ポルトガルの過去5000年間の人口史

 古代ゲノムデータに基づくポルトガルの過去5000年間の人口史に関する研究(Roca-Rada et al., 2025)が公表されました。本論文は、ポルトガルで発見された新石器時代から19世紀までの人類遺骸67個体のゲノムデータを報告し、ポルトガルの過去5000年間の人口史を検証しています。ポルトガルでは、新石器時代に在来狩猟採集民のアナトリア半島起源の農耕民の混合が進み、銅器時代以降の個体のゲノムには草原地帯関連の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が出現します。ローマ期には、ポルトガルでもアフリカ北部および地中海東部関連祖先系統が確認され、遺伝的多様性が見られます。中世前期には、ポルトガルでヨーロッパ中央部関連の祖先系統が見られ、これはいわゆる大移動期と関連しているようです。イスラム期およびレコンキスタ(再征服活動)期のポルトガルでは、北部における強い遺伝的連続性および南部における顕著な追加のアフリカ系との混合が示され、アフリカ系との混合の影響はイスラム期の後も依然として安定しており、持続的なアフリカ系の影響が示唆されます。

 以下の略称は、DNA(deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸)、mtDNA(Mitochondrial DNA、ミトコンドリアDNA)、mtHg(mtDNA haplogroup、ミトコンドリアDNAハプログループ)、YHg(Y-chromosome DNA haplogroup、Y染色体DNAハプログループ)、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、MDS(Multidimensional Scaling、多次元尺度構成法)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、LGM(Last Glacial Maximum、最終氷期極大期)、HG(hunter gatherer、狩猟採集民)、WHG(Western European hunter–gatherer、ヨーロッパ西方狩猟採集民)、o(outlier、外れ値)、ID(Identification、識別)です。CEU(Central Europe、ヨーロッパ中央部)です。

 時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、C(Copper Age、銅器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EBA(Early Bronze Age、前期青銅器時代)、EM(Early Medieval、中世前期)です。本論文で取り上げられる主要な人類集団は、西ゴート人(Visigoth)、スエビ人(Suebi)サハラウィ人(Saharawi)、ムザブ人(Mozabite)です。本論文で取り上げられる主要なローマ帝国の属州は、ルシタニア(Lusitania)、タラコネンシス(Tarraconensis)、ガリシア(Gallaecia)です。本論文で取り上げられる主要なローマ帝国の都市は、エメリタ・アウグスタ(Emerita Augusta)、ブラカラ・アウグスタ(Bracara Augusta)、ルクス・アウグスティ(Lucus Augusti)です。本論文で取り上げられるポルトガルの主要な地域は、南部のアルガルヴェ(Algarve)、ドゥエロ川(Douro River)、ドゥエロ砂漠(Desierto del Duero)です。

 本論文で取り上げられる主要な文化は、マグダレニアン(Magdalenian、マドレーヌ文化)、カルディウム土器(Cardial Ware)文化、インプレッサ土器(Impressed Wares)文化、球状アンフォラ(両取って付き壺)文化(Globular Amphora Culture、略してGAC)、線形陶器(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)文化、ヤムナヤ(Yamnaya)文化、鐘状ビーカー(Bell Beaker、鐘形杯、略してBB)文化、イベロモーラシアン(Iberomaurusian)文化、ケレス(Körös、Koros)文化、です。

 本論文で取り上げられるポルトガルの主要な遺跡は、中期~後期新石器時代のコヴァ・ダス・ラパス(Cova das Lapas)遺跡、銅器時代~青銅器時代のトーレ・ヴェルハ3(Torre Velha 3)遺跡、青銅器時代のモンテ・ダ・カビダ3(Monte da Cabida 3)遺跡、青銅器時代のオウテイロ・アルト(Outeiro Alto)遺跡、エスピリトサント州(Espírito Santo)のイダーニャ・ア・ヴェリャ村(Idanha-a-Velha)の2~7世紀の遺跡およびローマ期のポルタ・ノルテ(Porta Norte)遺跡およびローマ期のポルタ・スル(Porta Sul)遺跡、トーレ・ヴェルハのカストロ・デ・アヴェラス(Castro de Avelãs)遺跡、グアルダ県のフレイショ・デ・ヌマオン(Freixo de Numão)のプラゾ(Prazo)ネクロポリス(大規模共同墓地)遺跡、イスラム期のサンタレン(Santarém)ネクロポリス遺跡、ローレ(Loulé)の11~13世紀のミゼリコールディア病院(Hospital da Misericordia)遺跡および12~13世紀のキンタ・ダ・ボアヴィスタ(Quinta da Boavista)遺跡、サンタレン(Santarém)の12~14世紀のルア・ドス・バルコス(Rua dos Barcos)遺跡、12~15世紀のサン・ミゲル・デ・オドリンハス(São Miguel de Odrinhas)遺跡、カステロ・ブランコ(Castelo Branco)の中世後期以降のサン・ミゲル教会(Church of São Miguel)遺跡、イグレージャ・デ・サンタ・マリア・ダ・アルカソヴァ(Igreja de Santa Maria da Alcáçova)の18世紀のカステロ・デ・モンテモル・オ・ヴェーリョ(Castelo de Montemor-o-Velho)遺跡、アヴェイロ(Aveiro)市のサンタ・マリア・ダ・フェイラ(Santa Maria da Feira)の18~19世紀のトラヴァンカ(Travanca)遺跡、サンタレン(Santarém)の18~19世紀のカステロ・デ・アルバンテス(Castelo de Abrantes)遺跡、モイタ・ド・セバスティアン(Moita do Sebastião)遺跡、ルガー・ド・カント(Lugar do Canto)遺跡、カサス・ヴェリャス(Casas Velhas)遺跡、メドロンハル洞窟(Gruta do Medronhal)遺跡、モンテ・ド・ヴァレ・ド・オウロ2(Monte do Vale do Ouro 2)遺跡、モンテ・ド・ガート・デ・シーマ(Monte do Gato de Cima_3)遺跡、です。

 本論文で取り上げられるポルトガル以外の主要な遺跡は、スペインではロス・カネス(Los Canes)遺跡とラ・ブラナ(La Brana)遺跡、ベルギーではゴイエ(Goyet)遺跡、イタリアではヴィッラブルーナ(Villabruna)遺跡、ドイツではボン・オーバーカッセル(Bonn-Oberkassel)遺跡、ルクセンブルクではロシュブール(Loschbour)遺跡、ロシア西部ではサマラ(Samara)、、イランのガンジュ・ダレー(Ganj Dareh)遺跡、アルジェリアのヌミド(Numido)遺跡です。


●要約

 イベリア半島における大規模な人口統計学的事象を明らかにした最近の古代DNA研究は、ユーラシア大陸の最西端に位置する国であるポルトガルについては、ひじょうに限定的なデータを提示してきました。本論文は、新石器時代から19世紀までヒトの歴史の5000年間にわたる67個体から得られた、ポルトガルの古代人のゲノム規模データの最も包括的な収集を提示します。新石器時代のポルトガルにおける在来の狩猟採集民とアナトリア半島関連農耕民との間の初期の混合が特定され、イベリア半島においてマグダレニアン関連祖先系統の存続の増加の北東部から南西部にかけての勾配が見られます。この特徴は銅器時代へと継続しますが、鐘形杯関連の遺跡は草原地帯関連祖先系統の最初の証拠を明らかにします。そうした祖先系統は、在来の銅器時代の遺伝的祖先系統の存続および限定的な地中海とのつながりにも関わらず、青銅器時代においてより広範な人口統計学的影響を及ぼしました。

 イダーニャ・ア・ヴェリャ村はローマ期に重要な移住および交流の場として現れ、アフリカ北部および地中海東部祖先系統を含む、とくに多様な遺伝的特性を提示します。中世前期はヨーロッパ中央部遺伝的祖先系統の多様性の到来によって特徴づけられ、これはゲルマン部族の移住と関連している可能性が高く、同時代の在来とアフリカと地中海の影響に追加されました。イスラム期とキリスト教征服期には、ポルトガル北部における強い遺伝的連続性およびポルトガル南部における顕著な追加のアフリカ系との混合が示されます。後者はイスラム期の後も依然として安定しており、持続的なアフリカ系の影響が示唆されます。本論文は数千年にわたる文化的交流と一致する移住の動的パターンと、在来祖先系統の持続も明らかにします。本論文の調査結果は、遺伝学的情報を歴史および考古学的データと統合し、イベリア半島の生物学的および文化的遺産の理解を深めます。


●背景

 イベリア半島はヨーロッパ大陸の最西端に位置し、地理的に半ば孤立した地域で、ヨーロッパの袋小路へのヒトの移住の古代のパターンに関して独特な視点を提供します。具体的には、この地理的背景は、相対的な局所的孤立とヒトの移動の大陸のパターンがイベリア半島における遺伝的祖先系統の存続および追加にどのように影響を及ぼしたのか、ということや、局所的な人口網の全体的な構造および安定性を調べる、貴重な機会を提供します。

 ヨーロッパのヒトの進化についてのイベリア半島の重要性は、LGM(26000~19000年前頃)における退避地としての役割によって強調され、LGMにおいて過酷な気候条件のためヨーロッパ全域でヒトの居住可能地域は縮小しました[5、6]。14000年前頃に気候が温暖化し、氷床が縮小するにつれて、狩猟採集民人口集団はヨーロッパ全域に拡大し始めました[5、8~11]。現在のポルトガルにおける貝塚(concheiros)と関連する中石器時代のネクロポリスによって証明されように、この期間にはヨーロッパの一部で居住の遊動的な生活様式より定住的な形態への漸進的移行がありました。以前の遺伝学的研究では、イベリア半島の北西部と南西部と南東部の狩猟採集民は、祖先系統の大半がLGM後の人口拡大(ヴィッラブルーナ/オーバーカッセルクラスタ)と関連しているように見えるイベリア半島北部および北東部の中石器時代狩猟採集民と比較して、マグダレニアン関連個体(ゴイエQ2クラスタ)を表している、LGM関連祖先系統からの高い割合の祖先系統を保持しており、と示されてきました[5、13~15]。

 イベリア半島で農耕や牧畜や永続的居住を伴う大きな社会的および人口統計学的変化が起きたのは、新石器時代の開始(紀元前5700/5600年頃)になってからでした。狩猟および採集から農耕への移行は、おもにアジア南西部からヨーロッパへの人口移動によって引き起こされました[17、19、20]。具体的には、カルディウム集団など刻文土器を有するヒト集団が地中海西部沿いに拡大し、紀元前5500年頃までにポルトガル中央部~南部に達しました。最近の遺伝学的研究では、新石器時代集団の拡大には動的な人口移動が含まれており、在来の狩猟採集民と移住してきた農耕民との間の混合があった、と示されてきました。結果として、新石器時代イベリア半島共同体は、移住経路沿いの混合および追加のイベリア半島集団からの寄与のため、ヨーロッパ中央部と比較してより高い割合の狩猟採集民祖先系統を保持しました[13、15、25、27]。

