タリム盆地の人口史

 タリム盆地の青銅器時代と鉄器時代の人類遺骸のゲノムデータを報告した研究(Zhang et al., 2025)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は青銅器時代および鉄器時代のタリム盆地西部の24個体のゲノム規模データを報告し、青銅器時代集団の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の大半が、ユーラシア西方草原地帯の初期アンドロノヴォ関連文化の急速な東方への拡大にさかのぼる可能性が高い牧畜民集団に由来することを示しました。こうした草原地帯集団は東方への移動の過程で、まずBMAC関連農耕人口集団と、その後で青銅器時代タリム盆地のミイラによって表される在来集団と混合しました。これらの個体の多くは【現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では新疆ウイグル自治区とされている】東トルキスタン西部のアンドロノヴォ文化関連集団とは遺伝的に異なっており、草原地帯集団の東トルキスタンへの拡散は少なくとも2回あったことが示唆されます。また、タリム盆地西部の鉄器時代の1個体では、ユーラシア草原地帯からの遺伝的影響がほぼなかったようで、鉄器時代タリム盆地の人類集団における遺伝的異質性が浮き彫りになります。

 略称は、PCA(principal component analysis、主成分分析)、ANE(Ancient North Eurasian、古代北ユーラシア人)、WLR(West Liao River、西遼河)、WHG(western European huntergatherer、ヨーロッパ西部狩猟採集民)、PMR(pairwise mismatch rate、不適正塩基対率)、DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)です。時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EBA(Early Bronze Age、前期青銅器時代)、EMBA(Early to Middle Bronze Age、前期~中期青銅器時代)、MBA(Middle Bronze Age、中期青銅器時代)、LBA(Late Bronze Age、後期青銅器時代)、MLBA(Middle to Late Bronze Age、中期~後期青銅器時代)、IA(Iron Age、鉄器時代)、EIA(Early Iron Age、前期鉄器時代)、LIA(Late Iron Age、後期鉄器時代)です。

 本論文で取り上げられる主要な文化は、BMAC(Bactrio Margian Archaeological Complex、バクトリア・マルギアナ考古学複合)、シンタシュタ(Sintashta)文化、アンドロノヴォ(Andronovo)文化、スルブナヤ(Srubnaya、Zrubna、ズルブナ)文化、フォフォノヴォ(Fofonovo)文化、フォフォノヴォ(Fofonovo)文化、ヤムナヤ(Yamnaya)文化、アファナシェヴォ(Afanasievo)文化、サカ(Saka)文化です。本論文で取り上げられる主要な遺跡は、【現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では内モンゴル自治区とされている】モンゴル南部の裕民(Yumin)遺跡とタリム盆地の下坂地(Xiabandi)遺跡および小河(Xiaohe)墓地遺跡およびジェルザンケレ(Jierzankele)遺跡とロシア西部のサマラ(Samara)のシデルキノ(Sidelkino)遺跡です。


●要約

 東トルキスタンのタリム盆地は、ユーラシア草原地帯全域の人々と文化と物資の重要な遭遇地点として、および西方草原地帯人口集団の拡散の最東端として機能しました[1、2、7]。歴史的な交差点としての重要性にも関わらず、この地域の先史時代の歴史は依然としてほぼ調査されておらず、そのためユーラシアの人口移動および草原地帯集団の東方への拡大に大きな空白が生じています。本論文は、青銅器時代および鉄器時代のタリム盆地西部の24個体のゲノム規模データを提示します。本論文の調査結果から、青銅器時代人口集団はその祖先系統の大半が、西方草原地帯の初期アンドロノヴォ関連文化の急速な東方への拡大にさかのぼる可能性が高い牧畜民集団に由来した、と明らかになります。

 これらの草原地帯集団は移動するにつれて、BMAC関連農耕人口集団とまず混合し、その後で青銅器時代タリム盆地のミイラによって表される在来集団と混合して、最終的にはタリム盆地西部の遺伝的景観を形成しました。これらの個体の多くは東トルキスタン西部のアンドロノヴォ文化関連集団[2]とは遺伝的に異なっており、少なくとも2回の別の波が東トルキスタンへの草原地帯人口集団の侵入を促進した、と示唆されます。注目すべきことに、草原地帯からの流入の影響をほぼ受けていないように見えるタリム盆地西部の鉄器時代の1個体が特定され、BMACとタリム盆地の在来の祖先との間の以前には認識されていなかった直接的な遺伝的混合が示されました。これは鉄器時代タリム盆地の遺伝的異質性を強調し、長期の在来の遺産が1000年以上続いたことを示唆しています。


