イベリア半島のウマの歴史

 イベリア半島の古代のウマのゲノムデータを報告した研究(Garrido et al., 2025)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、イベリア半島およびより広く地中海地域の古代のウマのゲノムデータを既知の古代と現代のウマおよびプシバルスキーウマ(Equus ferus przewalskiiもしくはEquus przewalskii、タヒ、モウコノウマ)やレナウマ(Equus lenensis、略してEL)など近縁種のデータと比較し、過去26000年間のイベリア半島のウマの遺伝的歴史を検証しています。イベリア半島では、分岐した独自の系統が後期更新世以降に生息しており、その関連する遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)はフランス南部にも広がっていました。イベリア半島では現代の家畜ウマ系統が遅くとも紀元前1850年頃には到達し、その後も少なくとも紀元前350年頃までは継続的な野生ウマの補充を含む繁殖が行なわれていたようですが、その直後にイベリア半島の後期更新世以来の祖先系統は消滅したようです。

 以下の略称は、PCA(principal component analysis、主成分分析)、IBD(identity-by-descent、同祖対立遺伝子)、MCMC(Markov chain Monte Carlo、マルコフ連鎖モンテカルロ)、DOM(domestic、家畜化)、n(node、系統樹の節)、LGM(Last Glacial Maximum、最終氷期極大期)、DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)、EA(ロバ)、IBE(Iberia、イベリア)、SF(southern France、フランス南部)、LPSFR(Late Pleistocene Southern France、後期更新世フランス南部)、NF(northern France and Britain、フランス北部およびブリテン島)、LPNFR(Late Pleistocene Northern France、後期更新世フランス北部)、POL(Poland、ポーランド)、CZ(Czechia、チェコ)、HU(Hungary、ハンガリー)、UR(Ural Mountains、ウラル山脈)、ENEOROM(Eneolithic population from Romania、ルーマニアの金石併用時代集団、略してNR)、CAGT(Centre d'Anthropobiologie et de Genomique de Toulouse、トゥールーズ人類生物学ゲノミクス総合施設)、炭素(C)、窒素(N)です。本論文で取り上げられる主要な文化は、ボタイ(Botai)文化、CWC(Corded Ware culture、縄目文土器文化)、FB(Trichterbecherkultu、Funnel Beaker Culture、漏斗状鐘形杯文化)です。

 本論文で取り上げられる主要な遺跡は、スペインのコヴァ・フォスカ(Cova Fosca)遺跡とエル・アセキオン(El Acequión)遺跡とモンシン(Moncín)遺跡とエル・モレッドン(El Morredón)遺跡とカベソ・デ・トレス(Cabezo de la Cruz)遺跡、リェイダ(Lleida)のエルス・ヴィラーズ(Els Vilars)遺跡、イギリスのマゴー(Magor)遺跡とアンプリアス(Emporion、Empúries)遺跡、フランスのペチ・マホ(Pech Maho、略して)遺跡、イギリスのチョーク・ヒル(Chalk Hill)遺跡、エストニアのリダラ(Ridala)遺跡、カザフスタンのボーリ4(Borly4、略してBL)遺跡とネオボール(Neobor略してNB)遺跡とノヴォリンカ(Novolinka、略してNV)遺跡とクロカレヴ(Krokalev、略してKR)遺跡とテルセク(Tersek、略してTE)遺跡とザナトゥルムス(Zhanaturmus)遺跡、シチリア島のモティア(Motya)遺跡、トルコのアセムヒュユック(Acemhöyük)遺跡、チュニジアのアルティブロス(Althiburos)遺跡、モロッコのリクサス(Lixus)遺跡、イランのベルヘイス(Belgheis)遺跡です。


●要約

 ウマは中期更新世以降イベリア半島(現在のスペインとポルトガル)に生息しており、この地域において複雑な歴史を形成してきました。イベリア半島は家畜化の中心地として提案されてきており、世界級の血統を生み出したことで知られています。この研究では、イベリア半島およびより広範に地中海の古代のウマの標本87点からゲノム規模配列データが生成され(中央値の網羅率は0.97倍)、過去26000年間のウマの遺伝的歴史が再構築されました。本論文では、分岐したIBE系統の野生ウマが後期更新世以降にイベリア半島に生息していた一方で、ポントス・カスピ海草原地帯原産の家畜化されたDOM2ウマがすでに紀元前1850年頃に到来していた、と報告されます。混合年代測定は、少なくとも紀元前350年頃までの継続的な野生ウマの補充を含む繁殖慣行が示唆されており、IBEはその直後に消滅しました。遺伝的類似性のパターンは、鉄器時代および古代におけるヨーロッパとアフリカ北部全域でのイベリア血統の広範な影響を浮き彫りにしており、その後も、とくにアメリカ大陸の植民化において影響は継続しました。


