深野祐也『世界は進化に満ちている』
岩波科学ライブラリー(334)の一冊として、岩波書店より2025年6月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書はまず、進化とは世代を超えての集団の遺伝的な性質の変化と定義します。進化の仕組みとしては、変異を前提とし、一般にもよく知られているだろう自然選択(適応進化)とともに、遺伝的浮動や創始者効果なども挙げられています。本書はこのように進化の基本的概念について解説した後で、具体的な進化の事例を取り上げていますが、本書で強調されているのは、進化が身近な現象で、今も急速に起きている場合があることです。こうした急速な進化は、新規突然変異ではなく、すでに存在する変異を前提とすることが多いようです。
急速な進化の身近な事例として本書では、たとえばハマダラカが挙げられています。ハマダラカはマラリアを媒介し、過去も今も多数の死者を出しています。かつて、第二次世界大戦中に開発されたDDT(dichlorodiphenyltrichloroethane、ジクロロジフェニルトリクロロエタン)という農薬は、ハマダラカなど節足動物を殺す能力が高く、マラリア対策の農薬として世界中で大量に散布され、世界の多くの地域でマラリアの被害は激減しましたが、その効果は長続きしませんでした。DDTは節足動物の神経細胞にあるナトリウムイオンチャンネルに作用することで、節足動物を殺すわけですが、ナトリウムチャンネルに変異を有している個体はDDTに対する耐性があり、おそらくは低頻度で存在したこの変異が、DDTの大量散布によって急速にハマダラカ集団に広まった、と考えられています。こうしたDDT耐性の短期間の進化は、ハマダラカに限らず、リーシュマニア症の原因寄生虫を媒介するサシチョウバエや、ジャガイモの大害虫のコロラドハムシなどでも見られます。これは、他の農薬や殺虫剤や生物種でも起きている現象です。また、ハマダラカ以外の蚊では、遺伝的にはDDT耐性がありませんが、DDTが散布されにくい家畜の飼桶などへと休息場所を変えることで、DDTに対応した事例もあります。
多くの日本人に身近な事例では、チャバネゴキブリは家庭用殺虫剤にも使われるピレスロイド系薬剤の抵抗性を有していたり、毒餌の誘引剤として使われる甘い糖を好まなくなるような変異が生じたりしています。産業革命において、煤煙によって樹皮の色が黒くなったことにより、イギリスの蛾(オオシモフリエダシャク)の優占的な翅色が明色から暗色へと変わった事例は、日本でも生物学の教科書などで取り上げられていたように記憶しています。ただ、本書で指摘されているように、煤煙に汚染されていない地域では、オオシモフリエダシャクの翅色は明色型が依然として優占していました。なお、オオシモフリエダシャクの事例では、翅色の暗色型をもたらす変異は、以前から存在していたわけではなく、産業革命中に生じた新規突然変異と推測されており、1960年代以降にイギリスでは大気汚染が改善し、オオシモフリエダシャクの暗色型の翅色は激減していきました。
産業革命は人類が環境を劇的に変えた事例ですが、本書は更新世の人類における狩猟の事例も取り上げています。とくに大型哺乳類にとって、人類の拡散による狩猟は急激な環境変化で、それが強すぎたり速すぎたりすると、進化が追いつかず絶滅に追い込まれる場合もある、というわけです。本書ではとくに明示されていませんが、ここでの人類とはおもに現生人類(Homo sapiens)、とくに出アフリカ現生人類集団を想定していると思われます。こうした後期~末期更新世、さらには完新世における大型動物の絶滅について、人為的影響と気候変動による環境変化のどちらが重要だったのか、議論が今でも続いているようですが、人類の狩猟圧によって絶滅した大型哺乳類が少なくなかった可能性は高いように思います。本書は、「トロフィーハンティング」の対象とされるオオツノヒツジが、大きな体格と角を好む人類の狩猟圧によって、オオツノヒツジは20世紀後半の30年ほどで、体重は15%近く減少し、角は30%近く短くなっていた事例を挙げています。同じく「トロフィーハンティング」の対象とされるアフリカゾウでは、牙が主要な目的とされており、雌のゾウでは20世紀後半に牙のない割合が18.5%から50.9%に増加しました。なお、牙の喪失は伴性遺伝でX染色体上にあり、同型接合は致死的で誕生しないため、牙のない雄は存在しません。
