山東半島新石器時代の社会構造
山東半島新石器時代の社会構造に関する研究(Wang et al., 2025)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、中華人民共和国山東省に位置する、大汶口(Dawenkou)文化後期の傅家(Fujia)遺跡で発見された2ヶ所の墓地の被葬者の遺伝学および同位体の情報から、傅家遺跡集落が当時は「母系社会」だった可能性を指摘しています。こうした社会構造に関する研究では、片親性遺伝標識のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)が役立ちます。また、傅家遺跡では3親等以内のような近親婚は避けられる傾向にあったものの、族内婚が行なわれており、遠い親族関係にある個体間の結婚が多くなったようです。
ただ、大汶口文化後期の傅家遺跡で「母系社会」の可能性が示されたとはいっても、本論文でも指摘されているように、傅家遺跡より古い「父系」と推測される社会の事例も確認されています。したがって、本論文では対象とされていない更新世の事例も含めると、「唯物史観」で想定されているような、人類の「原始(未開)社会」は一様に「母系」で、社会の「発展」とともに「父系」が出現し拡大していった、というような見解はもはや通用せず、現生人類(Homo sapiens)系統は遅くとも5万年前頃には「父系」や「母系」も含めて多様な社会を築いていた、と考えています(関連記事)。傅家遺跡も含めて山東半島の近年の古代ゲノム研究の進展は目覚ましく(関連記事)、山東半島は日本列島への稲作の伝播において、直接の起源地ではないとしても、重要な役割を果たした可能性があるので、その古代ゲノム研究は今後もたいへん注目されます。
略称は、AMS(accelerator mass spectrometry、加速器質量分析法)、SDI(Simpson’s diversity index、シンプソンの多様度指数)、READ(Relationship Estimation from Ancient DNA、古代DNAの関係推定)、有効人口規模(Nₑ)、cM(centimorgan、センチモルガン)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、KIN(Kinship INference、親族関係の推測)、s.d.(standard deviation、標準偏差)、ストロンチウム(Sr)、炭素(C)、窒素(N)です。本論文で取り上げられる主要な民族は、モソ人(Mosuo、摩梭人)、ラフ(Lahu)人、トリンギット人(Tlingit)です。本論文で取り上げられる山東半島の主要な遺跡は、傅家(Fujia)遺跡と呉村(Wucun)遺跡と焦家(Jiaojia)遺跡と崗山(GangShang)遺跡です。また、本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事の以下の翻訳ではとりあえず「中国」と表記します。
●要約
墓地から得られた古代DNAの研究は、初期ヒト社会への貴重な洞察を提供し、父方居住を強く示唆してきました[1、2、4、6~10]。本論文では、紀元前2750~紀元前2500年頃の間となる中国東部の傅家考古学的遺跡の2ヶ所の別々の墓地から得られた古代DNAが、考古学的状況や複数の安定同位体データとともに分析されました。本論文の調査結果は、高度な族内婚と沿岸近くで雑穀農耕を行なっていた人口集団によって特徴づけられる、新石器時代の初期に報告された母系共同体の存在を示唆しています。2ヶ所の墓地の個体間の通婚の証拠と、母方氏族に従って厳密に組織化された一次埋葬および二次埋葬の両方の存在は、傅家遺跡における強い社会的結束感と帰属意識を浮き彫りにします。放射性炭素年代のベイズモデル化から、この2ヶ所の墓地は約250年間使用された、と示されており、少なくとも10世代にわたる安定した母系が示唆されます。本論文は人類学と考古学における進行中の議論に寄与し、初期のヒトの歴史における母系社会の存在を示唆するだけではなく、二つの母系氏族を中心に組織化された新石器時代墓地の1組も明らかにしており、親族関係制度を介したヒト社会の初期進化の理解をさらに深めました。
●研究史
初期ヒト社会が父系もしくは母系の子孫によって組織化されていたのかどうかは、重要ではあるものの議論中の問題です。過去20年間、考古学者と言語学者と遺伝学者によってこの問題に取り組む多くの試みがなされてきましたが、共通の合意には達しませんでした。文化進化の系統発生研究はヒト社会の進化について厳密で一方向性の仮説を支持していませんが、より動的で柔軟な親族関係制度が、しばしば環境および経済的変化に応じて繰り返し変化し、牧畜と農耕の拡大では父方居住になることが多かった、と示しています。母系社会の組織はとくに中国では今では稀ですが、過去にはより一般的だったかもしれません。遺伝学的分析および語族の共通祖先のベイズモデル化における最近の進展は、ヒトの社会構造への新たな洞察を提供してきました。しかし、新石器時代および青銅器時代を調べたこれまでのゲノム規模研究のほぼすべては一貫して、父方居住および父系制を支持しており[2、4、6~10]、遠い過去もしくは先史時代における母系制の存在とその場所は、依然としてほぼ知られていません。これまでに、ゲノム解析によって確証された唯一の古代の母系社会は、800~1300年頃となる北アメリカ大陸の支配層のチャコ渓谷(Chaco Canyon)王朝です[21]。ドイツ南部における紀元前616~紀元前220年頃のケルトの一部の支配層間の母系の可能性[22]や、デュロトリゲス人(Durotriges)の埋葬によって主要な母系と男性の移住が明らかになった、鉄器時代ブリテン島の母方居住[23]を示唆する証拠もあります(図1a)。以下は本論文の図1です。
この研究では、最適化された古代DNA手法を用いてゲノム規模データが得られ、紀元前2750~紀元前2500年頃の間となる、中国の傅家遺跡に埋葬された古代の個体群の正確な遺伝的関係が再構築されました。本論文の結果は、mtDNAの超可変領域の配列決定のみのデータ以外に、傅家遺跡における2系統の氏族の母系共同体の存在に関する包括的証拠を提示しました。学際的手法も実行され、それには安定同位体や骨学的分類や古環境分析や放射性炭素年代のベイズモデル化が含まれ、生計慣行や局所的環境や社会的複雑さや墓地の利用期間への洞察を提供します。傅家遺跡の事例は、新石器時代の母系社会の存在を確証し、古代の母系制の証拠における空白を埋めるだけではなく、その環境および社会的背景も提供し、初期ヒト社会の母系親族関係組織の多様性と複雑さの理解を深めます。
●傅家遺跡の背景と標本抽出