●研究史

 ウマの力はヒトの歴史に革命を起こし、古代社会に高速移動と戦争および農耕の新たな手段をもたらしました。威信の傑出した象徴として、支配層の儀式の中心要素になることによって、ウマは過去の社会制度にも深い影響を及ぼしました。かつて激しい科学的議論となりましたが、家畜化の故地は今では、紀元前三千年紀後半のドン川およびヴォルガ川下流の草原地帯と特定されました[4]。この過程には、緻密な繁殖管理や世代時間の短縮や紀元前2700~紀元前2200年頃の間の深刻な個体数のボトルネック(瓶首効果)が含まれていました[5]。この後に、紀元前2200年頃にユーラシア全域で急速な拡大があり、ヒトの歴史における大規模なウマによる移動の時代が始まって、最終的には在来のウマ系統の完全に近い置換に至りました[4、5]。結果として、地球上に生息しているすべての現代の家畜ウマはDOM2系統に属します。

 カザフスタンのボタイ遺跡のそれ以前の考古学的証拠(紀元前3500年頃)は、ウマの畜産を示唆する、ウマの搾乳や馬具や囲い込みを示しています。この解釈は、遺跡で見つかった繁殖管理の遺伝的痕跡とよく一致します。しかし、その根底にある過程はDOM2の家畜化とは遺伝的にほぼ完全に独立しており、地理的には孤立したままで、プシバルスキーウマが唯一の生き残っている子孫です[7]。

 現在、ウマの大半は家畜血統もしくはその野生化した近縁に属しています。これは、かつて家畜化当時にユーラシアを放浪していた野生ウマ集団の豊かな多様性とは著しく対照的です。いつどのようになぜ、これらの野生系統が消滅したのか、そうした野生系統が家畜化されたウマの遺伝的構成もしくは特性に寄与したのかどうかは、依然として解明されていない問題です。

 イベリア半島(現在のスペインとポルトガル)は、この失われた多様性の顕著な事例を提供します。最近の研究は、他のウマと形態学的に類似した、イベリア半島における、遺伝的に深く分岐した今では絶滅した系統であるIBEの存在を明らかにしました。IBEは高度に分岐した特徴づけられていない亡霊(ゴースト)系統からの遺伝的祖先系統を有しており、とくにY染色体ハプログループ(YHg)において明らかです。これまでに、遺伝学的に特徴づけられたIBE標本は6点のみで、その年代は前期新石器時代(コヴァ・フォスカ遺跡、紀元前5180年頃)[4]から青銅器時代(エル・アセキオン遺跡、紀元前1900年頃)にわたっています。上部旧石器時代と中石器時代と新石器時代を通じた考古学的な骨遺骸群は、イベリア半島のウマにとって好適な気候条件を示唆してきましたが、イベリア半島にはIBEウマのみが生息していたのかどうかは、利用可能な遺伝的データが限られているため依然として解明されていません。

 重要な不確実性は以下の2点に関しても残っており、それは、(1)IBEの消滅時期および早ければ後期新石器時代~銅器時代の移行期における在来の家畜化の可能性、(2)イベリア半島におけるDOM2血統の導入で、最古級の遺伝学的に特徴づけつられたDOM2ウマの年代は前期鉄器時代です(エルス・ヴィラーズ遺跡、紀元前8~紀元前7世紀)[4]。現代の家畜血統へのIBEの遺伝的遺産は最小限のようですが、過去の繁殖慣行ではどの程度DOM2ウマと在来のIBEウマとの間の混合が許されていたのか、ほぼ不明なままです。さらに、紀元前千年紀までのイベリア半島のウマの軍事的利用やローマの戦車(チャリオット)競争において有名であることを記した、ギリシア語およびラテン語史料によって証明されているように、イベリア半島のウマは古代にはひじょうに価値が高いとされていました。鉄器時代には、イベリア半島のウマは、騎乗および使役動物として、儀式慣行における顕著な役割のある威信の象徴として、さほど多くはありませんが、肉供給源として機能していました。しかし、イベリア半島のウマの血統がその後の期間、とくにアル=アンダルスの約800年間にわたるイスラム教徒支配や、新世界【アメリカ大陸】の植民地化[19]においてどのように進化したのかは、不明なままです。

 この研究では、87頭の考古学的ウマ遺骸からゲノム規模データが生成され、過去26800年間のイベリア半島および地中海全域におけるウマの遺伝的多様性が解明されます。イベリア半島のウマにおけるIBE系統は、上部旧石器時代から、最新では紀元前571年頃(紀元前734~紀元前408年)となる個体で特定されました。本論文のデータセットにおける最古級のDOM2イベリア半島ウマの年代は紀元前1213~紀元前1048年頃でしたが、紀元前1842年頃(紀元前1973~紀元前1711年)に始まり、紀元前358年頃(紀元前557~紀元前159年)まで続いた複数の混合事象によって証明されるように、この系統はそれ以前に到来していました。これは、家畜化されたウマが野生集団から完全に孤立した管理されたわけではなかったこと、およびIBEは紀元前千年紀の最後の四半期までに絶滅した可能性が高いことを示唆しています。最後に、ヨーロッパ全域のDOM2ウマは、ローマ期を含めて紀元前1200~紀元後500年頃の間にイベリア半島集団との強いつながりを示しました。これは、鉄器時代と古代にまたがる主要なウマの繁殖中心地としてのイベリア半島を浮き彫りにし、その影響はアメリカ大陸の植民地化まで続きました。