 金属技術の進歩(銅や金の冶金)は経済および交易強化と相まって、銅器時代(紀元前3000~紀元前2000年頃)に社会組織のより複雑な形態をもたらしました。これらの社会は、交流にも関わらず独自の文化的特徴を保持した、多様な地域的文化によって特徴づけられました。具体的には、ポルトガルにおける鐘状ビーカー(鐘形杯)現象は既存の銅器時代の状況内で出現し、埋葬慣行や物質文化や長距離のつながりの変化に寄与しました。遺伝学的研究は先行する新石器時代人口集団からの祖先系統の存続を示唆しますが、草原地帯関連の類似性が初めて、イベリア半島北部で散発的に出現します[30]。さらに、狩猟採集民祖先系統の復活がヨーロッパの一部で観察されており、これは特定の孤立した地域で存続していた狩猟採集民の同化に起因する可能性が高そうです[25、31、32]。

 青銅の冶金の発達やより強い社会的階層化の出現など器時代青銅器時代(紀元前2200年頃以降)で観察された変化には、ヨーロッパ北部および中央部の人々、およびある程度はイベリア半島の人々における、草原地帯関連人口集団に影響を受けた遺伝的祖先系統における人口統計学的変化が伴っていました[13、30、31、33~35、37]。アフリカ北部を含めて、イベリア半島を地中海および大西洋地域と結びつけていた青銅器時代の交易網の存在が報告されてきましたが、そうした相互作用の大規模な遺伝学的証拠は依然として限られており、散発的な事例が検出されただけです[13、27、37]。

 紀元前800年頃に始まる鉄器時代には、鉄器技術の導入が農耕と戦争の慣行を大きく進歩させました。イベリア人として知られるいくつかの局所的集団がイベリア半島の東部と中央部の大半を占めており、ケルト人の物質文化がイベリア半島の北部と西部と中央部の地域で発見されてきた一方で、とくにフェニキア人とギリシア人からの地中海東部の影響がイベリア半島の南部と東部で発見されました。これらの報告されている文化的交流以外に、遺伝学的研究は、ギリシア人関連の遺跡における青銅器時代および地中海東部とのつながりと比較して、鉄器時代における草原地帯関連祖先系統のわずかな増加を示しています。

 ローマによるイベリア半島の征服は、イベリア半島北東部では紀元前3世紀に始まりました。紀元前2世紀半ばまでに、ローマ軍は次第に支配を拡大し、現在のポルトガルをローマ帝国へと統合しました。この地域は当初、ルシタニア属州とタラコネンシス属州に分割され、その後の段階でイベリア半島北部にガリシア属州が加えられました。この期間には、都市化と社会資本の発展と地中海交易および大規模な鉱物採掘により促進された経済成長がありました。ローマの文化と法とラテン語はこの地域全体に広がり、在来人口集団を次第に統合した一方で、ヨーロッパ南部やアフリカ北部や地中海東部を含めてローマ帝国のさまざまな地域からの入植者がイベリア半島に到来しました。これらの人口統計学的変化は、文字記録および遺伝学的研究の両方によって裏づけられてきました[13、45]。

 5世紀には、ゲルマン部族の到来がイベリア半島の政治的状況の変化に寄与し、これはローマ権力の衰退と一致します。585年に西ゴート人が政治的にイベリア半島を統一するまで、スエビ人は現代のポルトガル北部にほぼ相当するイベリア半島北西部の大半を支配していました。この政治的統一は、アフリカ北部のイスラム教徒部族がイベリア半島の大半を征服し、ウマイヤ朝カリフに組み込んだ8世紀初頭に崩壊しました。現在のポルトガルのキリスト教徒による漸進的な征服は9世紀に北方から始まり、ポルトガル伯国の形成と1143年のポルトガル王国の創設に至りました。中世後期には、ポルトガル王国はアルガルヴェ(ポルトガル南部)が1249年に征服されたさいに、国境を拡大して統合しました。

 近世(15~18世紀)はポルトガルの拡大期で、アフリカとアジアと南アメリカ大陸で植民地が築かれ、リスボンは主要な世界貿易の拠点として台頭しました。19世紀は、ナポレオンによる占領(1807~1811年)や1820年の自由革命や1834年まで続いたその後の内戦など、政治的不安定が特徴でした。20世紀には、1910年に君主制が廃止され、ポルトガル共和国の樹立につながり、その後に続いたのはアントニオ・デ・オリヴェイラ・サラザール(António de Oliveira Salazar)のエスタド・ノヴォ(Estado Novo)権威主義体制で、これは1974年に平和的なカーネーション革命による民主政回復まで続きました。ポルトガルはそれ以降、安定的な民主共和国となり、ヨーロッパ連合に1986年に加盟し【当時はヨーロッパ共同体】、着実な経済的および社会的発展を経ました。

 これまでに収集された豊富な考古学的および歴史的証拠にも関わらず、ポルトガルの遺伝的構成の時間的差異は依然として充分には特徴づけられておらず、ヨーロッパ南西部の人口統計学的歴史のきわめて不完全な理解につながっています。最近、いくつかのヒト古代DNA研究が、イベリア半島の歴史における過去の大規模な人口統計学的事象の解明を目指し[13、15、20、25、30、35、37、45、53、55、56、58、59、61]、おもにスペインの字の研究に焦点を当てました(471個体)。しかし、ポルトガルについては、西ゴート期より前の年代の古代人のゲノムは51個体しか刊行されておらず、これはそうした歴史的に豊かな地域における前後両方の期間の人口統計学的推測を必然的に制約します[13、15、30、45、58]。

 本論文は、古代のポルトガルの個体のこれまでで最大の収集を提示します。新石器時代から19世紀まで、新たに生成された古代人のゲノム規模データを含めて、ヒトの歴史の5000年間にまたがる94個体が検査されました(図1)。全体として、ポルトガルとスペインの文化的および政治的移行の重要期間もつまり先史時代と古代と中世と近世のイベリア半島の古代人590個体[13、15、20、25、30、35、37、45、53、55、56、58、59、61]が分析され、人口統合および歴史的な移動が調べられて、それによってポルトガルの遺伝的歴史の理解が深められ、イベリア半島の人々の遺伝的遺産のより完全な状況が提供されます。以下は本論文の図1です。
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●中期および後期新石器時代と銅器時代

 中期および後期新石器時代ポルトガルの新たに配列決定された合計10個体が分析され、これには、コヴァ・ダス・ラパス考古学的遺跡(ポルトガル中西部)の遺伝学的な男性8個体および女性2個体が含まれ、以後はコヴァ・ダス・ラパス_Nと呼ばれます。さらに、銅器時代ポルトガルの新たな2個体が分析され、一方はコヴァ・ダス・ラパスの1個体(PT_22197、遺伝学的に男性で、以後はコヴァ・ダス・ラパス_Cと呼ばれます)で、もう一方はトーレ・ヴェルハ3遺跡(ポルトガル南部)の1個体(PT_23206、遺伝学的に女性、以後はトーレ・ヴェルハ_Cと呼ばれます)です。

 LGMイベリア半島退避地(U5b1、U5b1c、U5b1i、U5b2b、U5b2b3a、U8a1b)およびアジア南西部からヨーロッパへの新石器時代農耕民の拡大(K1a4a1、J1c1c、T2b3、T2c1d)と関連するmtHgの高い多様性が検出されました。対照的に、同じ単系統群(クレード)からは、異なるYHgの下位ハプログループは2系統しか検出されず、それはI2a1a1a1a1とI2a1a2a/I2a1a2a1a(同じ下位ハプログループ内の解像度の異なる水準)です。興味深いことに、Y染色体の下位ハプログループ(I2a1a1a1a)はコヴァ・ダス・ラパス遺跡において新石器時代から銅器時代まで存続しました。

 コヴァ・ダス・ラパス_Nでは、男性2個体間の兄弟の1組と、他の男性2個体間の父方の2親等の関係が特定されました。親族関係にない男性の組み合わせでは、親族関係にない女性間および男女の組み合わせと比較して、より高い平均血縁係数も見つかりました。1親等および2親等の関係の生物学的近さは、コヴァ・ダス・ラパス遺跡の新石器時代および銅器時代個体全体で反復的に計算された、1- f₃(ムブティ人;個体1、個体2)に基づくMDS図でも観察されました。コヴァ・ダス・ラパス_Nとコヴァ・ダス・ラパス_Cとの間の密接な遺伝的類似性も分かり、経時的な遺跡内の遺伝的類似性が示唆されます。

 ユーラシア西部およびアフリカ北部現代人で計算され、これらの地域の古代の個体群が投影された本論文のゲノム規模PCAから、コヴァ・ダス・ラパス_Nはより広くイベリア半島新石器時代集団と密接にクラスタ化する(まとまる)、と明らかになりました。具体的には、イベリア半島新石器時代個体群は新石器時代の前のイベリア半島狩猟採集民(イベリア_HG)と新石器時代アナトリア半島農耕民(アナトリア_N)の間に位置します(図2A)。じっさい、コヴァ・ダス・ラパス_Nとすべての共同分析されたイベリア半島新石器時代個体群は、f₄統計およびADMIXTUREで示唆されるように、イベリア_HGとアナトリア_Nの両祖先系統で構成される、混合した遺伝的特性を有している、と観察されました。この混合した祖先系統は、qpAdm祖先系統モデル化によってさらに確証され、コヴァ・ダス・ラパス_Nは約76%のアナトリア_Nと約15%のイベリア_HGと約9%のWHG(ルクセンブルク_ロシュブール、ハンガリー_EN_HG_ケレス)、と示され、コヴァ・ダス・ラパス_Nは在来の狩猟採集民祖先系統と、ヨーロッパ農耕民によって西方へともたらされた可能性が高いヨーロッパ狩猟採集民祖先系統の両方を有していた、と示唆されました。以下は本論文の図2です。
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 興味深いことに、PCAでは、新石器時代ポルトガル個体群はイベリア半島の他地域と比較して、狩猟採集民集団へとより動いていたことも観察されました(図2A)。f₃形式(ポルトガル_N/スペイン_N、イベリア_HG;ムブティ人)の外群f₃統計から、ポルトガル_Nはスペイン_Nの場合よりもイベリア_HGと多くの遺伝的浮動を共有している、と示唆されます。統計的に有意ではありませんが、このパターンは新石器時代のポルトガルにおけるイベリア半島狩猟採集民のより大きな存続を示唆しています。これはqpAdm祖先系統モデル化によってさらに裏づけられ、スペイン_N(約20.7%)と比較してポルトガル_N(約23.8%)ではより高い割合の狩猟採集民構成要素(WHGとイベリア_HGの組み合わせ)を示します。

