イベリア半島青銅器時代末集団のゲノムデータ
イベリア半島北東部の末期青銅器時代~前期鉄器時代の人類遺骸の新たなゲノムデータを報告した研究(Ezcurra et al., 2025)が公表されました。本論文は、土葬と火葬がともに見られるイベリア半島北東部の末期青銅器時代の人類24個体と、前期鉄器時代1個体の新たなゲノムデータを報告し、既知の古代人および現代人のゲノムデータと比較しています。このうち、末期青銅器時代の24個体のゲノムは、ヨーロッパ中央部青銅器時代人口集団と遠い関係にある遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)と、在来のイベリア半島南東部集団と類似した祖先系統で説明できる、と示されました。また、末期青銅器時代の24個体の多くが、1~6親等の生物学的親族関係にあることも分かりました。
以下の略称は、UDG(uracil-DNA-glycosylase、ウラシルDNAグリコシラーゼ)、MPI EVA(Max Planck Institute for Evolutionary Anthropology、マックス・プランク進化人類学研究所)、bp(base pairs、塩基対)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、cM(centimorgan、センチモルガン)、PMR(pairwise mismatch rate、不適正塩基対率)、MNI(minimum number of individuals、最小個体数)、KIN(Kinship INference、親族関係の推測)、ANGSD(analyzing next generation sequencing data、次世代配列決定データ分析)、READ(Relationship Estimation from Ancient DNA、古代DNAの関係推定)、HO(Human Origins、ヒト起源)、BREADR(Biological RElatedness from Ancient DNA in R、Rにおける古代DNAから得られる生物学的近縁性)、AADR(The Allen Ancient DNA Resource、アレン古代DNA情報源)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、Sr(ストロンチウム)、WHG(Western Hunter gatherer、ヨーロッパ西部狩猟採集民)、 EEF(Eastern Early Farmer、東方初期農耕民)、NE(Northeast、北東部)です。
時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、CA(Copper Age、銅器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EBA(Early Bronze Age、前期青銅器時代)、EMBA(Early to Middle Bronze Age、前期~中期青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)、MLBA(Middle to Late Bronze Age、中期~後期青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)、EIA(Early Iron Age、前期鉄器時代)、LIA(Late Iron Age、後期鉄器時代)、FBA(Final Bronze Age、末期鉄器時代)です。
本論文で取り上げられる主要な文化は、骨壺墓地(Urnfield)文化、アルガル文化(Argaric)、イベロ・レヴァンティン(Ibero-Levantine)文化、バレンシア文化(Valencian)、ハルシュタット(Hallstatt)文化、ヤムナヤ(Yamnaya)文化、ウーニェチツェ(Únětice)文化です。
本論文で取り上げられるスペインの主要な遺跡は、スペインでは、北東部のセグラ(Segre)川およびエブロ(Ebro)川の合流点付近のメキネンサ(Mequinenza)市に位置するロス・カステレッツ(Los Castellets、略してLCA)複合遺跡、ピオホス洞窟(Cueva de los Piojos、略してPIJ)遺跡、ロヨ・ギリェン(Royo Guillén)遺跡、エル・アルガル(El Argar)遺跡、バレンシア州カステリョン県(Castellón)のモルトルム古墳(Túmulo de Mortorum)遺跡、ラ・アルモロヤ(La Almoloya)遺跡、ラ・バスティダ(La Bastida)遺跡、ラ・ホルナ(La Horna)遺跡、カベゾ・レドンド(Cabezo Redondo)遺跡、ペノン・デ・ラ・ゾッラ(Peñón de la Zorra)遺跡、プンタル・デ・ロス・カルニセロス(Puntal de los Carniceros)遺跡、アストゥリアス州(Asturias)のエル・エスピノソ(El Espinoso)遺跡、バスク州アラバ県(Álava)のエル・ソティーリョ(El Sotillo)遺跡、ナバラ州(Navarra)のアルト・デ・ラ・クルス(Alto de la Cruz)遺跡、ラス・エラタス(Las Eretas)遺跡です。
●要約
イベリア半島北東部における青銅器時代から鉄器時代への移行は、主要な埋葬慣行としての火葬の出現によって特徴づけられます。骨壺墓地文化として知られる集団の文化的属性は、紀元前1300~紀元前850年頃となる末期青銅器時代にイベリア半島北東部に拡大しました。この集団の出現についてさまざまな仮説が存在しますが、火葬がDNAの保存を妨げています。本論文は、土葬と火葬が末期青銅器時代にともに見られるロス・カステレッツ2遺跡(スペイン)の集団埋葬塚から発掘された24個体と、ロス・ピオホス遺跡(スペイン)の前期鉄器時代1個体のゲノム規模データを提示します。その結果、2供給源人口集団がロス・カステレッツ2遺跡個体群における祖先系統の説明に必要で、一方は草原地帯関連祖先系統が豊富で、ヨーロッパ中央部青銅器時代人口集団と遠い関係にある祖先系統、もう一方は在来のイベリア半島南東部と同様の第二の供給源である、と示されます。さらに、同じ集団塚の個体の2/3は1~6親等と生物学的に密接な親族関係にあり、男性1個体に最も多くの遺伝的親族がいました。家族集団内の近親婚の痕跡が検出され、すべてまとめると、この塚が家族の壮大な墓として用いられていたことを示唆しています。
●研究史
ヨーロッパの先史時代の遺伝的多様性は重要な人口統計学的事象によって形成され、最後の主要な変容は紀元前3000~紀元前2000年頃のポントス・カスピ海草原地帯関連牧畜民からの祖先系統の流入です[たとえば、1~3]。しかし、青銅器時代(紀元前2200~紀元前850年頃)には、ヨーロッパ大陸全域で多様な文化集団が出現して広がり、これによって、考古遺伝学的手法ではまだ詳細に調べられていない、文化拡散対地域間移動についての議論も生じました。具体的には、ヨーロッパにおける青銅器時代の最終段階(紀元前1300~紀元前850年頃)は骨壺墓地文化の出現によって特徴づけられ、骨壺墓地文化は西方ではヨーロッパ中央部からイベリア半島の北東部にまで広がり、さまざまな共有されている特徴のうち新規かつ広範な埋葬儀式として火葬が確立されました(図1A)。火葬はその後の鉄器時代において主要な葬儀処置として続き、乳児と一部の成人のみがこの処置を受けませんでした。以下は本論文の図1です。
本論文では、青銅器時代という用語を、イベリア半島における全年代期間(紀元前2200~紀元前850年頃)を指すのに用いられます。この広範な層準は2期に区分され、一方は紀元前2200~紀元前1400年頃の年代範囲を指す前期~中期青銅器時代(EMBA)、もう一方は紀元前1400~紀元前850年頃の間となる後期青銅器時代(LBA)です。末期LBAは火葬の出現と一致し、末期青銅器時代(FBA)と呼ばれ、本論文ではイベリア半島の紀元前1300~紀元前850年頃の間の年代期間を網羅します(図1C)。このように、本論文の目的は、中期青銅器時代として定義される層準に関して、イベリア半島内外の異なる地理的地域に存在する不一致の解決です。
火葬およびその後の壺へのヒト遺骸の埋葬は、生物考古学的研究にとって大きな課題を示しています。分子的観点から、火葬は、直接的な年代と食性と人口統計学的推測のデータの主要な情報源である、コラーゲンおよび/もしくは古代DNAの回収機会を著しく減少させ、この期間の研究をさらに困難にします。しかし、火葬された遺骸の分析における最近の進歩は、形態学や骨計測学や組織学の手法を含めて、これらの資料から得られる情報を大きく増加させてきました。さらに、ストロンチウム同位体比(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr)分析についての改善された生物実験室実施要綱によって、研究者は、土葬と火葬の両慣行がともに行なわれていた状況での個体の生涯における移動性パターンを推測できるようになりました。火葬と土葬がともに行なわれていたかもしれない既知の青銅器時代遺跡は数ヶ所しかなく、ロス・カステレッツ2遺跡はそうした事例です。
●イベリア半島の北東部における「骨壺墓地文化」
イベリア半島北東部における「骨壺墓地文化」と関連する火葬慣行の出現は、さまざまな考古学的観点で考察されてきました。最初の火葬のネクロポリス(大規模共同墓地)はボッシュ=ギンペラ(Bosch-Gimpera)氏によって研究され、ボッシュ=ギンペラ氏は、当初在来の南東部のアルガル文化の影響を示唆した後で、イベリア半島北東部の骨壺墓地文化の説明を、主要な起源としてヨーロッパ中央部に位置するハルシュタット文化からの移住と代えました。ハルシュタット仮説は20世紀に数人の研究者によって採用され、そうした研究者は大規模な移住/侵略から、紀元前1300年頃となるピレネー山脈全域からの短距離の人口移動まで、さまざまな状況を考察しましたが、在来の青銅器時代集団の活発な役割を強調しました。現在、研究者は、局所的規模でのFBAからIAへの移行を促進した優勢なモデルとして、在来の発展と人口連続性を考えています。このモデルは大きな人口移動(民族移動)を除外するものの、他集団との限定的な接触を排除していません。じっさい、イベリア半島における独特な「骨壺墓地文化」の全体的な概念について、疑問が呈されてきました。その定義する特徴の一部は、さまざまな期間に出現して拡大した、と示されてきており、たとえば、溝模様土器は紀元前1300年頃ですが、火葬墓地は紀元前1100~紀元前1000年頃まで出現しませんでした。
ゲノムの観点からは、イベリア半島のFBA集団についてほとんど分かっていません。これまでに比較的少数の個体(7個体、低網羅率の個体は除外)が刊行されており[3、24、25]、これらの個体は骨壺墓地文化集団の影響を受けた地域で発見されていません(図1B)。BAからIAにかけての草原地帯関連祖先系統の一般的な増加は、スペイン北部と現在のフランスで検出連れてきました[3、25]。イベリア半島におけるこの現象のあり得る一つの説明は、骨壺墓地文化集団の出現は過剰な草原地帯関連祖先系統と関連していたかもしれない、というもので、後者のより高い割合はヨーロッパ中央部で観察されました。しかし、これまで、直接的な遺伝的つながりがヨーロッパ中央部LBA人口集団間では検出されておらず、草原地帯祖先系統のこの増加の起源に関する問題は、依然として解決されていません。
本論文は、特異なロス・カステレッツ2遺跡の個体群を分析し、この遺跡では土葬と火葬の2通りの埋葬慣行が年代および文化的連続を示しており、一定期間ともに行なわれていたかもしれず、イベリア半島北東部の骨壺墓地文化共同体に光を当てます。比較のために、紀元前760~紀元前431年頃と直接的に年代測定された、イベリア半島北東部のピオホス洞窟遺跡のEIAの1個体のデータも生成されました。
●ロス・カステレッツ2遺跡:イベリア半島北東部の特異なLBAネクロポリス
ロス・カステレッツ考古学複合体は、現在のスペイン北東部のセグラ川とエブロ川の合流点近くのメキネンサ市に位置しています(図1B)。ロス・カステレッツ遺跡は2ヶ所の尾根にまたがっており、深い峡谷で隔てられています。EMBA(紀元前1850~紀元前1550年頃)からイベリア文化(LIA、紀元前500~紀元前100年頃)の物質分のある集落は、在来の骨壺墓地文化の特徴的な遺物を含めて、最東端の丘陵に位置しています。FBA/IAにさかのぼる火葬塚の広大なネクロポリスは、ロス・カステレッツ1と命名された集落の隣で発見されました。西側尾根はロス・カステレッツ2と命名され、ほぼFBA(紀元前1300年頃)~LIA(紀元前500年頃)の期間の土葬および火葬塚の混在したネクロポリスによって占められています。土葬と火葬は両方とも年代および文化的連続を示し、時間的重複は紀元前900~紀元前800年頃の間の最小限で、この儀式多様性が狭い時間枠で観察されるイベリア半島北東部の唯一の事例として際立っています。紀元前800年頃以降、土葬の慣行は終焉し、火葬がより一般的/優勢になり、ネクロポリスが放棄されたEIA末(紀元前500年頃)まで続きました。この集落自体は少なくとも紀元前4~紀元前3世紀まで存続し、その頃に古典文献ではイレルグエテス人(Illerguetes)と呼ばれているイベリア集団がこの地域に存在していました。この集落の最初の趨勢は(紀元前1300~紀元前700年頃)は、多くの土葬および火葬とともに、先行研究によって在来の骨壺墓地文化に分類されました。
