漢代黄河下流域の人類集団のゲノムデータ

 漢代黄河下流域の人類集団のゲノムデータを報告した研究(Ji et al., 2025)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、山東省の聞韶北遺跡の前漢(西漢)期の人類遺骸の新たなゲノムデータを報告しています。聞韶北遺跡の前漢期人類集団は、山東省で発見された前期新石器時代狩猟採集民集団とは遺伝的に異なっていたものの、黄河中下流域の中期新石器時代~鉄器時代人類集団とは類似しており、華南集団からの追加の遺伝的影響もあったことが明らかになりました。山東省の現代の漢人集団は、聞韶北遺跡など古代の人類集団と中核的な遺伝的基盤を共有しています。本論文では山東人類集団の完新世における長期の遺伝的構造の変容も検証しており、本論文も含めて山東省における近年の古代ゲノム研究の進展は目覚ましく(関連記事)、山東半島は長江流域から日本列島への稲作到来の経路でもあった可能性が高そうなので、その点でも注目しています。

 以下の略称は、SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)、PCA(principal component analysis、主成分分析)、k(kilo years ago、千年前)、ANA(Ancient Northeast Asian、アジア北東部古代人)です。時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、EN(Early Neolithic、前期新石器時代)、MN(Middle Neolithic、中期新石器時代)、LN(Late Neolithic、後期新石器時代)です。本論文で取り上げられる主要な文化は、後李(Houli)文化、北辛(Beixin)文化、大汶口(Dawenkou)文化、裴李崗(Peiligang)文化、仰韶(Yangshao)文化、龍山(Longshan)文化、岳石(Yueshi)文化です。

 本論文で取り上げられる主要な遺跡は、山東省では戦国時代の臨淄(Linzi)が含まれる淄博(Zibo)市の聞韶北(Wenshaobei)遺跡と城子崖(ChengZiYa、略してCZY)遺跡と扁扁(Bianbian)遺跡と淄博(Boshan)遺跡と小荊山(Xiaojingshan)遺跡と小高(Xiaogao)遺跡と余庄(Yuzhuang)遺跡と夏桑菊(Xiasangju、略してXSJ)遺跡と丁公(Dinggong)遺跡と大辛庄(Daxinzhuang)遺跡と城西新村(Chengxixincun)遺跡、河南省では瓦店(Wadian)遺跡、福建省では曇石山(Tanshishan)遺跡です。

 なお、当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、この記事では本論文の「civilization」を「文明」と訳します。また、本論文の「中国」の指す範囲はよく分からず、現在の中華人民共和国の支配領域もしくはもっと狭くダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)の18省かもしれませんが、この記事の以下の翻訳ではではとりあえず「中国」と表記します。


●要約

 山東省は黄河下流の重要地域として、アジア東部の遺伝的歴史の理解において中心的役割を果たします。しかし、歴史時代全体の詳細な古代DNAデータは依然として限られています。この研究の目的は、前漢王朝における山東人口集団のゲノム特性を特徴づけ、近隣地域との遺伝的つながりを追跡することです。この研究では、山東省の前漢王朝の聞韶北遺跡古代人14個体のゲノムデータが新たに生成されました。PCAとADMIXTUREとf統計を含めて遺伝学的分析から、聞韶北遺跡人口集団は前期新石器時代の山東狩猟採集民とは遺伝的に異なっていたものの、黄河中下流域の中期新石器時代~鉄器時代人口集団とは密接に関連していた、と明らかになりました。これは黄河中流域の雑穀農耕社会との強い遺伝的連続性を示唆しており、追加で南方の稲作農耕集団からの小さな影響がありました。山東の現代の漢人集団は、聞韶北遺跡など古代の人口集団と中核的な遺伝的基盤を共有しています。本論文の調査結果は、北方の雑穀農耕文化と南方の稲作農耕文化との間の遺伝的交流の結節点としての黄河下流域の役割を浮き彫りにし、黄河中流からの持続的な遺伝的影響が新石器時代から漢王朝までの人口統計学的景観を形成しました。この研究は、アジア東部人口集団の形成への重要な知見を提供し、この古代中華文明の発祥地における農耕と移住と遺伝的多様性の間の相互作用を浮き彫りにしました。