人為的圧力による野生動物の進化では、漁業による魚の急速な小型化や早熟化の事例も取り上げられています。人為的圧力は野生動物だけではなく野生植物にも作用し、本書では、ヒマラヤ山脈東部のキク科トウヒレン属植物(雪蓮花)が、薬用植物としてひじょうに価値が高く、大きな個体の人気がとくに高いため、急速に小型化していった、と推測される事例も取り上げられています。こうした人為的圧力による急速な進化は、とくに現代の都市部において顕著で、本書では、ヒートアイランド現象によって、都市部カタバミの葉の色では緑色よりも赤色の方が多い、との事例も示されています。
本書はこの他にも、植物と動物との相互作用による急速な進化の事例など、多様な身近で急速に起きている進化の事例を取り上げています。これらの中には、異なる地域で異なる遺伝的基盤によって似たような形質が進化する事例も含まれています(収斂進化)。本書は収斂進化について、進化理論の再現性や普遍性を示す現象として重視しています。本書はおもに身近で急速な進化を取り上げているので、ヒトのような1世代の長い生物の進化はさほど取り上げていませんが、ヒトでも乳糖耐性など過去1万年間に進化が起きた事例を紹介しています。
現代日本社会では、進化理論への攻撃はさほど強くないように思いますが、アメリカ合衆国など、進化理論への敵意や攻撃性の強い地域は今でもあるわけで、本書のような一般向けの進化学の解説で、進化への理解が深まるよう期待されます。また、本書で取り上げられた進化や生態系の知見は、人間にとって「有用」もしくは「有害」あるいは「中立的」な動植物の保全も含めて管理にとってひじょうに重要なので、現在進行形と言われている「6度目の大量絶滅」への対処も含めて、「実用的な」観点からも、進化学は重要になってくると思います。
参考文献:
深野祐也(2025)『世界は進化に満ちている』(岩波書店)
急速な進化の身近な事例として本書では、たとえばハマダラカが挙げられています。ハマダラカはマラリアを媒介し、過去も今も多数の死者を出しています。かつて、第二次世界大戦中に開発されたDDT(dichlorodiphenyltrichloroethane、ジクロロジフェニルトリクロロエタン)という農薬は、ハマダラカなど節足動物を殺す能力が高く、マラリア対策の農薬として世界中で大量に散布され、世界の多くの地域でマラリアの被害は激減しましたが、その効果は長続きしませんでした。DDTは節足動物の神経細胞にあるナトリウムイオンチャンネルに作用することで、節足動物を殺すわけですが、ナトリウムチャンネルに変異を有している個体はDDTに対する耐性があり、おそらくは低頻度で存在したこの変異が、DDTの大量散布によって急速にハマダラカ集団に広まった、と考えられています。こうしたDDT耐性の短期間の進化は、ハマダラカに限らず、リーシュマニア症の原因寄生虫を媒介するサシチョウバエや、ジャガイモの大害虫のコロラドハムシなどでも見られます。これは、他の農薬や殺虫剤や生物種でも起きている現象です。また、ハマダラカ以外の蚊では、遺伝的にはDDT耐性がありませんが、DDTが散布されにくい家畜の飼桶などへと休息場所を変えることで、DDTに対応した事例もあります。