●標本の背景と配列決定

 青銅器時代は先史時代ユーラシアにおける重要な期間で、ユーラシア西部に由来する牧畜民集団の広範な移動によって特徴づけられます。これらのうち最も影響力があったのはアンドロノヴォ関連文化で、後期青銅器時代における大陸規模の移動はアジア中央部および南部の遺伝的景観に草原地帯関連祖先系統をもたらし、一方でユーラシア全域の長距離のつながりも促進しました[1、2、7~12]。シルクロード(絹の道)の中心部に位置する東トルキスタンは、ユーラシア大陸の東西間の重要な接点、とくに歴史を通じての草原地帯人口集団の拡大の東方の境界の一つとして、きわめて重大な役割を果たしてきました。東トルキスタンにおける青銅器時代の人口動態は依然として、充分には理解されていません。先行研究は東トルキスタン西部のイリ地域における中期および後期青銅器時代の草原地帯関連祖先系統の存在を指摘してきましたが、東トルキスタン南部のタリム盆地における草原地帯関連祖先系統の拡大や、青銅器時代におけるタリム盆地のより広範な人口統計学的歴史についてはほとんど知られていません。

 最近の古ゲノム研究では、タリム盆地東部の青銅器時代人口集団、とくに小河文化と関連する人口集団は、周辺の古代文化の人口集団ではなく、ANEと関連する深い在来の祖先系統に由来する、と示されました[1]。対照的に、タリム盆地西部、とくに下坂地墓地の考古学的調査結果は、異なる人口統計学的状況を示唆しています。下坂地遺跡の埋葬慣行はアンドロノヴォ文化と類似していますが、独特な土器様式は局所的適応を反映しています。これは、アンドロノヴォ文化の影響が地域間のどのように広がったのか、つまり、直接的なヒトの移動だったのか、それとも文化拡散だったのか、ということについてのより広範な問題を提起します。侵入の説得力のある二つの経路が提案されており、一方はフェルガナ盆地およびパミール高原経由で、もう一方は東トルキスタン北部のイリ地域経由です。

 鉄器時代への移行は、ユーラシア史における重要な転換点を示しています。紀元前千年紀初頭において、考古学的記録の変化はユーラシア全域のいくつかの遊牧文化の台頭を証明しています。鉄器時代には、タリム盆地では移動性と文化交流の増加が見られ、草原地帯からの影響が続き、アジア中央部の農耕共同体と関連する新たな特徴が現れました。しかし、これらの文化的変化の根底にある人口統計学的過程は、依然として充分には理解されていません。これらの不確実性を解決するため、タリム盆地西部の最大級の既知の埋葬遺跡である、下坂地墓地から発掘された古代人27個体のゲノム規模データが生成されました(図1)。以下は本論文の図1です。
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 これらのうち、良好なDNAの保存状態と充分なゲノム網羅率(平均網羅率は0.02~1.16倍)の24個体がさらなる分析のため選択され、それらは青銅器時代(紀元前1623~紀元前1380年頃)の22個体と鉄器時代(紀元前520~紀元前386年頃)の2個体が含まれます。すべての選択された標本は、古代DNA損傷の特徴的パターンと低水準のミトコンドリアおよび核汚染(3%未満)を示しました。PMR手法を用いての親族関係分析で、1親等の関係3組と一卵性双生児1組もしくは同一個体に由来する標本が特定されました。これらの新たなデータは草原地帯関連祖先系統の拡大への重要な洞察を提供し、この地域の遺伝的歴史の再構築の機会をもたらして、歴史を通じてタリム盆地と東トルキスタンの両方に影響を及ぼした、複雑な人口動態に光を当てます。