 アナトリア関連祖先系統を調べるために、f₃形式(コヴァ・ダス・ラパス_N/ポルトガル_N/スペイン_N、検証;ムブティ人)の外群f₃統計が計算され、ここでの検証対象は、新石器時代の2人口集団を表し、一方の集団にはオーストリアとチェコとドイツのドナウ川沿いのLBK文化と新石器時代の拡大を表す個体群が含まれ(ドナウ_LBK_N)、もう一方の集団には、クロアチアとイタリアとフランス南東部の個体群が含まれており、地中海沿いのインプレッサ土器文化とカルディウム土器文化と新石器時代の拡大を表しています(地中海_インプレッサ_カルディウム_N)。コヴァ・ダス・ラパス_Nとポルトガル_N(コヴァ・ダス・ラパス_Nと以前に刊行されたポルトガルの新石器時代個体群が含まれます)とスペイン_Nは、ドナウ_LBK_Nとよりも地中海_インプレッサ_カルディウム_Nの方と高い共有された遺伝的浮動を示唆的に示す、と観察されました。この結果は、f₄(ドナウ_LBK_N、地中海_インプレッサ_カルディウム_N;コヴァ・ダス・ラパス_N/ポルトガル_N/スペイン_N、ムブティ人)の有意な負のf₄統計量によってさらに裏づけられます。

 観察されたパターンが地中海新石器時代集団におけるより高い割合の狩猟採集民祖先系統に影響を受けたのかどうか、判断するために、分析にポーランド_GAC[63]が含められ、それは、ポーランド_GACがかなりの狩猟採集民祖先系統を有するものの、おもにドナウ川の拡大と関連しているからです。f₃形式(ポーランド_GAC、検証;ムブティ人)の外群f₃統計が重複する標準誤差を示したのに対して、共有された遺伝的浮動は地中海_インプレッサ_カルディウム_Nとわずかにより高いままでした。さらに、有意ではない負のf₄値が見つかり、この検定は狩猟採集民祖先系統からの潜在的な偏りのため注意深く解釈されねばならない、と示唆されます。

 コヴァ・ダス・ラパス_Cとトーレ・ヴェルハ_Cが、PCAおよびMDS図の両方で、以前に刊行された新石器時代および銅器時代イベリア半島個体群とともにクラスタ化することも分かりました(図2B)。じっさい両個体群は、qpAdmとADMIXTUREとf₄統計で測定されたように、狩猟採集民祖先系統(イベリア_HGもしくはWHG)とアナトリア_N祖先系統の高度に類似した割合を有しており、遺伝的連続性が示唆されます。研究対象の考古学的遺跡の集団とさまざまな地理的に定義された新石器時代および銅器時代のイベリア半島集団との間で最も密接な遺伝的類似性を判断するために、f₃形式(X、検証;ムブティ人)の外群f₃統計が計算され、Xはコヴァ・ダス・ラパス_N/Cおよびトーレ・ヴェルハ_Cを表し、検証対象は異なる新石器時代および銅器時代イベリア半島集団を循環させます。興味深いことに、遺伝的データの地理的区分は見つからず、これは恐らく、人口構造の欠如もしくは不充分な解像度に起因します。

 スペインおよびヨーロッパで以前に示唆されたように[31]、前期新石器時代と比較して中期および後期新石器時代と銅器時代のポルトガルにおいて狩猟採集民祖先系統の復活があったのかどうか、検証するために、新石器時代および銅器時代のポルトガルの考古学的遺跡それぞれについて、qpAdmで混合モデル化が実行され、平均して狩猟採集民構成要素は新石器時代遺跡の個体群の遺伝的特性の約28.25%を、銅器時代遺跡の個体群の約29.61%を占めていた、と検出されました。これは、経時的に存続した、前期新石器時代ポルトガル農耕民への狩猟採集民祖先系統のかなりの初期の寄与を示唆します。

 新石器時代および銅器時代ポルトガルにおける狩猟採集民祖先系統をさらに調べるために、f₃形式(X、検証;ムブティ人)の外群f₃統計が計算され、Xにはさまざまな考古学的遺跡の個体群が含まれて、検証対象はさまざまなイベリア_HGを表します。本論文の分析から、ほとんどのポルトガル中西部の新石器時代遺跡の個体群は、コヴァ・ダス・ラパス_Nを含めて、ラ・ブラナ(La Braña)遺跡のイベリア半島北西部中石器時代個体群と最も高い類似性を共有していたのに対して、ルガー・ド・カント_Nはロス・カネス遺跡個体と最も密接だった、と明らかになりました。ラ・ブラナ遺跡およびロス・カネス遺跡個体群は、地中海関連の狩猟採集民よりもLGM後の狩猟採集民と密接に関連しています。対照的に、ルガー・ド・カント_N(ポルトガル北部)は、地中海関連狩猟採集民とより密接に関連する遺伝的祖先系統を有している、ポルトガル中央部の後期中石器時代のモイタ・ド・セバスティアン遺跡の1個体とより大きな共有された遺伝的浮動を示しました。逆に、ほとんどのポルトガル中央部の銅器時代遺跡の個体群は、トーレ・ヴェルハ_Cとともに、モイタ・ド・セバスティアン遺跡の1個体とより高い類似性を示しましたが、コヴァ・ダス・ラパス_Cなど他の個体群はロス・カネス遺跡個体とより密接に関連していました。

 LGMマグダレニアン関連祖先系統が新石器時代および銅器時代のイベリア半島、とくにポルトガルで存続していたのかどうか、判断するために、f₄形式(ゴイエQ2、WHG;検証、ムブティ人)のf₄統計が計算され、ここでの検証対象はさまざまな新石器時代および銅器時代のイベリア半島集団やコヴァ・ダス・ラパス_N/Cおよびトーレ・ヴェルハ_Cです。f₄統計の計算に用いられた多数のSNPを有するすべの検証集団では、有意に負のf₄値が得られ、WHGとの混合と一致します。しかし、推定される興味深い地理的勾配が観察され、新石器時代および銅器時代のイベリア半島北部および北東部集団はより多くの負のf₄値を示し、より強いWHGとの類似性、およびさらにはゴイエQ2とのより弱い類似性が示唆されます。

 外群f₃統計では、イベリア半島中央部と北西部と南西部の新石器時代および銅器時代集団は、イベリア半島の北部や北東部や頭部の個体群と比較して、ゴイエQ2とより多くの共有された遺伝的浮動を有していた、と示唆されました。この地理的勾配は、、f₄形式(検証、イベリア半島北部および北東部;ゴイエQ2、ムブティ人)のf₄統計によってさらに裏づけられ、ここでの検証対象は他地域の集団を表しています。しかし、銅器時代までに、このパターンは地域的に限定され、イベリア半島南西部の個体群のみが、有意により高い割合のゴイエQ2祖先系統を保持していました。したがって、本論文の分析は、経時的なゴイエQ2的祖先系統増加の北東部から南西部にかけての地理的勾配を示唆しており、その持続性は、ピレネー山脈に近い地域で最も低く、大西洋正面で最高となります。

 イベリア_HGの代わりに推定供給源としてWHGおよびゴイエQ2を含めてのqpAdmの実行によって、LGMマグダレニアン関連祖先系統の存続がさらに調べられました。この枠組みでは、ゴイエQ2は追加の第三の構成要素として必要で、コヴァ・ダス・ラパス_Nの遺伝的特性に約7%寄与しました。対照的に、コヴァ・ダス・ラパス_Cおよびトーレ・ヴェルハ_Cを含む比較では、ゴイエQ2は必要ではないものの、全体的な適合性を改善しました。注目すべきことに、コヴァ・ダス・ラパス_N/Cについて最大のp値のモデルには、WHGとイベリア_HGの両方が含まれていましたが(図2C)、イベリア_HGはゴイエQ2も有していたことに要注意です。この観察から、ポルトガルの新石器時代および銅器時代人口集団は在来の狩猟採集民祖先系統とヨーロッパ狩猟採集民祖先系統の両方を有していた、と示唆されます。

 興味深いことに、qpAdmモデル化はコヴァ・ダス・ラパス_Cよりもトーレ・ヴェルハ_Cの方でより高い割合のゴイエQ2構成要素を示唆しており、これは上述のより大きなゴイエQ2的な類似性の北東部から南西部にかけの祖先系統勾配と一致します。この調査結果は、緯度とゴイエQ2祖先系統との間の負の相関によってさらに裏づけられ、イベリア半島のより高緯度におけるマグダレニアン関連祖先系統での微妙な勾配が示唆されます。この傾向は新石器時代では有意ではありませんでしたが、銅器時代では有意になりました。とくに、銅器時代のイベリア半島における低いR2(0.175)は、追加の人口統計学的もしくは環境的要因がこの祖先系統の分布に影響を及ぼした可能性の高さを示唆します(図2D)。注目すべきことに、この空間パターンは、ゴイエQ2祖先系統が識別可能な構成要素として存続した遺跡を分析した場合にのみ、検出できました。すべてのイベリア半島の遺跡、とくにゴイエQ2が検出できなかった遺跡を含めると、緯度勾配の統計的有意性が除去され、それはノイズ(無関係な情報)に起因する可能性が高そうです。したがって、この証拠から、観察されたパターンはマグダレニアン関連祖先系統の存続における真の緯度勾配を反映している、と示唆されます。注目されるのは、qpAdmにおける祖先系統の割合とモデル適合性が、単一の個体によって表される考古学的遺跡の個体から計算された場合には高度に変動するかもしれないので、注意深く解釈すべきことです。

 さまざまな地理的に定義された新石器時代イベリア半島集団の祖先系統の割合をモデル化すると、新石器時代イベリア半島北部および北東部、とくピレネー山脈の近くにおいて最低の割合のゴイエQ2祖先系統が検出されたのに対して、最高の割合(約12%)はイベリア半島北西部で検出され、それに続くのがイベリア半島中央部です。さらに、イラン_ガンジュ・ダレー_Nが、コヴァ・ダス・ラパス_Nが位置するイベリア半島西部における第四の祖先系統供給源として必要となりました。イラン_ガンジュ・ダレー_Nを必要とすることは、必ずしも新石器時代イランからの直接的な祖先系統を示唆しておらず、むしろ、農耕民祖先系統ともに有されている深い祖先構成要素を表している可能性がある兆候を、示唆しているかもしれません。この構成要素は他の新石器時代イベリア半島の地域では一貫して現れず、これはイベリア半島西部における初期農耕集団における局所的な不均一性もしくはその後の遺伝子流動を示しているかもしれません。この調査結果は、新石器時代ポルトガルにおけるさらなる標本抽出と分析の必要性を浮き彫りにしています。次に、地理的に定義された銅器時代イベリア半島集団で混合モデル化が実行され、銅器時代イベリア半島北西部におけるゴイエQ2的祖先系統のより高い割合の同様のパターンが観察されました。興味深いことに、イベリア半島北部および中央部個体群は、追加の供給源としてロシア_サマラ_EBA_ヤムナヤによって表される草原地帯関連の遺伝的供給源を必要としたのに対して、イベリア半島西部個体群はモロッコ_イベロモーラシアンを含むだけでモデル化でき、それぞれ草原地帯関連人口集団やアフリカ人口集団からの相互作用が示唆されます。

