モンゴル中央部後期青銅器時代人類のゲノムデータ
モンゴル中央部後期青銅器時代人類のゲノムデータを報告した研究(Lee et al., 2025)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、モンゴル中央部の後期青銅器時代人類のゲノムデータを報告し、異なる2種類の埋葬様式に対応する異なる遺伝的2クラスタ(まとまり)を明らかにしました。この2集団間では、共存していたにも関わらず、遺伝的混合は限られており、異なる埋葬様式が維持されました。モンゴル中央部におけるこの遺伝的構成と埋葬様式は、前期鉄器時代の新たな文化によって置換されました。また、モンゴル中央部の後期青銅器時代集団のゲノムに見られる、ユーラシア西部由来のわずかな遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の起源も検証されました。
以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、cM(centimorgan、センチモルガン)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、KIN(Kinship INference、親族関係の推測)、ANA(Ancient Northeast Asian、アジア北東部古代人)、o(outlier、外れ値)、Fc(figure-shaped individuals from central Mongolia、モンゴル中央部の人物像形個体群)、Sc(Slab Grave individuals from central Mongolia、モンゴル中央部の石板墓個体群)、Fe(figure-shaped individuals from eastern Mongolia、モンゴル東部の人物像形個体群)、So(lab Grave individuals from outside central Mongolia、モンゴル中央部外の石板墓個体群)、FcSc(ratio of average IBD shared between Fc and Sc、FcとScの間で共有される平均IBD比)、FeSc(ratio of average IBD shared between Fe and Sc、FeとScの間で共有される平均IBD比)、AMS(accelerator mass spectrometry、加速器質量分析法)です。
以下の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、LNBA(Late Neolithic/Bronze Age、後期旧石器時代~青銅器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EBA(Early Bronze Age、前期青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)、MLBA(Middle to Late Bronze Age、中期~後期青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)、EIA(Early Iron Age、前期鉄器時代)です。
本論文で取り上げられる主要なモンゴルの地名は、バヤンウルギー県サグサイ(Sagsai)地区、東部のフブスグル(Khovsgol、Khövsgöl)県、フブスグル・アイマグ(Khovsgol aimag)地区、アルブラグ・サム(Arbulag sum、略してARS)地区、北タミル渓谷(North Tamir Valley)、オルホン川上流域(Upper Orkhon Valley)です。本論文で取り上げられる主要な文化は、DSKC(Deer Stone-Khirigsuur Complex、鹿石ヒルギスール複合体)、石板墓(Slab Grave、略してSG)文化、チェムルチェグ(Chemurchek、Khemtseg、Qiemu’erqieke)文化、ウランズーク(Ulaanzuukh)文化、アファナシェヴォ(Afanasievo)文化、ムンクハイルハン(Mönkhkhairkhan)文化、セロヴォ(Serovo)文化、グラズコヴォ(Glazkovo)文化、アンドロノヴォ(Andronovo)文化、シンタシュタ(Sintashta)文化です。
本論文で取り上げられるモンゴルの主要な遺跡は、オルホン川上流域のアル・ブラン(Ar Bulan、略してABL)遺跡とアル・モドニー・アダグ(Ar Modny Adag、略してAMY)遺跡とマイハン・トルゴイ(Maikhan Tolgoi、略してMKT)遺跡とオール284(OOR-284、略してSOV)遺跡、北タミル渓谷のフルウギイン・ウズール(Khuruugiin uzuur、略してKHG)遺跡と(Tsats Tolgoi、略してTST)遺跡です。本論文で取り上げられるモンゴル以外の主要な遺跡は、ロシアのクラノヤルスク・クランスク(Krasnoyarsk Kansk)遺跡とアルジャン1(Arzhan 1)遺跡とトゥンヌグ0(Tunnug 0)遺跡です。なお、当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、以下の翻訳では本論文の「civilization」を「文明」と訳します。
●要約
酪農牧畜は前期青銅器時代にモンゴルに到達し、DSKCや人物像形/ウランズーク埋葬を含めて多様な埋葬慣行の出現とともに後期青銅器時代に繁栄しました。牧畜の拡大は広く研究されてきましたが、これら異なる埋葬伝統の牧畜民集団間の相互作用は、ゲノムデータと埋葬データの両方の取得が困難なため、依然として未解明です。本論文では、異なる埋葬慣行の牧畜民が集中した重要な地域である、モンゴル中央部の古代人30個体から得られた、ゲノム規模および埋葬データが分析されました。後期青銅器時代を通じて、別々の埋葬様式に対応する遺伝的に異なる2クラスタが特定され、共存していたにも関わらず、限られた遺伝的混合と異なる埋葬慣行の維持が示唆されました。
これらの集団は最終的に、前期鉄器時代において石板墓人口集団の拡大と新たな埋葬伝統の確立によって置換されました。最後に、後期青銅器時代のDSKC人口集団の遺伝的起源が精緻化され、金石併用時代/前期青銅器時代のアファナシェヴォ文化および前期青銅器時代チェムルチェグ文化人口集団に、わずかなユーラシア西部祖先系統がたどれました。本論文は、先史時代のモンゴルにおける大きな埋葬の変容の微細規模の遺伝的追跡を提供し、アジアの古代牧畜民社会を形成した、複雑で分岐した過程への知見を提示します。
●研究史
現在のモンゴルおよびその周辺地域を含むユーラシア東部草原地帯は先史時代以来、人口移動と文化的交流の中心として機能してきました。この動的な歴史を反映して、ユーラシア東部草原地帯における最近の古代ゲノム研究は、さまざまな考古学的伝統と関連する異なる遺伝的特性を明らかにしてきました[1、2]。たとえば、金石併用時代(紀元前3000~紀元前2600年頃)およびEBA(紀元前2600~紀元前2000年頃)には、ユーラシア西部草原地帯の北コーカサス地域起源の人口集団がモンゴルに移住し、草原地帯の環境において高度に生産的な生計戦略である遊動的な酪農牧畜をもたらしました[1、3]。アファナシェヴォ文化(紀元前3300~紀元前2700年頃)と関連するこれらの人々は、モンゴルではわずか数ヶ所の埋葬で表されています。しかし、その遺伝的遺産は、ジュンガリア盆地とモンゴル西部のアルタイ山脈の遺跡で知られている、その後のチェムルチェグ人口集団(紀元前2600~紀元前2000年頃)へと続きました[1、11、12]。MBAはあまり報告されておらず、モンゴル西部および北部で見られる限定的な数のムンクハイルハン埋葬によって表されます。LBA(紀元前1500~紀元前1000年頃)までには、モンゴルでは牧畜が生計の主要な形態となり、この期間の埋葬はモンゴル全域で発見されています。考古学的研究はLBAのモンゴルにおける2種類の異なる埋葬伝統を特定しており、それぞれの地理的分布ははほぼ重なっていません。一方はモンゴル東部および南部における人物像の形と関連する墓で、もう一方はモンゴル北部および中央部におけるDSKCと関連する古墳です(図1)。以下は本論文の図1です。
石人(石像)形の墓(紀元前1450~紀元前1000年頃)はおもにモンゴル東部および南部で、ウランズークおよび亜鈴形の墓とともに見られ、これは限られた数の遺跡でのみ見られる異形です(図1)。多様な形態の蓮が報告されてきましたが、関連する伝統を表している、と示唆する考古学的特徴を共有しています。ウランズーク埋葬の個体群から得られた遺伝的データでは、その祖先系統はおもに、先史時代のアジア北東部の狩猟採集民に広く分布していた遺伝的集団であるANAに由来する、と示されてきました[1]。これまで、ウランズーク文化以外で、石像形の埋葬で報告された古代ゲノムはありません。
古墳、とくにサグサイ埋葬とヒルギスール(大型の礫を配した石囲いが高い積石塚を一巡する墓)や鹿石などの記念碑は、一般的にモンゴルの西部や北部や中央部で見られ(図1)、DSKC文化に分類されています。以前の遺伝学的研究は、DSKC文化と関連する個体群を異なる遺伝的特性に基づいて2集団に区分し、それはモンゴル北部の「フブスグル_LBA」とモンゴル西部の「アルタイ_MLBA」です[1、3]。フブスグル_LBAの祖先系統のほとんどは、LNおよびBAのセロヴォ・グラズコヴォ文化で報告されたように、バイカル湖地域の在来遺伝子プールに由来し、少量のユーラシア西部祖先系統が伴います。一方で、アルタイ_MLBA個体群はフブスグル_LBAおよびMLBA、アンドロノヴォ文化集団と関連するユーラシア西部遺伝子プールの混合した祖先系統特性を有しています[1、3]。
これらBAの古墳とその独特な遺伝的特性は、EIA(紀元前1000~紀元前300年頃)が始まった石板墓文化の出現とともに消滅しました。石板墓文化(紀元前1100~紀元前400年頃)はモンゴル東部および南部の石像形の墓から出現し、北方では遠くバイカル湖地域までモンゴル中央部および北部へと広がり、以前のDSKC文化を置換しました。興味深いことに、ヒルギスールや一部の鹿石の石材は、石板墓建造のため再利用されました。モンゴル北部およびバイカル湖地域の古代ゲノムデータから、石板墓文化集団の遺伝的特性の出現はEIAにおけるフブスグル_LBA人口集団の消滅と関連しており[3]、考古学的記録で観察された葬儀の転換を反映している、と示されてきました。
考古遺伝学的研究は、LBAおよびEIAにおけるモンゴルのより広範な遺伝的景観への貴重な知見を提供してきましたが[1、3]、さまざまな遺伝的および埋葬集団間の複雑な局所的相互作用が依然としてほぼ未開拓です。たとえば、異なるLBA牧畜民集団間(つまり、DSKC対石像)の報告されている強い遺伝的分離祖し、古代ゲノムの限定的で地理的に分散した標本抽出のため誇張されているかもしれません。その遺伝的相互作用には、とくにこれらの集団が共存した地域内で、より詳しい調査が必要です。さらに、石板墓文化の台頭と拡大は、先行するLBAの古墳との最初の接触地帯において、まだ充分には調べられていません。LBAの2系統の異なる埋葬様式の交差点と、石板墓文化拡大の前線に位置するモンゴル中央部は、重要な相互作用地域における先史時代の人口動態および葬儀慣行の相関の調査に絶好の機会を提供します。モンゴル中央部は、異なる遺伝的特性および埋葬伝統を有しているものの、経済的には同様の牧畜民集団がともに、共有された儀式景観内で相互作用した地域とみなすことができ、「文明の衝突」期における埋葬および人口変化の動態の調査を可能とします。
本論文では、モンゴル中央部の30個体の新たな古代ゲノムが報告されます。これらの個体のうち、27個体はLBAおよびEIA埋葬と関連しており、の石像形および関連する文化(3個体)、LBA古墳(DSKC、16個体)、EIA石板墓(8個体)が含まれており、これらの期間における複雑な埋葬動態のゲノム解析が可能となります。他の個体の年代はその後の期間で、匈奴帝国(1個体)やウイグル帝国(1個体)やモンゴル帝国(1個体)と関連しています。見右派んな時間的および地理的範囲と比較すると規模は控えめですが、このデータセットは、モンゴルの重要な相互作用地帯における埋葬および遺伝的移行への貴重な洞察を提供します。本論文では、石像形およびDSKC古墳と関連する個体群は、LBAのほぼ500年間にわたるモンゴル中央部における時空間的共存にも関わらず、ほとんど遺伝的に混合しなかった、と示されます。LBAの石像形およびDSKCからEIAの石板墓まで、モンゴル中央部における埋葬の移行は、先行するDSKC集団との最小限の遺伝的相互作用を含む、石板墓関連の遺伝的特性への遺伝的置換とも関連していたことも明らかになります。さらに、LBAのDSKC人口集団と金石併用時代/EBAのアファナシェヴォ文化およびチェムルチェグ人口集団との間の遺伝的つながりが明らかになり、ユーラシア東部草原地帯における2000年以上にわたった最初の牧畜民の長い遺伝的遺産が浮き彫りになります。
●オルホン川上流および北タミル川渓谷の古代ゲノム規模データ
モンゴル中央部の二つの河川流域に位置する6ヶ所の考古学的遺跡から発掘された30個体のゲノム規模データが生成され、それは、オルホン川上流のアル・ブラン(ABL、1個体)遺跡とアル・モドニー・アダグ(AMY、1個体)遺跡とマイハン・トルゴイ(MKT、15個体)遺跡とオール284(SOV、1個体)遺跡、および北タミル渓谷のフルウギイン・ウズール(KHG、7個体)遺跡と(TST、5個体)遺跡です(図1)。追加の2個体が検証されましたが、下流分析に充分なヒトDNAが得られませんでした(0.09%未満)。DNAライブラリの生成に成功した30個体については、溶液内DNA捕獲手法を用いて、1233013ヶ所の祖先系統の情報をもたらすSNPのパネル(124万)について、これらのライブラリが濃縮されました。10%以上の内在性DNAが保存されている10個体については、全ゲノムショットガン配列決定データも生成されました。全個体は古代DNAの典型的な脱アミノ化パターンを示し、現代人のDNA汚染は低水準で、ミトコンドリアの汚染率は全個体で5%未満、X染色体の汚染率は男性17個体全員で3%未満でした。124万SNP部位のうち、13289~1139288ヶ所のSNPが、少なくとも1点の高品質な読み取りで各個体について網羅されました。集団遺伝学的分析のため、本論文で新たに生成された遺伝子型データが、古代の個体群[1~3、11、12、22、23、25~31、33、34、36~40、42~58、60~64]および現在の個体群[32、46、58、65、68]から以前に刊行された遺伝子型データと統合されました。
新たに遺伝子型決定された30個体のうち16個体は、LBAのこの地域における優勢な考古学的伝統だったDSKC文化と関連する古墳から発掘されました。これらのうち1個体(KHG006)は、それ以前のMBAのムンクハイルハン墓に特徴的な特色も示す古墳で見つかり、その年代はLBAのDSKC墓の典型より古い紀元前1500年頃以前でする現時点で、MBAのムンクハイルハンについて充分な考古学的および遺伝学的情報は、研究に利用可能な遺骸の少なさのため不足しているので、この個体はLBAのDSKC文化内に含められました。LBAの3個体はモンゴル東部および南部に典型的な特徴を示す埋葬から発掘され、1個体は石像形墓(MKT004)から、2個体は入れ子構造の墓(MKT013とMKT014)から見つかりました。入れ子構造の墓はこれまでモンゴル東部および南部MKT遺跡でのみ報告されてきましたが、その考古学的特徴石像形墓と密接に一致するので、MKT個体群はLBAの石像形埋葬伝統の一部に分類されました。これらの調査結果から、MKTは、DSKCおよび石像形両方の埋葬伝統を含む、新たに分析されたLBA/EIAの4ヶ所の遺跡のうち唯一の遺跡と確証されます。他の8個体は、EIAの石板墓文化と関連す目石板墓から発掘されました。最後に、匈奴期(KHG005)とウイグル期(SOV001)とモンゴル期(AMY001)の埋葬から1個体ずつ発掘されました(図1)。
●異なる文化集団間の最小限の遺伝的相互作用
