南コーカサスの人口史

 古代ゲノムデータに基づく青銅器時代から中世前期までの南コーカサスの人口史に関する研究(Skourtanioti et al., 2025)が公表されました。本論文は、青銅器時代から「大移動期」にまたがるジョージア(グルジア)とアルメニアの古代人230個体の新たなゲノムデータを提示し、既知の古代人および現代人のゲノムデータと比較しています。その結果、南コーカサスの人類集団の青銅器時代以降の一定以上の遺伝的連続性が示され、中期~後期青銅器時代にはアナトリア半島および近隣のユーラシア草原地帯からの追加の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を吸収した、と明らかになりました。南コーカサスの人為的な頭蓋変形の個体のゲノム解析からは、この慣行が遊牧民集団とともに到来して在来集団に採用された、と示唆されます。以下は本論文の要約図です。
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 以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、cM(centimorgan、センチモルガン)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、IE(Indo-European、インド・ヨーロッパ語族)、ACD(artificial cranial deformation、人為的な頭蓋変形)、CHG(Caucasus hunter-gatherer、コーカサス狩猟採集民)、EEHG(Eastern European hunter-gatherer、ヨーロッパ東部狩猟採集民)、DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)、Ne(有効人口規模)、C(carbon、炭素)です。

 以下の時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、PPN(Pre-Pottery Neolithic、先土器新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EBA(Early Bronze Age、前期青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)、M/LBA(Middle to Late Bronze Age、中期~後期青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)、EIA(Early Iron Age、前期鉄器時代)、LIA(Late Iron Age、後期鉄器時代)、EA(Early Antiquity、古代前期)、LA(Late Antiquity、古代後期、この時代区分の名称は古代末期を指すことが多いように思いますが、本論文では紀元前50~紀元後300年頃とされているので、古代末期とは別の意味合いの古代後期と訳します)、EMA(Early Middle Ages、中世前期)、LA-EMA(LA to EMA、古代末期~中世前期)、E-HMA(Early/High Middle Ages、中世前期~中世盛期)、HMA(High Middle Ages、中世盛期)、です。本論文で取り上げられる主要な文化は、クラ・アラクセス(Kura-Araxes)文化、ヤムナヤ(Yamnaya)文化、地下墓地(Catacomb)文化、アファナシェヴォ(Afanasievo)文化、マイコープ(Maykop)文化、トリアレティ(Trialeti)文化、クルガン(Kurgan、墳墓、墳丘)文化です。本論文で取り上げられる主要なジョージアの地域は、ムツヘタ(Mtskheta)、トビリシ(Tbilisi)です。

 本論文で新たにゲノムデータが報告されるジョージアの主要な遺跡は、アラグヴィスピリ(Aragvispiri、略してAGV)遺跡、アルボシュイキ(Arboshiki、略してAHI)遺跡、アツクリ(Atskuri、略してATK)遺跡、アラヴェルディ(Alaverdi、略してAVR)遺跡、ボドベ(Bodbe、BBD)遺跡、 ブラチャウリ(Bulachauri、略してBLK)遺跡、バザレティ(Bazaleti、略してBZT)遺跡、ディドゥナウリ(Didnauri、略してDDN)遺跡、エルクネティ(Erkneti、略してERK)遺跡、フィキリス・ゴラ(Fiqris Gora、略してFQR)遺跡、イゴエティ(Igoeti、略してIGT)村の(Grakliani、略して)遺跡、ラファナーントゥカリ(Lafanaantkari、略してIAF)遺跡、ハシュリ(Khtsisi、略してKHS)遺跡、クンツィ(Khuntsi、略してKHT)遺跡、ヒンムシアーント(Khimshiaant、略してKIM)遺跡、キケティ(Kiketi、略してKKT)遺跡、クルデ(Klde、略してKLD)遺跡、カマラヘヴィ(Kamarakhevi、略してKMR)遺跡、キスタウリ(Kistauri、略してKTR)遺跡、モグヴタカリ(Mogvtakari、略してMGV)遺跡、ムツケティジュヴァリ(Mtsketijvari、略してMKV)遺跡、ムラケビ(Murakebi、略してMRA)遺跡、ムハトゥグヴェルディ(Mukhatgverdi、略してMUK)遺跡、マナヴィ(Manavi、略してMVI)遺跡、ナタフタリ(Natakhtari、略してNAT)遺跡、ノカラケヴィ(Nokalakevi、略してNOK)遺跡、ナレヴァヴィ(Narekvavi、略してNRK)遺跡、ナスタキシ(Nastakisi、略してNSK)遺跡、ナバグレビ(Nabagrebi、略してNBG)遺跡、ネドゥジヒ(Nedzikhi、略してNDZ)遺跡、オクロカナ(Okrokana、OGR)遺跡、オタ(Ota、略してOTA)遺跡、ルスタヴィ(Rustavi、略してRTV)遺跡、サプハル・ハラバ(Saphar-Kharaba、略してSAP)遺跡、サマドゥロ(Samadlo、略してSDL)遺跡、サグヴァルジレ(Sagvarjile、略してSGV)遺跡、スハルタ(Skhalta、略してSKH)遺跡、サムダウロ墓地(Samtavro Cemetery、略してSMT)遺跡、サムシュヴィルデ(Samshvilde、略してSVL)遺跡、チアツラ(Tchiatura、略してTCH)遺跡、テラヴィ(Telavi、略してTEL)遺跡、トゥケムララ(Tkemlara、略してTKA)遺跡、タリバナ(Taribana、略してTRB)遺跡、トレリ(Treli、略してTRL)遺跡、ツァフヴリ(Tsaghvli、略してTSG)遺跡、ツァイシ(Tsaishi、略してTSH)遺跡、ツェロヴァニ(Tserovani、略してTSV)遺跡、ヴァニ(Vani、略してVNI)遺跡、ヴァルシマーントゥカリ(Varsimaantkari、略してVRS)遺跡、ズィンヴァリ(Zhinvali、略してDZN)遺跡です。

 本論文で取り上げられるそれ以外のジョージアの主要な遺跡は、アルヘロ(Arukhlo)遺跡、キムシアーント(Kimshiaant、略してKMT)遺跡です。本論文で取り上げられるジョージア以外の主要な遺跡は、アルメニアのアナシェン(Aknashen)遺跡とアギトゥー3号洞窟(Aghitu-3 Cave、略してAG3)遺跡、ハンガリーのブダペストのヴェゼール道(Vezér utca、略してVZ)遺跡とクンザラッス=フュリョプジャカビ(Kunszállás-Fülöpjakabi、略してKFJ)遺跡とラコクズィアフルヴァ(Rákóczifalva、略してRKF)遺跡とセグヴァール=オロムデュロ(Szegvár-Oromdűlő、略してSZOD)遺跡、トルコの南東部のアルスランテペ(Arslantepe)遺跡です。


