝的連続性

 先行研究は、チベット高原全域に散在する多数の考古学的遺跡をおもに対象としており、チベット高原南部古代人の広範な遺伝的概要を提供しているものの、単一の連続的な居住内の時間的な遺伝的動態は依然として不明です。この目的のため、4400~3500年前頃のマブ湖遺跡人口集団の遺伝的特徴が調べられ、その経時的な遺伝的変化が追跡されました。具体的には、これらの個体は3期間に区分され、それは、初期(4400年前頃、11個体)と中期(4000年前頃、9個体)と後期(3500年前頃、2個体)です。

 次に、遺伝的連続性が前期と中期の間のマブ湖遺跡における主要な人口集団の系統を特徴づけていたのかどうか、判断が試みられました。中期(4000年前頃)の人口集団の遺伝的特性に焦点を当てると、Mbc4k_G2として特定された主要な遺伝的構成要素は、個体の対でのf3分析における密接なクラスタ化(まとまること)、およびf4(個体、個体;世界中の個体、ムブティ人)によって検出される共有アレル(対立遺伝子)の水準が有意に異ならないことによって裏づけられるように、前期のMbc4.4k_G2集団との強い遺伝的類似性を示し、有意な遺伝的差異はほとんどない、と観察されました。さらに、人口集団水準のf4検定では、0付近(−0.6 < Z < 2.5)のf4(Mbc4k_G2、Mbc4.4k_G2;他の個体、ムブティ人)前期のMbc4.4k_G2人口集団と中期のMbc4k_G2人口集団との間の遺伝的類似性が確証されました。この連続性はqpAdmモデルによってさらに裏づけられ、Mbc4.4k_G2は前期のMbc4k_G2の単一の供給源としてモデル化できました。その結果、Mbc4.4k_G2とMbc4k_G2は4400~4000年前頃のマブ湖遺跡における遺伝的に連続的なチベット高原南部系統を表します。

 マブ湖遺跡内で観察された連続性を考えて、次に3500年前頃以後のこの主要なG2系統のより広範な地域的存在が調べられました。G2構成要素は標本抽出された後期のマブ湖遺跡の2個体において、主要な寄与者ではありませんでした。しかし、この祖先系統はチベット高原南部全域の同時代の人口集団、とくに山南_3kとルブラク集団において顕著に持続しました。0付近(−2.8 < Z < 2.5)のf4(Mbc4.4k_G2/Mbc4k_G2、山南_3k/ルブラク;他の個体、ムブティ人)で反映された有意な差異がないことと一致して、G2系統はqpAdmによる山南_3kとルブラク集団の単一供給源としても機能する可能性が高そうです。

 マブ湖遺跡の後期(3500年前頃)では、異なる遺伝的特性の個体の存在が明らかになりました。一方の個体SM12(Mbc_3.5k_G0)は、それ以前のMbc4.4k_G0系統と密接に一致します(図3)。Mbc_3.5k_G0とMbc4.4k_G0との間の強い遺伝的類似性は、0付近の分岐しないf4(Mbc_3.5k_G0、Mbc4.4k_G0;他の個体、ムブティ人)によって証明され、Mbc_3.5k_G0を示す祖先モデル化はおもにMbc4.4k_G0に由来します。さらに、追加のその後の基底部アジア興義関連祖先系統からMbc_3.5k_G0への寄与によって生じる交絡因子の可能性を考慮するために、DATES分析が実行され、近い過去の混合が起きたのかどうか、判断されました。Mbc3.5k_G0のDATESモデル化は暫定的に、Mbc4.4k_G2と興義_EN関連構成要素との間の近位混合時間枠を推定しましたが、検証計量は信頼性の閾値を下回り、時間的解像度の最小限の基準を満たしませんでした。これらの統計的に検出力の低い結果は、Mbc3.5k_Gの近い過去の混合系統としての決定的な解釈を妨げます。