LBAおよびEIA期のモンゴル中央部に存在した遺伝的多様性を視覚化するためにまず、この研究で新たに配列決定されたLBAおよびEIAの27個体で、モンゴルの以前に刊行された古代の個体群とともにPCAが実行されました(図2)。先行研究で論証されたように、刊行されているLBAおよびEIA個体群は遺伝的に異なる3クラスタ(まとまり)に分類され、この分類はその考古学的背景と密接に一致し、外れ値はごくわずかです。最初のクラスタはおもにANA祖先系統に由来し、LBAウランズーク文化の12個体(以後、ウランズーク1と呼ばれます)とEIA石板墓の13個体(以後、石板墓1と呼ばれます)とDSKC文化と関連する2個体が含まれます。さらに、ウランズーク文化の1個体(以後、ウランズーク2と呼ばれます)と石板墓の3個体(以後、石板墓2と呼ばれます)はフブスグル_LBAクラスタとの高い類似性を示し、主要なANAクラスタの外側に位置づけられます[56]。第二のクラスタはDSKC文化のサグサイおよびヒルギスール墓と関連する27個体で構成されており、フブスグル_LBAの14個体が含まれ、DSKC個体群の中核集団として機能します[1~3]。第三のクラスタは、アルタイ_MLBAの遺伝的勾配(9個体)を表しています[1~3]。以下は本論文の図2です。
モンゴル中央部の新たに配列決定された個体のほとんどは最初の2クラスタと重なり、2個体のみが外れ値となります(図2A)。第一に、LBAのDSKC文化とのみ関連する14個体は、フブスグル_LBAの遺伝的特性を有している個体群と重なります。したがって、遺伝的特性と地理的分布の両方を考慮して、この14個体は「中央モンゴル_LBA_DSKC」に分類されました。第二に、11個体はウランズーク1および石板墓1と重なり、そのうち3個体はLBAの石像形/入れ子構造の墓に由来し、残りの8個体はEIAの石板墓に由来します。したがって、これらの個体は2分析集団に割り当てられ、それは「中央モンゴル_LBA_石像埋葬」と「中央モンゴル_EIA_石板墓」です。LBAのDSKC文化と関連し、主成分2(PC2)に沿って他のDSKC個体群からわずかに下方に動いている残りの外れ値2個体は、中央モンゴル_LBA_DSKC_oと分類されました。
注目されるのは、外れ値2個体を除いて、同じ埋葬背景を共有する個体群は、PCAで同じ遺伝的クラスタにも属していることです。これはLBA個体群において明らかで、石像形/入れ子構造の墓と古墳は別々にクラスタ化します(まとまります)。祖先系統および起源におけるこれらの違いは、両集団が同じ地理的地域に居住し、酪農牧畜を行なっていたにも関わらず、LBAのモンゴル中央部で観察された埋葬の違いを説明できるかもしれません。さらに、連続的な遺伝的2クラスタ間の時間的重複、つまり、LBA個体群はほぼフブスグル_LBA的特性に属していた一方で、EIA個体群は石板墓1的特性のみに属していたことは、この地域における大きな人口変化期の2集団間に、最小限の遺伝的相互作用しかなかったことを強く示唆します。具体的には、オルホン川流域におけるLBAのヒルギスールおよびEIAの石板墓のAMS年代のベイズモデル化から、EIA石板墓埋葬の最初の段階はLBA埋葬伝統の最終段階と約150年間重なっているかもしれない、と示唆されます。
PCAで観察されたクラスタ化パータンは、qpWaveプログラムを用いての単系統群性の形式的検証[69]によって確証されました。モンゴル中央部人の石板墓およびフブスグル_LBA特性の代表として、フブスグル_LBAとの混合のない刊行されている石板墓の13個体(石板墓1)と、均質な遺伝的特性のフブスグル・アイマグ地区の刊行されているDSKCの14個体(フブスグル_LBA)がそれぞれ用いられました。本論文のqpWave分析では、中央モンゴル_LBA_DSKCは遺伝的にフブスグル_LBAと区別できませんが、中央モンゴル_LBA_石像埋葬と中央モンゴル_EIA_石板墓は遺伝的に石板墓1と区別できません。ひじょうに対照的に、中央モンゴル_LBA_DSKCは石板墓1と明らかに区別され、中央モンゴル_LBA_石像埋葬と中央モンゴル_EIA_石板墓はフブスグル_LBAと区別されます[48]。
各遺伝的クラスタは、異なるYHg特性も有していました。DSKC文化と関連する新たに配列決定された男性と以前に刊行された男性のうち、大半はYHg-Q1a2に分類されましたが(男性全28個体のうち、17個体がYHg-Q1a2、2個体がYHg-Q1a1)、石像形および石板墓文化と関連する男性のうち優勢なYHgはQ1a1でした(男性全21個体のうち、14個体がYHg-Q1a1で、1個体がYHg-Q1a2)。YHgのこの対照的な分布は、2クラスタ間の遺伝的違いをさらに強調し、DSKCと関連する人々と石像形埋葬と関連する人々の間のLBAにおける限定的な遺伝的相互作用、およびEIA石板墓文化までのほぼ完全な人口置換のさらなる証拠を提供します。
さらに、主要なフブスグル_LBA的クラスタからPC2Aに沿って下方に動いている2個体から構成される中央モンゴル_LBA_DSKC_oは、同様の遺伝的特性を以前に特定された外れ値個体であるウランズーク2(1個体)および石板墓2(3個体)と共有しています[56]。これの集団と同様に、中央モンゴル_LBA_DSKC_oは24.0%のウランズーク1祖先系統と76.0%のフブスグル_LBA祖先系統の混合としてqpAdmではモデル化され、本論文が把握している限りでは、DSKC個体群におけるそうした混合遺伝的特性の最初の既知の事例となります。これらの外れ値個体のうち1個体(MKT012)は、古墳(MKT21号墓)からハック殺されており、この墓は独特な古墳設計を特徴とし、被葬者の独特な遺伝的特性を反映しています。中央モンゴル_LBA_DSKC_oの特定から、この中間的な遺伝的特性はLBAとEIAの埋葬伝統に存在した、と明らかになりますが、この特性に適合する個体の数は依然としてひじょうに限られており、主要な遺伝的クラスタにおける顕著な違いは観察されず、広範な人口混合の強い証拠の欠如が確証されます。
●モンゴルのLBAおよびEIA牧畜民におけるIBD塊の共有
遺伝的に異なる2集団の存在は広範な地理的地域に拡大しており、一方はフブスグル_LBA的、もう一方は石板墓1的で、集団内の高度な接続性の伴う大規模な人口拡大がモンゴルではLBAとEIAに起きた、と示唆されます。しかし、長期にわたるこれらの遺伝的特性の存続は、人口拡大および相互作用のの解釈を複雑にしており、それは、ゲノム規模のアレル(対立遺伝子)頻度分析には、これらの集団内のより詳細な区別を検出するための解像度が欠けているからです。より詳しく遺伝的相互作用と埋葬伝統を調べるために、ancIBDプログラムを用いて、モンゴルのLBAおよびEIA個体間でのIBD塊共有の調査によって、より高解像度の分析が実行されました(図3)。充分なゲノム規模網羅率のある個体群のみが含められ(合計51個体で、その内訳は、DSKCが25個体、石像形が11個体、石板墓が15個体)、偽陽性を減少させるために、下流分析では12cM以上のIBD塊のみが解析されました。12cM以上のIBD塊を共有する合計169組が見つかり、全てのあり得る組み合わせ(1275組)の13.3%を表しており、累計長は3942.7cMです。以下は本論文の図3です。
モンゴル中央部のLBAに焦点を当てると、同様の埋葬所属を有する地理的に遠い集団間でのIBD共有の強い増加が観察されました。具体的には、LBAの石像形埋葬(11個体、内訳は石像形3個体とウランズーク8個体)およびLBAのDSKC古墳と関連する個体群が分析され、その地理的範囲はモンゴル中央部でのみ重なっていました。以下のように2集団間のIBD共有のパターンが比較され、それは、(1)同じ埋葬所属で構成されるものの、組の一方がモンゴル中央部の異なる地理的地域に由来する場合と、(2)モンゴル中央部内の同じ地理的地域内ではあるものの、異なる埋葬所属の個体群の組み合わせです。200km以内の場所は、同じ地理的地域の一部とみなされました。両方の分類について、IBD塊の合計長と最大長は同じ埋葬所属を共有する個体間で有意により長い、と分かりました(図3A)。共有IBD塊の空間分布を地図化すると、これら遺伝的パターンの埋葬の影響はさらにより明らかになり、個体は長距離移動においてさえ埋葬伝統を維持し、おもに同様の埋葬慣行と遺伝的特性を共有していた他の個体と相互作用しており、これはPCAの結果を裏づけます。
同様の埋葬慣行の個体間の長距離のつながりは、遠くに位置して長いIBD塊を共有する2組(MKT001とARS017、およびMKT010とARS001)、によってさらに証明されます(図3B)。この両方の組み合わせはDSKC文化と関連する個体で構成されており、一方はMKT遺跡、もう一方は、モンゴル北部のアルブラグ・サム(ARS)地域です。この2ヶ所の遺跡間の距離は約360kmにも関わらず、各組み合わせは100cM超のIBDを共有しており、4~5親等の親族関係と示唆されます。これは、古代の個体間の遺伝的近縁性を検出する手法であるKINによって裏づけられ、MKT001とARS017およびMKT010とARS001は5親等の親族である可能性が最も高い、と示されます。これらDSKCの親族の2組は、稀で重要な発見を表しており、古代DNAの文献で類例はわずかです。注目すべき比較には、1410km離れたアファナシェヴォ文化の5親等の親族や、350~1000km離れた3~5親等の親族関係の匈奴期の3個体[72]の組み合わせが含まれます。これらの事例は、長距離の人口移動(アファナシェヴォ文化)もしくは遊牧民における高度な移動性(匈奴)の強い証拠と解釈されてきました。DSKCの事例は、同様に注目に値します。DSKCのじれはは、かなりの地理的距離にわたる広範な親族の結びつきの稀な証拠を提供し、DSKC文化圏内の高度な移動性および社会的結合について説得力のある裏づけを提示します。
注目すべきことに、4個体のうち1個体(ARS017)は、とくに著しい事例を表しています。石像形および石板墓クラスタと単系統群であるにも関わらず、ARS017はそれらのクラスタとの密接な親族関係を欠いています。代わりに、ARS017はモンゴル中央部の個体MKT001と長いIBD塊を共有しており、MKT001は遺伝的に異なるものの、DSKCの埋葬慣行を共有しています。考古学的には、ARS017は、DSKC文化圏の中核地域であるモンゴル北部に位置する、DSKCと決定的に関連する埋葬から発掘され、年代はMKT001よりずっと早くなります[3]。したがって、ARS017はDSKC共同体の構成員とみなされていた可能性が高そうです。ARS017もしくはその近い祖先がDSKC共同体へと移住して組み込まれ、その後でDSKCの遺伝的特性の個体と何世代にもわたって通婚し、MKT001ニニおける混合のゲノム規模の兆候が希釈された、という状況が推測されます。したがって、ARS017はLBAにおける相互作用の埋葬および遺伝的パターンへの稀な知見を提供します。しかし、全体的には、LBAにおいて観察される祖先系統と親族関係と埋葬所属のパターンから、遺伝的相互作用はおもに同じ埋葬集団に限られ、異なる埋葬背景の個体群は、モンゴル中央部など文化的交差点においてさえ遺伝的には滅多に混合しなかった、と示唆されます。
IBD共有のパターンは、モンゴル中央部におけるEIA石板墓文化の拡大にも知見を提供します。考古学的研究では、石板墓文化はモンゴル東部の石像形墓集団に起源があり、モンゴル中央部および北部へと人口拡大を通じて急速に広がり、在来のLBA人口集団を置換した、と提案されてきました。この想定が成立するならば、石板墓個体群は石像形個体群とよりも相互と多くのIBDを共有する、と予測され、逆に、集団あいだの限定的な遺伝着交流を反映することになります。これを検証するために、共有IBDの合計長をあり得る個体の組み合わせの数で割ることによって、各集団内および2集団間で共有される平均IBDが計算されました。検定統計量は集団内IBD共有の平均値と集団間IBD共有の平均値(両集団間の平均)との間の差と定義され、3.585cMの値が得られました。石像形の11個体と石板墓の15個体について対でのIBD行列が構築され、行列構造を維持しながら無作為に移し変えた個体の分類表示による1万回の置換によって、その有意性が評価されました。わずか4回の置換が観察された統計量を上回り、各集団内部のIBD共有の濃縮が示唆され、本論文の手法の統計的検出力が論証されました。
しかし、このパターンは2集団間の時間的および地理的分離に影響を受けるかもしれません。これらの交絡効果を最小限にするために、両集団が時間的に連続する個体群によって表される、モンゴル中央部に焦点が当てられました。人口置換が起きたならば、この地域の石板墓個体群は在来の石像形個体群との最小限のIBDを示すはずです。これを検証するために、個体群が4集団に区分され、それは、モンゴル中央部の石像形個体群(Fc、3個体)、モンゴル東部の石像形個体群(Fe、8個体)、モンゴル中央部の石板墓個体群(Sc、6個体)、モンゴル中央部外の石板墓個体群(So、9個体)です。次に、モンゴル中央部の石像形集団とモンゴル中央部の石板墓集団(FcSc、同じ地域の【時間的に】連続した集団)の間で共有される平均IBDが計算され、それがモンゴル東部の石像形集団とモンゴル中央部の石板墓集団(FeSc、異なる地域の集団)との間で共有される平均IBDと比較されました。Scにおける背景IBDを説明するために、Soを用いて推定値が正規化されました。同じ地域の【時間的に】連続した集団間で共有されるIBDであるFcScの濃縮は、在来の遺伝的連続性を示唆しますが、そうした濃縮の欠如は人口置換を裏づけます。正規化されたFcSc(3.392/2.901)は正規化されたFeSc(2.394/1.281)より小さく、置換の1万回のうち6895回ではより大きな濃縮がえられ、顕著な局所的連続性は示唆されません(図3C)。この結果は、地域間の石板墓個体群における均質性のモデルを裏づけ、モンゴル中央部における人口置換の仮説を補強しますが、より大きな標本規模でのさらなる検証が必要です。
最後に、【石板墓文化のモンゴル】東方起源モデルは、モンゴル東部の石板墓個体群と石像形集団との間のIBD共有の増加を予測します。この説明に反して、モンゴル東部の個体群(FeS、1.726cM)よりもモンゴル中央部の石像形個体群の方との大きなIBD共有が観察され(FcS、3.097cM)、これはおもに、石板墓の数個体とIBD断片を共有する1個体MKT014に起因します。FeS/FcS比の計算と、それを165回のあり得る置換から生成された帰無分布との比較によって、このパターンが評価されました。限定的な標本規模を考慮すると予測されるように、結果は統計的に有意ではなく、東方起源モデルを厳密に検証するには、追加のデータが必要と浮き彫りになります。全体的に、これらのIBD共有パターンから、石像形人口集団と石板墓人口集団との間の限定的な遺伝的連続性が示唆され、これは石板墓人口集団による人口置換の想定と一致しますが、東方起源モデルはより大きなデータセットで形式的に検証されねばなりません。
最後に、LBAとEIA両方の個体群についてROH塊が推定されました。長いROH塊は近い過去の近親婚を示唆しますが、短いROH塊が多いことは小さな人口規模を示唆します。ほとんどの個体は顕著な長さのROH塊を示しませんでしたが、LBAの石像形埋葬と関連する2個体(MKT014とI12960)[2]と石板墓の1個体(I6357)[2]は、約20cM以上のROH塊を示しました。このパターンは、DSKC個体群におけるそうした兆候の欠如と組み合わさって、密接な親族間の結婚慣行は、石像形および石板墓文化では限られていた可能性が高いか、おそらくは石像形文化から石板墓文化へと伝播したことを示唆しているかもしれません。
●金石併用時代/EBAのアファナシェヴォ文化およびEBAのチェムルチェグ文化のLBA人口集団への寄与
中央モンゴル_LBA_DSKC(14個体)と以前に刊行されたDSKC個体群(27個体)との間で識別可能な遺伝的違いは見つからず、これらの個体は単一の分析超集団「モンゴル_LBA_DSKC(41個体)」に統合され、qpAdmを用いての混合モデルの検証の解像度が高められました。より少ない数の個体での先行研究は2供給源集団の混合としてDSKC個体群をモデル化しており、それは、セロヴォ・グラズコヴォ文化と関連するバイカル湖地域のLN~BA個体群(バイカル_LNBA)[37、53、54]と、ユーラシア西部草原地帯のMLBA牧畜民(シンタシュタ_MLBAとクラノヤルスク_MLBAによって表されます)で、後者は10%未満の寄与をしました[1、3]。重要なことに、このわずかな祖先系統構成要素について、先行するEBA人口集団を含めてMLBA人口集団と異なるさまざまな古代の牧畜民人口集団が、限定的な統計的解像度のため同様に等しくモデルに適合します[1、3]。