●後期青銅器時代におけるタリム盆地西部の集団遺伝学的構造

 タリム盆地西部のLBA個体群の遺伝的特性を調べるために、まずPCAが実行されました。ほとんどの下坂地遺跡個体は東トルキスタンの以前に刊行されたLBA個体やMLBA人口集団(たとえば、シンタシュタ_MLBAやスルブナヤ文化集団)のゲノムとゆるくまとまりますが、EMBAのタリム盆地のミイラ(タリム_EMBA1)などANE関連人口集団への微妙な移行を示しています。これが示唆しているのは、タリム盆地西部のLBA人口集団が、シンタシュタ文化人口集団の数個体の外れ値を除いて、東トルキスタンおよびMLBA草原地帯の他のLBA人口集団とは異なり、より高い割合のANE関連祖先系統を有していることです(図2A)。下坂地遺跡集団内では、PCAの結果に基づいて遺伝的に異なる3クラスタ(まとまり)が特定され、それはタリム_LBA1とタリム_LBA2とタリム_LBA3と分類されました。以下は本論文の図2です。
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 さらなるqpWave分析も、この区別を裏づけます。具体的には、(1)タリム_LBA1(2個体)は、シンタシュタ文化やアンドロノヴォ文化などMLBA西方草原地帯牧畜民と密接にまとまります。(2)タリム_LBA2(16個体)は、ANEクラスタと草原地帯_MLBAによって表される西方草原地帯祖先系統との間の「草原地帯~ANE」遺伝的勾配沿いに文武しました。(3)タリム_LBA3(1個体)は他のLBA下坂地遺跡標本とは異なり、PCA上ではアジア北東部人口集団の方への変化を示し、ユーラシア東部祖先系統との類似性増加を示唆しています(図2A)。モデルに基づくADMIXTUREクラスタ化(まとめること)分析はさらに、LBA下坂地遺跡個体群におけるこの遺伝的構造を補強します。K(系統構成要素数)値=10では、タリム_LBA1はタリム_LBA2と大まかに類似した祖先系統特性を示します。しかし、タリム_LBA2は東トルキスタン西部_LBA1とシンタシュタ_MLBAの両方でも観察される、濃い青色の構成要素のより高い割合によって特徴づけられます(図2C)。タリム_LBA3は追加の遺伝的構成要素を有しており、その構成要素は、モンゴル南部の新石器時代狩猟採集民(裕民遺跡)や中国北部の西遼河地域の中期新石器時代人口集団(西遼河_MN)など、アジア北東部人で最大化されています。

 外群f3分析では、タリム_LBA1とタリム_LBA2は相互と強い遺伝的浮動を共有しており、両者は草原地帯_MLBAと関連する人口集団と最高の類似性を示す、と分かりました。しかし、タリム_LBA2はタリム_LBA1と比較して、アルタイ山脈の狩猟採集民やアメリカ大陸先住民やフォフォノヴォ_EN とチベット人のようなアジア東部人など、ANE関連祖先系統とより多くのアレル(対立遺伝子)を共有しています(図3A)。タリム_LBA3については、この単一個体はタリム_EMBA1との最も多くのアレル共有を示しており、それに続くのがANEと関連する他の人口集団で、ANE関連集団からの顕著な遺伝的影響を反映しています。さらに、タリム_LBA3は、f4(タリム_EMBA1、草原地帯_MLBA;X、ムブティ人)> 0(Z > 3)によって示されるように、下坂地遺跡の他のLBA個体よりも多様なアジア東部人と多くのアレルを共有しています。以下は本論文の図3です。
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 さらに、qpAdmモデル化はこれら西方の草原地帯_MLBA牧畜民との遺伝的類似性を確証しました(図4B)。タリム_LBA2の場合、ANE関連人口集団とのより強い遺伝的類似性を示しますが、それはANE関連集団とさまざまなEBAもしくはMLBA人口集団の単純な2方向混合によって説明できません。トゥーラン(現在のイランとトルクメニスタンとウズベキスタンとアフガニスタン)のBMAC関連人口集団を追加の供給源として組み込み、3方向混合として検証すると、タリム_LBA2は、BMAC関連集団からの祖先系統の寄与とともに、シンタシュタ_MLBA(77.9±2.3%)とタリム_EMBA1(12.1±1.1%)を用いて有効にモデル化できます(図4B)。タリム_LBA3について、qpAdmはユーラシア東部からの顕著な遺伝的影響を示唆しており、PCAおよびADMIXTURE分析の調査結果と一致します。重要なことに、タリム_LBA3はシンタシュタ_MLBA(65.1±4.1%)とバイカル_EBA(34.9±4.1%)の祖先系統間の2方向混合としてモデル化できます(図4B)。以下は本論文の図4です。
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●タリム盆地における草原地帯関連祖先系統の拡大