●要約

 コーカサスは先史時代における文化的および技術的革新の拠点でしたが、大コーカサス山脈と小コーカサス山脈との間の人口史は依然として理解が不充分です。本論文は、青銅器時代から「大移動期」にまたがる(紀元前3500~紀元後700年頃)、現代のジョージアから205個体、アルメニアから25個体のゲノム規模データを提示します。その結果、中期~後期青銅器時代に、アナトリア半島および近隣のユーラシア草原地帯からの追加の祖先系統を吸収した、持続的な局所的遺伝子プールが明らかになりました。その後の期間では、とくにジョージア東部の都心で、高率の個体の祖先系統外れ値の人口増加と遺伝的多様性拡大が報告されます。人為的に変形された頭蓋骨の中世の20個体のうち、15個体は局所的な交配網の一部で、5個体の祖先系統はユーラシア草原地帯に由来し、頭蓋変形が遊牧民集団とともに到来したものの、局所的に採用された文化慣行になったことを示唆しています。


●研究史

 先史時代を通じてコーカサスは、大コーカサス山脈など地理的障壁に囲まれていたにも関わらず、文化的および技術的交流の地峡でした。早くも紀元前五千年紀には、畜産がコーカサスを北上して草原地帯へと広がりました。車輪や荷馬車など新たな技術に伴って、この革新的な経済体系は遊動的な墓地区へと発展し、北コーカサスでは青銅器時代(紀元前3500年頃以降)に初めて明らかになりました。同じ期間那、南コーカサスは、アナトリア半島東部とイラン北西部をつなぐ、クラ・アラクセスとして知られている、おもに定住的な農耕牧畜民の広大な文化的複合体の一部となりました。しかし、紀元前三千年紀数には、大コーカサス山脈全域の文化的相互作用が活発化し、遊動的な牧畜が南コーカサスにおける主要な生計慣行になりました。

 考古遺伝学的研究は、南コーカサスの人口集団と紀元前七千年紀以降のアナトリア半島新石器時代集団[13]および紀元前5000~紀元前3500年頃の金石併用時代北コーカサス集団[14]との混合の解明によって、この地域におけるヒトの移動性の役割を裏づけてきました。これらの混合はEBA(紀元前3500~紀元前2600年頃)までに、コーカサス全域における遺伝的祖先系統の地理的連続体をもたらしました[15、16]。M/LBA(紀元前1900~紀元前1200年頃)以降、草原地帯牧畜民が南コーカサスへと混合し[14、17、18]、これはIEの深い分枝であるアルメニア語派の出現と関連づけられてきた過程です[17]。一方で、逆方向、つまり南コーカサスから草原地帯への北方向の遺伝子流動の証拠は、この変容期におけるこの地域の複雑さと、より包括的な古代DNAの標本抽出の必要性を強調しており、それは、現在のジョージアのような地域が依然としてひじょうに過小評価されているからです。

 この地域における考古遺伝学的手法とくにEIA(紀元前1200~紀元前900年頃)以降では少なく、EIAに南コーカサスでは階層化が進展し、ジョージア西部では紀元前8世紀までのコルキス(Colchis)王国の樹立、コーカサス東部ではアレクサンドロス大王の紀元前330年頃の征服の余波でのイベリア王国の樹立に至りました。それと並行して、EA(紀元前600年頃以降)にはギリシア人の入植者がコルキスの黒海沿岸に植民地を築きました。この時期以降、南コーカサスではコウンな交易網が繁栄し、物質文化を通じて追跡できる複雑な人口集団の相互作用が促進されました。

 紀元前1世紀に、コルキスは紀元前65年頃までポントス王国の支配下にあり、その頃に共和政ローマが古代都市としてコルキスとイベリアを征服しました。イベリアはローマの支配下にあったものの、そのキリスト教化は早くも4世紀前半に始まり、ローマの東方辺境の変動する政治的境界を通じて、ひじょうに強いままでした。3世紀以降、ローマ人は両王国【コルキスとイベリア】の支配をめぐってサーサーン朝と争い、紛争はその後ビザンツ帝国(東ローマ帝国)とアラブ人によって続き、それはジョージアの中世の第王国が1008年に統一されるまで続きました。

 南コーカサスの支配をめぐる外国の争いの期間を通じて、両王国はアラン人(1世紀以降)やその後のEMA(300~800年頃)の大移動期におけるフン人など、ポントス草原地帯の多様な遊牧民集団との接触地域となっていました。草原地帯のこれらの遊牧民は一般的に、人為的に頭蓋骨を変形させました。ジョージアでは、最初の記録されているACDはLBA-EIA移行期にさかのぼりますが、その頻度は大移動期のムツヘタ地域において大きく増加し、これら遊牧民集団からの文化的影響が示唆されます。

 LBAから古代を経てEMAまでの南コーカサスの2000年間にわたる動的な歴史は、以下のようないくつかの重要な問題を提起します。それは個体および集団水準でのヒトの移動性とどのように関連していましたか?草原地帯関連および近東との接触はどの程度、南コーカサスの遺伝的景観を形成しましたか?増大していく交易と戦争とキリスト教化のような過程は、人口動態にどのように影響しましたか?従来、EA以降のこの地域における民族文化的接触は、おもに対外交易網の文脈で解釈されてきましたが、地域内の人口相互作用の話は、依然としてほぼ調べられていません。民族文化的集団は必ずしも生物学的に異なる人口集団に対応しているわけではありませんが、歴史的データと統合された古代DNA研究は、この地域の人口史のより詳細な再構築を可能とします。

 この研究では、現在のジョージア全域の49ヶ所の遺跡に埋葬された、EBAから中世まで約4500年間にまたがる205個体の古代ゲノム規模データが、生成されて分析されました。骨時間的解像度向上のため、古代DNA用に標本抽出された骨学的資料から85点の放射性炭素年代も生成されました。このデータセットは、これまでは金石併用時代およびBAの21個体[16、18]と上部旧石器時代の2個体[37]によって表されていた、大コーカサス山脈と小コーカサス山脈の間の地域で考古遺伝学的標本抽出を拡大しました。さらに、隣接するアルメニア東部高地のヘレニズム時代の25個体のゲノム規模データが生成され、現在のジョージアおよびアルメニアの刊行されている古代DNAデータセットに組み込まれました。