qpAdmを用いて、本論文のより大きな標本規模と向上した解像度でこのモデルを再び検証すると、このモデルはもはや、モンゴル_LBA_DSKCの遺伝的特性には充分に適合しない、と分かりました。さらに、このモデルは第三の供給源としてANA関連人口集団(ANAの代理として東モンゴル_BA前、北モンゴル_N、ウランズーク1、石板墓1を使用)[1、2、56]を追加した後でさえ依然として不充分でした。この不適合は、アファナシェヴォ文化およびチェムルチェグ文化集団を外群一式に追加した場合には、より顕著にさえなりました。
これらの結果に基づいて、充分に適合する3方向混合モデルを得るために、在来の金石併用時代およびEBA牧畜民人口集団か、アファナシェヴォ文化集団か、チェムルチェグ文化集団でのMLBA牧畜民の置換、および第三の供給源としてANA関連人口集団を用いることによって、分析が改良されました。モンゴル_LBA_DSKCは、66.6±4.9%のバイカル_LNBAと10.5±0.8%のアファナシェヴォ文化集団と22.9±4.4%の東モンゴル_BA前の混合か、56.2±6.0%のバイカル_LNBAと14.8±1.2%のチェムルチェグ文化集団と29.0±5.1%の東モンゴル_BA前の混合として、適切にモデル化されました。注目すべきことに、これら3方向混合モデルは、シンタシュタ_MLBAもしくはクラノヤルスク_MLBAが外群一式に追加されてさえ、依然として堅牢で、MBAアンドロノヴォ文化牧畜民からの識別可能な寄与は裏づけられません。
また、これらのモデルは、データ生成を報告した元々の研究で定義されたDSKC下位集団すべてと、個体水準での全個体に一致して適用可能でした。これらの調査結果から、ユーラシア東部草原地帯の最初の牧畜民である金石併用時代/EBAのアファナシェヴォ文化集団と、アファナシェヴォ文化集団の部分的子孫であるその後のEBAチェムルチェグ文化集団[1、12、48]は、その後のLBAのDSKC牧畜民人口集団に重要な遺伝的寄与をした、と示唆されます(図4A)。DSKC人口集団と石像形/石板墓人口集団との間の対照的なYHgの分布に促され、混合期間における性別固有の遺伝的寄与も調べられました。これを評価するために、常染色体とX染色体との間の混合割合が比較されました。残念ながら、バイカル_LNBA とANA関連人口集団の2供給源集団の遺伝的類似性のため、X染色体について申請できる祖先系統割合の推定値は得られませんでした。以下は本論文の図4です。
モンゴル極西部に居住しており、その祖先系統がアルタイ_MLBAと報告されたBA人口集団について、祖先系統の妥当な近位モデルは、先行研究[1]で報告されたフブスグル_LBAとクラノヤルスク_MLBAの混合として要約されます。本論文のモデル化では、アルタイ_MLBA(9個体)は50.0±0.7%のモンゴル_LBA_DSKCと、西方草原地帯祖先系統の代理として機能する50.0±0.7%のフブスグル_LBAの2方向混合として適切に説明されました(図4A)。常染色体とX染色体との間の結果を比較すると、X染色体上でわずかにより高い割合のDSKC祖先系統が見つかり、西方草原地帯祖先系統からのわずかに男性に偏った寄与が示唆されます。このパターンは、アルタイ_MLBA個体群におけるYHg-Q1a2の欠如と一致します。
MLBA個体間のIBD断片の共有パターンも、モンゴル_LBA_DSKCとアルタイ_MLBA(8個体、9個体のうち8個体にはancIBDの実行に充分なゲノム規模網羅率があります)との間の強い遺伝的つながりを裏づけ、石像形個体群の関係はより遠くなっています(図4B)。アルタイ_MLBAはモンゴル_LBA_DSKCと組み合わせあたり平均1.21cMのIBD塊を共有しており、これは石像形個体群(0.16cM)もしくは石板墓個体群(0.12cM)と共有される平均値の7倍以上です。対照的に、石像形個体群はアルタイ_MLBA(0.16cM)およびモンゴル_LBA_DSKC(1cM)とよりも石板墓個体群(2.05cM)の方と多くのIBD塊を共有しており、文化的つながりが遺伝的パターンにどのように反映されているのか、さらに浮き彫りになります(図4B)。アルタイ_MLBA とモンゴル_LBA_DSKC との間で共有されるIBD断片の合計長と最大長の両方は、アルタイ_MLBA とと石像形個体群との間を上回っていたことも分かりました(図4C)。
●考察
文化的変化の性質、および人口動態と着想の拡散のどちらががこの過程をどの程度駆動するのか、ということは、考古学内で長く議論されてきました。しかし、そうした議論を進めることは、そうした相互作用を経た人口集団からの高解像度の遺伝的および文化的データの取得の難しさによって、困難でした。本論文では、多様なLBAおよびその後のEIA集団にとって文化的交差点として機能した地域である、LBAおよびEIAのモンゴル中央部における文化的変化の重要な事例が調べられました。LBAには、独特なDSKC埋葬伝統と石像形埋葬伝統の文化的に異なる集団が約500年間共存し、その後にEIAの石板墓伝統の拡大が続きました。
古ゲノムおよび考古学的データの統合によって、LBAの遺伝的特性と埋葬慣行の間の強い相関が特定されました。これが示すのは、これら二つの異なる埋葬伝統であるDSKCと石像形は共存していたものの、共有していた地理的地域を占めており、同様の生計戦略を行なっていたにも関わらず、めったに混合せず、独特な埋葬慣行と遺伝的特性を維持していた、ということです。この遺伝的区別は、オルホン川上流域のMKTで最適に示され、そこでは両方の伝統の埋葬が見つかりました。これら考古学的2集団は、独特で内部では多様な埋葬慣行を有していました。DSKCの埋葬伝統がサグサイおよびヒルギスール様式の埋葬を含む古墳埋葬と関連しているのに対して、石像形埋葬伝統は石像形で亜鈴で入れ子構造の古墳と関連しています。
全体的に、個体群は他の共有しているより広範な埋葬伝統とおもに交流していた、と分かり、各伝統内の埋葬の差異にも関わらず、強い社会的結合が示唆されます。舞烏巣形態に加えて、死者の向きが遺伝的特性と密接に相関していたことも分かり、これは社会的結合のさらなる標識として機能し、異なる世界観や信仰体系を反映していた可能性が高そうです。具体的には、MKT遺跡ではDSKC個体群は一貫して山の尾根に平行して埋葬され、その東部は北北西を向いていたのに対して、石像形/入れ子構造の墓内の全個体は東南東を向いていました。各集団内の共存された遺伝的祖先系統と埋葬伝統のこのパターンは、数百年間この地域で維持された、族内婚規則を含めて長期の社会規範の産物のようです。数世紀にわたるほとんど人口混合のない共存および真正な景観の共有の、この稀なLBAの考古学的事例研究は、通常は伝統的な考古学および遺伝学的分析では曖昧である、社会的慣行や規範や選択を解明するための、考古遺伝学の能力を強調します。
本論文で新たに生成されたデータセットは、とくに石像形集団では限定的で、これは分布の北西端の位置を考えると予測されますが、現時点では、性別(ジェンダー)もしくは社会的地位がLBAにおいて特定された遺伝的に異なる2集団の形成に主要な役割を果たした、と示唆する証拠はありません。両渓谷【オルホン川とタミル川】では、DSKCと石像形両方の集団でほぼ同数の男女の個体が見つかりました。この均衡のとれた表れは、性別と遺伝的特性との間に明確な相関がないことを示唆しています。社会的地位の指標は少なく、副葬品は見つからず、ヒルギスールにおいて動物遺骸はウマの頭部の埋葬もしくは焼けたヒツジの骨に限られており、この慣行は紀元前1200年頃以後にやっと出現し、それ以前(紀元前1500~紀元前1200年頃)の違いを説明できる可能性は低そうです。同様に、限られた人類学的データは、集団間の顕著な違いを示唆していません。この2集団【DSKCと石像形】が完全に異なる地域に居住していたことを考えると、集団自体の間の違いを説明するのではなく、石像形埋葬についてはモンゴルの東部および南部、DSKCについてはモンゴルの西部および北部および中央部という局所的要因が、集団内のパターンを形成した可能性がより高そうです。
紀元前二千年紀末におけるLBAからEIAにかけての移行に伴い、DSKCおよび石像形の埋葬は新たな石板墓埋葬伝統の出現に置換されました。この過程は約150年間続き、この置換の埋葬および遺伝的側面の詳細な調査が可能となります。石板墓形態には、石板と鐙とD字型の埋葬が含まれ、死者の向きは東側で、これは石像形埋葬での観察と同様です。モンゴル東部および南部における石像形埋葬と石板墓埋葬の分布の重なりや、身体の向きの共有パターンは、石板墓現象がそれ以前の石像形集団から出現した、との仮説につながりました。この考古学的仮説は、遺伝学的に石板墓個体群をそれ以前のウランズーク埋葬と関連づけた、モンゴル東部における先行研究[1]によって裏づけられ、ウランズーク埋葬は一般的に、より広範な石像形埋葬伝統内に分類されています。本論文では、伝統的な石像形埋葬から得られた遺伝的データが提示され、石像形墓内に埋葬された個体群は、東方の同時代のウランズーク個体群およびその後の石板墓個体群と遺伝的特性を共有していた、との強い証拠が示されます。石像形個体群のゲノムと石板墓個体群のゲノムのさらなる標本抽出は、より広範なLBAの石像メタ個体群(アレルの交換といった、ある水準で相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群の集団)からの石板墓の出現と拡大の過程を理解するのに役立つでしょう。
重要なことに、石板墓集団とDSKC集団との間の明らかな遺伝的差異を活用すると、石板墓集団はモンゴル中央部において在来のDSKC集団と遭遇したさいに、在来の遺伝的に在来のDSKC集団と遺伝的に混合しなかった、と示されます。代わりに、DSKC文化とその遺伝的特性は地域から消滅し、その後の期間にも表れず、大規模な置換が示唆されます。一部のDSKC個体は北方へ移動した、シベリア南部に位置するトゥヴァのEIA人口集団の台頭に考古学的に寄与したかもしれません。トゥヴァでは、とアルジャン1遺跡やトゥンヌグ0遺跡など支配層の埋葬は、DSKC文化に起原のある特徴を示しており、それには、動物様式の装飾や記念碑的な墓の構造や衛星墓の建造が含まれ、これはトゥヴァではそれ以前の在来LBA伝統に由来しません。
最後に、本論文で新たに生成されたデータによって、金石併用時代およびEBAにおける人口移動と関連する、それ以前の文化的移行の解明が可能となりました。モンゴルでは、牧畜は金石併用時代/EBAのアファナシェヴォ文化およびEBAのチェムルチェグ文化と関連する人口集団によってもたらされました。本論文では、その後のLBA人口集団へのわずかな遺伝的寄与の形態での、その継続的な遺伝的遺産の証拠が見つかりました。具体的には、モンゴル_LBA_DSKCの混合モデルが、バイカル_LNBAとANAとアファナシェヴォ文化/チェムルチェグ文化祖先系統の3方向混合として更新されユーラシア西部供給源が金石併用時代/EBAのアファナシェヴォ文化およびEBAチェムルチェグ文化人口集団と特定されました。注目すべきことに、これらの集団は家畜化したウマを有していなかったので、本論文の改良モデルから、LBA牧畜民のこの重要な技術的特徴は、文化伝播を通じてこの地域に導入された可能性が高い、と示唆されます。これが示唆するのは、アルタイ山脈との西方の境界を除いてモンゴルの大半では、LBA牧畜民は西方から到来したウマ牧畜民集団との遺伝的混合なしにウマの牧畜を採用したことです。これは、シンタシュタおよびアンドロノヴォ層準と関連する人々の人口拡散によって引き起こされた、ユーラシア西部および中央部草原地帯における家畜化したウマの採用とは際立って対照的です。シンタシュタおよびアンドロノヴォ文化関連人口集団の拡大が、アルタイ山脈沿いで勢いを急速に失った理由は依然として未解決で、モンゴルにおけるMBA期の人口統計学的歴史および考古学への集中的な研究が必要です。
本論文の調査結果は、BAおよびIAのモンゴルにおける大きな文化的および遺伝的変化の考古学的理解を大きく深めますが、EBAからMBAへの移行は依然としてほとんど調べられていません。具体的には、ムンクハイルハン文化や、ウマの牧畜の拡大においてこれらの人口集団によって果たされた役割や、その後のLBA人口集団への影響などMBA埋葬伝統の出現は、この期間の古代ゲノムの数が限られているため、依然として不明です。この少なさにも関わらず、考古遺伝学研究はMBA個体群における遺伝的外れ値を特定してきており、その一部はその後のLBA人口集団では見つからず、この地域における動態の複雑さを強調しています[1、2]。この複雑さは、ゲノムの限られた利用可能性と相まって、モンゴルの人口統計学的歴史を完全に解明するための、さらに的を絞った考古学的および考古遺伝学的調査の早急な必要性を浮き彫りにします。
参考文献:
Lee J. et al.(2025): Slab Grave expansion disrupted long co-existence of distinct Bronze Age herders in central Mongolia. Nature Communications, 16, 8420.
https://doi.org/10.1038/s41467-025-63789-1
[1]Jeong C. et al.(2020): A Dynamic 6,000-Year Genetic History of Eurasia’s Eastern Steppe. Cell, 183, 4, 890–904.E29.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.10.015
関連記事
[2]Wang CC. et al.(2021): Genomic insights into the formation of human populations in East Asia. Nature, 591, 7850, 413–419.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03336-2
関連記事
[3]Jeong C. et al.(2018): Bronze Age population dynamics and the rise of dairy pastoralism on the eastern Eurasian steppe. PNAS, 115, 48, E11248–E11255.
https://doi.org/10.1073/pnas.1813608115
関連記事
[11]Zhang F. et al.(2021): The genomic origins of the Bronze Age Tarim Basin mummies. Nature, 599, 7884, 256–261.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04052-7
関連記事
[12]Kumar V. et al.(2022): Bronze and Iron Age population movements underlie Xinjiang population history. Science, 376, 6568, 62–69.
https://doi.org/10.1126/science.abk1534
関連記事
[22]Rasmussen M. et al.(2010): Ancient human genome sequence of an extinct Palaeo-Eskimo. Nature, 463, 7282, 757-762.
https://doi.org/10.1038/nature08835
関連記事
[23]Raghavan M. et al.(2014): Upper Palaeolithic Siberian genome reveals dual ancestry of Native Americans. Nature, 505, 7481, 87–91.
https://doi.org/10.1038/nature12736
関連記事
[25]Rasmussen M. et al.(2014): The genome of a Late Pleistocene human from a Clovis burial site in western Montana. Nature, 506, 7487, 225–229.