傅家(北緯37度2分20.19秒、東経118度23分39.63秒)は中国東部の山東省に位置する新石器時代の考古学的遺跡で、沂孟山脈(Tai-Yi Mountains)の北側で渤海の南岸近くに位置しています。考古学的調査および発掘を通じて、傅家遺跡は大汶口文化後期と特定されてきました(図1c)。傅家遺跡の面積は約37haで、1985年と1995年と2021年の3回にわたって発掘されました。海の近くの低地に囲まれた高台に位置する傅家遺跡は、中心部に集中した居住区域が特色で、土器窯はおもに西側の小さな高台に位置しています。傅家遺跡の北部と南東部で発掘された2ヶ所の別々の墓地は、その方角に因んで傅家_Nおよび傅家_Sと分類表示されました(図1c)。傅家遺跡では500ヶ所以上の埋葬が発掘されており、利用可能な放射性炭素年代は紀元前2750~紀元前2500年頃の間です。墓地から得られたAMS年代のベイズモデル化では、埋葬慣行は約250年にわたり、少なくとも10世代を含んでいた、と明らかになりました。骨学的分類は、傅家遺跡における埋葬慣行への洞察を提供します。傅家_Sで特定された295個体のうち、58%は男性で、42%が女性です。傅家_Sの埋葬すべてのうち、355個体の35%が二次埋葬と特定され、複数の骨格を含む合同埋葬は12%を占めます。1995年に発掘された骨格の年代推定値に基づくと、全年齢の範囲が均等に分布しており(平均年齢は23.4歳)、傅家遺跡の埋葬慣行において年齢の偏りがないことを示唆しています。注目すべきことに、傅家_Sの35~45歳頃の男性1個体は、その頭蓋に開頭の証拠を示しました。
本論文では、完全な頭蓋のある66個体(傅家_Nが15個体、傅家_Sが51個体)が選択されました。古代DNAの真正性確認後、6個体が低水準のDNA網羅率もしくは高水準の現代人の汚染のいずれかのためデータセットから除外され、傅家_Nの14個体と傅家_Sの46個体で個体有効なデータが得られました。集団遺伝学的分析は、これらの個体間の遺伝的均質性を示しました。32点のヒトの歯のエナメル質標本のストロンチウム同位体比(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr)が分析され、それは考古学的な動物遺骸および調査地域全体で収集された現代の野生植物から得られた同位体データと比較されました。さらに、ヒトの歯と象牙質のコラーゲンから、真正性の証明された29点の炭素(δ¹³C)および窒素(δ¹⁵N)の同位体値が得られました。新たな放射性炭素年代は、19個体から報告されました。
●傅家遺跡における母系氏族共同体
母系で継承されるmtDNAと父系で継承されるY染色体の調査は、個体の遺伝的性別に関わらず、墓地の位置とmtDNAハプロタイプとの間の明確な対応を明らかにしました(図2a)。傅家_N で発掘された14個体(男性が3個体、女性が11個体)はすべてmtHg-M8a3を有していると分かり、SDI値は0でした。対照的に、傅家_Sでは異なるmtHg-D5b1bが一般的と特定され、46個体のうち44個体(男性が15個体、女性が25個体)が有しており(95.65%)、SDI値は0.08でした(図2b・c)。さらに、同一のミトコンドリアハプロタイプを共有していた同じ墓地に埋葬された個体群は、同じmtDNA配列も示し、共有された母系が示唆されます。傅家_Sの残りの2個体であるS17およびS27)はmtHg-M8a3に属していましたが、そのmtDNA配列は傅家_N個体群とは6塩基対で異なっており、異なる母系が示唆されます。mtDNAで観察されたパターンとは対照的に、Y染色体の分析結果は著しく高度なハプロタイプの多様性を明らかにしました(図2b・c)。具体的には、Y染色体で充分な網羅率(0.2倍超)のある男性の標本13点(傅家_Nが3個体、傅家_Sが10個体)の詳細な調査で、YHgの判定が可能となりました。この分析では、傅家_Sの男性10個体は著しく高度な多様性を示し、Y染色体の特有の6系統が特定され(SDI値は0.89、図2b・c)、傅家_Nの男性3個体は異なる3系統のYHgを示し、3点の配列は傅家_Sで特定された系統と区別できない、と明らかになりました。mtDNAとY染色体の分析の統合によって、傅家遺跡のほとんどの個体は性別に関係なく母系に従って埋葬されていた、との証拠が提供されます。以下は本論文の図2です。
これらの個体間の親族関係を理解するために、本論文では60個体間の遺伝的近縁性の包括的な分析が実行されました。READを用いて1親等の遺伝的関係が特定され、KINを用いて最大で3親等の親族が検出されて、キョウダイ関係と親子関係が区別され(図2b)、ancIBDを用いて最大6親等の生物学的近縁性が解明されました(図2b)。本論文の分析では、個体N01と個体S32が叔権の親族で、N01およびS51とN04およびS32の2組が3親等の関係だった、と特定されました(図2b)。これらの調査結果から、そうした密接な遺伝的近縁性は母系埋葬慣行に反しない、とさらに確証されました。さらに、傅家_Sおよび傅家_Nの品質基準を満たした全個体は、共有IBD断片(12cM超)の密な分布を示し、累積長の範囲が28~975cM(中央値は255cM、図2e)でした。個体の組み合わせの96.8%(1081通りのうち1047通り)は100cM超のIBD断片を共有しており、4~5親等の関係にまたがる家族のつながりが示唆されます。2ヶ所の分離した墓地の個体間の包括的な遺伝的近縁性、および一次埋葬が必ずしも傅家遺跡ではなかったことをしさする二次埋葬の存在にも関わらず、母系に基づく埋葬慣行は厳密に一貫していました。
墓地内比較は墓地間比較より長いIBDと多くの2親等の親族を示し(図2b・f)、異なる二つの母系間よりも同じ母系内の個体間の方での密接な生物学的近縁性が示唆されます。傅家遺跡墓地の多数のヒト遺骸および長い使用期間(200年以上)を、母系の均一性および父系の高度な多様性とともに考えると、傅家遺跡墓地は母系拡張家族もしくは家族集団ではなく、母系氏族(もしくは母系集団)を意図していた、と推測できます。傅家遺跡個体群の骨格年齢推定値から、10代と成人両方の男性個体がその出身母系の墓地にのみ埋葬されたことも明らかになりまた。この慣行は母系社会の一般的規範と一致し、父系および父方居住制度を反映しておらず、父系および父方居住制度では、女性個体は通常、その男性配偶者とともに埋葬されました。さらに、各墓地内の埋葬場所は遺伝的距離と相関していません。同じ墓地の1親等の親族でさえ、必ずしも近くに埋葬されていないかもしれません。これらの結果から、埋葬場所は、性別や年齢や親族関係や遺伝的ボトルネック(瓶首効果)などの要因ではなく、おもに母系氏族の所属によって決定されている、と示唆されます。したがって本論文では、傅家_Sと傅家_Nの間の異なる母系は、母系氏族の帰属意識に基づく意図的な組織化された構造を反映している、と主張されます。
●傅家遺跡社会における高度な局所的族内婚
47個体(傅家_Sが34個体、傅家_Nが13個体)のさらなる調査は、ROHの顕著に高度な発生率を明らかにしました(図3a)。具体的には、全個体は短いROH(8cM未満)を示し、その合計長の範囲は10~127cMで、40個体(85%)の合計長は40cM以上でした。ROHの合計長はほぼ、短いROHと中程度のROH(4~20cM)によって占められています。このROH分布は、模擬実験されたデータにおける限定的な規模の人口集団の予測パターンと類似していました(図3b)。本論文の結果は、限定的な遺伝子プールに起因する傅家遺跡共同体内の頻繁な配偶によって恐らくは引き起こされた高度な背景近縁性を示唆しており、それはNₑ推定値の大きな減少にもつながりました[34、35]。以下は本論文の図3です。