 新石器時代および銅器時代ポルトガルにおける草原地帯関連祖先系統を調べるために、f₄形式(スペイン_N、検証;ロシア_サマラ_EBA_ヤムナヤ、ムブティ人)のf₄統計が計算されました(図3B)。コヴァ・ダス・ラパス_N/Cの個体群もトーレ・ヴェルハ_Cの個体群も有意なf₄値を示さず、それはADMIXTUREおよびqpAdm分析によってさらに裏づけられました。対照的に、新石器時代の1個体はわずかに負のf₄値を示し、これは標本の年代の過小評価に起因する可能性が高そうです。さらに、鐘形杯文化と関連する考古学的遺跡のほとんどの銅器時代個体は、かなりの有意な負のf₄値を示し、これはADMIXTUREによってさらに裏づけられたものの、qpAdmでは裏づけられませんでした。以下は本論文の図3です。
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 このパターンをさらに調べるために、f₄形式(ポルトガル_C、検証;ロシア_サマラ_EBA_ヤムナヤ、ムブティ人)のf₄統計が計算され、ポルトガル_Cは、鐘形杯文化との関連がない銅器時代の以前に報告された個体群および新たに生成された個体群を表しており、検証対象は新石器時代ポルトガルのい゛゛ンに報告された個体群と新たに生成された個体群の両方(ポルトガル_N)や、鐘形杯関連の銅器時代ポルトガルの個体群(ポルトガル_BB)を含んでいます。ポルトガル_Nについては有意ではない正のf₄値が、ポルトガル_BBについてはわずかに有意な負のf₄値が観察されました。これらの結果から、ポルトガルにおける草原地帯関連祖先系統の最初期の存在は低水準で銅器時代、具体的には以前に提案されたように[30]鐘形杯関連遺跡で発生した、と示唆されます。しかし、ポルトガル_CについてのPCA(図2B)とADMIXTUREとqpAdm祖先系統モデル化や、在来の片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)の存続や、銅器時代および青銅器時代イベリア半島個体群を含む1-f₃(ムブティ人;個体1、個体2)に基づくMDSによって証明されるように、この祖先系統の人口統計学的影響は限られていました。


●青銅器時代

 合計で古代人11個体(遺伝学的には、男性7個体および女性4個体と特定されました)がポルトガル南部の精度駅時代の考古学的遺跡3ヶ所から新たに配列決定され、その遺跡には、モンテ・ダ・カビダ3遺跡(4個体)とトーレ・ヴェルハ3遺跡(6個体)とオウテイロ・アルト遺跡(1個体)が含まれ、それぞれ、モンテ・ダ・カビダ_BA、トーレ・ヴェルハ_BA、オウテイロ・アルト_BAと呼ばれます。注目は、モンテ・ダ・カビダ_BAの2個体は以前に刊行されていたものの、本論文では、ツイスト生物化学社の「Twist古代DNA」試薬一式を用いて、同じ個体から新たな配列決定データが提供されることです。

 トーレ・ヴェルハ_BAの男女の組み合わせ間で1組の親子関係(PT_23208とPT_23204)が特定され、両者は同じmtHg-X2c2を共有していました。この1組は、1-f₃(ムブティ人;個体1、個体2)に基づくMDS図では人口集団の残りとは別々にまとまっています。さらに、この分析から、トーレ・ヴェルハ3遺跡で標本抽出された銅器時代および青銅器時代の個体はともにまとまる、と明らかになり、期間全体の人口連続性が示唆されました。

 ゲノム規模解析から、モンテ・ダ・カビダ_BAとトーレ・ヴェルハ_BAとオウテイロ・アルト_BAは以前に刊行された青銅器時代イベリア半島個体群(イベリア_BA)とまとまる、と示され、これはPCAにおける青銅器時代ヨーロッパ中央部個体群への青銅器時代の移行と一致します(図3A)。さらに、青銅器時代イベリア半島における地理的な人口構造が観察され、f₃形式(X、検証;ムブティ人)の外群f₃統計によって計算されたように、地理的に近い遺跡の個体はより高度な共有された遺伝的浮動を示し、ここでのXは各遺跡の個体を、検証対象は異なる青銅器時代イベリア半島集団で循環されました。

 PCAで観察されたこの変化は、ADMIXTURE分析では研究対象の遺跡3ヶ所にわたる草原地帯関連祖先系統の存在と一致し、これはf₄形式(ポルトガル_C、ポルトガル_BA;ロシア_サマラ_EBA_ヤムナヤ、ムブティ人)のf₄統計によってさらに裏づけられます(図3B)。注目すべきことに、トーレ・ヴェルハ_BAとモンテ・ダ・カビダ_BAの新たに分析された個体群で、以前に刊行された同じ考古学的遺跡の個体群[13]と比較して、より高度な草原地帯関連祖先系統との類似性が検出されました。

 草原地帯関連祖先系統のパターンは、銅器時代および青銅器時代のイベリア半島個体群での、ADMIXTUREやf₄形式(スペイン_N、検証;ロシア_サマラ_EBA_ヤムナヤ、ムブティ人)のf₄統計やqpAdmや1-f₃(ムブティ人;個体1、個体2)に基づくMDSによって証明されるように、イベリア半島全域で一貫しており、広範な人口統計学的影響を示しました。しかし、イベリア半島の南部および南西部へ向かうわずかな減少が観察され、これはf₄比によって裏づけられます。さらに、多くの大陸部ヨーロッパ人口集団と比較して、イベリア半島、とくにポルトガルの個体群は、f₃統計によって示唆されるように、草原地帯関連祖先系統との相対的に低い類似性を示します。このパターンは、他のヨーロッパ西部集団で観察されるパターンと類似しています。これらの結果は、イベリア半島全域における草原地帯関連祖先系統の拡散経路を示唆しており、イベリア半島の南部と南西部は到来の最新地点に相当します。

 この青銅器時代の祖先系統の変化は、ポルトガルにおけるY染色体のR1b系統の置換と一致します(図3B)。さらに、LGMのイベリア半島退避地およびアジア南西部からヨーロッパへの新石器時代農耕民の拡大と関連するmtHgの存続も検出されましたが、ヨーロッパ東部で最も頻度が高いmtHgは検出されませんでした。重要なことに、これらの観察にも関わらず、草原地帯関連祖先系統の性別の偏った移住の証拠は見つからなかったので(図3D)、以前に示唆されたように[37]、男性主導の遺伝的移行の兆候[13]はありません。

 青銅器時代遺跡の遺伝的特性を調べるために、時空間的近接度の増加に伴う供給源人口集団を組み込む、一連の祖先系統モデル化枠組みが実行されました。まず、遺伝的特性が単にWHG/イベリア_HGとアナトリア_Nで説明できるのかどうか、あるいは追加の供給源としてロシア_サマラ_EBA_ヤムナヤが必要なのかどうか、との検証を目的として遠位枠組みが実行されました。カサス・ヴェリャス_BA(ポルトガル南西部)の以前に刊行された遺跡の遺伝的特性は、WHGとアナトリア_Nのみで説明できました。追加の供給源としてロシア_サマラ_EBA_ヤムナヤを含めることは、オウテイロ・アルト_BAとメドロンハル洞窟_BA(ポルトガル中央部)では必要ではありませんでしたが、両遺跡ではモデル適合度が大きく改善され、それそれ約23%と約40%寄与しました。さらに、ロシア_サマラ_EBA_ヤムナヤはモンテ・ダ・カビダ_BA(約18%)と他の全ての以前に刊行された遺跡について、第三の祖先系統構成要素として必要でした。注目すべきことに、この遠位モデルはトーレ・ヴェルハ_BAには適合しませんでした(図3C)。

 第二の準近位枠組み(準近位_2)は、イベリア_Cとドイツ_BBを含むことによって、イベリア半島におけるヨーロッパ中央部人口集団の寄与を評価し、ドイツ_BBは、鐘形杯(BB)を媒介した移住によってイベリア半島青銅器時代の遺伝子プールに寄与したかもしれない、報告されている草原地帯関連祖先系統を有する集団を表しています。この枠組みも、オウテイロ・アルト_BAとモンテ・ダ・カビダ_BAとモンテ・ド・ガート・デ・シーマ3_BA(ポルトガル中央部)の遺伝的祖先系統を説明しましたが、メドロンハル洞窟_BA(ポルトガル中央部)とモンテ・ド・ヴァレ・ド・オウロ2_BAの遺伝的祖先系統を説明しませんでした。準近位_1のように、モンテ・ダ・カビダ_BAのモデル適合度は、追加の地中海供給源を含むと改善しました(図3C)。注目すべきことに、カサス・ヴェリャス_BAはイベリア_Cのみでモデル化でき、準近位枠組みのどちらか【準近位_1と準近位_2】で草原地帯関連祖先系統を必要としませんでした。

 準近位枠組みの両方で、トーレ・ヴェルハ_BAは依然として外れ値で、2方向モデルは適切な適合度を提供しません。そこで、より複雑な混合史を説明するために、地中海もしくはアフリカ北部供給源を追加した、3方向モデルが実行されました(図3C)。トーレ・ヴェルハ_BAは、準近位_1ではイベリア_C(約24%)とロシア_サマラ_EBA_ヤムナヤ(約18%)とイタリア_C(約57%)を組み込む3供給源モデルが、準近位_2ではイベリア_Cとドイツ_BBといくつかの古代の地中海中央部カルタゴ人口集団もしくは古代および現在のアフリカ北部人口集団を組み込む3供給源モデルが最適でした。しかし、他のイベリア半島の地域と比較して、これらの代理のどれかと関連する人口集団からトーレ・ヴェルハ_BAへの遺伝子流動の証拠も、トーレ・ヴェルハ_BAにおける過剰なアフリカ祖先系統も見つかりませんでした。じっさい、トーレ・ヴェルハ_BAは外群f₃統計によって示唆されるように、青銅器時代地中海中央部諸島個体群とのより高い類似性を示しました。したがって、トーレ・ヴェルハ_BAの最適な代表的モデルには、イベリア_C(約44%)とドイツ_BB(約41%)とイラン_N(約15%)が含まれ、イラン_Nは海洋交流と関連しているかもしれない地中海東部祖先系統の深い遺伝的代理として機能します[13]。

 より複雑な遺伝的兆候の遺跡の遺伝的祖先系統をさらに洗練するために、在来祖先系統の代理として、すでに草原地帯関連祖先系統を有している、銅器時代イベリア半島北部個体群を表す、イベリア_C_o草原地帯を、いくつかの時空間的に近い人口集団とともに用いて近位枠組みが実行され、より近い過去の遺伝子流動が検出されました。トーレ・ヴェルハ_BAはイベリア_C_o草原地帯とイタリア_Cで最適にモデル化され、これはモンテ・ダ・カビダ_BAおよびモンテ・ド・ガート・デ・シーマ3_BAでも観察されたパターンです。対照的に、オウテイロ・アルト_BAと他の遺跡の個体群は、イベリア_C_o草原地帯のみで説明されました。