https://doi.org/10.1038/nature13025
関連記事
[26]Allentoft ME. et al.(2015): Population genomics of Bronze Age Eurasia. Nature, 522, 7555, 167–172.
https://doi.org/10.1038/nature14507
関連記事
[27]Jones ER. et al.(2015): Upper Palaeolithic genomes reveal deep roots of modern Eurasians. Nature Communications, 6, 8912.
https://doi.org/10.1038/ncomms9912
関連記事
[28]Mathieson I. et al.(2015): Genome-wide patterns of selection in 230 ancient Eurasians. Nature, 528, 7583, 499–503.
https://doi.org/10.1038/nature16152
関連記事
[29]Rasmussen M. et al.(2015): The ancestry and affiliations of Kennewick Man. Nature, 523, 7561, 455–458.
https://doi.org/10.1038/nature14625
関連記事
[30]Fu Q. et al.(2016): The genetic history of Ice Age Europe. Nature, 534, 7606, 200–205.
https://doi.org/10.1038/nature17993
関連記事
[31]Jeong C. et al.(2016): Long-term genetic stability and a high-altitude East Asian origin for the peoples of the high valleys of the Himalayan arc. PNAS, 113, 27, 7485–7490.
https://doi.org/10.1073/pnas.1520844113
関連記事
[33]Lazaridis I. et al.(2016): Genomic insights into the origin of farming in the ancient Near East. Nature, 536, 7617, 419–424.
https://doi.org/10.1038/nature19310
関連記事
[34]Lazaridis I. et al.(2017): Genetic origins of the Minoans and Mycenaeans. Nature, 548, 7666, 214–218.
https://doi.org/10.1038/nature23310
関連記事
[36]Damgaard PB. et al.(2018): 137 ancient human genomes from across the Eurasian steppes. Nature, 557, 7705, 369–374.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0094-2
関連記事
[37]Damgaard PB. et al.(2018): The first horse herders and the impact of early Bronze Age steppe expansions into Asia. Science, 360, 6396, eaar7711.
https://doi.org/10.1126/science.aar7711
関連記事
[38]Harney É. et al.(2018): Ancient DNA from Chalcolithic Israel reveals the role of population mixture in cultural transformation. Nature Communications, 9, 3336.
https://doi.org/10.1038/s41467-018-05649-9
関連記事
[39]Krzewińska M. et al.(2018): Ancient genomes suggest the eastern Pontic-Caspian steppe as the source of western Iron Age nomads. Science Advances, 4, 10, eaat4457.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aat4457
関連記事
[40]Lamnidis TC. et al.(2018): Ancient Fennoscandian genomes reveal origin and spread of Siberian ancestry in Europe. Nature Communications, 9, 5018.
https://doi.org/10.1038/s41467-018-07483-5
関連記事
[42]Lipson M. et al.(2018): Ancient genomes document multiple waves of migration in Southeast Asian prehistory. Science, 361, 6397, 92–95.
https://dx.doi.org/10.1126/science.aat3188
関連記事
[43]Mathieson I. et al.(2018): The genomic history of southeastern Europe. Nature, 555, 7695, 197–203.
https://doi.org/10.1038/nature25778
関連記事
[44]McColl H. et al.(2018): The prehistoric peopling of Southeast Asia. Science, 361, 6397, 88–92.
https://doi.org/10.1126/science.aat3628
関連記事
[45]Feldman M. et al.(2019A): Late Pleistocene human genome suggests a local origin for the first farmers of central Anatolia. Nature Communications, 10, 1218.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-09209-7
関連記事
[46]Jeong C. et al.(2019): The genetic history of admixture across inner Eurasia. Nature Ecology & Evolution, 3, 6, 966–976.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0878-2
関連記事
[47]Kanzawa-Kiriyama H. et al.(2019): Late Jomon male and female genome sequences from the Funadomari site in Hokkaido, Japan. Anthropological Science, 127, 2, 83–108.
https://doi.org/10.1537/ase.190415
関連記事
[48]Narasimhan VM. et al.(2019): The formation of human populations in South and Central Asia. Science, 365, 6457, eaat7487.
https://doi.org/10.1126/science.aat7487
関連記事
[49]Sikora M. et al.(2019): The population history of northeastern Siberia since the Pleistocene. Nature, 570, 7760, 182–188.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1279-z
関連記事
[50]Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
関連記事
[51]Skourtanioti E. et al.(2020): Genomic History of Neolithic to Bronze Age Anatolia, Northern Levant, and Southern Caucasus. Cell, 181, 5, 1158–1175.E28.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.04.044
関連記事
[52]Yang MA. et al.(2020): Ancient DNA indicates human population shifts and admixture in northern and southern China. Science, 369, 6501, 282–288.
https://doi.org/10.1126/science.aba0909
関連記事
[53]Yu H. et al.(2020): Paleolithic to Bronze Age Siberians Reveal Connections with First Americans and across Eurasia. Cell, 181, 6, 1232–1245.E20.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.04.037
関連記事
[54]Kılınç GM. et al.(2021): Human population dynamics and Yersinia pestis in ancient northeast Asia. Science Advances, 7, 2, eabc4587.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abc4587
関連記事
[55]Lazaridis I. et al.(2022): The genetic history of the Southern Arc: A bridge between West Asia and Europe. Science, 377, 6609, eabm4247.
https://doi.org/10.1126/science.abm4247
関連記事
[56]Lee J. et al.(2023): Genetic population structure of the Xiongnu Empire at imperial and local scales. Science Advances, 9, 15, eadf3904.
https://doi.org/10.1126/sciadv.adf3904
関連記事
[57]Lee J. et al.(2024): Medieval genomes from eastern Mongolia share a stable genetic profile over a millennium. Human Population Genetics and Genomics, 4, 1, 0004.
https://doi.org/10.47248/hpgg2404010004
関連記事
[58]Lazaridis I. et al.(2014): Ancient human genomes suggest three ancestral populations for present-day Europeans. Nature, 513, 7518, 409–413.
https://doi.org/10.1038/nature13673
関連記事
[60]Moreno-Mayar JV. et al.(2018): Terminal Pleistocene Alaskan genome reveals first founding population of Native Americans. Nature, 553, 7687, 203–207.
https://doi.org/10.1038/nature25173
関連記事
[61]Posth C. et al.(2023): Palaeogenomics of Upper Palaeolithic to Neolithic European hunter-gatherers. Nature, 615, 7950, 117–126.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-05726-0
関連記事
[62]Changmai P. et al.(2022): Ancient DNA from Protohistoric Period Cambodia indicates that South Asians admixed with local populations as early as 1st–3rd centuries CE. Scientific Reports, 12, 22507.
https://doi.org/10.1038/s41598-022-26799-3
関連記事
[63]Fu Q. et al.(2014): Genome sequence of a 45,000-year-old modern human from western Siberia. Nature, 514, 7523, 445–449.
https://doi.org/10.1038/nature13810
関連記事
[64]Wang K. et al.(2023): Middle Holocene Siberian genomes reveal highly connected gene pools throughout North Asia. Current Biology, 33, 3, 423–433.E5.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.11.062
関連記事
[65]Mallick S. et al.(2016): The Simons Genome Diversity Project: 300 genomes from 142 diverse populations. Nature, 538, 7624, 201–206.
https://doi.org/10.1038/nature18964
関連記事
[68]Flegontov P. et al.(2019): Palaeo-Eskimo genetic ancestry and the peopling of Chukotka and North America. Nature, 570, 7760, 236–240.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1251-y
関連記事
[69]Reich D. et al.(2012): Reconstructing Native American population history. Nature, 488, 7411, 370–374.
https://doi.org/10.1038/nature11258
関連記事
[72]Gnecchi-Ruscone GA. et al.(2025): Ancient genomes reveal trans-Eurasian connections between the European Huns and the Xiongnu Empire. PNAS, 122, 9, e2418485122.