●研究史

 アジア東部は多様な民族および言語集団の故地で、世界の人口の約1/4を占めており、遺伝的多様性および過去の人口移動の動態の研究にとって最重要地域の一つです[1]。アジア東部は最古級の動物の家畜化および植物の栽培化の中心地の一つで、中国北部では雑穀農耕、中国南部では稲作農耕が行なわれました。これらの主要作物の起源と普及は、人口拡大と言語拡散に大きな影響を及ぼしました。黄河流域は農耕の最古級の独立した中心地の一つで、アワとキビの両方の栽培化の痕跡は早くも紀元前十千年紀にさかのぼります。考古学と歴史と遺伝学の研究からの観察では、漢人の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の59~84%に寄与した黄河流域農耕民が、現在のシナ・チベット語族話者人口集団の共通祖先だった、と示されてきました[6、7]。

 山東省は中国の北部沿岸地域に位置しており、地理的には中国の南北とつながっています。黄河流域の一部として、山東は古代中華文明の発祥地の一つと考えられています。山東に存在した先史時代の文化には、後李文化(8300~7400年前頃)と北辛文化(7400~6200年前頃)と大汶口文化(6200~4600年前頃)と山東龍山文化(4600~4000年前頃)と岳石文化(3900~3500年前頃)が含まれます。北辛文化期に、生活様式が狩猟および採集から雑穀に基づく農耕へと変わりました。扁扁遺跡と淄博遺跡と小荊山遺跡と小高遺跡の報告された古代の個体群は後李文化と関連しており、その人口集団は生計ではおもに狩猟と漁撈に依存していました。古代DNAデータは、北辛文化からは見つかりませんでした。山東の大汶口文化および龍山文化期の古代データは、近年増加しつつあります[13~15]。黄河下流_城子崖_岳石の集団およびCZY集団は、青銅器時代の岳石文化と関連しています[14]。以前に報告された研究では、新石器時代山東人口集団は、黄河中流域の仰韶文化関連祖先系統と、古代山東狩猟採集個体群(9500~7700年前頃)と、代表的なANA祖先およびアジア南東部関連祖先系統に影響を受けた、と示唆されています[7、13~15]。歴史時代の山東人口集団でも、標本抽出データは利用可能です[13~15]。しかし、既存のデータは標本規模の限界と潜在的な偏りがあるかもしれず、山東の人口多様性を包括的に反映できるのかどうか、さらなる調査が必要です。そこで、前漢王朝にさかのぼる山東省の聞韶北遺跡標本が報告され、報告されている山東古代人のゲノムデータが統合され、さまざまな期間にまたがる山東人口集団の遺伝的特徴が調べられました。


●聞韶北遺跡の古代ゲノム規模データ

 この研究では、山東省の古代の標本41点が聞韶北遺跡から収集されました(図1)。研究の背景の理解を深めるために、ベータ分析社(Beta Analytic)での較正された放射性炭素年代測定について、個体M28の歯の標本1点が選択されました。その標本の年代は前漢王朝(較正年代で2150±30年前)と分かりました。DNAは各標本から抽出され、配列決定されました。古代DNAの特徴的な死後パターンの検査によって、ゲノム規模データの真正性が検証されました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)と男性標本のX染色体では、低水準の汚染が観察されました。DNAの読み取りはヒトゲノム(hs37d5)にマッピング(多少の違いを許容しつつ、ゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)され、124万パネルで3万ヶ所以上のSNPを呼び出せた標本が保持されました。血縁係数が推定され、2親等もしくは2親等以下の親族の個体2組が見つかり、より低い網羅率の個体選別が必要でした。不適格な標本の選別後、さらなる分析のため、網羅率の範囲が0.03~6.38倍で、SNPの数が33740~1223088ヶ所の標本14点に焦点が当てられました。qpWave分析を用いてのこれらの標本における遺伝的均質性と一致して、これらの個体は集団遺伝学的分析では聞韶北と命名された集団とみなされます。以下は本論文の図1です。
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●Y染色体およびミトコンドリア系統

 聞韶北標本のmtDNAハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)が分類されました。最も一般的なmtHgはD4とFで、これらのmtHgの合計割合は50.0%でした。mtHg-D4は漢人集団において一般的で、中国の北部と北東部において最高頻度で、大汶口文化期の山東で見つかりました[13、16]。しかし、mtHg-Fはアジア東部南方において高頻度で、4600年前頃以後の山東でも見つかりました。聞韶北遺跡におけるmtHg-Fの存在は、歴史時代におけるアジア東部南方から黄河下流域への遺伝的影響の可能性を示唆しています。