他の古代のアジア東部人口集団と比較して、傅家遺跡人口集団の明らかにより小さなNₑ(傅家_Sと傅家_Nの両方で約200~400個体、図3c)は、多数の同時代の考古学的遺跡が山東地域で発見されてきたので(図1b)、地理的孤立が原因ではないようで、おもに傅家遺跡共同体内の族内婚の慣行によって引き起こされた遺伝子プールの減少に起因します。長いROH(20cM超)の塊のあるゲノムの個体については、47個体のうち4個体のみが100cM以上を示し、イトコもしくはそれ以上の配偶など、近親婚の低頻度の存在を示唆しています。これらの4個体を除くと、約47%(22個体)は少なくとも1個の20cM超のROH断片を示しており、これは恐らく、マタイトコもしくはミイトコなど比較的遠い近縁関係の個体間の近親婚によって引き起こされました。これを短いROHの分布と組み合わせると、近親婚は選好された結婚様式ではないものの、小さな族内婚共同体では避けられない現象です。
●傅家遺跡の生計戦略と移動性
傅家遺跡の52個体のδ¹³C値の範囲は−9.3‰~−6.6‰、平均値は−7.9 ± 0.5‰(本論文の29個体と先行研究の23個体)で、おもにC₄植物に基づく食性と示唆されます。主食にはおそらくアワ(Setaria italica)とキビ(Panicum miliaceum)と雑穀を餌とするブタが含まれており、考古学的証拠はアワに基づく食料へのより大きな依存を示唆しています。ヒトのδ¹⁵N値の範囲は8.1‰~10.5‰(52個体、平均は9.3 ± 0.5‰)で、傅家遺跡のブタの約2.3%とは差があり、C₄植物を摂取した動物性タンパク質を組み込んだ食性が示唆されます。傅家遺跡もしくは他の大汶口文化後期の遺跡の男女の個体間ではδ¹³C値もしくはδ¹⁵N値における有意な違いが観察されず(図4a)、遺伝的性別間の均一な食性慣行が示唆されます。注目すべきことに、傅家遺跡のヒトのδ¹⁵N値は他の大汶口文化遺跡の個体より有意に高くなっています(図4b)。この増加は、近隣の遺跡(たとえば、呉村遺跡)における海洋性軟体動物や傅家遺跡および他の大汶口文化の遺跡における淡水性イガイ類の存在によって証明されているように、大汶口文化後期における傅家遺跡の沿岸部の位置と関連する塩性土壌条件の影響を反映しているかもしれません。これらの調査結果をまとめると、傅家遺跡住民は雑穀に基づく農耕と畜産に従事しており、おそらくは海洋性および/もしくは淡水性資源を利用していた、と示唆されます。以下は本論文の図4です。
対の大臼歯のある12個体を含む20個体のストロンチウム同位体分析は、0.711030~0.711554と顕著に狭い範囲の⁸⁷Sr/⁸⁶Srを明らかにします(図4c)。この範囲は、地元の野生植物で確証されているように、傅家遺跡が位置する第四紀沖積平野堆積物の基準範囲に充分収まっており、この地域の他の地理的単位とは異なっていて(図4c)、傅家遺跡の全個体はおそらく傅家遺跡周辺の第四紀沖積平野堆積物内に居住していました。一部の個体は近くの山のオルドビス紀の苦灰岩および石灰岩と重複する⁸⁷Sr/⁸⁶Sr値を示しましたが、傅家遺跡人口集団における酸素同位体の最小限の差異(1 s.d.が1‰未満)から、これらの個体は標高の高い地域出身ではなく、むしろ共通の水源を有していた、とさらに示唆されます。より局所的な規模では、第四紀沖積平野堆積物内で、全個体の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr値は傅家遺跡の半径10km以内で収集された植物の範囲内に収まり、傅家遺跡の巻貝の貝殻および淡水性イガイ類の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr値と密接に一致し、傅家遺跡人口集団の居住移動性がおそらくは限定的だったことを示唆しています。これらの調査結果から、傅家遺跡人口集団は地理的に制約されていたかもしれず、中国の同時代もしくはその後の新石器時代集団とは対照的に、長距離族外婚の認識できる影響はなかった、との見解がさらに裏づけられます。大汶口文化人口集団間の均質な酸素同位体痕跡および最も狭い食性の生態的地位の幅は、傅家遺跡共同体内の活動の局所的範囲および相対的に均一な生計慣行をさらに示唆します。遺伝学的分析はこれらの調査結果を裏づけており、族内婚慣行とおそらくは結合力のある共同体を示唆しています。男性個体は一般的に、女性個体と比較してわずかにより狭い範囲の⁸⁷Sr/⁸⁶Srを示しましたが、マン・ホイットニー(Mann–Whitney)検定を用いると、統計的に有意な違いは見つかりませんでした(P値は0.149)。
●考察
1世紀以上前に、ヨハン・ヤーコプ・バッハオーフェン(Johann Jakob Bachofen)やルイス・ヘンリー・モーガン(Lewis Henry Morgan)やフリードリヒ・エンゲルス(Friedrich Engels)などの社会学者は、古代社会は一般的に母系で、私有財産の出現に伴って父系構造へと発展した、と提案しました。20世紀以降、ヒトの歴史における初期の母系段階との仮説は、社会人類学者によって活発に議論されてきました。母系段階との見解はギリシア神話および演繹的推定に基づいている、と主張した者もいれば、他の霊長類の研究における母系社会の裏づけの欠如や直接的な考古学的証拠の欠如を指摘した者もいました。この問題には今では、とくに古代ゲノムと関連する新たなデータと手法を組み合わせた、より説得力のある科学的手法を用いて立ち戻ることができます。
本論文の結果から、傅家遺跡共同体はおそらく母系原理で組織化されていた、と示唆されます。この解釈は、遺伝的特徴と墓地の境界との間の強い対応によって裏づけられます。同じ墓地に埋葬された個体は同じmtHgを共有していただけではなく、ほとんどの場合、同一のmtDNA配列も有しており、密接な母方祖先および恐らくは共有された母系の帰属意識が示唆されます。これら2ヶ所の墓地間の観察された2~6親等の親族関係のつながりの高い比率(60.9%、644組のうち392組)も、約250年以上にわたって使用された2ヶ所の墓地の長期の共存を示唆しています。これらのパターンは現代の母系社会で見られるパターンと一致しており、現代の母系社会は通常、複数の母系氏族で構成され(妻訪婚のモソ人、母方居住のラフ人およびトリンギット人など)、そうした母系氏族では、個体は一生にわたって出生母系氏族に帰属意識を維持し、それに従って埋葬されます。しかし、傅家遺跡における居住と埋葬との間の関係は依然として見解明で、それは、結婚後の居住が埋葬慣行もしくは遺伝的データのみから決定的には推測できないからです。民族誌研究は母系社会全体での多様な居住パターン(たとえば、妻訪婚や母方居住や叔権)を明らかにしていますが、個体は通常、出生氏族の構成員の地位と埋葬のつながりを保持しています。したがって、傅家遺跡の墓地は母系組織を表しており、そうした組織は後期の構造では変わっているかもしれないものの、共有された母系では依然として基礎的なものでした。