 LBAには、ユーラシア東部草原地帯では広範な人口移動が見られ、おもにユーラシア西部からのアンドロノヴォ複合体の拡大と関連しています。これらの移動は畜産と高度な冶金技術によって支えられており、ユーラシア全域の広範な遺伝子流動を可能としました。多くの場合、これらの移動はY染色体ハプログループ(YHg)R1aの顕著な存在によって示されており、男性に偏った混合傾向を示唆しています。LBAタリム盆地人口集団における性別の偏った混合の可能性を調べるために、qpAdmを用いて、常染色体とX染色体の祖先系統比率が別々に推定されました。DATESを適用して、タリム_LBA2における混合事象の時期が判断されました。草原地帯_MLBAとBMAC関連集団を供給源として用いると、混合は4300年前頃(1世代を29年と仮定すると、タリム_LBA2の年代の30.81±10.68世代前)に起きた、と推定され、これはシンタシュタ文化の台頭とほぼ一致します。これが示唆するのは、草原地帯_MLBA関連祖先系統のLBAタリム盆地への流入は、西方牧畜民の初期の拡大と関連している可能性が高いことです(図4C)。さらに、タリム_LBA2における、草原地帯_MLBAとタリム_EMBA1との間や、BMAC関連人口集団とタリム_EMBA1との間の混合は、4000年前頃(16.10~17.10世代前で、タリム_LBA2個体群の推定年代より古くなります)に起きました(図4C)。これらの調査結果から、タリム_LBA2はシンタシュタ文化などユーラシア西部草原地帯からのMLBA牧畜民の初期の東方への移動を通じて形成された可能性が高い、と示唆されます。これに続いて、4000年前頃の東トルキスタンでBMAC関連祖先系統との混合および在来のタリム_EMBA1関連祖先系統との急速な混合がありました。

 草原地帯_MLBA集団が東トルキスタンへとどのように拡大したのか、より深い理解を得るために、文化的にアンドロノヴォ文化と関連している東トルキスタン西部の以前に刊行されたLBA個体群のゲノムが再分析されました。本論文の分析から、東トルキスタン西部_LBA1はタリム_LBA1および草原地帯_MLBA人口集団と密接にまとまり、f4(ムブティ人、X;タリム_LBA1/草原地帯_MLBA、東トルキスタン西部_LBA1)では遺伝的勾配を形成しており、草原地帯_MLBA関連集団の直接的子孫であることが示唆されます。対照的に、東トルキスタン西部_LBA2は草原地帯_MLBAとBMACとバイカル_EBAの3供給源混合として最適に説明され、これは以前の調査結果と一致します(図4B)。さらにDATES分析から、東トルキスタン西部_LBA2における草原地帯_MLBAとBMACとの間の遺伝的混合は標本抽出された東トルキスタン西部_LBA2個体群の約18世代前に起きた、と示唆され、これは3600年前頃に相当します。興味深いことに、この混合はタリム_LBA2よりも600年以上遅く起きました。この違いから、この2集団【東トルキスタン西部_LBA2とタリム_LBA2】は西方草原地帯からの東方への移動の別々の波から生じた可能性が高い、と示唆されます(図4C)。さらに、タリム_LBA2と比較して、f4(ムブティ人、X;東トルキスタン西部_LBA2、タリム_LBA2)によって論証されるように、東トルキスタン西部_LBA2は多様なユーラシア東部人とより多くのアレルを共有しており、異なる人口統計学的歴史が浮き彫りになります。


●タリム盆地における鉄器時代の遺伝的多様性と在来祖先系統の存続

 以前の古ゲノム研究は、東トルキスタンの北部および西部におけるBAとIAの人口集団間の遺伝的連続性、とくにその後の混合にも関わらず草原地帯関連祖先系統が存続したことを明らかにしました[2]。しかし、タリム盆地における人口構造の時間的動態は本論文の前には、この特定地域の古代ゲノムの不足のため、依然として理解は不充分です。PCAでは、顕著な人口統計学的移行がタリム盆地においてBA~IAの移行期では明らかです。後期IAの下坂地遺跡の1個体(タリム_LIA)は、依然に刊行されたIAタリム盆地個体群とともに、主成分1(PC1)上では西方から東方への遺伝的勾配とともに散在を示します(図2B)。このパターンは、ユーラシアの東西の遺伝的祖先系統間のさまざまな程度の混合を示唆しており、BA人口集団とは対照的です。