 トーレ・ヴェルハ_BA集団の外れ値1個体(PT_23212)がPCA(図3A)と1-f₃(ムブティ人;個体1、個体2)に基づくMDS図とf₄統計(図3C)とf₃統計で特定され、異なる遺伝的背景が示唆されます。それにも関わらず、銅器時代および青銅器時代や代理としてその後の期間のユーラシアおよびアフリカ人口集団を含む検定での、f₄(トーレ・ヴェルハ_BA_o、トーレ・ヴェルハ_C;検証、チンパンジームブティ人)およびf₄(トーレ・ヴェルハ_BA_o、イベリア_BA;検証、チンパンジームブティ人)で計算したさいには、イベリア半島外からの遺伝的祖先系統はこの外れ値個体で有意には検出されませんでした。qpAdmにおける準近位枠組みの混合モデル化は、イベリア_C(約58%)とイラン_C(約42%)を含む、最適なモデルを決定しました。


●鉄器時代とローマ期

 鉄器時代の新たな標本は、この期間の火葬の広範な慣行のため、研究では利用できませんでした。スペインの以前に刊行された鉄器時代個体群(スペイン_IA)のゲノム規模分析から、スペイン_IAはPCAではイベリア_BAと密接にまとまった、と示されました。しかし、ギリシア人関連の遺跡における地中海東部とのつながりや、草原地帯関連祖先系統の増加も観察されました。

 次に、歴史時代のイダーニャ・ア・ヴェリャ村(ポルトガル中央東部)の親族関係にない6個体(遺伝学的には、男性1個体と女性5個体)が分析され、この6個体は以後、イダーニャ・ア・ヴェリャ_ローマ期と呼ばれます。ローマ期のイベリア半島の数個体(イベリア_ローマ期)のみが、スペイン_IAとまとまりました(図4A)。これらのうち、個体ID_25536は在来のmtHg-H1e1cを有していた、と観察されました(図4A)。しかし、f₄形式(ID_25536、イベリア_ローマ期_o在来;検証、チンパンジー)のf₄統計は、地中海人口集団からの遺伝子流動を明らかにしました。ここでは、イベリア_ローマ期_o在来は、在来祖先系統を有する、以前に刊行されたローマ期の混合していないイベリア半島個体群を表し、検証対象には、ローマ期もしくはその代理期間のユーラシアおよびアフリカの人口集団が含まれます。この調査結果は、祖先系統供給源としてスペイン_IAとイタリア_IAを必要とする最適なモデルとして、qpAdmによって裏づけられました(図4C)。以下は本論文の図4です。
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 PCAでは、ほとんどのイベリア_ローマ期個体はスペイン_IAとまとまらないことも観察され、これはPCAでの転位と一致しており、PCAでは、イベリア_ローマ期はアフリカ北部およびアジア南西部の現代人や、古代のイタリア_ローマ期およびレヴァント_ローマ期の方へと動いていました(図4A)。じっさい、イダーニャ・ア・ヴェリャ_ローマ期の女性の合計3個体(ID_25510、ID_25522、ID_25537)はこのクラスタ(まとまり)内に収まりました。f₄形式(個体、イベリア_ローマ期_o在来;検証、チンパンジー)のf₄統計を実行すると、ID_25522およびID_25537については余分な遺伝子流動が観察されませんでした。しかし、アフリカの代理を用いると、ID_25510では有意な正のf₄統計が観察されました。じっさい、この女性3個体は全員、在来供給源(スペイン_IAもしくはイベリア_ローマ期_o在来)と追加の地中海東部もしくはアフリカ北部供給源で最適にモデル化され(図4C)、それぞれの在来および地中海東部およびアフリカ北部のmtHg(それぞれ、K1b1a2、H1ah1、M1a3a)と一致します。興味深いことに、本論文の分析は、性別の偏った混合の証拠を明らかにしませんでした。

 個体PT_24182およびID_25538PCAはイベリア_ローマ期とまとまらず、代わりにアフリカ北部現代人の方へと動いていました(図4A)。アフリカの代理が用いられた場合には、f₄形式(個体、イベリア_ローマ期_o在来;検証、チンパンジー)の有意な正のf₄統計が観察され(図4D)、アフリカからの遺伝子流動が示唆されました。これらの調査結果はqpAdm分析によってさらに裏づけられ、すべてのモデルには、イベリア半島供給源(スペイン_IAもしくはイベリア_ローマ期_o在来)とアフリカの代理(サハラウィ人もしくはモロッコ_イベロモーラシアン)を必要としました(図4C)。注目すべきことに、イベリア半島もしくはアフリカ祖先系統について、性別の偏りの証拠は見つかりませんでした。さらに、両個体【PT_24182およびID_25538PCA】が有していたmtHgは、アフリカ北部現代人において最も高頻度で見られます。


●中世前期

 中世前期の親族関係にない古代の合計4個体(遺伝学的には、男性1個体および女性3個体と特定されました)が配列決定され、これには、イダーニャ・ア・ヴェリャ村(イダーニャ・ア・ヴェリャ_EM、1個体)、グアルダ県のフレイショ・デ・ヌマオンのプラゾのネクロポリス(グアルダ_プラゾ_フレイショ・デ・ヌマオン_EM、1個体)、カストロ・デ・アヴェラスのトーレ・ヴェルハのネクロポリス(カストロ・デ・アヴェラス_トーレ・ヴェルハ_EM、2個体)が含まれます。この期間は、ローマ帝国の崩壊および歴史的に記録されている西ゴート人およびスエビ人の移住によって特徴づけられました。

 PCAでは、本論文の中世前期ポルトガル個体群は同時代のスペイン人口集団とまとまったものの、多様性をさほど示さず、スペイン_IAのより近くに位置します。対照的に、ほとんどの中世前期スペインの個体は、イベリア_ローマ期と比較してアジア南西部現代人の方へのより少ない移動を示しましたるむしろ、ほとんどの中世前期スペインの個体は、主成分1(PC1)では高度な分岐を示し、アフリカ北部現代人とヨーロッパ中央部の現代人および古代人とのクラスタ化(まとまること)との間に位置します(図4B)。

 イダーニャ・ア・ヴェリャ_EM(個体PT_22987)はf₃形式(イダーニャ・ア・ヴェリャ_EM、検証;チンパンジー)およびf₄形式(イダーニャ・ア・ヴェリャ_EM、X;検証、ムブティ人)のf統計で計算されたようにCEU_IAおよびドイツ_サクソンとの明確な遺伝的類似性を示し、ここでは検証対象には中世前期および近い代理期間のユーラシアおよびアフリカ人口集団が含まれ、Xはイベリア半島およびヨーロッパ中央部の鉄器時代とローマ期と中世前期の人口集団を表しています。この個体【PT_22987】は在来のmtHg-T2b3有しており、その祖先系統はqpAdmにおいて遠位枠組みおよび準近位枠組みの両方でスペイン_IAもしくはイベリア_ローマ期_o在来のみで説明でき、最適モデルは遠位枠組みにおけるCEU_IAと準近位枠組みにおけるアレマン人を含むことによって得られました(図4C)。

 グアルダ_プラゾ_フレイショ・デ・ヌマオン_EM(個体PT_23235)のf統計は他の人口集団からの有意な遺伝子流動を示唆しなかったものの、この個体はおもにドイツとベネルクスとブリテン諸島とノルウェーとポーランドの現代人で見られるmtHg-W5を有していました。さらに、個体PT_23235は遠位枠組みにおいてスペイン_IAとアフリカ北部の代理(アルジェリア_ヌミドローマ期_ベルベル人)でモデル化できましたが、この祖先系統供給源は必要ではありませんでした。

 カストロ・デ・アヴェラス_トーレ・ヴェルハ_EMの2個体(男性個体PT_23002と女性個体PT_22997)については、両者とも、f統計を計算すると、地中海東部人口集団からの遺伝子流動の可能性が明らかになりました。この結果は、遠位枠組みでの最適モデルにスペイン_IAとイラン_IAが含まれているので、qpAdm分析によってさらに裏づけられました。対照的に、すべての準近位モデルは失敗しました。興味深いことに、個体PT_23002は、古代の人口集団では以前には報告されておらず、黒海西部の現代人のみで見つかっていた、ひじょうに稀なmtHg(H44b)を有していました。


●イスラム期とキリスト教徒征服期

 中世後期は、イベリア半島における政治的および文化的分裂によって特徴づけられ、南部はより長期間イスラム教の支配下に留まりましたが、キリスト教徒の征服が次第に北方から進みました。この背景で、サンタレンのイスラム期のネクロポリス1ヶ所の合計9個体(遺伝学的に男性5個体と女性4個体)と、ローレ(ポルトガル南部)のイスラム期の考古学的遺跡2ヶ所、つまりキンタ・ダ・ボアヴィスタ(4個体)およびミゼリコールディア病院(2個体)が分析されました。これらの遺跡は以後それぞれ、サンタレン_イスラム期、キンタ・ダ・ボアヴィスタ_イスラム期、ミゼリコールディア病院_イスラム期と呼ばれます。キリスト教徒の埋葬背景の4個体(遺伝学的に男性2個体と女性2個体)も分析され、カストロ・デ・アヴェラスのトーレ・ヴェルハ(ポルトガル北東部)のネクロポリス(3個体)とグアルダ県のレイショ・デ・ヌマオンのプラゾ(ポルトガル中央部)のネクロポリス(1個体)が含まれます。同様に、この2ヶ所の遺跡は以後それぞれ、カストロ・デ・アヴェラス_トーレ・ヴェルハ_征服期、グアルダ_プラゾ_フレイショ・デ・ヌマオン_征服期と呼ばれます。カストロ・デ・アヴェラス_トーレ・ヴェルハ_征服期の1個体(PT_22994)は以前に、クラインフェルター症候群(性染色体がXXY)と一致するX染色体の余分なコピーを有していた、と報告されたこと[67]に要注意です。これらの個体はどれも遺伝学的に親族関係ではありませんでしたが、サンタレン_イスラム期の1個体(PT_24170)は、高水準の近親婚と匹敵するROH特性を示しました。具体的には、個体PT_24170はキョウダイ関係の両親の子供で(図5C)、これは古代イベリア半島において最初に記録された事例を表しています。

 本論文で新たに報告された標本と以前に刊行された研究の標本を含めて古代のイスラム期の個体群は、PCAでは独特なまとまりを形成し、キリスト教徒埋葬背景の同時代のイベリア半島個体群と比較した場合、アフリカ北部現代人の方へと動いている、と観察されました。注目すべきことに、キンタ・ダ・ボアヴィスタ_イスラム期の外れ値1個体(PT_24179)は、アフリカ北部の現代人とまとまって(図5A)、現在のサハラ砂漠以南のアフリカ人口集団の方へと動いており、以後はキンタ・ダ・ボアヴィスタ_イスラム期_oと呼ばれます。