 人口構造分析と祖先系統モデル化とハプロタイプ共有手法の組み合わせを用いて、経時的な個体および集団水準の祖先系統パターンを追跡できました。さらに、人為的に変形させられた頭蓋骨のある21個体の遺伝学的分析によって、この慣行がヒトの移動とどのように関連しており、継承されたのか、調べられました。本論文の調査結果は南コーカサスを形成した人口動態および文化的相互作用を明らかにし、複雑な歴史および大きな歴史的発展における役割への将来の学際的研究に基礎を提供します。


●古代DNAデータセットの収集と証明

 380点のヒト骨格遺骸から得られた骨および歯の粉末が、一本鎖DNAライブラリへと変換されました。96点の浅いショットガン配列決定ライブラリにおいて保存状態はおおむね良好と観察され、351点の標本について、1233013ヶ所の可変的なSNP部位について直接的に濃縮で処理されました。次に、低い配列決定網羅率(網羅された標的SNPが3万ヶ所未満)とかなりの汚染率のライブラリが除去され、遺伝学的に同一の個体のライブラリが統合され、ゲノム規模データのある230個体が保持されました。女性や網羅率やミトコンドリアと核の比率や末端の脱アミノ化(古代DNA損傷)などの要素が、信頼できる汚染推定値を妨げた場合には、これらの事例は本論文のデータセットでは保持されたものの、集団に基づく分析からは除外され、他の結果は注意深く解釈されました。

 本論文の最終的なデータセットは50ヶ所の考古学的遺跡に由来し、そのうち49ヶ所は現在のジョージア、1ヶ所は現在のアルメニアにあります。22ヶ所の遺跡はムツヘタおよびトビリシの近隣地域に位置しており、ムツヘタはイベリア王国の以前の首都、トビリシはイベリア王国の最後の首都です。本論文のデータセットの大半(162点)はEAおよびヘレニズム時代からLA(紀元前50~紀元後300年頃)を経てE-HMAまで、紀元前600~紀元後1000年頃まで連続的にまたがっています(図1B)。この時間的幅によって大移動期の影響の調査が可能となり、ヨーロッパにおける人口動態およびヒトの移動性のパターン[38~41]をローマ世界の辺境と比較できます。以下は本論文の図1です。
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 古代DNAデータセットの時間的解像度を向上させるために、放射性炭素年代測定で85点の標本が選択されました。いくつかの分析のため、南コーカサスとアルメニア高地のデータセットが各期間に分割されました。南コーカサスの動的な過去の離散化は、地域的に多様で重複する文化的および考古学的背景のため困難であることに要注意です。したがって、本論文の分類は暦年代のみに基づいており、主要な目的は時系列分析の統計的検出力の向上です。


●南コーカサスにおける持続的な在来遺伝子プールと限定的な遺伝子流動

 本論文の時間横断区における個体の遺伝的祖先系統を調べるために、新たに提示される個体および他の関連する個体の古代DNAデータが、コーカサスのさまざまな現代人集団を含めて、ユーラシア西部とアジア中央部の現代の人口集団から構築されたPCAの最初の2軸に投影されました(図2)。個体の90%以上がコーカサスの南北の金石併用時代からEIAの個体群を示す先行研究[14~18、42、43]によって概説されたクラスタ(まとまり)に加わり、この倉片は南コーカサスの現代の人口集団とも重なっている、と分かりました。この兆候から、この主成分1(PC1)と主成分2(PC2)のまとまりは局所的な持続する南コーカサス祖先系統の遺伝的か編成を表している、と示唆されます。注目すべきことに、BAおよびIAの個体群は金石併用時代からMBA草原地帯コーカサスのクラスタか、草原地帯コーカサスのMBAクラスタと金石併用時代クラスタの間に収まらず、以前に報告されたように[14]混合した祖先系統が示唆されます(図2A)。前者以下は本論文の図2です。
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 在来祖先系統のクラスタ内では、BAにおける人家的な下部構造が観察され、M/LBA個体群はEBACタイムと比較してPC1およびPC2の値が動いていることを示しました(図2A)。注目すべきことに、この移動は、BA草原地帯牧畜民とBAアナトリア半島人口集団との間の中間的方向ではなく、BA草原地帯牧畜民(ヤムナヤ文化牧畜民を含みます)の方向を示しています。その後の期間(EA~HMA)に移ると、166個体のうち152個体は在来祖先系統の主要クラスタに加わります(図2B)。すべて年代がLAおよびE-HMAの14個体は、この主要なPCAクラスタの外側に投影されます。それらのうち、ジョージアの5個体とアルメニアの2個体は、アナトリア半島およびレヴァント集団との遺伝的類似性の増加する連続体に位置し、残りの7個体には多様な祖先系統背景があります(以下、「祖先系統外れ値」と呼ばれます)。この7個体はすべてSMTとSVLに埋葬されてもいて、この2ヶ所は相互に短距離のイベリア王国の都市にあり、個体の移動の拠点としてのそうした人口集団中心地の役割を浮き彫りにしています。

 驚くべきことに、それら7個体の祖先系統外れ値のうち5個体の頭蓋では、ACDの慣行が証明されています(図2B)。具体的には、それらのうち2個体(3世紀のSMT013と4世紀のSVL015)はアジア中央部の人口集団とともにまとまり、この結論はすべての利用可能な現代ユーラシア人口集団を用いた別のPCAで裏づけられます(図S1A)。同様のPC1およびPC2軸と年代の古代人集団のみを本論文の祖先系統外れ値に図示すると、ヨーロッパおよびアジア中央部/北東部祖先系統からの全体的な連続体が明らかになり、それにはフン人やその後のアヴァール人の侵入とともに始まる[39、44]、パンノニア盆地の個体群も含まれます(図2B)。この観察から、その祖先系統外れ値はこれら遊牧民集団の拡散と関連している、と示唆されます。以下は本論文の図S1です。
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 PCAによって明らかにされた祖先系統パターンをさらに評価するために、qpAdm/qpWaveを用いての混合モデル化が実行され、以下の主要な4点の目的に取り組みました。それは、(1)より古いアジア南西部およびユーラシア草原地帯人口集団からの広範な寄与としての祖先系統の分解、および経時的な祖先系統組成の比較、(2)提供者だったかもしれない供給源人口集団を用いての、期間にまたがる違いのモデル化(近位モデル化)、(3)個体間の遺伝的差異の定量化、(4)祖先系統外れ値の混合モデルの調査です。