ROH分析は傅家遺跡人口集団内における、近親婚への選好のない高率の族内婚を明らかにしました。このパターンは新石器時代ヨーロッパの同時代の父系社会とは異なっており、そうした社会では女性族外婚がより一般的に行なわれていました[6、49、50]。この独特な社会組織は、黄河地域と西遼河地域など他の新石器時代アジア東部人口集団で観察された最小限のROHによってさらに強調され、傅家遺跡の社会組織の特異性が浮き彫りになります。観察された族内婚は、男性個体が親族集団内の権威を維持するために、近くの共同体の女性と結婚したパターンを反映しているかもしれません。同様の慣行は現代のアジア南東部の母系および母方居住社会で記録されてきており、そうした社会では高水準の村落族内婚と低い遺伝的多様性が一般的です。黄河流域や西遼河や山東半島などの地域における中期~後期新石器時代の一般的な人口増加にも関わらず、傅家遺跡は前期新石器時代山東人口集団と比較してさえも、相対的に小さな有効人口規模を維持しました(図3c)。
それにも関わらず、遺伝的パターンだけでは母系の決定的な証拠を提供しません。たとえば、父系継承規則に従うサマリア人はひじょうに低いmtDNAの多様性を示し、限られた母系の差異が非母系の状況でも生じる可能性を論証します。逆に、母系継承は高いmtHg多様性の父系集団で観察されてきました。母系の構成員であることの認識への代替的な説明は、両方の祖先人口集団における強い母系創始者効果もしくは人口統計学的瓶首効果と関わっているかもしれず、これは、女性の集団外での結婚が妨げられている一方で、男性が共同体間を移動する、男性を媒介とする遺伝子流動と組み合わされた、女性の移動性への強い社会的制約に続く、観察されたmtDNAの均一性を説明します。この想定では、異なるミトコンドリアの遺伝子プールが制度化された母系継承なとしで維持されるかもしれません。傅家遺跡の広範な考古学的背景、とくに埋葬集団間の空間的近さと広範な遺伝的近縁性を考えると、永続的な母系社会組織と関わる解釈がより理路整然としているかもしれません。
傅家遺跡は、現在の山東省の沂孟山脈の北麓から渤海の南岸にまで広がる地域に位置しています。この地域には、密接なに関連する考古学的特徴を共有し、大汶口文化の呉村様式と総称される多くの同時代の大汶口文化遺跡が含まれます。これらの遺跡全体で共通する特徴には、彩色されて比較的粗い土器や、海洋性資源で補われる雑穀農耕に基づく生計戦略や、社会階層の証拠の限られている一般的に小規模から中規模の集落が含まれます。呉村などの遺跡も、傅家遺跡での観察と同様の高密度の墓を示しました。これが示唆しているのは、傅家遺跡が特異的もしくは孤立した事例ではなく、より広範な地域的パターンを反映していることです。
同時に、傅家遺跡は後期新石器時代中国において社会的複雑さ増加の期間に存在しました。傅家遺跡が属する大汶口文化後期はおもに山東省と河南省と安徽省に位置し、人口最盛期を経て、さまざまな政体として見られる支配層の墓のある地域的中心地として多くの巨大集落を示しており、翡翠や象牙など高い価値の副葬品を特徴とし、地域全体の支配層の交流網が示唆されます。しかし、傅家遺跡は焦家遺跡や崗山遺跡などの大汶口文化後期の他の地域的中心地とは、その富裕度がより低いことや、低水準の社会階層化や、おそらくは低い人口密度(集落規模からの推定で、焦家遺跡と崗山遺跡の面積は80ha超で、傅家遺跡の2倍の規模です)の点で対照的です。傅家遺跡の社会組織および生計パターンは高度に階層化された社会とは異なり、その社会的動態は相続資源と私有財産の程度がより低い現代の母系社会と類似している、と示唆されます。
本論文における古代DNAおよび安定同位体データと考古学的証拠の統合分析は、母系組織と一般的に関連する特徴と一致する、傅家遺跡における異なる社会構造の存在を示唆しています。これらの調査結果は、初期の母系制が富の蓄積のための強い機序のない共同体に出現し、持続したかもしれない、との仮説を裏づけます。傅家遺跡の事例は、そうした構造が、アジア東部におけるより複雑な社会へと向かう新石器時代への移行期に、特定の社会および環境条件下でどのように発達した可能性があるのか、ということへの洞察を提供します。古代DNAの進行中の詳細な研究と考古学が、初期のヒト社会における母系親族関係と社会組織の構造と動態をさらに解明するでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
人類学:古代DNAから明らかになった、中国の新石器時代における2つの氏族からなる母系社会
人類学:中国の新石器時代の母系氏族社会
今回、考古遺伝学研究により、中国東部の傅家遺跡で、紀元前2750~2500年に新石器文化の母系社会が存在していたことが明らかにされている。
参考文献:
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https://doi.org/10.1126/science.abm6536
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[2]Sjögren K-G, Olalde I, Carver S, Allentoft ME, Knowles T, Kroonen G, et al. (2020) Kinship and social organization in Copper Age Europe. A cross-disciplinary analysis of archaeology, DNA, isotopes, and anthropology from two Bell Beaker cemeteries. PLoS ONE 15(11): e0241278.
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関連記事
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https://doi.org/10.1038/s41586-023-06350-8
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[7]Mittnik A. et al.(2019):Kinship-based social inequality in Bronze Age Europe. Science, 366, 6466, 731–734.
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関連記事
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関連記事
[9]Fowler C. et al.(2022): A high-resolution picture of kinship practices in an Early Neolithic tomb. Nature, 601, 7894, 584–587.
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関連記事
[10]Chyleński M. et al.(2023): Patrilocality and hunter-gatherer-related ancestry of populations in East-Central Europe during the Middle Bronze Age. Nature Communications, 14, 4395.