●ゲノムデータセット

 CAGT古代DNA施設(フランスのトゥールーズ)において、錐体骨や歯や頭蓋後方要素を含めて、合計87頭のウマの考古学的遺骸で、DNAが抽出されました(図1)。イルミナ(Illumina)社のMiniSeq装置での三重索引DNAライブラリの低深度の配列決定で、26個体の雌と61個体の雄が明らかになり、これらのウマはショットガン配列決定によって、比較的節約的なゲノムの特性評価と一致する、内在性DNA含有量を示しました(中央値は27.21%、2.03~89.75%の範囲)。mapDamage22の塩基較正特性とPMDtoolsヌクレオチド誤取り込み特性は、古代DNA配列生成に用いられる分子手法で配列され、それにはUSER酵素処理およびDNAライブラリ構築が含まれ、データの信頼性が裏づけられました。合計で184億6千万の読み取りの組み合わせがイルミナ社のHiSeq4000およびNovaSeq 6000装置で生成され、そのうち45億5千万の読み取りの組み合わせはウマ参照ゲノムに対して確実に配列され、0.10~4.12倍の間のゲノム網羅率深度が得られました(中央値は0.97倍)。以下は本論文の図1です。
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 新たに特徴づけられたゲノムの大半はイベリア半島に由来し(63点)、残りの24点は、フランス(16点)とイタリア(3点)とモロッコ(4点)とイスラエル(1点)で発掘された標本に由来しており、イベリア半島の遺伝的類似性と地中海全域の交易網が解明されました(図1b・c)。新たなゲノムは後期更新世(4点、紀元前25265~紀元前14179年頃)から中世(1点、1656年)まで網羅しましたが、大半は鉄器時代(48点)とローマ期(11点)とローマ帝政期/古代末期(5点)に属します。新たに特徴づけられたゲノムは、ユーラシア全域で見られる遺伝的系統の全範囲を含む、以前に特徴づけられた古代のウマ合計261頭のゲノムと組み合わされました(図1a)。これらは、世界中の83頭の現代の家畜品種の、プシバルスキーウマの現代の1頭と歴史時代の1頭、外群となるロバ2頭のゲノムで補完され、LGM(26500~20000もしくは19000年前頃)の前後のイベリア半島のウマの遺伝的景観や、現在への遺伝的遺産の可能性が調べられました。


●IBEはイベリア半島でLGMから鉄器時代まで存続しました

 配列データの擬似半数体化によって、検証対象の標本の少なくとも80%で、712万ヶ所の常染色体塩基転換(transversion、略してTv、ピリミジン塩基とプリン塩基との間の置換)部位が回収され、これには外群のロバも含まれます(欠損の中央値は7.614%で、0.003~92.890%の範囲)。外群と分岐した後期更新世のアメリカ大陸のウマを除いたPCAでは、新たに配列決定された標本の大半(73点)はDOM2(D2)とともに位置した、と明らかになりました(図2a)。驚いたことに、残りの14点の標本は主成分1および主成分2(PC1およびPC2)に沿って、以前に特定されたIBEウマとともに、それぞれ最も高い正の得点および負の得点を占めました。PC2得点はおもに、ウラル山脈とアジア中央部(ボタイ遺跡、ボーリ4遺跡、ネオボール遺跡、ノヴォリンカ遺跡、クロカレヴ遺跡、テルセク遺跡)からシベリア北部(レナウマ)まで、の系統を識別しました。以下は本論文の図2です。
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 常染色体近隣結合系統発生再構築では、IBEクラスタ(まとまり)の構成員は単系統群を形成し、最大(100%)のブートストラップの裏づけを得た、と確証されました(図2b)。しかし、モンシン遺跡の中期青銅器時代の雌1頭(MNP20_Spa_m1558)は、他のPCAクラスタ構成員からわずかにそれていました。この雌はIBE単系統群内で最初に分岐した個体で、より複雑なゲノム構成を反映しているかもしれません。

 常染色体系統発生でも、さまざまな遺伝的類似性のいくつかの系統がかつてヨーロッパに生息していた、と確証されました。IBEはフランス南部(SF)やフランス北部およびブリテン島(NF)の後期更新世の系統と最も密接な類似性を示しました。IBEとより分岐している別の関連するクラスタは、デンマーク(FB)やドイツ(CWC)やポーランドやカルパチア盆地(チェコとハンガリー)の紀元前四千年紀~紀元前三千年紀のウマでも形成されました(図2b)。