https://doi.org/10.1073/pnas.2418485122
関連記事
[73]Ringbauer H, Novembre J, and Steinrücken M.(2021): Parental relatedness through time revealed by runs of homozygosity in ancient DNA. Nature Communications, 12, 5425.
https://doi.org/10.1038/s41467-021-25289-w
関連記事
以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、cM(centimorgan、センチモルガン)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、KIN(Kinship INference、親族関係の推測)、ANA(Ancient Northeast Asian、アジア北東部古代人)、o(outlier、外れ値)、Fc(figure-shaped individuals from central Mongolia、モンゴル中央部の人物像形個体群)、Sc(Slab Grave individuals from central Mongolia、モンゴル中央部の石板墓個体群)、Fe(figure-shaped individuals from eastern Mongolia、モンゴル東部の人物像形個体群)、So(lab Grave individuals from outside central Mongolia、モンゴル中央部外の石板墓個体群)、FcSc(ratio of average IBD shared between Fc and Sc、FcとScの間で共有される平均IBD比)、FeSc(ratio of average IBD shared between Fe and Sc、FeとScの間で共有される平均IBD比)、AMS(accelerator mass spectrometry、加速器質量分析法)です。
以下の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)、LNBA(Late Neolithic/Bronze Age、後期旧石器時代~青銅器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EBA(Early Bronze Age、前期青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)、MLBA(Middle to Late Bronze Age、中期~後期青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)、EIA(Early Iron Age、前期鉄器時代)です。
本論文で取り上げられる主要なモンゴルの地名は、バヤンウルギー県サグサイ(Sagsai)地区、東部のフブスグル(Khovsgol、Khövsgöl)県、フブスグル・アイマグ(Khovsgol aimag)地区、アルブラグ・サム(Arbulag sum、略してARS)地区、北タミル渓谷(North Tamir Valley)、オルホン川上流域(Upper Orkhon Valley)です。本論文で取り上げられる主要な文化は、DSKC(Deer Stone-Khirigsuur Complex、鹿石ヒルギスール複合体)、石板墓(Slab Grave、略してSG)文化、チェムルチェグ(Chemurchek、Khemtseg、Qiemu’erqieke)文化、ウランズーク(Ulaanzuukh)文化、アファナシェヴォ(Afanasievo)文化、ムンクハイルハン(Mönkhkhairkhan)文化、セロヴォ(Serovo)文化、グラズコヴォ(Glazkovo)文化、アンドロノヴォ(Andronovo)文化、シンタシュタ(Sintashta)文化です。
本論文で取り上げられるモンゴルの主要な遺跡は、オルホン川上流域のアル・ブラン(Ar Bulan、略してABL)遺跡とアル・モドニー・アダグ(Ar Modny Adag、略してAMY)遺跡とマイハン・トルゴイ(Maikhan Tolgoi、略してMKT)遺跡とオール284(OOR-284、略してSOV)遺跡、北タミル渓谷のフルウギイン・ウズール(Khuruugiin uzuur、略してKHG)遺跡と(Tsats Tolgoi、略してTST)遺跡です。本論文で取り上げられるモンゴル以外の主要な遺跡は、ロシアのクラノヤルスク・クランスク(Krasnoyarsk Kansk)遺跡とアルジャン1(Arzhan 1)遺跡とトゥンヌグ0(Tunnug 0)遺跡です。なお、当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、以下の翻訳では本論文の「civilization」を「文明」と訳します。
●要約
酪農牧畜は前期青銅器時代にモンゴルに到達し、DSKCや人物像形/ウランズーク埋葬を含めて多様な埋葬慣行の出現とともに後期青銅器時代に繁栄しました。牧畜の拡大は広く研究されてきましたが、これら異なる埋葬伝統の牧畜民集団間の相互作用は、ゲノムデータと埋葬データの両方の取得が困難なため、依然として未解明です。本論文では、異なる埋葬慣行の牧畜民が集中した重要な地域である、モンゴル中央部の古代人30個体から得られた、ゲノム規模および埋葬データが分析されました。後期青銅器時代を通じて、別々の埋葬様式に対応する遺伝的に異なる2クラスタが特定され、共存していたにも関わらず、限られた遺伝的混合と異なる埋葬慣行の維持が示唆されました。
これらの集団は最終的に、前期鉄器時代において石板墓人口集団の拡大と新たな埋葬伝統の確立によって置換されました。最後に、後期青銅器時代のDSKC人口集団の遺伝的起源が精緻化され、金石併用時代/前期青銅器時代のアファナシェヴォ文化および前期青銅器時代チェムルチェグ文化人口集団に、わずかなユーラシア西部祖先系統がたどれました。本論文は、先史時代のモンゴルにおける大きな埋葬の変容の微細規模の遺伝的追跡を提供し、アジアの古代牧畜民社会を形成した、複雑で分岐した過程への知見を提示します。
●研究史
現在のモンゴルおよびその周辺地域を含むユーラシア東部草原地帯は先史時代以来、人口移動と文化的交流の中心として機能してきました。この動的な歴史を反映して、ユーラシア東部草原地帯における最近の古代ゲノム研究は、さまざまな考古学的伝統と関連する異なる遺伝的特性を明らかにしてきました[1、2]。たとえば、金石併用時代(紀元前3000~紀元前2600年頃)およびEBA(紀元前2600~紀元前2000年頃)には、ユーラシア西部草原地帯の北コーカサス地域起源の人口集団がモンゴルに移住し、草原地帯の環境において高度に生産的な生計戦略である遊動的な酪農牧畜をもたらしました[1、3]。アファナシェヴォ文化(紀元前3300~紀元前2700年頃)と関連するこれらの人々は、モンゴルではわずか数ヶ所の埋葬で表されています。しかし、その遺伝的遺産は、ジュンガリア盆地とモンゴル西部のアルタイ山脈の遺跡で知られている、その後のチェムルチェグ人口集団(紀元前2600~紀元前2000年頃)へと続きました[1、11、12]。MBAはあまり報告されておらず、モンゴル西部および北部で見られる限定的な数のムンクハイルハン埋葬によって表されます。LBA(紀元前1500~紀元前1000年頃)までには、モンゴルでは牧畜が生計の主要な形態となり、この期間の埋葬はモンゴル全域で発見されています。考古学的研究はLBAのモンゴルにおける2種類の異なる埋葬伝統を特定しており、それぞれの地理的分布ははほぼ重なっていません。一方はモンゴル東部および南部における人物像の形と関連する墓で、もう一方はモンゴル北部および中央部におけるDSKCと関連する古墳です(図1)。以下は本論文の図1です。
石人(石像)形の墓(紀元前1450~紀元前1000年頃)はおもにモンゴル東部および南部で、ウランズークおよび亜鈴形の墓とともに見られ、これは限られた数の遺跡でのみ見られる異形です(図1)。多様な形態の蓮が報告されてきましたが、関連する伝統を表している、と示唆する考古学的特徴を共有しています。ウランズーク埋葬の個体群から得られた遺伝的データでは、その祖先系統はおもに、先史時代のアジア北東部の狩猟採集民に広く分布していた遺伝的集団であるANAに由来する、と示されてきました[1]。これまで、ウランズーク文化以外で、石像形の埋葬で報告された古代ゲノムはありません。
古墳、とくにサグサイ埋葬とヒルギスール(大型の礫を配した石囲いが高い積石塚を一巡する墓)や鹿石などの記念碑は、一般的にモンゴルの西部や北部や中央部で見られ(図1)、DSKC文化に分類されています。以前の遺伝学的研究は、DSKC文化と関連する個体群を異なる遺伝的特性に基づいて2集団に区分し、それはモンゴル北部の「フブスグル_LBA」とモンゴル西部の「アルタイ_MLBA」です[1、3]。フブスグル_LBAの祖先系統のほとんどは、LNおよびBAのセロヴォ・グラズコヴォ文化で報告されたように、バイカル湖地域の在来遺伝子プールに由来し、少量のユーラシア西部祖先系統が伴います。一方で、アルタイ_MLBA個体群はフブスグル_LBAおよびMLBA、アンドロノヴォ文化集団と関連するユーラシア西部遺伝子プールの混合した祖先系統特性を有しています[1、3]。
これらBAの古墳とその独特な遺伝的特性は、EIA(紀元前1000~紀元前300年頃)が始まった石板墓文化の出現とともに消滅しました。石板墓文化(紀元前1100~紀元前400年頃)はモンゴル東部および南部の石像形の墓から出現し、北方では遠くバイカル湖地域までモンゴル中央部および北部へと広がり、以前のDSKC文化を置換しました。興味深いことに、ヒルギスールや一部の鹿石の石材は、石板墓建造のため再利用されました。モンゴル北部およびバイカル湖地域の古代ゲノムデータから、石板墓文化集団の遺伝的特性の出現はEIAにおけるフブスグル_LBA人口集団の消滅と関連しており[3]、考古学的記録で観察された葬儀の転換を反映している、と示されてきました。
考古遺伝学的研究は、LBAおよびEIAにおけるモンゴルのより広範な遺伝的景観への貴重な知見を提供してきましたが[1、3]、さまざまな遺伝的および埋葬集団間の複雑な局所的相互作用が依然としてほぼ未開拓です。たとえば、異なるLBA牧畜民集団間(つまり、DSKC対石像)の報告されている強い遺伝的分離祖し、古代ゲノムの限定的で地理的に分散した標本抽出のため誇張されているかもしれません。その遺伝的相互作用には、とくにこれらの集団が共存した地域内で、より詳しい調査が必要です。さらに、石板墓文化の台頭と拡大は、先行するLBAの古墳との最初の接触地帯において、まだ充分には調べられていません。LBAの2系統の異なる埋葬様式の交差点と、石板墓文化拡大の前線に位置するモンゴル中央部は、重要な相互作用地域における先史時代の人口動態および葬儀慣行の相関の調査に絶好の機会を提供します。モンゴル中央部は、異なる遺伝的特性および埋葬伝統を有しているものの、経済的には同様の牧畜民集団がともに、共有された儀式景観内で相互作用した地域とみなすことができ、「文明の衝突」期における埋葬および人口変化の動態の調査を可能とします。
本論文では、モンゴル中央部の30個体の新たな古代ゲノムが報告されます。これらの個体のうち、27個体はLBAおよびEIA埋葬と関連しており、の石像形および関連する文化(3個体)、LBA古墳(DSKC、16個体)、EIA石板墓(8個体)が含まれており、これらの期間における複雑な埋葬動態のゲノム解析が可能となります。他の個体の年代はその後の期間で、匈奴帝国(1個体)やウイグル帝国(1個体)やモンゴル帝国(1個体)と関連しています。見右派んな時間的および地理的範囲と比較すると規模は控えめですが、このデータセットは、モンゴルの重要な相互作用地帯における埋葬および遺伝的移行への貴重な洞察を提供します。本論文では、石像形およびDSKC古墳と関連する個体群は、LBAのほぼ500年間にわたるモンゴル中央部における時空間的共存にも関わらず、ほとんど遺伝的に混合しなかった、と示されます。LBAの石像形およびDSKCからEIAの石板墓まで、モンゴル中央部における埋葬の移行は、先行するDSKC集団との最小限の遺伝的相互作用を含む、石板墓関連の遺伝的特性への遺伝的置換とも関連していたことも明らかになります。さらに、LBAのDSKC人口集団と金石併用時代/EBAのアファナシェヴォ文化およびチェムルチェグ人口集団との間の遺伝的つながりが明らかになり、ユーラシア東部草原地帯における2000年以上にわたった最初の牧畜民の長い遺伝的遺産が浮き彫りになります。
●オルホン川上流および北タミル川渓谷の古代ゲノム規模データ
モンゴル中央部の二つの河川流域に位置する6ヶ所の考古学的遺跡から発掘された30個体のゲノム規模データが生成され、それは、オルホン川上流のアル・ブラン(ABL、1個体)遺跡とアル・モドニー・アダグ(AMY、1個体)遺跡とマイハン・トルゴイ(MKT、15個体)遺跡とオール284(SOV、1個体)遺跡、および北タミル渓谷のフルウギイン・ウズール(KHG、7個体)遺跡と(TST、5個体)遺跡です(図1)。追加の2個体が検証されましたが、下流分析に充分なヒトDNAが得られませんでした(0.09%未満)。DNAライブラリの生成に成功した30個体については、溶液内DNA捕獲手法を用いて、1233013ヶ所の祖先系統の情報をもたらすSNPのパネル(124万)について、これらのライブラリが濃縮されました。10%以上の内在性DNAが保存されている10個体については、全ゲノムショットガン配列決定データも生成されました。全個体は古代DNAの典型的な脱アミノ化パターンを示し、現代人のDNA汚染は低水準で、ミトコンドリアの汚染率は全個体で5%未満、X染色体の汚染率は男性17個体全員で3%未満でした。124万SNP部位のうち、13289~1139288ヶ所のSNPが、少なくとも1点の高品質な読み取りで各個体について網羅されました。集団遺伝学的分析のため、本論文で新たに生成された遺伝子型データが、古代の個体群[1~3、11、12、22、23、25~31、33、34、36~40、42~58、60~64]および現在の個体群[32、46、58、65、68]から以前に刊行された遺伝子型データと統合されました。
新たに遺伝子型決定された30個体のうち16個体は、LBAのこの地域における優勢な考古学的伝統だったDSKC文化と関連する古墳から発掘されました。これらのうち1個体(KHG006)は、それ以前のMBAのムンクハイルハン墓に特徴的な特色も示す古墳で見つかり、その年代はLBAのDSKC墓の典型より古い紀元前1500年頃以前でする現時点で、MBAのムンクハイルハンについて充分な考古学的および遺伝学的情報は、研究に利用可能な遺骸の少なさのため不足しているので、この個体はLBAのDSKC文化内に含められました。LBAの3個体はモンゴル東部および南部に典型的な特徴を示す埋葬から発掘され、1個体は石像形墓(MKT004)から、2個体は入れ子構造の墓(MKT013とMKT014)から見つかりました。入れ子構造の墓はこれまでモンゴル東部および南部MKT遺跡でのみ報告されてきましたが、その考古学的特徴石像形墓と密接に一致するので、MKT個体群はLBAの石像形埋葬伝統の一部に分類されました。これらの調査結果から、MKTは、DSKCおよび石像形両方の埋葬伝統を含む、新たに分析されたLBA/EIAの4ヶ所の遺跡のうち唯一の遺跡と確証されます。他の8個体は、EIAの石板墓文化と関連す目石板墓から発掘されました。最後に、匈奴期(KHG005)とウイグル期(SOV001)とモンゴル期(AMY001)の埋葬から1個体ずつ発掘されました(図1)。