集団埋葬/個人埋葬と土葬/火葬慣行の間には相関があり、それは、すべての火葬は単一の個体を対象としているようで、集団埋葬の少数の事例は土葬だからです。集団埋葬塚は、個体を同じ埋葬空間に経時的に連続的かつ非同時的に埋葬するものと理解され、新石器時代以来この地域で行なわれてきたひじょうに古い埋葬伝統を表しています。2号塚は本論文で分析された主要な埋葬構造で、1ヶ所の集団土葬埋葬から構成され、紀元前1200~紀元前827年頃の少なくとも30個体が含まれ、回収された副葬品には溝模様土器があります(図2)。これは、同じ葬儀空間と年代枠と物質文化を、死者を火葬した最初の共同体と共有していたこの個体群を、遺伝学的特徴づける機会を提供します。以下は本論文の図2です。
2号塚の個体のほとんどは、身体の一部が動いていたため、解剖学的な位置では見つかりませんでした。入口により近い個体群はより奥の個体群よりも散らばっておらず、これはおそらく後期の埋葬では塚の内部により多くの空間を作ったことと関連しており、それには多くの場合で小さな時間的差異が生じました。しかし、一部の個体の二次土葬(他の場所で埋葬された人骨の収集とその後の埋葬塚への再埋葬)も示唆されました。推定30のMNI(最小個体数)から、成人23個体(76%)が選択されました。標本の総数は、錐体骨のある頭蓋骨および/もしくは歯のある下顎骨の選択から得られました。本論文に含められた追加の1個体(LCA031)は、別の少なくとも3個体の集団埋葬である、27号塚に埋葬されていました。
●目的
ロス・カステレッツ2遺跡のFBAネクロポリスにおける土葬と火葬の部分的な年代重複、および、葬儀処置の両種類が特定の物質文化を共有している事実から、この遺跡はイベリア半島北東部においてこれまでに研究された遺跡の中で特異的です。本論文の主要な目的は、(1)物質の状況および葬儀慣行で見られるように、FBAにおいて遺伝的祖先系統の変化を推測できるのかどうか、判断すること、(2)イベリア半島北東部のいわゆる骨壺墓地文化集団の拡大に関するさまざまな仮説に光を当てること、(3)イベリア半島の先行するEMBA集団と比較して、FBA集団に遺伝的祖先系統をもたらした、潜在的な遺伝的起源をを説明することです。遺伝学的データと考古学的データの統合によって、FBAの土葬2号塚の集団生物学的近縁性や近親交配の兆候や潜在的な社会的慣行および埋葬体系も調べられました。しかし、伝統的な集団葬儀のこれらの個体がFBA社会全体を表しているのかどうかなど、他の問題への回答は、FBAおよびIA個体のより大規模な標本が分析されるまで、できないでしょう。遺伝的祖先系統分析およびモデル化に役立てるために、紀元前760~紀元前431年頃と直接的に年代測定された、イベリア半島北東部のピオホス洞窟遺跡新たなEIAの1個体が報告され、共同分析されます。
●遺伝学的データセット
まず、保存状態について古代人標本38点がDNA検査されました。古代DNAが抽出され、考古遺伝学部門(ドイツのイェーナのライプツィヒのMPI EVA)に設置された自動化ロボット経路1本鎖非UDGライブラリへと変換されました。古代DNAの保存状態は、Hiseq4000イルミナ(Illumina)社構築基盤で約500万の単一端読み取りの浅いショットガン配列決定によって評価され、その後、内在性ヒトDNAの割合、40~75塩基対の間の平均読み取り長、5’末端における特徴的な古代DNA損傷パターンの評価が行なわれました。これらの基準を満たすライブラリは、ヒトゲノムにおける124万ヶ所の情報をもたらす部位(124万SNPパネル)の溶液内混合捕獲[31]、ミトコンドリアDNA(mtDNA)[1]およびY染色体捕獲[32]で、それぞれ保持されました。合計で、イベリア半島北東部のロス・カステレッツ2(FBA、24個体)およびピオホス洞窟(EIA、1個体)の2ヶ所の異なる考古学的遺跡の25個体から、ゲノム規模データが生成されました。
捕獲後に、対象の124万SNPの内在性ヒトDNA含有量は、0.55~80.11%の割合で得られました。先行研究に従って遺伝学的性別が推定され、ANGSD(男性)およびAuthentiCT(遺伝学的性別の両方)の両方を用いて常染色体データが、ContamMixを用いてミトコンドリアデータ(遺伝学的性別の両方)が評価されました。その結果、研究対象の個体群で最小限の汚染が示唆され、男性の核DNAでは推定値が3%未満、全個体のmtDNAでは推定値が3%未満でした。
重複かもしれない標本を特定するためにBREADRとKINとREADが用いられたのは、そうした標本が集団埋葬の状況に由来するからです。2点の標本、つまりLCA005.A(左側錐体骨)とLCA009.B(下顎左側第三大臼歯)は、同じ個体(最も可能性の高い状況)もしくは一卵性双生児であることと一致するPMRを示した、と分かったので、その後はデータが統合され、この2点の標本は単一個体として扱われ、LCA009.AとLCA009.Bは分離されました。LCA010.ABとLCA007.Aは1親等の関係と分かり、より低い網羅率の標本であるLCA007.Aは集団遺伝学的分析から除外されました。この2事例以外にも、1親等以下の近縁性の異なる程度で数組が検出されました。
全体的に、本論文の最終的なデータセットは、3158~722429ヶ所の対象SNPの範囲の25個体から構成されます。これらの個体を別々に分析するさいには、124万パネルから4万ヶ所超のSNPの個体が選択され、集団遺伝学的分析では、不充分なSNP網羅率の9個体が除外され、16個体が保持されました。本論文のデータセットが、古代および現代のヒト集団の遺伝子型データを含む刊行されているAADR第51.1.p1データ保管所[40]と統合されました。補足データ2.1には、個体識別番号と集団分類表示が含まれています。生物学的近縁性分析では、1000ヶ所以上の共有SNPのある個体が含められ、それによって240組の組み合わせの検証が可能となりました。最後に、40万ヶ所以上の個体群でancIBDが用いられ、個体の組み合わせ間でのIBD共有が計算されました。
●LBAおよびIAイベリア半島北東部からの人口統計学的知見
イベリア半島北東部の新たに遺伝子型決定されたFBAおよびEIA個体と他の地理的および年代的に近い集団との間の遺伝的類似性を調べるために、HOのSNPパネルの現代のユーラシア西部人口集団一式で計算されたPCAが実行され[42]、古代の個体群がそれに投影されました。ロス・カステレッツ2遺跡のFBA個体群は、刊行されているイベリア半島EMBAおよびLBA個体群と部分的に重なる位置に収まるものの、エル・アルガル遺跡(紀元前2200~紀元前1550年頃)の個体群、もしくはイベリア半島北部のEMBA集団より「草原地帯関連祖先系統」が少ないイベロ・レヴァンティン/バレンシアBA[42]など、イベリア半島南東部EMBA集団の差異外に位置する、と観察されました。さらに、ピオホス洞窟の新たなEIAの1個体は、ロス・カステレッツ2遺跡のFBA個体群よりも高い主成分2(PC2)値を示します。主成分(PC)空間での変化が異なる遺伝子型手法を用いたデータ処理における違いに基づいているのかどうか、調べられ、最終的にはこの可能性を除外できました。以下は本論文の図3です。
先行研究[3]では、草原地帯関連祖先系統はBAからIAの移行期に増加した、と示され、ヨーロッパ中央部からの骨壺墓地文化の拡大がこのの原因だったかもしれない、と示唆されました。しかし、草原地帯関連祖先系統の増加当時の全体的なIAデータセットを用いて評価されており、その中にはイベリア半島の骨壺墓地の中核地域と関連する個体はありませんでした。したがって、同年代の土葬および火葬と葬儀処置の両種類における同様の物質文化がある骨壺墓地文化ネクロポリスの本論文のFBAデータセットによって、いくつかの手法を用いてこれらの結論の再評価が可能となります。
まず、できるだけ低い標準誤差を維持するよう最適化された、先行研究[25]で提案された遠位qpAdmモデルを用いて、草原地帯祖先系統の量を定量化することにより、イベリア半島北東部における地域的水準での草原地帯祖先系統の量の増加を検出できるのかどうか、形式的に検証されました。この特定のモデルは、WHGとEEFと古草原地帯(草原地帯牧畜民)の供給源および外群の遺伝的に密接な一式を用います(図3B)。このモデルが、個々に、および北東スペイン_EMBAやロス・カステレッツ2遺跡や北東スペイン_FBA_モルトルムや北東スペイン_EIA(ピオホス洞窟の新たなEIA遺跡が含まれます)や北東スペイン_LIAの集団として実行され、経時的な祖先供給源の割合の変化が評価されました。その結果は、EMBAとFBAとの間の草原地帯関連祖先系統の割合の増加を示しているものの、検出された増加は有意ではありません。同じ個体の草原地帯関連祖先系統の代理としての主成分2(PC2)座標は、EMBAとFBAの間の正ではあるものの有意ではない傾向を確証します。草原地帯関連祖先系統の割合の有意な違いは、イベリア半島北東部のEMBA対EIAおよびLIAを比較した場合にのみ観察されます。
さらに、f₄形式(ムブティ人、検証;ロシア_サマラ_EBA_ヤムナヤ、トルコ_N)のf₄統計は一貫して正で、これはFBA全体の草原地帯関連祖先系統における増加を示唆していますが、|Z|≥ 3を適用すると統計的に有意ではありません。とくにイベリア半島北東部から得られたこれらの結果はは、イベリア半島全体について先行研究[3]で得られた結果と同様のパターンを示唆しています。まとめると、草原地帯関連祖先系統の増加がFBAに始まったかもしれない、との仮説を除外できません。しかし、草原地帯関連祖先系統のそれ以前の増加の可能性や、それが特定の文化的集団と関連していたのかどうか、報告するには、さまざまな地域にわたるFBAの考古学的遺跡からの追加のデータが必要です。
次に、考古学的証拠から推測されるさまざまな仮説を検証するために、より遠位のモデルの調査が目指されました。まず、帰無仮説では経時的な人口(つまり遺伝的)連続性を仮定する、在来発展の仮説が検証されました。具体的には、ロス・カステレッツ2遺跡個体群が、同じ地理的地域の先行する人口集団(北東イベリア_EMBAもしくは北イベリア_EMBA)と遺伝学的に区別できないのかどうか、検証されました。しかし、標準的な外群一式を用いると、ロス・カステレッツ2遺跡個体群は単一供給源として北東イベリア_EMBAでも北イベリア_EMBAでもモデル化に成功できず、EMBAとFBAとの間のイベリア半島北東部における人口連続性の帰無仮説は却下されます。おそらく年代的にはロス・カステレッツ2遺跡個体群よりわずかに早いか同じくらい(紀元前1300~紀元前1000年頃)の、刊行されているモルトルム古墳遺跡の単一個体は、100%の北東イベリア_EMBAとしてモデル化できますが、おそらくは限定的な解像度と単一個体を分析するさいの統計的検出力の減少に起因します。
次に、骨壺墓地文化期からの追加の遺伝的影響についての考古学的仮説および他の潜在的な人口統計学的状況と一致する、遺伝的祖先系統の2供給源の混合モデルを含む、代替仮説が調べられました。まず、先行する北東イベリア_EMBAと第二供給源としてのヨーロッパ中央部BAもしくは地中海中央部(骨壺墓地文化の拡大の領域的限界)BA集団の混合として、ロス・カステレッツ2遺跡個体群のモデル化が試みられましたが、良好なモデル適合(p値が0.05超)は得られませんでした。
本論文の祖先系統モデル化は、北東イベリア_EMBAとロス・カステレッツ2遺跡の新たに報告されたFBA個体群との間の遺伝的連続性を却下し、ヨーロッパ中央部もしくは地中海中央部集団からの祖先系統追加はモデル適合性を改善しなかったので、この祖先系統がイベリア半島南東部EMBA集団からの遺伝子流動によって説明できるのかどうか、具体的に検証することにしました。ボッシュ=ギンペラ氏のような初期の学者は、イベリア半島北東部のFBA集団におけるイベリア半島南部の影響を示唆しました。そこで、アルガル文化のラ・アルモロヤ遺跡およびラ・バスティダ遺跡の後期考古学的段階の個体群と、地中海沿岸のイベロ・レヴァンティンBAに属する個体群(ラ・ホルナ遺跡、カベゾ・レドンド遺跡、ペノン・デ・ラ・ゾッラ遺跡、プンタル・デ・ロス・カルニセロス遺跡)がまとめられ、人口集団の分類表示「南東イベリア_EMBA」の下で統合されました。
次に、この集団がFBA個体群の祖先系統の単一供給源として、もしくは2方向混合モデルでの他のBA供給源との組み合わせで使用できるのかどうか、検証されました。ロス・カステレッツ2遺跡個体群は、南東イベリア_EMBAに在来および外来のBA集団を含む潜在的供給源の一覧を加えて、モデル化されました。南東イベリア_EMBAを追加すると、体系的にモデル適合性が改善する、と観察されました。たとえば、南東イベリア_EMBAおよびヨーロッパ中央部BA集団を祖先系統の2供給源として用いると、良好なモデル適合性が得られました。しかし、2供給源としての南東イベリア_EMBAと在来_EMBA(北東イベリア_EMBAもしくは北イベリア_EMBA)でのモデルは裏づけられませんでした(図3C)。次に、外群もしくは供給源として、南東イベリア_EMBAと北東イベリア_EMBAの両方を含む循環qpAdmモデルが実行され、その結果は最適な供給源人口集団としての南東イベリア_EMBAを裏づけます。
