バルカン半島の上部旧石器時代人類のゲノムデータ

 ヒト進化研究ヨーロッパ協会第15回総会で、バルカン半島の上部旧石器時代人類のゲノムデータに関する研究(Sümer et al., 2025)が報告されました。この研究の要約はPDFファイルで読めます(P214)。[]は本論文の参考文献の番号です。以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、LGM(Last Glacial Maximum、最終氷期極大期)です。

 本論文で取り上げられる主要な文化は、グラヴェティアン(Gravettian、グラヴェット文化)と続グラヴェティアン(Epigravettian、続グラヴェット文化)です。本論文で取り上げられる主要な遺跡は、セルビア東部のマイダンペク(Majdanpek)近郊のコジャ洞窟(Kozja Cave)とその近隣のマラ洞窟(Mala Cave)、イタリア南部のプッリャ州(Apulia)のパグリッチ洞窟(Grotta Paglicci)とオストゥーニ(Ostuni)遺跡とヴィッラブルーナ岩陰(Riparo Villabruna)遺跡、チェコ共和国のドルニー・ヴェストニツェ・パブロフ(Dolní Věstonice-Pavlov、略してDV、DLV)遺跡、オーストリアのクレムス・ヴァハトベルク(Krems-Wachtberg)遺跡、フランスのフルノル(Fournol)遺跡です。

 2020年に、セルビア東部のマイダンペク近郊に位置するコジャ洞窟の上部更新世堆積物から、ヒトの下顎断片コジャ1号が発掘されました。この標本は全体的に現生人類(Homo sapiens)の形態を示しますが、興味深いことに、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)とより一般的に関連している特定の特徴(たとえば、水平楕円形の下顎孔)を示します。コジャ1号は頑丈な成人個体を表しています。コジャ1号は第2a2層から回収され、ホラアナグマによって攪乱された状況内で、中部旧石器人工遺物と関連しています。放射性炭素年代測定は、95%の確率で較正年代では32080~31550年前の年代を明らかにしており、グラヴェット文化との関連が示唆され、その遺物は第1c3層や近隣のマラ洞窟でも発見されました。

 LGMの前には、グラヴェット文化と関連する遺伝的に異なる2集団が33000~26000年前頃の間にヨーロッパに居住していました[1]。これらのうち1集団には現代のチェコやオーストリアやイタリアのヨーロッパ東部および南東部の遺跡群が含まれ、ドルニー・ヴェストニツェ・パブロフ遺跡に因んで、「ヴェストニツェクラスタ(まとまり)」と命名されました[1、2]。第二の集団は「フルノルクラスタ」で、現在のフランスとスペインのヨーロッパ西部の遺跡から構成されます[1]。ヴェストニツェクラスタによって表される東方グラヴェティアン祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)は以前には、LGM後の人口集団では見つかっていませんでした[1]。

 コジャ1号標本は、古代DNAの解析によって、mtHg-U5を有する男性見たいに分類され、mtHg-U5は後期旧石器時代および中石器時代狩猟採集民においてひじょうに一般的で、すでにグラヴェティアン関連個体群で観察されていました[1]。コジャ1号のYHgは、ヴェストニツェクラスタと関連する他の個体でも見られるC1a2です。常染色体水準では、コジャ1号は他の東方グラヴェティアン個体群とともに分類されますが、ヴェストニツェ43号と最高の遺伝的類似性を有しています。

 まとめると、これらの2個体は、ヴェストニツェ162号やヴェストニツェ132号やDV14号(DLV005)[1、2]やDV15号(DLV006)[1、2]や、オーストリアの他のグラヴェティアンの1個体(オーストリア_クレムス1_14)が含まれる、ドルニー・ヴェストニツェ文化における主要集団とは異なる遺伝的下部クラスタを表しています。コジャ1号とヴェストニツェ43号の下部クラスタは、パグリッチ121号やオストゥーニ2号などイタリア南部で見つかったグラヴェット文化と関連する個体群とも遺伝的にはより遠くなっています。さまざまなf4統計を用いると、イタリア半島のいくつかのLGM後の続グラヴェティアン関連個体は、ヨーロッパ全域の他のグラヴェティアン個体とよりも、コジャ1号およびヴェストニツェ43号の方と有意に高い類似性を示す、と分かります。

 この調査結果から、コジャ1号およびヴェストニツェ43号の下部クラスタと、2万年前頃にLGMが始まった後にイタリア半島に居住した続グラヴェティアン関連人口集団(ヴィラブルーナクラスタ)[2]との間で、遺伝的交換があったかもしれない、と示唆されます。このLGM後人口集団は、バルカン半島からイタリア半島へと西方に移動した可能性が高そうです。このLGM後人口集団はその移動の間に、バルカン半島でコジャ1号およびヴェストニツェ43号集団の子孫と遭遇し、両集団間の遺伝的交換後に西方への拡大を続けたかもしれません。この提示された結果によって、コジャ1号はバルカン半島中央部の最古級の現生人類のゲノムとなり、東方グラヴェティアンの人口構造や、LGM後にヨーロッパの大半に居住したヒト集団との関係への知見を提供します。


参考文献:
Sümer AP. et al.(2025): A new Denisovan genome sheds light on the peopling of Asia and Oceania. The 15th Annual ESHE Meeting.

[1]Posth C. et al.(2023): Palaeogenomics of Upper Palaeolithic to Neolithic European hunter-gatherers. Nature, 615, 7950, 117–126.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-05726-0
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[2]Fu Q. et al.(2016): The genetic history of Ice Age Europe. Nature, 534, 7606, 200–205.
https://doi.org/10.1038/nature17993
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