 聞韶北標本の最も一般的なYHgは、O2a2b1とO2a1b1とO2bとC2b1a2とQ1a1でした。YHg-O2a2b1は、6000~3000年前頃の古代の黄河および西遼河流域個体群に広く存在していました[13]。YHg-O2a1b1は大汶口文化期の山東で見つかっており、新石器時代の山東に存在しました[13]。YHg-O2bはアジア北東部人起源と考えられており、韓国人において一般的です[19]。YHg-C2b1a2はおそらくモンゴルもしくはバイカル湖地域起源で、ユーラシア北部に広く分布しています。YHg-Q1a1aはシベリア南部起源で、5000~3000年前頃に中国北部に広がりました。


●聞韶北標本の定性的な遺伝的特性

 聞韶北人口集団の遺伝的構造を調べるために、現代および古代の個体間でPCAが実行されました。図では、言語学的および地理的に異なる人口集団が異なる3遺伝的クラスタ(まとまり)を形成し、それは、アジア東部南方クラスタ、古代高地チベット人クラスタ、アジア北東部クラスタです(図1b)。前期新石器時代山東狩猟採集民集団と新石器時代黄河中流農耕民との間で、重なりはありません。それにも関わらず、大汶口文化期の山東人口集団において、前期新石器時代山東狩猟採集民と新石器時代黄河中流農耕民との間の混合の兆候を見つけることができます。山東龍山文化人口集団と山東大汶口文化人口集団は部分的な重なりを示しましたが、遺伝的には黄河流域人口集団とより密接でした。山東龍山文化人口集団はより高い遺伝的多様性を示し、それはアジア東部南方人口集団からの遺伝子流動に影響を受けたかもしれません。聞韶北人口集団は、現在の北方漢人と密接にクラスタ化しました(まとまりました)。さらに、聞韶北人口集団は黄河中流沿いの後期新石器時代の古代農耕人口集団(黄河_LNによって表されます)および歴史時代の古代山東人口集団のほとんどと重なりました。これらの結果は、さまざまな期間における黄河の中流域と下流域との間の遺伝的な動的歴史を示唆しました。

 さらに、教無ADMIXTURE分析が実行され、祖先構成要素が決定され、人口集団間の遺伝的関係が比較されました。最適なADMIXTURE図は、K(系統構成要素数)=4、つまり推定される4祖先集団だった場合に現れました(図1c)。PCAの結果と同様に、ADMIXTURE図では、聞韶北人口集団の遺伝的特性は前期新石器時代山東人口集団とよりも黄河中流人口集団の方と類似していた、と論証されます。


●新石器時代から歴史時代までの山東人口集団の遺伝的構造

 定性的なPCAおよびADMIXTURE分析は、前期新石器時代山東人口集団と聞韶北人口集団との間異なる遺伝的特性を示しました[6]。さらに定量的な外群f₃統計が実行され、聞韶北人口集団と他の人口集団との間でのアレル(対立遺伝子)共有パターンが調べられました(図2a)。その結果、聞韶北人口集団は遺伝的に大汶口文化期と龍山文化期と歴史時代の古代山東個体群や古代黄河流域個体群と最も近かった、と示唆されます。次に、f₄形式(ムブティ人、X;聞韶北、EN山東人口集団)のf₄統計が実行され、これらの遺伝的差異が定量化されました。前期新石器時代山東人口集団は、アムール川流域およびモンゴル高原の狩猟採集民によって表されるANAとより多くのアレルを共有していました。黄河中流の古代の人口集団は、前期新石器時代山東人口集団と比較して、聞韶北人口集団との類似性を示しました。以下は本論文の図2です。
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 定量分析における聞韶北人口集団と古代の黄河中流農耕民との間の遺伝的類似性を考えると、定性分析では山東人口集団の分布は前期新石器時代山東人口集団と黄河中流農耕民との間の軸に位置します。、f₄形式(ムブティ人、山東人口集団;古代黄河中流人口集団、淄博個体)のf₄統計が実行され、さまざまな期間の山東人口集団間の遺伝的類似性が比較されました(図2b)。その結果、大汶口文化期および龍山文化期の山東人口集団の約半分は、黄河中流農耕民とよりも前期新石器時代山東狩猟採集民の方と大きな遺伝的類似性を示した、と分かりました。しかし、このパターンは歴史時代の山東人口集団では観察されませんでした。これは、新石器時代と歴史時代との間の山東人口集団の遺伝的構造における違いを示唆しています。