要するに、これらの結果から、南東イベリア_EMBA個体群によって表される遺伝的祖先系統が、現時点ではロス・カステレッツ2遺跡個体群で見せれるイベリア半島祖先系統の最適に代理である、と示唆されます。このモデルはエル・エスピノソ遺跡(アストゥリアス州)の刊行されている北スペイン_FBA個体群にも適合しますが、南東イベリア_EMBAによって表される祖先系統の割合はロス・カステレッツ2遺跡個体群よりも低く、この集団は2個体のみで表されます。南東イベリア_EMBAは、イベリア半島において最低の割合の草原地帯関連祖先系統の集団と示されてきており、地中海中央部/東部人口集団からの追加の遺伝子流動が示唆されました[42]。本論文の結果では、地中海中央部からの直接的な遺伝子流動は必要ではなく、在来の南東イベリア_EMBAがロス・カステレッツ2遺跡個体群によって表されるFBA人口集団でのモデル化に適合的な供給源である、と示唆されます。
全体的に、本論文の近位モデルから、検証されたEMBA集団とFBA集団との間の遺伝的変化は、イベリア半島北東部地域への南東イベリア_EMBA祖先系統の流入によっておきたかもしれない、と示唆されます。この結果は、ロス・カステレッツ2遺跡の男性個体の100%で見られるY染色体系統R1b1a1b1a1a2(P312)と一致しており、全男性個体は、標本品質のさまざまな程度で、先行するイベリア半島BA集団においても最も一般的であるY染色体ハプログループ(YHg)R1b1a1b1a1a2a1b(Z198)です。
しかし、南東イベリア_EMBA祖先系統は、ロス・カステレッツ2遺跡個体群の遺伝的構成を完全には説明しません。さらに、より高水準の草原地帯関連祖先系統を有する、ヨーロッパ中央部BA集団によって最適に表される祖先系統の低い割合が、第二供給源として必要です。ヨーロッパ中央部の特徴的なYHgは見つからなかったので、ヨーロッパ中央部BA祖先系統は、同様にヨーロッパ中央部BA集団から遺伝子流動を受けタより近い集団(たとえば、フランス南部のLBA集団)を通じて到来したに違いありません。ヨーロッパのBAで検出された女性族外婚のパターンも、新たなYHgの導入なしでの微妙な遺伝的変化を説明できるかもしれません[43~45]。
最後に、ピオホス洞窟のEIAの1個体(PIJ001)は、ロス・カステレッツ2遺跡FBA個体群からの100%の祖先系統としてモデル化できませんでした。代わりに本論文のFBA個体群にヨーロッパ中央部BA個体群の祖先系統を加えると、より良好なモデル適合が得られ、イベリア半島北東部におけるFBAからEIAへの継続的な遺伝子流動が示唆されます(図3C)。
●LBAイベリア半島共同体の社会的パターンへの洞察
イベリア半島FBA共同体の親族関係慣行は、この期間の充分なデータの欠如のため、まだ調べられていませんでした。異なる遺跡から、ごく少数のデータが利用可能で(アストゥリアス州のエル・エスピノソ遺跡で3個体、バスク州アラバ県のエル・ソティーリョ遺跡で1個体、バレンシア州カステリョン県のモルトルム古墳で2個体)、遺跡内研究はこれまで報告されていませんでした。
本論文では、ロス・カステレッツ2遺跡のFBAの塚の成人24個体(23個体は2号塚、1個体は27号塚)を共同分析できました。同じ塚に埋葬された個体間の近縁性の程度が推定されました(図4A・B)。注目すべきことに、多数の親族が見つかり、その内訳は、1親等の親族が1組(父親と息子)、2親等の親族が7組、3親等の親族が2組、4親等の親族が5組、5/6親等の親族が少なくとも12組です。これは、標本の少なくとも2/3が生物学的に密接な親族関係だったことを示唆しています。残りの8個体のうち、1個体は27号塚から離れており、他の個体との密接な生物学的つながりを示さず、4個体は低網羅率(16000ヶ所未満のSNP)だったので、2親等以下の生物学的近縁性の可能性を除外できません。これは、2号塚が拡大張家族によって大霊廟として使用された可能性を示唆しており、拡大家族では生物学的つながりが他の種類の関係に優先していました。以下は本論文の図4です。
塚内では、遺伝学的な男性(11個体)と女性(13個体)の人数はほぼ同等と観察されました。しかし、女性個体間よりも男性個体間の方で、密接な生物学的つながりが見つかりました。1親等の親族1組と、2親等の親族7組が見つかりました。1親等の組み合わせは成人男性2個体、つまりLCA007とLCA010で構成され、KINによって得られたこの結果は父親と息子の関係を示唆しました。しかし、この結果は、標本LCA007の低網羅率(わずか45000ヶ所の重複SNP)のため注意深く扱われるべきで、ミトコンドリアのハプロタイプが本論文の解像度の限界内では同一なので(両個体はH2aで、観察された多型として263 Gと750 Gと15326 Gがあります)、兄弟の想定も依然として可能です。逆に、1親等の関係は成人女性個体間もしくは成人の男女の個体間では見つかりませんでした。さらに、2親等の親族関係の可能性が最も高い、8組の個体も特定されました。成人男性個体の4組(LCA003とLCA010、LCA003とLCA029、LCA020とLCA032、LCA012とLCA028)、成人女性個体の2組(LCA004とLCA014、LCA004とLCA011)、成人の男女の個体の2組(LCA033とLCA030、LCA003とLCA004)がありました(図4A)。2親等の組み合わせ(LCA003とLCA029、LCA004とLCA014)は、同じmtDNAハプログループ(mtHg)を示しており、LCA003とLCA029はU5b1、LCA004とLCA014はU5a1c1aで、これは母方の2親等の関係と一致します。残りの4個体のmtHgは一致しなかったので、父方の遺伝的関係と一致しました。2組(LCA020とLCA032、LCA012とLCA028)については、依然として結論が出ていません。IBD断片のみを用いると、ひじょうに可能性の高い祖父母/孫(LCA003とLCA010、LCA004とLCA011)の2組と、オジ甥(姪)もしくは半キョウダイ(両親の一方のみを共有する関係)関係の2組(LCA033とLCA030、LCA003とLCA004)が特定されます。
密接な男性親族の組み合わせがより多く見つかっている事実は、女性間と男性間と男女間を比較したさいの、READから得られた平均PMRによって裏づけられます。平均的に、男性個体は女性個体よりも遺跡の他の個体と密接な親族関係にあり、これは父系および恐らくは父方居住を示唆しています。しかし、局所検定を実行すると。得られた結果は遺跡における一部の女性の親族の存在のため、有意ではありません(図4D)。この状況は、イベリア半島のEMBAですでに観察されている状況と同様で、イベリア半島のEMBAでは、父系と父方居住慣行の明確な指標が遺跡内水準では見つかったものの、統計的検定では依然として有意ではありませんでした。この検定における有意性の欠如の可能な説明は、女性コホート(特定の性質が一致する個体で構成される集団)における族外婚の典型的な年齢以下の女性個体を含んでいることです。
さらに、塚の少なくとも8個体は成人男性個体LCA003と2親等~5/6親等の親族関係で、LCA003個体は遺伝的親族網の中心に位置づけられます。密接な親族関係ではない残り7個体のうち、2個体が男性で、女性は5個体でした(図4B)。イベリア半島の先行するEMBA期と同様に、またヨーロッパでは一般的に、父系継承の系統はY染色体の多様性減少を示しており、ロス・カステレッツ2遺跡については、R1b1a1b1a1a2a1b(Z198)ハプロタイプ(解像度のさまざまな水準で)しか見つかりませんでした。ロス・カステレッツ2遺跡の事例で示唆される父方居住を示唆する遺伝的指標はありますが、単一の埋葬塚からの情報は、これが本当に当てはまるのかどうか、あるいは、代わりにそれ以前の期間と比較してさほど顕著ではない傾向が観察されるつつあるのかどうか、判断するにはあまりにも限られています。
最後に、2個体においてROHで視覚化される親子間の近縁性水準増加(20cM超)が観察され、これらのうち少なくとも1個体はイトコ同士の結婚で生まれた子供と同等で、1個体はマタイトコ間もしくはそれより遠い関係の親族間の子供と同等です(図4E)。興味深いことに、この2個体は両方とも、生物学的家族網の一部です。これらの結果は、この家族網内の特定の族内婚慣行を示唆しているかもしれません。しかし、他の同年代の遺跡からの拡張データの不足のため、より一般化した慣行の検証はできないことに要注意です。同様のROH蓄積パターンは、EIAの1個体PIJ001や、ナバラ州のラス・エラタス遺跡およびアルト・デ・ラ・クルス遺跡のEIAの2個体で観察されていますが、イベリア半島の先行する銅器時代およびEMBAでは観察されませんでした[42]。
●考察
本論文の集団ゲノム解析の結果は、EMBA個体群とイベリア半島北東部のロス・カステレッツ2遺跡の本論文のFBA個体群との間の遺伝的不連続性の存在を示唆しており、これはイベリア半島南東部の影響と、草原地帯関連祖先系統の多い祖先系統の追加の供給源寄与によって説明できるかもしれません。
しかし、地理的に中間の遺跡や年代から得られた遺伝的標本の限られた数のため、これらの潜在的なつながりがいつどこで確立したのか、正確には明らかにできません。このイベリア半島南部との類似性の特定に用いられた個体の大半はエル・アルガル遺跡およびイベロ・レヴァンティン・バレンシアBAクラスタ(まとまり)と関連していましたが、これらイベリア半島南部BA個体群は新たに報告されたFBA個体群に数世紀先行します。この期間には、人口移動と遺伝的混合が広範だったかもしれません。考古学的観点からは、本論文の遺伝学的モデルで観察されたイベリア半島南東部祖先系統は、紀元前1550年頃の社会経済的および政治的変化に照らすと妥当で、考古学的研究によってエル・アルガル遺跡の衰退の提案されている理由の一つとして提案されており、この変化はイベリア半島南部のイベリアBA集団の組織化により大きな影響を及ぼしました。本論文の遺伝的データは、地中海中央部ではなく局所的な地中海南西部からのより強い裏づけを見つけましたが、紀元前1300年頃以降の地中海地域との相互作用水準の一般的な増加を示唆する、考古学的証拠もあります。
さらに、ロス・カステレッツ2遺跡のFBA個体群のモデル化には、ヨーロッパ中央部BA代理によって表される、約17%の祖先系統が必要です。しかし、本論文の結果は、ヨーロッパ中央部BA供給源との外因性/異地性の接触ではなく、イベリア半島南東部EMBA集団によって起きたより在来的/自所性の現象を裏づけます。ヨーロッパ中央部BA祖先系統は遺伝的代理として最適に理解され、この種類の祖先系統は、地理的により遠位の供給源、つまりほぼ標本抽出されていないフランスなんぶのLBA集団経由で寄与された可能性が高そうです。この背景にある根拠は、ロス・カステレッツ2遺跡におけるすべてのY染色体系統が、典型的なイベリア半島のYHg-R1b1a1b1a1a2a1b(Z198)と一致するものの、BAヨーロッパ中央部のウーニェチツェ文化で見られる多様性[48]と一致しないことです。
考古学的観点からは、集団埋葬内の溝付土器の出現は、ヨーロッパ中央部とのイベリア半島北東部のつながりを反映していますが、葬儀建築様式は紀元前四千年紀以降に同じ地域に存在した巨石伝統と類似しています。ロス・カステレッツ2遺跡における塚の建造から、考古学者は、FBAにおける新たな文化要素の採用にも関わらず、少なくとも一部の集団については「古い」葬儀慣行の存続を考えるようになりました。したがって、ゲノムデータとともに考古学的背景を統合的に分析することは、少なくともロス・カステレッツ2遺跡の土葬個体群については、FBAのこの地域における骨壺墓地現象と関連する人々による侵入もしくは植民地化との見解を除外します。しかし、青銅器時代のイベリア半島の東側の地域との、おそらくは中間的な集団を介した、連続的ではあるものの微妙な、文化的つながりおよび遺伝的類似性の証拠があります。
青銅器時代のこの地域における人口動態の完全な評価は、現時点で利用可能なデータによって依然として制約されており、いくつかの側面は慎重に扱われねばなりません。最も重要なのは、ロス・カステレッツ2遺跡でともに居住していたものの、火葬を行なっていた共同体が依然として標本抽出されていないことです。ロス・カステレッツ2遺跡において土葬と火葬は共存し、物質文化を共有していましたが、火葬はより長く存続した一方で、土葬は紀元前800年頃までに消滅しました。2号塚埋葬の個体群はロス・カステレッツ2遺跡のこの最初の居住段階を表しているにすぎませんが、同年代およびその後の火葬された個体群が異なる遺伝的特性を示すかもしれない可能性は、除外できません。さらに、ロス・カステレッツなどイベリア半島北東部の内陸地域における集落パターンは、沿岸部や西部平原や山岳地帯とは顕著に異なっており、FBAイベリア半島の物語のその後の遺伝的歴史は、確かにより複雑になるかもしれません。