 遠位モデル化については、二つの並行する時間横断区が分析され、一方は現在のジョージア、もう一方は現在のアルメニアです。両地域【現在のジョージアおよびアルメニア】のすべての時間的集団は、在来の新石器時代農耕民(アナシェン遺跡とアルヘロ遺跡)と、ジョージアの続旧石器時代の狩猟採集民(CHG)と、ヨーロッパ東部から北コーカサス全域の狩猟採集民(EEHG)と、時にPPNレヴァント集団の混合としてモデル化できます(図3A)。CHGの寄与はすべての集団で必要ですが、銅器時代イラン集団のような代替的なより新しい供給源は必要ではありません。CHG祖先系統は、ジョージアとアルメニアの両方でEBAにおいて最高の割合です(それぞれ、34±3%と27±3%)。逆に、EBAにおけるEEHGからの寄与と最低でした(EBAにおいて、ジョージアでは4.3±0.9%、アルメニアでは3±1%)。EEHG関連祖先系統は、MBAとEIAの間で大きく増加していました(ジョージアでは約10~15%、アルメニアでは約15~18%)。MBAにおけるEEHG関連祖先系統の増加と並行して、LBAのジョージアにおけるYHg-R1b1a1b1b(Z2103)を有する男性も報告され、YHg-R1b1a1b1b(Z2103)は、ヤムナヤ文化や地下墓地文化や北コーカサスの文化的集団、およびアルタイ山脈のアファナシェヴォ文化などその拡大と関連する系統です[43、45]。注目すべきことに、EEHG祖先系統の最盛期がLBA~EIAの移行期なのに対して、アルメニアではすでにMBAにおいて最高値に達しています。以下は本論文の図3です。
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 次に、個体のモデル化を用いて、MBA以降における草原地帯祖先系統の代理であるEEHG祖先系統構成要素における、ジョージアとアルメニアとの間の違いが調べられました。アルメニアでは、MBAとLBA-EIA~IAとIAにおいて、有意気により高いEEHG係数が適合します。その後、EEHG祖先系統は現在まで安定しており、アルメニアとジョージアの間で統計的に有意な違いはありません(図3B)。CHG祖先系統はおおむね経時的に減少し、2集団【ジョージアとアルメニア】間で統計的な違いはありませんが、例外は古代前期~ヘレニズム時代で、ジョージアにおいてより高くなっています。平均的なCHG係数はジョージアではLAとEMAにおいて依然としてより高いものの、アルメニアの標本規模がより小さいため統計的検出力が制約されることに要注意です。

 MBAとLBAを通じて変化する遠位祖先系統組成を文脈化するために、次に時空間的に近位の供給源で混合としてこれらの集団がモデル化されました。在来祖先系統の供給源として南コーカサス(アルメニアとジョージア)のEBA個体群を用いると、アルメニアとジョージアのすべてのMBAおよびLBA集団は2供給源からの追加の祖先系統を有しており、それは、コーカサスの北側の金石併用時代もしくはBA草原地帯人口集団からの「北方」供給源と、銅器時代アナトリア半島人口集団(つまり、現代のトルコ東部のアルスランテペ遺跡個体)からの「南方」供給源である、と分かりました(図3Cおよび図S2A)。さまざまな草原地帯の16集団は、シベリア西部の狩猟採集民と関連する異なる祖先系統を有する「草原地帯マイコープ文化」を除いて、北方供給源の代理として適合します(図S2B)。M/LBAとEIAを通じて、草原地帯の割合は、アルメニアで推定された最高のEEHG混合係数と一致します。参照人口集団(qpAdmにおける「右側人口集団」)にCHGを含めると、ジョージアについてのみ近位モデル化の適合が減少しました(図S2C)。このqpAdmの設定では、ジョージアのモデルはCHGとの共有された遺伝的浮動を予測できません(図S2D)。これは、アルメニアとジョージアとの間の混合過程における根本的な違いではなく、利用可能な供給源によって完全には把握されない、元々の領域におけるCHG祖先系統親族の証拠として解釈されます。以下は本論文の図S2です。
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 BA後の混合事象を描写するために、連続的な近位モデル化が採用されました。先行期間の在来供給源からの厳密な連続性のモデルが不充分と証明される場合、充分な適合に達するまで、イランとレヴァントとアナトリア半島とユーラシア草原地帯の追加の近位供給源が検証されました。11集団のうち8集団は、在来供給源のみではモデル化できず、アナトリア半島かイランかレヴァントからの追加の祖先系統を必要としました(図3C)。これらの地域の人口集団は、低い全体的な遺伝的文化のため、こうした近い過去の期間においての区別は困難なので、いくつかのモデルでは等しく適切な供給源として競合することに要注意です。さらに、遺伝的に類似した供給源を用いてモデルに適合させる場合、高い混合係数は大規模な人口置換の証拠とみなすべきではありません。

 ジョージアとアルメニアとの間の最も顕著な違いはEA期とLA~EMA期(LA-EMA、250~400年頃)とEMAに現れます。ジョージアでは、EAへの移行とEMAには検出可能な遺伝的変化が伴わないのに対して、アルメニアでは、IAおよびヘレニズム時代のレヴァントの人口集団と関連する混合をたどれます(図3C)。対照的に、LA~EMAの移行はジョージアでのみ顕著な混合を示します。興味深いことに、これはポントス草原地帯およびカザフ草原地帯の遊牧民集団からの遺伝子流動がモデル化される(つまり、サルマティア人、12±2%)、唯一の期間です。一般的に、アナトリア半島/イラン/レヴァントの混合係数はジョージアよりアルメニアの方でより高く、遺伝子流動のより顕著な影響が示唆されます。さらに、本論文の結果は南コーカサス内の地理的下部構造を明らかにしており、アルメニアにおける連続性のモデルは、在来供給源がジョージアからの場合、ずっと低いp値となり、その逆も同様です。