 しかし、ミトコンドリアゲノム系統発生は常染色体系統発生と比較して異なるパターンを示し、不完全な系統分類とウマのmtDNAの限定的な系統地理的解像度を示唆した以前の報告と一致します。興味深いことに、独特なMNP20_Spa_m1558標本を含めて、IBEとの常染色体類似性を示す標本の大半は、強く裏づけられるミトコンドリアの3クラスタ内でまとまり、最近縁としてSFもしくはNFの構成員を示します(図3a)。対照的に、新たに特徴づけられたIBEの雄標本はすべて、以前に配列決定された3個体とともにまとまり、100%のブートストラップ値で裏づけられたY染色体単系統群を形成します(図3b)。後者のクラスタにはデンマークの標本1点(FBのDJM130x6_Den_ m3011)も含まれ、その年代は紀元前四千年紀~紀元前三千年紀です。この標本は、今ではIBEと関連づけられている、ユーラシアにおける最も分岐したY染色体ハプロタイプの一つを有している[4]、と知られていました。以下は本論文の図3です。
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 常染色体とミトコンドリアとY染色体の系統発生分析を組み合わせると、分岐したIBE系統は、ヨーロッパ西部、とくにフランスの他の野生系統(後期更新世)と遺伝的に関連していた、と明らかになります。このIBE系統はイベリア半島では少なくとも26800年前頃(Z51_Spa_m24857)から2500年前頃(CBC11_Spa_m571)まで存在しており、以前に報告されていた7200~3900年前頃の間[4]との時系列をかなり拡張します。後期更新世から前期鉄器時代の間で観察された遺伝的連続性からも、IBE系統はピレネー山脈の南側に位置する氷期退避地でLGMに存続していた、と論証され、これはウマにとっ生存可能な古環境条件を示唆する気候生態的地位モデル化と一致します。

 興味深いことに、IBEのδ¹³Cおよびδ¹⁵N同位体特性は後期更新世から2500年前頃まで経時的に安定したままで、LGM後の食性および生息地における限定的な変化が示唆されます。δ¹³Cと値が他のウマの遺伝的系統で測定された範囲内に収まったのに対して、δ¹⁵N値はより低い分布範囲を占めていました。草食動物におけるδ¹³C値とδ¹⁵N値は通常、消費した植物の値を反映しており、それは自然および人為的行動の範囲とともに変わります。イベリア半島などC3植物の優占する環境では、植物のδ¹³C値とδ¹⁵N値はおもに植物の種類(穀類ではより高いδ¹³C値を、マメ科植物ではより低いδ¹⁵N値を示します)や、植物の部位(葉と茎は穀粒と比較してより高いδ¹³C値とδ¹⁵N値を示します)や、生息地の開放性(森林地域はより低いδ¹³C値およびδ¹⁵N値と関連しています)に依存します。気候もδ¹⁵N値に大きな役割を果たし、より乾燥した地域の植物はより高い測定値を示します。最後に、タンパク質の豊富な飼料か、意図的に肥料で豊かになった土壌で育った植物を食べるか、あるいは繰り返しの牧草地使用の結果として、δ¹⁵N値の上昇を示します。

 複数の遺跡と期間でのIBEウマとDOM2ウマとの間の一貫したδ¹⁵Nの違いは、系統間の同様のδ¹³C値と組み合わせると、純粋に地域的な影響ではなく、生息地の利用か食料の種類か生理の体系的な違いを示唆しています。IBEウマの低いδ¹⁵N値は他の更新世のウマ(LPSFRなど)と一致し、生息地と食料における連続性を裏づけています。対照的に、DOM2ウマはより高いδ¹⁵Nとより広いδ¹³C範囲を示しており、これは開けた草原での採食および食性もしくは生息地のヒトの管理の増加に起因するかもしれません。本論文では、観察された差異は、(1)異なる生息地(IBEではより湿潤な森林、DOM2ではより乾燥した草原)と、(2)異なる食性(DOM2にとっての人為的影響の増加した生息地でのより高品質な穀類および草と比較して、IBEにとってのマメ科植物やイネ科植物など自然生息地でのより低い含有量のタンパク質)の組み合わせから生じ得た、と結論づけられます。


●ヨーロッパの家畜化前におけるウマの遺伝的類似性

 ヨーロッパにおけるIBEと他の野生ウマ集団との間の関係をさらに調べるために、AdmixtureBayes図モデル化が、これまでにヨーロッパで特定されたウマの主要な7遺伝的系統[4、5]の選択に適用されました。本論文の常染色体系統樹ではともにまとまり(図2b)、ドイツの後期新石器時代のCWC系統[5]と遺伝的類似性を共有している、と知られているカルパチア盆地とポーランドの系統は、MCMC鎖混合効率性を改善しながら、モデルの複雑さと計算時間を制限するために除外されました。