本論文で研究対象とされた集団埋葬の2号塚は、その面積と特権的位置とそこに埋葬された個体数の点で際立っています。さらに、ネクロポリスは明確に区分された葬儀区画を示しており、これは異なる家族集団もしくは氏族の存在と関連づけられてきました。この仮説と一致して、2号塚は特定の「家族」に属する、と提案されており、それは、2号塚を、近縁性の種類(たとえば、生物学的か同居か姻戚関係)を明示しない、親族関係にある集団として理解しています。本論文は、2号塚に埋葬された個体間の生物学的関係を明らかにし、その結果は、生物学的つながりが他の形態の親族関係とともに強調された、拡大生物学的家族と一致します。ロス・カステレッツ2遺跡では、女性個体よりも男性個体の方が多くの生物学的つながりを有しており、これは、他のEMBA遺跡で報告されたほど顕著ではないものの、社会/葬儀組織の父系形態を示唆しています[43~45、52~55]。同様の結果は新石器時代の記念碑的埋葬および集団埋葬でも報告されておれ、そうした遺跡では、記念碑墓に埋葬される権利は、おもに特定の成人男性とのつながりが存在した場合に認められましたが[56、57]、平坦なネクロポリスでも認められました[56、57]。2号塚における1親等の親族の少なさ(男性の1組のみ)は予想外で、標本の保存状態の偏り(たとえば、成人未満の個体の骨格遺骸の保存状態はさほど良好ではありません)、もしくはこれらの塚に埋葬された個体群の選択と関連する文化的慣行を反映しているかもしれません。
さらに、2号塚に埋葬された拡大生物学的集団に属する2個体と、ピオホス洞窟のEIAの1個体で近親交配の水準増加が観察されます。そうした水準の近親交配はイベリア半島のそれ以前の年代では報告されていませんが[42]、ナバラ州では前期鉄器時代に観察されているので、拡大生物学的家族の独特な特徴かもしれません。族内婚慣行自体は、階層的集団における出自を主張する手段として示唆されてきており、「高位首長制」集団における上流階層の密接な親族同士の結婚は、指導者にとって、意図的に禁忌に挑戦することによって、権力を強化し、権威を高める戦略として機能します。この仮説は、集団がロス・カステレッツ2遺跡において独特な巨石的な集団埋葬塚に葬られていた、という事実によって裏づけられ、これは社会的地位および/もしくは異なる信仰を反映しているかもしれません。しかし、FBAイベリア半島集団の限られたデータのため、LBA、具体的にはFBAにおけるより一般化した慣行を除外できません。
最後に、ロス・カステレッツ2遺跡の2号塚の特殊性のため、同じネクロポリスの他の近い塚では推測ができず、それは、この2号塚が、そうした多数の個体がある唯一の塚であるのに対して、他の塚には最大で3個体しか含まれていないからです。近くの27号塚から得られたデータ(個体LCA031)は、あり得るすべての組み合わせ間の生物学的近縁性の推定には充分な品質と量ではなく、検証が可能な場合(1000ヶ所超の部位)には、密接な親族は見つかりませんでした。
●まとめ
ロス・カステレッツ2遺跡の2号塚に埋葬された個体群の遺伝学的分析から、その祖先系統は異なる2供給源に由来していた、と示唆されます。一方の供給源は、同じ地域のEMBA個体群と比較してより高い割合の草原地帯関連祖先系統を示し、ヨーロッパ中央部祖先系統の他の地理的に近い集団(たとえば、フランス南部のLBA集団)を介しての寄与によって説明できます。もう一方の供給源はイベリア半島南東部のEMBA集団と関連している可能性があり、先行するイベリア半島北東部EMBA集団よりも良好な適合性が得られました。ロス・カステレッツ2遺跡集落のこの新たな情報および考古学的情報で、イベリア半島北東部地域における骨壺墓地文化の出現/存在は再検討されねばなりません。FBA人口集団の地域的異質性の理解のためにより現実的/微妙な枠組みを提供することによって、これらの結果は複雑な混合と人口統計学的歴史のある人口集団の将来の研究にとって貴重な情報源となり、物質文化対ヒトの移動に関する長年の議論に貢献します。
ロス・カステレッツ2の遺跡内水準での埋葬および社会的パターンへの新たな知見も提供できました。本論文の結果から、ロス・カステレッツ2遺跡の主要な埋葬塚は拡大家族によって使用されており、この拡大家族は生物学的に母方よりも父方の方とつながっていて、埋葬された個体の約66%は生物学的に親族関係にあり、そうした親族関係では族内婚がある程度は行なわれていた、と示されます。したがって、これらの結果は、イベリア半島のFBAにおける親族関係慣行についての知識を拡張します。将来の研究は、最近のストロンチウム同位体実施要綱を遺伝的祖先系統データと統合し、火葬個体と非火葬個体両方の個体の移動性を調べることによって、過去の人口動態のより包括的な理解を提供できるでしょう。
参考文献:
Ezcurra MB. et al.(2025): Genomic insights from a final Bronze Age community buried in a collective tumulus in an Urnfield settlement in Northeastern Iberia. Communications Biology, 8, 1299.
https://doi.org/10.1038/s42003-025-08668-7
[1]Haak W. et al.(2015): Massive migration from the steppe was a source for Indo-European languages in Europe. Nature, 522, 7555, 207–211.
https://doi.org/10.1038/nature14317
関連記事
[2]Allentoft ME. et al.(2015): Population genomics of Bronze Age Eurasia. Nature, 522, 7555, 167–172.
https://doi.org/10.1038/nature14507
関連記事
[3]Olalde I. et al.(2019): The genomic history of the Iberian Peninsula over the past 8000 years. Science, 363, 6432, 1230-1234.
https://doi.org/10.1126/science.aav4040
関連記事
[24]Valdiosera C. et al.(2018): Four millennia of Iberian biomolecular prehistory illustrate the impact of prehistoric migrations at the far end of Eurasia. PNAS, 115, 13, 3428–3433.
https://doi.org/10.1073/pnas.1717762115
関連記事
[25]Patterson N. et al.(2022): Large-scale migration into Britain during the Middle to Late Bronze Age. Nature, 601, 7894, 588–594.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04287-4
関連記事
[31]Mathieson I. et al.(2015): Genome-wide patterns of selection in 230 ancient Eurasians. Nature, 528, 7583, 499–503.
https://doi.org/10.1038/nature16152
関連記事
[32]Rohrlach AB. et al.(2021): Using Y-chromosome capture enrichment to resolve haplogroup H2 shows new evidence for a two-path Neolithic expansion to Western Europe. Scientific Reports, 11, 15005.
https://doi.org/10.1038/s41598-021-94491-z
関連記事
[40]Mallick S. et al.(2024): The Allen Ancient DNA Resource (AADR) a curated compendium of ancient human genomes. Scientific Data, 11, 182.
https://doi.org/10.1038/s41597-024-03031-7
関連記事
[42]Villalba-Mouco V. et al.(2021): Genomic transformation and social organization during the Copper Age–Bronze Age transition in southern Iberia. Science Advances, 7, 47, eabi7038.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abi7038
関連記事
[43]Mittnik A. et al.(2019):Kinship-based social inequality in Bronze Age Europe. Science, 366, 6466, 731–734.
https://doi.org/10.1126/science.aax6219
関連記事
[44]Villalba-Mouco V. et al.(2022): Kinship practices in the early state El Argar society from Bronze Age Iberia. Scientific Reports, 12, 22415.
https://doi.org/10.1038/s41598-022-25975-9
関連記事
[45]Penske S. et al.(2024): Kinship practices at the early bronze age site of Leubingen in Central Germany. Scientific Reports, 14, 3871.
https://doi.org/10.1038/s41598-024-54462-6
関連記事
[48]Papac L. et al.(2021): Dynamic changes in genomic and social structures in third millennium BCE central Europe. Science Advances, 7, 35, eabi6941.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abi6941
関連記事
[52]Sjögren K-G, Olalde I, Carver S, Allentoft ME, Knowles T, Kroonen G, et al. (2020) Kinship and social organization in Copper Age Europe. A cross-disciplinary analysis of archaeology, DNA, isotopes, and anthropology from two Bell Beaker cemeteries. PLoS ONE 15(11): e0241278.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0241278
関連記事
[53]Žegarac A. et al.(2021): Ancient genomes provide insights into family structure and the heredity of social status in the early Bronze Age of southeastern Europe. Scientific Reports, 11, 10072.
https://doi.org/10.1038/s41598-021-89090-x
関連記事
[54]Blöcher J. et al.(2023): Descent, marriage, and residence practices of a 3,800-year-old pastoral community in Central Eurasia. PNAS, 120, 36, e2303574120.
https://doi.org/10.1073/pnas.2303574120
関連記事
[55]Penske S. et al.(2024): Kinship practices at the early bronze age site of Leubingen in Central Germany. Scientific Reports, 14, 3871.