 さらに、循環qpAdm戦略を活用して、祖先系統の割合が推定されました。黄河中流農耕民と山東狩猟採集民からの遺伝的影響は、上述の分析で論証されました。そこで、潜在的な祖先供給源として、黄河中流で最古級の【ゲノムデータが】刊行されている人口集団である仰韶文化関連祖先系統(黄河_MNによって表されます)と、後李文化関連祖先系統(淄博遺跡個体によって表されます)が用いられました。稲作の考古学的証拠を考えて、新石器時代アジア東部南方関連人口集団(曇石山遺跡個体によって表されます)も潜在的な祖先供給源として検討されました。別の潜在的な祖先供給源として、新石器時代にアジア東部北方に広く分布していたANAが用いられました。

 大汶口文化期における山東人口集団への黄河農耕民の遺伝的影響が検出されました(図3a)。これらの影響は島嶼地域においてより顕著でしたが、沿岸により近い人口集団は前期新石器時代山東狩猟採集民およびアジア東部南方関連人口集団からの遺伝的構成要素をより多く保持していました。龍山文化期には、黄河農耕民からの遺伝的影響は深く沿岸へと拡大し、人口集団の混合が見つかりました(図3b)。歴史時代の山東人口集団の遺伝的構造は黄河流域人口集団が優占しており、黄河人口集団の遺伝的割合の範囲は、大汶口文化期もしくは龍山文化期では19.7~100.0%、歴史時代では22.8~100.0%でした(図3c)。聞韶北人口集団は80.8%の黄河関連祖先系統と19.2%のアジア東部南方関連祖先系統を有している、と分かりました。以下は本論文の図3です。
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 さらに、歴史時代における山東人口集団の遺伝的特徴は地理的位置と密接に関連しており、この遺伝的な構造的特徴は大汶口文化期および龍山文化期の遺伝的パターンと類似しています(図3)。これらの人口集団は黄河中流および中国南方の祖先系統に影響を受けました。しかし、山東北部の人口集団は在来の狩猟採集民もしくはANAからの遺伝的構成要素を保持していました。これは、黄河流域もしくは南方からの移動が、おもに山東の中央部もしくは南部地域経由で山東に入ったことを示唆しています。時代的には漢王朝の前には、山東人口集団の遺伝的構成は比較的複雑で、複数の祖先構成要素が含まれていました。しかし、漢代以降には、その遺伝的構造はより安定するようになり、おもに黄河流域と南方人口集団からの祖先系統で構成されています。この変化は、漢王朝期における統一と社会的安定性に起因するかもしれず、それは人口移動を減少させ、より固定的な人口構造につながった可能性が高そうです。


●黄河中下流域の人口集団間の継続的な相互作用

 山東人口集団内の微妙な遺伝的変動を考えて、f₄形式(ムブティ人、参照人口集団;聞韶北、漢_山東)のf₄統計が採用され、山東の現代の漢人集団が聞韶北人口集団の直接的な遺伝的連続なのかどうか、調べられました。この分析では、参照人口集団が黄河中流_瓦店_龍山だった場合には、−3.30の有意なZ得点が得られました。そこで、f₄形式(ムブティ人、参照人口集団;山東人口集団、漢_山東)のf₄統計が活用され、現代の山東人口集団と山東のさまざまな期間の人口集団との間の遺伝的関係が評価されました。漢_山東と大汶口文化期と龍山文化期と歴史時代の人口集団の一部との間で、有意なZ得点は検出されませんでした。現代の山東人口集団の遺伝的祖先系統は大汶口文化期にさかのぼる可能性があるかもしれませんが、遺伝的構造の安定性を考えると(図3)、漢王朝後に形成された可能性がより高そうです。