 ADMIXTURE分析では、タリム_LIAの1個体はほぼ半分の濃い緑色の構成要素を保持しており、この構成要素は在来のタリム_EMBA1集団において最大化され、LBA個体群にも存在しており、IAへの在来祖先系統基層の存在を浮き彫りにします。しかし、タリム_LIAは通常WHGと関連する遺伝的構成要素を欠いており、これはシンタシュタ文化やアンドロノヴォ文化やヤムナヤ_サマラやアファナシェヴォ文化など、ユーラシア西方草原地帯のBA牧畜民でよく見られる構成要素です。代わりに、タリム_LIAはより高い割合のアジア北東部遺伝的祖先系統を示し、これは中国北部の西遼河_MNにおいて最も顕著です(図2C)。さらに、外群f3統計によって示されるように、タリム_LIAは刊行されているIAタリム盆地集団とともに、タリム_EMBAと最も密接な遺伝的関係を示し、それに続くのが他のANE関連人口集団です(図4A)。この調査結果から、IAを通じての在来のタリム_EMBA1関連祖先系統の連続的存在が確証されます(図4A)。次に、たとえばf4(ムブティ人、X;タリム_LBA1/草原地帯_MLBA、東トルキスタン西部_LBA1)などのf4統計を採用し、LIAのタリム盆地西部個体とタリム盆地の他のIA個体のゲノム[2]との間の関係が調べられました。注目すべきことに、タリム盆地全域のIAの人々はかなりの遺伝的異質性を示し、IAにおけるタリム盆地の顕著に複雑で動的な遺伝的多様性を強調しています。

 最後に、タリム_LIAにおける潜在的な祖先系統供給源と混合割合が直接的に調べられ、以下の5祖先系統代理に焦点が当てられました。それは、BAユーラシア西方草原地帯牧畜民、EIA遊牧人口集団、アジア中央部のBMAC、BAタリム盆地集団、ユーラシア東部人です。まず、祖先系統の1供給源としてタリム_EMBA1と関連する集団が検討され、他の4祖先系統は潜在的な二次的供給源とされました。その結果、BMACとタリム_EMBA1を含む2供給源混合モデルがデータに最良に適合する、と分かり、タリム_LIAはLBA人口集団と比較してより高い割合のBMAC関連祖先系統を示しました。第三の供給源としてバイカル_EBA を組み込んでの、3方向混合モデルを用いてのさらなる調査では、タリム_LIAはBMAC(44~47.4%)とタリム_EMBA1(37.7~43%)とバイカル_EBA(13~15.6%)の混合として最も正確にモデル化される、と論証されました(図4B)。LBAのタリム盆地個体群が祖先系統の潜在的な供給源として検証されると、タリム_LIAの適切なモデル化に失敗しました。これは、草原地帯_MLBAと草原地帯_EBAとタリム_LBA2と天山サカを用いての説得力のある3供給源モデルによってさらに裏づけられ、これはタリム_LIAにおける草原地帯関連祖先系統の欠如を確証します。全体的に、2供給源および3供給源両方のモデルから、タリム_LIAは草原地帯関連祖先系統を欠いており、代わりにLBAタリム盆地人口集団と比較してBMAC関連祖先系統のより多い寄与を必要としている、と示唆され、これはIAのアジア中央部における農耕人口集団との文化的相互作用の増加を示唆する考古学的調査結果と一致します。


●考察

 本論文は、BA~IAにまたがるタリム盆地の古代人24個体のゲノム規模データを提示します。タリム盆地西部のLBA個体群は、アンドロノヴォ文化集団やシンタシュタ文化視野などユーラシア西部のMLBA草原地帯人口集団との強い遺伝的類似性を示す、と分かり、LBA住民はこれらMLBA牧畜民の子孫だった可能性が高い、と示唆されます。本論文の調査結果からさらに、タリム盆地におけるアンドロノヴォ関連文化の影響は、文化的拡散のみではなく急速で男性に偏った人口移動から生じた、と示唆されます。注目すべきことに、ほとんどの下坂地遺跡個体は3方向の遺伝的混合としてモデル化でき、その祖先系統は草原地帯人口集団とBMAC関連集団とタリム_EMBA1の祖先系統に由来します。草原地帯_MLBAとBMAC関連人口集団との間の混合は4300年前頃に起きた、と推定され、これはシンタシュタ文化の出現およびアジア中央部のトゥーラン地域の古代DNAの証拠と一致し、その古代DNAの証拠では、草原地帯関連人口集団とBMAC関連人口集団との間の遺伝的相互作用が紀元前2300年頃に初めて観察されました[12]。