 事後図分布は単一モデルが優占し、標本抽出された図の56.5%を占めており(図4a)、5%超の頻度で発生した追加モデルは2通り(それぞれ7.0%と6.4%)だけでした(図4b・c)。3モデルはすべて系統分岐と混合の複雑な歴史を示しており、フランス北部とイギリスの後期更新世集団(LPNFR)は、ヨーロッパへと拡大して分化した、調査対象の最初の系統の一部として現れました(分岐節はn8)。その子孫集団はさらに異なる地域系統へと分化し、より分岐した他集団からの寄与によって形成されました。たとえば、3モデルはすべて一貫して、IBE系統の祖先系統の1.7~6.0%は、基底部として最適にモデル化された分岐集団にさかのぼり、最大の枝の浮動推定値の一部を示す(混合節A1)、と裏づけます(図4a~c)。この寄与の深い分岐は、ヨーロッパにずっと早くに到来し、イベリア半島の気候退避地で存続した古代のウマの存在を示唆しています。さらに、ルーマニアの金石併用時代集団(ENEOROM)は、ウラル人口集団も形成する節におもに由来する、とモデル化されます(最初の2モデルのn1、第三のモデルのn6)。この節は系統分岐(n10)の歴史において、ヨーロッパすべての他系統につながった放散の前に深く分岐しており、NFおよび関連する子孫集団とは異なる、ヨーロッパへの別の拡大を示唆しています。以下は本論文の図4です。
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 この3モデルすべてで、フランス南部の後期更新世集団(LPSFR)の祖先系統のほとんどは、NF集団の形成につながった同じ拡大(混合節A3)に由来し、77.6~80.9%はn8の直近祖先であるn9に由来します。しかし、SFの遺伝的構成の残りの割合はIBEと直接的に関連する人口集団(n2)に由来しました。IBE系統の混合していない構成員はイベリア半島でのみ見つかったので、イベリア半島で分化した可能性が高そうですから、これは、IBE関連集団はフランス南部へと北方に拡大し、フランス南部で在来の地理的に最も近隣の個体群との混合によってSFが形成されたことを示唆しています。

 この3モデルは、NR系統と紀元前2700年頃にドイツ(CWC)および紀元前3000年頃にデンマーク(FB)に生息していたの系統の形成の根底にある、集団史において異なります。最初の2通りのモデルでは、CWCおよびFB関連系統はさらに東方に位置するNRの形成に関わり、それは両系統と関連する集団がルーマニアへと東方に拡大し、分岐した在来系統と混合した(混合節A6)からである、と示唆されます(図4a・b)。対照的に、第三のモデルは逆の状況を裏づけ、それは、NR関連系統(節n4)がCWCとFBの両系統の形成で中心的だったように見えるからです。これは、ルーマニアの在来系統と関連する集団(NR)がドイツおよびデンマークへと西方に拡大し、そこでNF系統を確立したそれ以前の拡大の子孫と混合したことを示唆しています(図4c)。これらの拡大および混合事象の複雑さの完全な理解にはさらなるゲノム規模の時系列が必要ですが、3通りの集団図はFBおよびCWC集団につながる顕著な遺伝的浮動の歴史を明らかにしています。これは、ウマ集団がこの期間には小さく大陸全域に疎らに分布していた、と示唆する前期~中期完新世の骨群と一致しています。


●イベリア半島におけるDOM2ウマの台頭

 PCAと系統発生分析は、標本MNP20_Spa_m1558をIBE系統の外れ値構成員として特定しました。これは、MNP20_Spa_m1558を単一のIBEクラスタの完全な子孫として却下した、qpAdmモデル化によって確証されました。さらに、交差検証によって特定された祖先系統構成要素の最適なK(系統構成要素数)=2に基づくADMIXTURE分析では、IBE個体群(および他の非DOM2系統)で最大化される祖先系統構成要素がその遺伝的祖先系統の79.7~80.2%しか占めていない、と示唆されました。同じ数の構成要素を考慮すると、標本MNP20_Spa_m1558のStruct-f4特性も、他のIBEウマよりもDOM2ウマで最大化される祖先系統構成要素の高い割合で構成されました。そこで、ヨーロッパで特定された他のすべての系統を考慮して、DOM2と同様に、IBE以外の他の寄与の可能性が調べられました。

 外群(右側)集団として他のすべての集団を考慮しながら、一度に可能性のある1供給源を検証する、先行研究の「循環」戦略を実行するqpAdmモデル化は、DOM2を唯一の適合可能な供給源として明らかにしました。OrientAGraphでの集団図モデル化と、ヨーロッパのすべての既知の可能性がある候補供給源を含めることでも、標本MNP20_Spa_m1558へのDOM2系統からの遺伝子流動の存在が裏づけられ、30.6~34.4%の混合割合が示唆されました。これらの分析は形式(EA、IBE;DOM2*、MNP20_Spa_m1558)でのD統計と一致し、ここでは、標本MNP20_Spa_m1558がヨーロッパで知られている最古級のDOM2構成員と比較して、IBE系統の構成員とより派生的な変異を共有しているのかどうか、明示的に検証されました。有意に正のD統計量は、標本MNP20_Spa_m1558におけるIBE祖先系統の過剰を裏づけ(図5a)、F4比によるとその割合は58.91%(57.8~60.0%の範囲)に達します(図5c)。以下は本論文の図5です。
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 紀元前二千年紀までのイベリア半島におけるIBEウマの優勢は、鉄器時代には本論文のデータセットからほぼ消滅したこととは対照的です。本論文で調べられたIBE標本20点(MNP20_Spa_m1558と以前に刊行された6点が含まれます)のうち1点のみが放射性炭素年代測定で紀元前千年紀と分かり(CBC11_Spa_m571、紀元前734~紀元前408年頃)、これはイベリア半島のDOM2ウマ48個体(鉄器時代およびローマ共和政期と関連している、本論文の38個体と以前に刊行された10個体)とは対照的です(図1b・c)。これは、ユーラシア全域の他の野生系統について示されているように、DOM2ウマの拡大に続く遺伝的置換の歴史を示唆しています[4、5]。