 漢_山東と古代山東人口集団との間の遺伝的関係を確認するために、qpAdmが実行され、祖先系統の割合が推定されました。その結果、漢_山東は82.8%の黄河中流農耕民(黄河_MN)関連祖先系統と17.2%のアジア東部南方関連祖先系統を有していた、と分かりました。この遺伝的構成要素比は、龍山文化期の黄河中流域における黄河_LN(17.4%の曇石山個体的祖先系統と82.6%の黄河_MN的祖先系統でモデル化されます)および黄河中流_瓦店_龍山(20.8%の曇石山個体的祖先系統と79.2%の黄河_MN的祖先系統でモデル化されます)や、聞韶北人口集団(19.3%の曇石山個体的祖先系統と80.7%の黄河_MN的祖先系統でモデル化されます)や、山東_3k_XSJ(18.2%の曇石山個体的祖先系統と81.8%の黄河_MN的祖先系統でモデル化されます)や、歴史時代の黄河下流域における山東_1k(15.2%の曇石山個体的祖先系統と84.8%の黄河_MN的祖先系統でモデル化されます)と類似していました。


●聞韶北遺跡の歴史的背景

 本論文は、山東省の淄博市の41点の標本を分析しました。淄博市は、春秋戦国時代(2793~2244年前)の斉国の首都として機能しました。淄博は、前漢王朝期における最大級の工芸および商業都市の一つでもありました。したがって、淄博は中国において重要な役割を果たしています。本論文は、前漢王朝期における山東人口集団の遺伝的構造を明らかにし、新石器時代および歴史時代の山東人口集団と比較しました。本論文では、聞韶北遺跡標本のあり得る起源およびシナ・チベット語族話者人口集団との関係も分析されました。本論文は、山東省の他の人口集団から得られたデータを組み合わせ、山東人口集団内の遺伝的構造の詳細な分析を提供します。


●遺伝的変化と地域の接続性

 考古学的証拠から、黄河中流域の裴李崗文化(8000~7000年前頃)は山東の後李文化および北辛文化に大きな影響を及ぼした、と示唆されています。北辛文化は後李文化と明確な違いを示した一方で、住居や生産手段や政策方法や土器様式の観点では裴李崗文化との明らかな類似性を有していました。したがって、山東への中原の人口集団および文化の影響は、大汶口文化期の前に始まった可能性が高そうでするしかし、考古学的証拠では、黄河下流域の原始的な乾燥農耕は後李文化期の在来起原だった、と示唆されているので、黄河中流域からの人口拡散は山東における農耕の直接的原因とみなすべきではありません。

 遺伝学的分析では、漢王朝期の山東の聞韶北遺跡標本は黄河中流域に居住する人口集団と密接な遺伝的関係を示した、と明らかになりました。黄河中流域からの遺伝的影響は、早くも中期新石器時代に検出され、現在の漢人集団に存在し続けています。さらに、さまざまな期間にわたって、黄河人口集団の遺伝的影響における明確な動的変化が観察されました。大汶口文化期には、黄河人口集団の遺伝的影響は地理的位置と密接に結びついており、おもに内陸地域に限られ、沿岸部山東人口集団にはほとんど影響を及ぼしませんでした。しかし、龍山文化期には、この影響の範囲は大きく拡大し、より広範な地域を網羅しました。歴史時代までには、黄河人口集団の遺伝的構成要素は山東人口集団において優勢になりました。この調査結果は先行研究と一致しており、5000年前頃に、黄河流域の人口集団がシナ・チベット語族や農耕や関連する技術を中国北部にもたらした、と示唆されます[6、28]。

 同時に、山東人口集団と黄河中流域人口集団との間の遺伝的関係は、仰韶文化が外部へ拡大し、中原を中心に文化的共同体を形成した、との考古学的仮説と一致します。黄河下流域の北辛文化後期~大汶口文化前期に相当する仰韶文化前期~中期の間には、キビからアワへの移行が黄河中流域において起きました。山東における同じ移行は、大汶口文化の前期~中期に起きました。アワはキビよりも多くの投資を必要とし、より多い収穫が得られ、それによってより大きな人口集団を維持できるので、黄河中流域の乾燥地農耕と社会はわずかに速く発展した、と示唆されています。気候と環境は初期農耕の発展に大きな影響を及ぼしました。したがって、山東におけるキビからアワへの移行が、黄河中流域における同じ傾向に影響を受けたのかどうか、依然として不明です。それにも関わらず、本論文の分析から、大汶口文化期の一部のDNA標本は仰韶文化のDNA標本のみで模擬的に再現できる、と示されました。この人口集団はより集約的な乾燥地農耕体系への移行の頃に、黄河中流域から山東へと拡散した、と示唆されます。