https://doi.org/10.1038/s41598-024-54462-6
関連記事
[56]Fowler C. et al.(2022): A high-resolution picture of kinship practices in an Early Neolithic tomb. Nature, 601, 7894, 584–587.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04241-4
関連記事
[57]Rivollat M. et al.(2023): Extensive pedigrees reveal the social organization of a Neolithic community. Nature, 620, 7974, 600–606.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06350-8
関連記事
以下の略称は、UDG(uracil-DNA-glycosylase、ウラシルDNAグリコシラーゼ)、MPI EVA(Max Planck Institute for Evolutionary Anthropology、マックス・プランク進化人類学研究所)、bp(base pairs、塩基対)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、cM(centimorgan、センチモルガン)、PMR(pairwise mismatch rate、不適正塩基対率)、MNI(minimum number of individuals、最小個体数)、KIN(Kinship INference、親族関係の推測)、ANGSD(analyzing next generation sequencing data、次世代配列決定データ分析)、READ(Relationship Estimation from Ancient DNA、古代DNAの関係推定)、HO(Human Origins、ヒト起源)、BREADR(Biological RElatedness from Ancient DNA in R、Rにおける古代DNAから得られる生物学的近縁性)、AADR(The Allen Ancient DNA Resource、アレン古代DNA情報源)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、Sr(ストロンチウム)、WHG(Western Hunter gatherer、ヨーロッパ西部狩猟採集民)、 EEF(Eastern Early Farmer、東方初期農耕民)、NE(Northeast、北東部)です。
時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、CA(Copper Age、銅器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EBA(Early Bronze Age、前期青銅器時代)、EMBA(Early to Middle Bronze Age、前期~中期青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)、MLBA(Middle to Late Bronze Age、中期~後期青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)、EIA(Early Iron Age、前期鉄器時代)、LIA(Late Iron Age、後期鉄器時代)、FBA(Final Bronze Age、末期鉄器時代)です。
本論文で取り上げられる主要な文化は、骨壺墓地(Urnfield)文化、アルガル文化(Argaric)、イベロ・レヴァンティン(Ibero-Levantine)文化、バレンシア文化(Valencian)、ハルシュタット(Hallstatt)文化、ヤムナヤ(Yamnaya)文化、ウーニェチツェ(Únětice)文化です。
本論文で取り上げられるスペインの主要な遺跡は、スペインでは、北東部のセグラ(Segre)川およびエブロ(Ebro)川の合流点付近のメキネンサ(Mequinenza)市に位置するロス・カステレッツ(Los Castellets、略してLCA)複合遺跡、ピオホス洞窟(Cueva de los Piojos、略してPIJ)遺跡、ロヨ・ギリェン(Royo Guillén)遺跡、エル・アルガル(El Argar)遺跡、バレンシア州カステリョン県(Castellón)のモルトルム古墳(Túmulo de Mortorum)遺跡、ラ・アルモロヤ(La Almoloya)遺跡、ラ・バスティダ(La Bastida)遺跡、ラ・ホルナ(La Horna)遺跡、カベゾ・レドンド(Cabezo Redondo)遺跡、ペノン・デ・ラ・ゾッラ(Peñón de la Zorra)遺跡、プンタル・デ・ロス・カルニセロス(Puntal de los Carniceros)遺跡、アストゥリアス州(Asturias)のエル・エスピノソ(El Espinoso)遺跡、バスク州アラバ県(Álava)のエル・ソティーリョ(El Sotillo)遺跡、ナバラ州(Navarra)のアルト・デ・ラ・クルス(Alto de la Cruz)遺跡、ラス・エラタス(Las Eretas)遺跡です。
●要約
イベリア半島北東部における青銅器時代から鉄器時代への移行は、主要な埋葬慣行としての火葬の出現によって特徴づけられます。骨壺墓地文化として知られる集団の文化的属性は、紀元前1300~紀元前850年頃となる末期青銅器時代にイベリア半島北東部に拡大しました。この集団の出現についてさまざまな仮説が存在しますが、火葬がDNAの保存を妨げています。本論文は、土葬と火葬が末期青銅器時代にともに見られるロス・カステレッツ2遺跡(スペイン)の集団埋葬塚から発掘された24個体と、ロス・ピオホス遺跡(スペイン)の前期鉄器時代1個体のゲノム規模データを提示します。その結果、2供給源人口集団がロス・カステレッツ2遺跡個体群における祖先系統の説明に必要で、一方は草原地帯関連祖先系統が豊富で、ヨーロッパ中央部青銅器時代人口集団と遠い関係にある祖先系統、もう一方は在来のイベリア半島南東部と同様の第二の供給源である、と示されます。さらに、同じ集団塚の個体の2/3は1~6親等と生物学的に密接な親族関係にあり、男性1個体に最も多くの遺伝的親族がいました。家族集団内の近親婚の痕跡が検出され、すべてまとめると、この塚が家族の壮大な墓として用いられていたことを示唆しています。
●研究史
ヨーロッパの先史時代の遺伝的多様性は重要な人口統計学的事象によって形成され、最後の主要な変容は紀元前3000~紀元前2000年頃のポントス・カスピ海草原地帯関連牧畜民からの祖先系統の流入です[たとえば、1~3]。しかし、青銅器時代(紀元前2200~紀元前850年頃)には、ヨーロッパ大陸全域で多様な文化集団が出現して広がり、これによって、考古遺伝学的手法ではまだ詳細に調べられていない、文化拡散対地域間移動についての議論も生じました。具体的には、ヨーロッパにおける青銅器時代の最終段階(紀元前1300~紀元前850年頃)は骨壺墓地文化の出現によって特徴づけられ、骨壺墓地文化は西方ではヨーロッパ中央部からイベリア半島の北東部にまで広がり、さまざまな共有されている特徴のうち新規かつ広範な埋葬儀式として火葬が確立されました(図1A)。火葬はその後の鉄器時代において主要な葬儀処置として続き、乳児と一部の成人のみがこの処置を受けませんでした。以下は本論文の図1です。
本論文では、青銅器時代という用語を、イベリア半島における全年代期間(紀元前2200~紀元前850年頃)を指すのに用いられます。この広範な層準は2期に区分され、一方は紀元前2200~紀元前1400年頃の年代範囲を指す前期~中期青銅器時代(EMBA)、もう一方は紀元前1400~紀元前850年頃の間となる後期青銅器時代(LBA)です。末期LBAは火葬の出現と一致し、末期青銅器時代(FBA)と呼ばれ、本論文ではイベリア半島の紀元前1300~紀元前850年頃の間の年代期間を網羅します(図1C)。このように、本論文の目的は、中期青銅器時代として定義される層準に関して、イベリア半島内外の異なる地理的地域に存在する不一致の解決です。
火葬およびその後の壺へのヒト遺骸の埋葬は、生物考古学的研究にとって大きな課題を示しています。分子的観点から、火葬は、直接的な年代と食性と人口統計学的推測のデータの主要な情報源である、コラーゲンおよび/もしくは古代DNAの回収機会を著しく減少させ、この期間の研究をさらに困難にします。しかし、火葬された遺骸の分析における最近の進歩は、形態学や骨計測学や組織学の手法を含めて、これらの資料から得られる情報を大きく増加させてきました。さらに、ストロンチウム同位体比(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr)分析についての改善された生物実験室実施要綱によって、研究者は、土葬と火葬の両慣行がともに行なわれていた状況での個体の生涯における移動性パターンを推測できるようになりました。火葬と土葬がともに行なわれていたかもしれない既知の青銅器時代遺跡は数ヶ所しかなく、ロス・カステレッツ2遺跡はそうした事例です。
●イベリア半島の北東部における「骨壺墓地文化」
イベリア半島北東部における「骨壺墓地文化」と関連する火葬慣行の出現は、さまざまな考古学的観点で考察されてきました。最初の火葬のネクロポリス(大規模共同墓地)はボッシュ=ギンペラ(Bosch-Gimpera)氏によって研究され、ボッシュ=ギンペラ氏は、当初在来の南東部のアルガル文化の影響を示唆した後で、イベリア半島北東部の骨壺墓地文化の説明を、主要な起源としてヨーロッパ中央部に位置するハルシュタット文化からの移住と代えました。ハルシュタット仮説は20世紀に数人の研究者によって採用され、そうした研究者は大規模な移住/侵略から、紀元前1300年頃となるピレネー山脈全域からの短距離の人口移動まで、さまざまな状況を考察しましたが、在来の青銅器時代集団の活発な役割を強調しました。現在、研究者は、局所的規模でのFBAからIAへの移行を促進した優勢なモデルとして、在来の発展と人口連続性を考えています。このモデルは大きな人口移動(民族移動)を除外するものの、他集団との限定的な接触を排除していません。じっさい、イベリア半島における独特な「骨壺墓地文化」の全体的な概念について、疑問が呈されてきました。その定義する特徴の一部は、さまざまな期間に出現して拡大した、と示されてきており、たとえば、溝模様土器は紀元前1300年頃ですが、火葬墓地は紀元前1100~紀元前1000年頃まで出現しませんでした。
ゲノムの観点からは、イベリア半島のFBA集団についてほとんど分かっていません。これまでに比較的少数の個体(7個体、低網羅率の個体は除外)が刊行されており[3、24、25]、これらの個体は骨壺墓地文化集団の影響を受けた地域で発見されていません(図1B)。BAからIAにかけての草原地帯関連祖先系統の一般的な増加は、スペイン北部と現在のフランスで検出連れてきました[3、25]。イベリア半島におけるこの現象のあり得る一つの説明は、骨壺墓地文化集団の出現は過剰な草原地帯関連祖先系統と関連していたかもしれない、というもので、後者のより高い割合はヨーロッパ中央部で観察されました。しかし、これまで、直接的な遺伝的つながりがヨーロッパ中央部LBA人口集団間では検出されておらず、草原地帯祖先系統のこの増加の起源に関する問題は、依然として解決されていません。
本論文は、特異なロス・カステレッツ2遺跡の個体群を分析し、この遺跡では土葬と火葬の2通りの埋葬慣行が年代および文化的連続を示しており、一定期間ともに行なわれていたかもしれず、イベリア半島北東部の骨壺墓地文化共同体に光を当てます。比較のために、紀元前760~紀元前431年頃と直接的に年代測定された、イベリア半島北東部のピオホス洞窟遺跡のEIAの1個体のデータも生成されました。
●ロス・カステレッツ2遺跡:イベリア半島北東部の特異なLBAネクロポリス
ロス・カステレッツ考古学複合体は、現在のスペイン北東部のセグラ川とエブロ川の合流点近くのメキネンサ市に位置しています(図1B)。ロス・カステレッツ遺跡は2ヶ所の尾根にまたがっており、深い峡谷で隔てられています。EMBA(紀元前1850~紀元前1550年頃)からイベリア文化(LIA、紀元前500~紀元前100年頃)の物質分のある集落は、在来の骨壺墓地文化の特徴的な遺物を含めて、最東端の丘陵に位置しています。FBA/IAにさかのぼる火葬塚の広大なネクロポリスは、ロス・カステレッツ1と命名された集落の隣で発見されました。西側尾根はロス・カステレッツ2と命名され、ほぼFBA(紀元前1300年頃)~LIA(紀元前500年頃)の期間の土葬および火葬塚の混在したネクロポリスによって占められています。土葬と火葬は両方とも年代および文化的連続を示し、時間的重複は紀元前900~紀元前800年頃の間の最小限で、この儀式多様性が狭い時間枠で観察されるイベリア半島北東部の唯一の事例として際立っています。紀元前800年頃以降、土葬の慣行は終焉し、火葬がより一般的/優勢になり、ネクロポリスが放棄されたEIA末(紀元前500年頃)まで続きました。この集落自体は少なくとも紀元前4~紀元前3世紀まで存続し、その頃に古典文献ではイレルグエテス人(Illerguetes)と呼ばれているイベリア集団がこの地域に存在していました。この集落の最初の趨勢は(紀元前1300~紀元前700年頃)は、多くの土葬および火葬とともに、先行研究によって在来の骨壺墓地文化に分類されました。