 重要なことに、形式(EA、IBE;DOM2*、X)の有意に正のD統計量は、本論文のデータセットに存在する15点のDOM2標本(に加えてMNP20_Spa_m1558)のみでIBE祖先系統の過剰な存在を示唆しました(図5a)。これらの標本のうち4点はイベリア半島由来ではなく、元々の生息範囲外でのIBEの間接的な遺伝的影響を明らかにしており、それはイベリア半島で元々繁殖されていた混合したDOM2ウマの交易および/もしくは交換を通じてのことだったかもしれません。これらにはモロッコのリクサスのローマ期植民地から発見された標本1点(LIX01_Mor_329、255~402年頃)と、シチリア島の鉄器時代集落の標本1点(モティア遺跡、MO2_Ita_m450、紀元前475~紀元前425年頃)と、ブリテン島南東部の標本1点(チョーク・ヒル遺跡、Chalk3_UK_m474、紀元前541~紀元前406年頃)と、フランス南部の標本1点(Pech501_Fra_m200、紀元前200年頃)の、標本3点が含まれていました。フランス南部の標本はガリア南部のペチ・マホ城砦で発掘され、ここはイベリア半島北東部のアンプリアスのギリシア植民地の北方約130kmに位置しています。アンプリアス遺跡からは、紀元前500~紀元前200年頃の間のイベリア半島の接触の物質的証拠が得られました。統計的検出力は、IBE系統がペチ・マホ遺跡の混合している標本1点のゲノム構成に1.22%(図5c)、スペインの他の2点の標本(エル・モレッドンの青銅器時代終末期集落のMR7_Spa_m1131が含まれ、これは本論文のデータセットにおいて紀元前1213~紀元前1048年頃となる最古級のイベリア半島のDOM2ウマを表しています)に1.65~1.90%の寄与した、と推定するのに充分でした。Z得点は検証された混合していない他の12個体すべてでほぼ有意でしたが、IBE祖先系統についての信頼範囲はゼロを挟むか、負の値にまで及ぶかもしれません。これが示唆するのは、限定来な感受性と、ゼロではないD統計量の残りのウマのゲノムへのIBEの寄与が推定に成功した値の最小値(つまり、1.22%)を下回っていたことです。

 DOM2ウマとIBE系統との間の混合時期の推定に関するDATES分析は、LIX01_Mor_329とChalk3_UK_m474を除いて有意なモデル適合を示し、したがって、LIX01_Mor_329とChalk3_UK_m474は慎重に偽陽性と考えられました(図5d)。混合時期は紀元前千年紀半ばのほとんどに分布しており、紀元前二千年紀の前半にまで及んでいました(図5b)。複数の信頼区間が重ならない事実は、青銅器時代と鉄器時代を区切る、いくつかの独立した混合事象を示唆しています。これらの調査結果は、野生ウマとのほぼ継続的な接触を可能とした、畜産慣行を裏づけます。注目すべきことに、最古級の混合年代はスペインのモンシン遺跡の標本MNP20_Spa_m1558で得られ、紀元前1842年頃(紀元前1973~紀元前1711年の範囲)と推定されました。これは、DOM2ウマが、ドン川およびヴォルガ川流域で最初に家畜化されてからわずか数世紀後の紀元前二千年紀初期に、イベリア半島に到来したことを示唆しています。

 D統計量計算では、調べられた現代の品種は過剰なIBE祖先系統を共有していなかった、と示されました。これは、現代の家畜ウマへのIBEの遺伝的遺産は限定的との以前の報告を裏づけ、これはおそらく、IBE系統の比較的初期の絶滅に起因します。紀元前358年頃(中間点、紀元前557~紀元前159年の範囲)後の本論文のデータセットに存在するDOM2古代ウマで、測定可能なIBE関連遺伝的祖先系統が欠如していることは、鉄器時代末、おそらくはローマ期に先行する時期までの消滅を示唆しています。