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ただ、大汶口文化後期の傅家遺跡で「母系社会」の可能性が示されたとはいっても、本論文でも指摘されているように、傅家遺跡より古い「父系」と推測される社会の事例も確認されています。したがって、本論文では対象とされていない更新世の事例も含めると、「唯物史観」で想定されているような、人類の「原始(未開)社会」は一様に「母系」で、社会の「発展」とともに「父系」が出現し拡大していった、というような見解はもはや通用せず、現生人類(Homo sapiens)系統は遅くとも5万年前頃には「父系」や「母系」も含めて多様な社会を築いていた、と考えています(関連記事)。傅家遺跡も含めて山東半島の近年の古代ゲノム研究の進展は目覚ましく(関連記事)、山東半島は日本列島への稲作の伝播において、直接の起源地ではないとしても、重要な役割を果たした可能性があるので、その古代ゲノム研究は今後もたいへん注目されます。
略称は、AMS(accelerator mass spectrometry、加速器質量分析法)、SDI(Simpson’s diversity index、シンプソンの多様度指数)、READ(Relationship Estimation from Ancient DNA、古代DNAの関係推定)、有効人口規模(Nₑ)、cM(centimorgan、センチモルガン)、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、KIN(Kinship INference、親族関係の推測)、s.d.(standard deviation、標準偏差)、ストロンチウム(Sr)、炭素(C)、窒素(N)です。本論文で取り上げられる主要な民族は、モソ人(Mosuo、摩梭人)、ラフ(Lahu)人、トリンギット人(Tlingit)です。本論文で取り上げられる山東半島の主要な遺跡は、傅家(Fujia)遺跡と呉村(Wucun)遺跡と焦家(Jiaojia)遺跡と崗山(GangShang)遺跡です。また、本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事の以下の翻訳ではとりあえず「中国」と表記します。
●要約
墓地から得られた古代DNAの研究は、初期ヒト社会への貴重な洞察を提供し、父方居住を強く示唆してきました[1、2、4、6~10]。本論文では、紀元前2750~紀元前2500年頃の間となる中国東部の傅家考古学的遺跡の2ヶ所の別々の墓地から得られた古代DNAが、考古学的状況や複数の安定同位体データとともに分析されました。本論文の調査結果は、高度な族内婚と沿岸近くで雑穀農耕を行なっていた人口集団によって特徴づけられる、新石器時代の初期に報告された母系共同体の存在を示唆しています。2ヶ所の墓地の個体間の通婚の証拠と、母方氏族に従って厳密に組織化された一次埋葬および二次埋葬の両方の存在は、傅家遺跡における強い社会的結束感と帰属意識を浮き彫りにします。放射性炭素年代のベイズモデル化から、この2ヶ所の墓地は約250年間使用された、と示されており、少なくとも10世代にわたる安定した母系が示唆されます。本論文は人類学と考古学における進行中の議論に寄与し、初期のヒトの歴史における母系社会の存在を示唆するだけではなく、二つの母系氏族を中心に組織化された新石器時代墓地の1組も明らかにしており、親族関係制度を介したヒト社会の初期進化の理解をさらに深めました。
●研究史
初期ヒト社会が父系もしくは母系の子孫によって組織化されていたのかどうかは、重要ではあるものの議論中の問題です。過去20年間、考古学者と言語学者と遺伝学者によってこの問題に取り組む多くの試みがなされてきましたが、共通の合意には達しませんでした。文化進化の系統発生研究はヒト社会の進化について厳密で一方向性の仮説を支持していませんが、より動的で柔軟な親族関係制度が、しばしば環境および経済的変化に応じて繰り返し変化し、牧畜と農耕の拡大では父方居住になることが多かった、と示しています。母系社会の組織はとくに中国では今では稀ですが、過去にはより一般的だったかもしれません。遺伝学的分析および語族の共通祖先のベイズモデル化における最近の進展は、ヒトの社会構造への新たな洞察を提供してきました。しかし、新石器時代および青銅器時代を調べたこれまでのゲノム規模研究のほぼすべては一貫して、父方居住および父系制を支持しており[2、4、6~10]、遠い過去もしくは先史時代における母系制の存在とその場所は、依然としてほぼ知られていません。これまでに、ゲノム解析によって確証された唯一の古代の母系社会は、800~1300年頃となる北アメリカ大陸の支配層のチャコ渓谷(Chaco Canyon)王朝です[21]。ドイツ南部における紀元前616~紀元前220年頃のケルトの一部の支配層間の母系の可能性[22]や、デュロトリゲス人(Durotriges)の埋葬によって主要な母系と男性の移住が明らかになった、鉄器時代ブリテン島の母方居住[23]を示唆する証拠もあります(図1a)。以下は本論文の図1です。
この研究では、最適化された古代DNA手法を用いてゲノム規模データが得られ、紀元前2750~紀元前2500年頃の間となる、中国の傅家遺跡に埋葬された古代の個体群の正確な遺伝的関係が再構築されました。本論文の結果は、mtDNAの超可変領域の配列決定のみのデータ以外に、傅家遺跡における2系統の氏族の母系共同体の存在に関する包括的証拠を提示しました。学際的手法も実行され、それには安定同位体や骨学的分類や古環境分析や放射性炭素年代のベイズモデル化が含まれ、生計慣行や局所的環境や社会的複雑さや墓地の利用期間への洞察を提供します。傅家遺跡の事例は、新石器時代の母系社会の存在を確証し、古代の母系制の証拠における空白を埋めるだけではなく、その環境および社会的背景も提供し、初期ヒト社会の母系親族関係組織の多様性と複雑さの理解を深めます。
●傅家遺跡の背景と標本抽出
傅家(北緯37度2分20.19秒、東経118度23分39.63秒)は中国東部の山東省に位置する新石器時代の考古学的遺跡で、沂孟山脈(Tai-Yi Mountains)の北側で渤海の南岸近くに位置しています。考古学的調査および発掘を通じて、傅家遺跡は大汶口文化後期と特定されてきました(図1c)。傅家遺跡の面積は約37haで、1985年と1995年と2021年の3回にわたって発掘されました。海の近くの低地に囲まれた高台に位置する傅家遺跡は、中心部に集中した居住区域が特色で、土器窯はおもに西側の小さな高台に位置しています。傅家遺跡の北部と南東部で発掘された2ヶ所の別々の墓地は、その方角に因んで傅家_Nおよび傅家_Sと分類表示されました(図1c)。傅家遺跡では500ヶ所以上の埋葬が発掘されており、利用可能な放射性炭素年代は紀元前2750~紀元前2500年頃の間です。墓地から得られたAMS年代のベイズモデル化では、埋葬慣行は約250年にわたり、少なくとも10世代を含んでいた、と明らかになりました。骨学的分類は、傅家遺跡における埋葬慣行への洞察を提供します。傅家_Sで特定された295個体のうち、58%は男性で、42%が女性です。傅家_Sの埋葬すべてのうち、355個体の35%が二次埋葬と特定され、複数の骨格を含む合同埋葬は12%を占めます。1995年に発掘された骨格の年代推定値に基づくと、全年齢の範囲が均等に分布しており(平均年齢は23.4歳)、傅家遺跡の埋葬慣行において年齢の偏りがないことを示唆しています。注目すべきことに、傅家_Sの35~45歳頃の男性1個体は、その頭蓋に開頭の証拠を示しました。