 最後に、経時的な祖先系統モデル化の個体の差異が調べられました。qpAdmを用いて、現在のジョージアの各期間内の個体が遺伝的に均質な集団としてモデル化できるのかどうか検証され、そうでない場合には、より近い過去の混合もしくは個体の移動が示唆されます。その結果、各期間において、数個体は相互と単系統群としてモデル化できず(つまり、参照人口集団一式と比較して遺伝的に区別できません)、p値が0.01以下の単系統群ではないモデルの全体的な割合は約10~20%と分かりました(図S3)。以下は本論文の図S3です。
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 この割合はLA~EMAの期間では最高で、最初期段階(つまり、LBAおよひEA集団)と比較しての移行期集団における統計的有意に達します。この分析と祖先系統外れ値の割合の増加(図2B)と集団水準での草原地帯との混合(図3C)によって証明されるように、ヒトの移動はLA以降に活発化しました。YHgにおける多様性増加は、この兆候をさらに裏づけます(図S4)。以下は本論文の図S4です。
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 これらqpAdmの結果をヘレニズム時代からEMAまでの組み合わせでp値の密集視覚図として視覚化すると(図S5A)、16個体が他の個体と大きく異なるようで、クラスタを形成します。PCAでは、このクラスタの3個体(SMT003とSMT032とSMT027)と5個体(NAT004とSMT021とFQR002とSMT019と)はそれぞれ、ユーラシア草原地帯集団およびアナトリア半島/レヴァント集団へと動く、PC1およびPC2の値を有しています(図2Bおよび図S5B)。さらに8個体は、そのうち3個体がACDで、このPCAにおいて「在来」クラスタに加わりましたが、北コーカサス/草原地帯祖先系統の方へと動いており、これはf₄統計で確証される類似性です。以下は本論文の図S5です。
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●人口規模の動態および接続性

 近い過去の生物学的近縁性の時空間的パターンを調べるために、古代ゲノムの組み合わせ間で共有される、いわゆるIBDの断片が分析されました。全体的な平均的IBD断片共有率や、地理的距離増加に伴うその低下は、近い過去の人口動態について多くの情報をもたらします。生物学的親族は相互とより密接にクラスタ化する傾向にあるので、IBD断片共有は空間的に広がる人口集団において距離によって減少し、これは「距離による孤立」として説明される過程における限定的な移動性です。空間的に均質な人口集団における平衡モデル下では、集団遺伝学的理論は、平均的なIBD断片共有の対数と増加する地理的距離との間でおおむね直線的関係を予測し、そこでは、傾きは分散率、切片はNeを反映しています。移動性の地理的規模がより大きくなると、減少率はより低下し、人口密度が高くなるほど、IBD断片共有の全体的な量は低下します。

 そうした地理的なIBD断片分析を南コーカサスのデータ(図1A)に適用すると、8cM以上のIBD共有の距離モデルによってこの孤立に良好な適合が見つかります(図4A)。三つの異なる時間横断区、つまり、(1)初期~中期BA/LBA(紀元前3500~紀元前1500年頃)、(2)LBA~IAの2期(紀元前1500~紀元前600年頃)、(3)EA~EMA(紀元前500~紀元後800年頃)に層別化すると、IBD共有の全体的な量はM/LBAからその後の期間にかけてすべての地理的距離で減少する、と観察されます(図4A)。このパターンは、LBA以降のNeの顕著な増加を示唆しています。IBD共有の地理的減少率はおおむね安定したままで、M/LBAから歴史時代にかけての個体の移動性の同様の全体的な規模が示唆されます。しかし、地図上で共有されるIBD断片との個体の組み合わせの分布を視覚化すると、散発的な長距離移動を示唆する長距離のつながりが観察され始め、それはEAに始まり、IBDのつながりがジョージアの東西の地域間で現れ、IBD網は黒海のアナトリア半島沿岸へと広がります(図4B)。以下は本論文の図4です。
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 次に、移動が主要な地理軸に沿っているのかどうか調べられ、対でのIBD断片共有に方向性の偏りがあるのかどうか、検証されました。この目的のため、IBDの組み合わせが、閾値として45度を用いて、その直線的な地理的距離がおもに緯度軸かそれとも経度軸に沿っているのかどうかに基づいて、「東西」および「南北」として区分され、さらに組み合わせが、(1)草原地帯牧畜民からの混合が起きたM/LBA,と、(2)歴史時代、つまりEAからEMAの2期間に分類されました。この分析は移動性の優勢な軸がなまいことを示唆し(図4C)、比較的均一な移動性パターンを明らかにしています。重要なのは、対でのIBD共有の角度パターンが、とくに非平衡的状況において、個体の移動性の真の方向性について偏った代理指標を表す可能性に注意することです。第三の場所からの以前の移動も、2個体間の軸に沿った直接的な移動がない、共有されたIBD断片を製伊勢するかもしれません。それにも関わらず、IBDの方向性の偏りがないことと、地理的距離の増加に伴う全体的な減少の兆候は、比較的均一で安定した人口統計学的景観と一致します。


●イベリア王国における社会組織の適所

 次に、ハプロタイプ共有手法を用いて、社会組織のパターンが調べられました。具体的には、長さが12cM以上の共有IBD断片によって明らかになる数百年間以内で系図的につながっている親族と、ROHによって示唆される個体の両親の近縁性が分析されました。これらの分析は、本論文のデータセットにおいて最も密に標本抽出されている地域、つまりイベリア平原とムツヘタ(ジョージア東部)に焦点が当てられ、これらの地域にはIAから歴史時代を通じて連続的に居住されてきました。この地域における高い標本抽出密度によって、IAおよびEMAにおけるIBDのつながりの分布の研究、および社会組織のさまざまな適所の調査が可能となります。すべて重要な都心のネクロポリス(大規模共同墓地)である、考古学的遺跡のSMTとSVLとFQRとDZNをつなぐ、IBD断片の網状分析が実行されました(図5A)。次に、ROHおよびIBD網状分析が、短距離内のおおむね同時代の遺跡、つまりNDZとAGVとKIMとKMRに拡張され、KMRは数世紀古いので、IBDのつながりはあり得ます。以下は本論文の図5です。
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 いくつかの分析から、首都ムツヘタの都市規模はSMTのネクロポリスの構造に反映されていた一方で、近隣の集落では、重要な交易拠点へのいくらかの発展にも関わらず、人々はより小さな部分的族内婚共同体の社会構造を維持した、と示唆されます。まず、SMTは内部のIBD断片共有率が最低で、11個体のうち3個体しかつながっていません。全体的に、ancIBDおよびBreadRで推定された遺跡内の遺伝的近縁性はSMT標本(25点)では低く、親子は1組のみ、2親等の親族は1組で、最大6親等までの遠い親族はいませんでした(図5A)。注目すべきことに、遺跡間のつながりのある個体(SMT005)は、近親婚の兆候のあるSMTの1個体(合計ROHが200Cm超)のみです(図5B)。一般的に、2ヶ所の都心であるSMTとSVLはいくつかの異なる兆候を示しており、祖先系統外れ値7点はすべてこの2ヶ所の遺跡に由来し、より遠い地理的距離の3ヶ所の遺跡、つまりKLDやTCHなどとIBD共有率が最高で、ヨーロッパではカルパチア盆地とのつながりがあり(SMT013とRKF101)、PCAおよびqpWaveクラスタ化(まとまること)で最高の遺跡内の遺伝的多様性が示され(図S5)、ほぼ内部の生物学的近縁性が欠けています(図5A)。