 PCAにおけるこれら2クラスタ(まとまり)間の分化をさらに裏づけて、f₃形式(イベリア_イスラム期/イベリア_中世、検証;チンパンジー)の外群f₃統計が計算され、ここでは検証対象はいくつかのアフリカの代理を表します。イベリア_イスラム期はイベリア_中世よりも、これらの代理とより多い遺伝的浮動を示しました。さらに、f₄形式(漢人、チンパンジー;イベリア_イスラム期/イベリア_中世、Y)のf₄比が計算され、ここでは、Yにはさまざまな古代のイベリア半島人口集団(イベリア_N、スペイン_IA、イベリア_西ゴート)が含まれ、アフリカの各内裏からイベリア_イスラム期への有意な遺伝子流動が観察され、どの想定でもイベリア_中世への有意な遺伝子流動はありませんでした。

 ポルトガルのイスラム期の各遺跡の個体がアフリカからの遺伝子流動を経たのかどうか、判断するために、f₄形式(検証、スペイン_IA;X、チンパンジー)のf₄統計が計算され、ここでは検証対象は各遺跡の個体を表し、Xにはイスラム期もしくは近い代理のユーラシアおよびアフリカ人口集団が含まれます。アフリカの代理(ガンビア人かムブティ人かモロッコ_イベロモーラシアン)を用いると、有意な正のf₄値が対象の遺跡全体で一般的に観察されました。さらに、f₃形式(検証、ムブティ人;チンパンジー)の外群f₃統計では、サンタレン_イスラム期はムブティ人と最高の共有された浮動を示し、それに続くのがキンタ・ダ・ボアヴィスタ_イスラム期_oで、最後にキンタ・ダ・ボアヴィスタ_イスラム期だった、と示されました。サンタレン(9世紀)はローレの2ヶ所の遺跡(12~13世紀)よりさらに北方に位置しており、サンタレンの遺跡は初期のイスラム教徒の入植に匹敵する相対的により古い年代です。

 スペイン_IAおよびアフリカの代理での遠位枠組みを用いての混合モデル化は、外れ値のキンタ・ダ・ボアヴィスタ_イスラム期_oを除いて、すべての遺跡で堅牢なモデルの裏づけを示しました。しかし、追加の地中海東部構成要素の包含はすべてのモデルを改善し、外れ値の遺伝的祖先系統の説明に必要でした。興味深いことに、イベリア半島における存在したさまざまな地中海東部およびアフリカ祖先系統を含む在来人口集団を表している、イベリア_西ゴートでの準近位枠組みを用いると、ミゼリコールディア病院_イスラム期とキンタ・ダ・ボアヴィスタ_イスラム期とその外れ値1個体は、現在のガンビア人によって表される追加のサハラ砂漠以南のアフリカ祖先系統を必要としました。ミゼリコールディア病院_イスラム期とキンタ・ダ・ボアヴィスタ_イスラム期は低水準のサハラ砂漠以南のアフリカ祖先系統を示し、外れ値個体【キンタ・ダ・ボアヴィスタ_イスラム期_o】は約40%のサハラ砂漠以南のアフリカ祖先系統を示します。逆に、サンタレン_イスラム期は、内裏としてサハラウィ人を用いると、有意なアフリカ北部祖先系統(約26%)を示しました。これらの結果は、アフリカ系のmtHgおよびYHgの存在によってさらに裏づけられます。これらの個体の片親性遺伝標識は以前に報告されていましたが、サンタレン_イスラム期について本論文の新たに配列決定されたデータは、ハプログループの解像度を向上させました。

 キリスト教徒の埋葬状況と関連し、以前に報告されたイスラム期の埋葬遺跡と同年代のポルトガルの個体群における遺伝子流動のパターンを調べるために、f₄形式(X、Y;検証、ムブティ人)のf₄統計が計算され、ここではXはグアルダ_プラゾ_フレイショ・デ・ヌマオン_征服期もしくはカストロ・デ・アヴェラス_トーレ・ヴェルハ_征服期を表し、Yはさまざまなイベリア半島集団を表しており、検証対象には中世もしくはその代理のさまざまなユーラシアおよびアフリカ人口集団が含まれます。f₄統計の単系統群性は維持された、と観察され、両者【グアルダ_プラゾ_フレイショ・デ・ヌマオン_征服期とカストロ・デ・アヴェラス_トーレ・ヴェルハ_征服期】がイベリア_西ゴートとしてモデル化できるので、これは準近位枠組みの混合モデル化と一致します。さらに、すべての個体は在来のmtHg(X2bとVとH4a1aとH10fで、H4a1aとH10fはひじょうに稀です)およびYHgを有しており、中世前期人口集団からのある程度の遺伝的連続性が示唆されます。それにも関わらず、グアルダ_プラゾ_フレイショ・デ・ヌマオン_征服期においてスペイン_IAをYとして、ガンビア人を検証対象として用いると、有意なf₄値が観察され、これはスペイン_IAとアフリカの代理を含む遠位枠組みの混合モデル化によってさらに裏づけられ、最大で約25%寄与しました。この枠組みでは、カストロ・デ・アヴェラス_トーレ・ヴェルハ_征服期はスペイン_IAとアジア西部_IAとムザブ人で最適にモデル化されました。これらの結果は、ローマ期および中世前期人口集団と同様の祖先系統の割合のパターンを示しており、遺伝的連続性の可能性が示唆されます。

 一部は同じ考古学的遺跡から発見された、中世前期個体群とキリスト教徒征服期との個体群との間の遺伝的距離を検証するために、1-f₃(ムブティ人;個体1、個体2)に基づくMDS図が計算されました。その結果、カストロ・デ・アヴェラス_トーレ・ヴェルハ_征服期(個体PT_23237)の標本1点を除いて全個体がともに密接にまとまった、と観察され、中世前期とキリスト教徒征服期の間に大きな遺伝的差異はないことが示唆されました。さらに、イダーニャ・ア・ヴェリャ_EMはカストロ・デ・アヴェラス_トーレ・ヴェルハの個体群と密接に一致しましたが、グアルダ_プラゾ_フレイショ・デ・ヌマオンの異なる期間の2個体間でかなりの遺伝的差異が検出されました。同様のパターンは、1-f₃(ムブティ人;個体1、個体2)に基づくMDS図において、スペインの同じ期間の以前に刊行された個体群を含めると観察されました。しかし、一部のスペイン、とくに南部の個体はより大きな遺伝的差異を示し、これはスペイン南部におけるローマ期以降のアフリカおよび地中海祖先系統の存続やイスラム教権力のより長い占領に起因する可能性が高そうです。


●ポルトガル王国

 12世紀のポルトガル王国の樹立後の年代の、古代の合計19個体が分析され、それに含まれるのは、サンタレン(ポルトガル中央部)のルア・ドス・バルコス考古学的遺跡(遺伝学的性別は男性6個体と女性3個体)とサン・ミゲル・デ・オドリンハス遺跡(ポルトガル西部)のキリスト教徒のネクロポリス(遺伝学的性別は男性2個体と女性2個体)の13世紀の個体群、カステロ・デ・モンテモル・オ・ヴェーリョ遺跡(ポルトガル中央部、遺伝学的性別は女性4個体と男性2個体)およびアヴェイロ市(ポルトガル北西部)のサンタ・マリア・ダ・フェイラのトラヴァンカ遺跡(遺伝学的性別は男性1個体)の18世紀の個体群です。これらの遺跡は以後それぞれ、サンタレン_ルア・ドス・バルコス_13世紀、サン・ミゲル・デ・オドリンハ_13世紀、カステロ・デ・モンテモル・オ・ヴェーリョ_18世紀、アヴェイロ_トラヴァンカ_18世紀と呼ばれます。

 サン・ミゲル・デ・オドリンハ_13世紀における親族関係分析は、分析された個体間の複雑な家族関係を明らかにしました。具体的には、mtHg-H1を有する女性1個体(PT_24164)と男性1個体(PT_24163)は1親等の関係を共有しており、母親と息子と特定されました。この男性個体(PT_24163)は異なるmtHg(T2b3)を有するものの、同じYHg(J2b1b1)を有する別の男性個体(PT_24165)とも、3親等の親族関係を共有していました。しかし、個体PT_24165は個体PT_24164とは親族関係を有しておらず、個体PT_24163とPT_24165は父方の従弟か、大オジと又姪(姪孫)か、父方の両親の一方を共有しているオジと姪であることが示唆されます。

 13~18世紀のポルトガルの人口集団は、PCAで示されるように(図5B)、中世の在来住民と遺伝的連続性を維持していた、と分かりました。13世紀にさかのぼる遺跡、つまりサンタレン_ルア・ドス・バルコス_13世紀とサン・ミゲル・デ・オドリンハ_13世紀の混合モデル化は、遠位枠組みにおいて祖先系統供給源としてスペイン_IAとアルジェリア_ヌミドローマ期_ベルベル人を必要としました。しかし、スペイン_IAとアジア西部_IAとサハラウィ人を含めても、両者【サンタレン_ルア・ドス・バルコス_13世紀とサン・ミゲル・デ・オドリンハ_13世紀】について良好なモデル適合が見つかりました。あるいは、イベリア半島に存在したそれ以前の地中海東部やアフリカやヨーロッパ中央部の祖先系統を含む、より時間的に近い人口集団を表している、イベリア_西ゴートもしくはイベリア_中世での準近位枠組みを用いると、サンタレン_ルア・ドス・バルコス_13世紀は追加の供給源を必要としなかったのに対して、サン・ミゲル・デ・オドリンハ_13世紀は、アルジェリア_ヌミドローマ期_ベルベル人など追加のアフリカ系の代理を必要としました。これらの結果は、経時的なアフリカ祖先系統の存続もしくはより広範なポルトガル人口集団の遺伝子プールへのモロッコ人口集団の統合を示唆しているかもしれません。以下は本論文の図5です。
画像

 18世紀には、カステロ・デ・モンテモル・オ・ヴェーリョ_18世紀についての遠位枠組みでの混合モデル化は、祖先系統供給源としてスペイン_IAとアルジェリア_ヌミドローマ期_ベルベル人を必要としましたが、最適なモデル適合にはスペイン_IAとイラン_IAとムザブ人が含まれました。注目すべきことに、アヴェイロ_トラヴァンカ_18世紀がイベリア_中世もしくはポルトガル_13世紀での準近位枠組みを用いてのみモデル化できたのに対して、カステロ・デ・モンテモル・オ・ヴェーリョ_18世紀はこの枠組みにおいてイベリア_中世と追加のアフリカ系代理で最適にモデル化されました。じっさい、両遺跡【アヴェイロ_トラヴァンカ_18世紀とカステロ・デ・モンテモル・オ・ヴェーリョ_18世紀】は現在のスペイン人集団を用いてのみ、モデル化できます。イスラム期の後におけるアフリカ祖先系統の存続は、アフリカ北部で一般的に見られるものの、イベリア半島の現代人に低頻度で存在する、mtHg(U6d3aとU6a3b)とYHg(E1b1b1b1a1とE1b1b1a1b1a10a1a3)を示す、片親性遺伝標識の分析によってさらに裏づけられました。