本論文では、完全な頭蓋のある66個体(傅家_Nが15個体、傅家_Sが51個体)が選択されました。古代DNAの真正性確認後、6個体が低水準のDNA網羅率もしくは高水準の現代人の汚染のいずれかのためデータセットから除外され、傅家_Nの14個体と傅家_Sの46個体で個体有効なデータが得られました。集団遺伝学的分析は、これらの個体間の遺伝的均質性を示しました。32点のヒトの歯のエナメル質標本のストロンチウム同位体比(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr)が分析され、それは考古学的な動物遺骸および調査地域全体で収集された現代の野生植物から得られた同位体データと比較されました。さらに、ヒトの歯と象牙質のコラーゲンから、真正性の証明された29点の炭素(δ¹³C)および窒素(δ¹⁵N)の同位体値が得られました。新たな放射性炭素年代は、19個体から報告されました。
●傅家遺跡における母系氏族共同体
母系で継承されるmtDNAと父系で継承されるY染色体の調査は、個体の遺伝的性別に関わらず、墓地の位置とmtDNAハプロタイプとの間の明確な対応を明らかにしました(図2a)。傅家_N で発掘された14個体(男性が3個体、女性が11個体)はすべてmtHg-M8a3を有していると分かり、SDI値は0でした。対照的に、傅家_Sでは異なるmtHg-D5b1bが一般的と特定され、46個体のうち44個体(男性が15個体、女性が25個体)が有しており(95.65%)、SDI値は0.08でした(図2b・c)。さらに、同一のミトコンドリアハプロタイプを共有していた同じ墓地に埋葬された個体群は、同じmtDNA配列も示し、共有された母系が示唆されます。傅家_Sの残りの2個体であるS17およびS27)はmtHg-M8a3に属していましたが、そのmtDNA配列は傅家_N個体群とは6塩基対で異なっており、異なる母系が示唆されます。mtDNAで観察されたパターンとは対照的に、Y染色体の分析結果は著しく高度なハプロタイプの多様性を明らかにしました(図2b・c)。具体的には、Y染色体で充分な網羅率(0.2倍超)のある男性の標本13点(傅家_Nが3個体、傅家_Sが10個体)の詳細な調査で、YHgの判定が可能となりました。この分析では、傅家_Sの男性10個体は著しく高度な多様性を示し、Y染色体の特有の6系統が特定され(SDI値は0.89、図2b・c)、傅家_Nの男性3個体は異なる3系統のYHgを示し、3点の配列は傅家_Sで特定された系統と区別できない、と明らかになりました。mtDNAとY染色体の分析の統合によって、傅家遺跡のほとんどの個体は性別に関係なく母系に従って埋葬されていた、との証拠が提供されます。以下は本論文の図2です。
これらの個体間の親族関係を理解するために、本論文では60個体間の遺伝的近縁性の包括的な分析が実行されました。READを用いて1親等の遺伝的関係が特定され、KINを用いて最大で3親等の親族が検出されて、キョウダイ関係と親子関係が区別され(図2b)、ancIBDを用いて最大6親等の生物学的近縁性が解明されました(図2b)。本論文の分析では、個体N01と個体S32が叔権の親族で、N01およびS51とN04およびS32の2組が3親等の関係だった、と特定されました(図2b)。これらの調査結果から、そうした密接な遺伝的近縁性は母系埋葬慣行に反しない、とさらに確証されました。さらに、傅家_Sおよび傅家_Nの品質基準を満たした全個体は、共有IBD断片(12cM超)の密な分布を示し、累積長の範囲が28~975cM(中央値は255cM、図2e)でした。個体の組み合わせの96.8%(1081通りのうち1047通り)は100cM超のIBD断片を共有しており、4~5親等の関係にまたがる家族のつながりが示唆されます。2ヶ所の分離した墓地の個体間の包括的な遺伝的近縁性、および一次埋葬が必ずしも傅家遺跡ではなかったことをしさする二次埋葬の存在にも関わらず、母系に基づく埋葬慣行は厳密に一貫していました。
墓地内比較は墓地間比較より長いIBDと多くの2親等の親族を示し(図2b・f)、異なる二つの母系間よりも同じ母系内の個体間の方での密接な生物学的近縁性が示唆されます。傅家遺跡墓地の多数のヒト遺骸および長い使用期間(200年以上)を、母系の均一性および父系の高度な多様性とともに考えると、傅家遺跡墓地は母系拡張家族もしくは家族集団ではなく、母系氏族(もしくは母系集団)を意図していた、と推測できます。傅家遺跡個体群の骨格年齢推定値から、10代と成人両方の男性個体がその出身母系の墓地にのみ埋葬されたことも明らかになりまた。この慣行は母系社会の一般的規範と一致し、父系および父方居住制度を反映しておらず、父系および父方居住制度では、女性個体は通常、その男性配偶者とともに埋葬されました。さらに、各墓地内の埋葬場所は遺伝的距離と相関していません。同じ墓地の1親等の親族でさえ、必ずしも近くに埋葬されていないかもしれません。これらの結果から、埋葬場所は、性別や年齢や親族関係や遺伝的ボトルネック(瓶首効果)などの要因ではなく、おもに母系氏族の所属によって決定されている、と示唆されます。したがって本論文では、傅家_Sと傅家_Nの間の異なる母系は、母系氏族の帰属意識に基づく意図的な組織化された構造を反映している、と主張されます。
●傅家遺跡社会における高度な局所的族内婚
47個体(傅家_Sが34個体、傅家_Nが13個体)のさらなる調査は、ROHの顕著に高度な発生率を明らかにしました(図3a)。具体的には、全個体は短いROH(8cM未満)を示し、その合計長の範囲は10~127cMで、40個体(85%)の合計長は40cM以上でした。ROHの合計長はほぼ、短いROHと中程度のROH(4~20cM)によって占められています。このROH分布は、模擬実験されたデータにおける限定的な規模の人口集団の予測パターンと類似していました(図3b)。本論文の結果は、限定的な遺伝子プールに起因する傅家遺跡共同体内の頻繁な配偶によって恐らくは引き起こされた高度な背景近縁性を示唆しており、それはNₑ推定値の大きな減少にもつながりました[34、35]。以下は本論文の図3です。
他の古代のアジア東部人口集団と比較して、傅家遺跡人口集団の明らかにより小さなNₑ(傅家_Sと傅家_Nの両方で約200~400個体、図3c)は、多数の同時代の考古学的遺跡が山東地域で発見されてきたので(図1b)、地理的孤立が原因ではないようで、おもに傅家遺跡共同体内の族内婚の慣行によって引き起こされた遺伝子プールの減少に起因します。長いROH(20cM超)の塊のあるゲノムの個体については、47個体のうち4個体のみが100cM以上を示し、イトコもしくはそれ以上の配偶など、近親婚の低頻度の存在を示唆しています。これらの4個体を除くと、約47%(22個体)は少なくとも1個の20cM超のROH断片を示しており、これは恐らく、マタイトコもしくはミイトコなど比較的遠い近縁関係の個体間の近親婚によって引き起こされました。これを短いROHの分布と組み合わせると、近親婚は選好された結婚様式ではないものの、小さな族内婚共同体では避けられない現象です。
●傅家遺跡の生計戦略と移動性