 要約すると、4400~3500年前頃のマブ湖遺跡人口集団の遺伝学的動態は、中期における連続性のパターンと前期および後期における遺伝的分化を明らかにします。前期には、このMbc4.4k_G2系統が、より多くの低地アジア東部人からの影響を受けたMbc4.4k_G1や大きくの基底部アジア興義_EN関連を有するMbc4.4k_G0と比較して、チベット高原南部の遺伝的計画を定義する特徴となりました。この主要な系統はMbc4k_G2への遺伝的安定性を論証し、3500年前頃以後の近隣の古代山南_3kおよびルブラク集団へも存続しました。地域的な遺伝的景観の形成において、古代チベット高原南部祖先系統の有意はさらに強固になりました。しかし、3500年前頃までに、遺伝的多様性が再び増加し、これは外れ値個体(NM11)の出現と、個体SM12(Mbc3.5k_G0)におけるチベット高原の純粋祖先系統の復活によって示されます。これらの変化から、チベット高原南部の遺伝的景観は経時的な連続性と遺伝的差異の両方を通じて進化した、と示唆されます。


●中国南西部の狩猟採集民と後期マブ湖遺跡人口集団との間の相互作用

 後期の主要なチベット高原南部人口集団に加えて、1個体NM11は外れ値として際立っており、主要なチベット人集団とは遺伝的に異なります。この個体はチベット高原と深く結びついた独特な遺伝的祖先系統(図2および図3)や、中国南西部の狩猟採集民集団との相互作用の証拠を示しています。主要なマブ湖遺跡人口集団と比較して、NM11(Mbc3.5k_o)は興義_EN系統との強い遺伝的類似性を示しました。このつながりは、f4(Mbc3.5k_o、他の個体;興義_EN、ムブティ人)> 0(ゾングリ_5.1kとMbc4.4k_G0とMbc_3.5k_G0が0付近だったことを除いて、ほとんどのZは3.0超です)によって裏づけられます。

 その遺伝的組成をさらに調べるために、qpAdmを採用し、潜在的な供給源としてより古いマブ湖遺跡人口集団を使って、Mbc3.5k_oがモデル化されました。しかし、より古いマブ湖遺跡集団もしくはゾングリ_5.1kはMbc3.5k_oの単一の供給源としては機能せず、より古いマブ湖遺跡人口集団と他の祖先系統構成要素を含むモデルも合格できず、外部人口集団の導入が示唆されます。唯一の成功したqpAdmモデルでは、Mbc_3.5k_oは64.8%の興義_ENと35.2%のシャマンカ_ENで構成されていた、と提案され、NEA構成要素と組み合わされた、中国南西部の古代の狩猟採集民人口集団との祖先のつながりを反映しています。

 この混合事象の時期をさらに理解するために、DATES分析が適用され、Mbc_3.5k_oにおける興義_EN関連の混合の時期が推定されました。その結果、NEA系統と興義_EN系統との間の混合は8847~7347年前頃に起きた、と示唆されました。この年代は興義_ENの年代(7000年前頃)に近く、この混合事象が基底部アジア興義翰林祖先系統と密接に関連している人口集団で起きたことを示唆しています。


●マブ湖遺跡における父系と母系の間の遺伝的および適応的違い

 古代チベット高原人口集団における独特で多様な文化と相続慣行を考慮して、mtHgとYHgを分析し、異なる母系と父系の歴史で反映されている性別固有の人口統計学的過程の可能性が調べられました。4400~3500年前頃のマブ湖遺跡の古代のmtDNAの結果は、アジア東部人口集団と一般的に関連する多様な範囲のmtHgを明らかにします(図3)。6個体で見られる最も優勢なmtHg-M9a1b1は、古代と現代両方のアジア東部人口集団で充分に確認されており、とくにチベット高原と中国南部で一般的です。D4b2bやD4j1a1やD5やC4a2など他のmtHgは通常、アジア北部および中央部人口集団と関連していますが、チベット高原となど高い標高の地域にも存在し、古代から現在のチベット高原住民の遺伝的連続性を示唆しています。現在のアジア北東部、とくにシベリアおよび中国北部の人口集団とおもに関連するmtHg-A11およびA17の存在は、後期更新世もしくは初期完新世のチベット高原の母系の形成における北方起源を反映しており、アジア東部および南東部の現代人でより一般的なmtHg-F1gは、南東部地域からの相互作用を反映している可能性が高そうです。G3b2およびU2b121など低頻度のmtHgの識別は、マブ湖遺跡における古代の人口集団の遺伝的複雑さをさらに強調します。mtDNAにおけるそうした多様性は、声地環境の制約にも関わらず、マブ湖遺跡人口集団における周辺地域との女性により引き起こされた広範な遺伝的相互作用を示唆しています。

