Frans de Waal『サルとジェンダー 動物から考える人間の〈性差〉』
フランス・ドゥ・ヴァール(Frans de Waal)著、柴田裕之訳で、2025年3月に紀伊國屋書店より刊行されました。原書の刊行は2022年です。電子書籍での購入です。著者は私でも以前から知っているくらい著名な研究者で、本書以外にも日本語に翻訳されている著書も多数ありますが、不勉強な私は読んだことがなく、『日経サイエンス』2014年12月号に掲載された記事「助け合いのパワー」を読んだくらいでした(関連記事)。著者は昨年(2024年)3月14日に残念ながら亡くなり、これが遺著となるようです。
訳者あとがきによると、著者は翻訳にさいして要望があったようで、それは、類人猿とサルを厳密に区別することと、類人猿とヒトの性別では原則的な同じ単語を使うことです。つまり、チンパンジーは雄と雌、ヒトは男と女というように区別しないわけです。本書の方針を尊重したところですが、当ブログではこれまで、類人猿とヒトを比較するような場合の性別表記は基本的に雌雄としてきたので、この記事でも雌雄で統一します。「ジェンダー」も日本語訳が難しい用語と言えるかもしれませんが、本書では、学習によって身につけたメッキで、生物学的な意味での雌(雄)を社会および文化的な意味での雄(雌)に変える、と述べられており、性差を極端に強調する主張も、性差はすべて環境の産物との主張も批判されており、ヒトが霊長類として継承してきた性差は無視できない、と指摘されています。
その上で本書は、ヒトが生物学的に継承したものを根拠に、既存のジェンダー格差を容認するつもりはない、と述べていますが、一方でどちらかの性全体に汚名を着せてはならない、とも強調しています。それと関連して本書は、雄の優位が自然の秩序との認識を強く批判しています。ただ、著者は霊長類で雄が雌に対して攻撃性と体格の優位性を獲得したのは、雌を支配するためではなかった、と主張しますが、そうした(多くの場合には体格で雄が雌よりも大きい)性的二形が雌をめぐる雄間の闘争であることを本書は指摘しているわけで、雄による雌の支配をめぐる選択圧が性的二形をもたらした、と言っても間違いとは言い切れないように思います。
上述のように性差はすべて環境の産物との主張が本書では批判されているわけですが、本書はその具体例として、霊長類でも玩具の扱いに性差が現れることを指摘しています。たとえば、ヒトでも他の霊長類でも、幼児期の雄は雌と違って人形に興味を示さない傾向があります。これは、霊長類において雄よりも雌の方が幼児に高い関心を示すことなどとともに、ヒトにおける雌雄の生得的な差を示唆していますが、一方で、色は生得的な性差がないか弱いと考えられます。常識的というか陳腐な結論になってしまいますが、行動や嗜好は生得的要因と環境要因の相互作用によって、決まり、どちらの影響が強いかはそれぞれ異なるわけで、これは表現型についても同様なのでしょう。
本書は、霊長類学など生物に関わる研究者の幼児への関心がさほど高くなかったことを指摘し、こうした傾向に不満だったようですが、これに関して本書の見解で重要なのは、社会化は親が子供に行動の仕方を教える一方通行の道筋ではなく、「自己社会化」もそれに劣らず重要との認識です。子供自身が自己社会化の機会を探し求めて、実行に移すわけです。本書は、こうした自己社会化がヒト以外の霊長類でも起こることを指摘します。たとえばチンパンジーでは、シロアリ釣りにおいて、娘は母親のやり方を忠実に模倣する傾向が強いのに対して、息子はそうではありません。オランウータンでも、食性で娘は母親を真似る傾向にあるのに対して、雄は異なります。霊長類で父親が明確ではない種においては、雄の子供は高齢の雄と特別な交友関係を築き、真似る傾向があるようです。
上述のように、著者は性差を極端に強調する主張にも性差はすべて環境の産物との主張にも否定的で、後者については、フランスのフェミニストが、ヒトにおいて哺乳類では例外的に雌より雄の方が大柄なのは、親が娘の食料を減らし、その分を息子に与えているからである、と主張した事例も批判的に取り上げられています。著者がヒトも含めて哺乳類において多くの種で雌より雄の方が大柄なことも知らずに、そうした主張の本を執筆したそうで、原則的に誰でも意見を発信できるインターネットであれば、性差などについて与太話が横行しても仕方ないのかな、とも思います。また本書は、ヒトも含めて雌が社交的で雄はそうではないとか、雌間では雄間と違って競争や序列化が弱い(性差によって競争や序列化の在り様が異なる傾向はあります)など、性差にまつわる通俗的な見解(多くの場合、心理学の見解が通俗的に解釈されているようですが)も批判しています。