傅家遺跡の52個体のδ¹³C値の範囲は−9.3‰~−6.6‰、平均値は−7.9 ± 0.5‰(本論文の29個体と先行研究の23個体)で、おもにC₄植物に基づく食性と示唆されます。主食にはおそらくアワ(Setaria italica)とキビ(Panicum miliaceum)と雑穀を餌とするブタが含まれており、考古学的証拠はアワに基づく食料へのより大きな依存を示唆しています。ヒトのδ¹⁵N値の範囲は8.1‰~10.5‰(52個体、平均は9.3 ± 0.5‰)で、傅家遺跡のブタの約2.3%とは差があり、C₄植物を摂取した動物性タンパク質を組み込んだ食性が示唆されます。傅家遺跡もしくは他の大汶口文化後期の遺跡の男女の個体間ではδ¹³C値もしくはδ¹⁵N値における有意な違いが観察されず(図4a)、遺伝的性別間の均一な食性慣行が示唆されます。注目すべきことに、傅家遺跡のヒトのδ¹⁵N値は他の大汶口文化遺跡の個体より有意に高くなっています(図4b)。この増加は、近隣の遺跡(たとえば、呉村遺跡)における海洋性軟体動物や傅家遺跡および他の大汶口文化の遺跡における淡水性イガイ類の存在によって証明されているように、大汶口文化後期における傅家遺跡の沿岸部の位置と関連する塩性土壌条件の影響を反映しているかもしれません。これらの調査結果をまとめると、傅家遺跡住民は雑穀に基づく農耕と畜産に従事しており、おそらくは海洋性および/もしくは淡水性資源を利用していた、と示唆されます。以下は本論文の図4です。
対の大臼歯のある12個体を含む20個体のストロンチウム同位体分析は、0.711030~0.711554と顕著に狭い範囲の⁸⁷Sr/⁸⁶Srを明らかにします(図4c)。この範囲は、地元の野生植物で確証されているように、傅家遺跡が位置する第四紀沖積平野堆積物の基準範囲に充分収まっており、この地域の他の地理的単位とは異なっていて(図4c)、傅家遺跡の全個体はおそらく傅家遺跡周辺の第四紀沖積平野堆積物内に居住していました。一部の個体は近くの山のオルドビス紀の苦灰岩および石灰岩と重複する⁸⁷Sr/⁸⁶Sr値を示しましたが、傅家遺跡人口集団における酸素同位体の最小限の差異(1 s.d.が1‰未満)から、これらの個体は標高の高い地域出身ではなく、むしろ共通の水源を有していた、とさらに示唆されます。より局所的な規模では、第四紀沖積平野堆積物内で、全個体の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr値は傅家遺跡の半径10km以内で収集された植物の範囲内に収まり、傅家遺跡の巻貝の貝殻および淡水性イガイ類の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr値と密接に一致し、傅家遺跡人口集団の居住移動性がおそらくは限定的だったことを示唆しています。これらの調査結果から、傅家遺跡人口集団は地理的に制約されていたかもしれず、中国の同時代もしくはその後の新石器時代集団とは対照的に、長距離族外婚の認識できる影響はなかった、との見解がさらに裏づけられます。大汶口文化人口集団間の均質な酸素同位体痕跡および最も狭い食性の生態的地位の幅は、傅家遺跡共同体内の活動の局所的範囲および相対的に均一な生計慣行をさらに示唆します。遺伝学的分析はこれらの調査結果を裏づけており、族内婚慣行とおそらくは結合力のある共同体を示唆しています。男性個体は一般的に、女性個体と比較してわずかにより狭い範囲の⁸⁷Sr/⁸⁶Srを示しましたが、マン・ホイットニー(Mann–Whitney)検定を用いると、統計的に有意な違いは見つかりませんでした(P値は0.149)。
●考察
1世紀以上前に、ヨハン・ヤーコプ・バッハオーフェン(Johann Jakob Bachofen)やルイス・ヘンリー・モーガン(Lewis Henry Morgan)やフリードリヒ・エンゲルス(Friedrich Engels)などの社会学者は、古代社会は一般的に母系で、私有財産の出現に伴って父系構造へと発展した、と提案しました。20世紀以降、ヒトの歴史における初期の母系段階との仮説は、社会人類学者によって活発に議論されてきました。母系段階との見解はギリシア神話および演繹的推定に基づいている、と主張した者もいれば、他の霊長類の研究における母系社会の裏づけの欠如や直接的な考古学的証拠の欠如を指摘した者もいました。この問題には今では、とくに古代ゲノムと関連する新たなデータと手法を組み合わせた、より説得力のある科学的手法を用いて立ち戻ることができます。
本論文の結果から、傅家遺跡共同体はおそらく母系原理で組織化されていた、と示唆されます。この解釈は、遺伝的特徴と墓地の境界との間の強い対応によって裏づけられます。同じ墓地に埋葬された個体は同じmtHgを共有していただけではなく、ほとんどの場合、同一のmtDNA配列も有しており、密接な母方祖先および恐らくは共有された母系の帰属意識が示唆されます。これら2ヶ所の墓地間の観察された2~6親等の親族関係のつながりの高い比率(60.9%、644組のうち392組)も、約250年以上にわたって使用された2ヶ所の墓地の長期の共存を示唆しています。これらのパターンは現代の母系社会で見られるパターンと一致しており、現代の母系社会は通常、複数の母系氏族で構成され(妻訪婚のモソ人、母方居住のラフ人およびトリンギット人など)、そうした母系氏族では、個体は一生にわたって出生母系氏族に帰属意識を維持し、それに従って埋葬されます。しかし、傅家遺跡における居住と埋葬との間の関係は依然として見解明で、それは、結婚後の居住が埋葬慣行もしくは遺伝的データのみから決定的には推測できないからです。民族誌研究は母系社会全体での多様な居住パターン(たとえば、妻訪婚や母方居住や叔権)を明らかにしていますが、個体は通常、出生氏族の構成員の地位と埋葬のつながりを保持しています。したがって、傅家遺跡の墓地は母系組織を表しており、そうした組織は後期の構造では変わっているかもしれないものの、共有された母系では依然として基礎的なものでした。
ROH分析は傅家遺跡人口集団内における、近親婚への選好のない高率の族内婚を明らかにしました。このパターンは新石器時代ヨーロッパの同時代の父系社会とは異なっており、そうした社会では女性族外婚がより一般的に行なわれていました[6、49、50]。この独特な社会組織は、黄河地域と西遼河地域など他の新石器時代アジア東部人口集団で観察された最小限のROHによってさらに強調され、傅家遺跡の社会組織の特異性が浮き彫りになります。観察された族内婚は、男性個体が親族集団内の権威を維持するために、近くの共同体の女性と結婚したパターンを反映しているかもしれません。同様の慣行は現代のアジア南東部の母系および母方居住社会で記録されてきており、そうした社会では高水準の村落族内婚と低い遺伝的多様性が一般的です。黄河流域や西遼河や山東半島などの地域における中期~後期新石器時代の一般的な人口増加にも関わらず、傅家遺跡は前期新石器時代山東人口集団と比較してさえも、相対的に小さな有効人口規模を維持しました(図3c)。
それにも関わらず、遺伝的パターンだけでは母系の決定的な証拠を提供しません。たとえば、父系継承規則に従うサマリア人はひじょうに低いmtDNAの多様性を示し、限られた母系の差異が非母系の状況でも生じる可能性を論証します。逆に、母系継承は高いmtHg多様性の父系集団で観察されてきました。母系の構成員であることの認識への代替的な説明は、両方の祖先人口集団における強い母系創始者効果もしくは人口統計学的瓶首効果と関わっているかもしれず、これは、女性の集団外での結婚が妨げられている一方で、男性が共同体間を移動する、男性を媒介とする遺伝子流動と組み合わされた、女性の移動性への強い社会的制約に続く、観察されたmtDNAの均一性を説明します。この想定では、異なるミトコンドリアの遺伝子プールが制度化された母系継承なとしで維持されるかもしれません。傅家遺跡の広範な考古学的背景、とくに埋葬集団間の空間的近さと広範な遺伝的近縁性を考えると、永続的な母系社会組織と関わる解釈がより理路整然としているかもしれません。