 マブ湖遺跡において、母系と比較して父系継承のY染色体はおもに2系統のYHg(O2aとC2b1b)によって占められており(図3)、これらのYHgは顕著に多様性が低く、低地人口集団からの影響の痕跡を示しています。主要なYHg-O2a2bは9個体で見られました。YHg-O2a2bはアジア東部において初期農耕人口集団と広く関連しており、それには漢人が含まれ、その起源は7000~5000年前頃で、チベット高原への移住と関連づけられてきました。2個体で見られるYHg-C2b1bはアジア北部および中央部の現代人において一般的な系統で、チベット高原の現代の人口集団にも見られ、チベット高原と北方地域との間の遺伝子流動を反映しています。1個体におけるYHg-Dの存在がとくに重要なのは、YHg-DがLGM前に深く分岐した古代の高地人口集団と密接に関連しており、それには現代のチベット人集団とアンダマン諸島集団が含まれるからで、チベット高原における在来チベット人の長期の居住を強調しています。興味深いことに、黄河関連のミトコンドリアハプロタイプ、つまりM9a1b1(12個体のうち3個体)とD4j1は、男性12個体のうち5個体を表しているにすぎないのに対して、黄河関連のY染色体ハプロタイプO2aはマブ湖遺跡において支配的で(12個体のうち9個体)、例外は12個体のうち3個体のみです。この観察は、マブ湖遺跡個体群で観察された低地黄河人口集団からの遺伝的影響は、標本抽出された期間では男系を通じておもにもたらされた可能性がある、と示唆しているかもしれません。

 EPAS1遺伝子は酸素完治経路と関係する低酸素症関連遺伝子で、適応的多様体は、高地適応におけるタンパク質産物の有益な効果のため、チベット人において正の選択下にありました[46]。本論文では、マブ湖遺跡の10個体のうち6個体が適応的なEPAS1遺伝子を有している、と分かりました。女性におけるEPAS1の保有者の頻度は、前期では7個体のうち4個体、中期では3個体のうち2個体です。逆に、男性12個体のうち、5個体がEPAS1遺伝子を有しており、男性におけるEPAS1保有者の頻度は、前期では4個体のうち1個体、中期では6個体のうち2個体、後期では2個体全員です(図3)。


●考察

 約1000年間を網羅するチベット高原南部の古代人16個体のゲノムを通じて、マブ湖遺跡の人々の集団ゲノム科学を再構築し、在来のチベット人に寄与した古代の系統をたどり、経時的な詳しい人口相互作用を追跡し、性別固有の人口統計学的過程を調べることができました。第一に、外れ値の1個体(Mbc3.5k_o)が特定され、その約2/3の構成要素は中国南西部の基底部アジア興義関連祖先系統と関連しているかもしれません。この狩猟採集民祖先系統は雲南において7000年前頃に存在しており、本論文では、チベット高原においてその後に再出現した、と観察されました。これは、チベット高原の古代人とこの狩猟採集民祖先系統を有する集団との間の人口相互作用を示唆しており、それはチベット・イ回廊を通じてのことだった可能性が高そうです。この仮説を裏づけるように、高地の蘇熱ではアジア南東部の伝統と関連する石器技術が明らかになり、チベット高原とアジア東部南西部との間の旧石器時代以降のつながりがさらに実証されます。これらの調査結果から、チベット高原における初期の人口相互作用と文化的交流は依然に推測されていたよりも活発で複雑だった、と示唆され、以前には、後期新石器時代におけるチベット高原東端沿いの南北の交流が強調され、古代チベット・イ回廊祖先系統を表す古代の人口集団の標本抽出が、そうした人口史の説明には重要となるでしょう。