本書は暴力性も詳しく取り上げており、ヒトの祖先の行動としてチンパンジーよりもボノボの方が参考になるのではないか、と指摘します。チンパンジーはボノボよりも暴力的で、ヒトの祖先というか「本質」が暴力的と考えている人々にとって、ボノボは無視したい例外的存在で、ヒトの祖先の行動は現生チンパンジーに近い方が好都合というわけです。最近の研究では、雄同士で比較すると、チンパンジーよりもボノボの方が攻撃率は高い、と示されています(関連記事)。ただ、これはボノボよりもチンパンジーの方が攻撃は暴力的というか致死的であることと関連しているようで、その意味ではボノボよりもチンパンジーの方が「暴力的」とは言えるでしょう。ヒトの祖先の行動が現生のチンパンジーよりもボノボの方に近かったのか、判断が難しく、本書はその可能性を示唆していますが、現時点では、ヒトとチンパンジー属(チンパンジーとボノボ)の共通祖先の暴力性は現生チンパンジーに近く、ヒト系統とボノボ系統で独自に「自己家畜化」が起きた、との想定の方が妥当と私は考えています。この問題については、暴力性と関わる遺伝子群の特定によって、より詳しく明らかになることが期待されます。
この暴力性と関連して、本書はチンパンジーなど霊長類における序列も詳しく取り上げています。霊長類では一般的に雌よりも雄の方が身体能力は高く、暴力的傾向が強いことも珍しくありません。チンパンジーは、最近縁の現生分類群であるボノボとは異なり、集団における雄の優位が強いように見えますが、そうした集団においてアルファ雄の地位の確立と維持に雌も大きな役割を果たす、と本書は指摘します。性的衝動もそうですが、本書は、近代以降の霊長類の性差の研究が(おもにヨーロッパやアメリカ合衆国の)近現代社会を多分に投影したものだったことを指摘しています。こうした偏りは、ヒトが社会性動物である以上、克服が困難とは思います。また本書は、霊長類のアルファ雄が単純に攻撃的で粗暴である事例は少なく、むしろ下位個体の面倒を見て、抑制的である場合が多いことも指摘します。他には、ジョン・マネー(John Money)氏やダナ・ジャンヌ・ハラウェイ(Donna Jeanne Haraway)氏への批判的見解も興味深く、とくにダナ・ハラウェイ氏は日本では今でも高く評価している人が少なからずいるようなので、本書は参考になりました。
参考文献:
de Waal F.著(2024)、柴田裕之訳『サルとジェンダー 動物から考える人間の〈性差〉』(紀伊國屋書店、原書の刊行は2022年)
訳者あとがきによると、著者は翻訳にさいして要望があったようで、それは、類人猿とサルを厳密に区別することと、類人猿とヒトの性別では原則的な同じ単語を使うことです。つまり、チンパンジーは雄と雌、ヒトは男と女というように区別しないわけです。本書の方針を尊重したところですが、当ブログではこれまで、類人猿とヒトを比較するような場合の性別表記は基本的に雌雄としてきたので、この記事でも雌雄で統一します。「ジェンダー」も日本語訳が難しい用語と言えるかもしれませんが、本書では、学習によって身につけたメッキで、生物学的な意味での雌(雄)を社会および文化的な意味での雄(雌)に変える、と述べられており、性差を極端に強調する主張も、性差はすべて環境の産物との主張も批判されており、ヒトが霊長類として継承してきた性差は無視できない、と指摘されています。
その上で本書は、ヒトが生物学的に継承したものを根拠に、既存のジェンダー格差を容認するつもりはない、と述べていますが、一方でどちらかの性全体に汚名を着せてはならない、とも強調しています。それと関連して本書は、雄の優位が自然の秩序との認識を強く批判しています。ただ、著者は霊長類で雄が雌に対して攻撃性と体格の優位性を獲得したのは、雌を支配するためではなかった、と主張しますが、そうした(多くの場合には体格で雄が雌よりも大きい)性的二形が雌をめぐる雄間の闘争であることを本書は指摘しているわけで、雄による雌の支配をめぐる選択圧が性的二形をもたらした、と言っても間違いとは言い切れないように思います。
上述のように性差はすべて環境の産物との主張が本書では批判されているわけですが、本書はその具体例として、霊長類でも玩具の扱いに性差が現れることを指摘しています。たとえば、ヒトでも他の霊長類でも、幼児期の雄は雌と違って人形に興味を示さない傾向があります。これは、霊長類において雄よりも雌の方が幼児に高い関心を示すことなどとともに、ヒトにおける雌雄の生得的な差を示唆していますが、一方で、色は生得的な性差がないか弱いと考えられます。常識的というか陳腐な結論になってしまいますが、行動や嗜好は生得的要因と環境要因の相互作用によって、決まり、どちらの影響が強いかはそれぞれ異なるわけで、これは表現型についても同様なのでしょう。