 山東狩猟採集民の遺伝的構成要素は、山東内でのみ検出されており、黄河中流人口集団への拡散の痕跡はありません。これらの遺伝的構成要素は現代の漢人集団ではほぼ消滅しましたが、そうした遺伝的構成要素が依然として少量存在するかもしれない可能性は、除外できません。


●中国南部の混合の痕跡

 アジア東部南方関連人口集団からの遺伝的影響は、早くも大汶口文化期に検出され、現代の山東漢人に存続してきましたが、おもに小さな祖先構成要素として現れています。考古学的証拠から、原始的な稲作が中原とさんとうで7000年前頃以前に出現していた、と示唆されています。しかし、山東では混合の雑穀稲作農耕体系がより長い期間存在し、より広範囲に発展しました。一方で、中原の農耕の発展においては雑穀の単一栽培が主流でした。新石器時代および青銅器時代山東における稲作のより高い割合は、中国南部からのより大きな人口統計学的および文化的影響の結果かもしれません。山東の龍山文化期における稲作の前例のない拡大と繁栄は、山東龍山文化人口集団が中国南部の人口集団とより大きな遺伝的類似性を有していた、との調査結果と一致します。これらの調査結果は遺伝学的研究と一致し、山東人口集団における稲作農耕の南方人口集団の遺伝的影響は、その過程で永続的な遺伝的遺産を残した、と示唆されます。


●歴史の生態と都市の複雑さ

 漢王朝期には、雑穀とイネの2種類に加えて、コムギとダイズが他の主要な2穀物でした。これら5種類の主要穀物は、丁公遺跡や大辛庄遺跡や城西新村遺跡など殷(商)王朝に属する遺跡でも見つかりました。各穀物の割合は遺跡間で異なっていましたが、これら主要な5種類の穀物は歴史時代にはすでに広がっていました。これら主要な5種類の穀物の組み合わせの出現は、中原では龍山文化期に起きました。コムギはさらに西方から黄河流域へと広がりましたが、龍山文化期から歴史時代まで、山東人口集団の遺伝的構造は比較的一定しており、西方からの顕著な遺伝子流動はありませんでした。黄河流域へのコムギの導入は、人口拡散ではなく文化移行の結果だった、と示唆されます。

 斉国の首都で前漢王朝期における主要な商業拠点だった臨淄に位置する聞韶北遺跡は、ヒトの移動の戦略的結節点を占めています。臨淄が交易と職人の技能の交差点としての地位にあったにも関わらず、聞韶北人口集団が遺伝的に均質性だったことは、極端な多様性ではなく地域的統合によって形成された居住共同体を示唆しています。考古学的証拠は同様のことを示唆しています。山東のさまざまな遺跡の漢王朝の墓と副葬品の特徴は、高度に一貫していました。聞韶北人口集団と現代の人口集団の両方で前期新石器時代山東狩猟採集民祖先系統の祖先系統がほぼ欠如していることは、その遺伝的寄与が侵入してきた農耕民によって周縁化されたことを示唆しており、これは農耕拡大が採食集団を置換した世界中の事例と一致するパターンです。この人口統計学的置換は漢王朝期に加速した可能性が高く、それは農耕の生産性を高め、集落の拡大を促進した、技術的進歩(たとえば、鉄器や灌漑)によって引き起こされました。


●まとめ

 本論文では、漢王朝期の古代山東人口集団は中期新石器時代以降の黄河中下流域の人口集団と高い遺伝的均質性を示すものの、前期新石器時代山東社会とは顕著な遺伝的異質性を示す、と明らかになります。これは、黄河中流域から山東への雑穀関連か農耕文化の拡大に起因するかもしれません。殷王朝から秦王朝にかけて、人口移動性の増加のため、黄河中下流域の人口集団は次第に均質になりました。漢王朝までに、黄河中流人口集団と下流人口集団との間の遺伝的差異はごくわずかになりました。


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