 それらの都市遺跡以外では、早くもIAで顕著に異なる組織化の兆候が観察され、とくに、IBD断片共有率が最高で、ROH量が増加しています。SMT都市に隣接するKMR遺跡では、11個体のうち9個体もがIBD断片共有でつながっています(図5A)。個体KMR016は古代DNAの記録で最も多い量のROHの個体を表しており、両親が1親等もしくは2親等の親族だったことと一致します(図5B)。LAおよびEMAへと続いて、NDZ遺跡の8個体はすべて、2親等から約10親等の親族に典型的な対でのIBDの関係でつながっています。さらに、NDZ遺跡の4個体は短い長さかから中間的な長さのROHを示しており、これはかなりの背景近縁性の人口集団における配偶と一致します。残りの3個体には親族間の結婚(イトコとマタイトコ)と同等の長いROHがあり、族内婚共同体に典型的な両親の近縁性が示唆されます。注目すべきことに、NDZ遺跡に最も近い遺跡で、重要な交易拠点へと発展したDZNは、中間的な位置を示します。DZN遺跡の11個体のうち7個体は遠い親族で、その一部はNDZ遺跡およびKMR遺跡の個体とも親族関係です。同時に、個体の半数におけるROHの欠如から、この集団はより大きな配偶集団の一部だったか、新たな構成員の加わった族内婚共同体だった、と示唆されます。qpAdmおよびPCAの結果(図S5)はこの見解をさらに裏づけ、IBD共有ではどの個体とも親族関係にない2個体(DZN009とDZN011)は、アナトリア半島もしくは恐らくコーカサスの北側のいずれかからの遺伝的類似性のため、LA集団と別にクラスタ化します(まとまります)。

 最後に、ジョージアの時間横断区での両親の近縁性の発生率が調べられました。20cM長のROHの合計50cM超によって示唆されるような、最大でイトコもしくはマタイトコ(あるいは同等の関係)の密接な父系の関係の割合として定義される近親婚の水準は、約25~30%の割合で経時的に一定のままです(図5C)。全体的に、そうした「近親婚」がジョージアの114個体のうち13個体(約11%)で観察され、この割合は、同様にhapROHでのほぼユーラシア祖先系統の古代人1785個体で計算された3%と比較すると、上昇しています。同時に、BA牧畜民における最大値からLAおよびEMAにおける最小値までの、短いROHにおける全体的な減少は、IBD共有分析の地理的パターンの分析で明らかなように、人口規模の増加との本論文の観察をさらに裏づけます。


●ACDへの知見

 本論文のデータセットには、6ヶ所の遺跡(SMT、SVL、KLD、NDZ、TCH、LBAのTSV遺跡の1個体)で発見され、人為的に引き延ばされた頭蓋骨のある21固体が含まれています。中世初期ジョージアの頭蓋顔面研究は、一般的なACD率が約20%で、SMT墓地では約30%(132個体のうち43個体)に上昇する、と報告しています。LA~EMAの年代の8点のACDの事例は、NDZ遺跡に由来します。本論文の祖先系統分析(PCAとqpAdmとIBD網分析、図2Bおよび図5A)によると、それらのACDは在来人口集団内の親族網の個体群で見られ、そのうち2個体は北コーカサスとのより高い類似性を示します(図S5)。この親族網と遠い関係の、ACDのあるSMT遺跡の1個体(SMT009)は、ACDのある別の1個体(SMT011)の母親か娘です。両者【SMT009とSMT011】は南コーカサス由来の祖先系統を有しています(以下、在来と呼ばれます)。SMT009とSMT011は異なる延長技術を受けていましたが、親族関係のこの直接的証拠から、この慣行は在来人口集団では一般的で、少なくとも一部の事例では家系伝承によって受け継がれた、と示唆されます。

 直接的のある個体の大半(21個体のうち16個体)は在来の遺伝的祖先系統を有していますが、環状のACDの2事例(SMT013とSMT027)と平板なACDの2事例(SVL015とSMT025)と「フン」式のACDの1事例(SVL005)は祖先系統外れ値です。その祖先系統の範囲は、ヨーロッパ中央部および東部(SMT025)やアジア中央部および内陸部(SMT013とSVL005)から、ヨーロッパ東部およびアジア中央部(SVL015)までとなり、較正年代の範囲は220~525年頃です。SVL005の汚染率(AuthentiCTでは約8%)が、非在来遺伝的特性との推測に影響を及ぼす可能性に要注意です。入力としてPCAと時空間座標を用いる手法であるmobestは、いくつかの地理的地域についてより高い遺伝的類似性の確立を推定しており、SMT025についてはカルパチア盆地、SVL005についてはポントス・カスピ海草原地帯(黒海とカスピ海に挟まれた、ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)の一部を含むコーカサス、SVL015とSMT013についてはアジア中央部から東部です。最後に、SMT027について、この期間のアラン人およびサルマティア人の領域を含む黒海周辺の地域では、最高の確率となります。