 さらに、本論文は、チベット・イ回廊沿いの移住と相互作用に関する仮説を裏づける、チベット高原の奥地からの最初の古代の遺伝学的証拠を提供します。qpAdmモデル化では、Mbc3.5k_o個体は基底部アジアの興義_EN関連祖先系統とシャマンカ_ENの粉号としてモデル化できる、と示唆されましたが、このユーラシア東部祖先系統構成要素を表すのに現時点で利用可能な、より適切な人口集団の欠如のため、この結果は注意深く解釈すべきです。この場合のシャマンカ_ENは直接的な祖先系統を示唆していない可能性が高いものの、より広範なユーラシア北部採食民祖先系統の代理として機能し、おそらくはアジア北部全域の広範な細石刃関連狩猟採集民集団と関連しています。農耕の影響を受けていない採食民人口集団として、シャマンカ_ENは興義_ENとともにこの地域における初期採食民祖先系統の複雑さを反映している可能性があり、Mbc3.5k_oへの寄与は、中期完新世のチベット高原におけるより古い狩猟採集民関連祖先系統の残存を反映しているかもしれません。

 第二に、経時的なチベット高原南部における動的な人口相互作用が調べられました。注目に値する観察結果は低地アジア東部人祖先系統の混合で、これには石峁遺跡の前となる5100~4764年前頃の人口集団と関連する黄河農耕民の祖先系統が含まれます。先行研究はこの移動を、チベット高原への雑穀農耕技術の導入と関連づけました[13]。遺伝学的証拠[20]から、黄河農耕民はゾングリなどの遺跡に出現し(ゾングリ_4.7k人口集団によって表されます)、チベット高原東部の境界沿いに拡散し、それには四川省(高山遺跡)や雲南省(海門口遺跡)の遺跡が含まれていた、と示唆されています[52]。本論文の観察結果から、黄河からの新石器時代の移動の影響はチベット高原南部の標高の高い地域にも達しており、マブ湖遺跡人口集団の遺伝的構成に大きく寄与し、その微細規模の遺伝的構造を形成しました。興味深いことに、依然に標本抽出されたチベット高原南部の人口集団[22]とは異なり、マブ湖遺跡個体群とアジア南部もしくは中央部の人々との間の遺伝的相互作用は観察されません。マブ湖遺跡におけるG2構成要素の存在は、ネパールにおけるヒマラヤ山脈の南側斜面の考古学的遺跡の人口集団との類似性を示しており、3400年前頃のヒマラヤ山脈を横断する相互作用の可能性が示唆されますが[19]、そうしたつながりがより広範なアジア南部平原にまで広がっていたのかどうか、依然として不明です。

 考古学的記録から、アジア南西部および南部の物資やアジア中央部からの栽培作物および家畜は3500年前頃以前にチベット高原に到達していた、と示唆されますが、アジア南部および中央部祖先系統の遺伝的痕跡はこれまで、2300年前頃となるその後の期間のチベット高原西部の個体群では観察されておらず、本論文の観察結果は、そうした交流が4400年前頃にチベット高原南部全体に広がったいなかった可能性を示唆しています。チベット高原の遺伝的景観は、外部からの遺伝子流動に加えて、複雑な地理的要因によって形成された可能性が高そうです。山岳地帯はヒトの移動性を制約し、遺伝的孤立を促進したかもしれませんが、ヤルンツァンポ川など主要な河川は自然の回廊として機能したかもしれず、長距離移動を可能としました。これらの地理的要因は、チベット高原全域の限定的な標本抽出と相まって、混合モデルの解像度と精度に影響を及ぼすかもしれません。基底部祖先系統と外部からの遺伝子移入に関する解釈が暫定的と考えられるべきなのは、観察された痕跡が標本抽出されていない人口集団とのより広範な遺伝子流動の景観を反映しているかもしれないからです。チベット高原内の個別の下部人口集団の形成と相互作用も、依然として解明が困難です。とくに後期で利用可能な個体数が限られており、それが人口集団水準の推測の信頼性を制約する、と考えると、これらの相互作用の時期と規模と性質には、拡張データセットを用いてのさらなる調査が必要です。