本書は、霊長類学など生物に関わる研究者の幼児への関心がさほど高くなかったことを指摘し、こうした傾向に不満だったようですが、これに関して本書の見解で重要なのは、社会化は親が子供に行動の仕方を教える一方通行の道筋ではなく、「自己社会化」もそれに劣らず重要との認識です。子供自身が自己社会化の機会を探し求めて、実行に移すわけです。本書は、こうした自己社会化がヒト以外の霊長類でも起こることを指摘します。たとえばチンパンジーでは、シロアリ釣りにおいて、娘は母親のやり方を忠実に模倣する傾向が強いのに対して、息子はそうではありません。オランウータンでも、食性で娘は母親を真似る傾向にあるのに対して、雄は異なります。霊長類で父親が明確ではない種においては、雄の子供は高齢の雄と特別な交友関係を築き、真似る傾向があるようです。
上述のように、著者は性差を極端に強調する主張にも性差はすべて環境の産物との主張にも否定的で、後者については、フランスのフェミニストが、ヒトにおいて哺乳類では例外的に雌より雄の方が大柄なのは、親が娘の食料を減らし、その分を息子に与えているからである、と主張した事例も批判的に取り上げられています。著者がヒトも含めて哺乳類において多くの種で雌より雄の方が大柄なことも知らずに、そうした主張の本を執筆したそうで、原則的に誰でも意見を発信できるインターネットであれば、性差などについて与太話が横行しても仕方ないのかな、とも思います。また本書は、ヒトも含めて雌が社交的で雄はそうではないとか、雌間では雄間と違って競争や序列化が弱い(性差によって競争や序列化の在り様が異なる傾向はあります)など、性差にまつわる通俗的な見解(多くの場合、心理学の見解が通俗的に解釈されているようですが)も批判しています。
本書は暴力性も詳しく取り上げており、ヒトの祖先の行動としてチンパンジーよりもボノボの方が参考になるのではないか、と指摘します。チンパンジーはボノボよりも暴力的で、ヒトの祖先というか「本質」が暴力的と考えている人々にとって、ボノボは無視したい例外的存在で、ヒトの祖先の行動は現生チンパンジーに近い方が好都合というわけです。最近の研究では、雄同士で比較すると、チンパンジーよりもボノボの方が攻撃率は高い、と示されています(関連記事)。ただ、これはボノボよりもチンパンジーの方が攻撃は暴力的というか致死的であることと関連しているようで、その意味ではボノボよりもチンパンジーの方が「暴力的」とは言えるでしょう。ヒトの祖先の行動が現生のチンパンジーよりもボノボの方に近かったのか、判断が難しく、本書はその可能性を示唆していますが、現時点では、ヒトとチンパンジー属(チンパンジーとボノボ)の共通祖先の暴力性は現生チンパンジーに近く、ヒト系統とボノボ系統で独自に「自己家畜化」が起きた、との想定の方が妥当と私は考えています。この問題については、暴力性と関わる遺伝子群の特定によって、より詳しく明らかになることが期待されます。
この暴力性と関連して、本書はチンパンジーなど霊長類における序列も詳しく取り上げています。霊長類では一般的に雌よりも雄の方が身体能力は高く、暴力的傾向が強いことも珍しくありません。チンパンジーは、最近縁の現生分類群であるボノボとは異なり、集団における雄の優位が強いように見えますが、そうした集団においてアルファ雄の地位の確立と維持に雌も大きな役割を果たす、と本書は指摘します。性的衝動もそうですが、本書は、近代以降の霊長類の性差の研究が(おもにヨーロッパやアメリカ合衆国の)近現代社会を多分に投影したものだったことを指摘しています。こうした偏りは、ヒトが社会性動物である以上、克服が困難とは思います。また本書は、霊長類のアルファ雄が単純に攻撃的で粗暴である事例は少なく、むしろ下位個体の面倒を見て、抑制的である場合が多いことも指摘します。他には、ジョン・マネー(John Money)氏やダナ・ジャンヌ・ハラウェイ(Donna Jeanne Haraway)氏への批判的見解も興味深く、とくにダナ・ハラウェイ氏は日本では今でも高く評価している人が少なからずいるようなので、本書は参考になりました。
参考文献:
de Waal F.著(2024)、柴田裕之訳『サルとジェンダー 動物から考える人間の〈性差〉』(紀伊國屋書店、原書の刊行は2022年)
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