集団埋葬/個人埋葬と土葬/火葬慣行の間には相関があり、それは、すべての火葬は単一の個体を対象としているようで、集団埋葬の少数の事例は土葬だからです。集団埋葬塚は、個体を同じ埋葬空間に経時的に連続的かつ非同時的に埋葬するものと理解され、新石器時代以来この地域で行なわれてきたひじょうに古い埋葬伝統を表しています。2号塚は本論文で分析された主要な埋葬構造で、1ヶ所の集団土葬埋葬から構成され、紀元前1200~紀元前827年頃の少なくとも30個体が含まれ、回収された副葬品には溝模様土器があります(図2)。これは、同じ葬儀空間と年代枠と物質文化を、死者を火葬した最初の共同体と共有していたこの個体群を、遺伝学的特徴づける機会を提供します。以下は本論文の図2です。
2号塚の個体のほとんどは、身体の一部が動いていたため、解剖学的な位置では見つかりませんでした。入口により近い個体群はより奥の個体群よりも散らばっておらず、これはおそらく後期の埋葬では塚の内部により多くの空間を作ったことと関連しており、それには多くの場合で小さな時間的差異が生じました。しかし、一部の個体の二次土葬(他の場所で埋葬された人骨の収集とその後の埋葬塚への再埋葬)も示唆されました。推定30のMNI(最小個体数)から、成人23個体(76%)が選択されました。標本の総数は、錐体骨のある頭蓋骨および/もしくは歯のある下顎骨の選択から得られました。本論文に含められた追加の1個体(LCA031)は、別の少なくとも3個体の集団埋葬である、27号塚に埋葬されていました。
●目的
ロス・カステレッツ2遺跡のFBAネクロポリスにおける土葬と火葬の部分的な年代重複、および、葬儀処置の両種類が特定の物質文化を共有している事実から、この遺跡はイベリア半島北東部においてこれまでに研究された遺跡の中で特異的です。本論文の主要な目的は、(1)物質の状況および葬儀慣行で見られるように、FBAにおいて遺伝的祖先系統の変化を推測できるのかどうか、判断すること、(2)イベリア半島北東部のいわゆる骨壺墓地文化集団の拡大に関するさまざまな仮説に光を当てること、(3)イベリア半島の先行するEMBA集団と比較して、FBA集団に遺伝的祖先系統をもたらした、潜在的な遺伝的起源をを説明することです。遺伝学的データと考古学的データの統合によって、FBAの土葬2号塚の集団生物学的近縁性や近親交配の兆候や潜在的な社会的慣行および埋葬体系も調べられました。しかし、伝統的な集団葬儀のこれらの個体がFBA社会全体を表しているのかどうかなど、他の問題への回答は、FBAおよびIA個体のより大規模な標本が分析されるまで、できないでしょう。遺伝的祖先系統分析およびモデル化に役立てるために、紀元前760~紀元前431年頃と直接的に年代測定された、イベリア半島北東部のピオホス洞窟遺跡新たなEIAの1個体が報告され、共同分析されます。
●遺伝学的データセット
まず、保存状態について古代人標本38点がDNA検査されました。古代DNAが抽出され、考古遺伝学部門(ドイツのイェーナのライプツィヒのMPI EVA)に設置された自動化ロボット経路1本鎖非UDGライブラリへと変換されました。古代DNAの保存状態は、Hiseq4000イルミナ(Illumina)社構築基盤で約500万の単一端読み取りの浅いショットガン配列決定によって評価され、その後、内在性ヒトDNAの割合、40~75塩基対の間の平均読み取り長、5’末端における特徴的な古代DNA損傷パターンの評価が行なわれました。これらの基準を満たすライブラリは、ヒトゲノムにおける124万ヶ所の情報をもたらす部位(124万SNPパネル)の溶液内混合捕獲[31]、ミトコンドリアDNA(mtDNA)[1]およびY染色体捕獲[32]で、それぞれ保持されました。合計で、イベリア半島北東部のロス・カステレッツ2(FBA、24個体)およびピオホス洞窟(EIA、1個体)の2ヶ所の異なる考古学的遺跡の25個体から、ゲノム規模データが生成されました。
捕獲後に、対象の124万SNPの内在性ヒトDNA含有量は、0.55~80.11%の割合で得られました。先行研究に従って遺伝学的性別が推定され、ANGSD(男性)およびAuthentiCT(遺伝学的性別の両方)の両方を用いて常染色体データが、ContamMixを用いてミトコンドリアデータ(遺伝学的性別の両方)が評価されました。その結果、研究対象の個体群で最小限の汚染が示唆され、男性の核DNAでは推定値が3%未満、全個体のmtDNAでは推定値が3%未満でした。
重複かもしれない標本を特定するためにBREADRとKINとREADが用いられたのは、そうした標本が集団埋葬の状況に由来するからです。2点の標本、つまりLCA005.A(左側錐体骨)とLCA009.B(下顎左側第三大臼歯)は、同じ個体(最も可能性の高い状況)もしくは一卵性双生児であることと一致するPMRを示した、と分かったので、その後はデータが統合され、この2点の標本は単一個体として扱われ、LCA009.AとLCA009.Bは分離されました。LCA010.ABとLCA007.Aは1親等の関係と分かり、より低い網羅率の標本であるLCA007.Aは集団遺伝学的分析から除外されました。この2事例以外にも、1親等以下の近縁性の異なる程度で数組が検出されました。
全体的に、本論文の最終的なデータセットは、3158~722429ヶ所の対象SNPの範囲の25個体から構成されます。これらの個体を別々に分析するさいには、124万パネルから4万ヶ所超のSNPの個体が選択され、集団遺伝学的分析では、不充分なSNP網羅率の9個体が除外され、16個体が保持されました。本論文のデータセットが、古代および現代のヒト集団の遺伝子型データを含む刊行されているAADR第51.1.p1データ保管所[40]と統合されました。補足データ2.1には、個体識別番号と集団分類表示が含まれています。生物学的近縁性分析では、1000ヶ所以上の共有SNPのある個体が含められ、それによって240組の組み合わせの検証が可能となりました。最後に、40万ヶ所以上の個体群でancIBDが用いられ、個体の組み合わせ間でのIBD共有が計算されました。
●LBAおよびIAイベリア半島北東部からの人口統計学的知見
イベリア半島北東部の新たに遺伝子型決定されたFBAおよびEIA個体と他の地理的および年代的に近い集団との間の遺伝的類似性を調べるために、HOのSNPパネルの現代のユーラシア西部人口集団一式で計算されたPCAが実行され[42]、古代の個体群がそれに投影されました。ロス・カステレッツ2遺跡のFBA個体群は、刊行されているイベリア半島EMBAおよびLBA個体群と部分的に重なる位置に収まるものの、エル・アルガル遺跡(紀元前2200~紀元前1550年頃)の個体群、もしくはイベリア半島北部のEMBA集団より「草原地帯関連祖先系統」が少ないイベロ・レヴァンティン/バレンシアBA[42]など、イベリア半島南東部EMBA集団の差異外に位置する、と観察されました。さらに、ピオホス洞窟の新たなEIAの1個体は、ロス・カステレッツ2遺跡のFBA個体群よりも高い主成分2(PC2)値を示します。主成分(PC)空間での変化が異なる遺伝子型手法を用いたデータ処理における違いに基づいているのかどうか、調べられ、最終的にはこの可能性を除外できました。以下は本論文の図3です。
先行研究[3]では、草原地帯関連祖先系統はBAからIAの移行期に増加した、と示され、ヨーロッパ中央部からの骨壺墓地文化の拡大がこのの原因だったかもしれない、と示唆されました。しかし、草原地帯関連祖先系統の増加当時の全体的なIAデータセットを用いて評価されており、その中にはイベリア半島の骨壺墓地の中核地域と関連する個体はありませんでした。したがって、同年代の土葬および火葬と葬儀処置の両種類における同様の物質文化がある骨壺墓地文化ネクロポリスの本論文のFBAデータセットによって、いくつかの手法を用いてこれらの結論の再評価が可能となります。
まず、できるだけ低い標準誤差を維持するよう最適化された、先行研究[25]で提案された遠位qpAdmモデルを用いて、草原地帯祖先系統の量を定量化することにより、イベリア半島北東部における地域的水準での草原地帯祖先系統の量の増加を検出できるのかどうか、形式的に検証されました。この特定のモデルは、WHGとEEFと古草原地帯(草原地帯牧畜民)の供給源および外群の遺伝的に密接な一式を用います(図3B)。このモデルが、個々に、および北東スペイン_EMBAやロス・カステレッツ2遺跡や北東スペイン_FBA_モルトルムや北東スペイン_EIA(ピオホス洞窟の新たなEIA遺跡が含まれます)や北東スペイン_LIAの集団として実行され、経時的な祖先供給源の割合の変化が評価されました。その結果は、EMBAとFBAとの間の草原地帯関連祖先系統の割合の増加を示しているものの、検出された増加は有意ではありません。同じ個体の草原地帯関連祖先系統の代理としての主成分2(PC2)座標は、EMBAとFBAの間の正ではあるものの有意ではない傾向を確証します。草原地帯関連祖先系統の割合の有意な違いは、イベリア半島北東部のEMBA対EIAおよびLIAを比較した場合にのみ観察されます。
さらに、f₄形式(ムブティ人、検証;ロシア_サマラ_EBA_ヤムナヤ、トルコ_N)のf₄統計は一貫して正で、これはFBA全体の草原地帯関連祖先系統における増加を示唆していますが、|Z|≥ 3を適用すると統計的に有意ではありません。とくにイベリア半島北東部から得られたこれらの結果はは、イベリア半島全体について先行研究[3]で得られた結果と同様のパターンを示唆しています。まとめると、草原地帯関連祖先系統の増加がFBAに始まったかもしれない、との仮説を除外できません。しかし、草原地帯関連祖先系統のそれ以前の増加の可能性や、それが特定の文化的集団と関連していたのかどうか、報告するには、さまざまな地域にわたるFBAの考古学的遺跡からの追加のデータが必要です。
次に、考古学的証拠から推測されるさまざまな仮説を検証するために、より遠位のモデルの調査が目指されました。まず、帰無仮説では経時的な人口(つまり遺伝的)連続性を仮定する、在来発展の仮説が検証されました。具体的には、ロス・カステレッツ2遺跡個体群が、同じ地理的地域の先行する人口集団(北東イベリア_EMBAもしくは北イベリア_EMBA)と遺伝学的に区別できないのかどうか、検証されました。しかし、標準的な外群一式を用いると、ロス・カステレッツ2遺跡個体群は単一供給源として北東イベリア_EMBAでも北イベリア_EMBAでもモデル化に成功できず、EMBAとFBAとの間のイベリア半島北東部における人口連続性の帰無仮説は却下されます。おそらく年代的にはロス・カステレッツ2遺跡個体群よりわずかに早いか同じくらい(紀元前1300~紀元前1000年頃)の、刊行されているモルトルム古墳遺跡の単一個体は、100%の北東イベリア_EMBAとしてモデル化できますが、おそらくは限定的な解像度と単一個体を分析するさいの統計的検出力の減少に起因します。
次に、骨壺墓地文化期からの追加の遺伝的影響についての考古学的仮説および他の潜在的な人口統計学的状況と一致する、遺伝的祖先系統の2供給源の混合モデルを含む、代替仮説が調べられました。まず、先行する北東イベリア_EMBAと第二供給源としてのヨーロッパ中央部BAもしくは地中海中央部(骨壺墓地文化の拡大の領域的限界)BA集団の混合として、ロス・カステレッツ2遺跡個体群のモデル化が試みられましたが、良好なモデル適合(p値が0.05超)は得られませんでした。
本論文の祖先系統モデル化は、北東イベリア_EMBAとロス・カステレッツ2遺跡の新たに報告されたFBA個体群との間の遺伝的連続性を却下し、ヨーロッパ中央部もしくは地中海中央部集団からの祖先系統追加はモデル適合性を改善しなかったので、この祖先系統がイベリア半島南東部EMBA集団からの遺伝子流動によって説明できるのかどうか、具体的に検証することにしました。ボッシュ=ギンペラ氏のような初期の学者は、イベリア半島北東部のFBA集団におけるイベリア半島南部の影響を示唆しました。そこで、アルガル文化のラ・アルモロヤ遺跡およびラ・バスティダ遺跡の後期考古学的段階の個体群と、地中海沿岸のイベロ・レヴァンティンBAに属する個体群(ラ・ホルナ遺跡、カベゾ・レドンド遺跡、ペノン・デ・ラ・ゾッラ遺跡、プンタル・デ・ロス・カルニセロス遺跡)がまとめられ、人口集団の分類表示「南東イベリア_EMBA」の下で統合されました。
次に、この集団がFBA個体群の祖先系統の単一供給源として、もしくは2方向混合モデルでの他のBA供給源との組み合わせで使用できるのかどうか、検証されました。ロス・カステレッツ2遺跡個体群は、南東イベリア_EMBAに在来および外来のBA集団を含む潜在的供給源の一覧を加えて、モデル化されました。南東イベリア_EMBAを追加すると、体系的にモデル適合性が改善する、と観察されました。たとえば、南東イベリア_EMBAおよびヨーロッパ中央部BA集団を祖先系統の2供給源として用いると、良好なモデル適合性が得られました。しかし、2供給源としての南東イベリア_EMBAと在来_EMBA(北東イベリア_EMBAもしくは北イベリア_EMBA)でのモデルは裏づけられませんでした(図3C)。次に、外群もしくは供給源として、南東イベリア_EMBAと北東イベリア_EMBAの両方を含む循環qpAdmモデルが実行され、その結果は最適な供給源人口集団としての南東イベリア_EMBAを裏づけます。