 次に、qpAdmモデル化(図6)とIBD断片のつながりを用いて、確実で遺伝的に非在来のACDのある4個体それぞれの祖先系統が調べられました。低網羅率のSMT027はSMT032およびSMT003(ACDではありません)とクラスタ化し、PCA上で同様の配置が示されています(図2B)。まとめると、これらの個体は7世紀北コーカサスにおけるアラン人の牧畜民集団からの1供給源モデルに適合します。在来供給源(つまり、ジョージアのLAおよびEMA集団)とサルマティア後期もしくはランゴバルド期のカルパチア盆地の個体群の2方向混合も許容されますが、DATESは近い過去の混合を適合させられませんでした。SMT025については、適切なモデルには、カザフおよびポントス草原地帯の供給源(たとえば、サルマティア人)と混合した約70%のカルパチア盆地と関連する祖先系統(つまり、ランゴバルド人)が含まれますが、ジョージアの追加の在来供給源(LA~EMA、約20%)はこのモデルの適合度をさらに向上させました。一貫して、単純な1供給源モデルがハンガリーのサルマティア後期個体群で得られ(ドナウ川とティサ川の河間地域、4~5世紀頃)、それ以前の集団と比較して、ポントス草原地帯の人口集団とのより高い類似性を有している、と示されました。以下は本論文の図6です。
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 個体SVL015(262~525年頃)およびSMT013(218~328年頃)は、アヴァール期にはカルパチア盆地まで広がっていた、草原地帯中央部および東部と関連する特性[44、49]を有していました。カザフスタンの遊牧民やキルギスタン(天山)のフン人など同時代の集団は、1供給源モデルもしくは在来祖先系統との混合に適合せず、例外はカザフスタン東部の中世の1集団で、在来供給源との2方向モデルにおいて約85%を占めています。SVL015のmtHg-Hも、ユーラシア西部祖先系統を裏づけます。アジア東部系のmtHg-D4e1を有する個体SMT013については、このモデルは近い過去の混合事象(DATESでは個体SMT013の12±4世代前と推定されました)に起因するかもしれません。さらに、SMT013はアヴァール前期のハンガリーの4個体(SZOD1-187とRKF101とI18222とRKF173、合計ROHはそれぞれ25cMと23cMと15cMと14cM)およびフン期の2個体(KMT-2785とVZ-12673、合計ROHはそれぞれ14cMと13cM)と少なくとも1ヶ所の12cM以上の長さのIBDを共有しており、これらの個体はすべて、ユーラシア草原地帯[44、49]と遺伝的に関連しています(図1B)。これらのIBDのつながりから、SMT013はその直後にヨーロッパ東部に到達した大陸横断交配網に起源があった、と明らかになります。


●考察

 本論文は、現在のジョージアを中心に、BAから中世までの考古遺伝学的時間横断区を提示します。以前のデータ[14、16~18、42、43、50]とともに分析すると、これらの期間を通じた南コーカサスの人口史の追跡が可能となります。現在のジョージアおよびアルメニアについての本論文の分析は、BA以降のおおむね在来の人口構造を維持しながら、持続的な在来遺伝子プールへと吸収された混合を示し、人口集団全体の水準での変化はわずかでした。

 以前の古代DNA研究では、紀元前六千年紀と紀元前五千年紀に、この地域は先行する在来農耕民およびジョージアのCHGおよびヴォルガ川下流域の金石併用時代人口集団と関連する、混合した異なる遺伝的祖先系統の連続体の南端だった、と示されてきました[15、16]。本論文では、先行する在来農耕民およびジョージアのCHG祖先系統は、わずかな量のEEHG関連祖先系統とともに、EBA南コーカサス人口集団への主要な寄与者でもあった、と分かりました。EEHG遺伝的特性が紀元前七千年紀に北コーカサスに広がっており、そこでその後に牧畜民の「草原地帯」祖先系統に寄与したこと[15~17]を考えると、この調査結果は意外ではありません。さらに、それ以前のEEHGからの遺伝子流動が、銅器時代アルメニアで証明されてきました[42]。

 EEHG祖先系統はMBAのジョージアおよびアルメニアで再度上昇し、その頃、南コーカサスBAの広範なクラ・アラクセス文化の最終段階とともに、在来人口集団が草原地帯牧畜民と交流し始め、前期クルガン文化およびトリアレティ文化期が始まりました。この両文化は、車輪付き荷車とともに古墳(クルガン)における埋葬で知られています。LBAアルメニアにおける草原地帯祖先系統の顕著な増加に基づいて、この遺伝子流動の直接的なつながりおよびIE語族アルメニア語派のこの地域への最初の拡大が提案されてきました[17]。これは、コーカサスの南側の紀元前七千年紀後半におけるIE祖語の起源およびCHG/新石器時代イラン関連の遺伝子流動に伴うその後の北方への拡大に関する最近提案された仮説とは対照的に、語彙およびIE祖語の再構築の推定年代に基づく、IE語族の初期の拡大を草原地帯牧畜民と関連づけようとする言語拡大のモデルに適合します。

 本論文では、ジョージアのMBAおよびLBAの全個体でも草原地帯祖先系統の出現が報告され、それにはヤムナヤ文化集団に典型的なYHg-R1b1a1b1b(Z2103)のLBAにおける到来が伴っていました(この期間より数百年間先行します、図S4C)。しかし、ジョージア(グルジア)語を含む、非IE語族であるカルトヴェリ語族は紀元前4000年頃の起源と仮定的に再構築されており、本論文の研究対象地域でげんざい見られます。したがって、草原地帯牧畜民祖先系統の拡大は、南コーカサス全域の言語伝播の単純な包括的兆候として機能しないかもしれず、南コーカサスにおける、および南コーカサスから草原地帯への農耕民祖先系統の拡大を伴う、それ以前のIEの伝播を除外しません。しかし、注目すべきことに、ジョージアが北コーカサス草原地帯により近いにも関わらず、ジョージアよりもM/LBAアルメニアの方へと多くの草原地帯祖先系統が適合させられます。草原地帯仮説を仮定すると、このパターンは、現在のアルメニアではIE語族の持続的存在と関連しているものの、ジョージアでは関連していないかもしれませんが、微妙な遺伝子流動を言語の拡大と同等視する過度に単純化した解釈には要注意です。この兆候は、とくにアルメニアへの南方の移動を促進した潜在的な「牽引」要因を、家畜への専門化の崩壊やLBAにおけるその最終的な放棄につながった、コーカサス草原地帯地域における気候条件悪化などの「押し出し」要因とともに、将来検討する必要性を強調します。

 BA南コーカサスの人口史は、草原地帯牧畜民の拡大との関連でおもに研究されてきましたが、本論文は、M/LBAにおける草原地帯祖先系統の到来を伴う、アナトリア半島からの異なる遺伝子流動も明らかにします。草原地帯とアナトリア半島両方の祖先系統について、妥当な供給源として利用可能な単一の古代の供給源はないので、異なる2回の混合事象がアルメニアとジョージアの遺伝子プールを形成した、と提案されます。南方への別の遺伝子流動から、M/LBAトリアレティ文化における多くの近東からの文化的影響によるさらなる裏づけが見つかります。まとめると、BA南コーカサスの遺伝子プールを形成したこれら2回の混合は、この地域における文化拡散の証拠と一致します。