 この時間的および地理的一致に基づいて本論文では、この混合は東トルキスタン自体の内部ではなくアジア中央部で起きた可能性が高い、と推測されます。この混合集団はパミール高原およびフェルガナ盆地を通って急速に東方へと移動した可能性が高く、4000年前頃にタリム盆地に到達し、タリム盆地で在来のタリム_EMBA1関連人口集団とさらに混合しました(図4C)。しかし、東トルキスタン西部では、LBAのアンドロノヴォ文化関連集団はほぼ完全にEBAのアファナシェヴォ文化関連集団を置換し、東トルキスタン西部のアンドロノヴォ文化の拡大はタリム盆地への拡大とは異なる軌跡をたどったかもしれない、と示唆されています[2]。さらに、混合年代測定の結果から、タリム盆地におけるアンドロノヴォ文化関連人口集団は東トルキスタンのイリ地域から到来せず、東トルキスタンへの西方MLBA牧畜民の少なくとも2回の別の波があった、と示唆されます。

 タリム盆地への草原地帯祖先系統の男性に偏った流入は、東トルキスタン西部やモンゴルやユーラシア中央草原地帯でも観察されたパターンで[8、9]、ユーラシア東部への男性主導の草原地帯の移動は、アンドロノヴォ文化関連集団の東方への拡大を伴う、より広範な人口統計学的傾向を表しているかもしれない、と示唆されます。さらに、ANA関連祖先系統を有するLBAの1個体が見つかり、ユーラシア東部からの遺伝的寄与が示唆されます。この調査結果は、一部の下坂地遺跡個体は、中国北部で最初に栽培化された作物である雑穀の豊富な食事を消費していた、と示唆した以前理安定同位体分析と一致します。一方で、考古学的証拠から、コムギとオオムギはBAにおいてアジア南西部からもたらされ、パミール高原とタリム盆地にはすでに到達していた、と示唆され、タリム盆地がユーラシア横断の文化的交流の主要回廊として機能した、との見解をさらに裏づけます。

 IAには、タリム盆地はBAと比較してより高水準の遺伝的多様性を示し、当時の広範な人口集団の相互作用が示唆されます。IA下坂地遺跡個体は、もはや草原地帯関連祖先系統を示しませんでした。代わりに、BMAC関連祖先系統の顕著な増加が観察され、これは、フェルガナ盆地や近隣地域の取って付球状形土器の出現など、IA下坂地遺跡の埋葬で記録された物質文化の変化と一致します。さらに、近隣のジェルザンケレ遺跡のIA個体群のゲノムもアンドロノヴォ文化関連の草原地帯祖先系統を欠いていました、この遺伝的系統はタリム盆地の内陸部に依然として存在していました[2]。この空間的変化から、草原地帯人口集団はタリム盆地西部の集落から離れて移住し、代わりにタリム盆地東部へと移動したかもしれない、と示唆されます。IA下坂地遺跡個体や他の刊行されているタリム盆地のIAタリム盆地個体群は、顕著な量のタリム_EMBA1祖先系統を保持していました。最近の研究でも、パミール高原周辺の現在の人口集団でタリム_EMBA1祖先系統が特定されており、この地域の在来の遺伝的構成が4000年以上にわたって一貫し続けたことを示唆しています[23]。タリム盆地の過酷な環境は遺伝的非難所として機能し、何千年にもわたって先住民集団を守ってきたのかもしれません。

 本論文は全体的に、東トルキスタンの他地域と比較してのタリム盆地西部における独特な遺伝的パターンを明らかにし、タリム盆地西部における草原地帯人口集団の拡大および遺伝的混合の詳細な再構築を提供します。本論文で分析されたBAとIAの標本間に1000年近い時間的空白があることは注目に値し、これはこの重要な期間における人口動態の包括的な理解を幾分制約します。現在のデータの限界を考えると、大規模な時空間的ゲノムデータ、とくに草原地帯のアンドロノヴォ文化集団と関連する個体群のゲノムデータや、追加の考古学的発見およびタリム盆地西部に焦点を当てた古代DNAデータが不可欠です。これらの研究は、草原地帯の人口移動およびBAとIAの東トルキスタンの遺伝的景観の理解を深めるでしょう。


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