●異なる文化集団間の最小限の遺伝的相互作用
LBAおよびEIA期のモンゴル中央部に存在した遺伝的多様性を視覚化するためにまず、この研究で新たに配列決定されたLBAおよびEIAの27個体で、モンゴルの以前に刊行された古代の個体群とともにPCAが実行されました(図2)。先行研究で論証されたように、刊行されているLBAおよびEIA個体群は遺伝的に異なる3クラスタ(まとまり)に分類され、この分類はその考古学的背景と密接に一致し、外れ値はごくわずかです。最初のクラスタはおもにANA祖先系統に由来し、LBAウランズーク文化の12個体(以後、ウランズーク1と呼ばれます)とEIA石板墓の13個体(以後、石板墓1と呼ばれます)とDSKC文化と関連する2個体が含まれます。さらに、ウランズーク文化の1個体(以後、ウランズーク2と呼ばれます)と石板墓の3個体(以後、石板墓2と呼ばれます)はフブスグル_LBAクラスタとの高い類似性を示し、主要なANAクラスタの外側に位置づけられます[56]。第二のクラスタはDSKC文化のサグサイおよびヒルギスール墓と関連する27個体で構成されており、フブスグル_LBAの14個体が含まれ、DSKC個体群の中核集団として機能します[1~3]。第三のクラスタは、アルタイ_MLBAの遺伝的勾配(9個体)を表しています[1~3]。以下は本論文の図2です。
モンゴル中央部の新たに配列決定された個体のほとんどは最初の2クラスタと重なり、2個体のみが外れ値となります(図2A)。第一に、LBAのDSKC文化とのみ関連する14個体は、フブスグル_LBAの遺伝的特性を有している個体群と重なります。したがって、遺伝的特性と地理的分布の両方を考慮して、この14個体は「中央モンゴル_LBA_DSKC」に分類されました。第二に、11個体はウランズーク1および石板墓1と重なり、そのうち3個体はLBAの石像形/入れ子構造の墓に由来し、残りの8個体はEIAの石板墓に由来します。したがって、これらの個体は2分析集団に割り当てられ、それは「中央モンゴル_LBA_石像埋葬」と「中央モンゴル_EIA_石板墓」です。LBAのDSKC文化と関連し、主成分2(PC2)に沿って他のDSKC個体群からわずかに下方に動いている残りの外れ値2個体は、中央モンゴル_LBA_DSKC_oと分類されました。
注目されるのは、外れ値2個体を除いて、同じ埋葬背景を共有する個体群は、PCAで同じ遺伝的クラスタにも属していることです。これはLBA個体群において明らかで、石像形/入れ子構造の墓と古墳は別々にクラスタ化します(まとまります)。祖先系統および起源におけるこれらの違いは、両集団が同じ地理的地域に居住し、酪農牧畜を行なっていたにも関わらず、LBAのモンゴル中央部で観察された埋葬の違いを説明できるかもしれません。さらに、連続的な遺伝的2クラスタ間の時間的重複、つまり、LBA個体群はほぼフブスグル_LBA的特性に属していた一方で、EIA個体群は石板墓1的特性のみに属していたことは、この地域における大きな人口変化期の2集団間に、最小限の遺伝的相互作用しかなかったことを強く示唆します。具体的には、オルホン川流域におけるLBAのヒルギスールおよびEIAの石板墓のAMS年代のベイズモデル化から、EIA石板墓埋葬の最初の段階はLBA埋葬伝統の最終段階と約150年間重なっているかもしれない、と示唆されます。
PCAで観察されたクラスタ化パータンは、qpWaveプログラムを用いての単系統群性の形式的検証[69]によって確証されました。モンゴル中央部人の石板墓およびフブスグル_LBA特性の代表として、フブスグル_LBAとの混合のない刊行されている石板墓の13個体(石板墓1)と、均質な遺伝的特性のフブスグル・アイマグ地区の刊行されているDSKCの14個体(フブスグル_LBA)がそれぞれ用いられました。本論文のqpWave分析では、中央モンゴル_LBA_DSKCは遺伝的にフブスグル_LBAと区別できませんが、中央モンゴル_LBA_石像埋葬と中央モンゴル_EIA_石板墓は遺伝的に石板墓1と区別できません。ひじょうに対照的に、中央モンゴル_LBA_DSKCは石板墓1と明らかに区別され、中央モンゴル_LBA_石像埋葬と中央モンゴル_EIA_石板墓はフブスグル_LBAと区別されます[48]。
各遺伝的クラスタは、異なるYHg特性も有していました。DSKC文化と関連する新たに配列決定された男性と以前に刊行された男性のうち、大半はYHg-Q1a2に分類されましたが(男性全28個体のうち、17個体がYHg-Q1a2、2個体がYHg-Q1a1)、石像形および石板墓文化と関連する男性のうち優勢なYHgはQ1a1でした(男性全21個体のうち、14個体がYHg-Q1a1で、1個体がYHg-Q1a2)。YHgのこの対照的な分布は、2クラスタ間の遺伝的違いをさらに強調し、DSKCと関連する人々と石像形埋葬と関連する人々の間のLBAにおける限定的な遺伝的相互作用、およびEIA石板墓文化までのほぼ完全な人口置換のさらなる証拠を提供します。
さらに、主要なフブスグル_LBA的クラスタからPC2Aに沿って下方に動いている2個体から構成される中央モンゴル_LBA_DSKC_oは、同様の遺伝的特性を以前に特定された外れ値個体であるウランズーク2(1個体)および石板墓2(3個体)と共有しています[56]。これの集団と同様に、中央モンゴル_LBA_DSKC_oは24.0%のウランズーク1祖先系統と76.0%のフブスグル_LBA祖先系統の混合としてqpAdmではモデル化され、本論文が把握している限りでは、DSKC個体群におけるそうした混合遺伝的特性の最初の既知の事例となります。これらの外れ値個体のうち1個体(MKT012)は、古墳(MKT21号墓)からハック殺されており、この墓は独特な古墳設計を特徴とし、被葬者の独特な遺伝的特性を反映しています。中央モンゴル_LBA_DSKC_oの特定から、この中間的な遺伝的特性はLBAとEIAの埋葬伝統に存在した、と明らかになりますが、この特性に適合する個体の数は依然としてひじょうに限られており、主要な遺伝的クラスタにおける顕著な違いは観察されず、広範な人口混合の強い証拠の欠如が確証されます。
●モンゴルのLBAおよびEIA牧畜民におけるIBD塊の共有
遺伝的に異なる2集団の存在は広範な地理的地域に拡大しており、一方はフブスグル_LBA的、もう一方は石板墓1的で、集団内の高度な接続性の伴う大規模な人口拡大がモンゴルではLBAとEIAに起きた、と示唆されます。しかし、長期にわたるこれらの遺伝的特性の存続は、人口拡大および相互作用のの解釈を複雑にしており、それは、ゲノム規模のアレル(対立遺伝子)頻度分析には、これらの集団内のより詳細な区別を検出するための解像度が欠けているからです。より詳しく遺伝的相互作用と埋葬伝統を調べるために、ancIBDプログラムを用いて、モンゴルのLBAおよびEIA個体間でのIBD塊共有の調査によって、より高解像度の分析が実行されました(図3)。充分なゲノム規模網羅率のある個体群のみが含められ(合計51個体で、その内訳は、DSKCが25個体、石像形が11個体、石板墓が15個体)、偽陽性を減少させるために、下流分析では12cM以上のIBD塊のみが解析されました。12cM以上のIBD塊を共有する合計169組が見つかり、全てのあり得る組み合わせ(1275組)の13.3%を表しており、累計長は3942.7cMです。以下は本論文の図3です。
モンゴル中央部のLBAに焦点を当てると、同様の埋葬所属を有する地理的に遠い集団間でのIBD共有の強い増加が観察されました。具体的には、LBAの石像形埋葬(11個体、内訳は石像形3個体とウランズーク8個体)およびLBAのDSKC古墳と関連する個体群が分析され、その地理的範囲はモンゴル中央部でのみ重なっていました。以下のように2集団間のIBD共有のパターンが比較され、それは、(1)同じ埋葬所属で構成されるものの、組の一方がモンゴル中央部の異なる地理的地域に由来する場合と、(2)モンゴル中央部内の同じ地理的地域内ではあるものの、異なる埋葬所属の個体群の組み合わせです。200km以内の場所は、同じ地理的地域の一部とみなされました。両方の分類について、IBD塊の合計長と最大長は同じ埋葬所属を共有する個体間で有意により長い、と分かりました(図3A)。共有IBD塊の空間分布を地図化すると、これら遺伝的パターンの埋葬の影響はさらにより明らかになり、個体は長距離移動においてさえ埋葬伝統を維持し、おもに同様の埋葬慣行と遺伝的特性を共有していた他の個体と相互作用しており、これはPCAの結果を裏づけます。
同様の埋葬慣行の個体間の長距離のつながりは、遠くに位置して長いIBD塊を共有する2組(MKT001とARS017、およびMKT010とARS001)、によってさらに証明されます(図3B)。この両方の組み合わせはDSKC文化と関連する個体で構成されており、一方はMKT遺跡、もう一方は、モンゴル北部のアルブラグ・サム(ARS)地域です。この2ヶ所の遺跡間の距離は約360kmにも関わらず、各組み合わせは100cM超のIBDを共有しており、4~5親等の親族関係と示唆されます。これは、古代の個体間の遺伝的近縁性を検出する手法であるKINによって裏づけられ、MKT001とARS017およびMKT010とARS001は5親等の親族である可能性が最も高い、と示されます。これらDSKCの親族の2組は、稀で重要な発見を表しており、古代DNAの文献で類例はわずかです。注目すべき比較には、1410km離れたアファナシェヴォ文化の5親等の親族や、350~1000km離れた3~5親等の親族関係の匈奴期の3個体[72]の組み合わせが含まれます。これらの事例は、長距離の人口移動(アファナシェヴォ文化)もしくは遊牧民における高度な移動性(匈奴)の強い証拠と解釈されてきました。DSKCの事例は、同様に注目に値します。DSKCのじれはは、かなりの地理的距離にわたる広範な親族の結びつきの稀な証拠を提供し、DSKC文化圏内の高度な移動性および社会的結合について説得力のある裏づけを提示します。
注目すべきことに、4個体のうち1個体(ARS017)は、とくに著しい事例を表しています。石像形および石板墓クラスタと単系統群であるにも関わらず、ARS017はそれらのクラスタとの密接な親族関係を欠いています。代わりに、ARS017はモンゴル中央部の個体MKT001と長いIBD塊を共有しており、MKT001は遺伝的に異なるものの、DSKCの埋葬慣行を共有しています。考古学的には、ARS017は、DSKC文化圏の中核地域であるモンゴル北部に位置する、DSKCと決定的に関連する埋葬から発掘され、年代はMKT001よりずっと早くなります[3]。したがって、ARS017はDSKC共同体の構成員とみなされていた可能性が高そうです。ARS017もしくはその近い祖先がDSKC共同体へと移住して組み込まれ、その後でDSKCの遺伝的特性の個体と何世代にもわたって通婚し、MKT001ニニおける混合のゲノム規模の兆候が希釈された、という状況が推測されます。したがって、ARS017はLBAにおける相互作用の埋葬および遺伝的パターンへの稀な知見を提供します。しかし、全体的には、LBAにおいて観察される祖先系統と親族関係と埋葬所属のパターンから、遺伝的相互作用はおもに同じ埋葬集団に限られ、異なる埋葬背景の個体群は、モンゴル中央部など文化的交差点においてさえ遺伝的には滅多に混合しなかった、と示唆されます。
IBD共有のパターンは、モンゴル中央部におけるEIA石板墓文化の拡大にも知見を提供します。考古学的研究では、石板墓文化はモンゴル東部の石像形墓集団に起源があり、モンゴル中央部および北部へと人口拡大を通じて急速に広がり、在来のLBA人口集団を置換した、と提案されてきました。この想定が成立するならば、石板墓個体群は石像形個体群とよりも相互と多くのIBDを共有する、と予測され、逆に、集団あいだの限定的な遺伝着交流を反映することになります。これを検証するために、共有IBDの合計長をあり得る個体の組み合わせの数で割ることによって、各集団内および2集団間で共有される平均IBDが計算されました。検定統計量は集団内IBD共有の平均値と集団間IBD共有の平均値(両集団間の平均)との間の差と定義され、3.585cMの値が得られました。石像形の11個体と石板墓の15個体について対でのIBD行列が構築され、行列構造を維持しながら無作為に移し変えた個体の分類表示による1万回の置換によって、その有意性が評価されました。わずか4回の置換が観察された統計量を上回り、各集団内部のIBD共有の濃縮が示唆され、本論文の手法の統計的検出力が論証されました。
しかし、このパターンは2集団間の時間的および地理的分離に影響を受けるかもしれません。これらの交絡効果を最小限にするために、両集団が時間的に連続する個体群によって表される、モンゴル中央部に焦点が当てられました。人口置換が起きたならば、この地域の石板墓個体群は在来の石像形個体群との最小限のIBDを示すはずです。これを検証するために、個体群が4集団に区分され、それは、モンゴル中央部の石像形個体群(Fc、3個体)、モンゴル東部の石像形個体群(Fe、8個体)、モンゴル中央部の石板墓個体群(Sc、6個体)、モンゴル中央部外の石板墓個体群(So、9個体)です。次に、モンゴル中央部の石像形集団とモンゴル中央部の石板墓集団(FcSc、同じ地域の【時間的に】連続した集団)の間で共有される平均IBDが計算され、それがモンゴル東部の石像形集団とモンゴル中央部の石板墓集団(FeSc、異なる地域の集団)との間で共有される平均IBDと比較されました。Scにおける背景IBDを説明するために、Soを用いて推定値が正規化されました。同じ地域の【時間的に】連続した集団間で共有されるIBDであるFcScの濃縮は、在来の遺伝的連続性を示唆しますが、そうした濃縮の欠如は人口置換を裏づけます。正規化されたFcSc(3.392/2.901)は正規化されたFeSc(2.394/1.281)より小さく、置換の1万回のうち6895回ではより大きな濃縮がえられ、顕著な局所的連続性は示唆されません(図3C)。この結果は、地域間の石板墓個体群における均質性のモデルを裏づけ、モンゴル中央部における人口置換の仮説を補強しますが、より大きな標本規模でのさらなる検証が必要です。
最後に、【石板墓文化のモンゴル】東方起源モデルは、モンゴル東部の石板墓個体群と石像形集団との間のIBD共有の増加を予測します。この説明に反して、モンゴル東部の個体群(FeS、1.726cM)よりもモンゴル中央部の石像形個体群の方との大きなIBD共有が観察され(FcS、3.097cM)、これはおもに、石板墓の数個体とIBD断片を共有する1個体MKT014に起因します。FeS/FcS比の計算と、それを165回のあり得る置換から生成された帰無分布との比較によって、このパターンが評価されました。限定的な標本規模を考慮すると予測されるように、結果は統計的に有意ではなく、東方起源モデルを厳密に検証するには、追加のデータが必要と浮き彫りになります。全体的に、これらのIBD共有パターンから、石像形人口集団と石板墓人口集団との間の限定的な遺伝的連続性が示唆され、これは石板墓人口集団による人口置換の想定と一致しますが、東方起源モデルはより大きなデータセットで形式的に検証されねばなりません。