 近東人口集団からの遺伝子流動は、歴史時代まで継続しました。アルメニアでは、依然として現代のアルメニア高地人口集団に存在するレヴァント祖先系統は、紀元前6瀬玲紀以降のアルメニア王国の南方の範囲と一致し、そこにこの祖先系統は存在します。一方で、のの領域はアナトリア半島北東部へと拡大し、アナトリア半島およびイラン北西部とより強く関連する遺伝子流動と一致します。これらの観察から、メディアやアケメネス朝(アカイメネス、ハカーマニシュ)朝やサーサーン朝といった帝国を含むアジア南西部全域の連続的な帝国による政治的影響が、ヒトの移動やその結果としてのジョージアとアルメニア両方の人口集団の遺伝的構造に及んだ、と示唆されます。

 個体のかなりの割合(230個体のうち98個体)の年代はLAおよびEMA(50~800年頃)で、ヒトの移動性に関する、ローマの征服やキリスト教化やユーラシア草原地帯の遊牧民部族との接触直接的評価が可能となります。この期間についての本論文の結果は大まかには、非在来祖先系統を有するヨーロッパおよびアジア南西部の歴史時代の個体は約7%との最近の観察[50]と適合します。しかし、アナトリア半島や北コーカサスなど近隣地域からの移動を考慮すると、この割合は20%に達します。しかし、これらの数値がジョージア全域に外挿できないのは、本論文の標本抽出がムツヘタ(SMT遺跡)やトビリシなどイベリア王国の都心やその周辺に集中しているからです。ストラボン『地理誌』第11巻第3章は、この地域をアラグヴィ川の二つの支流の合流地点、つまりダリエル(Dariel)峠の主要毛色と呼んでおり、それは古代以降、重要な移動回廊でした。イベリア人はアラン人を、この峠を通って少なくとも3回移動させ(他国との戦いのため、35年と72/73年と135/136年)、それはヨセフス(Josephus)やカッシウス・ディオ(Cassius Dio)といった歴史家が言及しています。その後、サーサーン朝人が北方の国境を支配すると、イベリア人はダリエル峠を開放し、遊牧民集団を同盟者として使用しました。135/136年の出来事の時間枠は、LA~EMAの移行期におけるユーラシア中央部草原地帯の遊牧民集団からの推定される混合の痕跡と一致します。

 アジア中央部祖先系統を有する数個体の早期の¹⁴C年代とともに、本論文の結果は、早くも大移動期の前となる、イベリア王国人口集団における遊牧民集団の一時的な遺伝的影響を論証します。北コーカサスとのより強い類似性を有する個体群の年代はLAおよびEMA期にまたがっていますが、南コーカサスとの類似性のある個体群の年代はおもに5世紀で、イベリア王国のキリスト教化の約1世紀後です。この期間全体で遺伝子流動は検出されませんが、SMTやDZNのような中心地のそうした個体群の埋葬は、交易および巡礼と関連する個体および集団の移動性増加を示唆しています。これらの祖先系統モデル化の結果をハプロタイプ共有と組み合わせると、農村の族内婚共同体との混合社会組織、および都市部の遺跡における親族関係にない個体群の遺伝的により多様な共同体が論証され、それには「在来」として同じ儀式に従って埋葬された祖先系統外れ値が含まれます。

 最後に、ACDのある21個体のゲノムは、BA以降に見られたこの文化的慣行への知見を明らかにしました。ハンガリーのフン人の背景から得られたACDの事例との幾何学的形態計測比較は、ジョージアにおけるより高い頭蓋形態多様性を示し、フン人よりも北コーカサスのサルマティア人およびアラン人との関連が裏づけられます。ACDのある乳児および子供からの限定的なデータのため、これらの個体がその共同体で生まれたのかどうか、不明です。また、埋葬背景は性別の偏りやより高い地位や高貴な生まれや健康状態の悪さを示唆していませんでした。本論文では、ACDのあるLA-EMAの20個体の大半が在来祖先系統を有しており、母親と娘の組み合わせを含めて、近い生物学的親族(2個体)と遠い生物学的親族(6個体)だった、と示されます。しかし、ACDのある個人は、コーカサス外からの近い過去の移民だった可能性がより高そうです。この観察は、祖先系統がヨーロッパに由来した、中世ヨーロッパ中央部のACDの事例[40]と一致します。

 本論文のモデル化分析は、いくつかの事例でサルマティア人およびアラン人起源を裏づけます。さらに、おそらくは汚染されている個体SVL005を除いて、すべての祖先系統外れ値は頭蓋が「板状」か「円形」の技術で変形されており、典型的なフン様式(環状)とは異なります。しかし、遺伝学的にアジア中央部人のSMT013はフン人との系図的つながりを示します。興味深いことに、SMT013の¹⁴C年代(218~328年頃)から、SMT013はフン人が歴史的に北コーカサスで証明された1世紀以上前に生きていた、と示唆されます。全体的に、本論文の遺伝学的分析から、南コーカサスにおけるACDの出現は草原地帯集団の移動と関連していたものの、その後はおもに遺伝学的に在来の人々によって行なわれており、少なくとも一部の事例では、次世代に垂直的に継承された、と確証されます。


●限界

 本論文は、密な古代DNA時間横断区標本抽出に、LA-EMAの状況における遺伝子流動、もしくはヘレニズム時代以降の一部の個体におけるアナトリア半島集団との遺伝的類似性増加など、微妙で一時的な混合の解明能力があることを浮き彫りにします。しかし、古代コルキス王国に相当するジョージア西部における古代の遺伝的景観は、限定的な標本抽出のため、依然として大まかな水準でのみ解明されています。黒海沿岸のギリシア植民地の持続的な歴史的証明の存在にも関わらず、本論文の分析はエーゲ海からの顕著な遺伝子流動を検出していません。この地域における将来の研究は、歴史的な叙述が集団遺伝学に反映されているのかどうか、どのように反映しているのか、解明するのに役立つでしょう。最後に、¹⁴Cもしくは状況に基づく年代測定は、妥当な年代範囲を数世紀に限定することが多いので、特定の個体、とくに外れ値の個体を正確な歴史的事象に関連づけることは依然として困難です。


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