要するに、これらの結果から、南東イベリア_EMBA個体群によって表される遺伝的祖先系統が、現時点ではロス・カステレッツ2遺跡個体群で見せれるイベリア半島祖先系統の最適に代理である、と示唆されます。このモデルはエル・エスピノソ遺跡(アストゥリアス州)の刊行されている北スペイン_FBA個体群にも適合しますが、南東イベリア_EMBAによって表される祖先系統の割合はロス・カステレッツ2遺跡個体群よりも低く、この集団は2個体のみで表されます。南東イベリア_EMBAは、イベリア半島において最低の割合の草原地帯関連祖先系統の集団と示されてきており、地中海中央部/東部人口集団からの追加の遺伝子流動が示唆されました[42]。本論文の結果では、地中海中央部からの直接的な遺伝子流動は必要ではなく、在来の南東イベリア_EMBAがロス・カステレッツ2遺跡個体群によって表されるFBA人口集団でのモデル化に適合的な供給源である、と示唆されます。
全体的に、本論文の近位モデルから、検証されたEMBA集団とFBA集団との間の遺伝的変化は、イベリア半島北東部地域への南東イベリア_EMBA祖先系統の流入によっておきたかもしれない、と示唆されます。この結果は、ロス・カステレッツ2遺跡の男性個体の100%で見られるY染色体系統R1b1a1b1a1a2(P312)と一致しており、全男性個体は、標本品質のさまざまな程度で、先行するイベリア半島BA集団においても最も一般的であるY染色体ハプログループ(YHg)R1b1a1b1a1a2a1b(Z198)です。
しかし、南東イベリア_EMBA祖先系統は、ロス・カステレッツ2遺跡個体群の遺伝的構成を完全には説明しません。さらに、より高水準の草原地帯関連祖先系統を有する、ヨーロッパ中央部BA集団によって最適に表される祖先系統の低い割合が、第二供給源として必要です。ヨーロッパ中央部の特徴的なYHgは見つからなかったので、ヨーロッパ中央部BA祖先系統は、同様にヨーロッパ中央部BA集団から遺伝子流動を受けタより近い集団(たとえば、フランス南部のLBA集団)を通じて到来したに違いありません。ヨーロッパのBAで検出された女性族外婚のパターンも、新たなYHgの導入なしでの微妙な遺伝的変化を説明できるかもしれません[43~45]。
最後に、ピオホス洞窟のEIAの1個体(PIJ001)は、ロス・カステレッツ2遺跡FBA個体群からの100%の祖先系統としてモデル化できませんでした。代わりに本論文のFBA個体群にヨーロッパ中央部BA個体群の祖先系統を加えると、より良好なモデル適合が得られ、イベリア半島北東部におけるFBAからEIAへの継続的な遺伝子流動が示唆されます(図3C)。
●LBAイベリア半島共同体の社会的パターンへの洞察
イベリア半島FBA共同体の親族関係慣行は、この期間の充分なデータの欠如のため、まだ調べられていませんでした。異なる遺跡から、ごく少数のデータが利用可能で(アストゥリアス州のエル・エスピノソ遺跡で3個体、バスク州アラバ県のエル・ソティーリョ遺跡で1個体、バレンシア州カステリョン県のモルトルム古墳で2個体)、遺跡内研究はこれまで報告されていませんでした。
本論文では、ロス・カステレッツ2遺跡のFBAの塚の成人24個体(23個体は2号塚、1個体は27号塚)を共同分析できました。同じ塚に埋葬された個体間の近縁性の程度が推定されました(図4A・B)。注目すべきことに、多数の親族が見つかり、その内訳は、1親等の親族が1組(父親と息子)、2親等の親族が7組、3親等の親族が2組、4親等の親族が5組、5/6親等の親族が少なくとも12組です。これは、標本の少なくとも2/3が生物学的に密接な親族関係だったことを示唆しています。残りの8個体のうち、1個体は27号塚から離れており、他の個体との密接な生物学的つながりを示さず、4個体は低網羅率(16000ヶ所未満のSNP)だったので、2親等以下の生物学的近縁性の可能性を除外できません。これは、2号塚が拡大張家族によって大霊廟として使用された可能性を示唆しており、拡大家族では生物学的つながりが他の種類の関係に優先していました。以下は本論文の図4です。
塚内では、遺伝学的な男性(11個体)と女性(13個体)の人数はほぼ同等と観察されました。しかし、女性個体間よりも男性個体間の方で、密接な生物学的つながりが見つかりました。1親等の親族1組と、2親等の親族7組が見つかりました。1親等の組み合わせは成人男性2個体、つまりLCA007とLCA010で構成され、KINによって得られたこの結果は父親と息子の関係を示唆しました。しかし、この結果は、標本LCA007の低網羅率(わずか45000ヶ所の重複SNP)のため注意深く扱われるべきで、ミトコンドリアのハプロタイプが本論文の解像度の限界内では同一なので(両個体はH2aで、観察された多型として263 Gと750 Gと15326 Gがあります)、兄弟の想定も依然として可能です。逆に、1親等の関係は成人女性個体間もしくは成人の男女の個体間では見つかりませんでした。さらに、2親等の親族関係の可能性が最も高い、8組の個体も特定されました。成人男性個体の4組(LCA003とLCA010、LCA003とLCA029、LCA020とLCA032、LCA012とLCA028)、成人女性個体の2組(LCA004とLCA014、LCA004とLCA011)、成人の男女の個体の2組(LCA033とLCA030、LCA003とLCA004)がありました(図4A)。2親等の組み合わせ(LCA003とLCA029、LCA004とLCA014)は、同じmtDNAハプログループ(mtHg)を示しており、LCA003とLCA029はU5b1、LCA004とLCA014はU5a1c1aで、これは母方の2親等の関係と一致します。残りの4個体のmtHgは一致しなかったので、父方の遺伝的関係と一致しました。2組(LCA020とLCA032、LCA012とLCA028)については、依然として結論が出ていません。IBD断片のみを用いると、ひじょうに可能性の高い祖父母/孫(LCA003とLCA010、LCA004とLCA011)の2組と、オジ甥(姪)もしくは半キョウダイ(両親の一方のみを共有する関係)関係の2組(LCA033とLCA030、LCA003とLCA004)が特定されます。
密接な男性親族の組み合わせがより多く見つかっている事実は、女性間と男性間と男女間を比較したさいの、READから得られた平均PMRによって裏づけられます。平均的に、男性個体は女性個体よりも遺跡の他の個体と密接な親族関係にあり、これは父系および恐らくは父方居住を示唆しています。しかし、局所検定を実行すると。得られた結果は遺跡における一部の女性の親族の存在のため、有意ではありません(図4D)。この状況は、イベリア半島のEMBAですでに観察されている状況と同様で、イベリア半島のEMBAでは、父系と父方居住慣行の明確な指標が遺跡内水準では見つかったものの、統計的検定では依然として有意ではありませんでした。この検定における有意性の欠如の可能な説明は、女性コホート(特定の性質が一致する個体で構成される集団)における族外婚の典型的な年齢以下の女性個体を含んでいることです。
さらに、塚の少なくとも8個体は成人男性個体LCA003と2親等~5/6親等の親族関係で、LCA003個体は遺伝的親族網の中心に位置づけられます。密接な親族関係ではない残り7個体のうち、2個体が男性で、女性は5個体でした(図4B)。イベリア半島の先行するEMBA期と同様に、またヨーロッパでは一般的に、父系継承の系統はY染色体の多様性減少を示しており、ロス・カステレッツ2遺跡については、R1b1a1b1a1a2a1b(Z198)ハプロタイプ(解像度のさまざまな水準で)しか見つかりませんでした。ロス・カステレッツ2遺跡の事例で示唆される父方居住を示唆する遺伝的指標はありますが、単一の埋葬塚からの情報は、これが本当に当てはまるのかどうか、あるいは、代わりにそれ以前の期間と比較してさほど顕著ではない傾向が観察されるつつあるのかどうか、判断するにはあまりにも限られています。
最後に、2個体においてROHで視覚化される親子間の近縁性水準増加(20cM超)が観察され、これらのうち少なくとも1個体はイトコ同士の結婚で生まれた子供と同等で、1個体はマタイトコ間もしくはそれより遠い関係の親族間の子供と同等です(図4E)。興味深いことに、この2個体は両方とも、生物学的家族網の一部です。これらの結果は、この家族網内の特定の族内婚慣行を示唆しているかもしれません。しかし、他の同年代の遺跡からの拡張データの不足のため、より一般化した慣行の検証はできないことに要注意です。同様のROH蓄積パターンは、EIAの1個体PIJ001や、ナバラ州のラス・エラタス遺跡およびアルト・デ・ラ・クルス遺跡のEIAの2個体で観察されていますが、イベリア半島の先行する銅器時代およびEMBAでは観察されませんでした[42]。
●考察
本論文の集団ゲノム解析の結果は、EMBA個体群とイベリア半島北東部のロス・カステレッツ2遺跡の本論文のFBA個体群との間の遺伝的不連続性の存在を示唆しており、これはイベリア半島南東部の影響と、草原地帯関連祖先系統の多い祖先系統の追加の供給源寄与によって説明できるかもしれません。
しかし、地理的に中間の遺跡や年代から得られた遺伝的標本の限られた数のため、これらの潜在的なつながりがいつどこで確立したのか、正確には明らかにできません。このイベリア半島南部との類似性の特定に用いられた個体の大半はエル・アルガル遺跡およびイベロ・レヴァンティン・バレンシアBAクラスタ(まとまり)と関連していましたが、これらイベリア半島南部BA個体群は新たに報告されたFBA個体群に数世紀先行します。この期間には、人口移動と遺伝的混合が広範だったかもしれません。考古学的観点からは、本論文の遺伝学的モデルで観察されたイベリア半島南東部祖先系統は、紀元前1550年頃の社会経済的および政治的変化に照らすと妥当で、考古学的研究によってエル・アルガル遺跡の衰退の提案されている理由の一つとして提案されており、この変化はイベリア半島南部のイベリアBA集団の組織化により大きな影響を及ぼしました。本論文の遺伝的データは、地中海中央部ではなく局所的な地中海南西部からのより強い裏づけを見つけましたが、紀元前1300年頃以降の地中海地域との相互作用水準の一般的な増加を示唆する、考古学的証拠もあります。
さらに、ロス・カステレッツ2遺跡のFBA個体群のモデル化には、ヨーロッパ中央部BA代理によって表される、約17%の祖先系統が必要です。しかし、本論文の結果は、ヨーロッパ中央部BA供給源との外因性/異地性の接触ではなく、イベリア半島南東部EMBA集団によって起きたより在来的/自所性の現象を裏づけます。ヨーロッパ中央部BA祖先系統は遺伝的代理として最適に理解され、この種類の祖先系統は、地理的により遠位の供給源、つまりほぼ標本抽出されていないフランスなんぶのLBA集団経由で寄与された可能性が高そうです。この背景にある根拠は、ロス・カステレッツ2遺跡におけるすべてのY染色体系統が、典型的なイベリア半島のYHg-R1b1a1b1a1a2a1b(Z198)と一致するものの、BAヨーロッパ中央部のウーニェチツェ文化で見られる多様性[48]と一致しないことです。
考古学的観点からは、集団埋葬内の溝付土器の出現は、ヨーロッパ中央部とのイベリア半島北東部のつながりを反映していますが、葬儀建築様式は紀元前四千年紀以降に同じ地域に存在した巨石伝統と類似しています。ロス・カステレッツ2遺跡における塚の建造から、考古学者は、FBAにおける新たな文化要素の採用にも関わらず、少なくとも一部の集団については「古い」葬儀慣行の存続を考えるようになりました。したがって、ゲノムデータとともに考古学的背景を統合的に分析することは、少なくともロス・カステレッツ2遺跡の土葬個体群については、FBAのこの地域における骨壺墓地現象と関連する人々による侵入もしくは植民地化との見解を除外します。しかし、青銅器時代のイベリア半島の東側の地域との、おそらくは中間的な集団を介した、連続的ではあるものの微妙な、文化的つながりおよび遺伝的類似性の証拠があります。
青銅器時代のこの地域における人口動態の完全な評価は、現時点で利用可能なデータによって依然として制約されており、いくつかの側面は慎重に扱われねばなりません。最も重要なのは、ロス・カステレッツ2遺跡でともに居住していたものの、火葬を行なっていた共同体が依然として標本抽出されていないことです。ロス・カステレッツ2遺跡において土葬と火葬は共存し、物質文化を共有していましたが、火葬はより長く存続した一方で、土葬は紀元前800年頃までに消滅しました。2号塚埋葬の個体群はロス・カステレッツ2遺跡のこの最初の居住段階を表しているにすぎませんが、同年代およびその後の火葬された個体群が異なる遺伝的特性を示すかもしれない可能性は、除外できません。さらに、ロス・カステレッツなどイベリア半島北東部の内陸地域における集落パターンは、沿岸部や西部平原や山岳地帯とは顕著に異なっており、FBAイベリア半島の物語のその後の遺伝的歴史は、確かにより複雑になるかもしれません。