最後に、LBAとEIA両方の個体群についてROH塊が推定されました。長いROH塊は近い過去の近親婚を示唆しますが、短いROH塊が多いことは小さな人口規模を示唆します。ほとんどの個体は顕著な長さのROH塊を示しませんでしたが、LBAの石像形埋葬と関連する2個体(MKT014とI12960)[2]と石板墓の1個体(I6357)[2]は、約20cM以上のROH塊を示しました。このパターンは、DSKC個体群におけるそうした兆候の欠如と組み合わさって、密接な親族間の結婚慣行は、石像形および石板墓文化では限られていた可能性が高いか、おそらくは石像形文化から石板墓文化へと伝播したことを示唆しているかもしれません。
●金石併用時代/EBAのアファナシェヴォ文化およびEBAのチェムルチェグ文化のLBA人口集団への寄与
中央モンゴル_LBA_DSKC(14個体)と以前に刊行されたDSKC個体群(27個体)との間で識別可能な遺伝的違いは見つからず、これらの個体は単一の分析超集団「モンゴル_LBA_DSKC(41個体)」に統合され、qpAdmを用いての混合モデルの検証の解像度が高められました。より少ない数の個体での先行研究は2供給源集団の混合としてDSKC個体群をモデル化しており、それは、セロヴォ・グラズコヴォ文化と関連するバイカル湖地域のLN~BA個体群(バイカル_LNBA)[37、53、54]と、ユーラシア西部草原地帯のMLBA牧畜民(シンタシュタ_MLBAとクラノヤルスク_MLBAによって表されます)で、後者は10%未満の寄与をしました[1、3]。重要なことに、このわずかな祖先系統構成要素について、先行するEBA人口集団を含めてMLBA人口集団と異なるさまざまな古代の牧畜民人口集団が、限定的な統計的解像度のため同様に等しくモデルに適合します[1、3]。
qpAdmを用いて、本論文のより大きな標本規模と向上した解像度でこのモデルを再び検証すると、このモデルはもはや、モンゴル_LBA_DSKCの遺伝的特性には充分に適合しない、と分かりました。さらに、このモデルは第三の供給源としてANA関連人口集団(ANAの代理として東モンゴル_BA前、北モンゴル_N、ウランズーク1、石板墓1を使用)[1、2、56]を追加した後でさえ依然として不充分でした。この不適合は、アファナシェヴォ文化およびチェムルチェグ文化集団を外群一式に追加した場合には、より顕著にさえなりました。
これらの結果に基づいて、充分に適合する3方向混合モデルを得るために、在来の金石併用時代およびEBA牧畜民人口集団か、アファナシェヴォ文化集団か、チェムルチェグ文化集団でのMLBA牧畜民の置換、および第三の供給源としてANA関連人口集団を用いることによって、分析が改良されました。モンゴル_LBA_DSKCは、66.6±4.9%のバイカル_LNBAと10.5±0.8%のアファナシェヴォ文化集団と22.9±4.4%の東モンゴル_BA前の混合か、56.2±6.0%のバイカル_LNBAと14.8±1.2%のチェムルチェグ文化集団と29.0±5.1%の東モンゴル_BA前の混合として、適切にモデル化されました。注目すべきことに、これら3方向混合モデルは、シンタシュタ_MLBAもしくはクラノヤルスク_MLBAが外群一式に追加されてさえ、依然として堅牢で、MBAアンドロノヴォ文化牧畜民からの識別可能な寄与は裏づけられません。
また、これらのモデルは、データ生成を報告した元々の研究で定義されたDSKC下位集団すべてと、個体水準での全個体に一致して適用可能でした。これらの調査結果から、ユーラシア東部草原地帯の最初の牧畜民である金石併用時代/EBAのアファナシェヴォ文化集団と、アファナシェヴォ文化集団の部分的子孫であるその後のEBAチェムルチェグ文化集団[1、12、48]は、その後のLBAのDSKC牧畜民人口集団に重要な遺伝的寄与をした、と示唆されます(図4A)。DSKC人口集団と石像形/石板墓人口集団との間の対照的なYHgの分布に促され、混合期間における性別固有の遺伝的寄与も調べられました。これを評価するために、常染色体とX染色体との間の混合割合が比較されました。残念ながら、バイカル_LNBA とANA関連人口集団の2供給源集団の遺伝的類似性のため、X染色体について申請できる祖先系統割合の推定値は得られませんでした。以下は本論文の図4です。
モンゴル極西部に居住しており、その祖先系統がアルタイ_MLBAと報告されたBA人口集団について、祖先系統の妥当な近位モデルは、先行研究[1]で報告されたフブスグル_LBAとクラノヤルスク_MLBAの混合として要約されます。本論文のモデル化では、アルタイ_MLBA(9個体)は50.0±0.7%のモンゴル_LBA_DSKCと、西方草原地帯祖先系統の代理として機能する50.0±0.7%のフブスグル_LBAの2方向混合として適切に説明されました(図4A)。常染色体とX染色体との間の結果を比較すると、X染色体上でわずかにより高い割合のDSKC祖先系統が見つかり、西方草原地帯祖先系統からのわずかに男性に偏った寄与が示唆されます。このパターンは、アルタイ_MLBA個体群におけるYHg-Q1a2の欠如と一致します。
MLBA個体間のIBD断片の共有パターンも、モンゴル_LBA_DSKCとアルタイ_MLBA(8個体、9個体のうち8個体にはancIBDの実行に充分なゲノム規模網羅率があります)との間の強い遺伝的つながりを裏づけ、石像形個体群の関係はより遠くなっています(図4B)。アルタイ_MLBAはモンゴル_LBA_DSKCと組み合わせあたり平均1.21cMのIBD塊を共有しており、これは石像形個体群(0.16cM)もしくは石板墓個体群(0.12cM)と共有される平均値の7倍以上です。対照的に、石像形個体群はアルタイ_MLBA(0.16cM)およびモンゴル_LBA_DSKC(1cM)とよりも石板墓個体群(2.05cM)の方と多くのIBD塊を共有しており、文化的つながりが遺伝的パターンにどのように反映されているのか、さらに浮き彫りになります(図4B)。アルタイ_MLBA とモンゴル_LBA_DSKC との間で共有されるIBD断片の合計長と最大長の両方は、アルタイ_MLBA とと石像形個体群との間を上回っていたことも分かりました(図4C)。
●考察
文化的変化の性質、および人口動態と着想の拡散のどちらががこの過程をどの程度駆動するのか、ということは、考古学内で長く議論されてきました。しかし、そうした議論を進めることは、そうした相互作用を経た人口集団からの高解像度の遺伝的および文化的データの取得の難しさによって、困難でした。本論文では、多様なLBAおよびその後のEIA集団にとって文化的交差点として機能した地域である、LBAおよびEIAのモンゴル中央部における文化的変化の重要な事例が調べられました。LBAには、独特なDSKC埋葬伝統と石像形埋葬伝統の文化的に異なる集団が約500年間共存し、その後にEIAの石板墓伝統の拡大が続きました。
古ゲノムおよび考古学的データの統合によって、LBAの遺伝的特性と埋葬慣行の間の強い相関が特定されました。これが示すのは、これら二つの異なる埋葬伝統であるDSKCと石像形は共存していたものの、共有していた地理的地域を占めており、同様の生計戦略を行なっていたにも関わらず、めったに混合せず、独特な埋葬慣行と遺伝的特性を維持していた、ということです。この遺伝的区別は、オルホン川上流域のMKTで最適に示され、そこでは両方の伝統の埋葬が見つかりました。これら考古学的2集団は、独特で内部では多様な埋葬慣行を有していました。DSKCの埋葬伝統がサグサイおよびヒルギスール様式の埋葬を含む古墳埋葬と関連しているのに対して、石像形埋葬伝統は石像形で亜鈴で入れ子構造の古墳と関連しています。
全体的に、個体群は他の共有しているより広範な埋葬伝統とおもに交流していた、と分かり、各伝統内の埋葬の差異にも関わらず、強い社会的結合が示唆されます。舞烏巣形態に加えて、死者の向きが遺伝的特性と密接に相関していたことも分かり、これは社会的結合のさらなる標識として機能し、異なる世界観や信仰体系を反映していた可能性が高そうです。具体的には、MKT遺跡ではDSKC個体群は一貫して山の尾根に平行して埋葬され、その東部は北北西を向いていたのに対して、石像形/入れ子構造の墓内の全個体は東南東を向いていました。各集団内の共存された遺伝的祖先系統と埋葬伝統のこのパターンは、数百年間この地域で維持された、族内婚規則を含めて長期の社会規範の産物のようです。数世紀にわたるほとんど人口混合のない共存および真正な景観の共有の、この稀なLBAの考古学的事例研究は、通常は伝統的な考古学および遺伝学的分析では曖昧である、社会的慣行や規範や選択を解明するための、考古遺伝学の能力を強調します。
本論文で新たに生成されたデータセットは、とくに石像形集団では限定的で、これは分布の北西端の位置を考えると予測されますが、現時点では、性別(ジェンダー)もしくは社会的地位がLBAにおいて特定された遺伝的に異なる2集団の形成に主要な役割を果たした、と示唆する証拠はありません。両渓谷【オルホン川とタミル川】では、DSKCと石像形両方の集団でほぼ同数の男女の個体が見つかりました。この均衡のとれた表れは、性別と遺伝的特性との間に明確な相関がないことを示唆しています。社会的地位の指標は少なく、副葬品は見つからず、ヒルギスールにおいて動物遺骸はウマの頭部の埋葬もしくは焼けたヒツジの骨に限られており、この慣行は紀元前1200年頃以後にやっと出現し、それ以前(紀元前1500~紀元前1200年頃)の違いを説明できる可能性は低そうです。同様に、限られた人類学的データは、集団間の顕著な違いを示唆していません。この2集団【DSKCと石像形】が完全に異なる地域に居住していたことを考えると、集団自体の間の違いを説明するのではなく、石像形埋葬についてはモンゴルの東部および南部、DSKCについてはモンゴルの西部および北部および中央部という局所的要因が、集団内のパターンを形成した可能性がより高そうです。
紀元前二千年紀末におけるLBAからEIAにかけての移行に伴い、DSKCおよび石像形の埋葬は新たな石板墓埋葬伝統の出現に置換されました。この過程は約150年間続き、この置換の埋葬および遺伝的側面の詳細な調査が可能となります。石板墓形態には、石板と鐙とD字型の埋葬が含まれ、死者の向きは東側で、これは石像形埋葬での観察と同様です。モンゴル東部および南部における石像形埋葬と石板墓埋葬の分布の重なりや、身体の向きの共有パターンは、石板墓現象がそれ以前の石像形集団から出現した、との仮説につながりました。この考古学的仮説は、遺伝学的に石板墓個体群をそれ以前のウランズーク埋葬と関連づけた、モンゴル東部における先行研究[1]によって裏づけられ、ウランズーク埋葬は一般的に、より広範な石像形埋葬伝統内に分類されています。本論文では、伝統的な石像形埋葬から得られた遺伝的データが提示され、石像形墓内に埋葬された個体群は、東方の同時代のウランズーク個体群およびその後の石板墓個体群と遺伝的特性を共有していた、との強い証拠が示されます。石像形個体群のゲノムと石板墓個体群のゲノムのさらなる標本抽出は、より広範なLBAの石像メタ個体群(アレルの交換といった、ある水準で相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群の集団)からの石板墓の出現と拡大の過程を理解するのに役立つでしょう。
重要なことに、石板墓集団とDSKC集団との間の明らかな遺伝的差異を活用すると、石板墓集団はモンゴル中央部において在来のDSKC集団と遭遇したさいに、在来の遺伝的に在来のDSKC集団と遺伝的に混合しなかった、と示されます。代わりに、DSKC文化とその遺伝的特性は地域から消滅し、その後の期間にも表れず、大規模な置換が示唆されます。一部のDSKC個体は北方へ移動した、シベリア南部に位置するトゥヴァのEIA人口集団の台頭に考古学的に寄与したかもしれません。トゥヴァでは、とアルジャン1遺跡やトゥンヌグ0遺跡など支配層の埋葬は、DSKC文化に起原のある特徴を示しており、それには、動物様式の装飾や記念碑的な墓の構造や衛星墓の建造が含まれ、これはトゥヴァではそれ以前の在来LBA伝統に由来しません。
最後に、本論文で新たに生成されたデータによって、金石併用時代およびEBAにおける人口移動と関連する、それ以前の文化的移行の解明が可能となりました。モンゴルでは、牧畜は金石併用時代/EBAのアファナシェヴォ文化およびEBAのチェムルチェグ文化と関連する人口集団によってもたらされました。本論文では、その後のLBA人口集団へのわずかな遺伝的寄与の形態での、その継続的な遺伝的遺産の証拠が見つかりました。具体的には、モンゴル_LBA_DSKCの混合モデルが、バイカル_LNBAとANAとアファナシェヴォ文化/チェムルチェグ文化祖先系統の3方向混合として更新されユーラシア西部供給源が金石併用時代/EBAのアファナシェヴォ文化およびEBAチェムルチェグ文化人口集団と特定されました。注目すべきことに、これらの集団は家畜化したウマを有していなかったので、本論文の改良モデルから、LBA牧畜民のこの重要な技術的特徴は、文化伝播を通じてこの地域に導入された可能性が高い、と示唆されます。これが示唆するのは、アルタイ山脈との西方の境界を除いてモンゴルの大半では、LBA牧畜民は西方から到来したウマ牧畜民集団との遺伝的混合なしにウマの牧畜を採用したことです。これは、シンタシュタおよびアンドロノヴォ層準と関連する人々の人口拡散によって引き起こされた、ユーラシア西部および中央部草原地帯における家畜化したウマの採用とは際立って対照的です。シンタシュタおよびアンドロノヴォ文化関連人口集団の拡大が、アルタイ山脈沿いで勢いを急速に失った理由は依然として未解決で、モンゴルにおけるMBA期の人口統計学的歴史および考古学への集中的な研究が必要です。
本論文の調査結果は、BAおよびIAのモンゴルにおける大きな文化的および遺伝的変化の考古学的理解を大きく深めますが、EBAからMBAへの移行は依然としてほとんど調べられていません。具体的には、ムンクハイルハン文化や、ウマの牧畜の拡大においてこれらの人口集団によって果たされた役割や、その後のLBA人口集団への影響などMBA埋葬伝統の出現は、この期間の古代ゲノムの数が限られているため、依然として不明です。この少なさにも関わらず、考古遺伝学研究はMBA個体群における遺伝的外れ値を特定してきており、その一部はその後のLBA人口集団では見つからず、この地域における動態の複雑さを強調しています[1、2]。この複雑さは、ゲノムの限られた利用可能性と相まって、モンゴルの人口統計学的歴史を完全に解明するための、さらに的を絞った考古学的および考古遺伝学的調査の早急な必要性を浮き彫りにします。
参考文献:
Lee J. et al.(2025): Slab Grave expansion disrupted long co-existence of distinct Bronze Age herders in central Mongolia. Nature Communications, 16, 8420.