●鉄器時代以降のイベリア半島のウマの遺伝的影響

 歴史資料は古代から中世までのイベリア血統の特別な価値を浮き彫りにしています。経時的なイベリア半島のウマ繁殖の影響の可能性を調べるために、紀元前2125年頃から近代までの期間を網羅する、IBE祖先系統を欠いている古代のDOM2ウマが分析されました。ロバ(EA)を外群としての外群f3統計を用いて、ヨーロッパおよび地中海の各DOM2ウマ個体と、他の考古学的遺跡の残りのDOM2標本との間の遺伝的類似性が測定されました。同じ遺跡もしくは500年以上離れている標本の組み合わせは除外されました。この選別がとくに実行された理由は、(1)遺跡内類似性の把握を避け、(2)遺跡間の不均一な標本抽出に起因する分析の偏り(つまり、複数標本のある遺跡は、単一標本で表される遺跡が示すことはできない、局所的な類似性を示します)を避け、(3)比較的近い時代に生息していたウマのみを比較するためです。この手法によって、数千kmにわたる遺伝的類似性の検出が可能となりました。次に、最高の検出された類似性を示した組み合わせが地図化され、遺伝的関係の強さに応じた色で符号化された関連でそのつながりが視覚的に表されました(図6)。以下は本論文の図6です。
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 紀元前1200年頃以前には、利用可能な混合していないDOM2ウマ標本の数は、ヨーロッパ西部全域で稀でした(図6a)。しかし、ヨーロッパ中央部標本は、現在のロシア西部やカザフスタンやイランの個体群とより強い遺伝的類似性を示すことが最も多く、ヨーロッパの家畜ウマはまだ地元で繁殖されていたのではなく、家畜化中心地の近くに起源のある遺伝的に類似した家畜から供給されていた、と示唆されます。対照的に、紀元前1200~紀元後500年頃までは、イベリア半島の内外両方の分析されたほとんどのウマは、その遺伝的近縁がイベリア半島もしくはフランス南東部で見つかりました(図6b)。これは、この地域で局所的に繁殖された血統の出現と、ヨーロッパ西部全域の交易網でのその後の拡散を反映している可能性が高そうです。注目すべきことに、イベリア半島の遺伝的影響は遠距離にまで及び、遠く北方では現在のエストニア(リダラ遺跡)やブリテン島(マゴー遺跡)、遠く東方ではアナトリア半島(アセムヒュユック遺跡)、遠く南方ではモロッコ(リクサス遺跡)とチュニジア(アルティブロス遺跡)に達しました(図6b)。

 本論文の限定的なデータセットは500年頃以降の広範な分析には適していませんでしたが、イベリア半島の遺伝的影響の大きな拡大が検出され、それはアジア(カザフスタンのザナトゥルムス遺跡とイランのベルヘイス遺跡)とカウ川(Kaw River)やチョリーヨ渓谷(Chorillo Grande)といったアメリカ大陸の両方に及びました。アジアとの類似性はイベリア半島と東洋の血統の共有されたゲノム遺産を反映している可能性が高そうで、以前にはイスラム教徒の征服に続くウマの拡大と関連づけられており、これがヨーロッパとアジアの両方に影響を及ぼしました。一方で、アメリカ大陸における遺伝的兆候はスペインとポルトガルの植民者(つまり、コンキスタドール)による家畜ウマの初期の導入[19]に対応しています。


●考察

 本論文は、複数の先史時代と原史時代と歴史時代にまたがる、イベリア半島のウマの広範な遺伝的影響を明らかにします。少なくとも26800年前頃以降、イベリア半島には野生ウマの高度に分岐したIBE系統が存在しており、IBE系統は、ずっと早くにヨーロッパに到達した古代系統からの遺伝的寄与を受け取り、フランスやブリテン島やドイツ(CWC)やデンマーク(FB)やチェコやルーマニア(NR)を含めて、ヨーロッパの他地域で見られるほとんどの野生集団から分離し続けた、独特な遺伝的血統でした。その地域的な独自性にも関わらず、IBE関連遺伝的祖先系統は後期更新世にはイベリア半島を越えて、とくにフランス南部(SF)の近隣集団へと拡大しました。しかし、イタリアとバルカン半島のLGM後のゲノムの不足のため、家畜ウマのさらに遠方の到来以前、とくにヨーロッパ南部の地中海沿岸でのIBEの影響の程度は、不明なままです。

 IBE系統は核なくとも紀元前千年紀半ばまで存続しており、本論文のデータセットにおける最新のIBEウマの放射性炭素年代は紀元前571年頃(紀元前734~紀元前408年)です。カベソ・デ・トレスの集落の城壁外の穴で発見されたこのウマの考古学的背景から、狩られた野生ウマだった、と示唆されています。DOM2ウマとIBEウマとの間の検出された最新の混合事象(中間点は紀元前358年頃、範囲は紀元前557~紀元前159年)から、IBEは紀元前千年紀の最後の四半期まで存続していたかもしれない、と示唆されます。しかし、より新しい考古学的遺骸におけるIBE遺伝的祖先系統の欠如を考えると、この期間以降の生存の可能性は低そうです。IBE系統の衰退は、純粋な自然的絶滅ではなく、ウマの利用慣行における変化とも関連していたかもしれません。交易網もしくは戦争に起因する個体群規模の変動は、とくにIBEの消滅と、地中海を戦域としてローマ人とカルタゴ人が対立した紀元前3世紀~紀元前2世紀のポエニ戦争との間の広範な時間的重なりを考慮すると、重要だったかもしれません。古典史料では、ハンニバルが第二次ポエニ戦争の前にイベリア半島とアフリカの軍隊を動員し、2000人以上のアフリカ北部の騎兵をイベリア半島へと移送して、その後でイタリアの大半に移動させた、と示唆されています。そうした大規模な動員は、この地域における野生ウマとの混合の長期にわたる慣行を妨げた、最終的にはIBE系統の絶滅につながったかもしれません。イベリア半島のウマの繁殖伝統へのポエニ戦争の影響を明らかにするためには、紀元前千年紀後半に焦点を当てたより多くの研究が必要です。