 最後に、マブ湖遺跡の人口構造の形成における、男女間の微細な差異も観察されました。母系継承のミトコンドリアゲノムの多様性は、父系継承のY染色体より高かった、と分かりました。mtHgがほぼチベット人に典型的なのに対して、Y染色体は低地アジア東部人に典型的なYHgが優勢でした。これは、低地の男性農耕民が農耕技術をチベット高原にもたらしただけではなく、マブ湖遺跡人口集団の遺伝的構成の形成において重要な役割を果たした、と示唆しています。興味深いことに、マブ湖遺跡内では、高地適応の重要なあアレルであるEPAS1は当初、女性で観察されましたが、その後で、男性において適応的な差異が発達し始めました。後期における【ゲノムが解析された】女性の欠如を考えて、性別固有のEPAS1低遺伝子の分布の比較分析は、フィッシャーの正確確率検定を用いて初期と中期に限定されました。わずかに有意なp値(本論文では、小規模標本検定で一般的に用いられる、0.1の有意閾値が詮索されます)が両性間で初期段階の遺伝子保有率において得られますが、そうした有意性は中期では観察されず、経時的なおもに女性から男女両方へのEPAS1アレル保有者の分布における変化が示唆されます。適応的アレルの性別の偏った分布のこのパターンが、前期(4000年以上前)のチベット高原全域でより広く存在していたのかどうか、調べるために、古代人127個体から刊行されているEPAS1遺伝子型データが収集されました。4000年以上前の39個体のうち、マブ湖遺跡個体群と同様のEPAS1保有頻度における性別の違いが観察され、男性のアレル保有頻度が45.8%(24個体のうち11個体)だったのに対して、女性のアレル保有頻度は73.3%(15個体のうち11個体)でした。しかし、上述の分析の統計的検出力はかぎられており、それはごく少数の個体が利用可能であることには、言及する価値があります。

 これらの遺伝的変化とともに、文化的多様化が明らかでした。マブ湖遺跡における埋葬慣行は、経時的に多様化しました。前期には、後期新石器時代の青海地域の黄河上流と同様の埋葬慣行である、俯け伸展葬(P)が埋葬の大半で優勢でしたが(図3)、中期には、二次埋葬(S)や胎児のような姿勢の埋葬(F)など、多様な他の埋葬様式が存在します。同様に、外来人工遺物のより豊富な配列の発見は、文化的相互作用と多様性の増加を強調します。

 要約すると、チベット高原南部の古ゲノム科学は、高地の人口定住の初期段階における人口動態の変化を再構築します。古代チベット高原南部痔は北東部の農耕痔とつながっていましたが、このチベット高原南部祖先系統は4400年前頃以降存続して、周辺地域に広く寄与したようです。さらに、チベット・イ回廊沿いの中国南西部からの基底部アジア興義関連祖先系統との相互作用もありました。限られた個体数に基づいているものの、母系における多様性と、女性が【高地】適応的アレルを【男性より】わずかに高い頻度で有している、との観察結果は、チベット高原の初期段階における男女の人口統計学的歴史の違いを示唆しているかもしれません。マブ湖遺跡におけるチベット高原祖先系統の存続と変化に関する本論文の新規の想定は、チベット高原中府の先史時代の遺伝的歴史の限られた理解を埋め、チベット高原の考古学的分化およびチベット高原への適応のためのヒトの行動に関する研究にも情報を提供します。


●この研究の限界

 この研究は1ヶ所の遺跡の比較的少数の個体に基づいており、これはとくに後期において、人口集団水準のパターンの解像度を制約します。興義_ENやシャマンカ_ENと関連する祖先系統など、本論文で報告される祖先系統は、より適切な参照人口集団が現時点では欠如していることを考えると、暫定的と考えられるべきです。チベット高原全域の地理的網羅率も依然として不完全で、遺伝子流動および下部人口構造の一部は依然として解明されていません。最後に、EPAS1を含めて、性別固有の過程と適応的アレルの分析は標本規模によって制約されており、統計的信頼性は低下します。将来の拡張データセットは、これらの観察結果を明らかにし、補強するのに役立つでしょう。


参考文献:
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