傅家遺跡は、現在の山東省の沂孟山脈の北麓から渤海の南岸にまで広がる地域に位置しています。この地域には、密接なに関連する考古学的特徴を共有し、大汶口文化の呉村様式と総称される多くの同時代の大汶口文化遺跡が含まれます。これらの遺跡全体で共通する特徴には、彩色されて比較的粗い土器や、海洋性資源で補われる雑穀農耕に基づく生計戦略や、社会階層の証拠の限られている一般的に小規模から中規模の集落が含まれます。呉村などの遺跡も、傅家遺跡での観察と同様の高密度の墓を示しました。これが示唆しているのは、傅家遺跡が特異的もしくは孤立した事例ではなく、より広範な地域的パターンを反映していることです。
同時に、傅家遺跡は後期新石器時代中国において社会的複雑さ増加の期間に存在しました。傅家遺跡が属する大汶口文化後期はおもに山東省と河南省と安徽省に位置し、人口最盛期を経て、さまざまな政体として見られる支配層の墓のある地域的中心地として多くの巨大集落を示しており、翡翠や象牙など高い価値の副葬品を特徴とし、地域全体の支配層の交流網が示唆されます。しかし、傅家遺跡は焦家遺跡や崗山遺跡などの大汶口文化後期の他の地域的中心地とは、その富裕度がより低いことや、低水準の社会階層化や、おそらくは低い人口密度(集落規模からの推定で、焦家遺跡と崗山遺跡の面積は80ha超で、傅家遺跡の2倍の規模です)の点で対照的です。傅家遺跡の社会組織および生計パターンは高度に階層化された社会とは異なり、その社会的動態は相続資源と私有財産の程度がより低い現代の母系社会と類似している、と示唆されます。
本論文における古代DNAおよび安定同位体データと考古学的証拠の統合分析は、母系組織と一般的に関連する特徴と一致する、傅家遺跡における異なる社会構造の存在を示唆しています。これらの調査結果は、初期の母系制が富の蓄積のための強い機序のない共同体に出現し、持続したかもしれない、との仮説を裏づけます。傅家遺跡の事例は、そうした構造が、アジア東部におけるより複雑な社会へと向かう新石器時代への移行期に、特定の社会および環境条件下でどのように発達した可能性があるのか、ということへの洞察を提供します。古代DNAの進行中の詳細な研究と考古学が、初期のヒト社会における母系親族関係と社会組織の構造と動態をさらに解明するでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
人類学:古代DNAから明らかになった、中国の新石器時代における2つの氏族からなる母系社会
人類学:中国の新石器時代の母系氏族社会
今回、考古遺伝学研究により、中国東部の傅家遺跡で、紀元前2750~2500年に新石器文化の母系社会が存在していたことが明らかにされている。
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[22]Gretzinger J. et al.(2024): Evidence for dynastic succession among early Celtic elites in Central Europe. Nature Human Behaviour, 8, 8, 1467–1480.
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[23]Cassidy LM. et al.(2025): Continental influx and pervasive matrilocality in Iron Age Britain. Nature, 637, 8048, 1136–1142.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-08409-6
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[34]Ringbauer H, Novembre J, and Steinrücken M.(2021): Parental relatedness through time revealed by runs of homozygosity in ancient DNA. Nature Communications, 12, 5425.
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[35]Fernandes DM. et al.(2021): A genetic history of the pre-contact Caribbean. Nature, 590, 7844, 103–110.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-03053-2
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[49]Knipper C. et al.(2017): Female exogamy and gene pool diversification at the transition from the Final Neolithic to the Early Bronze Age in central Europe. PNAS, 114, 38, 10083–10088.
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[50]Žegarac A. et al.(2021): Ancient genomes provide insights into family structure and the heredity of social status in the early Bronze Age of southeastern Europe. Scientific Reports, 11, 10072.
https://doi.org/10.1038/s41598-021-89090-x
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この記事へのコメント
我が国でも神澤氏などが古墳時代の人骨のDNA解析から家族関係や社会構造を研究されています。「古代ゲノム分析による関東古墳時代人の親族関係と遺伝的構造の解明」や「全ゲノム解析から明らかにする古代日本人の親族構造:古墳時代の埋葬墓について」など、それらについての研究報告がいくつかされています。
(後者で紹介されている諏訪谷横穴墓群はおそらく現時点で日本最古のY染色体ハプログループO2a1bに属す人骨が出土しています)
もし機会がありましたらそれらの報告についての解説もしていただけませんでしょうか。
https://sicambre.seesaa.net/article/202404article_5.html
日本でも、歴史時代も含めて古代ゲノムデータによる家族関係研究が進展するよう期待しており、研究に気づけばできるだけ取り上げていくつもりです。