●ナポレオン期

 最後に、ナポレオン軍の占領期となる、サンタレン(ポルトガル中央部)のカステロ・デ・アルバンテス遺跡に埋葬された遺伝学的男性2個体が分析され、以後はカステロ・デ・アルバンテス_19世紀と呼ばれます。興味深いことに、1個体(PT_22179)はPCAにおいて現在のフランス人とまとまる、と分かり(図5B)、これはf₄(PT_22179、フランス_中世;検証、ムブティ人)の単系統群性によって裏づけられ、ここでは検証対象にスペインとイベリア半島の現代人や、他のユーラシアおよびアフリカの現代人および古代人が含まれます。さらに、qpAdmでの祖先系統モデル化によって、個体PT_22179は単一供給源としてフランス_中世を用いてモデル化できる、と示されました。

 対照的に、もう一方の個体(PT_22183)のPCAは、13世紀および18世紀のポルトガルの古代人とまとまることを示しましたが、フランス祖先系統とアフリカ祖先系統との間の混合の可能性も示唆されました。これは、f₄統計と供給源としてのフランス_中世およびアフリカ系の代理での祖先系統でのモデル化によって裏づけられました。さらに、個体PT_22183は、歴史時代の移住のためヨーロッパでも一般的に見られるアフリカ西部/中央部起源のmtHg(L2b3)と、ヨーロッパ東部および南東部で一般的に見られるYHg(I2a1b1a1b1a1a1a)を有していました。


●考察

 コヴァ・ダス・ラパス_Nの遺伝的特性は、在来の狩猟採集民人口集団とアナトリア半島農耕民と関連する移住集団との間の混合も見つけた、イベリア半島における以前の調査結果[13、15、27]と一致します。さらに、新石器時代ポルトガルの個体群は、イベリア半島の他地域と比較して、より高い割合の狩猟採集民祖先系統を保持していた、と観察され、農耕慣行への文化的移行にも関わらず、これら狩猟採集民のかなりの遺伝的寄与が示唆されます。

 LGM退避地および氷期後の拡大と関連するmtHgや、アジア南西部の前期新石器時代の移住と関連するハプログループの存在も検出されました。具体的には、コヴァ・ダス・ラパス_Nの男性個体群において、YHg-I2aの下位ハプログループを特定できました。この系統は以前には、新石器時代における地中海沿いのカルディウム文化の西方への拡大中において地中海東部新石器時代農耕民と混合した、ヨーロッパ中央部狩猟採集民と結びつけられてきました。これら地中海東部の新石器時代農耕民は、YHg-G2a(コヴァ・ダス・ラパス_Nに存在しません)とmtHg-K1a(コヴァ・ダス・ラパス_Nにに存在します)を有していました。この混合はヨーロッパ中央部において約2000年早く起きましたが、コヴァ・ダス・ラパス_Nにおける遺伝学的証拠から、混合のこのパターンは経時的に存続し、地理的に拡大した、と示唆されます。中期/後期新石器時代(紀元前3300年頃)にさかのぼる遺跡はポルトガルにおいてカルディウム文化(紀元前5500~紀元前5000年頃)よりも後となりますが、カルディウム文化と関連する地中海沿岸の新石器時代人口集団とのより強い共有された遺伝的浮動を示します。

 さらに、ヨーロッパの他の新石器時代の考古学的遺跡で以前に示唆されたように[27、71、72]、コヴァ・ダス・ラパス_Nでは父方居住のいくつかの証拠が見つかりました。具体的には、高いmtHgの多様性とは対照的に、同じ単系統群の異なる2系統の下位YHgや、父方の1親等および2親等の家族関係や、親族関係にない女性間および男女間の組み合わせと比較して、親族関係にない男性間でのより高い血縁係数が特定されました。しかし、新石器時代ポルトガルの刊行されたゲノムの限定的な標本規模と不足によって、スペインより低いように見える確実にY染色体の多様性を測定するのは困難なので、本論文の解釈について依然として注意することが指摘されます。重要なことに、コヴァ・ダス・ラパス_Nにおける副葬品および予備的な人類学的分析の研究は、埋葬地の複雑な管理を示唆しており、単なる混合ではなく、新石器時代共同体間の持続的な相互作用がこれら新石器時代人口集団の形成に重要な役割を果たした、との見解を補強します。これらの相互作用には、物品の交換や情報のやり取りや文化変容や父方居住の証拠と一致するおそらくは女性族外婚が含まれていました。

 ポルトガルにおける草原地帯関連祖先系統の最古級の存在は、以前に提案されたように[30]、低水準で、具体的には鐘形杯関連遺跡において銅器時代に出現した、と観察されました。しかし、注目すべきことに、こうした背景の男性には草原地帯と関連するYHg-R1b1a1b1a1a2a(DF27)が欠けており、混合の動態について興味深い問題を提起します。一つの可能性は、草原地帯関連祖先系統がこれらの共同体に、少なくとも当初は、その後の前期青銅器時代イベリア半島集団から得られた証拠によって示唆されているように[74]、女性族外婚の慣行と関連していたかもしれない女性を媒介として遺伝子流動で到来したことです。それにも関わらず、YHg-R1b1a1b1a1a2a(DF27)の闕自余が必ずしも性別の偏った混合を意味しないことに要注意で、確率論的な標本抽出の影響や、遺伝的浮動(常染色体と比較して、Y染色体のより低い有効人口規模)や、YHg-R1b1a1b1a1a2a(DF27)系統を有していない個体群を含む、男性を媒介した混合が、このパターンを同様に説明できるかもしれません。これらの遺跡および個体群のさらなる標本抽出と放射性炭素年代測定が、こうした動態の解明に役立つかもしれません。

 さらに、ヨーロッパ中央部の鐘形杯と関連する個体群と比較しての、ポルトガルの鐘形杯と関連する個体群における草原地帯関連祖先系統のより低い割合は、鐘形杯文化のポルトガル起源との仮説に異議を唱えるかもしれません。それにも関わらず、遺伝的祖先系統だけでは文化的拡散の方向性を意味しないことや、草原地帯関連祖先系統が鐘形杯の文化伝播の代理の一つでしかないことに、要注意です。じっさい、本論文の結果は、銅器時代のポルトガルにおける地域的な遺伝的連続性と人口存続を示しています。コヴァ・ダス・ラパス_Cでは、それ以前のコヴァ・ダス・ラパス_N人口集団と同じ片親性遺伝標識や、新石器時代個体群での観察と同等の、狩猟採集民関連祖先系統とアナトリア半島関連農耕民関連祖先系統との間の混合割合が特定されました。したがって、ポルトガルの銅器時代における狩猟採集民祖先の検出可能な復活の欠如は、前期新石器時代における狩猟採集民祖先系統の完全な同化を示唆しています[25、31、32]。

 この地域的な遺伝的連続性は、新石器時代および銅器時代のイベリア半島におけるマグダレニアン関連祖先系統の存続と一致し、これはイベリア半島北部/北東部およびヨーロッパ大陸の他地域における低下[5、13~15、27]とは対照的です。この調査結果は後期更新世の退避地としてのこの地域の役割を裏づけますが、緯度のみで説明される低い偏差を考えると、局所的な人口統計学的過程の役割も強調されます。したがって、上部旧石器時代から銅器時代の人口集団のさらなる標本抽出は、より精細な規模の動態を解明できるかもしれません。

 青銅器時代のポルトガルは、在来のmtHgの存続によって証明されるように、強い地域的つながりと人口連続性を示しましたが、最終的にはイベリア半島に到達し、広範な人口統計学的影響を及ぼした[13、30、31、74]、ポントス草原地帯北部からヨーロッパ中央部への人々の移住と関連する、草原地帯関連祖先系統の顕著な拡大が特定されました。それにも関わらず、イベリア半島の南部および南西部に向かう草原地帯関連祖先系統のわずかな減少が見つかり、この移住はイベリア半島の他地域と比較してポルトガルでは相対的により低い影響を及ぼした、と示唆されます。草原地帯関連祖先系統におけるこの減少傾向は、移民がイベリア半島の北東部から南西部へと移動するにつれて起きた、在来の銅器時代人口集団との混合による希釈を反映している可能性が高い[27]、勾配を形成します。さらに、独特なYHg-R1b1a1b1a1a2a(DF27)による在来のY染色体系統の完全な置換にも関わらず、常染色体とX染色体との間の本論文の混合モデル化比較は、草原地帯関連祖先系統における性別の偏りの証拠を検出せず、それによって、ポルトガルにおける男性主導の青銅器時代への移行との仮説に異議が唱えられます[13、27、37]。

 興味深いことに、本論文のデータは、青銅器時代における地中海とのつながりも明らかにし、これはスペイン南部(個体ZAP002)で散発的に報告されてきた[37]だけでした(図3A)。これらの調査結果は、イベリア半島西部の文化と地中海文化との間の初期のつながりの可能性を示唆しており、これは鉄器時代に最高となった海上交易や文化的交流と関連していたかもしれませんが、カディスのフェニキア人都市の創設に先行します。じっさい、この遺伝的兆候はフェニキア人集団やそれに続くイベリア半島南西部へのアフリカ沿岸との接触の痕跡を表しているかもしれません。これらの接触は、イベリア半島南西部におけるタルテッソス文化の発展にも役割を果たし、早くも青銅器時代に起きた、地中海全域さらには西方の大西洋沿岸における文化的および遺伝的交流より広範なパターンを反映しているかもしれません。

 おもに火葬慣行の普及に起因するポルトガルの鉄器時代の考古学的以外の不足のため、この期間の新たな標本を評価できませんでした。しかし、以前に刊行されたスペインの人口集団の分析から、鉄器時代を通じての遺伝的連続性が明らかになり、地中海東部へと顕著なつながりが拡大し、草原地帯関連祖先系統は増加して、これは以前に報告されたパターンです[13]。