多くの日本人に身近な事例では、チャバネゴキブリは家庭用殺虫剤にも使われるピレスロイド系薬剤の抵抗性を有していたり、毒餌の誘引剤として使われる甘い糖を好まなくなるような変異が生じたりしています。産業革命において、煤煙によって樹皮の色が黒くなったことにより、イギリスの蛾(オオシモフリエダシャク)の優占的な翅色が明色から暗色へと変わった事例は、日本でも生物学の教科書などで取り上げられていたように記憶しています。ただ、本書で指摘されているように、煤煙に汚染されていない地域では、オオシモフリエダシャクの翅色は明色型が依然として優占していました。なお、オオシモフリエダシャクの事例では、翅色の暗色型をもたらす変異は、以前から存在していたわけではなく、産業革命中に生じた新規突然変異と推測されており、1960年代以降にイギリスでは大気汚染が改善し、オオシモフリエダシャクの暗色型の翅色は激減していきました。
産業革命は人類が環境を劇的に変えた事例ですが、本書は更新世の人類における狩猟の事例も取り上げています。とくに大型哺乳類にとって、人類の拡散による狩猟は急激な環境変化で、それが強すぎたり速すぎたりすると、進化が追いつかず絶滅に追い込まれる場合もある、というわけです。本書ではとくに明示されていませんが、ここでの人類とはおもに現生人類(Homo sapiens)、とくに出アフリカ現生人類集団を想定していると思われます。こうした後期~末期更新世、さらには完新世における大型動物の絶滅について、人為的影響と気候変動による環境変化のどちらが重要だったのか、議論が今でも続いているようですが、人類の狩猟圧によって絶滅した大型哺乳類が少なくなかった可能性は高いように思います。本書は、「トロフィーハンティング」の対象とされるオオツノヒツジが、大きな体格と角を好む人類の狩猟圧によって、オオツノヒツジは20世紀後半の30年ほどで、体重は15%近く減少し、角は30%近く短くなっていた事例を挙げています。同じく「トロフィーハンティング」の対象とされるアフリカゾウでは、牙が主要な目的とされており、雌のゾウでは20世紀後半に牙のない割合が18.5%から50.9%に増加しました。なお、牙の喪失は伴性遺伝でX染色体上にあり、同型接合は致死的で誕生しないため、牙のない雄は存在しません。
人為的圧力による野生動物の進化では、漁業による魚の急速な小型化や早熟化の事例も取り上げられています。人為的圧力は野生動物だけではなく野生植物にも作用し、本書では、ヒマラヤ山脈東部のキク科トウヒレン属植物(雪蓮花)が、薬用植物としてひじょうに価値が高く、大きな個体の人気がとくに高いため、急速に小型化していった、と推測される事例も取り上げられています。こうした人為的圧力による急速な進化は、とくに現代の都市部において顕著で、本書では、ヒートアイランド現象によって、都市部カタバミの葉の色では緑色よりも赤色の方が多い、との事例も示されています。
本書はこの他にも、植物と動物との相互作用による急速な進化の事例など、多様な身近で急速に起きている進化の事例を取り上げています。これらの中には、異なる地域で異なる遺伝的基盤によって似たような形質が進化する事例も含まれています(収斂進化)。本書は収斂進化について、進化理論の再現性や普遍性を示す現象として重視しています。本書はおもに身近で急速な進化を取り上げているので、ヒトのような1世代の長い生物の進化はさほど取り上げていませんが、ヒトでも乳糖耐性など過去1万年間に進化が起きた事例を紹介しています。
現代日本社会では、進化理論への攻撃はさほど強くないように思いますが、アメリカ合衆国など、進化理論への敵意や攻撃性の強い地域は今でもあるわけで、本書のような一般向けの進化学の解説で、進化への理解が深まるよう期待されます。また、本書で取り上げられた進化や生態系の知見は、人間にとって「有用」もしくは「有害」あるいは「中立的」な動植物の保全も含めて管理にとってひじょうに重要なので、現在進行形と言われている「6度目の大量絶滅」への対処も含めて、「実用的な」観点からも、進化学は重要になってくると思います。
参考文献:
深野祐也(2025)『世界は進化に満ちている』(岩波書店)
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