本論文で研究対象とされた集団埋葬の2号塚は、その面積と特権的位置とそこに埋葬された個体数の点で際立っています。さらに、ネクロポリスは明確に区分された葬儀区画を示しており、これは異なる家族集団もしくは氏族の存在と関連づけられてきました。この仮説と一致して、2号塚は特定の「家族」に属する、と提案されており、それは、2号塚を、近縁性の種類(たとえば、生物学的か同居か姻戚関係)を明示しない、親族関係にある集団として理解しています。本論文は、2号塚に埋葬された個体間の生物学的関係を明らかにし、その結果は、生物学的つながりが他の形態の親族関係とともに強調された、拡大生物学的家族と一致します。ロス・カステレッツ2遺跡では、女性個体よりも男性個体の方が多くの生物学的つながりを有しており、これは、他のEMBA遺跡で報告されたほど顕著ではないものの、社会/葬儀組織の父系形態を示唆しています[43~45、52~55]。同様の結果は新石器時代の記念碑的埋葬および集団埋葬でも報告されておれ、そうした遺跡では、記念碑墓に埋葬される権利は、おもに特定の成人男性とのつながりが存在した場合に認められましたが[56、57]、平坦なネクロポリスでも認められました[56、57]。2号塚における1親等の親族の少なさ(男性の1組のみ)は予想外で、標本の保存状態の偏り(たとえば、成人未満の個体の骨格遺骸の保存状態はさほど良好ではありません)、もしくはこれらの塚に埋葬された個体群の選択と関連する文化的慣行を反映しているかもしれません。
さらに、2号塚に埋葬された拡大生物学的集団に属する2個体と、ピオホス洞窟のEIAの1個体で近親交配の水準増加が観察されます。そうした水準の近親交配はイベリア半島のそれ以前の年代では報告されていませんが[42]、ナバラ州では前期鉄器時代に観察されているので、拡大生物学的家族の独特な特徴かもしれません。族内婚慣行自体は、階層的集団における出自を主張する手段として示唆されてきており、「高位首長制」集団における上流階層の密接な親族同士の結婚は、指導者にとって、意図的に禁忌に挑戦することによって、権力を強化し、権威を高める戦略として機能します。この仮説は、集団がロス・カステレッツ2遺跡において独特な巨石的な集団埋葬塚に葬られていた、という事実によって裏づけられ、これは社会的地位および/もしくは異なる信仰を反映しているかもしれません。しかし、FBAイベリア半島集団の限られたデータのため、LBA、具体的にはFBAにおけるより一般化した慣行を除外できません。
最後に、ロス・カステレッツ2遺跡の2号塚の特殊性のため、同じネクロポリスの他の近い塚では推測ができず、それは、この2号塚が、そうした多数の個体がある唯一の塚であるのに対して、他の塚には最大で3個体しか含まれていないからです。近くの27号塚から得られたデータ(個体LCA031)は、あり得るすべての組み合わせ間の生物学的近縁性の推定には充分な品質と量ではなく、検証が可能な場合(1000ヶ所超の部位)には、密接な親族は見つかりませんでした。
●まとめ
ロス・カステレッツ2遺跡の2号塚に埋葬された個体群の遺伝学的分析から、その祖先系統は異なる2供給源に由来していた、と示唆されます。一方の供給源は、同じ地域のEMBA個体群と比較してより高い割合の草原地帯関連祖先系統を示し、ヨーロッパ中央部祖先系統の他の地理的に近い集団(たとえば、フランス南部のLBA集団)を介しての寄与によって説明できます。もう一方の供給源はイベリア半島南東部のEMBA集団と関連している可能性があり、先行するイベリア半島北東部EMBA集団よりも良好な適合性が得られました。ロス・カステレッツ2遺跡集落のこの新たな情報および考古学的情報で、イベリア半島北東部地域における骨壺墓地文化の出現/存在は再検討されねばなりません。FBA人口集団の地域的異質性の理解のためにより現実的/微妙な枠組みを提供することによって、これらの結果は複雑な混合と人口統計学的歴史のある人口集団の将来の研究にとって貴重な情報源となり、物質文化対ヒトの移動に関する長年の議論に貢献します。
ロス・カステレッツ2の遺跡内水準での埋葬および社会的パターンへの新たな知見も提供できました。本論文の結果から、ロス・カステレッツ2遺跡の主要な埋葬塚は拡大家族によって使用されており、この拡大家族は生物学的に母方よりも父方の方とつながっていて、埋葬された個体の約66%は生物学的に親族関係にあり、そうした親族関係では族内婚がある程度は行なわれていた、と示されます。したがって、これらの結果は、イベリア半島のFBAにおける親族関係慣行についての知識を拡張します。将来の研究は、最近のストロンチウム同位体実施要綱を遺伝的祖先系統データと統合し、火葬個体と非火葬個体両方の個体の移動性を調べることによって、過去の人口動態のより包括的な理解を提供できるでしょう。
参考文献:
Ezcurra MB. et al.(2025): Genomic insights from a final Bronze Age community buried in a collective tumulus in an Urnfield settlement in Northeastern Iberia. Communications Biology, 8, 1299.
https://doi.org/10.1038/s42003-025-08668-7
[1]Haak W. et al.(2015): Massive migration from the steppe was a source for Indo-European languages in Europe. Nature, 522, 7555, 207–211.
https://doi.org/10.1038/nature14317
関連記事
[2]Allentoft ME. et al.(2015): Population genomics of Bronze Age Eurasia. Nature, 522, 7555, 167–172.
https://doi.org/10.1038/nature14507
関連記事
[3]Olalde I. et al.(2019): The genomic history of the Iberian Peninsula over the past 8000 years. Science, 363, 6432, 1230-1234.
https://doi.org/10.1126/science.aav4040
関連記事
[24]Valdiosera C. et al.(2018): Four millennia of Iberian biomolecular prehistory illustrate the impact of prehistoric migrations at the far end of Eurasia. PNAS, 115, 13, 3428–3433.
https://doi.org/10.1073/pnas.1717762115
関連記事
[25]Patterson N. et al.(2022): Large-scale migration into Britain during the Middle to Late Bronze Age. Nature, 601, 7894, 588–594.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04287-4
関連記事
[31]Mathieson I. et al.(2015): Genome-wide patterns of selection in 230 ancient Eurasians. Nature, 528, 7583, 499–503.
https://doi.org/10.1038/nature16152
関連記事
[32]Rohrlach AB. et al.(2021): Using Y-chromosome capture enrichment to resolve haplogroup H2 shows new evidence for a two-path Neolithic expansion to Western Europe. Scientific Reports, 11, 15005.
https://doi.org/10.1038/s41598-021-94491-z
関連記事
[40]Mallick S. et al.(2024): The Allen Ancient DNA Resource (AADR) a curated compendium of ancient human genomes. Scientific Data, 11, 182.
https://doi.org/10.1038/s41597-024-03031-7
関連記事
[42]Villalba-Mouco V. et al.(2021): Genomic transformation and social organization during the Copper Age–Bronze Age transition in southern Iberia. Science Advances, 7, 47, eabi7038.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abi7038
関連記事
[43]Mittnik A. et al.(2019):Kinship-based social inequality in Bronze Age Europe. Science, 366, 6466, 731–734.
https://doi.org/10.1126/science.aax6219
関連記事
[44]Villalba-Mouco V. et al.(2022): Kinship practices in the early state El Argar society from Bronze Age Iberia. Scientific Reports, 12, 22415.
https://doi.org/10.1038/s41598-022-25975-9
関連記事
[45]Penske S. et al.(2024): Kinship practices at the early bronze age site of Leubingen in Central Germany. Scientific Reports, 14, 3871.
https://doi.org/10.1038/s41598-024-54462-6
関連記事
[48]Papac L. et al.(2021): Dynamic changes in genomic and social structures in third millennium BCE central Europe. Science Advances, 7, 35, eabi6941.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abi6941
関連記事
[52]Sjögren K-G, Olalde I, Carver S, Allentoft ME, Knowles T, Kroonen G, et al. (2020) Kinship and social organization in Copper Age Europe. A cross-disciplinary analysis of archaeology, DNA, isotopes, and anthropology from two Bell Beaker cemeteries. PLoS ONE 15(11): e0241278.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0241278
関連記事
[53]Žegarac A. et al.(2021): Ancient genomes provide insights into family structure and the heredity of social status in the early Bronze Age of southeastern Europe. Scientific Reports, 11, 10072.
https://doi.org/10.1038/s41598-021-89090-x
関連記事
[54]Blöcher J. et al.(2023): Descent, marriage, and residence practices of a 3,800-year-old pastoral community in Central Eurasia. PNAS, 120, 36, e2303574120.
https://doi.org/10.1073/pnas.2303574120
関連記事
[55]Penske S. et al.(2024): Kinship practices at the early bronze age site of Leubingen in Central Germany. Scientific Reports, 14, 3871.
https://doi.org/10.1038/s41598-024-54462-6
関連記事
[56]Fowler C. et al.(2022): A high-resolution picture of kinship practices in an Early Neolithic tomb. Nature, 601, 7894, 584–587.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04241-4
関連記事
[57]Rivollat M. et al.(2023): Extensive pedigrees reveal the social organization of a Neolithic community. Nature, 620, 7974, 600–606.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06350-8
関連記事




この記事へのコメント