 イダーニャ・ア・ヴェリャの歴史時代の村で標本抽出されたローマ期の個体群の遺伝学的分析は顕著な多様性を明らかにし、この古代の都市がルシタニア属州内の重要な交差点として機能し、エメリタ・アウグスタやブラカラ・アウグスタやルクス・アウグスティといった中心的都市をつないだ、との仮説を裏づけます。独特なアフリカおよび地中海祖先系統の存在は、ローマ期イベリア半島に特徴的な広範な交易や移住網や文化的交流の影響を浮き彫りにします。この期間には、社会の支配層の一部だった移住してきたローマ市民は、この地域で見られる建築要素によって示されるように、イタリアの伝統の壮大な墓に埋葬されました。逆に、奴隷や奴隷から解放された自由民やギリシア風の名前で地中海東部もしくはアフリカ北部起源かもしれないの一部の個体の存在は、好適職務や金の採掘に関わっていた軍人の碑文の証拠によっても示唆されるように、さまざまな水準の統合を伴う、より複雑な社会動態を反映しています。したがって、イダーニャ・ア・ヴェリャにおけるアフリカ祖先系統の存在は、ローマ期アフリカからの両取って付き壺や食卓用器具によって裏づけられているように交易と関連しており、より広範な地中海交易網におけるこの都市の役割を反映しているかもしれません。

 最近の古ゲノム研究は、イタリアと「南アーチ(Southern Arc、アナトリア半島とヨーロッパ南東部およびアジア西部におけるその近隣)」およびバルカン半島のそれ以前の鉄器時代人口集団と比較しての、ローマ帝政期におけるアナトリア半島およびレヴァント祖先系統への遺伝的変化を報告してきました[34、45、79、80]。イダーニャ・ア・ヴェリャ_ローマ期の一部の個体で同様の祖先系統の変化が見つかりましたが、他の個体はアフリカ北部祖先系統への顕著な移行を示しています。本論文では鉄器時代標本を含めることができませんでしたが、これらのパターンは、さほど顕著ではないにも関わらず、イタリアにおける以前の観察[80]と同様で、おそらくはイタリアと比較してのポルトガルにおけるローマ期内の鉄器時代人口集団からの、より高度な遺伝的連続性を反映しています。

 西ローマ帝国の崩壊直後に、歴史的記録はヨーロッパ東部および中央部からのゲルマン部族、とくにスエビ人と西ゴート人の、現在のポルトガルの領域と重なる、ローマ期の2ヶ所の属州だったガリシアおよびルシタニアへの到来を記載しています。したがって、イダーニャ・ア・ヴェリャにおける本論文の分析は、西ゴート人の到来と関連している可能性が高い、顕著なヨーロッパ中央部祖先系統を有する中世前期の女性を特定しました。

 対照的に、顕著なイベリア半島祖先系統とわずかなアフリカ北部構成要素を有するグアルダ_プラゾ_フレイショ・デ・ヌマオン_EMの1個体や、在来祖先系統と地中海東部祖先系統の混合を示すカストロ・デ・アヴェラス_トーレ・ヴェルハ_EMの2個体が見つかりました。本論文の結果は、イベリア半島東部の西ゴート期におけるアフリカ北部祖先系統存続に関する最近の証拠[77]と一致します。これらの遺伝的影響は、ローマ期に確立した人口集団のつながりに根差している可能性が高そうです。この調査結果は、中世前期のイベリア半島における遺伝的祖先系統と人口動態のより複雑なパターンを浮き彫りにしており、これらの複雑さの完全な解明には、さらなる標本抽出が必要と強調しています。

 中世後期のポルトガル全域で標本抽出されたイスラム教徒とキリスト教徒の遺跡の個体群の遺伝学的分析は、かなりのサハラ砂漠以南のアフリカおよびアフリカ北部祖先系統によって特徴づけられる、イスラム教徒の事例におけるより多様な遺伝的背景を明らかにしました。これは、ポルトガル南部に位置するイスラム教の状況においてとくに明らかで、おそらくはポルトガル南部地域におけるイスラム教徒の存在のより長い期間に起因します。

 家族の富を守り、同盟を強化するイトコ婚はイスラム期には一般的でしたが、サンタレン_イスラム期で標本抽出された1個体のROH特性から、この個体はキョウダイだった両親の子供である可能性が高い、と示唆され、これは古代イベリア半島で特定された最初の事例です。イスラム法は明示的にキョウダイ間や親子間や特定の他の近親者間の結婚を禁止していますが(『クルアーン』第4章23節)、この調査結果は宗教的規範からの稀な逸脱を反映しているかもしれず、おそらくは在来の慣行か制約された社会的および地理的結婚集団に影響を受けており、これは、最近示されたように[77]、初期のイスラム教徒の入植の結果だったかもしれず、アフリカ祖先系統のより高い割合によってさらに裏づけられます。

 対照的に、同時代のキリスト教徒の文脈で見られる遺伝的多様性は、中世前期から続く在来の遺伝的祖先系統の強い保存を示唆しており、以前に示唆されたように、追加の余分な遺伝子流動は最小限でした。具体的には、カストロ・デ・アヴェラス_トーレ・ヴェルハ_征服期の個体群の遺伝学的分析は、ポルトガル北部における、この地域へのイスラム教徒集団の短期間の拡大後の、イスラム教徒の影響についてひじょうに限定的な証拠を明らかにしました。カストロ・デ・アヴェラスは戦略的にドゥエロ川の近くに位置しており、サンチェス=アルボルノス(Sánchez-Albornoz)氏によってドゥエロ砂漠と以前に報告された、重要な地理的境界だったことは注目されます。この地域は人口が疎らで、顕著な軍事活動があり、それには、コルドバの後期ウマイヤ朝カリフの事実上の支配者だった、アル・マンスール(Al-Mansur)の戦役におけるイスラム教徒支配の短期間が含まれます。

 13世紀から18世紀のポルトガルの人口集団は、イスラム期の後からの遺伝的連続性を示し、数世紀にわたる局所的な遺伝的痕跡の持続が浮き彫りになります。しかし、混合モデル化は依然として顕著な割合のアフリカ祖先系統を検出しており、これは片親性遺伝標識によってさらに裏づけられ、この地域におけるそれ以前のイスラム教徒の存在の持続的な遺伝的影響を記録しています。これは、イスラム教徒人口集団の遺伝的影響がその政治的権力の衰退後に長く持続したことを示唆しており、モリスコ(レコンキスタの頃にカトリックに改宗したイスラム教徒)人口集団のより広範なポルトガル人口集団への統合、中世および近代におけるヨーロッパとアフリカ北部との間の頻繁な移動、および/もしくはアフリカからの移民のその後の波に起因するかもしれません。

 カステロ・デ・アルバンテス_19世紀で標本抽出されたナポレオン軍の兵士2人の遺伝学的分析は、ポルトガルを占拠したフランス軍の一部の起源への知見を提供しました。一方の個体は中世および現代フランスの人口集団とのより明確な遺伝的類似性を示し、ナポレオンの占領軍はおもにフランスの兵士で構成されていたので、これは歴史的背景と一致します。もう一方の個体はより多様な遺伝的背景を示し、中世フランスおよびアフリカの祖先系統がありました。この個体mtHgは、アフリカ起源で、とくにアフリカ西部と中央部で一般的なL2b3aでした。興味深いことに、この観察はナポレオン軍に、直接的に徴兵されたか、フランスへのそれ以前のアフリカからの移民の子孫としての、アフリカ系の兵士が含まれていたことを示唆しています。じっさい、ナポレオン軍はその多様な構成で知られており、ヨーロッパのさまざまな地域から兵士を組み込むことが多く、フランスの影響もしくは支配下の領域の兵士を含んでおり、ナポレオンの軍事作戦が広範囲だったことを浮き彫りにしています。


●まとめ

 本論文では、新石器時代から現代までのポルトガルの遺伝的歴史が再構築され、複雑で動的な人口史が明らかになりました。新石器時代のポルトガルでは、在来の狩猟採集民とアナトリア半島関連の農耕民との間の初期の混合が特定され、マグダレニアン関連祖先系統の存続の増加について北東部から南西部にかけての勾配がありました。この遺伝的痕跡は銅器時代まで続き、銅器時代には草原地帯関連祖先系統の最初期の証拠をポルトガルで検出でき、それは青銅器時代に大きく増加しました。本論文のデータは青銅器時代におけるイベリア半島西部と地中海との間の接触を明らかにし、それは、イベリア半島においてフェニキア人の到来に先行する、文化的交流や海洋交易と関連する遺伝学的証拠を表しています。

 ローマ期の遺伝学的分析は、ヨーロッパやアフリカや地中海の祖先系統を含めて、遺伝学的に多様な人口集団によって証明されるように、移住の重要な役割と、交易網の強化を浮き彫りにしました。この傾向は中世前期にはさらに顕著になり、スエビ人と西ゴート人の移民がヨーロッパ中央部から到来しました。

 イスラム期とキリスト教徒征服期には、ポルトガル北部では中世前期からの強い遺伝的連続性を示されましたが、ポルトガル南部ではアフリカ人口集団との顕著な混合が明らかになりました。これらの観察は、イベリア半島北部地域と比較しての、イベリア半島南部におけるイスラム教のより大きな文化的および政治的影響に関する歴史的記録と一致します。中世の後にもアフリカ祖先系統が続いて存在したことも、現在のポルトガル人集団の遺伝的構成へのこれらの文化の持続的影響を反映しています。

 全体的に、本論文はポルトガルの複雑な遺伝的歴史を浮き彫りにし、それは、何世紀にもわたる移住と文化的交流および相互作用によって形成され、多様な人口集団からの顕著な寄与がありました。重要なことに、ユーラシア大陸の最西端に位置し、事実上の袋小路を構成しているポルトガル地域の、地理的孤立を反映している連続性のパターンも検出され、これは将来さらに研究する価値があります。


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https://doi.org/10.1126/science.aay6826
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この記事へのコメント

熊笹
2025年09月14日 18:50
 ヨーロッパ西部の新石器時代人骨では遺伝的に移住農耕民にほぼ置換されているものの、父系のY染色体では在来由来と推定されるI2が検出される事例が多いですよね。
 バルカンや中欧の初期新石器時代人骨はアナトリア農耕民のG2aの検出例が多く移住者が文化を急激に変える一方で、北西欧では在来者と移住農耕民が相互交流を通じて農耕化したことがその要因でしょうか?。
 藤尾慎一郎氏も日本列島の農耕開始期のモデルとして北西欧の中石器~新石器移行期の先行研究を参考にしていたので気になります。
管理人
2025年09月15日 08:05
中石器時代から新石器時代への移行は、農耕民と在来の狩猟採集民との遺伝的混合の程度や時期、狩猟採集民と農耕民との共存期間、文化的な相互作用と遺伝的相互作用との相関など、ヨーロッパでも地域によって大きく異なるようですが、日本列島でも、愛知県の朝日遺跡と伊川津貝塚、山口県の土井ヶ浜遺跡と長崎県の下本山岩陰遺跡など、ある程度地域間で差はあった可能性が高いように思います。

ポルトガルの場合は、農耕到来後比較的早くに農耕民と在来の狩猟採集民との混合が完了したというか、農耕到来以降のヨーロッパでは、ほぼそのままの遺伝的構成要素を維持した狩猟採集民集団の存続期間が相対的に短かった地域かもしれません。