https://doi.org/10.1038/s41467-025-63789-1
[1]Jeong C. et al.(2020): A Dynamic 6,000-Year Genetic History of Eurasia’s Eastern Steppe. Cell, 183, 4, 890–904.E29.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.10.015
関連記事
[2]Wang CC. et al.(2021): Genomic insights into the formation of human populations in East Asia. Nature, 591, 7850, 413–419.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03336-2
関連記事
[3]Jeong C. et al.(2018): Bronze Age population dynamics and the rise of dairy pastoralism on the eastern Eurasian steppe. PNAS, 115, 48, E11248–E11255.
https://doi.org/10.1073/pnas.1813608115
関連記事
[11]Zhang F. et al.(2021): The genomic origins of the Bronze Age Tarim Basin mummies. Nature, 599, 7884, 256–261.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04052-7
関連記事
[12]Kumar V. et al.(2022): Bronze and Iron Age population movements underlie Xinjiang population history. Science, 376, 6568, 62–69.
https://doi.org/10.1126/science.abk1534
関連記事
[22]Rasmussen M. et al.(2010): Ancient human genome sequence of an extinct Palaeo-Eskimo. Nature, 463, 7282, 757-762.
https://doi.org/10.1038/nature08835
関連記事
[23]Raghavan M. et al.(2014): Upper Palaeolithic Siberian genome reveals dual ancestry of Native Americans. Nature, 505, 7481, 87–91.
https://doi.org/10.1038/nature12736
関連記事
[25]Rasmussen M. et al.(2014): The genome of a Late Pleistocene human from a Clovis burial site in western Montana. Nature, 506, 7487, 225–229.
https://doi.org/10.1038/nature13025
関連記事
[26]Allentoft ME. et al.(2015): Population genomics of Bronze Age Eurasia. Nature, 522, 7555, 167–172.
https://doi.org/10.1038/nature14507
関連記事
[27]Jones ER. et al.(2015): Upper Palaeolithic genomes reveal deep roots of modern Eurasians. Nature Communications, 6, 8912.
https://doi.org/10.1038/ncomms9912
関連記事
[28]Mathieson I. et al.(2015): Genome-wide patterns of selection in 230 ancient Eurasians. Nature, 528, 7583, 499–503.
https://doi.org/10.1038/nature16152
関連記事
[29]Rasmussen M. et al.(2015): The ancestry and affiliations of Kennewick Man. Nature, 523, 7561, 455–458.
https://doi.org/10.1038/nature14625
関連記事
[30]Fu Q. et al.(2016): The genetic history of Ice Age Europe. Nature, 534, 7606, 200–205.
https://doi.org/10.1038/nature17993
関連記事
[31]Jeong C. et al.(2016): Long-term genetic stability and a high-altitude East Asian origin for the peoples of the high valleys of the Himalayan arc. PNAS, 113, 27, 7485–7490.
https://doi.org/10.1073/pnas.1520844113
関連記事
[33]Lazaridis I. et al.(2016): Genomic insights into the origin of farming in the ancient Near East. Nature, 536, 7617, 419–424.
https://doi.org/10.1038/nature19310
関連記事
[34]Lazaridis I. et al.(2017): Genetic origins of the Minoans and Mycenaeans. Nature, 548, 7666, 214–218.
https://doi.org/10.1038/nature23310
関連記事
[36]Damgaard PB. et al.(2018): 137 ancient human genomes from across the Eurasian steppes. Nature, 557, 7705, 369–374.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0094-2
関連記事
[37]Damgaard PB. et al.(2018): The first horse herders and the impact of early Bronze Age steppe expansions into Asia. Science, 360, 6396, eaar7711.
https://doi.org/10.1126/science.aar7711
関連記事
[38]Harney É. et al.(2018): Ancient DNA from Chalcolithic Israel reveals the role of population mixture in cultural transformation. Nature Communications, 9, 3336.
https://doi.org/10.1038/s41467-018-05649-9
関連記事
[39]Krzewińska M. et al.(2018): Ancient genomes suggest the eastern Pontic-Caspian steppe as the source of western Iron Age nomads. Science Advances, 4, 10, eaat4457.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aat4457
関連記事
[40]Lamnidis TC. et al.(2018): Ancient Fennoscandian genomes reveal origin and spread of Siberian ancestry in Europe. Nature Communications, 9, 5018.
https://doi.org/10.1038/s41467-018-07483-5
関連記事
[42]Lipson M. et al.(2018): Ancient genomes document multiple waves of migration in Southeast Asian prehistory. Science, 361, 6397, 92–95.
https://dx.doi.org/10.1126/science.aat3188
関連記事
[43]Mathieson I. et al.(2018): The genomic history of southeastern Europe. Nature, 555, 7695, 197–203.
https://doi.org/10.1038/nature25778
関連記事
[44]McColl H. et al.(2018): The prehistoric peopling of Southeast Asia. Science, 361, 6397, 88–92.
https://doi.org/10.1126/science.aat3628
関連記事
[45]Feldman M. et al.(2019A): Late Pleistocene human genome suggests a local origin for the first farmers of central Anatolia. Nature Communications, 10, 1218.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-09209-7
関連記事
[46]Jeong C. et al.(2019): The genetic history of admixture across inner Eurasia. Nature Ecology & Evolution, 3, 6, 966–976.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0878-2
関連記事
[47]Kanzawa-Kiriyama H. et al.(2019): Late Jomon male and female genome sequences from the Funadomari site in Hokkaido, Japan. Anthropological Science, 127, 2, 83–108.
https://doi.org/10.1537/ase.190415
関連記事
[48]Narasimhan VM. et al.(2019): The formation of human populations in South and Central Asia. Science, 365, 6457, eaat7487.
https://doi.org/10.1126/science.aat7487
関連記事
[49]Sikora M. et al.(2019): The population history of northeastern Siberia since the Pleistocene. Nature, 570, 7760, 182–188.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1279-z
関連記事
[50]Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
関連記事
[51]Skourtanioti E. et al.(2020): Genomic History of Neolithic to Bronze Age Anatolia, Northern Levant, and Southern Caucasus. Cell, 181, 5, 1158–1175.E28.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.04.044
関連記事
[52]Yang MA. et al.(2020): Ancient DNA indicates human population shifts and admixture in northern and southern China. Science, 369, 6501, 282–288.
https://doi.org/10.1126/science.aba0909
関連記事
[53]Yu H. et al.(2020): Paleolithic to Bronze Age Siberians Reveal Connections with First Americans and across Eurasia. Cell, 181, 6, 1232–1245.E20.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.04.037
関連記事
[54]Kılınç GM. et al.(2021): Human population dynamics and Yersinia pestis in ancient northeast Asia. Science Advances, 7, 2, eabc4587.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abc4587
関連記事
[55]Lazaridis I. et al.(2022): The genetic history of the Southern Arc: A bridge between West Asia and Europe. Science, 377, 6609, eabm4247.
https://doi.org/10.1126/science.abm4247
関連記事
[56]Lee J. et al.(2023): Genetic population structure of the Xiongnu Empire at imperial and local scales. Science Advances, 9, 15, eadf3904.
https://doi.org/10.1126/sciadv.adf3904
関連記事
[57]Lee J. et al.(2024): Medieval genomes from eastern Mongolia share a stable genetic profile over a millennium. Human Population Genetics and Genomics, 4, 1, 0004.
https://doi.org/10.47248/hpgg2404010004
関連記事
[58]Lazaridis I. et al.(2014): Ancient human genomes suggest three ancestral populations for present-day Europeans. Nature, 513, 7518, 409–413.
https://doi.org/10.1038/nature13673
関連記事
[60]Moreno-Mayar JV. et al.(2018): Terminal Pleistocene Alaskan genome reveals first founding population of Native Americans. Nature, 553, 7687, 203–207.
https://doi.org/10.1038/nature25173
関連記事
[61]Posth C. et al.(2023): Palaeogenomics of Upper Palaeolithic to Neolithic European hunter-gatherers. Nature, 615, 7950, 117–126.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-05726-0
関連記事
[62]Changmai P. et al.(2022): Ancient DNA from Protohistoric Period Cambodia indicates that South Asians admixed with local populations as early as 1st–3rd centuries CE. Scientific Reports, 12, 22507.
https://doi.org/10.1038/s41598-022-26799-3
関連記事
[63]Fu Q. et al.(2014): Genome sequence of a 45,000-year-old modern human from western Siberia. Nature, 514, 7523, 445–449.
https://doi.org/10.1038/nature13810
関連記事
[64]Wang K. et al.(2023): Middle Holocene Siberian genomes reveal highly connected gene pools throughout North Asia. Current Biology, 33, 3, 423–433.E5.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.11.062
関連記事
[65]Mallick S. et al.(2016): The Simons Genome Diversity Project: 300 genomes from 142 diverse populations. Nature, 538, 7624, 201–206.
https://doi.org/10.1038/nature18964
関連記事
[68]Flegontov P. et al.(2019): Palaeo-Eskimo genetic ancestry and the peopling of Chukotka and North America. Nature, 570, 7760, 236–240.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1251-y
関連記事
[69]Reich D. et al.(2012): Reconstructing Native American population history. Nature, 488, 7411, 370–374.
https://doi.org/10.1038/nature11258
関連記事
[72]Gnecchi-Ruscone GA. et al.(2025): Ancient genomes reveal trans-Eurasian connections between the European Huns and the Xiongnu Empire. PNAS, 122, 9, e2418485122.
https://doi.org/10.1073/pnas.2418485122
関連記事
[73]Ringbauer H, Novembre J, and Steinrücken M.(2021): Parental relatedness through time revealed by runs of homozygosity in ancient DNA. Nature Communications, 12, 5425.
https://doi.org/10.1038/s41467-021-25289-w
関連記事




この記事へのコメント