 本論文の分析では、紀元前1200~紀元後500年頃の間にヨーロッパとアフリカ北部に生息していたウマの大半は、その遺伝的な最近縁がイベリア半島内(もしくはイベリア半島から短距離のフランス南部)で見られる、と明らかになりました。これは、現地で繁殖されたイベリア半島血統が広い地理的範囲に輸出され、イベリア半島がウマ生産の中心地となり、ヨーロッパ(およびアフリカ、ただ、アフリカで分析された個体数は依然として限られています)のウマの集団構造を形成した、と示唆しています。この遺伝学的証拠は、エルス・ヴィラーズ要塞(スペインのリェイダ)での考古学的調査結果と一致しており、イベリア半島北東部の鉄器時代共同体における大規模なウマの繁殖と供犠の能力を論証します。

 より広く、イベリア半島の紀元前千年紀は、内的発展とより広い地中海世界からの外的影響の両方によって形成された、顕著な変容の期間でした。この期間には、大きな文化的変化や軍事紛争や大規模な人口移動[44]があり、重要な資源拠点として、最終的にイベリア半島は共和政ローマに統合されました。この期間のより詳しい時間的および地理的解像度と、そのウマの繁殖および交易への影響を達成するには、ヨーロッパ全域からの広範なゲノム時系列データが必要でしょう。補完を含めて高度な統計的技術での個体間のIBDパターンの地図化は、理解を大きく深め目可能性が高そうです。この手法は最近、アジア中央部とヨーロッパ[48]におけるヒトの移動への前例のない知見を提供しましたが、ウマについてその初期段階に留まっており、それは世界中の補完参照パネルの利用可能性が限られているためです。

 ローマ帝国の興亡期間は、ヒトDNAの水準では広範に研究されてきましたが[50、51]、ウマについては依然として理解が乏しく、とくに注目すべきです。本論文で分析されたローマ期および古代末期の18点の標本にも関わらず、この期間のウマの移動の大規模なパターンは依然として不明です。将来の研究は、ロバでの特定と類似した、長距離移動のパターンを解明できる可能性があり、ロバでは、遺伝学的証拠から、ローマ期におけるアフリカ西部とフランスとの間の移動が追跡されています。同様に、これらの技術を中世の状況に適用することで、生計経済がますます局所化するにつれての、動物交換の理解が深まるかもしれません。最後に、ゲノム時系列が拡大し続けるにつれて、補完に基づく手法の適用は、イスラム教徒の拡大に続く東洋血統の拡大や、アメリカ大陸における植民地権力の確立重要な役割を果たした、大西洋横断でのウマの大規模な移動[19]の再構築に大きな可能性を有しています。


参考文献:
Garrido JL. et al.(2025): The genomic history of Iberian horses since the last Ice Age. Nature Communications, 16, 7098.
https://doi.org/10.1038/s41467-025-62266-z

[2]Fages A. et al.(2020): Horse males became over-represented in archaeological assemblages during the Bronze Age. Journal of Archaeological Science: Reports, 31, 102364.
https://doi.org/10.1016/j.jasrep.2020.102364
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[4]Librado P. et al.(2021): The origins and spread of domestic horses from the Western Eurasian steppes. Nature, 598, 7882, 634–640.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04018-9
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[5]Librado P. et al.(2024): Widespread horse-based mobility arose around 2,200 BCE in Eurasia. Nature, 631, 8022, 819–825.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-07597-5
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[7]Gaunitz C. et al.(2018): Ancient genomes revisit the ancestry of domestic and Przewalski’s horses. Science, 360, 6384, 111-114.
https://doi.org/10.1126/science.aao3297
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[19]Taylor WTT. et al.(2023): Early dispersal of domestic horses into the Great Plains and northern Rockies. Science, 379, 6639, 1316–1323.
https://doi.org/10.1126/science.adc9691
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[44]Olalde I. et al.(2019): The genomic history of the Iberian Peninsula over the past 8000 years. Science, 363, 6432, 1230-1234.
https://doi.org/10.1126/science.aav4040
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[48]Allentoft ME. et al.(2024): 100 ancient genomes show repeated population turnovers in Neolithic Denmark. Nature, 625, 7994, 329–337.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06862-3
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[50]Antonio ML. et al.(2019): Ancient Rome: A genetic crossroads of Europe and the Mediterranean. Science, 366, 6466, 708–714.
https://doi.org/10.1126/science.aay6826
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[51]Antonio ML. et al.(2024): Stable population structure in Europe since the Iron Age, despite high mobility. eLife, 13, 79714.
https://doi.org/10.7554/eLife.79714
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